正田佐与の 愛するこの世界

神戸の1位マネジャー育成の研修講師・正田佐与が、「承認と職場」、「よのなかカフェ」などの日常を通じて日本人と仕事の幸福な関係を語ります。現役リーダーたちが「このブログを読んでいればマネジメントがわかる」と絶賛。 現在、心ならずも「アドラー心理学批判」と「『「学力」の経済学』批判」でアクセス急増中。コメントは承認制です

2009年09月


「あれから正田さんの言ったこと、よく考えた。凄くよくわかった」


 起業家の友人から電話。


「どんどん新しいものを学んで、その時点の最高の自分でいよう、とすると、多重人格っぽくなるということ。 自分が一瞬前の自分と全然違っている。
 一瞬前の記憶がない。
 自分に人間としての一貫性がない。

 最近そういう感じが強くなっていた。これじゃいけない、と思っていた。
 これは幸せじゃないんじゃないか」



「ああ、大きなものに気づかれましたねえ」

と私。


「あなたは頭がいい、どんどん多くのものを吸収され続けている。そしてあなたの事業の目指していることは素晴らしいものです。これからも組織を大きくして、たくさんの人を巻き込んでいかれるといい。


 でもそのときに大事になるのは、リーダーのあなたの一貫性なんです。それがなければ空中分解してしまう。


 大事なもの…というと、おこがましいですね。大きなもの。自分1人で行くのではなく、みんなで幸せになる、ということ」


 
「そうですね。凄くそれがよくわかりました。あ、会社はみんな楽しくやってます、お蔭さまで」



 
 コーチングは、人に作用するとき通常「加速」「拡大」「増加」の方向にはたらく。

 何かを「やる」ことのコーチングは易しく、「やらない」「やめる」ことのコーチングは難しい。


 
 でも、勇気を持って「やらない」「やめる」選択も、ときには必要。


 あくなき「成長」を求めることを捨てて、得られる「幸せ」もある。


 大きな「幸せ」を手にして欲しいなあ、と電話を置いて思った。

 7月に当協会の講座を受講してくださった、国際大学連合(IFU)理事長の北中寿教授との対談をご紹介しています。


 今回はシリーズ最終回。


―もくじ―

(5)良い企業内コーチは「業績」を言わない

1.社会人の土台としてあったcriticism

2.倫理学はすべての基礎

3.良い企業内コーチは「業績」を言わない

あとがき
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 7月に当協会のコーチング講座を受講してくださった、国際大学連合(IFU)理事長の北中寿教授との対談を全5回でご紹介しています。

 第4回のお話は…。


―第4回もくじ―

1.「承認論のコーチング」は世界中で使える

2.「アメリカの最新」を鵜呑みにしてはいけない

3.古き良き日本企業に学べ

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 7月に当協会の講座を受講された、国際大学連合(IFU)理事長、北中寿教授との対談を全5回でお送りしています。

 
 第3回の内容は…。

―もくじ―

(3)教育は間違いに気づくのに10年かかる!


1.教育は間違いに気づくのに10年かかる!

2.学ぶ人の質の問題―企業内研修の限界―

3.「あなたは素手で戦っている!」
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 7月に当協会の講座を受講された、国際大学連合(IFU)理事長、北中寿教授との対談を全5回でご紹介しています。

 第2回の内容は…。


(2)大切にしたい"criticism"

-もくじ―

1.教えることの中の「傷つけ」の問題

2.自己啓発セミナー、変性意識とコーチング

3.大切にしたい"criticism"
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 去る8月28日、神戸・ポートアイランドに事務所を置く国際大学連合(IFU)理事長の北中寿(ひさし)教授と、生意気にも対談させていただきました。


 北中教授はそれに先立つ7月25日・26日の両日、NPO法人企業内コーチ育成協会の「コーチング講座・基礎コースA」を受講してくださり、その体験を踏まえての対談となったのです。


 北中教授から、たっぷりの賛辞にちょっとドギマギの正田。こんなに褒めていただくことは、人生で後にも先にもこの1回しかないかも…。


 いえ褒め言葉だけではなく、 コーチングの社会的意義、英国と日本の教授法比較、承認とcriticism(批判)、倫理とコーチングなど、熱〜く語ってくださっています。




 そんな「対談」を、5回に分けてお送りします。ご興味のある方、どうぞご一読ください。



北中―正田対談(1)−話し方のモデルは「マネージャー」



1.「最高のプロの2日間の授業」
2.大人には「理論」と「間」が必要
3.話し方のモデルは「マネージャー」


北中 寿 (きたなか・ひさし)氏
アイルランド国立ダブリン大学トリニティー・カレッジ 教養学部長
英国国立ウェールズ大学バンガー校日本研究所 所長
(財団法人) 英国国際交流教育財団 理事長
(財団法人) 英国日本学生協会 会長
ウェールズ日本協会 理事
英国王立哲学学会 会員続きを読む


 優秀な友人の企業内コーチにあう。


 コーチングが業績向上に有効だ、ということは、

 必死にイベントを打って告知していた時代を経て、

 ようやく認知されつつある。


 だけど、「有効事例」へのインタビューをする人たちは、

 きれいな事例をあつめようとしすぎている。


 「本当は、成功したといっても際限なくドロドロしていて、
 
 ドロドロだけど気がついたら数字は残っていた、というようなものだよね」


 という話で一致した。

 過去にイベントに出て華々しい業績向上について語ってもらった企業内コーチたちにしても、

 つねにドロドロのただ中にいた。

 不安定な足元について確信が持てないまま、何とか業績が出た部分について話してくれていた。

 「こんなにうまくいきました」

 と、胸を張れるほど、本来きれいな話ではないのだ。



 「コーチングって、一番ドロドロしたところに切り込むものじゃないですか。

 そもそも経営ってドロドロですよね」

 と友人。


 ドロドロを直視したくない人だと、コーチングを学んでも役に立たないだろうし。


 有効だと知られるようになった、とは言っても

 やっぱり、簡単にわかってもらえるものではない。


 
 そして、あえてそれを使いこなす力のある人であっても、

 やはり、定期的なサポートは必要だ、と痛感する。

 あくまで人間くさい技術ではある。



 相変わらず、「短時間でできるようにしてほしい」というご要望は多い。

 そこに迎合はしないでおこうと思う。

 『環境世界と自己の系譜』(大井玄、みすず書房)という本の読書日記、今回が最終回です。


 さいごは「世界仮構」というものについて。


 私たちのみている世界は、リアルの反映ではなく、非常に相対的なものだ、といわれています。
 


 
 
「この半世紀余りの神経生理学、認知心理学などいわゆる脳科学は、深層意識がはたらく領域の広大さを、劇的なスピードであきらかにしつつある。


 エリック・カンデル(2000年ノーベル医学生理学賞受賞)のように、私たちの心が営む生活の大部分は深層意識において行われていると指摘する神経科学者は多い。下條信輔のまとめによれば、脳のつかさどる厖大な情報処理のうち、自覚されるのはごく一部、文字どおり『氷山の一角』でしかない。ほかの部分は無意識的・潜在的なままに精神機能を支えている。知覚や認知ばかりではなく、記憶や運動、自己の知覚にいたるまで、本人が自己申告できる手がかりや過程以外のものが本人の行動に影響を与えているのである。」(p.78-79)


 そして、

「私たちは外界の事物が現実を構成していると考えているが、脳はその知覚することを『過去の経験』に基づいて組み立てているのだ」


 という認知神経科学者の言葉を紹介し、



「私たちは、環境世界でのやりとりをつうじて、それぞれの『脳の来歴』に基づいた世界を組み立てる、つまり世界仮構を行っている」(p.79)



 といいます。


 こうした言葉が説得力をもつのは、著者が現役の臨床医であり、認知症の患者を多数みている人だからであります。


 認知症の人びとの「世界仮構」―仮想現実のようなもの―には、3つの特徴がある、と著者は言います。


1.不安という情動的苦痛を最小にする方向でその世界を仮構すること(最小不安性)。

 認知能力のおとろえた人びとにとって、つねに新しいことが起こる現実世界は不安にみちています。なので過去の、自分のもっとも幸福だった時代にタイムトリップすることが往々にして起こります。


2.仮構は一方通行的であること(自己中心的恣意性)。

 自分の思った世界を思い描く作業は「自分だけが納得する関係」であり、相手の思惑をかえりみない。


3.仮構する営みを自覚していない(無意識性)。

 認知能力のおとろえた人びとは、世界仮構の営み自体を自覚することができない。もし指摘されたらうろたえ、怒りだす、と著者はいいます。



 そして、上の1〜3のような世界を仮構する営みは、決して認知能力のおとろえた人びとだけではなく、私たち普通の人々も日常的にやっているのだと。



 人と人とは、その人の思う仮想現実の中で触れ合い、会話をかわし、一瞬お互いの仮想現実を交わらせているともいえるのでした。


べつのところで著者は、「自分を主人公とした映画を頭の中で上映している」という表現もつかっています。


 もちろん以前から言われていることではあるのですが、ここでは「本人が自己申告できる手がかり以外のものが影響を与えて」おり、また「世界仮構の営みを指摘されたときの怒り」などの表現がリアルで、

 そうするとコミュニケーションの永遠の努力の必要とともに限界もそこに感じるのでした。





 このことは、日常痛切に感じます。これだけ情報量が多い時代、出あう人々だれしも、直接の生活体験だけでなく、厖大な量のバーチャル世界の情報に触れたうえで取捨選択を繰り返し、他人には想像もつかない世界を構築して目の前にいる。


 マネジャーの皆さん、目の前の若い人は、その年相応の人生経験しか持っていないと思うかもしれないけれど、実はカツマーかもしれない。上司のあなたのこともカツマー本のフィルターを通してみて、いつの間にか「ぺけ」をつけているかもしれない(笑)


