正田佐与の 愛するこの世界

神戸の1位マネジャー育成の研修講師・正田佐与が、「承認と職場」、「よのなかカフェ」などの日常を通じて日本人と仕事の幸福な関係を語ります。現役リーダーたちが「このブログを読んでいればマネジメントがわかる」と絶賛。 現在、心ならずも「アドラー心理学批判」と「『「学力」の経済学』批判」でアクセス急増中。コメントは承認制です

2010年03月

 
 母からまた葉書が来た。


 長野の親戚を訪ねて体力的にきつかった話とともに、引き続き小著『認めるミドルが会社を変える』にお褒めの言葉。


 なんと77歳の母は、図書館でコーチングの本を何冊か読んでくれたのだ。


「(他の本は)米国での体験、筆者が複数、図示化、文字のポイントがやや大、表装が複数の色彩…など長所があるのですが、それらとは袂を分かって、筆力、表現、言葉の選択が美しいのです。(わさ氏=父の姉、母の義姉)の感想でもある)」



 もちろん身内の言葉なので身びいき。でも娘時代はこういうふうに褒めてくれる人ではなかったので、素直に嬉しい。


 子どもは幾つになっても母親に褒められたいものなのだなあ。


 このところこのブログに母がよく登場する。

 本を出して嬉しかったことは、色んな人に理解してもらったこと、受講生さんや古い会員さんに喜んでもらったことなど様々あるけれど、


 個人的には何よりも母に理解してもらったことは嬉しい。


 ここ数年、とりわけ本にも書いた娘と夫の鬱のときは本当に不義理をした。


 当時、母は近所に住む兄と

「なんで佐与とはこんなに疎遠に…」

と、愚痴りあっていたのだそうだ。


 今は、「よくわかった。読むと胸が痛む」と言ってくれる。


 
 母と同時に私も最近わかったことがあって、


 それは著書とは関係なく、子育ての国際比較の本を読んでいて気がついたことなのだ。


 母は「働く女性の第一世代」のような人で、色々と当時最新といわれる育児知識をもっていた。

 赤ちゃんだった私が泣いても「抱き癖がつく」と抱かなかった。

 同じ年ごろの子がお母さんに抱っこされているのをみて、「あたしも抱っこして」とねだったのをおぼえている。でも抱っこしてもらえなかった。


 親戚のおばさんは、赤ちゃんの私があおむけに寝て口に哺乳瓶を立てたまま放置されているのをみて、


「赤ちゃんは抱っこしてお乳をのまさなきゃだめよ」

と、呆れて注意したそうである。


 そういう話をなまじきいたために、私は母を恨んだりもしたし、子どもが生まれてからもあまり頻繁に里帰りしなかった。


 ところが、それは20世紀初頭からのアメリカの伝統的な子育て法だったのだ。


 1950年代に「スポック博士の育児書」が登場し、「赤ちゃんの自然な欲求にこたえてやりなさい」と言われるまで、アメリカでは赤ちゃんが泣こうがわめこうが一定時間ほっとかれ、厳密に3時間おきに授乳するやり方が主流だったのだ。


 母はその時代、最善と思われていたやり方をしたにすぎなかった。


 今の常識で裁くことなどできないのだ。



 そう思うと、母を「ゆるす」ことができた。おこがましいいい方だが――、


 
 母が著書を読んで私を理解して思い切り味方になってくれたのと同時に、私は母を「ゆるす」材料をみつけた。


 こういうのもシンクロニシティ、同時性かもしれない。(そういえば最近シンクロニシティってあまり言わないな;;)



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 夕方、著書にも登場した子どもの中学の校長先生からFAX。


 「私事ですが本日限りで退職します」とある。

 「定年退職」と書いていないところが妙に気になる。


 小柄で、背筋が通って凛として、大好きな尊敬する女性だった。


 離任式、行ってみようかな。


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 著書で引用させていただいた元国立環境研究所所長の大井玄氏より、葉書をいただいた。


 引用のお礼をこめ、事後報告を兼ねて著書をお送りしたことへの丁寧な返礼。



 拝復 御高著「認めるミドルが会社を変える」それに素敵なお便りありがとうございました。日本のように、自然資源に乏しく、人間だけが活力の源である国では、一人一人の能力をひき出していくことが国の生き残る手段なのだと思います。今後の御活躍を期待しております。早々



 大井氏は、2007年の前著『痴呆老人は何を見ているのか』(新潮選書)で、自らが進行がんだということを明らかにしておられた。


 『環境世界と自己の系譜』は、日本社会に遺す書というおもむきがあった。と、私は受け取っていた。


 
 値千金の葉書。



神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
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 経理のUさんが年度内最終の出勤。


「マンションの前の桜が咲き始めましたね。

 私が1年前に初めてここへ来た時に満開だったんですよ」


「あ、そうでしたねえ」



 Uさんと初めて会ったのは「採用面接」です。



 NPO設立して3か月、私が自分で経理もやろう、と思ったけどあえなく挫折。

 専門家のかたに記帳の不備をたっぷり指摘され、あきらめて


「生きがいしごとセンター神戸東」を通じて経理の人材を募集しました。


 来てくれた50代の女性、Uさんは会計事務所に長年勤めたあとNPOでの経理担当経験もあるという、申し分のない経歴の人で、


 しかもNPOでの安い時給も了承してくださって。


 週2回、2時間ずつの出勤です。


 面接では「主人も管理職で」と言われていたがのちにもう少しツッコミの余地があることがわかり。


 まあそれは内緒。


 
 NPOを立ち上げてから実質稼働したこの1年間、精神的にも財政的にもきつい時期が繰り返しあったのですが、なんとか乗り越えられたのはUさんのお蔭です。



 1年勤めてくださったんだなあ。

 いまだ人を雇う資格もない私ですが、ちょっと感無量。

 
 きょうは年度末。



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きのうは、姫路の株式会社ウエストデータプロ主催のツイッター初心者セミナーへ。


「宣伝ばかりのツイートは、ツイッターユーザーには嫌われる」
(ブログでもそうだから、当り前か;;)


「ツイッターを活用した成功事例〜タイムセールをした無印良品、ダジャレをつぶやく加ト吉」


「嫌われたのは上島珈琲店のbotによる宣伝広告」


 など、たぶん基本だけどためになるものばかり。


(私は「RT @×××」というのの意味がやっとわかりました。コピペするんだったのね〜 こういうちょっとしたことを教えてほしい初心者のニーズをわかっていらっしゃる^^)



 このあとは懇親会で中華「てんじく」へ。


 セミナー会場へ送迎バスを出してくれたり、至れり尽くせりのところでした。ビール、梅酒、紹興酒…をしこたま飲んで3000円でした。


 WDP社長の長沼 実侑紀さんのご厚意でまた著書『認めるミドルが会社を変える』を配らせていただきました。


 何人の方が読んでくださるかなあ〜


 もし良かったら、つぶやいてください…



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 『男の子の躾け方』(クラウス・シュペネマン、カッパホームズ)という本を読みました。


