正田佐与の 愛するこの世界

神戸の1位マネジャー育成の研修講師・正田佐与が、「承認と職場」、「よのなかカフェ」などの日常を通じて日本人と仕事の幸福な関係を語ります。現役リーダーたちが「このブログを読んでいればマネジメントがわかる」と絶賛。 現在、心ならずも「アドラー心理学批判」と「『「学力」の経済学』批判」でアクセス急増中。コメントは承認制です

◆正田の近刊『行動承認―組織の能力を最大化する「認める力」』◆
各ネット書店でも大好評発売中です!
http://books.rakuten.co.jp/rb/12987941/?acd=812
https://honto.jp/netstore/pd-book_26427191.html

◆上司の承認力と部下の幸せな躍動…「承認研修」宿題を一挙28例公開!!あったかい気持ちになってください
(印刷の場合はA3ヨコ4pです。無断転載不可)
http://www.c-c-a.jp/pdf/20150205.pdf

 「アドラー心理学批判」のまとめとして、現在アドラーの言葉として出回っている「有害フレーズ」を一覧にしてみました。


アドラー心理学批判:発言の捏造ver2


※2017年1月31日、「トラウマ」の項を更新しました。
 
 いかがでしょうか。

 今のところわたしはアドラーの著作を全部読んだわけではなく、『個人心理学講義』と『人生の意味の心理学』それに『子どものライフスタイル』『子どもの教育』しか読んでないので、「中間報告」のようなものです。上記のフレーズが他のアドラーの著書のどこかに絶対ないとは言えないです。それは「STAP細胞が絶対にない」ということが難しいのと一緒です。ただし、代表的な著作には出ていないし、それらの文章のトーンから考えてもほかの著書に出てくるとは考えにくい。仮に出たとしても偶発的な、文脈依存のもので、アドラーの主たる主張とはいいがたいものだろう、ということですね。

 (まあもし、「いや、アドラーは言っている」というのであれば、何という著作の何頁にあるかまできちんと言ってください)


 それで、こういう捏造は果たして許されるか?ということを考えてみたいと思います。


 わたしたちは日頃、孔子の言葉、アリストテレスの言葉、マザー・テレサの言葉…に触れることがありますが、ここまで極端に捏造された言葉をきかされているだろうか?

 まさか、中間の人がここまで勝手なアレンジを加えた言葉を「アドラーの言葉」としてきかされるとは、思っていないんじゃないでしょうか。しかも有害なことを。

 原著を読んだ限りではアドラーは、ところどころ見立ての間違いがあるとはいえ良心的な常識的なカウンセラーです。「逆張り」などはしていません。時々「過剰」を憂慮していたにすぎません。しかも彼自身は、誰かの言葉を借りて言うということもほとんどしていません。けっして「逆張り大好きで権威ずきのおっさん」などではありません。そこまで悪ノリして暴走するタイプの人ではありません。


 「逆張り大好きで権威ずきのおっさん」は、主に、岸見一郎氏です。

 岸見一郎氏のWikiはこちらですが――

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%B8%E8%A6%8B%E4%B8%80%E9%83%8E

 まあ大学の非常勤講師を務めながら売れない頃からずっとアドラーの著作を訳してきたわけですね。わが国のアドラーの翻訳書はほとんど岸見氏の手になると思っていいぐらいです。

 しかもアドラー以外の心理学書はほとんど読んでない、というのも変わった方ですねえ、というかんじですが。そこまでアドラーがすきだったんですね。そのコダワリの強さは、あれっぽいですね。

 たしかにアドラーは同時代のフロイトやユングに比べてもまっとうな気がしますが、それでも現代のちょっと知識のある人からみれば間違いがたくさんあります。「トラウマを乗り越えよう」というのも、良心的な言葉ではありますが、重度のトラウマを負った人からみれば有害フレーズです。

 だから過去の遺物としてみるぶんにはいいんですけれどね。
 どういうわけか近年スポットライトが当たってしまい、そしておそらく、ヘーゲルの時代の哲学者よろしく、人生のあらゆる局面について発言していますから、「偉人」あつかいして「語録」あつかいするには都合がよかったんですね。
 しかし、過去のどの偉人と比べても発言を捏造されていますよ。


 よくわかりませんが『嫌われる勇気』のときに、なんでもダイヤモンド社の敏腕編集者がついていろんな提案をしたそうですが、そのときに今どきの「承認欲求バッシング」を入れこもうとか、「ほめない叱らない」を強いトーンで入れようとか、が入ってきた可能性があります。
 そのとき、売れたい一心の岸見氏がそれに乗っかったのかなと。

 ほんとうに良心的な専門家なら、「いや、アドラー自身はそこまでのことは言っていません。アドラーの言葉として言うのはやめてください」と言うと思います。でも「今が売れるチャンス!」と思ったら、乗っかるかもしれません。


 そのあたりはわたしは事実関係を良く知らないんですけどね。

 それにしても一連の「承認欲求バッシング」の書籍の中でも、「承認欲求を否定せよ」は、もっとも過激な、そして有害なフレーズです。他の本はおおむね、承認欲求ゆえに問題行動をとる人の例を挙げて嘆いてみせているだけなのです。承認欲求は人間の基本欲求なので、否定すれば簡単に鬱になってしまいます。もう既に鬱になりかけの人も多いかもしれません。

 「承認欲求バッシング」自体が、気に食わない優等生を袋叩きにする「いじめ」のような現象だったのですが、その中でも「承認欲求を否定せよ」とは、いじめグループの中の一番ヘタレの弱虫君が一番悪質なことをやってしまうというようなおもむきがあります。


 一般人のわれわれが知っておくべきことは、アドラーの言葉として出回っているものにはかなり「捏造」でかつ「有害」なものがあるので、聞き流しておくのが賢明だ、ということです。





 岸見氏の暴走ぶりというのは、例えば過去に講演で

「反抗期などというものはない」

と発言。

 詳細はこちらの記事参照

>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51927076.html


 このあとすぐ某週刊誌で、思春期の子どもの脳についての特集があり、ちゃんと「反抗期はある」と実証されているわけですが。
 またアドラーも、思春期の子ども特有の逸脱行為について書いており、決して「反抗期はない」などと思っていたようにはとれません。


 またその後わたし自身が聴講した講演では、「自分の息子」をしきりに例として挙げながら「ほめない叱らない」論をぶっていたので、私が切れて反対質問をしたのでした。

>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933511.html

 岸見氏の息子さんは、のちに京大に入って哲学者になられたのだそうで、自慢の息子なのだろうと思います。講演では、この息子さんがプラレールか何かを上手に組みあげたので、ほめたところ嬉しそうな顔をせず、「お父さん僕は当然できることをしただけだよ」と言ったという。その例を挙げて、「ほめることは対等の関係ではないんだ。上から目線だ。ありがとうと言わなければならない」と、いうのでした。

 これは「行動承認」の側から当然、反論があります。息子さんはIQの高い、言語能力の高いお子さんだったのであろう。また「ツンデレ」だったのであろう。あくまで息子さんの個体差の問題で、一般的にはお子さんは大人からほめられれば喜びます。また、「ツンデレ」を回避したければ、「行動承認―Iメッセージ」を使っておけば問題はありません。

 この講演では、3時間の講演と質疑の間に「うちの息子」の例が10回ぐらい出てきたのではないだろうか。息子自慢に終始した講演だったのでした。

 べつの例としては、お母さんのカウンセリングの50分間、一緒に入って静かに過ごした4歳か5歳の子供に、お母さんが「静かにしていてえらかったね」と言った。それが良くないと、岸見氏は言います。
「えらかったね。これを大人相手には言いますか?対等な関係だったら言えないことを子供に言ってはいけません。『静かにしてくれてありがとう』と言うのが正しいのです」
 しかし、岸見氏はそれを直接このお母さんに伝えたわけではないようでした。講演でカゲ口として言うのでした。
 わたしがきいていて、このケースでえらかったね」と言うのは、何も間違っていません。だって、4-5歳の子どもさんですよ?

 
 しかし、岸見氏の講演はこんな話が満載なのでした。300人ぐらいの善男善女ふうの人たちがこういう話をかしこまってきいているのでした。

 今から日本には「ほめられない子供」があふれることになります。やれやれ。この責任、どうとるのでしょう。製造物責任じゃないですか。


<シリーズ・アドラー心理学批判>

●「勇気づけ」についての副作用情報。。(2014年12月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51903598.html

●褒めない・叱らないは正しくない!「逆張りロジック」に正しく反論する知性を磨こう―『嫌われる勇気』著者講演会 (2015年12月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51927076.html

●「自己認識には事実のフィードバックが大事」「思考的盲目が心配」―宮崎照行さんのメッセージ(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51927143.html

●「子どもさんは大いにほめてください。そして叱ってください」―正田、アドラー心理学セミナーで吠えるの記 (2016年1月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933511.html

●「誰もが活躍できる社会」とは「承認社会」―NYさんからのメッセージ (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933591.html

●「勇気を持って指摘されたからこそ、いずれ考えを改める」―永井博之さんからのメール (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933656.html

●『行動承認』Kindle化に向けて(4)メディアの考える怠惰なお客様と「行為者」の乖離、王道とパチモンの「大衆的人気」(2016年5月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940842.html

●NHKおはよう日本 アドラー心理学特集を批判する(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940920.html

●NHKおはよう日本 アドラー心理学特集を批判する(2)友人たちの反応 (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940923.html

●『行動承認』Kindle化に向けて(5)行為者の脳発達と細胞レベルの変化の可能性――林田直樹先生との対話より(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940962.html

●アドラー心理学批判 「承認欲求否定」「ほめない叱らない」はどこから来るか―「共同体感覚」との関連において―アドラー『個人心理学講義』をよむ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941070.html

●アドラー心理学批判・友人からのお便り「幼稚さ、ナルシシズム亢進、成熟拒否」
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941137.html

●アドラー心理学批判 「トラウマ否定」「承認欲求否定」起源はみつけたが誤読と捏造だった―『人生の意味の心理学』をよむ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941143.html

●アドラー心理学批判 アドラーの罪:発達障害者向けのお説教と批判封じ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941204.html

●アドラー心理学批判 まとめ:「承認欲求を否定せよ」「トラウマは存在しない」有害フレーズの捏造と岸見氏の罪
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941255.html

●アドラー心理学批判 まとめの補足:正確な言葉は「人生のすべては認められたいという努力によって支配されている」、「ほめない叱らない」はアドラー信者組織分派の過激派の言説?
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941508.html

 さて、わたしはここまでアドラーの原著『個人心理学講義』と『人生の意味の心理学』を読んでみて、アドラーという人にわるい印象はもちませんでした。良心的な、一生懸命なカウンセラーさんだったのだろうなと思いました。

 また、同時代のフロイトが捏造だらけだったことが明らかになったり、ユングはポエムだったと言われることなど考えると、意外とアドラーが一番「まっとう」な人だったかもしれない、とも。


 しかし。
 ここでは、アドラー心理学全体の解説を試みるつもりはありませんが、現代人の目からみると、どうみても明らかにおかしいところがあります。見立てもおかしいから治療アプローチも間違っている。

 そして、それがどうも思想全体に影響を与えているのではなかろうか?と。部分的な間違いではなく、全体に及んでいるのではないか?と。


 非常に「ざっくり」とした整理ですが、アドラーの考える「いい人」「わるい人」とはどんなものか、みてみます。


スライド2



 よろしいでしょうか。

 
 アドラーのいう、「共同体感覚をもとう」「他人に関心をもとう」「協力しよう」「貢献しよう」どれも、間違いではないんです。むしろ、常識的なことです。わたしも小学校の先生にさんざん言われました。

 しかし、カウンセラーであるアドラーが、こうした言葉を口酸っぱくして言わなければならなかった相手とは、どんな人だったか?

 実は、アドラー自身が描写する、「他者に関心のない人」「協力しない人」「貢献しない人」、ひとことで言うと「共同体感覚のない人」とは、よくよくみると、現代でいうところの発達障害者、なかでもアスペルガー症候群の人に当てはまりそうなのです。

 なんども言いますように、アドラーはカウンセラーとして、「人生がうまく行ってない人」に関わってきました。その中で、不幸な事例をたくさん見てきました。

 そして、人生の不幸を作り出すのはこういう人だ、と彼なりのモデルをつくりだした、それが「共同体感覚のない人」だったようです。

 
 ところが、彼がカウンセリング場面で手を焼いたような、「共同体感覚のない人」とは。

 おそらく、知能程度は普通かそれ以上で、なのに他者への共感や思いやりに奇妙に欠けた人物だったろうと思います。そしてアドラーはそうした人びとは先天的にそうなのだろうとは考えませんでした。後天的な育て方のせいでそうなった、と考えました。だから、教育者向けに「こういうことを徹底して教え込みなさい」とクギをさすことになったのです。

 アドラーが自閉症スペクトラムと定型発達の区別がついていなかっただろうと思われる記述――。


 もっぱら自分自身の利害を追求し、個人的な優越性を追求する人がいる。彼〔女〕らは人生に私的な意味づけをする。彼〔女〕らの見方では、人生はただ自分自身の利益のために存在するべきである。しかし、これは共有された理解ではない。それは全世界の他の誰もが共有しそうにない考えである。それゆえ、われわれはこのような人が他の仲間と関わることができないのを見る。しばしば、自己中心的であるように育てられてきた子どもを見ると、そのような子どもが顔にしょんぼりした、あるいは、うつろな表情を浮かべているのを見る。そして、犯罪者や精神病の人の顔に見られるのと同じような何かを見ることができる。彼〔女〕らは他の人と関わるために目を使わないのである。彼〔女〕らは他の人と同じ仕方で世界を見ない。時にはこのような子どもたちや大人は、仲間の人間を見ようとはしない。目を逸らし、別の方を見るのである
(『人生の意味の心理学』下巻第十一章個人と社会、「共同体感覚の欠如と関連付けの失敗」、pp.129-130)


 このパラグラフの前半は自己中な大人のことを言っています。自分の損得勘定ばかりを考える大人のことです。そして後半は自己中に育てられた(とアドラーが考えている)子供のことを言っています。そうした子供の特徴として、アドラーは「視線を合わせない」ということを言っているのです。

 
 このブログの長い読者の方々だと、「損得勘定にばかり関心」そして「視線を合わせない」どちらも、アスペルガーの人の特徴だということがおわかりになるでしょうか。


 アスペルガーに限らず発達障害の人は共感能力が低いので、自分の言動が他人にダメージを与えているということがわかりません。またワーキングメモリが小さいので、「情けは人のためならず」というような話はわからないんです。まわりまわって自分にもいいことが起きるというお話は長すぎるんです。勢い、てっとりばやく自分の手元にお金がいくら残るか、いくら節約できるかという話がすきです。
(これも、例外として高機能の人だとお勉強するとちゃんと慈善事業ができるようになることがあります。ビル・ゲイツ氏などはたぶんそうなのでしょう)

 だから、現代のお医者さんによるとアスペルガーの人に問題行動をやめさせようとするとき、倫理道徳の話では理解してくれないので、「そんなことをするとあなたが損するよ」というと、きいてくれることがあるそうです。

 また、自閉症スペクトラムの人は視線は合わさないですね。これも、他人の視線は情報量が多すぎるからしんどくなるのだ、という説があります。


 でも、アドラー先生にとってはこれらは自己中でけしからんことのサインなんです。

 それは仕方ないんです。アドラー先生の時代に発達障害概念はなかったのですから。

 ここでちょっと年表的なものをお出しすると、


スライド1



 自閉症やアスペルガーについての報告が出てきたのはアドラーが亡くなったより後です(表左)。アドラーは、精神遅滞、今でいう重度の知的障害の人のことはみたことがあったようです。しかしIQは高いが認知能力の一部を欠損しているアスペルガーの概念などは全然知りませんでした。

 われわれにとっても、今でこそ徐々に知識が普及しつつありますが、知識がなければアスペルガーの人というのはやはり理解しがたい存在です。そして、この人たちが知的能力は高いのに人間的なことにはやたらと感度が低いのをみたとき、往々にして「親の躾が悪いんだろうか」と思ってしまいます。

 アドラー先生がカウンセリングでクライエントに良くなってほしくて焦れば焦るほど、この人たち相手には空回りしたはずです。

 その結果が、恐らく「共同体感覚をもて」「協力せよ」「貢献せよ」といったテーゼになったであろう。
 それでカウンセリングが成功したかどうかは、疑問です。

 
 決して、定型発達者にとっても悪いフレーズではないんですけれどね。

 
 
 また、上記の表について補足なんですが、「ほめない叱らない」をアドラーが言ったはずがない。

 というのは、行動理論がヒトに応用されて「ほめ育て」が出てきたのは、これもアドラー先生が亡くなった後だからなんです(表右)。だからそれについて批判するはずもない。


 行動理論に対する批判の声が高まったのは(言いがかり的なものですが)1990年代です。このころに、恐らく後世のアドラー心理学の人たちが反応して、「操作することはいけない」「賞罰主義はいけない」と言い出したと思われます。アドラーが言い出したことではないはずです。ただ「アドラー心理学では賞罰主義を否定する」このフレーズは、岸見氏にかぎらずアドラー心理学を標榜する人は言っていますね。


 追記:ひとつの資料

 一人にされた三歳か四歳の女の子がいる、と仮定してみよう。彼女は人形のために帽子を縫い始める。彼女が仕事をしているのを見ると、われわれは何てすてきな帽子だろう、といい、どうすればもっとすてきにできるか提案する。少女は勇気づけられ、励まされる。彼女はさらに努力し、技能を向上させる。(『人生の意味の心理学』下巻第十章「仕事の問題」、p.115)


 ここでは、「われわれ」という主語ですが、最初に「何てすてきな帽子だろう」と、言っています。これは、「ほめている」のではないでしょうか?そして続けて「どうすればもっとすてきにできるか提案する」とします。この2つの働きかけを、アドラーは「勇気づけ」と言っています。わかりますか?「ほめて、提案する」なんです。
 この相手は3-4歳の女の子ですが、ここで「提案」単独では勇気づけになりません。女の子がつくっていたものに、いきなり「こうすればもっとよくなるよ」と言ったら。それは失礼というものです。頭に「素敵だね」をくっつけて、少女の仕事を肯定していることを示したうえでなら、提案は勇気づけの役割を果たすでしょう。

 このエピソードのすぐあとにこう続きます。


 
しかし、少女に次のようにいうと仮定しよう。「針を置きなさい。怪我をするから。あなたが帽子を縫う必要なんかないのよ。これから出かけて、もっとすてきなのを買ってあげよう」と。少女は努力を断念するだろう。このような二人の少女を後の人生において比較すれば、最初の少女は芸術的な趣味を発達させ、仕事をすることに関心を持つことを見るだろう。しかし、後の少女は自分でどうしていいかわからず、自分で作るよりも、いいものが買えると思うだろう。(同、pp.115-116)


 ごく常識的なことを言っていて、わたしなども何も異論をはさむ余地はありません。「行動承認」のスタンスとも矛盾しないでしょう。ここでのポイントは、アドラーは「勇気づける」ことを「勇気をへし折る(奪う)」ことと対比させたのでした。決して、「勇気づけることは良くてほめることは悪い」などとは言っていないのでした。
 また、著書のすべてを読んで言っているわけではないのですが、アドラーの考える「勇気づけ」の全体像は、「承認」とよく似たものだったと思われます。細かくカテゴリ分けすれば、当社の「承認の種類」と同様に、そこには「ほめる」も含むし「励ます」も含む。人が人を力づける行為全体を包含していたと思われるのです。


 …ただ、細かいことを言いますとアドラーが「勇気づける」対象としたのは、こうした幼い少女であったりカウンセリングで出会う、社会から排除されたクライエントであったりし、やはりいささか「上から目線」が入っていないとはいえません。相手に行動力が「ない」「低い」とわかっているときに言うぶんには、いいものです。わたしのような年をくった人間に「勇気づけ」を使うのは「おこがましい」と言われても仕方がないのです。


 
 

 もうひとつアドラー心理学の大きな問題点は、

「批判はいけない」
「対立はいけない」

と言っている点です。これは原著の中にあります。

 以前から言っていますように、「批判はいけない」は心理学、カウンセリング独特の話法です。哲学の中にはちゃんと批判はあります。わたしがひそかに名乗っているドイツ・フランクフルト学派は別名「批判理論」ですし、その中の重鎮ハーバーマスはあっちこっちを批判しまくっています。


 で、とりわけわが国のように「波風立てない」ことを尊ぶ気風の中では、「批判はいけない」は、非常に有害な思想です。薬が効きすぎてしまうんです。

 端的に、このところわが国で連続して起きている不正問題などは、内部で適切な批判が起きないから起きるんです。

 岸見一郎氏なども、アドラー先生が言ってもいないことを捏造して触れまわっていますが、これはアドラー心理学業界さんの中で批判は起きないのでしょうか?
「アドラー先生はそんなことは言っていない!アドラー先生が誤解されるようなことを言うな!」
と血相を変えて言う人はいないのでしょうか?

 アドラー心理学陣営のご同業のみなさんは、岸見氏が有名になってくれれば自分のところにも食い扶持が回ってくるからと、黙認状態なんでしょうか?


 「批判」を封じると、自浄作用がありません。向上がありません。不良品を出してしまいます。

 
 アドラー自身が良心的な人であっても、後世のアドラー心理学が有害なものになったことに、責任の一端がないとはいえませんね。「批判はいけない」を彼自身が言ってしまっていますから。




<シリーズ・アドラー心理学批判>

●「勇気づけ」についての副作用情報。。(2014年12月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51903598.html

●褒めない・叱らないは正しくない!「逆張りロジック」に正しく反論する知性を磨こう―『嫌われる勇気』著者講演会 (2015年12月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51927076.html

●「自己認識には事実のフィードバックが大事」「思考的盲目が心配」―宮崎照行さんのメッセージ(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51927143.html

●「子どもさんは大いにほめてください。そして叱ってください」―正田、アドラー心理学セミナーで吠えるの記 (2016年1月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933511.html

●「誰もが活躍できる社会」とは「承認社会」―NYさんからのメッセージ (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933591.html

●「勇気を持って指摘されたからこそ、いずれ考えを改める」―永井博之さんからのメール (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933656.html

●『行動承認』Kindle化に向けて(4)メディアの考える怠惰なお客様と「行為者」の乖離、王道とパチモンの「大衆的人気」(2016年5月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940842.html

●NHKおはよう日本 アドラー心理学特集を批判する(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940920.html

●NHKおはよう日本 アドラー心理学特集を批判する(2)友人たちの反応 (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940923.html

●『行動承認』Kindle化に向けて(5)行為者の脳発達と細胞レベルの変化の可能性――林田直樹先生との対話より(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940962.html

●アドラー心理学批判 「承認欲求否定」「ほめない叱らない」はどこから来るか―「共同体感覚」との関連において―アドラー『個人心理学講義』をよむ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941070.html

●アドラー心理学批判・友人からのお便り「幼稚さ、ナルシシズム亢進、成熟拒否」
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941137.html

●アドラー心理学批判 「トラウマ否定」「承認欲求否定」起源はみつけたが誤読と捏造だった―『人生の意味の心理学』をよむ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941143.html

●アドラー心理学批判 アドラーの罪:発達障害者向けのお説教と批判封じ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941204.html

●アドラー心理学批判 まとめ:「承認欲求を否定せよ」「トラウマは存在しない」有害フレーズの捏造と岸見氏の罪
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941255.html

 引き続きアドラーの原著を読みます。『人生の意味の心理学』(上)(下)(アルフレッド・アドラー、岸見一郎訳、アルテ、2010年。原題'What Life Should Mean to You'1931年。

 この本は、NHK「100分de名著」に今年2月に取り上げられています。

>>http://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/51_adler/index.html
 

 で、この本にどうやら「承認欲求否定」と「トラウマ否定」につながりそうなフレーズが見つかりました。

 しかし、「つながりそうな」というだけです。アドラーは決して「承認欲求を否定せよ」「トラウマなど存在しない」などという言葉は言っていません。では、何と言っているのでしょうか。

 上記番組でも上記のフレーズを使っていますが、番組プロデューサーさん、この本をちゃんと自分の目で読みましたか。


 まずは、「トラウマなど存在しない」(の起源)のほうから。


 
いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。われわれは自分の経験によるショック――いわゆるトラウマ――に苦しむのではなく、経験の中から目的に適うものを見つけ出す。自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって、自らを決定するのである。そこで、特定の経験を将来の人生のための基礎と考える時、おそらく、何らかの過ちをしているのである。意味は状況によって決定されるのではない。われわれが状況に与える意味によって、自らを決定するのである。(前掲書上巻第一章「人生の意味」、p.21)


 トラウマに苦しむのではなく、経験に意味を与えなおすことで自らを決定せよ。そういう意味のことを言っています。

 この一節の前には、子供時代の不幸な経験について、不幸な経験があってもその経験にとらわれず今後は回避できると考える人もいるし、同じような経験をした人が人生は不公平だと考えたり、自ら犯罪に手を染めて不幸な経験をその言い訳にする人もいる、という意味のことを言っています。

 なんども言うように、アドラーは心理学者・カウンセラーさんです。トラウマに苦しむ人を膨大な数、みてきました。この本にも他の本にも、アドラーがみてきたトラウマのために社会不適応を起こす人、問題行動をとる人、が多数登場します。

 だから、「トラウマなど存在しない」という言い方は誤り。

 ただし、そうとれることを言っている、というのは、アドラーは恐らく過去の経験に囚われている人を何とか治したかったのだろうと思います。実際に治せたかどうかはわかりません。治したい一心で言った言葉が、上記で引用した一節であろうと思います。すなわち簡単に言えば、

「同じような不幸な経験をした人も乗り越えられる人はいるんだから、意味づけ次第だよ」

と。

 読者の皆様、どう思われますか?

 「トラウマ」については、現代では色々な形で反論できるんです。

 例えば、

1.動物でもトラウマと似た反応はある。セリグマンの「学習された無力感」の実験などはそう。

2.地震大国の日本では阪神淡路、東日本大震災などで家を失い、近親者を失ったことなどによるPTSD患者が多数出たことを知っている。その人たちに「トラウマなど存在しない」と言えるだろうか?

3.発達障害の一種、自閉症スペクトラム(ASD)の人ではトラウマが残りやすいことが知られている。彼らは恐れをつかさどる偏桃体が普通の人より大きい。

・・・などなど。

 アドラーは身体の障害には言及していますが、こころの個体差にはかなりむとんちゃくでした。知能にも限界はないと言ったように、個体差を否定したがる傾向がありました。
 それもまた度を過ぎたポジティブさとも言えるし、優生思想を回避したいがための「べき論」とも言えるし。現代のわれわれは、人間は「タブラ・ラサ」ではなく、生まれつき脳の個体差があることを知っています。また遺伝形質の影響が大きいことも知っています。


 ただ上記のような、

「同じような不幸な経験をした人も乗り越えられる人はいるんだから、意味づけ次第だよ」

こういうフレーズを、現代でも認知行動療法のカウンセラーさんなどは言っているような気がします。不遜な言葉ですけどね。わたしならそのカウンセリング、やめますね。

 こころの痛みを負った人には、まず十分な傾聴、共感、慰め、いたわりが必要です。そののちに、もしトラウマとして残っているようであれば、以前にも書きましたがEMDRは、クライエントに治りたいという意志が強いならいい選択だと思います。

 
 ともあれ、まとめますと、アドラーは「トラウマは存在しない」などということは言っていない。ただ「トラウマを乗り越えよう」という意味のことを言っている。ということです。




 もうひとつ、「承認欲求否定」につながりそうな一節をご紹介しましょう。「第八章 思春期」に出てきます。

 
 
以前は貶められ無視されていたと感じた子どもたちは、おそらく今や、仲間の人間とのよりよい関係を築いたときに、ついに承認されるだろう、と期待し始める。彼〔女〕らの多くは、このような賞賛の渇望にとらわれる。少年が賞賛を求めることにあまりに集中することは危険だが、他方、多くの少女はいっそう自信を欠いており、他者に認められ賞賛されることに、自分の価値を証明する唯一の手段を見る。このような少女たちは、容易に彼女たちをおだてる方法を知っている男の餌食になる。私は家では賞賛されていないと感じ、セックスをし始める多くの少女に会ってきた。それは自分が大人であることを証明するだけではなく、ついに、自分が賞賛され、注目の中心になるという状況を達成できるという空しい希望からである。(下巻第八章思春期、pp.47-48))



 思春期は、たしかに承認欲求が亢進する時期なんですね。また承認欲求ゆえに性的逸脱行動も出ます。そういう現象にこの時代に目をとめたのはアドラー、えらかったですね。ここで使っている「承認」「賞賛」は英語で言うとなんなんだろう、と気になりますが。
 そしてこの次に、承認欲求が家庭でも学校でも適切に満たされず問題行動に走る少女の例が出てきます。


 …絶え間なく勇気をくじかれた。すぐにほめられることをあまりに強く願っていた。学校でも家でもほめられないことがわかった時、一体何が残されていただろうか。

 彼女は、彼女をほめるであろう男性を探し求めた。何回かの経験の後、彼女は家から出て、2週間男性と一緒に住んだ。(同p.49)


 このあと、この少女は家出先から家に「毒を飲んで死ぬ」と予告したが、実際には自殺せず家族が迎えにくるのを待っていた。…


 このエピソードは、どう解釈したものでしょうねえ。確かにこの女の子は承認欲求、それに自己顕示欲の強い子だったのだと思います。
 もちろんアドラー、慧眼です。21世紀になると、こうした承認欲求ゆえに問題行動をとる子、とりわけ売春のような性的逸脱行動をとる子の事例はうんざりするほど報告されるようになります。


 ただまあ、上で言いましたように思春期は性ホルモン値が男女ともに生涯最高に上昇する時期で、それとともに承認欲求も性欲も両方亢進します。両者は連動するといっていいです。なので中には承認欲求の亢進にともなって性産業にいく子、逸脱行動をする子がいてもそんなに不思議ではない。もちろん、ご家庭や学校で承認欲求の正しい満たされ方ができればそれは何よりですが。

 あと、上のエピソードを読むかぎりほめることが悪いことだというふうには読めないですね。ほめられることを渇望するヒロインの姿に多少のグロテスクさはありますが、ご家庭や学校の周囲の人はほめてやったほうが良かった、というふうにとれますね。

 まあ、私はほめるという言葉もあまり好きではなくて使いたくないんですけれど、少女は「かけがえのない存在」だと誰かに言ってほしかったんだと思います。それは一義的には、親が与えてやるべきだったのです。


 で、この本『人生の意味の心理学』が承認欲求に触れたのはこのあたりです。「承認欲求を否定せよ」という言葉はどこにも書いてありません。それは、岸見一郎氏の「誤読」ないしは「捏造」です。


 ただ、承認や賞賛を求めるあまりに問題行動をとる思春期の少年少女たちを描写していると、まあ滑稽ともいえるのですけれども読者はそこにグロテスクさを感じ嫌悪の念をもよおすかもしれません。わたしの想像ですが、岸見一郎氏はこのエピソードを嫌悪したのではないかと思います。それが昂じて、「承認欲求を否定せよ」という彼オリジナルのテーゼを作ったのではないかと思います。


 しかし、アドラーはそれを望んだでしょうか?
 わたしの目には、アドラーはクライエントを治したい一心の良心的なカウンセラーだったと思います。ただし現代人なら持っているはずの新しいツールは持っていませんでしたが。そこで教条主義的なテーゼなどは言っていなかったと思います。上記のエピソードをみていても、アドラーはむしろ、ご家庭で適切な承認は与えてしかるべき、と考えていたようにとれます。


 アドラーの名を騙って勝手なテーゼを触れ回るということが許されるのだろうか――。
 先日、週刊誌の記者さんにわたしは

「アドラーの教えとして『ほめない叱らない』『承認欲求を否定せよ』なんてことを信じているのは世界中で日本人だけかもしれませんよ」

と言ったのでした。



<シリーズ・アドラー心理学批判>

●「勇気づけ」についての副作用情報。。(2014年12月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51903598.html

●褒めない・叱らないは正しくない!「逆張りロジック」に正しく反論する知性を磨こう―『嫌われる勇気』著者講演会 (2015年12月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51927076.html

●「自己認識には事実のフィードバックが大事」「思考的盲目が心配」―宮崎照行さんのメッセージ(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51927143.html

●「子どもさんは大いにほめてください。そして叱ってください」―正田、アドラー心理学セミナーで吠えるの記 (2016年1月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933511.html

●「誰もが活躍できる社会」とは「承認社会」―NYさんからのメッセージ (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933591.html

●「勇気を持って指摘されたからこそ、いずれ考えを改める」―永井博之さんからのメール (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933656.html

●『行動承認』Kindle化に向けて(4)メディアの考える怠惰なお客様と「行為者」の乖離、王道とパチモンの「大衆的人気」(2016年5月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940842.html

●NHKおはよう日本 アドラー心理学特集を批判する(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940920.html

●NHKおはよう日本 アドラー心理学特集を批判する(2)友人たちの反応 (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940923.html

●『行動承認』Kindle化に向けて(5)行為者の脳発達と細胞レベルの変化の可能性――林田直樹先生との対話より(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940962.html

●アドラー心理学批判 「承認欲求否定」「ほめない叱らない」はどこから来るか―「共同体感覚」との関連において―アドラー『個人心理学講義』をよむ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941070.html

●アドラー心理学批判・友人からのお便り「幼稚さ、ナルシシズム亢進、成熟拒否」
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941137.html

●アドラー心理学批判 「トラウマ否定」「承認欲求否定」起源はみつけたが誤読と捏造だった―『人生の意味の心理学』をよむ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941143.html

●アドラー心理学批判 アドラーの罪:発達障害者向けのお説教と批判封じ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941204.html

●アドラー心理学批判 まとめ:「承認欲求を否定せよ」「トラウマは存在しない」有害フレーズの捏造と岸見氏の罪
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941255.html

 「アドラー心理学」について、友人の40代女性からメールをいただきました。実務経験の長い聡明な方です。
 わたしが書くよりコンパクトでわかりやすいアドラー心理学批判になっているかと思います。 「幼稚―成熟」という切り口も新鮮です。

 ご了承をいただいて、ご紹介させていただきます。


*********************************************


ブログで話題のアドラー心理学、私、お恥ずかしいことに
正田先生の最近の批判記事を読んで、やっと手に取ってみようかと思い始めました。

ベストセラーの『嫌われる勇気』は、文体が好みではなくて食指が動かず、
近寄らなかったのですが
最近になって、読んでみたいと言う家人のリクエストで、
続編の『幸せになる勇気』とあわせて手元にあります。

文体や語彙が好みでない(を通り過ぎてなんだか気持ちが悪い)、
読み進めるのは苦痛なのですが、
せめて大きな論旨とキーワードだけでも拾いたいと、ぱらぱらめくっています。

いくつか気がついたことです。

時代背景や社会状況に依存する事象を、
普遍的な価値として提起していて、
つながりや関係のもつ価値や意味が、
Gemeinschaftを前提にしたものに偏っているのではないかという疑問がわきます。
(この本は設定では、それでいいのかもしれませんが)
Gesellschaftを前提とした一般社会人には当てはまらないと思えます。

子育てに関わる部分は私には経験もないのであくまで第三者的な考えですが、

褒めず叱らずで、子供に規律や倫理や秩序をどうやって教えるのか、
人は永遠にGemeinschaftに留まれるわけではなく、
Gesellschaftのなかで生き抜いていくために必要な知識や知恵としての信賞必罰や他者との関係性は、
どこで学ぶのか?といった疑問がわいてきます。

そして、『嫌われる勇気』という受動表現に端的だと感じたのですが、
周囲に干渉される存在であることが暗黙のうちに前提となっている読者のために書かれた本で、
(正田先生の表現をおかりすればナルシシズムが亢進気味の人)
成熟した内面をもつ大人を対象に書かれた本ではないような印象です。


そして、家人とこんな話をしました

家人「今の若手は(若手と言ってもそれは40代の教授だったりするんですけども)、
何がやりたいのかわかってない人が多い、自分のテーマをもっていないんだよ。
結局、医学部に入って医者になって、海外にも留学して、博士もとって、論文を書いて、
で運良く教授になっても、自分のテーマを持っていないから、結局、ポストだけにこだわって、
学内や学会のポスト漁りに躍起になってみたりするんだよなあ。
そういうところを、彼らの部下はしっかり見ていて、自分の教室は迷走してるって言ってるよ」

私「結局、教授になるまで競争に勝つことだけをやってきて、自分が本当にやりたいことに向き合ってこなかったってことかしら。
大企業にいる高学歴な幹部社員にもそういう人はいて、都度都度の競争に勝つことが目的になってしまってて、それしかできない人もいるよ。
競争ではなくて、ゼロからの創造が必要なシーンになるとそういうタイプは全然機能しないんだけど、
最近は、競争に勝つためにゼロからの創造が必要なこともあるから、その辺りに気づき始めている企業もあるにはあるけども、まだ少ないかなあ」

家人「例えば、●●先生(若手教授)には嫌われる勇気が必要だということなんじゃないかなあ。若いやつを見てるとそういう気もしなくもないよ。」

という意見でした。
私はそこまで短絡的には思えないのですが、
話題になった教授がそうであるように、ナルシシズムが亢進気味で迷路にはまった人には、
嫌われる勇気は響くのかもしれないようです。
ただ、多数の一般社会全体には適用できない話だと思います。


そして、ナルシシズム亢進で思い出しましたが、
小保方氏と瀬戸内寂聴氏の雑誌での対談、たまたま見ました。
小保方さん、かなり「幼稚」な人なのですね。
寂聴さんが、小説としての「あの日」の文章を褒めて、もっと文章をかきなさいとすすめると
その返答に「私に小説の書き方を教えてください。」と言い出す。
んー、たぶん、これまでもそうやって年長者と関わってきたんだろうなと思えるやりとりでした。

しかし、幼い。発言が1つ1つが幼い。
うつ病の治療を続けているそうなので、
そのせいかもしれませんし、もともとそうなのかもしれないですが、
いずれにしても人格の幼稚さが透けて見え、
その点がもしかしたら、彼女を擁護する人々があれだけいる理由かと思ったり。

彼女を擁護する人々の側にある教条主義は、
彼女のもつ独特の幼稚さによって刺激され活性化するように見えます。
その幼稚さの正体が何なのか、そして相手の何を刺激しているのかを分析できれば、
現代の大衆病理を読み解けるのでしょうか。
私がそれがわかったところで、正しい治療法がわかるとは思えないですが、
正田先生のあの日の解説を読ませていただいたことも手伝って、そのような興味が深まっています。


先日、違和感の正体という新潮新書を読んだのですが、
そのなかで、著者(先崎彰容氏)は現代日本社会を「ものさし不在」で「処方箋を焦る」社会と形容していました。
言い得て妙だと思いました。
そういう社会になっている要因には、何かしらの「幼稚さ」が関係するのではないかという気もします。
成熟を拒否しているのかあるいは成熟できないのか、
その精神性や風潮が、我が物顔で世の中を跋扈しているような状況にも思えます。

本来であれば、未成熟なことは恥ずかしいことで、自分を成熟させていく努力をすべきなのに、
幼稚さを純粋さとを同一視してそれを美徳として煽り、
成熟に向かわせようとしない風潮があるような気もします。

未成熟な人材を管理職に登用することで経営者に都合のいい独裁的な体制を強化している企業もあり、
私のいたIT業界でも、新卒を大量に採用し、ある種の洗脳をしていくような経営がもてはやされています。

極端な考えと思いますが、そういう経営者を見ていると、
知識人を追いやり虐殺し、
文字の読めない人や子供を煽動して独裁を進めたポルポト派のことがなぜか思い出されて、
ぞっとします。

正田先生の発信を読ませていただいているうちに、
行動承認に対する態度は、成熟した内面を持つ大人であるかどうかの試金石のように思えてきました。
行動承認の効果やあるいはその大きな意味を、自分ごととしてとらえることの出来る方は、
「幼稚さ」とは縁遠く、内面の成熟に向かわれているような印象です。

内面の成熟とは、自分の努力でしかなし得ないものであり、
挫折に向き合い、葛藤をかかえ、矛盾にさいなまれておきる心境の深まりなのかと思います。
暗くて深い地下トンネルの中で孤独の空気に囲まれて眠るワインのようです。

(注:2通のメールをドッキングさせていただきました)

*********************************************

 いかがでしょうか。

 最後のほうに「行動承認」について、またその世界の人びとについて、過分なお褒めをいただいてしまいましたが、わたしも内心、そう思っています。
 「行動承認」は人を成熟に導きます。また、成熟度の高い人びとに響きます。
 トレーニングの易しさ続けやすさのお陰もあって、「行動承認」の人びとは、一般社会とは段違いの成熟度と思考能力の高さを獲得していきます。

 
 逆に、このところの出版業界のベストセラーの作られ方をみていると、
 
 まず年齢層が、20−30代の独身者層をターゲットにするのですが、その中でも、この友人のメールの中にもあったナルシシズム亢進気味の人をターゲットにします。『嫌われる勇気』などを読むと、社会人の中のいわゆる「中二病」で社会不適応気味の人が、これを読むとかぶれそうだなと思います。

 「中二病」の人は、現実世界で出会う人をリスペクトなどしません。叱られてもききません。そうして浮き気味のときに、ベストセラーで「哲人」が上からお説教をしてくれる『嫌われる勇気』は、ウレシイのです。

 うーん、ストレングスファインダーで言うと何?というと、大体答えは出ているのですけどね。

 今のベストセラーの作られ方をみていると、「中二病」が中二のときだけでなく社会人になっても延々と続くように、ベストセラーが仕向けているような気すらします。

 それは、友人の言うように思考能力の低下にもつながるし、カルト形成にもつながりますね。はたからみるとすごく変な教祖様を尊師とあがめていて、つじつまの合わないおかしな考え方にかぶれている集団。
 
 その集団のコアには戦略的に大衆を騙そうという仕掛け人がいます。そして当初は思考能力の偏りのひどい人、判断力のない若い人が取り込まれ、コア集団を形成し、そして一定の勢力を形成すると、周囲のそれほど偏りのない人も取り込まれていきます。普通の善男善女が入信していきます。

 
 アドラー心理学も小保方擁護派も結局そうです。

 さあ、こうやって社会を幼稚化させるたくらみに対抗するすべはないのでしょうか――


<シリーズ・アドラー心理学批判>

●「勇気づけ」についての副作用情報。。(2014年12月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51903598.html

●褒めない・叱らないは正しくない!「逆張りロジック」に正しく反論する知性を磨こう―『嫌われる勇気』著者講演会 (2015年12月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51927076.html

●「自己認識には事実のフィードバックが大事」「思考的盲目が心配」―宮崎照行さんのメッセージ(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51927143.html

●「子どもさんは大いにほめてください。そして叱ってください」―正田、アドラー心理学セミナーで吠えるの記 (2016年1月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933511.html

●「誰もが活躍できる社会」とは「承認社会」―NYさんからのメッセージ (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933591.html

●「勇気を持って指摘されたからこそ、いずれ考えを改める」―永井博之さんからのメール (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933656.html

●『行動承認』Kindle化に向けて(4)メディアの考える怠惰なお客様と「行為者」の乖離、王道とパチモンの「大衆的人気」(2016年5月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940842.html

●NHKおはよう日本 アドラー心理学特集を批判する(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940920.html

●NHKおはよう日本 アドラー心理学特集を批判する(2)友人たちの反応 (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940923.html

●『行動承認』Kindle化に向けて(5)行為者の脳発達と細胞レベルの変化の可能性――林田直樹先生との対話より(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940962.html

●アドラー心理学批判 「承認欲求否定」「ほめない叱らない」はどこから来るか―「共同体感覚」との関連において―アドラー『個人心理学講義』をよむ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941070.html

●アドラー心理学批判・友人からのお便り「幼稚さ、ナルシシズム亢進、成熟拒否」
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941137.html

●アドラー心理学批判 「トラウマ否定」「承認欲求否定」起源はみつけたが誤読と捏造だった―『人生の意味の心理学』をよむ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941143.html

●アドラー心理学批判 アドラーの罪:発達障害者向けのお説教と批判封じ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941204.html

●アドラー心理学批判 まとめ:「承認欲求を否定せよ」「トラウマは存在しない」有害フレーズの捏造と岸見氏の罪
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941255.html

 アドラーの原著の1つ『個人心理学講義―生きることの科学』(アルフレッド・アドラー、岸見一郎訳、アルテ、2012年。原題'The Science of Living'1928年)を手にとりました。

 興味としては、わたしが批判する(岸見)アドラー心理学の非常に問題の多い幾つかのポイント

1.人に認められなくてもいい
2.ほめない、叱らない
3.トラウマはない


などは、どこからくるのか。アドラーの原著ではそれは、どういう文脈で出てくるのか、あるいは根本的に原著にないものか、ということです。


 で、結論から言うと予想どおり、この本にはそれにあたるフレーズは出てきませんでした。


 もちろんこの本1冊で判断するのは早計です。でもこの本の奥付には

「アドラー心理学入門の決定版!
ウィーンからニューヨークへと活動の拠点を移したアドラーが初めて英語で出版した、アドラー心理学全体を俯瞰できる重要著作。

過去と自己への執着から離れ、仲間である他者に貢献することを目指す共同体感覚をいかに育成するべきかを人生の諸像の考察を通じて明らかにする」

とあります。いちおう「アドラー心理学全体を俯瞰できる」とありますので、この本をじっくり読んでみるのもわるくないと思ったわけであります。

 で、ぼんやり思うのはアドラーの考える「共同体感覚」なるものは何か、ということです。どうもここが上記の”変な思想”のすべての起源になっていそうです。


 ただ、最近の読者の方は文字をびっしり書いてあるのを読むのは「たるい」とお感じになると思います。なので、
スライドで図をつくってみました。


スライド1


 おそらく、この本が構想しているのはこういうものであろう、ということです。ひとりひとりが向上し、共同体感覚をもって貢献しあいましょう。
 学校の教室の目標に貼ってありそうです。


 わるいけど、わたしはこの図を作りながら「革命家の青い思想だなあ」と思ってしまいました。ひとりひとりが誰の助けも借りずにここまで立派に向上して、というのは絵空事です。マルクス主義がすごく自立した立派な人が構成する社会を念頭に置いてできていてすぐポシャッたのと同じ。もし組織の成員のだれか1人がこういうことをお勉強してやりはじめたとしても、線香花火で終わるでしょう。

 もちろん、理想は理想として結構です。ただ、これは組織が非常に大きく「リーダー」に依存しているという現実をみていません。泣いても笑ってもそれが現実です。その部分を無理やりスルーして、フォロワー側の努力で良くしようと思っているようですが、それは現実逃避です。

 現に、いまどきの学校ではしょっちゅう学級崩壊が起きるのですが、そこでは生徒をリスペクトしていない、褒めない先生のもとで容易に起きます(学級崩壊の原因をたどると大抵はそういうところにたどりつきます)。そういう先生が「ひとりひとりが向上して貢献しあいましょう」と声をからして言ったところで無意味なのです。


 で、手前味噌で恐縮ですがわたしが数年来研修で使っている「承認モデル」の図というのをお出しします。


スライド2
スライド3
スライド4


 これは法螺を吹いているわけではなく、実際に働きかけをすることでこうなってきました。
 こちらのほうが、学習機会を与えるのはリーダーに対してだけで良いのです。あとはリーダーからフォロワーへ、日々のやりとりの中で自然に良いものが流れていくのです。

 おそらく過去10数年にわたる再現性からみて、こちらのほうが人間社会の真実です。



 この「共同体感覚」というものについて、この本の末尾の訳者・岸見一郎氏の「解説」から引用します。


 
アドラーがこの共同体感覚という考えを友人たちの前で初めて披露したのは、アドラーが軍医として参戦した第一次世界大戦の兵役期間中、休暇で帰ってきた時、なじみのカフェにおいてであった。

 このことで、アドラーは多くの友人を失うことになった。価値観にもとづくような考えは科学ではないというわけである。しかし、アドラーにとって個人心理学は価値の心理学、価値の科学である。(前掲書p.182)


 おいおいー。

 ここは、アドラーにも書いている岸見氏にも両方ツッコミを入れたくなります。「価値の心理学」そして「価値の科学」ってなんだよ!?主観に科学ってつけないでくれよ。

 要は、アドラーさんは自分の価値観を一般論みたいに書いているだけのようです。「貢献することが好き」これは、ソーシャルスタイルのFタイプさん、4つのタイプ分けでいうサポーターさんが当てはまります。みんなが私みたいだったらいいね!ということを言ってるんです。


 「私は貢献することこそ自分をそして全体を幸福にすることだと発見した。」

 別に、間違ってはいないんですが。

 問題はそれに「承認欲求否定」「ほめない叱らない」がどうしてひっつくのか、ということです。この本にはそうした言葉そのものでは出てきません。では、文脈上そう読み取れるところがあるのでしょうか。

 あくまで、この本単体から読み取れることで言いますと――。


 この本をパラパラめくると、「甘やかされた子ども」「憎まれた子ども」という言葉が多数出てきます。父親や母親が過度に罰して虐待したことによってもたらされる、抑圧された感情という言葉が出てきます。それから、「優越コンプレックス」「劣等コンプレックス」という言葉も出てきます。

 それに関連したいくつかの症例も出てきますが――、

 要は、カウンセリングの世界の話なんです。

 以前から言っていることと同じです。アドラーは、心理学者・カウンセラーとして、社会不適応を起こした大人や子供さんをみてきました。その背景に、さまざまな「過剰」の現象をみてきました。すなわち、甘やかしすぎ。叱りすぎ。他者に優りたいという気持ちが強すぎ。劣っているという気持ちが強すぎ。


 そこから、どうも、「過剰」がなければ、「共同体感覚」のある、アドラーの考える「いい人」をつくれると考えたようです。

 引き算の発想ですね。岸見アドラー心理学の「ほめない叱らない」の起源は、どうも、ここにあるようです。

「この主題を扱う時、罰することや、諭すこと、説教することでは何も得ることはできないということは、いくら強調してもしすぎることはない。」(p.20)

 さあ、「叱らない」に通じそうな言葉が出てきました。
 しかし、この言葉はその前段に出てくる問題行動をする子供たちの例との絡みで理解する必要がありそうです。
 いわく、怒りっぽい父親をもった女の子が男性を排除する。厳格な母親によって抑圧された男の子が女性を排除する。あるいは内気ではにかむ、性的に倒錯する。
 こういう子たちを罰しても意味はない、ということを言っているのであって、一般論としていついかなる時も罰することがいけないと言っているわけではありません。


 そして、理想的な状態をどうやってつくるか。


 一番最初から共同体感覚を理解することが必要である。なぜなら、共同体感覚は、われわれの教育や治療の中のもっとも重要な部分だからである。勇気があり、自信があり、リラックスしている人だけが、人生の有利な面からだけでなく、困難からも益を受けることができる。そのような人は、決して恐れたりしない。(p.16)



 その理想は大変結構なんですけど。じゃあどうやってそういう人をつくるの?「過剰」さえなければつくれるの?

 これが結局、カウンセリングの側から教育を語ることの限界を物語っているのだろうと思います。「治療」と「教育」は違うものです。「治療」は、「過剰」を是正することが大きな仕事になります。しかし「教育」は、なにかを加算することです。


 「行動承認」の世界にいるわたしは、そこで「訓練」の存在をみます。訓練は、人為的に指導者が負荷をかけたのかもしれないし、人生のあるいは不幸な巡り合わせで困難な課題を与えられ克服する経験を通じてもたらされたのかもしれない。「過剰」を控える以外何もしないでつくれるわけではありません。また、困難な負荷であれば、それを乗り越えたときには「承認」が必要でしょう。




 アドラーも「訓練」の重要性を、実は言っています。
劣等感と社会的な訓練の問題は、したがって、本質的に連関している。劣等感が社会的な不適応から起こるように、社会的な訓練は、それを用いることで、われわれ誰もが劣等感を克服することができる基本的な方法である。(p.31)


 ほかにも、甘やかされて行動しない子どもには訓練が必要だ、というフレーズが出てきます。


 これは後世のアドラー心理学の人が「操作」を罪悪視するのとはちょっと矛盾するのですが。訓練っていわば操作じゃないんですか。 「・・・をしなさい」って言って、できたらほめたりするのを訓練って言わないですか?


 この「操作」が悪玉になった流れというのは、アドラーの時代からずっと下った1990年代ぐらいに、「内発と自律論」がもてはやされました。どうもそのころ行動理論があまりにもメジャーになったので、反発を買った。また、部分的には弊害も出てきた。『報酬主義をこえて』でアルフィー・コーン氏が批判したような、子供をお金で釣って勉強させるような。(2015年日本では某美人学者さんが「お金で子供を釣ってよい」と本に書いているが、コーン氏はそれにはどう言うのだろう…)

 その当時は、「ほめたり叱ったり」というのを、「アメとムチ」と、汚い言葉でくさすのが主流になりました。それとの絡みで、アドラー心理学陣営も、「操作はいけない」ということを言うようになったのではないかと思われます。いかにも、「過剰」には「過剰」に反応するアドラー心理学らしいです。
 
 アドラーが、普通のご家庭の躾としての「ほめたり叱ったり」までを否定していたのかというと、この本でみるかぎりクエスチョンですね。


 
 そういうわけで、この『個人心理学講義』からは、「認められなくてもいい」「ほめない叱らない」「トラウマ否定」は、読み取れませんでした。

 これらのフレーズは、岸見一郎氏の誤読、牽強付会あるいは創作の可能性が高いです。もともと、『嫌われる勇気』をはじめとする岸見氏の一連の著作、ならびに他の著者によるアドラー心理学本は、アドラーに依拠したというより、「二次創作」のようなものが多いのです。コミケで売っている同人誌のようなものが多いのです。





 「承認欲求否定」に関しては、アドラーからとったというより、わが国の出版業界の流行りである「承認欲求バッシング」の尻馬に乗ったのではないか、というのが、わたしの見立てです。

 このブログでかねてから批判していますように、出版業界の流行りで、わが国では2008年ごろから「承認欲求」をやたらに非難する書籍が続々と出てきました。
 その「はしり」のような本が、『友だち地獄―「空気を読む」世代のサバイバル』(土井隆義、ちくま新書、2008年3月)。
 この本についてのブログ記事
●奇妙で不快な論理構築:承認欲求バッシングはこんなに変!―『友だち地獄』『希望難民ご一行様』
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51927340.html

 その後2011年には『「認められたい」の正体』『人に認められなくてもいい』といったタイトルの新書本が相次いで出、ちょっとした「承認欲求バッシングブーム」の感がありました。

 岸見氏の「承認欲求否定」は、どうも、このバッシングブームの尻馬に乗って言っているだけ、という感があります。前にも書きましたようにアドラー自身は「承認欲求」という言葉を使っていません。

 「甘やかされた子ども」「優越コンプレックス」「劣等コンプレックス」これらは、「承認欲求」が絡んでいないとはいえないですが、どれも異常に暴走して正常範囲から逸脱したものです。


 岸見氏の言う「認められたいと思わないで、貢献しようと思えばいい」このフレーズは、個別のクライエントに対するカウンセラーのアドバイスとしては、「あり」だろう、と思います。
 例えば、「認められたい」がやたら強すぎる人。「自分が人に10やってあげたら、20も30も50も認められたい」と思っている人。
 あるいは昇進し損ねて、同期より昇進が遅れてしまい、それがコンプレックスになって鬱になってしまっている人(実際、男性はそういうきっかけで鬱になることがよくあります)。

 そういう人を目の前にして言う場合には、「認められたいと思わなくていい。貢献しようとだけ考えればいい」これは、「あり」です。わたしでもそういう人に対してはそう言うかもしれない、と思います。
 しかしあくまでそういう個別の人に対してだけ有効なテーゼなのであって、一般化して教育の教義にまで格上げするようなものではありません。




 これはあくまでわたしの想像ですが、岸見氏はこの出版界の流行りである「承認欲求否定」と、アドラーのいう「共同体感覚」「貢献する」を合体させて、これならうまくいく、と思ったのかもしれません。つまり、各自が「共同体感覚」をもち、「貢献さえすればいいんだ」と強く思っていれば、「承認欲求」は必要なくなる(これも幻想なのですが)。

 それプラス、アドラーの「甘やかされた子ども」の概念も使って、つまり親がほめるから子供が甘やかされるんだ、承認欲求をもった人に育つんだ、と。親がほめないで育てれば、承認欲求のない、「人から認められたい」という願望のない人ができるんだ、と。
 
 それはサイボーグづくりのような、ものすごい人間性に反した考え方ですけどねえ。




 
 なんどもいいますように「承認欲求」はたまに逸脱も起こしますが、圧倒的に多くの場合は人びとが規範的に振る舞うことを促します。わたしたちの規範意識はそもそも承認欲求によってつくられていると言ってもいいのです。そして承認欲求は精神における食欲のようなもの、根源的に大事なものです。

 「角を矯めて牛を殺す」という言葉がありますが、一部の問題行動をとる人にばかり注目して原因を過剰に摘み取ろうとするのは、癌細胞は細胞だから細胞が全部わるい、と言っているようなものです。ターゲット以外のものを叩いてしまう副作用の強い薬のようなものです。






 それから、アドラー自身について思うのは、この人はやっぱり発達障害が全然わかっていないですね。時代的に仕方ないですけれどね。『個人心理学講義』の中にも、「その子はADHD」と思うような症状の子が、「甘やかされた子ども」と解釈されている例があります。岸見氏も全然わかっていないです。またLGBTもわかっていないです。性的倒錯を育て方のせいにしている記述がこの本にはあります。

 今からはもう少し、今年2月にNHKが名著として取り上げた『人生の意味の心理学』も、読んでみようと思います。



<シリーズ・アドラー心理学批判>

●「勇気づけ」についての副作用情報。。(2014年12月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51903598.html

●褒めない・叱らないは正しくない!「逆張りロジック」に正しく反論する知性を磨こう―『嫌われる勇気』著者講演会 (2015年12月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51927076.html

●「自己認識には事実のフィードバックが大事」「思考的盲目が心配」―宮崎照行さんのメッセージ(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51927143.html

●「子どもさんは大いにほめてください。そして叱ってください」―正田、アドラー心理学セミナーで吠えるの記 (2016年1月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933511.html

●「誰もが活躍できる社会」とは「承認社会」―NYさんからのメッセージ (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933591.html

●「勇気を持って指摘されたからこそ、いずれ考えを改める」―永井博之さんからのメール (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933656.html

●『行動承認』Kindle化に向けて(4)メディアの考える怠惰なお客様と「行為者」の乖離、王道とパチモンの「大衆的人気」(2016年5月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940842.html

●NHKおはよう日本 アドラー心理学特集を批判する(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940920.html

●NHKおはよう日本 アドラー心理学特集を批判する(2)友人たちの反応 (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940923.html

●『行動承認』Kindle化に向けて(5)行為者の脳発達と細胞レベルの変化の可能性――林田直樹先生との対話より(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940962.html

●アドラー心理学批判 「承認欲求否定」「ほめない叱らない」はどこから来るか―「共同体感覚」との関連において―アドラー『個人心理学講義』をよむ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941070.html

●アドラー心理学批判・友人からのお便り「幼稚さ、ナルシシズム亢進、成熟拒否」
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941137.html

●アドラー心理学批判 「トラウマ否定」「承認欲求否定」起源はみつけたが誤読と捏造だった―『人生の意味の心理学』をよむ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941143.html

●アドラー心理学批判 アドラーの罪:発達障害者向けのお説教と批判封じ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941204.html

●アドラー心理学批判 まとめ:「承認欲求を否定せよ」「トラウマは存在しない」有害フレーズの捏造と岸見氏の罪
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941255.html

 下り坂でおかしなことばかり起こる時代だが、ちょっといいこともありました。
 このところ別件でお世話になっている山口大学医学部講師の林田直樹先生とフェイスブックメッセージでやりとりさせていただきました。

 林田先生は、先ごろ拙著『行動承認』を読んでくださり、非常に好意的に受け取ってくださった方です。


 どんなやりとりだったかというと…。

私:「手前味噌ですが行動承認をやり始めた人は細胞レベルで変わる感じなんです。脳発達も起きていそうです。いつか、理系の研究者さんがこの現象に興味を持って研究してくださらないかなと思ってるんです。」


林田先生:「『行動承認をやり始めた人は細胞レベルで変わる感じ。脳発達も起きていそう』とのことですが、僕はそれは十分あると思います。すごくざっくり言うと前頭葉で起きる変化がメインだと思いますが、シナプスが新しくできる、組み変わる、ということは間違いなく起きていると思います。

脳の活性化部位を調べる機器は、安くても1億円くらいするので、やはり先生の著書が改めて売れてくれれば、興味を持つ人はいるんじゃないかと思います。

 細胞における遺伝子発現も変化が起きていると思いますが、ヒトが対象だとサンプルが取れないのでそれが残念ですけど (^^;、血中を流れる多くの因子の中で、数個は優位に変動しているのではないかな、と想像します。」


 このあと、林田先生は医療系の研究室におけるマネジメント(主に教授の資質による)についても話してくださいましたが、ここでは省略。正義感高く教育者気質で、かつ科学者でもある林田先生に、『行動承認』は思いのほかヒットしていただけたようです。

 林田先生は分子生物学・アンチエイジングの専門家です。
 もちろんまだちゃんと実験してエビデンスをとって、という段階の話ではありませんけれども、専門家の方からこういうコメントをいただけた、というのは、わたしには大きかったのでした。

 年来、理系の研究機関に共同研究のお願いをして、断られてきました。今年初めも、実はある研究機関にちょっと期待をもって真剣にお願いして、ある程度の段階まで検討していただいたらしいのですが、断られました。そのときは結構落ち込みました。

 理系の研究機関に何を調べてほしかったのかというと、「行動承認」で受け手の側、すなわち上司部下で言えば部下側、親子関係で言えば子供さんの側が伸びるというのは、もうわかっているのです。火をみるより明らかなのです。

 そうではなくて、行為者の側、すなわち上司や親御さんの側が、
・頭が良くなって思考能力が高まり、
・幸福感が高まり、
・また若返りとか、細胞レベルの変化が起きているのではないか?
というのが、わたしが年来感じていることです。そちらを検証してほしかったのです。

 なぜそちらを検証してほしいかというと、そちらは「研修を受けて、行為者になる」側です。従来は行為者のメリットではなく、部下側のメリットが語られてきました。

「こうしてあげると、部下は喜びますよね」
「部下は伸びますよね」

「…すると、業績が伸びてあなたの評価も高くなりますね」

 「あなた」にメリットが返ってくるのが随分先の話です。
 その時までは、通常の仕事だけでシンドイのに「承認」という、新たなタスクが課せられてよけい忙しくなるだけです。

 まあ、そこまで損得勘定一本やりでものを考える人ばかりでもないだろうと思うけれども。当面のメリットが少ないかのようだったのです。

 実は、そうではない。上司にもとても大きなご利益があるのだ。

 それが、自身の幸福感であったり、脳発達であったり、アンチエイジングであったりします。

 これらは、勝手な妄想で言っているわけではなくて、数年前から

「承認の世界の上司たちは非常に『あたまがいい』。現実的に物事を考え、さっと整理し、決断する。それはもともとそういう人だから承認を習得するのか、それとも承認の習得と実践であたまのはたらきが良くなるのか」という意味のことをブログに書いてきております。

 どうもこの人たちにはあまりパーソナルコーチングをやってあげる必要もなくなる。だからわたしは儲からないけれど、彼らがどんどん決断して問題解決をしていくのを折にふれきかせてもらうのは喜ばしいことでした。


 「あたまがいい」のは、脳発達の関連として、脳の白質の体積(特に林田先生のおっしゃるように前頭葉付近)が前後でどうなったかをみることもできるでしょう。他人の自分にはない強みを認めるということは、その強みを追体験するということでもあります。自然と、自分に本来なかった強みを不完全ながらも取り込むようになっている可能性があり、脳の可動域がそれだけ広がります。

(これは世間でいう「度量の広い人」になる、と言い換えられるかもしれません。しかしだからと言って、小保方氏の不正行為を許すわけではありませんヨ)

 また、海馬や扁桃体の変化もあるかもしれないです。海馬は、細胞の増加が起こることがわかっている領域でワーキングメモリに関連しますが、「行動承認」を日常的に行うことは、その人のワーキングメモリを鍛える働きがあるだろうと推測されます。そのことがその人の決断の速さにもつながっている可能性があります。

 扁桃体は恐れに関連する領域ですが、過去に瞑想に関する報告で、瞑想を一定期間行った人は扁桃体の密度が減っている、すなわち恐れが減っているというのをみたことがあります。わたしは、承認の世界の人にもそのような、むだな不安感の軽減が起きているのではないかと思っていて、それもまた決断スピードの速さにつながっているように思えます。


(「瞑想」についてはひところ流行りで盛んに研究ネタにされ、エビデンスが出ましたが、そういう「ノリ」というのが研究の世界にもあるらしいんですよね。私は瞑想のエビデンスをみるたびに「これと同じことが承認でも起きているのではないか?しかも承認のほうがドロップアウトが少ないし部下も伸びるというメリットがいっぱいある」と思っていました)

 
 「幸福感」については、このブログでおなじみの「オキシトシン」の値を「行動承認」前後で測ればわりあい簡単にできるでしょう。


 もし、林田先生が言われるように「細胞における遺伝子発現」というものがみられるとしたら、大変におもしろいのですが、ヒトではとることが不可能なんでしょうか…。残念。


*********************************************


 きのう批判した「アドラー心理学」とのからみで言いますと、

 「アドラー心理学」で、「人に認められなくてもいい」とか「期待に応える必要はない」と言ってもらった人は、「心がらくになる」んだそうです。それがご利益なんだそうです。

 で、どういう現象かなあ?と思っていたのですが、そういう人はもともと強迫観念傾向のようなものがあって、

「認められなければならない」
「期待に応えなければならない」

という観念でがんじがらめになっていた。
 それがうまいこと解消された。
 ということではないかと思います。

 TVに映ったサンプルの人たちをみると、「自我」「最上思考」らしい人たちです。

 しかし、そういう人がそんなに多いんでしょうか?

 
 なんどもいうようにアドラーの生没年は1870〜1937。フロイトと同世代。

 この当時の精神分析とか心理学というのは、病的な人をいかに治すか、というのがテーマでした。

 
 だから、ゴールがすごく低いところにあるんです。
 「悩みがあった→悩みがなくなった(プラマイゼロの地点に戻った)」
というのがゴールなんです。

 「行動承認」のように、

「部下がすごい勢いで成長し、有能・優秀な人になり、
自分も部下も幸福感が高く、
問題解決能力が高くなり、
部門全体の業績もがんと上がる」

というようなことは、想定していません。

(あるいは最悪、「同業者はバタバタ倒産しているが、わが社だけは生き残りご同業の分を取り込んでいる」とかね)


 わるくいうと、「志が低い」といいますか。

 やれることのレベルが全然違うんです。たぶん、脳発達などは全然起こらないと思います。


「人に認められなくてもいい」

 これは、上司いわば強者の側が努力しないことがわかっている場合の、部下いわば弱者の側の「あきらめの思想」のようにもきこえます。
 そういう立場の人にとっては、アドラー心理学の源流であるニーチェ思想の「ニヒリズム」が耳に快く響くんです。



 そこでまた余談ですが、

 わたしは、上司側が変わらない限り、というか努力しない限り状況はよい方にはいかないことが分かっているので、「上司を教育する」ことが何よりも大事と考え、それだけをやってきました。

 そのぶん、お仕事をさせていただける機会は少なかったといえます。

 教育研修市場というのは、部下すなわち弱者の側を教育するほうの商品で溢れ、そちらの売り買いがメインです。

 わたしも、営業して回っているとよくきかれます。「若手のほうの教育はされないんですか?」と。

「いえ、しません。上司のかたの教育をしたほうが、効果がはるかに長持ちし、御社にとってメリットが大きいですから」

 質問者をがっかりさせることは承知で、わたしはそう言います。



 「アドラー心理学」のように、諦めてる部下を対象に本を売ったり教育したりしていれば、どんなにか楽でしょうね。儲けやすいでしょうね。

 でもそれは、事態を悪化させるだけなのです。
 「気が楽になった」は、単なる気休めです。過食になっている人に「食べなくても死なないんだよ」と言っているようなものです。


<シリーズ・アドラー心理学批判>

●「勇気づけ」についての副作用情報。。(2014年12月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51903598.html

●褒めない・叱らないは正しくない!「逆張りロジック」に正しく反論する知性を磨こう―『嫌われる勇気』著者講演会 (2015年12月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51927076.html

●「自己認識には事実のフィードバックが大事」「思考的盲目が心配」―宮崎照行さんのメッセージ(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51927143.html

●「子どもさんは大いにほめてください。そして叱ってください」―正田、アドラー心理学セミナーで吠えるの記 (2016年1月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933511.html

●「誰もが活躍できる社会」とは「承認社会」―NYさんからのメッセージ (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933591.html

●「勇気を持って指摘されたからこそ、いずれ考えを改める」―永井博之さんからのメール (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933656.html

●『行動承認』Kindle化に向けて(4)メディアの考える怠惰なお客様と「行為者」の乖離、王道とパチモンの「大衆的人気」(2016年5月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940842.html

●NHKおはよう日本 アドラー心理学特集を批判する(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940920.html

●NHKおはよう日本 アドラー心理学特集を批判する(2)友人たちの反応 (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940923.html

●『行動承認』Kindle化に向けて(5)行為者の脳発達と細胞レベルの変化の可能性――林田直樹先生との対話より(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940962.html

●アドラー心理学批判 「承認欲求否定」「ほめない叱らない」はどこから来るか―「共同体感覚」との関連において―アドラー『個人心理学講義』をよむ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941070.html

●アドラー心理学批判・友人からのお便り「幼稚さ、ナルシシズム亢進、成熟拒否」
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941137.html

●アドラー心理学批判 「トラウマ否定」「承認欲求否定」起源はみつけたが誤読と捏造だった―『人生の意味の心理学』をよむ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941143.html

●アドラー心理学批判 アドラーの罪:発達障害者向けのお説教と批判封じ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941204.html

●アドラー心理学批判 まとめ:「承認欲求を否定せよ」「トラウマは存在しない」有害フレーズの捏造と岸見氏の罪
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941255.html

 本日、NHKおはよう日本(朝7時台のニュース)で「アドラー心理学」を特集し、それに対して私が批判の書き込みを即、フェイスブックにUPしたものだから、お友達がコメントをくださいました。

 
 お名前を伏せて、貴重なコメントを紹介させていただきます。

「ほめること、承認することは必要です。また、勇気づけることも大切です。仮説に過ぎないアドラーの考えを、無批判に振り回すのはやめませんか。」(学校教員)


「情けは人のためならず、とか、無私、とかが好きな日本人には「承認されること」「褒められること」にたいする含羞というか、拒否感があって、しかもその拒否が建て前で、実はとても認められたい欲求が強いくて、それを外に出せないし、他人の欲求も否定する。
お礼は言らないよ、といいつつ、好きでやってるのだからと、無理に努力をして、結局それを評価されないと落ち込む自分がいて、しかも、そういう自分を汚いと思い。内心を人から見透かされないよう気をつけつつ気づいてほしいというねじくれた状況に陥りやすいですね。」(
料理研究家)


 お二方、それぞれおっしゃる通りです。まず、人が育つ現場において「承認欲求」は根源的な欲求だということ、それは目の前の存在のもつ性(さが)を素直に観る力のある方なら見てとれることでしょう。
 また、日本人特有の「承認欲求」に対する含羞の気持ち、これもマネジメント分野で「承認論」を唱えた太田肇氏が当初から言われていたことで、「『認められたい』は人の心に眠る巨大なマグマ」であると、かなり深層のインタビューをしないとそれは見えてこないと。


 お次はご同業の友人、宮崎照行さんより。

「私もNHKのニュースを拝見しました。

大手メディアが取り上げるということは、まさに「権威に訴える論証」。
「権威に訴える論証」は、アドラー心理学の表面的な部分、アドラー心理学が流行っているからということで盲目的に信じている人たちにとっては、まさしく無批判に考え方を正しいと強化するものです。

特にアドラー心理学を信奉し一般化している人は批判的思考能力が高いとは言えないのでその傾向は強いと思います。多分、原著を読まれている人は殆どいないでしょう。多くが岸見本の受け売りです。(アドラーの原著は抽象的すぎるので読破することは難しいでしょう)

最近、私が危惧しているのは、キャリコンをされている方に岸見本で解釈されているアドラー心理学を盲目的に信じている人が多いということです。キャリコンやカウンセラー・、コーチの方々のクライアントに対して影響力を及ぼしている方が無批判に浅い理論や考え方を使用すると大いに「毒」となります。


例えば、荒れている高校生に対してアドラー心理学の考え方を講演等で押し付けてしまうと、却って素直なので彼(女)からそっぽを向かれます。

彼(女)らは様々な環境で傷ついています。不器用で且つ限られた中でしか生きていないので、自分の存在を反抗という形で表しています。

こういう人たちに対して、例えば、岸見本にあるように「学歴が低いことで卑屈になるのは自分の見方がおかしい」といえるでしょうか。多分、猛反発を食らうでしょう。

比較するほどではありませんが、相手の存在を承認し、話をする・聞くという「場」をつくり、建設的に構成していくほうがよっぽど効果的です。


私はアドラー心理学が存在すること自体は否定しませんが、専門的職業と名乗っている方々で岸見本レベルで仕入れた表層的な知識だけで、すべてが解決するということに対して猛烈に批判します。

私自身、「嫌われる勇気」があるので「嫌われる勇気」のような本を全く必要としないというのは皮肉でしょうか(笑)
..


 そうなのだ、(岸見)アドラー心理学は、「承認欲求批判」「期待に応えなくてもいい」以外にも、非常に気になるところがいっぱいある。

 弱者目線を欠いている、というのは、上記の「学歴が低いことで卑屈になるのはおかしい」もそうだし、発達障害などの障碍者目線がまったく入っていないこともそう。

 (これは『個人心理学』のAmazonレビューにもそういう批判があった。今からその本を読んでみるが)

 以前にも、わたしとは別の方による「岸見講演」講演録をUPしたが、それによると講演には産業カウンセラーの方々がわんさか来ていたという。キャリコンや産業カウンセラーの先生方が、弱者であるクライアントに

「承認欲求を持たないほうがいいんだよ」

と、説教している図を想像したら…、

 ゾッとする。弱者を痛めつける、悪用されやすい思想だと思う。

(アドラーが影響を受けたニーチェ思想は実際にナチに悪用されたそうだ)


 アドラー心理学がまき散らす害について語りつくせる日はくるのだろうか。

 これ、アメリカでは今どういう位置づけになっているんだろうか。ご存知の方はご教示ください。


<シリーズ・アドラー心理学批判>

●「勇気づけ」についての副作用情報。。(2014年12月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51903598.html

●褒めない・叱らないは正しくない!「逆張りロジック」に正しく反論する知性を磨こう―『嫌われる勇気』著者講演会 (2015年12月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51927076.html

●「自己認識には事実のフィードバックが大事」「思考的盲目が心配」―宮崎照行さんのメッセージ(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51927143.html

●「子どもさんは大いにほめてください。そして叱ってください」―正田、アドラー心理学セミナーで吠えるの記 (2016年1月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933511.html

●「誰もが活躍できる社会」とは「承認社会」―NYさんからのメッセージ (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933591.html

●「勇気を持って指摘されたからこそ、いずれ考えを改める」―永井博之さんからのメール (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933656.html

●『行動承認』Kindle化に向けて(4)メディアの考える怠惰なお客様と「行為者」の乖離、王道とパチモンの「大衆的人気」(2016年5月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940842.html

●NHKおはよう日本 アドラー心理学特集を批判する(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940920.html

●NHKおはよう日本 アドラー心理学特集を批判する(2)友人たちの反応 (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940923.html

●『行動承認』Kindle化に向けて(5)行為者の脳発達と細胞レベルの変化の可能性――林田直樹先生との対話より(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940962.html

●アドラー心理学批判 「承認欲求否定」「ほめない叱らない」はどこから来るか―「共同体感覚」との関連において―アドラー『個人心理学講義』をよむ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941070.html

●アドラー心理学批判・友人からのお便り「幼稚さ、ナルシシズム亢進、成熟拒否」
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941137.html

●アドラー心理学批判 「トラウマ否定」「承認欲求否定」起源はみつけたが誤読と捏造だった―『人生の意味の心理学』をよむ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941143.html

●アドラー心理学批判 アドラーの罪:発達障害者向けのお説教と批判封じ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941204.html

●アドラー心理学批判 まとめ:「承認欲求を否定せよ」「トラウマは存在しない」有害フレーズの捏造と岸見氏の罪
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941255.html

 「メディアの劣化」という話題についていよいよこのブログにカテゴリを立てなければならなくなったかもしれません。
 わたしのいや〜な予感が当たってしまいました。表舞台に出てはいけないものが出てしまいました。


 今朝、NHKの「おはよう日本」(朝7時台のニュース)で「アドラー心理学」を特集していました。

 全然予期していなかったので録画などはしておりません。しかし非常に問題のある内容で、わたしは9時になるのを待ちかねたように「NHKふれあいセンター」(Tel.0570-066-066 )に抗議してしまいました。

 
 

追記: こちらに特集内容がUPされています
http://www.nhk.or.jp/ohayou/digest/2016/05/0524.html

途中からみたのかもしれないのでもし違っていたら訂正していただきたいのですが、

 「アドラー心理学で心の安寧を得た(番組ではそういう表現ではなかったが)人」として、2人の人物が登場します。
 1人は、男性のビジネスマン。「承認欲求批判」がモチーフです。
 「認められたいと思っていて苦しかった。アドラー心理学に出会い、『人に認められなくていいんだ』と思えるようになって、楽になった。『人を信頼し、貢献せよ』という教えに従って、貢献しようという気持ちでいると楽になった。今では自分から人に貢献することだけを考えている」

 もう1人は子育て中のお母さん。「期待に応えなくていい」がモチーフ。
 「子供たちをひどく叱ってばかりいた。アドラー心理学で、『他人は自分の期待に応えるためにいるのではない』と習い、気持ちが楽になった。(叱らなくなった?)」

 これを取材してきたディレクターと男女のアナウンサー2人が少し会話して終了。
 
 女性アナウンサーが、「これまでにも普通に言われてきたことではないですか?」と怪訝そうにいうが、それ以上の追及はなし。


 さて、上記のどこに問題があるでしょうか。
 このブログの長い読者の方だと、お分かりいただけるのではないでしょうか。

 簡単に言うと、「人に認められなくていい」「期待に応えなくていい」
 これらが正解なのは、「過剰」な場合だけなんです。 
 多くの場合は、「認められたい」と思うことも「期待に応える」ことも正常なことで、否定するのはおかしいことなんです。否定して鬱を作ったり人間関係の問題を作ることのほうがはるかに怖いんです。


 「人に認められなくていい」
 このフレーズは、ごく限定された場面でだけ正解です。
 すなわち、承認欲求が極端に強いナルシシストの場合。リーダーには、昇進などが原因でナルシシズムが亢進することがあります。TVに映っていた人はこのタイプのようにみえました。
 また往々にして、能力の低い人ほどセルフモニタリング能力が低く、自分の能力には見合わない評価を求めることがあります。
 あるいは、自ら選んだボランティアのような仕事をしていて、時折「誰も認めてくれない…」という無力感にさいなまれるようなケース。その場合は、自分が選んだ道そのものの意義と認められない苦痛と天秤にかけて、どちらをとるか決めないといけません。選んだ道そのものの意義を重視するなら、とりあえず「認められたい」は封印したらいいでしょう。

 人は誰でも認められたいと思っています。だから効果的に認められれば、絶大なる力を発揮します。こちらのほうが、パフォーマンスを上げるには正解です。もちろん精神衛生上も正解です。「行動承認」を導入してくれたマネジャーの下では、何年もにわたって大きな問題が起こらず成長を続けています。
 (ごくたまに、その中で伸びすぎて問題行動を起こす人が出て退社してもらうケースも出るようです。それはむしろ例外的な例です)

 「承認欲求」は食欲と同じで、人間の基本欲求。精神における食欲と同じようなものです。
 もし「承認欲求はわるいものだから、押さえこみなさい」というなら、それは「食欲はわるさをするものだから、抑えなさい」というのと一緒。よほど食欲が亢進しておデブになっている人には必要なことかもしれませんが、必要な食欲まで抑えたら摂食障害になってしまいます。ガリガリにやせて低栄養になってしまいます。

 
 たとえば、「認められたいと思わないで、相手に貢献することだけを考える」という方針で、みんなが仕事をしたらどうなるか?
 これは、独りよがりな仕事の仕方にすぐ、なるでしょうね。相手が喜んでくれようがくれまいがどうでもいい、ということになりますから。会社の中が独りよがりな仕事だらけ不協和音だらけになるでしょうね。

 また、万一マネジャーが「承認欲求は否定してよい」と思っていたらどうなるか?
 自分の承認欲求だけを否定していればよいですが、それだけにはとどまらないでしょう。部下が承認欲求を持って働くことにも否定的な目を向けるでしょう。「認められたい」と思っている人を、自分と違ってレベルの低い人だとみなして見下すでしょう。

 そう、「承認欲求」を見下す人は、最終的には人間性全般を見下すようになりますね。

 いみじくも、TVに映っていたビジネスマン氏は、職場で人と話しているときも相手の目を見ないで会話していました。「相手の目をきちんと見て話す」これも広い意味での承認を与えていることですが、それを重視していないことが仕草に出ているのでした。

 だから、「承認欲求」を否定することで、自分が高級な人になったなどと思ったら大間違いなんです。人間性全般を見下した不遜な人間になってるんです。独りよがりな人間になっているんです。

 

 もう一人の「期待に応えない」を習ったことで子供さんを叱らなくなったお母さん。
 これも、それまで何のためにガーガー怒っていたのかわかりませんが、「ゆきすぎ」のケースであったのかもしれません。例えば、「最上思考」の人が、子供さんにやたら塾習い事の早期教育をさせて、それが思い通りにならないで怒っているケース。あるいは、「活発性」や「指令性」の高い人が、やはりあっち、こっちと自分の思い通りに連れまわして、子供がどこかで引っかかって動かなくなると怒っているケース。

 そのタイプの人が、ガーガー叱っていたのを多少和らげることができたのなら、それは喜ばしいことなのかもしれませんが――、
 一面、怖いことでもあります。
 「人の期待に応えなくていい」
 では、子供に道徳の躾はしなくていいのでしょうか?
 お兄ちゃんが弟の頭をガンと殴りました、それを叱るのも「期待に沿わせる」ことになるのでしょうか?

 この「倫理道徳の躾」というものが、わたしの子育て時代にも既に周囲のお母さんの間ではナアナアになっていて、唖然としました。

 わが家では歳の近い3人きょうだいだったので、きょうだい喧嘩とそれを仲裁する機会には事欠きませんでした。
 そのたびに「どっちが先に悪いことをした」と認定し、バシッと叱り、謝らせました。まず端緒を作ったほうに謝らせ、そして最終的に両方が謝るようにさせました。

 「いじめ」的になる場面も時折あったので、「いじめは許しません」を伝える機会にも事欠きませんでした。
 「ちょっと待って。今の『●×におやつやらない』っていうのは何か?それはいじめやで。いじめは許さへんで」

 しかし、こうして親が子に自分の道徳観を伝える作業も、「他人を自分の期待に応えさせる」ことにはならないでしょうか?
 「他人を自分の期待に応えさせる」ことのすべてを否定すると、倫理道徳の躾というのはすべて不可能になってしまうのではないでしょうか?

 もちろんこれは会社組織にも言えることで、例えば「会社の理念」というのも、ある意味押しつけです。ある行動規範に社員を従わせる作業です。もしも社員が「他人の期待に応える必要はない」と信じていたら、会社の理念にも従う必要はありません。
 それで会社、回りますか?