 いえ、それが正しいとは言いません。個人的には、目の前の上司をもっと尊敬しろと言いたい場面がたくさんあります。
 希望としては、自分が「何に」あるいは「だれに」影響されているのか、言語化する「くせ」をつけてほしいなあ、と思うのであります。これはちょっとこの本の本筋からはなれた余談です。



 『環境世界と自己の系譜』の読書日記は、今回でおわります。


 著者:大井玄(おおい・げん) 1935年生まれ。国立環境研究所元所長、東京大学名誉教授、医学博士。専門は、社会医学、一般内科、在宅医療、心療内科、環境医学。現在も臨床医としての立場から、終末期医療全般に取り組んでいる。


 
 神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
  http://c-c-a.jp
 

 
『環境世界と自己の系譜』の読書日記
「日本人の自己観と幸福観」シリーズ、インデックスを作りました!!
2015年10月現在読み返してもなかなか面白いことを言っております。
よろしければご覧ください:

日本人の自己観と幸福観(1) −『環境世界と自己の系譜』より
http://c-c-a.blog.jp/archives/51515101.html

日本人の自己観と幸福感(2)−「つながりの自己」と「アトム型自己」
http://c-c-a.blog.jp/archives/51515159.html

日本人の自己観と幸福感(3) −心理学が強化した「アトム的自己」観?
http://c-c-a.blog.jp/archives/51515163.html

日本人の自己観と幸福感(4)− ふたつの幸福感、離脱肯定とつながり肯定
http://c-c-a.blog.jp/archives/51515305.html

日本人の自己観と幸福感(5)―エイズパニックにみる、自我拡張と自我縮小の出会い
http://c-c-a.blog.jp/archives/51515882.html

日本人の自己観と幸福感(6)―江戸時代に完成された「閉鎖系」の倫理観
http://c-c-a.blog.jp/archives/51516148.html

日本人の自己観と幸福感(7)―アトム的自己観を前提とする不幸
http://c-c-a.blog.jp/archives/51516790.html

日本人の自己観と幸福感(8) ―「つながりの自己」は万能か
http://c-c-a.blog.jp/archives/51517365.html

日本人の自己観と幸福感(9)―不安にみちた現実世界と世界仮構のいとなみ
http://c-c-a.blog.jp/archives/51517379.html





 『環境世界と自己の系譜』(大井玄著、みすず書房)という本から、欧米に多い「アトム的自己」と日本人に多い「つながりの自己」についてみています。


 近年の「アトム的自己」観の流入によって、もともとは「つながりの自己」観の強かった日本人の心の安定が崩れ、若者の社会不適応をはじめ様々な社会問題を引き起こした、と著者は主張しています。


 おおむね、その主張に共感するものの、ただこの本で惜しいと思う所があります。


 日本の(とりわけ江戸期以来の)伝統的価値観だとされる、「つながりの自己」観には困った側面もあり、全面的に肯定はできない、という点です。


 たとえば「つながりの自己」観とそれに基づく「関係志向的倫理観」、これらがあまりに強すぎると、まずは思い切った「変革」ができない。


 極端な前例踏襲主義になったり、身内かばいのような内向き思考になったり、とこれらは官僚組織にもっとも顕著にみられる特徴ですが、民間企業でもよほど気をつけない限り組織につねにあらわれる傾向。


 周囲の人との「つながり」を重視するからこそ、日本人はその傾向がつよくなる、といえます。


 それで、歴史上に時折、過去との「つながり」を断ち切ってドラスティックな改革を断行する人があらわれるのかもしれません。


 井沢元彦の『逆説の日本史』によれば、そうした人々は歴史上大きな役割を果たすが、日本では非業の最期をとげることも多い、と。


 多くの人の倫理意識になじまないことをすると、最終的には排除されるのかもしれません。


 そして、「いじめ」の起源も、ある側面では攻撃性のあらわれではありますが、べつの側面では加害者側が「いじめ」によって周囲の人とつながりたいという、「関係志向」のあらわれであるともみられ、

 この本にあるように単純に「個性化教育=アトム的自己観の注入」が原因だとみなすのもどうかな、と思うのであります。


 今もネット上の「炎上」現象などをみると、リアル会議でもときどきある「尻馬に乗る=同調行動」と攻撃性がむすびついたもののようにみえます。



 さらに若者世代で支配的な「空気を読む」関係や「言いたいことを言えない=いわばノンアサーティブ(非主張的)」な傾向もまた、「つながりの自己」の延長上のものとみえなくもありません。


 こうした「つながりの自己」にも困ったところがある、という視点が、残念ながらこの本には不足しているように読めるのであります。

 それらへの処方箋は、ない。





 私は個人的に、今どきの若者の「言いたいことを言えない」や「周囲から自立した自分なりの考え方ができない」という性質については、ソフトなやり方で微修正してあげることが必要だと思うのですが、

 
 ただそのやり方はセミナーなどで一律に「言いたいことを言え」とか「自分の考えを持て」というのではなく、

 ―というのは、薬と同じで人によっては往々にして「効きすぎ」になり、始末のわるいことになるので―

 身近にいる年長者が、相手の様子をよく見極めながら「引き出して」やるのがいい、と思っています。


 それは、決して「自己観の転換」を迫るような強引なやり方でなく。

 あくまで、「つながりの自己」観を前提とした。

(もちろん、日本人の中でも地域性や性格によるばらつきはあるのですが。)



 さらに、外来のものを取り込むときに極端な「自己無化」「自己卑下」の態度をとらず、適当に批判思考をしながら取り込む習慣をつけること。



 
 要は、「つながりの自己」観のよいところを残しながら、ほどよく自立的で、グローバル時代にも対応できる人間像、のようなものを目指すのがよいのでしょう、というお話です。


日本人のよいところ、たとえば「つながりの自己」観から出発した、「義理」「責任=役割を果たす」「感謝」といった徳育は、ぜひ残していきたいものです。



 
 この本、『環境世界と自己の系譜』の読書日記は、次回が最終回です。



神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
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『環境世界と自己の系譜』の読書日記
「日本人の自己観と幸福観」シリーズ、インデックスを作りました!!
2015年10月現在読み返してもなかなか面白いことを言っております。
よろしければご覧ください:

日本人の自己観と幸福観(1) −『環境世界と自己の系譜』より
http://c-c-a.blog.jp/archives/51515101.html

日本人の自己観と幸福感(2)−「つながりの自己」と「アトム型自己」
http://c-c-a.blog.jp/archives/51515159.html

日本人の自己観と幸福感(3) −心理学が強化した「アトム的自己」観?
http://c-c-a.blog.jp/archives/51515163.html

日本人の自己観と幸福感(4)− ふたつの幸福感、離脱肯定とつながり肯定
http://c-c-a.blog.jp/archives/51515305.html

日本人の自己観と幸福感(5)―エイズパニックにみる、自我拡張と自我縮小の出会い
http://c-c-a.blog.jp/archives/51515882.html

日本人の自己観と幸福感(6)―江戸時代に完成された「閉鎖系」の倫理観
http://c-c-a.blog.jp/archives/51516148.html

日本人の自己観と幸福感(7)―アトム的自己観を前提とする不幸
http://c-c-a.blog.jp/archives/51516790.html

日本人の自己観と幸福感(8) ―「つながりの自己」は万能か
http://c-c-a.blog.jp/archives/51517365.html

日本人の自己観と幸福感(9)―不安にみちた現実世界と世界仮構のいとなみ
http://c-c-a.blog.jp/archives/51517379.html


 第6回よのなかカフェ。


 「シゴトって、お金のためにするの?」というテーマで、掲載店のテイクウィングさんに、年齢・職業ばらばらの男女7名の方が集まってトーク。



 ものづくり企業にいたけれど終わりの見えない仕事に、健康を害して転職したという人。

 「受託開発はたのしくなかったなあ。気持ちが内向きになって」という人。


 会社員時代は給料を考えず「やりがい」だけで走ってきた。定年後にコンサルをしている今は、「仕事はお金のためですね」という人。


 「色々な人に会えてやりがいがあることが仕事の楽しさ」というのは、女性の方。



 「女性はいい。自分の勤務時間、責任範囲はここまで、とすぱっと切れるからうらやましい」と男性。

 

 皆さんのお話が1人1人おもしろく、


 普通の社会人の話ってこんなに面白いんです

 

 えらい人を呼んでお話をきくのもいいけれど。



 さいごは、


 「お金をもらえるのは感謝をされている証。自分の仕事は先々のみえないところで人に感謝されている。その感謝が、束になってお金になって戻ってきている」


 元気の出るお話で、おわりました。



 ご厚意で会場を提供下さったテイクウィングの谷口さん、ありがとうございました。またご参加のみなさま本当にありがとうございました。


 次回は10月23日(金)、テーマは「つきあうなら、顔ですかそれとも人柄ですか」




神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
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 『環境世界と自己の系譜』(大井玄著、みすず書房、2009年7月)という本の読書日記です。


 欧米に多くみられる「アトム的自己」観では、自分は他人と切り離された存在であると意識し、他者を圧倒することに喜びをおぼえます。


 新古典経済主義もまた、人を利己的経済主体とみなす、「アトム的自己」を前提とした理論だ、と著者はいいます。


 いっぽう日本では、自己は他者と切り離しようもなくつながった関係のなかにあるという「つながりの自己」観が発達し、他者との協調、助け合い、共通目的の達成などに「しあわせ」を覚える関係思考的倫理意識がそこにありました。


 ただしその深層心理的ダイナミズムの一特徴が「自己卑下」、つまり自己のなしとげた仕事の過小評価であり、また権威に対する従順でありました。いいかえると、それは自分より優れていると感じる相手の言説を、無批判、ナイーブに受け入れる傾向でもある、と著者はいいます。


 それで、海外とくにアメリカの学説に盲従してしまう傾向がつよい。



 このブログもそうなってないかな?