 昭和55年(1980年)刊の古い本。


 このところ、


「男の子の躾でとくに思春期の躾の国際比較の本はないかなあ」


 と思っていたので、辛うじてこれがありました。


 
 ドイツ人で同志社大学教授(当時=現名誉教授)、日本人女性と結婚して3人の子を育て、日本の学校のPTA会長もされたこの著者は、


1)家庭でどう躾けるか
2)学校でどう導くか
3)社会でどう鍛えるか


 を説きます。


 全体に、厳しい。


「男の子は、母や妹をいたわる強い子に育てよ」


の項では、著者自身がドイツで子どものころ家事全般をやらされ、それは女きょうだい以上に力仕事にもわたったので負担が大きかった、という例を挙げ、


「私は男なるものの存在の大変さに、溜息をついたものだ」


 と述べています。


 男=強い、女=弱い、という図式が現代正しいかというと、


 ある部分で今でも正しいと私は思います。


 体力の平均値において、男子の方が女子より上。


 それと、主に「テストステロン」の働きによって、男子のほうが攻撃行動が多い。


 すると、体力と攻撃性に任せて、男子が女子をいじめる、泣かせる、という現象は多くなります。


 その逆の現象も時々はありますけれど。


 何が言いたいのかといいますと、こうして「平均値」でみる限り、


「男子は女子をいたわれ。いじめるな」

 
 と戒めることは必要なことなのです。


(わが家の二女一男の間のけんかをとってみても、男子のほうが分が悪くなると「ブス」「デブ」などの「暴言」に走り、女子を傷つけて泣かせる、というパターンが多いのでした)

 
 また何が言いたいのかといいますと、


 某私立小学校で起きた「いじめ」において、まだ事実関係ははっきりしていませんが、


 その学校の校長だか院長にあたる人が、


「乱暴な子というのは昔からいた」


と発言するのは、私からすると違和感ありあり。


「男のくせに女の子をいじめるな!!」


というフレーズは昔も今も、常識的に正しいのです。歯止めとして必要なのです。


 また、男子がその体力や攻撃性に任せて女子あるいは弱者を痛めつける、とうい行為に出た場合、それはその男の子に対して、「ことの善悪」を教え込む絶好のチャンスなのです。

 まさにそれが、「教え込む」「植え付ける」タイミングなのです。

 体力や攻撃性こそが正義だ、と成功体験を持ちはじめた男の子への。



 周囲の大人がその役割を果たさないでいると、それはその男の子にとって「正の強化」になってしまいます。


 つまり「黙認」してもらった、という。



「そんなことは昔からあった」

 
などと、大人びたワケ知り顔の発言を教育者自身がすることが、どんなに危険なことか。



 うちの子の中学の卒業式で、父兄代表の方が

「先生方は、身体を張って『正義』『道徳』を教える存在であってほしい。それはわれわれ大人全員に言えることですが」


 と言われたが、この言葉を某私学の校長先生だか院長先生にきかせてあげたい。



 土曜の朝にツイッター参入以来、宿題が遅れ気味。


 はい。言い訳してたらいけませんね。


 でもこういう現象もちゃんと体験しとこう、と思うのでした。


 
 
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 10数年ぶりに「演劇」を観ました。


 脚本家永井愛の新作、「かたりの椅子」といいます。竹下景子主演。


 大阪では、梅田のシアター・ドラマシティできのう27日1回きりの公演。


 この劇では、東京のある架空の市でのアートフェスティバル準備を舞台に、市の財団とそれに雇われた民間のプロデューサー、実行委員長になった日本人アーティストの間に起こる葛藤を取り上げていきます。


 とってもリアル。モデルがあったらしい。


 実行委員長の作った独創的な案は、財団によってどんどん骨抜きに。

 最後は犯罪にまで発展し、そして…。


 財団の女理事長が文科省からの天下りで名誉欲とか上昇志向とかの固まりなのですが、既に何が自分にとって一番大事とか何のために動いているとか、わからなくなっている。


 プロジェクトがちょっとこじれると、関係者がどんどん本当のことを言わなくなり、


 簡単なことを遅らせ、そして電話に出なくなったりする。


 あるなあ〜(しみじみ)


 一時期正田も某自治体にどっぷり関わっていたので、この感覚すごくわかる。


 何かを本当になしとげようとする少し長期のプロジェクトに、とにかく横やりが入り、そして最後は「なかった」ことにされていく。


 そういうときの1人1人の行動は、目をそらさずに見れば見るほど、本当に醜い。

 官僚は、一度話がこじれだすと、もはや自分が何を守ろうとしているのかわからなくなる。でも、ひたすら守ろうとするし、そういうときはやたら結束する。(ふだん仲悪いくせに)


 それが傍からみれば大いなる税金の無駄遣いだったり、人材や労力の無駄遣いなのだが、そんなことはどうでもいいのだ、もちろん。内向きなんだから。



 プログラム本によると、この脚本を書くため、永井愛氏と周辺の人々は、「官僚主義」の不毛なエピソードを取材していたが、


 「まさか、この現代社会にそんなことがあるなんて」


 という話のオンパレードであったらしい。



 そうした醜さの中にどっぷり浸かると、そういうことを直視しない、話題にもしないことの方が自分の精神衛生のために良くなる。


 
 あえて取材をし続け、凄い脚本に結実した永井氏に敬意を表したい。



 ちなみに正田も、「コーチ」をやってはいるけど人の心の醜い部分や醜い行動に目をそむけないで向き合おうと思っている。それらを計算に入れなくては、本来仕事は成り立たない。

 もちろん、「よいこと」を成就するために学ぶのではあるけれど。



 劇場で永井愛サイン会をやっていたので大喜びでサインしてもらった。

 
 そのために買ったのが文庫本だったというのが悲しいが(すみません)


 
 「かたりの椅子」は、このあときょう滋賀公演、4月2日―18日に東京・世田谷パブリックシアター公演。


 東京方面の方は、観るチャンスがあるかもです。


 ちなみにこの公演について私が知ったのは、Y新聞の芸能面です。


 やっぱり新聞を信じちゃうところがありますが、これは正解でした…。




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前の記事とうとうツイッター投稿できなかった。


 よく見たら「記事投稿時にTwitterにポストする」という項目にチェックを入れてなかった。


 今度はどうだろう。


 藤井淳史さんに強く勧められ(!)


 私もとうとうツイッターを始めてしまいました。


 この記事は、初めてブログからツイッターに飛ばす記事になるはずであります。

 意味もなくドキドキ。


 きのうの「こうべイクメン大賞」〜「よのなかカフェ 新聞読んでますか?」では、「デジタル・ディバイド」の話が出まくり。


 にわかに化石人類を意識した私であります。


 で、自分は永遠にツイッターしないだろうと思ってたんだけど、身近な人に勧められるとこれがするんですよね。



 さあ、どの程度ついていけるでしょうか…?




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 第12回よのなかカフェ、テーマは「新聞、読んでますか?」


 司会は、元神戸新聞経済部記者・フリーライターの 山口裕史さん。

 新聞の購読部数落ち込み、ユーザーの関心の多様化。


 「日経新聞が先ごろ有料の電子新聞を作り、連休中にはメディアの未来についてNHKでTV討論があった。いいタイミングなのかな」と山口さん。


 調査では、30代以上の人は新聞をとっている。20代になるとその率はがくっと落ちるそう。


 今回集まった面々はたまたま、皆さん家で新聞をとっていましたが…。


 あなたにとって新聞とは?の問いに


●神戸新聞の製品を紹介するコーナーに企業の電話番号が載っていれば、連絡して会いに行ったりする。小さな記事を活用
●気楽なニュースソース。ネットは検索できるが新聞は向こうで取捨選択している。ある意味押しつけ。しかし自分にとっては+。
●地域ニュースの厚さではネットより新聞の方が上。
●深く知ろうと思ったら新聞の情報は欠かせない。
●各紙で見方が違う。違いが面白さに。