 実は、この件であるアドラー心理学者(大学の心理学の教授。特に名は秘す)に伺ったところ、
「アドラーの著書に承認欲求(needs for esteem)という言葉はない」
ということがわかりました。

 具体的には、アドラーの主著でバイブル的な'The Individual Psychology of Alfred Adler' (邦題『個人心理学』)には、esteemという語はない。self-esteemという語はある。といいます。

 もともと、承認欲求(needs for esteem)は、五段階欲求説のマズローの造語のようなもので、時代が後になります。だからアドラーが「承認欲求」という語を言うのはおかしいのです。(マズローはアドラーから影響を受けたそうです)

 アドラーは「承認欲求」という語そのものを使っていないとしたら、どういう文脈で言ったのだろうか…。

 アドラー(1870-1937)の時代ですと、ヘーゲル哲学の「承認」は、既にあったものです。またそれのアンチテーゼとしてのニーチェ(1844-1900)は既にあり、アドラーはニーチェからは影響を受けたといいます。

 ニーチェ。。。
 わたしはニーチェ哲学には疎いです。はっきり言ってどうでもいいと思ってるんですが、
 Wikiからニーチェ思想を引用しましょう。

「ニーチェは、神、真理、理性、価値、権力、自我などの既存の概念を逆説とも思える強靭な論理で解釈しなおし、悲劇的認識、デカダンス、ニヒリズム、ルサンチマン、超人、永劫回帰、力への意志などの独自の概念によって新たな思想を生みだした。」

 わかります?まあ、ぱっと浮かぶイメージは「ニヒリズム」なんです。隠遁者の夜郎自大の思想、というイメージをわたしは持っています。勝手にやっててください、という感じ。

 たぶんすごく頭のいい人だったのでしょうが、自己完結的な世界で生きる人。強い人だけに可能な、他人に期待しないで生きる生き方。(内心ではぶっちゃけ、「その人アスペだったんじゃないの?」とも思っています)
 
 それから影響を受けたのがアドラーらしいんです。

 だから、そういうアドラー思想を子育てなんかに応用するのは大変におかしなこと。隠遁したひきこもりの人や、すごい実力のある個人事業者の人が信じていればいい思想なんです。だから承認や承認欲求、期待を否定する。


 これを会社に応用して部下育成などに応用するのも、大変におかしなことです。

 (なお、学者さんによればアドラー心理学を子育てに応用したのはアドラー自身ではなく、その弟子の代からだそうです)


 ああもう言っているのもたるくなった。

 NHKふれあいセンターのオペレーターの人には、

「職場に鬱を作ったらどうするんですか?アドラー心理学はブームとはいえカルトのようなものです。それをNHKさんが全国ニュースの特集で流すというのはものすごく影響力が大きいです。過剰なダイエットブームを取り上げるのと一緒で、専門家からの批判的なコメントを入れるのが正しいのです。視聴者に対して何らかの訂正をしてください」

 オペレーターは「よくわかりました、担当者に伝えます」と言いましたが、のれんに腕押しの気配あり。

 これ、どういう落としどころになるんでしょうか…

 オペレーターさん、モンスタークレーマーに怒鳴られても、上司がねぎらってくれると期待しちゃダメですからね…


<シリーズ・アドラー心理学批判>

●「勇気づけ」についての副作用情報。。(2014年12月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51903598.html

●褒めない・叱らないは正しくない!「逆張りロジック」に正しく反論する知性を磨こう―『嫌われる勇気』著者講演会 (2015年12月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51927076.html

●「自己認識には事実のフィードバックが大事」「思考的盲目が心配」―宮崎照行さんのメッセージ(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51927143.html

●「子どもさんは大いにほめてください。そして叱ってください」―正田、アドラー心理学セミナーで吠えるの記 (2016年1月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933511.html

●「誰もが活躍できる社会」とは「承認社会」―NYさんからのメッセージ (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933591.html

●「勇気を持って指摘されたからこそ、いずれ考えを改める」―永井博之さんからのメール (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933656.html

●『行動承認』Kindle化に向けて(4)メディアの考える怠惰なお客様と「行為者」の乖離、王道とパチモンの「大衆的人気」(2016年5月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940842.html

●NHKおはよう日本 アドラー心理学特集を批判する(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940920.html

●NHKおはよう日本 アドラー心理学特集を批判する(2)友人たちの反応 (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940923.html

●『行動承認』Kindle化に向けて(5)行為者の脳発達と細胞レベルの変化の可能性――林田直樹先生との対話より(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940962.html

●アドラー心理学批判 「承認欲求否定」「ほめない叱らない」はどこから来るか―「共同体感覚」との関連において―アドラー『個人心理学講義』をよむ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941070.html

●アドラー心理学批判・友人からのお便り「幼稚さ、ナルシシズム亢進、成熟拒否」
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941137.html

●アドラー心理学批判 「トラウマ否定」「承認欲求否定」起源はみつけたが誤読と捏造だった―『人生の意味の心理学』をよむ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941143.html

●アドラー心理学批判 アドラーの罪:発達障害者向けのお説教と批判封じ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941204.html

●アドラー心理学批判 まとめ:「承認欲求を否定せよ」「トラウマは存在しない」有害フレーズの捏造と岸見氏の罪
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941255.html

 今日は、わたしの中で長年モヤモヤとしていることについて書いてみます。ただあまり纏まっていないかもしれません。下書きレベルの記事になるかもしれません。

 『行動承認』は、2015年1月に絶版となったあと、何度か大手出版社での再出版を検討していただいたことがありました。
 中には、『聞く力』や『女性の品格』と同様の人生論の本として位置づけて大きく売り出すことができないか、という形で働きかけてくださった方もいました。有り難いことです。
 しかしいずれも沈没。

 出版社側の返事は、

「既に一度出版され市場からの評価も定まったものについての再出版は難しい」

 それから、

「読者対象が狭い」

でした。

 前者はともかく、(わたしの方は、前者にも相当言いたいことがあるのだが)

 後者は、メディアの考える「読者対象」とは、なんなのだろう?と改めて考えるきっかけになりました。


 『行動承認』は、ある教育の効果を最大化するために、「この教育を受けたらこうなった」という事例(もちろんすべて実話)を集めた本ですが、

 逆にこういうドラスティックに人びとが前後で変化してしまう話というのは、メディアが考える「読者」とは、結びつかないのかもしれないなあ、と。

 彼らの考える読者は、「静的(スタティック)」であります。成長とか変化とかは似合いません。TVの前で日がな一日、ポテチ食べながらワイドショーをみてあーだ、こーだ言っているのが似合います。

 その人たちの発する言葉は、「けしからん!」「いやーねー」それに「それおもしろそう!」「それ美味しそう!」

 その人たちの期待に応えて、その人たちの想像の範囲内のことでちょっと奇をてらったことを提供して、みてもらう、アクセスしてもらう、というのが今のメディアの仕事になっています。

 
 「想像の範囲内のことで」というのが、上手く言えないのですが、納豆ダイエットとかバナナダイエットみたいなことだと、むしろOKなんです。でも行動承認はダメ。どこにOKラインがあるのかはよくみえません。

 ともあれ、メディアが想像する「お客様」は、怠惰なんです。そして被害者的なんです。何かを実際にやるということはあまり想定しなくていい。『行動承認』のように、

「実際にやってやり続けた人はこんなに素晴らしくなりました」

などという物語は、お客様にとってはかえってウザいのです。メリットよりは、「ウザい」という感覚が先に立ってしまうのです。

 なので、市井にあふれる「人生論」の本は、怠惰で何も努力しない人向けの「とかくこの世は生きづらい」「その中でどうやってしのぐか」というたぐいの話であふれます。たぶん最大の読者層は定年後の脳の萎縮がはじまっている人たちだと思います。
 『聞く力』はどうかというと、あれも読むだけで、やらなくていいのです。だって、職業的インタビュアーの話ですから、自分ごととして読みませんから。

 たしかに「怠惰で何も努力しない人」のためにわたしが本を書けるかというと、難しい。延々と人間関係で悩む話を最後まで書き続けられるかというと。『行動承認』でいうと、「はじめに」のところに、現代の上手くいっていない典型的な職場の事例を4話載せていますが、あれも書いていてものすごく苦痛だったんです。すぐにでも問題のあるマネジャーに飛びかかって改造したい、わたしだったら。

 『行動承認』は、本でも研修でもあえて省略している部分が本当はあって、「被害者になるな。行為者であれ」というメッセージが、暗に入っているんです。
 でもそれをわざわざ言わなくても成立する。なぜなら「行動承認」をするということ自体とてもシンプルなので、あの一連のエピソードを読んだ人だと「やってみたい」「やれそう」と思えますし、実際やれてしまうからです。

 ただ、根っから怠惰で行動することがキライな人にとっては、そういうベクトルをもった本というのは迷惑なんだと思います。
 日本人の大半がそこまで怠惰だとは、わたしは思いたくないのですが――。

 
 というわけで、メディアが怠惰で成長のないワイドショー視聴者の人びとをお客様に想定している限り、わたしは「行動承認」のお話をどこか大手で書いてメインストリームにするということはあり得ないです。

 本当は、心のどこかで

「マネジャーという狭い範囲の人びとを対象にしてはいるが、この本がもつ推進力はマネジャーの周辺にいる人びと、中堅から部下世代の人(男性女性含め)、奥さんやお母さんまでも取り込めるはずだ」

という発想が出版社の人にあったなら、そしてそのつもりで気合を入れて広告宣伝を打ってくれたなら…という淡い期待があったのですけれど。

 編集者自身がその世界の人からほど遠く、彼ら自身の世界観が全然別のところに築かれているようなので、しょうがないですね。



 
 この話はしょもないのでこれぐらいにして、

 タイトルに書いた後半部分、「王道」と「パチモン」のお話です。

 実はここでも、「STAP細胞」の話が奇妙に交錯してきます。

 ご存知のようにSTAP細胞は、京大山中伸弥教授らのiPS細胞への対抗馬として論文発表されました。

 iPS細胞は、山中教授のノーベル医学・生理学賞受賞(2011年)の時に大きく経緯を報道されましたが、その後STAP細胞がクローズアップされたときに忘れてしまった人が多いかもしれません。

 iPS細胞は、皮膚などの体細胞にわずかな操作をして培養するといわゆる「万能細胞」になります。つまり、様々な組織や臓器の細胞に分化する能力とほぼ無限に増殖する能力をもつ多能性幹細胞になります。例えばどこかの内臓が病気になりそれを治したいと思ったとき、その内臓になってくれる細胞をその人の体の細胞から作ることができますから、他人の内臓を移植する臓器移植のような拒絶反応の問題が起きません。

 このiPS細胞のマウス由来のものを山中教授らは2006年に、またヒト由来のものを2007年に作製に成功。その作製方法がシンプルなことと再現が容易なことで、今では世界中の研究機関が追随するようになりました。人の病気の治療への臨床応用も始まっています。

 日本生まれ日本育ちの「万能細胞」であることから、国歌や国旗ならぬ「国細胞」というものがあるなら日本の「国細胞」はiPS細胞だ、とまで言われています。

 しかし、このままではiPS細胞に幹細胞研究や、再生医療研究の研究費の大半を持っていかれてしまうかもしれない。そういう危機感が、理研の笹井氏らによるSTAP細胞研究の大々的な発表につながったようです。しかし、なんども言いますようにSTAP細胞は架空の細胞で、論文はほとんどすべてのデータが捏造の塊でした。

 
 そして今、奇妙なことですがわが国では「STAPあるある派」による「iPS憎し」の議論が起こっています。iPS陣営がSTAP研究を潰したというのです。
 これがどの程度世論の支持を得られているのかわかりませんが――、何度も書きますように何も知らない人がうっかりネットを見てしまうと、「STAPあるある派」の言説のほうに触れてしまうようにネット世論が誘導されています。彼らはデマゴーグの訓練をどこかで受けてきたのかと思うぐらい、誘導が上手いです。だから今後も気をつけないと、「あるある派」の言説が「世論」として格上げされてしまわないとも限らないのです。
 ほとんどの日本人は無関心ですが、無関心だから怖い。

 
 この、明らかに「パチモン」であるSTAP細胞が、「本家」「王道」であるはずのiPS細胞を大衆的人気において食ってしまっているという図は、どこかでみたことがあります。

 
 
/翰学の「行動理論―行動科学―行動分析学」への対抗軸としての「内発と自律論」。△△襪い蓮崗鞠論」への対抗軸としての「承認欲求バッシング論」。  
 これらの対抗軸は、とっくに定説となっていいはずの有力な理論への反発心から生まれ、片隅でやっていればいいものが妙に有力になり本家にとって代わる勢いだというところが、「iPSとSTAP」の構図と似ています。

 対抗軸の側はエビデンスなんてないのです。本家のほうがはるかに高い数字を叩きだしています。人類を幸せにする力があります。なのに、本家が偉そうで気に食わない、そして今更本家に取り込まれるのはプライドが許さないという理由であえて対抗軸を立て、本家を汚い言葉で罵る「芸風」で大衆的支持を集め、のし上がってきたわけであります。

 このブログでは,領磴箸靴謄▲襯侫ー・コーンという人の『報酬主義をこえて』という本を2011年12月、ボロクソに批判しました。また△領磴蓮∈鯒来「承認欲求バッシングを批判する」というカテゴリをこのブログに立てて、連続して批判してきたのをご存知の方も多いかと思います。

 本当は、△領れで2014年以来では『嫌われる勇気』などの「岸見アドラー心理学」がとんでもなく勢いをもってしまっているので、このブログでもちょこちょこ批判していますけれども本格的にやらないといけないのですけれども着手が遅れています。

 そんなわけでまたSTAP問題と交錯してしまいました。




 ちなみに今日フェイスブックでご紹介したのですが、台北で発行されている科学雑誌「PanSci(汎科学)」に、わが国の「STAPあるある論」のことが記事になっていました。

 http://pansci.asia/archives/98876
 
 過日Biochemical and Biophysical Research Communications(BBRC)に発表された独ハイデルベルク大学の論文のことを日本のネットニュースが報じ、「STAPあるある」の人びとが騒然となったが、よく読めばこの論文は小保方氏のSTAP研究とはまったく「別物」だった…という意味のことを言っています。

 わが国の「STAPあるある論」は、日本の恥。

 韓国の捏造科学者、黄禹錫氏にもいまだにファンがいるそうですが、「STAPあるある論」がMSNニュースのような変にメジャーなところに間違って上がってくるのは避けたいものです。アングラな一部の人の趣味にしておけばよろしい。


<シリーズ・アドラー心理学批判>

●「勇気づけ」についての副作用情報。。(2014年12月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51903598.html

●褒めない・叱らないは正しくない!「逆張りロジック」に正しく反論する知性を磨こう―『嫌われる勇気』著者講演会 (2015年12月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51927076.html

●「自己認識には事実のフィードバックが大事」「思考的盲目が心配」―宮崎照行さんのメッセージ(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51927143.html

●「子どもさんは大いにほめてください。そして叱ってください」―正田、アドラー心理学セミナーで吠えるの記 (2016年1月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933511.html

●「誰もが活躍できる社会」とは「承認社会」―NYさんからのメッセージ (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933591.html

●「勇気を持って指摘されたからこそ、いずれ考えを改める」―永井博之さんからのメール (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933656.html

●『行動承認』Kindle化に向けて(4)メディアの考える怠惰なお客様と「行為者」の乖離、王道とパチモンの「大衆的人気」(2016年5月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940842.html

●NHKおはよう日本 アドラー心理学特集を批判する(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940920.html

●NHKおはよう日本 アドラー心理学特集を批判する(2)友人たちの反応 (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940923.html

●『行動承認』Kindle化に向けて(5)行為者の脳発達と細胞レベルの変化の可能性――林田直樹先生との対話より(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940962.html

●アドラー心理学批判 「承認欲求否定」「ほめない叱らない」はどこから来るか―「共同体感覚」との関連において―アドラー『個人心理学講義』をよむ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941070.html

●アドラー心理学批判・友人からのお便り「幼稚さ、ナルシシズム亢進、成熟拒否」
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941137.html

●アドラー心理学批判 「トラウマ否定」「承認欲求否定」起源はみつけたが誤読と捏造だった―『人生の意味の心理学』をよむ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941143.html

●アドラー心理学批判 アドラーの罪:発達障害者向けのお説教と批判封じ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941204.html

●アドラー心理学批判 まとめ:「承認欲求を否定せよ」「トラウマは存在しない」有害フレーズの捏造と岸見氏の罪
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941255.html

 小保方晴子さんの「ウソつき」がまた新たにわかりました。

 きのう友人が和光にある理研本部に問い合わせていたことの回答がきて、
 簡単にいうと、小保方さんが自身の「STAP HOPE PAGE」に掲載していた「理研の再現実験でSTAP現象は再現されていた!」という主張を証拠だてる写真とグラフは理研には存在せず、捏造だったことがわかりました。

 この件はいずれ友人から正式に広報されると思いますが、フェイスブックページで「速報」として出しておられたのでここでは簡単にご紹介するのにとどめます。

 ようするに「STAP細胞」も「STAP現象」も、ひとりの妄想的な元科学者の頭の中にあるものだったにすぎない、ということです。
 科学者の方によれば世界の同分野の科学者で「小保方さん」「STAP細胞」のことを(不正のアイコンとして)知らない人はいないぐらいだそうですが、世界の田舎の日本も、そろそろこの人をアイドル的に持ち上げるのはやめたい。
 過去のものとして前に進みましょう。


 えっ、『行動承認』のタイトルの記事なのに、なぜ小保方さんが出てくるのかって?

 わたしも、いやなんですけどね。

 でも、この2つは不思議な因縁で結ばれているんです。
 早い話が、『行動承認』の置かれている状況は2014年から2年間、ほぼ止まったままですが、それは小保方さんが大きくかかわっているのです。


 今日は、その話をいたしましょう。





 『行動承認』には、たくさんの実在のマネジャーが登場する実話エピソードがふんだんに入っています。
 実話だからこそ、たぶんリアルのマネジャーの読者の心を打つことができます。

 それはとくに、出版の前年の2013年に計8例の素晴らしい事例に出会えたことが大きいのです。ざっと並べると、工場リーダーによる社内優秀賞、猛暑の中での統計調査0.2ポイントアップ、NPOメンバー営業マネジャーのの社内表彰(2回連続)、介護職での離職防止、某商工会のランキング1位、有光毬子さんのラジオ体操での奇跡、上海工場の躍進…。

 それまでの10数年、年に1例ぐらいのペースで「業績1位マネジャー」が出た、それに値するような価値ある事例がその年は年間8例も固めて出てしまいました。それは、それまで以上に「行動承認」にはっきりとかじを切り、記憶に残るような伝え方、研修プロジェクトの組み方を工夫したことが大きいのです。

 有り難く、1人1人の当事者に了承をいただいてエピソードとして盛り込ませていただきました。

 だから、この本には前半と後半、固めてどんどんどん、とエピソードが出てきます。
 中盤にちょっと理論的な話が入って、もうちょっとエピソードを読みたいなと思うと終盤にまた何例も追加で出てきます。たぶんそれらを読んでいると楽しい気持ちになって体があたたまってくると思います。

 こうして優れたエピソードが1冊の本にふんだんに使えたのは有り難いことなのですが…。


 
 本の企画が立ち上がる前の2014年初め、わたしはこれらの素晴らしいエピソードを抱えて、途方に暮れていました。

 なぜなら、自分が企業研修でつくることのできる幸せの大きさと、世間の認知度の低さのギャップがあまりにも大きくなってしまったからです。当時はNPO代表でしたが、一人の研修機関の女性代表が企業を営業して回って「主張」できるレベルを超えていました。

 こういう効果が出るものなんです。だから大切にしてください。いい加減な短時間の1回こっきりの研修ではやらないで。何年も続けてやってください。社内にもそういうものとして告知してください。

 優れたものである以上、そういう売り方をしないといけません。間違って短時間の研修で雑にやられてしまったら、
「結局できなかったよ」
「承認なんてきれいごとだ」
ということになってしまい、自分で自分の首を絞めてしまいます。せっかく本当に効果のあるものなのに短命に終わってしまいます。

 だから、なんとかこの手法が本当にすごい効果があるということを、周知してもらわないといけない。


 そこでまっさきに思いつくのが報道に対するプレスリリースですが、残念ながら地元紙・神戸新聞(この際名前出しちゃいます)との関係は当時既に悪化していました。

 前年の13年、経済団体の会合で神戸新聞の社長をつかまえ、「これは大切なことなんです!どうか報道してください!」とやりました。社長には少し響いたようで、秘書を通じて経済部の部長を呼びました。

 経済部の部長(当時)はわたしのそばに来ましたが、へらへらした人間でした。わたしの説明する、一つの教育プログラムの奇跡のような効果の話にはさほど興味を持たず、すぐ別の話題に変えて水を向けました。それで意気阻喪しましたが、とにかくその1か月後に当協会のイベント「承認大賞」の告知をするから、どうか書いてほしいと頼みました。
 
 ふたを開けると、「承認大賞」のプレスリリースをしても神戸新聞は書きませんでした。報道各社はそれに倣いました。神戸新聞の経済部長は「現場の記者は取材したが、なぜかデスク預かりになって紙面に載らなかった」と言い訳しました。「ふざけないでください。何のためにあなたとああいう話をして念を押したんですか。このことが沢山の人の幸せにつながるのがわからないんですか」。

 
 そういうことが13年の間にあって、14年になっているわけです。

 一層たくさんの素晴らしいエピソードを抱えて、でも知名度は上がらないまま。


 思い余って、旧知のとある財界の長老に相談しました。「なんとか神戸新聞の社長に話してください。この教育プログラムがいかに優れた効果のあるものかを。どれほど大きな働く人の幸せを作れるかを」

 長老氏は10年来のおつきあいで、わたしのやっていること全般よくわかってくださっている方でした。ご自身の実体験はなくとも、「これは現場にものすごい効果のある正しいものだろう」とわかってくださっていました(ただ、その方の会社とはおつきあいはありません。)

 もう財界の要職からも離れ、なまぐさいことには首を突っ込まない主義にしていましたが、このときはさすがに動いてくれました。神戸新聞社に足を運び、社長と話をしてくれました。「今日行って、話してきたよ」とわたしに電話をくれました。その会社の株主総会の2日後、4月2日のことでした。

 神戸新聞の社長は、「わかりました。いい話ですね。取材させましょう」と、その場で言ったそうです。
 ところが。それでも取材も報道もされなかったのです。

 社長と長老との話で同席し、この件を委嘱された新聞社の業務部長なる人物が、迷走しました。まず、「取材部署は動かない」と言いました。そして私にオファーしてきたのが、「弊社がマーケティングの月1回の講演会をやっているので、そこで講演してくれないか」というものでした。

 この話はお断りしました。というのは、よく話をきいてみるとマーケティングの講演会というのは、新聞広告を出してくださるクライアント企業のためにやっているもので、各企業の広告部門の担当者クラスの人が来ます。例えば教育研修について決定権のある人かというとそうではありません。そこで話をすることにわたしの仕事上のメリットが何もないのです。加えてわたしはマーケティングの専門家ではなく、無理にこじつけて話をしてもそうした層の人におもしろい話をすることは難しい。下手に「おもろないスピーカー」とレッテルを貼られてしまうとかえって損することになる。もちろんお客さんにとっても退屈な時間になります。いかにも、「取材部署が動かないから代わりにこちらで」と、頭だけで考えた「AがだめならB」の話でした。

 そういう、当たり前の判断をわたしはしたのですが、先方はおかんむりで、「せっかく便宜を図ってやったのに」と言うのでした。
 そうやって話がこじれてしまったときに、4月9日、小保方さんの釈明会見がありました。1日中、朝からあの顔がTVで流れ、午後からは会見の画像と声が流れました。


 もともとそれ以前も小保方さんの研究発表とそれがどんどん捏造とわかるプロセスは、わたしの仕事にもずっと(悪い意味で)通奏音のように響いていました。

「女性が」
「すごい成果と主張」
「しかし捏造」
「実はすごいナルシシストで誇大妄想狂」

 本当は、小保方さんとわたし、「女性」という以外何も共通点はないのですけれども、とりわけ女性がわるいことで話題になった場合には、その共通点がみる人にとってはものすごく大きな意味をもつのです。

 
 そして迎えた4月9日の釈明会見は、すべてをお釈迦にしました。心臓に爆弾を抱えた財界の長老が神戸新聞社に足を運んだことは無駄足になりました。

 こういう運命に翻弄されるとは思ってもみませんでした。
 震災でほかのニュースがとんでしまうというのはまだわかるのですが、このくだらない1人の女性にマスコミはじめ日本中がいいように振り回され、もっとはるかに丁寧に丁寧に積み上げてきた仕事の価値もとんでしまうとは。

 会見の翌日、神戸新聞の紙面は小保方晴子さんの写真と記事で各面、埋め尽くされました。記事のトーンは小保方さんに同情的で、当時同情論の論客だったやくみつるのコメントなども入っていました。


 そして、まっとうな教育手法がいかに労働の現場を幸せにするか、という記事など入るすきがなくなりました。


 それが2014年4月の段階の話。


 メディアに取り上げてもらう道が閉じた、それでも「恐ろしく高い効果」と「認知度の低さ」のギャップは依然と横たわったままです。日々の営業活動にも困っています。


 そして「出版」という、過去に一度捨てた道筋をもう一度検討することになりました。それが『行動承認』につながります。


 ……ところが、この年は春先に『嫌われる勇気』が出版された年でもあり。

 わたしの担当になった編集者は、どうみても『嫌われる勇気』に頭が毒されていました。「承認」に対して、妙に見下していました。こういう人は、自分が何から影響を受けているかなど意識していないのです。単に過去に読んだ『嫌われる勇気』の中に「承認欲求」を繰り返し否定するフレーズがある、それが頭の片隅に残っていて、「承認」「承認欲求」という言葉をみたときに、無意識に小馬鹿にする感情が出てきてしまうのです。

 
 わたしは、『行動承認』の校了直後から、カウンセリングを受けるようになりました。執筆中にこの編集者から受けたダメージがあまりにも大きかったからです。

 どうしてそうなってしまうかというと、それは経験した人でないとちょっとわかっていただきにくいかもしれません。

 『行動承認』は以前にもお話ししたように、読み手のマネジャーの心と体を動かすことを徹底して意図して書かれた本です。こういう本を書くには、わたしは書きながら、読み手のこころの状態を自分の中でシミュレーションします。もちろん人の心を100%予測できるわけではありませんけれども、過去に自分が研修講師をしてきて、「こういうタイミングで、こういうふうに呼びかけたら、『はいる』」。これは仕事上の勘のようなものです。わたしにしかわからない種類のものです。

 しかし、そうやって蓄積してきた「仕事上の勘」をフルに使って、渾身の思いである一節を書いて送ったとします。それを受け取った編集者は、何も反応がないのです。心が動いたとかそういう反応はないのです。彼にとって完全に「よそごと」なのです。

 そしてまた、彼が「アレンジ原稿」と称して手を入れて送り返してきた原稿をみると、めちゃくちゃに「改悪」されているのでした。わたしが丁寧にロジックをみてセンテンスを短く切り詰めたところを、2つのセンテンスを1つにつなげてしまい、その結果1センテンスで2つの意味のことを言うようになってかえってわかりにくくなっていたり。句点をやたらと入れて、ハアハア息をしながら読むようなリズムになっていたり。送り返されたファイルを開いてみると頭がクラクラし、「もう一度私が送った状態に戻してください」と突っ返しました。

 結局、彼ははなから「行動承認」の世界の人ではなく、この世界に触れても染まろうとはしない人でした。本が想定した読者とは程遠く、したがって本が意図した読者の反応を彼自身は全然実感としてわからなかったのでした。

 あとで経歴をみると、この人物は40代でしたが編集者歴はごく短く、当初大手出版社に編集者志望で就職したが、編集職にはつかず別の部署でずっと働いていた。でも編集者の夢たちがたく、中小の出版社に転職して編集手伝いのようなことをしていた。そして今の零細出版社に編集者として採用されたそうでした。ご一緒に仕事をしていて、この彼がどうも編集者としての訓練が不足しているようだと感じていましたが、このような経歴の人ですから、若いころから手取り足取りのOJTなどは受けていないのでした。だから、仕事の一部はできるのだけれども別の部分が圧倒的に抜けていたり、恐らく編集者のハートの部分、「自分が著者と一緒に作る本に惚れ込む」みたいなことは教わってこなかったのだろうと思います。


 そういうのは、たぶん今の紙の本の『行動承認』の仕上がりをみても、わかる人にはわかるだろうと思います。

 で、そういう人と一緒に仕事をするのがどんなに苦痛か。
 編集者は、ある意味カウンセラーのようなものだ、とこのとき私は思いました。著者が渾身の心の叫びのようなものを文章にしたら、それに反応しなければならない。まったく意図と違った反応をするような相手だと、著者は自分の力量が低いのだろうか、自分の文章はそんなに「伝わらない」のだろうか、とまで思い、ダメージを受けてしまう。
 ということを経験しました。


 えーと、何を言いたかったんでしょうかね…

 編集者氏の愚痴になってしまいましたが、わたしは今生で編集者さんという人種とおつきあいするつもりはないので、いいのです。わたしと直接の縁のない人がこれをみて、人のふり見てわがふり直してくれればいいのです。


 でも今全般に、編集者という職種の人の質が落ちているのかもしれません。
 また、以前にも書きましたが、『行動承認』のような「徹底して行為者のための本」を書いたときに、自分ごととして受け止めることのできる編集者はほとんどいないのかもしれません。


 とまれ、2014年はそうやって、新聞社に対する絶望、そして出版社に対する絶望、を経験しながら、必死の思いでなんとか『行動承認』という本を世に出すことができました。

 読者からは温かいご反応をいただきました。
 しかしこの出版社のサイトにはついに取り上げられることはなく。

 自己啓発本中心のこの出版社にとって、マネジメントを扱ったこの本は「鬼っ子」だったのでした。


 出版から2か月で、「絶版」の決断になりました。

 社長の「うちは月に7冊出しているんです。出して2か月たった本の販促をやっている暇はないんです」と言った言葉が決め手になりました。



 
 今、再入力していて、本のレイアウト(わたしがワードで原稿を打つときに自分の整理のために使った記号がそのまま使われ、ひどく素人くさい雰囲気)、図表(社内のデザイナーが担当したが、わたしが送った元の図のほうが村岡さんによる優れたデザインだった)、残っていた誤字脱字などもろもろが、「手をかけて育ててもらえなかったわが子」として、いとおしさがこみあげてきます。

 でもこれが21世紀の日本の出版の状況なのです。

 だから今、Kindle。
 
 それは未来のための決断として行ったと思いたいです。

 久しぶりにまたSTAP関係の話題です。
 今日、たまたま普通の社会人(注:ここでは、STAP/小保方擁護派でも批判派でもなく、特段強い関心があるとはいえない企業人の意)のお友達のフェイスブックページに遊びにいったところ、

「 ちょっと質問^_^;ドイツとアメリカでスタップ細胞実験成功って本当ですか?」

と、ご質問を受けました。

 すっかりこの分野の人とみられてしまっているなぁ。
 でもこうして真正面からご質問いただけるのは幸せなことなのです。

 ちょっと居ずまいを正したかんじで、こうお答えしました。

「はい、ご質問ありがとうございます。お答えします。
ネットでまことしやかに言われてますが、あれはデマです。
アメリカとドイツ、どちらの論文もまったく実験方法が違い、スタップ細胞ではありません。
ただメカニズムのコンセプトは似ていて、外部刺激で細胞が初期化するとか万能細胞になるとかいうことをめざしています。
ただこの種の実験はもう10数年来あちこちで行われています。スタップ細胞だというためには実験方法が同じでないといけません。
論文を最後までちゃんと読むと違うものだとわかるのですが、小保方さんの熱心なファンの方が部分的な一致だけでスタップだスタップだと騒いでいらっしゃるのです。」



 半可通のくせに、生意気にねえ。
 実は、本当にたまたまだったのですが、この同じ内容の質問をSTAP細胞に詳しいある科学者の方(先生の身辺に危険が及ぶかもしれないので、仮に「ドクターX」としておきますね)にしていて、それへの回答がけさ、返ってきてそれを読ませていただいたところだったので、割合自信をもってすらすら答えられたんです。X先生からのご回答はもっとはるかに専門的な長文のもので、上記のはわたしが勝手にそれを素人言葉で縮めてしまいました。

 有り難いことに質問者のお友達とそのやりとりを読まれていたお友達の方々には、このご説明でご理解いただけたようです。


 このSTAP細胞をめぐる言説というのは今、本当に特異な状況になっています。
 大手メディアは、黙殺。そしてネット上には、「STAPあるある」の言説があふれています。で、そちらはデマです。

 例えばマスコミが電通とかロスチャイルド(?)に支配されていて信用ならん!と思ったとき、これまでのわたしたちだったら「じゃあネットをみてみよう。そちらのほうが真実だろう」と思います。ところがそういう過去のノウハウがまったく当てはまらないのが、今のSTAP細胞・小保方晴子さんをめぐる情報です。

 ドクターXら少数の心ある科学者が匿名のグループで運用しているブログがあり、それによると、小保方さん擁護の総本山のようなブログがあります。宣伝する気もないので名前は出しませんが、そのブログのコメント欄というのは、複数の擁護派の非専門家いわば素人の人がコメントしあい、科学的に間違ったことを言い合います。要は、上記のアメリカとかドイツの紛らわしい論文をネタに、

「これで小保方さんの正しさは証明された!」
「日本では大きな力が働いて小保方さんを潰した!」

とか、わいわい仲良く言い合っているわけです。
 そこへ、ドクターXのような研究者が、「いやそうじゃないよ。科学的にはこうだよ」ということを言うと、その素人の方々が総攻撃してその人を叩き出します。それだけでなく、ブログ主は「アク禁(アクセス禁止)」という手段で、気に入らないコメント者を締め出すことができ、実際にそれをやって締め出しています。結果、コメント欄は素人だけになり、科学を装った似非科学コメントで溢れるそうです。

 それだけではありません。
 なんと、これまで小保方さんを実名で批判した科学者には、擁護派の方々は脅迫状を送ったり、Twitterで「死ね」とツイートしたり、勤務先の大学へメールして圧力をかけたりするんだそうです。そのためにブログ閉鎖に追い込まれた科学者の方もいるそうです。

 そうして、ネット上では小保方さん同情論・擁護論だけが幅を利かせることになります。


 えっ、正田はどうかって?

 まあ、老い先短い身なので、「どうぞ、やるならやってください」という心境で、実名で批判しております。
 「小保方さん」も「STAP」も割としょうもない問題ではありますが、言論統制というのは、いやですね。

 そんなことをやっていると案の定自分の著書のAmazonページに「呪いレビュー」を書かれましたけど(苦笑)

 
 『ダメ情報の見分けかた―メディアと幸福につきあうために』(荻上チキ他、NHK生活人新書、2010年)を久しぶりに手にとりました。
 たしか震災の年の6月、「情報とどうつきあう?」のよのなかカフェの時にこの本を参照した記憶があります。

 ここでは、「ウェブ流言」というものにも触れていますので、その部分を引用してみましょう:

「インターネットが普及してから、これまで数多くの流言やデマがウェブ上に広がってきました。もちろん流言やデマは、ネットが普及する以前のどの社会にも存在する、普遍的な現象です。しかしインターネットは、流言やデマの拡散を様々な形で強化してしまいます。短期間でより多くの人たちの目に留まるようになり、そのログをいつまでも残してしまうためです。

 そうしたインターネットと付き合うには、マスメディアに『批判的』で、『多様な解釈』をすることで『抵抗』していくとする、従来の『反権力』的なメディア・リテラシー論の枠組みだけでは不十分です。これまで以上に、『大きな権力に騙されない』といった気構えや能力だけではなく、『隣の誰かに騙されない』ための気構えや能力が必要となります」
(『ダメ情報の見分けかた』pp.31-32)


 ね?上で言ってることと一緒でしょ?
 要は、この問題に関しては、「大手メディアがダメだからネットで見よう」という、「AがダメだからB」という思考では、ダメなんです。ネット上に「ためにする情報」を確信犯的に流している方がいらっしゃるので、今、ネットはデマだらけなのだと思ってください。

 で、読者の利便のためにその「ためにする情報」を確信犯的に流す代表格の方のお名前を出しておきます。

 まずは、前にも名前をお出ししましたが自称ジャーナリスト(女性)の上田眞実(まみ)氏。別名「木星通信」。この方が、アメリカとドイツの論文を「どうしたらそこまで『誤読』できるの?」というぐらい誤読して拡散した張本人の方です。(これは人格批判ではありませんからね、単に行動をトレースして言っているだけです。)
 それから、これも自称ジャーナリスト、こんどは男性の大宅健一郎氏。この方も小保方さん擁護の記事をやたらと書いてはりますがほとんど根拠はありません。苗字から、大宅壮一とか映子の縁者なのかとうっかり思ってしまいますが違うようです。紛らわしいですネ。

 上記のお二人の「自称ジャーナリスト」が、これも以前に触れましたが(株)サイゾー運営の「ビジネスジャーナル」という情報サイトに頻繁に寄稿します。だからこのお二人プラス「ビジネスジャーナル」が発信源ともいえます。このサイトも、名前からして一見ニュースサイト風ですが信憑性は非常に低いところだといわざるをえません。

 あとは有名人で、前にも出した武田邦彦氏、青山繁晴氏、西岡昌紀氏も盛んに小保方さん擁護の論陣を張ってらっしゃいますが、内容をよくきいていただくとわかりますが根拠はありません。また、日本全国回ったことが自慢の最近落ち目の地域エコノミストのMK氏もネット上で盛んに匿名で擁護してはります。別にいいです、家に火をつけられても。


 
 もうひとつタイトルに「『あの日』症候群」とつけてしまったので、それについても書きたいと思います。

 小保方さんに騙される人たち。うっかり同情してしまう人たち。
 過去のブログ連載や著書にも書きましたが、非常に多様な人たちが「とりこまれやすい」因子をもっています。

 まず、高齢者。
 小保方晴子さんを自分の娘や孫のように感じ、「娘や孫がいじめられている」と受け取ってしまう。
 高齢になると人は細かいことを考えずポジティブになるので、「研究で少々ミスがあっても不正があっても、STAP細胞が存在するならそれでいいじゃないか」と考える(科学者サイドからみると、これは非常に悩ましい思考のようなのだが)その人たちにとっては、擁護派”ジャーナリスト”たちの「STAP細胞はある!」言説は、細かいロジックはどうでもよく喜ばしいことなのだ。「振り込め詐欺」に騙される層の人と重なる。
 なんらかの持病を持っているので、それをSTAP細胞が治してくれると考えている。小保方さんが「若い」ことも、なんとなく「若返り」作用がありそうで期待できる。

 それに、アスペ気味の理系男子。ブログなのでぶっちゃけ「アスペ」って書いてしまいますね。
 実は「アスペは詐欺に遭いやすい」これは常道なのです。過去に漁った発達障害関連の文献に出ていました。わたしも身近な高学歴男子で詐欺に引っかかりそうになったのを必死で止めた経験があります。小保方さんに高名な学者さんもたくさん引っかかりましたが…やめとこ。

 著書にも書きましたが、美貌正社員女子(「キラキラ女子」)。
 美貌に頼って上司の覚えめでたく、正社員・管理職として活躍。しかし自分のその地位は上司のご寵愛に頼る非常に不安定なものだとわかっている。ちょっとしたきっかけでポイと捨てられるとわかっている。その彼女らの不安心理に見事にフィットするのが小保方さんの手記『あの日』です。

 その他、大組織からスピンアウトした転職組、個人事業者の方々。
 給与や福利厚生のいい大組織を離れるには何らかの挫折があるものですが、その挫折経験のトラウマやら現在の境遇への不満が『あの日』に触れたときにワーッと出てきてしまう。自分を重ね合わせてしまう。そして、彼ら彼女らは大抵、「自分は悪くない。当時の上司や同僚が悪い」と思っていますから、それと重ね合わせて「理研けしからん!若山許すまじ!」とやる。

 ・・・・

 ほかにも、難治性の病気や障害をもった人で、「STAP細胞なら、治してくれるかも」と期待を託す人は、下手するとみんな小保方さん贔屓になるのかもしれません。知人のそのまた知人に、iPS細胞の治療の適応の病気なんだけれど状態がわるすぎて治療してもらえない、という人がいたそうですが、その人はもう、「iPSはヒドい。STAP細胞なら治してくれるかもしれない」と思っているんだそうです。

 そのあたりは、お気の毒なことですがiPSの臨床応用は慎重に慎重にすすめられていて、やたら高いところで適応の「足切り」をしてしまうところが確かにあるのかもしれません。でもそれはiPS細胞の罪でもないし、山中伸弥教授ら京大iPS細胞研究所の罪でもありません。そして、STAP細胞はほぼ「ない」細胞なのですが、仮にあったにしても臨床応用されるのは遠い遠い未来の話です。
 

 要は、「詐欺は人の弱いところにつけこむ」。

 身内に病気の人がいると高額の壺を買わされるように、STAP・小保方さんの場合は、身体の病気だけでなく心にもちょっとでもトラウマがあると、そこに入り込んできます。脆弱なところが1つでもあったら、危ないと思わなければなりません。

 わたしも、優秀な「承認リーダー」でこの人は大丈夫だろうと思っていた人が「小保方さんのあの件は、単なるケアレスミスですよね」と言っていて「えっ」とのけぞった経験をしましたので、「この人は大丈夫だろう」というラインが、この問題は「ない」のだな、と思いました。


 以上は、「こういう因子をもった人が巻き込まれやすい」という話ですが、じゃあ巻き込まれたらどうなってしまうかというと、それが「『あの日』症候群」です。
 すなわち、やたら感情的になる。やたら一方的にしゃべったり、情に流されて相手の言い分を受け付けなくなる。合理的に判断し、行動していたその人の面影は微塵もなくなる。ネットのデマを無批判に信じ込み、そしてネットデマの中にある2ちゃんねる的な嘲笑的な傲慢なスタンスも学習してしまい、事実に基づいて丁寧に議論する人を嘲笑するようになる。自分のほうがワイドショーレベルの低次元な思考法をしているのに、です。


 残念ながらこうなると、宗教談義をしているのと一緒ですね。政治と宗教の話はしない、と取り決めをするように、「小保方さん・STAP細胞」の話題を避けるしかありません。しかし、信じているご本人は宗教だと思っていないので、問題を現実とリンクさせます。「理研けしからん!Wけしからん!」で、下手すると焼き討ちしに行きかねない勢いです。

 3月末、理研OBの男性が告発していたES細胞窃盗事件の捜査が終結し、玉虫色のままになりましたが、この告発した男性は郷里で自宅に石を投げられたそうです。そういう本当に怖い世界です。


 わたしは、某岸見先生の唱道するアドラー心理学――アドラー心理学全般ではなく、「岸見アドラー心理学」と呼ぶべきなのだと思う――も、その種のラジカルな新興宗教に近いものだと思っていますが、ネットでそういう新種の「教団」が短時間で形成されてしまう時代です。


 というわけで、このブログを読んでくださる長年の友人たちは、もう既に連載を通じてこの問題に免疫ができていることと思いますが、是非周囲の方にご注意喚起ください。『あの日』は、心身に有害な本です。今からは古本で廉価で出回ると思いますが、免疫がない状態で読むことは厳にお控えください。
 
 


 
 


 『行動承認』再出版にあたり文章をいじっていて改めて気づくこと。

 どのエピソードにもかならず何かしら「数字」が入っています。

 「売上1位」とか「目標達成率150%」とか「監査指摘率半減」とか「売上倍々ゲーム」とかですね。


 これは、もう初期から当社(任意団体〜NPO〜財団〜個人事務所)のノウハウでもあり、また受講生様との間でちょっとした緊張関係になるところでもあります。

 「行動承認」のもとでは、必ず何かしら喜ばしいエピソードが生まれ、雰囲気が良くなり、物事がスムーズになったりストレスが減ったりします。

 そうした「定性的」な効果というのは、「何が良かった?」と訊いたときすぐに出てきやすいものです。

 ところが、それを業績の数字に落としてみると、どうか。

 即答できる受講生様はあまりいません。

 単純に考えると、物事がスムーズに動くようになりスピード感が全体的に上がったりしていますから、その分業績にも多少は反映するだろう、と思えますね。


 そして、これは細かい環境条件にも左右されるところですが、リーダーが「この手法は間違いない!」と確信して思い切ってこの方向に舵をきり、徹底してやった場合には、上記のような「ランキング1位」「目標達成率150%」「売上倍々ゲーム」という、とんでもない数字になるわけです。


 このあたりは、他のコンサルティング手法との比較で、いかめしい専門用語満載のコンサル手法に比べてこのようなとっつきやすく、一見女々しく優しい手法のほうがはるかに数字を叩きだす、ということが、勇ましいことが好きな多くの男性諸氏にとって不可解で我慢のならないところだろうと思います。


 そこで、「コスパ」の話になってきます。

 近年の傾向として、「研修費はなんとしてでも切り詰めたい。できればゼロにしたい」という要請があります。

 これは非常に困ったことで、むしろ国策で「研修費はかけろ。教育研修費にこれだけかけたら法人税控除する」というぐらいの研修促進措置をとってほしいぐらいのものですが、残念ながら研修よりは設備投資のことばかり言うわけですが、


 オリンピックをみれば、選手強化費をかけたほうがメダルを獲っている。自明なわけです。

 そういうことは国民の皆様も「もっと強化費をかけろ」とやいやい言われるわけですが、自社の教育投資となると、すぐ1円でも惜しもうとする。すごい矛盾です。


 なんかね、「研修」について意思決定をする部署の人が、現場のミドルリーダーのことなんてよくわかってないんです。彼らはクルクルパーだと思っていて、教育なんかしても学ばないと思ってるんです。

 そうじゃないでしょ。


 「脳は、今あるニューロン結合の強化や弱化、除去、そして新たな結合の形成によって物理的に変化するが、その変化の度合いは実際に行われる学習のタイプによって決まり、長期にわたる学習はより大きな変化を起こす」
(『脳からみた学習―新しい学習科学の誕生』OECD教育研究革新センター、明石書店、2010年)

 
 経験的には、「承認」のような大きなコンテンツを学ぶには、回数が多いほうがいいですね。『行動承認』では、6回ぐらいのシリーズ研修で学んで大きな成果を上げた事例をいくつも載せてますが、宣伝のためばかりでもなく、それぐらい回数をやることで身体にしみこんで学習できるんです。プロジェクト型研修。

 ほら、野球や柔道を1日だけやりましたというのと、6か月やりましたというのでは全然違うでしょ?「1日だけ」というのは「やらなかった」とほとんど同じだったりするでしょ?

 とはいえ行くさきざきでそうしたプロジェクト型研修で採用してくださるわけでもなく、経済団体さんのセミナーでは1日こっきりというのも多いですから、苦肉の策で何をやってるかというと、このブログなんです。

 このブログは「補講」です。
 不幸にも1回こっきりしか学ぶ機会を与えられなかったマネジャーさんがたのために、マネジャーは大体疑い深くて「収集心」で情報収集がすきな人が多いですから、

 ―そこは世間の編集者さんが想像するのをはるかに超えて、マネジャーさんというのは情報収集ずきな人種だと思いますね―

 このブログでは徹底的にかれらの情報収集欲に応えることにしています。
 原典をきっちり書き、できるだけ原文の構造をそのまま載せてどういうロジックでその結論になっているか、わかるように書いています。

 それぐらい提示しているから、こうるさいマネジャーたちもわたしの言うことを信頼してくれるんです。
 こういう配慮、編集者さんにはわからないんだろうなあ。脳が委縮してきたワイドショー視聴者のほうばかり向いてるんじゃないですか?

 社会人はそれぐらいの知的レベルは持っているんです。


 あ、それは余談なんですけどね。

 
 で、研修担当者との「せめぎあい」が起きるのは「コスパ」の話です。

 はっきり言って、ひとつの店舗、ひとつの支店の売り上げが150%になったら、それだけで何千万何億の話のはずです。

 研修費のもとなんてかるくとれちゃいます。もちろんひとつの店舗、支店だけで起こるのではなく複数のお店で起きます。

 なんだけど、たとえば担当者さんの頭というのは、研修費ン10万出したら何千万のおつりがかえってくるから、社長にほめられる、とは絶対考えない。

 今この費目の「研修費」をどうやってゼロに近くするか、そこだけが大事なんです。


 まあ彼らの頭の構造というのはわたしの想像を超えているところがあるのでちょっと置いておきますが、


 ともかく、「これやったらいくらいくら『儲かる』よ」という話は、絶対に必要です。

 将来について確実なことは言えなくても、過去の例でこうなった、ということは数字を挙げていう必要があります。

 過去に「承認研修やろか」となった、支店長さんや社長さんにしても、必ず、事例セミナーや『行動承認』でご提示した、売上が100何十%になったとかランキングがどうなった、という「数字」の部分は判断材料の大事なところに入っていたはずなんです。

 人情話で、だれそれ君がこんなに積極的になった、という話だけで経営判断として動けるはずはありません。


 なので過去のどの受講生様にも、「数字を出してください」この話はしてきました。受講生様が幸せそうな顔で、「いや〜だれそれ君・さんが、こんな提案を言ってくれるようになってねえ」と言ってるときに、「数字を出してください」と言うのですから、雰囲気ぶち壊しですよね。でもわたしは言ってきました。「社会貢献だと思ってください」と迫りました。

 
 きくと、大体数字は上がってるんです。で出してもらうと、「…はい、2011−13年は倍々ゲームでした」などと渋々、言われます。(注:この「倍々ゲーム」というのは、従業員20人程度の工場が60人規模まで膨れ上げる過程の話なので、飽和状態になった企業様では当てはまらないかもしれません)

 この「渋々」というのは、たぶん、ちょっと駆け引きが入ってると思っています。受講生様を疑うような言い方で申し訳ないですが、「研修費もっと高く謝金払っても良かったんちゃうか」と言われるのを恐れてるんだと思います。

 でも、そこで正確な効果を出さないと、今後の施策としてこの研修をもっと徹底してやったほうがよいのか、あるいは他社さんで検討しておられるところにとっても、導入する値打ちがあるのか、判断材料にならないので、悔しくても「承認研修めっちゃコスパいい」これは、出したほうがいいと思いますね。

 たぶん、男性同士なので男性コンサルタントさんが言う勇ましい手法の方が効果があるように思いたいと思いますけれど、「承認研修」ほどコスパのいい研修はほかにないですね。効果の波及効果がすごいですからね。


 色々思うところがあって、今日は好き放題言ってますが基本的に本当のことです。


 『行動承認』をいよいよKindle本化することにし、それ向けに原稿を打ち直し始めました。
 
 手始めに手持ちの本を1冊、裁断機で切ってページをばらばらにし、クリップで止めました。ワードで入力しやすくするためです。

 入力しているとさまざまなことが去来します。

 この本は、やはり徹頭徹尾、「マネジャーのためのテキスト」として書かれました。
 言い換えると「行為者」のための本。

 たくさんのエピソードがありますが、その中で読者が主人公のマネジャーに没入し、その味わった人間的な痛みも追体験し、そして彼(女)が解決のために何かを行為することも自分の肉体がそれをしたように追体験してもらえるようになっています。いわばバーチャル体験をテキストの中でしてもらいます。

 それは、たとえば1人のマネジャーが研修を受けても、その研修をその場限りのものとせず、その後の一定期間、学びを実地に落とすことで自分が何を体験するかを、あらかじめ体験してもらうことでもあります。

 それだけにエピソードは生き生きしていなければなりません。現場に立ってその場の空気を体感できるようでなければなりません。わたしごときの筆力で実現しているかどうかわかりませんが――。

 その場限りの研修は世にあふれています。ほとんどの研修は、現場を良く知らない人事研修担当者がみて見栄えのいいように、華やかな理論や専門用語、表面的な演出であふれています。

 マネジャーたちは半ばおもしろがりながら半ば冷め、アンケートにはいい感想を書きますが自分が職場でやることとは別だ、と切り離して考えています。

 わたしが非営利の、マネジャーたちが自主的にポケットマネーで集まってくる勉強会を主宰してから、いざ企業内研修の世界にいくと、いわばインディーズからメジャーに行くと、どれほど驚いたことでしょう。その落差に。

 マネジャーたちの冷めた眼差しに。

 彼らは自社の人事・研修担当者が選定してくる研修にうんざりしきっているのでした。

 しかし、その「企業内研修の壁」を乗り越えなくては、ひとつの研修が職場の空気を変え人びとを幸せにすることはできません。

 『行動承認』はその「研修の壁」を乗り越えるために書かれたものでした。


 2014年、前著『認めるミドルが会社を変える』から4年、本を書くことの有効性に倦んでいたわたしがどうしてもあと1冊本を書こうと思ったとき、迷ったすえに結局ベストセラーは志向しませんでした。ただ1つ、「現場のマネジャーの心を動かし、身体を動かす本を書く」それだけを考えました。


 あの頃の自分はそういうことを考えていたな。
 入力で手を動かしながらそんなことを思います。

 最近ちょっと話した神戸在住の元編集者の人は、『行動承認』を評して「凡庸な本。身体を動かすまでの力はない」と言っておられましたが、逆にその人自身が「自分は後進を育てることはできなかった」と言っていましたから、編集者は得てしてそういう人種なのだろうと思います。編集者が求めるような言葉のきらびやかさはない本だろうと思います。でもわたしの勘では、変な言葉の綺麗さというのは、現場の人が身体を動かすためには必要ないのです。
 ……と、編集者さん業界のわるぐちを書いてしまいましたが、商業出版を諦めている状態なので許してください。わたしは読者はそんなにバカだと思っていません。編集者さんが思うよりはるかに、社会人というものは聡明です。その方向に導こうと思えば聡明になるし、バカ扱いすればバカになります。
 それは、わたしの中に抜きがたくある「教育屋気質」が、引き上げたいという衝動がそうさせるのかもしれません。
 でも実際に教育の力で引き上げれば素晴らしい状態が実現するのですし。みんなをワイドショー視聴者のレベルに引き下げていいことなど何もありません。


 結局『行動承認』は初版3000部で終わった本でした。この世に3000部しかありません。(だから、今この本をお持ちの方、希少本なんですヨ。意外とAmazonでもあまり中古本の値が下がってないです。皆さん手放されないみたいですね^^)

 弱小だった出版社は、出版前に約束していた販促策を、前後の会社の体制の変化(縮小)もあり、履行していないことがわかりました。信頼を失い、「絶版契約書」を作り絶版にしてもらい、版権を手元に取り戻しました。


 今は、Kindleで出して必要な人の手には届くようにしようと思います。
 Kindleはまだ裾野が狭く、たとえばローテクの人が多い介護職の人などには届きにくくなりますが、仕方ありません。電子出版の市場全体は膨らんでおり、将来的にはKindleで本を読む習慣も根付いていくことを信じたいです。

 『行動承認』を書店の店頭で手に取られた方がお客様になってくださった、という現象も去年はありました。「承認」関係の本を5,6冊購入された中で『行動承認』がいちばん役立った、と共通で言っていただきました。

 
 今日はあまり心と体に力がないのでぼやき日記です。



 そして…、

 わたしが主婦だからお母さんだから、主婦・お母さん向けの本を書けばこの社会は幸せになるのか?
 違うと思うのです。
 マネジメントの世界を幸せにすることが、一番社会全体を幸せにできる道なのです。
 なんども、それは考えました。
 職場を幸せにすることが社会の隅々までトリクルダウンを生み届けるのだと。そして職場を幸せにするとは、マネジャーの能力を上げてやることなのだと。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ・・・……<<<エウダイモニア通信>>>……・・・
発行日 2016.5.9                 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ※「エウダイモニア」は「幸福」、また「栄える」という意味のギリシア語
です。
 「業績1位」の山を築いてきた承認マネジメントの研修講師・正田佐与が、
経済的繁栄を含めたわたしたちの「幸せ」についてご一緒に考えるメルマガ
です。
 
※このメールは、正田が過去にお名刺を交換させていただいた方、イベントや
セミナーに  ご来場いただいた方にお送りしています。
ご不要の方は、お手数ですがメール末尾にありますURLより解除ください。

■■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ┃本日の話題 ☆☆☆☆☆
■■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

【1】 エウダイモニアの起源・『二コマコス倫理学』
    ―恥ずかしながら、解説書を読んでみました

【2】 『社会人のための「あの日」の読み方』
    ―メルマガ読者のために、最重要トピックを抜き書きしました

【3】 「不正と日本人」お勧め図書

【4】 連載「ユリーの星に願いを」第8回「自分を大切に」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【1】 エウダイモニアの起源・『二コマコス倫理学』
    ―恥ずかしながら、解説書を読んでみました

 このメルマガのタイトルにもなっている「エウダイモニア」。この語の起源
であるギリシャ古代の哲学者、アリストテレスの『二コマコス倫理学』を
連休中に読んでみました。
 といっても、解説書です。『アリストテレスの「二コマコス倫理学」を読む
――幸福とは何か』(菅豊彦、勁草書房、2016年2月)という本。非常に、
過去の研究を踏まえながら独自の解釈を施し、良心的に解説してくれている
本と思います。
 読書日記は前後編となりました。こちらからご覧ください
(いずれも長文ですので、お時間と余裕のあるときにどうぞ)

●『アリストテレス「ニコマコス倫理学」を読む』前編――エウダイモニア、
幸福、最高善
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51939597.html 

●『アリストテレス「ニコマコス倫理学」を読む』後編――「性格の徳」、
フロネシス、友愛、観想
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51939825.html 

 今更ではありますが、『ニコマコス倫理学』は今の倫理学の基本中の基本の
用語、概念が出てくる古典です。そして、ポジティブ心理学、幸福学、徳倫理
学など、いくつもの学問分野に枝分かれして研究が深められています。経営学
では、野中郁次郎氏が『ニコマコス倫理学』から「フロネシス(賢慮)」とい
う概念を提唱したことをご存知のかたも多いでしょう。
 職場でのちょっとした“ウンチク”の源として、また現代の諸学問への足が
かりとして、いかがでしょうか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【2】『社会人のための「あの日」の読み方』
   ―メルマガ読者のために、最重要トピックを抜き書きしました

 先月Kindleから出版させていただいた『社会人のための「あの日」の読み方』
 ※こちらからダウンロードしていただけます
>>http://ur0.work/tk27

(キンドルが初めてという方のために……、キンドル本を読むのに、iPadのよう
な専用のKindle端末を買われる必要はありません。
 お手持ちのスマホ、タブレット、PCで本を読むためのKindleアプリを、
Amazonさんが無償配布しています。アプリを持っていない人が本を購入しようと
すると、Amazonさんがアプリのダウンロードをお勧めしてくると思います。この
際ですので一緒にダウンロードしてしまいましょう)

 この本をブログ連載からKindle化する際、いくつか加筆した箇所があります。
 なかでも、
「この部分を今、普通に生活している社会人の方はご存知ないんだ」
「だから共通認識がもてないんだ」
と気づき、急遽加筆した部分。
 それが、本の中で言うと第四章2.の部分です。

「STAP論文で小保方さんは何をしたのか?もう一度理研報告書を読んでみ
よう」

 メルマガ読者の皆様のために、その部分を抜き書きしたブログ記事をご紹介
しましょう。

 ※なお、ここに書かれていることは公文書の内容であり、敏腕弁護士を4人
もつけている小保方晴子さんも不服申し立てをしなかった文書です。ですので
一方の側の勝手な言い分という種類のものではありません。ただ、一般には
あまりその内容が知られていないというだけです。

●『社会人のための「あの日」の読み方』余話(5)「捏造」と「データ不在」
のオンパレード――やっぱり基本情報”判決”を読んでみよう
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51939558.html 

 いかがでしょうか。
 あなたのイメージしている「小保方さんのしたこと」と、上の記事の内容は
どれくらいギャップがありましたか?

 「STAP事件」については、陰謀論を含めありとあらゆるオピニオンが存在
します。今、ネットをみると小保方さんへの同情論が強いです。しかし、オピ
ニオンはあくまでオピニオン。ワイドショーで芸能人や評論家がコメントして
いるのと同様の、二次情報三次情報なのです。

 一次情報で「事実」――ここでは、他人が手間暇をかけてご本人にも確認し
たうえで認定した「事実」も含みます――を押さえてから、オピニオンがあな
たにとって同意できるものかどうか、考えてみましょう。

 もう一つ関連の記事をご紹介しましょう。先月出た『研究不正』という本を
題材にSTAP事件について考察し、フェイスブックで多くの方から支持して
いただきました:

●『社会人のための「あの日」の読み方』余話(4)―「研究不正」した人が
「アイドル」という現象が社会にもたらすもの
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51939444.html 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【3】「不正と日本人」お勧め図書

 2000年代のある時期から、「不正」「偽装」についての報道が急に増えだした
ような気がするのは、わたしだけでしょうか。
 昨年秋からは、旭化成の子会社と三井不動産が関わったマンション杭打ち
データ偽装事件。そして新しいところでは三菱自動車の燃費偽装事件。他にも
枚挙にいとまがありません。

 日本人がある時期から「適応戦略」の変更を迫られているのだ、と言ってい
るのが、社会心理学者山岸俊男氏の『日本の「安心」はなぜ、消えたのか』(集
英社インターナショナル、2008年2月)です。
 読書日記はこちらから

●信頼と安心、空気を読む、武士道と商人道―『日本の「安心」はなぜ、消え
たのか』
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51843225.html 

 また「企業倫理」について書かれた本ではこちらも参考になります。阪急阪
神ホテルズでの食品産地偽装事件のころ書かれた読書日記。

●結局「自分を知る」ことが大事?―『倫理の死角』を読む
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51873796.html 

 それに、「倫理」ということで必ず引き合いに出されるアリストテレスの『二
コマコス倫理学』との絡みでいえば、こういうことを言っております。

●『社会人のための「あの日」の読み方』余話(6)アリストテレス曰く、不
正は嫌悪するのが正しい
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51939831.html 

 今見るとこの記事はそれ単独ではすこし舌足らずなのです。「不正を嫌悪する」
ことと、「正しい行為を愛する(行動承認)」は、かならずセットにしなければなり
ません。あとのほうがきちんとできていれば、前半部分をそんなに強調する必要は
ないかもしれません。
 (現実に、「承認教育」の浸透した職場では、監査でも高い評価を受けるなど、
業績だけでなく倫理レベルが格段に上がっています。)


 世の中、こういう「省略」は、よく起こっているかもしれませんね。暗黙の
前提の省略。いわゆる「倫理教育」と称するものの中にも――。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【4】連載・「ユリーの星に願いを」第8回「自分を大切に」
By ユリー
 ユリー:マーケティングコンサルタント。人と組織のメカニズムに高い関心
を持つ仏教学習者。40代女性。
***********************************

こんにちは、ユリーです。
 このたびの熊本県また大分県の地震により被災された方に心よりお見舞いを
申し上げます。今も避難生活を余儀なくされている方、当事者でなくともご家
族やご親族などが被災された方も、発災以降、心身ともに苦しい毎日をお過ご
しのことと思います。そのようなお一人お一人が、1日も早く安心した毎日を
お過ごしなれますようにとお祈り申し上げます。

 この原稿を書いている今はちょうどゴールデンウィーク直前。このメール
マガジンの読者には現役のマネージャーが多いとお聞きしていますが、多忙な
みなさまは連休をどのようにお過ごしになるご予定でしょうか? 暦に関係な
く勤務が続く方、連休だからこそ片付けておきたい仕事があるという方もいら
っしゃることでしょうし、ご家族の希望のあわせたレジャーを計画なさってい
る方もいらっしゃるでしょうか。

「(悟りを体験して皆さんが実感するであろうことは、)自分の身体は自分のも
のではないけれども、だけども与えられたものだから自分を大切にする、とい
うことではないかと思います。自分を大切にする程度にしか人を大切にするこ
とが出来ないということがしみじみわかるのも、悟りの最初の段階で体験され
る具体的な変化だと思います。」とは、私の尊敬する仏教学者の言葉です。

 仏教を学んでいると、ときどきドキッとするような本質に出会い、それがグ
サリと心に刺さり、自分の未熟さを思い知ります。この言葉もまた然りです。
本当に人を大切にしたいのであれば、まずは自分で自分を大切にすることがで
きる人でなくてはならない。当たり前のことのようですが、組織のため、部下
のため、あるいは家族のためと、年を重ねそれぞれの責任を負う立場になると、
自分のことは後回し、自分をいたわることを忘れがちになります。しかし、
そういう人は、実は人を大切にするのが難しくなる、責任感の強いリーダーが
ときに周囲を傷つけて結果的に組織を弱体化させます。私自身も、自らの責任
感の強さゆえ周囲を傷つけた過去に思い当たる節があります。

 通常は部下や周囲に向けている思いやりや優しさそして承認を、せめてこの連
休のうち、ほんの数時間だけでも、ご自分に向けてみられましたか。多忙なマネ
ジャーのみなさまだからこそ、休息をとりご自分を大切にしていただきたいもの
です。私も、連休中には、自分を大切にする時間を例えわずかでも持ちたいと
思っています。


□□━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ┃今日の一筆箋  
□□━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 雨のGW明けの月曜となりました。
 良い1週間のスタートとなりますように。

┌─<<現役マネージャー必読!>>──────────────────>
│  近著『行動承認―組織の能力を最大化する「認める力」』
│  http://www.amazon.co.jp/gp/product/4434198572
└──────────────────────────────────>


1位マネジャー続出の承認研修講師 正田佐与の発信するメディア

┏┓
┗■ ツイッターアカウント >> @sayoshoda
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┏┓
┗■ フェイスブックページ >> http://www.facebook.com/sayo.shoda
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┏┓
┗■ ブログ「正田佐与の愛するこの世界」 >> http://c-c-a.blog.jp
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


■メールニュースのバックナンバーもこちらからお読みいただけます。
>> http://c-c-a.blog.jp/archives/cat_50052130.html

■新規購読の申し込みは、「メールニュース」希望と書いて、配信希望先のアド
レスとともにinfo@c-c-a.jp 宛にメールでお申込みください。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

皆様の職場でも業績向上につながる「承認」を取り入れてみませんか?
 研修のご相談、原稿のご依頼、「人」の問題について個別のご相談は以下まで
お気軽にご連絡ください。
 
 正田佐与承認マネジメント事務所
 Email info@c-c-a.jp TEL: 078-857-7055  FAX: 078-857-6875

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

このメールニュースは、正田が過去にお名刺を交換させていただいた方、
イベントやセミナーにご来場いただいた方にお送りしています。

◎メールニュース解除方法
解除される場合は、下記の解除フォームに受信メールアドレスを入力してくだ
さい。ワンクリックで解除していただけます。

>> http://mag1.hyper-mail.jp/md/publish/quit.asp?act=1&mid=1044&mail=sshoda@c-c-a.jp




◇―――――――――――――――――――――――――――――――――◇

100年後に誇れる教育事業をしよう。

 発行者 正田佐与承認マネジメント事務所代表 正田 佐与

◇―――――――――――――――――――――――――――――――――◇
このメールは転送歓迎です。

 前2つの記事(『アリストテレス『ニコマコス倫理学』を読む』読書日記前後編)の読書は、このところのわたしによい示唆を与えてくれました。
 すみませんリンクを出しておきますね
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51939597.html (前編)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51939825.html (後編)


 「こころの栄養になるような良書を読みたい」と思っていたのもたしかですが、目下のテーマ「小保方さん・STAP事件」についてのヒントを探していたのもたしかです。


 で、結論としてはヒント、大ありでした。
 

「アリストテレスはこの徳の学習における魂の発達の初期段階により大きな注意を払っており、教室での徳の教育のためには、「聴講者の魂は習慣によってあらかじめ、美しい仕方でよろこび、かつ嫌うように準備されていなければならない」ことを強調する。」
「性格の徳とも関係することであるが、喜ぶべきものを喜び、嫌うべきものを嫌うことが最も重要なことであると考えられる。」
「徳に基づく行為は美しく、また美しいことのために為される。」
「子供は「カロン(美しい・立派な)」といった言葉、あるいは「アイスクネー(みにくい、恥ずかしい)」といった言葉を対象や行為に適用する仕方を学び、「美しい、立派な」「みにくい、恥ずべき」といった事態を徐々に了解できるようになっていく。その結果、「美しい、立派な」行為へと動機づけられ、「恥ずべき」行為を避けるようになる。したがって、どのような現象や行為を「カロン(美しい)」と捉えるかに習熟していくことは「思慮」の能力と密接に結びついており、「思慮」の機能の成立は情念や欲求の訓練と切り離すことはできない」


 このあたりの言葉を書きうつしながらわたしが何を考えていたのかというと…

 「不正をしない教育」には何が必要か、ということでした。言い換えれば「高い倫理性を備えさせるための教育」ともいえます。

 それは「美しい」「みにくい」ということへの感受性を育て、美しいことを喜ぶと同時にみにくいことを嫌うように仕向けること。その営みが不可欠になると。

 ここで「嫌う(嫌悪)」という要素が入ってきます。

 実は、わたしが自分で「小保方さん」についてなぜ嫌悪感を禁じ得ないか。それを延々と考えるうち、この「教育において『嫌う』ように仕向ける必要があるからだ」ということに行き着いたのです。わたしの中の「教育屋気質」がそこに反応するわけです。

 そこは、ほんとうは「罪を憎んで人を憎まず」というのが正しいのだろうけれども、この言葉もけっこう「誤読」されていて、本来は、人を憎んではいけないが罪は憎んでいい、いやむしろ憎む必要があるのです。行為は憎んでいいのです。それがなんとなく、罪も人も憎まない方がいい、のように理解されてしまっているところがある、言葉の語義を離れて。要は「まあまあ」と火消しにまわって、ネガティブ感情は全部良くないよ、と言っているような感覚です。

 ここでいえば「不正」という行為は憎む必要がある、嫌悪する必要がある。それらの甘い誘惑に耳を貸さない人になるために。

 それをまだ感受性の柔らかい子供や若者のうちに叩き込まないといけないわけですが、そこへ昨今の「小保方さん同情論」があり、「可愛い」「可哀想」さらには「きっと悪い人ではない」「罪のない間違い」という、「憎む」対象とは程遠いイメージが入ってきます。

 学問の府の中では「絶対にしてはならない、截然と一線を画すべきもの」という教育をしても、世間一般の、下手をしたらマジョリティのイメージとしては、そうではありません。学生が家に帰ったらお父さんお母さんお爺ちゃんお婆ちゃんが、そう思っていない可能性があるのです。晩御飯を食べながら、「小保方さんは可哀想にねえ。純粋ないい人なのに」と話題にしているかもしれないわけです。

 それが、こわい。教育を施す側からしたら。


 さきほど、「小保方さん」への嫌悪、という言い方をしたのは何故か。「行為」だけでなくカギカッコつきの「存在」まで広げて嫌悪するような言い方をしたのは何故か。

 それはわたしからみて、「小保方さん」とは既に「一個人ではない社会現象」だからです。認定された不正の事実」にとどまらず、その後2年たってもまだ再燃し続ける、「無実を訴えるご本人の言い訳自己正当化のデマゴーグと、それを擁護しデマを流し続ける集団のパトス(情念)の集合体」という奇妙なモンスターになっているからでしょう。

 その集団のパトスが、下手をしたら自分のごく身近なところにも入り込んでいるかもしれない。

 例えばそうした人びととそれと知らずに一緒に仕事をする羽目になるとしたら。
 わたしは、過去に心理学セミナーにかぶれた人びとと仕事をした経験を思い出し、底知れぬ恐ろしさをおぼえます。

 
 健全に「不正への嫌悪」を共有できる人とだけお仕事できたらいいですが。同じ倫理観を共有し、過剰に疑心暗鬼に陥ることなく、性悪説を前提とすることなく、サクサクストレスフリーでお仕事できると思いますが。


 榎木英介氏『嘘と絶望の生命科学』(文春新書、2014年7月)には、「ピペド(奴)」という言葉が出てきます。将来への見通しも立たず、ひたすら毎日ピペットを振り続ける若手研究者の日常。その彼ら・彼女らにとって、下手をしたら「不正」の甘い囁きは魅力的です。


 「小保方さん」――「晴子さん」といったほうがいいのだろうか――は、こうしてわたしたちの日常に奇妙に影を投げかけ続けます。


「余話」を結局シリーズ化しました

◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(1)二つの原風景の話

>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51938782.html

◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(2)『あの日』に至るまでのわたしの流れは

>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51939260.html

◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(3)じゃあなんで書きはじめたのか―科学者・科学ライターの「言葉」の限界

>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51939319.html

◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(4)「研究不正」した人が「アイドル」という現象が社会にもたらすもの

>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51939444.html
 
◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(5)「捏造」と「データ不在」のオンパレード――やっぱり基本情報”判決”を読んでみよう

>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51939558.html


◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(6)アリストテレス曰く、不正は嫌悪するのが正しい

>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51939831.html

『アリストテレス「二コマコス倫理学」を読む――幸福とは何か』(菅豊彦、勁草書房、2016年2月)読書日記の後半です。

 前回は第一章「幸福(エウダイモニア)とは何か」第二章「人はどのようにして徳ある人へ成長するか」を丁寧にみてきました。

 今回は残りの章、第三章「性格の徳と思慮の関係」、第四章「徳とアクラシア(無抑制状態)」、第五章「友愛について」、第六章「観想と実践」を取り上げます。

*********************************************

第三章 性格の徳と思慮との関係

●アリストテレスはプラトンの超越的な「善のイデア」を退け、「エンドクサ」、すなわち「人びとが抱いている定評ある見解」を吟味することを通して「幸福」ならびに「徳」の概念を考察している。このアリストテレスの立場を「内在主義」と呼び、この立場を明らかにするために、「ノイラートの船」という比喩を導入することにしよう。(p.83)

●ウィーン学団の指導者オットー・ノイラート(1882−1945)は、「知識の体系」を大海原で修理を必要とする船に喩え、「われわれは自分たちの船をいったんドックに入れて解体し、最上の部品を用いて新たに建造することはできず、海上でそれを改造しなければならない船乗りのようなものである」と述べている。われわれは「知」のゆるやかな体系を、それに頼りながら少しずつ改良していくことはできる。しかし、それから離れて概念化されていない実在との比較をおこなうことは不可能である。デカルト以来、近世哲学が求めてきた「知の普遍的な基礎づけ」は大きな幻想であったと言うことができる。(pp.83-84)

●「エンドクサ」の吟味を通して「幸福」を追求するアリストテレスは、過去から受け継いできた「徳の価値空間」という「ノイラートの船」に乗っており、倫理的価値(徳)を「内在的に」追求している。(p.84)
 
●20世紀後半以降の『ニコマコス倫理学』研究においては、カントと同様な意味で道徳判断の普遍性を主張する解釈が数多く見られる。この解釈を「普遍主義」と呼ぶとすれば、この普遍主義に対して、私は行為を問題にする場合普遍性は成り立ちがたく、具体的な状況を考慮する「個別主義」、「内在主義」が『ニコマコス倫理学』の思想を正しく捉える道だと考える。(同)

――アリストテレスは「個別主義」「内在主義」の人だったんだ。「個別化」のわたしと似た人だったかもしれないな^^(こらこら)

「性格の徳(エーティーケー・アレテー)」「思慮(プロネーシス)」との関係を正しく理解することが重要である。「勇気」、「節制」、「正義」といった「性格の徳」はよく知られているが、そのような「性格の徳」を示す行為を遂行する場合、そこに必ず「思慮」が働いているとアリストテレスは主張する。そこでまず、「思慮」の機能を把握する必要があるが、「思慮」の概念は『ニコマコス倫理学』の中心概念のひとつであって複雑であり、しかも20世紀後半以降の研究においては普遍主義的な捉え方が支配的であることから、アリストテレスの「思慮」の概念は歪められてきているように思われる。(pp.84-85)

――おっ、野中郁次郎氏のいう「フロネシス(賢慮)」が出てきました。ところが、おやおや、20世紀後半以降の研究でアリストテレスの「思慮」の概念は歪められてきているというではありませんか。要注目です

●本書第三章第1節では、カントの「定言的命法」とアリストテレスの「思慮ある人の実践的推論」を対比し、従来なされてきた「思慮」ならびに「実践的推論」の解釈を批判し、アリストテレスの「思慮」がカントの「理性」とはその機能を大きく異にしていることを明らかにしたい。この作業を通してはじめて『ニコマコス倫理学』の中心概念である「性格の徳」と「思慮」の正しい姿が捉えれらると考えている。(p.85)

――はい先生、異存ございません。
ちなみに「性格の徳」と「思慮」の関係ということでいうと、わたしは従来から「強み」「価値観」などはいわばその人のパラダイムや認知バイアスとして働き、その人の思考能力に大きく影響を与えると考えてきました。哲学者の書いたものを読むとその人の強みが透けてみえるようにも思います。カント先生などは規律性か公平性ですね、わたしからみて。

●人間の場合、振る舞いとそれが目指す目的の関係は、動物の場合のように直接的ではなく、時間的にも、空間的にも遠く広がっていき、その目的もさまざまな視点からそれを捉えることができる。もちろん、それは人間に言語を介した思考能力があるためである。(p.869

●人間の振る舞いとその目的とを関係づけるのが、アリストテレスが「思案(boueusis)」と呼ぶ働きであり、それを通して行為「選択(proairesis)」が成立する。この行為「選択」に向けての「思案」の作用を実践的推論と呼ぶとすれば、アリストテレスはこの推論に、演繹的推論の場合と同じ「シュロギスモス(syogismos)、三段論法」(第六章第一二章、1144a31)という言葉を使っている。また実践的推論を妥当な演繹的結論を導くものであるかのように語っている箇所もあり、他方それ以外のタイプの実践的推論の事例を挙げて論じている箇所もある。(pp.86-87)

●まず、アリストテレス自身が「思慮」をどのように捉えているか、それを確認しておこう。アリストテレスは次のように述べている。
 “「思慮(プロネーシス)」については、われわれがどのような人を「思慮ある人(プロニモス)」と呼んでいるかを考察することによって、把握することができるだろう。
 思慮ある人の特徴は、自分自身にとって善いもの、役に立つものについて正しく思案をめぐらしうることであり、それも、特殊なこと、たとえば、健康のために、あるいは体力をつけるためには、どのようなものが善いものなのかといった仕方で部分的に考えるのではなくて、まさに「よく生きること(エウ・ゼーン)」全体のためには、いかなることが善いかを考えることである。このことの証拠は、われわれが「思慮ある人」と呼ぶのは、その人が技術のかかわらない領域において、何らかの立派な目的のために分別を正しくめぐらす場合である、という事実である。したがって、人生の全般にわたって思案する能力を備えた者が、思慮ある人ということになる。(第六巻第五章、1140a24-30)(pp.87-88)

●この箇所で、第一に、「思慮」は医術や大工術といった技術知のかかわらない領域において、「よく生きること全体のために、何が善いか」を思案する能力として捉えられている。第二に、アリストテレスは「思慮」の概念を「思慮ある人」の概念を通して捉えているが、「思慮ある人」はつねに具体的文脈のなかで状況を正しく捉え、行為する人物である。私は、これが「思慮」、「思慮ある人」の最も基本的な特性であると考える。(pp.88-89)

●それに対して、実践的推論を「規範―事例」型の推論と捉える人びとは、上に示した「思慮」の概念とは異なる把握を示している。彼らは、実践的推論の大前提を、具体的な文脈から独立に「思慮」を通して捉えられる普遍的道徳判断として把握し、小前提はその大前提の具体的な適用事例として捉えている。それゆえ、実践的推論は演繹的推論に類似した推論になってくる。(p.89)

●以下、実践的推論を「規範―事例」型の推論と捉えるのは誤りであることを明らかにし、それに代わる解釈を「思慮ある人の実践的推論」として提示したい。
 演繹的推論の例:
  大前提 すべての動物は死ぬ。
  小前提 すべての人間は動物である。
  結論  すべての人間は死ぬ。
 「すべての動物は死ぬ」という大前提命題は小前提からまったく独立に主張できる普遍的命題、つまり全称的判断である。また前提と結論のあいだの必然的な関係はそこに登場する「動物」や「人間」といった概念内容には依存しない。純粋に形式的な関係である。
 実践的推論の例
「友人を助ける行為は善き行為である」といった道徳判断はどのような場合にも成立する「普遍的判断」にはなりえない。というのは、この判断は、友人が困っている「ある状況において」はじめて成立する判断だからである。友人が困っていても、別の状況においては、友人を助ける行為よりもより優先すべき行為が考えられるからである。そこに、具体的な状況においてのみ真偽が問題になる実践的判断の特徴がある。(pp.90-91)

――フロネシスの例が出てきました。なるほど、野中氏は経営者の備えるべき徳としてフロネシスを言っていますが、わたしはむしろ上記の例は、ミンツバーグ的なマネジャーの状況判断に当てはまるもののように思えます。もちろんそれの延長線上に経営者がいます

●どうして現代の研究者たちは「規範―事例」型の推論をアリストテレスと結びつけるのであろうか。その大きな理由は、「規範―事例」型の説明が行為の正当化に端的に繋がっており、また次の第四章で取り上げるように、アリストテレス自身が、第七巻第三章において、実践的推論を「規範―事例」型の推論のように提示していることによっている。アリストテレスの「実践的推論」についての見解は必ずしも一貫していないのである。しかし私は本章において、第六巻第五章以下で展開される「思慮の働き」の視点から「実践的推論」の特徴を取り出し、それが「実践的推論」の正しい構造であると主張したい。(p.91)

●カントの定言的命法(道徳法則)およびカントとアリストテレスの見解の類似点と相違点。
 アリストテレスの倫理学においては、「思慮ある人」、「徳ある人」がその中心を演じている。「正しい行為」とは、思慮ある人が具体的な状況に直面した場合、その状況を把握し実行する行為である。「行為の正しさ」の基準は思慮ある人にある。他方、近世のカントにとって、「正しい行為」を考える場合、「思慮ある人」、「徳ある人」が介在する余地はない。「正しい行為」は「正しい行為の原則」から、つまり「定言的命法」から導出されることになる。
ところで先に述べたように、「規範―事例」型の推論解釈では、大前提には、具体的文脈から独立に捉えられる「普遍的な道徳判断」が掲げられ、小前提はこの大前提の具体的な適用事例とされて、結論の行為の導出が説明されている。しかし、この説明の中には「思慮ある人」も登場しないし、「思慮ある人」がその能力を発揮する具体的文脈への言及もない。
カント倫理学は近世思想を代表するものであり、この新しい時代の思想には「徳ある人」「思慮ある人」に代わって「正しい行為の原則」が登場する。しかし、アリストテレス倫理学がこのカント的思想を介して解釈されるならば、「徳倫理学」のもつ真の意義は歪められてしまうことになると私は考える(pp.92-93)。

p.94 カントの「定言的命法」−省略。

●アリストテレスも、カントと同様に道徳的行為に関して、「ここで何を為すべきか」は客観的に決まっており、そこに真偽の問題が成立すると考える。すなわち、道徳判断は行為者の先行する意志に依存する条件的命法ではなく、定言的命法であると考えているのである。アリストテレスはそれを次のように述べている。
 “思考の働きにおける肯定と否定にあたるものは、欲求の働きにおける追求と忌避である。また、性格の徳は選択にかかわる性向であり、選択は思案に基づく欲求であるから、選択がすぐれたものであるためには、道理(ロゴス)は真なるものであり、欲求は正しいものでなければならず、道理が肯定するものを欲求は追求しなければならない。
 ……行為にかかわる思考的なものの機能(エルゴン)とは正しい欲求に一致している真理を捉えることにある。(第六巻第二章、1139a21-31)
 この最後の文章において、アリストテレスは、思慮の機能は具体的な状況で「正しい欲求」が何かを把握することであり、それが「真理」を捉えることであると主張している。(pp.95-96)

●では、「正しい欲求に一致している真理」とはどのようにして捉えられるのだろうか。
「優れて善き人(スプウダイオス)」という言葉は『ニコマコス倫理学』で最も頻繁に登場する表現であり、それに次いで「思慮ある人(プロニモス)」という言葉が多く用いられている。またアリストテレスがこの両表現をほぼ同義の表現として使っていることは広く認められる。(p.96)

●“実際、優れて善き人(スプウダイオス)がそれぞれのものごとを正しく判定するのであり、それぞれの場面において彼にとっては、まさに真実が見えているのである。……優れて善き人はそれぞれの場面で真実を見ることにかけて、おそらく最も卓越しており、そうした美しさや快さを判定する尺度であり、基準なのである。(第三巻第四章、1113a29-33)
(p.97)

●「優れて善き人」、つまり「思慮ある人」が、個々の具体的な行為の文脈において捉える判断が、「行為の正しさ」の基準であり、「思慮」を示す「中庸の判断」であり、それが「正しい欲求に一致している真理」であるとされるのである。
 このように、思慮ある人はその推論において具体的な状況を重視し、文脈から独立な「普遍的規範」を機械的に個別的事例に適用するようなことはない。したがって、アリストテレスが実践的推論で「規範―事例」型の推論を考えていたという根拠は乏しいように思われる。(p.97)

――このあたり著者独自の見解を述べていると思われますがおそらくこちらが正しいのでしょう。やはり哲学者、あるいは哲学研究者というのはわたしからみてちょっとASD的な人が多く、ある法則を演繹的に杓子定規に当てはめるやり方に魅入られやすいのだと思います。たぶんその人たちはカントとも親和性が高いです(こらこら)

●『ニコマコス倫理学』において、まず強調したいのは、「大前提における道徳判断はつねに小前提との関係において成立する」ということである。しかもその場合、「規範―事例」型の解釈とはまったく逆に、アリストテレスは、実践的推論の出発点が「普遍的な規範命題」ではなく、具体的な状況についての知覚であると語っている。すなわち、アリストテレスの「思慮」はカントの「理性」とは異なり、「小前提における具体的な状況を把握する知覚能力であるとともに、大前提における目的に関わる思考能力」なのである(第六巻第八章1142a23-30、第六巻第九章、1142b32-33参照)。(p.98)

●行為者は直面する具体的な状況を知覚することを通して、「ここで何をすべきか」を把握する。具体例を挙げると:
 ある人物(思慮ある人)が以前から楽しみにしていたパーティに出かけようとしているところに、突然、友人が悩みを抱えて訪ねてくる。そこで、その人物はただちにパーティをキャンセルして、友人の悩みを聞き友人を慰めようと決心する。(pp.98-99)

●このエピソードにかかわる「実践的推論の構造」を次のようにまとめることができる。
(1)小前提とは、ある状況に遭遇した行為者が、その状況のうち彼が対応すべき最も突出した事実(the salient fact)として立ち現われてくるアスペクトを記録したものである。(「何が突出した事実のアスペクトであるか」は行為者の「性格」、「人柄」と相関的である。)
(2)また、この小前提(として記述される出来事)はそれにかかわる人生における様々な「価値」や「理念」を活性化するが、それが大前提として捉えられる。すなわち、「いかに生きるべきか」について行為者が抱く価値観が、その状況下で、彼に立ち現われているアスペクトを小前提として最も突出したものたらしめるが、その価値観が行為の理由のかたちで大前提として立てられ、具体的な行為を導くのである。
 これが「思慮ある人」が具体的な状況において遂行する「実践的推論の構造」であると私は考える。(p.99)

――おもしろいですね。わたし的にいえば「友達を大事にする」という「価値観」ですが、それが状況に応じて「大前提」になっていると考える。文脈を表面的にみれば「大前提」は「パーティに行く予定」とか「パーティを楽しみにしていた」のようにみえるのですが、「悩みを抱えた友人が訪ねてきた」という事態に応じて、大前提は全然違うものになってしまうというのです。しかし、こういうのは行為者自身も「あとづけ」でしか説明できないでしょうけれどね・・・。
何かに使えないかな、と思いました。

●「なぜキャンセルするのか?」という問いが投げかけられる。それに対して行為者は「友人が悩みを抱えて訪ねてきたのだ」と答える。その場合、相手はさらに「そうだとしても、どうして楽しみにしていたパーティまでもキャンセルするのか?」と尋ねるかもしれない。その問いに対して、行為者はさらに「行為の理由」を挙げて説明するであろう。
 為された行為に対して「なぜ?」という問いが立てられ、それに対して「行為の理由」を挙げて答える。このように、行為にはその「行為の理由」「行為の秩序」があり、それを示すことがアリストテレスの実践的推論の目的であったと思われる。(pp.100-101)

――たしかに、突発的な事態に対してマネジャーが意思決定を行う、選択を行う、というとき、上述のような「大前提のすりかわり」は日常的に起きているかもしれないですね。「クレーム対応」などはそうですね。

●実践的推論は二通りに分類されていた。すなわち、^綵僂簑膵術といった技術知がかかわる推論、つまり目的を前提して、その目的をめざす手段の選択が問題となる推論と、◆峪徇犬△訖諭廚かかわる、「善く生きること」全体のために、「ここで何をすべきか」にかかわる推論とである。
 普遍主義的解釈が取る「規範―事例」型の推論は、後者の実践的推論をあまりにも演繹的推論に同化してしまっていると私は考える。(p.101)

――それは、ASD系の人ならやりそうです。ビジネススクールで教えるロジカルシンキングもそのきらいがありますね。

●勇気、節制、正義といった徳の行為が成立するための条件が下記の文章に3つ述べられている。
”徳に基づいてなされる行為は(芸術作品の場合と異なり)、それが特定のあり方を持っているとしても(それだけで)、正しく行われるとか、節制ある仕方で行われることにはならないのであって、行為者自身がある一定の性向を備えて行為することもまた、まさに正しい行為や節制ある行為の条件なのである。すなわち、第一に、行為者は行っている行為を知っているということ、第二に、その行為を選択し、しかもその行為自身のゆえにそれを選択するということ、第三に、行為者は確固としたゆるぎない状態で行為しているということ、これら三つの条件が満たされなければならないのである。(第二巻第四章、1105a28-33)(pp.103-104)

●ここでは、第二の条件と第三の条件に注目したい。「行為者はその行為を選択し、しかもその行為自身のゆえにそれを選択する」という第二の条件は、「いま、この状況で為されるべき最も善き行為」の「選択(proairesis)」であると言える。この働きがまさに「思慮」の働きなのである。また第三の条件として「行為者は確固としたゆるぎない状態で行為する」とは、行為者が「節制」、「勇気」、「正義」等々の徳の教育、訓練、経験を通して、そのような「性格の徳」がしっかり身についているということを示している。『ニコマコス倫理学』第二巻の狙いは、子供を節制、勇気、正義等の「徳の空間」、つまり「倫理的価値の空間」へと導き入れることにある。その結果、子供は、動物のような「非理性的性向」を脱し、正しい行為のかたちを学んで行くことになる。(p.104)

●子供は「カロン(美しい・立派な)」といった言葉、あるいは「アイスクネー(みにくい、恥ずかしい)」といった言葉を対象や行為に適用する仕方を学び、「美しい、立派な」「みにくい、恥ずべき」といった事態を徐々に了解できるようになっていく。その結果、「美しい、立派な」行為へと動機づけられ、「恥ずべき」行為を避けるようになる。したがって、どのような現象や行為を「カロン(美しい)」と捉えるかに習熟していくことは「思慮」の能力と密接に結びついており、「思慮」の機能の成立は情念や欲求の訓練と切り離すことはできない。(pp.104-105)

――「美しい、みにくい」という価値づけによる正しい行為の教育。こうあるべきだなあ、と思いながら、現代はどれほどそこから離れてしまっただろうか?とも思う。武士道教育などはそれに近かったのだろうか。学校のいじめについて、「絶対あってはならない」という立場と、「必要悪。無菌状態で教育することはできないのだから、慣れて適応すべき」という立場があると思う。前者に立たなければいじめは根絶できないのだが、現実には親もそして先生も、後者の「本音」をやっているのではないだろうか?
 いずれにせよ、この一節が妙にこころに響いてしまうのは、わたしがどうしようもなく「教育的人間」だからかもしれない

●普遍主義的解釈は、「思慮」を情念や欲求から独立なカント的「理性」能力として捉える傾向があるが、われわれは逆に「性格の徳」のみならず、「思慮」の能力も、人間の自然的な欲求や情念を陶冶することによって「第二の自然」として成立すると考える。(p.105)

●“人間の機能(ergon)は「思慮」および「性格の徳」に基づいて成し遂げられる。なぜなら、(性格の)徳は目標(ton skopon)を正しいものにするのであり、「思慮」はその目標へと至るものごと(ta pros touton)を正しいものにするからである(第六巻第一二章、1144a6-9)
(p.106)

●先に述べたように、「徳とは知である」とするソクラテスは「性格の徳」と「思慮」を同一視するが、普遍主義を取る人びともソクラテスと同様に考える傾向がある。しかし、「性格の徳」と「思慮」は区別しなければならない。「性格の徳」は「思慮」と結びつくことによってこの世界にかかわるのであり、逆に「思慮」は「性格の徳」と結びつくことによって、「ひと」に宿った「正しい目標」にかかわることになる。すなわち、「性格の徳」とは「思慮」をそなえた「魂の性向」なのである。(p.107)

――今更ですがビジネススクール的ロジカルシンキングがそれ単独で「正しく考える方法」を教えてくれるわけではないんですよね。いわば「正しい価値観」がその大前提にないといけない。ということをアリストテレス先生が言ってくださっているようで、うれしかったです。

第四章 徳とアクラシア

●『ニコマコス倫理学』第七巻では「アクラシア」を取り上げている。ギリシア語の’akrasia’の’a’は否定を示し、’krasia’とは’kratos’、つまり「力」という意味であって、「アクラシア(akrasia)」とは「力のないこと」、「力をもって自己自身をコントロールできない状態」。「無抑制の状態」を意味する。(p.109)

●ソクラテスは対話篇『プロタゴラス』(352C-)において、知識は他の諸能力を宰領してひとを善き行為に導いていく最高・最強の力であり、「善と知って行わず、悪と知りつつ行うことはあり得ない」と主張する。(略)しかし、このソクラテスの見解はパラドクスであり、常識と明らかに矛盾する。われわれは知識をもちながら、欲望に支配されて為すべきではないことを行い、後になって後悔することが多い。(p.110)

●アリストテレスは、ソクラテスの理性主義を受け継いでおり、この立場に立って現実のアクラシア現象を説明し、パラドクスを解こうとする。しかし、第七巻で目指しているのはむしろパラドクスを解くことを通して、「徳」と「幸福」の関係を別の視点から明らかにしようとしている。(pp.110-111)

●第七巻の「アクラシア」の議論は「徳へ向けての途上の状態」とはどのような状態であるかを解明している。それは「無抑制」と「抑制」の状態であり、われわれ人間のほとんどはこの状態にあるといえる。したがって、「無抑制な人」は「抑制ある人」とどのように異なり、「抑制ある人」は「徳ある人(思慮ある人)」とどのように異なるかを明らかにすることは、われわれはどのようにして幸福に至るか、その道筋を示すことになる。(p.111)

●アリストテレスは、アクラシア(無抑制)」を次のように説明する。われわれは普遍的知識を「所有」していても、具体的な行為に直面した場合、欲望に支配されて、酩酊の人物と同じ状態になってしまい、その知識を「使用」できず、正しい行為ができなくなり、アクラシア状態が生じてくる、と。
 ソクラテスの「アクラシア(無抑制)の否定」に対して、アリストテレスはこのように知識の「所有」と「使用」、あるいは「普遍的な知識」と「個別的な知識」といった概念の意味の区別を通して、知識をもちながらアクラシアが成立することを説明しているのである。これはアクラシアの「ロギコース(logikōs、概念的)」な説明と言える。(p.113)

●他方、アクラシアが生じる原因をピュシコース(phusikōs、自然学的)に見定めることができる。
 ピュシコースな説明とは、簡単に言えば、行為者の「思いなし」と「行為」との間の「因果的な関係」の考察である。(p.114)
例:“もし甘いものはすべて味わうべきであり、いま個別的なこのものが甘いとすれば、その場合、行為する能力をもっており、かつ行為が妨げられることのないような人は、同時にまたこの特定の甘いものを味わう行為をすることは必然である。(第七巻第三章、1147a29-31)(同)

●次にアクラシア(無抑制)という事態がどのようにして成立するかの説明。
ここに「すべての甘いものは健康に悪い」と「すべての甘いものは快い」というふたつの大前提が存在する。前者は道理(ロゴス)が告げるものであり後者は欲望が告げる普遍的な思いなしである。そして目の前に「甘いものがある」という事態が成立している場合、アクラシアに陥る人は、「すべての甘いものは健康に悪い」という普遍的な知識を所有してはいるが、目の前の「甘いもの」に対する欲望が力ずくで「甘いものを食べる」という行為に引っ張っていき、アクラシアの行為が生じることになる。
 一方、「節制ある人(ソープローン)」つまり「徳ある人」の推論と行為では、欲望は関与しない。道理(ロゴス)に基づく推論「すべての甘いものは健康に悪い」に従い、目の前の甘いものにたいして「これは健康に悪い」と判断し、食べない。
 このように、道理(ロゴス)が占める大前提と欲望が示す大前提との対立葛藤が存在し、無抑制な人(アクラテース)は甘い食べ物を食べてしまい、後で後悔することになる。「アクラシア」という事態がどうして生起するのかに関する、ピュシコースな(自然学的な)説明として多くの人びとが取っている解釈は、以上のようなものである。(pp.116-117)

●行為とは、「何かを目指す行為」であると同時に、必ずまた「誰かの行為」である。それゆえ、アリストテレスの徳倫理学はこの行為の主体をめぐって展開する。(p.120)

●アリストテレスは、ここで、徳ある人(思慮ある人)とそれ以外の人びととの根本的な相違を強調している。それ以外の人びととは、無抑制な人と抑制ある人、ならびに放埓な人(akolastos)、つまり悪徳に支配されている人物である。(同)

●実践的推論において、徳ある人(思慮ある人)は直面する「個別的な事柄」を知覚することを通して「何を為すべきか」を導出する。その場合、徳ある人(思慮ある人)が示す「思慮」とは、「ある状況が含む行為誘導的諸特徴(the potentially action-inviting features of a situation)」のどれがここで重要なのかを見抜く能力である。
 すなわち、「思慮」がかかわる実践的推論の場合、アリストテレスの見解は「欲求(意志)」を「信念(知覚)」から独立に捉えるヒュームの二元論的な考え方とは根本的に異なっている。アリストテレスにとって、思慮とは「ある状況が含む行為誘導的諸特徴」のどれがここで重要なのかを見抜く知覚能力であり、この知覚を通して「何を為すべきか」が導かれる。それゆえ、行為が帰結するために、この思慮以外のものは何ら必要とはしないのである。(pp.120-121)

●「無抑制の人」と「徳ある人(思慮ある人)」との区別、さらに「抑制ある人」と「徳ある人(思慮ある人)との区別を明らかにしよう。
 少し前の「悩みを抱えた友人が訪ねてきたので楽しみにしていたパーティをキャンセルした人」の話。
 徳ある人(思慮ある人)は当の状況の特性を十全に把握し行動するが、抑制ある人と無抑制な人は徳が要求している以外の特性(パーティがもたらす喜び)に魅せられ、駆られる人である。したがって、彼らは直面する状況の意味を十全に捉え切っていないと言える。(pp.121-123)