 このブログなりのこの本への「ツッコミ」ないし「反論」のようなものは、さいごにまとめて載せますので、とりあえずは引用を続けます。


 
 さて、現代の私たちは。


 簡単にいうと、「つながりの自己」観を根底にもっている日本人に、「アトム的自己」観への転換を迫ったことで、深刻な生存戦略エラーが起き、社会問題が起きている、と著者は主張します。


 子どもの世界では、1980年代に個性化教育を導入したことで、「いじめ」が問題化しはじめた、と。


 (このあたりの事実関係と因果関係がよくみえないまま引用していますが、この本で引用している原典をあたりたいです)

 そして個性化教育は「つながりの自己」として育ってきた子どもたちに、他者とのつながりを切ることを教えた、と批判し、


 
「関係志向の倫理意識があり、関係のなかにおいてはじめて心理的に安定するとすれば、他者との関係を主観的に断たれたと感じ、結果として『孤独を感じる』割合が日本の子ども(15才)でとび抜けて高いのは当然であろう。国連児童基金のデータでは、その割合は日本が約30%、2位のアイスランド約10%、以下ロシア9%、カナダ8%と続くという。」(p.228)



 
「『つながりの自己』である子どもに安易に生存戦略的転換を迫る教育は、生存戦略的エラーとでもいうべき危険を冒しかねない。…困ったことには、倫理意識の危機は深層心理における混乱だから、なかなか明確に言語化されない。ただ獏とした「不安」としか意識されない場合が多い」(p.230) 




「『関係志向』から『関係否定』という倫理意識の方向転換は、繰り返すが、深層心理的うごきであって明瞭に意識に現れてこない。むしろ情動のレベルで混乱・不安を感ずるのであり、それは言語化されると、漠然とした『自分はダメな人間」だとか、『自分は人並みの能力がない』、『疲れていると感ずる』というような表現になるのではないか」(p.232)





 実は、教育に個性化教育がくみこまれたことで、こどもたちにこうした深層心理レベルでの混乱が起こっているという主張は、私個人的には、


「個性化教育って、ほんまにそこまで浸透してるん?」

「そもそも個性化教育って、何をどうすることを言うの?」

というピンと来ない感じがつきまとうために、今ひとつ読んでいて説得力がないのでした。


 ―うちの子どもらに関しては、先生方は大いに「つながり」、「助け合い」、「役割を果たす」ことを教えてくれてるし、という思いもある。



 ただし日本の若者が社会に適応しかねている、という国際比較にもとづく主張は大いにわかる。



 それと、

 こうした「つながりの自己」をもつ人びとに「アトム的自己」観を注入する無理、というのは、むしろ大人の世界に置き換えたら大いに納得できます。


 それはもちろん、成果主義からメンタルヘルスを害する大人たちの姿であったり。

 アメリカからもたらされたものではあるが、そもそも前提としている人間観、倫理観が違う、ということは、すんなりわかります。


 
 「問題は、それぞれの歴史をつうじて形成された生存戦略意識が根強く残っているのに、なぜ日本人にアメリカ的生存戦略意識をもつよう強制しようとするのか、ということである。より本質的な疑問は、閉鎖系日本のエコロジカル・バランスを維持する(環境保全と両立する)生き方を可能にした倫理意識を、なぜ変えなければならないのか、である。いまや地球は完全に閉鎖系である」(p.239)



「しかし、そこには日本人のつながりの倫理意識の軽視がある。生存戦略としての倫理意識が否定されることの深刻さに気づいていない。まず人の和や協調という、組織を動かすソフトウェアが破綻しよう。つながり形成への深層意識的ダイナミズムをもつ子どもは混乱しよう。中世の日本がそうであったように、『生存へのヴィジョンを示しえぬ政府』への信頼が失われよう」(p.240)




 
 正田はかつて脳死・臓器移植の取材をしばらくしていたので、異なる「死」の概念を受け入れることにまつわる混乱も多少は知っているつもりです。

 ただ、「死」に関しては法制化を必要としたため、「知らないあいだに転換していた」などということはなかったのです。


 生きている人たちの「自分認識(自己観)」の転換が、知らないあいだにおこなわれていたとしたなら。

 それは、アメリカ心理学や経済学、経営学の輸入をしたとき、いつのまにかおこなわれたのです。




 コーチングをしている私たちとしては、どうか。

 「個性」の問題は、否応なく出てきます。

 1人として、おなじ人間はいない。通常、4タイプに分ける分け方、学習スタイル、強み発見、価値観、などのものさしを使ってその人の個性を探ります。


 (養老孟司さんが一時期「個性などというものは、ない」と仰っていたがむしろこれはよくわからない。脳画像判定の発達したこんにちでは、「脳には個性がある」、遺伝的初期設定がありさらに経験によって形がかわり、1人としておなじ個性の人はいない、とする考え方が一般的です)


 ただ、「個性」を知ったあとどう扱うか、というところに「文脈」があらわれます。

 任意団体〜NPOの運営をしながら思ったことは、「個性」をもとに、自分は人と切り離された存在だ、と主張するなら、

 人は組織に属しようがなくなるのです。

 組織は「理念」という名のいわば共同幻想を必要とし、それに巻き込まれる「個人」を成員とします。


 で、「個人」の「個性」のすみずみまでを、一切そこなうことなく尊重してくれる組織というのは残念ながら存在しません。人の集団に属するということは、かならず何らかの形で折り合いをつけながら暮らす。そこで、折り合いの不便さと、収入を得るメリットをてんびんにかけながらやっていく。

 ボランティア団体のばあいは、収入ではなく「共通の理念に殉ずる」あるいは「質の高い仲間とまじわる」ことがてんびんの一方に載ります。


 「個性尊重」という旗印があまりにも勢力をもってしまうと、もともとある自分という生命体の快不快にかかわるだけに、「共通の理念に殉ずる」という建前論などふっとんでしまうことは、よく経験します。
 これは、日本だけの現象なんでしょうか。


 「個性を学ぶこと」「自分の個性を知ること」は、文脈によっては、自己抑制を学ぼうとしない人に対するスポイルとなってしまいます。


 というわけで、「個性」について言及するとき、私は


「これは、他者をよりよく理解しよい関係を築くために使ってくださいね。自分を認めるのは大事なことですが、自分はこうだから、と居直らず、さらに成長をつづけていってくださいね」

また

「とくにリーダーの方は、自分の個性を知ったうえで、それを十全に伸ばすというよりも、どうコントロールするかを学んでくださいね」


 と、くどいくらい念押しするのでした。日本人的な文脈なのでした。


 個人として生きていくためのロジックと集団で生きていくためのロジックは違う。そして集団で生きることのほうがより高度に人間的ないとなみなのだ、と旧CLS以来、考えています。


 ここは、たとえばキャリアとか生き方についての本を書く人たちが大学の先生でもコンサルタントでも、論者のその人自身は典型的組織人ではなく、自由人〜アーチストに近い〜の生き方で自他ともにゆるされている人だということに注意しなければなりません。いわば、「アトム的自己」の人たちといえます。


 その人たちにとって快適な生き方の主張を一般化できるわけではないのです。




 さて、「つながりの自己」=善、「アトム的自己」=悪 と図式が固定したようにもみえます。

 しかし、「イデオロギー的に強化されると、たちが悪くなる」 これは、「つながりの自己」のほうにも、当てはまるのではないかと私は思います。


 
 続きは次の記事で。



 神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
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『環境世界と自己の系譜』の読書日記
「日本人の自己観と幸福観」シリーズ、インデックスを作りました!!
2015年10月現在読み返してもなかなか面白いことを言っております。
よろしければご覧ください:

日本人の自己観と幸福観(1) −『環境世界と自己の系譜』より
http://c-c-a.blog.jp/archives/51515101.html

日本人の自己観と幸福感(2)−「つながりの自己」と「アトム型自己」
http://c-c-a.blog.jp/archives/51515159.html

日本人の自己観と幸福感(3) −心理学が強化した「アトム的自己」観?
http://c-c-a.blog.jp/archives/51515163.html

日本人の自己観と幸福感(4)− ふたつの幸福感、離脱肯定とつながり肯定
http://c-c-a.blog.jp/archives/51515305.html

日本人の自己観と幸福感(5)―エイズパニックにみる、自我拡張と自我縮小の出会い
http://c-c-a.blog.jp/archives/51515882.html

日本人の自己観と幸福感(6)―江戸時代に完成された「閉鎖系」の倫理観
http://c-c-a.blog.jp/archives/51516148.html

日本人の自己観と幸福感(7)―アトム的自己観を前提とする不幸
http://c-c-a.blog.jp/archives/51516790.html

日本人の自己観と幸福感(8) ―「つながりの自己」は万能か
http://c-c-a.blog.jp/archives/51517365.html

日本人の自己観と幸福感(9)―不安にみちた現実世界と世界仮構のいとなみ
http://c-c-a.blog.jp/archives/51517379.html


 『環境世界と自己の系譜』(大井玄著、みすず書房、2009年7月)という本の読書日記であります。


 年に何冊か、こういう付箋をはりながら読みたい本に出あいます。

 教えられるところが多く、コーチングの副読本に指定したいぐらい。


 
 これまで、欧米に多い「アトム的自己」とそれ以外の世界に多い「つながりの自己」、さらにそれぞれに端を発した生存戦略としての倫理観をみてきました。


 では、日本に顕著にある「つながりの自己」観、またそれが前提とした「閉鎖系世界」は、どの時代にどのように形成されたのでしょうか。


 
 上下、相互の信頼関係に結ばれた慈悲深い平等・公正な政治の実現を目指した古代の「17条の憲法」を経て、


 中世にはアメリカ並みの「開放系社会」が出現し、そこでは人々は自立自尊の精神で武装し、殺し合いも辞さない生き方をします。


 そして、江戸期は。


 鎖国によって世界史上かつてない「閉鎖系社会」が生まれ、そこで人びとがどう生きていたかというと…、


 人々は「幸せ」を実感し、自由で独立的だったというのです。さらに貧富の格差は小さく、上下関係は丁寧で温和で、一般に満足と信頼が行きわたっていた、と。

 
 これらは幕末に日本を訪れた多数の欧米人の観察にもとづいたものだそうです。


 なぜ、そういう状態が生まれたのか。


「たしかに幕藩権力は国政レベルのキリシタン禁圧、年貢の取り立て、一揆の禁令などに強権をふるったが、民衆の日常生活の領域に立ち入ることは可能な限り避けていた。つまり民衆の共同体には自治の領域が存在しており、その自治は一種の慣習法的権利として幕藩権力といえどもみだりに侵害することは許されなかった。しかもフィッセルは、政治の実権が下級の者に移行していること、法は平等であること、華飾は将軍から下賤の召使にいたるまで制限されていること、上級の者は窮屈な儀礼に縛られ自由がないのに下級の者に対する支配がとくに緩やかであること、などを挙げている。