30代前半で「ネット派代表」の人は
●あんまり読まない。ネットの「はてなブックマーク」とかでネット上にある情報を今、1日1000件位受け取る。そこから新聞に戻ることはあり、ネットがメインで新聞はたしかめる場。
●新聞のいいところは大きさ(スペース)。


 もし新聞がなくなったら?の問いに

新聞派は:

●困ります
●不安ですね。出張先でも新聞でどんなトピックスがあるかを見ると、世の中と安心感がある。
●ネットだけだと(情報を)取りに行く面倒くささがある。関心のあるところにばかり深入りする。

ネット派は:
●自分にとってネットの情報は「降ってくるもの」。とりにいくという感じではない。


 NHK番組に出ていた「ニコニコ動画」のドワンゴの社長は、

「20代にとって、新聞は『ない』もの。『新聞のない世界』に生きている」


「新聞はネットより信頼性が高いと思ってきた。しかし、ネットにはその分野の専門家がいて、ニュースに対してタイムリーにコメントする。とても太刀打ちできない」と山口さん。



 ただしネット漬けになって情報の洪水に溺れているふしもあって、それに対して「新聞は適度な情報を与えてくれる」という意見も。


 今新聞が抱えている問題として、

●記者の絶対的な人数が減り、足を使った丁寧な取材ができない
●記者クラブ制で情報源と親しくなると、厳しい質問はできない。
 福田首相が「あなたとは違うんです」と言ったとき、挑発的な質問をしたのは中国新聞の記者だった
●不祥事の記事は広告主がつぶしに来ることも(某自動車メーカー?)
●政治とカネの問題ばかり追及しているが、日本の将来をどうするの?と問いたい。去年あれほど熱狂した民主党にも失望し、参院選にだれも投票に行かなくなるんじゃないか
●マスコミは日本型年功序列の権化。だから動きが遅い。今は情報速度が高速になり、マスコミが独占できない。
●選択と集中が大事。「捨てられない」が足を引っ張っている



 新聞への提言として、


●人にターゲットを絞って、ストーリー的に書いてもらいたい
●本物の世界を伝えるメディアであってほしい。生の実物の世界
●新聞ならではの取材力を活かした連載記事。対象に肉薄し、そのうえでどうあるべきかを提言してほしい
●考えさせる記事。3つぐらい見方を入れ、読者に提示してほしい
●思い切って地域情報に絞ってほしい
●神戸新聞の「イイミミ」のような読者のフィードバック。記事に対して、こんな意見もある、批判もある、と提示する。ネットと比べて新聞だからこそのフィルター機能。
 



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 少人数でしたが大変質の高い議論となりました。

 山口さん、皆さん、どうもありがとうございました!


 次回は、神戸イクメン大賞のプレイベントとして、

「子育てって、お母さんだけのもの?」

 同大賞主催者、藤井淳史さんの司会です。


 4月22日(木)、19:00〜20:30、三宮・加納町のカフェ「アロアロ」にて。

 http://aloaro.net/index.html


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 きのう配信のメールニュースに、「雨の日、息子を怒鳴りまくって起こした」話をつい書いてしまいました。


 きょうのヤツは久しぶりに自力で遅れずに行きましたが。。



「息子の起床」は母の私にとって、長い間未解決のテーマであります。

 はっきり言ってこれさえなければ、私はどんなに生産性の高いビジネスウーマンになっていることか…(泣)



 現在、「途中経過」ではありますが、「息子の起床」について、ここまでの歩みをご紹介したいと思います。


 
 ちなみに、多くの「子育てコーチングセミナー」で、


「お子さんを自立させるために、『今日からお母さんは起こさないわよ。自分で起きなさい』と宣言しましょう」


 と講師の方が言って、お母さん方が「そうか。起こすのが悪いのか。もう起こさなくていいのか」と、「スッキリ」した顔で帰られる、というのがありますが、


 ことはそんなに単純じゃありませんから。


 私の数年来の経験に基づいて言えます。



 


 続きを読む


 プレスリリース作り。


 先日の会合でお会いしたばかりの木田聖子さん((株)チャイルドハート代表取締役)が、プレスリリースの達人とお伺いして、お電話したところ、


 即、「過去に採用されたプレスリリースを送ってあげましょう。今メールの前にいますから」と言われ、


 電話を置いて5分後には添付ファイルつきのメールが来ました。


 5分のタイムラグはセキュリティソフトが意地悪しただけの時間と思います。


 「すぐやる」人は、やっぱりかっこいいです。こらその前にお礼言え。



 そしていただいた資料をもとに作り直してみたプレスリリースを、元新聞記者でフリーライターの山口裕史さんに添削をお願いしました。


山口さん「わかりました送ってください。でも直すところないと思いますけど」


私「いえ厳しいこと言っていただいた方がいいんです。私、『叱られて伸びるタイプ』だと思うんで」


山口さん「(笑)」


 いつもは(本の原稿をお送りしたときも)ほとんど直しがましいことを言われない山口さんですが、今回はばんばん添削を入れてタイトルを変えたり、一度なくした項目を復活したり、大幅に手を入れてくださいました。



 このノリだ〜(^^)v

 
 最近は書いた原稿が「素通し」になることが多いけれど、会社員時代は、書いた原稿を跡形もなく直されて紙の原稿用紙が「まっか」になったものです。



 出先なのにもかかわらず、2回にわたって「直し」をしてくださった山口さん、ありがとうございます。




 そうやって人のお世話になってやっと「A4・2枚」のプレスリリースができました。


 このご恩はいつか返そう。

 あと人に頼まれたことはすぐやろうと決意。


 そこへ夫から電話がかかってきて


夫「すまん私の小遣い入れていただけませんでしょうか」


私「あっそうだったごめんなさい、今やります」




 「すぐやる」人になると、気持ちいいです。



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娘たちと外に出ると、雨。


 私は傘をさすのが遅くてモタモタ。


 娘が、さっと自分の傘をさしかけてくれる。


娘「母ちゃん、入りなよ」


私「いいよ、ぬれてないよ。帽子が水を吸ってくれてるから」

(最近私は帽子にこっているのです。髪のセットがきまらなかった時とか、そもそも髪をセットしなかった時に役立ちます)


娘達合唱「母ちゃんのアホ―!!!」

(私、傘をさす)


私「…こうやってツッコンでくれるアンタ達がいなくなったら、寂しいだろうねえ。アホを言う気力もなくなるね」


 寂しいおじさん気分になっています。



 この娘たちもいつか遠くに行くのだ。


 私がそうしたように、やたら遠くに行くかもしれない。


 しかもその日はそう遠くない。



 最近時々、「秋田のほうにいい大学あるみたいだよぉ」と言ってみています。


 (だれも反応してくれません)



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 きのう、また実家の母が電話をかけてきて、著書に親戚とか関係者がさまざまな反応を示すという話をしたあと、


母「男の人は、『女の人が書いたもの』っていう見方をどうしてもするみたいだし、こういう心理学的なものに拒否反応を示す人もいるね。


 心理学は、人を小さいものとみなして、弱くするからね」


(なかなかうがったことを言うでしょう。教育分野の人が心理学に対してこういう見方をするのを何度かきいたことがあります)


私「うん、そうなんだよ。私も心理学の人で信頼してお付き合いできる人そんなにいないもん。

 コーチングでも、人を弱くしてしまう流派も実際あるし、うちは『強い人を創る』っていう軸をもってやっているから、うちで学んだ人は伸びるんだけどさ」

(↑宣伝文句みたいにきこえるかもしれませんが自分では真実だと思っています。著書からも「強い心を持て」というメッセージを汲みとっていただけるでしょうか)




