以前、あるところで私が
「おこがましくも『大人に対する教育』をする立場としては」
というフレーズを書いたとき、
読まれた子ども向けの教育者のかたからの反応があり、
「私は『教育』をしているとは思っていません。すべての子どもから学んでいます。子どもは私にとって、教えてくれる対象です」
学生からつねに学ぶ、という姿勢には私も大いに賛成である。
こういう反応もあることを一方でわかっていながら、
でも私はやはり
「おこがましくも『教育』をしている」
という自覚は持っておきたいと思う。
というのは、
最近私の講座に来られた受講生さん(実は、私よりもずっと年長で、教育者としても大先輩の方)から、
こんなふうにお褒めの言葉をいただいたのだ。
「正田先生は、絶対に生徒を傷つけることを言われないですね。これは天性のものなんでしょうか」
この方は、英国の大学で35年も教鞭をとってこられて最近帰国された日本人の教授。ご専門は倫理。
英国の大学でも、(日本はもっとそうだが)先生が講義の中で学生をからかう、いじる、というシーンはある。笑いをとるための冗談として行われるが、冗談のつもりが学生を決定的に傷つけるということがある。近年では、さまざまな人種・年齢・立場の学生がいることにかんがみ、教授の「冗談」にも規制がかかっているという。
先生という立場は、教室では強大な権限をもつ。それを笠に着て、生徒を「下」にみた冗談、いわばハラスメントということは起こりやすい。しかし、それは生徒の心に決定的に傷をつける場合があるほか、教育効果としても疑問符がつく。
生徒は先生から、学問だけでなく人格全体を学ぶ。それは、正田も某ビジネススクールでいやというほど見てきた。
それで気をつけている結果なのかどうかわからない。2日間の講座を受講していただき、さらにそのあとフォローアップ勉強会にも参加していただいて、
この教授は
「正田先生は生徒を絶対に傷つけないですね」
というところに目をとめられたのだ。
もし、そのことが当協会の受講生さんの受講後の実施率の高さに多少なりとも寄与しているとしたら。
はかない努力もいくらかは報われているというべきだろう。
講義の華やかさ面白さは減じるとしても。
人に、とりわけ大人に教えるとは、おこがましいこと。
教えた先に素晴らしいことが起きると信じているから、あえて教え続ける。
そして自分を律するために、
「おこがましくも教育をしている」
と、自覚するのは必要なこと。
それをせずに自分の中の
「楽しければいい」
「ウケればいい」
という引力に任せてしまったら、
どこでどう人を傷つけてしまうかわからない。
今日は、ちょっと悲しさのこもったつぶやき。
この教授
〜IFU(国際大学連合)の理事長・北中寿氏〜
ときのう、「対談」をさせていただいた。
「教育」というものについて英国の大学でどんな試行錯誤を重ねているかがわかり、たいへんおもしろい対談だった。
正田はめずらしく、「べたぼめ」していただいてしまった。
めったに人にほめていただくことがないので、嬉しかった。
また、録音起こしができたら、このブログにアップします。