●徳ある人(思慮ある人)は「ある状況が含む行為誘導的諸特徴」のうちのしかるべき特性を注目し、彼の「動機的エネルギー」はその特性に集中し、それ以外の特性に惹かれることはない。たとえば、悩みを抱えて訪ねてきた友人を知覚する場合ただちにパーティをキャンセルして友人の悩みを聞くのであり、彼が行為する以外の可能性(たとえば、パーティに行くという行為)は彼に生じることはない。その状況の知覚はそれ以外の行為の可能性を「沈黙させる(silencing)」と言える。(p.123)

●それに対して、無抑制な人は徳ある人(思慮ある人)とは異なり、「友人の悩みを聞くべきである」と思いながら、「パーティでの喜び」に惹かれて、パーティに出席してしまう人である。なお、第七巻第七章において、アリストテレスは「無抑制」を「性急さ(プロペティア)の無抑制」と「弱さ(アステネイア)の無抑制」に区別している(1150b19)。(pp.123-124)

●他方、抑制ある人は、徳ある人(思慮ある人)と同じ振る舞い(パーティをキャンセルして友人の悩みを聞く)をする。しかし抑制ある人と徳ある人(節制ある人)は異なる。
 “抑制ある人とは身体的な快楽のゆえに道理に反して何かをするということを決してしない人であり、節制ある人も同じである。しかし、抑制ある人の方は低劣な欲望をもっているのに対して、節制ある人はそのような欲望をもたない人である。また節制ある人は道理に反しては快楽を感じない性質の人であるが、抑制ある人の方はそのような快楽を感じても、それに導かれない性質の人である。(第七巻第九章、1151b34-1152a3)(pp.124-125)

――むずかしくなってきた……。甘いものの例でいえばわたしはアカラシア(無抑制)の人に入るかも。悩みを抱えた友人の件は、もちろん善意の友人だという前提があるのだと思う。この件に関しては「抑制ある人」になれるかな、という気がする。後ろ髪くらいは引かれそうな気がする。

●この考察にとって重要なのは、「徳ある人」、つまり「思慮ある人」の把握である。徳倫理学にとって、「思慮ある人」は具体的な状況に直面したときにその状況を正しく捉え、行為する人である。……アリストテレスはアクラシアをめぐる考察を通して「徳に向けての途上にある」とは具体的にはどのような状態なのかを示し、それによって「人は徳を習得することによって幸福に至りうる」という道徳的発達論を補強しているのである。(p.126)

――こういう文章を読むのがわたし的に何に役立つのかというと……、「強み」の学習などによって、「自分のパラダイム」に気づいてもらい、たとえばその人の何かの強みが「欲望」になり得、「煩悩」とよべるレベルにまでなり、その人に不利益をもたらしている可能性を考えてもらう。というところかな。

――「中庸」の概念も一緒に学べるとよいですね
よくあるのが、「承認」を学んだ人が、「自我(強い承認欲求につながる強み)」がガーッと亢進しやすいです。それはなかなか厄介な状態で、なんとか防止しやすいのですが、事前に釘をさしてもたぶん理解できなくて、フォローアップの中で治すしかないのでしょう。
フォローアップ大事です。

第五章 友愛について

●『ニコマコス倫理学』では第八巻と第九巻の二巻、つまり全体の五分の一が「フィリア」論に当てられ、アリストテレスがいかに「フィリア」を重要視していたかが窺える。「フィリア」は普通、「友愛」と訳されるが、日本語の「友愛」や英語の”friendship”よりも広い関係であり、そこには親と子、主人と奴隷、客と店員、支配者と国民といった関係が含まれ、それを通して「社会的な人間関係」が追求されている。(p.127)

――「フィリア」と「承認」の関係もみてみたいですね

●『ニコマコス倫理学』の第七巻まで、アリストテレスは自己のエウダイモニア(幸福)を実現する「勇気」、「節制」、「温和」、「高邁」といった「徳」を考察しており、第八巻、第九巻の「フィリア」の考察は、「性格の徳」から「社会的な人間関係」のような目的―手段の関係においてつねに目的であって決して手段にはならないもの、つまり「究極的な善きもの」が存在する。しかも、この「究極的な善きもの」を何と呼ぶかに関して人びとは一致しており、それを「エウダイモニア」と呼んでいるへと、すなわち『政治学』の主題へ向けて一歩を踏み出していると言える。(p.128)

●愛されるもの(phiēton)が「有用なもの(xrēsimon)」、「快いもの(hēdu)」、「善きもの(agathon)」に分けられる。つまり「利」、「快」、「善」に応じて三種類の友愛が区別されている。
 三種類の友愛のうち相互に相手に「善きもの」を与えようとする友愛関係が「真の友愛」と呼ばれる。これは徳ある人同士の関係であり、この関係がアリストテレスの「友愛」論の核心部分を形成する。また「友愛が幸福の不可欠な条件である」という見解も述べている。(pp.128-129)

●「有用性」と「快楽」に基づく人間関係。
“有用性のゆえに互いに愛し合っている人びとは、相手の人自身に基づいて愛しているのではなく、相手からお互いに何か善いものがもたらされるかぎりにおいて愛しているのである。快楽のゆえに愛する人びとも同様であり、たとえば、そのような人びとは機知に富む人びとを、その人が特定の人柄であるから好むのではなく、もっぱら自分たちにとって愉快だから好むのである。(第八巻第三章、1156a10-14)

●これに対して、「善きもの」に関わる友愛関係はその性質を大きく異にしており、アリストテレスはそれを「完全な友愛」、「真の友愛」と名づけている。
“完全な友愛とは、徳に基づいて互いに似ている善き人びと同士のあいだの友愛である。なぜなら、完全な友愛にある人びとは、互いに相手にとって善いことを同じような仕方で望むが、それはお互い善き人として相手自身の善さに基づいたものだからである。すなわち、友人にとって善いものを、当の友人のために望む者は、真の意味での友人である。というのも、彼らがこのような態度をとるのは、彼ら自身のあり方のゆえであり、付帯的な仕方に(kata sumbebēkos)よるものではないからである。(第八巻第三章、1156b7-11)
 このように善き人びとのあいだの友愛は、善き人びと自身のあり方に基づいて、つまり徳に基づいて、お互いに相手のために善きものを願う関係である。またこの真の友愛は当然「有益なもの」と「快いもの」を含んでいる。(pp.130-131)

●ところで、「快楽」や「有用性」のゆえの友愛関係は、「善きもの」のゆえの友愛関係と同様、相互的である。しかし、前者の関係は低劣な人びと同士のあいだでも、また善き人と低劣な人とのあいだでも成立するが、他方、「善きもの」のゆえの友愛関係は、アリストテレスが「高潔な人(エピエイケースepieilēs)」と呼ぶ人びとのあいだにおいてのみ成立する関係である。(p.131)

●以上の友愛はいずれも「等しさ(イソテース)に基づく者同士」、つまり「上下関係にない者同士」の友愛関係である。しかし、第八巻第七章から第一四章において、アリストテレスは「優越性(ヒュペロケー)に基づく」友愛関係を取り上げている。それは、たとえば、親と子供、夫と妻、主人と奴隷など、「家族における友愛関係」であり、あるいは、支配者と被支配者といった「ポリスにおける友愛関係」である。この友愛関係の分析はアリストテレスが「家族」や「ポリス」をどのように捉えているかを知るうえで有益である。(p.131)

――ここは、研究者は重視していないみたいですが、わたしは「マネジメント」を考えるうえで大事だと思っています。上司部下関係というのは、部下側の「承認欠如」の感覚を容易に招くものです。だから、それを補う意味でも上司の側から「承認」をしないといけない。また実際やってもらうと驚くほど効果がある。ただそれは「徳ある人」同士の友愛または承認と異なり、自然にできるものではなく困難が伴います。だから訓練してでもやらないといけない。
 いつもいうように「研究者は自分のことを研究するのが好き」ですからね。

●「性格の徳」は個人の魂の卓越性であり、すべて個人の幸福を増進するものである。したがって、このアリストテレスの議論に対して「利己主義の傾向が強い」という批判がなされてきているが、この友愛の議論はその批判を考える上で重要な内容を示している。
アリストテレスの徳の教義をイエス・キリストの教え、あるいは近世のカントの定言的命法の主張、さらには功利主義の「最大幸福の原理」と比較するとき、上記の批判は一応成り立つように思われる。しかもアリストテレスによれば、「真の友愛」とは隣人の善を願い、相手のために振る舞うことであるが、この「真の友愛」の考察においても、彼は「友愛は自己愛に由来する」と主張し、「友愛」を「自己愛」の延長において捉えようとしているのである。

●しかし、アリストテレスの見解ははたして「利己主義」と言えるであろうか。アリストテレスの「真の友愛」についての見解は彼の「徳」についての見解に基づいているが、そこにアリストテレスの「友愛」論の特色が示されることになり、逆にこの友愛論において、彼の徳倫理学の真価が示されているとも言える。(p.133)

――これもおもしろいですね。徳を身につけ人格的完成をすることはそもそも何のためなのか。自分づくり、自分探しに埋没していたら何にもなりません。大事なのは他人に何を施すかです。アリストテレス先生そのことに後から気がついたのかな、それとも最初からそういう構成にしようと思っていたのかな。

●アリストテレスは第九巻第四章において、「隣人に対する友愛関係は自己自身に対する友愛に由来する」と語っている(1166a1-2)。「友愛」とは普通、「他者」に対する関係であるが、「自己自身に対する友愛」とは一体どのようなものであろうか。(p.133)

――他人を大切に思う心が自分への慈しみから発生する、というのは今の心理学、脳科学からみても間違いではないんじゃないだろうか。他人がこう扱われたいだろう、ということは自分の感覚から「類推」して考える。それはメタ認知のはたらきだ。

●アリストテレスはまず、「友人」つまり「友である者」の特徴(条件)を5つ挙げている。
〜韻發靴は善と思えるものを相手のために望み、かつそれを実行する者である。
∩蠎蠅存在し、生きることを相手のために望む者である。
ともに時を過ごす者である。
ち蠎蠅汎韻犬海箸らを選ぶ者である。
イ箸發鉾瓩靴漾△箸發亡遒崋圓任△襦
(pp.133-134)

●アリストテレスは人間の魂を「ロゴス(道理、分別)をもつ部分」と「ロゴスをもたない部分」に分けている。「ロゴスをもたない部分」とは「欲求・情念」が関わる部分であり、ちょうど、父親の言葉に従うように「ロゴスに耳を傾ける部分」として規定される。すなわち、しつけ、訓練を通して、われわれの「欲求・情念」には「ロゴス(理性)」の働きが浸透していくのであり、そこで欲求・情念を、「ロゴス(理性)」の働きが浸透しロゴスに支配されているものと、そうではないものに分けることができる。
 このようにわれわれの魂を二つに分けるならば、「高潔な人(エピエイケース)の自己自身に対する関係」と「低劣な人の自己自身に対する関係」ははっきり異なってくることになる。高潔な人の自己自身に対する関係は、ロゴス(理性)が欲求・情念を正しく支配する関係であり、他方それに対して、低劣な人とはそのロゴス(理性)が欲求をコントロールできない人であり、抑制のない人である。(pp.134-135)

●先に挙げた友人の条件のうち、,痢崛韻發靴は善と思えるものを相手のために望み、かつそれを実行する」ということが成立するためには、アリストテレスによれば、「善もしくは善と思えるものを自分のために望み、かつそれを実行する」ということが成立していなければならない。そうなると、真の友愛の条件はきわめてきびしいものになってくる。
 たとえば、母親の子供に対する愛は「真の友愛」には当たらない、それは相互関係ではないし、母親も子供も「徳ある人」には当たらない。このように、徳ある人が稀であるおうに、「真の友愛」関係はきわめて稀な関係になってくる。

――きたきた。これも、「自己実現」が、マズローの本来構想した意味は極めて限られた卓越した人のものだったように、哲学者の考えることは大体において、自分たち自身の話になっていくのだ。それでいうと母の子に対する愛を称揚したヘーゲルやホネットはむしろ「まとも」だったかもしれない。

●アリストテレスは「自己愛」をどのように捉えているのだろうか。
 第九巻第八章では、「ピラウトス(philautos)」という概念が取り上げられている。「ピラウトス」とは「愛(philia)」と「自己(autos)」から合成された言葉であり、「自己を愛する者」、「自己愛者」、「利己主義者」という意味である。アリストテレスは「ピラウトス」の通常の意味を次のように説明している。
 “自己愛(ピラウトス)を非難すべきものと考える人びとは、金銭や名誉、あるいは身体的快楽において自分により多くを配分する者のことを「自己愛者」と呼んでいる。というのも、多くの人びとはこうしたものを欲求し、またこうしたものを最も善きものと見なして、それらに夢中になっているからである。(第九巻第八章、1168b15-19)。
 このように、アリストテレスは、人びとは「自己愛者」という言葉を非難の意味を込めて使っていることを認めたうえで、真の意味での「自己愛者」という概念を新しく次のように規定する。
 “もし人がつねに、正しいことや節制あること、あるいはその他、徳に基づくことなら何であれ、そうしたことを誰にもましてみずからが行うことに熱心であり、また一般に、美しいものをつねに自分自身の身に備えようとするのであれば、だれもそのような人を「自己愛者」と呼んで、非難したりはしないはずである。こうした人こそ、むしろ優れて「自己を愛する者」と考えることもできよう。(第九巻第八章、1168b25-29)(pp.136-137)

●このように、アリストテレスは高潔な人(エピエイケース)、つまり徳ある人は誰よりも自己を愛する人であると主張し、この人物は非難されるたぐいの「自己愛者」とは別種のものであることを強調し、次のように述べている。
“この2つの種類の自己愛の相違は理性(ロゴス)に基づいて生きること、情念(パトス)に基づいて生きることの相違に対応し、また美しいもの(カロンなもの)を欲求することと、利益になる(シュンペロン)と思われるものを欲求することの相違に対応しているのである。(第九巻第八章、1169a4-6)
 ここで、われわれは真の意味での「自己愛者」が「カロンなもの(美しいもの)」を欲求する者として規定されていることに注目したい。このように、アリストテレスは真の「自己愛者」を規定するために「カロン(美しい)」の概念に訴えているのである。(p.138)

●アリストテレスは、常識的な意味で「自己の利益を最大にすることが幸福である」とは考えていない。すなわち、彼の「友愛論」は利己主義とは無縁であると言える。アリストテレスは、自己犠牲の行為を選択する人は「カロンなもの」を自己自身のために選ぶと述べており、「カロン(美しい)」という概念を価値を最終的に決めるキー概念として捉えている。(p.139)

●カロンの概念整理。
(1)「カロン(kalon)」は「美しい、見事な、立派なもの」という意味であり、その反対語は「アイスクロス(aischros)」、つまり「醜い、恥ずべき、卑劣なもの」である。『ニコマコス倫理学』の多くの箇所で、アリストテレスは「行為者は最終的に、自己が為そうとする行為をカロン(美しい、立派な)と認めるから行為するのだ」と述べている。すなわち、「カロン」という表現は「勇気」、「節制」、「親切」といった個々の「徳」の概念に並ぶ概念ではなく、具体的な状況において、そのような「性格の徳」の遂行をうながす働きをもっている。言い換えれば、勇気ある行為であれ、親切な行為であれ、それが徳ある振る舞いであるためには、それらの行為は「カロンな行為」として捉えられていると言えるのである。
(2)この「カロン(美しい、立派な)」の概念は、『ニコマコス倫理学』第五巻で論じられる「正義(デュカイオシュネー)」の概念と同じ機能を果たしていると言うことができる。アリストテレスは「正義」を「配分における公正」という意味での部分的な「正義」の概念と、「性格の徳」である「全体的な徳性(hole arēte)」としての「正義」に分けている。そしてこの後者の全体的な徳は「性格の徳」のひとつであるが、しかし、それはその他の個別的な徳とは異なり、すべての「性格の徳」を統括する徳であり、勇気ある振る舞いにせよ、節制ある振る舞いにせよ、それが徳ある振る舞いであるためには、「正義」の徳が成立していなければならないとされている。ここには、ソクラテスの「徳の一性」の思想が反映していると言える。
 このように、「カロン(美しい)」の概念は、「全体的な徳性」としての「正義」の概念とともに、最終的な価値の客観的基準を示す概念として捉えられている。(pp.139-141)

●幸福な人はまさに友人を必要としていると言える。アリストテレスは友愛の必要性を次のように述べている。
 “幸福な人にあらゆる善きものを分配しながら、外的善のうちでも最大のものと考えられる友を分配しないのは、奇妙なことに思われる。そして、相手からよくされるよりも、相手によくする方がいっそう友にふさわしく、しかも相手によくすることが、善き人と徳に固有の特徴であるとすれば、また見知らぬ人よりも友によくすることの方が美しい(カロン)とすれば、その場合、優れて善き人(スプウダイオス)は、自分のほどこす恩恵を身に受けてくれる人びとを必要とすることになるだろう。(第九巻第九章、1169b8-13)(p.142)

●次に、アリストテレスは、人間は本性的に「社会的存在(ポリティコン)」であり、どんな幸福な人も友人を必要とする」ことを指摘する。
 “あらゆるものを所有して、自分だけで過ごすといった孤独の生活を選ぶような人は、誰もいないはずである。なぜなら、人間は自然本性上ポリスを形成して他者とともに生きる存在だからである。事実、幸福な人にもこの自然本性は備わっている。というのも、幸福な人は自然本性上さまざまな善きものを備えており、彼にとっては見ず知らずの手当り次第の者たちよりも高潔な善き友とともに過ごすことの方がより善いからである。それゆえ、幸福な人には友人が必要なのである。(第九巻第九章、1169b17-22)(pp.142-143)

●「友が存在するということも、それぞれの人にとって、自己の存在と同じように、あるいはそれに近い仕方で、望ましいものであることになる」(第九巻第九章、1170b7-8)
「幸福になろうとする人は、優れた善き友人を必要とする、という結論が導かれることになる」(第九巻第九章、1170b18-19)(p.144)

●“人は自分の存在とともに、友人の存在もまた知覚しなければならないのであって、このことは「ともに生きる(シュゼーン)」こと、つまり言葉や思考を共有することにおいて実現されうるのである。というのも、「ともに生きる」とは、人間の場合、言葉や思考を共有するという意味で言われるのであって、牛たちが同じ放牧地で草をはむのとはわけが違うのである。(第九巻第九章1170b10-14)
 以上のように、アリストテレスは「友愛が幸福な生の本質的な要因である」ことを示している。(p.144)

●この「(真の)友愛が幸福な生の本質的な要因である」という命題は普遍的に成立すると言えるように思われる。すなわち、アリストテレスはこの議論を通して、「幸福な生」を形成する「友愛」が、またそれを支える「性格の徳(倫理的な徳)」が、「市民生活において政治的生」を生きる人びとだけではなく、観想活動、つまり「哲学的活動の生」を生きる人びとにとっても必要であると考えているように思われる。(p.145)

●アリストテレスは『ニコマコス倫理学』全体を通して「幸福とは何か」を追求しており、第一巻から第九巻までは、それを「実践活動」を中心に進めているが、最終巻の第一〇巻では、「実践」に対して「観想活動」の幸福を強調する議論を展開している。
 アリストテレスは第一巻第二章で、「人間にとって善とは何か」を体系的に追及する実践的学問を「政治学(ポリティケー)」と呼んでいる。他方、第一〇巻第七章では、「観想活動」を「知恵を愛する哲学の営み」(1177a25)と名づけているが、これはプラトンの『国家』第六巻に登場する哲人統治者の機能を受け継ぐものと言うことができる。(p.147)

●私も以下、アリストテレスに倣って「実践」にかかわる学を「政治学」、実践活動を遂行する者を「政治家」と呼ぶことにする。倫理学はこの実践の学に属する。他方、「観想」にかかわる学を「哲学」、観想活動を遂行する者を「哲学者」と呼ぼう。現代社会では、圧倒的多数の人びとにとっての実践活動は政治活動ではなく、経済活動である。しかし、古代ギリシアにおいて、人びとは経済活動を自由人に相応しい活動であると考えていなかった。そこに現代との大きな相違がある。(pp.147-148)

●第一巻第五章では、古代ギリシアで伝統的に捉えられてきた「幸福」として、「享楽の生」、「実践的な徳に基づく生」、「観想活動の生」の三種類の「生」を挙げていた。しかし「享楽の生」はいわば「快楽の奴隷」のごとき「家畜の生」として外され、「実践的な徳に基づく生」と「観想活動の生」の二つが「幸福な生」として提示される。
 第一〇巻では、「実践的な徳に基づく活動」と「観想的な徳に基づく活動」の「二つの生」はどのように捉えられているだろうか。アリストテレスは、最もすぐれた活動とは知性に基づく観想活動である(1177a19-20)と主張している。
アリストテレスはこの「観想活動の幸福」を「完全な幸福(teleia eudaimonia)(第一〇巻第七章、1177b24-25)と呼び、他方「実践的活動の幸福」を「第二義的な幸福(eudaimonia deuterōs)(第一〇巻第八章、1178a9)と呼んで、両者の価値の違いをはっきりしたかたちで示している。(p.149)

●アリストテレスは、『形而上学』第六巻や『ニコマコス倫理学』第六巻において、「人間の知識」の三つの働きの区別を強調している。
〕論的学問(テオーレーティケー)――第一哲学(神学)、数学、自然学
⊆汰的学問(プラクティケー)――倫理学、政治学
制作的学問(ポイエーティケー)――各種の制作学、たとえば詩学
 理論的学問は「他の仕方ではありえない必然的な事柄」にかかわる。すなわち、数学や形而上学のように永遠不動の事柄を対象とする。他方、実践的学問と制作的学問は「他の仕方でもありうる非必然的な事柄」にかかわるものとされる。すなわち、倫理学(エーティカ)を含む政治学と各種の制作学はこの世界においてわれわれが働きかける蓋然的な事柄を対象とする。(pp.150-151)

●「ヌース(知性)」
 永遠不動の必然的な事柄にかかわる知識である「ソピア(知恵)」を成り立たせている能力が「ヌース(知性)」であり、第一〇巻第七章、第八章では、アリストテレスはこの「ヌース」の働きを通して「観想活動」の特性を説明している。
 他方、「性格の徳」は「情念」や「欲求」といった「複合的なもの」にかかわる「人間的な徳」であるが、それに対して「ヌース(知性)」は、そのような「複合的なものから切り離された徳である」(第一〇巻第八章、1178a22)。したがって、アリストテレスにとって、この「ヌース(知性)」は人間の能力というより、まず至福である神々の能力であり、観想活動は何よりも神々の「観想活動」である。(pp.151-152)

「生きる(zēn)」「活动する(energein)」といった営みは植物、動物、人間、そして神々に共通するものである。他方、アリストテレスが強調しているのは、われわれ人間と神々の相違である。オリンポスの神々やユダヤ人の神ヤーヴェとは異なり、アリストテレスの神々は情念をもたず、それゆえ、情念を正しくコントロールする「性格の徳(エーティーケー・アレテー)」をもつことはない。すなわち、アリストテレスの神々にとっては、「正しい行為」も「勇気ある行為」もありえず、そもそも、「行為すること」も、「ものを作ること」もせず、したがって、神々は「実践的な徳に基づく活動」を行うことはない。神の活動は至福の上で比類のない観想活動である。
 他方、第一巻から第九巻の主題は「人間」であり、アリストテレスは「人間」をまず「欲求」と「情念」をもち、さらに「ロゴス(理性)」をもつ動物として把握する。それゆえ、人間は「性格の徳(エーティーケー・アレテー)」と「思慮(プロネーシス)」を遂行することを通して「幸福な生」を目指す存在として捉えられている。(p.153)

●神々の行為をモデルとする「観想的活動」は「それ自身以外のいかなる目的も目指さず、それ自身に固有な快楽をもっていると考えられ、……人間に可能なかぎりの自足性(autarkes)、ゆとり(sxolastikon)、疲れのなさ(atruton)、その他至福な人にあてがわれるかぎりの特性」(第一〇巻第七章、1177b18-23)をもっている。

●アリストテレスは観想活動について次のように語っている。
“こうした(観想活動の)生は、しかし、人間の次元を超えたものであるかもしれない。というのも、そのような生き方ができるのは、彼が人間としてではなく、彼のうちに何か神的なものが備わっているからである。……
(略)
 したがって、人間にとってもまた、知性に基づく生き方が、何よりも知性こそ人間自身にほかならない以上、最も善くかつ最も快い生き方なのである。それゆえ、知性に基づく生き方が、最も幸福な生き方なのである。(第一〇巻第七章、1177b26-1178a8)(pp.154-155)

●この印象深い箇所で、アリストテレスは「知性こそ人間自身にほかならない以上」という表現を通して、「人間=知性(ヌース)」という把握を示している。しかし同時に、第一巻から第九巻において、人間を「情念や欲求をもつ複合的存在」として捉え、「実践的な徳に基づく活動」の重要性を主張しているのであり、その点は第一〇巻においても明確に維持されている(第一〇巻第八章、1178a9-22)。このように、アリストテレスはアンビバレントな人間の状態を表現するとともに、しかし、人間は「できるかぎり自分を不死なものにすべきである」という理念を示していると言える。(p.154)


●アリストテレスの「徳の考察」(おさらい)
 “われわれは徳を「思考に関するもの」と「性格に関するもの」に分け、「知恵」、「理解力」、「思慮」を「思考の徳(ディアノエーティケー・アレテー)」と呼び、他方「気前のよさ」、「節制」を「性格の徳(エーティーケー・アレテー)」と呼んでいる。(第一巻第一三章、1103a4-7)

●アリストテレスは第二巻から第五巻までは「性格の徳(エーティーケー・アレテー)」の考察を行っているが、本書第二章で示したように、第二巻第六章で「性格の徳」を「中庸」と捉え、この「中庸」を「思慮ある人が中庸を規定するロゴス(道理)によって定められるもの」として捉えている。それゆえ、「中庸」を規定するためには、第六巻の「思考の徳(ディアノエーティーケー・アレテー)」の考察、とりわけ、「思慮(プロネーシス)」の概念の解明が必要になってくる。(p.157)

●ここで強調したいのは、第六巻において「思考の徳」を考察するにあたって、アリストテレスが「広い意味でのヌース(知性)」という概念を出発点においているということである。この「ヌース」は第一巻で「人間のエルゴン」を規定する場合に使われる「ロゴス(理性)」と同じ意味をもつ概念であると私は解釈する。この広義の「ヌース(知性)」は単に「理論的な知」だけではなく、「実践的な知」としても使われている(1139a18)。その後の第六巻第三章以下では、「ヌース」は観想にかかわる狭義の「ヌース」として規定され、第七章では、「ソピア(知恵)」と結びつき「最も貴重な諸存在」を対象とする「知」として、つまり観想活動を遂行する「知」として捉えられている。(pp.157-158)

●他方、行為にかかわる「知」は第六巻第五章以下で、「思慮(プロネーシス)」として規定され、「性格の徳」との関係がくわしく説明されている。それゆえ、広い意味での「ヌース(知性)」が、観想にかかわる狭義の「ヌース」と行為にかかわる「思慮(プロネーシス)」に分かれていったと見ることができる。(pp.157-158)

●アリストテレスがわれわれ人間を植物や動物から区別し、人間と神々とを区別しないのは、人間と神々が「ロゴス(理性)の能力」、「ヌース(知性)の能力」を共有しているということにある(ただ、その能力のあり方には大きな相違があるが)。
 人間と神々は「ヌース(知性)の能力」を共有している。これが『ニコマコス倫理学』において、「人間」を捉え、人間を神々と結びつける太い線である。しかし、人間は身体をもち、情念と欲求をもつ存在であって、純粋なかたちで「ヌース」の生を生きる神々と異なっている。すなわち人間にとって、善き生(エウダイモニア)のためには実践的な徳が不可欠である。そしてアリストテレスは、人間が観想活動の生を送るためにも、実践的な徳、つまり性格の徳と思慮が不可欠であると考えている。それゆえ、人間にとっては「観想活動の生」と「実践活動の生」は緊密に結びついていると言えるのである。(pp.159-160)

●われわれの解釈の重要なポイントは「人間の生(活)のいずれの善(善きもの)もその頂点に一つの最高目的(観想的な徳の遂行、性格的な徳の遂行)をもつ階層のうちに位置づけられる」ということにある。(p.164)

●われわれは観想者(哲学者)になるか、政治家になるか決断しなければならないが、いずれを選択するにせよ、必要となる重要な善きものがある。それはすなわち、正義、勇気、思慮、等々の徳である。これらの徳は、二つの生、つまり「観想活動の生」にとっては必要条件であり、「実践活動の生」にとってはその目的である。(p.165)

●しかし、アリストテレスはこの『ニコマコス倫理学』の講義を通して、聴講生に対して「観想活動の生を選ばなければならない」と主張してはいないように思われる。というのは、われわれが、第五章「友愛について」において紹介し、そこで強調したように、第九巻第八章で、アリストテレスは次のように語っているからである。
 “優れて善き人(スプウダイオス)に関して言えば、彼が友人や祖国のために多くの貢献を行い、必要な場合には、友人や祖国のために死さえ辞さないというのは真実である。なぜなら、優れて善き人はお金や名誉や、その他一般に争いの的となるもろもろの善きものを投げ出し、自分自身に美しい(カロン)ものを確保しようとするからである。(第九巻第八章、1169a18-22)
 ここで、アリストテレスは「行為者は最終的に、自己の為そうとする行為をカロン(美しい、立派な)と認めるから行為するのだ」と語り、「カロン(美しい、立派な)」を行為の最終的な価値基準として捉えているが、その際、「優れて善き人は友人や祖国のために多くの貢献を行い、必要な場合には、死さえ辞さない」と述べている。したがって、アリストテレスは「各人は自分のために最大限の善きものを増進するよう努めなければならない」といった立場を取ってはいない。(pp.166-167)

●アリストテレスは「ある状況において、人は自分自身にとって最善の幸福を得られなくとも、他人の幸福のために行為すべきである」という余地を認めている。(p.168)

*********************************************

以上であります。後編はワード22pになってしまいました。
いや〜、捨てるところがないものですね〜。近年歳をくえばくうほど読書日記が長文化します。あとで思わぬところを参照するかもしれないと妙に不安にかられるんですね。

途中、「観想的生活」を神のような生活だと言ってるところは、やっぱり「哲学者は自分のことを研究するのが好き」ププッ、となってしまうわたしは意地悪女です。
それでも、紀元前としては極めて完成度が高く、現代の脳科学、性格心理学などからみても正しいことを言っている『ニコマコス倫理学』、本書『アリストテレス「『ニコマコス倫理学』を読む――幸福とは何か」のお陰でやっと出会うことができました。著者様に感謝いたします。

『アリストテレス「二コマコス倫理学」を読む――幸福とは何か』(菅豊彦、勁草書房、2016年2月)という本を読みました。

 このところわたしが好んで使っている「エウダイモニア(幸福)」という語の起源、それが『二コマコス倫理学』。
 しかし、実はこの原典が難解で、過去に読んでも挫折していました。こういう場合にはなりふり構わず入門書から入るわたしです。
 この『ニコマコス倫理学』は、いまどきのポジティブ心理学や幸福学、徳倫理学などでも論拠としてよく引かれますから、押さえておいて損はないですよ。
 実際、読んでいると「強み」「価値観」など、わたしなどが日常的に使うツールの意義づけにつながるような言葉がちょこちょこ出てきます。またなんと「行動承認」の理論的根拠これでいこうか、というところも出てきました。


※なお、こういう詳細な読書日記のブログアップの仕方が著作権法違反に当たらないのか?厳密にいうと、当たる可能性があります。ただ、有り難いことにこれまでのところは問題になっていません。
 これまで、読書日記をアップしたときに著者自身からお礼のコメントをブログに直接いただいたことが3回ありました。『ポスト資本主義』の広井良典教授(千葉大から京大に移られました)からは、当日夜に丁寧なお礼のメールをいただきました。
 また『ジェンダーにおける「承認」と「再分配」』の藤野寛教授(一橋大学)には、あまりにも「捨てる」ところがなく丸写しのような読書日記になってしまったので、後日「著作権上問題のあるレベルなのではないかと思いますが」と自分から申告したところ、藤野教授が「自分ではわからない」とわざわざ出版社に連絡をとっていただき、すると編集者から「嬉しい反響ですね!」というリアクションがあった、というような話もありました。
 …まあ、なまじそういう著者さん方の心優しいリアクションの経験をしてきたものだから、著作権というものを甘く見てしまっていたきらいがあります。
 今後も、万一読書日記について著者・出版社から削除依頼等がありましたら、真摯にご対応したいと思います。

 今回も、とくに第一章の「エウダイモニア」の定義に関しては、「捨てる」ところが少なく、丸写しに近い読書日記になってしまいます。お叱りを受けないことを祈ります。

 そして第二章、本書の約半分のp.80まで読書日記をつけ終わったところですでにワード18pになったので、読書日記を前後編とします。太字・色字は正田です

*********************************************

 まえがき

●「人生、いかに生きることが最善の生か」。アリストテレスはこのように尋ね、この「最善の生」を、古代ギリシアの伝統に従い、「エウダイモニア(幸福)」という言葉で捉えている。それゆえ、『ニコマコス倫理学』の主題は「幸福(エウダイモニア)とは何か」を明らかにすることであると言える。(pp.i-ii)


第一章 幸福(エウダイモニア)とは何か
 この章は、やはり「捨てるところが少ない」章です。ほとんど丸写しになるかもしれません。著者様、ごめんなさい。

●「まえがき」で紹介したように、アリストテレスは「いかに生きることが最善の生か」という問いを追求するが、この「最善の生」を第一巻第四章で、古代ギリシアの伝統に従い、「エウダイモニア(幸福)」という語で捉えている。それゆえ、「幸福とは何か」を明らかにし、人びとに「幸福に至る道」を示すことが、『ニコマコス倫理学』の主題である。(p.35)

●アリストテレスはこの主題に取り組む二つの方法を明らかにしている。まず、第一巻第六章で、プラトンの超越的な「善のイデア」をはっきりと退け、「エンドクサ」、つまり、人びとが抱いている定評ある見解の吟味を通して「幸福」の探求を行うことを宣言する。また続く第七章では、人間の「エルゴン(機能)」の解明を通して「幸福」を求めていくことを明らかにしている。(pp.35-36)

●アリストテレスは第一巻の巻頭で、「すべての行為はアガトン(善、善きもの)を目指している」(第一巻第一章、1094a1−2)と主張し、『ニコマコス倫理学』が何よりも「アガトン(善)」の研究であることを宣言している。
 しかし、ここで素朴な疑問が生じてくるかもしれない。はたして人間の行為はすべて「善」を目指していると言えるだろうか。われわれは日ごろ、「悪い」と知りつつタバコを吸っているのではないだろうか。だが、アリストテレスの視点から言えば、喫煙者は健康よりもともかくタバコを吸いたいのであり、喫煙は彼にとって善い行為なのである。このように、アリストテレスは「善」を道徳的な意味ではなく、「欲している」、「利益になる」という意味で用いており、この素朴な地平から道徳の問題を考えていこうとする。
 これは、「誰も悪を欲する者はいない」(『メノン』78A)と主張し、「すべての者は善を欲している」と考えるソクラテスの態度でもあった。しかしもちろん、善と思ったことが悪であり、また善を欲しながらも意志の弱さのゆえに生じてくる、やっかいで重要な問題が存在する。ただ、この問題については第四章「徳とアクラシア」において検討することにして、先に進むことにしよう。(p.37)

―いきなり予想外の定義が出てきました。「善」って「欲求」のことだったの!?
ここでは「タバコ」の例を出していますが、もちろんわたしたちは「欲求」が非常に多くのばあい、わるさをするものだということを知っています。依存症にもなるものだと知っています。でもまあ、この定義に従えばソクラテスが「すべての者は善を欲している」というのも納得は納得でありますが。それも何だかトートロジーのようにもきこえますが。モヤモヤを抱えて第四章(この読書日記では後編)を楽しみにいたしましょう。

●第一巻第一章から第四章で、アリストテレスは、人間は「善きもの」を目指して行為するが、人間が求める「善きもの」には階層(ヒエラルキー)があると語っている。それは次のようにまとめられる。
,泙此現に為している行為が、それを超える別の目的のために為されるといった場合が挙げられる。たとえば、畑を耕すのは種を蒔くためであり、種を蒔くのは小麦を収穫するためである。
他方それに対して、別の行為の手段ではなく、その行為自身が目的であるような行為が存在する。テニスをする、酒を飲む、音楽を聴く、古典を読む、隣人を助ける、といった行為は一応そのようなタイプの行為である。「なぜテニスをするのか」と問われ、「楽しみのために」と答えるとしても、その答えは「テニスをする」ことから独立の行為を述べているわけではない。ただ、通常は、その行為自身が目的であるタイプの行為であっても、ある場合には、他のものの手段として為されることがある。たとえば、肥満を解消するためにテニスをするなどの場合である。
しかし以上とは別に、このような目的―手段の関係においてつねに目的であって決して手段にはならないもの、つまり「究極的な善きもの」が存在する。しかも、この「究極的な善きもの」を何と呼ぶかに関して人びとは一致しており、それを「エウダイモニア」と呼んでいるとアリストテレスは述べている(第一巻第四章、1095a18−19)。(pp.37-38)

●ギリシア語の「エウダイモニア(eudaimonia)」は、日本語では「幸福」と訳され、今日それが定着している。この「幸福」は明治以降、「倫理学」、「道徳」、「功利主義」といった翻訳語とともによく使われるようになった言葉であり、辞書を引くと、「心が満ち足りていること、仕合せ、幸い、幸運」という説明が載っている。ただ、日本語の「幸福」とギリシア語の「エウダイモニア」は、当然、まったく同義というわけではない。「心が満ち足りていることが幸福である」と日本語の辞書が説明するように、「幸福」という言葉は人びとが感じる感情を表すのに使用される。他方、ギリシア語の「エウダイモニア」は人びとが感じる感情というより、人びとが目指す「最高善」を表す表現であり、目指すものが「最高善」でないならば、「エウダイモニア」とは言いがたい。(p.39)

●そこで、日本語の「幸福」に「最高善」といった厳めしい意味を与えることには抵抗を感じる人びともいるかもしれない。しかし、日本語の「幸福」にもたしかに「最も善きもの」という意味が含まれており、われわれは「お金や地位がなくとも、幸福でありたい」と言うが、「幸福でなくとも、お金や地位が欲しい」とは言わないように思われる。(同)

――ちょっとわかってきた気分になりました。「善」と「最高善」と、ランクが違うわけですね。「善」は「欲求」「快楽」レベルのことを言うけれど、「最高善」はもっといいものだ、と。

●「最高善」と「幸福」とを結びつけるとアリストテレスの思想はソクラテスやプラトンの見解を受け継ぎながら、西洋倫理思想の大きな流れを形成しており、たとえば、「最大多数の最大幸福」を主張する功利主義思想をそのうちに位置づけることができる。他方それに対して、カント倫理学も「最高善」を求めるが、この「最高善」を「幸福」ではなく、「義務」、「正義」と結びつけており、この「義務の倫理学」も西洋倫理思想を代表する思想であると言える。(p.40)

●ここで、アリストテレスの「エウダイモニア(幸福)」の概念を考える場合、重要な二つの特性を取り上げておくことにしよう。
 第一は、ギリシア語の名詞「エウダイモニア」は「エウダイモネイン(eudaimonein)」という動詞形をもち、「よく為している(eu prattein)」、「よく生きる(eu zēn)」というかたちで行為や活動に基づいているという点である。これは、日本語の「幸福」や英語の”happy”にはない構造であり、『ニコマコス倫理学』を読む場合、最も重要な特性である。すなわち、「エウダイモニア」は「善き営み」、「善き行為」において実現するのであり、「状態」ではなく、「活動」である(第一巻第八章、1098b33-1099a3)。序章で紹介した術語を使えば、「エウダイモニア」は「デュナミス(可能態)」ではなく、「エネルゲイア(現実態)」である。(pp.40-41)

――「エウダイモニア」は「行為」と不可分の考え方なんですね。行動承認の究極目的としてのエウダイモニア、という図式を考えていたので嬉しくなってしまいました。

●ところで、明治以来わが国で親しまれてきた、「山のあなたの空遠く、<幸い>住むと人のいふ」という句で始まるカール・ブッセの詩があるが、この詩では、「幸福(幸い)」を人間が生涯を通して求めていく、「山のあなたの空遠く」にある事態として把握している。アリストテレスもソロンの言葉を引用し、死を迎えるまでは、人は幸福であったかどうかを言うことはできないと述べている(第一巻第10章、1100a10−)。このように、第二の特性として、「エウダイモニア」というギリシア語表現は「まっとうした人生」(第一巻第八章、1098a18)に対して適用されるのが基本的な用法である。(p.41)

●それでは、「まっとうした人生」に対して適用される「エウダイモニア」と「よく為している」、「よく生きる」というかたちで具体的な行為や活動と結びつく「エウダイモニア」はどのように関係するのだろうか。これは見解が分かれる難解で重要な問題である。
 私の理解では、上で指摘したように、「エウダイモニア」とはまず直面する具体的状況において「よく為すこと(eu prattein)」「のよく生きること(eu zēn)」である。そして徳を備えた人はそのようによく生きているのであり、そのような生涯を生きる人が「エウダイモニアな人」「幸福な人生」である。この点はすぐ後で主題になってくる「徳」の概念についても言えることであり、「勇気ある行為」、「正しい行為」とは具体的状況における行為であるが、それは「徳ある人」の概念を通して解明されることになる。(pp.41-42)

●アリストテレスは、ギリシア社会において伝統的に捉えられてきた「幸福」の三種類のかたちを紹介している。
,泙座臀阿蝋福を快楽だと考え、「享楽の生活(ho apolaustikos bios)」を愛好する(第一巻第五章、1095b17)。
他方、「政治的生活(ho politicos bios)」を目指す者は「幸福とは名誉である」と考える(第一巻第五章、1095b22-29)。
B荵阿法⊃人の探究、すなわち「観想活動の生(ho theōrētikos bios)」(第一巻第五章、1095b19)こそが「幸福」であると考える人びとが存在する。
 この区別はプラトンの『国家』第四巻で論じられている三種類の階層、すなわち、大衆階層、補助者(戦士)階層、支配者階層に対応している。またこのプラトンの見解はさらにピュタゴラス(前570頃)に遡ると見られている。(pp.42-43)

●ピュタゴラスの思想についてはローマ時代のキケロ(前106〜前43)がそれを伝えている。「フィロソフォス(愛知者、哲学者)とは何か」と聞かれて、ピュタゴラスはオリンピアの大祭に集まって来る人びとを三種類に分ける譬えを使って説明している。第一は人びとに飲み物や食べ物を売って「お金」を得ようとする人、第二は競技に参加して「栄誉」を得ようとする人、第三は競技をただ「観よう」とする観客である。人生においても、商業活動を通してお金を得ようとする人びと、政治活動を通して名誉を得ようとする人びと、そしてオリンピアの大祭の観客の場合と違って、数は非常に少ないが、ものごとの本質(rerum natura)を熱心に観ようとする人びとがおり、この最後の「観(テオリア)の立場」に立つ人が哲学者(愛知者)であるとピュタゴラスは語っている。(p.43)

●ピュタゴラス、プラトン、アリストテレスは最も優れた生き方を「観の立場」に立つことであると捉える点において共通している。(同)

●他方、「快楽」と「名誉」に関しては、アリストテレスはここで独自の見解を示している。
(1)まず「享楽の生活」について、アリストテレスは、それは一般大衆の選ぶ生活であり、大衆は「家畜のような生活を選び取り、まったく(欲望の)奴隷のように見える」(第一巻第五章、1095b20)と語り、「享楽の生」を「幸福な生」から除外している。
 しかし他方、「幸福」、「徳」を規定する場合には、「快楽」の重要性を強調しており、第七巻、第10巻では、彼自身の快楽論を展開している。それは行為の「よろこび」と結びつく、志向的、能動的な快楽論であり、「快楽」を受動的な感覚体験として捉える19世紀の功利主義の見解とは異なり、「快楽・よろこび」についての深い洞察を示している。
(2)また、「政治的生活」に携わる人びとは名誉を人生の目的だと考えるが、その場合、彼らは「名誉は徳に基づく」という見解を取っており、したがって、ソクラテスと同様、「節制」や「勇気」といった「徳」が「幸福」であると考えていることになる。
 それに対してアリストテレスは、徳をもっていても「最大の苦難を受けたり、この上もない不運に見舞われたりすることがあること」を指摘し(第一巻第五章、1095b32-1096a1)、「徳」は「幸福」と同一視できないことを主張する。彼の考えでは、「徳」は「幸福」と同一視することはできないが、「幸福」成立の不可欠の条件である(第一巻第七章、第八章)。この前提のもとに、第二巻から第九巻まで、「性格の徳(倫理的な徳)とは何か」を追求している。
(3)他方それに対して、アリストテレスは「観想活動」を「最も神的な魂の活動」と捉えており、「観想活動こそが最高善(幸福)である」と考えている。(pp.42-45)

――「享楽の生」は幸福な生ではないのだそうです。ワイドショーみている日本の大半の人はそれでしょうかネ・・

●このように、古代ギリシア人たちが抱いてきた「幸福」について、アリストテレスは「実践」と「観想」とを区別する立場から、ソクラテスやプラトンとは異なる独自の見解を示している。すなわち、市民生活における「実践活動」の「徳」と、「観想活動」の「徳」、この魂の二つの活動を通して最高善としての「幸福」に至る道を示していると言える。(略)この「観想活動」と「実践活動」の関係をどう捉えるかは『ニコマコス倫理学』全体の思想をどう把握するかという重要な問題であり、第六章「観想と実践」でくわしく検討することにしたい。(p.45)

●第一巻第七章の議論。
 まず、「幸福=最高善」とは、他のさまざまな行為が、それを目指す「究極的な(teleion)目的」であることが示されている。
 「幸福」の究極性(teleiotēs)は次のように規定されている。
 
 なぜなら、われわれは幸福をつねにそれ自体のゆえに選び、他のもののゆえに選ぶことはないからである。他方、名誉、快楽、知性、そしてすべての徳に関しては、それらをわれわれはそれ自体のゆえに選ぶとともに、……それらを通じて幸福を獲得できるだろうと考えて、幸福のためにそれらを選ぶのである。逆に、それらのために幸福を選ぶというような人はだれもいないし、他のもののゆえに幸福が選ばれる、といったことはありえない。(第一巻第七章、1097a34-b5)

 この行為選択の究極性(終極性)ということが「幸福=最高善」の基本的な意味である。(p.46)

●しかし同時に、「幸福」は「究極的」であるゆえに、「自足性(autarkeia)」という特性を具えている
 この「幸福」の「自足性」は次のように規定されている。

 自足的なものを、われわれはそれだけで生活を望ましいもの、まったく欠けるところのないものにするようなものと規定する。……また、幸福はすべてのもののうちで最も望ましいものであることによって、(他のものによって)加算されえないものであるとわれわれは考えている。加算されうるとすれば、(他の)善いものが僅かでもくわえられれば、いっそう望ましいものになるのは明らかだからである。(第一巻第七章、1097b14-18)

 ここでは、「加算されえないもの(mē sunarithmoumenēn)という概念を用いて、「幸福」の「自足性」を説明している。「加算されうるもの」とは部分的な善であって、功利主義が主張するような量的に規定できるものである。しかし、アリストテレスは「幸福+他の何か」といったものが「幸福」よりも優先することは不可能であると主張し、「幸福の自足性」を説明している。(p.47)

●「幸福=最高善」の概念が含む「究極性」と「自足性」に対応して、アリストテレスの「幸福」の概念をどのように捉えるべきかという議論があり、従来、「幸福」を「支配的目的(dominant end)」と解釈するか、それとも「包括的目的(inclusive end)」と解釈するか、について論争がなされてきている。
 
●幸福を「支配的目的」とする解釈は古くから主張されてきた。「支配的目的」とは「さまざまな優れた活動をそのうちに含む生き方を特徴づけるもののうち、特定の支配的な活動を目的とする」という意味である。具体的に言えば、「幸福」とは「最も神的な魂の活動」としての「観想活動」であるという把握である。(略)
 それゆえ、「支配的解釈」は、われわれの行為は「目的―手段」の階層を形成しており、その究極の目的が「観想活動」としての「幸福」であるという見解である。だがその場合、「観想活動」と「実践活動」の間にはたして「目的―手段」の関係があるかどうかが大きな問題である。(pp.48-49)

●他方、「幸福」の「包括的目的」とは、「さまざまな優れた活動や事物をそのうちに含む生き方全体を目的とする」という意味であり、「幸福」とは、「それ自身のために追求されるすべての善」(テニスをする、音楽を鑑賞する、隣人を助ける、その他、徳に基づく諸々の活動)を含むものだ、ということになる。「幸福」を包括的目的と解する「包括的解釈」の重要な根拠となるのは先に紹介した「幸福」の「自足性」の規定である。すなわち、「幸福」の概念には、そこに何ら「加算する必要はない」という意味が含まれている、という把握である。(p.49)

●アリストテレスは第一巻第七章の後半(1097b22-)では、「人間の固有の機能(エルゴン)とは何か」という問いを通して「最高善=幸福」の問題を考察している。(p.50)

●“ここで望まれているのは、幸福が何であるかをより明確にすることである。おそらくこうした明確化は、人間の「エルゴン(機能)」が把握されるならば達成されるだろう。なぜなら、笛吹きや彫刻家などすべての技術者にとって、また何であれ、一般に何か特定の機能と行為が属しているものにとって、「善」すなわち「よく」ということがそうした機能に認められると考えられるように、人間にとってもまた、もし何か人間としての機能というものがあるとすれば、同じようにそれに「善」すなわち「よく」を考えることができるからである。”(第一巻第七章、1097b23-28)(p.51)

――エルゴンという新しい概念が出てきました。これは「強み」の概念と似ていないかな?とアンテナがたつわたしです

●「笛吹き」、「大工」、「靴職人」といった言葉は社会におけるその役割、機能を表す言葉であり、そのような役割・機能を立派に果たす人は「善き笛吹き」であり、「善き大工」である。また身体の部分である「眼」、「手」、「心臓」、「腎臓」といった器官にも、固有の機能があり、その能力と働きが存在している。
 では、社会における職業や役割、あるいは人間の個々の器官がそれぞれ固有の機能をもつように、「人間」や「狼」といった存在者もその固有の機能をもっていると言うことができるだろうか。もしもっているとすれば、「人間として善き人」、「善き人間」とはどのような者であるかが規定され、そこから「幸福な人間」とはどのような人間であるかが明らかになろう。アリストテレスは「人間」や「狼」といった自然種にも固有の機能(エルゴン)が存在すると考えており、「機能からの議論(エルゴン・アーギュメント)」と呼ばれる説明を行っている。(p.52)

●アリストテレスは、「人間に固有な機能としてのロゴス(理性、分別)の働き」を、次のように取り出してくる。

 生きていることは植物にも共通することが明らかである。しかし、われわれが求めているのは人間に固有の機能である。それゆえ、栄養的生や成長にかかわる生は除外されねばならない。次に来るのは感覚的な生ということになるが、これもまた馬や牛、その他すべての動物と共通の生である。すると残るのは、人間において「ロゴス(理性)」をそなえている部分によるある種の行為的生ということになる。(第一巻第七章、1097b33-1098a4)

 このように、「人間固有な機能(エルゴン)」は魂(プシュケー)の「ロゴス(理性)」を有する「部分による行為的生」、すなわち「ロゴスに即した(meta logou)魂の活動」ということになる。(pp.52-53)

●続いて、アリストテレスは「人間の機能がロゴス(理性)に即した(meta logou)魂の活動である」ということから、「幸福とは徳(卓越性)に基づく(kata aretēn)魂の理性的活動である」ということを導いていく。
たとえば、「竪琴奏者」の機能と「すぐれた(卓越した)竪琴奏者」の機能はその種類において同じである。そして、一般に「x」の機能と「すぐれた(卓越した)x」の機能が種類において同じだとすれば、「ロゴスに即した魂の活動」という表現に関しても同様のことが言える。
すなわち、卓越した(徳ある)人の「ロゴスに即した魂の活動」は卓越していない(徳のない)人の「ロゴスに即した魂の活動」よりもみごとな仕方でその活動を果たすことになる。それゆえ、「人間としての幸福とは徳に基づく(kata aretēn)ロゴスに即した(meta logou)魂の活動である」ということになる。
以上が私の解釈であり、私は「徳に基づく」と「ロゴスに即した」を区別して考えている。他方、「普遍主義的解釈」としては、「幸福」という概念は「ロゴス(理性)」を通して「普遍的に」規定されると解釈する。私は本書において一貫してこれに反対し、「幸福」、「徳」の概念についての「内在主義的、個別主義的解釈」を取っている。(pp.53-54)

――このあたりわたし流に総合すると、機能(エルゴン≒強み)を発揮しながら良い仕事をすることを幸福と言っているようであり、著者は「幸福は強みを発揮することにある」と言っているようにもとれます


●以上から、アリストテレスは「機能からの議論(エルゴン・アーギュメント)」を次のように締めくくる。
 “もし徳が複数あるならば、人間としての善(幸福)とはそのなかの最善の、最も完全な徳に基づく魂の活動であるということになる。しかし、その活動には、「まっとうした人生において」という条件がさらにつけ加えられねばならない。というのは、一羽のつばめが春を告げるのでもなければ、一好日が春をもたらすのでもないからである。同様に、一日や短い時間で、人は至福にも幸福にもならないのである。(第一巻第七章、1098a17-20)(p.55)

●この引用の最初の文章については研究者の解釈が分かれているが、しかし、私は「エルゴン・アーギュメント」を通して導かれる「幸福とは徳に基づく魂の理性的活動である」という命題は、「実践活動」の徳のみならず「観想活動」の徳も含んでいると解釈する。それゆえ、「もし徳が複数あるならば、幸福(最高善)とはそのなかの最善の、最も完全な徳に基づく魂の活動である」という文章における「徳」についても、「実践活動」の徳と「観想活動」の徳を含んでいると解釈する。(p.56)

●また、アリストテレスは「まっとうした人生において」という条件を付けている。幸福とは状態ではなく、活動である。しかし、ある時点で「幸福である」というのは充分ではない。「正しい行為」とは「その状況において、徳を備えた人が行うような行為」であり、そのような行為を為して徳ある人として生涯を生きる人が「幸福な人である」と言えるのである。(同)

●ソクラテスにとっては、「徳」と「幸福」は同一であり、徳を備えた人はいかなる状況においても不幸にはなりえない。プラトンが『クリトン』や『パイドン』で見事に描いているように、ソクラテスはこのことを身をもって実証したといえる。
 それに対してアリストテレスは、「徳」と「幸福」は同一だとは考えない。神ならぬ人間は有限者であり、身体をもつ存在である。したがって、徳をもっていても最大の苦難を受けたり、この上もない不運に見舞われたりすることが生じてくる。アリストテレスはソクラテスとは異なり、そのような人びとが幸福であるとは考えていない。その意味で、アリストテレスの「幸福」観は多くの人びとの見解と一致していると言える。(pp.56-57)

●アリストテレスは「徳」と「幸福」を同一視しないが、しかし、「徳に基づく魂の活動」が「幸福」であるための不可欠の条件であると考えている。彼は、第七章で「人間のエルゴン」の考察を通して導出した「幸福とは徳に基づく魂の理性的活動である」という見解が「エンドクサ」、つまり人びとが抱いている定評ある見解と一致することを、続く第八章で示そうとする。(第一巻第八章、1098b20-23)(p.57)

●また、最高善としての「幸福」が「状態(ヘクシス)」ではなく「活動(エネルゲイア)」であることの理由を、次のように語っている。

 “なぜなら、「状態」は人に現にそなわっていても、たとえば眠っている人や、他の別の仕方でまったく不活発な人のように、まったく善をなし遂げないということがあり得るが、しかし、「活動」にはそうしたことがありえないからである。すなわち、徳に基づく活動は、必然的に何かを為し、しかもそれをよく為すはずだからである。(第一巻第八章、1098b33-1099a3)(pp.57-58)

――ここも、「行動承認」という概念を補強するものとして記憶しておきたい一節です。欲張りな言い方をするなら、去年からヘーゲル―ホネット/ハーバーマスのラインのドイツ哲学を根拠として「承認」を論じてきましたが、そこでは大きな「承認」という概念はあるものの残念ながら「行動承認」の根拠は得られなかったのです。しかし、ヘーゲルが言ってくれなくてもホネットが言ってくれなくても、アリストテレスが「行動承認」を担保してくれてるじゃないか、という見方もできるわけです。
まあ陽明学もありますけどね―。

●以上のように、「魂」の卓越性である「徳に基づく活動」が「幸福」の不可欠の条件である。否、私の理解では、「幸福」とは具体的な文脈における特定の徳に基づく魂の理性的活動そのものである。同時に、この幸福が成立するには、「魂」のみならず「健康」その他の身体の状態によって左右され、また社会生活のためにはある程度の富が必要であり、さらに家族や友人も必要である。われわれはそのような条件の下で、徳に基づく魂の活動を発揮しているのであり、それが人間の幸福であると言えよう。(pp.58-59)

●“(幸福な行為の)多くが、友人や富や政治権力を道具のように用いることによって行われる。また、欠けていると幸福を曇らせるようなものもある。たとえば、生まれの善さや子宝に恵まれること、容姿の美しさなどがそうである。容姿があまりにも醜かったり、生まれが賤しかったり、また孤独であったり、子どもがいなかったりすれば、人は幸福になりにくいのである。また子どもや友人がいてもその者たちが劣悪だとしたら、あるいは彼らが善い人物だとしても死んでしまうとしたなら、おそらく人は幸福になれないのである(第一巻第八章、1099a33-b6)。(p.59)


第二章 人はどのようにして徳ある人へ成長するか

●「徳」の考察にあたって、あらかじめ、使用するいくつかの基本的な用語の意味について述べておこう。まず、人間の魂が「ロゴスをもつ部分」と「ロゴスをもたない部分」に分けられる。ここで、「ロゴス(logos)」の訳として、「ことば」、「ことわり」、「理性」、「分別」、「道理」、「規則」等々が考えられるが、日本語の「理性」「分別」は普通、心的能力を意味し、他方、「道理」「規則」は心的能力によって捉えられる側の事態を表す。そこで、文脈によって、「理性(ロゴス)」、「道理(ロゴス)」といった表記を使うことにしよう。
 この「理性(ロゴス)をもつ部分」と「理性(ロゴス)をもたない部分」は明確な二元論的な区別ではない点に大きな特徴がある。アリストテレスは、「理性(ロゴス)をもたない部分」のうち「欲求的な部分」を栄養摂取のような植物的な部分とは区別して、父親の言葉に従うように「道理(ロゴス)に耳を傾ける部分」として捉えている(第一巻第十三章、1103a3)。また「欲求(情念)」と「理性(ロゴス)」はわれわれの成長とともに展開していき、「欲求(情念)」には「理性(ロゴス)」の働きが浸透していくと捉えられている。この点はアリストテレスの「徳倫理学」を考える場合、重要である。
 この魂の区別に応じて、「道理(ロゴス)に耳を傾ける部分」の徳は「エーティーケー・アレテー(ēthikē aretē)」と呼ばれ、他方、「本来の意味で理性(ロゴス)をもつ部分」の徳は「ディアノエーティーケー・アレテー(dianoēthikē aretē)」として区別される。「エーティーケー・アレテ―」は「倫理的な徳」とも訳されるが、「エーティーケー(倫理)」の基になっているのは「エートス(性格、人柄)」、つまり、「勇気がある」、「温厚である」、「臆病である」、「親切である」といった特性であり、本書では「エーティーケー・アレテー」を「性格の徳」と訳すことにする。また「ディアノエーティーケー・アレテー」の具体例は「学問的知識」、「技術」、「思慮」、「知性」等であり、ここでは「思考の徳」と訳すことにしよう。(pp.61-63)

――「性格の徳」。現代のポジティブ心理学に通じそうな言葉が出てきました。また子育て、教育の世界で最近喧しい「非認知的スキル」「性格の強み」にも通じそうですね。

●古代ギリシアにおいて、人びとは「徳は生得的なものか、それともしつけや訓練を通して備わるものか、それとも教室での教育を通して身につくようになるのか」と尋ねてきた。ソクラテスは「徳が何であるかを知らないうちは、徳が教えられるかどうか、知りえない」と答え、まず何よりも、「徳とは何か」を知る必要があることを強調する。(p.64)

●このソクラテスの理性主義に対して、アリストテレスははっきりと異なる道をとっている。アリストテレスはソクラテスのような仕方で「徳とは何か」を尋ね、その定義を求めるのではなく、逆に「徳がどのようにして習得されるか」を問題にすることを通して「徳とは何か」に答えようとする。(略)ただ、アリストテレスはこの徳の学習における魂の発達の初期段階により大きな注意を払っており、教室での徳の教育のためには、「聴講者の魂は習慣によってあらかじめ、美しい仕方でよろこび、かつ嫌うように準備されていなければならない」ことを強調する。(第十巻第九章、1179b24-26)(同)

●また実践的知識を理論的知識から区別するアリストテレスにとって、肝心なのは「徳とは何か」を知ることではなく、「徳ある(善き)人」になることであり(第二巻第二章、1103b27-28)、この徳ある人へ向けての成長にとって、まず「正しい感受性」を習得することが重要になってくる。(pp.64-65)

●第二巻第一章では、「性格の徳がどのようにして形成されていくか」に関する基本的論点が示されている。

 “「性格の徳」は習慣から形成されるのであり、「性格の(エーティーケーēthikē)」という呼び名もこの「習慣(エトスethos)」から少し語形変化してつくられたのである。
 それゆえ、明らかにまた、「性格の徳」はいずれも自然によってわれわれにそなわるものではない。というのは、自然によって存在するものはどれも、他のあり方をするように習慣づけられることはできないからである。……
 それゆえ、「性格の徳」がわれわれにそなわるのは、自然によってではなく、また自然に反してでもなく、われわれがそれらの徳を受け入れうる資質をもっているからであり、われわれは習慣を通じて完全なものになるのである。……
 たとえば、人は家を建てることによって建築家になり、竪琴を弾くことによって竪琴奏者になるのである。これと同じように、われわれは正しいことを行うことによって正しい人になり、節制あることを行うことによって節制ある人になり、また勇気あることを行うことによって勇気ある人になるのである。(第二巻第一章、1103a17-b2)(傍点引用者)

 このように「同じような活動の反復」(第二巻第一章、1103b21)という道筋を通って何が正しいかを学び知る。(pp.65-66)

●アリストテレスは、行為が「認識論的な作用」をもっていることを指摘し、次のように忠告している。

 そのような行為を為さなければ、だれも善き人になることはできないだろう。それなのに、多くの人びとは、こうした行為を行うことなく、議論に逃げ込み、議論することが哲学することであり、議論によってすぐれた人間になれると思いこんでいる。(第二巻第四章、1105b11-14)(p.66)

――これはキツイ。哲学カフェ花盛りですしわたしもよのなかカフェを40回もやりましたから、議論は有意義だ、哲学に至る道だ、とつい思いたくなります。でもアリストテレスは行為こそが大事だと。「行為が認識論的な作用をもっている」この指摘、興味深いですね。

●アリストテレスは、ここで、はっきりとしたかたちで、「徳は知なり」とするソクラテスの理性主義に立ち向かっていると言える。だがもちろん、彼は反理性主義を取っているわけではなく、ただソクラテスとは異なり、「徳」の普遍的な定義を求めるというかたちで、「徳」を規定することはできないと考えているのである。……重要なのは、その「徳ある人」がどのようにして成立するかである。そのためには、幼児期において「正しい感受性」をもつようにしつけておく必要があり、「正しい法」のもとで育てられなければならないと考える。(pp.66-67)

――ここでいう「正しい感受性」とは、なんでしょうか。

 p.71に「喜ぶべきものを喜び、嫌うべきものを嫌う」という言葉が出てきます。ここでまた、「なにが『喜ぶべきもの』なの?なにが『嫌うべきもの』なの?」という問いが出てきそうです。
 わたしの勘では、「嫌うべき」はたとえば不誠実だったり怠惰だったり、不道徳なことをいうのかな?と思ったりしますが、さて。


●“行為に伴って生じる快楽や苦痛は人間の性格の性向を示す指標と見なすべきである。なぜなら、肉体的な快楽を差し控え、それによろこびを感じる人は節制ある人であり、それを嫌がる人は放埓な人だからである。また恐ろしいことを耐え忍び、それによろこびを感じる人、あるいは少なくとも苦痛を感じない人は勇気ある人であり、苦痛を覚える人は臆病な人である。つまり、「性格の徳」は、快楽や苦痛にかかわるのである。……
 したがって、プラトンが主張するように、よろこぶべきものをよろこび、苦しむべきものを苦しむようにわれわれは若い頃から何らかの仕方で指導される必要があり、それこそが正しい教育なのである。(第二巻第三章、1104b3-13)(p.70)

性格の徳とも関係することであるが、喜ぶべきものを喜び、嫌うべきものを嫌うことが最も重要なことであると考えられる。というのは、快楽と苦痛は、われわれの人生全体を貫いており、徳と幸福な生き方にとって決定的な意義と力をもつからである。(第一〇巻第一章、1172a21-25)(p.71)

――ここは、現代の遺伝子学や各種人格分析ツールや発達障害の有無の知識などに親しんだわたしたちからすると、何か言いたくなる箇所ですね。
 「勇気」、蛮勇はNOだけど(でもわたしは結構蛮勇っぽいけれど)生来臆病な人が訓練によって、あるいはその人の価値観に準ずるために勇敢に振る舞うときというのは、崇高にみえる。時々そういう場面、人に出会います

――苦痛がわたしたちを導いている、と主張される方もいます。わたしたちの動機付けは苦痛を回避することなのだと。とても気の毒になりましたが、わたしの仮説では、その方は少しASDのけがあって、ご両親も遺伝でその傾向があり、苦痛を人一倍感じやすく、苦痛によって導く子育てをしておられたんではないかと思います。こんなことばかり言ってますねわたしは。

●哲学の歴史においては、一九世紀の功利主義のように、「快楽は活動の結果得られる感情もしくは感覚である」という見解がよく知られている。快楽は計量可能であり、二つの快楽のどちらが大きいかを計ることができる。そこで、われわれの活動の価値は、この快楽という実体をいかに多く生み出すかにおって決められると主張されてきた。アリストテレスの快楽論はそれとはまったく対立する見解である。
 アリストテレスによれば、快楽はさまざまな活動に伴い、またそれぞれの活動の相違に応じてその快楽は質的に異なってくる。詩を読むことによって得られる快楽を、幾何学を考えることによって得られる快楽と置き換えることはできない。(pp.71-72)

●アリストテレスは「快楽はその活動を完全なものにする」と主張し次のように述べている。
“なぜなら、活動はそれ固有の快楽によって高められるからである。事実、快楽とともに活動する人たちは、各自のそれぞれの分野の仕事をいっそうよく判断し、いっそう正確に扱うのである。たとえば、幾何学の研究によろこびを覚える人たちは幾何学者になり、幾何学の問題のそれぞれをいっそうよく理解するのである。同様にして音楽の愛好者も、建築の愛好者も、その他それぞれの分野の愛好者たちも、自分たちに固有の仕事によろこびを覚えることによって、その仕事に上達するのである。(第一〇巻第五章、1175a30-35)(p.72)

●そして「活動」と「快楽」の関係を次のように述べている。
“それゆえ、完全で至福な人の活動が一つあるにせよ、複数あるにせよ、そうした活動を完全なものにする快楽こそ、第一義的に、「人間の快楽」と呼ばれうるものである。そして他のさまざまな快楽は、それらに対応する活動の種類に応じて、第二義的に、あるいはまた、はるかに劣った仕方で、「人間の快楽」と呼ばれうるのである。(第一〇巻第五章、1176a26-29)
 以上のように、功利主義の快楽論が快楽を受動的な感覚状態と捉えるのに対して、アリストテレスは、快楽は能動的活動に、その活動から切り離せないかたちで結びついていると考える。そして、快楽はその活動を完全なものにすると主張する。(pp.72-73)

――このくだりは、やはり「強み」や「価値観」の概念と照らし合わせながら考えると理解しやすいようです。自分の強みや価値観と結びついた活動をおこなっているときは、たとえ少々の困難がともなったとしても喜びを感じられるでしょう。献身的な医療者が人を救う行為のように、根っからの教育者が教育を行う行為のように。

●快楽は自然的欲求の充足において生じる快楽にはじまり、徳ある行為の遂行の「よろこび」に至るまで、きわめて広い幅と深さをもつ概念である。(p.73)

●それと同様に、「カロン(kalon)」というギリシア語は「美しい、見事な、立派な」といった意味をもつ、大きな広がりをもつ概念であり、また、しつけ、訓練、体験を通してその概念は深められていく。この点は美術や音楽といった芸術の事例を考えてみれば明らかである。
“徳に基づく行為は美しく、また美しいことのために為される。だから、気前のよい人もまた、美しいことのために適正にものを与えるのである。なぜなら、気前のよい人は、しかるべき人びとに、しかるべき額を、しかるべきときに……与えるはずだからである。(第四巻第一章、1120a23-26)(pp.73-74)

●勇気、節制、親切、等々の行為に共通しているのは、それらがすべて美しく、立派であるということであり、それを「美しい、立派な行為」と感知するから、それを為すのであり、またそれゆえに、その行為に「よろこび」を感じるのである。したがって、「美しい、立派なもの」を見抜く能力とそれを「よろこぶ」能力は「性格の徳」を習得したかどうかの一つの指標であると言えよう。(p.74)

●アリストテレスは「徳に基づく行為は美しく、また美しいことのために為されるものである」(1120a23-24)と述べているが、行為者は最終的に、自己が為そうとする行為をカロン(美しい、立派な)と認めるから行為するのであると考えている。このように「カロン(美しい、立派な)」という概念は「勇気」、「節制」等々の「性格の徳」と並ぶ概念ではなく、「性格の徳」のすべてに共通する特性であり、具体的な状況において、「性格の徳」の遂行をうながす働きをもっている。またこの「カロン(美しい、立派な)」という判断の背景には、本章でこれまで説明してきた、幼児期以来の「徳の価値空間」のなかでのしつけや訓練が存在していると言えよう。(p.75)

●「徳」の規定は、アリストテレスの有名な「類と種差」による定義のかたちを取っている。すなわち、「人間」を定義するのに、「動物」というその類に種差である「理性的」を加えて、「人間とは理性的動物である」というかたちを取る定義である。
 まず、徳の「類」の候補として「情念(パトス)」、「能力(デュナミス)」、「性向(ヘクシス)」が挙げられ、そのうちで、「情念」と「能力」は「徳」の類にはなりえないことが示される。第一に、「情念」とは「欲望、怒り、恐れ、自信、ねたみ、よろこび、愛、憎しみ、憧れ、羨望、憐れみ、などの感情」(第二巻第五章、1105b21-23)であるが、これらの情念において、われわれは「動かされている(キネースタイ)」のであり、「怒ったり」、「恐れたり」する情念をもつこと自体は、「徳」や「悪徳」とは異なり、賞賛したり、非難したりする対象にはなりえない。第二に、賞賛や非難の対象になりうるためには「行為選択」という要因を含む必要があるが、「情念」や「能力(デュナミス)」にはそれが欠けている。「能力」、たとえば、医術の知識は病気を治す能力をもつが、同時に病気を作り出す能力をもっている。すなわち、「能力」は正反両方にかかわるのであり、したがって、「能力」は行為選択の機能をはたしえないと言える。(pp.76-77)

●それゆえ、「性格の徳」を規定する場合、その「類」に当たるのは、「情念」や「能力」ではなく、情念や行為にかかわる「性向」である。すなわち、「性格の徳」とは「情念や行為に対して正しい仕方で対応する性向である」ということになる。またその場合の「性向」とは、生得的、自然的な性向ではなく、しつけや訓練を通して獲得された性向、つまり「第二の自然」である。(p.77)

――うーん、ここも、読みすぎとお叱りを受けそうだけれど成人に対して「行動承認」の訓練を施すことが「徳ある人」を育てることにつながる、というふうに読めてしまう……

●“徳とは「選択にかかわる性格の性向(ヘクシス・プロアイレティケー)であり、,修遼楴舛呂錣譴錣譴箸隆愀犬砲ける「メソテース(中庸、中間)」にあるということになる。△修両豺腓涼耆如蔽羇屐砲箸蓮◆崙四(ロゴス)」によって、しかも思慮ある人が中庸(中間)を規定するのに用いる「道理」によって定められるものである。すなわちそれは、二つの悪徳の、つまり過剰に基づく悪徳と不足に基づく悪徳との間における中庸(中間)なのである。(第二巻第六章、1106b36-1107a3)(p.77)

この徳の規定は古くから「中庸説」と名づけられ、アリストテレスの「徳倫理学」の中心を占める扱いを受けてきた。(p.78)

●アリストテレスは「性格の徳」を捉えるものとしては,鉢△本質的な規定であると考えており、,鉢△楼貘硫修靴燭發里任△襪、核心部分は△竜定である。ここで、アリストテレスは「性格の徳」を(思考の徳である)「思慮」との関係を通して規定しており、この「思慮」を「思慮ある人の判断」を通して捉えている。(p.80)

● 崙舛遼楴舛呂錣譴錣譴箸隆愀犬砲ける中庸」とは、「中庸」の概念が「行為の主体に相関的に決まってくる」という意味として解釈される。たとえば、運動選手にとっての適切な食事の量と普通の人びとにとっての適切な食事の量とは当然異なってくる。すなわち、中庸(中間)の普遍的な尺度は存在しないのであって、行為者に相関的な仕方で「中庸(中間)」は規定されると解釈される。
 さらに、「行為者が置かれた状況」に相関的であるとも考えられる。すなわち、,竜定は「行為者が置かれた状況によって、その状況における中庸が決まってくること」を意味していると解釈すべきであるように思われる。(p.81)

●“「性格の徳」は情念と行為にかかわるものである。そして、情念や行為には過剰と不足、中間ということが定められている。たとえば、恐れること、大胆であること、欲求すること、怒ること、憐れむこと、一般に快楽を覚えたり、苦痛を感じたりすることには、多すぎることや少なすぎることが認められるのであって、どちらの場合もよくないのである。けれども「しかるべき時に」「しかるべきものについて」、「しかるべき人びとに対して」、「しかるべき目的のために」、「しかるべき仕方で」こうした情念を感じることは、中間の最善の状態によるのであり、これこそまさに徳に固有なことなのである。(第二巻第六章、1106b16-23)(pp.81-82)


*********************************************

 ここまでが本書『アリストテレス「二コマコス倫理学」を読む――幸福とは何か』の第一章、第二章です。大体本書の前半部分に当たります。言葉の定義を追っているうちにもうワード18ページになってしまいました。

 予告した通り本当に著作権問題になりそうなレベルです。

 なにごともちょっと新しい分野のものに手をだすと丸写しモードで頭に入れたくなるんですよねーー。本書のようなものはもっと若い頃に読めばよかったな。

 しかし、去年も偶然のお出会いでヘーゲル+ホネットにはまり、いっぱし「隠れフランクフルト学派」を名乗るようになってしまいました。(当たるを幸い批判しまくっている行動パターンはホネットよりはハーバーマスの流儀です)

 今年はギリシア哲学との出会いの年になるんでしょうか・・・




 1つ前の記事で「小保方晴子さんは、『研究不正』をした人です」と書き、それについて「研究の世界での判決のようなものが出ていますから」とも言いました。

 で、その「判決」のところをあまり詳しく言っていませんでしたので、それを少し詳しく書いた、Kindle本の中の一節を今日はご紹介しようと思います。ここは、ブログ連載では触れていなくて、Kindle本化するにあたり加筆したところです。

 第四講2.2)、「理研調査委報告書でみる、小保方さんの「捏造」「研究不正」という項目。

 Kindle本をダウンロードしてくださった方も、この箇所までは読んでくださらなかったんじゃないかなー。

 親しい友人と話していますと、今も「小保方さんのあのSTAP論文は単純ミスが重なったんじゃないの?」という見方に出会います。

 いえ、「公式に認定された事実」からすると、STAP論文は捏造だらけ、真っ当な部分がほとんどないような論文だったんです。そして10数か所も認定された画像の捏造あるいは間違い(不正とは断定できないもの)の責任はすべて小保方さんにあります。いわば「作りまくった」んです。そんなこんなで、「公式に認定された事実」と、「一般に信じられていること」とのギャップにがく然とします。

 その「公式に認定された事実」が、今からみる「理研調査委報告書(桂報告書)」です。理研側の文書やんけ、とは言わないでください。ちゃんとした外部専門家による調査委であり、この作成にあたっては小保方さんにもヒアリングし、小保方さんも少なくとも2つの捏造を自分がやったことを認めています。もちろん弁護士も入っています。

 これは、「研究不正」の世界で一般に判決のようなものとして通用するものであり、さすが敏腕弁護士を4人も抱える小保方さんもこの文書に関して異議申し立てをしていません。ですので、この文書に書いてあることは「事実」として前提としてよいのです。

 ここまで、よいでしょうか?

 最近でもこの「桂報告書」の内容があまりにも一般に知られていないことを知りました。小保方さんは、ここで認定された事実のほとんどを『あの日』には盛り込まず、ただ「ES細胞混入は自分ではない」の部分だけを主張しています。

 それだけをみると、「ES混入をしていない小保方さんは、潔白なんだ。不正なんてなかったんだ、全部冤罪だったんだ」とみえてしまうかもしれません。

 しかし、ES細胞混入以外の実にたくさんの「捏造」および「不正と断定できないがグレーの箇所」があり、その責任者は小保方さんなのです。ぜひ、そのことはブログ読者の皆様には知っていただきたいのです。
 
 それではその内容をご紹介しましょう―。


(以下Kindle本『社会人のための「あの日」の読み方』第四講2.2)
*********************************************



2) 理研調査委報告書でみる、小保方さんの「捏造」「研究不正」

 今度の報告書は前回よりボリュームが多めです。A4、32ページのPDFです。
2014年12月25日、「研究論文に関する調査委員会」(桂勲委員長)が発表した「研究論文に関する調査報告書」。
http://www3.riken.jp/stap/j/c13document5.pdf

 ちなみに同じ内容のスライド資料はこちらです。24ページのもの。こちらのほうが要点がわかりやすいかもしれません。

http://www3.riken.jp/stap/j/h9document6.pdf

 ここでは、まず連続して「ES混入」の事実を突きつけます。これは各種解析により動かせないところです。
●STAP幹細胞FLSおよびFI幹細胞CTSは、ES細胞FES1由来である(pp.4-7)
●STAP幹細胞GLSは、ES細胞GOF-ESに由来する(pp.7-8)
●STAP幹細胞AC129は、129B6F1マウスから作製された受精卵ES細胞に由来する(pp.8-10)
●STAP細胞やSTAP幹細胞由来のキメラはES細胞由来である可能性が高い(pp.10-11)
●STAP細胞から作製されたテラトーマは、ES細胞FES1に由来する可能性が高い(pp.11-13)
 しかしだれがその混入を行ったかについては、
「若山氏の聞き取り調査から、当時のCDB若山研では、多くの人が夜中にこの部屋(インキュベーター)に入ることが可能だった。つまり…多くの人に混入の機会があったことになる。」(p.14)
「小保方氏をはじめ、いずれの関係者も故意又は過失による混入を全面的に否定しており、…委員会は、誰が混入したかは特定できないと判断した。」(p.15)
と、特定を避けました。
 このあと、マウスの系統が論文記載のものと異なっている疑義、FI幹細胞のRNA-seqのデータが二種類の細胞種を含んだサンプルに由来する指摘などが提示されます。
 これについての評価。
 「小保方氏が様々なバックグラウンドの細胞を寄せ集めてRNA-seq解析、ChIP-seq解析を行ったことは自明であり、…本来比較対象とならないデータを並べて論文に使用したことは不正の疑いを持たれて当然のことである。しかし、聞き取り調査などを通じて小保方氏は「条件を揃える」という研究者としての基本原理を認識していなかった可能性が極めて高く、意図的な捏造であったとまでは認定できないと思われる。」(p.17)

「一方、FI幹細胞データに関しては当初の解析結果が同氏の希望の分布をとらなかったこと、それにより同氏が追加解析を実施していること、当初解析結果と追加解析結果で使用したマウスの種類も含め結果が異なること、複数細胞種を混ぜた可能性が高いこと(故意か過失かは不明)から不正の可能性が示されるが、どのようにサンプルを用意したかを含め同氏本人の記憶しかないため、意図的な捏造との確証を持つには至らなかった。よって、捏造に当たる研究不正とは認められない。」(同)
 とこのように、「不正が疑われるが証拠がなく証明ができない、よって研究不正とは認められない」という箇所がこのあとも非常に多いのです。なんだかイライラする結論ですネ。
 調査報告書のこのあとのくだりでも
「小保方氏にオリジナルデータの提出を求めたが、提出されなかった。」
「オリジナルデータの調査ができなかった。」
という文言が6回出てきます。このことは、調査報告書のまとめの部分で、

 第二は、論文の図表の元になるオリジナルデータ、特に小保方氏担当の分が、顕微鏡に取り付けたハードディスク内の画像を除きほとんど存在せず、「責任ある研究」の基盤が崩壊している問題である。最終的に論文の図表を作製したのは小保方氏なので、この責任は大部分、小保方氏に帰せられるものである。(p.30)

という厳しい指摘につながっています。
 追及逃れのために元データを提出しなかったのか。それともそもそも実験を行っていないのか。それは不明です。
 そして、明らかな不正と認定されたのは以下の2点。

研究論文に関する調査委員会「調査結果報告」スライドp.21
(1)Articleの論文のFig.5c 細胞増殖率測定のグラフにおいて、ESとSTAP幹細胞の細胞数測定のタイミングが不自然な点。(pp.17-18)山中伸弥教授らのiPS細胞の論文のグラフと酷似しています。
ここでは実験をしたとされる時期に3日に1回実験ができた時期が、出勤記録と照合したところ見つからなかったとあります。
小保方氏は聞き取り調査で、若山氏から山中教授らのような図が欲しいと言われて作成したと説明したそうです(若山氏もそうしたやりとりについては認めた)。
このことの評価として、
この実験は行われた記録がなく、同氏の勤務の記録と照合して、Article Fig.5cのように約3日ごとに測定が行われたとは認められない。……同氏が細胞数の計測という最も基本的な操作をしていないこと、また希釈率についても1/5と説明したり、1/8から1/16と説明したりしていること、オリジナルデータによる確認もできないことから、小保方氏の捏造と認定せざるを得ない。
…小保方氏によってなされた行為はデータの信頼性を根底から壊すものであり、その危険性を認識しながらなされたものと言わざるを得ない。よって、捏造に当たる研究不正と判断した。(p.18)
大変に厳しい言葉ですね。
そしてもう1点、不正と認定された箇所があります。

同上 p.23
(2)Article論文のFig.2cメチル化実験の疑義。細胞は分化するとメチル化し、それが初期化すれば脱メチル化を起こします。細胞が初期化しており脱メチル化しているかどうかを調べるのは、その細胞が多能性を有しているかどうかをみるための方法の1つです。
この図ではメチル化を示す黒丸および白丸の整列に乱れがあり、またオリジナルデータとの不一致がありました。手動で作図され、また仮説を支持するデータとするために意図的なDNA配列の選択や大腸菌クローンの操作を行ったことが小保方さんへの聞き取りでわかりました。
「この点について、小保方氏から誇れるデータではなく、責任を感じているとの説明を受けた。」(p.20)

(1)(2)に関してどうして捏造、研究不正と認定できたかというと、(1)は出勤記録との照合ができたから。(2)はオリジナルデータが存在したから。のようです。
ES混入、2つの明らかな捏造。
調査報告書ではそれ以外に10数か所の疑義や間違いが指摘されましたが、「オリジナルデータの提出がない」ことが壁になって、不正と認定されるには至りませんでした。
調査報告書ではまとめとして、2報のSTAP論文は非常に不正や間違い、怪しいデータの多い論文であること、小保方さんの責任とともにそれを見落とした笹井氏、若山氏ほか共著者の責任、またプログレスレポートのあり方など研究室運営の問題にも触れています。



 さて、以上のように、理研の2つの報告書から、小保方晴子さんがSTAP論文作成に当たって行った「不正」についてみてきました。認定されなかった多数の項目も、単にオリジナルデータの提出がなく確認がとれなかったから不正と認定できなかっただけだ、ということもみてきました。
 これらをご紹介するのは残酷でしょうか。
 小保方さんの手記『あの日』には、不思議なほどこれら、認定された不正の事実には触れていません。自ら認めた不正もあるのに、です。ただ、鬱のような状態で聞き取り調査を受け回答した、という記述があるのみです。不正認定された「メチル化」という用語に至っては、実験段階でそうした解析を行ったという記述すら出てきません。
 そして、小保方さん同情論の人が主張するような「この報告書は理研が一方的に小保方さんを非難し潰したものだ」という批判も当たってはいません。例えば「ES混入」については、報告書では誰が行ったかは特定していないのです。後にある理研OBがES窃盗容疑で小保方さんを告発しようとし、結局「被疑者不詳」で告発が受理され捜査した結果「被疑者不詳」のまま検察送致となった、という経緯もありましたが、これは理研調査委の報告書とは明らかに「別件」です。報告書ではそこまでのストーリーを描いてはいません。共著者の責任、管理責任者の責任にも触れています。
 もしこの報告書をもって「理研が罠にはめた!一方的に小保方さんに罪を着せて幕引きを図った!」と主張したいのであれば、社会人として当然名誉に関わる、今後の進路にも関わることですから、小保方さんは理研に対して地位保全の申し立てをしたり、公文書偽造もしくは名誉棄損の訴訟を起こすのが正しいのです。もしあなたが小保方さんの立場だったら、当然そうするでしょう。小保方さんの場合は、有能な弁護士を4人も雇っていたのです。にもかかわらずそれをしない以上は、これらの報告書の内容を小保方さんも認めたことになります。
 言いかえればこれらの報告書の内容は、事実認定されたとして使ってよろしい、ということです。
 そして、STAP事件の事実は何か、という問いになります。
 報告書で認定されたことを事実としてみるなら、やはり小保方さんのしたことは「けしからん」のです。不正など頭をよぎったこともなく、地道に日々実験を行っている大多数の研究者からしたら、唾棄すべき行為でしょう。
現在、多くの実験系の研究者は『あの日』を黙殺していると言われます。もはや、「関わりたくない」の一言なのでしょう。あまりにも「論外」「問題外」すぎるのです。一部理論系の研究者には小保方さんシンパがいるといいます。
「実験はこういうものだよ。この通りやりなさいよ」
と、教え込んで基本動作を身につけさせる、あるいは先輩や指導者の言うことを素直に実行し練習してスキルを身に着けていく、そういうどこのラボにもあるありふれたOJTの風景をも、小保方さんの行為は嘲笑してしまっています。
 理研から追い出され寄る辺ない身の上になった小保方晴子さん。その彼女に対して同情の念が湧くのは、日本人の「判官びいき」の心情として、自然なことかもしれません。
 しかし、彼女のしたことの重大性、悪質性を事実に基づいて考えるなら、やはり同情すべきではないのです。「認定された事実」と「同情論」の間には、天と地ほどの乖離があります。
 小保方さんに同情する人たちは、ぜひ、このことをもう一度考えてみていただきたいものだと思います。彼女に同情することで、自分も普通のまじめな仕事の営為を嘲笑する側に立ってしまっていないだろうか?と。


*********************************************


 ・・・今見るとこの文章も結構「感情的」になっているかもしれないなあ、と思います。「怒り炸裂モード」などとほかの人のことを言えません。

 やっぱり、「やったことの重さ」と、それでもなお『あの日』を書いて言い訳するメンタリティというのが、みればみるほど「信じられない」と口ポカンとなってしまうのです。

 でもまあ、世の中こういう人ばかりでなく、真っ当な良心的な人が大半だからちゃんと回ってるんだ、ということに感謝したいですね。

 小保方さんに同情する人は、普通の人たちが真っ当に仕事をしてわたしたちの生活を支えてくれることの有り難さを忘れがちになるんじゃないでしょうか。

 おとしより世代の方は、あなたがお世話になっているお医者さんや訪問看護師さん、薬剤師さん、ヘルパーさんの中にこういう人が一人もいないことに感謝してください。それは奇跡のようなことかもしれないのです。


「余話」をシリーズ化しましたので、インデックスを作ります

◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(1)二つの原風景の話

>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51938782.html

◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(2)『あの日』に至るまでのわたしの流れは

>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51939260.html

◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(3)じゃあなんで書きはじめたのか―科学者・科学ライターの「言葉」の限界

>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51939319.html

◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(4)「研究不正」した人が「アイドル」という現象が社会にもたらすもの

>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51939444.html

◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(5)「捏造」と「データ不在」のオンパレード――やっぱり基本情報”判決”を読んでみよう

>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51939558.html

◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(6)アリストテレス曰く、不正は嫌悪するのが正しい

>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51939831.html

 2つ前の記事で取り上げた『研究不正』(黒木登志夫、中公新書、2016年4月)をもうちょっと読んでみます。

 こうして「研究不正」という現象を横断的にみることも、いま起きている社会現象としての「小保方晴子さん・STAP細胞」現象をみるうえで助けになります。

 たぶん、この本の著者もそういう読み方をされることを願っていることでしょう。


 まずは、

「小保方晴子さんは、『研究不正』をした人だ」

 この点は、大前提として押さえていただいてよろしいでしょうか。


 単純なミスをしたわけではない、研究不正という、その世界では許されないことをした人だと。どの会社でも重大な就業規則違反をした人は解雇されるように、小保方さんも懲戒解雇相当になっていますが、それは仕方がないのだと。

 4人も有能な弁護士をつけていてもその処分を防げなかったのです。

 それを「ない」ことにはできません。また、他の多数の研究不正事件と比較しても、処分が特別に重いとはいえません。

 問題は、その研究不正の主役である小保方晴子さんが今も奇妙な「国民的人気」があり、本を出すと26万部というそこそこのベストセラーになってしまい(ありがたいことに、26万部から先の増刷はないそうですが。講談社企画出版部にききました)
「W山こそがすべての首謀者だ!小保方さんはハメられた!」
という陰謀論が蔓延している。

※これについては、争点は「ES細胞混入は小保方さんだったのか、それともほかの人か」というところに絞って理解したほうがいいと思います。先日兵庫県警の捜査が終結し、「ES盗難は小保方さんとは特定できない」という結論になったところです。

 しかし、ES細胞混入以外のところで、小保方さんは少なくとも2件のはっきりした「捏造」を認定しヒアリングで本人も認めています。このことは『あの日』には書かれていないだけです。他にも「オリジナルデータの提出がない」だけで不正と認定しきれなかったグレーの箇所が10数か所もあるわけです。

 『あの日』だけを読んでこうしたほかの重要な資料を読んでいない人だと、小保方さんのしたことの「重さ」は、想像がつかないと思います。普通の社会人の規範の世界からしてもどれほどかけ離れたことをしてしまった人か、ということが。

 たとえば、銀行の美人営業ウーマンがとってきた融資案件の大半が捏造で架空の顧客だったとか、美人編集者が、著者が遅筆なので勝手に自分がどんどん書いちゃったとか美人記者がとってきた特ダネが大半は捏造だったとか、美人看護師が患者のバイタルを見ていたが記録は大半が捏造だったとか美人教師の担任するクラスは学年トップの成績だったが生徒の成績の大半は捏造だったとか。あとどんな例えがあるでしょうねえ。。。


 さらに追加で「STAP細胞はある!」等の情報をどんどん出してくる。数日たってガセとわかるがその都度騒然とし、「やっぱり日本のマスコミや科学者はウソをついている!」的な「空気」ができてしまう。


 そういう「研究不正」をした人が「アイドル」になっているという現象が、わたしたちの社会に何をもたらすでしょうか。

 職場では、規律規範はどうなるのでしょうか。

 たとえばわたしと同世代くらいの部長級の人が、小保方さんのことをうっかり「可愛い。きっと無実だ」と思っていたとき、その部下の中の可愛い容姿の女性が何かのミスや改ざんをして、ちょうど小保方さんと同じような言い訳を部長に言ったとします。
 つい、クラクラッとならないでしょうか。直属の上司の課長や係長に
「君、厳しすぎるんじゃないか。A子さんに何か含みでもあるのか。A子さんはだれかにハメられたんじゃないかあ?」
と茶々を入れたりしないでしょうか。

 わたしと同世代の男性って、やりそうなんだよなあ、そういうこと。

 それはしかし、もう「乱倫職場」って言われても仕方ないんですけどね。周りの従業員のモチベーションは下がりまくりますね。A子さんが仮にお追従上手の男性でも同じです。


 「行動承認」は「論功行賞」「信賞必罰」や「理非曲直」など、昔から日本のマネジメントにあった四字熟語の体現だ。

 というようなことを、これはまだ本には書いていなかったですが、講演などでは時々言います。

 それでいえば、「小保方さんは不正をした人」だ、ときっちりいうのは、「理非曲直」の側面を出すということです。

 それはもう、研究の世界では「判決」が出ていることなので、小保方さんもそれに異議申し立てをしていないので、仕方ないのです。「一方の意見だ」というレベルの話ではありません。

 沢山ある研究不正事件のひとつとして、教訓を学びとり、過去のものとして前に進むのが正しいのです。


 これも少し余談になりますが、
 「罰」は、存在しないといけない。「罰」の存在しない世界はやりたい放題になり、結果的に人が離れていく。

 そういう「罰」の効用を言ったのが、わたしのよく参照する本『経済は競争では繁栄しない―神経化学物質オキシトシンの効用』です。本全体でいう「共感」「信頼」の効用とは真逆のことを言っている箇所ですが、「罰」はやはり、社会の維持のためにスパイスとしてないといけないのです。

 詳しくはこちらの記事を参照

わが国ではハグはちょっと―じゃあ、どうする?神経化学物質オキシトシンの知見『経済は「競争」では繁栄しない』
>> http://c-c-a.blog.jp/archives/51889965.html

 この記事の上から3分の1ぐらいスクロールしたところにこんな一節があります:

 ●「公共財ゲーム」を使った実験では、厳罰主義のクラブBは最終的に大金を稼ぎ、やりたい放題のクラブAの資産はゼロになった。善に報いるだけでなく悪を制裁することによって向社会的行動を奨励する制度が最高の見返りをもたらすことがはっきりした。

 
 ですね。
 わたしも「承認」をいう人なので、どんなことにも「承認」で対応して仏様のように振る舞うべきだと主張している人のようにみられがちなのですが、これはNOです。わるい行動に正しく「罰」を与えることは、承認のコインの裏表のようなもので、必要なことなのです。その部分がなかったら逆に「承認」も言えません。


 
 もうひとつ『研究不正』の本でおもしろかったのが、研究不正をおこなう人の年齢です。
 簡単に言うと、功成り名遂げた教授もやるし、若い研究者、小保方さんぐらいの歳の研究者もやる、ということです。
 42も事例を出してくれて横断してみると、小保方さんが不正と断罪されて処分されたことが、若いからといって決して「トカゲのしっぽ切り」だとはいえない、ということがわかります。若い人は若い人で、ちゃんと不正をしたくなる動機があります。それを正しく処分しないようでは困るのです。


・事例5 論文盗作事件のエリアス・アルサブチは発覚当時、26歳。
・事例6 スペクター事件のマーク・スペクターはコーネル大学の大学院生(博士課程?)
・事例7 ハーバード大学不正事件の主役は33歳の循環器内科医のダーシー。
・事例12 有名な「シェーン事件」のシェーンは31歳。
・・・

 こういう若い人主導の研究不正を、この本では「ボトムアップ型研究不正」と呼んでいます。

 とりわけ、近年ではアメリカ留学中の日本人の大学院生、ポスドクの人がおこなう不正が急増しているようです。「アメリカで認められたい」という気持ちが勝ちすぎるからでしょうか。

 たまたま、日本では研究室を主宰する「おじさん」教授が主体で不正を行ったケースが多かったので、「不正をやる人=おじさん」という固定観念が、わたしたちに刷り込まれているだけなのかもしれないんですね。小保方さんは、『あの日』でその固定観念(=いわばヒューリスティック)をうまく使い、「若山先生が主犯よ!だっておじさんなんだもん!」というイメージを作ることに成功したともいえますね。

 
 この本では、上記の事例6「スペクター事件」事例12「シェーン事件」とSTAP事件の3つを表にまとめ、その共通項を比較したりしています。(ご興味のある方はこの本をお買い求めください)


 さあ、いかがでしょう。

 「小保方さんは若くて可愛いのに、可哀想」
という幻想は、覚めましたか?