 ご参考までに、昨年5月に策定した、当協会理念のうちの「行動規範」を引用してみました。


○私たちは、組織の上下、内外にかかわらず、互いに尊重し、承認しあいます。私たちは、人としての基本の礼節と思いやり、誠実と正義を大切にします。

○私たちは、約束を守り、行動する勇気を重んじます。私たちは、つねに自己責任の感覚をもち、社会、顧客、仲間、自己それぞれに対して力の限り責任を果たします。

○私たちは、理性と感情の両方を重んじます。私たちは、よき社会人として節度をもち、法令を重んじ、倫理と規範ある行動をとります。私たちは、他者の感情を思いやり、自己の感情を認識し制御し、適切な形で伝えます。

○私たちは、つねに謙虚に、あらゆる場面で学び続けます。



 コーチ、カウンセラーを含む「心理学」「感情」を扱う仕事をする人たちに、あまりにも「約束不履行」「責任放棄」という現象が多いので、


 「うちの団体はこういう理念です。この理念に賛同しない人は最初からうちの中で、あるいはうちと一緒に仕事しないでください」


 と、明記したわけです。この中に「理性と感情」という言葉も入っています。


 …でも抑止力にならなかったのはブログ読者の方ご存知のとおりで…



 しみじみ、難しい問題ではありますが、

 「感情」を扱う仕事の人に責任放棄が多い、というのは再度、証明されたわけで、


 実は早いうちにこういうことが露呈して良かった、とも思っているのです。


「ぼくの機嫌をとってくれなきゃ仕事を放り出して困らせてやる」

 
 という空気を発散する人に、大事な会員さんや受講生様と接触してもらっていいわけではありませんから。


 そういう文化が入ってこられると、困る。



 不機嫌な職場、職場は感情で変わる、といったフレーズは、実はそういう危険性も内包しているのです。


 このことについても過去のブログに書いていました

「『感情は大事だ』にひそむ落とし穴」

http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51526777.html

 再度、「ディセンシー(礼儀正しさ)、身体感度の高さ、オープンネス」(内田樹『邪悪なものの鎮め方』)。



改めて、これまで当協会と良い関係を築き、誠実に約束を履行してこられた講師の方々に敬意を表しつつ。



神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
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 ブログ読者の方、並びにメールニュース読者の方々にお詫びをしないといけないことができました。


 5月29日、当協会の通常総会の日に、第7回例会として「リフレクション・ラウンドテーブル(RRT)」を行う予定でしたが、講師の重光直之氏がキャンセルされたため、中止とさせていただきます。


 先週19日にメールニュースにてこの例会について告知させていただき、読者の方から「楽しみにしています」というお便りもいただいていましたところ、大変残念な結果となりました。心よりお詫び申し上げます。



 キャンセルの理由は、おおむね「文化の違い」と、考えてよいと思います。


 RRTに関しては、本来H.ミンツバーグ教授の考案したもので、教授の言う「直感と分析を最適のバランスに」と指向したものであったと当方は考えておりました。しかし、同プログラムを国内独占契約で提供している(株)ジェイフィール社および重光氏は、「感情」および「共感」を重視するとの傾向性をより強く打ち出していました。


 この点について当方より懸念を表明していたところ、重光氏からのキャンセル通知となったものです。


 事前にこうしたことを精査しなかったわたくしの不手際というほかありません。


 楽しみにしてくださっていた読者の方々、会員様方には大変申し訳ありませんでした。深くお詫び申し上げるとともに、今後再発防止に努めてまいります。


 
神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
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 このところ小著『認めるミドルが会社を変える』の話ばかりしていたのだけれど、今日は別の話題です。


 正田は、コーチングの他流派と「ご一緒」するのを嫌うので、「新興宗教みたい」と言われることもあります。


 ふだん社会の中の良識ある方々に支援していただいているにも関わらず、一方でこうした批判も浴びることに申し訳なく思ってきたのですが、


 他流派とご一緒することを嫌う背景には、こういうものがあります。


1)「エスリンでうまれたものと日本」
http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51344385.html


2)「続・エスリン研究所―実験と成功と失敗の歴史」
http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51344817.html


 正田が色々とコーチングの諸流派に足を運んで実際に学んでみた結果、
「たもとを分かちたい」と思った理由は、
1)にあるように、
それらの流派がこの「エスリン研究所」やそれに近い系統の心理学、
あるいは60年代的ヒッピー文化の中のワークショップ文化、
の流れを汲む匂いがしたからであります。


 著書には、そういったきなくさい話は書いておりません。

 ただ、私が「この人は正しい」と思った先達の方々について書いているだけであります。


 そして、じゃあ考え方が違っても「ご一緒」ぐらいしたっていいじゃないか、と思われるかと思いますが、


 それができない理由が2)であります。


 理性と感情の両方を重んじるマズローが自分のワークショップで話をすると、感情中心主義のフリッツ・パールズがマズローをあざけり、獣のように床を這いまわる。
 マズローは話を続けられなくなる。

・・・

 このエピソードは、端的に、「理性と感情」の流派の人と「感情中心」の流派の人が出会ったときに起こりがちなトラブルを表していまして、


 実は私自身も、これにちかい現象になんどか遭遇してきました。

 スマートで世間の規範を超越しているようにみえる「感情重視」の流派の方々は、些細なきっかけから不作法になり、「感情も理性も大事」「倫理も大事」という無骨な正田をあざけるようになります。


 …というのは、少し長くこのブログを読まれた方はお気づきでしょう。


 このエピソードに私自身をなぞらえることは、「私はマズローね」と言っているようなもので、面映ゆいのですが。


 これは、薬の飲み合わせ といいますか、異なる(とはいってもほんとうは差異はそれほど大きくなく、隣接するというか近親憎悪的なものです)流派が同席したときに起こりやすいトラブルです。


 実際にこれが起こり始めると、おさめるのはたやすいことではありません。


 …というのも、このブログを読まれた方はご覧になっていると思います。正田も、こういうライブの局面では何度もみっともなく「ヘタを打って」います。

 
 簡単に言えば、異種格闘技で禁じ手のないタイプの競技のほうが、禁じ手の多い競技より有利なのです。


 別に正田がみっともないのはそれほど問題ではないんですが、問題はそれが受講生様の不利益につながる、ということであります。


 「理性と感情の両方」を重んじる人をあざ笑う場に身を置き、そのマジョリティの空気に暴露すれば、当然その人たちはその後の人生において、にどと「理性と感情の両方」を重んじることなどできないでしょう。それは、大きな損失につながります。



 なので、事前にわかっていればできるだけ回避するのが一番。

 「ご一緒しない」のが一番なのであります。


私の考えでは、「頭だけでものを考える」ことに偏っている人に対しては「感情」の重要性を言うことは大事。
 MBA的な教育をどこかで受けてきて、論理一本やりの(そして周囲に対して説得力のない)話をする人には、とくに大事かもしれません。


 でも、「感情」が重要なのはあくまで「程度問題」であります。



 たとえば私たちの人間社会がいろいろ問題はありながらもそこそこきちんと運営されているのは、そこにルールがあり規範意識があり、また幼いころから「倫理」を教えられそれが「職業倫理」にもつながっているからで(マックス・ウェーバーですね)、

 それらは「感情」の側だけからロジックを組みあげていったのでは到底間に合わない深みのあるもので、「文化」そのものです。



 もし「感情」を過度に強調する教育をしてしまい、
 それが高学歴のもっともらしい(そして人格の良さそうな)インストラクターによって伝えられたために、
 受講生様が金科玉条としてしまい、
 それによって道を誤ってしまうなら、
 それは罪深い教育と言わねばならないでしょう。
 