 そうだとすれば、社会で上にいる者には、その高い身分にともなう徳義上の厳しい義務つまりノブレス・オブリジェがあり、下に行くほど自由であったのだろう。身分制度を超えて本来人は平等であるという理解があったものの、固定的身分に応じてその義務を果たすことが求められた。つまりそこには上に厳しく、下に緩やかであることにより達成される、貧しいが「平等化された社会」の姿が浮かび上がる。それは、貧しい循環型生活を営む閉鎖系の社会で身分的機能の区別を立てる場合、不公平感を抑えるために必要な倫理的行為基準である。倫理意識のうえでは、上層の者ほど明瞭に、他者に対する徳義上のつながりを意識させられる仕組みになっていた。」(pl.185-186)




 「閉鎖系社会」で身分が「上」でいることは、並はずれた道徳観念を体得し実践することを義務づけられることであったらしい。
 
 多くの人々が「しあわせだ」と実感できる社会、には、ひとつの大きな要因としてそれがあるようです。


 そうなんですって、受講生の皆様。



 そして、こうした「閉鎖系社会」は、環境面にもプラスにはたらいていたようです。

 


 
「徳川末期から明治初期にかけて来日した欧米人が驚いたことのひとつは、山川草木つまり自然が優れて保たれていることだった。…そこには勤勉、相互協調と生活物資をリサイクルしながら生きることを前提にした閉鎖系の倫理意識がつよく働いていた。」(p.178)




 「結局、完全な閉鎖系で比較的脆弱な環境条件のもとに、人口収容能力の限度まで人口が増えた社会が何世紀も環境崩壊を起こさず存続するという事例が、日本にあった。そこにはダイアモンドが気づいたように、幕府統治下の安全な社会があり、森林資源の需要と供給のバランスを崩さない長期の環境保護政策が立てられ、家の制度のようにもっともよく責任を果たす者をつうじて次世代へのつながりを保証する工夫がなされていた。しかも化石エネルギーに頼らない徹底したリサイクル型の生活様式・文化が編み出されたが、そこに認められる倫理意識は、分を超えた欲望の自制、勤勉、そして争いの回避と協調であったようにみえる。」(p.182~183)




 歴史上、自然環境が荒廃した地域と時代というのは、要するに人と人との争いが多かった。環境の制約を超えて、際限なく欲望がふくらんだ。

 江戸幕府はそれらの要因を、丁寧につぶしていた、というのです。

すぐれてシステム思考的だった、というべきか。
 


 こうしてこの本を引用して書いていると、私自身いささかナショナリズム的な思いにかりたてられないではないですが、


 先だって読売新聞で元駐日大使のアーミテージ氏が、

「日本人の一部には江戸時代に帰りたいという願望があるようだ。だがそれは不可能だ」

と警鐘を鳴らしていましたが、この本(09年7月刊)のような言論が出てきていることが背景にあるのかもしれません。


 さて、しかし現代日本の私たちも江戸時代に形成された倫理意識を大いに引きずって暮らしているとするなら。それは調査でかなり確かめられているわけですが、


 当然、鎖国ではいられないグローバリズムの時代にどう生きるかの指針が求められるでしょう。


 続きは次回の記事で。



神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
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『環境世界と自己の系譜』の読書日記
「日本人の自己観と幸福観」シリーズ、インデックスを作りました!!
2015年10月現在読み返してもなかなか面白いことを言っております。
よろしければご覧ください:

日本人の自己観と幸福観(1) −『環境世界と自己の系譜』より
http://c-c-a.blog.jp/archives/51515101.html

日本人の自己観と幸福感(2)−「つながりの自己」と「アトム型自己」
http://c-c-a.blog.jp/archives/51515159.html

日本人の自己観と幸福感(3) −心理学が強化した「アトム的自己」観?
http://c-c-a.blog.jp/archives/51515163.html

日本人の自己観と幸福感(4)− ふたつの幸福感、離脱肯定とつながり肯定
http://c-c-a.blog.jp/archives/51515305.html

日本人の自己観と幸福感(5)―エイズパニックにみる、自我拡張と自我縮小の出会い
http://c-c-a.blog.jp/archives/51515882.html

日本人の自己観と幸福感(6)―江戸時代に完成された「閉鎖系」の倫理観
http://c-c-a.blog.jp/archives/51516148.html

日本人の自己観と幸福感(7)―アトム的自己観を前提とする不幸
http://c-c-a.blog.jp/archives/51516790.html

日本人の自己観と幸福感(8) ―「つながりの自己」は万能か
http://c-c-a.blog.jp/archives/51517365.html

日本人の自己観と幸福感(9)―不安にみちた現実世界と世界仮構のいとなみ
http://c-c-a.blog.jp/archives/51517379.html


 「自己観」とそこから出発した「倫理観」が欧米とそれ以外の世界で大きく異なり、前者は「開放系世界」を前提とした「アトム的自己」、後者は「閉鎖系世界」を前提とした「つながりの自己」が多くみられる、というお話。


 今回は、1980年代に日本で起きた「エイズ・パニック」と、それについての日米の認識の差について。


「日本社会のエイズ問題への初期反応には、ひとつの大きな特徴があった。それは危険の規模に比べて、そこに生ずるパニックが並はずれて大きいことである」
(『環境世界と自己の系譜』、p.54)


 どこかできいたようなみたような。つい最近の新型インフルエンザ対応で、当初やはりそれに似た反応がなかったでしょうか。


 
「1987年、神戸で一「売春婦」がエイズ患者と報じられて起こったパニックはすさまじかった(正田注:神戸だったんだなあ〜)。…しかしいったん上記の報道がされるやいなや、京阪神の保険機関は問い合わせと検査希望によってほとんど麻痺状態におちいった。その後わずかの期間に万を超えるエイズ抗体検査を行っている。その間数千人の日本人セックス・ワーカーが検査を受けたにもかかわらず、驚くべきことに、そして幸いにも、感染者はゼロであった。

 だがパニックの二カ月間、読売、朝日、毎日の三紙はそれぞれ78、77、69件のエイズ関連記事を掲載している(同期間ニューヨーク・タイムス92件、ワシントン・ポスト41件)。したがって、エイズ流行の現実の規模や流行のポテンシャルを考慮すれば、マスコミの報道は危険を途方もなく過大視している。」(同p.54~55)


 
「パニック現象と合わせて日本人には不快刺激に対する恐怖と不安が強く、また自分と刺激のあいだに距離を置こうとする傾向−それはしばしば不必要な差別になる−も大きいように見える」(同p.56)




 新しい、とりわけ疾病について、パニックを起こす情動というものが、わたしたち日本人にはたしかにあるようです。


 新型インフルエンザについては、5月の時点ではまず過剰反応、次いで7〜8月には奇妙な楽観視、現在はやっと新型インフルの症状を分析し、冷静で戦略的な対応、というところに落ち着いたといえるのではないでしょうか。そこに落ち着くまで日本では数カ月を要しました。




 またお話はもどって、上にあげたようなエイズに対する反応を経て、日本でのエイズ患者数は諸外国との比較ではごく緩やかにしか増えず、94年に新規に出た患者は136人、感染者は298人でした。同じ年のタイでは患者数は6458人でした。



 なので「恐怖反応」のお蔭もありかなり効果的に抑え込んだといえるのですが、そんななか92年、アメリカではある会合でエイズが話題になりました。そのときアメリカ人は「日本はエイズの流行阻止で10年遅れている」と主張し、同席した日本人の医師、会社員、旧厚生省の官僚、らは、それに賛意を示した、というエピソードがありました。


 数字の事実をみる限りアメリカの主張(日本はエイズ流行阻止で10年遅れている)は事実から離れており、そこに日本人が恐縮して仰せごもっともとする態度はおかしいのでした。


 著者はこれを、ふたつの倫理−

一方は「傲慢」、「尊大」、「自信家」、「強がり」

もう一方は「卑屈」、「自己卑下」、「謙譲」、「宥和的」

による、認識の偏りの表れだとします。



「生存戦略として、自己と周囲がまったく切りはなされ、そして潜在的敵対者である他者に囲まれたとき、独立した生存に必要な自己は強くなければならない。いま自己と自我を同義的に用いるならば、心理状態としては、自己高揚、自我拡張をつねに強いられる。

逆に、自己と他者がつながっている文化では、生存戦略としての協調を保つためには、他者の意向を組み入れるばかりではなく、つながりを傷つける言動を抑制する。自己卑下と自我縮小は、良好な関係を存続するために必要な心理機制であろう。

もう一度見逃してはならないことは、自我拡張も自我縮小も、心理機序としては、本人の表層意識には浮かびあがってこない「深層」において、はたらいている事実だ。とすれば、両者において、エイズ流行現象の「疫学的客観性」から反対方向に乖離した認識が生ずることは、まず避けられない。その認識の差は、両者が同席したとき、ことに顕著に現れる。」(p.68,改行正田)

 