 

 最後に、やはり「教育」にどう影響してくるのか、ということも考えたいところです。

 小学校高学年ぐらいから、理科の実験がはじまり、「レポートの書き方」も教えられると思います。
 実験の目的、手順、材料、結果、考察、などを書くよう指導されると思います。

 ところが、それを全然ちゃんとやっていなかったのが小保方さんのあの実験ノートなわけです。

 ハーバードなのに。理研なのに。

 もちろん、もっと上の年代の「科学者教育」に携わる人たちにはさらに頭の痛いところでしょう。緻密に地道に、手順を覚え1つ1つ積み重ねてデータをとっていく…基本の倫理が崩れてしまいます。

 
 だから、「小保方さんOK」にしてしまうと、社会の隅々まで変てこりんなことになってしまうんです。

 前にも書きましたが、うっかり小保方さんに肩入れした人たちは、思考法全般が「変てこりん」になっていきます。事実、情報の評価が歪み、おかしなセンセーショナルな情報に流され、多数の良心的な人々の気持ちを思いやることなく小保方さん中心にものを考えるようになります。
 そんな人が今からも増殖する気配があります。


 わたしは、そこで「社会にたいするむだな責任感」を抑えられるかというと。。。


 

結局シリーズ化したので、インデックスを作ります

◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(1)二つの原風景の話

>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51938782.html

◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(2)『あの日』に至るまでのわたしの流れは

>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51939260.html

◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(3)じゃあなんで書きはじめたのか―科学者・科学ライターの「言葉」の限界

>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51939319.html

◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(4)「研究不正」した人が「アイドル」という現象が社会にもたらすもの(本記事)


◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(5)「捏造」と「データ不在」のオンパレード――やっぱり基本情報”判決”を読んでみよう

>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51939558.html


◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(6)アリストテレス曰く、不正は嫌悪するのが正しい

>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51939831.html

 このブログの「友人」である佐賀県のTraining Office代表、宮崎照行さんから、嬉しいメッセージをいただきました。
 いつか、宮崎さんと対談しよう、とお約束して、延び延びになっていました。今回のメッセージはちょうどわたしが「講師としてのありかた」について書いた記事について宮崎さんが応答してくださったので、ブログとメッセージで宮崎さんと正田が対話させていただいたものとしてみていただけると嬉しいです。

 長いメッセージです。


 以下、わかりにくいかもしれませんが地の文が宮崎さんで、引用形式になっているところは正田の去年8月のブログ記事です

*********************************************


4月29日付のブログ拝見しました。
私のことを書いていただきありがとうございます。

さて、29日付のブログで「教授法のこだわり―人に教えるということ」カテゴリーを推奨されていましたので、改めて再読いたしました。

その中で2015年8月4日付ブログでは大変考えさせれる点がございました。

(注:「反転学習と『正田のキャラ決め』と『経験から学ぶ』ということ」)


「管理職に教える」という仕事の要請上、過剰に「情熱的」なあり方ではなくニュートラルでなければならない


 まさしく同意です。白状いたしますと、私も講師業初心者の時期は「情熱的」でした。それは私の表層的な知識しか持ち合わせていないことを隠すための方略でした。断言することはできませんが、自信のなさを取り繕っている姿ではないかと感じるようになりました。


正田は淡々とニュートラルなあり方をたもちます。それが「自信のなさ」と受け取られるリスクがあっても。


原理原則を大事にされ、お伝えされる構造がしっかりしていれば(論理の飛躍がなければ)、自信がないように解釈されることは少ないと思います。


私も「変にテンションが高い」人を見ると引いてしまうタイプです。往々にして
「変にテンションが高い人」は論理の飛躍が見受けられる。その要因は、
”汁愿な知識しか持ち合わせていない
⇒諭垢雰亳海魍鞠芦修掘概念同士をうまく構造化できていない
テンションをあげる代償として講師としての自分を客観視することができていない
などが挙げられると考えています。
私の性格が悪いかもしれませんが、「変にテンションが高い人」に対してはツッコミを入れたくなる性分です(笑)

これまでの膨大な管理職たちの実践経験をアーカイブとして引っ張りだしたり、神経化学物質や遺伝子学、脳科学の知識まで援用しながら伝える、ということもします。
そして膨大な情報を取捨選択したすえに「この教育」「この方式」の妥当性がゆるがない、というわたしの確信を伝えていきます。


この箇所はものすごく大事です。(ブログを拝読した際、何度頷きましたことか!)
私が原理原則を大事にされているとご指摘したのは、まさにこの点です。


研修で用いられる手法は数多ありますが、多くの講師は摘み食い状態です。だから、研修に深みがなく行動変容もままならず、研修自体がイベント事で終わってしまう。また、高いテンション一辺倒の講師が生まれる土壌を育む。


コンサル業界には数年前の一時期「OJE(On the Job Experience)」という言葉が流行ったことがありました。これは「OJT(On the Job Training、昔ながらの「技能伝承」に近い、上司部下、先輩後輩間の「教える―教えられる」の関係)などもう古い、上司先輩の持っている知識は陳腐化し現代には通用しなくなった、これからは人から教わるのではなく経験から学ぶことだ」という考えからきていました。


2000年代に入り経験学習が持て囃されました。これ自体は何ら新しい学習手法ではありません(ジョン・デューイが1930年代に提唱した教育哲学)。

「教える」という従来のインストラクションの効果に疑問を持っていた方々にすれば、OJE・経験学習は斬新な手法に映ったこと思います。二元論的な問題解決方法に落とし穴があるように「こっちがだめだったから、あっち」的な考えではうまくいくことはできないでしょう。

もし、OJE・経験学習を導入するならば、「これらの学習手法は自身のパラダイムを確認したり、変更したりする際に多くな力を発揮する手法です」という基本概念をおさえておかなければなりません。だから、ものすごく高度な学習手法なんですよね(安易に近寄ると火傷をします)
そのためにも、何が必要か?それが次の文章です

「承認研修」のなかではしつこいぐらい「自己理解、他者理解」

まさしく自分や相手のパラダイムを確認する作業です。

そして最後の部分ですが、

「傾聴研修」の中では、「話を聴けないのはどんなときか」のくだりで、「先入観の罪」の話をします。「学びの場も『聴かない態度』をつくってしまうことがあります。こういう研修で教わったことがすべてだ、と思って現実に起きていることを軽視するようなことはしないでください。わたしもじゅうじゅう気をつけて慎重にお伝えするようにしていますが、みなさんももしこの研修でお伝えしたことと現実が一致しないことがありましたら、とりあえず現実のほうを信じるようにしてください」というお話をかならずします。


「傾聴」もテクニカルな部分だけに照準を合わせた研修が多かったもので、変な方向にいってしまいました。傾聴は自分や相手のパラダイムを確認するための行うものです。だからこそ、真剣に耳を傾けなければパラダイムは浮かび上がってはきません。「先入観の罪」はまさしく「推論の梯子」の概念だと思います。このことを理解していないとOJEや経験学習が上手く機能しません。もし、OJEや経験学習を効果的なものにするためには、

「‐鞠Б傾聴→3鞠芦就ぅ僖薀瀬ぅ爐旅渋げ就タ靴靴さい鼎や変容」のシステム構築が必要になってくると思います。メッセージでは図式ができないのですが、この流れは、ピラミッド型を想像して頂けるといいかと思います。つまり、いくらテクニカルな手法で「新しい気づきや変容」を喧騒しても、,ないと何も始まらないということです。

だから、OJEや経験学習がちょっと下火になってきたのは、この流れを理解できなかった(理解しようとしなかった)からではないかと思います。このことから安易に手を出すと火傷をすると指摘した要因です。


長々と思いを述べてきましたが、本当に学ばさせていただきました。
このブログより、私の考えが整理できたことは幸甚です。数多ある講師養成本と比較するまでもなく素晴らしいものです。

ただ、残念なことですが、ご指摘されているように出版業界の質が下がっています。骨のある内容よりも「チョチョイのチョイ」的な内容が出版されるという悪しき流れがあります。

それに影響され「チョチョイのチョイ講師」が蔓延っているという残念な状況です。
この悪しき流れを食い止めるためにも、一人でも多くの「本当の講師」が誕生できるように私も研鑽を積んで、いろんなところで発信していきたいと思います。

―感謝―


*********************************************


・・・という、宮崎さんからの身に余る承認のお言葉でございました。

 この「教授法のこだわり」カテゴリの記事は、だれが読んでくれるという当てもなく、ただ書き残していれば死後にでもだれかが読んでくれるだろう、ぐらいのつもりで書いていた文章なので、生きている間にこんなに真剣に読んでくださる方が出てきて感無量でございます。

 白状すると、わざとハードルを上げるつもりで書いております。去年ぐらいまで、「承認を教える講師になりたい」と言ってくる人に多数お会いしましたが、残念ながら合格点を差し上げられる方がいらっしゃいませんでした。せめて、わたしが読んできた本の5分の1ぐらいは読んでよ。そして、自分が「承認を教えたい」という動機はなんなのか内省してみてよ(ナルシシズムではないのか自問してみてよ)いやこんな言葉は不遜にきこえるでしょうが、そういう方々なんです、ほんとに。
 そういう軽い気持ちで「講師になりたい」という方に断念していただくための記事です。もちろん書いていることは本当です。

 宮崎さんも、たぶん同じようなことで悩まれたことがあるのでしょう。


 宮崎さんは、たぶん概念化ということについてわたしより優れている人だと思うのですが、そういう宮崎さんに「承認」が見込んでいただいたということは、わたしの思いもよらないような理論的意義づけを今からどんどんしてくださるでしょう。

 見る人がみたら、例えば経営学・組織論にはリーダーシップ論・組織行動学・組織学習論など、何十ものカテゴリがあるわけですが、それらのカテゴリ1つ1つから視点を変えて新たな理論的意義づけが出てくるかもしれません。そして宮崎さんの言われるように、すべての基礎に「承認」があります。どんな高度なかっこいいことを言っても、そこがなければ絵に描いたモチになります。逆に「承認」がすべての基礎だ、ということを押さえている研修プロジェクトなら成功します。「承認」の上にどんどん高度なことを載せていけます。


 わたし以外のかたがどんどん理論化してくれる。
 わたしはどこからそれをみることになるかなあ。


 なんか、もう「安心して目を閉じられる」というモードになっているかんじですね。。。


 ともあれ、宮崎さん、ありがとうございました!!
 成人に対してほんとうに指導力のある優れた講師が宮崎さんのもとからどんどん輩出されることを祈ります。


 宮崎さんが最近開設されたブログ

Training-Office’s blog

http://training-office.hatenablog.com/

第1回記事は
「成人研修講師に突きつけられた課題」
http://training-office.hatenablog.com/entry/2016/04/22/160204

 前回の記事で、『あの日』に関して批判的解読をするのは、できればおさぼりしたかった、という意味のことを書きました。教育分野の「ダメなベストセラー」の批判の作業だけで手いっぱいだった。『あの日』に関しては批判的なレビューを書いている方も多数おられるので、その方々の良識に任せたい。

 ・・・と思っていたのに、なぜ結局ブログで15回もの連載をやり、Kindle本まで書くことになったか?


 それは、たぶん、「この問題で科学者・科学ジャーナリストの言葉に残念ながら説得力がない」と感じたからです。

 ウソだ、とは言わないです。彼ら・彼女らは正しいんだけど、一般の人の心に届く言葉が言えていない。


 ひとつの例として、今月19日に出たばかりの『研究不正―科学者の捏造、改竄、盗用』(黒木登志夫、中公新書)という本を読んでいます。

 著者は1936年生まれ、元東大医科学研究所教授。
 STAP細胞事件がこの本の出版の動機だ、と著者自身述べているように、全部で42の研究不正の例を集めていますが、中でもSTAP事件は事例21として大きな紙幅を割いています。これ自体は、大変な労作です。わたしのKindle本なんか比較にならない。資料的価値のある本といえるでしょう。

 その中のSTAP事件に関する記述をみてみましょう:


STAP細胞は、ねつ造、改ざん、盗用の重大研究不正をすべて目いっぱい詰め込んだ細胞であった。はなばなしい発表からわずか11か月で、そのような細胞が存在しなかったことが明らかになり、わが国の名誉を傷つけた末に、消えていった。(p.ii)


 HOは、STAP細胞発表から2年後の2016年1月、『あの日』という本を出版した。自らを正当化し、若山照彦にすべてを押しつけようとする作為的な内容である。彼女は、ES細胞の混入を「仕掛けられた罠」として否定している。(p.124)



 いかがでしょうか。
 これが、科学界の標準的な小保方さんに対する見方です。きついでしょう?

 それは、一般には知られていないそう信じるべき根拠があるから、そうなのです。つまり、わたしの本にも書きましたが、理研の再現実験報告書であったり調査報告書であったり、昨年9月ネイチャーに載った「世界で133回追試して再現されなかった」という報告であったり。

 ところが、それら通常なら「決まり。ここで議論打ち切り」になるような資料があまり存在も知られず参照されず、中には「陰謀だ」とまで言われる困った状況が、STAP騒動にはあります。

 とりわけ今年になってからの状況では、真偽不明の小保方さん側が出す情報だけがネットでセンセーショナルに取り上げられ、リツイートされ、マジョリティになってしまう。


 科学者の言葉が通じにくくなった。少なくともこの問題に関しては。
 

 もうひとつ例を挙げると、こちら

「STAP騒動『あの日』担当編集者に物申す」(2016年2月27日)

>>http://bylines.news.yahoo.co.jp/takumamasako/20160227-00053974/


 STAP騒動について初期から発言してこられた、科学ライター詫間雅子氏の記事。

 これも、正しいことを言っている記事です。なのだけれども、実は『あの日』という本でやっている多数の欺瞞を指摘していると、とくに記事1本ぶんの短い文章では、「怒り炸裂」のトーンになってしまうことを免れない。

 そして「怒り炸裂」トーンになると、読者がついてきてくれなくなってしまう。
 本当に初期から小保方晴子さんの一連の言動の異常さがわかっていて、今も記憶に残っている読者なら、この記事に共感できるでしょう。
 でもそうではない、2年前の研究不正報道、出るもの出るものウソだらけだったという衝撃がすでに記憶のかなたになり、今は小保方さん側の出す情報の妙な「感情的説得力」に感化され、ひょっとしたらこちらが正しいのかな?と思い始めている普通の社会人は、共感できるかどうか疑問です。
 せっかく、正しいことを言っていても。


 どんなに正しくても、この件は、「伝え方をえらぶ」と思いました。相当、考えた伝え方をしないといけない。


 そこでわたしが選択したのは、

「読者のあなた」

をつねに主語に置く、ということでした。

 あなたのことなんですよ。あなたの身近にもこういう人いるでしょう。今仕事を頑張っているあなたなら、同情しなくていいんですよ。

 これは例の、「内側前頭前皮質」というやつです。ご興味のある方はこのブログの検索窓にこの言葉を入れてみてください。


 いや、成功しているかどうかわかりませんよ。Amazonレビューでは、「科学者にきかなくては意味がない!」と書かれましたね。・・・最近うんざりして、みていません・・・

 しかし、科学者・サイエンスライターの方が書いたとしても、説得力をもてるかどうかは疑問なのです。この件に関しては。
 書く人と書き方をかなりえらぶ、というしかないですね。



 
 上述の『研究不正』という本からの引用の続きです。



 (STAP事件の)何よりも深刻な影響は、人々が科学と科学者を信頼しなくなり、わが国の科学が世界からの信用を失ったことである。自らの研究に誇りをもち、一生懸命研究を行っていた研究者にとって、これほどひどい仕打ちはない。(p.125)


研究不正の基本にあるのは、周囲からの様々な圧力、ストレスに加えて、競争心、野心、功名心、出世欲、傲慢さ、こだわり、思い上がり、ずさんさなど、われわれ自身が内包しているような性(さが)である。そのような背景は、社会的な不正と共通している。(pp.287-288)


 わが国は、いつの間にか、研究不正大国になってしまった。…そして、わが国の研究不正は、2014年にピークを迎えた。
 しかし、2014年の不幸な事件は無駄ではなかった。…STAP細胞事件の影は、今でも、われわれ研究者の心に、重くのしかかっている。しかし、われわれは、2014年の不幸な事件を共有し、不正のもつ重大な意味を再認識し、立ち上がろうとしている。その意味で、STAP細胞事件の主役HOは反面教師として偉大な存在であった。(p.289)




「余話」を結局シリーズ化しました

◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(1)二つの原風景の話

>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51938782.html

◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(2)『あの日』に至るまでのわたしの流れは

>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51939260.html

◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(3)じゃあなんで書きはじめたのか―科学者・科学ライターの「言葉」の限界

>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51939319.html

◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(4)「研究不正」した人が「アイドル」という現象が社会にもたらすもの(本記事)

>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51939444.html

◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(5)「捏造」と「データ不在」のオンパレード――やっぱり基本情報”判決”を読んでみよう

>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51939558.html


◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(6)アリストテレス曰く、不正は嫌悪するのが正しい

>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51939831.html

 ブログ更新がまた時間が空いてしまいました。

 長い読者の方はご存知と思いますが、昨年末ぐらいからこのブログで「ベストセラー本の批判的解読」という作業を立て続けにしました。

 時系列に並べると
『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』(昨12月、4回連載)
『「学力」の経済学』(1月、7回連載)
『ほめると子どもはダメになる』(1月、1回)

 それと本ではないですが、『嫌われる勇気』の著者、岸見一郎氏の講演会で異議申し立てをした(1月16日)というのも記憶に新しいです。

 本当は『嫌われる勇気』もまた、上記の本と同様に「逐文的」に批判読みをしないといけないのですが、おさぼりしています。それはあまりにもわたしからみて「パッと読んでダメ」な部類の本だったからです。それがこんなに影響力をもってしまうとは。

 そんなことをやっている分「良書」を読むことがこのところ後回しになりがちで、こころの栄養が足りないと思っていました。

 
 そんな風に、教育分野のものだけでもダメなベストセラーが量産されていて、それらを批判する作業だけで忙しすぎたので、『あの日』については、サボろうと思っていました。わたしがやることではない、と思っていました。


 なんでこう、ダメなベストセラーばかり出るのだろう。

 答えはわかっています。出版不況だからです。人々が本を読まないからです。


 「紙の出版物、15年の販売額5.3%減 減少率は過去最大 」(2016年1月25日日経)
 http://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ25II6_V20C16A1TI1000/?n_cid=SPTMG002


 「出版業界の調査・研究を手がける出版科学研究所(東京・新宿)は25日、2015年の紙の出版物の推定販売額を発表した。14年比5.3%減の1兆5220億円と、減少率は1950年に調査を始めてから過去最大となった。特に稼ぎ頭の雑誌の落ち込みが深刻で、出版市場は底入れの兆しが見えていない。

 前年割れとなるのは11年連続。減少率は14年の4.5%を上回り、過去最大だった。書籍は240万部超の大ヒットになった又吉直樹氏の「火花」(文芸春秋)など文芸書が好調で14年比1.7%減の7419億円にとどまったが、雑誌は同8.4%減の7801億円と大きく落ち込んだ。「15年は雑誌市場の衰退が一気に進んだ」(出版科学研究所)」


 出版社別にみると、例えば『あの日』の出版元で業界2位の講談社は、2012年売上高が前年度比マイナス3.3%となっています。(数字がちょっと古いですが、大きな趨勢としてはこうなのでしょうネ)


 そして前にも書いたかと思いますが、こういう本離れの時代にどうやって買わせようとするかというと、「逆張り」がよくやるテクニックです。なかでも教育分野では、「ほめる否定」を使うのがこのところ顕著です。

 子供をもつ親御さんというのはどの時代も不安なのだと思いますが、その心理につけこんで「逆張り」をやり、「ほめてはいけない」という、もっとも不安を煽ることをやる。「えっ、自分のやっていたことは間違いだったのだろうか」と思わせる。上記の『「学力」の経済学』『ほめると子どもはダメになる』『嫌われる勇気』いずれもそうです。

 ちょっと丁寧に読めばそれは意図的な論理のスリカエを行っていたり
(例えば『ほめるとー』では、「ほめる教育」と「叱らない教育」をわざと混同している)、
でたらめなデータの並べ方をやっていたり
(『学力の――』では、データをいくつか並べるがそれと結論がどうみてもつながっていなかった)
するのです。そんなやり方で親御さんの不安を煽ってどうするんだ。

 そして、行動理論−行動分析学のほうの、「ほめて伸ばす」で明らかにパフォーマンスが上がるほうのデータは、意図的に見せません。ずるいですねえ。


 ※ここからちょっと寄り道で、

 まあ「ほめる」にはゆきすぎ現象も確かにあるので、わたしは極力「ほめる」という語を使わないできたのですが。ゆきすぎれば問題があるということと、最初から全否定することは当然違います。


 また、否定ばかりして育てた結果、強い個体は生き延びるし雑草のように根性がすわって育つかもしれませんが、それはやはり「歩留まりのわるい」やり方といわなければなりません。ごく一部の強い個体を除いて死滅してしまい、収穫高はわるくなります。本性に逆らう育て方をしたら。人は、ごく一部を除いては肯定されて育つほうが育ちやすいんです。そして、「否定して育てる」を推奨した場合にパワハラや虐待を防止できるのか?クエスチョンです。普通は、「否定する」を推奨した場合はエスカレートしやすいんです。

 最近ドラマなどで「日陰において育てると強くなる」とか、ちょっと「鍛える」的な言い回しをききますが、それは一人歩きすると指導者側の傲慢にすぐつながると思いますね。相手がそこまでして育ちたいと思っているかどうかですね。子供さんだったらグレさせてしまってからでは遅いですね。

 そう、「否定して育てる」は、反発心のいたずらに強い、ひねくれた嫌な人格を作ってしまうリスクもあります。育てられた当人も他人を否定ばかりするようになります。
 逆に肯定して育てるといろんな意味で素直な性格に育つので、教えたこともよく受け取って学習します。効率がいいのです。

 わたしが「承認」と言っているときはおおむねGOとSTOPを適切な比で与えよ、GOのほうを多く、STOPをたまに効果的に、それが一番いい結果につながるから、ということを言ってるんです。もちろん相手の個体差も丁寧にみます。否定メッセージを比較的好む個体というのもあるにはあります。それも程度問題で、否定ばかりで育てていい個体などありません。

 日本人の場合例の遺伝子的な特性で、肯定的な感情を初期設定ではあまり持っていないのです。で指導者になる人も、人を肯定するということを訓練なしにはできないのです。一方で育つ側というのは肯定されたほうが育つ、これは日本人の場合であっても真理なので、指導者側の訓練が要るんですね。やっぱりほめるタイプの先生のほうが成績は伸ばしますよ。

 

 はい、最近あまり「承認」のことをブログに書いていなかったので、久しぶりに基本のことを書かないといけませんね。

 閑話休題です。




 そうして「ほめてはいけない」のメッセージを与えられた今の時代の親御さんたちがどうなっていくのか、というのは空恐ろしいです。いや本なんかみんな読んでないから大丈夫だよ、という考えもあるでしょうが、例えば上記の『「学力」の―』の著者は安倍首相の教育再生会議の委員です。新自由主義を教育に持ち込み教育をその支配下に置きたい、という主義主張の方です。この本の影響ですでに大阪市教委は先生方の給与体系に成果主義を大幅導入することを決めました。『ほめると―』はちょっとわかりませんが、『嫌われる勇気』の津々浦々までの浸透ぶりはすごいですねえ。講演会にはごく普通の善男善女という感じの方々が来られていました。そこでは英語教室で「Good job」も言ってはいけないんだそうです。


 だから、本が売れない時代のベストセラーというのは、手段を選ばず人間性を破壊するようなとんでもないことを書きます。それをなめてかかっていると案外な影響力を及ぼし、とても変な世の中をつくっていきます。

 『あの日』もその中の1つです。
 『あの日』を読んでその変なロジックに巻き込まれ被害者表現もすべて真に受けてしまった人というのは―(略)


 こういう時代に対して変に責任感をもつわたしはどこかおかしいのでしょうか――。


 『あの日』に関わるのは本来は3月いっぱいまでのつもりでした。連載の第14回を「最終回」として書き上げ、年度も変わりさあ次へ進もう、というつもりでした。

 ところが、同じ3月31日の数時間後に例の「STAP HOPE PAGE」というのが公開され、それでまた一時期騒然となり、この問題が収まりそうにありません。


 そこで翌4月1日、仕方なく落としたエンジンをまた回転させたようなつもりで、「エイプリルフール企画・社会人のための小保方情報」解読講座」というのを追加で書きました。
 やっぱり、ネット上には小保方さんに一方的に有利な情報ばかりあふれている。それをうのみにしてしまうと、今度は普通に良心的にやっている科学者研究者の方々が非難されたり不信の目でみられてしまうことになる。ひいては、普通の仕事の現場の規律規範までガタガタになってしまう。そのあたりはちょっと、やむにやまれぬ気持でした。アホだ、と自分でも思いますが。


 そうして「毒食わば皿」で、Kindle本をつくってしまおう、ということになりました。

 というのも、ブログ読者の方々はご存知かどうかわかりませんが、既に「STAP細胞・小保方晴子さん」関連のKindle本というのはうじゃうじゃ出ているのです。
 内容は
「小保方さんは若山照彦にハメられた!」
「STAP細胞はある!」
という怪しげなもの。それも紙の本で20−40ページ程度の内容のものが500円とか700円という価格で出ています。


 それだったら既に新書本1冊分くらいの分量のあるもので、科学的にも「情報の読み方」的にも正しいところを伝える本を1冊Kindleから出したほうがいいじゃないか。

 そんな思いでKindle本『社会人のための「あの日」の読み方』を出すことになったのですが、まあそのあともゴタゴタ長引いています。まだこの件から手を引けそうにありません。


 本当は、今月からはもともとの教育分野に戻って『「学力」の経済学』批判や岸見アドラー心理学批判をしたかったな。
 それに前著の『行動承認』のKindle化もしたかったな。


 
 
 『行動承認』は、たぶん100年後に残る本です。
 地味で、ベストセラーになる種類の本ではありません。

 しかし私は書きながら読者を定めたのです。
 頭でっかちの学者さんやコンサルタントさんにわかってもらわなくてもいい。
 頭に思い描いていたのは、研修でお出会いする、高卒の工場リーダーやサービス業のリーダーたちでした。現場で育ち仕事脳を発達させてきた、彼・彼女らにわかってもらえればいい。「自分たちのことだ」と思ってもらえればいい。

 そう、例えば大手商社やメーカーのホワイトカラーの旧帝大出の人たちも眼中にありませんでした。人事・研修担当者も、極端にいえば対象外でした。

 現場のリーダー層の人たちにわかってもらえれば。


 そんな思いが通じてか、去年は、お陰で2か所で研修テキストとして採用していただきました。受講生様方の手元に「あの本」がありました。
 とりわけ、「研修前にもう本を読んで自己流で実践を始めています」というある受講生様の言葉には感激でした。


 読者対象として想定していなかった層の人にも響いたようでした。

 佐賀県のご同業の宮崎照行さんからも、「医大の救命救急センターで組織開発サブテキストとして採用しています」と嬉しいご連絡をいただきました。
(これは本来想定外の読者層でしたが、わたしのつもりでは易しい言葉だけれど医学的にも正しいことを書いているつもりなので、幸甚でした)

 またオープンセミナーに参加された、獣医さんにも好評でした。
 

 『行動承認』を自分が教えたい、と思う講師のかたは、このブログの「教授法へのこだわり―人に教えるということ」というカテゴリをぜひ読まれてください。

 あのカテゴリに書かれていることが、いわば『行動承認』研修のプロトコルのようなものです。講師がどんな心構えであれば伝わるか、というお話が書かれています。

 また「研修副作用関連」のカテゴリも読んでください。
 あれは、わたしなりに観察してまとめてきた、「研修の『やってはいけない』」集です。


 もし、『行動承認』を読んでいただいてそれから「教授法へのこだわり」カテゴリと、「研修副作用関連」カテゴリを読まれたときに「すっ」と反発心なしに頭に入るようでしたら、その方はきっと『行動承認』の講師の適性がある方だと思いますね。


 
 たぶん『行動承認』は再出版などされることなく、Kindle本で出しなおすことになると思います。「エウダイモニアブックス」というレーベルで。できれば、今の哲学や脳科学の動向を入れた『行動承認 第二章』のようなものも出せないかなと思っています。

 そういう、素直に読んでいただければものすごく実際の役に立つもの、というのはもう今の時代、出版社さんが出せなくて、Kindleで出すしかないのかもしれませんね。


 わたしがそこまで生きていられれば。
 
 

「余話」を結局シリーズ化しました

◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(1)二つの原風景の話

>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51938782.html

◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(2)『あの日』に至るまでのわたしの流れは

>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51939260.html

◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(3)じゃあなんで書きはじめたのか―科学者・科学ライターの「言葉」の限界

>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51939319.html

◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(4)「研究不正」した人が「アイドル」という現象が社会にもたらすもの

>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51939444.html


◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(5)「捏造」と「データ不在」のオンパレード――やっぱり基本情報”判決”を読んでみよう

>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51939558.html


◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(6)アリストテレス曰く、不正は嫌悪するのが正しい

>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51939831.html 
 
 

 

 Kindle本『社会人のための「あの日」の読み方』
 お陰様で無料キャンペーン期間中、295名の方にダウンロードいただきました。
 この期間中はKindle実践経営・リーダーシップ1位、投資・金融・経営1位だったのですが、有料化したとたんどーんと下がってしまいました。トホホです。

 さて、今は500円ですが、たぶんそれぐらいの値打ちはあると思います。通勤通学の途中でさらさらっと読めて、ちょっとした(正しい)知識が身について、資料的価値もありますから。

 こちら

 http://ur0.work/tk27

のページでご購入くださいね。

 あっ、Kindleは専用端末をお持ちでなくても大丈夫です。スマホ、タブレット、PC用にKindle無料アプリがあります。Kindle本を購入しようとすると、Amazonさんがアプリのダウンロードをお勧めしてくるとおもいます。この際なのでダウンロードしてしまいましょう。


 さて、本を書き終わると、後から色々と言葉がついて出て、ブログを汚します。過去2作のときもそうでした。


 今回は、「なぜわたしがこんなに小保方晴子さんにこだわるか?」という思い切り私情のお話です。

 たぶんこのブログの長い読者の方ですと、わたしのこれまでの生き方が思い切り小保方さんと相いれない、というのはご存知のことと思います。

 たとえば比較的最近ではこちらの記事

「痛みに満ちた進歩の歴史と「こころの退化」と―世界の経営学にNOを言う 考察編(3) 」
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51931465.html

 まあ要は、「均等法第一世代」であります。男並みに働く権利とともに義務も手にした女の子が、まじめにシャカリキに働いた結果、セクハラには遭うし体力的にも限界だし社内制度は整備されてないし、でリタイアしていきました。

 しかし、おじさん連中に媚びることはしなかったぞ。それは胸を張って言えると思います。

 わたしの場合は、東京の内勤でセクハラおじさん連中と大喧嘩し(今でもネット上でしつこく絡んでくる厭らしい中年男がいますがネ)広島支社に転勤して、思ったことは

「これでやっと実力勝負ができるゾ」

ということでした。
 あっ、「勝負」という言葉を使うからといって「勝ち負けがすきな人」だとは思わないでくださいね。わたしはとにかく、自分でないものとみなされるのがイヤなんです。可愛い子ちゃんと思われるのもイヤ、劣った存在とみなされるのもイヤ。お色気も媚びも使わず、実力で特ダネもぎとってきて、「あいつは、やる」と言われたいわけです。

 そんな、パンツスーツ姿で男社会に喧嘩を売っていた日々の中に、「島根医大での日本初の生体肝移植」の取材というのが入ってきました。

 以前にも書いたと思いますが執刀医の永末直文・島根医大第二外科助教授(当時、のちに教授)とは、妙に馬が合いました。永末氏もちょっと傍流っぽい、九州大医学部から広島赤十字病院へ、そして島根医大へという経歴。広島から島根に行ったときガクンとお給料は下がったそうです。それでも研究への志やみがたかったそうです。

 外科医としては、手術の天才的に上手い名外科医。そして研究者としても一流誌の常連。その永末氏のもとで医師団はまとまっていました。

 その中にポスドクの若い医局員が2人いました。当時のわたしときたら、ポスドクのなんたるやも知らなかったのですが、島根医大に常勤の医師として勤務しているのに、ICUの移植患者のことも診ているのに、無給。数日に1回、関連病院の夜勤のアルバイトをして生計を立てています。その合間に実験動物の世話をし、実験をし、論文を書きます。「風呂入ってないだろー」眼だけがギラギラしていた時もありました。四六時中一種の興奮状態、倒れないギリギリのところにいる感じでした。

 その彼らが主著者になった論文が一流誌にアクセプトされたという、医局室のホワイトボードの字を何度かみました。永末氏は名指導者でもあり、サジェスチョンを与えてテーマを設定させ、実験をさせ、そして「論文は書き出しが大事なんだ」と、サラサラと英文を書いて、それが一流誌に載るのだとか。

 この人たちとは手術発生直後から患者の坊やが亡くなる翌年8月まで、9か月にわたり月の半分位顔をみていたので、お互いウンザリするぐらいでしたが、そういうひたむきで過酷な青春を送る人々がいる、ということは当時刷り込まれていたのです。いいことか悪いことかは別にして。

 だから、小保方さん。ポスドクで無給(理研からは)でありながら、ヴィヴィアンウエストウッドで身を固めポートピアホテルに宿泊する、それは「おじさま転がし」で「不正研究者」だからできたことだと、色々証拠が出てきた今ではつながるわけですが、それはやはり許しがたい。わたしの「原風景」からするとそうなわけです。自分のぶんと、取材先のぶんと。


 本当は、そういう「原風景」のお話までしないと、「あの本」を書いた動機というのは説明がつかないかもしれませんね。今度加筆しようかな。


 
「余話」を結局シリーズ化しました

◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(1)二つの原風景の話

>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51938782.html

◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(2)『あの日』に至るまでのわたしの流れは

>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51939260.html

◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(3)じゃあなんで書きはじめたのか―科学者・科学ライターの「言葉」の限界

>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51939319.html

◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(4)「研究不正」した人が「アイドル」という現象が社会にもたらすもの

>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51939444.html
 
◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(5)「捏造」と「データ不在」のオンパレード――やっぱり基本情報”判決”を読んでみよう

>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51939558.html


◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(6)アリストテレス曰く、不正は嫌悪するのが正しい

>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51939831.html

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ・・・……<<<エウダイモニア通信>>>……・・・
発行日 2016.4.19                 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ※「エウダイモニア」は「幸福」、また「栄える」という意味のギリシア語
です。
 「業績1位」の山を築いてきた承認マネジメントの研修講師・正田佐与が、
経済的繁栄を含めたわたしたちの「幸せ」についてご一緒に考えるメルマガ
です。
 
※このメールは、正田が過去にお名刺を交換させていただいた方、イベントや
セミナーに  ご来場いただいた方にお送りしています。
ご不要の方は、お手数ですがメール末尾にありますURLより解除ください。

■■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ┃本日の話題 ☆☆☆☆☆
■■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

【1】 人気シリーズKindle化しました!本日17時まで無料配信中です
「社会人のための『あの日』の読み方」

【2】 「被災地以外の人は冷静に行動を」友人からのお便り

【3】連載「ユリーの星に願いを」第7回「春の便り」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【1】 人気シリーズKindle化しました!本日17時まで無料配信中です
「社会人のための『あの日』の読み方」
 2月〜今月初めにかけてブログで計15回にわたり連載させていただいた、
小保方晴子さんの手記『あの日』を読み解くシリーズ『社会人のための「小
保方手記」解読講座』をまとめて、このほどKindleで出版させていただきま
した。

 紙の本で183ページ、新書1冊ぶんの分量。ブログと違ってリンクをたど
って読む必要がなく、通勤通学途中にも楽に読んでいただけます。また、
必要な場合は即資料を当たれるように、ネット上の資料のリンクも細かく
付しております。これは紙の本と比較したKindle本の強みです。販売価格は
500円。

 途中、第四講に「STAP論文で小保方さんは何をしたのか?もう一度理研報
告書を読んでみよう」という項目を大幅加筆し、元の連載よりかなり小保方
晴子さんに厳しい内容となっています。これは、リサーチするうち社会人の間
でも「STAP騒動とは、何だったのか」についてあまりにも見解がまちまちな
ため、公式に認定された事実を丁寧に振り返る必要性を感じたためです。

(なお、この「認定事実」が間違いである、陰謀である、というためには、小
保方さんは本を書くのではなく訴訟を起こさないといけません)

 STAP事件について発生当初から一貫して発言してこられた、山口大学医学
部講師の林田直樹先生が、この本にステキな推薦文を書いてくださいました。

 本日、17時まで期間限定の無料キャンペーンをしております!ぜひ、メルマ
ガ読者のあなたもこの機会にダウンロードしてみてください。
(こちらのAmazonページ[短縮URL]から無料でダウンロードしていただけ
ます)

>>http://ur0.work/tk27

 なお無料キャンペーンは、一昨日日曜の17時から開始。これまで累計約250
人の方々がダウンロードしてくださり、Kindleストアの「投資・金融・会社経
営」、「実践経営・リーダーシップ」のカテゴリでそれぞれ1位となっております。

 ……もし残念ながら本日17時を過ぎてしまった場合でも……恐らく、500円
の値打ちは十分にある、保存版資料になると思います!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【2】「被災地以外の人は冷静に行動を」友人からのお便り

 熊本地震では、その後も1日に何度も余震が続き、被災地の方々は絶え間な
い恐怖にさらされていることと思います。
 被災された方々に心からのお見舞いを申し上げます。

 さて、九州在住の友人からこんなお便りをいただきました。
「正田先生
 Kindleのご出版、おめでとうございます。 購入させていただきます。

 さて、ご承知の通り熊本、大分を中心に断続的に余震が起きている状況です。
熊本にいる知人と連絡を取り合っているのですが、実のところ現地の方々は
行政・自治会や警察、消防の指示に従って比較的冷静に行動されているのが
現状です。 一方、SNS上では偽善を伴った行動が散見され辟易しています。
これは、ある意味いかに多くの方々が「承認」に飢えていることを表してい
るのではないかと感じます。

 偽善を伴った投稿、自分の承認欲求を満たすことを目的とした情報拡散は、
えてして混乱をきたす恐れさえあります。

 このような場合、私たちに地震災害の中心地以外にいる人間はいかに冷静
でいられるかが鍵になるのではないかと思います。 非常事態時に冷静な判断
や行動をとることができるためにも、先生が提唱されている「行動承認」を
平時の普段から行うことが大切だと再認識いたしました。」

 そうなのですね。
 わたしも、阪神大震災を経験していますので、倒壊した家屋、避難所にいら
っしゃる住民の方々、余震を恐れて車の中に寝泊まりする方々などの映像を
拝見すると、本当に胸が痛みます。それでも、外部の素人の自分に今できるこ
とは少ないと、自分に言い聞かせます。

 SNSでは確かに被災地外でたくさんの災害関連情報を発信される方がいらっ
しゃいますけれども、いたずらに回線に負担をかけるよりは、目の前のことを
着々と行うことが大事なのでは?と思ったりします。

 ちょうど、上記の『社会人のための「あの日」の読み方』でも、最終的には、
「劇場型の感情に流されるのではなく、注意深い素朴なまなざしを」と呼びかけ
たところでした。それはこの友人の言われるとおり、「行動承認」の精神と同じ
ものです。

 そんなときに1つの情報が目にとまりました。
 荻上チキ著『災害支援手帖』臨時公開版
 熊本地震の発生に鑑み、書籍『災害支援手帖』の一部を出版社さんが無料公開
されています。

「災害支援手帖」無料公開
>>http://books.kirakusha.com/saigaishien/

 第一章「お金で支援しよう!」には、「義援金」と「支援金」の違いについて
書かれていて、わたしも勉強になりました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【3】連載・「ユリーの星に願いを」第7回「春の便り」
By ユリー
 ユリー:マーケティングコンサルタント。人と組織のメカニズムに高い関心
を持つ仏教学習者。40代女性。
***********************************

 こんにちは、ユリーです。
 正田先生の「あの日」シリーズ、読み応えのある連載でしたね。私も自分の
周辺の出来事とも照らし合わせながら、興味深く読みました。

 さて、先日、知人(A氏)から異動の連絡をもらいました。A氏は30代後半
の男性、中堅広告代理店の管理職から、関連団体の事務局長に出向することに
なったそうです。A氏は実は数年前に起業に失敗した経験があります。20代か
ら起業を目指しキャリを積み、念願かなって起業したものの経営に失敗し廃業、
伝手を頼って現在の広告代理店に再就職したという経緯があります。起業前後に
仕事を紹介したことを恩義に思ってくれてなのか、折々に連絡をくれる後輩です

 異動の知らせを聞き、役に立てることがあれば声をかけてくださいねと応援の
メールを送ったところ「身の丈にあっていない役職に緊張していますが、励まし
をいただき本当に心強く励みになります。また力を貸してください。」という返
信をもらいました。
 出向先の団体は、全国各地で地元政財界を巻き込み地場企業と連携し事業展
開を行っています。この異動は、彼の優れたバランス感覚や調整力、フットワ
ークの良さを期待してのことでしょう。トップマネジメントは部下の適性を見
抜いているのだと感じます。また、彼のこれまでの経緯を知っている私からみ
れば、苦労は人を成長させるというのは、実際に起きることだとも感じました。

 起業前、業界大手企業のサラリーマンだったA氏は優秀ではありましたが、
その頃の彼からは「器量」を感じることはありませんでした。起業後「大企業の
看板」あっての自分だったことを思い知るかたちで、会社の存続に失敗。再び
会社員となり、採用や人事を担当しながら同時に有名企業との合弁会社の役員を
兼務するという激務をこなしていました。失敗とその後の仕事への没頭を通し
て、器量を広げ、周囲への感謝を常に内面に湛えた人物になったと感じました。

 「艱難汝を玉にす」、現在のA氏は、苦労によって磨かれた人格だと感じます。
苦労を糧に成長したA氏に人は必ず成長できるということを、再び私に確信さ
せてくれた嬉しい春の便りとなりました。


□□━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ┃今日の一筆箋  
□□━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 重ねて、熊本地震の犠牲者の方々のご冥福をお祈りいたします。被災された
方々に心からのお見舞いを申し上げます。
 1日も早く余震が収まってほしいですね!わたしも心から願います。
 

┌─<<現役マネージャー必読!>>──────────────────>
│  近著『行動承認―組織の能力を最大化する「認める力」』
│  http://www.amazon.co.jp/gp/product/4434198572
└──────────────────────────────────>


1位マネジャー続出の承認研修講師 正田佐与の発信するメディア

┏┓
┗■ ツイッターアカウント >> @sayoshoda
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┏┓
┗■ フェイスブックページ >> http://www.facebook.com/sayo.shoda
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┏┓
┗■ ブログ「正田佐与の愛するこの世界」 >> http://c-c-a.blog.jp
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


■メールニュースのバックナンバーもこちらからお読みいただけます。
>> http://c-c-a.blog.jp/archives/cat_50052130.html

■新規購読の申し込みは、「メールニュース」希望と書いて、配信希望先のアド
レスとともにinfo@c-c-a.jp 宛にメールでお申込みください。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

皆様の職場でも業績向上につながる「承認」を取り入れてみませんか?
 研修のご相談、原稿のご依頼、「人」の問題について個別のご相談は以下まで
お気軽にご連絡ください。
 
 正田佐与承認マネジメント事務所
 Email info@c-c-a.jp TEL: 078-857-7055  FAX: 078-857-6875

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

このメールニュースは、正田が過去にお名刺を交換させていただいた方、
イベントやセミナーにご来場いただいた方にお送りしています。

◎メールニュース解除方法
解除される場合は、下記の解除フォームに受信メールアドレスを入力してくだ
さい。ワンクリックで解除していただけます。

>> http://mag1.hyper-mail.jp/md/publish/quit.asp?act=1&mid=1044&mail=sshoda@c-c-a.jp




◇―――――――――――――――――――――――――――――――――◇

100年後に誇れる教育事業をしよう。

 発行者 正田佐与承認マネジメント事務所代表 正田 佐与

◇―――――――――――――――――――――――――――――――――◇
このメールは転送歓迎です。

 久しぶりのブログ更新です。

 2月から今月1日まで連載していた、「社会人のための『小保方手記』解読講座」を、このほどKindleで出版させていただきました。

 『社会人のための「あの日」の読み方:決定版!「小保方さん」「STAP情報」解読講座』

http://ur0.work/tk27


 価格は、「正しい知識を普及する」ことを重視したいので、500円。

 この「本」、本日17:00から48時間、無料配信となります!500円惜しいという方は、本日17時になるのを待って、ダウンロードしてください。(ぜひレビューもお願いしますね^^)



 この間一昨日15日金曜まで、連載記事をとりまとめてうんうん校正しておりました。意外に「書式を揃える」ということに随分時間をとられるものだ、ということがわかりました。編集者さんのご苦労がしのばれます…。でもそこに注力したぶん、Kindle本にしたときに割合みやすい画面になっていると思います(自画自賛)




 山口大学医学部講師の林田直樹先生(老化学・神経変性疾患・血管病)が、ステキな推薦の言葉を書いてくださいました。

 年度初め、「たくさんの科研費の申請を書かなければならない」と林田先生がFBに書いておられたちょうどそのタイミングでのおそるおそるの推薦文のお願い。

 断られるかなーと思ったのですが、「いいですよ」と2つ返事でOKいただき、原稿をお送りするとその日のうちに目を通してくださいました。

 そして、短いバージョンの推薦文を3つ(そのうち2つを合体した形でAmazonの本の紹介文に入れさせていただきました)、長い推薦文を1つ(本の冒頭に掲載させていただきました)を書いてくださいました。



 あとづけになりますが林田先生の過去のブログ記事を拝見させていただきました。

 「地位と教養のある年配の方々には STAP 問題の本質を理解してほしい」
 http://ameblo.jp/naokihayashida1001h/entry-11838456981.html

 これなのだなー。
 このブログの「エイプリルフール特別企画」(Kindle本の「補講」)で触れましたが

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51937719.html

 武田邦彦氏、青山繁晴氏、西岡昌紀氏と、お金も地位もある「おじさま」の方々が、妙に小保方晴子さん擁護の発言を繰り返します。

 こういうことが、いかに科学研究の現場で若い人の人材育成を担っている人たちの神経を逆なでするだろうか。今の若い人たちにものごとの手順を1つ1つ教え込む作業をあざわらうことになるだろうか。

 ということを、わたしは勝手に「忖度」してはらを立てていたのでした。

 
 そのことを、林田先生の上記の記事は当事者の立場として、率直に言われていました。

 研究者の中でも「教育」を重視される林田先生だからこそ、と思います。(ちなみにプライベートでは3人のお子さんのパパであることも、別のブログのどこかに書かれていました


 このことはまたいくつかの連想をも生むのですが、

 
 今この社会が成り立っている組織のオペレーション、それはその陰に地道な人材育成があるから。それはまた、組織がとかシステムがやるのではなく、個々の「ミドル」―年齢的にも組織の中での立場としても―の努力によって成り立っている。

 「ミドル」たちは「今の若い人」の独特の難しさとのインターフェイス上にいる。スマホ・LINE時代、常に同世代でつながり、他世代との交流が弱く踏み込みにくい若い人たちです。それでも、人材育成の要請上、ミドルたちは踏み込んでいかざるを得ない。

 その「ミドル」たちの独特の大変さをわたしは常に「忖度」してきたし、だから「小保方さん擁護おじさま」たちには、はらが立ってきた。彼らは現場での人材育成をする立場でないからそんなことが言えるのです。

 「格差社会の帰結として、社会の各階層が分断され、互いに想像力が働かなくなっている」ということを最近佐藤優氏が言っておられましたっけ。なんか信頼できる人少ないなー。

 


 また、わたしが「行動承認」という手法を作りだしおこがましいことですが、受講生様方が高い成功を収めてくださっているのは、わたしのこの「忖度」という心のはたらきが作用してるのではないかとも。

 現場のミドルマネジャーの大変さや忙しさ、責任の高さと、一般職の側の人の「承認されたい」という思い。どちらもわたし自身は経験していないけれど、不思議と「忖度」をしたのだと思います。それの産物が「行動承認」なのだと思います。


 
 色々、校正作業から解放されたので、勝手なことを考えます。

 小保方さん擁護派の方々はこのところヒステリックなので、こういう本を出したら出したで色々なことを言われるだろうなーとも、ぼんやり思います。
 


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ・・・……<<<エウダイモニア通信>>>……・・・
発行日 2016.4.4                 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ※「エウダイモニア」は「幸福」、また「栄える」という意味のギリシア語
です。
 「業績1位」の山を築いてきた承認マネジメントの研修講師・正田佐与が、
経済的繁栄を含めたわたしたちの「幸せ」についてご一緒に考えるメルマガ
です。
 
※このメールは、正田が過去にお名刺を交換させていただいた方、イベントや
セミナーに  ご来場いただいた方にお送りしています。
ご不要の方は、お手数ですがメール末尾にありますURLより解除ください。

■■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ┃本日の話題 ☆☆☆☆☆
■■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

【1】 バブル上司のタイプは/職場では何をすればいいのか/小保方さん情報
との付き合い方は
〜『あの日』を読む人気シリーズ、ついに完結!

【2】連載「ユリーの星に願いを」第6回「新入社員のタイプは」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【1】バブル上司のタイプは/職場では何をすればいいのか/小保方さん情報
との付き合い方は
〜『あの日』を読む人気シリーズついに完結!


 Google「社会人 小保方」のキーワードでトップ1〜9位を独走中の大好評
シリーズを、このほど完結しました。「社会人のための『小保方手記』解読講座」。
 ちょうど先月31日、小保方晴子さんがホームページを開設、その内容の真偽
が一時メディアを賑わせたところです。
 お蔭で一旦は完結した連載もそのあと1回「蛇足」の回を書かせていただく
ことになりました。
 現役社会人の方に心を込めてお送りするシリーズ完結編、どうぞご覧ください:
 

●社会人のための「小保方手記」解読講座(13)情けないぞおじさんたち!!
「ええかっこしい上司」「放置プレイ上司」そして「欲得・不正系上司」(後編)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937542.html
 上司シリーズ後編として、「放置プレイ系」若山氏、「欲得・不正系」大和氏・
バカンティ氏を取り上げました

●社会人のための「小保方手記」解読講座(14)(最終) まとめ:あなたの会
社から「モンスター」を出さないために―女性活躍、発達凸凹対応、そして改
めて「行動承認」
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937655.html
 今、どの会社組織もSTAP事件の「萌芽」となるような、「人間観の危機」を
抱えているといえます。あなたの会社がつまづかないために。現実的な解をお伝
えします。

●エイプリルフール特別企画・シリーズ番外編:社会人のための「小保方情報」
解読講座
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937719.html
 エピローグとして、「ウソ対策」の回。小保方さんやその周辺の人が繰り出す
「情報戦」に、正しい社会人はどう反応すべきでしょうか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【2】 連載・「ユリーの星に願いを」第6回「新入社員のタイプは」
By ユリー
 ユリー:マーケティングコンサルタント。人と組織のメカニズムに高い関心
を持つ仏教学習者。40代女性。
***********************************

 こんにちは。ユリーです。春本番、全国各地から桜の便りが聞こえてきます
ね。みなさまのお住まいの地域ではいかがですか?

 読者のみなさまには、4月と同時に新入社員をお迎えになるという方もたく
さんいらっしゃることでしょう。生産性本部は毎年、独自の調査から、その年
の新入社員の特徴をキャッチーな表現で発表していますが、今年2016年度
の新入社員は「ドローン型」だとか。ドローンを正しく操縦する力量をもった
上司や先輩に恵まれるようにと願います。もちろん生身の人間を相手にするわ
けですから、正確には正しい操縦ではなく適切な対応や指導ですね、そしてそ
こにはやはり当然のことながら「行動承認」が大きく貢献することと思います。
 
 同じく毎年、生産性本部は新入社員対象の「働くことの意識調査」を実施し
ています。この調査は昭和44年度から続いており、その蓄積から、新入社員
の働くことに対する意識の明らかな変遷を見ることが出来ます。

 例えば、会社の選択基準ですが、昭和44年の調査開始当初は「会社の将来
性」が約27%で選択の理由のトップでしたが、昨年(平成27年)の調査では
最下位(約9%)になっています。変わって、上位を占めるのは1位が「能力・
個性をいかせる」が約31%、ついで「仕事が面白い」が約19%と続きます。

 「能力・個性を活かせる」を選択理由に挙げているということは、「能力・個
性が認められ、それにふさわしい仕事を与えられる」ことを望む新入社員の心
理が見えてきます。選択理由の「会社の将来性」が1位から最下位になっていっ
たのは、時代の鏡ですね。学生の職業意識はその時代の社会の空気を端的に表し
ているものだという気がします。

 さて、他にもこの調査結果からは様々な意識が読み取れます。世代間ギャッ
プを研究するには格好の教材かもしれません。ご興味のある方はリンクを載せ
ておきますので、ご参考になさってください。

●今年の新入社員はドローン型 プレスリリース
>>http://activity.jpc-net.jp/detail/lrw/activity001472/attached.pdf

●平成27年度新入社員「働くことの意識調査」
>>http://activity.jpc-net.jp/detail/lrw/activity001445/attached.pdf

□□━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ┃今日の一筆箋  
□□━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 新年度、いよいよ今週は実質的なスタートでしょうか。今年度も皆様の職場に
メルマガ、ブログを通じて、エールを送らせていただきます!

 「社会人のための『小保方手記』解読講座」2月23日を皮切りに、約
1か月半にわたり連載させていただきました。この間、Facebookなどを通じて
多くの経営者、管理者の読者の皆様に励まされてまいりました。
 連載終了に当たり、皆様の温かいご理解に心から感謝申し上げます。

┌─<<現役マネージャー必読!>>──────────────────>
│  近著『行動承認―組織の能力を最大化する「認める力」』
│  http://www.amazon.co.jp/gp/product/4434198572
└──────────────────────────────────>


1位マネジャー続出の承認研修講師 正田佐与の発信するメディア

┏┓
┗■ ツイッターアカウント >> @sayoshoda
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┏┓
┗■ フェイスブックページ >> http://www.facebook.com/sayo.shoda
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┏┓
┗■ ブログ「正田佐与の愛するこの世界」 >> http://c-c-a.blog.jp
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


■メールニュースのバックナンバーもこちらからお読みいただけます。
>> http://c-c-a.blog.jp/archives/cat_50052130.html

■新規購読の申し込みは、「メールニュース」希望と書いて、配信希望先のアド
レスとともにinfo@c-c-a.jp 宛にメールでお申込みください。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 皆様の職場でも業績向上につながる「承認」を取り入れてみませんか?
 研修のご相談、原稿のご依頼、「人」の問題について個別のご相談は以下まで
お気軽にご連絡ください。
 
 正田佐与承認マネジメント事務所
 Email info@c-c-a.jp TEL: 078-857-7055  FAX: 078-857-6875

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

このメールニュースは、正田が過去にお名刺を交換させていただいた方、
イベントやセミナーにご来場いただいた方にお送りしています。

◎メールニュース解除方法
解除される場合は、下記の解除フォームに受信メールアドレスを入力してくだ
さい。ワンクリックで解除していただけます。

>> http://mag1.hyper-mail.jp/md/publish/quit.asp?act=1&mid=1044&mail=info@c-c-a.jp




◇―――――――――――――――――――――――――――――――――◇

100年後に誇れる教育事業をしよう。

 発行者 正田佐与承認マネジメント事務所代表 正田 佐与

◇―――――――――――――――――――――――――――――――――◇
このメールは転送歓迎です。

すみません!!m(_ _)m きのう「連載終了」を宣言したにもかかわらず、新年度に入ったのにまだ引きずっています。


 小保方晴子さんがきのう3月31日開設したとされる、”STAP HOPE PAGE” が、その後アクセス不能な状態が続いています。
>>https://stap-hope-page.com/
 
 「サイバー攻撃に遭った」と弁護士などが声明を出しておりますが、真相のところはどうなんでしょ。

 ところが幸い、これを閲覧可能な間に魚拓をとってくださった方がいて、こちらではみることができます。
>>https://archive.is/ttnfp 

 このサイトも、STAP細胞作製プロトコルを公開とはいいながら、
「ATP Solutionの記述がおかしい」
などと早くも突っ込みが出ており、撤回されたSTAP論文と同様、信頼性の低いものです。

 わたしも、このサイトの”Results of the STAP verification experiment” のページを見たとき、写真やグラフにクレジット類が入ってないのが気になっておりました。理研の再現実験の画像としたら、所有権や著作権の問題はないのかな?と。

 それでも、このサイトの公開を受けて、Amazonの『あの日』の売り上げランキングは600位台から100位と再び急上昇。中古本も910円→980円と上がっており、落ちてきていた本の売り上げのカンフル剤と、小保方さんサイドは「にんまり」していることでしょう。

 情報としては意味はない、それでも何かしらの形でUPすると話題になる。
 こういう滋味をおぼえてしまったようです、小保方晴子さん。

 小保方さんと似た、自己愛のウソつきの方はほかにも多数いらっしゃいますが、小保方さんほど世論の妙な同情をかちえ、その後も本の出版、ネットでの擁護派による援護情報、そしてホームページ開設と、多彩な情報操作の技を繰り出してくる方はいらっしゃいません。
 ちょっと油断していると、小保方さんに有利な情報が、しかしよくみると中身のない情報がばらまかれている。本来どうということのない研究不正事件なのに、その後も奇妙な情報戦を仕掛ける才覚のある方であります。またご本人の周辺の方々も。

 というわけで今日は、「エイプリルフール特別企画」として、「小保方さんとその周辺情報とのつきあい方」をお送りします。


1.「STAP細胞ができた」という“偽情報”について
2.“ジャーナリスト”上田眞実氏、「木星通信」、「ビジネスジャーナル」
3.武田邦彦氏、青山繁晴氏、西岡昌紀氏・・・小保方晴子さんを愛するおじさま評論家たち


 それではまいりたいと思います・・・。


1.「STAP細胞ができた」という“偽情報”について


 昨年12月と今年3月に、2回にわたり
「アメリカでSTAP細胞に似た研究を発表!小保方晴子さんの研究は正しかった!」という情報がネットを駆け巡りました。
 どちらも、発信元は自称ジャーナリスト上田眞実氏であり、3月のものは「ビジネスジャーナル」というニュースサイトに掲載されました。

「STAP現象、米国研究者Gが発表…小保方晴子氏の研究が正しかったことが証明」
>>http://biz-journal.jp/2016/03/post_14306.html

 しかし、読者の皆様このタイトルをみておおっ、とはならないでください。
 この情報は、実はよくみると昨年12月に一度流されてデマだとわかった情報と同じものです。
 一度否定された情報をまた3月に臆面もなく持ち出してきただけです。
 この情報が「ガセ」「流言」であり、また一度否定された情報の焼き直しだということを、
本シリーズの(10)でも一度お伝えしたかと思いますが、再度、サイエンスライター粥川準二氏の2回にわたるブログ記事を引用してお伝えいたします。

お蔵出し:米研究者が「STAP細胞」の再現に成功?
>>http://d.hatena.ne.jp/KAYUKAWA/20160210
STAP細胞をめぐる「流言」を検討する
>>http://blogos.com/article/168854/

では、アメリカの新たな研究はSTAP研究とは実験方法も結果も異なり、STAP細胞とは呼べないこと。またこの論文をよくみると、日本語ジャーナリズムの報道とは全く異なり、論文中でSTAP研究は否定していること。この研究を掲載した「サイエンティフィックリポーツ」は、以前にもお伝えしたように査読基準のゆるい雑誌であること。
では、,力聖櫃魴り返すとともに、3月に再燃した流言は12月のものの焼き直しであることを述べています。
 もうひとつ△任もしろかったのは粥川氏の言葉で、次のくだりです:

信じ込んでしまっている人を説得するのはほぼ不可能である。科学やメディアのプロがすべきことは、よくわからず判断に迷っている人たちを念頭にして、手堅いファクト(事実)と厳密なロジック(論理)で、結論を急がず粘り強い議論を継続することである。そのことが流言やデマを信じてしまう「集団的な心理」を変化させ、「情報環境」を整え、科学をめぐる言論空間を豊かにすると筆者は考えている。


 これはその通りと思い膝をうちました。そうです、批判するのに最初から旗幟鮮明にすることは上手いやり方とはいえません。「手堅いファクトと厳密なロジックで、結論を急がず粘り強い議論を継続すること」、わたしが本シリーズで試みたのも、まさしくそれでした。(成功しているかどうかわかりません)

 さて、上記の´△如◆屮優奪箸STAP細胞が再現されたって言ってたよ!」となっていた方も、納得していただけたでしょうか?

 わたしの友人は、「STAP細胞がアメリカで再現されたそうだ。新聞に載っていた」と言うので、再度「どこの新聞?」と確認をとると、上述の「ネイチャー・サイエンティフィック・リポーツ」のことだったわけです。「新聞に載っていた」というのは、友人のそのまた友人が言っていたのだそうで。
 そこで、上述のようにその雑誌は「ネイチャー」社の発行ではあるが査読基準のゆるい雑誌で、権威はない、ということをじっくりご説明したわけです。
 やれやれ、紛らわしく手間暇のかかることですね。大人は正確な知識をもっていないといけません。

 それにしても、この“ガセ情報”を2度にわたって流したジャーナリスト上田眞実氏とはどういう人物なのでしょうか・・・。
 この人物も今後小保方晴子さん絡みで繰り返し登場するとみられますので、一度触れておきたいと思います。

2.“ジャーナリスト”上田眞実氏、「木星通信」、「ビジネスジャーナル」

 前述のサイエンスライター粥川氏の△竜事の中に、「記事の著者の個人攻撃は・・・」という文言もあり、その著者というのがジャーナリスト上田眞実氏のことです。
 なのでここでこの方に言及するのが正しいのかどうかわかりません。しかし、STAP細胞や小保方晴子さんについて繰り返し真偽のはっきりしない情報を発信する、わるくいえば「デマ元」のような存在である以上、この方の位置づけをしておかないといけないように思います。

 上田眞実(まみ)氏。女性。自称ジャーナリスト、市民記者。ブログ「木星通信」執筆者。「小保方晴子さんへの不正な報道を追及する有志の会」代表。
 これ以上のことは、経歴も年齢も不明です。顔写真もどこにも出ていません。たまに原発報道に出かけたり、上杉隆氏講演会に出かけたりしているようですので、小保方晴子さん本人ではないようです。
 粥川準二氏ら、STAP事件を研究するサイエンスライターの会合に“乱入”したとの噂もあります。

 その「木星通信」というブログをみてみると・・・
>>http://jupiter-press.doorblog.jp/  
 このブログの中ではいろいろな話題を扱っていますが、先ほどの「ネイチャー・サイエンティフィック・リポーツ」に載った「STAPに似た細胞」こと「iMuSCs細胞」に関する昨年12月の記事をご紹介しましょう:
>>http://jupiter-press.doorblog.jp/archives/46236779.html
 おもしろいことに、この記事はこの論文を完全に「誤読」しています。この記事の下のほうまでずっとスクロールしてみると・・・、引用されたこの論文のアメリカ人の著者は、この新たに発見された細胞は、STAP細胞とは違うものですよ、ということを明確に言っています。

「我々の知見は、iMuSCsはこれまで研究されたすべての細胞型とは異なる特性(形態、大きさ、および遺伝子発現プロフィール)を有する細胞のユニークな、非常に敏感な集団であることを示しています。」

 STAPというより小保方さんの過去の他の論文も参考のために読んだが、それとは違うものですよ、と言っているのです。
 この論文を素直に読めば「小保方晴子さんの発見は真実だった!」なんていう、ドヤ顔の見出しになるはずはないのですが。完全に「飛ばし記事」であります。


また、「小保方晴子さんへの不正な…有志の会」のブログをみてみると・・・
>>http://blog.livedoor.jp/obokata_file-stap/

 昨3月31日には「 小保方晴子氏 HPを開設「STAP HOPE PAGE」で プロトコルを 公開へ。」
 また本日4月1日は、「小保方晴子氏のHP、何者かがサイバー攻撃、閲覧不能状態に。」とあり、まるでここの会は小保方晴子さんのスポークスマンのようです。

 そしてこの同じ上田眞実氏が、去る3月19日には「ビジネスジャーナル」に投稿して、12月に一度否定し笑われた「iMuSCs細胞」のまったく同じ論文の話を蒸し返して、新たなスクープであるかのように言い立てた、ということです。
 
 この方にたいする「人格攻撃」は、しないことにします。でも、読者の皆様はここまでのお話で、この方の行動パターンをある程度読み取れたのではないでしょうか?
 今後もSTAP細胞がらみで同じようなことを繰り返す可能性がありますので、ここでは「上田眞実氏」「木星通信」という固有名詞を押さえておいていただくとよいのではないかと思います。

 そして、この上田氏の記事をちょこちょこ載せている「ビジネスジャーナル」というWEBニュースサイトにも触れておきましょう。
 「Buisiness Journal(ビジネスジャーナル)は株式会社サイゾーが2012年4月から運営する企業・経済ニュースなどビジネス記事を扱うサイトだ、とWikiにはあります。
>>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%BE%E3%83%BC

 その「BJ」のサイトはこちら
>>http://biz-journal.jp/

 きょう4月1日の画面をみますと、「障害者400人が鎖に繋がれた「呪われた村」! 恐ろしいほど残酷な差別の実態とは?=インドネシア」という悲惨な写真入りニュースなどと並んで、「STAP現象、理研で再現されていたことが発覚…若山教授、不当に実験成果物を大量持ち出し」とう見出しが並んでいます。これも上田眞実氏の記事。
>>http://biz-journal.jp/2016/04/post_14498.html 

 この記事がまたですね、若山照彦氏と理研の間の「成果物譲渡契約書」なるものを「スクープ!」と称して公開しているんですが、この契約書が存在しているにもかかわらず、記事のあとのほうでは「契約もないのに物を持ち出した」と言っていたり、また記事の3ページ目では「理研の再現実験ではSTAP現象は再現されていた!」と言っているがよくみるとそれは「STAP“様”細胞」でしょ、多能性を有する「STAP幹細胞」じゃないでしょ、と、話の筋を知っている人ならすぐ突っ込める文章。この方の頭の中は、どうなってるんでしょうか。

 というわけで、支離滅裂な記事を書く上田氏も上田氏なら、それをノーチェックで載せている「BJ」のほうも相当いい加減。

 「BJ」って、名前だけみると真っ当なニュースサイトのように見えますが、しかも株式会社サイゾーの運営なら真っ当だろう、と思いたくなりますが、実態はニュースサイトを名乗るのもおこがましいような、怪しげなサイトだと思っていいようです。

 こういうことも、あなたの職場の若い人が「だって新聞社のサイトでそう言ってたもん!」って真に受けてしまうことがあり得ますので、知識として持っておいたほうがよいでしょう。



3.武田邦彦氏、青山繁晴氏、西岡昌紀氏・・・小保方晴子さんを愛するおじさま評論家たち


 2016年現在、小保方晴子さんを擁護する有名識者、評論家の方はいまだにいらっしゃるようです。
 その筆頭が、武田邦彦氏(中部大学総合工学研究所特任教授)、青山繁晴氏(独立総合研究所社長)、西岡昌紀氏(内科医)。
 個々の方について論評するのは控えさせていただきます・・・。
 おひとり挙げるなら、武田邦彦氏が3月に入って動画で小保方晴子さんを擁護していたのを聴かせていただき、そのあまりの無根拠・印象論ぶりに失笑せざるを得ませんでした。しかし、一般人の擁護論の人というのは、そのような性質をもった人びとなのです。印象論、感覚でものごとを理解する人たち。そこに対しては正しいマーケティングをしていると言うべきかもしれません。

 しかし、やはり仕事の世界に生きるわたしの受講生さんや読者の方々は、もうちょっとしっかりした論理的な思考方法をしていただきたい。ので、このブログや小保方手記のシリーズを書いてきたわけであります。

「小保方さん擁護おじさま」、もうお一人、このブログにも過去に登場されたちょっと有名なエコノミストの方がいらっしゃいましたけど・・・(略)

 というわけで、エイプリルフールにお送りした蛇足、「社会人のための『小保方情報』解読講座」ここまででございます。

 あっ、正田はアホみたいに正直な人間なので、エイプリルフールだからといって「ウソ」はつけないのです。代わりに「ウソ対策」の記事をUPするのです。


 読者の皆様、桜満開の良い週末をお過ごしになりますように。



これまでの記事:
●社会人のための「小保方手記」解読講座(1)―印象的な”ツカミ”のエピソードはこう読め!Vol.1
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935543.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(2)―印象的な”ツカミ”のエピソードはこう読め!Vol.2
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935599.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(3)―1位マネジャー製造講師・正田が読む・晴子さんのプロファイリングはVol.1
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935610.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(4)―正田が読む・晴子さんのプロファイリングVol.2 小保方さんの生育環境は
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935705.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(5)―プロファイリングVol.3 多彩な感情表現は人を被害者的にする!心理学セミナー、カウンセリングの副作用のお話
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935878.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(6)―「私の会社でも」読者からのお便り
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936058.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(7)―“惑わされる”理系男子:女性必見!もしもあなたの彼が「隠れ小保方ファン」だったら
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936162.html
 
●社会人のための「小保方手記」解読講座(8)―「キラキラ女子」の栄光と転落、「朝ドラヒロイン」が裁かれる日
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936340.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(9)―「STAP細胞はあります!」は本当か?Amazonレビュアーが読み解くプロジェクトの破綻
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936570.html

●社会人のための『小保方手記』解読講座(10 )―再度「STAP細胞はありません」―「ウソ」と真実・ネット世界と現実世界のギャップ、社会人の分断リスク
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936986.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(11)― 騙されないためのケーススタディー:小保方晴子さんが使った「ヒューリスティック(自動思考・錯覚)」の罠
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937126.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(12)情けないぞおじさんたち!!「ええかっこしい上司」「放置プレイ上司」そして「欲得・不正系上司」(前編)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937436.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(13)情けないぞおじさんたち!!「ええかっこしい上司」「放置プレイ上司」そして「欲得・不正系上司」(後編)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937542.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(14)(最終) まとめ:あなたの会社から「モンスター」を出さないために―女性活躍、発達凸凹対応、そして改めて「行動承認」
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937655.html



●エイプリルフール特別企画・シリーズ番外編:社会人のための「小保方情報」解読講座
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937719.html

あの日

 小保方晴子さんの手記『あの日』(講談社、2016年1月)の読書日記 第14弾。いよいよ最終回です。









 今回の内容は以下の通りです:

はじめに:小保方さん残された問題:奨学金・研究費返還問題、博士号訴訟?
1. 女性活躍推進―新たな段階、ピリッとしろ男性上司たち!!
2. 発達凸凹対応―「差別」を卒業し、10人に1人の「個性」を知る
3. 言葉がキレイ、お顔がキレイ、経歴詐称オンパレード
 ―もういちど「行動承認」、痛みを踏まえて振り返れ

 それではまいりたいと思います―



はじめに:小保方さん残された問題:奨学金・研究費返還問題、博士号訴訟?

 前回もお知らせしましたように、STAP細胞問題をめぐり理研OBによる窃盗容疑の告発は、被疑者不詳のまま兵庫県警が捜査書類を検察送致し、一応の捜査終結となりました。(ただし「検察送致」のあと「起訴」になることはまれではありますがあるそうです)

 しかし、小保方晴子さんの“受難”はまだまだ続きそう。

 1つの例に、「奨学金問題」があります。

 小保方さんは、学術振興会の特別研究員制度を利用して毎月20万円の奨学金と、年間60万円の研究費を3年間、受け取っていました。この「DC1」というカテゴリに博士課程1年目から採択されるのは、通常よほど優秀な学生だそうであり、ここにも「裏口」「コネ」の影がちらつきます。ともあれこのDC1で、小保方さんは3年間で総額900万円を受け取っていました。
 ところが、この学術振興会の特別研究員制度の規定では、研究不正を行ったら奨学金、研究費は返還しないといけません。

 参考URL:「遵守事項および諸手続の手引」
>>https://www.jsps.go.jp/j-pd/data/tebiki/h28_tebiki.pdf
(3月31日現在PDFへのアクセス不能)

 これに加え、小保方晴子さんは早稲田の応用化学会給付奨学金も受給しており、
参考URL:
>>http://www.waseda-oukakai.gr.jp/gakusei/shougakukin/kyuuhu-shougakusei-2007.html

 さらにCOE留学費用も受給していたとのことで、これらが時期的に重なっていれば、不正受給になる可能性があります。少なくとも上記の日本学術振興会特別研究員の「遵守事項および諸手続の手引」には抵触します。

 したがって、これらの奨学金・研究費の返還を求められる可能性は大いにあります。

 STAP細胞論文をめぐる問題で、理化学研究所(理研)が不正調査や検証にかけた経費の総額が、8360万円に上ったとのことです。主な経費の内訳は、STAP細胞の有無を調べる検証実験1560万円▽研究室に残った試料の分析1410万円▽二つの調査委員会940万円▽記者会見場費など広報経費770万円など。弁護士経費など2820万円、精神科医の来所など関係者のメンタルケアに200万円です。
  一方で、小保方晴子さんには、論文投稿料の約60万円を返還請求したのみでした。(2015年3月21日、毎日新聞など)。この60万円は同年7月小保方さんから返還されたそうです。

 それ以前には「年間6億円の研究費」といった庶民感覚からするとびっくりするような額が週刊誌を賑わせておりました(「週刊文春」2014年6月19日号)。それらについての返還は求められないそうです。



 一方で今年3月25日、STAP HOME PAGE というサイトが立ち上げられ、この中でHaruko Obokata名の人がSTAP細胞プロトコルを公表しました。また昨年11月、博士号剥奪の決定をした早稲田大学に対して訴訟を検討していることを明らかにしました。
 3月31日現在、このサイトの真偽は不明です。→代理人の三木秀夫弁護士のコメントにより、このページの作者は小保方晴子さん自身だそうです。

 というわけでこの問題はまだまだ続きそうです…。

 さて、現状をこんな風にまとめたうえで、今日の記事の本題です:



1. 女性活躍推進―新たな段階、ピリッとしろ男性上司たち!!