 このブログでも何度も「感情だけを重視するのは危険」と警鐘を鳴らしていますし、そういった考え方の人がご覧になったら反発されるかもしれませんけれども、その方々は私のやる講座に参加することを断念していただいたら結構なのです。

 地域貢献のため料金設定を他より安くしているので、

「なんでもいいからコーチングの資格を手に入れたい」

という人が、本来「感情重視一辺倒」の考え方なのによく考えずに受講されるのを回避したい。


 また、基礎Aを受講されたあとの方々が、

 ―なにしろ「正田コーチング」は、わかりやすく実践しやすいのが売りなので―

 正田コーチングについて「わかった」つもりになり、勢いづいて他流派のコーチングにどんどん触れ、「感情重視一辺倒流派」にはまりこんでいくのも回避したい。


 残念ながら過去、そういうことが繰り返されてきました。

 どうやってそれをうまく回避できるのか、答えをご存知の方がいらしたらご教示いただきたいものです。


 とにかく、長く読まれている方は「またか」と思われるかもしれませんが、
「感情重視一辺倒流派」の方々は、ご遠慮願いたいものです。その方々はどのみち、「よい企業内コーチ」には、なれません。





 …関連で、これまで封印していたエピソード。


 数年前、あるキャリア論の大学の先生が、ある研修機関(仮に機関Aとしましょう)をしきりに推奨していました。


 私はその先生に手紙を書き、

「『機関A』を受講された方は私の知っている限り、高い確率で会社不適応を起こして会社を辞められています。

 そういう研修機関を推奨されることは、先生の社会的責任からみていかがなものでしょうか」


 決して「うちの団体」とお付き合いしてください、という趣旨ではなく、ただ「ご近所」だったので気になったのであります。


 その先生はそれ以降、「機関A」を推奨するのをやめられていました。


 そして昨年は「機関B」と提携し、年末に「機関C」の人と本を出し、そして今年度は「機関D」と提携されるようであります。


 なんとも忙しい。まあそれは本題ではないからいいんですけど、

(あと「機関D」は私も正しいと思いますけど、いつまでお付き合い続くんだか。。「機関D」の親玉がもし来日したら、セミナーに行こうっと^^v)

何が言いたかったのかというと、
 ある研修が「有益」か「有害」かは、素人の人には(たとえ大学の先生でも)わからないものだ、というお話であります。そうとう賢い人でないと。


 「賢い」というのは、「小利口」ぐらいではだめであります。



 (ちなみにうちの団体は、「さわやかで硬派」と言っていただいております。コップの中の嵐的な話ですね。はい)





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 待受け画面に「0188」で始まる見慣れない番号から着信。


 電話をとったら、厚みのある低い声で

「正田さんですか」


 秋田・国際教養大学にいる恩師、中嶋嶺雄先生からでした。

(中嶋先生について詳しくは、数日前のブログ「恩師への送り状」をご参照ください)

http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51568279.html

「立派な本ができましたね」


「いえ拙いものでお恥ずかしいです…でも私の基盤を作ってくださったのは中嶋先生だと思っています」


 ちょっと涙目になりかける正田。



「お蔭様で、ここ2年は卒業生が順調に就職してマスコミにも取り上げてもらってね。競争倍率もすごく高くなったけれど、偏差値大学になってもいけないしね。暖かくなったらぜひ、秋田に遊びにいらっしゃい」


「はい、そうさせていただきます」





 いつの間にか、ネット上にどなたかが書評を上げてくださっている。

 
 有難いなぁ。

 
 
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 また、新しく読者の方のご感想をいただきました。


 皆様本当にありがとうございます。


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★アメリカのコーチングが機能しない疑問が氷解しました


 これまで、コーチング関係の書籍を20冊程度読んでいたこともあって、それほど新しい発見はないだろうと思っていました(失礼)が、期待を大きく裏切られました。良い方向にです。

 私ごとで恐縮ですが、5年ほど前に別の研修機関のコーチングプログラムを受講し(事情があって半分程度しか受講できませんでしたが)資格も得ました。(すでに失効)
 その時、友人の中小企業社長にお願いして、練習台になっていただきました。
 私の拙いコーチングでも、社長には有効な場面がありましたが、その会社の社員には全く効果
がありませんでした。
 今考えると、社員は一方的な質問に戸惑っていたのだと思います。

 アメリカ型の世間一般のコーチングモデルは「できるビジネスパーソン」には機能するが、「平凡な一般社員」には機能しないのでは?、という漠然とした疑問が当時からありました。
 今回、正田さんの著書を読んでその疑問が氷解いたしました。

 13日の土曜日に日本ファシリテーション協会関西支部例会での昼休み、正田さんの著書を読んでいた時、隣の参加者から尋ねられたので、正田さんの活動・コーチング講座・著書等の紹介をしました。コーチング講座に興味を示していたので、申し込みがあるかも知れません。

 私自身も、5月の基礎講座Aを受講してみようか、と考えています。

 最後に、正田さんの活動が「悩めるミドルと普通の社員」を救う、新しい大きなコーチングの潮流になることを予感しながら、お礼とさせていただきます。

 
(?全農クミックス 常務取締役 阿部義明様)


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★ミドルとして同意、同感


ご著書をお贈りいただきありがとうございました。

読み進むうちに思いがけず私の名前が出てきて、驚きました。

わざわざご丁寧にご紹介頂き、心よりお礼申し上げます。

表題、いいですね。表紙デザインもすっきりして、一見して読みたい感じがしました。

休日にゆっくりと思い拝読し、これはいい本だと納得、後輩たちに薦めようと思っています。
中身が濃く、ゆっくり読みたい本です。

30歳になる前からのミドル歴が長い私としては、そうだ!そのとおり!と思う部分が多いのです。

サラリーマン勤務の前半は人事部門にいました。

行動科学や組織開発など、まじめに学び、社内でどう活用するかを議論したものでした。

X理論、Y理論なんて、懐かしいー!という思いでした。

私自身、部下には厳しい上司で、モラールアップ、モチベーション維持に腐心したものでした。

そういう意味で、ご著書が世のミドルを救うバイブルになってほしいと思ったりしながら拝読した次第です。

それだけ書かれていることに同意、同感した部分が多く、コーチングの有効性を信ずることができました。



ガラスメーカーから教育産業に移って幼児教育の要諦を学び、社員育成も幼児教育と同じと思ったものでした。

幼児の能力をうまく伸ばす母親は、「認める、ほめる、待つ、焦らない」ができる母親です。

わが子を的確に観察し、小さな伸びに気づくこと、その小さな伸びを認めてほめる、それがスタートです。

部下育成をそういう思いで実践することにより、どんどん思う方向に育ってくれて嬉しいものでした。



「承認上手」、いい言葉ですね。

「承認大賞」、とてもいい企画だと思います。

今までの取り組み、素晴らしいことをやってこられたと感心しています。

これから益々多くのミドルが企業内コーチのおかげで力をつけて行かれることでしょう。

益々のご発展をお祈りします。


(NPO法人コミュニティ・サポートセンター神戸(CS神戸)
生きがいしごとサポートセンター神戸東(愛称ワラビー) 村上 義弘様)


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 阿部様、村上様、お忙しい中を真剣に目を通してくださり、本当にありがとうございます。