 
 自我拡張傾向にある「アトム的自己」の持ち主と、「自我縮小、自己卑下、自己無化」傾向のある「つながりの自己」の持ち主が同席すると、それぞれ特有の認識の偏りを起こし、自我拡張はいっそうの自我拡張へ、自我縮小はいっそうの縮小へ、偏っていくという現象になるのでした。

 つまり、一方は
「あんたはけしからん、あんたはダメだ」
と言いつのり、他方は
「すみませんごもっともです」
と、どこまでもへりくだる、ということが起きてしまう可能性があるわけです。


 「謙虚」という美徳を繰り返し教え込まれている人であれば、場面と相手によって、不当に不都合な目にあうことを余儀なくされるかもしれない。

 
 このブログの読者のかたには、心当たりはありますでしょうか。





 
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 欧米に多くみられる「アトム的自己」と日本を含むその他世界に多くみられる「つながりの自己」では、それぞれが幸福を感じる場面も異なってくる、と、『環境世界と自己の系譜』という本では述べています。


 
「たとえば、みんなで競争しながらする仕事で自分だけが突出していちばんよい成績をあげたときには『誇り』や『有頂天』という気持ちが生ずるだろう。これは、通常の対人関係から、自己が優位に立ったあるいはとび抜けたと認識したときに起こり、集団から自己が抜け出すときに生ずる優越的感情といえる。これを『離脱肯定感情』と呼ぼう。

 逆に、共同作業で、おたがいに助け合いながら苦労の末仕事を成功させたとき生ずる『親しみ』や『尊敬』といった感情は、対人関係の強化を肯定しているから『つながり肯定感情』と呼んでよい。

 つぎにこれらの感情とは別に、『落ち着いた』『リラックスした』や『うきうき』は、どちらのタイプの成功によっても生ずる『一般化された肯定感情』、つまり『しあわせ感』あるいは『幸福感』である。」
(p.117 改行正田)


 そして、日米の大学生を対象とした調査では、


 アメリカ人では「しあわせ感」が「離脱肯定感情」に非常に強い相関を示し、一方で「しあわせ感」と「つながり肯定感情」の相関は比較的低い。


 こうしたアメリカ文化の傾向について、著者は、

「国際社会の思惑を無視してイラクに侵攻したり、京都議定書から脱退するアメリカの単独主義(ユニラテラリズム)の理解には、この情動的基盤を斟酌する必要があるのではないか」

 と、なかなか容赦ないことを言います。


 対するに日本では「しあわせ感」は「つながり肯定感情」と非常に強い相関を示し、「離脱肯定感情」と「しあわせ感」との相関は比較的低かったのだそうです。

「したがって日本文化の文脈では、自己の独立を確認したとしてもかならずしも幸せではない。」


 倫理意識と情動とは、重なり合う部分が多いのでした。

 
 おおざっぱにいえば、個人志向的倫理と自己中心的感情のアメリカ。関係思考的倫理と他者中心的感情の日本。
 


 こうしたまったく逆方向の心理特性をもつ両者が出あった時、特有のダイナミズムが起こります。


 続きは次の号で。



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 「自分」とは、「他者と切り離された自分」なのか、それとも「つながりの中にいる自分」なのか。


 実は、私はコーチングを含む心理学系のセミナーに行くと、繰り返しこの問いをつきつけられます。


 より正確に言うと、それらのセミナーでは、前者のいわゆる「アトム的自己」観を正解とし、そこへ誘導しようとする。そして私はそれへの違和感をたえず感じていた、ということです。


 あるセミナーでは。


「名刺を出してください」

と、アメリカ人のファシリテーターが、通訳を介して言いました。それまで知られていなかった新しいコーチングの流派を日本に紹介するためのワークショップでした。


 各自、自分の名刺を出すと、


「ではその名刺の会社名と職業を、線を引いて消してください。どんな気分ですか?」

 言われたとおりにします。

「次に、住所を消してください」


「次に、あなたの苗字を消してください」

「次にあなたの名前(ファーストネーム)を消してください」

「最後にその名刺を破って捨ててください。これであなたは一切のしがらみを捨て、あなたそのものになります」


はて。

根っからのクリシン人間の私はそこで首をかしげます。


苗字を捨て、夫はともかく子どものいなくなった私が、ほんとに私らしいといえるのか?


そこに残っている「私」というのは脳の遺伝的初期設定?

仕事を含め、経験によって築かれたものが全部「しがらみ」であり「私でないもの」であり「まちがい」だというなら、残るのは遺伝的初期設定しかないではないか。それは生まれたての乳幼児の本能レベルのものにすぎないのではないか?



これはほんの一例ですが、心理学系のセミナーで「私」あるいは「自分」に立ちもどれ、と訴えるものは多々あります。


そのたびに、「子どものいない私って何?」と「私」は首をかしげ、


そこから発展して、


「関係性という要素を抜いた『自分』は、私的には『自分』ではない」


と、いう結論になるのです。


 この歳までいろんなセミナーに足を運んでいるのですが、「家族」とくに「子ども」という「重し」があったのは、私にとって幸いだった、といわざるをえません。お蔭でのめり込まずにすみました。


 アメリカは心理学先進国です。もともと開拓者文化の国であり、「アトム的自己」が優勢なお国柄ではあったのでしょうが、前世紀に発展した心理学は、一層その「アトム的自己」観を自己強化するはたらきをした、と考えてもいいかもしれません。

 心理学が「アトム的自己」観をイデオロギー的に強化したのだ、と。


「イデオロギー的に強化」という表現は、もっといえば「強固になってたちが悪くなった」というニュアンスも含んでいるかも…。



(この項つづく)


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 NPO法人企業内コーチ育成協会の前身の任意団体、「コーチング・リーダーズ・スクエア(CLS)」では、5年間にわたって管理職向けの勉強会を開いてきました。


 参加費を3000円くらいに設定し、自分のポケットマネーで来る人、領収書をもらって会社に請求するつもりの人、さまざまでしたが、


 コーチングの諸団体の中でもCLSの参加者のキャラクターは独特で、


「真面目、大人しい、礼儀正しい、やや不活発、空気が重い」

なのでした。


 しかし喜んでないというとそうでもなく、後々続けてまた勉強会に都合をつけて参加したり、その際「このあいだすごく良かったです」と、ぼそっと言ってくれたりするのでした。


 要するに典型的日本人の組織人で、自由奔放にふるまうということはまずなく、周囲をみて物静かに行動する人たちなのでした。





 さて、『環境世界と自己の系譜』という本によれば、人類文化に認められる自己認識には2種類あるといいます。


「端的に言うならば、ひとつは『自己と他者とは画然と切り離された存在である』という認識。もうひとつは『自己と他者とは切り離すことができないつながりをもつ』という認識だろう。ともに深層意識的認識であり、通常私たちはそれを自覚していない」



 この本では、前者の「切り離された自己」を「アトム的自己」、「つながりを持つ自己」を「つながりの自己」と名付けています。



 この2つの中身については、こう述べています。


「『アトム的自己』は、他者とはっきり分離した存在であり、それだけで完結している。したがって自己は、その判断、意思決定、行為、そしてそれらにともなう感情のダイナミックな中心として理解されている。そこには他者や、社会や、自然は、自己に対峙する姿としてしか見えていない。あくまでも『自己』が世界の中心にある。当然、この認識に基づく心理的ダイナミズムによるならば、判断、意思決定、行為において、他者は本質的に影響力のある要因、つまり『関係項』(referent)として存在しにくい。このような自己観の持ち主にとって、『自己実現』とは、その頼みとする才能、野心、能力の具現化として意識される。

 これに対し、『つながりの自己』では、自己にとって意味のある他者(家族、グループ、世間など)と切り離すことのできないつながりが、深層意識的に存在する。したがってそのあらゆる判断、意思決定、行為に他者は、『関係項』として影響している。かれらとの関係は、程度の差こそあれ、必須かつ主要な要因だ。つまり他者との関係が悪くなるような意思決定や行為は制限される可能性が大きいばかりか、生の実感は他者との関係を強化される場合にもっとも強く経験されよう。この自己観の持ち主では、自己実現は、自分の欲望、才能の直接的具現化よりも、自分が他者から期待されている役割をきちんと果たすことにより、他者から賞賛を受け、結果として他者とのつながり(相互依存性)を強化する方向へと働く


(太字は正田)


 そしてこれら二種類の自己観のうち、「アトム的自己」観は主として北米白人と西欧の文化圏に見いだされ、「つながりの自己」観は日本人を含むその他すべての人類文化において優勢にみられる、といいます。


 もちろんそこには個人差やこまかい地域差があり、たとえば日本でも北海道の住人では、本土の住人と比べ、自己観や幸福感がアトム的自己にちかく、開拓者文化がそこに影響しているだろう、というのです。


(この項つづく)


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さて、「うちの協会」 −NPO法人企業内コーチ育成協会−では、

「承認論を核とするコーチング」というのを提唱しています。
これは、世間一般の「コーチング」を、「目標達成中心のコーチング」と考えて、それと対比させたものです。


目標達成について、重視していないというわけではなくて、ちゃんとそれも講座の中で扱うのですが、

それが何よりも大事だというスタンスはとらない。


「承認」−ほめる・認めるというスキルおよび精神−が、重要だとして、講座の中では一番丁寧にじっくり扱います。


「承認論」の提唱者である太田肇教授に出会ったからかというと、それだけでもない。


なんとなく、「だってわれわれ日本人はこれでしょー」という感覚があった、のです。


そこだけを見ると、

「これに決めた!これで行く!」

と言ってる世間のトップダウンの経営者さんと私もなんら変わるところありません。


言い訳になりますがそういう「うちの団体」−前身の任意団体「コーチング・リーダーズ・スクエア(CLS)」の時代以来 −の勉強会に、ポケットマネーで来て学んでいたマネジャーさんたちは、極めて高い成果を挙げられていました。

つまり、ある程度「承認論中心のコーチング」が有効だ、と検証されている、と考えていいと思います。



さて、そういう

「だってわれわれ日本人はこれでしょー」

の感覚は、最近では文化人類学や文化心理学、保健学の立場から裏付けられているようです。


(脳科学は…、実験デザインの限界からか、ここではあまり役に立ちません。通常の脳科学では、やればやるほど、人は「個体」としてみなされ、文化的・社会的つながりとは切り離されてしまいます。自己啓発セミナーの方向に行ってしまう、ということです)


というわけで、最近でインパクトのあった本、『環境世界と自己の系譜』(大井玄著、みすず書房、2009年7月)から、すこし長々と読書日記の形でご紹介しようと思います。


著者は1935年生まれ、元国立環境研究所所長、専門は社会医学、一般内科、在宅医療、心療内科、環境医学、です。


続きは次の日記で…。


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非常に細い道筋を、選び選び歩いている。私達は。


起業家の友人と話していて、そんな感想を持った。


自己実現とは本当に幸せなのか。


これだけ人材開発のテクニックの発達したこんにち、自己実現

〜いいかえれば人の脳をかぎりなく開発すること〜

も、手に入るようになっている。


それをし尽くした人が、果たして幸せなのか?