 前回の記事の末尾近くに、米雑誌「ニューヨーカー」に今年2月掲載されたSTAP細胞に関する記事“The Stress Test”と、それを転載した「週刊現代」の記事のご紹介をしました。

>>http://www.newyorker.com/magazine/2016/02/29/the-stem-cell-scandal
>>http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48272 (日本語版)

 しかし、上記の記事をみて、わたしが「ああ、これはやはり『フジヤマ・ゲイシャ』だな」と思った部分があります。
 それは、「日本の女性研究者」に関する部分。

「この仕事(STAP)の背後にいた『革命児』が小保方晴子であった。彼女は男性中心の日本の科学界に女性として一石を投じた。彼女は他の女性に比べて、男たちとの駆け引きの中で生きることに長けていた。」

「それに対して小保方はこう返した。『日本では女性研究者は二流です。たとえ年下の大学生でも、男性が必要としたら、女性は顕微鏡を使うのを諦めないといけません』」(日本語版より)

 これを読むと、日本では女性は二流扱い、その中で小保方晴子さんは突出した才能に恵まれ頑張っていた人、と読めてしまいそうです。
 どうもこれは、アメリカ人の先入観に合わせて小保方さんがまた「盛って」いるのではないか?と私には思えます。

 日本の理系の研究室の女性活用の構図というのは、それほど単純な性差別問題ではありません。もっと複雑な様相を呈しています。

 わたしの正直な感想を言いますと、過去にみた理系の研究機関では、むしろ女性研究者たちは奇妙に幼く(それこそ小保方さんが時には小学生のように幼くみえたように)、年齢にふさわしくない、思考力不足や特定の論点への固執を繰り返していました。男性指導者の考えから抜け出せず頭が切り替わらないという傾向も顕著でした。
 社会人として鍛えられていない。
 そういう人が残りやすいのか、そのように育てられてしまうのか。

 2014年7月1日、理研の高橋政代プロジェクトリーダー(54)が、「理研の倫理観に耐えられない」とツイートし、iPS細胞の臨床応用の中止も考えることを表明しました。(実際には9月にiPS細胞から作った網膜の細胞を、「加齢黄斑変性」の患者に移植する臨床研究の手術を行い、この患者は1年後も良好な経過だったとのこと)

 研究組織に限らず多くの企業・組織共通できく話です。ある世代までの女性は、パイオニア精神をもって男性並みに頑張る。ところがある世代から下は、見た目や態度の可愛らしさで男性上司に気に入られようとする女子が増えてくる。
 小保方晴子さんは、そのあとの方の女性の代表格です。

 ここは、このシリーズの上司編(12)(13)でみたように、バブル世代を中心とした男性上司たちの心の引き締めをお願いしたいところです。

「女の子は可愛いほうがいいなあ」
「僕の言った通りのことを上手に相槌を打ち、合いの手を入れ、素直にやってくれる部下は、可愛いなあ」

 こういう心の隙に忍び寄ってくる部下がいます。男性、女性に限らず。彼・彼女らは、上司の心の弱いところを目ざとく見つけてきます。


 自分の中にそういう「弱さ」がないだろうか。上司特有の孤独に耐えられず、甘い言葉で言い寄ってくる部下に依存するようになっていないだろうか。女性部下との間に疑似恋愛関係のようなものを作りたいという願望がないだろうか。上司は、つねに自己点検をお願いしたいものです。

 「女性活躍推進法」が4月1日から施行され、従業員301人以上の大企業は、女性の活躍推進に向けた行動計画の策定などが新たに義務づけられます。その中には、女性管理職や女性役員の数値目標といった要素が入ってきます。
 是非、その中でも本当に優秀な、だれもが納得する女性人材の選抜を行っていただきたい。「数ありき」の女性管理職づくりなどは論外。もちろん「見た目が可愛い」などという理由も論外です。実力主義を貫く中で、浮かび上がってくる候補を見出すようにしてください。


2. 発達凸凹対応―「差別」を卒業し、10人に1人の「個性」を知る

 このシリーズでは「プロファイリング編」の(3)(4)(5)で、小保方晴子さんに発達障害の可能性があることに触れました。
 犯罪や研究不正といった問題のたびに「発達障害」の要素がクローズアップされると、当事者のかたがお気の毒です。とはいえ、ことさらにこの問題にふたをしておくわけにはいきません。何しろ何度も言いますように10人に1人の障害であり、ほとんどの人にはどこかにそれらしい形質があり、一種の「個性」と捉えてしまってもいいぐらいです。マネジメント指導の中では今や欠かせなくなっています。
 発達障害は、できれば幼少の頃にご家庭で見つけだしてほしい障害です。子供のころから始めるのと大人になってからでは、療育の困難さが全然変わってきますから。大人になってから発見されると、社会適応が難しくなります。
 しかし現実には、仕事に入ってから発見されることが非常に多いのです。

 研究職の場合ですと、エジソンがADHDだったことでもわかるように、発達障害の人は一般社会より多いと思われます。ただわたしの経験でも、「発達障害」という概念が研究機関のマネジメント職の人々に普及しているとはいえません。「研究者は少し変なぐらいの奴がいいんだ」これが常識のため、研究機関には「びっくり人間ショー」のような人々がいます。しかしその「変」の中身を丁寧に見極めようとはしていません。意外に、この「発達障害」「アスペルガー」の話題をタブー視して避ける方々によくお会いしました。

 発達障害の中にもいろいろなタイプがあり、“症状”の出方は十人十色です。部下がそう(発達障害)だと分かるまでには、マネジャーはその独特の個性に振り回され、非常に悩むものです。部下10人の中に1人発達障害の人がいれば、マネジャーの悩みの9割はその人のことだ、というぐらいに。

 一方で、いったんマネジメント研修の中で一通りのご説明をし、その人の場合はこういう特性である可能性がある、と理解してしまうと、マネジャーたちは嘘のように悩みから解放されます。また特性に合わせたマネジメント、というのもちょっとした工夫で難なくできるようになります。ですのでどの職場でも、発達障害の人に対するマネジメント指導の研修というのは入ってほしいものだと思います。

 小保方晴子さんの場合はどうか、というと、恐らく空想に入りやすくぼーっとしやすい、時間管理が下手な人なので、上司が毎週のように進捗確認をしてやり、それに合わせて「次の一手」の行動計画を作ってやること。また、ご本人がそうしたやや厳しい指導に入ることを厭わないこと、が必要になります。

 もしご本人が管理されることをイヤがり、かつ成果を出せなかったらー。残念ながら、そのときは「あなたは研究者に向いていない」と引導を渡すことになりますね。

 こうした、発達障害の人の側が管理されて仕事することを受け入れる必要性というのは、やはり子供の頃からの療育の中で、自分の特性を理解しそのうえで「生きる」とは何か、「働く(収入を得る)」とは何か、を繰り返し問い直し仕事の枠組みの中で生きることを受け入れることが必要になります。

詳しくはこちらの記事参照
「われわれは覚悟のある障碍者を雇用します」
>> http://c-c-a.blog.jp/archives/51884894.html

 残念ながら、小保方晴子さんの場合はどうか、というと、このシリーズの(4)でみたように、研究者のお母さん、優秀なお姉さんたちの家庭に育ち、また「発達障害」という概念のない時代の心理学理論のもとで育ったため、その極端な能力の凸凹を正しく見いだされることなく、身の丈以上のセルフイメージを持って育ってしまった可能性が大です。言語能力が突出して高く、実行能力がそれに伴っていなかったのですが、その実行能力の弱さが見いだされませんでした。結果的に嘘、言い訳、他責の人になってしまいました。

 そして普通の仕事に就けば何かしら行動の遅さとか確実性の低さが見いだされ矯正されたかもしれませんが、理系の研究職では、顕微鏡を覗きながらぼーっとしていても、周囲からその実行能力の低さが見いだされにくい環境です。研究職は普通の仕事より、はるかにチェックが働きにくいのですね。

 研究機関の方はぜひ、若い研究職の方がこういう人なのではないか、と一応のアンテナは立てておいていただきたいものです。それとともに発達障害の様々なタイプについて、そういう人のマネジメント法について、学習していただきたいものです。
 またどの職業においても、発達障害の方にはさまざまな個性があります。10人に1人はいらっしゃるのですから、あまり不安になったり感情的になったりすることなく、その人の個性を理解し、働きやすいように環境整備をしてやっていただきたいものです。


3. 言葉がキレイ、お顔がキレイ、経歴詐称オンパレード
 ―もういちど「行動承認」、痛みを踏まえて振り返れ

 このシリーズ連載中にもTVコメンテーター・自称コンサルタント「ショーン・K」氏の経歴詐称問題が出、しばらく雑誌を賑わしました。
 同氏のコメント力はなかなかのものでしたが、しかしそれは当意即妙に辻褄を合わせる口先の技術だった、ともいえます。そして「整形疑惑」も一緒に明らかになってしまいました。わかりやすい例ですね。
 
 ことほどかようにわたしたちは、「見た目」と「言葉」に翻弄されやすい生き物。
 
 そこで、我田引水とお叱りを受けそうですが、わたしが任意団体、NPO時代を通じて10数年にわたり確立してきたマネジメント手法、「行動承認」が有効であり、重要であることを改めて申し上げるのをお許しください。

 「行動承認」とは、マネジャーが部下の行動をみて、「あなたは、○×(行動)をしたね」「やってくれたね」と、事実そのままに認める、というものです。「すごいね」「偉いね」等の褒める言葉を使う必要はありません。事実の通り認めるのです。
 これを習慣づけて繰り返すと、部下は極めて能動的になり、指示されなかったことも自発的に考えてやってくれるようになります。また信頼関係が高まり、指示したことや教えたことも正確に受け止めてくれます。職場の行動量もコミュニケーション量も飛躍的に上がり、業績が上がります。
 行動承認の下では、過去13年間にわたり「業績1位マネジャー」が生まれています。

 過去の受講生の皆様、行動承認のやり方や意義、効果についてはもう「耳タコ」でいらっしゃると思いますが、もう一度確認していただきたいのです。

 みなさんは、「話を聴く(傾聴)」も学ばれていると思います。
 しかし、よく混同してしまうところですが、「傾聴」はそれ自体が目的なのではない。「行動承認」のためにこそある、と思ってください。
 能弁な人が世の中にはいらっしゃいます。今の時代、スマホ全盛で行動力が軒並み下がっています。子供時代から手を動かして何かをやったことがなく、弁だけが立つ人が過去に比べて増えています。言い訳のうまい人も増えています。
 言葉を聴いても、行動の伴わない言葉に惑わされないでください。本シリーズ(2)でお伝えしましたように、相手が本当にその行動をとったのか、きちっと「裏をとって」ください。そして、本当に行動をとったことに関してはしっかり「承認」してやってください。

 出発点で少々行動力の弱い人でも、それを繰り返していると、自然と「行動すれば承認してもらえるんだ」と刷り込まれ、行動力のある人に育っていきます。

 また、上司のあなたの側も、少々面倒ではあっても「裏をとる」ことを習慣づけていれば、部下が「やっています」と言葉だけで、実際はやっていなかった。などというとんでもない事態で真っ青にならずに済みます。
 過去に比べ、こうしたマネジメント法の必要性はいや増しています。転ばぬ先の杖、行動承認。

 「小保方騒動」を眺めてきた今、それを他山の石としてわたしたちが学ぶべきは、何か。最終的には「行動承認」これのさらなる徹底を、というお話になるのです。

 受講生様方、大丈夫ですね。






 14回にわたり連載させていただいた「社会人のための『小保方手記』解読講座」これにて終了とさせていただきます。(今後も各章にちょこちょこ追記させていただくかもしれません)
 当初は全体の構成も立てずに書いてきたこのシリーズでしたが、途中から「プロファイリング編」「読者編」と徐々に構成らしいものができ、中盤に「STAP細胞はあったのか」について、優れたAmazonレビュアーの皆様のお蔭をもって、独自の見解をご提示することができました。そして「上司編」には、とりわけ多くの上司世代の方々のご反響をいただくことができました。
 この間、意気阻喪するようなこともありましたが、読者の皆様の応援のメッセージに励まされてまいりました。長い間のご愛読、ありがとうございました。
 また、差し支えなければ全体のご感想を、ブログコメント、FBコメントその他の形でいただければ嬉しく思います。


これまでの記事:
●社会人のための「小保方手記」解読講座(1)―印象的な”ツカミ”のエピソードはこう読め!Vol.1
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935543.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(2)―印象的な”ツカミ”のエピソードはこう読め!Vol.2
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935599.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(3)―1位マネジャー製造講師・正田が読む・晴子さんのプロファイリングはVol.1
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935610.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(4)―正田が読む・晴子さんのプロファイリングVol.2 小保方さんの生育環境は
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935705.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(5)―プロファイリングVol.3 多彩な感情表現は人を被害者的にする!心理学セミナー、カウンセリングの副作用のお話
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935878.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(6)―「私の会社でも」読者からのお便り
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936058.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(7)―“惑わされる”理系男子:女性必見!もしもあなたの彼が「隠れ小保方ファン」だったら
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936162.html
 
●社会人のための「小保方手記」解読講座(8)―「キラキラ女子」の栄光と転落、「朝ドラヒロイン」が裁かれる日
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936340.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(9)―「STAP細胞はあります!」は本当か?Amazonレビュアーが読み解くプロジェクトの破綻
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936570.html

●社会人のための『小保方手記』解読講座(10 )―再度「STAP細胞はありません」―「ウソ」と真実・ネット世界と現実世界のギャップ、社会人の分断リスク
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936986.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(11)― 騙されないためのケーススタディー:小保方晴子さんが使った「ヒューリスティック(自動思考・錯覚)」の罠
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937126.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(12)情けないぞおじさんたち!!「ええかっこしい上司」「放置プレイ上司」そして「欲得・不正系上司」(前編)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937436.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(13)情けないぞおじさんたち!!「ええかっこしい上司」「放置プレイ上司」そして「欲得・不正系上司」(後編)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937542.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(14)(最終) まとめ:あなたの会社から「モンスター」を出さないために―女性活躍、発達凸凹対応、そして改めて「行動承認」
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937655.html



●エイプリルフール特別企画・シリーズ番外編:社会人のための「小保方情報」解読講座
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937719.html

あの日


 小保方晴子さんの手記『あの日』(講談社、2016年1月)の読書日記 第13弾です。

 前回は、

1. 時系列でみる 小保方さんの「バブル世代おじさま」たち
2.「ええかっこしい」の系譜(1)常田聡氏の“教えない教育”
3.「ええかっこしい」の系譜(2)笹井芳樹氏の前のめりとイッチョカミの悲劇


という内容を取り上げました。
※詳しくは第12回参照
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937436.html
 今回は、残りの上司たちについて。

4.「無関心」⇒「擁護」⇒「放棄と紆余曲折」:若山氏
5. 闇の紳士たち?:大和氏、バカンティ氏、セルシード社


 この人たちを取り上げようと思います。
 それではまいりたいと思いますが、その前に。

 例の「告発状」について、結果が出ておりました。
 昨3月28日、「STAP細胞論文の研究不正問題に絡み、舞台となった神戸市中央区の理化学研究所の研究室から、胚性幹細胞(ES細胞)が盗まれたとする窃盗容疑で告発を受けていた兵庫県警は28日、容疑者不詳のまま捜査書類を神戸地検に送付し、捜査を終えた。」
との報道が出ました。
 このES細胞窃盗容疑の告発の件については、本シリーズでは「研究不正問題の本筋の話ではない」と考え、これまで触れないできました。
 正直、昨年5月の告発状受理以来これまで捜査が継続していたので万一、窃盗が立件されるようなことがあれば、小保方さんの研究の日常の一端がわかるかも?という期待があったのですが。
 シリーズの(9)でご紹介したパルサ説では、「STAP細胞はES細胞混入ではない」という立場をとっていることもあり、ここではこの告発の件を重視しないできました。
 ・・・と、少し言い訳めいているわたしです。

 それでは改めて本日の内容にまいりたいと思います―



4.「無関心」⇒「擁護」⇒「放棄と紆余曲折」:若山氏

【理研・2010〜2012】
若山照彦氏 1967年4月1日(48歳、理研チームリーダー=当時、2013年より山梨大教授)

 若山氏は、小保方晴子さんの手記『あの日』では、典型的な悪役として登場します。『あの日』だけを読まれ、他からあまり情報を得ていない方ですと、「若山氏がすべてを仕組んだ黒幕だ!若山氏は怪しからん!」と、なってしまわれる方も多いようです。
 私個人的には、あまり『あの日』の若山氏に関する記述をそのままここに引用するのは気が進まないのです。といいますのは、このシリーズの「プロファイリング編」でみましたように、小保方晴子さんの特性としてかなりの空想癖がありそうです。またこの本全体にも事実関係の異同が多く、実験データも正確に残していないことでもわかるように、物事を正確に記録・記憶するタイプの人かどうか疑わしい。カギカッコの言葉として書かれていることも本当にそう言ったのか、空耳や記憶違いではないのか、また本当だとしても単なる社交辞令ではなかったのか。はなはだ疑わしいのです。
 よって、それをここに引用することはかえって小保方晴子さんによる若山氏への攻撃に手を貸すことになってしまいそうな気がするのです。

 若山氏をよく知るという人物によれば、同氏は非常に実直な人物であり周囲から信頼されているという言葉が出ます。
 ・・・ただ、本シリーズではことSTAP研究に関しては、完全に「シロ」とも言い難いかな?という立場です。もちろん第一の責任者は小保方晴子さんです。

 また、『あの日』だけでは若山氏の研究業績全体は決して見えないだろうとも思います。
 手っ取り早く、Wikiの若山照彦ページのリード部分だけでも御覧ください。

若山 照彦(わかやま てるひこ、1967年4月1日 - )は、日本の生物学者。茨城大学農学部卒、東京大学博士(獣医学)[1]。
世界で初めてクローンマウスを実現した人物であり、マイクロマニピュレータの名手として知られる。2008年には16年間冷凍保存していたマウスのクローン作成に成功し、絶滅動物復活の可能性を拓いた[2]。更に2014年には妻の若山清香とともに、宇宙マウスの誕生に成功している[3]。また、2014年に騒動となった、STAP論文の共著者でもある[4][5][6]。
ハワイ大学医学部助教授、京都大学再生医科学研究所客員准教授、理化学研究所CDBチームリーダー等を経て、2012年より山梨大学生命環境学部教授、2014年より山梨大学附属発生工学研究センター長兼務[7]。日本学術振興会賞、文部科学大臣表彰科学技術賞、材料科学技術振興財団山崎貞一賞等を受賞。

>>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%A5%E5%B1%B1%E7%85%A7%E5%BD%A6


というふうに、STAP細胞以外にも壮大な広がりのある研究をしてきた人です。

 またその研究の日常というのは、日々マイクロマニピュレータを覗きっぱなし、非常に集中力を要し目を酷使する作業であること。
 
 例えば、こちら

理研若山照彦氏インタビュー「試し終わらない毎日。」(2011年8月)
>>http://article.researchmap.jp/tsunagaru/2011/08/


「現在、僕の研究室では、マイクロマニュピュレータという機械を使ってマウスの卵子から核を抜き、作ったクローン胚を入れる実験を午前の日課にしています。マウスの卵子は、人の髪の毛の断面よりもやや小さい、80マイクロメーターぐらいのサイズ。でもマイクロマニピュレータを使うと手の動きをマイクロサイズの微細な動きに換えてくれるため、顕微鏡を見ながらいわばサッカーボールを扱っているような感覚で、操作ができるようになっています。3ヶ月ぐらい訓練すれば、手でできることは何でもできる機械です。しかし1日に100、200個と作業すると、集中するのでかなり疲れるんですね。昼にひと息入れて、夕方からは作ったクローン胚をマウスの子宮内へ移植するというのが研究室の通常スケジュールになっています。」

と、毎日かなりハードな実験ぶりです。

もう一つ注目されるのが、


「研究所内にも分子生物学の共同研究者がいますが、理論の仮説を作るにも、研究の材料になる情報が必要です。まずそれを最初に作る人間がいなければならない。そこで僕らはもう思いついたアイデアはすぐ試し、クローン作製に効果があるか確かめます。ほとんどの場合全く効果はなく、試行錯誤の連続です。」

ということを言っています。
 ありとあらゆるアイデアを試す。その精神の延長線上にSTAP細胞研究もあった、と読むこともできます。このインタビューは小保方晴子さんがポスドクの客員研究員として若山研に合流した後のものです。

 どうも、口ぶりからは「可能性がゼロに近くてもあるならやってみる」そんな感じにきこえなくもありません。
 ただし。ここは矛盾するところですが、小保方さんが若山研に籍を置くようになって以降、STAP論文を投稿した先はネイチャー、セル、サイエンスという一流誌でした。(ただし軒並みリジェクト)それをみると、どうも「可能性は低いが当たれば大きい」と若山氏が考えていたであろうことも伺われます。

 あるいは、こちら
生命科学DOKIDOKI研究室
「第11回 独自のアプローチでクローン技術の再生医学への応用をめざす」(2011年)
>>http://www.terumozaidan.or.jp/labo/interview/11/05.html 


 ここでは、
「マニピュレーターを操作するのは意外に体力がいるものなんです。午前中集中して操作すると、午後は3時間くらいなにもできないほど疲れてしまいます。研究というのは体力勝負なんですよ(笑)。」
ということも言っていて、どうやらマニピュレータ−を覗いてるか休んでいるか、という時間の過ごし方をしていたよう。職人さんですネ。

 「若山氏はなぜ小保方晴子さんをもっと管理していなかったか?」

 こうした疑問が出ますが、まず、小保方さんは若山氏の研究室の正規の研究員ではなく(身柄は若山研、雇用はチャールズ・バカンティ氏)という立場のいわば「外様」。もともとが違う指揮命令系統の下にいる人なのです。それに加えて若山氏のこの研究生活ぶりであると、小保方晴子さんの実験ぶりについては、見ている余力がなかったのではないか、と想像されます。

 言うなれば「放置プレイ上司」。ではありますがかなり同情できる、無理もないといえそうな事情であった、ということです。
(あ、わたしの受講生さんだったらやっぱり、「ちゃんと見ましょうね」と言いたいですね)



 研究室の見取り図というのがおもしろいことにネット上にUPされています。
「STAP細胞研究当時の若山研究室」
>>http://image.itmedia.co.jp/news/articles/1412/26/l_yuo_chosa_03.jpg

 これで見ますと、研究室での若山氏と小保方さんの席はかなり近い。しかし、若山氏の仕事の本筋であるマイクロマニピュレータは、この図の左上の「はい操作室」にあったと考えられるので、1日の大半をここにいると、小保方さんと接触することはほとんどなかったであろうと考えられます。


 『あの日』における、若山氏への批判材料は、大まかに以下の通りです。

1) STAP細胞研究に前のめりになり、「キメラマウスを作らなければ意味がない」と、自分が主導するかのような発言をしていたこと。特許の51%を要求していたこと
2) 実験にコントロールを置かない、論文にデータを仮置きするなど、不適切な研究方法をとっていた
3) 論文不正疑惑が起きたとき、途中から手のひらを返したように「豹変」し、論文撤回を他の共著者に呼びかけた
4) その後2014年3−7月にかけて頻繁に記者会見を行い、マウスの系統問題などで発言がコロコロブレたこと
5) 理研の再現実験に参加せず、自らキメラマウスを作製しなかったこと


 やはりこれらだけを読むと「若山氏怪しからん!」と、なってしまいそうですけれど。

 これについて、今わかっている若山氏側の事情を述べますと、

1) 若山氏の主導であるかのような記述。この記述は本来小保方さんが若山氏にキメラマウス作りを委嘱した経緯を、その直前に書いてあるにもかかわらず直後に捻じ曲げて書いてしまっています。委嘱した経緯は、このシリーズの(9)で述べたとおりで、小保方さんはSTAP細胞に多能性があることを証明するプロセスの第一段階第二段階までできたが雑誌に論文をリジェクトされたため、次の段階であるキメラマウス作りを若山氏に委嘱しなければならなかったとあります。ですので若山氏はあくまでリレーのアンカーを走っただけであり、リレー全体を構想したのは小保方さんです(『あの日』pp.53-64)
 また特許の配分については、小保方さんと若山氏の名の入っている国内でのSTAP研究に関する出願中の特許をこちらから見ることができますが、
https://www7.j-platpat.inpit.go.jp/tkk/tokujitsu/tkkt/TKKT_GM403_ToItem.action  この特許には7人の発明者がおり、請求項目が74あります。74の請求項目のうち、若山氏が関わったのが何項目あったかで特許配分が変わってくるでしょう。この特許配分をもって若山氏がこの研究の主導者だとみなすことはできないのです。

2)  不適切な研究方法:不明。(もし事実だとすればダメージが大きいかも、という気はします。しかし研究現場なんてこんなものだ、という声もあるのですね)

3)  2014年3月、論文撤回の呼びかけ。これは、このシリーズの(9)でみた通りであります。テラトーマがそもそもできていなかった。画像は博士論文からの転用とわかった。研究の根幹を揺るがす情報が出てきたこの時点で若山氏が「これはまずい」と思ったとしても不思議ではないのです。たとえ若山氏自身にも多少のまずい事情を抱えていたとしても。
 なお、若山氏は2014年2月中には複数の雑誌のインタビューに応じ、「自らSTAP細胞を作製したことがある、小保方氏立ち会いの下で」等と研究を擁護する発言をしています。この理由としては、・笹井氏の場合と同じく「目くらまし」が入っていた・理研の上層部からも「小保方さんを守れ」と指令が出ていたらしいこと ・若山氏自身がクローンマウス成功をNatureに掲載したとき、世界中で追試するもうまくいかず、自ら各国の研究室を飛び回ってやり方を指導し追試を成功させた経験の持ち主であること、等の要因が考えられます。しかしそうした要因があっても「守り切れない」と感じる決定的な情報が出てきたときには、撤回するのが自然だったのではないでしょうか。

4)  2014年発言のブレについて。若山氏は3月10日、6月16日、7月23日と、会見や記者発表を行いました。このうち3月10日は論文撤回の呼びかけ。6月16日は小保方さんに渡したマウスと小保方さんが作製したSTAP細胞が異なり、STAP細胞は若山研究室で飼育していたマウスのものではなく外部から持ち込まれたものだという、小保方さんによるES細胞混入説を裏付けるような発表。ところが7月23日にはこれを訂正し、以前に研究室で飼育していたマウスと特徴が一致するとしました。
 しかし、これは「陰謀」というレベルのことなのかどうか。わたしは首を傾げます。
「混乱していた」と説明してもよいことなのではないか、と思えるのです。
 若山氏にしてみると、4月9日の小保方晴子さんの会見、同16日の笹井芳樹氏の会見、いずれも「若山先生が」「若山教授が」と、若山氏に責めを負わすものでした。理研を離れて山梨大にいる若山氏にしてみれば、「オレはハメられる」「破滅させられる」と、恐怖感にかられてもおかしくありません。
 8月に入り、笹井氏の自殺の報に接した若山氏は、精神のバランスを崩しカウンセリングを受け始めた、と発表します。科学者にとっては長期にわたるSTAP事件への報道の過熱化、時間的な拘束、ストレスは小保方さんに限らず、苦痛な日々であったであろうことは想像に難くありません。
 一方でこの年の7月30日、若山氏は妻の若山清香氏(同大学助教)とともに会見し、「宇宙マウス」の誕生を発表しました。国際宇宙ステーションで冷凍保管し地上に持ち帰ったマウスの精子が、宇宙線の影響を受けず、受精し仔マウスが生まれた、というもの。実験精神は旺盛であり、若山氏としては本来はこちらに、あるいはその他の研究に神経を傾注したかっただろうと想像されるのでした。
これを「保身」と責められるのか―、読者諸賢のご判断を待ちたいと思います。

5) 理研の再現実験に参加しなかったこと。これはやはり本シリーズ(9)に出た見解ですね。「テラトーマができていない」これを2014年3月にわかった段階で、若山氏は「この研究には意味がない」はっきりとモードが切り替わってしまったのです。そこで、再現実験に参加する意義なし、としたのです。

 『あの日』で指摘された批判点についての回答は、以上です。読者の皆様、よろしいでしょうか?




 さて、それでは、「テラトーマができていない」にも関わらず、STAP論文用に若山氏が作ったキメラマウスとは、一体何だったのでしょう。

 本シリーズとしては、若山氏の疑義としてこの1点を指摘しておきたいと思います。人によっては「若山氏が小保方さん引き留めのため、ES細胞を使ってキメラマウスを捏造していたのではないか(いずれは正しいSTAP幹細胞ができると思っていたため)」という見方もあります。
たとえそうであったとしても、本シリーズで繰り返しお伝えしていましたように、
「一番悪いのは小保方さん」
ここは、変わりません。若山氏はうっかり小保方さんの
「テラトーマまで、できたんですう」
という言葉を信じて、危ない橋を渡ってしまった、ということになります。

 『あの日』での熾烈な「若山氏バッシング」に応えて、若山氏の側が口を開く日はくるのでしょうか―。

 なお、若山氏の受けた処分としては、理研の出勤停止相当、客員研究員委嘱解除。また2015年に山梨大発生工学センター長の職を3か月職務停止となっています(既に復帰)。

「和モガ」というブログで、若山氏の疑惑についてまとめてあります。もしご興味のある方はどうぞ
>>http://wamoga.blog.fc2.com/



5.闇の紳士たち?大和氏、バカンティ氏、セルシード社
【東京女子医大TWINS時代】
大和雅之氏 1964年生(52歳)


 「闇の紳士たち」。本シリーズとしては珍しく、物々しい言葉を使ってしまいました。
 STAP研究にまつわるインサイダー疑惑、利益相反は「知る人ぞ知る」話題。ここでは既に文献に出ている情報を中心にご紹介したいと思います。
 
 若山氏との出会いから4年ほど遡る2006年。小保方晴子さんは早稲田大学を卒業、修士に進学。早稲田と東京女子医大が合同で設立した先端生命医科学センター (TWIns)で外部研修生となり、東京女子医大の大和雅之教授の指導下に。再生医療、組織工学の研究者として一歩を踏み出します。

 この大和教授の学生になったいきさつがちょっと「訳あり」のようだ、というお話を、前回しました。
 また、学部生時代に動物実験の経験が全然なかった小保方さんが、修士1年目にして超難しい実験に挑戦し、見事成功、その実験系を確立して学会発表して回るに至る、というちょっとミステリアスなお話を本シリーズの(2)に書かせていただきました。
 そこには、何があったのでしょう。

 ひとつの種明かしは、岡野―大和ラインの「セルシード閥」です。

 新しい名前が出てきました。
岡野光夫(てるお)氏。1949年3月21日生まれ、67歳。日本再生医療学会の理事長を務め、東京女子医大教授を退職後現在、特任教授。株式会社セルシードの社外取締役であり大株主。細胞シートの発明者。

 この人が、小保方さんの指導教官・大和教授の恩師でもあり、また早稲田の応用化学科の出身で小保方さんの先輩に当たりました。という、3人は学問的には大先生、弟子、孫弟子のような関係に当たります。

 そして岡野氏がセルシード社の実質的な設立者ですが、弟子の大和氏もまた細胞シートの多数の特許を持ち、セルシード社と緊密な関係にありました。

 当然、岡野氏と大和氏は細胞シートを応用した研究をどんどん発表したい。
 また、岡野氏は早稲田の応用化学科の後輩である小保方さんに思い入れがあった可能性もあるし、大和氏は前回触れたような別の恩師のご縁で、小保方さんを大事にしたかった。

 そんな3人の思惑が一致すると、小保方さんが嘘のような難しい実験をこなして大舞台で学会発表…というマジックができるのもあながち不思議ではないですね。
 とにかく、小保方さんは「手術の練習をした」とは一言も言ってないのに、難しい手術をしたことになってますからね。

 2006年の間実験三昧であった小保方さんは、2007年に学会デビュー。2007−08年にかけて、日本再生医療学会総会で2回連続、またシカゴでのバイオマテリアル学会年次大会や大阪での国際人工臓器学会年次大会など、学会発表を繰り返します。まるで、細胞シートのプリンセスのように。

 岡野氏、大和氏とも、セルシード社と密接な関係にありながらその「細胞シート」を使った論文において「利益相反」つまり、営利的な行為と公正な学術研究の立場が相反することを申告していなかった、という疑義が持たれています。これは大和氏が共著者として名を連ねるSTAP論文も、また両氏が共著者である、2011年に「ネイチャー・プロトコル」に掲載された(のちに撤回)小保方さんの論文でも同様です。

 単純なことのようでこれは大変根深いことです。岡野氏などは日本再生医療学会理事長を務めた立場ですから、利益相反行為の申告の重要性を知らなかったわけではないはず。
 この点が「ナアナア」であるということは、怖いことです。
 例えば近年臨床試験に製薬会社社員が関わっていたことがわかった「ディオパン」の問題と同様、ある製薬会社やバイオベンチャーが産学共同で開発した医薬品や医療用具の有効性を、大学で実験して裏付けるときに、開発者が有利になるよう色をつけたデータを論文に盛り込んでしまう可能性があるということです。
 また、動物実験の段階で色をつけたデータの論文が通ったものは、次に臨床実験の段階になっても、担当者が良い結果を出そうと焦るあまり良いデータばかりを選び出す可能性もあるわけですね。そうして、効果が十分ではない、また副作用が検証されていない医薬品や医療用具が認可されてしまうことになります。おお怖い。
 
 研究不正とまで言えなくても、このような「データ操作」はまかり通っているのだそうで、再度科学研究の自浄作用を望みたいところです。

 ・・・で、小保方さんの修士時代の細胞シート研究は何かの「不正」の影はなかったのかどうか・・・(2)にも書きましたがどなたか究明していただきたいものですね。

 2014年1月、STAP論文の「ネイチャー」掲載が発表されると、翌30日、セルシード社の株はストップ高になりました。
 詳しくいいますとセルシード社は、2013年夏に倒産の危機に瀕していましたがUBS証券と新株予約権付き証券発行及び第三者割当増資引受契約を結び、UBS証券より34億円のファイナンスに成功しました。倒産の危機にある状態でそれまで付き合いのない外資系証券会社が34億円のファイナンスを行うことは普通考えられず、「特段の事情」があったことが考えられます。その特段の事情とは、恐らくその年の3月、小保方さんがネイチャーに投稿したSTAP論文が査読者とのやりとりが続いており、掲載される可能性が高いこと。また同4月にはSTAP細胞の国際特許が出願され、10月に公開されました。いずれも部外者には知りえない情報であり、ここにインサイダー取引が行われた余地が高い、とみられています。(『STAP細胞に群がった悪いヤツら』(新潮社、小畑峰太郎、2014年11月、pp.41-46)

 実はセルシード社はそれまでにも目玉商品の細胞シートの実用化のめどがなかなか立たないことから経営不振にあえいでおり、小保方晴子さんの細胞シートの論文発表のたびに瀕死状態から息を吹き返してきたという実態だったそうです。 小保方さんにおんぶにだっこの会社なのですね。

 岡野氏と大和氏、いずれも細胞シートの発明者ですが決して安閑としていられない立場だったといえましょう。日本再生医療学会を押さえてはいますが、その中であの手この手と細胞シートを売り込む手練手管を練る必要がありました。プレゼン能力のある小保方さんはどうもそこへうってつけの人材だったようであります。

 「欲得・不正系上司」とこのシリーズで名付けてしまった意味がおわかりでしょうか。
 ちなみに大和氏、2014年2月5日に脳出血で倒れ、その年の4月から東京女子医大
先端生命医科学研究所の所長に就任。しかし所長代行を立て、出勤できない状態が続いています。
 
 

 お話変わって、次の「欲得・不正系上司」のところにまいります。


【ハーバード・バカンティ研時代】
チャールズ・A・バカンティ氏 生年月日不詳
 
 2008年、博士課程となった小保方晴子さんは岡野氏、大和氏と2人の恩師に可愛がられていたTWINSを離れ、ハーバードのC・バカンティ氏のもとに短期留学します。

 ご存知のようにこのバカンティ氏も“曲者”です。本来は麻酔科医でありながら生体組織工学(ティッシュ・エンジニアリング)の先駆者で、1995年にマウスの背中に人間の耳をつけた「バカンティ・マウス」で有名になりました。(しかし、これは耳の形の金型で作成した軟骨細胞を皮下に移植しただけと後に分かりました)

 「ティッシュ・エンジニアリング学会」と学会誌を主催する立場でもあり、岡野氏・大和氏と同様、この人の指導下であればこの学会で発表するのは楽勝そうです。2002年よりブリガム&ウィメンズ病院麻酔科部長兼再生医科学研究室長兼ハーバード・メディカルスクール麻酔科教授。

 その1年前よりバカンティ氏は「スポアライクセル」(胞子様細胞)の仮説を提唱。これは生体内に眠った状態の小さい多能性細胞が存在し、刺激を与えることで初期化するというものでした。その仮説を忠実に再現しようとしたのが、われらがヒロイン小保方晴子さんです。

 小保方さんのバカンティ研での身分は、短期留学生、そしてどうやらバカンティ氏に個人的に雇われたアルバイトのような身分であったようです。(『STAP細胞に群がった―』p.54)『あの日』の中には、小保方さんがバカンティ氏のスポアライクステムセルの説を一歩進めた仮説をプレゼンすると、バカンティ氏が絶賛してくれ、そのうえで「これから先の留学にかかる生活費、渡航費は僕が援助する」と言ってくれた、という場面があります。
同窓生のヴァネッサから「アメリカではお金を払うという宣言は能力を認めたという意味なのよ。よかったわね」と喜んでもらった、とか。(『あの日』p.51-52)これがつまり、「アルバイトで雇いますよ」ということ。

 意地悪な見方をしますと、小保方さんは修士時代にやっていた、細胞シートを使った自家移植実験の続きはバカンティ研に来てからは何らかの理由で行えなくなり、そこで先生の年来の仮説を私がもっと「盛った」形で立証します!と、買って出て、バカンティ氏に気に入られた、というふうにみえなくもありません。意地悪ですねー。


 一麻酔科医がなんで人ひとりの生活費渡航費を面倒みれるんだ、というと、なんでも麻酔科医は向こうでは大変な高収入なのだそうですね。たまたま、「日米医師のお財布事情」というサイトを見つけました。
>>http://ameilog.com/atsushisorita/2012/08/06/223931

 これによると麻酔科医は整形外科医、放射線科医に次いで高収入トップ2位。2600万円とのことです。大病院の麻酔科長であればさらに推して知るべしですね。

 そしてバカンティ氏が取得した特許の数。Wikiには付与された特許、出願中の特許がズラリと並んでいます。「金になると踏めば、特許だけ申請して、あとは利益が転がり込んでくるのをじっと待つ。」(『STAP細胞に群がった―』p.81)

 ですので非常に「金」の匂いには敏感な人であり、山っ気のある研究者であったといえましょう。この人が豊かなイマジネーションで構想した「多能性細胞」のアイデアを、小保方さんは自分のテーマとして熱心に取り組みました。ただ、彼女が実験は行ってもデータを記録する習慣のない研究者であったことをどこまで見抜いていたかは謎です。

 小保方さんがのちにキメラマウスの作り手を求めて理研の若山氏を頼っていった背景には、理研の潤沢な研究資金を当てにしたバカンティ氏の意向があったと言われています。

 小保方さんは、尊敬するバカンティ先生のアイデアを形にするために、理研に「刺客」として送り込まれたのでした。
 そしてSTAP細胞のアイデアをネイチャーに投稿することにより、東京女子医大の2人の恩師・岡野、大和両氏の関係する会社の「インサイダー取引」にも貢献したことになります。


 バカンティ氏はSTAP騒動の続く2014年9月より「休職中」の身分となりました。
 小保方晴子さんに関わったばかりに高収入の麻酔科医の身分から無職へ。これも「破滅した紳士たち」の系譜であります。

 今年2月に米高級雑誌「ニューヨーカー」に掲載された記事"The Stress Test"でインタビューを受けたバカンティ氏は、(注:インタビュー時期は昨年7月末)「STAP理論は正しいと信じている。墓場まで持っていく」と断言しました。

 詳しくはこちらの記事を参照 "The Stress Test"
>>http://www.newyorker.com/magazine/2016/02/29/the-stem-cell-scandal

 「週刊現代」に掲載されたこの記事の邦訳
小保方さんの恩師もついに口を開いた!米高級誌が報じたSTAP騒動の「真実」
>>http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48272
(しかし、この記事についてわたしの感想を言わせていただきますと、かなり海千山千のバカンティ氏大和氏に丸め込まれ彼らの小保方さんに関する社交辞令をそのまま掲載せざるを得ず、インタビューからは核心に迫るような事実を最後まで得られなかった。かろうじてダレイという学者の「追試できなかった」という論文がネイチャーに掲載された、という事実を述べてお茶を濁している、気の毒なくらい苦心の作だといえます。「ニューヨーカー」が高級誌であっても、「狸」から決定的発言を引き出すことはできなかった、というお話です。)

(もうひとつこの記事の中で小保方さんが「日本の科学界で女性は…」的な発言をしておりますが、それについては多少かの国の「フジヤマ、ゲイシャ」願望に迎合したところがあるのではないかな、とわたくしは思っております。それについては次回に書きたいと思います)



 「小保方手記」上司編のまとめです。

 前回みましたように、小保方晴子さんは実力のないまま何故成り上がってしまったのか?


 上司たちの系譜でみると

ええかっこしい系 (早稲田大学・常田聡教授)
   ↓
欲得・不正系 (東京女子医大・岡野光夫、大和雅之両教授)
   ↓
欲得・不正系 (ハーバード大・チャールズ・バカンティ教授)
   ↓
無関心放置プレイ系 (理研CDB・若山照彦氏)
   ↓
ええかっこしい系 (同・笹井芳樹氏)


 このうち初期の2段階、「ええかっこしい系」常田氏と、「欲得・不正系」岡野・大和氏のところで、教育訓練あるいはスクリーニングをする必要があった。しかし諸般の事情でそれがなされないままその段階をノーチェックで通過してしまい、その後の段階では素通しとなってしまった。そういう経緯であるようです。


 前回みたように第一段階の常田教授のところをギリギリでクリアしてしまった小保方さん、第二段階の東京女子医大時代が1つのカギだったのではないかと思います。

 海洋微生物の研究をしていた大学時代から、動物実験での細胞シート研究花盛りの大和氏の研究室へ。何から何まで初めて尽くしだったはずです。そこで、細胞シートの操作法はテクニカル・スタッフから習ったとのことですが、それ以外のことについて「徒弟制」で教えてくれる人はいなかったのだろうか。学部時代にこうした実験をしていませんから、「1」から手取り足取り教えてくれる人が必要だったはずです。

 しかし「細胞のふるまいの自由さ」(『あの日』p.50)という印象的な言葉を使う小保方さん、手取り足取り教えてくれる人が仮にいたとしても、その人の下で神妙に徒弟制で学ぶことができたか、は謎です。
 そして大和教授による彼女への大抜擢。「シンデレラストーリーありき」の中で動いていると、地道に手を動かして実験をすること、少なくともデータを記録することを学びそこなってしまったかもしれません。

 この時期、「日曜夜遅くまで実験している、熱心な学生だ」と、岡野教授が称賛したという逸話が残っていますが、実は小保方さん、背を丸めて顕微鏡を覗くことはしていたがその間、空想の世界に入っていたのでは?という疑いが消えないのです。

 この段階で十分に学ばなかったのが、のちのち致命傷になったのではないか。わたしはどうもそんな気がします。
 このあとの段階、ハーバード―理研では、小保方さんはもはや完成された研究者として扱われてしまいます。

 それは、「欲得ありき」でプレゼン能力の高い小保方さんを重用したかった「おじさま」たちと、夢見がちだがつねに目立つ高みに昇りたい小保方さんの個性が、悪い形で上手く組み合わさってしまったのではないかと思えるのでした。
 
 


これまでの記事:
●社会人のための「小保方手記」解読講座(1)―印象的な”ツカミ”のエピソードはこう読め!Vol.1
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935543.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(2)―印象的な”ツカミ”のエピソードはこう読め!Vol.2
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935599.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(3)―1位マネジャー製造講師・正田が読む・晴子さんのプロファイリングはVol.1
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935610.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(4)―正田が読む・晴子さんのプロファイリングVol.2 小保方さんの生育環境は
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935705.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(5)―プロファイリングVol.3 多彩な感情表現は人を被害者的にする!心理学セミナー、カウンセリングの副作用のお話
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935878.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(6)―「私の会社でも」読者からのお便り
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936058.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(7)―“惑わされる”理系男子:女性必見!もしもあなたの彼が「隠れ小保方ファン」だったら
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936162.html
 
●社会人のための「小保方手記」解読講座(8)―「キラキラ女子」の栄光と転落、「朝ドラヒロイン」が裁かれる日
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936340.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(9)―「STAP細胞はあります!」は本当か?Amazonレビュアーが読み解くプロジェクトの破綻
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936570.html

●社会人のための『小保方手記』解読講座(10 )―再度「STAP細胞はありません」―「ウソ」と真実・ネット世界と現実世界のギャップ、社会人の分断リスク
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936986.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(11)― 騙されないためのケーススタディー:小保方晴子さんが使った「ヒューリスティック(自動思考・錯覚)」の罠
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937126.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(12)情けないぞおじさんたち!!「ええかっこしい上司」「放置プレイ上司」そして「欲得・不正系上司」(前編)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937436.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(13)情けないぞおじさんたち!!「ええかっこしい上司」「放置プレイ上司」そして「欲得・不正系上司」(後編)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937542.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(14)(最終) まとめ:あなたの会社から「モンスター」を出さないために―女性活躍、発達凸凹対応、そして改めて「行動承認」
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937655.html



●エイプリルフール特別企画・シリーズ番外編:社会人のための「小保方情報」解読講座
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937719.html

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
・・・……<<<エウダイモニア通信>>>……・・・
発行日 2016.3.28                 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ※「エウダイモニア」は「幸福」、また「栄える」という意味のギリシア語
です。
 「業績1位」の山を築いてきた承認マネジメントの研修講師・正田佐与が、
 経済的繁栄を含めたわたしたちの「幸せ」についてご一緒に考えるメルマガ
です。
 
※このメールは、正田が過去にお名刺を交換させていただいた方、イベントや
セミナーに  ご来場いただいた方にお送りしています。
ご不要の方は、お手数ですがメール末尾にありますURLより解除ください。

■■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ┃本日の話題 ☆☆☆☆☆
■■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

【1】 信頼のシリーズ、「社会人のための『小保方手記』解読講座」。
     ヒューリスティック、おじさまたちの弱さ…
     嘘のシンデレラストーリーの舞台裏は?

【2】 拙著の読者様より嬉しいレビューをいただきました!3本まとめて
    ご紹介します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【1】 信頼のシリーズ、「社会人のための『小保方手記』解読講座」。
     ヒューリスティック、おじさまたちの弱さ…
     嘘のシンデレラストーリーの舞台裏は?


 引き続きGoogle、Yahoo!、楽天その他検索エンジンで「社会人 小保方」の
キーワードでトップを独走中の大好評シリーズです。
 2年前、STAP細胞論文問題で日本中を騒がせ、神戸の理研CDB解体の原因
にもなった、小保方晴子さんの手記『あの日』(講談社、2016年1月)。
 現役社会人の方のために、その内容を読み解き世代間の断層を埋めていただく
ために無料でお送りする「社会人のための『小保方手記』解読講座」が、いよい
よ第11回、12回となりました。

 小保方さんのプロファイリング、STAP細胞の有無、といった話題を経て、今
の焦点は、「実験データの記録もない、研究者として基礎的な訓練を受けていな
いとみられる小保方さんが、なぜ最高権威のNatureに論文を発表するようなとこ
ろまで抜擢するに至ったか?」という話題。
 いわば、小保方さんの間違ったシンデレラストーリーには、どんなヒューマ
ン・エラーが積み重なっていたか、というお話です。

 このあたりは研究の世界かそうでないかに関わらず、多くの社会人の方に
関係のあるところなので、是非おさえておきたいところです―
 

●社会人のための「小保方手記」解読講座(11)騙されないためのケーススタ
ディー:小保方晴子さんが使った「ヒューリスティック(自動思考・錯覚)」
の罠
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937126.html 
 抜群のプレゼン力や自己演出、権威の後ろ盾や英会話力。「ヒューリスティッ
ク」「ハロー効果」のわたしたちに及ぼす力を取り上げます。

●社会人のための『小保方手記』解読講座(12)情けないぞおじさんたち!!
「ええかっこしい上司」「放置プレイ上司」そして「欲得・不正系上司」
(前編)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937436.html 
 「STAP事件」は、日本で普遍的に起こっている「バブル世代上司」の弱さ
 を露呈した事件でもありました。その独特の弱さとは何か、マネジャー育成
 歴14年の研修講師・正田が解き明かします。


 この連載を進めるにあたり、実はわたし自身は決して気乗りのしない連載では
あったのですが、読者の方から嬉しいお便りをいただきました。
 ご了承をいただき、ご紹介させていただきます:

「私も小保方さんには違和感を感じていたので、興味深くホームページを読ませ
ていただきました。
小保方さんのファンは新興宗教のような盛り上がりだと聞いたことがあります
心労が尽きないことと思いますが、見えない力に屈することなく、かわらずご
活躍下さることをお祈りしています」(介護施設女性施設長、50代)

 ありがとうございます。こうしてわたしの信頼する聡明なマネジャー層の
方々からご支持をいただくと、何が社会にとってスタンダードといえるのか、
最早マスコミもネットも当てにならなくなった時代に、ほっといたします。

 ある調査によれば、大学生の2人に1人は「本をまったく読まない」とか。
読書離れの中で、こうしてあざとい形でベストセラー狙いの本が出ると、
若い世代を中心にどれほどの影響が出るか、計り知れないところがあります。

 そのためイタチごっこではありますが、誰かが「それはそうではないんだ
よ、こうだよ」と丁寧に読み解いてあげないといけないのかな、と思います。
 今ブログに連載している「小保方本」シリーズが、職場の心ある上司の
皆様に、少しでもお役立ていただければ幸いです。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【2】 拙著の読者様より嬉しいレビューをいただきました!3本まとめて
    ご紹介します。

 とても手前味噌な話題で恐縮です。
 一昨年2014年に出版した拙著『行動承認−組織の力を最大化する「認める
力」』。時間が経っても現役マネジャーの方々には、マネジメント行動の
スタンダードとして、長く愛読していただいています。

 最近の嬉しかった話題としては、佐賀県の研修業、宮崎照行さんより、
「組織開発のサブテキストとして『行動承認』を使わせていただきました」
と、嬉しいご連絡をいただきました。
 研修の舞台は某大学の救命救急センターだそうです。大変光栄なことですね。
 いずれ、宮崎さんにもその成果のご紹介を、このメルマガでいただきたいと
思います。

 そして、Amazonの『行動承認』のページに、新たに3人の方からレビューを
いただきました!
>>http://www.amazon.co.jp/gp/product/4434198572
 いずれも、今現場で奮闘しておられる現役マネジャーの方々からのものです。

 このメルマガを読まれているあなたのお仕事にもリスペクトを込めて。

 3人3様の皆さんのレビューをご紹介させていただきます。

●わかりやすい、さまざまな問題解決に役立つ
             by Amazonカスタマー(公的機関勤務)

 公的機関に勤めています。なんだこんなに簡単な方法があるんだ!と納得。難し
く、回りくどく考えて失敗している方も多いと思います。一目で上手くいく手法
だとわかり、上司がこんな手法を身につけてくれたら良いのになあ〜と思います。
私は相談を受ける立場ですが相談者たちにもこの手法を知ってもらえたら、教育
の場面、家庭での子育ての場面、夫婦や家族関係、介護の場。さまざまな場所で
活用できますね。多くの社会問題解決に役立つと思うので、職場研修のテキストと
しても最適だと思います。


●子育てにもぜひ byトオル(スーパー勤務、マネジャー)

 この本を手にして1年、いまだに古びていない。毎日現場に立つ私だが、社員・
パートの区別なく、「承認」で気持ちよく働いてくれるのがわかる。
家庭で子供達にも日々使っているので、「承認」には24時間お世話になっている
感じである。
非常にわかりやすく書かれ、読むのに労力が要らなかった。これも忙しい当方には
ありがたかった。


●学校現場にも有効な手法 by キーン・ジャスパー(小学校校長)

 学校教育の大きな課題は、子どもたちの自己有用感や肯定感を高めることです。
自信のない子どもたちに、いかにして立ち上がる力を与えたらいいのか、多くの教
師は頭を抱えています。
 本書はそんな学校現場の課題解決に、多くの示唆を与えてくれる良書でした。教
師にとって必要なことは理論ではなく、具体的なアドバイスを得ることです。内容
は読みやすく、自分の指導に活かせるものがいいのです。承認とは、ただ褒めると
いうことではなく、その弊害もクリアできるものだと思います。


 皆さま、心のこもったレビューをありがとうございました!
 引き続き、Amazonレビューを書いてくださる方を募集します。
 レビューを書くのは、Amazonで過去にお買い物をしたことがありアカウントを
お持ちになっている方ならどなたでもできます。
 是非、この本に応援のレビューをください!

□□━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ┃今日の一筆箋  
□□━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 いよいよ年度末。気ぜわしい中に寒の戻りも一段落し、花の季節がやってき
ます。皆様どうぞ良い新年度をお迎えくださいませ。

 「ユリーの星に願いを」今号は都合により、お休みいたします。

┌─<<現役マネージャー必読!>>──────────────────>
│  近著『行動承認―組織の能力を最大化する「認める力」』
│  http://www.amazon.co.jp/gp/product/4434198572
└──────────────────────────────────>


1位マネジャー続出の承認研修講師 正田佐与の発信するメディア

┏┓
┗■ ツイッターアカウント >> @sayoshoda
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┏┓
┗■ フェイスブックページ >> http://www.facebook.com/sayo.shoda
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┏┓
┗■ ブログ「正田佐与の愛するこの世界」 >> http://c-c-a.blog.jp
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


■メールニュースのバックナンバーもこちらからお読みいただけます。
>> http://c-c-a.blog.jp/archives/cat_50052130.html

■新規購読の申し込みは、「メールニュース」希望と書いて、配信希望先の
アドレスとともにinfo@c-c-a.jp 宛にメールでお申込みください。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

皆様の職場でも業績向上につながる「承認」を取り入れてみませんか?
 研修のご相談、原稿のご依頼、「人」の問題について個別のご相談は以下
までお気軽にご連絡ください。
 
 正田佐与承認マネジメント事務所
 Email info@c-c-a.jp TEL: 078-857-7055  FAX: 078-857-6875

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

このメールニュースは、正田が過去にお名刺を交換させていただいた方、
イベントやセミナーにご来場いただいた方にお送りしています。

◎メールニュース解除方法
解除される場合は、下記の解除フォームに受信メールアドレスを入力してくだ
さい。
ワンクリックで解除していただけます。

>> http://mag1.hyper-mail.jp/md/publish/quit.asp?act=1&mid=1044&mail=sshoda@c-c-a.jp




◇―――――――――――――――――――――――――――――――――◇

100年後に誇れる教育事業をしよう。

 発行者 正田佐与承認マネジメント事務所代表 正田 佐与

◇―――――――――――――――――――――――――――――――――◇
このメールは転送歓迎です。

あの日


 小保方晴子さんの手記『あの日』(講談社、2016年1月)の読書日記 第12弾です。

 本日は、小保方さんの上司/指導教官たちは、何をしていたのか?なぜ彼女の能力不足を見ぬけなかったのか?という話題です。
 いいかえれば小保方さんはなぜ、教育訓練とチェックをすり抜け、実力のないまま研究者として実績を積みNatureに論文が掲載されるまでになってしまったか、というお話の「上司要因バージョン」。こちらも、このシリーズを開始して以来、読者の皆様から何度もご質問いただいたことです。

 本日の骨子です

1. 時系列でみる 小保方さんの「バブル世代おじさま」たち
2.「ええかっこしい」の系譜(1)常田聡氏の“教えない教育”
3.「ええかっこしい」の系譜(2)笹井芳樹氏の"前のめり"と"イッチョカミ"の悲劇

 (後編の内容はこちらです)

4.「無関心」⇒「擁護」⇒「放棄と紆余曲折」:若山氏
5. 闇の紳士たち?:大和氏、バカンティ氏、セルシード社

 それではまいりたいと思います―


1.時系列でみる 小保方さんの「バブル世代おじさま」たち

 小保方晴子さんは、AO入試で入った早稲田大学理工学部を2006年3月に卒業。そのあといくつかの研究室をステップアップしていき、何人かの指導教官、上司の下につきます。

 問題は、小保方さんになぜ研究者としての十分な教育訓練が施されなかったか。
 また、教育しても身につけられなかった場合、つまり基準に達さなかった場合、どこかで
「あなたは研究者に向いていない」
と、引導を渡す役回りの人がいればよかったのですが、それがいなかった。いわば、「スクリーニング機能」が各段階でうまく果たされなかった。それはなぜなのか、ということです。

 それはどうも、この教授・上司たち1人1人に少しずつ責任があったようです。


 何人かの上司・教授の名前が出てくるので一度、年代順に整理して「スッキリ」しておきましょう:

2004-2006年 早稲田大学理工学部応用化学科にて海洋微生物を研究。常田聡教授に師事(注:2004年当時は助教授、06年教授に昇進)
2006-2008年 早稲田大学大学院 理工学研究科 修士課程。この期間は東京女子医大と早大とが合同で設立した医工融合研究教育拠点である先端生命医科学センター (TWIns) にて外部研修生となる。指導教官は大和雅之・東京女子医科大学教授。大和氏のもとでセルシード社の細胞シート研究を行うとともに、国内外の学会で精力的に発表を行う。
2008年 博士課程。ハーバード大学大学院教授(当時)のチャールズ・バカンティ氏のもとへ短期留学。バカンティ氏のスポアライクセル細胞のアイデアをヒントに現在のSTAP細胞のアイデアを思いつき、実験を開始。直接の指導教官は小島宏司氏。
2010年7月 理化学研究所発生・再生科学総合研究センター(神戸、CDB)でチームリーダーだった若山照彦氏と初めて会う。STAP細胞の証明第2段階までをクリアした論文を雑誌にリジェクトされたため、若山氏にキメラマウス作製を依頼する。
2011年3月 早稲田大学博士号を取得(指導教官:常田聡教授[前出])。
2011年4月 理研CDB若山研究室の客員研究員となる。この当時はポスドクで無給。
2012年12月 理研CDBのユニットリーダーに応募。笹井芳樹・理研CDBグループディレクター(GD、翌年4月より複センター長。故人)に初めて会う。笹井氏の論文指導を受けるようになる。
2013年3月 理研CDBユニットリーダー。独立の研究室を持つ。
2014年1月 STAP論文Nature掲載を発表。

 以上です。

 まとめますと、小保方さんを指導する立場だった人は、常田氏―大和氏―バカンティ氏/小島氏―若山氏―笹井氏。この6人のリレー。
 今回は、この6人の「おじさま」、それぞれについてわかっている人物像や責任の程度についてみていきたいと思います。

 実はわたし正田が個人的にとても残念なことがあります。この人々のうちのほとんどは、わたしと同年代すなわち1960年代初めから半ばまでの生まれなのです。そして、その世代の人々特有の問題を露呈しているように思います。もちろん、理研・大学に限らず、さまざまな企業で共通に起こっている現象ですので、読み解く値打ちはあります。
 Wikipediaでわかっているかれらの生年月日をみると、

常田聡氏 1965年10月 (50歳)
大和雅之氏 1964年?月 (52歳)
チャールズ・バカンティ氏 生年月日不詳
小島宏司氏 生年月日不詳 1990年研修医(1967年前後生まれ?)
若山照彦氏 1967年4月1日(48歳)
笹井芳樹氏 1962年3月5日(52歳没、生きていれば54歳)

 そして、この人たちの問題というのは、大まかに

「ええかっこしい(ザル)系」(常田氏、笹井氏)
「無関心放置プレイ系」(若山氏)
「欲得・不正系」(大和氏、バカンティ氏)

と分類できると思います。

 年代順でいうと、

ええかっこしい系 ⇒ 欲得・不正系 ⇒ 欲得・不正系 ⇒ 無関心放置プレイ系 ⇒ ええかっこしい系

 という順に、「おじさま」の傘下に入ったわけであります。
 このことも、小保方晴子さんの「教育訓練・スクリーニングすり抜けマジック」に寄与していたと思われます。

 このうち今回の記事では、問題の性質が似ている(と思われる)常田氏と笹井氏を取り上げてみたいと思います。


2.「ええかっこしい」の系譜(1)常田聡氏の“教えない教育”

【早稲田・常田研時代】
 常田聡氏 1965年10月 (50歳)。

 常田聡教授が小保方晴子さんを「叱った」という逸話が日経ビジネスオンラインで紹介されています。

「彼女は分野が違って特別だから」(シリーズ検証 STAP細胞、失墜の連鎖)
>>http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20140805/269676/?rt=nocnt
 
 「先輩の研究とどこが違うの? 自分の研究部分を明らかにしないと。意味ないよ!」。2006年2月、早稲田大学理工学部(当時)の研究棟の廊下に、怒気を含んだ声が響いた。
 声の主は応用化学科教授の常田聡。「環境微生物の分離培養」と題した学士卒業論文の内容を説明した4年生の女子学生に、書き直しを命じた。先輩学生との共同実験のデータを明示せずに盛り込んだ点を指摘したのだ。

 女子学生は口を真一文字に結び、表情をこわばらせた。だが、大学院への進学を決める際に、彼女はあっけらかんと常田にこう訴えた。「微生物では自分の力を発揮できないと思います。細胞の研究をやりたいんです」。


 おおー。小保方さん、全然叱られないで育ってきたわけではないんですね。お見それしました。
(このエピソードの存在は、Amazonレビュアーの「ほのぴよさん」から教えていただきました)
 ただし。このエピソードにも突っ込んでしまうわたしです。

 2006年2月。それは、学部の卒論の提出期限後の時期ではなかろうか?
 …というのは、私学より進行の遅いわたしの出身大学ではたしか、卒論の提出期限は1月20日だったというのをおぼえているので…。
 常田教授、データが先輩の丸写し、というのをもっと前に見抜けなかったのだろうか?それまでの年度を通じた卒論指導では何をやっていたのだろうか?

 また、このあとに小保方さんは修士への進学を希望した、それも専攻を変えて、ということでしたが、先輩のデータを使い回すような「研究不正」の兆候のある人を修士に進学させて良かったのだろうか?資格をクリアしていたろうか?
 
 ・・・と、意地のわるい突っ込みがどんどん湧いてしまうわたしです。
 ご覧になっている読者の皆様は、いかがでしょうか。

 もちろん、この時点の常田教授は、小保方晴子さんがその後「STAP細胞事件」という、「世界3大研究不正の1つ」とまで言われる騒動の主人公になるとは夢にも思わなかったわけで。

 記事のこのあとのくだりで、常田教授は「教えない教育」ということを言います。

「常田のモットーは「教えない教育」。学生の自主性を重んじ、自由に研究をさせた。」(上記の記事)

 「教えない教育」。「自主性」「自由」。
 かっこいいですが、このブログ「正田佐与の愛するこの世界」では「教えない教育」のことも長年、批判してきました。教える側の責任放棄だ、と。

 「教えない教育」は1990年代末の「ゆとり教育」の学習指導要領改訂のころから流行ったフレーズです。生徒の自発性を促すことは本来は悪いことではありません。しかし、それが教師の責任放棄となり、質の低下を招いていることを大村はま氏が早くも2003年には批判しています。

※詳しくはこちらの記事などを参照
「教える覚悟」への真摯な思考に耳を傾けよう―『教えることの復権』を読む
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51879635.html  

 「教える」ことは教えられる側の学生からときに反発を招きます。「教えない教育」は、軋轢を生むことを好まない性格の、「ええかっこしい」の指導者の方々に好んで使われるフレーズでした。ストレングスファインダーでいうと、「ポジティブ―自我」の持ち主のかたが好んで使いそうなフレーズと言えます。しかし、ある時期「教えない教育」は確かに一部の教育者の「錦の御旗」ではあったのでした。

 「ええかっこしい」の常田聡氏の研究室では、博士論文不正の調査で小保方晴子さん以外にも6人のコピペが明るみに出ました。
 残念ながら、「教えない教育」とは、この場合、「規範のないゆるゆるの教育」と同義であったようです。よほど気をつけないと容易にそうなってしまうのです。

 先ほどの小保方晴子さんの卒論指導に戻ると、他の人はどうあれ、小保方さんの個性、すなわちADHD傾向でぼーっとしやすく、時間管理が下手な傾向を考えると、かなり「ガチガチ」に指導してやらなければダメだった可能性があります。
 卒論という「成果物」ができてくるのを待って指導するのではなく、各月、各週のペースで、細かくチェックして進捗を管理し、「次の一手」をアドバイスしてやる必要がありました。実際に職場でのADHDの人のマネジメントというのは面倒でもそうする必要があるのです。
 小保方さんという人を管理するには極めて不適任な指導者であり、しかし小保方さんのほうでも、そうした「ゆるさ」を狙って常田氏の指導下に入っていた可能性があるのでした。


 このあと小保方さんは早稲田と東京女子医大が合同で設立した先端生命医科学センター(TWIns) で外部研修生となりました。そこでは東京女子医大の大和雅之教授の指導下に。
 どうも、大和氏の恩師だった、林利彦氏が東大を退職後に奉職した先の大学が、小保方さんのお母さんが学科長を務める大学だった、という因縁が、ここにはあるようです。(『STAP細胞に群がった悪いヤツら』p.19)
 そういうご縁があるとすると、「初対面から『明日からおいで〜』と明るく言ってくださった。」(『あの日』p.14)というノリも、雰囲気的にわかりますね。

 この経緯をみると、常田氏のもとでいったん研究者の適性としては「?」マークがついた小保方さんが、お母さんのご縁でTWInsの大和氏に拾われ、それで常田氏も「ダメだ」とは言えず、「行ってらっしゃい」と送り出した、という風にみえます。「スクリーニング機能」が発揮されなかった第一の段階ですね。

 「欲得不正系」に分類させていただいた大和氏については次回の記事、(13)上司編・後編で解説したいと思います。


3.「ええかっこしい」の系譜(2)笹井芳樹氏の"前のめり"と"イッチョカミ"の悲劇

【理研・2012年〜】
笹井芳樹氏 1962年3月5日(52歳没、生きていれば54歳)

 さて、年代は6年ほど飛んで、2012年末に小保方さんが出会った故・笹井芳樹氏(理研CDBグループディレクター=当時、のち同副センター長)です。若山照彦氏の研究室にいたポスドクの小保方さんが、理研のユニットリーダーに採用されるタイミングで出会い、STAP論文の執筆を担当してくれることになります。

 この方が、いわば「小保方さんおじさまリレー」のアンカー。そして自殺という悲劇的な最期を遂げた人でもあります。

 STAP論文の不正については、ファースト・オーサーである小保方晴子さんが第一責任者ですが、管理責任を問うのであればこの笹井氏の責任が大きいのです。
 では、この方がなぜ論文のデータや画像の捏造を見抜けなかったのか。
 亡くなられた方なので、指摘するのは死者に鞭打つことになり、非常に気が重いところです。
 ですがこの方も言うなれば、「ええかっこしい上司」のカテゴリに括れると思います。

 『あの日』での笹井氏の登場シーンは印象的です。
 2012年12月21日、小保方さんは理研ユニットリーダーに応募し、面接を受けました。高名な理研のグループディレクター(GD)たちを前にプレゼン。「分化した細胞の柔軟性と幹細胞性の関連について話し、GDたちからてんで勝手なコメントをされたとのことです。

「それにしても疲れた。ぐったりして、若山研の自分のデスクに座っていると、人事部の人から電話がかかってきて、『もう一度面接室に戻ってきてください』と連絡を受けた。緊張感が舞い戻った。足早に面接会場に向かい、深呼吸をした後、重いドアを開けると、逆光が射す窓際に一人の先生が立っていた。
『はじめまして、笹井です。あなたの希望の研究をするために、とにかく今の論文を終わらせましょう』といわれた。『はい、よろしくお願いいたします』と反射的に答えた。これが笹井芳樹先生との最初の会話だった」(『あの日』p.110)

 どうでしょう、この登場の仕方。「逆光が射す窓際に一人の先生が立っていた」だって。スタイリッシュな絵が浮かびますね。映画かドラマのシナリオみたいです。
 
 そして、論文を通すことに定評があり、
「ネイチャー誌には何度も論文が通った経験があって、論文を投稿してリジェクトになったことはここ数年まったくない」(同p.112)
「ネイチャーとかに論文が通ってもね、カバー(雑誌の表紙写真)を取れないとちょっと悔しい」(同)
・・・と、笹井氏のかっこいい台詞が続きます。
 それまで若山氏のもとで、ネイチャー、セル等に論文を投稿してリジェクトされ続けてきた小保方晴子さんにとっては白馬の騎士現る。

 このあと笹井氏は「STAP細胞」という細胞名を決め、2013年、いよいよ笹井氏の論文執筆がはじまります。

「アーティクルは謡うように読み手に訴えかけるように、レターは詩のように切れ味よく文章を書くという笹井先生の論文執筆は、経験の浅い私にさえ『ずば抜けた違い』を感じさせるものだった。途切れなくつむぎだされる言葉の選択が優美で的確で、かつリズミカル。まるで間違えずに音楽を演奏しているかのように言葉が繰り出されていった。」(同p.115)

 と、笹井氏の挙措はどこまでも「かっこよく」。
 そう、これが笹井氏の人物像でもあったようです。かっこいい美学。のちにSTAP論文の不正疑惑が起こると、笹井氏は「ぼくはケビン・コスナーになる」(注:映画『ボディガード』の主演俳優。小保方さんを守る役回りをするの意)と周囲に言っていたようです。

 あの2014年1月28日のNature掲載の発表では、笹井氏は自らSTAP細胞のiPS細胞と比較した優秀性を示す1枚物のペーパーを作成し、配りました。わかりやすく両者を比較したイラストが使われ、STAP細胞側には小保方晴子さんをイメージしたのか、魔女が杖を振るイラストが付せられました。この配布資料は、iPS細胞の作製方法が既に大幅に改善されていることに触れていなかったことから、のちにiPS研究の山中伸弥氏から抗議を受け、大慌てで回収されることになります。


 『あの日』には書かれなかった、笹井氏が「前のめり」になり、小保方さんの真贋を見極められなかった要因は、なんでしょうか。

 有名な話ですが笹井氏はiPS細胞の第一人者、山中伸弥氏(現京大iPS細胞研究所所長・教授)が出てくるまでは日本の再生医療のトップランナーでした。ES細胞研究を推進して1998年、史上最年少の36歳で京大再生医科学研究所教授に。同い年の山中氏が京大同研究所教授になったのは2004年ですから、二人の出世レースはある時期まで圧倒的に笹井氏が「上」だったのです。
 ところが、iPS細胞研究の論文が2006年セル誌に掲載され、作製技術も確立されて2012年にはノーベル医学賞も獲得。一方ES細胞研究は、人間の受精卵を使用するため倫理的な問題が指摘され、形勢不利に。ES細胞は研究費の獲得が難しくなりつつあり、笹井氏はES細胞やiPS細胞にも代わる“第3の万能細胞”をノドから手が出るほど求めていただろうことが推測されます。
 そこへいいタイミングで小保方晴子さんのSTAP細胞研究が向こうからやってきました。C・バカンティ氏や大和雅之氏、常田聡氏の折り紙つきで。
 そういう笹井氏にとってのベストタイミング、があったのでした。

 そして、笹井氏がではSTAP論文のデータや画像の不正をどうして見抜けなかったか?
 ここは推測でしかありません。
 笹井氏が手がけるプロジェクトはあまりに多岐にわたり、STAP論文はあくまでその1つに過ぎなかった、ということです。笹井氏は研究者でありながら例外的に非常に視野が広く、コーディネーター的資質もある人であり、理研CDBの予算獲得や新施設「融合連携イノベーション推進棟」の実現にも尽力した、とWikipediaにはあります。そうした、“政治的”手腕がある一方で、自分の研究としてアフリカツメガエルの初期胚の研究を行ったり、理研のiPS臨床研究を含むいくつかの文科省再生医療プロジェクトの代表を務め、文科省ライフサイエンス委員会の委員も務めたとあります。体がいくつあっても足りないぐらい多忙だった。
 一方で学会の打ち上げでチェロを演奏したり、国際会議でバーテンダー役を務めたり・・・と趣味人の顔もWikiには載っているのですが。

 STAP論文不正が明るみに出た2014年4月16日、笹井氏は記者会見で自己弁護に終始しました。

「御覧になった方はよく覚えておられよう。笹井は、自らの責任をほとんど認めようとはしない戦略でカメラの放列の前に姿を現したのである。人事は、竹市センター長の責任。実験は若山照彦・山梨大教授の責任。論文執筆は、ファースト・オーサーの小保方晴子とラスト・オーサーのチャールズ・ヴァカンティ。笹井が論文執筆に加わったときには、すでにSTAP論文の概要は出来上がっていて、自らが関与したのは文章をネイチャー誌に掲載可能な水準にブラッシュアップしただけ。しかも自ら希望して参画したのではなく、竹市センター長に請われて、最後の二か月だけ関わったと釈明したのである。したがって、画像の差し替えや切り貼りなど不正行為を見抜くことは土台ムリであるから、STAP論文において、捏造・改竄・盗用の不正行為に手を染められるわけがなかったと弁明したわけである。しかも、小保方は直属の部下ではなく、独立した研究室のリーダーだったので、不躾に実験ノートを見せるように要求することなどできなかった。そして記者会見の最後では、こうぬけぬけと言い放ったのである。
『私の(メインの)仕事として、STAP細胞を考えたことなどない』」(『STAP細胞に群がった悪いヤツら』p.99)


 ・・・と、この時点ではいきなりケビン・コスナーをかなぐり捨て無責任路線になっている笹井氏です。
 先ほど挙げたような笹井氏の抱えていたプロジェクト群を考えると、最後の笹井氏の放り出し発言は、気持ちとしてはわからないではない。しかし、論文の「共著者」「コレスポンデント・オーサー」という立場は、本来は論文のすみずみに目を通し共同責任を負う立場なので、この笹井氏の言葉は「あってはならない」のです。とりわけ理研CDB副センター長でもあり、論文執筆と同時に組織運営上も管理責任のある笹井氏の責任は重大でしょう。

 このあと笹井氏は8月5日、笹井氏は先端医療センターの中で首吊り自殺をしてしまいます。

 自殺の動機は諸説ありますが、小保方晴子さんの不正を見抜けなかった自分の不明を悔いたこと、それに自分の研究室の研究員らの将来に責任を感じたのであろう、とみられています。


 笹井氏から小保方晴子さんに宛てた遺書は、優しさと思いやりにあふれていました。

 『捏造の科学者』によると、

「小保方氏宛ての遺書は一枚。『限界を超えた。精神的に疲れました』と断り、『小保方さんをおいてすべてを投げ出すことを許してください』と謝罪の言葉で始まっていた。更に、小保方氏と共にSTAP研究に費やした期間にも言及し、『こんな形になって本当に残念。小保方さんのせいではない』と小保方氏を擁護する記述もあった。末尾には『絶対にSTAP細胞を再現してください』と検証実験への期待を込め、『実験を成功させ、新しい人生を歩んでください』と激励する言葉で締めくくられていたという。」(『捏造の科学者』須田桃子、文藝春秋社、2014年p.347)

 この遺書の言葉をとらえて、小保方さんを擁護する人々は、「笹井氏は小保方氏を最後まで擁護していた」と主張します。
 しかし、今年になって出た、笹井氏の未亡人に対するインタビューでは違う見方が述べられています。

「A子さんは、夫が書いた真意が小保方氏には伝わっていないのではないかという。
『主人の遺書にあった“新しい人生を歩んで下さい”という言葉。あれは、“あなたには研究者の資質がないから辞めなさい”という意味なんです。実際、主人は何度も言っていました。“彼女は研究者には向いてない。辞めたほうがいい”って。これが、彼女を間近で見てきた主人が最後に下した結論だったのです』」
(「故笹井芳樹氏の妻 遺書の真意「小保方氏に伝わっていない」
NEWSポストセブン2月4日(木)16時0分)
>>http://news.biglobe.ne.jp/entertainment/0204/sgk_160204_5082077530.html
 というわけで、いまだ謎に包まれている部分が多いものの、本シリーズとしては「女性に優しい男を自認していた笹井氏が小保方さんを信じすぎて墓穴を掘ってしまった」と推論せざるを得ないのです。
 もちろん、責任は一義的には、ウソ、誤魔化しの積み重ねで上位者のヒューマン・エラーを誘ってきた小保方さんにあります。


 『捏造の科学者』では、笹井氏に同情的な別の見方も述べられています。
 すなわち、笹井氏は基礎研究を愛していた。しかし、再生医療を看板にしないとお金がとってこられない。

「基礎研究を愛し、若手の自由な研究環境を守るために、臨床応用の近いiPS細胞と比べることでSTAP研究の意義を宣伝した―。そう考えると、笹井氏こそ、CDBの抱える矛盾を体現していたように思えてならなかった」(『捏造の科学者』p.353)

 笹井氏は巨額の研究予算をとる権限を持ち、才覚のあった人でした。そのことに使命感を持っていた人でもありました。若手の研究者に対する擁護者を自ら任じてもいたことでしょう。
 そのことが仇となり、小保方晴子さんの不正を見抜く目が甘くなったとしたら、それもまた痛ましいことです。
 −こういうスケールのことを「ええかっこしい」と呼んでしまうのは気の毒なことではあるのですが。でも突き詰めていうとやはりそれになります。

 
 そしてまた、いくつかの謎が残っています。 
 笹井氏は「光る胎盤をみた」とも言います。
 これについて小保方さんが行ったとみられる「手品」についていろいろ推測があり、要は「えっ」と拍子抜けするような子供だましのテクニックでこれらが実現する可能性があるのです。高名な学者が、むしろ「まさか、そこまでバカバカしいことをするとは」と疑わず、ダマされてしまった可能性があるのです。
 そのあたりは(9)で登場したレビュアー「パルサさん」がいずれ、解説してくれる機会があるかもしれません…。
 要は、「ヒューマン・エラー」が積み重なった。笹井氏の予算獲得の野望、iPS細胞への対抗心、そして女性や若い人に対して優しい擁護者を自認していたことがチェックの甘さにつながった。それが悲劇につながったのだろうと、今は推測するほかないのです。


 次回は、残された「おじさん」たち、「放置プレイ系」若山氏と、「欲得・不正系」大和氏・バカンティ氏を取り上げます。



これまでの記事:
●社会人のための「小保方手記」解読講座(1)―印象的な”ツカミ”のエピソードはこう読め!Vol.1
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935543.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(2)―印象的な”ツカミ”のエピソードはこう読め!Vol.2
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935599.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(3)―1位マネジャー製造講師・正田が読む・晴子さんのプロファイリングはVol.1
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935610.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(4)―正田が読む・晴子さんのプロファイリングVol.2 小保方さんの生育環境は
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935705.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(5)―プロファイリングVol.3 多彩な感情表現は人を被害者的にする!心理学セミナー、カウンセリングの副作用のお話
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935878.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(6)―「私の会社でも」読者からのお便り
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936058.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(7)―“惑わされる”理系男子:女性必見!もしもあなたの彼が「隠れ小保方ファン」だったら
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936162.html
 
●社会人のための「小保方手記」解読講座(8)―「キラキラ女子」の栄光と転落、「朝ドラヒロイン」が裁かれる日
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936340.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(9)―「STAP細胞はあります!」は本当か?Amazonレビュアーが読み解くプロジェクトの破綻
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936570.html

●社会人のための『小保方手記』解読講座(10 )―再度「STAP細胞はありません」―「ウソ」と真実・ネット世界と現実世界のギャップ、社会人の分断リスク
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936986.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(11)― 騙されないためのケーススタディー:小保方晴子さんが使った「ヒューリスティック(自動思考・錯覚)」の罠
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937126.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(12)情けないぞおじさんたち!!「ええかっこしい上司」「放置プレイ上司」そして「欲得・不正系上司」(前編)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937436.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(13)情けないぞおじさんたち!!「ええかっこしい上司」「放置プレイ上司」そして「欲得・不正系上司」(後編)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937542.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(14)(最終) まとめ:あなたの会社から「モンスター」を出さないために―女性活躍、発達凸凹対応、そして改めて「行動承認」
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937655.html



●エイプリルフール特別企画・シリーズ番外編:社会人のための「小保方情報」解読講座
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937719.html

 今日はぼーっとしています。

 このところのシリーズ「社会人のための『小保方手記』解読講座」の執筆が少し煮詰まっているところです。

 先日、ある友人とメールで議論になりました。テーマは「小保方手記」。

 差支えない範囲でお出しします。

 友人はほとんどの情報を小保方本(『あの日』)から得、内容を真に受けてしまったようでした。

「小保方さんは、ハメられた」

と言いました。

 また友人は開発関係のお仕事の経験があるようで、

「研究者などみなモンスターだ!」
「ないものを『ある』というのが研究者だ!」

と言います。

 本当は、よく存じあげていますがふだんはこんなアグレッシブな物言いをする人ではないのです。小保方本の影響で感情的になっているとしか思えません。

 この本はこういう恐ろしい力がある、と先月来、わたしは思っていたのでした。Amazonレビューで、擁護論のレビューを書かれる方、コメントをする方、いずれもとても感情的で、反論を受け付けない!という感じなのです。その人の過去のトラウマが全部引っ張り出されてきているのだろうか、というぐらい。

 以前にも取り上げた小保方本の中の、過剰すぎるほどの感情表現に影響されてしまうのでしょうか…

 (詳しくはこちらを参照
社会人のための「小保方手記」解読講座(5)―プロファイリングVol.3 多彩な感情表現は人を被害者的にする!心理学セミナー、カウンセリングの副作用のお話


 以前から知っていた友人をこういう状態にしてしまうことに空恐ろしさを感じましたが、この人には結局、夜中に2時間ほどメールのやりとりをし、当ブログでの連載のリンク先を1つ1つ紹介したり、アメリカで最近発表されたSTAP細胞的な研究(「小保方さんはハメられた」という陰謀論の方々の論拠になっている)はSTAP細胞ではないこと、再現性も担保されてないこと、などを丁寧にご説明しました。

(詳しくはこちらの記事の末尾の追記参照
社会人のための『小保方手記』解読講座(10 )―再度「STAP細胞はありません」―「ウソ」と真実・ネット世界と現実世界のギャップ、社会人の分断リスク

 そのすえに友人は最終的には

「STAP細胞はある、と私は信じたいだけです」

というところに後退され、また若山照彦氏(山梨大学教授)への非難もやめてくれました。


 ほっとし、そして、やっぱりこのシリーズ「小保方手記解読講座」を書き続けてよかったのだろうな、と改めて思いました。

 うっかり感情移入した人には、論理一点張りでは通じないのです。その人の感情に丁寧に寄り添いながら説得してあげる必要があるのです。大きく振れるその感情に寄り添う作業は、感情労働の極致ともいえます。

 ブログのリンクを1つ1つメールに貼って送りながら、このシリーズでは一貫して小保方さんへのあからさまな批判や悪感情は表現せず、たかぶらず穏やかな優しい語り口で書いておいてよかった、と思いました(一部に例外はありますが。また私の本音は上記の(10)の記事に書いておりますが)


 最後のメールで、私はこの友人に、「あなたの幸せを真摯に願っている」と伝えました。
 友人がこのメールを手元に置いておいてくれることを願います。



*********************************************

 実は「小保方手記解読講座」連載開始以来、詳細は伏せますがわたしの一身上にも色々と異変が起こり、そのことでFacebookのお友達にご心配をお掛けするような事態になってしまいました。


 そんななか尊敬する友人(福祉施設女性施設長)からメッセージをいただきました。
 ご了承をいただいて、掲載させていただきます。



私も小保方さんには違和感を感じていたので、興味深くホームページを読ませていただきました。
小保方さんのファンは新興宗教のような盛り上がりだと聞いたことがあります
心労が尽きないことと思いますが、見えない力に屈することなく、かわらずご活躍下さることをお祈りしています



 ありがとうございます…(>_<)…

 やはりこれも、意図したことは間違ってなかった、と。
 つまり、さほど関心のない管理職層の方にもおおむねどういうことが起こっているかを理解していただき、次いで部下やお子様などにもご自分の言葉で説明できるようになっていただく、ということ。

 そしてそのような意図を読みとってこのように返してくださる大人の友人の心遣いが、嬉しかったのでした。


 えっ、そんな手間ひまかける必要があるのかって?

 これは、手前味噌な言い方ですが、元特ダネ記者のわたしとしては、
「私がマズイと思ったことは多分本当にマズイ」
のです。だから誰かが無償でもこういう仕事をしないといけないのです。


*********************************************


 このブログに以前にも登場された、佐賀県の研修業Training Office代表、宮崎照行さんから嬉しいご連絡をいただきました。

 宮崎さんの現在の研修先でも、拙著『行動承認』をサブテキストに使ってくださっているというお話。

 研修先は某大学の救命救急センターとのことで、大変光栄でした。


 宮崎さんは過去に、高校生さん向けのビジネスマナー研修である時期から「行動承認」を取り入れた研修方法をとったところ、飛躍的に成果が上がってしまった、というお話をしてくださいました。以来、『行動承認』も読まれ、確信をもって取り組んでくださっています。

 詳しくはこちらの記事を参照
新たな実践経験談 ”教育困難校”と「行動承認」―佐賀県・宮崎照行さんのメールより

 だんだん、日本中の心ある人達が気がついてくださっているという段階なのカナー。

 とにかく「この手法」かそうでないかで明暗が恐ろしく分かれてしまうので、早く普及させたい、また一度研修したら長く定着してほしい、と願う次第です。

 今までのところとびきり賢い方々が「行動承認」を見込んでくださっていると思います。







100年後に誇れる人材育成をしよう。
正田佐与



あの日



 小保方晴子さんの手記『あの日』(講談社、2016年1月)の読書日記 第11弾です。

 ちょうど先週、「週刊文春」がTVコメンテーターの「ショーン・K」の学歴詐称・職歴詐称を報じ、ショーン・Kが番組降板をする騒ぎになっていました。今回はそれに少し近い話題です。

 今回の内容です:

1.「ヒューリスティック」が私たちを誤らせる
2.「小保方プレゼン」にみる、確信と幼い一生懸命さ
3.ハロー効果:強い後ろ盾と英会話力、そして「美形」
 
 それではまいりたいと思います―


1.「ヒューリスティック」が私たちを誤らせる


 小保方晴子さんがなぜ、理研のユニットリーダーというような重要なポストに就き、Natureに投稿することまで許されていたか?

 それまでには、何人もの世界的な研究者たちが小保方さんに騙されていたことになります。
 なぜ、彼らは騙されたのだろう。
 そこには、上司・指導者たちの要因と小保方晴子さん自身の類まれなる資質があります。
 今回の記事では、小保方さん側の資質。どういうやり方で彼女がすり抜けていったのかを、みてみたいと思います。
 このシリーズの(6)「私の会社でも」―読者からのお便り でみたように、類似の“事件”は企業社会のあちこちで起こっています。社長、株主、といった人たちが次々と騙されていきます。ですので、「まさか」と思われるかもしれませんが、トラブルの種は身近なところにあると思って、この事件から学べることを最大限学習していきましょう。




 わたしたちは、いくつかの判断材料がそろうと、それを基に「〜だから、〜だろう」と推論をする癖があります。
 そうした類推を「ヒューリスティック(自動思考)」といいます。それはわたしたちが日々、多数の事柄を扱い判断していく必要上生まれたもの。どんな人も毎日どこかでヒューリスティックをしていることを免れません。実務経験豊かな、「自分は判断力がある」「自分は人をみる目がある」と自信のある人ほど、日常的にヒューリスティックを使っていることでしょう。

 ところが、ヒューリスティックがわたしたちを誤らせることもあるのは確かなのです。
 その典型が、「小保方晴子さんの出世物語」であるといえます。
 さて、そこにはどんなヒューリスティックが働いたのでしょう。

※なお、「ヒューリスティック」に俄然ご興味が湧いたという方は、このブログのカテゴリ
「判断を歪めるもの(ヒューリスティック・バイアス・ステレオタイプ)」
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/cat_50056283.html
を、ご参照ください。良質な参考文献もご紹介しています




2.「小保方プレゼン」にみる、確信と幼い一生懸命さ



 小保方さんの「売り」は、なんと言ってもそのプレゼン能力。

 是非、過去の学会発表の様子までみてみたいものですが、残念ながらそれらは動画の資料がありません。
 今ウェブ上でみられるのは、
(1)2014年1月28日、STAP論文のNature掲載を記者発表したときのもの
   (5分強の動画)
(2)同年4月9日、小保方さん自身による釈明会見
   (2時間〜2時間30分の動画)

 です。ご興味のある方はご自身でご覧になってみてくださいね。
 簡単に言うとここには「確信あるポーズ」と「青年の主張ポーズ」というテクニックが入っています。

(1) は、われらが小保方晴子さんが一躍、お茶の間の時の人となった記念すべきプレ ゼンです。
これをきいてみると、非常に上手いプレゼンであることがわかります。

「…隠された細胞メカニズムを発見しました」
「…胎盤にも胎児にもなれるという特徴的な分化能を有していることがわかりました」
「…2種類の細胞株を取得することに成功しました」

 「えーと」「あのー」などの「つなぎ」の言葉が一切入らない。それぞれのセンテンスの語尾まで迷いなくきれいに言いきっています。聴衆に向ける笑顔に曇りひとつありません。

 そして最後の決め、
「もしかしたら夢の若返りも目指していけるのではと考えております」
 この言葉は内容的にはすごく飛躍しているのですが、きれいなよく通る発声を維持したまま、確信をもって発音しています。ですのでこの言葉を頼りに、一時の夢をみてしまった高齢者のかたも多いようです。

 これらが、聞き手にとってどのような効果をもたらすか。
「ここまで迷いなく言い切れるのは、何度も実験に成功し、自分の中に確信があるからだろう」
 普通の人は、そう思います。

 それはわたしたち自身が、そうだからなのですね。大勢の人の前で話すということは非常に緊張するものです。そこで確信をもって語尾まできっぱり言い切れる、感情的なブレもなく、というのは、自分が何度も経験した上で確信を持っているからに違いない。わたしたちのうちほとんどの人が、そうでないとそのようなプレゼンは出来ないものです。

 しかし、そうした類推(ヒューリスティック)を裏切るのが、小保方さんのプレゼンです。

 前々回の記事(9)「STAP細胞はあります!」は本当か?Amazonレビュアーが読み解くプロジェクトの破綻 をお読みになった方なら、小保方さんは、「テラトーマができていない」という致命的な欠陥を隠したまま論文を書き、このプレゼンを行ったことがわかります。

 しかし、そういう「瑕疵」の匂いを一切感じさせない。可愛らしい満面の笑みを浮かべながら、伸びやかな発声でよどみなく、達成してきたことと今後のシナリオまで言い切ります。
 これが、「小保方プレゼン」の凄さです。
 プレゼンだけをきいたら、物凄く優秀な研究者であるように見えます。

 (もっとも、多くの偽健康食品や投資詐欺などの説明会で講師を務める人は、得てしてこういうものなのかもしれません)


(2)4月の釈明会見

 非常に長い動画ですが、ここでの小保方さんは1月のプレゼントはまた別の顔をみせます。
 まず、髪はシンプルなハーフアップ。フィット&フレアーのすっきりしたシルエットの紺のワンピース。
 プレゼンの口調は、1月の時よりはやや甲高くか細く、単調。ごくまれに質問に答えて「あのー」が出る以外はやはりよどみがありません。

 そして顔の表情。この『あの日』出版以後は、この会見の時の顔写真がTVでも頻繁に使われています。少しうつむき加減の、今にも泣きだしそうな表情。唇は小さく形よく結んでいることが多く、お雛様のよう。1月の時より一段階、あどけなく可愛らしい印象になります。

 お顔の表情だけを拝見すると、30歳の人というよりは、女子大生、いや女子中学生、下手をすると小学生のような印象です。

 見ていて胸が痛くなります。こんな幼い弱々しい表情をしているんだから、ちょっと刺激したら泣き出してしまうんじゃないか―。しかし小保方さん、2時間以上にわたって口調は変わりません。涙を流した場面もありましたが、また今にも泣き崩れそうに涙声が混じりかけた場面もありましたが、語尾に震えなどは一切入りません。その状態のまま、きれいに各センテンスを言い切っています。

 あの有名なフレーズ
「STAP細胞は、あります」
 この言葉は目をぱっちり大きく見開いてまじまじと質問を発した記者を見つめ、軽くうなずきを入れながら、児童劇団のセリフのようにはっきり発音されています。

 全体として、これによく似た若い人のプレゼンを見た、と思ったのは、そう、「青年の主張」です。
 小さな、取るに足らない存在の私。無力な私。その私が一生懸命実験をした、一生懸命やった。その中に一部、ミスがあったけれどそれは未熟な私がしたことなんです。全体としては良い意図をもってやっているので許してください。やや甲高い声のトーン、幼さと一生懸命さを印象づける顔の表情、いかにも「青年の主張」という感じです。

 ただ当時30歳という年齢や、修士時代から7年間の華麗な研究者履歴を考え、またNatureという世界の研究者が羨む雑誌への掲載という研究者としての円熟のステージを考えると、本当は幼い表情も「青年の主張」ポーズも、ちょっと無理があるのですが・・・。
 その無理を強引に押し切ってしまうのが小保方さんなのでした。

 このシリーズを執筆し始めてから友人と対話したところでは、友人の中でも聡明な、しかし非常に優しい人が、この時の会見で小保方さんに同情したことがわかりました。
「優しい」人の心をつかむプレゼン術を心得ている、したたかな小保方晴子さんなのでした。

 ここでも同じです。顔の表情や声のトーンをそのように調整し、よどみを作らないことで、小保方晴子さんは「一生懸命な、悪くない私」を演出してしまっています。

 そして、それを聴いているみているわたしたちの側にある「ヒューリスティック」とは。

「こんなに若くて、良家のお嬢さん風のあどけない顔立ちの女性が、一生懸命な面持ちでブレずに話しているのだから、悪いことをするわけがない」

 そういうヒューリスティックがわたしたちの中にあります。なまじ人生経験が豊富だからと、わたしたちの頭の中に刻まれている推論が、わたしたちを正しく考えることを妨げます。

 (1)(2)をまとめますと、(1)は「成果が上がりました!」というときの、経験豊富で確信に満ちた自分を演出するプレゼン。
 (2)は、小さい幼い自分と、一生懸命な良い意図をもった自分を演出するプレゼン。

 これまでの人生で、小保方さんは、この(1)(2)を上手く使い分けてきたことが想像されます。
 例えば、早稲田のAO入試や、「日本学術振興会特別研究員DC1」の取得のための「情に訴える」プレゼンなら幼く一生懸命な(2)を。
 また学会発表や、理研ユニットリーダーへの応募のプレゼンなら確信に満ちた(1)を。
 あるいは場合によって、(1)(2)の混合を。

 『あの日』には、2012年12月、理研ユニットリーダーに応募しプレゼンを行った小保方晴子さんが、そこで故笹井芳樹氏(理研グループディレクター=当時。のち理研CDB副センター長。2014年8月没)と出会ったくだりが書かれています。
 ここでも、笹井氏は小保方さんのプレゼンに「コロッと」騙されてしまったようです。

 多くの人が、「笹井氏ほどの人が何故騙されたのか?」と疑問を投げかけるのですが、小保方さんのプレゼン能力というのはそれほど凄いのだ、というしかないでしょう。恐らく、2007年以来様々な学会に顔を出す中で、経験豊富な研究者の口調や仕草などを物にしていったことでしょう。また上手くいかないところがあっても細部まで辻褄を合わせるテクニックも発達させていたでしょう。
(注:笹井氏側の「騙されやすかった」要因については、次回の記事で取り上げたいと思います)

 しかし、ウソをつき通した末にSTAP論文が大々的に発表になり、世間の注目を集めたことで不正が追及されることになる、というところまでは、小保方さんは想像力が働かなかったのでした。



3.ハロー効果:強い後ろ盾と英会話力、そして「美形」


「高名な学者たちが、本当は中身のない小保方晴子さんに何故騙されたのか?」

 だれもが抱く疑問です。

 この問いには、小保方晴子さんの7年間の研究者人生の後半の方で出会う学者たちについては、「ハロー効果」で説明できます。これもヒューリスティックの1つです。

 つまり、前任者の上司や指導者たちが「この人は優秀だから」と太鼓判を押してくれていると、それは「ハロー効果」となって小保方晴子さんを全面的に信用する材料になってしまいます。

 2010年、神戸の理研CDBに初めて行った頃の小保方さんは、それ以前の早稲田大学、東京女子医科大学、ハーバード大学時代の評価が積み上がっていました。ハーバードのチャールズ・バカンティ氏、東京女子医大の大和雅之教授、といった高名な学者たちの推薦もかちえていました。博士課程の学生の中でも最も優秀な人だけが貰える「日本学術振興会特別研究員DC1」を取得していることも、ハロー効果の材料になります。

 そうした「後光」の差すような教授たちの推薦という美しいアクセサリを身につけた小保方さん。その彼女に対しては毎日延々と長時間の実験をし、土日も出勤して実験し、成果が上がっているのかどうかはっきり分からなくても、それを疑問視したりはしません。「実験ノートを見せて」などと、初心者に言うような野暮なことも言いません。
(小保方さんの事件以後、この点は多くの研究機関で大分改善されたようですが)


 「ハロー効果」を補強するものとして、小保方さんの英会話能力も挙げられるかもしれません。ハーバード仕込み、非常に流暢に話す人だったようです。想像ですが、日本語でもこれだけ「感情表現」を沢山織り交ぜて話す小保方さんなので、英語でも普通以上に「感情語」を多用したかもしれないですね。その結果、ロジカルな会話しかできない多くの研究者と異なり、会話が弾んだかもしれないですね。英語に弱いとされる若山照彦氏(理研チームリーダー、のち山梨大教授)などにとっては、頭の上がらない存在だったかもしれません。

 これも、ビジネスの世界では「英語ができる」が過大評価されることが往々にしてありますので、気をつけたいところです。小保方晴子さんのように、能力の凸凹が大きいなかで言語能力だけが突出して高い人が、英会話が得意であるというのは珍しいことではありません。やはり「あくまで色々な能力の中の1つ」と考え、実行/責任に関わる能力を常に第一にみたほうがいいでしょう。


 ・・・えっ、「あれ」を忘れているだろうって?
 そうでした。
 第8回 「『キラキラ女子』の栄光と転落、『朝ドラヒロイン』が裁かれる日」でもとりあげましたが、「お顔」「見た目」という要素、やはり大きいですね。

 大きくていい、というつもりはないですよ。容姿などではなく、実力で選ばれるのが理想です。ただ現実には大きいです、残念ながら。
 研修講師のわたしからみて、「えっ?」と思うような、明らかに人格が悪いとか能力が低い人を、お顔がキレイだからと、マネジャーに引き上げようとするトップの方、いらっしゃいますね。

 部下側の人に「上司との関係」をきいていくうち、「人格が悪いけどお顔がキレイな人が、やっぱりマネジャーになりやすい」という声はきかれました。

 というわけで「見た目ヒューリスティック」「美形ヒューリスティック」というもの、やはり存在しそうです。

 ショーンK氏問題に絡めて、May_Roma氏は

「最も効率のよい投資は自分への投資だと言われています。ショーンK氏の件でわかったことは、成功するために最もコスパが高いのは整形だということです」

と、身も蓋もないことを言います。

 




 今回のまとめです。

(1) 自信満々なプレゼン
(2) 幼い、一生懸命な自分を演出するプレゼン
(3) 高名な人からの推薦
(4) 英会話力など外国語能力
(5) きれいな・かっこいい見た目

 ある人がこれらを持っているからと言って、うっかり信用しないようにしましょう。
 もちろん、これらを持っている人が「本物」である場合もあります。しっかりと言葉の裏をとり、細部まで確認しましょう。「事実」と「行動」が最も重要なのです。

 先週発覚した、ショーン・Kの経歴詐称事件は、ウソつきの人が長期間、東京キー局のTVコメンテーターという目立つ場所に起用されていて、誰もその経歴を疑わなかったという現象でもありました。
 人の言葉(表示も)をうっかり信用せず、細かく裏をとる作業、大事ですね。スマホ時代でわたしたちはどうしても認知的負荷をサボりがちになります。気をつけたいところです。


 次回は、騙された側の上司たちには、何が起こっていたのか?正田と同世代の「おじさん」たちの心理を読み解きます。



これまでの記事:
●社会人のための「小保方手記」解読講座(1)―印象的な”ツカミ”のエピソードはこう読め!Vol.1
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935543.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(2)―印象的な”ツカミ”のエピソードはこう読め!Vol.2
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935599.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(3)―1位マネジャー製造講師・正田が読む・晴子さんのプロファイリングはVol.1
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935610.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(4)―正田が読む・晴子さんのプロファイリングVol.2 小保方さんの生育環境は
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935705.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(5)―プロファイリングVol.3 多彩な感情表現は人を被害者的にする!心理学セミナー、カウンセリングの副作用のお話
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935878.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(6)―「私の会社でも」読者からのお便り
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936058.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(7)―“惑わされる”理系男子:女性必見!もしもあなたの彼が「隠れ小保方ファン」だったら
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936162.html
 
●社会人のための「小保方手記」解読講座(8)―「キラキラ女子」の栄光と転落、「朝ドラヒロイン」が裁かれる日
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936340.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(9)―「STAP細胞はあります!」は本当か?Amazonレビュアーが読み解くプロジェクトの破綻
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936570.html

●社会人のための『小保方手記』解読講座(10 )―再度「STAP細胞はありません」―「ウソ」と真実・ネット世界と現実世界のギャップ、社会人の分断リスク
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936986.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(11)― 騙されないためのケーススタディー:小保方晴子さんが使った「ヒューリスティック(自動思考・錯覚)」の罠
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937126.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(12)情けないぞおじさんたち!!「ええかっこしい上司」「放置プレイ上司」そして「欲得・不正系上司」(前編)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937436.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(13)情けないぞおじさんたち!!「ええかっこしい上司」「放置プレイ上司」そして「欲得・不正系上司」(後編)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937542.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(13)情けないぞおじさんたち!!「ええかっこしい上司」「放置プレイ上司」そして「欲得・不正系上司」(後編)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937542.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(14)(最終) まとめ:あなたの会社から「モンスター」を出さないために―女性活躍、発達凸凹対応、そして改めて「行動承認」
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937655.html


●エイプリルフール特別企画・シリーズ番外編:社会人のための「小保方情報」解読講座
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937719.html

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 
    ・・・……<<<エウダイモニア通信>>>……・・・
発行日 2016.3.21                 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ※「エウダイモニア」は「幸福」、また「栄える」という意味のギリシア語です。
 「業績1位」の山を築いてきた承認マネジメントの研修講師・正田佐与が、
 経済的繁栄を含めたわたしたちの「幸せ」についてご一緒に考えるメルマガです。
 
※このメールは、正田が過去にお名刺を交換させていただいた方、イベントやセミ
 ナーにご来場いただいた方にお送りしています。
 ご不要の方は、お手数ですがメール末尾にありますURLより解除ください。

■■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ┃本日の話題 ☆☆☆☆☆
■■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

【1】 最大の焦点・STAP細胞は、あったのか。この本に答えがあった
  〜理研関係者も注目!
     小保方晴子手記『あの日』を読み解くシリーズいよいよ佳境に

【2】連載「ユリーの星に願いを」第5回「挨拶」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【1】 最大の焦点・STAP細胞は、あったのか。この本に答えがあった
  〜理研関係者も注目!
   小保方晴子手記『あの日』を読み解くシリーズいよいよ佳境に


 引き続きGoogle「社会人 小保方」のキーワードでトップ1〜6位を独走中の
大好評シリーズです。
2年前、STAP細胞論文問題で日本中を騒がせ、神戸の理研CDB解体の原因にも
なった、小保方晴子さんの手記『あの日』(講談社、2016年1月)。
 
 いよいよ、特に男性諸氏にはよくご質問いただく話題。
 彼女が発見したと主張した、STAP細胞は、本当にあったのか?
 実はこのことの答えが、『あの日』に載っていました。このことは、まだどの
書評にも載っていません、Amazonレビュー以外では当ブログだけです。
 
 人気シリーズはいよいよ佳境に。メルマガ読者だけにお教えする、その答え
とは。年度末の作業の休憩のお時間にこっそり、ご覧ください:

●社会人のための「小保方手記」解読講座(9)「STAP細胞はあります!」
は本当か?Amazonレビュアーが読み解くプロジェクトの破綻
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936570.html 
Amazonレビューから出てきた大スクープ。『あの日』をよーく読むと
真実が書かれていた!?元ITマネジャーと研究者、二人のレビュアーが解説
してくれます。

●社会人のための『小保方手記』解読講座(10 )―再度「STAP細胞はありません」
 ―「ウソ」と真実・ネット世界と現実世界のギャップ、社会人の分断
   リスク
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936986.html 
 マネジャー研修講師、正田が心配する“社会人の分断リスク”とは。
 出版界の”悪しきたくらみ”から身を守るリスクマネジメントとして、
このシリーズがあります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【1】 連載・「ユリーの星に願いを」第5回「挨拶」
By ユリー
 ユリー:マーケティングコンサルタント。人と組織のメカニズムに高い関心
を持つ仏教学習者。40代女性。

***********************************


「挨拶」

 こんにちは。ユリーです。
 すっかり春めいてきましたね。春は別れと出会いの季節、みなさんも、職場
やその他で、別れと出会いを経験なさっていることでしょう。
 さて、その別れと出会いの季節には「あいさつ」のやりとりが、
当然のごとく増えてまいります。「あいさつ」は承認を実践する皆さんにとっ
ては、最も取り入れやすいもの1つではないでしょうか。私も、まず、あいさ
つだけは丁寧にと決めています。

 ところで「あいさつ=挨拶」の由来は禅の用語。碧巌録(中国宋時代の仏教
書、現在でも臨済宗で使用される公案書)に「一挨一拶(いちあいいっさつ)、
其の深浅を見んと要す」とあります。これは禅問答によって相手の悟りの深浅
を計るという意味ですが、ここから転じて挨拶という表現になったそうです。

 禅問答といえば、答えの無い無用なやり取りという意味で使われることもし
ばしばですが、そもそもは、禅宗の修行者が悟りを開くために師から与えられ
る課題で公案ともいわれるもの、もちろん現在でも禅宗の大事な修行の1つで
す。

 こう考えると、単純な「挨拶」に奥深い世界があることに気づきます。たっ
た一言、二言のやり取りにさえ、私たちは人の心の成熟を見ることができると
言えます。逆に、そのたった一言二言に、自分の心の成熟が反映されるという
ことでもあります。

 また「挨(ひら)く拶(せま)る」ともいうように、挨拶は、自分から心を
開いて相手に迫る行動でもあります。

 挨拶は目下の人から先にするものだという考え方もあるかもしれません。私
は、目上の人が率先して挨拶を実践することは、その人の心が周囲に開かれて
いることを端的に示す効果があると考えるので、それだけで場の雰囲気がよく
なると感じています。「挨拶は自分から」とは子供の頃にさんざん学校や家庭
で言われ続けたことですが、大人だからこそ、役職者だからこその「挨拶は自
分から」が大事。そして、挨拶の一言に人の心の有様が投影されることを常に
に命じ、日々の挨拶を実践したいと思うのです。


□□━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ┃今日の一筆箋  
□□━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 「挨拶」の語源、ご存知でしたか?
 仏教のバックグラウンドをもつユリーさんならではの解説でした。

 今回ご紹介した「STAP細胞はありません」これはAmazonレビューを除い
ては他のメディアにはまだ出ていない、当ブログ独自情報です。
 是非、あなたのお取引先にも教えてあげてくださいね!