 拙いながら、「できるだけ現場のミドルの実感に近づき寄り添ったものを作りたい」との思いで書いていましたので、こうして皆様のお心に届くと、しみじみ嬉しいのです。



 このほか、吉田典生さん、やマ口ひ口シさんがブログで取り上げてくださいました!
 力強い励ましとなりました。心から感謝いたします。


吉田典生さん((有)ドリームコーチ・ドットコム代表取締役)のブログ
「ほめる」?それとも「認める」?
http://coach.blogzine.jp/1minute/2010/03/post_5259.html

やマ口ひ口シさんのブログ
「認めるミドルが会社を変える」
http://ameblo.jp/20091025kobe/entry-10478488913.html


ちなみに吉田さんのブログでは
正田の「人の話を聴かない性格」がよく出ています。。とほほ



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 中央区書店ローラー作戦。

 中央区はほぼJR線沿いに本屋さんが並んでいるので、楽といえば楽です。


 クルマでなく電車と徒歩でまわりました。


 ジュンク堂の店長さんは、親切に


「新聞に書評が出てから本の動きがどうだったか見てきましょう」


と、席を立たれ、戻ってきて


「動きはないようですなあ」


とおっしゃいました。がく。


 そういうものみたいです。


「できの悪い子で申し訳ございません」と頭を下げる私。


「まあまあ、わかりました。こちらの本動きを少し注意してみるように言っておきます」と店長さん。


 ジュンク堂さんは、全体に店員さんがゆったり穏やかで親切だったです。


 別の大手系列ではそうでないところも。。(こらこら)


 
 というわけで、神戸市の東半分を「制覇」したことになります。単に「回った」というだけですけど。


(なんか、営業日誌みたいになってるな)


 あっ金曜に回った灘区は、本屋さんが実際には「ない」ところが多くて大変でした。。「ある」より「ない」ほうが、そのへんをウロウロ探し回るので時間がかかって疲れるのであります。


 本屋さんは、もっともインターネットに取って代わられてしまいやすい業種かもしれません。



 夕方、毛利マーク藤井淳史さんが提唱する、「神戸イクメン大賞」のキックオフミーティング。


 ?チャイルドハート木田聖子さん、(有)イソワパールイースト磯和さん、デザイナーの花村周寛台さん、NPO法人MoDISH KOBE宮木健二さん、など、藤井さんのご縁ならではのステキなメンバーとお知り合いになりました。


 正田遅刻してスミマセンでした。。



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 『認めるミドルが会社を変える』の中で、うちの子どもたちを受け持ってくださった小学校の先生方に言及している箇所があります。


(はい、p.100-101です。まだ読んでない方、すみません)


 このとき念頭に置いていた実在の先生は2人いらして、I先生とY先生といいます。


 お2人とも、(とくに息子を受け持ってくださったY先生は、息子がアホだったためお世話になった感が強く)、過去のこのブログにも何度か登場されています。


 I先生は、その後教頭になり、市内の別の小学校に転任。

 Y先生はそのままおられるとのことでした。


 問い合わせの電話に出られた校長先生が、Y先生に代わってくださいました。


私「あの〜うちの息子が大変お世話になりました。実は私、今度本を書きまして、コーチングの本なんですけどその中でお世話になった小学校の先生に触れている箇所があります。直接お名前を出したりはしてないんですけど、それはY先生とI先生のことを念頭に置いて書いたんです。
 とくにY先生にはうちのアホ息子、あんなややこしいやつを導いてくださいまして、本当に感謝しているんです。ぜひ1部贈呈させてください」


Y先生「あ〜そうですか。じゃあ楽しみにしておきます。息子さんお元気ですか」

私「はい、アホですが陸上部に入りまして、お蔭様で。このところ嘔吐下痢をやっているのであんまり元気と言えないんですが」


Y先生「そうですね、よく外を走っているのを見ますよ」



 うーん感無量やったなあ。

 Y先生は、息子たちの卒業式の直前に腰を痛められたそうで、式ではかなり辛そうでした。


 でも、子どもたちからも保護者からも本当に慕われた先生で、何度も記念撮影をせがまれてしていました。息子も、集合写真の中で先生の隣を離れようとしませんでした。

 
 卒業式のときのブログを探したらこちらにありました
「卒業〜すぐれた先生との別れと子ども時代の終わり」
 http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51320536.html


 新聞の書評での言葉「さわやかで硬派」は、この先生にも当てはまります。



本、喜んでくださったらいいなぁ。



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 実家の母(千葉県船橋市在住)から葉書がきました。


 身内のもので恐縮ですが、ちょっと嬉しかったのでご紹介します。



「コーチングとの出会いから、ML開設、CLS設立に至る、広く職場活動、職業生活への思い入れと熱意。第3,4,5章(テキスト作成)、第7,8章の興味深い内容。身につまされる第6章。それをのり越えて、「キャリアパス」「非営利」「公益性」の発想に到達できたこと。すばらしいです。立派な方々に支援されてきたのは幸運ですね。法的規制もきつい教育政策の中ですっかり情熱を失ってしまった教師たちとちがって、楽しく生存のための職業生活の充実、価値あるものに、人間的なものにする、さきがけ、とも思えるのです。」


「3月14日図書館で各紙をくまなく調べたのですがついに書評が発見できませんでした。少しでも広めようと思っているのですが。一通り読んだ後、これは評を書ける人がいるのかな、と思ったのですよ。大きい読書欄でないと、時代の潮流とにつかめるようには書けないし、そういう問題意識を持った人でないと…と。

 職業に熱意を!何より大切な生存のための社会生活に激励を!」



 ちゃんと読んでくれたんやなー。うるうる。

 母は、元東京都の中学の英語の先生です。なので「教師」への言及が出てきています。


 初めて、やってることその通りに理解してもらえたなー^^

あとで電話しよっと。



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 地図帳を買うお金をケチりたい。


 ネット上から区単位のいい地図をダウンロードできないか。


 灘区役所のHPに全体の地図があった。しかも「A4で印刷する」というボタンがあって、ウインドウが開く。


 えらい。


 …と思ったら、区全体の町名が載っている地図というのは、案のじょう町名が細かすぎて潰れてしまって読めない。


 そこで、A3に拡大してプリントアウトしてみた。


 …やっぱり潰れている。町名の字は拡大されたが、元の画像で既に潰れているのでやっぱり読みとれない。


 これ意味ないですよ灘区役所さん(--;)


 せっかく、珍しくほめようと思ったのに。



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 東灘区の書店をローラー作戦。


 「いまどきの本屋さん事情」を、ちょっとのぞいた気分です。

 
 贈呈する本をぱっと見て「いや、いいです」と言ったのは、明らかにトンデモ系の本ばかり置いている本屋さん。



 一方、やや上品な学生街の本屋さん。

 本を見て、

「こういう本には店員の子たちみんな興味持たないと思いますよ」

と店長さんが言うも、

横の店員さんが


「人間の集団があるところではどこでも、関係あることですよね!!」


と後押し。


 結局受け取ってくれることになりました。


 大きなテナントビルの中の本屋さんは、おおむね好意的に受け取ってくれました。




 また知恵がついて、シール付きOPP袋というものを注文。

 それに書評と一緒に本を入れると、台所用ポリ袋に入れていたのと比べてぐっと見栄えがよくなりました。なんか、「商品」っていう感じがします。


 そうして19軒ほどある東灘区の書店を全クリし、灘区の六甲道周辺の書店にも配ったところで時間切れ。


 要領悪いので同じ道を何度も通って右往左往しました。

 
 カーナビは自分の行く方角を知るには役立ちますが、紙の地図のように全体像をぱっと見るには不便です。


 あっこれは今度のよのなかカフェ「新聞、読んでますか?」につかえるかも。



 アホなこと言ってます。


 ところで、用事でポートアイランドに行ったついでにポーアイの本屋さんも、iタウンページで検索して行ったのですが、載っていた唯一の本屋さん(朝日屋ポーアイ店)は今年1月15日に閉店してました。