極めて速いスピードで頭を切り替え、仕事も家庭も趣味もひょっとしたら恋愛も、人の5倍ぐらいのめり込み楽しみ、


その人生の行きつく先は。



「良いマネジャーになるとは、優秀ではない自分を受け入れること」

私が彼にできるアドバイスは、それしかない。




ある分野で突破的な能力を発揮し、
仕事を通じて成長する手ごたえを楽しみ、
上司から元気なヤツと褒められ、
お客様から感謝され、

という喜びは、過去のものになる。


人によってある年齢のとき、ふとそれを受け入れられるようになる。

外回りであるいは企画や研究開発で力を発揮していた人が、
庶務的な事務作業をし、
経理をし、
自分以外の他人の言動に責任をもち、
そのため多少管理的にふるまうこともし、
自分の言動は徹底的に抑制し、
他人のパフォーマンスを向上させることに喜びを見出し。


そこには、既に自分の輝きはない。他人を輝かせるために、自分を抑える。
それでも、

「年をとって責任を持つって、こういうことなんやなあ」

と、上手く引き受ける人も中にはいる。


「枯れる」ということもできるだろう。



「うちの協会」は、「コーチング」という言葉を名称に入れていない。「企業内コーチ育成」という言葉を使っている。


無意識にそういう言葉を選んでいるのだけれど、要するに、

「あんたは輝く側じゃないよ。人を輝かせるために自分を抑制することを学ぶ場だよ」

と、あんまりたのしくないことを言っている。



それは、脳開発からいったらどういう作業をしていると言えるのだろうか。


「自由意思というものはない。あるのは衝動的な活動を抑制する自由だ」

という脳科学者もいるが。



彼がそれを選ぶかどうかは、彼の自由意思で、
しばらくは選んだとしても、また違うほうに行くかもしれない。


先日開講した「応用コース」の受講生さんのMLがその後も盛り上がっていて。


それぞれに職場でも手ごたえをお感じになっているようです。



正田はマネジャー論で有名なH.ミンツバーグ教授のファンで

去年、一時期ミンツバーグの手法「コーチング・アワセルブズ」


が、ビジネス誌でしきりに話題になったとき、


「これほどの人があえて『コーチング』を名乗るか」


と、驚いたのでした。



延々とディスカッションをするマネジャー研修。


脱MBAを目指したミンツバーグの到達点は、それでした。



いつか、この人を呼んでみたい。うちのNPOで。


というようなことを、言っていると、何年か後には実現するかもしれません。


 ジョセフ・ナイ著『リーダー・パワー〜21世紀型組織の主導者のために』(日本経済新聞出版社、2008年12月)という本を読んでいます。


 著者は、ハーバード大ケネディスクールの院長を務めたアメリカの安全保障の専門家。


 経済力や軍事力、警察、財力、人を雇用・解雇する力、といった「ハード・パワー」に対比して、「ソフト・パワー」を提唱。

「ソフト・パワー」とは、物質的なインセンティブで相手を操作するのではなく、相手の心を引き寄せることで望みの結果を得る力であり、他人を威圧するのではなく、勧誘して仲間にする力だ、と著者はいいます。


 この人が言う「リーダー」とは…。


「わたしは、リーダーとは、人間の集団が共通の目標を設定し、それを達成する手助けをする存在であると定義している。この共通の目標という点が重要である」(p.38)


 そして「よいリーダー」とは、「有能で倫理的」であるとし、


「よい知らせが1つある。リーダーは変われるのだ。リーダーは天性の資質だけで決まるのではなく、主としてつくられるものであり、リーダーシップは学習可能だ。本章の冒頭で、権力論について引用したマクレランドとバーナムは、マネジャーは訓練を受けることで、自分のスタイルを変更できることを発見した。彼らの主張によると、最良のリーダーは「調整者として働く2つの特徴を提示する―自己中心的な要素が皆無に近くなるまでに、感情面で大きく成熟していること、そして、民主的でコーチング力を備えたマネジャー的なスタイルである」という。前にも見たように、感情面での成熟、自意識、そしてEQもまた、学習したり教えたりすることができる。個人でも組織でも、学習は可能だ。

 リーダーシップは、主として本から学ぶものではない。しかし、本書のような本を読めば、歴史や心理学からの教訓を学び、必要なスキルについて認識し、よりよい理解を得ることができる。(中略)一方、リーダーになる可能性のある人は、政治や組織に関するハード・パワーのスキルはもちろんのこと、EQ、ビジョン、コミュニケーションといったソフト・パワーの源泉と限界について、もっとくわしく学ぶことができる。彼らはまた、自分の直観的な予測力を養い、スマート・パワーの戦略を維持するのに必要な、状況把握の知性の本質についての理解を深めねばならない。(p.209-210、太字は正田による)」


 と、述べています。


 なぜこの文章を長々と引用させていただいたのかというと、
 
 この人が言うリーダーシップの要素、
 すなわち「コーチング能力(=部下育成能力)」をはじめ、意志決定にかかわる「感情面での成熟」「自意識」それに「ビジョン」「コミュニケーション」は、いずれもコーチングの基礎〜応用のトレーニングの中で学ぶことができます。

 
 大半の時間はそれら学習可能なヒューマン・スキルを活用する一方、ときに例外的な状況ではマキャベリズム的に功利的な策士であることが現実のリーダーに求められる資質でありましょう。



 コーチングといえば、「ああ、部下育成のことですよね」と、いう反応をいただくことが多いものです。実際、このブログでもそういう文脈でコーチングに触れることが多かったとおもいます。


 ところが、部下育成にとどまらず、リーダーシップ育成全般に大きく関わるものだ、ということは、日本ではまだあまり理解されていません。



 私は、「コーチング=部下育成」と、「せまく」とらえてしまうのは、あまりに「もったいない」と思っています。コーチングは、極端にいえばこのところの歴代首相にも、「足りない」と揶揄されたり、嘆かれたりしてきたさまざまな能力を伸ばすはたらきをします。



 コーチングにより、たとえば自己決定の習慣が育ちます。
「状況の主体は自分だ」
「自分は状況に影響を及ぼすことができる」
という感覚が育ちます。


 周囲に対する正確な観察力が育ちます。


 また、自分の欲求、感情、価値観をていねいに見きわめることで、非常にバイアスの少ない、ものごとの価値判断、状況判断の的確にできる人を育てます。

 
 価値観やビジョンを明らかにし、言語化することで、周囲に望ましいビジョンをクリアな自分の言葉として伝え、そこへ向かって動かす力を育てます。これは、ナイ氏のいう「ハード・パワー」に頼らないソフトなリーダーシップの核になるものです。


 5年間にわたる任意団体時代から今まで、多くのリーダーがコーチングを学んで業績を伸ばされました。これらのリーダーは、単なる「部下育成能力」としてのコーチングではなく、こうした「ビジョンを提示する」「情報を集め、的確に状況判断する」「タイムリーに決断し、行動する」といった、リーダーの学習可能な能力をフルに活用していたとおもわれます。



 良いリーダーを1人でも多く育てていくこと。


 それは、その企業・組織の業績向上に役立つのはもちろんですが、社会全体に大きな価値をもたらすことを、私は確信しています。


 

「コーチング講座応用コース」が、きのう開講しました。


兵庫、滋賀、大阪から30代後半〜50代の経営者、管理者の6名の受講生さん。


名古屋から横山みどりコーチが来られ、「タイムマネジメント」について講義と演習をしました。


応用(1)−7

応用(1)−1



「自分の時間についての感覚は?」


きかれて、

「夏休みの宿題は、最後になってやるほうでした」
「宿題は一切やらないで二学期登校したことがあります」

やんちゃな子ども時代の思い出をたぐる中、

「夏休みの宿題は、両親のいいつけでお盆までにやりました。そうすると遊びに連れていってもらえるし、父が工作を手伝ってくれるので」

という優等生さんもいて、
一同「おお〜」という声。


応用(1)−4


グループワーク。

時間管理のじょうずな人はどんな人?ときかれて…、


「自分のことは自分で決められる人」


具体的には、自分の引退時期を決めた大橋巨泉さんや、

今も現役でトレーニングを怠らない森光子さんの名前が出てきました。








そして、



「自分は人生60歳主義です。60で死ぬことを前提に、いつまでに何をやるか決めています」

という人や、

「自分の人生の目的をざくっと決めていて、気がつくとそれに沿って動いています」

という人、


一方で

「人生の目的なんて考えたことない」

「雑多なものを邪魔だと思ったことがない。それも自分の役割だと思っているので」

と、

それぞれに優秀な皆さんではありながら、その人の強みや価値観によって、考え方が分かれました。



さまざまな角度から皆さんの現状をみていくうち、しだいに課題が明らかになり・・・、


「職場の会議改革をします」

「机を片付けます」

「To Do リストをつけます」

「人生の目的を考えます」


と、具体的な目標設定をして、おわりました。



タイムマネジメントはどの人にとっても、目標達成や自己実現のための基礎になるもの。


これから6か月、互いによき「コーチ」としてサポートしあいながら、すすみます。


皆さんお疲れさまでした!そして、横山みどりコーチ、ありがとうございました!