┌─<<現役マネージャー必読!>>──────────────────>
│  近著『行動承認―組織の能力を最大化する「認める力」』
│  http://www.amazon.co.jp/gp/product/4434198572
└──────────────────────────────────>


1位マネジャー続出の承認研修講師 正田佐与の発信するメディア

┏┓
┗■ ツイッターアカウント >> @sayoshoda
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┏┓
┗■ フェイスブックページ >> http://www.facebook.com/sayo.shoda
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┏┓
┗■ ブログ「正田佐与の愛するこの世界」 >> http://c-c-a.blog.jp
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


■メールニュースのバックナンバーもこちらからお読みいただけます。
>> http://c-c-a.blog.jp/archives/cat_50052130.html

■新規購読の申し込みは、「メールニュース」希望と書いて、配信希望先の
アドレスとともに
info@c-c-a.jp 宛にメールでお申込みください。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

皆様の職場でも業績向上につながる「承認」を取り入れてみませんか?
 研修のご相談、原稿のご依頼、「人」の問題について個別のご相談は以下ま
でお気軽にご連絡ください。
 
 正田佐与承認マネジメント事務所
 Email info@c-c-a.jp TEL: 078-857-7055  FAX: 078-857-6875

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

このメールニュースは、正田が過去にお名刺を交換させていただいた方、
イベントやセミナーにご来場いただいた方にお送りしています。

◎メールニュース解除方法
解除される場合は、下記の解除フォームに受信メールアドレスを入力してくだ
さい。ワンクリックで解除していただけます。

>> http://mag1.hyper-mail.jp/md/publish/quit.asp?act=1&mid=1044&mail=sshoda@c-c-a.jp




◇―――――――――――――――――――――――――――――――――◇

100年後に誇れる教育事業をしよう。

 発行者 正田佐与承認マネジメント事務所代表 正田 佐与

◇―――――――――――――――――――――――――――――――――◇
このメールは転送歓迎です。

あの日


  小保方晴子さんの手記『あの日』(講談社、2016年1月)の読書日記 第10弾です。

 今回の内容は:

1.「STAP細胞はありませんでした」と研究不正
2.「ぶっちゃけ小保方さん大嫌い」なぜ、このシリーズを書き続けるか
3.ネット世界と現実世界のギャップ


 それではまいりたいと思います―


1.「STAP細胞はありませんでした」と研究不正


 まず、前回のおさらいです。

社会人のための「小保方手記」解読講座(9)「STAP細胞はあります!」は本当か?Amazonレビュアーが読み解くプロジェクトの破綻
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936570.html


 この記事のポイントは「STAP細胞はありません」。

 小保方晴子さんが「夢の若返りも可能です」と声を張り上げて主張した、万能細胞のSTAP細胞なるものは、存在しません。
 多能性を証明するための肝心のテラトーマ(奇形腫)ができていなかった。小保方さんがそれを隠し通して、研究を続け周りの人を巻き込みNatureにまで掲載させたことで、死者まで出る騒動になった。これがSTAP事件の根幹だ、ということです。

 その、一番都合の悪いことを、ウソだらけのこの本の中で小保方さん自身が「ぽろっ」と書いてしまったところに、この本の価値があります。
「STAP細胞はあります!」
 もう、あの魔法の杖は使えないのです。

 自慢ではありますが上記の(9)の記事をアップした12日(土)の夜、理研のサーバーからもこの記事にアクセスがありました。ひょっとしたら、『あの日』の出版以来苦虫をかみつぶした顔で推移を見守ってきた理研の現在の研究者たちも、この本に「不都合な真実」が書いてあることがわかって胸をなで下ろしたかもしれませんね。

 また、小保方さんの行った「悪事」の程度を確認しておきたいと思います。これも上記の記事の末尾部分に書きましたので、ご覧にならなかった方も多いかも。再掲します。

「「論文不正」ではなく「研究不正」、
 これも、仁さんのこのすぐ上のコメントに出ていますね。
 そのようにこの問題を捉えないといけません。
 うっかりミスで論文に瑕疵をつくったわけではない、そもそもの出発点でできていないものをできたと言い、研究をすすめたことの結果が論文不正であり、全体として「研究不正」と捉えるべきなのです。

 だから、小保方晴子さんが今、研究界から追放された状態になっているのも、身から出た錆、仕方のないことなのです。」


 本シリーズ読者の皆様は、このことも是非、押さえておいてください。

「小保方さんが小さないくつかのミスのために研究者生命を絶たれるのは可哀想」
「若い研究者の将来を奪っていいのか」

 これらの同情論は、当たっていません。小保方さんは、自分のしたことの大きさのために順当な制裁を受けたのです。これは野球賭博や八百長相撲を行った選手や力士が永久追放になるのと同じです。



2.「ぶっちゃけ、小保方さん大嫌い」なぜ、このシリーズを書き続けるか

 『あの日』出版以来、多くの論者がネット上にも意見をUPしています。批判派、同情派、賛否両論入り乱れています。

 3月13日(日)の朝日新聞書評では、この本をかなり好意的に取り上げました。

*********************************************
 (略)
 …いわば、まわりの大人たちに振り回されながら、その期待に応えようとして、本人は一生懸命頑張る涙と根性の物語である。研究者の複雑な人間関係、主人公が女性であるがゆえの周囲の特別視といった側面からも読めるだろう。あえてジャンル名を与えるとすれば「少女サイエンス“ノン”フィクション」とでも呼ぶべきか。あまり読んだことがなく、だからこそ面白い。が、これが現実とリンクしていることが最大の驚きだ。
*********************************************

 残念ながら、本シリーズで指摘している「STAP細胞はなかった」この重要ポイントへの言及は、なかったですね。東北大学教授の書評子さんです。
 お蔭で、止まったかにみえていたAmazonでの売上もベストセラー184位から64位と、息をふきかえした感があります。

 で、本シリーズのスタンスはどうなのか、というと。
 正直、ぶっちゃけ、正田はこの本の著者のことは「大嫌い」であります。(あ、初めて言っちゃいました)あの「STAP細胞はあります!」の会見にも嫌悪感しか抱きませんでした。このシリーズの毎回の記事を、吐き気をこらえながら執筆しています。ウソ、妄想、他責、被害者意識にまみれた本だと思っています。

 なんでじゃあ、そこまでしてこのシリーズを執筆するのか、と思われますでしょうか。

 それは、「社会人の分断」を危惧する立場からです。

 わたしはもともとはこの本のことも購入する予定はありませんでした。「印税稼ぎ」の意図が見え見えで、不快感の塊でした。
 ところが、Amazonレビューを見ているうち、とりわけ前回の記事に登場したパルサさんのレビューを見るうち、
「そうか、ウソだらけの本ではあっても著者自身が自分に都合の悪いことを漏らしている部分があるのか」
と気づき、そこで初めて価値を認めてAmazonの中古で購入したわけです。

 そうなのです、この本は「研究不正」に関心のある人にとっては一級の資料と思います。資料として持っておきたい方は、かつ著者に印税を渡したくないという方は、中古で購入なさってください。



 それはともかく。
 第8回にも書きましたが、この本の読者層が、主に若手社会人と高齢者層らしいということ。
 そのうち若手社会人は、アドラー心理学の『嫌われる勇気』の読者層と重なるということ。

 このことを考えると、この本『あの日』は、また新たな社会人の中の上司世代―部下世代の分断の火ダネになるかもしれないな、と思っています。
 まさか、と思われますでしょうか。


 『嫌われる勇気』のときも、わたしは30代若手リーダー層との間に目に見えない壁を感じていました。『嫌われる勇気』は、会社にも上司にも不信感をもつ若手向けに、「周囲に認められることを期待するな。自分の軸で生きよ」と、「精神的マッチョの教え」を勧める本です。

 いわば、欧米的「アトム型自己観」の極端なものを植え付ける教えと言ってもいい。そこへ、わたしがやっているような、「人は本来他者とのつながりを前提に自己をつくり、仕事をするものだ」という「承認論」のマネジメントを説いても、まったく受け付けられないのです。
 その「受けつけない」態度は、一種の洗脳のようにも感じました。
 
 それと同じ効果が、この本『あの日』に、あるのではないだろうか。
 それは26万部という、ベストセラーとはいえ「微妙」な部数ではあっても、今からジワジワと人の心に影響を与えるのではないだろうか。


 多数の良心的な識者の方がネット上にこの本と著者に対する批判のコメントや記事を書かれています。
 ただ、それをみて不肖わたしが思うのは、「批判」するのはむしろ簡単だということです。一瞬で切って捨てること、嫌悪の感情をまぶしてこの本を語ること。心ある人にとっては自然な行動ですが、それだけではこの本に心情的に吸い寄せられた人たちには説得力がない、ということです。

 わたしも、本音ではそうしたい。
でも、それだと対話の糸が切れてしまいます。うっかり、この本に感情移入して読んでしまった人たちと永遠に話が通じないままになってしまいます。



 このシリーズ継続中にも、企業の管理職研修では40-50代の管理職の悩みとして、「若手と話が通じない」ということが挙がります。
 もし、管理職側の正当な努力にもかかわらず若手側に「心の壁」が作られていてしまったら―、それを崩すのは、容易ではありません。



 この本は、たとえば昨年6月に出版された『絶歌』などとは、また違う種類のインパクトがあります。現実の職場を舞台にし、現実にいる、どこにでもいそうな男性上司たちが登場するからです。
 理研チームリーダー(当時)だった若山照彦氏の言動1つ1つを再現して、若山氏の異常性を強調するように、また著者自身の被害者意識をたっぷりまぶして書いています。
 読者にはそれが事実か否か知るすべもなく、極めて具体的に記述されているのでよほど注意深く読まないと事実と信じ込んでしまいます。この本に感情移入した人は若山氏が悪人であることを刷り込まれていきます。

 そうして、「上司=悪」と学習した若い人々は、自分の職場の上司たちにも若山氏との共通点を何かしら見出し、不信感を募らせるための口実とすることでしょう。


 もうひとつの時代背景として、「総スマホ依存」。いまや、電車に乗ってスマホ、タブレットに向かっていない社会人世代などないと言っていいくらいです。そしてスマホ育ちの若い人たちの、脳機能の偏りや行動力不足が指摘されています。

 行動しなければ、上司から叱責される頻度も高くなる。仕事の現場とはそういうものです。ところがそのために若い働き手たちの未熟な自己愛が刺激され、ちょっとしたキッカケで被害者意識を募らせ、キレたり上司に憎悪を募らせる可能性というのはたぶんにあります。
 そのように、「弱い若い人をますます弱くする」場合によっては、恐ろしい作用を持つ本であります。



3.ネット世界と現実世界のギャップ:「晴子さん」が跋扈する?ネット世界



 小保方晴子さんのプロファイリングについては、このシリーズで下記に取り上げましたが、
(3)―1位マネジャー製造講師・正田が読む・晴子さんのプロファイリングはVol.1
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935610.html

(4)―正田が読む・晴子さんのプロファイリングVol.2 小保方さんの生育環境は
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935705.html 

(5)―プロファイリングVol.3 多彩な感情表現は人を被害者的にする!心理学セミナー、カウンセリングの副作用のお話
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935878.html 

 ・・・が、ここに挙げた見方はまだ「甘い」のかもしれません。

 巷には、もっとはるかに厳しい見方が溢れています。

 『虚言症、嘘つきは病気か DR.林のこころと脳の相談室特別編(林 公一、impress Quickbooks,Kindle版、2014年8月)には、小保方晴子さんとそっくりな、自分を盛ってしまう・研究のデータすら捏造してしまう人物の事例のオンパレードです。これらを、著者は「自己愛性人格障害」「演技性人格障害」と名づけます。

 『自己愛モンスター―「認められたい」という病』(片田珠美、ポプラ新書、2016年3月)では、小保方晴子さんを名指しで取り上げ、
「私の見立てでは、小保方さんは『空想虚言症』である」
としています。

 こうした、疾患名を挙げる作業は、専門医のかたにお任せしておこうかな、と思います。ただし、このブログでいう「ASD-ADHD」の「能力の凸凹」は、それ単体では何の罪もないものであっても、生育環境や世渡りしてきた状況によっては、こうした「病気」に発展する可能性のあるものだ、と言えるでしょう。悪い面を助長してしまうような子育てがあったかもしれない。また変に能力の一番高いところに合わせたプライドを形づくってしまうと、小保方さんが「研究者になりたい」と今も望み続けるような、身の丈に合わないプライドになってしまうかもしれません。
 そしてそうした疾患名のつく段階になってしまうと、残念ながら「異常人格」として恐怖や嫌悪の対象になったりするものです。

 小保方晴子さんのしてきたことについても、わたし個人はやはり、嫌悪の念を隠せないでいます。
 それは、男性上司たちの「引き」で、ご本人の能力よりはるかに高いところまで引き上げてもらいそのことに一点の疑問も感じずにいたらしいこと、そして過剰な上昇志向の帰結として「テラトーマできてないやんけ!」を隠し通したままSTAP研究を推進していたこと、若山氏や笹井氏といった高名な学者たちを巻き込み、笹井氏に至っては死に至らしめてしまったこと。そしてこの本、『あの日』を出版して若山氏を悪者扱いしたこと。

 「STAP細胞はありませんでした。」ここを起点に、小保方さんのしたことの全体像が明らかになればなるほど、そこに嫌悪の感情を持たずにはいられません。

 しかし。
 
 大人世代のこうした冷ややかな視線をよそに、ネット世界には案外、小保方さんへの同情論・擁護論が溢れている現実があります。

 Amazonレビューでは本日現在、全702レビュー中★5つが421、★1つが140、平均3.9。

 これを昨年6月に出版された『絶歌』(元少年A、太田出版)と比べてみましょう。本日現在、全2,109レビュー中★5つが248、★1つが1,577、平均1.7です。
 ですので一般的に「良書」といわれる本のレビューの水準には届かないものの、ワルイコトをして処分を受けた人の手記としては、大いに健闘しているといえます。
(ちなみに『あの日』の評価、他店でみると楽天ブックスでは4.65、ヨドバシカメラ3.62でした)


 そして、擁護レビューの内容をみると、先にも挙げたように
「若い研究者の未来を潰していいのか」
「小さなミスで小保方さんだけが責められるのはおかしい」
といった感情論。
「こうして若い人にすべてを押しつける組織の風潮はある」
といった、同世代の人らしき自分に惹きつけた同調論。
あるいは「STAP細胞はある」に立脚した、どこかの巨大組織によるSTAP研究潰しがあった、という「陰謀論」。

 ―陰謀論の側からは、今盛んにKindle本が出版されています。「STAP細胞はあります」であったほうが、陰謀論の方々は際限なくSTAP細胞と小保方晴子さんを使ってご商売ができるのです。

 現実世界とのつながりが弱く、ネットから主な情報を取り込む若い人がこうした言説から影響を受けないか、というのは、大変心配になります。
 

 わたしがこの「社会人のための『小保方手記』解読講座」を書き続けるのは、こうした若い人たちに何とか「届く言葉」を書きたい。また現場で若い人たちをみておられる上司の方々にも、同様に「届く言葉」を語っていただきたい。両方をつなぐ言葉を書きたい。それに尽きるように思います。



 本シリーズ今後は:

●小保方晴子さんが使った「ヒューリスティック(自動思考・錯覚)」の罠
●情けないぞおじさんたち!バブル世代の「ええかっこしい」上司群と欲得上司群


 ・・・といったことを、取り上げたいと思います。
 読者の皆様、どうか応援よろしくお願いいたします!m(_ _)m



 おまけ:19日(土)、久しぶりに発達障害をもつ大人の会さんの会合にお出かけしてきました。

 1人、「空想に入ってしまう」タイプの発達障害(診断名は「広汎性発達障害(PDD)」)の方にお会いし、少し詳しくお話をきかせていただきました。
 仕事で入力作業をしていても途中から空想に入ってしまう。空想の内容は、過去の嫌な思い出のときもあるし、理想のなりたい自分のときもある。周りの人と上手くコミュニケーションが取れている状態の自分や、有名人ではこれまで政治家、野球選手、サッカー選手になったことがある。
 政治家になったときは、どんなか。演説している自分を向こう側にみているときもあるし、自分の身体がそれをしているようなときもある。野球、サッカーなどでは、実際にプレーしているかのように自分の身体もかるく振動する。
 子供の頃から、勉強をしていても空想に入ってしまう。先生の話を続けてきいていられない。だから成績は悪かった。子供の頃の空想は、クラスの人気者になっているさまを思い浮かべるなど。

 この方は幸い、空想と現実を混同してウソをついてしまうようなことはない方のようでした。障碍者手帳をとり、障害者枠で働いていました。
 この会合にくる方々はそんな色々な形質について潔く認めている方々なので、ほっとすると同時に、人の多様性の豊かさというものに改めて目を開かされるのでした。

 またこの会で、小保方晴子さんの代理人、三木秀夫弁護士が、2014年当時「発達障害について知りたい」と周囲に語っていた、というお話も伺いました。



2016年3月25日追記:

 今月19日付で「アメリカのSTAP細胞研究」なる情報が飛び交い、
「STAP細胞は本当はあったのではないか」
「小保方さんはハメられたのではないか」
という、「陰謀論」がネットで再燃しています。

 iMuSCs(損傷誘導性の筋肉由来幹様細胞)というものを、アメリカの研究者グループが発見したが、これはSTAP細胞と同じアイデアではないのか?盗まれ、海を渡ったのではないか?

 これについては、当ブログでは否定しておきます。
 (9)でも登場された、Amazonレビュアーで研究者の「仁」さんのコメントを引用しておきます。

*********************************************

iMuSCsをSTAP細胞と同列に論じるのは、拙速だと思います。
もともと体内にあった多能性成体幹細胞を単離した、という議論の延長線上で捉えることもできるので。この議論は、21世紀に入ってからのトレンドです。

以下、発表年順に私の知るものを並べますので、詳細は、個別に検索してみてください。
MAPC(2001年 Catherine Verfaille)、MIAMI 細胞(2004年 Paul C. Schiller )、VSEL(2006年 Mariusz Z. Ratajczak )、BLSC(2007年 Henry E. Young )、Muse細胞(2010年 出澤真理)、Muse-AT(2013年 Gregorio Chazenbalk)

Muse(Multi-lineage differentiating Stress Enduring)細胞については、『あの日』でも紹介されていました。
また、『あの日』では、小保方氏が2008年までの先行研究を整理したことが述べられていますが、上記の多能性成体幹細胞についても、調べたことと思います。
幹細胞生物学が専門ではない私でも知っているくらいですから。

また、STAP細胞のように、「体細胞を多能性細胞に初期化する方法」については、小保方氏が取り組む前から、既に日本で研究されていました。
STAP細胞のアイディアそのものが、二番煎じという側面があります。

奇しくも、小保方氏が若山研でテラトーマを作成するため、STAP「様」細胞の移植実験を行ったその前日(2012年12月26日)に、熊本大学准教授の太田氏による研究がPLOS ONE誌に掲載されました。
http://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0051866
本件は、2012年末に、日経新聞で取り上げられています。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG29011_Q2A231C1CR8000/

熊本大学は、上記論文の技術に関して、5年近く前(2011年7月11日)に国内特許を出願しています。翌年(2012年7月)には、国際特許も出願されました。
・発酵能を有する細菌を用いた多能性細胞の製造方法
http://jstore.jst.go.jp/nationalPatentDetail.html?pat_id=33241

いずれにせよ、小保方氏の方法では、小保方氏自身がSTAP細胞を用いたテラトーマの作成に失敗しており、多能性は証明できませんでした。
したがって、小保方氏の方法ではSTAP細胞を作成できない、という点については、誰がどんな発表を行おうと、未だ完全に否定されている状況に、何ら変わりありません。


*********************************************


 また、このiMuSCs(損傷誘導性の筋肉由来幹様細胞)の論文が掲載されたのは、Nature Scientific Reports (ネイチャー・サイエンティフィック・リポーツ)という雑誌で、ネイチャー・グループの発行する雑誌ではありますが、他の雑誌でリジェクトされた論文もどんどん掲載する、査読のゆるい雑誌です。追試などはしていません。ですのでこの研究に再現性があるかどうかはまったくわからない、というものです。

●Nature Scientific Reportsの掲載基準はこちら
>>http://www.natureasia.com/ja-jp/srep/journal-information/faq#q2



これまでの記事:
●社会人のための「小保方手記」解読講座(1)―印象的な”ツカミ”のエピソードはこう読め!Vol.1
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935543.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(2)―印象的な”ツカミ”のエピソードはこう読め!Vol.2
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935599.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(3)―1位マネジャー製造講師・正田が読む・晴子さんのプロファイリングはVol.1
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935610.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(4)―正田が読む・晴子さんのプロファイリングVol.2 小保方さんの生育環境は
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935705.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(5)―プロファイリングVol.3 多彩な感情表現は人を被害者的にする!心理学セミナー、カウンセリングの副作用のお話
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935878.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(6)―「私の会社でも」読者からのお便り
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936058.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(7)―“惑わされる”理系男子:女性必見!もしもあなたの彼が「隠れ小保方ファン」だったら
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936162.html
 
●社会人のための「小保方手記」解読講座(8)―「キラキラ女子」の栄光と転落、「朝ドラヒロイン」が裁かれる日
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936340.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(9)―「STAP細胞はあります!」は本当か?Amazonレビュアーが読み解くプロジェクトの破綻
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936570.html

●社会人のための『小保方手記』解読講座(10 )―再度「STAP細胞はありません」―「ウソ」と真実・ネット世界と現実世界のギャップ、社会人の分断リスク
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936986.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(11)― 騙されないためのケーススタディー:小保方晴子さんが使った「ヒューリスティック(自動思考・錯覚)」の罠
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937126.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(12)情けないぞおじさんたち!!「ええかっこしい上司」「放置プレイ上司」そして「欲得・不正系上司」(前編)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937436.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(13)情けないぞおじさんたち!!「ええかっこしい上司」「放置プレイ上司」そして「欲得・不正系上司」(後編)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937542.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(14)(最終) まとめ:あなたの会社から「モンスター」を出さないために―女性活躍、発達凸凹対応、そして改めて「行動承認」
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937655.html


●エイプリルフール特別企画・シリーズ番外編:社会人のための「小保方情報」解読講座
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937719.html

あの日


 小保方晴子さんの手記『あの日』(講談社、2016年1月)の読書日記 第9弾です。

 今回は、また別の話題。

「人間的側面はいいから、STAP細胞って本当にあったの?そこが知りたいよ」
というお声も、主に男性諸氏からききました。

 そうした声にお応えして、今回は「STAP細胞はあったのか」そして「研究不正の全体像はなんだったのか」これをテーマにしたいと思います。そのなかで「誰がわるかったのか」の問題にも触れたいと思います。


1)「テラトーマができていない!」
2)マウス系統の謎:若山氏の”陰謀”を推理する!
3)仁さんレビュー(研究不正の全容の仮説とさらなる疑義)
4)STAP細胞とは、結局なんだったのか ⇒ 「多能性細胞」ではなく「自家蛍光細胞」

 それではまいりたいと思います―


1)「テラトーマができていない!」


 「ネイチャー」に掲載された2報のSTAP論文については、理研調査委員会の最終報告書「研究論文に関する調査報告書」(2014年12月25日)が公表されており、下記からみることができます。

>>http://www3.riken.jp/stap/j/c13document5.pdf  この報告書では結論で、
「本調査により、STAP 細胞が多能性を持つというこの論文の主な結論が否定され た問題である。その証拠となるべき STAP 幹細胞、FI 幹細胞、キメラ、テラトーマは、すべ て ES 細胞の混入に由来する、あるいはそれで説明できることが科学的な証拠で明らかにな った。」
と締めくくっています。すなわち、「すべてがES細胞混入によるものだった」いわば、「ES混入説」と呼べるものです。

 しかし、これでは今ひとつ説明しきれない部分があり、様々な陰謀論の種になってきました。「小保方さんはハメられた!」という方々は、例外なくこの理研報告書および「ES混入説」を根拠にしています。
ところが、小保方晴子さん自身の手記『あの日』を読み解くことで真相に迫ろうとした人々が、Amazonレビュアーの中にいらっしゃいました。

 STAP論文の「ネイチャー」投稿後、PubPeerや2ちゃんねるの匿名の投稿者が一斉に「ネット査読」を開始し、画像の不正や使い回しなどを洗い出しました。そこまでの規模とはいきませんが、『あの日』についてもちょっとした「ネット査読」のようなものがあったのです。
これらの作業を行った匿名のレビュアーさん方に敬意を表しつつ、そこで行われた発見をまとめたいと思います。

 (なお、匿名のAmazonレビューの中の議論を引用することが正しいか?というと、知人のある研究者の見解では、「例えばある論文の妥当性を議論するときにPubPeerでの議論を引用することはアカデミズムの世界でもあるので、問題ないのでは」ということでした)

 ここでの重要ポイントは「テラトーマができていない!」
 『あの日』から引用してみますと……。

 2008年、博士課程に進んでハーバード大・バカンティ研に留学することができた小保方さん。
バカンティ教授の提唱する「スポアライクステムセル」仮説を私が証明しよう!と勇んで実験を開始します。
スフェア細胞が、そのスポアライクステムセルだと見当をつけ、それが多能性を持つものだということを段階を踏んで立証しようとします。多能性を証明するためには、3つの条件をクリアしないといけません。

 小保方さん自身の記述によれば、

「現在、細胞の多能性を示すには、3つの方法がある。1つ目は培養系での分化培養実験で、三胚葉系の細胞に分化可能であることを示すこと。2つ目は免疫不全マウスの生体内への移植で、自発的な三胚葉由来すべての組織形成(テラトーマ形成)が観察されること。3つ目はキメラマウスの作製が可能であることを示すこと。この順に、細胞の多能性の証明の厳密さが増すが、同時に技術的な難易度も上がる。」(『あの日』p.54)

 すなわち、
幅広い細胞種に分化できることを証明する
テラトーマ(奇形種)を形成することを示す
キメラマウスの作製が可能であることを示す
ことが条件となります。

 そこで、小保方さんは,良広い細胞種に分化できることを同じバカンティ研の仲間と時間をかけて証明。
 次の段階、▲謄薀函璽泙侶狙に挑戦します。
 ところが……。

「ただ注入するだけではテラトーマを形成することはなかった。しかし、研究室が得意としていた組織工学の技術を使ってテラトーマに似た組織を作ることができた。」(p.55)
と、言っています。
ここはうっかりすると読みとばしますが、重要な記述です。何を言っているかお分かりになりますか。
まず、「ただ注入するだけではテラトーマを形成することはなかった。」テラトーマはできなかったのです。
ところが、
「しかし、研究室が得意としていた組織工学の技術を使ってテラトーマに似た組織を作ることができた。」

 これはどういうことか。つまり、本物のテラトーマができないのでまがい物を作ってお茶を濁した、ということです。この書き方でいうと、ES細胞由来のテラトーマを作ったのではないのだろうと思われます。そうだとしたら「テラトーマに似た組織」という言い方はしませんから。

「研究室が得意としていた組織工学の技術を使って」

 想像ですが恐らく、バカンティマウスを作ったバカンティ研のこと。「金型と軟骨組織で作った人間の耳の形をしたものを背中にくっつけたマウス」のような、科学的にはまったく意味のない肉の盛り上がりを作ったのだろうと思われます。このテラトーマが実際に何でできていたのかは、今となってはわかりません。

 このあと小保方さんはここまでの実験結果を基に「スフェア細胞は多能性を有する」ことを主張する論文を雑誌に投稿したが、あえなくリジェクト。その時の査読意見で、「掲載はキメラマウスを作製することが条件となる」と言われました。

 ということは、その論文では多能性の証明の´△泙任蓮△任たことにしていたと考えられます。「テラトーマに似た組織を作れた(テラトーマはできなかった)」では、多能性を主張する論文としては体をなしていないですね。査読意見も、キメラマウスより「まず、テラトーマを作製してください」ということになったと思われます。

 そして、この論文のリジェクトを契機に、「キメラマウスを作るしかない」とバカンティ研内の意見がまとまりました。しかしバカンティ研にはキメラマウス作製の設備はない。

 そこで、小保方さんは理研の若山研究室の門戸を叩くことになりました。世界で初めてクローンマウスを作製、世界一のキメラマウス作製の腕を持つ若山照彦氏にキメラマウス作製をお願いすることになったのです。このあたりの経緯が『あの日』p.54~62に載っています。

 この流れは、大事です。押さえておいてくださいね。

 小保方晴子さんを擁護する人は、このすぐあとの展開で、「キメラマウス作製するしかないよ、うんうん」と前のめりになっている若山氏の様子(小保方さん描写による)をみて、「若山氏こそがSTAP研究の主導者であり、論文不正の責任も本来若山氏にある」と、うっかり誤解されているようです。

 でも本来の経緯は、小保方晴子さんがSTAP細胞の多能性を証明する 銑の最後の段階を若山氏にお願いしに行った、若山氏はリレーの最後の走者を頼まれてやっただけ、ということです。そしてそのリレー全体の企画発案者は、小保方晴子さんです。ということで、小保方さんが論文の「ファースト・オーサー」になっているのです。

 このあと、「テラトーマ」は『あの日』の記述の中からきれいに消えます。

 これについて小保方さんは、恐らく「テラトーマができていない」ことに向き合いたくなかった。育児放棄したように、ぽーんと頭から抜けてしまったのだろう、という見方があります。

 しかしテラトーマができていない段階で若山氏がキメラマウス作りに応じるだろうか。想像してみてください。若山氏には、「テラトーマは『できています(バカンティ研では)』」とプレゼンした可能性のほうがありそうですね。
のちにこの「テラトーマ」が「STAP論文」のアキレス腱になります。論文に載せたテラトーマの画像は、小保方さんの博士論文、それもまったく関係ないテーマでの博士論文の画像の使い回しだったことがわかりました。これが致命的となり、共著者の若山氏による論文取り下げの呼びかけとなったのです。

 ではそれは、単なるケアレスミスだったのか。そうではない、そもそもテラトーマができたことは一度としてなかった、可能性が大なのです。だから画像が存在しないのです。

 そうしますと、この研究全体の仮説検証のストーリーを描いた責任者はやはり小保方さん。本当はできていないものを「できた」と言い、ほかの人をそのストーリーに沿って動かした立場の人です。



2) マウス系統の謎:若山氏の“陰謀”を推理する!

 実は、Amazonレビューでの“新説”にはもう少し続きがあります。それは、

「若山氏がマウス系統を秘密裏に変更したのではないか?」

というものです。


 これはまったく憶測、推論の域を出ません。しかし、この説を使えば、2014年の若山氏の言説の奇妙な変遷、そして「ES混入説」の不整合をきれいに説明できるのです。

 巷に流布する「若山氏主犯説」と比べても、こちらのほうがはるかに整合性があります。ここでは、あくまで推測の域を出ないのをお断りしたうえで、あえて「Amazonレビュー新説後半・若山氏の“陰謀”」をご紹介したいと思います。


(なお、この”説"については、現在「著作権者」を主張する方がいらっしゃいますが、Amazonレビューで最初に提起される1か月ほど前に別のブログコメントの中で提起した人物がおり、この人は「著作権者」を名乗る人とは別人であるらしいことが分かっています。このため、特定の誰かが「著作権者」と考えることが難しい状況にあります。現在主張されている方とは別の方が「自分こそが著作権者」と名乗り出てくる可能性もあります)



 この説のポイントは、

「若山氏が小保方さんに渡したマウスは、論文に載っていたOct4-GFPマウスではなく、Acr-GFP(アクロシンGFP)マウスだったのではないか。若山氏が秘密裏に変更していたのではないか」

ということです。

 これが、のちに「ES混入説」として誤って流布し理研報告書にも載ってしまった、というのです。
 ではなぜ、若山氏はそのような変更をしていたか?

 ここは本当に机上の想像でしかありません。しかしそれによれば、若山氏はマイクロマニピュレーターによる胚操作実験に倦んでいた。第六講でみますように、マイクロマニピュレーター操作は非常にハードな作業です。それに代わるより簡便な方法を考えた。それがすなわち、培養皿上で卵子に細胞核が自動的に入り、細胞分裂して細胞塊や仔や胎盤を形成するという方法です。そのために必要なのがアクロシン。

 アクロシンは精子の先体に存在するタンパク質分解酵素で、卵子の細胞壁を貫通する能力があります。そこでできたものは疑似精子といえます。

 『あの日』でいうこの部分、

 また、ジャームライントランスミッションを観察する実験の際には、マウスが自然交配するのに要する時間を節約するために、若山先生は幹細胞化した細胞からできたキメラマウスから「光る精子」を顕微鏡下で採取し、顕微授精させる実験を行っていた。(『あの日』p.106)

 この「光る精子」とは、「光る疑似精子」だ、とAmazonレビュー新説では指摘します。

 「Acr-GFPマウス」の体細胞(リンパ球など)をSTAP処理して光らせたもの。それを「CAG-GFPマウス」の卵子に受精させようとしたものだ、と。「時間を節約するため」というのは、小保方さん向けの方便だといいます。次世代シーケンサー使用を禁止していた(同p.128)のも、そのためだと。

 いかがでしょうか。

 若山氏にも、不誠実なところがあった。小保方さんは「テラトーマができていない」という研究の根幹を隠し通していたが、若山氏もマウスの系統変更を隠していたという罪があった。お互い隠し事をした同士の「同床異夢」がSTAP研究の実態だった。これがAmazonレビュー新説です。狐と狸の化かしあい、「囚人のジレンマ」とも呼べます。

 もちろんその場合でも、研究の根幹のアイデアを、必要な証明ができないまま掲げ続けた小保方さんの罪がもっとも重いことに変わりはありません。

 ここまで、推測に次ぐ推測を重ねてきました。当事者の発言がない以上、これ以上この説を確認することはできません。

 それにしても、ネット上に流布している「若山氏主犯説」こちらよりははるかに整合性のある説です。





 ここで、もうお1人のレビュアーさんにご登場いただきます。研究者の「仁」さんです。研究不正に関心があり、STAP事件についても関心を持っておられたそうです。上記のパルサさん説を強く支持したうえで、仁さんの言葉で再度、まとめてくださっています。
 こちらも、ご了承をいただきましたので引用させていただきましょう:



*********************************************

5つ星のうち 2.0
<改題>情報の「切り貼り」と「切り抜き」から見えてくる真相, 2016/2/22
投稿者 仁

>>http://www.amazon.co.jp/review/R2LY60901P9VNH/ref=cm_cr_rdp_perm(固定リンク)



【旧レビュー】
理研が、問題発覚から一ヶ月以上(2014年3月まで)「STAP細胞論文の結論に揺るぎはない」と表明し、組織に守られ、不正認定を最小限に留めようと温情を示されていたにも関わらず、その事実に言及せず、「高圧的」や「嘲笑」という表現(147ページ)で、理研の調査委員会のせいで不正が結論づけられたかのように読者を誘導しています。なお、理研の予備調査は、2014年2月13日~17日にかけて行われました。小保方氏がこの本で指摘するようなバッシングが加熱する以前で、当時の理研は、小保方氏やSTAP細胞論文を守ろうとしていました。(その結果、理研自身が、批判にさらされることになったのは周知の通りです。)
この本では、そもそも論文の核心部分の説明に用いている図について、なぜSTAPと直接関係のない博士論文から転用したのかについて、一切説明がありません。記者会見の時に強弁したように、本当に実験結果を示す正しい図があるのなら、この本に掲載すれば良いのに…と思いました。
また、早稲田大学に提出した博士論文について、「最終ではないバージョンのものをまちがえて製本所へ持って行ってしまった」(73ページ)と言うのであれば、やはりこの本に、最終稿を掲載すれば良いのに…とも思いました。(もっとも製本して大学図書館と国会図書館に提供する博士論文を草稿と最終稿を取り違え、チェックもせずに提出するというのは考え難いのですが…)実際、昨年11月の博士号取消しの際に代理人を通じて出したコメントでは、「年度内に公表」ということでしたが、結局はそれも果たされていません。
気になったのは、話しの流れと無関係なのに実名を出されている登場人物(セレナ:34ページ、バネッサ:35ページなど)が複数いる一方で、真相に迫る部分で実名を出さない(ある先輩:99ページ、2人のテクニカルスタッフ:131ページ、シーケンス解析専門の研究者:150ページ、情報を教えてくれた共著者の一人:151ページ、理研の理事:213ページなど)実在確認が取れない登場人物が多数いる点に、意図的なものを感じ、違和感を覚えました。
これでは本の内容について、事実認定ができません。

【追補】
事実確認できる情報と合わせて読むことをお勧めします。
小保方氏が行っている事実の「切り貼り」にもまた、重要な意味があると思います。

【再追補:小保方氏による「切り取り」情報と「切り貼り」情報から見るSTAP問題の本質】

STAP細胞研究の根底を揺るがせた「テラトーマ」の架空性について

小保方氏が極力言及を避けている、博士論文から転用したテラトーマ画像こそ、STAP細胞の架空性を物語る物的証拠です。
『あの日』の記述(切り貼り情報)を信じるならば、p.56に「テラトーマを形成することはなかった」、「テラトーマに似た組織を作ることができた」とあり、小保方氏はSTAP細胞(スフェア細胞)からはテラトーマができなかった、ことが告白されています。
ところで、小保方氏が公開していながら、『あの日』では詳細が触れられていない(切り取り)情報は、STAP細胞由来とされるテラトーマに関する実験ノートです。
この実験ノートは、小保方氏の代理人弁護士により公開され、毎日新聞(2014年5月24日:4枚の写真のうち、1枚目と3枚目がテラトーマに関するもの:検索ワード「STAP細胞+小保方氏+実験ノート+公表」)に写しが掲載されています。
この実験ノートよれば、年代は不明ながら、12月27日に、テラトーマ形成を目的としたSTAP細胞の移植が行われたことが確認できます。
『あの日』の記述(切り貼り情報)を信じるならば、p.206に「テラトーマに関しては、私がアメリカ出張の間にできてきたサンプルだった。そして調査の結果それらは、すべてて既存のES細胞由来だったと結論付けられた。」とあり、このアメリカ出張は、p.113に「日本が正月休暇の間、アメリカで実験をしたいと思っていた」とあることから、『あの日』の前後の記述と照合すると、2012年末~2103年始であることがわかります。
これで、小保方氏の代理人弁護士により公開された実験ノートの日付が、2012年12月27日と確定しました。そして、この実験で形成されたテラトーマは、STAP細胞論文不正問題を契機とした調査委員会によって、ES細胞由来であったことが判明しています。
2012年12月は、笹井氏が小保方氏のユニットリーダー採用面接に立ち会うとともに、STAP細胞論文作成に参画したタイミングになります。
テラトーマができていないことがわかってしまうと、STAP細胞の実在性の根幹が揺らいでしまいます。そこで、慌ててテラトーマを作ろうとしたのが、2012年12月27日の移植実験です。しかし、STAP細胞由来のテラトーマは、調査委員会の解析結果からも、存在していないことは明らかで、STAP細胞論文のテラトーマは、実は架空のものであった可能性が高いと思います。
問題は、一体なぜES細胞由来のテラトーマが見つかったのか?

次の3つの可能性がありますが、私には詰め切れません。
1)誰とも知れない第三者が作成した。
2)若山研の誰かが作成した。
3)小保方研の誰かが作成した。

※この時点で☆3つ

【再々追補:切り取り情報に潜む真実】

小保方氏が理研CDBに採用される際に示したであろう論文における疑義-真臨氏への回答-

少なくとも次の3報に、図の使い回しや利益相反の未申告などの問題があります。

1)Tissue Eng Part A. 2011 Mar;17(5-6):607-15. doi: 10.1089/ten.TEA.2010.0385. Epub 2011 Jan 10.
"The potential of stem cells in adult tissues representative of the three germ layers"
<問題点1>Fig.2のFgf5の画像とFig.3のNat1の画像が同じ。
<問題点2、3>Fig.3のKlf4の画像を上下反転させるとFig.3のCriptoの画像が同じ。これらの画像の一部はFig.4のNat1と同じ。
<問題点4>Fig.2のKlf4の画像の一部が、Fig.3のSox2の画像の一部と同じ。
<問題点5>Fig.1は、博士論文のFig.6を上下反転したものと同じ。

2)Tissue Eng Part A. 2011 Jun;17(11-12):1507-15. doi: 10.1089/ten.TEA.2010.0470. Epub 2011 Apr 12.
"Development of osteogenic cell sheets for bone tissue engineering applications"
<問題点>「Disclosure Statement」に「No competing financial interests exist.」とセルシード社との利益相反を申告せず。

3)Nature Protocols 6, 1053?1059 (2011) doi:10.1038/nprot.2011.356 Published online 30 June 2011
"Reproducible subcutaneous transplantation of cell sheets into recipient mice"
<問題点1>Fig.5aのNumber of B cellsとFig.5bのNumber of neutrophilsが同じ。
<問題点2>マウスの株を記載していない。また、免疫不全マウスを使っているのにT細胞がある。
<問題点3>「Competing financial interests」に「The authors declare no competing financial interests.」とセルシード社との利益相反を申告せず。

本著では、これらを含む過去の不正についても、正直に認め、背景や理由を説明していただきたかった…というのが、私の率直な気持ちです。
なぜなら、小保方氏が戻る『あの日』は、大学院に入学する時点だと、私は思うから。良き師にさえ恵まれれば、違った人生を歩めたのかも知れません。
比較的短期間で、一人で一冊書き上げる集中力があることは、十分に理解できました。研究者の素養はあると思います。

小保方氏は、とうとうかつての恩師にも梯子を外されてしまいました。小保方氏の同意を得ることなく、Nature Protocolsの論文が、取り下げられてしまうとは、恩師とは思えない酷い仕打ちです。

真臨氏から、問われたので、小保方氏の過去の論文を精査し、再々追補することになりました。
その結果、意図的な改竄等を指摘せざるを得ないため、☆2つに下げることとします。

小保方氏には、ぜひ『あの日』の続編を執筆され、不正の全貌を明らかにしていただきたいです。博士課程時代・留学時代の不正の実態を、余すことなく告白されたときは、☆5つです。

*********************************************




●STAP細胞とは、結局なんだったのか ⇒ 「多能性細胞」ではなく「自家蛍光細胞」



もうひとつ仁さんのコメントから、「若山氏の責任」に言及されたところを抜き出します。

*********************************************
(仁さんコメント 3月12日)

若山氏についてですが、私としては、キメラマウスが一体何によって作成されたのか(若山氏がどんな手品?を使ったのか)は、追求すべきだと思っています。
でもこれは、小保方氏の既に認定された問題とは、別件として区別した方がわかりやすい、と思います。
STAP問題の全体像としては、一プロジェクトに異なる2つの問題があるとすると、小保方氏が『あの日』で訴えたかったことが理解できるように思います。

ちなみに、小保方氏が作ったのは、正確には、多能性(Pluripotency)のあるSTAPではなく、自家蛍光(Autofluorescence)するSTAA(Stimulus-Triggered Acquisition of Autofluorescence)細胞とでもいうべきもので、STAP細胞で作ったテラトーマは存在しません。
だから、テラトーマの画像は、全く別の研究、別の実験の画像を、博士論文から転用せざるを得なかった、と考えるなら、しっくりきます。
つまり、小保方氏は、論文不正(捏造)の背景として、研究不正(できていないことをできたように振る舞った)も行っています。

いずれにせよ、若山氏も悪いし、小保方氏も悪い、ということかとは思います。
で、どっちがより悪いかというと、テラトーマを捏造した方が、より悪いと思います。
なぜなら、そもそも多能性がない細胞ということがわかっていたら、わざわざ、それを使ってキメラマウスを作るまでもないので。

*********************************************


 ・・・ここまで、いかがでしたか?
 パルサさん、仁さん(どちらもパルサ説の人とみなせる)文体の異なるお二人のレビュー内容は、今の時点ではAmazonレビューにしか出ていないものです。
(今回、初めて引用させていただきましたが)
 大人の皆様が読まれて、納得いただけましたでしょうか?

 理研のES混入説は、STAPの存在が疑われた当初から、ありそうな仮説に当てはめた説であり、細かくみると辻褄の合わないところがあるのです。パルサ説、仁説では、そのあたりがクリアになっているかと思います。

 また「論文不正」ではなく「研究不正」、
 これも、仁さんのこのすぐ上のコメントに出ていますね。
 そのようにこの問題を捉えないといけません。
 うっかりミスで論文に瑕疵をつくったわけではない、そもそもの出発点でできていないものをできたと言い、研究をすすめたことの結果が論文不正なのです。

 だから、小保方晴子さんが今、研究界から追放された状態になっているのも、身から出た錆、仕方のないことなのです。
 
 
 このブログではお二人のご了承を得て本日時点でのレビューを引用させていただくにとどめました。
 また、お二人ご自身でまとめなおして世に出される機会がきっとあると思いますので、その日を楽しみにお待ちしたいと思います。


これまでの記事:
●社会人のための「小保方手記」解読講座(1)―印象的な”ツカミ”のエピソードはこう読め!Vol.1
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935543.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(2)―印象的な”ツカミ”のエピソードはこう読め!Vol.2
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935599.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(3)―1位マネジャー製造講師・正田が読む・晴子さんのプロファイリングはVol.1
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935610.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(4)―正田が読む・晴子さんのプロファイリングVol.2 小保方さんの生育環境は
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935705.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(5)―プロファイリングVol.3 多彩な感情表現は人を被害者的にする!心理学セミナー、カウンセリングの副作用のお話
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935878.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(6)―「私の会社でも」読者からのお便り
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936058.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(7)―“惑わされる”理系男子:女性必見!もしもあなたの彼が「隠れ小保方ファン」だったら
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936162.html
 
●社会人のための「小保方手記」解読講座(8)―「キラキラ女子」の栄光と転落、「朝ドラヒロイン」が裁かれる日
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936340.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(9)―「STAP細胞はあります!」は本当か?Amazonレビュアーが読み解くプロジェクトの破綻
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936570.html

●社会人のための『小保方手記』解読講座(10 )―再度「STAP細胞はありません」―「ウソ」と真実・ネット世界と現実世界のギャップ、社会人の分断リスク
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936986.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(11)― 騙されないためのケーススタディー:小保方晴子さんが使った「ヒューリスティック(自動思考・錯覚)」の罠
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937126.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(12)情けないぞおじさんたち!!「ええかっこしい上司」「放置プレイ上司」そして「欲得・不正系上司」(前編)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937436.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(13)情けないぞおじさんたち!!「ええかっこしい上司」「放置プレイ上司」そして「欲得・不正系上司」(後編)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937542.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(14)(最終) まとめ:あなたの会社から「モンスター」を出さないために―女性活躍、発達凸凹対応、そして改めて「行動承認」
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937655.html


●エイプリルフール特別企画・シリーズ番外編:社会人のための「小保方情報」解読講座
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937719.html

 リンク総合法律事務所の佐々木大介弁護士と、きょう18時04分から131分56秒にわたって押し問答をした。

 話題は、(株)日本総合研究所主席研究員 藻谷浩介氏によるネット上での侮辱行為について。

 手元の証拠だけでは立証できない、私をネット上で執拗に侮辱した人物は、自分の書きこみを即、削除していく。非常に悪質な、慣れたやりかたである。

 警察の捜査権を駆使し、Amazonに証拠を開示してもらうしかない。

 私は

「この件をブログその他ネット上に書きます。藻谷氏の実名も挙げます。名誉棄損、業務妨害で訴えるなら訴えてください。警察に捜査してもらったほうがいい。国選弁護人を雇って戦います」

と佐々木氏に伝えた。

 佐々木氏は、「困ります、やめてください」と言うのみだった。「そんなことをしたら法的措置をとります」という言葉は、最後まで佐々木氏のほうから出なかった。

 社会人なら、このことの意味することは明白であろう。


 日本総研の業務部のかたは度重なる私からの通報と謝罪要求に真摯に対応してくださっていた。しかし藻谷氏が弁護士を立て、「書き込みなどはしていない」と主張した。こんな形で社名が出ることになり、日本総研の方々は本当に気の毒だと思う。

 普通の個人間で、人を傷つけることを言えば、あとで気がつけば謝る。しかしネット上では人々は攻撃性をどんどん昂じさせ、言ってはならないことまで言ってしまう。

 藻谷氏の場合は、同氏しか知らないはずの私の個人情報を触れ回ったほか、私の仕事の品質を疑わせるようなことを公然と言い、それが執拗に繰り返された。

 私は何度か「会社に電話します」と警告し、それでも侮辱が止まなかったため、今年1月から今日まで4回にわたって日本総研に電話している。


 
 Wikipediaによれば、藻谷氏はネット上の書き込みで民事訴訟で敗訴し、損害賠償を命じられたことがある。


2011年5月、ブログのコメント欄への書き込みで名誉を傷つけられたとして、札幌市在住の高校教諭の男性が藻谷に対して60万円の損害賠償を求めた。訴状によると、男性は2010年7月、自身のブログで藻谷の著書『デフレの正体』について「経済学的にみて間違いがある」とする批評を掲載、発行元の角川書店に通知した。その後、藻谷が「三面等価なんて、資産が腐る世界では意味がない、そのことをわかって使っていますか」「あたまでっかち」「自慢できるのは理論だけ」「死んで子供に財産でも残せ」などとブログコメント欄に書き込んだことにより精神的苦痛を与えたとしている[23][24]。

裁判では「男性がブログ上で『デフレの正体』を批評したことに対する藻谷の「早く死んで子供に財産を残せ」としたコメント[25]が、名誉毀損に当たるかどうかが争われた[26]。

2011年9月21日、札幌地裁の石橋裁判官は、「コメントは学問上の論評を超え、ことさら男性を侮辱するもので不法行為が成立する」と指摘[25]、藻谷の「経済学的な論争で、名誉を傷つけられたことへの反論」とした主張を退け[26]、藻谷に10万円の支払いを命じた。後日、この判決が確定した[25]。



 いわば前科がある。
 性懲りもなくネット上のトラブルを起こすけれど、手口が悪質ですぐ証拠隠滅しようとするのはそのためであろう。


 気の毒だが、今度は刑事事件の当事者になっていただく。

 なお、2月以来の一連の侮辱事件は、Amazonの小保方晴子手記『あの日』(講談社)のカスタマーレビュー欄で行われた。
 藻谷氏は、多数のアカウントを使い分けながら小保方擁護派として多くの発言をし、その中で私に対する侮辱行為を執拗に行った。
 小保方晴子氏によほど思い入れがあるのだろう。

 小保方晴子氏にはこのほか、武田邦彦・中部大学特任教授や、政治評論家の青山繁晴氏、内科医の西岡昌紀氏などが同情論を展開している。


2016年5月9日追記:
藻谷氏のこの行為は2月から4月まで3か月間継続し、前著『行動承認』まで含む私の著書に対する悪意レビューの投稿にまで及んだ。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
・・・……<<<エウダイモニア通信>>>……・・・
発行日 2016.3.9                 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ※「エウダイモニア」は「幸福」、また「栄える」という意味のギリシア語
です。
 「業績1位」の山を築いてきた承認マネジメントの研修講師・正田佐与が、
 経済的繁栄を含めたわたしたちの「幸せ」についてご一緒に考えるメルマガ
です。
 
※このメールは、正田が過去にお名刺を交換させていただいた方、イベントや
セミナーに  ご来場いただいた方にお送りしています。
ご不要の方は、お手数ですがメール末尾にありますURLより解除ください。

■■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ┃本日の話題 ☆☆☆☆☆
■■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

【1】 キラキラ女子、理系男子・・「あの本」はこう読まれている
   〜「社会人のための『小保方手記』解読講座 読者編に突入!

【2】「頷く職員を何人もみることができました」
   〜受講生様からのお便り


【2】 連載「ユリーの星に願いを」第2回「KPIは何ですか?」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【1】  キラキラ女子、理系男子・・「あの本」はこう読まれている
〜「社会人のための『小保方手記』解読講座 読者編に突入!


 引き続き「社会人 小保方」のキーワードでトップ1〜3位を独走中の
大好評シリーズです。
 1月末に発売されたばかり、トーハン調べ2月期月間ベストセラー3位とな
った、小保方晴子さんの手記『あの日』(講談社、2016年1月)。
 今週は、読者の方々のお話などをもとに、社会現象としての「小保方現象」
を読み解きます。
 身近な「あるある」「いるいる」とうなずく、「疑似小保方さん」。そして
それに翻弄される人たち。
 あなたのお心当たりの人は、この中にいませんか?

●社会人のための「小保方手記」解読講座(6)―「私の会社でも」読者からの
お便り
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936058.html 「男性版・小保方さん」
のために会社が上を下への大騒ぎ。たった1人の人格
のために信じられないほどの損失を負います。

●社会人のための「小保方手記」解読講座(7)―“惑わされる”理系男子:女性
必見!もしもあなたの彼が「隠れ小保方ファン」だったら
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936162.html  これもよくある話題。仕事のできる、「理系」「論理的」を自認する男性が、
意外な罠に躓きます。それは・・・、あなたの周りの「論理的男子」に
是非読ませてあげてください!!

●社会人のための「小保方手記」解読講座(8)―「キラキラ女子」の栄光と
転落、「朝ドラヒロイン」が裁かれる日
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936340.html  実は「ミニ小保方さん」を量産し続けている日本の会社。現役の彼女たちは
 栄光の陰で強い不安にかられ続けます。26万部になった『あの日』を支える
 美女たちの心理を探ります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【2】「頷く職員を何人もみることができました」
   〜受講生様からのお便り

 先月行われた、地域のケアハウス施設長さんの研修に参加された、「I・Y」
さんから、嬉しいメールをいただきました。
 I・Yさんは、研修後に施設内でご自身の承認実践を発表されたとのこと。
 福祉施設に「承認」、研修をするたびに祈るような気持ちでお伝えしていま
す。
 研修というものの悲しさ、すべての方が実践者となっていただけるわけでは
ありません。でもI・Yさんはしっかり響いてくださったようです。
 ご了承をいただいて、その嬉しいお便りをご紹介いたします:

***********************************

正田佐与様

早々に宿題に対して、コメントを頂き有難うございます。
承認を実践することで、対人(職員)との「踏み込み方」で悩む事も減るよう
な気がします。

この間、全体会議で、承認マネジメントの研修発表を行いました。
研修内容を言うより、私の承認実践を発表させていただきました。

話している中で、頷く職員を何人か見る事が出来ました。
会議終了後、一人の職員より「良い発表でした。自分も難しいけど参考にした
いと思います。」との感想もいただきました。
言ってくれたことに対して感謝の言葉を述べました。

「エウダイモニア通信」を送信して頂き、有難うございます。
自分の生き方の参考にさせて頂きます。

正田様との御縁を大切にしたいと思います。
今後も宜しくお願い致します。


兵庫県 S園
ケアハウス施設長 I・Y

PS.ソーシャルスタイルですが、私は「F」タイプです。
  でも「笑顔」もソーシャルスタイルにしていきたいと思います。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【3】連載・「ユリーの星に願いを」第4回「福の神と貧乏神」
By ユリー
 ユリーのプロフィール:40代女性。インターネットベンチャーの創業、マー
ケティングやプランニング、プロジェクトマネジャー、コンサルティング、研
修講師などを行う。現在の仕事は起業家支援、新規事業開発や商品プロデュー
スなど。
***********************************

「福の神と貧乏神」

こんにちは、ユリーです。

先日、牛天神(※)にお参りしました。境内の紅梅もちょうど見頃。受験シー
ズン真っ最中で、合格祈願の絵馬もたくさんかかっておりました。
ところで、その日の私の目当ては天神様そのものではなく、同じ境内に祀られ
ている「黒闇天」でした。名前からして悪印象ですが、wikipediaの説明を見
ると“黒闇天はつねに姉の吉祥天と行動を共にするが、彼女の容姿は醜悪で性
格は姉と正反対で、災いや不幸をもたらす神と、設定されている。『涅槃経』
12には「姉を功徳天(=吉祥天)と云い人に福を授け、妹を黒闇女と云い人に
禍を授く。此二人、常に同行して離れず」とある。”でした。

この説明を読み、私はある知人のことを思い出しました。

 職場にどうしても反りの合わない上司がおり、上司の欠点短所ばかり気にな
り、信頼関係を築くことができず、トラブルが頻発し深刻に思い詰めていた管
理職の知人(40代前半女性)がいました。部下や取引先のことを思うと簡単
に辞めるわけにもいかず、彼女は悩みました。

 そのとき、彼女は上司の長所に目を向け、欠点には目をつぶり上司の美点だ
けを見て過ごすと決めました。

 知人がそうした途端、上司とのトラブルが劇的に減り、上関係が改善したと
いうのです。もちろん、総ての問題が解決できたわけではないけれども、仕事
は円滑に進むようになり、職場の雰囲気もよくなりました。結局、知人は今も
会社に残り優秀なマネージャーとして活躍しています。知人曰く、上司の長所
は、目をしっかり凝らさないと見えてこないくらい小さな長所だそうですが、
それでも上司の長所を認め焦点を合わせると、悪意的な言動は影を潜め「良い
上司」になるといいます。

 人には必ず優れた点や長所が1つや2つやある、1人の中に吉祥天と黒闇天
は常に同居する。知人の体験談にその教訓をみた思いがします。

 彼女の話を聞いて以来、私も反りが合わない、苦手と感じる人に対しては、
その人の良いところを見つけることを意識して、できるだけそれを言葉に出す
ようにしています。貧乏神だった牛天神の黒闇天は、ある言い伝えからいつの
間にか福の神として信仰を集めるようになったそうです。案外、自分が苦手と
思っている人、反りの合わない人が福を呼ぶのかもしれないなと、そんなこと
を思いました。

※ 牛天神 http://ushitenjin.jp

□□━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ┃今日の一筆箋  
□□━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

「福の神と貧乏神」いかがでしたか?
 欠点には目をつぶり、長所だけをみる。とても難しいことですけれど、
何かの拍子に、思い切って転換してみるとうまくいくことがありますね。
 わたし正田もよく忘れがちになります。
 

 先週号でちょっと恥ずかしい「間違い」をしてしまいました。
「…25万部売れたということは、日本人の400人に1人は読んでいるわけ。」
その前週に発表された2015年国勢調査結果では、日本の総人口は1億2,711
万人。「500人に1人」といわなければいけませんでした。
大変申し訳ありませんでした。お詫びをして訂正いたします。


┌─<<現役マネージャー必読!>>──────────────────>
│  近著『行動承認―組織の能力を最大化する「認める力」』
│  http://www.amazon.co.jp/gp/product/4434198572
└──────────────────────────────────>


1位マネジャー続出の承認研修講師 正田佐与の発信するメディア

┏┓
┗■ ツイッターアカウント >> @sayoshoda
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┏┓
┗■ フェイスブックページ >> http://www.facebook.com/sayo.shoda
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┏┓
┗■ ブログ「正田佐与の愛するこの世界」 >> http://c-c-a.blog.jp
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


■メールニュースのバックナンバーもこちらからお読みいただけます。
>> http://c-c-a.blog.jp/archives/cat_50052130.html

■新規購読の申し込みは、「メールニュース」希望と書いて、配信希望先の
アドレスとともに
info@c-c-a.jp 宛にメールでお申込みください。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

皆様の職場でも業績向上につながる「承認」を取り入れてみませんか?
 研修のご相談、原稿のご依頼、「人」の問題について個別のご相談は以下ま
でお気軽にご連絡ください。
 
 正田佐与承認マネジメント事務所
 Email info@c-c-a.jp TEL: 078-857-7055  FAX: 078-857-6875

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

このメールニュースは、正田が過去にお名刺を交換させていただいた方、
イベントやセミナーにご来場いただいた方にお送りしています。

◎メールニュース解除方法
解除される場合は、下記の解除フォームに受信メールアドレスを入力してくだ
さい。ワンクリックで解除していただけます。

>> http://mag1.hyper-mail.jp/md/publish/quit.asp?act=1&mid=1044&mail=info@c-c-a.jp




◇―――――――――――――――――――――――――――――――――◇

100年後に誇れる教育事業をしよう。

 発行者 正田佐与承認マネジメント事務所代表 正田 佐与

◇―――――――――――――――――――――――――――――――――◇
このメールは転送歓迎です。

あの日


 今日は「国際女性デー」。
 『あの日』(小保方晴子、講談社、2016年1月)読書日記 第8弾です。

 今回は、社会学者千田有紀氏による、Yahoo!ニュース記事
「小保方晴子さんの『罠』 私たちはなぜ彼女に魅了されるのか」(2016年3月4日)
http://bylines.news.yahoo.co.jp/sendayuki/20160304-00055024/ 

 この記事にかこつけて、いわば「本歌取り」をして、「小保方さんに惹きつけられる仕事の世界の人々」の心理をさぐってみたいと思います。

今回の骨子です:

●「キラキラ女子」が成り上がる「朝ドラ世界」とIT企業
● 現実化してきたヒロインたちの転落と不信、『嫌われる勇気』
● 女性版「ヒラメ型」は男性よりきつい?


 それではまいりたいと思います―

●「キラキラ女子」が成り上がる「朝ドラ世界」とIT企業


「小保方さんは、会社で働いたことのある若い女性の仕事上でぶつかる困難を投影するアイコンになったのである。そして仕事で成果をあげたようにみえても、失敗したときには一転して、ひとり批判されるのではないかという成功不安を投影する対象でもある。」(上記記事より)

 なるほど〜。
 『あの日』26万部、それを支えているのは20−30代女性なのですと。あと「自分の娘や孫がいじめられている気がする」というおとしより世代なのですと。

 あるTVでの解説によれば、『あの日』の前半は、「朝ドラヒロイン」そのままなのだそうです。良い先生に出会って、温かい言葉をかけてもらって、ちょっとドジな晴子ちゃんがチャンスを貰って次のステージに行く、と。ヒロインの目線でぐんぐん進み、プレゼンするたびに扉が向こうから開いていきます。
 
 また、後半では小保方さんの「論文の瑕疵」が明るみに出、叩かれ、内臓も破れる思いを何度もし(第5回の記事参照)、繰り返し泣く場面が出てきますが、それでも
「私は誰かを騙そうとして図表を作成したわけでは決してありません。一片の邪心もありませんでした」
と、心の正しさを語ります。それは、
「朝ドラヒロインの私が悪いわけがない!」
というメンタリティなのだそうです。
 
 これもまたなるほど〜〜。
 読者の皆様、いかがですか?

 わたしは小保方晴子さんというと、あまりこれまで結び付けられませんが、ここ数年ネットで流行っている言葉、「キラキラ女子」というのを思い浮かべます。

「容姿端麗でセンスもよく、明るくて性格もいい。もちろん頭もよく、仕事だってバリバリ」
「仕事だけでなく、おしゃれもプライベートも全方位で手を抜かない」
「ファッションもメイクも恋愛も仕事も楽しんでる」

 そういう、キレイで仕事もできる欲張りな若い女性のことを指します。

 IT企業のサイバー・エージェント(CA)が、「キラキラ女子」を採用し、業績躍進の原動力としたのは有名。
「僕、よく『顔採用』してるといわれるんですけれど、それは正直いって違うんです。美女を集めて業績悪かったら、僕はアホじゃないですか。ただ、社内の女性を見ると、すごくキラキラしている雰囲気はある。実際、女性としても輝いていて、かつ仕事も活躍しているし、頑張っている。できる女性が多い。みんな、公私が充実しているのは確かですね」
(CA社の藤田晋社長、2013年2月23日日経新聞)



●現実化してきたヒロインたちの転落と不信、『嫌われる勇気』との共通点


 しかし、そういう「キラキラ女子」はまた、「いつ切られるかわからない」不安も抱えています。
 以下は、今年1月26日「ダイヤモンド・オンライン」に載った、「キラキラ女子残酷物語」―。


*********************************************

――女性社員を「キラキラ女子」にすることは、採用戦略で大切ですか?

A氏 もちろんです。フェイスブックなどで、人事や広報の社員が自社の「キラキラ女子」をシェアしまくっていますね。ビジネスサイトなどで取材を受けると、一気に数千人にシェアして、「いいね!」と称え合う。20代後半までの女性社員も、「先輩、素敵です!」って……(笑)。
 あれは会社のPR戦略であり、採用戦略です。女性社員をいかにキラキラにするか。それが上手くいけば、男子学生のエントリーが確実に増えます。2000年前後から業績が上昇しているベンチャーのB社などは、そのあたりは実によくできていて、新卒採用の姿としてはもう、「上がり(ゴール)」です。社長が私生活を含め、目立つ人でしたからね。
(中略)
――先ほどのお話にも出ましたが、そうした「キラキラ女子」「体育会系女子」は、リストラ要員にされやすいのでしょうか。
A氏 会社からすると、辞めさせやすい存在です。「キラキラ女子」「体育会系女子」の多くが社内恋愛の末、結婚した相手の男性が今の会社に勤務しています。30代後半〜40代の女性でまとめ役の存在の社員が、こう言うわけです。当然、社長(グループCEO)の意向を踏まえ、発言をしています。
「うちの会社の経営状態は、芳しくない。人員を減らすことになるけど、あなたたちのご主人の雇用は(会社が)きちんと守るから……」
 暗に辞表を出すことを求めるのです。「キラキラ女子」「体育会系女子」のほとんどが、抵抗することなく辞めていくのです。ベンチャーのリストラでは、女性社員のまとめ役が社長の意向を受けて、退職勧奨の最前線に立ちます。女性社員との1対1の話し合いなどで、追い詰めます。ヒステリーには叱らない。クールに、ねちねちと接していきます。そのときはもう、目の前にいる「キラキラ女子」「体育会系女子」は部下ではないから……。追い詰められ、気を失った女性もいました。

(「一流企業のマネジャーが明かす、学歴重視の新卒採用をやめられない理由」ダイヤモンド・オンライン2016年1月26日)

*********************************************

 いかがでしょうか。
 花のいのちは短くて。わたしはここ数年持ち上げられていた「キラキラ女子」について、今年になって出たこの記事にちょっと暗澹となりました。

 そう、キレイだ、可愛い、とちやほやされる時期は短いのです。
 実は女性活躍推進などと言っても、女性を異性として消費するだけの存在とみている「男性目線」は全然変わっていない。どんなに美しく生まれついても短い賞味期限で消費される、労働力としてはひたすら不安定な存在です。

 今月7日付日本経済新聞には、「マタハラ隠し」の字が躍りました。
「妊娠などを職場に報告した女性が『能力不足』を理由に解雇される事例が目立つ。『妊娠したなら辞めて』という従来のパターンとは違い、妊娠に触れないのが最近の特徴という。」
 妊娠したら理由もはっきりせず切られる。女性の人生に対して企業社会はどこまでも理不尽です。


 そのように、女性たちにとってチヤホヤされ持ち上げられる時代から一転、会社というところは牙をむきます。上司たちは手のひらを返します。

 小保方晴子さんの手記『あの日』の後半は、牙をむき手のひら返す会社と男性上司たちの仕打ちを、ホラー小説ばりに描き出します。
 それは現役でお勤めする「キラキラ女子」たちにとってリアリティのある恐怖かもしれません。


 そういう風に、企業社会の中で不安定な若者〜中堅の心を掴んだ本としては、2年前に流行った『嫌われる勇気』もそうでした。
 他人からの評価に左右される必要はない、他人の期待に応える必要はない。理不尽な企業社会と上司たちに対して「精神的マッチョ」になって心を硬くしてやり過ごせ。そういう教えでした。
 『嫌われる勇気』が出た2014年は、研修でお出会いする30代若手リーダーたちと奇妙に話がかみ合わず、困った年でもありました。この世代の人にとって『嫌われる勇気』はバイブルのようなもので、下手をしたら、同じ会社の上司など彼らにとって嘲笑の対象だった可能性があります。

 若者を使い捨てにし、上司たちが自己保身に走る企業社会の閉塞感を背景に若者の心を取り込んだ『嫌われる勇気』が、そこへ取り込まれた若者たちの心をますます頑ななものにした、そういう現象をみました。



●女性版「ヒラメ型」は男性よりきつい?


 わたしは数年前に仕事でお会いしたある「キラキラ女子」のことを思い出していました。

 ある中堅食品メーカーの総務部の女性でした。31歳独身。ほっそりして、可愛くてファッショナブル。オープンセミナーの中に入って華やいだ空気を持ち込みました。だれかが言った言葉には間髪入れず合いの手を入れる、それも内容のきちんとかみ合った合いの手を入れる、その当意即妙の受け答えはお見事でした。


「仕事、楽しくてしょうがないんです。休日出勤もしょっちゅうです」
 彼女は目をキラキラさせて語りました。
 きっとこんな女の部下と一緒に仕事をしたら上司たちも会社に向かう足取りも軽くなるだろう。


「彼女は社長や役員からも一目置かれているんですよ」
 上司の次長は相好を崩しました。

 採用シーズンになると華のある彼女は企業説明会で引っ張りだこ。女性の少ない会社の中の「出世頭」である彼女、華やかな容姿と才気煥発な人柄で、「広告塔」として男女大学生を惹きつけます。

 セミナーの前に実施した360度調査では―、 
 彼女の上司は、惜しみなく彼女に承認を与えていることがわかります。彼女自身もモチベーション高く仕事をしていることがわかります。

 ところが。
彼女の1人だけいる女性部下は、上司である彼女に厳しい評価をつけました。「承認」を一切貰っていないようでした。モチベーションも惨憺たるものでした。どの項目も恐るべき低い数字でした。

 何が起こっていたのだろう。

 もうひとつ、「承認研修」では、研修後にかならず「承認の宿題」をやっていただきます。
 彼女から返ってきた宿題は、どうだったか。

 そこでは、彼女から行った「承認」は教科書通り完璧なものでした。それに対して部下の反応は。「研修で習ってきたのですか」と苦笑した、とのことでした。

 過去の経験では、こういう反応は、それまでの文脈とあまりにかけ離れた行動を上司がとった時に起こります。つまり、それまでは「承認」らしいことはまったく行っていなかった。むしろ真逆の行動をとっていた。
 ・・・と考えると、先ほどの360度調査の結果と符合します。


 あくまでわたしの想像ですが、ひょっとしたら、上司に可愛がられるために全神経を使っている人は、部下に対して気が回らなくなり、説明不足や、そのために起こる行き違いに対する理不尽な叱責を起こしているかもしれません。
 いわば、「ヒラメ型上司」の女性版です。それも自分の賞味期限が下手をするとすごく短いのかもしれない、上司が手のひらを返したとき守ってくれるものが誰もいないかもしれない、という恐怖感があればあるほど、上司のほうにだけ全神経を集中してしまうかもしれないですね。男性より「キラキラ女子型女性管理職」のほうが、ヒラメ型いわば二面性がきつく出るかもしれないですね。


 残念ながらこの会社とはその後ご縁がありませんでしたが、「彼女」が会社の大理石のフロアを歩くときの踊るような足取りと「どう?美しいでしょう。私、この会社のエントランスが大好きなんです」と手を広げたゼスチャー、それに襟ぐりの大きく開いたオレンジ色のフィット&フレアのワンピース姿が印象に残っています。
 今は、30代半ばになっているはず。あの彼女はどうしているやら。


 まとめです。

 
 今まさに「朝ドラヒロイン」として世界をつきすすむ、若く美しき女子たちには、このブログの言葉は耳に入らないかもしれません。彼女らにとって世界は扉を開けてくれるもの。そして教授や上司といった、自分にチャンスを与えてくれる”準主役級”のターゲットの人たちにに全神経を注ぎ、それ以外の人はサブキャラとしておざなりに扱うことが、あまりにも自然なのかもしれません。
 
 それでも、彼女たちに言いたい。
 この本はあなたがたが自分を投影する価値はないよ、と。

 小保方晴子さんはしてはならない研究不正をした。このことは今、Amazonレビューとコメント欄の中で過去の理研調査委員会の結論にもなかった新しい観点が生まれつつありますが、そこでも小保方さんの役割ははっきりしています。単純ミスでは済まされない、研究者としてしてはならないことをしたのです。自分のしたことの大きさのために処分されたのです。

 そこは、朝ドラには絶対「ない」展開ですが、この場合はそうなのです。

 そしてわたしが企業社会に望むことは、

 一部のお顔やお色気で成り上がろうとする野心高き女子たちは置いておいて、そうでない大多数の真摯な働き女子たちには、普通に働き手としての扱いをしてあげてください。

 可愛らしい異性としてチヤホヤすることも正しくないし、ちょっと歳をとったから、妊娠したからと切り捨てることも正しくありません。人としてしっかり見て、戦力として能力や実績で評価するとともに妊娠出産に関わらず、働く権利を保障してあげてください。
 わたしが関わらせていただく先ではそうなりますように。
 親御さんたちが心を込めて育てた大事なお嬢さん方が、お色気などに頼ることなく、しっかりと誇りをもってその人生を生きられますように。


 

これまでの記事:
●社会人のための「小保方手記」解読講座(1)―印象的な”ツカミ”のエピソードはこう読め!Vol.1
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935543.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(2)―印象的な”ツカミ”のエピソードはこう読め!Vol.2
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935599.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(3)―1位マネジャー製造講師・正田が読む・晴子さんのプロファイリングはVol.1
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935610.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(4)―正田が読む・晴子さんのプロファイリングVol.2 小保方さんの生育環境は
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935705.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(5)―プロファイリングVol.3 多彩な感情表現は人を被害者的にする!心理学セミナー、カウンセリングの副作用のお話
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935878.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(6)―「私の会社でも」読者からのお便り
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936058.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(7)―“惑わされる”理系男子:女性必見!もしもあなたの彼が「隠れ小保方ファン」だったら
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936162.html
 
●社会人のための「小保方手記」解読講座(8)―「キラキラ女子」の栄光と転落、「朝ドラヒロイン」が裁かれる日
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936340.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(9)―「STAP細胞はあります!」は本当か?Amazonレビュアーが読み解くプロジェクトの破綻
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936570.html

●社会人のための『小保方手記』解読講座(10 )―再度「STAP細胞はありません」―「ウソ」と真実・ネット世界と現実世界のギャップ、社会人の分断リスク
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936986.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(11)― 騙されないためのケーススタディー:小保方晴子さんが使った「ヒューリスティック(自動思考・錯覚)」の罠
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937126.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(12)情けないぞおじさんたち!!「ええかっこしい上司」「放置プレイ上司」そして「欲得・不正系上司」(前編)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937436.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(13)情けないぞおじさんたち!!「ええかっこしい上司」「放置プレイ上司」そして「欲得・不正系上司」(後編)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937542.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(14)(最終) まとめ:あなたの会社から「モンスター」を出さないために―女性活躍、発達凸凹対応、そして改めて「行動承認」
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937655.html


●エイプリルフール特別企画・シリーズ番外編:社会人のための「小保方情報」解読講座
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937719.html

あの日

 『あの日』(小保方晴子、講談社、2016年1月)読書日記 第7弾です。

 今回は、世の女性がたにとって気になる話題。もしあなたの大切なパートナーの男性が小保方晴子さんの「隠れファン」だったらどうしたら?という話題です。
 でもこの記事は、多くの男性読者の方をご機嫌ななめにさせてしまうかもしれないですね。結構、リアルの会話でも「あっ、地雷を踏んだ」とヒヤヒヤするところです。ホンマホンマ。

 しかし、「1位マネジャー輩出講師」のわたし正田としましては、マネジメントの作業につきものの現象として、あえてこの問題を取り上げたいと思います。女性管理職を含む賢い女性読者の皆様、どうか応援してくださいね!

 今回の骨子です

●「整形疑惑説」に逆ギレする男子は要注意!
●理系もしくは論理性男子は女性の「見た目」に弱い
●「惑わされている」男子は数字と画像で説得しよう



 それではまいりたいと思います―。

●「整形疑惑説」に逆ギレする男子は要注意!


 女性のみなさん。
男性って「感情認識」が下手じゃないですか!?EQ(感情知性)を構成する、「感情認識」「感情活用」のうちの基本、「感情認識」のところができないので、男性というものはわれわれ女性からみると、ときに非常に理不尽、非論理的なことをします。

 ここはよく誤解されるところですね。とくに論理性に自信のある男性は、「論理性こそがすべてに優ってすばらしいもので、それに比べると感情というものは女・子供の幼稚なものだ、レベルの低いものだ」と思っておられることが多いです。しかしそうした男性が、「感情」がわからないために、傍からみると実におかしな決断をし行動をとってしまう、ということがよくあります。

 結局、論理的というか合理的な決断というのは、論理だけじゃなく感情も加味しないといけない。あるいは、「自分がどんな感情に囚われているか」を自覚して、そこからの影響を最小限にしないといけない。男性諸氏にも、「感情認識」のトレーニングをしていただきたいところです。

 さて、脱線してしまいましたが「小保方晴子さん」がらみで、また読者の方からおもしろい話を伺いました。
 
 この内容をざっくり言いますと、ある男性が

●小保方晴子さんの「美容整形」に関する話題をいやがる
●同じ人が、STAP騒動について論評したとき、小保方さんの研究不正への関与度を低く見積もったり、罪の種類を軽く(単純ミスのように)評価してしまう(注:本当は、かなり悪質な不正で、単純ミスではない)


という傾向が繰り返し現れた、ということです。

 これ、意味おわかりになりますか?
 もう少し詳しく、この人のお話をご紹介したいと思います。
 あるコミュニティFM放送局に参画する女性の話です。

*********************************************

 私の放送局で、ベストセラーとなっている小保方さんの『あの日』を番組で取り上げよう、ということになりました。
 その企画会議と、合間の雑談の席のこと。
 同僚の30代の男性(独身)の前で、わたしが「小保方晴子さんは整形してるよね」という意味のことを複数回言いました。するとその都度、その男性は
「あなたは非論理的だ」
「女性は論理性が低いという自分の欠点を自覚してしゃべらなければならない(!)」
と、私を非難したのでした。
 彼は、数学科を出てふだんから「論理的」と自認する人なんです。EQは低めだと思います(幸い、私の彼とかではありません)
 今回は、
「整形を話題にする=非論理的だ、感情的だ」
この決めつけが、なんだかよくわからずモヤモヤしてしまいました。

 ところがその彼が、企画会議で「研究不正」について番組でどう触れようか、という話になったときに、妙に、小保方さんの関与度を低く言ったり、「不正」の悪質度を軽く言ったりするのです。
「小保方氏の役割は、不正に前のめりになっていた日米の他の学者たちの『つなぎ役』だよね」
「論文にほかの論文からの画像を転用したりコピペをする『瑕疵』があったことは確かだよね」
(ちなみにこの彼は、「瑕疵」っていう言葉をよく使います。頭が良さそうにみえるんですカネ・・・)

「ちょっと待って。この研究不正の件、どうみても小保方晴子さんが自分で捏造もコピペもして、小保方さんが主犯よ。というかひょっとしたら単独犯よ。つなぎ役なんて小さい役割じゃないわよ。
 それに、この件は画像の転用とかコピペといった、『ミス』の問題じゃないの。そもそもできもしないものをできたと言ったり、やってもいない実験をやったことにしたらしいことが問題で、研究不正としてはかなり悪質な不正なのよ。」
 私は、ネット検索してそこそこの知識を得ていましたので、こう言い返しました。だって、リスナーの方に間違った情報を届けてはいけないでしょう?

 すると30代男性の彼はまた、
「だから女性は感情的だ!!社会を知らない!」
と、荒れくるって、議論にならないのです。あとは私に対して暴言のかずかず。
 どう思います?こういうのって。

 あとで、同じ会議にいたうちの放送局のチーフディレクター(女性)とご飯食べにいったんですけど、チーフ曰く、
「あの子(30代男性)どうみても小保方晴子さんに惚れてるわよね。だから『小保方さん整形疑惑』の話をするのもイヤがるし、無意識に小保方さんの不正への関与度を下げて、彼女の罪が軽いことにしちゃってるのよ。
 そういうのは、小保方晴子さんが実力もないのに彼女に騙された学者たちと一緒なんじゃないかなあ。自分が小保方さんを『すきだ』ということに気がついてなくて、無意識に評価にゲタをはかせちゃってるのよ」

 結局、チーフの判断で、彼はこの企画から外れてもらいました。

*********************************************

 いかがでしょうか。
 「小保方さん整形疑惑」これ、初めてきいたという方もいらっしゃいますか?
 でも女性の方々はすぐ気がつかれると思いますねー。

 えーとこのブログでは、小保方さんの画像を掲載したりはいたしません。もし強いご興味のある読者の方は、小保方さんの小学校時代、高校時代、大学時代の写真をネットでご覧になってみてください。で、「間違い探しクイズ」の感覚でみていただくと・・・、そんなことを言うわたしは意地悪な女なんでしょうか。
でも小保方晴子さんのキャラクターをより正確に理解するためには、知っておいても良いことですね。


●「理系男子」「論理性男子」は女性の「見た目」に弱い


 ちなみに小保方さんは、あの栄誉あるSTAP細胞論文のNature掲載の発表の直後、出身学校への取材が殺到したので、自ら出身校に電話して「取材に応じないでください」と頼んだ、ということが『あの日』に載っています(p.140)。こういう、出身校に取材に応じないようにわざわざ頼む、ということも珍しい気がしますけどねー。いろいろと憶測はできますけれども、とりわけ「写真」が流出するのは困ったのではないかと。しかし現実には流出してしまいました。みると一目瞭然です。

 でもねー、この話題をイヤがる方はすごくイヤがられるんです。とくに男性はそうですね。
 この話題すなわち「小保方さん整形疑惑」がなぜそんなにイヤなのでしょうか。

 あくまでわたしの想像なんですが、その男性方にとっては、「小保方さん」とは、あの2014年4月9日の会見の時のお顔の方なのです。
 清楚で、ほっそりしたお顔、今にも泣きだしそうに少しうるんだ、きれいな二重瞼にふちどられた目、長い長いくるんとしたまつげに中央部分がふっくらした小さな唇、毛先を巻いたロングヘア。そして理系の研究職という、ちょっと謎めいた知的なイメージの職種ということも、ドキドキワクワクする要素です。

 まああんまり細かく言いませんが。女性の方々はこれらのディテールにはどんなテクニック、あるいはマジックが入っているか、よーくご存知と思います。でも男性は悲しいかなご存知ないんです。そして、ひとつひとつのパーツが、男性諸氏にとっては心乱れるカタチをしているのです。

 一般に男性は女性に比べて「視覚優位」の方が多いと思いますねー。もちろん聴覚体感覚優位の方もいらっしゃいますが、視覚優位の方の分布は女性に比べて多いと思います。大昔狩猟をする性だったですからね。すると男性にとってある人を知る手掛かりは「見た目」の比重が大きいんです。とくに、理系の男性は「視覚優位」の傾向が強いと思います。

 そしてまた、男性とくに理系というか、「論理性」を自認する男性というのは、「感情認識力」が低い傾向にあります。まれに、論理性も感情認識力も両方高い方もお見かけしますが、出現頻度は低いです。感情認識力が低いというのは、要は自分は小保方晴子さんに「惚れてる」ということを「認められない」ということです。

 自分が「惚れてる」って自覚できないまま、「私にはこんなにすごい実績があって、今こんなすごい研究をしてるんです」という、とっても自信と責任感たっぷり(な感じ)に話す可愛い女の子を目の前にしたら・・・、
 わけもなく、気持ちが高揚する。感動した気分になる。
 その勢い余って、彼女に学位を与えちゃうかもしれないですねえ。地位を与えちゃうかもしれないですねえ。

 要は、「惚れてる」を自覚できない男性は、小保方晴子さんへの評価を間違えて高めにつけてしまう可能性があるんです。そして、自分のそういう「評価間違い」にいつまでも気づくことができません。だって原因がわかってないんですから。

 もうひとつは、ちょっと「びろう」な話題ですが「論理的な男性は性欲が強い可能性が高い」。ご指摘しておいてもいいかと思います。経験的に、彼らのテストステロン値は高めです(だから攻撃性もわりと高いです)。アスペルガー症候群ほか自閉症スペクトラム障害は、「超男性脳」といわれますね。論理脳がすごく発達していて、感情脳が未熟なんです。その分反発心とかの幼児的な感情が強く出やすいんですが、、、感情脳が未熟というのは、感情がないということではなくて感情とか衝動は湧く。でもそれを自覚できないです。

 英雄色を好む?さあ、関係あるんでしょうか・・・

 まとめますと、論理的な男性というのは、大まかな傾向として、

●異性への関心はけっこう高い
●感情認識力が低く、異性に恋愛感情をもったときにそれを自覚できにくい
●視覚情報への依存度が高く、見た目に左右されやすい

 ほらね、あぶないあぶない。
 そして、そういう愛すべき「論理的な男性」を攻略するのに、見た目を「盛る」のが一番効果的だ、と気がついたのが、われらがヒロイン小保方晴子さんだ、というわけです。
 おわかりでしょうか?