 …六甲アイランドには本屋さん3軒ありますぅ…


 これ自慢してるんでしょうか。
 

皆さん、地元のお店でものを買いましょうね。



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 レイトショーで「インビクタス〜負けざる者たち」を観に行ってきました。

 やっぱりイーストウッド映画ははずせません。


 1990年代、白人政権を打倒して生まれた黒人政権、ネルソン・マンデラ大統領のもと、ほとんど白人で構成した同国のラグビー代表チーム「スプリングボックス」がW杯で優勝するお話。


 あっネタバレしてしまいました。もう上映終了になるから許してください。


 名優、モーガン・フリーマンがネルソン・マンデラ役。「ミリオンダラー・ベビー」のときの彼より少し甲高い発声です。



 ところで、
 コーチングの受講生様方にこっそりお教えします!



「マンデラ語」を正田が解析したところ、ほとんど「承認の種類」(注:基礎Aで配るA4のシートのこと)でできていることがわかりました。


 最初にいきなり


「ブレンダ今日の髪は素敵だね」(存在承認)


それから


「君のリーダーとしての哲学は何だ?」(考えをきく)


・選手全員の名前を憶え、呼ぶ(存在承認)


「(チェスター選手の欠場を)国中が残念に思うだろう」(WEメッセージ)

「わが国は君を誇りに思う」(WEメッセージ)


 きわめつけはクライマックスの決勝試合の前に

大統領が相手チームを激励する場面。


 敵のNZチームの主力選手で、体重120キロの巨漢に


「Nice to meet you. 私は君がちょっと怖いよ」(Iメッセージ)


 やはり、「怖い」という単語を地位ある男性が口に出して言うところが、オトナの余裕を感じさせるのでした。

このあいだ別のところの原稿にもそんなこと書きました。

 男性が「怖い」というのは「かっこいい」です。



 「承認の種類」を暗誦すればあなたもマンデラになれる!?


 …というのはやっぱりウソで、

 途中、マンデラが投獄されていた、身体を伸ばして寝られなかったであろう狭い独房が映し出されると、


そこで20年近く、過ごしたということの凄さがジワジワ感じられます。


 そこで「負けざる魂(インビクタス)」。不屈の精神。



 要所、要所で、反対を押し切って孤立を恐れず「筋を通す」マンデラの強靭な心のルーツが明かされるのです。





 マンデラが、どうして奥さんと仲悪かったのかは、最後まで謎でした。


 やっぱり正論ばっかりでうざいおじさんだったんでしょうか。

 どなたか、正解をご存知の方がいらしたら教えてください。



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 このところ高校生が全然学校に行きません。家にいます。


 お蔭でつい、話してる時間が長くなります。


娘「ねえねえ、音楽科の先輩が東芸(東京芸大)2次で落ちたの!!3次に進めなかったの!」


私「え〜、あのコーラス部で一番歌がうまかった先輩でしょ。厳しいんだね〜」



 娘の高校には音楽科が併設されています。


 何年も前のある日、私が高校を見学に行ったとき、ちょうど音楽科の実技試験の日で、その日は地域の人を招いてミニ音楽会をしながら、同時に試験なのでした。


 別の科の(金もうけ学科の)先生は、その日授業中騒がしかった生徒たちにいわく…、


「今、君たちと同じ歳の人たちが才能を試されてるんだぞ。彼女らが毎日死に物狂いで練習してるのを君たちも見てるだろう。それでも、才能に序列をつけられるし、その道で生きていけないとあきらめる人も出てくる。

 そういう人たちの横で、君たちは勉強してるんだぞ」


 私はこの「お説教」ぶりが気に入ってついブログに書いてしまったのでした。


 先生ご本人はあまり嬉しくなさそうでしたが。


 結局、この「お説教」と、そうはいっても今どきの子としては驚くべき素直さ真剣さで講師の話を聴いてくる生徒さんたちに打たれて、


 私は自分の娘にこの高校を勧めてみたのでした。


 最終的に決めたのは、娘本人なんですけど。



 キリギリスとして生きるのは、大変だ。


 来年は、美術科に行っている上の娘も受験。


 この子は

「あたし、そんなに才能ないと思うけど、高校の間は美術をやっていたいの。それをしたら気が済んで、大学では違うことができるかもしれないと思うの」


 てなことを、高校受験のときに言っていました。


 彼女は2年生から「クラフト(木工とか陶芸とか)」を専攻したので、

 先生方から


「いいか、クラフトは油絵のように自己満足じゃいけないんだぞ。お客様の使い勝手を考えてものを作らなきゃいけないんだぞ」


 と耳タコくらい言われ続けます。


 作品を作った後合評があるのですが、合評会でぼろくそ先生方から言われるのはまだいいほうで、


「何も言われなかったよ〜。こわいよ〜。え〜ん」


 というのもあります。


 キリギリスの世界にもダメ出しがあるのです。

 そういう世界の空気を吸っておいて良かったのでしょう。大人になってむやみにキリギリス界に幻想をもたないですみます。





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 ひきつづき過去にお世話になった人に書籍を送っています。


 大学のゼミの恩師で、東京外国語大学の学長を務めたあと今は秋田にある国際教養大学の学長を務めておられる中嶋嶺雄先生。


 新設大学の国際教養大学は、これまで2期卒業生を出し、就職率100%。


 各種雑誌で「不況に強い大学ランキング1位」に選ばれています。


 全寮制、徹底した少人数での英語トレーニング。


 そういう教育を構想し、全国で講演をしてまわって学生集めをし、そしてここ2年は、アウトプットを出し続けている中嶋先生なのです。


 「持続する意志」。最近私をそう評してくださった方がいましたが、いわばそのお手本が中嶋先生。



 送り状に(最近はちょっと賢くなって、本を送るとき送り状を添えるようになったのです)


「就職ランキング1位おめでとうございます。


 先生の長年にわたるご努力のたまものですね。


 さて、ささやかながら初の著作を上梓いたしました。拙いものではありますが、専門家からは高い評価をいただいております。


 思い返せば、この世界でおおむね道を誤らずやってこれたと思われるのも、先生のもとでイデオロギーの愚かさを学び、事実と対峙する姿勢を学んだからではないかと思います。


 先生の益々のご健勝とご活躍をお祈りいたします」



 中嶋嶺雄氏は国際関係論、なかでも中国学の大家です。

 日本のメディアや論壇が文革礼賛一色だったときにいちはやく文革批判に回り、のちもっとも信頼される中国学者となっていきます。



 

 …あ、そういえば「社会構成主義」の中にイデオロギー批判の批判みたいなくだりもあったんですけど。

 その後また少し丁寧によみましたが、タオイズムへの傾倒など、私的には小学校高学年〜中学校時代にやっていたことなので、


「物事にコミットしない年齢とか性格の人はこういうのにかぶれるよね」


という感想でした。すみません。いやな女です。


荘子はすきでした。「胡蝶の夢」はそらんじてました。


「あることを断言したら、それ以外のものは排除される」みたいな考え方は今でも文章を書いたり人前でしゃべるときには意識します。ただ、だからといって言葉を発しないのが正しい、とは思いません。ただ気をつけて言葉を発しようとは思います。