次回は10月3日(土)、神戸国際会館にて、「職場のコーチング実践」と「承認論」。当協会顧問の太田肇教授が登場します。

おはようございます。

 きのうめっちゃ暑かったですね〜。

 あまりの暑さに、

 しょうだは夕飯をつくりたくないー!ってゴロゴロしていたところ、

こども達から

「いいよお母さん、きょうはホントに作る気しないよね。あたし達が何か買ってくるよ」

と言われて、がぜんがばっと起きまして、料理をつくりだしました。


 優しくされると、(少々ちぐはぐだけど)元気になる私。
 しかし、飲食店の皆様はこういうときホントにえらい!頭が下がります!

 

 さて、今日は「ひょうご仕事と生活センター」の主催する、会社が幸せになるセミナーのご案内です。

  http://www.hyogo-wlb.jp/news090901/



 ワークライフバランスや男女共同参画、ダイバーシティーに取り組むため、今年6月に設置されたばかりの同センター。

 
 10月5〜9日の5日間、兵庫県内5か所で、午後の1時間半の無料セミナーを開催。

 
 実はわたくしも、「コーチング」のお話で、そこにまぜていただいております…(*^^*)

 
 セミナーの概要は、下記のとおり。


【1】セミナー内容 時間:14:00〜15:30
 ?次世代育成支援対策推進法に基づく一般事業主行動計画って何?
 講師:社会保険労務士 糟谷芳孝氏 (糟谷社会保険労務士事務所 代表)

 ?「チームジョブ」って何?
 講師:甲斐千詠子氏 (NPO法人シンフォニー)

【2】セミナー内容 時間:14:00〜15:30
 ?社員のモチベーションアップコーチングの基礎を学ぶ
 講師:正田佐与氏 (NPO法人企業内コーチ育成協会 代表理事)

【3】なんでも無料相談会 時間:15:30〜
 ご希望の方には、社労士、コンサルタントなどの専門家数名が、次世代育成対策推進法 関連・雇用のお悩み・業務効率改善・各種助成金の申請など、あらゆるご相談を無料で お受けいたします。

■日時・場所
 10月5日(月) 加古川会場 東播磨生活創造センター2F会議室A・会議室B
 10月6日(火) 尼崎会場  尼崎商工会議所501号室・502号室
 10月7日(水) 長田会場  新長田勤労市民センター3F・4F
 10月8日(木) 姫路会場  西播地域地場産業振興センター503号室・603号室
 10月9日(金) 三宮会場  センタープラザ西館2号室・8号室


 詳細とお申込みは、こちらのページ↓↓↓↓

   http://www.hyogo-wlb.jp/news090901/
 で、どうぞ。お申込み用紙をダウンロードしてご記入いただき、FAXでお申込み
いただくようになっています。


 これまで「コーチングってどういうことか、一度きいてみたいけれど、
いきなり1日や2日のセミナーは敷居が高いし…」

 と、思われていた方も、今回のは1時間半の無料セミナー。
ぜひ、足を運んでくださいね!!

 

 ◆NPO法人企業内コーチ育成協会 今後の予定◆



9月12日(土)10:00〜17:00
コーチング講座 応用コース 第1回開講! 
ビジネスプラザひょうごホールにて
http://c-c-a.jp/koza/appliedcourse2009.html

9月25日(金)18:30〜20:00
第6回よのなかカフェ
テーマ:「シゴトって、お金のためにするの?」
外国語・エアラインスクール テイクウィング(阪急岡本駅前)にて
http://c-c-a.jp/koza/yononaka0909.html

10月10日(土)・11日(日)10:00〜17:00
コーチング講座 基礎コースB 第2期
ビジネスプラザひょうご(三宮)にて
http://c-c-a.jp/koza/091010.html

10月24日(土)13:30〜16:30
第5回例会「プレゼンテーションとフィードバック」
http://c-c-a.jp/koza/feedback.html


11月14日(土)・15日(日)10:00〜17:00
コーチング講座 基礎コースA 第4期
ビジネスプラザひょうごホール(三宮)にて
http://c-c-a.jp/koza/091114.html

さて、当協会が今年4月からやっている「よのなかカフェ」。


 その名前なんかきいたことあるゾ、と思われた方もいたかもしれません。


 実は、これ東京・杉並区立和田中学校で、リクルート出身の藤原和博さんが民間人校長になって取り組まれた授業、「よのなか科」のパクリなんです。名前だけ。


 よのなか科では、色んな分野で実際に活躍している人がゲストスピーカーで来たり、ハンバーガーのコストを提示したり、と結構手間のかかる授業です。しかし、ここで生徒さんたちの思考力が育ち、たとえば
「いじめはなぜ起こるか?」
「安楽死は是か非か?」
といった、答えのない問いにも、きちっと自分で考えて答えられるようになっていきます。
 「社会」に触れて驚きを経験し、それが勉強のモチベーションにつながるので、成績も上がります。


 一方よのなかカフェは、それほど事前準備の手間をかけず、主催者側がいっさい「答え」を与えず、一種の「ワールド・カフェ」として、参加者自身に考え、発言することを楽しんでもらう、というコンセプトで、やっています。

 
 その「よのなか科」の本家、藤原和博さん(現在、大阪府の教育顧問も兼任)が神戸に無料講演にくるときいて、すぐ申込みました。


 行ってみると・・・、


 神戸市勤労会館の会場には若い人がギッシリ。

 
 実は、この講演会は「神戸リメイクプロジェクト」の主催で、

 藤原さんのもう1人のスピーカー・
やはりリクルート出身の映像プロデューサー・(株)IMJエンタテインメント元社長の樫野孝人さんの
神戸市長選出馬表明の講演会だったのでした・・・



 あっいちおう申し込んだあと、当日の新聞の朝刊で、へ〜樫野さんって市長選出馬するヒトなんだ〜、ってことは、知ったうえで行ったのですが・・・



 
 藤原和博さんも、「よのなか科」の紹介もかけ足でしてくれましたが、終始、樫野さんの応援の弁。


 う〜ん、当協会のブログがあんまり「政治的」にみられるのもやばいかな、と思うんですが…、

 読まれる方々への「情報共有」として、ご紹介しておきます。



「大阪ではもう府下全域で『よのなか科』の授業をします!全国でも、和田中で作ったような学校支援地域本部をもう200か所に作りました!兵庫県ではまだ2か所です!兵庫にはまだ民間出身校長はいません!兵庫だけ教育が鎖国していて、いいんですか!」

「樫野さんが市長になったら、ぼくが神戸に来ます!大阪でやったように、神戸の教育を変えてみせます!皆さん、ぼくに来てほしかったら、樫野さんを応援してください!」

(以上、藤原和博さんの発言)




 それずるいよ〜、と思いながら。。。


 樫野さんは身長177cmで、イケメンなのだ。どうするしょうだ。いやどうするって言っても…。

神戸国際会館にて、

セミナー

「今どき若者気質と失敗しない採用戦略
 〜いい子を採って、ちゃんと育てるにはコツがある!」


を開催。


おなじみスタジオアッシュ・前田博美さんが、弾丸トークを炸裂しました。





○今時の若者気質とは〜年々変わる「今年の新人」の意識
○激変する採用スケジュール
  〜今年の大企業はこう動く!中小企業の採用チャンスとは
○採用現場のあんな話、こんな話
  〜採用コスト削減のためのちょっとしたコツ
  〜採用した側に出る不満とは
  〜採用した後が問題

と、いう内容についてレクチャーしてくださいました。




一部を紹介すると…、

「コストをかけずに採用しようと思ったら、人事の人が自分で大学をまわり、キャリアセンターを訪ねる」
「A女子大は内定後の辞退率が高い。B女子大、C女子大は低い」
「9月ごろ内定が一段落して、まだ採用したいとき、短大生、専門学校生の根性のすわった子が残っている」



 「08年卒の子からが『完全ゆとり世代』。

 この子たちは、時間に遅れるのも平気だし、封筒の表書きもできない」


 会場からは、実感をこめて

 「やっぱり…!」

 という声。 もちろんそういう子ばっかりではないんですが…


 さて、そういう若者たちを戦力として迎え入れなければならない職場の上司・先輩は、どうしたらいいか。


 「叱らない。1つ叱って8ほめる」

 「ほめるシートを使う」






 発言機会のなかったしょうだがききながら考えていたこと…、


 「皆さん、コーチングって、これから切実に『必須』ですよ」

 ということ、

 それから

 「ほめる」ばかりで人を育てるのは本当は限界があって、
 新人たちもいつかは「壁」に当たってもがかないといけない。

 自分の主観で良かれと思ってやることが正しいとは限らない以上、

 厳しい他人の意見も浴びないといけない。

 そういう、厳しい言葉も受け取れる強い人(ほんとうは、それが「社会人」なんですが)