 上に挙げた「論理的男性の傾向」、もちろんいずれも個体差があり、論理的な男性がみんなみんなそうだ、というわけではありません。でも皆さんお気をつけになったほうがいいと思うんですよネ。気をつけていれば、騙される確率が下がります。あ、「確率」なんて言っちゃった、論理的男性向けに。


●「惑わされている」男子は画像と数字で説得しよう


 さて、ここまできました。
 
 現実問題として、ではどうすればいいでしょうか。


 たとえば、読者のあなたの彼氏が小保方ファンだった場合には。
 一般に、「小保方晴子さん」に心動いた男性は、それを他人に指摘されると怒りだして、とりつく島もなくなります。まあ既婚者の方もいらっしゃいますからね・・・
 
 そして、現実の職場でも、小保方さん本人ではない「小保方さん型女性」がいらして、周囲の男性の心を惑わしていらっしゃるようです。また職場の中の評価や序列をかき乱していらっしゃるようです。わたしはコンサルタントとしてこの2年ほどの間に、なんどかそうした話題をききました。

 「枕営業」があったかなかったか、そのへんは置いといて、仮になくても、評価が左右される。こういう現象は確かにあるようです。先ほどのFM局のお話のように。


 まずは、「彼は隠れ小保方ファンじゃないかしら?」ご心配になった場合には。
 試しに、「整形疑惑」をふってみましょう。
 あなた自身の言葉でなくていいんですよ。このブログで読んだと言って、かるく水を向けてみましょう。
 そこで、
「くだらんことを言う奴がいるな!だからマスコミの小保方バッシングは!」
などと「感情的」な反応が返ってきたら・・・、
 大いに、怪しいですね。

「自分は惑わされている」
 このことに自覚していただくには、どうしたらいいんでしょうか。
 惑わされているご本人、意地でも認めないですからねぇ。

 めっちゃ乱暴ですが、「自分は小保方さんに惚れてなんかいない!!」と主張する男性は、ウソ発見器みたいなのに座っていただいて、そこで2014年4月小保方会見の動画をみてもらって、そのときの呼吸、脈拍、発汗、血圧、脳波、脳血流、性ホルモン分泌などを計測してもらったらいいんじゃないかと思います。さあどう出るかな。数字で話すことが好きな男性なんかは、数字で出ると納得してもらえるかもしれません。
 おうちで行うなら、脈拍、体温、血圧、このあたりを失礼して、ゲーム感覚でみさせていただくといいかもしれないですね。

 あとは、もし小保方ファン男子がマネジャーとして、だれかをいざ評価するときには、やっぱり脳波とか脳血流、性ホルモン値をモニターした状態で、自分が完全に冷静に、いい判断ができる状態を作ってからするとかね。

 えっ、そんな手間ひまかけられないって?じゃあ、その人にこのブログ記事を読ませましょう(笑) 
 あと本人さんの画像を2〜3持ってきて、「間違いさがしクイズ」をしてみるのもいいかもしれません。
 それと、くどいようですが「行動承認」。言っていることでなく行動でその人を評価する。マネジャーの基本中の基本の心得として、忘れないようにしてくださいね。


 老婆心としては、ぶっちゃけ
「小保方さんに惑わされるような男とくっついていてもしかたないよ」
とご忠告申し上げたい気もします。シンデレラの王子と一緒でね、あのカップルもくっついた後すぐ「ぐちゃぐちゃ」になる、というストーリーがミュージカル映画「イントゥ・ザ・ウッズ」ですが(ネタバレ)、女性の容姿にコロッと騙される男とくっついていても未来はない。洋の東西を問わず一緒です。

 しかし、やっぱり女性としては、生活設計上そんな男ともくっついとかないといけない場合もありますよね。
 その場合は、あなたも小保方さんにならって容姿を「盛って」みましょう・・・。


 実はこの関連で「最近の女性学者や女医は妙にキレイなのが多くねえか?」という疑惑もあるにはあるんですが。今年1月にもこのブログで、ある「美人教育経済学者」の書いたベストセラー本がいかに無価値で、にもかかわらず功成り名遂げた男性経済学者たちが絶賛しているという現象をとりあげました。その学者たちこのブログをみんなが読んだらはずかしくねえか?とも思いますが、まあそれもおいおい・・・。


これまでの記事:
●社会人のための「小保方手記」解読講座(1)―印象的な”ツカミ”のエピソードはこう読め!Vol.1
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935543.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(2)―印象的な”ツカミ”のエピソードはこう読め!Vol.2
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935599.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(3)―1位マネジャー製造講師・正田が読む・晴子さんのプロファイリングはVol.1
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935610.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(4)―正田が読む・晴子さんのプロファイリングVol.2 小保方さんの生育環境は
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935705.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(5)―プロファイリングVol.3 多彩な感情表現は人を被害者的にする!心理学セミナー、カウンセリングの副作用のお話
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935878.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(6)―「私の会社でも」読者からのお便り
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936058.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(7)―“惑わされる”理系男子:女性必見!もしもあなたの彼が「隠れ小保方ファン」だったら
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936162.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(8)―「キラキラ女子」の栄光と転落、「朝ドラヒロイン」が裁かれる日
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936340.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(9)―「STAP細胞はあります!」は本当か?Amazonレビュアーが読み解くプロジェクトの破綻
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936570.html

●社会人のための『小保方手記』解読講座(10 )―再度「STAP細胞はありません」―「ウソ」と真実・ネット世界と現実世界のギャップ、社会人の分断リスク
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936986.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(11)― 騙されないためのケーススタディー:小保方晴子さんが使った「ヒューリスティック(自動思考・錯覚)」の罠
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937126.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(12)情けないぞおじさんたち!!「ええかっこしい上司」「放置プレイ上司」そして「欲得・不正系上司」(前編)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937436.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(13)情けないぞおじさんたち!!「ええかっこしい上司」「放置プレイ上司」そして「欲得・不正系上司」(後編)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937542.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(14)(最終) まとめ:あなたの会社から「モンスター」を出さないために―女性活躍、発達凸凹対応、そして改めて「行動承認」
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937655.html


●エイプリルフール特別企画・シリーズ番外編:社会人のための「小保方情報」解読講座
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937719.html

あの日


 「社会人のための『小保方手記』解読講座」
 少し中休みです。

 お蔭様で、一昨日メルマガでお知らせしたとおり、このシリーズが「社会人 小保方」で検索するとGoogleトップに出るようになりました。
 Googleは、記事の内容の質、量に基づいて表示順位を決めていると言われていますので、特別SEO対策などしないのにトップに表示されるということは、この記事内容が高く評価していただいていることと思います。大変、光栄なことです。

 読者の皆様、ご興味のありそうなお友達に教えてあげてくださいね!


 このブログの読者の方から、大変興味深い、また真摯なお便りをいただきました。
 ご了承をいただき、引用させていただきます。


*********************************************

 小保方さんの記事、なるほどと思いながら興味深く読ませていただいています。

実は、私も過去に在籍した大企業で、既に退職した(当時は在職)理系高学歴男性の介入と妄言による組織運営の混乱に遭遇し、もしかしたら、彼も小保方さんのような問題を抱えていたのではないか?と仮説しています。

 私の遭遇した件の方は、結局、幸運なことに解決に向かって進みました。 当該の理系高学歴男性は、組織人として服務規程に違反することをしていたために、上司が激怒し大組織を退職することになったようです。しかし、彼には全く悪意もなく、自分は悪くない、組織では自分のやりたいことが徹底できない等と言っていたようです。が、それは明らかに言い訳だと思います。

  また、当該人物は、企業経営に関する知見があると勘違いしていて、大言壮語を繰り返し、周囲はその発言を信じて、信頼を寄せていました。しかし、ふたを開けてみれば、彼がこれまで繰り返してきた「自分は実力者」というアピールのほとんどは、実体のないものでした。  


 あまり具体的にお話しすることが出来ないのですが、とにかく、社会には高学歴だけれども社会性が欠如し、社会人として組織人として当然の常識を欠いた人物がいます。しかし、理系社会では、その欠如が、社会人初期では表面化しづらいのかもしれないと感じました。(当該の人物も入社以来研究部門にいたそうです。)

 結局、その当該人物の妄言被害?に遭った会社が複数あることがその後発覚しました。たまたま、被害に遭った社長と、私のいた会社の社長があるところで知己を得て、情報交換する中で、同じ人物が同じパタンで各社に迷惑をかけていたことが判明したわけです。

  実は、当該人物をここまで増長させた周囲の問題もあるような気もしています。 大企業の看板、高学歴、一見人当たりの良く話がうまい、スマートに見える立ち居振る舞い、だけを見て、その人の本質を見ようとしなかった周囲(今回のケースで言えば、私のいた会社の株主たちー地元の若手有力者)にも、表面的な情報だけで人間を評価してしまうところがあり、その当該人物をうまく「利用」しようと考えたこと。 お互いがお互いの利用だけを優先させて、共同のゴール・成功をめざすことをしなかったのだと思いました。


*********************************************

 いかがでしょうか。
 大変、真摯な、リアリティのあるお便りでした。
 今、理研に在籍している研究員たちも同じ気持ちなのかもしれません・・・。

 どうも、わたしたちの社会では一定頻度でこういう問題が発生しているみたいなのです。本当は珍しくないことなのかもしれません。

 ただこのお便りのケースでも、社長さんや株主さん方まで巻き込んで騒動になるぐらいですから、ある程度世間を知っている人も騙される。
 だから、この「小保方騒動・その手記騒動」を契機に、学習したほうがよいですね。

 学歴、華やかな経歴、自慢話、に騙されない。心したほうがよいと思います。


 前にもお話したとおり、「小保方手記」に関しては、わたしの友人の真っ当な社会人は、はなから買ったり読んだりしません。
 でもそういっているうちに26万部のベストセラーになってきました。メディアでもまだしばらく取沙汰され、それをきっかけに読む人も多いでしょう。

 できれば、1つの会社が理研CDBのように機能不全になったり解体されたりしないために、この種の「人」の問題についても早い段階で共通認識をもつことができるようにしたいと思います。

 「承認マネジメント」としてはイレギュラーな話題ですけれども、言葉と行動の不一致な人にダマされないように。
 そこはやはり「行動承認」の価値にもういちど戻りたいものです。



 匿名希望さん、ありがとうございました!!

 このシリーズ記事に素晴らしい華を添えてくださいました。
 良識的な社会人の方のお声を聴けて、わたくしもほっといたしました。



これまでの記事:
●社会人のための「小保方手記」解読講座(1)―印象的な”ツカミ”のエピソードはこう読め!Vol.1
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935543.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(2)―印象的な”ツカミ”のエピソードはこう読め!Vol.2
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935599.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(3)―1位マネジャー製造講師・正田が読む・晴子さんのプロファイリングはVol.1
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935610.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(4)―正田が読む・晴子さんのプロファイリングVol.2 小保方さんの生育環境は
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935705.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(5)―プロファイリングVol.3 多彩な感情表現は人を被害者的にする!心理学セミナー、カウンセリングの副作用のお話
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935878.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(6)―「私の会社でも」読者からのお便り
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936058.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(7)―“惑わされる”理系男子:女性必見!もしもあなたの彼が「隠れ小保方ファン」だったら
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936162.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(8)―「キラキラ女子」の栄光と転落、「朝ドラヒロイン」が裁かれる日
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936340.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(9)―「STAP細胞はあります!」は本当か?Amazonレビュアーが読み解くプロジェクトの破綻
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936570.html

●社会人のための『小保方手記』解読講座(10 )―再度「STAP細胞はありません」―「ウソ」と真実・ネット世界と現実世界のギャップ、社会人の分断リスク
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936986.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(11)― 騙されないためのケーススタディー:小保方晴子さんが使った「ヒューリスティック(自動思考・錯覚)」の罠
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937126.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(12)情けないぞおじさんたち!!「ええかっこしい上司」「放置プレイ上司」そして「欲得・不正系上司」(前編)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937436.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(13)情けないぞおじさんたち!!「ええかっこしい上司」「放置プレイ上司」そして「欲得・不正系上司」(後編)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937542.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(14)(最終) まとめ:あなたの会社から「モンスター」を出さないために―女性活躍、発達凸凹対応、そして改めて「行動承認」
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937655.html


●エイプリルフール特別企画・シリーズ番外編:社会人のための「小保方情報」解読講座
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937719.html


 寒さが少しゆるんだ快晴の3月2日、兵庫県たつの市の綾部山梅林に行ってまいりました。
 自然に囲まれてしばし休憩。。。
 3月10日ごろが満開になりそうとのことなので、お近くのみなさま是非訪れてみてください☆


IMG_0977


IMG_0982


IMG_0983


IMG_0987


IMG_0988


IMG_0990


IMG_0992

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ・・・……<<<エウダイモニア通信>>>……・・・
                          発行日 2016.3.1
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ※「エウダイモニア」は「幸福」、また「栄える」という意味のギリシア語
です。
 「業績1位」の山を築いてきた承認マネジメントの研修講師・正田佐与が、
 経済的繁栄を含めたわたしたちの「幸せ」についてご一緒に考えるメルマガ
です。
 
※このメールは、正田が過去にお名刺を交換させていただいた方、イベントや
セミナーに  ご来場いただいた方にお送りしています。
ご不要の方は、お手数ですがメール末尾にありますURLより解除ください。

■■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ┃本日の話題 ☆☆☆☆☆
■■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

【1】 小保方手記解読講座、「社会人 小保方」でトップになりました。
   〜正田流・小保方晴子さんのプロファイリングは「こういう人」!?

【2】 連載「ユリーの星に願いを」第3回「失敗の共有できていますか?」
 ※メルマガではこの記事のタイトルが間違っていました。ここでは修正しました。
  大変申し訳ありません

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【1】 小保方手記解読講座、「社会人 小保方」でトップになりました。
   〜正田流・小保方晴子さんのプロファイリングは「こういう人」!?

 早いものでもう3月。読者の皆様、年度末へ向けてスタートダッシュをされた
でしょうか。
 さて、前号から配信を開始した「社会人のための『小保方手記』解読講座」、
お蔭様できょう3月1日現在、Googleで「社会人 小保方」で検索すると
トップになりました。メールニュース読者の皆様ご愛読ありがとうございます!

 この本『あの日』は先週25万部を突破。今年1番のベストセラーになるのは
間違いなさそうです。
 内容は、残念ながら事実関係の信頼性が低いと言わざるをえません。たとえば、
先週配信の内容では、東京女子医大の研究員時代に小保方さんが初めて行った
学会発表の場が事実と異なっていることがわかります。本来は日本免疫学会総会で
あったものが、シカゴでのバイオマテリアル学会の年次大会と、より華々しい
ほうにすり替わっています。
 一事が万事、その調子で自分に都合のよいほうにすり替えたり、都合のわるい
ことはスルーしたりと、事実の加工がおこなわれていると考えたほうがよいです。

 でも25万部売れたということは、日本人の400人に1人は読んでいるわけ。
あなたの部下も読んでないとは言い切れません。
 
 というわけで、良識的な社会人の方々が「この本」によってその良識が揺るが
ないために。また同僚の方々との大切な信頼関係が揺るがないために。
 と言い訳しながら、「社会人 小保方」でトップ独走中のシリーズを続けたいと
思います。
 今回は、「小保方晴子さんはどんな性格、特性をもった人か」という、プロファ
イリングのシリーズです。

●社会人のための「小保方手記」解読講座(3)―1位マネジャー製造講師・
正田が読む・晴子さんのプロファイリングはVol.1
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935610.html  ―正田がふだん使う5種類の人分析ツールを使って小保方さんの個性を解読し
ます。

●社会人のための「小保方手記」解読講座(4)―正田が読む・晴子さんの
プロファイリングVol.2 小保方さんの生育環境は
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935705.html 
―もともとの個性に加え、家庭環境によっても助長されてきた可能性がありま
す。

●社会人のための「小保方手記」解読講座(5)―プロファイリングVol.3 
多彩な感情表現は人を被害者的にする!心理学セミナー、カウンセリングの副
作用のお話
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935878.html 
―さらに、現代の社会人向けのセミナーやカウンセリングがその個性を助長し
た可能性があります。要注意です。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【3】連載・「ユリーの星に願いを」第3回「失敗の共有できていますか?」
By ユリー
 ユリーのプロフィール:40代女性。インターネットベンチャーの創業、マー
ケティングやプランニング、プロジェクトマネジャー、コンサルティング、
研修講師などを行う。現在の仕事は起業家支援、新規事業開発や商品プロデュ
ースなど。
***********************************

「失敗の共有できていますか?」

こんにちは、ユリーです。皆さまは宇宙に興味はありますか?私は、物理学
的な知識はほとんどないのですが、宇宙の誕生にはとても興味をもっています。
 先日、11人目の日本人宇宙飛行士の大西卓哉さんのインタビュー記事を読み
ました。どこを読んでも興味深くとても学ぶところの多い記事でしたが、大西
さんが、前職の旅客機の操縦士訓練で経験した「失敗の共有」に関する話が特
に印象的で、皆さまにもご紹介したいと思います。
 
“パイロットの世界では、最初のチームが失敗をして、同じ試験を受けた別の
チームが同じ失敗をしたら、教官が叱るのは最初のチームです。「なぜお前は、
自分の失敗を次のチームに伝えなかったんだ!」と必ず言われます。次のチー
ムを怒ることはありません。失敗を共有して、チームとして最善のパフォーマ
ンスを発揮するマインドセットは、パイロットは徹底しています。”

 後続のチームに自らの失敗を共有すれば、当然その失敗を教訓にした後続チ
ームが高得点をとる確率が高まり、先行の自チームは操縦士になるチャンスを
失う可能性があります。「競争」原理は、最善のチームのためのマインドセッ
トには不要なのです。
 もう何年も前のことです。先輩(経営者)が、
「部下の複数の部長同士を競争させることで、社内を活性化し業績を向上させ
るのだ」
と私に言いました。
私は、
「いや、それは違う。今の先輩の会社でそんなことをしたら、各部長はマイナ
スになる情報を隠し、部門同士の協力関係を拒み、部下を翻弄し一般社員が疲
弊して、全体業績を下げる。」
と危惧を伝えました。しかし、一回り以上年長で経営者として実積豊富な先輩
に対して、この危惧を理解してもらうだけの説明能力が当時の私にはありませ
んでした。
結局、私の危惧は的中し、先輩の会社は「承認不全」が蔓延し、業績を上げる
ことはできませんでした。   
 競争を否定はしません。ただ、組織において競争を有効に機能させるために
は、「環境」が必要だという立場です。承認が組織全体に行き渡り、社員相互
が承認しあい、組織としてのビジョン、ミッション、そしてバリューが浸透し
た状態であれば、競争は組織の健全な成長に貢献するはずと思います。
競争の前に承認があるべきで、承認無き競争は組織を崩壊させると思うのです。

 そして大西飛行士のかつての職場の全日空(ANA)の企業カルチャーを、正田
先生が2012年に詳しく取材なさっています。ぜひお読みください。

>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51820115.html 


□□━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ┃今日の一筆箋  
□□━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 今週の「ユリーの星に願いを」、いかがでしたか?
 ユリーさんと同じような経験、コンサルタントや「士業」の方々はおもち
なのではないでしょうか。
 原稿の最後に、4年前に全日空を取材させていただいたときのブログ記事の
URLを、ユリーさんがつけてくださいました。
 そんな以前の記事まで読んでいただいていて、びっくり。感激でした。
 「承認」に関心のある方々にとって繰り返し参照していただける、信頼できる
ブログになっているといいですね。
 自分個人がどうなりたいというのはないですが、そんなことを思いました。
 「小保方手記」解読講座のシリーズはどうなのかって?
 さあ、皆様にお役に立つようですといいですが…。

┌─<<現役マネージャー必読!>>──────────────────>
│  近著『行動承認―組織の能力を最大化する「認める力」』
│  http://www.amazon.co.jp/gp/product/4434198572 └──────────────────────────────────>


1位マネジャー続出の承認研修講師 正田佐与の発信するメディア

┏┓
┗■ ツイッターアカウント >> @sayoshoda
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┏┓
┗■ フェイスブックページ >> http://www.facebook.com/sayo.shoda
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┏┓
┗■ ブログ「正田佐与の愛するこの世界」 >> http://c-c-a.blog.jp
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


■メールニュースのバックナンバーもこちらからお読みいただけます。
>> http://c-c-a.blog.jp/archives/cat_50052130.html

■新規購読の申し込みは、「メールニュース」希望と書いて、配信希望先のア
ドレスとともに info@c-c-a.jp 宛にメールでお申込みください。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

皆様の職場でも業績向上につながる「承認」を取り入れてみませんか?
 研修のご相談、原稿のご依頼、「人」の問題について個別のご相談は以下ま
でお気軽にご連絡ください。
 
 正田佐与承認マネジメント事務所
 Email info@c-c-a.jp TEL: 078-857-7055  FAX: 078-857-6875

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

このメールニュースは、正田が過去にお名刺を交換させていただいた方、
イベントやセミナーにご来場いただいた方にお送りしています。

◎メールニュース解除方法
解除される場合は、下記の解除フォームに受信メールアドレスを入力してくだ
さい。ワンクリックで解除していただけます。

>> http://mag1.hyper-mail.jp/md/publish/quit.asp?act=1&mid=1044&mail=sshoda@c-c-a.jp




◇―――――――――――――――――――――――――――――――――◇

100年後に誇れる教育事業をしよう。

 発行者 正田佐与承認マネジメント事務所代表 正田 佐与

◇―――――――――――――――――――――――――――――――――◇
このメールは転送歓迎です。

あの日


 小保方晴子さんの手記『あの日』(講談社、2016年1月)の読書日記 第5弾です。

 前々回、前回の2回で、小保方晴子さんは「発達障害」なのであろう、こだわりの強いASD、さらにその中でもIQの高いアスペルガー症候群の中の言語能力の極めて高い人であり、さらにミスが多くぼーっとしやすいADHDも組み合わさっているだろう、ということを書きました。
 そして残念ながら家庭環境、すなわちお母さんとお姉さんが心理学者であるという環境がそれを助長していたろう、とも。 

 今回の記事では、そうした小保方晴子さんが成人してから影響を受けた、ひょっとしたら現在も影響を受けている可能性のある、心理学セミナーやカウンセリングの害について取り上げたいと思います。
 えっ、職場の対応法を書くんじゃなかったのって?すいません、その前にちょっと寄り道です。

 そして例によってお忙しい現役ビジネスパーソンのために、この記事の骨子を最初に挙げておきます:

●「小保方手記」に登場するような感情表現を学べる場がある。一部の心理学セミナーでは、「身体が―」「内臓が―」といった身体表現を伴う感情表現が奨励される。
●身体表現を饒舌に駆使することを学んだ人々は、表現力を手に入れる代わり被害者意識が強まる。メンタルが弱くなり持続力がなくなる。言い訳が多くなる。
●視覚・聴覚・体感覚に訴える言葉を使うことで聴衆に訴える力を磨く心理学セミナーもある。そこでは同時に「目標達成」を奨励し、過去にも「目標のために手段を選ばない」人をつくっている
●心理学セミナーにかぶれた若い人について、職場運営実務における提言⇒本文参照
●小保方さんへの提言

     
 すごーく要らんお節介かもしれない記事なんですけど、なのでご興味のない方は読み飛ばしてくださればいいんですけど、わたしの過去アーカイブの中に、教育によって「小保方さん的症状」を呈した人は何人も出てきているんです。何がどう作用してそうなったのか。因果関係を知っていると、やっぱり大人として1つ階段を上がるかもですよ(うそうそ)

 そしてもちろん、われらが小保方晴子さん自身がが現実を受け入れ、社会で再び自分の道をみつけて地に足をつけて生きていかれるためにも、こうした一見よさげな心理学セミナーの害をご指摘しその影響をオフにすることは、大変重要なプロセスであろうと思います。多くの人はまだその害をご存知ありません。

 では、やっと記事の中身に入ります・・・。

*********************************************

●感情表現は心理学セミナーでつくれる!


 この本、『あの日』の後半は希望にみちた前半と異なり、一気に暗転します。小保方晴子さんは、論文の共著者に裏切られマスコミのバッシングを浴び、残酷な運命に翻弄されます。みているこちらの胸が痛くなるほどです。
 そこの事実関係はここでは置いておいて。

 ここに出てくる「表現」について見てみたいと思います。多くの識者、コメンテーターの方が、小保方さんの「表現力」を絶賛されます。

 この後半のくだりでは、「苦しみ」を表す感情表現が大量に出てきます。
 少し引用してみましょう:

「驚きのあまり全身の温度が下がり、パニックになってしまった」(p.143)
「申し訳なさで胸が張り裂けそうだった」(p.144)
「鉛を呑み込んだように大きな不安を抱えた」(p.145)
「すべての内臓がすり潰されるような耐えがたい痛みを伴う凄まじいものだった」(p.148)
「体が凍りついた」(p.203)
「ただただ恐怖だった」(p.205)
「押し寄せる絶望的な孤独感が心の一部をえぐり取っていくようだった」
「小石を1つずつ呑み込まされるような喉のつかえと、みぞおちの痛みを感じ、息苦しさは日を追うごとに増していった。」(p.216)
「毎日、着せられるエプロンは、レントゲンを撮る時に着せられる鉛の防衣のように重く感じられ、体を自由に動かすことができなかった。」
「身動き一つ制限されることへの精神的な負担が、肉体的な痛みだけでなく、思考力や記憶力までも、少しずつ奪っていった。」
「熱く焼けた大きな石を呑み込み、内臓が焼け焦げているようだった。」(p.224)
「(検証実験中)体中が痛く耐えられない。皮膚が裂けるように痛い。内臓が焼けるように痛い。頭が割れるように痛い。何より魂が痛い。魂が弱り薄らいでいくようだった」(p.226)
「突然の質問がシャープに耳を通り抜け、脳に突き刺さった。」(p.230)
「ぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。」「虚無感だけが、あふれでる水のように、体内から湧き出して体を包み込んだ。」(p.232)
「ギプスでカチカチに固めた心が研ぎ澄まされたカミソリでサクッと半分に分かたれるのを感じた。」(p.236)

 いかがでしょうか。
 1人の人が、生きたまま内臓をすり潰され小石を呑まされ脳に突き刺さり研ぎ澄まされたカミソリで半分に分かたれ…、
 なんて、ひどいんでしょう。むごいんでしょう。
 わたしも、もらい泣きしてしまいそうです。
 小保方さんの肉体は、これが本当なら既にこの世にないはずです。

(しかし「内臓をすり潰される」ってどんな感覚なんでしょう・・・実験では、マウスの内臓をすり潰すことはしょっちゅう小保方さん自身がなさっていたのではないかと思いますが・・・こういう主語の転倒、「投影」あるいはその逆のような現象が小保方さんやその擁護派の方々にはよくあります)


 この方、小保方晴子さんがもしASDだとすると、一般にASDの人は脳の中の恐怖を司る部位、扁桃体が普通より大きく、恐怖を感じやすいといわれます。人一倍怖がりさんなんです。トラウマも残りやすいです。そのことは特記しておきたいと思います。

 また、ASDだとすると、「知覚過敏」がひょっとしたらあるのかもしれません。小保方さんは視覚もかなり鋭敏ですがそれだけでなく、こうした内臓の感覚もとても鋭敏な方なのかもしれません。(だとしたら食べ物も刺激の少ないものだけを選んで食べなければならず、不自由なはず。とてもラーメンの替え玉なんて食べてる場合じゃないはず。大丈夫ですか小保方さん!!!)
 また、経験的にも、ASDの人は内臓が弱い人は多いようだ、ある程度以上負荷をかけると内臓の病気を起こしてしまいやすいようだ、というのも思います。

 そうした「ASD的恐怖心と知覚過敏要因」も可能性があるとして。

 実は、こうした「内臓がどうのこうの」という種類の感情表現が、奨励され、量産される場所があるのです。そういう表現をしなさいと指導する場所があるのです。と言ったら、読者の皆様は驚かれるでしょうか。いえ、作文教室ではありませんよ。

 それは、一部の心理学セミナーの場です。詳しくいうと、わたしが経験したのは某コーチング大手研修機関です。コーチングというよりカウンセリングの要素がかなり入っていて、わたしはその研修機関をこのブログで長年批判してきました。カウンセリングの中でもかなりディープな、その場でクライアントを傷つけてしまう危険性も長期的副作用もある手法をど素人にやらせている、と言って。はい、わたし自身もそこのワークショップの手法は一通り学んでいます。3日間連続のワークショップが基礎から応用まで5回、計15日間のプログラムです。

 そこでは、4回目に「感情」にどっぷり「浸かる」3日間のワークショップがあります。
 どんなかというと…、
 ちょっとその実例をご紹介しましょう。

 最初に、リーダー(インストラクター)がお手本をやってみせます。
「何かをしていて、『自分の心に引っ掛かりがある』」という意味のことをクライアント役のリーダーが言う。
もうひとりのコーチ役のリーダーが、
「ほう、その引っ掛かりとはどんなものですか?」
と、そこに着眼してきく。最初のリーダーが答える。
 すると、コーチ役は
「それを言っていて〇〇さんは、どんなお気持ちですか?」
と再度尋ねる。
「ちょっと嫌な感じです」
「ちょっと嫌な感じ。それは体の感じで言うとどんな感じですか?」
 最初のリーダー、沈黙。自分の身体感覚を探っているのでしょう。
「…こう、胃のあたりに小さなトゲが刺さっているような感じです」
 さあ、「身体感覚語」が出てきました。
「なるほど。では〇〇さん、そのトゲが刺さっている感覚を、ラジオの音量を最大にするような感じで、思い切り強く感じてみてください」
「・・・」
 しばしの沈黙のあと、最初のリーダーは、
「ああ、胃がかたい岩のようにこわばった感じです。おなか全体にずうん、ときます。抱えきれない、ような気持ちです」
 リーダーはそう言って、「抱えきれない」ということを表わすように、両手をおなかの前にまるく形づくります。
「もっと、もっと、それを強く感じてみてください。どうですか?」
「…おなかの中の岩が地球のように膨れ上がって私を圧倒しています」
「今どんな気持ちですか?」
「無力感です。泣きたい気持ちです」
「泣いていいですよ」
 リーダー(男)の頬に涙がつーっと流れます。
「ああ、少し気持ちが楽になってきました。
 あの仕事を一緒にしているパートナーにこの違和感を伝えてみようかな、と思います」
「いいですね。是非おやりになってください」
 ぱちぱちぱちぱち・・・。

 いかがでしょうか。
 リーダーはごく日常の些細な言葉の行き違い的なことから違和感を感じ、それをグワーッと拡大して身体に感じ、岩が地球の大きさまで拡大するところまで感じ、涙まで流し、それから「パートナーに何かを言う」ことを決断しました。

 その、何かを決断したということだけ見るとめでたしめでたし、なんですけれど。
 このブログを読まれている、有能なビジネスパーソンのあなたなら、
「そんな手間暇かける必要のあることかい!」
 って、つっこみたくなりませんか。

 些細なきっかけから始まってすべてがそのクライアント役の心の中だけで起こり、膨張し、収縮し、完結する。その徹頭徹尾主観の中のわけのわからないプロセスを経てさいごは「パートナーに何か言う」というアウトプットになるようですけれども、言われたパートナーも困ってしまうでしょう。妙にハレヤカな顔をして相方が何か言ってきても。新興宗教のお告げでももらったんか、と思うでしょう。
 涙を流すと、人はストレスホルモンが涙と一緒に外へ出ていくので、爽快な気分になるらしいですけどね。
 この、かなりカウンセリング的なやりとりが、ここの研修機関の「売り」です。感情の谷間を下り、上がる、それを「コーチ」がついていて質問して手助けしてやる、というのが。


*********************************************

●身体感覚表現を学んだ人びとが被害者意識過剰になる


 わたしは2000年代の前半のある時期、怖いものみたさでしばらくこの流派のコーチングも受けていました。ただその結果、「この手法はその時はちょっとしたカタルシスになるけれど、あとあと情緒不安定になるだけで、またちょっとしたことも一々コーチのサポートを受けないと解決できない『ひよわ』な人になってしまいそうで、良くないな」と思い、早々にリタイアしてしまったのでした。

 また、その当時はマネジャー教育の団体を運営していたのですが、団体運営の中でこの研修機関の影響を受けた人たちが妙にイレギュラーな行動をとってくることにも気がつきました。彼・彼女らの行動も第三者的にみることもわたしによい示唆を与えてくれました。
 その人たちはやたら提案をしてくるのだが、その提案を採用してその人たち自身にやってもらおうとすると、妙につべこべ言い訳が多くなり、人の揚げ足をとり、「ちょっと違和感があった。胃に小さなトゲが刺さっている気がする」的なことを言い、それをもって、自分が言いだしたことをやらない(不履行)の言い訳にしようとするのでした。

 たしか、その過程では、
「正田さんから督促のメールがくると、胸がばくばくして苦しい」
みたいなことも、おっしゃった方もいらっしゃいます。そう、まるで『あの日』の中で小保方晴子さんが、毎日新聞の須田桃子記者から脅迫的なメールが来た、ただただ恐怖感でいっぱいだった、と書いているように。
 そのたぐいのことがあまりに多いので、私はこの研修機関の人を出入り禁止にしてしまいました。

 要は、「自分の身体感覚に敏感」というのは、「無用に被害者意識が強い」ということにつながるんです。傍迷惑な人なんです。
 でもその人たちは、それが「有害」だとは気がついてないんです。だって、とっても優しそうな人たちが集まる、優しそうなリーダーが主宰するワークショップで、
「身体感覚をじっくり感じ、表現するのはいいことだ」
って習ったんですから。
(困ったことにこのワークショップのリーダーをやる人たちはおしなべて高学歴でもあります。東大出、慶大出なんてゴロゴロいます)

 なので、お話を小保方晴子さんに戻しますと、
 小保方さんがこのワークショップの受講者だったかどうかは、わかりません。しかしこのワークショップに限らず、心理学には、自分の感情を微に入り細をうがち表現することを奨励する流派があります。そこでは、
「内臓が破れた」
「身体のどこそこが痛む」
と言うと、「マル」をもらえます。ひょっとしたら小保方さんが現在受けているカウンセリングがそういう流派かもわかりません。

 わたしなどは周りの人がやたらと「心臓が」とか「内臓が」とか自分の内臓を主語にして饒舌に言っているのをきいていると、人としてミットモナイと思ってその手の表現はしないことにしているのですが、まだ32歳、うら若き小保方さんは、そういうのがすばらしいことだ、と思っていらっしゃるかもしれません。「身体が」とか「内臓が」と言えば、褒めてもらえる世界なんです。

 このワークショップは最終的には「自己実現」「自己表現」を売りにしているので、自己実現ずき表現ずき小保方さんが受けていても不思議ではないんですよね。

 …えっ、小保方さんは本当に心を病むところまでいってしまったのに、苦痛の感情表現を冗談ごとにするのはけしからんって?
 どうなんでしょうねえ、本当の鬱というのは、そのさなかでは「失感情、失感覚」というのが普通だと思います。感情もないし感覚もないんです。こんなに強くものごとを感じたり表現力豊かに表現したりは、できないものですよ。

*********************************************

●視覚・聴覚・体感覚に訴え、目標達成に駆り立てるセミナーもある


 もうひとつ、心理学ワークショップで小保方さんが影響を受けたのではないかな、と思われるのが、神経言語プログラミング(NLP)です。こちらもわたしは応用コースまで述べ18日間受講しました。 
 このセミナーには、プレゼンを上手になりたい人が通うことが多い。周囲の受講生には、わたしと同様研修講師業のかたもいました。営業マンもいました。
 そこでは、「優位感覚」を時間をかけて扱います。あの、視覚・聴覚・体感覚のうち何が優位か、というやつ。人前で話すときには、聴衆の視覚・聴覚・体感覚に訴える言葉で語りましょう。文章を書くときには、読み手の視覚・聴覚・体感覚に訴える言葉で書きましょう。
 ・・・小保方さんの『あの日』の文章には、NLPの影響があるだろう、と考えるのは考えすぎでしょうか。

 ひところはコーチングをやる人も猫も杓子も「NLPコーチング」と名刺に刷ったものですが、今はブームも下火になり、それほど見かけなくなりました。小保方さんが学会発表の寵児になった2007年はちょうどNLPブーム真っ盛りのころ。プレゼン能力を上げるために、小保方さんがNLPセミナーに通ったとしても不思議ではないのです。

 NLPにはまた、「目標達成セミナー」という性格もあり、もともと夢ずき自己実現好きの小保方さんとはこの点でも相性がいいのです。
 ところが、その「目標達成」に駆り立てる要素が、こんどは目標のためには手段をいとわない人をつくりだす性格となり・・・(後述)
 

 ここまでをまとめましょう。
小保方晴子さんはもともと発達障害の特性をもって生まれついているのに加え、ご家族が心理学者というご家庭環境、それに今どきの心理学ワークショップにより、もって生まれたその特性を助長・強化された可能性が高いのです。
 こうしたセミナーにはおそらく小保方さんと同様の、自覚していないASD、ADHDの方たくさん来られ、そしてその偏った認知特性を強化されていきます。わたしが「一応の勉強のために」そうしたセミナーに通っていた当時、発達障害の概念にまだ親しんでいませんでした。今振り返ると、あそこでご一緒した方々の半分ぐらいは、そうだったん違うかなーと思います。
 
 そしてまた、知性の高いアスペルガー症候群を含むASD(自閉症スペクトラム障害)の人のもつリジッドな特性、すなわち、一度思いこんだことはなかなか修正が利かない、「くっつきやすくはがれにくい」知性があるため、こうした心理学セミナーでの教えが現実と整合しないことになかなか気づかず、長期にわたってその教えを信奉してしまうということが考えられます。
 これは、ASDの中でも特に重症の自閉症の人にたいする療育を学んでみるとわかります。自閉症の人の「誤学習」というのはやっかいで、一度間違ったことをおぼえるとなかなか抜けません。たとえばスーパーに連れていって駄々をこねてお菓子を買ってもらった、という経験をすると、その経験から学習してしまい、スーパーに行けば必ずお菓子を買ってもらえる、買ってくれるべきだ、と考えます。ひいては、買ってもらえないとパニックを起こすようになります。これと同様なことが、アスペルガー・ASDの人たちでも日常的に起こっています。間違った思い込みの修正が利かないのです。

*********************************************

●職場への提言


 こうした心理学セミナーは今もあります。あからさまに自己啓発セミナーでなくても、その内容や効果は自己啓発セミナーと同じようなものです。利己的で平気で他人を利用する人や、一見優しいけれど被害者的で言い訳の多い人をつくっていきます。
 そうして、正統的な心理学を装って若い人を吸引します。
 では、実際問題、現役マネジャーの読者の方向けの話題です。あなたの職場の若い人がこうしたセミナーにかぶれて仕事のできない、言い訳の多い人になったら、何をしたらよいのでしょうか?


 思想信条で人を差別したり解雇することは憲法をはじめ法律で禁じられています。だから、こうした心理学セミナーの教えにかぶれているというだけでは処分することはできません。
 しかし、その思想が原因で問題行動をとれば、その問題行動を解雇事由にすることはできます。いよいよ必要だと思ったら、問題行動や発言を日時とともに記録しておくことをお勧めします。
上述の感情表現を奨励するタイプの心理学セミナーでしたら、「不履行」という形の問題行動が起きやすいので、指示を出したこと、先方がその指示を確かに受け取ったこと、そして不履行が起こったことをそれぞれ日時とともに記録しておきましょう。
不履行とそれに伴う言い訳は、上司のあなたの感情を揺さぶり、ひょっとしたらカッとなってあなたのほうが不規則発言をしてしまうかもしれません。くれぐれも、感情的に動揺しないことをお勧めします。暴言を吐いてしまったりしたら、相手の思うツボです。「課長が酷い暴言を吐くので体が金縛りになったように硬直して動けなくなった」次の言い訳のタネを与えることになります。この記事を読んで、「こういう人の“被害”に遭ったのは自分だけではないんだ」と思って、気持ちを鎮めましょう。
解雇その他の処分のプロセスの中では、本人さんに対する「警告」の段階があります。このとき、できるだけ淡々と感情的にならないようにし、自分は本人さんの味方であること、できれば本人さんが職業生活を続けられるよう願っていることなどを伝えましょう。もし本人さんが失職を恐れて少し素直になってくれるようであれば、上記のような心理学セミナーに参加したことがないかどうか、それとなく訊いてみましょう。もし、それをカミングアウトしてくれれば、しめたものです。
あとは、時間をかけて、そうした心理学セミナーの中には間違った教えが入っていること、社会人にとっては「感情」ではなく「行動」が大事なのだということを教え諭してあげましょう。行動をとることを約束するのが雇用契約なのだと。

 めんどくさいですが、自社がSTAP騒動並みのスキャンダルに巻き込まれないためには、こうした企業理念に反するおそれのある人びとへの対応法をきめておいたほうがよいと思います。 



*********************************************

●小保方さんへの提言


 この本、『あの日』の出版自体が小保方さんにとっての「癒し」なのではないかと言われた、医療関係者の方がいらっしゃいました。
 しかし、ノンフィクションの形をとりながら実名の人を登場させて事実関係のあやふやなことを書いて傷つける、ということは、すでにとても大きな加害行為です。
 小保方さん、ご自身の受けた被害をはるかに上回る加害を、人に与えてしまっていらっしゃいます。こんなことをしていても何も癒しにはなりませんよ。
 これからもこの本のようなオファーをしてくる出版社さんやTV局さんはあるかもしれませんが、是非、そうしたところとは手をきってください。
 それから、今回の記事で書いたような手法、「感情表現を思い切りしたら癒しになって次の前向きな行動がとれるんだ」というのを、心理学セミナーであれカウンセリングであれ、信じておられるとしたら、それは間違いです。もう、その手法とも手をきりましょう。それは、小保方さんがますます情緒不安定になって周囲の人への悪感情を増幅させるだけで、結局小保方さんにわるさをしてしまっています。ますます身心をむしばんでしまいます。また大切なご家族もますますダメージを受けてしまいます。

 この事件は小保方さんに大きなトラウマを作ってしまっていると思いますが、そのトラウマの処理方法としてわたしがお勧めしたいのは、「EMDR」という手法です。感情表現を多用することなく、スピーディーにトラウマを消してくれます。スピーディーといっても大体半年くらいはかかり、その間多少の副作用がありますが、やたらと感情表現をして人に相槌をうってもらうよりずっと効果がありますよ。



 このブログでは、定期的に「研修副作用」のお話をやっています。
 詳しくは「研修副作用関連」のカテゴリをクリックしてみてください。
 過去の記事で「小保方さん」に関係のありそうなものをピックアップしてみました

研修副作用の話(6)―「表現力」が大事か、「責任感」が大事か
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51905855.html  プレゼンセミナーやNLPセミナーでは「表現力」が上がるけれど「行動する力」は上がらないですよ。責任感は上がらないですよ。ひいては口先ばっかりの人をつくってしまうだけですよ。責任感は本人を日常目の前でみている指導者だけがつくってやることができるものですよ。ということを言っています

研修副作用の話(5)―目標設定セミナーについて
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51905839.html  「目標設定」「目標達成」を過度に重視するタイプのセミナーを受けると、目標のためには手段をいとわない人になっちゃう可能性がありますよ。NLPセミナーとか一部のコーチングセミナーなどがそうです。うちの団体で過去、その手のセミナーを受けた人から営業資料の盗用の被害に遭いました

ときどきコーチを返上してジャーナリストになるです
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51336521.html  「ワークショップ症候群」になってしまった人々の“症状”をリストアップした記事。仕事ぶりにむらが多く、言い訳が多く、自分を叱ってくる人を見下したり恨んだり。最後には会社を辞めてしまうことが多い。


自己実現の時代から責任の時代へ?
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51440997.html  アメリカでも「責任」を強調する子育てから「自尊感情」を強調する子育てに変わった。そして犯罪者や暴力的な傾向のある人は、「自尊感情」が高すぎるのではないか、とアメリカ心理学会会長・セリグマンが主張します

感情と自由の暴走がなにをもたらすか
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51339067.html 
 一部の心理学ワークショップに耽溺した人々の「感情の暴走」が起き、自律性を欠きだらしなくなる現象。また「自由」の観念も暴走し規律の観念がなくなる、というお話



これまでの記事:
●社会人のための「小保方手記」解読講座(1)―印象的な”ツカミ”のエピソードはこう読め!Vol.1
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935543.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(2)―印象的な”ツカミ”のエピソードはこう読め!Vol.2
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935599.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(3)―1位マネジャー製造講師・正田が読む・晴子さんのプロファイリングはVol.1
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935610.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(4)―正田が読む・晴子さんのプロファイリングVol.2 小保方さんの生育環境は
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935705.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(5)―プロファイリングVol.3 多彩な感情表現は人を被害者的にする!心理学セミナー、カウンセリングの副作用のお話
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935878.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(6)―「私の会社でも」読者からのお便り
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936058.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(7)―“惑わされる”理系男子:女性必見!もしもあなたの彼が「隠れ小保方ファン」だったら
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936162.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(8)―「キラキラ女子」の栄光と転落、「朝ドラヒロイン」が裁かれる日
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936340.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(9)―「STAP細胞はあります!」は本当か?Amazonレビュアーが読み解くプロジェクトの破綻
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936570.html

●社会人のための『小保方手記』解読講座(10 )―再度「STAP細胞はありません」―「ウソ」と真実・ネット世界と現実世界のギャップ、社会人の分断リスク
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936986.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(11)― 騙されないためのケーススタディー:小保方晴子さんが使った「ヒューリスティック(自動思考・錯覚)」の罠
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937126.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(12)情けないぞおじさんたち!!「ええかっこしい上司」「放置プレイ上司」そして「欲得・不正系上司」(前編)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937436.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(13)情けないぞおじさんたち!!「ええかっこしい上司」「放置プレイ上司」そして「欲得・不正系上司」(後編)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937542.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(14)(最終) まとめ:あなたの会社から「モンスター」を出さないために―女性活躍、発達凸凹対応、そして改めて「行動承認」
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937655.html



●エイプリルフール特別企画・シリーズ番外編:社会人のための「小保方情報」解読講座
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937719.html

あの日









※この記事内のインデックスです


(1) 20世紀型心理学が小保方晴子さんを育てた
  ―発達障害概念の普及の遅れとカウンセリング自体にひそむ限界―

(2) どうすれば良かったのか?

(3) 障害の受容のむずかしさ
   ―ASDの人特有のプライド



『あの日』(小保方晴子、講談社、2016年1月)読書日記 第4弾です。
 前回の記事では、このブログ独自に小保方晴子さんのプロファイリングを行わせていただきました。

社会人のための「小保方手記」解読講座(3)―正田が読む・晴子さんのプロファイリングVol.1
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935610.html

 この記事の末尾部分で、「発達障害」ということに注目しました。
 小保方さんは、おそらくこだわりの強いASD(自閉症スペクトラム障害)とミスの多いADHD(注意欠陥多動性障害)のハイブリッドなのであろう。
 また、ASDの中でもIQの高いアスペルガー症候群、中でもとりわけ言語能力の高いタイプの人なのだろう。言語能力と実行能力に極端なギャップのある人なのだろう。
 このことが小保方晴子さんという人の研究不正、捏造、コピペ、見えすいたウソや言い訳、そしてほかの人を極端に理想化したり悪しざまに言ったり、という、普通の社会人からみると不可解な行動の源になっているだろう。

 そして最後にこう投げかけて終わりました。

1.では、小保方さんがこういうASD−ADHDの資質をもった人だとして、なぜ子どもの頃気づかれなかったんでしょうか?今まで矯正されなかったんでしょうか?
2.そして、こういう人がもし職場にいたらどういう指導をしてあげるのがいいんでしょうか?理研では何故できなかったんでしょうか?


 というわけで、今回の記事ではこの疑問点の1.にお答えすることになります。

 しかし正直言って気が重いです・・・
 というのは、残念ながら「お子さんのころの親御さんの責任」ということにも、触れざるをえないからです。うまれつきの形質だけで今のようになったわけではない、育て方の問題も入っていると考えられるからです。
 ただ本人さんもう32歳の方ですので、りっぱな大人です。そんな歳になったお子さんの子育てについて、蒸し返されるのは親御さんその他の方々にとってお気の毒なことではあるんですが。

(1)20世紀型心理学が小保方晴子さんを育てた
    発達障害概念の普及の遅れとカウンセリング自体にひそむ限界


  小保方さんは子どもの頃なぜ気づかれなかったか。矯正されなかったか。
 
 これは、シンプルに言うと「20世紀の心理学が小保方さんの人格を育てた」ということなのではないかな、というのがわたしの推測です。

 小保方さんのご家庭。個人的なことをほじくるのは…といいながら、やはり家族構成とご家族のご職業をみると「なるほど、これは」と思います。
 小保方さんは3人姉妹の末っ子。そして、お母さんとお姉さんのうちの1人が、なんと心理学者なのです。それぞれ、現在も東京都内の大学の教授、准教授を務めていらっしゃいます。

 お子さんがしょっちゅううそをついたり言い訳をしたり、日常生活でミスが多いお子さんだったら、心理学者たるもの「この子はちょっと普通ではないんではないか。発達障害なのではないか」と気づくのではないでしょうか?と思われるでしょう。
 それがそうではないのです。むしろ、逆に働いてしまった可能性があるのです。

 小保方さんのお家で起こったことを推測する材料はここにはありませんので、あくまで一般論として、「発達障害」をめぐる精神医学・心理学の「世代間断絶」というお話をしたいと思います。



 このブログではかねてから、「少し上の世代の心理学者、精神科医は、発達障害のことを知らない」ということをご指摘しています。

 精神医学が体系づけられたのは19世紀末、精神科医のエミール・クレペリンという人の功績です。この人の書いた精神医学の教科書の第6版が1899年に発刊され、精神病を大きく13の疾患に分類しました。これが現代の『精神疾患の診断と統計マニュアル(DSM)』のもとになっています。その後は20世紀初めにフロイトの精神分析学が現れ、一世を風靡しました。
 今流行りのアドラー心理学の教祖、アドラーの没年は1937年です。


 いっぽうで発達障害が精神疾患として認知された歴史は比較的浅いのです。精神障害の診断・統計マニュアルであるDSMには、1987年改訂のDSM-III-Rに初めて「発達障害」という語が登場。それ以前にトレーニングを受けた精神科医・心理学者らは、基本的に発達障害の概念を使いません。

 このブログでは今年に入ってからだけでも、『ほめると子どもはダメになる』や『嫌われる勇気』の著者らに対して、「発達障害の概念をスルーした議論をしている」と、異議申し立てをしております。
 本当は、発達障害はASD(自閉症スペクトラム障害)とADHD(注意欠陥・多動性症候群)を合わせると、子供世代の約1割、10人に1人のペースで出現する障害ですから、この障害を「ない」ことにして無視し続けるのはおかしなことなのです。「何か変だな」と思ったらまっさきにこの障害を疑うのが正解と思います。しかし、上記の心理学者・自称哲学者らは、「発達障害」の存在をオミットしているため、まったく見当はずれの議論をしてしまっています。それは専門家として非常にこまったことなのです。



 それにプラスして、カウンセリングという手法そのものにひそむ限界。

 例えばここに、よくウソを言うお子さんがいるとします。決して、小保方さんがそうだ、というわけじゃないですよ。
 しかし、その子の言うことがウソだ、ということを知るには、周囲の人にウラをとらなければなりません。同じ現象をみているほかの人に、「確かにそうだったか」と尋ね、もしそこに矛盾があれば、こんどは子供さんの言うことが本当かほかの人の言うことが本当か、もうひとつ確認をしなければなりません。2人、3人と人の話をきいていかなければなりません。非常にめんどうですね。

 ところが。カウンセリングという手法は、基本的にクライエント1人の話しか聴きません。ウラをとるということをしません。
 家族療法のような手法も一部にありますけれども、それはむしろ例外。わたしも人生で何度かカウンセリングのお世話になってますけれど、カウンセラーさんは基本的にわたしの話だけをずーっと聴いてくださいました。そして信じてくださいました。お蔭でわたしは何度か心の危機を脱したのですけれど、もしそこでわたしがウソつきだったら、どうしようもないんです。「信じてやる」ということが、癒しにつながるメリットもあるんですが、ウソつきを増長させる可能性もあるんです。

 これはカウンセリングだけでなくパーソナルコーチングにも言えることです。個人契約で、基本的にそのクライアントの話だけをずーっと聴き、「すばらしい!」と言ったり、「ぜひそれをおやりになってください!」と言ったりします。
 コーチングの場合、「行動」を促進するものなので、カウンセリング以上に、方向性を間違えるとたいへんなことになってしまいます。クライアントさんがウソついてるのに「すばらしい!」「ぜひおやりになってください!」って背中を押したりしていると。
 だから、わたしはある時期から基本的にパーソナルコーチングをお引き受けしなくなりました。
 そして、状況全体を知っていて周囲の人からもウラをとることができ、かつ業績向上へのモチベーションもある、上司によるコーチング(以前は「企業内コーチング」と言っていた。今は「承認マネジメント」という言い方に変わっています)こそが、もっとも推進すべきものだ、と考えるようになりました。



(2)どうすれば良かったのか?


 閑話休題。
 小保方さんの子供時代に起こっていた可能性のあること、というお話に戻ります。

 小保方さんのお母さんやお姉さんは、立派な大学で教える心理学者さんですし、そうした心理学の手法そのものに限界がある、とは思っておられなかった可能性があります。よく、子育てについて教える心理学者さんカウンセラーさん、同様に企業でメンタルヘルスについて教える心理学者さんカウンセラーさんもそうなのですけど、

「心優しく本人さんの話を聴いてあげる(傾聴)」

 このことだけを言われますね。
 傾聴のスキルが足りないから問題が起きるんだと。あと一歩がまんして傾聴してやればいいんだと。
 そして、実習で傾聴のやり方(スキル)を習ったお母さんお父さん方やマネジャー方は、実習そのものがもたらす高揚感も手伝って、
「こんなやり方で傾聴をすれば良かったんだ。私に足りなかったのはこれなんだ」
と、思い込んでしまいます。


 しかーし。
 そういう子育て指導、マネジメント指導は、「本人さんがウソをつく人だったらどうするのか?」という視点を欠いています。
 ウソをつきやすい言い訳をしやすい人に対してすべきは、「心優しい傾聴」だけではないんです。周囲の人にウラをとり、本人さんに再度当て、
「ウソは通用しないんだよ」
と示すことです。


 その手間を、小保方さんの周囲の人は省いてしまった可能性があります。とくに、単なるカウンセラーではなく大学で教えている心理学者さんであり、人に教えるたびごとに自分の手法の正しさを確信する立場であると、自己強化されますから。相手を疑ったり、ウラをとったり、という、手間のかかるしかも心理学の教科書に載ってないような卑しい作業をしたいとは思わないことでしょう。

 次の記事で解説いたしますが、発達障害の人を多く雇用する特例子会社さんなどでは、やはりミスのときに言い訳、自己正当化、他責をしやすいので、「現物を呈示する」というやり方をします。要は口先だけで逃げられないようにします。

 そしてまた。
 これは蛇足ですが、過去の子育てのノウハウでは、「逃げ道をつくってやる」ということが言われていましたね。今でも人生相談のページなどではよくみます。
 これ、子供さんが「ウソつき」の場合には、不正解です。
 事実はひとつ。量子力学の議論は置いといて(笑)。ウラとりによって子供さんの言ったことがウソだと証明されれば、そこは家族全員で「ウソは通用しないよ」という態度をとったほうがいい。5人家族で、上が優しいお姉さん2人で、(しかも心理学)ということであると、この「家族が一致してウソを許さない」という統一歩調がとれない可能性があるのです。

だれか一人でも心優しくウソをついたお子さんをかばってしまうと、子供さんは機会主義者ですから、すぐ一番優しい人のところに逃げ込んでウソをつき続けます。だから、子供さんにウソつきの形質があるとわかった段階で、家族の間で意思統一をしないといけません。表面的な優しさのためでなく、子供さんの将来のために、全員一致して子供さんを突き放さなければなりません。



 そして、子供さんがそうした、ウソをつきやすいお子さんだと判明したときは、どうしたらいいのでしょうねえ。

 わたしが提言したいのは、要は「行動承認」です。長い読者の皆様、もう耳タコですね。ごめんなさい。

 この子は、言葉を操ることはとても上手だ。でも行動力がそれに伴わない、はるかに低い。ちょっと何かをやらせるとミスをしてしまう。またちょっと目を離すとぼーっと妄想に入ってしまい、行動がおるすになってしまう。
 そういう子だから、してなかったことをしたと言ったり、ミスしたことを言い訳して人のせいにしたり、なんとか自己正当化の方向に言葉の力を使ってしまう。生物ですから、なんとか生存しようとするんです。そのために自分の持っている能力の高いところを使ってしまうんです。

 こういう状況に陥っているお子さんを救うには、なんとか行動力のほうを上げてあげることです。

 小さなことでも、「やったんだね」と承認してあげる(でも、やったことがウソじゃダメです)それは身近な、本人さんの行動を目の前でみている一番小さなコミュニティ、家族の中だからできることです。
 そして、「本当に行動をとったら、『承認』をもらえるんだ」と、本人さんに理解してもらう。そして、行動をとることを楽しんでもらう。
 これの繰り返しで、行動力を上げてあげることができます。非常に辛抱づよい作業になりますが、やはりご家族だからこそできることでしょう。



(3)障害の受容のむずかしさ
    ―ASDの人特有のプライド

小保方さんは発達障害で診断を受けるべきかどうか。わたしは、受けたほうがいいと思います。
 詳しくは、こちらの記事を参照

「広野ゆい氏にきく(2-3)「発達障害者マネジメントの『困った!』問答」」
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51911281.html

 上記の記事のように、ひょっとしたらADHDの不注意によってミスや不行動が出やすいかもしれないので、診断を受けてADHD治療薬をのむ、というのも正解かもしれないです。薬をのむということに関しては、わたしもちょっと疑問があるのではあるのですが。上記の記事の中で発達障害者の会の代表の方に伺ったところでは、コンサータやストラテラといったADHD薬は、多少ミスの多さを改善させる働きがある。その方は、自分にとって面倒くさい仕事に取り組むときは、やる気を出すために薬をのむ、と言われました。
 
 もうひとつ「診断」について大事なことは、とくにASDの中でも高機能のアスペルガー症候群の方は、プライドが高いので大人になってから障害を受け入れることが非常にむずかしくなる、ということです。場合によっては告知されたことで、鬱になったり、自殺したり、ということもあるそうです。だから子供さんの間に診断を受け障害を受容したほうが、傷が浅くて済む。そして自覚のないまま大人になったアスペルガーさんは、なまじ障害の程度が軽くてIQが高いだけに、仕事上で非常に不都合をきたしてしまうんですね。

 したがって、子供さんを愛しているなら、子供さんがASDかもしれないと思ったら、小さいうちに診断を受けたほうがいいということです


 「障害の受容」。
 さあ、今の小保方さんにそれが可能でしょうか。つらいところですね。
 
 2つ前の記事の末尾に近いほうで、
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935610.html

「もともと発達障害と人格障害の線引きはすごく曖昧。感情の起伏が激しく他人に対して毀誉褒貶の激しい境界性人格障害も発達障害の一種なのかもしれない。また『自分はすごい』と思いこんでいる自己愛性人格障害も発達障害の一種なのかもしれない。」
ということを言いました。

 「発達障害」と人格障害その他の精神疾患の関係性は、ちょうど認知症でいう、「中核症状―行動・心理症状」の関係に似ている、という言い方もできます。
 認知症について詳しくは厚労省のこちらのページをご参照ください
>>http://www.mhlw.go.jp/topics/kaigo/dementia/a02.html
 少しここから文章を引用しましょう:
「脳の細胞が壊れることによって直接起こる症状が記憶障害、見当識障害、理解・判断力の低下、実行機能の低下など中核症状と呼ばれるものです。これらの中核症状のため周囲で起こっている現実を正しく認識できなくなります。
 本人がもともと持っている性格、環境、人間関係などさまざまな要因がからみ合って、うつ状態や妄想のような精神症状や、日常生活への適応を困難にする行動上の問題が起こってきます。これらを行動・心理症状と呼ぶことがあります。」

 つまり、能力の低下が先にあり、それと環境要因が組み合わさって精神症状や問題行動が起きてしまう。鬱の症状などもできてしまう。
 認知症のおとしよりが、ひどく疑いぶかくなったり、暴れたり、徘徊したり、というすごく困った行動も、「能力の低下からきているんだ」ということを周囲の人が念頭において、本人さんの不安感をじょうずに受容してあげると、そうした困った行動が収まるようなのです。つまりそうした困った行動が、認知症そのものの症状で不可逆的で仕方がないもの、というわけではなく、治る可能性があるのです。


 これは認知症なので、本人さんがもともと持っていた能力が低下した、というお話ですが、この「中核症状―行動・心理症状」の関係性は、発達障害の場合にも大いに当てはまります。
 発達障害の場合は、老化に伴ってではなく、もともとある部分の能力がすごく低く、一方ですごく高い部分もあり、その能力の凸凹が社会不適応を引き起こします。ひいてはメンタルヘルスを害し、鬱や統合失調症のような症状が出たり、人格障害のような症状が出る、ということです。

 解決のためには本人さんも周囲の人も、ご自分のそうした極端な能力の凸凹を自覚することです。そして正しい自己像をもち、ある部分で分不相応のプライドをもっていたところも見直し、そんな等身大の自分が今から生きる道は何か、を模索することです。




 で小保方さんの場合は、今は、受容できない段階だろうと思います。たぶん精神的によくない状態なのだろう。この本、『あの日』を出版してしまうということからしても、受容できなくて徹底的に他責に走ってしまっている。まだ、「不正をして理研を辞めさせられた自分」という事態を受け入れていないようです。

 また、なまじ研究者としてはハーバード留学、ネイチャー掲載という、「頂点」にまで昇りつめた人なので、「自分は単なるミスが多くて言い訳が多く、でも身の程知らずに高いところをめざすのがすきな人だっただけだ」ということを認めるのはつらいことです。

 なまじ1点でも優れたところがあると、発達障害の受容がむずかしい。
 そういう心理を、また発達障害をもつ大人の会代表・広野ゆいさんに語っていただきましょう。

広野ゆい氏にきく(2)―見過ごされる発達障害―メンタルヘルス、自己愛、虐待・過干渉、DV、引きこもり
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51901747.html

広野:そう、自覚がないというより自覚したくないんですよ。認めちゃうと、皆さん感じてるのはものすごい恐怖感なんですね。ダメな人間と思われたくない。やっぱり「認めてもらいたい」んです。
 本当は、「ここはできないけど、ここはできるんだね」という認められ方を人間はしてもらいたいと思うんです。「あなたはこういう人なんだね」と、丸ごとみてくれて、その中で「じゃああなたができる仕事はこれだね」という認められ方をしたい。特にその凸凹の大きい人は必要としていると思います。
 だけどできる部分だけにしがみついて、できない部分を隠して隠して生きてきた人にとっては、ここは絶対に見せてはいけないというか、認めてはいけないところなんです。ここが崩れると全部が崩れちゃう(と思いこんでいる)からなんです。
 

 いかがでしょうか。

 発達障害、とりわけ高機能のASDの人にとっては、発達障害を「認める」ことは、これぐらいものすごい恐怖感をともなうことなんですね。

 わたしも、小保方さんほどではないですがそこそこ高い学歴をもって半世紀以上生きてきて、「自分は大した人間じゃない」と認めるのはすごくつらいことです。だから、「認めたくない」という小保方さんの気持ちは痛いほどわかります。

 でも。この方、小保方晴子さんは、もう何人もの人(自分の家族を含め)を破滅させ、自殺者まで1人出している人なのです。
 だから小保方さんの文脈でばかり物を考えてあげるわけにはいかない。

 たぶん、小保方さんのお母さんやお姉さんは今でもつかず離れず、晴子さんを見守っていることでしょう。
 ぜひ、その方々が、晴子さんの自己受容を助けてあげてほしい。
 わたしはそう思います。

 そして今後は、できれば研究というような自由度の高い仕事ではなく、もっときっちり上の人に仕事を監督されるようなお仕事について生計を立てられることをお勧めします。

 作家さんがいいのかというと、ご本人さんはそれでいいかもしれませんが、今回のようにノンフィクションの体裁をとりながら実在の人を傷つけるようなことを書いてしまう場合もありますから、お勧めしません。出版社さんも、もうこういうことで儲けるのはやめましょうよ。




 次回の記事では、小保方さんのような人が入社してきたら職場ではどうするべきか?また理研のような研究組織ではどうするべきか?というお話をしたいと思います。

 ↑

2016年2月29日追記:と予告していましたが、その後もう1回「プロファイリング」の記事を書きました。
小保方さんの生育環境に加え、(5)心理学セミナーの影響の可能性についても書かせていただきました。


これまでの記事:
●社会人のための「小保方手記」解読講座(1)―印象的な”ツカミ”のエピソードはこう読め!Vol.1
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935543.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(2)―印象的な”ツカミ”のエピソードはこう読め!Vol.2
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935599.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(3)―1位マネジャー製造講師・正田が読む・晴子さんのプロファイリングはVol.1
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935610.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(4)―正田が読む・晴子さんのプロファイリングVol.2 小保方さんの生育環境は
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935705.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(5)―プロファイリングVol.3 多彩な感情表現は人を被害者的にする!心理学セミナー、カウンセリングの副作用のお話
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935878.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(6)―「私の会社でも」読者からのお便り
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936058.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(7)―“惑わされる”理系男子:女性必見!もしもあなたの彼が「隠れ小保方ファン」だったら
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936162.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(8)―「キラキラ女子」の栄光と転落、「朝ドラヒロイン」が裁かれる日
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936340.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(9)―「STAP細胞はあります!」は本当か?Amazonレビュアーが読み解くプロジェクトの破綻
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936570.html

●社会人のための『小保方手記』解読講座(10 )―再度「STAP細胞はありません」―「ウソ」と真実・ネット世界と現実世界のギャップ、社会人の分断リスク
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936986.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(11)― 騙されないためのケーススタディー:小保方晴子さんが使った「ヒューリスティック(自動思考・錯覚)」の罠
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937126.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(12)情けないぞおじさんたち!!「ええかっこしい上司」「放置プレイ上司」そして「欲得・不正系上司」(前編)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937436.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(13)情けないぞおじさんたち!!「ええかっこしい上司」「放置プレイ上司」そして「欲得・不正系上司」(後編)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937542.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(14)(最終) まとめ:あなたの会社から「モンスター」を出さないために―女性活躍、発達凸凹対応、そして改めて「行動承認」
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937655.html" target="_blank" title="">http://c-c-a.blog.jp/archives/51937655.html

●エイプリルフール特別企画・シリーズ番外編:社会人のための「小保方情報」解読講座
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937719.html

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ・・・……<<<エウダイモニア通信>>>……・・・
発行日 2016.2.25                 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ※「エウダイモニア」は「幸福」、また「栄える」という意味のギリシア語
です。
 「業績1位」の山を築いてきた承認マネジメントの研修講師・正田佐与が、
経済的繁栄を含めたわたしたちの「幸せ」についてご一緒に考えます。
 
※このメールは、正田が過去にお名刺を交換させていただいた方、イベントや
セミナーに  ご来場いただいた方にお送りしています。
ご不要の方は、お手数ですがメール末尾にありますURLより解除ください。

■■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ┃本日の話題 ☆☆☆☆☆
■■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

【1】 シリーズ・社会人のための「小保方手記」解読講座はじめました
     〜夢と希望にみちた前半部分・
    「あのエピソード」正田はこう読む!

【2】 「貧困」と「非正規社員」…何が問題なのか
     〜読書日記『承認と包摂へ』後編

【3】 連載「ユリーの星に願いを」第2回「KPIは何ですか?」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【1】 シリーズ・社会人のための「小保方手記」解読講座はじめました
     〜夢と希望にみちた前半部分・
      「あのエピソード」正田はこう読む!


 現役経営者・管理者の読者のみなさまには、まことに要らんお節介の老婆心
かもしれません。

 あの小保方晴子さんの手記『あの日』。発売以来約1か月を経過、一時期は
どの本屋さんでも品切れ状態でした。
 本日現在、Amazon総合ランキング21位、「科学・テクノロジー」「科学史・
科学者」「自伝・伝記」ジャンルでそれぞれ1位と、大変勢いのある本です。
 でわたし正田は暇人のくせにしばらくは「読みません」と宣言していたの
ですが、その後諸事情あって読むことになってしまいました。

 現役社会人の方では、どれくらいの方が読まれているでしょうか。
 わたしの想像では、意外に経営者・管理者の方々より、部下の世代の方々
に一定のインパクトがありそうな気がします。

 そんなわけで、『あの日』の読書日記をブログにシリーズで掲載させていた
だくことにしました。年初に『「学力」の経済学』という本について7回の連
載をしたのと同様、今回も長期シリーズになりそうな予感です。

 この本を部下世代の方が読まれた場合、職場に与えるであろうインパクトや、
もし小保方晴子さんがあなたの職場にいたら?また、もしあなたのお子さんが
小保方晴子さんのような特性をもったお子さんだったら?ということも、
シリーズの中で順次解説してまいりたいと思います。

 読まなかったという読者の皆様も、読んだつもりになって部下の方に正しく
ウンチクを披露していただけますよう、なるべくわかりやすく解説を心がけて
まいります。

 それでは、くれぐれもお仕事に支障のありませんよう、休憩時間にご覧くだ
さい―



●社会人のための「小保方手記」解読講座(1)―印象的な”ツカミ”のエピ
ソードはこう読め!Vol.1
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935543.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(2)―印象的な”ツカミ”のエピ
ソードはこう読め!Vol.2
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935599.html
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【2】「貧困」と「非正規社員」…何が問題なのか
〜読書日記『承認と包摂へ』後編

 前回、『承認と包摂へ』の読書日記・前編として、「同一労働同一賃金」を
とり上げました。

●「承認」をカタチにする。同一労働同一賃金をためしてみると―『承認と包
摂へ』をよむ・前編
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51934476.html 

 ひき続き今回は、後編をご紹介します。
 ここでは、「貧困問題の正体」そして「非正規労働者の歴史」を、
現代日本を代表する良心的な研究者の方々が読み解いてくれます。

 日本的な「男は外、女は中」それに「正規・非正規の区別」、どちらも
そんなに歴史の古いものではありません。今、見直すときに来ているのかも
しれないことを考えてまいりましょう。


●だれを包摂し、承認し、だれを社会的に排除しているか。―『承認と包摂へ』
 をよむ・後編
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935268.html 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【3】新連載・「ユリーの星に願いを」第2回「KPIは何ですか?」
By ユリー


 ユリーのプロフィール:40代女性。インターネットベンチャーの創業、マーケ
ティングやプランニング、プロジェクトマネジャー、コンサルティング、研修講
師などを行う。現在の仕事は起業家支援、新規事業開発や商品プロデュースなど。


KPIは何ですか?


 こんにちは。ユリーです。年度末が近づいてきました。私の2月は、来期の事
業計画をアクションプランに落とし込む時期、シミュレーションを繰り返す「集
中妄想期間」です。

 事業計画といえば、皆さまの会社・組織ではどのようなKPI(Key Performance
  Indicator、重要業績評価指標) を設定していらっしゃいますか?
 私もインターネット業界で駆け出しのマーケティング職だった頃には与えられ
たKPIを追いかけ、コンサルタントになってからは、KPIとすべき指標とその計測
方法をクライアントと議論してきました。ドラッカーが「計測できないものは管
理できない」と言ったように、管理者であるマネージャーにとって、KPIは最重
要管理項目です。

 私が最近注目しているKPI関連の話題に、グーグルがやっていると言われる従業
員の血糖値管理があります。グーグル社のKPIの1つに従業員の血糖値があるとい
うのです。
 血糖値が人間のパフォーマンス、ひいては業績に影響するというのはNASAの研
究成果、宇宙飛行士の訓練育成の過程から導かれたものだそうです。脳は、血糖
値が一定の(上下動の)範囲にあるとき、最もよく機能するという研究結果があ
り、また、最近の認知症研究からは血糖値は高すぎても低すぎても脳の認知
機能には悪影響との研究報告もあります。


 たしかに、血糖値の上下によるイライラや眠気、集中力を維持するために自然
と糖分を欲するなどは、私にも心当たりがあります。読者の皆さまにもきっと思
い当たる節があるのではないでしょうか? 

 KPIにまでしてしまうところは、いかにもグーグルらしい発想ですが、従業員の
健康状態を経営課題としてとらえ業績との関連を見るというのは、私にとってとて
も興味深いテーマなので、これからも注目したいです。

 NASAといえば、間もなく11人目の日本人宇宙飛行士が誕生します。今年6月
ごろから国際宇宙ステーション(ISS)に約4か月滞在する予定の大西卓哉さん
(40)。
 この大西飛行士は、自衛隊出身で「中年の星」油井亀美也飛行士(46)と同時
期選考の元全日空パイロット。
 その大西飛行士のインタビュー記事にあった「失敗」に関する話題が興味
深いものでした。次回はそのお話をしたいと思います。


□□━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ┃今日の一筆箋  
□□━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

先週、介護施設長さんの「承認研修」をさせていただきました。
今号の【2】の記事にもありますように、「承認」はいまや政策的にも、マネジ
メントの現場にも、主流となるであろう思想です。
今回の研修の中で正田はある“マル秘”の新コンテンツをご披露し・・・。
その中身はないしょです。ご参加の施設長様方には、大変喜んでいただきました。
そして今週は、力のこもった宿題が続々返ってきました。

このメールニュースへのご感想、ご意見を募集中です。どんなことでも、
info@c-c-a.jp まで(このメールへのご返信で結構です)お寄せください。

┌─<<現役マネージャー必読!>>──────────────────>
│  近著『行動承認―組織の能力を最大化する「認める力」』
│  http://www.amazon.co.jp/gp/product/4434198572
└──────────────────────────────────>


1位マネジャー続出の承認研修講師 正田佐与の発信するメディア

┏┓
┗■ ツイッターアカウント >> @sayoshoda
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┏┓
┗■ フェイスブックページ >> http://www.facebook.com/sayo.shoda
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┏┓
┗■ ブログ「正田佐与の愛するこの世界」 >> http://c-c-a.blog.jp
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


■メールニュースのバックナンバーもこちらからお読みいただけます。
>> http://c-c-a.blog.jp/archives/cat_50052130.html

■新規購読の申し込みは、「メールニュース」希望と書いて、配信希望先の
アドレスとともに
info@c-c-a.jp 宛にメールでお申込みください。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

皆様の職場でも業績向上につながる「承認」を取り入れてみませんか?
 研修のご相談、原稿のご依頼、「人」の問題について個別のご相談は以下ま
でお気軽にご連絡ください。
 
 正田佐与承認マネジメント事務所
 Email info@c-c-a.jp TEL: 078-857-7055  FAX: 078-857-6875

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

このメールニュースは、正田が過去にお名刺を交換させていただいた方、
イベントやセミナーにご来場いただいた方にお送りしています。

◎メールニュース解除方法
解除される場合は、下記の解除フォームに受信メールアドレスを入力してくだ
さい。ワンクリックで解除していただけます。

>> http://mag1.hyper-mail.jp/md/publish/quit.asp?act=1&mid=1044&mail=info@c-c-a.jp




◇―――――――――――――――――――――――――――――――――◇

100年後に誇れる教育事業をしよう。

 発行者 正田佐与承認マネジメント事務所代表 正田 佐与

◇―――――――――――――――――――――――――――――――――◇
このメールは転送歓迎です。

あの日

 『あの日』(小保方晴子、講談社、2016年1月)読書日記 第3弾です。

 ここまでは、小保方晴子さんの手記『あの日』の前半部分に出てくる印象的な2つのエピソードから、読み取れることや矛盾点、明らかにウソだと言えることを抽出してみました。

 今回はちょっと箸休めで、小保方晴子さんとはどんな人格の持ち主なのか?どういう遺伝形質でどういう育ち方をしたのだろうか?というのを、ごく限られた手がかりから解読してみたいと思います。
 もう既に沢山の精神科医・心理学者の方が同様にプロファイリングをなさっているようですが、企業の人材育成屋、そして「13年1位マネジャー輩出」のマネジメント教育のプロ、という立場からの解読も、あってもいいかと思います。
 でも、このブログの長年の読者の皆様からみると、そんなに突飛なことは言わないですよ。いつも言ってることの延長ですよ。

 わたし正田は、「人」をみるとき、大体5通りぐらいの人格類型ツールを使っています。
【1】 ソーシャルスタイル(四分法、コーチ・エイの「4つのタイプ分け」とほぼ同義)
【2】 ストレングスファインダー(おなじみ、米ギャラップ社の強み診断ツール。34通りの強み分類をし、その人の上位5つの強みがその人を物語るとする)
【3】 価値観(強みのうちさらにコアなもの?その人の強い動機づけとなる)
【4】 学習スタイル/優位感覚(視覚、聴覚、体感覚のどれが優位か、というもの)
【5】 発達障害の有無/種類

 拙著『行動承認』ではこのうち、「【1】ソーシャルスタイル」しかご説明してなかったですね。「【2】強み」「【5】発達障害」はこのブログにはちょこちょこ書いています。【3】【4】はあまり触れたことがなかったカナー。
 そんなに色々使って大丈夫か、と思われそうですが安心してください。慣れるとこれぐらい使うものなのですね。わたし「個別化」の人なので、人のプロファイリングはいくらやっても飽きないんです。

 さて、小保方晴子さんは、それぞれのツールを使うとどういう人なのか。
 このシリーズ第一弾の記事の中で、「【3】価値観」をとりあげました。

******************************************
  著者の価値観とは、何か。
 読み取れるのは:上昇、希望、鮮やかな色彩(とりわけ「金色」が度々出てきます)、世界の最高峰への移動、憧れ、挑戦、華々しい、美しいものへの賛美、頭の良さへの賛美。
 上位者からのまなざし。「褒められる」こともたびたび出てきます。
 「優しい」という言葉もたびたび出てきます。
 「細胞のふるまいの自由さ」(p.50)という印象的な言葉もあるので、「自由なふるまい」ということ、また細胞の時時刻刻の変化を見守ることも価値観なのかもしれません。
******************************************

 今みると、ここにはもう1つ付け加えたい価値観の言葉があります。
 それは…でもここに書くのはやめておこう。わたしがふだん使っている、価値観リストの中には載っている言葉です。漢字1文字です。(「嘘」じゃないですよ)
 これは、このシリーズ記事第一弾の末尾部分で引用した、東スポWEB2014年3月の記事の中にある、高校時代の小保方晴子さんがついたウソの内容からプロファイリングしました。
 小保方さんにならって、「ほのめかしのスキル」を使おうと思います。やっぱりブログの品格、大事ですもんね。
 
 
 あと付け加えるなら、実は別の小保方さん自身の手になる文書に、留学先のハーバードで身につけたと思われる価値観の言葉が載っていました。

「ここがよかった!GCOE ハーバード留学体験記」
>>http://www.waseda.jp/prj-GCOE-PracChem/jpn/newsletter/img/GCOENL01_C.pdf

 この中には、バカンティ教授の「教え」のようなものが書かれています。
「Dr.Vacantiはたくさんの助言をくださいました。もっとも印象的だったのは、『皆が憧れる、あらゆる面で成功した人生を送りなさい。すべてを手に入れて幸せになりなさい』と言われたことです。この言葉は、『見本となるような人生を送りなさい』という、すべての若者に向けた言葉だと理解しています。」
 うーむなるほどー。
 このページの存在はあるAmazonレビュアーの方から教えていただいて開いてみたのですが、うなってしまいました。
 まんま、アメリカの成功哲学。
 「成功することはすばらしい!」
 わたしはコーチングの学習の中でも「成功」という言葉が出てくると「ひいて」しまったほうなのですけどね。アメリカ由来の独特の価値観の体系ですね。
 当然、最高峰に憧れてハーバードのバカンティ研に留学した小保方晴子さん、憧れの教授からこう言われてこの価値観に染まっていたでしょう。

 というような価値体系をもつ、小保方晴子さんです。
 でもここまでは、別に変なとか異常なとかいうことはないですね。
 次のツールにいってみましょう。

【2】ストレングスファインダー。
 私がみたところでは、小保方晴子さんがもっている強みは、
・最上志向
・自我
・内省
・コミュニケーション
・適応性
です。
 このほか「競争性または指令性」「社交性」「ポジティブ」あたりも高いかもしれません。
 「コミュニケーション」は、抜群のプレゼン能力につながります。
 記者会見の場で、質問に臨機応変に答えられる、あれは「コミュニケーション―適応性」があるからできるのだと思います。
 そして「上を目指したい」これが強いのはたぶん、「最上志向―自我」。
 「自我」は、「褒められたい」ということにもつながりますね。人一倍強い承認欲求、ナルシシズムの資質です。
 「最上志向」さんは―、
 以前男性の最上志向さんについて書いた記事で、「これ小保方さんにも当てはまりそうだなあ」と思う記事があります。
「最上志向の男性はなぜ喋り続けるのか」
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51757211.html 
 ずーっと喋り続ける。また時々すごく変な方向にすごい努力しちゃう。最上志向の人みんながみんなそうじゃないんですよ。

 妄想が強い、これは「内省」が高くて行動力の強みが低い人だとそうなります。
 人が「できない」ということを「やりたい」と思ってしまうのはなんなんだろうなー。負けず嫌いの競争性、天邪鬼の指令性あたりとポジティブ、最上志向あたりが合体するとそうなるかもしれません。でも行動の強みがあったほうがいいですね。「できなかった」というイヤなことに向き合えないのは「ポジティブ」カナー。
 ほんとは「裏ストレングスファインダー」で、ここには書けないお話もいっぱいあるのですが、ご興味のある方はわたしに直接おききになってください。

 その他、
【1】 ソーシャルスタイル:P+Aでしょうね。
【2】 学習スタイル/優位感覚:たぶん視覚優位。でも言語能力も高い、ということは聴覚もかなり優位。そしてこの本『あの日』の中には身体感覚を表現した感情表現の言葉がたくさん出てきます。だから体感覚優位なのかというと・・・うーん。
 
 そしてそして、
【6】 発達障害の有無/種類

 たぶん、このブログの長い読者の皆様は、一番お知りになりたいところでしょう。
 初めてご覧になる方は「えっ?」と思われるかも。

 わたしがみるに、愛すべきわれらが小保方晴子さんは、ASD(自閉症スペクトラム障害)とADHD(注意欠陥多動性症候群)のハイブリッドだと思います。
 これも本人さんがご覧になった時嫌な気持ちになられるかもしれません。「障害」という言葉に対して「差別だ!」といわれたり、「名誉棄損だ!」といわれるかもしれません。
 しかし。このブログでは一貫して、「発達障害は全人口の1割前後を占める非常にポピュラーな障害なので、隠すことも差別することも正しくない。もっとこの概念が普及してみんなが自己受容したほうがよい」という立場をとっています。この障害の疑いをご指摘させていただくことが差別や名誉棄損にあたる、という認識がそもそもありません。あしからず。

 発達障害でも人により千差万別で、ASDだからこういう性格、ADHDだからこういう性格、というふうに決めることができません。小保方さんの場合はどうかというと、こだわりの強いASD。その中でもIQや言語能力のすごく高いアスペルガー症候群。それと、ミスの多いADHDがまじっていると思います。言語能力の高さと、実行能力の低さのギャップが激しいので、ウソをついたり言い訳をしたり、がすごく多くなる。これは本人さんにもどうしようもないところだと思います。で周囲の人も、こういう人をみたことがない人には理解できないだろうと思います。
 だから、せっかく小保方さんという人と出会えたことを「チャンスだ」と捉えて、わたしたちは学習したほうがいいわけですね。

 また一般に発達障害の方は、手先が不器用だったり運動神経がダメダメだったり、ということが多いです。マラソンや水泳、自転車など、一人作業のスポーツを好む発達障害さんは多いですね。だから超難しい実験をこなしたことになっている小保方さんが、ほんとに手先が器用かというと・・・クエスチョンです。子供のころ器用だったというエピソードは出ていません。

 そして、妄想が強い。これはASDでもADHDでもこういう特性をもった方は多いかな。小保方さんも実験をしながら色々な不思議な妄想をしています。

 メンタル面が弱くてすぐ「折れて」しまう、これも発達障害の人にはありがちです。もともとミスが多く、子どもの頃から叱られる場面が多いので自尊感情が低い。そして叱られると昔からのトラウマがわーっと出てきてすぐ折れてしまう。発達障害の人に鬱エピソードは多いです。また、双極性障害(躁鬱病)や統合失調症など、さまざまなメンタル疾患に発達障害が深く関わっていることが近年わかってきています。自分を叱った相手に対する恨みの感情もこのタイプの人は強いです。

 小保方さんは「自己愛」だ、というふうにも言われます。これも、自己愛性人格障害ととれなくもないし、基礎疾患としてのASD―ADHD(要は発達障害)をみたほうがいいかもしれません。もともと発達障害と人格障害の線引きはすごく曖昧なんです。感情の起伏が激しく他人に対する毀誉褒貶も激しい境界性人格障害も発達障害の一種なのかもしれない。また自己愛も発達障害の一種なのかもしれない。発達障害の人は「メタ認知能力」が弱いので、「できてない自分」を直視することができないんです。かつ、人の言葉の裏を読めないという特性もあるので、「あなたはすばらしいですね」と言われると、たとえ社交辞令でも本気で信じ込んでしまうところがあります。小保方さん、褒められることもだいすきでしたね。そして小保方さんのように妄想がきつく、一方で言語能力のものすごく高い人であると、できもしないものを本気で「できる」と信じてプレゼンをすることができるんですネ。

 こういうのは、本人さんのもっている能力の組み合わせで外に現象として出てきてしまうので、「けしからん!」と反応したり「心の闇」といったホラーっぽい理解の仕方をするのは正しくないのだと思います。

 そのほかうそつき、ほらふき、詐病だとかいうことでミュンヒハウゼン症候群という病名を挙げた精神科医の方もいらっしゃいましたけど、ああいう精神疾患の病名って、20世紀の半ばぐらいまでに作られたもので、まだ発達障害の知見が出てなかったころです。今のものさしだと発達障害と理解したほうが早いよ、そのほうが対処法もわかるよ、などと、正田はおもいます。

 では、小保方さんがこういうASD−ADHDの資質をもった人だとして、なぜ子どもの頃気づかれなかったんでしょうか?今まで矯正されなかったんでしょうか?
 そして、こういう人がもし職場にいたらどういう指導をしてあげるのがいいんでしょうか?理研では何故できなかったんでしょうか?

 そのあたりのお話は次回…。
 

これまでの記事:
●社会人のための「小保方手記」解読講座(1)―印象的な”ツカミ”のエピソードはこう読め!Vol.1
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935543.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(2)―印象的な”ツカミ”のエピソードはこう読め!Vol.2
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935599.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(3)―1位マネジャー製造講師・正田が読む・晴子さんのプロファイリングはVol.1
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935610.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(4)―正田が読む・晴子さんのプロファイリングVol.2 小保方さんの生育環境は
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935705.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(5)―プロファイリングVol.3 多彩な感情表現は人を被害者的にする!心理学セミナー、カウンセリングの副作用のお話
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935878.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(6)―「私の会社でも」読者からのお便り
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936058.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(7)―“惑わされる”理系男子:女性必見!もしもあなたの彼が「隠れ小保方ファン」だったら
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936162.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(8)―「キラキラ女子」の栄光と転落、「朝ドラヒロイン」が裁かれる日
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936340.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(9)―「STAP細胞はあります!」は本当か?Amazonレビュアーが読み解くプロジェクトの破綻
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936570.html

●社会人のための『小保方手記』解読講座(10 )―再度「STAP細胞はありません」―「ウソ」と真実・ネット世界と現実世界のギャップ、社会人の分断リスク
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936986.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(11)― 騙されないためのケーススタディー:小保方晴子さんが使った「ヒューリスティック(自動思考・錯覚)」の罠
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937126.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(12)情けないぞおじさんたち!!「ええかっこしい上司」「放置プレイ上司」そして「欲得・不正系上司」(前編)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937436.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(13)情けないぞおじさんたち!!「ええかっこしい上司」「放置プレイ上司」そして「欲得・不正系上司」(後編)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937542.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(14)(最終) まとめ:あなたの会社から「モンスター」を出さないために―女性活躍、発達凸凹対応、そして改めて「行動承認」
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937655.html


●エイプリルフール特別企画・シリーズ番外編:社会人のための「小保方情報」解読講座
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937719.html

あの日



 引き続き、かの有名なSTAP細胞論文騒動の主役、小保方晴子さんの手記『あの日』(講談社、2016年1月)を読んでいます。

 きのうこのシリーズ第一弾の記事をUPしフェイスブックにも転送したところ、信頼できるマネジャーのお友達からさっそく、感謝の言葉をいただきました。

「読んでいないのでコメントできません。ただ、この類いの本を出すのは、あまり品の良いことではありませんね。正田さんのおかげで、読んだような気持ちになりました。」

 ああそうなんだ、と正田は安堵いたしました。わたしが信頼申し上げるマネジャーの知性のもちぬしは、この本をはなから買わず、したがって“汚染”されてない方が多いんだ。

・・・でもその方々の部下は読んでるかもしれないんですよね・・・

 たぶんこの本の主流読者は学生、主婦、高齢者その他ワイドショー視聴者の方々なのだと思いますが、その他に会社にお勤めしている人の中の末端の働き手、いわば「部下側」の方もいらっしゃると思います。

 なのでこのブログでは、
・この本を「読まない」主にマネジャー層の方々
と、
・この本を「読んだ」主に部下側の方々
を、読者層に想定しながら、すすめたいと思います。マネジャーの方々にはウンチク材料として、また読んでうっかりこの本を「良い」と思われた方も「大人はこういう読み方をしたほうがいいんだ」という学びの場として。


 前回は、この本の冒頭にある印象的なエピソード「病気のお友達の話」を題材に、「そこで何もしなかっただろー小保方チャン!!」とつっこんでみました。
 自分は何もしなかった(と思われる)のに病気のお友達をネタに美しいエピソードを1つ作り上げ、それをひっさげて早稲田のAO入試、東京女子医科大学、ハーバード大、と門戸を叩き扉を開けていく才能。さすがです。

 これに続き今回は、ツカミネタ第二弾。すっごい難しい実験をやったと書いてあるけれど「それ自分でやってないだろー小保方チャン!!それか、その実験ほんとにあったのか小保方チャン!!」とつっこみを入れるお話です。そして今度のエピソードも、著者・小保方さんがその後ハーバード大・バカンティ研に留学するのに役立ったと思われる、いわば「立身出世の立役者」的なエピソードです。「実験の天才・小保方晴子さん伝説」をつくりあげたエピソードです。

 なのですが今回は前回よりはるかにページ数も多く専門用語も多いので、お忙しい読者の皆様の利便性のために、この記事では、構成をこのようにしようと思います:

1.結論(短く) 2.理由(かいつまんで) 3.一般的な実務上の提言  4.資料としてこの本『あの日』からの引用。

 それでは、肝心の結論…。

1. 【結論】小保方さんは、『あの日』pp.19-25に書かれている「ラットの口腔粘膜自家移植実験」の少なくとも手術部分を実際にはやっていなかった、すなわちだれか心優しい人に代わりにやってもらった可能性が濃厚。あるいは、この実験自体が存在せず、別の実験のデータを使いまわした可能性もある。


2.【理由】
‐保方さんは、早稲田の応用化学から東京女子医大の修士に進学、そこで初めて動物実験や細胞培養を行ったのでした。手術―細胞培養―手術―組織観察というこの実験の手順全体からみて、膨大な量のOJTや個人トレーニングが必要になるでしょう。
⊂保方さんは、この研究を2007年3月14日の第6回日本再生医療学会総会で発表し、輝かしい研究者人生のデビューを飾ります。しかし「数十匹のラットを用いた自家移植の実験を連日8カ月以上にわたって行った。」(p.24)というからには、遅くても2006年7月初めにはこの実験を始めていたことになります。,任いΔ箸海蹐OJTや個人トレーニングの期間がどうみても足りない。この実験をするのは素人がリストを弾くようなもの、あるいは素人が甲子園に行くようなもの。
この本の中に細胞培養のやり方はテクニカルスタッフから習った(p.15)とあるのですが、手術の仕方を習ったり独学でトレーニングしたという記述はありません。本当は実験全体の中では手術の部分がはるかに難しく(とくに縫合)、この実験がチャレンジングなものであるポイントはここなのです。それにチャレンジしたということを言う以上は、そのトレーニングについての説明があったほうが自然ですね。
ぜ存核榿屬竜述をみると、やはり細胞シート上の培養された細胞の時時刻刻の変化は克明に文学的な表現で記されています。いっぽうで難しい手術場面はごく技術的な説明に終始しており、論文や学会発表の原稿をそのままコピペしたかのようです。実際にやったという臨場感が感じられません。(唯一臨場感があるのは、手術後のラットが手の中でピクピクして目覚めるというくだり(p.21)です)このあたりこの記事の後半で『あの日』から文章を引用してご紹介したいと思います。

 以上 銑いら、この実験のとくに手術の部分は小保方さん以外の心優しい人がやってくれた可能性が濃厚です。あるいは、もし手術がうまくいかなければラットが死んでしまい、自家移植が成り立たなくなるので、実験自体が存在せず、細胞培養のデータなどは別の実験から使いまわした可能性もあります。

 また蛇足ですが、この本『あの日』では、小保方さんの初めての学会発表は2007年4月のシカゴでのバイオマテリアル学会年次大会だったとなっていますが(p.25)、上記のようにそれはウソで、本当は1か月早い2007年3月14日の第6回日本再生医療学会総会(横浜)が最初の発表のようです。(現在確認中⇒確認がとれました。日本再生医療学会事務局より、上記の日付・学会においてポスター・セッションの発表者になっているとご連絡をいただきました)

 なんでそんなウソつくカナー。小保方さん、見栄っ張りさんなのカナー。研究発表デビューの場は日本よりシカゴだったことにしたかった?あるいは、のちに2014年8月、日本再生医療学会は声明を発表して小保方さんを見放してしまったので、この学会の存在自体を頭から消したかった可能性もあります。というわけで実験そのものの疑義はまだ「疑いレベル」ですが、この記念すべき学会発表デビューの日時場所は明らかにウソが入ってます。

 ふーふー、ここまででもうワード原稿3ページ目に入ってしまいました・・・。
 で、お忙しい読者の皆様のためにお待たせしました、一般的な実務上の提言です。


3.【提言:実績は2度訊け】

 あくまで一般論で、ここで小保方さんがそうだ、と決めつけるわけにはまいりませんが、「経歴でウソつく人」って、やっぱりいらっしゃるんです。自分がやったのじゃないことを自分がやったように言う。あるいは根本的にやってないことをやったかのように言う。

 そこでマネジャー側、あるいは採用側としては、どうしたらいいでしょう。

 わたしの受講生さんで脇谷泰之さんという、上海工場を大成功させた総経理の方がいらっしゃいます。今どうしてはるカナー。この人の話でおもしろかったのが、
「面接は時間を置いて2回やれ。同じ業績を2度訊け」
というお話。

 こちらの記事に載っています
「『責めない現場』は可能か?」後半部分
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51866966.html 
 中国でも人材採用難です。脇谷さんは募集をかけて色んな人を面接するうち、
「ウソをつかない人間を採用する」
という方針になりました。
 そして、じゃあ、どうやってウソをつく人を見分けることができるでしょう。
 それが、「時間を置いて2回面接し、同じ質問をする」という方法です。
 脇谷さん自身の言葉をご紹介しましょう。

「2回面接したらわかります。日をあけて。今の営業技術部の部長してるのも2回しました。今、承認を教えてる第二世代目のメンバーも僕が2回面接しました。1回目と2回目でまったく同じことをききます。過去の成績。どんなことをしてきたか。あなたが今自信をもっていえる成果は何ですか。ということを2回、同じことをききました。20人ぐらい面接してると1回目と2回目はほとんど違います。1回目に言ったことが2回目になるとすっごい膨らんで言うときもあります。
 …そこで色々突っ込んでいくと、じゃあどういうことしたの、こうしたのああしたの、こんなこと起こらなかった、あんなこと起こらなかった?と、通訳を交えてしゃべっていくと、大体『こいつはこのレベルまでしかしてない』とか『誰かにくっついて一緒にやったことやなあ』とわかるんで、そういう人は全部排除します。」

 いかがでしょ。
 これが現場の知恵です。こういう、仕事の現場の人の言葉ってなかなか表に出ないですよネー。大学教授なんてそれに比べると、全っ然世間を知らない、実務を知らない。

 小保方さんの美しい「病気のお友達エピソード」や、「私はこんなすごい実験をしましたエピソード」も、どちらも「そこであなたは何をしましたか?」と「行動の質問」でつっこんだほうがいい。それも時間を置いて2回、同じところをつっこんだほうがいい。そういうお話です。



 ここまで、駆け足で・結論・理由・提言 という、この記事の骨子の部分をお話してきました。

 この後は、ちょっとお時間の余裕のある読者の方向けに、この本のストーリーを丁寧に追いながら、また本文の抜き書きもしながら、どうしてこういう理由、こういう結論になったのか?というお話をいたします。本を読まないでウンチクに肉づけをしたい方は、どうぞこちらもお読みになってください。


*******************************************

 さて、この本の筋書きを追いますと、われらがヒロイン小保方晴子さんは成長し、高校に進学し、大学は早稲田大学理工学部応用化学科にAO入試で受かり、大学院は再生医療を志して東京女子医大先端生命医科学研究所へ。
 この修士課程に入ったころから、がぜん専門用語が多くなります。ここで文系の多くの読者の方は挫折感を味わうようです。

 なるべく、私自身も文系ですので(でも過去には科学記者や医薬翻訳者だったこともあるのだが。恥。ちょっと詳しい話になるとお手上げです)そうした“挫折組”の方々もあっなるほどあの話はそういうことだったのか、と思っていただけるように解説したいと思います。

 大学を卒業した小保方晴子さんは晴れて、女子医大先端生命研の修士課程に外部研究生(外研生)として入り、大和雅之教授(現先端生命研所長)の率いる上皮細胞シートの研究チームに配属されます。

 上皮細胞シート。これ、どこのメーカーの製品かご存知ですか。
 はい、あの「株式会社セルシード」社のなんですね。
えっ、どこかできいたことあるって?そうでしょう、小保方晴子さん主著者のSTAP論文ネイチャー誌掲載!を発表したときに株価がガーンと上がった、あの会社です。
 こんな頃から小保方さん、あの会社とご縁があった。看板娘だったんですね。
 で、ここからはこの「細胞シート」が大活躍してくれます。

 「大和教授から最初に与えられた研究テーマは口腔粘膜上皮細胞に関する研究だった」(p.17)
 口の内頬からとった細胞を、上皮細胞シートとして目の角膜に移植すると角膜として機能を果たす。現在ではこれは角膜治療法として確立されているそうです。

 では角膜でない他の場所に移植するとその場所に応じてどう変化するか?小保方さんが挑戦するのは、そういう未知の課題です。
 これを、大型のネズミであるラット、それも若齢のラットの口腔粘膜で実験してみることにしました。

 ほらほら〜、既に漢字が多くて疲れてきていませんか?

 普通、移植手術って同じラットの個体同士で移植する「自家移植」なら、拒絶反応が起きにくいわけです。
 だから理想としては自家移植したい。でも若齢のラット(離乳―性成熟前、8−9週齢まで)を使うと若いから細胞の分化がいいはずなんだけど、若齢のラットだと口が最大でも1センチほどしか開かない。すると、生かしたまま組織をほほの内側から採取することは難しいだろう。要は採取後、止血して縫合するのがうまくいかなくて出血多量で死なせてしまうだろうということですかネ。死なせてしまうとそのラットに自家移植ができません。

 なので大和先生は無理だろうという意味のことを言われます。
「そのために、先生からは、この(他家移植をしても拒絶反応が起きにくい)ルイスラットを用いた『他家移植』による実験系を提案されていた。」(p.20)

 しかし、われらが小保方晴子さんは納得しません。難しい若齢ラットでの自家移植をすることにこだわります。
「しかし、この提案を受けても、私はどうしても、口腔粘膜を用いるからこそ、組織を採取する患者さんへの負担が少なく、自分の細胞を用いることができるので拒絶反応が起こらないという、この研究の原点にある角膜治療研究の根本の価値となる原理を崩したくなかった。自家移植にこだわりたい。無知であるがゆえに、沸き起こるチャレンジ精神が背中を押した。
 そこで、ラットに麻酔をかけ、生きたまま口腔粘膜を採取し、培養した口腔粘膜を同じラットの背中に移植する『自家移植』の実験系の立案を試みた」(同)
 やれやれ、小保方さんたら、とっても向こうっ気の強い方ですね。

 この文章に続いて次のセンテンスではすぐ、ラットの手術が始まります。
「ラットに麻酔をかけ、顎が外れないように優しく、しかしできるだけ大きく口を開ける。舌やその他の部分に傷をつけないように小さなピンセットでラットの口元を支えながら、先端に直径4ミリの円形の鋭利な金属が付いた細長い筒状の道具をラットの口腔内に挿入し、ラットのほほの内側に金属の先端を優しく押し付けて直径4ミリの円形の切り込みを作り、できるだけ傷が浅く済むように、厚さ3ミリほどで小さなはさみで剥離し、必要最小限の口腔粘膜組織を採取する。血の塊でのどが詰まらないように綿棒で圧迫して止血を施し、術後から負担なく食事ができるように口腔内の傷口を丁寧に縫合した。」(pp.20-21)
 「優しく」という言葉がこの中で2回、「丁寧に」という言葉が1回、使われています。小保方さんって、とっても優しい丁寧な人なんですねっっ。。
 (というかむしろ、「こんな難しい手術を練習もせず、優しく丁寧にやればできるって思ってんじゃねー!!」ってつっこむのが正しいのかもしれない)

 この後には、手術後の麻酔の覚めてないラットを手のひらで包み込んで温め、「どうか生きてください」と祈りながら、麻酔から覚めるのを待った、という印象的な光景があります。まあなんて優しいんでしょう。実験動物にこんな愛をもって接するなんて。

 おい。わたしはここでツッコミをいれます。
 先生も無理だからほかのやり方で、と言ってる実験系を主張してやりはじめた割には、えらいすんなり手術しちゃってるじゃないかい。
 上の文章をよ〜〜く見ましょう。
「私はどうしても、口腔粘膜を用いるからこそ、…原理を崩したくなかった。自家移植にこだわりたい。」
の文のあと、いきなり
「無知であるがゆえに、沸き起こるチャレンジ精神が背中を押した」
って言ってますが。
 ここは、「沸き起こるチャレンジ精神」なんて精神論を言ってる場合じゃないのです。
「具体的にどうやって、難しい手術を成功させてラットを死なせず自家移植まで持っていくか」
というテクニカルな説明を、先生を納得させるような形でするところです。もちろん読者のわたしたちにも。
 で次のパラグラフではいきなり手術成功しちゃってる。やれやれ、神の手小保方さん。

 この手術、「ラットの口の中の粘膜から組織をとる」の部分の最大のカギは、「縫合」にあります。1cmしか開かないラットの口の中をいかに縫合するか。それも後の食餌で不都合のないようにきれいな縫合で。
 今は「縫合トレーニングセット」という、手術初心者のための有難いキットもある由ですが。それでも、相当難易度の高い手技だと思います。
 実はこれ、わたしが初めて言ったんじゃなく、ある生物系というAmazonレビュアーさんから、
「小保方さんこの実験自分でやってないでしょう!本当にやったのならこの部分もっと詳しく説明してみて」
という疑義が上がっていました。
 わたしのような素人からみると、上記の手術の描写も十分詳しくみえるのだが、経験者には全然そうではないみたいです。相当の難手術のようです、これ。特にやはり縫合の部分は。
 縫合を手早く正確にやらないと、この手術はラットを出血多量で死なせてしまい、自家移植をすることはできなくなります。
 しかし。早稲田の応用化学から東京女子医大の修士に来て1年目の小保方さん。テクニカルスタッフから細胞の培養の仕方を習ったとはありますが(p.15)、ラットの手術の仕方を習ったとはどこにも書いてありません。
 じゃあ誰がやったの?

 ここは、まったく想像ですが、この研究室の先輩とかで「実験マイスター」「手術マイスター」というような方がいらして、その部分はやってくださったんじゃないですかねえ。
 一応あとでラットの背中の皮膚下に細胞シートを移植してますから、自家移植はしてたんだと思います。なので同じラットの頬の内側の組織をだれかが採取したんだと思います。
でも早稲田からきたばかりの小保方さんにはどう見ても無理ですね。そういう離れ業をやったのなら、それについて猛特訓したという文章が、ここにあってしかるべきだと思います。
 案外、「はるちゃん、これ持ってて」と手術後のラットを渡され手の中で温めていた、そこだけは自分でやったかもしれません。

 この実験は、要は4つの段階から成ります。
(1) ラットの頬の内側の組織を採取する(手術)
(2) 採取した組織を細胞シート上で培養する
(3) 培養した細胞シートを同じラットの背中の皮膚下に移植する(手術)
(4) 移植後の組織の変化を観察する

 で(1)と(3)の手術シーンは、先ほどもあったように、一応の手順を書いてはありますが、論文に記述した通りなのか、妙に機械的でそそくさとした文章です。ほんとはすごく難易度の高い、実験者にとってはドラマチックなはずの場面がね。
 ところが、(2)の細胞培養のパートは豪華絢爛たる文章で、視覚優位・絵画的あるいは動画的な小保方さんの文体の面目躍如です。
 どんなかというと―。

「若齢のラットの口腔粘膜上皮細胞の増殖力は強く、1週間ほどで、たった直径4ミリの組織から採取した細胞を直径35ミリの細胞皿を埋め尽くすまでに増殖させることができた。フィーダー細胞上に播かれた口腔粘膜上皮細胞は最初コロニーと呼ばれる円形の細胞集団をつくり出す。培地の海の中に小さな島々が点在しているように見えるコロニーの周りには、フィーダー細胞が、海のさざ波のように散在して観察される。日が経つにつれて、この島状のコロニーはだんだんと大きくなり、島の間のさざ波はだんだんと数が減っていく。こうしてコロニーが大きくなっていくと、いつの間にか、離れ小島だったコロニー同士がくっつき、一枚の細胞シートとなる。隙間なくコロニーが接着したら、いよいよ細胞シートの回収時期だ。うまくいくと1週間ほどで温度応答性培養皿上に、ヨーロッパの道の石畳のような、敷石状に敷き詰められた美しい口腔粘膜上皮細胞シートが観察される。」(p.22)
「実験は純粋に楽しかった。毎日、温度応答性培養皿上で巻き起こる陣取り合戦のような世界。増殖していく細胞が描き出すモザイク画のような芸術。細胞が変化していく様子を観察するたび、生と死との生命の神秘を感じ、さまざまなことを考えた。」(p.25)

 いかがでしょうか。「口腔粘膜上皮細胞シート」「フィーダー細胞」なんていう専門用語のところを我慢すれば、「ヨーロッパの道の石畳のような」細胞シートなんて、詩的な表現でしょ?
 しかし細胞シートというのが某社の商品であることを考えると、この文章はなんかそれのプロモーションビデオのナレーションみたいにきこえなくもないのだが。小保方さあんセルシード社から広告料とってます?
 

 でこの研究がなんと、2007年4月シカゴで開催されたバイオマテリアル学会の年次大会で口頭発表の栄誉に浴しました。と本書にはあります。

 ふーんふーん。
 実は、小保方さんはこのほかに・2007年3月14日第六回日本再生医療学会総会と2008年3月14日第七回日本再生医療学会総会で、2回にわたって同じ演題で発表しています。(日本再生医療学会事務局に確認ずみ)なので、この実験に関する延々7ページにわたる記述は、この修士時代の2回に渡る日本語での発表原稿にもとづいているのだろうと推測されます。まあ、コピペなのかもしれません。
 大和教授が特許を持っている、当時最新式の細胞培養皿を使った細胞シートの研究を担い、大舞台で発表を繰り返していた、看板娘の小保方さんでした。
 同期や先輩の方々、嫉妬しなかったのかなあ。まあどうみても可愛がられっこですよね。しかし、提案者は小保方さんだったかもしれないけれど、内容的にはどうみても自分ではない。こういう抜擢の仕方ってどうよ、と大人なので勘ぐってしまいますね。

 あと、バイオマテリアル学会でデビューした、というのは、やっぱりウソ。本当は上記のように、1か月早い日本での日本再生医療学会総会で発表したんです。これでも相当名誉なことだったと思うんですけど、小保方さんにとっては今いちだった。シカゴでデビューしたことにしたかったんですね。

(注:好意的に解釈すれば、小保方さんのつもりでは「オーラル(口頭発表)のデビューがシカゴだった」ということなのかもしれません。日本再生医療学会総会では、ポスターセッションでの発表でした。ただ、ふつうはそうと断りますね、つまり「口頭での初めての発表は」という言い方をしますね)

 そして実験のお話がこの本で延々7ページも続いたのは、やはり、自分を凄腕の研究者、実験者だと印象づけたい、からだろうと思います。これ以降のページでは、こんなに1つの実験を長々と書いたものはありません。STAP細胞と直接関係ないのにね。

 このエピソードも、小保方さんがその後ハーバード大学のバカンティ研究室に自分を売り込むことに役立ったことでしょう。バカンティ教授は「そんな優秀な学生なのか!」と目を輝かせたことでしょう。
 しかし、こんなすごい実験ができるのに、バカンティ研に移ってからの小保方さんは、この系統の実験を長くは続けませんでした。最初ヒツジの鼻の粘膜を自家移植する実験をやっていましたが、すぐSTAP細胞の、あまり高度な実験スキルを必要としない研究テーマに替わっています。神通力は、落ちてしまったのでした。


****************************************

 ふうふう。まとめです。

 前回の記事とあわせると、小保方さんを「すごくお友達思いの、優しい人」と印象づけた「病気のお友達エピソード」、しかしそこで本人さんは実は何もお友達を助けたりしてなかった。
 それに続き今回の記事では、小保方さんを「すごい実験の天才」と印象づけた、「すごい難しい実験のエピソード」は、実はほかの人が難しい部分をやってくれたか、あるいはそもそも実験自体が存在しなかった疑いすらある。
 そういうお話でした。
 (ついでに記念すべき初めての学会発表の日時場所の間違いもみつかりました。より華々しい方向に「盛って」いました)

 どうでしょう。『あの日』という本の印象、ここまででどうなりましたか?

 えーとここまででわたしもだいぶ疲れてしまったので、次回は、わたしの得意分野である、小保方晴子さんという人のプロファイリングのお話をしたいと思います。

 これまでの記事:

●社会人のための「小保方手記」解読講座(1)―印象的な”ツカミ”のエピソードはこう読め!Vol.1
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935543.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(2)―印象的な”ツカミ”のエピソードはこう読め!Vol.2
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935599.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(3)―1位マネジャー製造講師・正田が読む・晴子さんのプロファイリングはVol.1
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935610.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(4)―正田が読む・晴子さんのプロファイリングVol.2 小保方さんの生育環境は
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935705.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(5)―プロファイリングVol.3 多彩な感情表現は人を被害者的にする!心理学セミナー、カウンセリングの副作用のお話
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935878.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(6)―「私の会社でも」読者からのお便り
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936058.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(7)―“惑わされる”理系男子:女性必見!もしもあなたの彼が「隠れ小保方ファン」だったら
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936162.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(8)―「キラキラ女子」の栄光と転落、「朝ドラヒロイン」が裁かれる日
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936340.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(9)―「STAP細胞はあります!」は本当か?Amazonレビュアーが読み解くプロジェクトの破綻
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936570.html

●社会人のための『小保方手記』解読講座(10 )―再度「STAP細胞はありません」―「ウソ」と真実・ネット世界と現実世界のギャップ、社会人の分断リスク
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936986.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(11)― 騙されないためのケーススタディー:小保方晴子さんが使った「ヒューリスティック(自動思考・錯覚)」の罠
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937126.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(12)情けないぞおじさんたち!!「ええかっこしい上司」「放置プレイ上司」そして「欲得・不正系上司」(前編)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937436.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(13)情けないぞおじさんたち!!「ええかっこしい上司」「放置プレイ上司」そして「欲得・不正系上司」(後編)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937542.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(14)(最終) まとめ:あなたの会社から「モンスター」を出さないために―女性活躍、発達凸凹対応、そして改めて「行動承認」
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937655.html



●エイプリルフール特別企画・シリーズ番外編:社会人のための「小保方情報」解読講座
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937719.html

あの日

 『あの日』(小保方晴子、講談社、2016年1月)を読みました。かの有名な、STAP細胞論文騒動の主役の手記。
 読まないって言ってたのにね。裏切者〜!って石投げられそうです。

 本日2月23日現在、Amazon総合ランキング16位、「科学史・科学者」「日本のエッセー・随筆/近現代作品」「科学・テクノロジー」の各カテゴリで1位。本屋さんにはずらり平積みで並んでいます。

 沢山の識者、専門家、コメンテーターの方々がこの本に言及しています。またAmazonのレビュー数は早くも500を突破しました。
 数字を論じるのが好きなかたのために内訳を言うと、560レビュー中★5つ321、同4つ52、3つ47、2つ12、そして★1つが128です。

 賛否両論あるなかで、まあせっかくの流行り物ですので、このブログでは、良識的な社会人、とりわけマネジャー層の読者の皆様にターゲットを絞って、「この本の正しい読み方」を解説していきたいと思います。


 この本を賞賛する人々は多くは前半を賞賛します。
 前半部分は、著者・小保方晴子氏の子供時代に始まり、高校、大学(早稲田)、修士課程(東京女子医大)そして米ハーバード大学のバカンティ研、ととんとん拍子に階段を上っていきます。
色彩感覚豊かで、画面に動きがあり、映画をみせられているような気分になります。著者の高揚感がダイレクトに伝わります。

 人材育成屋のわたしは、「この著者はどんな価値観・動機づけをもって生きている人か?」ということに関心が向くほうです。
 この本の前半部分、ハーバードに行って滞在中の前半までのくだり。ここの文章はなぜこんなにも輝きを放つのでしょうか。
 わたしはそれは、著者の価値観がもっとも顕著に出ているからなのだと思います。

 著者の価値観とは、何か。
 読み取れるのは:上昇、希望、鮮やかな色彩(とりわけ「金色」が度々出てきます)、世界の最高峰への移動、憧れ、挑戦、華々しい、美しいものへの賛美、頭の良さへの賛美。
 上位者からのまなざし。「褒められる」こともたびたび出てきます。
 「優しい」という言葉も度々出てきます。
 「細胞のふるまいの自由さ」(p.50)という印象的な言葉もあるので、「自由」ということ、また細胞の時時刻刻の変化を見守ることも価値観なのかもしれません。
(ほかにもありますか?是非、読者の皆様、ブログコメントでもFBメッセージでも、「私はこういうのも価値観だと思う」というのがありましたら、ご教示ください)

 これらが同時に連動して現れるのがこの本の前半部分です。こうした価値観を多少なりとももつであろう大部分の読者はその世界に引き込まれるでしょう。前半だけでも楽しい気持ちにさせてくれるので、この本は読む価値があると言えるかもしれません。
(この著者に印税を渡したくないという方は古本か立ち読みで十分です)

 その前半部分には、印象的な2つのエピソードが載っています。希望に満ちたこの本の前半を象徴するような、とても魅力的で美しいエピソードです。
 そのひとつは、子ども時代の病気のお友達の話。「第一章 研究者への夢」の冒頭部分に出てきます。
 この記事では、少し長くなりますが、あとで読み解くための材料として、このエピソードを丸々引用させていただきましょう:

****************************************

 私を再生医療研究の道に導いたのは、幼い頃の大切な友人との出会いだった。彼女が描いた絵や、作った工作作品は、たくさんの生徒の作品が並ぶ中にあっても、格段に目を引き、一目で彼女の作品だとわかるほど、抜群の才能を感じさせた。彼女の描いた明るい色使いのひまわり畑の絵や、細かな細工が施されたかわいらしい動物形の木工作品は、彼女の笑顔とともに、今でもはっきりと思い出すことができる。
 彼女に変化が現れだしたのは、小学校4年生の頃だったと思う。病名は小児リウマチだった。それから、彼女とは中学校3年生までずっと同じクラスで、担任の先生からも、「困ったことがあったら助けてあげてほしい」と言われていたが、彼女は病気の辛さを一切表に出さず、私はこれまでと同じように一緒に時を過ごしていた。
 中学校を卒業する頃には、誰よりも繊細で器用だった彼女の手が、だんだんと曲がっていく様子にも気がつきはじめた。痛みはあるのだろうか、どんな気持ちでいるのだろうか、と思うと、どう接したらいいのかもわからなかった。そんな私の心情を察してくれたのも、彼女だった。ある冬の日の放課後、「一緒に帰ろう」と私の座る席の隣に笑顔で立っていた。二人でゆっくり歩く、いつもの帰り道、「はるちゃんは頭がいいから、将来なんにでもなれるよ」と励ますように言った。助けてもらっていたのは、いつも心の弱い私のほうだった。何もしてあげることができなかったという無力感と、友人に訪れた運命の理不尽さに対する怒りや悲しみは、「この理不尽さに立ち向かう力がほしい、自分にできることを探したい」との思いに変わり、この思いはいつしか私の人生の道しるべとなっていった。(pp.6-7)

***************************************

 しばらく余韻にひたってみてください。いかがでしょうか。
 この本に魅入られた方は、ほとんどが「このエピソードに感動した」と言われます。そして、「こんなにお友達思いの小保方さんが悪いことをするわけがない」と言われます。
 このブログをお読みになっているあなたのご感想は、いかがでしょう。

 もし「感動した」という方ですと、非常にお気の毒なことをしてしまうかもしれないのですが、ここではこのエピソードを現役の企業のマネジャー、あるいは「かしこい採用担当者」の視点で、少々辛口に読み解いてみたいと思います。

 ここでは、印象的な表現が出てきます。
 幼い頃の友達。「彼女の描いた明るい色使いのひまわり畑の絵や、細かな細工が施されたかわいらしい動物形の木工作品は、彼女の笑顔とともに、今でもはっきりと思い出すことができる。」
 すごいですねー。この著者は基本、「視覚優位」なのだと思います。子供の頃の自分の作品ではなく、お友達の作品のことをこんなに細かにおぼえている。お恥ずかしいことにわたしはおぼえてません。全然。
 そして、「明るい色のひまわり畑の絵」この表現。ここでは、「何色」と色を特定していません。でもひまわりだから、誰もが「黄色」を思い浮かべるだろう。むしろ、「黄色」と言葉で特定しないぶん、読者の脳裏にはひときわ鮮やかな黄色が思い浮かべられるのではないか。すばらしい、文字表現の粋です。
次の「細かな細工が施されたかわいらしい動物形の木工作品」これも同じですね。動物なにかなー、クマさんかなーウサギさんかなーネズミさんかなー。明言しないことによって、読者に想像の余地を与えてくれます。むしろ自分の好きな動物のイメージをかぶせながら、いきいきと思い描くことができます。

 いや、「作文教室」の指導のノリになってしまいました。

 本題に戻ります。
 このあと、お友達は小児リウマチに侵されます。中学を卒業するころにはどんどん手が曲がっていったとある。そして先生からは、「困ったことがあったら助けてほしい」と言われていました。
 で、われらが小保方晴子さんは、どうしたでしょうか。じゃーん。
 どうも、全然何もしてあげなかったっぽいのです。

 小学校から中学までずっと同じクラス。これもある意味すごいことです。いくら少子化とはいえ、ベッドタウンの千葉県松戸市のことです。1学年1クラスということはない。だから、9年も一緒にいたら「因縁のお友達」というところだと思いますが、小保方さんは、
「私はこれまでと同じように一緒に時を過ごしていた」
「痛みはあるのだろうか、どんな気持ちでいるのだろうか、と思うと、どう接したらいいのかもわからなかった。」
というのみで、何かしてあげた形跡はありません。

 唯一、このお友達からある日「一緒に帰ろう」と言ってくれて、一緒に帰った。
「二人でゆっくり歩く、いつもの帰り道」
 これは、この二人がいつも一緒に帰っていた帰り道なんだろうか。いや、そうとは限りません。「二人でいつも一緒にゆっくり歩く帰り道」とは言ってませんもの。
 どうも、この二人はそれまでは別行動していて、この日だけお友達のほうから誘ってくれて、一緒に帰った。そういうふうにとれますね。
 でこのあと、
「何もしてあげれなかったという無力感」
とも言ってますし、たぶん本当に何もしてあげなかったんでしょう。

 なんでこういう意地のわるい読み方をするのか?
 なぜかというと、おそらくこのエピソードは、小保方さんのその後の各ステップごとに関門をくぐりぬけてきた、プレゼンの「定番エピソード」だからなのです。早大のAO入試、東京女子医科大学の修士、ひょっとしたらハーバード大バカンティ研の門戸を叩いたときも理研の門戸を叩いたときも?ずっと使ってきた、そして教授たちのハートをつかんだ「きめ」のエピソードだからです。
 このエピソード全体が言っているのは、子どもの頃仲の良かったお友達が、美しい繊細なものを作れる器用な手をもっていたのに小児リウマチに侵されその能力を奪われてしまった。自分は何もできなかった無力感。それがあるから医療分野の研究をして人類に貢献したいんだ、ということです。
 そのお友達を襲った運命の残酷さが、きく者の心を捉えます。とりわけお友達の小さい頃の作品をみる楽しさと「手が曲がっていく」ことの対比が。

 しかし。
 しつこいようですが、小保方さんはそこで何もしてないのです。
 これは、企業の採用の時に気をつけたい重要ポイント。
「あなたはそこで何をしましたか?」
と、「行動」に関わる質問をしましょう。
(詳しくは伊賀泰代『採用基準』など参照。もちろん拙著『行動承認』も)

 なぜ、「行動」を尋ねてほしいかというと、もし医療分野に従事するために重要な資質、
「病気や怪我、障害に興味がある」
「人の困りごとをみると助けずにはいられない」
(ストレングスファインダーでいうと「回復志向」ですネ)
があれば、そこで必ず何かするからです。小児リウマチというのがどんな性質をもった病気か調べたり、お友達に親身になってあれこれ世話をやいて、病気になるとはどんな気持ちなのか、どんな助けが必要か直接尋ねる、というようなことをします。
 そういう価値観のある人であれば、ほっといてもそういう行動をとり、それが喜びなのです。
 あるいは、「責任感」の高い人であると、先生から「助けてあげてね」と言われていれば、必ず人一倍お友達のお世話を焼くはずです。

・・・ちなみに、わたしは回復志向はないですが責任感だけはあるほうなので、子供時代いいことも悪いこともやりましたけれど、ある異様に無口なお友達にやたらちょっかいをかけ、ギャグツッコミをして笑わせて学年の最後のほうにはかなりしゃべるようになってくれていた、という思い出はあります。それも、「面倒をみてあげてね」と先生に言われていたからです。
 医療などはとくにしんどいことの多い仕事なので、そういう価値観とか強みをもった人でないと続けるのが難しいでしょう。ほっといても自然にそっちの方へ身体が動くという人であれば、少々のしんどいことも耐えてやり通すことができるでしょう。
 なので、適性があるかどうかをみるには、必ず「あなたはそこで何をしましたか」行動をきく質問をしてください。小保方さんはこの点、残念ながら落第っぽいです。

 ではなんで、このエピソードで「私はお友達のお世話をした」ということを、ウソでいいから入れなかったか。
 想像ですがひょっとしたら、「では具体的にどういうふうにお世話をしたか?」とつっこまれると、しどろもどろになってしまうから、でしょうかねえ・・・

 小保方さんにとって有難いことに、彼女の進学先は医療の臨床のほうではなかったのです。早稲田の応用化学、東京女子医大の組織工学。ほんとの医療ではないので、教授たちもそこまでつっこまなかったようです。単に、お友達を襲った残酷な運命、そして傍観者だった小保方さんが中学時代に一度だけこのお友達と一緒に帰った、それだけの物語で「すばらしい!」と感動してくれたっぽいのです。
 ・・・こういう採用をしちゃダメだ、という見本ですね・・・

 また、よく考えるとこのエピソードは、この本、『あの日』の構成全体の雛形ともいえるエピソードです。
 すなわち、希望と色彩感にみちた前半部分と、運命に巻き込まれ残酷な結末を迎える後半部分。
 こういうお話の構成をすると、読者や聴き手の心をつかめるようだ。
 彼女は人生を決める大事なプレゼンでこのエピソードで繰り返し成功を収め、学習してきたのではないでしょうか。そのノウハウを『あの日』で踏襲したのではないでしょうか。



蛇足 1.
 小保方さんのプレゼンする動画は、YoutubeにいくつもUPされているのでみることができます。
 たとえばこちら
>>https://www.youtube.com/watch?v=agyNRRITN-I
 残念ながらこの病気のお友達のエピソードを語ってくれてはいませんが、今見れば「青年の主張」のような小保方さんの語り口に、このお友達のエピソードは見事にぴたりとはまっています。

蛇足 2.
 中学時代にお友達から「一緒に帰ろう」と言われて一緒に帰った。
 どうもそれまでは一緒に帰ってなかったっぽい。さて、この日に限って何故、お友達が私の座る席の隣に笑顔で立っていたのだろうか。
 色々、大人なので裏読みをしてしまいます。
 これ言うとファンの方々におこられそうなんだな〜〜
 例えば、こちら。

「小保方氏の同級生が明かした『メルヘン妄想&虚言癖』」(東スポWEB 2014年3月19日)
>>http://www.tokyo-sports.co.jp/nonsec/social/246439/
 ネイチャーのSTAP細胞論文の不正疑惑がどんどん明るみに出、共著者の若山照彦教授が論文撤回を呼び掛けたころに出た記事です。
 (報道けしからん!マスコミけしからん!という声もあるのですけどね、こういう理研とかの関係者以外の、現在の利害関係のない人から出た証言には一定の信憑性があります)

 上の記事は高校時代のお友達の談として、「小保方さんは虚言癖があり不思議ちゃんとして有名だった」「妄想、虚言の癖があるとみんなわかったから、仲の良かった女子の友達も離れていった」という意味のことを述べています。

 これはあくまで高校時代のお話ですが、ひょっとしたら中学までも同じようなことがあったかもしれない。何かのウソがばれて信用を失い、ほかのお友達がみんな離れていった、というような場面が。
 そういう場面に、病気のお友達が現れて「一緒に帰ろう」と言ってくれた、とすれば、このシーンは全然別の意味を持ってくるのです。
「はるちゃんは頭がいいから、将来なんにでもなれるよ」
 このお友達の言葉もそう考えると意味深なのです。


・・・


 えーと以前から毀誉褒貶の激しいかたなので、このブログでもこうした辛口レビューをすると、「小保方さんへのバッシングけしからん!」とファンの方からお叱りを受けるかと思います。
 でこの本自体にも強烈な「報道批判」が盛り込まれているので、あえて、当時の報道とりわけ理研・若山氏サイドから出たとみられる情報は避け、同じ理由で『捏造の科学者』も読むのを避け、(本当はおさぼりしてるだけなのかもしれませんが)
 できるだけこの本、『あの日』と、プラス小保方さん自身が発信した、記者会見での発言、文章、などを材料に、現役社会人の読者向けに「小保方さんの人格とどう付き合うべきか」を読み解いていきたいと思います。

 あるいは、「『あの日』を100倍楽しむ法」とかですね、
 とにかく、高学歴の男性を次々破滅させた今世紀最大の悪女なわけですので、こういう女性と同時代を生きていることをとことん楽しみながら、大人として身につけるべき知識知恵を身につけたいと思うのであります。
(でも羊頭狗肉に終わるかもしれないですけど。そうなったらゴメンナサイ)

 すみません、実はまだ全体の構成を考えてないので、今から順次記事をUPしてから各記事にインデックスを追加していきたいと思います。


これまでの記事は:

●社会人のための「小保方手記」解読講座(1)―印象的な”ツカミ”のエピソードはこう読め!Vol.1
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935543.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(2)―印象的な”ツカミ”のエピソードはこう読め!Vol.2
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935599.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(3)―1位マネジャー製造講師・正田が読む・晴子さんのプロファイリングはVol.1
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935610.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(4)―正田が読む・晴子さんのプロファイリングVol.2 小保方さんの生育環境は
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935705.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(5)―プロファイリングVol.3 多彩な感情表現は人を被害者的にする!心理学セミナー、カウンセリングの副作用のお話
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935878.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(6)―「私の会社でも」読者からのお便り
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936058.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(7)―“惑わされる”理系男子:女性必見!もしもあなたの彼が「隠れ小保方ファン」だったら
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936162.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(8)―「キラキラ女子」の栄光と転落、「朝ドラヒロイン」が裁かれる日
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936340.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(9)―「STAP細胞はあります!」は本当か?Amazonレビュアーが読み解くプロジェクトの破綻
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936570.html

●社会人のための『小保方手記』解読講座(10 )―再度「STAP細胞はありません」―「ウソ」と真実・ネット世界と現実世界のギャップ、社会人の分断リスク
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936986.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(11)― 騙されないためのケーススタディー:小保方晴子さんが使った「ヒューリスティック(自動思考・錯覚)」の罠
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937126.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(12)情けないぞおじさんたち!!「ええかっこしい上司」「放置プレイ上司」そして「欲得・不正系上司」(前編)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937436.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(13)情けないぞおじさんたち!!「ええかっこしい上司」「放置プレイ上司」そして「欲得・不正系上司」(後編)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937542.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(14)(最終) まとめ:あなたの会社から「モンスター」を出さないために―女性活躍、発達凸凹対応、そして改めて「行動承認」
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937655.html



●エイプリルフール特別企画・シリーズ番外編:社会人のための「小保方情報」解読講座
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937719.html

 引き続き、『承認と包摂へ―労働と生活の保障』(大沢真理編、岩波書店ジェンダー社会科学の可能性第2巻、2011年8月、以下「本書」)の読書日記です。貧困、社会的排除、雇用の非正規化―といった、今世紀に入って急速に進んだ経済格差の事態を理解し、それへの処方箋を考えるのにお役立てください。

 今回はワード22pになってしまいました。長文、ご容赦ください。



「後編」では、本書の後半4章、すなわち
II 課題と可能性:再編成と共生
第5章 貧困と社会的排除―ジェンダーの視点からみた実態(阿部彩)
第6章 雇用の非正規化と労働市場規制(遠藤公嗣)
第7章 社会的経済が示す未来―イタリアの協同組合の事例から(田中夏子)
第8章 レジーム転換の福祉政治―包摂と承認の政治学(宮本太郎)
をとりあげます。

 このうちとくに第5章は、・独身非正規女性・求職中の人 の蒙っている不利益、また第6章は、非正規雇用の歴史と、今の労働政策で議論されていることを理解するのに大いに役立つと思います。
 


第5章 貧困と社会的排除―ジェンダーの視点からみた実態(阿部彩)

 貧困という社会的不利が女性に偏って顕著であることは、先進諸国においても途上国においても同様である。日本については、他の先進諸国のような「貧困の女性化(feminization of poverty)」が起こっていないという指摘もあったが、これは主に、この指摘の分析が母子世帯の貧困世帯に占める割合を中心に行われていたことによる。しかし、その後の文献において、例えば、高齢者をも分析に含めると、「貧困の女性化」の現象は日本においても顕著であることが指摘され、日本では貧困の女性化が起こっていないという説は否定されている。女性の貧困リスクを示す統計データも次々と発表され、中でも、女性を世帯主とする世帯の貧困率が際立って高いことが指摘されている。例えば、高齢女性の単身世帯の相対的貧困率は50%を超えており、母子世帯の貧困率も60%近い。(p.113)

働く女性の貧困は、「派遣村」よりずっと以前から起こっていた問題であるにもかかわらず、ワーキング・プア問題は勤労世代の男性にも広がるようになって初めて、社会問題として認知されるようになったのである。社会的排除/包摂の観点からも、女性の問題は「みえにくい」。(p.114)

 
 世帯所得をベースとする所得指標は、世帯内のすべての構成員が同じ等価所得をもっており、そしてその所得から得られる生活水準が同じであると仮定する。しかしながら、これは特に女性にとっては大きなバイアスである。…世帯内の世帯員が同じ生活水準と等価所得を得ているという仮説のもとに算出される貧困率は、女性の場合、過小に計算されていると考えることができる。(p.116)

 図1は、年齢層別、性別に貧困率(低所得率)を示したものである(厚生労働省「平成19年国民生活基礎調査」から推計)。すると、貧困率(低所得率)は、20歳代後半から40歳代にかけてはほとんど男女差がないものの、年齢の上昇とともに拡大し、70歳代・80歳代では6-7ポイントもの違いが生じる。ちなみに20歳代前半のみ、男性の貧困率の方が女性のそれよりも高くなっているが、これは1990年代後半から男性の20歳代前半の貧困率が急増していることに起因している。(p.117)

 図2は、1995年から2007年にかけての男女別貧困率の推移である。図1でみたように、日本においては高齢になるほど貧困率が高くなる傾向にあるので、人口の高齢化の影響を除くため、年齢は20-64歳の勤労世代と、65歳以上の高齢者に分けて示してある。これをみると、1990年代後半から2000年代後半にかけて、高齢者においては女性は横ばい、男性は若干の下降、勤労世代は男女ともに上昇していることがわかる。勤労世代の男女差は、ほぼ均等に2ポイントであり、この間、男女格差は拡大していないものの、縮小傾向もみられない。高齢者においては、そもそも男女格差5ポイントと大きいが、2004年、2007年においてそれが6ポイント以上となっている。しかし高齢者においては、人口のさらなる高齢化が男女の格差拡大に影響している可能性もある。(同)

 次に、配偶関係別・男女別の貧困率をみると(図3、厚生労働省「国民生活基礎調査」各年より計算)、勤労世代においては、男女ともに有配偶が最も貧困率が低く、また1995年と2007年の差がほとんどない。男女差がないのは、先に述べたように同一の世帯内では男性も女性も同じ生活水準のレベルであると仮定しているからである。次に貧困率が低いのが未婚の男女であり、ここでも男女差は大きくない。2007年においては、未婚男性の貧困率が上昇し、未婚女性のそれより高くなっていることが特徴的である。男女差が大きいのは、死別、離別である。死別では、特に女性の貧困率が高いが、2007年には若干下降し、男性の貧困率が若干上昇したことにより、男女格差が縮小している。離別では、男女ともに貧困率が最も高く、男女格差も大きい。離別女性の貧困率は40%近くとなっており、1995年から2007年にかけて離別女性の人数も増えていると考えられるが、この間、貧困率は変化していない。離別男性の貧困率も、男性の中では特に高く、しかも1995年から2007年にかけて約5ポイント増加しており、25%となっている。その結果、男女格差は縮小している。(pp.118-119)

 次に、家族タイプ別の貧困率をみたものが図4である。女性の貧困率が突出して高いのは、高齢単身世帯の女性、母子世帯(勤労世代、子ども)であることがわかる。この2つの世帯タイプの女性は貧困率が50%を超えており、約2人に1人が貧困である。母子世帯の貧困率の高さは比較的よく知られているものの、高齢単身女性も同様に困窮していることを特記したい。また、単身の勤労世代の女性の貧困率も30%を超えており、見逃せない。単身の男性の貧困率も高いが、単身世帯は、高齢者、勤労世代ともに男女格差が大きい。(p.119)

 最後に、主な活動別に貧困率を計算したものが図5である。まず勤労世代の女性について述べると、「主に仕事」「主に家事で仕事あり」「家事専業」がほぼ同一で12-13%の貧困率となる。すなわち、仕事をしていることは、必ずしも、女性の貧困リスクを低めることとはならない。しかし、この数値は20-64歳のすべての女性の平均であるので、年齢層によっては仕事をしている女性と専業主婦との間に差が出てくる可能性はある。通学を主な活動としている者(学生)は、男女ともに貧困率が高くなっている。男性の家事専業は最も貧困率が高く、女性の家事専業と大きな差があるが、これは、男性が家事専業である場合、収入源は配偶者(女性)の勤労のみとなり、貧困線を上回る所得を得られない割合が高いことを表していよう。ただし、このようなケースは非常に少ない。この逆のパターン(女性が家事専業)は、男性が稼ぎ主なので、貧困率場比較的低い。(pp.119-120)

 高齢者をみると、どの活動においても女性の貧困率の方が男性のそれよりも高い。特に仕事をもっている高齢女性の貧困率が男性よりも高いことは特記するべきである。近年、ワーキング・プアの問題がクローズアップされているが、1日の主な活動が仕事であるとした層においても、貧困、すなわちワーキング・プアである率は女性の方が、男性よりも高い。また、高齢者のワーキング・プアは男女ともに多いが、特に主に仕事をしているとする高齢女性のワーキング・プア率が高い。ワーキング・プア問題は、女性にとってより深刻なのである。(pp.120-121)

 次に、日本の貧困率の男女格差を他の先進諸国のそれと比較してみよう。
 …ゴーニックとジャンティの分類によると、アングロサクソン諸国(オーストラリア、カナダ、アイルランド、イギリス、アメリカ)は概ね貧困率の男女格差が大きく、平均で女性の貧困率が男性の貧困率より2.4ポイント高い。大陸西欧諸国(オーストリア、ベルギー、フランス、ドイツ、ルクセンブルグ、オランダ)では、男女格差は1ポイントから2ポイント程度であり、平均では1.6ポイントの差がある。驚くのは、北欧諸国(デンマーク、フィンランド、ノルウェー、スウェーデン)と東欧諸国(ハンガリー、スロヴェニア)である。これらの国々では、男性の貧困率の方が女性よりも高く、さらに詳しく見ると、北欧諸国では再分配前の貧困率(税引き前、手当・年金等給付前の所得で計算した貧困率)においては女性の方が男性より高い。それにもかかわらず、再分配後(可処分所得)の貧困率は女性の方が低い。つまり、政府の再分配機能が、貧困率の男女格差を縮小するだけではなく、反転させているのである。東欧諸国は、再分配前にも女性の貧困率が高いので、このような現象はみられない。
女性の貧困リスクが男性のそれより高いというのは、すべての国の常識ではないのである。(p.121)

 男女格差は、南欧諸国(ギリシャ、イタリア、スペイン)では大陸西欧諸国より若干少なく、ラテン・アメリカ諸国(ブラジル、コロンビア、グアテマラ、メキシコ、ペルー、ウルグアイ)では、コロンビアを除くとすべて男女差は1ポイント以下であり、南欧よりもさらに小さい格差となっている。しかし、ラテン・アメリカ諸国はそもそもの貧困率が男女ともに高いため、男女格差の影響はその貧困率の高さに比べると小さい。(pp.121-123)

日本は、1995年から2007年の5時点における貧困率の差をみると、その大きさでは大陸西欧諸国と同じ程度であり、平均では1.68ポイントの差となっている。しかし、そもそもの貧困率の高さは、男女ともに大陸西欧諸国よりも高く、アングロサクソン諸国並みである。すなわち、貧困リスクの高さから言えば、日本の女性のリスクの高さはアングロサクソン諸国並みであるが、男女格差の観点からすればその差は大陸西欧諸国並みに抑えられている。これは、勤労世代に限って言えば、日本においては、社会における女性の貧困のリスクがアングロサクソン諸国と同等に高いものの、これらの国々よりも離婚率が低いことなどから、所得データからみる貧困率の男女差は比較的に低く抑えられているということであろう。(p.123)

 ピアースが指摘した「貧困の女性化」の概念は、貧困者(または貧困世帯)のうち、どれほどが女性であるかというものである。どのような属性をもつ人々の貧困率が高いのかという視点ではなく、貧困者がどのような属性をもつのかという視点は、貧困に対する政策を講じる際に重要である。(p.123)

貧困者に占める女性の割合は、1995年から2007年にかけて55.8%から57.0%へと増加している。すなわち「貧困の女性化」が、若干ではあるが確認されたこととなる。しかし、増加の傾向を年齢別にみると、その傾向は均一ではない。貧困者に占める子どもの割合と勤労世代の割合は、1995年から2007年にかけて、それぞれ5%程度減少している。代わりに、高齢者は約10%増加している。この変化は、少子高齢化による人口構造の変化より大きいため、この間、人口の高齢化の変化に加えて、「貧困の高齢化」が起こっていることが確認できる。
 では「貧困の女性化」はどうであろう。各年齢層の貧困者に占める女性の割合と、各年齢層の人口における女性比率を比較することにより、高齢化によるバイアスを取り除いた上でも、各年齢層において「貧困の女性化」が起こっているかどうかを確認することができる。…少なくとも1995年から2007年にかけて、年齢層を区分して分析すると、「貧困の女性化」が起こっているという結果は得ることができない。全年齢層を通じてみると、「貧困の女性化」は起こっているものの、それは、そもそも女性が人口的にも多く、貧困者に占める割合が大きい高齢者が、人口に占める割合も大きくなってきているからである。換言すると、「貧困の女性化」は「貧困の高齢化」によってもたらされていると言える。…公的扶助をはじめとする貧困対策を考える際には、日本の貧困の「高齢化、女性化」の事実をしっかりと認識する必要がある(pp.124-125)
 
 勤労世帯では今後も貧困の女性化が起こらないのだろうか。気になるデータがある。年齢別の人口に占める離別者の割合(再婚者を除く)をみると、女性が離別者となる割合は男性を大幅に上回る。離婚率の上昇を考慮すると、人口に占める離別者の割合が今後増加することは必至であり、配偶関係別の貧困率の男女格差に牽引されて、勤労世代の貧困率の男女格差が拡大する可能性がある。一方で、生涯未婚率の男女差をみると、男性の生涯未婚率の上昇は著しいものがあり、今後もその傾向は続くとみられている。未婚者の貧困率も有配偶者に比べて高く、特に未婚男性の貧困率が上昇していることを踏まえると、今後、男性の貧困率が上昇することにより、貧困率の男女格差が縮小する方向に働くことも考えられる。(pp.126-127)

 社会的排除の概念。
 貧困と社会的排除の大きな違いは、まず第1に、社会的排除は、社会的交流や社会参加といった「関係性」の欠乏を従来の貧困概念よりも明示的に問題視する点である。人間関係や社会参加の側面は、従来の貧困概念の中でも取り上げられていたが、そこでは関係性の欠如の要因が資源の欠如によると解釈されることが多かった。社会的排除は、関係性の欠如を資源の欠如と独立した貧困の側面として捉えている点が新しい。(p.128)

 貧困が「状態」を表わすものであるのに対し、社会的排除は、排除されていくメカニズムまたはプロセスに着目する。すなわち、どうやってその個人が排除されていくに至ったか、そのように個人を排除する社会の仕組みは何であるのか、など、「排除する側」を問題視するのである。そのため、社会的排除の概念においては、社会保障やその他の社会の制度から個々人が脱落していくことに大きく重きをおく。(同)

 最後に、社会的排除は、貧困と異なって、個人と社会の関係性に着目する。個人が社会のどのような組織に帰属し、メンバーであり、そして、最終的にはその社会のシティズンとして承認されているのか、それが、社会的排除の関心事項なのである。(同)

 社会的排除の最たるケースが労働市場からの排除である。(p.129)

 女性が家庭内、コミュニティ内の無償労働に従事する場合はどうか。
 イギリスでは、社会的排除における「参加」と「排除」を以下のように定義し直している。
 個人は、その個人の生きる社会において重要とされる活動(key activities)に参加していない時に社会的に排除されている。
 そして、「重要とされる活動」として「消費(consumption)」「生産(production)」「政治的活動(politica engagement)」「社会交流(social interaction)」の4つの分野を設定して、それぞれの女性の状況を分析している。労働が含まれるのは「生産」の分野であり、ここでの重要な活動は「社会的に価値が認められている活動(socially valued activity)」として家庭内労働も含むとしている。しかし、のちにヒューストンは、実際に21世紀のイギリスにおいて家庭内労働に対して付加される「価値」は少ないとし、これらを「重要な活動」として認めていない。そして、ヒューストンは、「価値が認められている」労働市場での優勝労働に女性が従事する割合が男性よりも少ないこと、有償労働に従事していても労働の価値の代償として支払われる賃金率が男性よりも低いこと、労働市場における地位が男性よりも低いこと、女性が従事する労働市場の範囲(職種)が男性よりも狭いこと、を理由に、「生産」の分野においての女性の社会的排除が深刻であることを訴える。
日本においても、どのような活動が「社会的に価値が認められている活動」であるのか、その判定は一筋縄にはいかない。(pp.129-130)

―昨年8月の某次世代の党参議院での発言を念頭に、少し長く引用しました。女性活躍推進法案の審議の中で、「家事労働は価値がないとお考えか?」と女性参考人を問い詰め、さらに「ご主人から褒められたいんですか」と嘲りのような言葉を浴びせた江口克彦議員です。はい、名前出しちゃいます。落としてください。
 のうのうと豊かに暮らす専業主婦がいる一方で、家事労働には価値があるなんて幻想にすがっていると男に捨てられるか死別するかしたときに労働市場からも排除され、一気に貧困に落ち込む女性がいるわけです。「家事労働には価値がある」これには女性にとっての落とし穴があるといっていいでしょう。


 女性の社会的排除の分析の対象が個人としてなのかグループとしてなのか。例えば、大多数の男性が「青年会」ないし「町内会」に参加し、大多数の女性は「婦人会」に参加するとしよう。もし町内におけるあらゆる重要事項は男性の出席する会にて決定され、女性がその決定の場にいないとすれば、これは、その社会の女性すべてが、グループとして社会参加から排除されていることにならないだろうか。これは、外国人やその他のマイノリティ(社会的少数グループ)にも当てはまる問題である。(p.130)

―個人的におもしろかった箇所。経済団体にかならず「女性会」のようなものはあるが、どうもガス抜きと「女部屋」として隔離するために使われているような気がしてならない。全体の交流会なんかやっても、女性会メンバーは隅の一角にかたまって他の(大多数の男性)メンバーとはまざらない。


 社会的排除の男女格差。
 筆者が行った「2008年社会生活調査」。2009年2月に実施し、全国の無作為抽出した地区の成人男女1320人を対象とした。回収された有効サンプル数は1021、有効回答率は77%。この調査では、1.経済的困窮のみならず、社会的困窮も把握することを目指した。2.社会におけるさまざまな公的な制度や仕組みから排除されているさまを把握することを目指した。3.公的のみならず、私的な領域からの排除も把握するために、友人や知人とのコミュニケーションの頻度や、家族・親戚などの私的なネットワークへの参加(冠婚葬祭への出席など)もみている。4.個人の社会における活動度も把握するために投票行動やボランティア活動、地域活動(PTA、町内会など)への参加といった社会参加の項目が含められた。
重要なのは、各項目の「欠如」は非自発的なものであることを確認している点である(p.131)

結果。
男女別にみると、女性の方が男性よりも排除率が高い分野は、低所得、ヾ靄椒法璽困侶臟 ↓∧質的剥奪、制度からの排除、ι埆淑な社会参加の5分野。
逆に男性の方が女性より高いのは、ド堙切な住居、Х从囘ストレス、ぜ匆餞愀犬侶臟,裡格野。統計的に優位なのは、低所得と社会参加のみであり、
他の分野の男女差は有意ではない。(同)

女性・男性をさらに詳しい属性で区切ると、排除リスクのパターンは男女で大きく異なることがわかる。
20歳代については、男性、女性ともに、低所得や∧質的剥奪、ソ撒錣覆鼻金銭的分野での排除率が高く、制度からの排除、社会参加、ぜ匆餞愀犬覆匹糧鷆眩的分野においては排除率は高くはない。この年代では、すべての分野において統計的に有意な男女差は認められない。
30歳代になると、男性の低所得のリスクが下がり、男女格差が生じる。この傾向は40歳代、50歳代と続き、60歳代以降は統計的に有意な差はなくなる。その他の分野においても、30歳代の男性はおおまかに排除率が低く、30歳代の女性に比べても社会参加では低い排除率となっている。(同)

40歳代になると、低所得、ヾ靄椒法璽困侶臟,箸い辰振眩的分野では、男性の優位が明らかになってくる。しかし他の分野においては、男女差は認められない。制度からの排除については、40歳代は他の年齢層に比べても男女ともに低く、この年齢期は、社会的排除リスクが男女ともに比較的に低い時期であるといえよう。
 50歳代も40歳代と同様に、男性が女性に比べて低所得のリスクの低さが続く一方で、他の分野においても有意な男女格差は認められない。筆者の以前の調査を使った分析においては、50歳代男性の社会的排除率が高いことが指摘されたが、本調査では同様の傾向は認められない。しかしながら、統計的に有意ではないものの、ぜ匆餞愀犬侶臟,50歳代男性において高い排除率であるのは興味深い。
60歳代では、男性の制度からの排除率が高いことが特記できる。60歳代女性もこの指標は高く男女差では統計的に有意ではないが、60歳代男性とその他の人々の間では統計的に有意な差が認められる。
70歳代以上になると、いくつかの分野において、女性の排除率が高くなっているのが特徴的である。Х从囘ストレスや、社会参加においては、有意な男女差が認められる上に、制度からの排除においても、社会全体に比べて高い排除率となっている。(p.138)

性別と世帯タイプによる違い。
特にリスクが高いグループは単身の高齢者世帯および勤労世代世帯。
単身の高齢者世帯では、制度からの排除率が高くなっており、これは男性高齢者でも女性高齢者でも認められる(男女差は有意ではない)。
しかし、リスクが高いのは単身の勤労世代世帯である。特に、ド堙切な住居については、男女ともに高い率となっているが、男性は女性に比べても統計的に有意に高い。また、ぜ匆餞愀犬侶臟,砲いても勤労世代の男性の単身世帯はリスクが高い傾向にあり、これは同年代の女性の単身世帯にはみられない。逆に勤労世代の女性の単身世帯は、制度からの排除が顕著であり、男性の単身世帯にはみられない傾向を示している。(同)

性別と活動状況による違い。
活動状況別でみると、正規雇用の排除のリスクの低さがまず目につく。この傾向は特に女性の正規雇用者にみられ、非金銭的指標においても、統計的に有意に低い率となっている。非正規雇用は、低所得、ヾ靄椒法璽此↓Х从囘ストレスの排除のリスクが高い。非正規雇用の男性と女性を比べると、特に統計的に有意ではないものの、排除率は男性の方が高いことが多い。特に、Х从囘ストレスや、ぜ匆餞愀犬侶臟,蓮非正規雇用の男性において高いリスクとなっている。
しかし、最もリスクが高いのが「求職活動中・無職(その他)」の層であり、中でも、女性の排除のリスクは、ぜ匆餞愀犬鮟く7つの分野で、その他の人々より高い。男性のこの属性の人々には、この傾向は認められず、長期失業や就業意欲喪失者(discouraged worker)などに代表される労働市場からの脱落は、むしろ女性に大きな負の影響を及ぼすことが確認される。
専業主婦はサンプル数が少ないので分析が難しいものの、概ね社会的排除のリスクは低い。所得でみた貧困率と同様に、専業主婦であること、すなわち夫という保障を得た上での労働市場からの自主的な退場は、社会的排除には繋がらない。(p.139)

性別と配偶状況による違い。
配偶状況別でみると、まず、離別女性の排除のリスクが非常に高く、また多分野に広がっているのが確認できる。8次元のうち、社会参加とぜ匆餞愀犬鮟く6つの次元で排除率が有意に高くなっており、統計的に有意でない2つの次元においても、その率は高く、いかに離別女性が複合的な社会的排除のリスクにさらされているのかがわかる。有配偶の場合は、男性も女性もリスクが低く、特に、女性の方がよりリスクが低いと言えよう。男性の中で最もリスクが高いのは、未婚者である。未婚男性は、離別男性に比べても排除率が高い項目が多く、特に、ぜ匆餞愀犬侶臟,砲弔い討蓮他のカテゴリーよりも突出して離別男性よりリスクが高く、心配されるところである。
なお、学歴による社会的排除への影響は、低所得以外の次元において、男女差が確認される属性はほとんどなく、学歴によって社会的排除率が大きく異なるということも確認されなかった。(pp.139-140)

政策的インプリケーション。
1.「貧困の女性化」をより明示的に意識する必要。現在の貧困に対する政策議論からは「貧困の女性化」という観点が抜け落ちている。貧困対策の対象となるべき人々の6割近くが女性であるということに留意せずに、貧困政策を講じるなら、それは到底有効ではありえない。同時に、「貧困の高齢化」にも注目すべきである。日本の貧困者に占める女性の割合は徐々に増加しているが、その増加は、高齢女性の占める割合が急増していることによる。その変化は少子高齢化による人口構造の変化より大きい。65歳以上の女性が貧困者に占める割合は、1995年の17.3%から2007年の23.9%にまで増加している。すなわち、貧困の問題を解決するには、公的年金をはじめとする高齢者の所得保障をどうするかという政策論議を避けて通るわけにはいかないのである。(p.140)

 第2に、社会的排除のリスクが高い層を指摘すると、まず、男女ともに若年層、さらには、単身の若年層の社会的排除が今後はさらなる社会問題となる可能性があることである。勤労世代の男性の未婚・単身世帯は、社会関係においても社会的排除のリスクが高いことは特記しておきたい。次に、「求職活動中・無職(専業主婦、学生、退職者を除く)」の層の社会的排除が極めて高いこと、さらには、特に女性においてこの傾向が顕著であることに注意を喚起したい。属性別の分析において、このカテゴリーの女性は最も社会的排除のリスクが高く、複合的なリスクを抱えている。(同)


 


第6章 雇用の非正規化と労働市場規制(遠藤公嗣)

 日本的雇用慣行=終身雇用、年功序列、属性基準賃金
 これにより日本では雇用と賃金のあり方が職務のあり方から切断される。経営者は職務を明示しないまま労働者を雇い入れることができ、労働者の職務を容易に一方的に変更できる。(p.143)

 属性基準賃金の1つである職能給は1960年代から1970年代にかけて普及したが、その建前は、労働者が身につけた職務遂行能力を基準に賃金額を決定するということである。(略)職能給の建前は、OJTによる労働者の能力開発に、年功給よりはるかに適合的である。(p.144)

個々の労働者は、「終身雇用」期間全体の恵まれた処遇を考慮して、ときには課せられる長時間の過重な労働などの恵まれない労働条件を許容する。
こうした日本的雇用慣行ないし恵まれた処遇を享受する労働者は誰なのか。それは、事実上、男性の正規労働者である。この男性正規労働者はどこから供給されるのか。それは、男性労働者が稼ぐ賃金によって主に家計が維持される家族、即ち男性稼ぎ主型家族からである。(同)

正規労働者は日本的雇用慣行のもとで恵まれた処遇を享受するが、その享受は、非正規労働者の存在を前提としてはじめて可能であるといってよい。にもかかわらず日本社会では、非正規労働者の処遇が著しく劣ることを、当然の社会慣行とする。非正規労働者と正規労働者は、日本社会にかなり独特の、差別的な雇用身分というべきものである。(pp.144-145)

さて、非正規労働者とは誰であり、どこから供給されるのか。それは第1に、主婦パート労働者であって、第2に、学生アルバイトである。そして両者もまた男性稼ぎ主型家族から供給される。(p.145)

確認すべきは、主婦パート労働者も学生アルバイトも、家計の主な維持者でないことである。そのため、一方では、その賃金水準は低くてかまわないとされる。他方では、離職しても夫ないし父である男性正規労働者の扶養内に完全に復帰することになるので統計上の「失業」に該当せず、失業率を上昇させない。まさに、雇用量を調整する労働者として最適である。(同)

 さて、男性労働者の長期勤続の傾向、あるいは、相対的にであれ雇用を保障される男性労働者の登場、これが重工業でみられるようになったのは1920年代であり、これを日本的雇用慣行の源流と理解するのは、労働史研究の通説である。これにくわえて私が重視したいことは、第二次世界大戦後の1950年代後半に、経営者が男性労働者の雇用を保障すべきことを自覚したことである。(略)その教訓とは、企業の目先の業績回復を目的に男性労働者を解雇しようとすれば争議が起こり、それは企業の閉鎖や倒産という結果をもたらすかもしれず、逆に、男性労働者にできるかぎり雇用を保障することが経営にとって究極的には有益である(略)なお、経営者がこの教訓をまもることができた歴史的条件として、1955年から高度経済成長がはじまり、解雇の必要のない時期がながく続いたということに留意すべきである。(p.146)

その後、高度経済成長の結果として、1960年代に臨時工は著しく減少し、臨時工問題は注目されなくなる。この臨時工に代わって、雇用量を調整される労働者ないし非正規労働者として、主婦パート労働者と学生アルバイトが登場した。この変化が1960年代型日本システムの確立である。(p.148)

多数の主婦パート労働者の登場は、共働きである自営業主と家族従業者がさらに減少し、代わって雇用労働者が増加したこと、そして、その家族が男性稼ぎ主型家族を志向したことを示唆すると考えられる。また、臨時工から主婦パート労働者と学生アルバイトへの変化が、小売業やサービス業の発展と共に進んだことに留意すべきである。一般的にいって、これらの産業は季節や時間帯による繁忙の差が重工業よりも激しく、それだけ、短時間に細分化された雇用量の調整を必要とするが、これに主婦パート労働者と学生アルバイトは適合的であった。(同)

1960年代型日本システムは、女性労働者を雇用差別するシステムでもある。このシステムのもとでは、女性は学校卒業直後の若年時に正規労働者となっても、その多数はやがて結婚・出産・育児をきっかけに退職して主婦になる。そのため経営者は、彼女ら全体の早期離職を予測して、昇進や職務の配置転換を停滞させ、彼女ら全体に能力開発の機会を与えない。これは「統計的差別」と呼ばれる雇用差別である。女性が再び労働者となるのは主婦パート労働者としてであるが、その賃金水準は低い。低くてかまわないとされるのはこのシステムのためであるけれども、その職務遂行が適切に評価されないという意味で、これは雇用差別である。また、女性のこうした働き方を前提として、女性労働者が正規であれ非正規であれ、職場内における性別役割分業が家庭内におけるそれと同様に成立する。(pp.148-189)

経営者の多数はもちろんのこと、男性正規労働者中心の企業内組合もまた、日本企業の成功を賛美していたから、この社会規範を受け入れていたといってよい。そのため企業内組合は、非正規労働者の処遇改善にも、企業内組合員である女性正規労働者の処遇改善にも、それほど熱心でなかった。後者については、彼女らは早期に離職するはずだから雇用中の処遇改善は意義が薄いうえ、性別役割分業を職場内でも家庭内でも維持したいと、企業内組合が考えていたからでもあったといってよい。(p.149)

政策ないし公的制度もまた、基本的には、1960年代日本システムの社会規範化を補強していた。例をあげよう。1961年に創設された所得税の「配偶者控除」は、主婦パート労働者が夫の扶養内にとどまるように就労調整することをうながし(現在のいわゆる「103万円の壁」である)、結果として、主婦パート労働者の低賃金を助長した。1970年代なかば以降に形成された判例法である「整理解雇の四要件」の1つは、正規労働者の雇用保障を優先するために、非正規労働者の解雇を当然とした。1985年の国民年金改正により「第三号被保険者」が創設され、男性正規労働者の妻に保険料の納入なしで年金を受給できる権利を与えて主婦になることをうながし(現在のいわゆる「130万円の壁」である)、つまりは男性稼ぎ主型家族を奨励した。(同)

1980年代から90年代はじめにかけて、日本的雇用慣行ないし1960年代型日本システムの前提をゆるがす事態が進行していた。
1. 日本的雇用慣行の経済的合理性の減少
情報技術の発展とビジネスにおける情報技術の重要化は、こうした仕事能力の重要性を低下させていた。
2. 女性労働者が、日本的雇用慣行から排除されていたにもかかわらず、絶え間なく増加した。その結果として、職場内でも家庭内でも、性別役割分業が弱まる可能性を潜在的に増すことになった。

 1985年に労働者派遣法が制定された。労働者派遣事業は1960年代から一部の企業によって実態としておこなわれていたが、同法はこれを明白に合法化した。その合法化は、非正規雇用についての労働市場の規制緩和であったといえる。(p.151)

 日本的雇用慣行ないし1960年代型日本システムが社会規範であった時期の真っ只中である1985年に労働者派遣法は制定された。従って同法は、企業内の職務を切り出すということに馴染まない日本型雇用慣行に配慮した法として制定された。具体的には、同法が派遣事業にくわえた多数の規制であった。
例:制定時、派遣が許される業務は13に限定されていた。さらに13業務は「秘書」「ファイリング」など女性職が多かった。
 その後、86年の改正で13から16に、96年の改正で26に拡大した。99年には原則として全部の業務で派遣が許されるという規制緩和に大転換し、例外として、なお派遣を禁止する5業務をネガティブ・リストとして挙げた。さらに2004年改正では、製造業務を派遣禁止5業務からはずした。(同)

 法改正による派遣業務の拡大は、派遣業務が女性職であることを薄めることでもあった。このことは、派遣労働者の増加率の性別比に反映した。1997年までの各5年間では、女性の増加率が男性の増加率より高かったけれども、2002年までと2007年までの各5年間では、男性の増加率が女性の増加率よりはるかに高かった。1999年と2004年の法改正の影響をみてとることができよう。(p.152)

 小泉構造改革。小泉政権のもとでの多方面にわたる規制緩和は、非正規労働者の増加と、そのワーキング・プア化を加速させ、日本社会における所得格差を拡大した。労働市場の規制緩和もすすめられ、その法政策に具体化された重要な結果が、労働者派遣法の2004年改正であった。(同)

 この時期に、少なくない経営者の価値観は、企業収益の増大による企業価値の引き上げを重視する企業経営こそが望ましいと変化したと思われる。彼らにとっては、これが日本企業の「構造改革」であった。そして、そのためには、非正規労働者の賃金を低く抑えるのはもちろんのこと、正規労働者についても低賃金で過重な労働を求めることは問題でなく、むしろ望ましいことと考えるようになってしまった。(同)

 とくに、一部の企業が「ブラック企業」化して「周辺的正社員」を雇用しはじめたことに注目したい。その人事労務管理は、労働者を正規の名目で雇用しながら、そして正規雇用に「ふさわしい」長時間の過重な労働を要求しながら、実際には正規雇用にふさわしい恵まれた処遇や将来展望を与える意思がまったくなく、労働者を短期雇用で使い捨てるものである。これは日本的雇用慣行に反するばかりでなく、それを悪用するという、経営者のモラルハザードの結果である。(pp.152-153)

 また、経営者の価値観をこのように変化させるうえで、市場原理主義を信奉する経済学者が果たした役割の大きさを指摘しておきたい。その総論的な位置にあったのは八代尚宏著『雇用改革の時代』(1999)であって、広く読まれて大きな影響をもったと思われる。また、彼らの主張のなかでもっとも先鋭的だったのは、解雇をおこないやすくせよとの解雇規制緩和の主張であろうが、そうした主張の1つの集大成が福井秀夫・大竹文雄著『脱格差社会と雇用法制』(2006)であった。(p.153)

 2005年ころに経営者団体が提案した「ホワイトカラー・エグゼンプション」は、労働時間についての法規制―つまり残業手当支払いの法的義務―を、ホワイトカラーの正規労働者には適用しないように法改正するという提案であった。(同)

 規制緩和による実害は、なによりも、非正規労働者の無視しがたい低賃金として顕在化した。NHK2006年7月23日放送の「ワーキングプア―働いても働いても豊かになれない」の反響はすさまじく大きな役割を果たした。(同)

 非正規労働者の所得分布は、女性であれ男性であれ、正規労働者のそれより低額であることを確認しよう。女性においては、正規の所得分布は低額寄りに位置し、非正規の所得分布にかなり重複しているが、男性はそうではない。所得分布がこのようになる理由は、女性の正規労働者の所得水準が男性のそれより相当に低いからである。他方、非正規では、所得水準における女性と男性の間の差は小さいものの、労働者数に大きな差がある。すなわち、正規であろうと非正規であろうと女性労働者の賃金が低いことをも示している。(pp.153-154)

 正社員以外の労働者(すなわち非正規労働者)の45.4%は、低賃金であるにもかかわらず、自分自身の生計を維持しなければならない。正社員以外の労働者が女性であっても26.7%が、あるいはパートタイム労働者であっても28.6%が、そうである。これらのなかには、子どもなど家族を扶養する労働者―たとえばシングルマザー労働者―が含まれる。1960年代型日本システムにおける非正規労働者は家計の主な維持者でなかったが、現在はもはやそうではない。自分自身や家族の生計を維持しなければならない多数の非正規労働者の登場は、1960年代型システムが破綻しつつあることを端的に示すであろう。(pp.154-155)


1985年に男女雇用機会均等法が制定された理由
1. 男女雇用平等という価値規範の促進が明白な国際基準となっていたこと。その象徴は、1979年国連女性差別撤廃条約である。
2. 日本社会において、女性労働者の絶え間のない増加を底流として、男女雇用平等という国際標準への希求が強まっていたことである。この希求が、日本政府をして、国連女性差別撤廃条約に署名させた。同条約を批准するためには国内法の整備が必要であり、その整備の1つが1985年均等法の制定である。国際標準という「外圧」によると考えてもよかろう。(p.157)

このような経緯で制定されたため、同法が企業の人事労務管理にくわえる規制は非常にゆるやかなものにとどまった。法の名称が、いわば国際標準である「差別禁止」でなかったことはもちろん、たとえば募集・採用・配置・昇進における男女差別は禁止されず、その解消は単に企業経営者の努力義務とされるにとどまったことなどである。なお、退職年齢や解雇についての男女差別を同法は禁止したが、日本的雇用慣行のもとでは女性正規労働者の多数が若年退職することを前提すれば、これらの禁止はそもそも企業への影響が少ない。同法の規制がゆるやかであったため、国際標準への強い希求を持っていた女性団体などは同法に失望し批判が起こった。(同)

日本的雇用慣行はもともと男女平等ではなかった。これをあらためて形式的には性中立的な人事労務管理に改正し、しかし男女平等でない日本的雇用慣行を温存する工夫をしなければならなかった。それが同法制定前後に大企業に急速に普及した「総合職」と「一般職」のコース別人事管理だった。「総合職」を男性が「一般職」を女性が選択するように誘導し、実質的には男女雇用差別の人事労務管理を温存した。(pp.157-158)

同法に触発されて、自分が雇用差別の被害者であることを知った女性正規労働者がその是正を企業経営者に要求し、認められなかったうちの幾人かが裁判所に提訴した。代表例は、大阪の住友系三社の女性正規労働者による3つの提訴。
 この裁判の特徴:
1. 原告となった労働者全員が企業内組合の組合員であったが、企業内組合は原告への支援を完全に拒否したこと。
2. 原告とWWN(ワーキング・ウィメンズ・ネットワーク)が重視した活動は、国連の女性差別撤廃委員会(CEDAW、女性差別撤廃条約締結国における条約実効化を促進する委員会)へ裁判関連の情報を提供して、CEDAWが出す日本政府へのコメントを原告に有利な内容とさせる活動であり、そのコメントを裁判で活用して有利な和解に導く活動だった。いわば「外圧」を自己に有利になるように日本から創出する活動であって、労働分野ではおそらく初めての国際活動であり、この意味で画期的であった。(p.158)

 1997年と2006年に均等法が改正され、とくに2006年改正によって、同法に間接差別の概念が導入された。しかしコース別人事管理が間接差別に該当するかどうかの決定は、5年後の法の見直しにいわば先送りされている。(p.159)

1999年男女共同参画社会基本法もまた、このような認識の広まりを背景にして制定されたと考えるべきである。(同)

「同一価値労働同一賃金」原則。日本企業の男女間賃金格差を是正し、職務基準の雇用慣行への志向を意味した。この原則への志向は、日本的雇用慣行ないしは属性基準賃金とは対立する。(p.159-160)

 2010年、連合の古賀伸明会長発言(雑誌『経済界』)で「貧困対策と格差是正のためには“同一価値労働同一賃金”の確立が急務です」と2度も強調。厚労省は同年春、職務分析・職務評価の実施マニュアル冊子を刊行。(pp.160-161)

むすび:
 労働市場を規制しなくてよいのか、それとも規制すべきなのか。
 これについて男性中心の労働研究における2つの見解:
1. 労働市場をふくめて、全般的な規制緩和をなお進めるべきである。その結果として、経済成長が達成でき、ワーキング・プアの賃金が引き上げられる(これは市場原理主義の見解である)
2. 日本的雇用慣行に復帰すべきである。非正規労働者を正規化すべきである(これは男性の労働者と労働研究者に強い見解である)(pp.161-162)

1については、規制緩和によるワーキング・プアの増加という実害が日本社会にすでに現れている。留意すべきは、この実害は将来の経済成長で埋め合わせられないということ。
1. 規制緩和が将来の経済成長を確実にもたらすとはかぎらない
2. 将来の経済成長が仮にあるとしても現在のワーキング・プアの人生は有限時間であるから、彼ら彼女らに将来の経済成長の果実が還元される保証はない。
3. 時間の経過のうちに別の新たな実害が発生し、また経済状況が変化して、現在のワーキング・プアへの還元はできなくなる・忘れられるかもしれない。(p.162)

 2については、日本的雇用慣行ないし1960年代型日本システムが女性雇用差別のシステムであることについて、どう考えるのかが問われよう。(同)

 ではどうすればよいのか。
 日本的雇用慣行から排除された女性労働運動の中で、男女雇用平等ないしは男女雇用差別禁止という価値規範、および、これを実現する道具としての「同一価値労働同一賃金」原則と職務給ないし職務基準の雇用慣行、これらが普及し発展してきたことである。この価値規範は、理論的にも実践的にも、あらゆる点における雇用平等ないし雇用差別禁止に容易に発展する価値規範である。日本では、正規・非正規という雇用身分の間の平等ないし差別禁止がもっとも重要であろう。(pp.162-163)

 第3の途。
 雇用平等ないし雇用差別禁止、「同一価値労働同一賃金」原則と職務給ないし職務基準の雇用慣行、これらが労働市場を規制すべき新たな価値規範であり道具である。これらは日本的雇用慣行とも1960年代型日本システムとも相容れない労働市場の規制である。また、これらは労働供給からみた日本経済の成長戦略でもある(p.163)

 日本の労働研究は、日本的雇用慣行ないし1960年代型日本システムの肯定を担った男性中心の労働研究から脱却すべき時期に至っている。(同)


第7章 社会的経済が示す未来―イタリアの協同組合の事例から(田中夏子)
 すみません、省略。


第8章 レジーム転換と福祉政治―包摂と承認の政治学(宮本太郎)

 新しい福祉政治においては、まず、人々がいかに就労し生活の資を得ていくかという、経済的な「包摂」の達成が求められている。同時に、人々がどのようにむすびつき、認め認められる関係に入るかという、「承認」の実現も問われている。すなわち、新しい福士誠治においては、「包摂の政治」および「承認の政治」として展開されている。(p.191)

 包摂の政治は、就労支援、雇用創出、家族内の扶養関係を含めた社会保障の再設計、雇用と社会保障の連携構築、などを課題とする。それは、経済的な分配と再分配にかかわる政治である。(同)

 これに対して承認の政治という言葉は、ジェンダーや民族集団など、劣位に置かれてきた集団の同権化をめぐる政治を指すことが多かった。だが、様々な社会的帰属を得て認められて生きる条件を確保するという点では、承認という問題は大多数の人々にかかわる普遍的主題である。ここで承認の政治とは、マイノリティをめぐる政治だけではなく、家族と社会における人々のつながりや相互承認のあり方、すなわち、家族・ジェンダー関係、職場コミュニティ、市民権などに関する政治をさす。(同)

 経済的基盤にかかわる包摂と、相互の主観的な認知関係にかかわる承認は、このように別々の事柄であるが一体不可分でもある。人々が働き家族をつくり生活を続ける営みのほとんどは、経済的な包摂の関係と、より情緒的な側面もある承認の関係をともに含んでいる。(同)

 20世紀型レジームの転換に伴い、これまでレジームに組み込まれてきた包摂と承認のかたちが一挙に揺らぎ始め、国民国家、企業、家族という、従来の包摂と承認の枠組みそのものが流動化し、包摂と承認をそれぞれいかなる場で、どこまで実現するべきか、そこで政治が果たすべき役割は何かが争点となりつつある。(pp.191-192)

20世紀型レジームにおける包摂と承認:
包摂:
大量生産・大量消費を旨とするフォード主義的生産体制=20世紀型福祉国家の前提
男性稼ぎ主の安定雇用に役立ったもの
=20世紀型福祉国家・労使交渉による賃金決定システム・ケインズ主義の名で呼ばれた積極的需要喚起政策
そのうえで、社会保障は、平均的なライフサイクルに典型的なリスクに対して、社会保険制度を軸に対応=ベヴァリッジ型の社会保障(pp.192-193)

こうして、ケインズ・ベヴァリッジ型の福祉・雇用レジームによって実現された男性稼ぎ主の経済的な包摂は、多くの国で機能していた家族主義の規範と制度によって、妻や子どもの包摂に連動していった。(p.193)

承認:
 20世紀型レジームにおいて、まず法的な権利関係については、国民国家が承認の大きな枠組みを提供した。
 次に、社会的業績関係については、雇用と労働の現場が、包摂の場であると同時に重要な承認の場となった。
 雇用と承認
1.20世紀型レジームにおいては、男性稼ぎ主の有償労働が承認の対象となり、有償労働の評価のあり方は、労使を中心とした対立と闘争を常に惹起することになる。これに対して、家事労働などの無償労働は、一部のレジームを除き基本的には社会的業績としては認知されることなく、せいぜいのところ私的な関係による承認、ホネットの言う愛の関係に吸収された。
2.フォード主義的生産体制のもとでは働く者がその能力を発揮し、周囲からの承認を得て自己肯定感を強める条件が失われていった。20世紀半ばから生産体制が変容するなかで、労働における承認関係が、激しい競争関係へ転換した。労働の現場は、相互承認による連帯を離れ、下位あるいは同格の人々に対して優位性を確保し、上位の人々に認められるという、承認欲求を駆り立てる場へと転化していく。日本の経営は、こうした男性稼ぎ主の承認欲求を巧みに組織化したものであった。(pp.194-195)

 20世紀型レジームの情緒的な承認関係において、決定的な役割が期待されたのが家族であった。成員間の強い情緒的なむすびつきを特徴とする近代家族の考え方が、フォード主義的生産体制と連携して、より純化されていく。…主婦と軸とした消費モデルが形成され、家族の情緒的なむすびつきと、耐久消費財の大量消費という機能的関係が連動していくのである。(p.195)

 20世紀の制度は、実体としては、国民国家、重要院に忠誠心を求める企業経営、そして家族という様々な共同体的関係を取り込んで制度を安定させ、承認の関係を成立させてきた。しかし20世紀の終わりから、こうした共同体的関係の弛緩が相互に連動しながら進行し、包摂と承認のあり方の抜本的な再設計が求められるに至る。(同)

 個々の福祉国家のあり方やそこでの包摂と承認の仕組みは、福祉レジームと雇用レジームの連携から説明される必要がある。その組み合わせのパターンについて、あらゆる問題に適用可能な単一の類型モデルを構築するのは困難である。(p.197)

 日本は若年層を中心に失業率が高かった大陸ヨーロッパ諸国と異なる。…日本の場合、雇用保護は、公共事業や中小企業への保護・規制をとおして周辺部労働市場の男性労働者にまで及んだ。建設業などの周辺部労働市場にガストアルバイター(外国人労働者)を導入したドイツに対して、日本では公共事業によって建設業を周辺部労働力を吸収する場として肥大化させていった。他方で日本では、コルピのいう「一般家族支援」型の家族手当支出や社会サービスが弱かった。日本の家族主義は、政府の給付やサービスによってというより、男性稼ぎ主の家族賃金や日本的経営の提供する福利厚生に支えられて強化されたのである。そして、教育や住宅についての公的支出が抑制されていたために、主婦は男性稼ぎ主の所得を補完するパートタイム労働を迫られた。
すなわち、小さな福祉国家であることから家計を補う就労の必要が高まったが、男性稼ぎ主型の税制や社会保険制度がその所得を一定以下に誘導した。ここから主にサービス業を中心として、賃金水準の低いパートタイム労働市場が現れた。(p.199)

 児童手当や公教育支出、住宅関連支出などが大きかった大陸ヨーロッパ諸国、たとえばかつてのドイツでは、女性の年齢別雇用力率曲線が「への字」型を描いていた。つまり、育児や介護の時期に退職した女性労働力は労働市場に戻らない場合が多かった。これに対して、日本ではいったん労働市場から離脱した女性労働力がやがて家計補完型の就労を迫られるために、M字型の曲線を示したのである。(同)

 福祉レジーム、雇用レジーム両方の特性に着目した二次元モデルによってとらえる。

スウェーデン:両性支援型。この二次元モデルの第二象限には、個人を対象としてその労働市場参加の条件を福祉レジームが整え、他方で雇用レジームが積極的労働市場政策をとおして両性の雇用を促進したスウェーデン(両性支援型)が位置づけられる。
アメリカ:市場志向型。アメリカの場合は、1946年に完全雇用法が議会で否決されたことに象徴されるように、政府が完全雇用に責任をもつという立場をとることはなかった。他方で、福祉レジームは家族主義的な性格を有するが、男女の賃金格差や管理職に占める女性の割合などで見ると、女性の就労の機会は相対的に開かれていた。したがって、第三象限と第四象限の間に位置づけられよう。
ドイツ:一般家族支援型。ドイツは家族主義的な福祉レジームを有するが、他方で完全雇用への制度的コミットメントは小さかった。ゆえに第四象限に位置づけられる(一般家族支援型)。
日本:男性雇用志向型レジーム。男性稼ぎ主型の制度を前提にその雇用を政府の積極的関与で支えたという点で、第一象限に位置づけることができるであろう。(pp.199-200)

 フォード主義的生産体制においては、労働の場の相互承認関係が、職場の地位の上昇圧力へ誘導されていった。この傾向は、日本の大企業においてはとくに顕著であったのである。とりわけ、日本的経営に「能力主義管理」が導入され確立していった1960年代をとおして、労働者の承認欲求を、昇進をめぐる承認競争につないでいく仕組みが確立していった。
新卒一括採用で同期入社の社員のあいだで競争が始まり、一般に感謝幹部として絞り込まれる時期はかなり遅く設定され、その間は同期入社の同僚に比べて昇進が遅れてもその後の努力で挽回可能な、いわばリターンマッチ付きのトーナメントがおこなわれた。(p.201)

 こうした仕組みは、男性稼ぎ主が企業の承認競争を途中で離脱して別の承認の場を求めていくことを難しくするものであった。さらに、家族が直接に彼の勤労所得に依拠することになったため、承認レースを降りることはなおのこと難しくなった。(同)

 全体として抑制された日本の社会保障給付のうち、とくに児童手当などの家族手当は、GDP比でOECD平均の3分の1程度に留まった。ここに、大陸ヨーロッパのように福祉国家に支えられた家族主義とは異なり、企業に直接にぶら下がるかたちをとった日本の家族主義が形成された。(同)

 図2が示すように、1960年代の初めまでは日本とスウェーデンの女性労働力率はほぼ同じ水準であったが、その後スウェーデンは急上昇し、日本は1970年代の後半まで、先進国のなかでは例外的に女性労働力率が低下する。(p.202)

 日本型福祉の家族主義は、このような時期にとくに強く打ち出されることになる。1978年度の『厚生白書』は、家族依存の子育て・介護の体制を、日本型福祉の「含み資産」とした(厚生省1978)。また、自営業者の税控除とバランスをとるという名目もあって、1987年には配偶者特別控除が導入されるなど、男性稼ぎ主型の制度が強化された。家族は、男性稼ぎ主の扶養と連動した経済的包摂の場として造形されていくと同時に、主婦の無償労働への承認を強める動きが前面に出た、ということができる。(同)

 このように男性雇用志向型レジームでは、包摂と承認の枠が企業と家族に集中することで、それを超えたつながりが弱まることになった。たとえば山岸俊男は、日本社会で起業などの機能集団を超えた信頼関係が低いことを、社会心理学の立場から実証的に示した(山岸1999)。山岸によれば、集団内部では拘束が強く相互の排他性も顕著である反面、集団の拘束が及ばない外部では、人々の関係での不確実性が増し、信頼が醸成されないのである。(pp.202-203)

 つまり、日本では、「ミウチ」「セケン」「ソト」というように、親密な関係からの距離で信頼や人間関係のあり方が原理的に異なる傾向が強い。社会的信頼関係の強度、すなわち社会関係資本という視点から言えば、ミウチ的集団のなかでの「結束型」の社会関係資本は強いが、そのような集団を超えた「橋渡し型」の社会関係資本は弱いことになる(パットナム2006)。日本の承認関係についてのこうした特質は、社会全体を包括する宗教的規範が弱いこととの関連で説明される場合が多い。しかし、男性雇用志向型レジームにおける包摂と承認の仕組みがこうした特質を強化してきた、という事情もまた見て取れるのである。(p.203)

 21世紀。世界大の競争環境の変化が、金融規制の緩和と資本の国際移動の増大とともに進行することで、先進国における安定雇用は浸食される。資本は個別企業との安定的な関係から離れ、国境を越えて新たな投資先を求め続ける。投資対象として優先されるのは、消費者により安い商品やサービスを、次々と意匠換えをしながら、迅速に提供できる企業である。金融と産業の関係は逆転し、金融優位の資本主義体制への転換がすすむ。
 産業界は、男性稼ぎ主の安定した雇用を縮小することで事態に対応しようとしている。男性稼ぎ主の安定した雇用に代わって、非正規労働が投入され、海外生産比率の拡大がすすめられる。多くの事務管理の仕事が失われ、少数精鋭の専門管理的業務と、大多数のルーティン的で不安定(プレカリアス)な仕事へと両極化がすすむ。サービス経済化と労働力の女性化がすすみ、雇用環境はさらに大きく変化する。(p.204)

 男性稼ぎ主の安定雇用が崩れた後に、雇用と社会保障をいかに繋ぎなおし経済的な包摂を実現していくかということについては、大きく3つのオプションがある:
1. 雇用の質を問わず人々に就労を義務づけ、就労に向けた活動について協力が得られないといった場合には社会保障の給付を打ち止めにするという、いわゆるワークフェアのアプローチ。
2. 就労を義務づけることよりも就労を妨げている問題の解決を重視するアプローチもある。これはアクティベーションと呼ばれる方法であり、保育サービスや公的職業訓練の不足を重視し、支援型サービスの給付によって人々を就労に導こうとする。
3. ベーシックインカムのアプローチ。これまでの社会保険、公的扶助などの社会保障制度全体を見直し、すべての市民を対象とした均一の現金給付に置き換える考え方。広義のベーシックインカムとして、人々の勤労所得が明らかに減じている実態から、低下した勤労所得を、公的扶助に依存せずに補完的な現金給付で補うと考えるなら、このアプローチは決して非現実的ではない。(pp.204-205)

 男性雇用型レジームの解体が本格化するのは、1990年代の半ばであり、あえて特定すれば、1995年が転換点となる。この年、日本経営者団体連盟(日経連)のレポート『新時代の「日本的経営」』がすべての従業員を対象とした長期的雇用慣行の終焉を宣言し、またGDPに占める公共事業予算が急速に減額に転じた。(p.208)

 近年の幸福研究は、人々の幸福感の向上のためには、経済的包摂による所得の保障に加えて、社会的承認関係の強化が求められることを示している。(Frey 2008)(p.211)

 包摂と承認の単位として、かつてのようなかたちで企業と家族を再建することはおそらく可能ではないし、望ましいことでもない。流動性を増す労働市場や家族の揺らぎに対して、就労支援の公共サービスや社会的手当を給付することで、人々が経済的包摂の場を変更したり、所得の源泉を多元的に確保できることが必要になる。(p.212)

 承認関係に対しても、男性稼ぎ主が企業に、主婦が家族に「生きる場」を見出すというかたちに代えて、人々にとっての承認の場が多元化していくことが必要になってくる。両性がともに雇用と家族にかかわることが求められているし、雇用と家族の外部に経済的包摂の仕組みを構築する以上、地域や社会のなかに新たな足場をもつことも不可避となる。このことは、人々が豊かな承認関係を享受するためにも望ましいと言えよう。人々が複数の物語を生きて、また自ら物語を乗り換えることができるならば、それは人々の幸福の基盤を拡げると同時に、個々人が人生の主導性を高めることにもつながる。(同)
 



 


 今回はあんまりツッコミが入れられませんでした―。


 
 

正田佐与






 

このページのトップヘ