 になってもらうための助走期間として、

 「ほめる」ことも役立ててもらう。

 また、上司の八つ当たりやバイアスの入らない公正なフィードバック能力も
 みがかないといけない。


 結局、「コーチング」というコミュニケーションのパッケージは必要だし、

 それにともなう上司のこころの成長、成熟ということも必要なのだ


。。。

 
 ちなみに、当協会はなんでもかんでも上司側の努力を強いる主義なわけではなく、

 昨年5月、任意団体コーチング・リーダーズ・スクエア(CLS)時代には、

「シュガー社員対策勉強会」というものをやり、その中で最悪の場合の「解雇の仕方」についても触れています。

 。。。


 長い心のツブヤキでした


 前田さん、参加者の皆さん、ありがとうございました



 先日、「応用コース開講」を一斉メール配信でお世話になった皆様にお知らせしました。


 実は、応用コースを今年、開講するのはかなり「冒険」だと事前には思われていて、受講生さんが集まらない可能性も大ありでした。


 出講を決めてくださった先生方にも、

「開講できる可能性は半々です」

とお伝えしていました。


 仕事に家庭に、もっとも忙しく責任の重い世代をターゲットにした私たちの講座、

 土日2日間の講座ならまだ参加できるよ、という人でも、半年間6回にわたる講座に申し込む踏ん切りは、時間的にも金銭的にもつきにくいだろう。


 さらに今年4月以来の講座を受講された方、という限られたパイの中で、そういう踏ん切りのつく、そして当協会の教育方法、理念などに心から賛同してくださる方がどれほどいるか、という話です。

 集まったのは、本当にその会社の主力(トップを含め)であり、責任を自覚している優秀なビジネスパーソンたちでした。
 


 メールで皆様にお知らせしたところ、
 NPOの前身、コーチング・リーダーズ・スクエア(CLS)の古くからの会員さんお2人から、お祝いのメールをいただきました。


 長年、見守ってくださっていた方々から、変わらぬご支持をいただけるのは、幸せなこと。


 お2人への御返事。


「 拙いメールにお目を通していただき、ありがとうございます。
お蔭さまで、NPOの設立、基礎コース・応用コースの開講、と
漠然と「夢」だったことが、ひとつひとつ形になっております。
 これも○○さんはじめ長年にわたり応援してくださった方々の
お蔭です。

 心ある方からみて、間違ったことをやっていないよう、
どうか引き続きお導きください。」




 「コーチングスクールをつくりたい」という夢。

 
 正田は、決していわゆる「ビジョン型」

(まずビジョンを描くことができ、それに向けて努力するタイプの人。この人たちにとって「目標設定」は、大きなモチベーションとなる。一方で1日1日、自分の価値観に沿って生きられればいい、という人を「価値観型」という)

では、ないつもりです。

 しかし、この夢は、つねに漠然と私のそばにありました。


 はじめて口に出して言ったのは、

 2006年、某ビジネススクールのMBAコースに入学が決まったときのことです。


 けっきょくこのスクールは1か月半で退学してしまったのですが

(その当時のブログをみると、詳しい経緯があります。『ハーバード〜不幸な人間の製造工場』という本もおすすめです)


「いつかは、コーチングのスクールをつくりたい。人間力のあるすぐれたリーダー、どこにでも通用するリーダーをつくりたい」


 そのための準備として、今はビジネススクールに行くのだ、と
言っていたおぼえがあります。

 その当時は、「2年後」と言っていましたっけ…、


 実際には3年が経過しています。

 
 そして、ビジネススクールは早々に退学してしまったので、いまだにファイナンスの知識もろくにありません。

 
 
 「夢」に向かってすすむ、1つのサンプルとして見ると、おもしろいかもしれません。
 続きを読む

 衆院選にかくれてあまり報道されなかったのですが。。


 中田市長が辞任したあとの横浜市長選に、林文子さんが当選されていましたね。

 私は個人的にこの人の大ファンです。


 よくご存知のかたも多いと思いますが、まだしらない方のために解説すると、


 林文子さんは女性のカーディーラーの草分けのような人。

 ホンダの店舗にに営業ウーマンで初めて入社し、苦労のすえトップセールスになり、

 そのあとBMW東京に移って 営業から初の女性支店長に。


 支店長としては、ワースト支店をトップ支店に変えることを繰り返しました。

 その手法は、思いっきりコーチングそのもの(まだ、そういう名前のものがなかった時代ですが)


 成績のふるわなかった営業マンたちに徹底して同行しながらいいところを見つけてほめ、

「あなたは魅力があるのよ。あなただったら絶対売れるわよ」


 と言い続け、その気にさせてしまう。


 そのあとやはり外資系自動車の日本法人にヘッドハンティングされ社長に。


「私、経営の数字のことわかりませんから」という林さんに、

引き抜き側の重役は

「日本には活躍している女性が少なすぎる。

経営の数字はあとからおぼえればいい。あなたは人の心を動かすことができる」

と言ったそうです。


 就任した林さんは赤字会社を3年で黒字化し、

 また古巣BMW東京に戻り社長に。


 そのあとダイエーの会長、日産東京販売の社長を経て、こんどは請われて横浜市長選へ。。


 
 政令指定都市の女性市長ははじめてと思いますが、林さんなら貫禄十分。

 ホントに、やるでしょう。


 でもこの人もう63歳なんだな〜^^


 私は、「人間力のあるリーダーをつくりたい」というとき、
よくこの林文子さんを念頭に置きます。


 林さんや、ルノー?日産のゴーンCEOなどのように、異業種の他社から請われて社長になるぐらいの卓抜した人間力のある人。

 
 そういう力のあるリーダーが、これからの日本を幸せにしていくのでは、と思っています。

 (もちろんそこでは、「傾聴」「承認」「質問」などのいわゆるコーチングスキル群は「必須」です)





 当協会の「コーチング講座 応用コース」が、お蔭さまで受講生さんが最少催行人数(6名)に達し、ぶじ開講できることになりました。

 
 設立間もない当協会を信頼してお申込みくださった皆様、ほんとうにありがとうございます。


 ちなみに、「応用コース」については、当協会の「コーチング講座基礎コース」を履修した方を対象に募集させていただいていました。

 聴く、承認する、質問するなどのコミュニケーションスキルから一歩進み、マネジメントの中のさまざまな関係性の中での在り方や考え方、自己の内面の掘り下げを学び、周囲に働きかける力を養っていきます。


 内容は

1.タイムマネジメント 講師:横山みどり氏(グリーンコーチ代表)
2.承認論  講師:太田肇氏(同志社大学政策学部教授)
3.部下力/ビジョンマッピング  講師:吉田典生氏((有)ドリームコーチ・ドットコム代表)
4.学習する組織リーダーシップ  講師:中小路佳代子氏((有)チェンジ・エージェント)
5.リーダーのしなやかな強さ(1) 講師:森川 里美氏((有)マックス・ユア・ビズ代表)
6.リーダーのしなやかな強さ(2) 講師:正田 佐与氏(NPO法人企業内コーチ育成協会代表理事)


 応用コース修了時に発行させていただく資格「NPO法人企業内コーチ育成協会認定企業内コーチ」は、

「人間力のある、職場に働きかけ良くしていく力のあるリーダー」のための資格です。

 



 ◆NPO法人企業内コーチ育成協会 今後の予定◆




9月5日(土)13:30〜16:30
大企業が採用を手控える今が、中小企業にとってはチャンス!
中小企業人財戦略セミナー
「☆今どき若者気質と失敗しない採用戦略☆
 〜いい子を採って、ちゃんと育てるにはコツがある!〜」
http://c-c-a.jp/koza/saiyou.html



9月12日(土)10:00〜17:00
コーチング講座 応用コース 第1回開講! 
ビジネスプラザひょうごホールにて
http://c-c-a.jp/koza/appliedcourse2009.html


9月25日(金)18:30〜20:00
第6回よのなかカフェ
テーマ:「シゴトって、お金のためにするの?」
外国語・エアラインスクール テイクウィングにて
近日WEBページ公開予定



10月10日(土)・11日(日)10:00〜17:00
コーチング講座 基礎コースB 第2期
神戸国際会館にて・近日WEBページ開設予定



11月14日(土)・15日(日)10:00〜17:00
コーチング講座 基礎コースA 第4期
神戸国際会館にて・近日WEBページ開設予定

皆様おはようございます!


 ベランダの空気もさわやか〜 9月ですネ


 さて好評の「よのなかカフェ」、

 今回からご縁あって、岡本の「外国語・エアラインスクール テイクウィング」さんで開催させていただくことになりました


 テイクウィングさんは、阪急岡本駅の改札の真正面にあるビルの4F。とっても交通便利な立地です。


 今月のテーマは…


「シゴトって、お金のためにするの?」


 わたしたちの1日の中の大半の時間を占めてしまうもの、「仕事」。

折しも就活が動き出す時期。就活、転職をお考えの若い方も、現在社会人の方も、「仕事」について、考えてみませんか。


 ちなみにしょうだが20数年前の就活のときにOBから言われた言葉。。

「自分の専攻を活かしてシゴトしたいっていう人、多いんだよねぇ」


 昔も今も、この状態はかわっていないようです。


 自分のやりたいことを仕事にするか。
 それがかなわなければ、かなうまで待つのか、それとも意にそまない仕事で流されながらはたらくのか。


 正解も、結論も、ここではまとめません。

 
 ルールは、「大いに語り、大いに聴こう」のみ。


 よのなかカフェは、さまざまな業種、分野、年齢の人と話すことで、びっくりするほど

「自分の想いが言える」
「自分の意見がはっきりしてくる」
「ほかの人の意見が新鮮」

 と、好評です。


 秋の夜のひととき、テイクウィングさんに集まって盛り上がりませんか?

 参加費は、社会人の方1,000円 学生・お子様500円で、お茶菓子つきです。


 今回から、事前予約が必要になりました

 NPO法人企業内コーチ育成協会 TEL: 078-857-7055 FAX: 078-857-6875 e-mail: info@c-c-a.jp
または、テイクウィング TEL:078-436-0807


まで、?お名前?ご職業(社会人または学生)?e-mail


を、お知らせください。前日の24日までお受付します。


<第6回よのなかカフェ 開催概要>


日時 9月25日(金) 18:30〜20:00
会場 テイクウィング内会議室 阪急岡本駅より徒歩30秒!
参加費  社会人1,000円 学生・子ども500円
主催 NPO法人企業内コーチ育成協会共催 外国語・エアラインスクール テイクウィング
※お子様連れでのご参加歓迎です(託児はありません)
※中学生以下のお子様は、保護者の方同伴でご参加ください。



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