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 体調が良くなってきたので、はじめての「営業」をしてみました。


 島内2か所の小さな書店に
 (きのう行って小著がまだ入っていないのを確認ずみ)


 本と新聞の書評記事をもってうかがい、

「もし読んでみていいと思ったら置いてください」


 と、お渡ししました。


 1軒は、店員さんがよくわからない表情で

「あ、はい」

と受け取り。


 もう1軒は、―実はここは商業ビルのテナントさん向けに駆け出しのころ、研修をさせていただいたところで、この書店の店長さんも実は受講生さん―


 店長さんがおられて、

「ここの出版社は返品はききますか。

わかりました置かせていただきます」


 と、おっしゃいました。


 ふうん、こういうふうにすればいいんだな。


 まだ、わからないことだらけであります。


 ちなみにふだんお世話になっている近所の美容院さん、整体院さん、にも本を持っていきました。


 それから先日メールをいただいたレストランの店長さんにも「感謝をこめて」持っていったところ―、


「ふうん、正田さんもとうとう本を出されたんですね。

 ちなみに私のやっている交流会の話していい?もう来年まで講師いっぱいなんですよ。東京でしか講演をやってない講師をよぶと人が集まる、ということがわかりましてね。5月には○×さんを呼ぶんです。知ってるでしょ美人講師美人講師!!」


私「あ〜、営業に来たわけじゃないですから。じゃあじゃあ」


 彼のやっている交流会はもともと「うち」とは顧客層が違う。なので彼が言う

「すごい講師呼ぶよ!!○×さん」

 というのも、正直私には「わからない」ことが多い。


 
 まあ、こういうリアクションがあるんだな。こういう人も何かを教えてくれる。
 


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 風邪でしばらくブログの更新をさぼってしまいました。どうもすみません。


 今日の神戸新聞書評欄の新刊紹介欄に、小著『認めるミドルが会社を変える』が小さく載せていただきました。


 記事全文をここにご紹介します:


 
 人のやる気を高め、潜在能力を引き出すコミュニケーション「コーチング」。その名のもとに管理職が部下を「褒める」効果を伝える出版物があふれる中、本書はあえて「厳しく接する」重要性を伝えるのが特長だ。心理学や組織論の観点から、甘やかすより、認める「承認中心のコーチング」を提案する。


 先駆者として、関西学院大学アメリカンフットボール部を7年連続の学生王者に導いた元監督で、心理学者の武田建・同大名誉教授らの行動理論を紹介、成果をあげた企業内コーチ3人へのインタビューに加え、実践事例集も盛り込む。


 新聞記者や医薬翻訳者として活躍した後、家族のうつ病に向き合うなどしながら、本書の理論に行き着いた著者。NPO法人「企業内コーチ育成協会」を立ち上げ、神戸・三宮で講座を開くまでのエピソードも収める。


 全編を通して「前向きに生きよう」とのメッセージが込められ、さわやかで硬派。管理職に限らず、広く共感が得られる1冊だ。

(カナリア書房・1575円)




 絶版寸前の本にこうして地元新聞社が言及してくださることは本当に有難いことです^^


 ひょっとして書店でお金を出して購入してくださった方がいらしたら、有難うございます。



 えーと、もしご購入になられる場合は、もちろんアマゾンとかネット書店でもいいんですが、可能であれば地元の書店で購入されることをお勧めします…地元振興になりますから…でもお忙しければ、ネットで構いません…



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 「パワーランチの会in神戸」さんでお話。

 また、著書を配らせていただきました。


 同会の事務局の藤井淳史さん(ちなみに著書の中にも登場しています)からお声がけいただき、


「神戸イクメン大賞」の実行委員に名前を連ねさせていただきました。


 あ、イケメンじゃないですよ。

 育児をするメンズ、でイクメンです。


 
 藤井さん自身も3女のパパで、3人目のお嬢ちゃんはまだ生後2か月。

 上のお子さん方の保育所の送り迎えをする中、


「送り迎えをしているパパはたまにいるけど、どうも肩身が狭いよなあ…」


 そこから、「イクメン大賞」を発想。


「育児に積極的に参加するお父さん
ちまたではイクメンと呼ばれています

なんだかカッコいいイクメン
けど、まだまだ認められないイクメン

神戸イクメン大賞は
イクメンにスポットライトを当てイクメンを応援します

ゴールはイクメンが”あたりまえの社会”です

神戸を子育てのまちとしてリデザインしましょう」


(発表資料の趣旨より)


 授賞式当日には、「洗濯物たたみ競争」やフォトコンテストをするのですって。

 
 この趣旨には私も大賛成。

うちも、子どもたちが小さいころはさんざんダンナのお世話になったよなあ〜

(今は本人がミドルになって単身赴任中悪口三昧だが)


 おこがましくも実行委員にならせていただくことになりました。。


 
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 (社)兵庫工業会さん主催の工場見学会。


 今回は、森精機さんの伊賀事業所にうかがいました。
 昨春の入会以来、もう5回目ぐらいの見学会であります。


 れいによって見てもほとんどわからない私ですが…、


 
 質疑の時間に、生意気にも初めて手を挙げて質問しました。


「今日はありがとうございました。

部品センターの部品の置き方ですが、

プラスチック棚から無人ピッキング車がピッキングする方式だったのが、


『目で見て在庫量がわからないから』と、

床に置く方式に変えられたとのことですね。


これほど最新の設備の工場で、ああいうやり方をされているところは
初めて見ました。


何年ぐらい前にああいうやり方に変えられたのですか?


また、あのやり方で困ることはありませんか?」



 担当の方は、うん、とうなずかれて、

(たぶんそれほど的を外した質問ではなかったのだろうと思う…あくまでたぶん)


「おっしゃる通り、前は天井まであるプラスチック棚に縦に部品を収納し、無人車が通って部品をとっていました。コンピュータで部品量を制御していました。


 ところが、やはり人間の目でぱっと見て部品在庫量がわからないと、たまってしまうのです。

 そこで、ああやって床に積み上げる方式に変えました。それは6年ほど前のことです。


 またおっしゃる通り、やはり両面あります。困ることとしては、スペースをとるので、多い時は製造ラインの横の通路まで部品を並べることがあります。


 また、横に広く置いていますから、ピッキング、要するに部品のお買いものですね、それをする人の動線が長くなるという問題もあります」



 森精機さんはトヨタ生産方式ではないようだ。

 むしろ、外にモデルとしているところがない分、自分の目で判断して自己責任でカイゼンしているようにみえました。


 普通に考えると、「棚」とか「無人機」とか、今ふうの道具やメカを使うほうが高度だし、コストもかかっているし、それを覆すことはなかなかできないのではないかと思います。


 担当の方も、(単に話すのをきいていただけですからあてずっぽうで言っていますが)「部品がたまる」事実や、「困る」事実について、淡々とバイアスなく向き合い、てんびんにかけている話しぶりで、好感度大でした。



(心の声:「教育研修は間違っても人は死なない」と、よく自嘲的に言う私であります。これはこの見学会とは直接関係ない話です)


 
 ちなみに工場の生産現場では、台車1つ1つに担当の人の名前ラベルがはってあり、


「これはホワイトカラーの事務机に相当するテリトリーなのかな…」と

ほほえましく見ていたりしました。

 いえ、私の勝手な思い込みの世界です。


切削技術の技能コンクールで受賞した作品がいっぱい飾ってありました。


 「わかる」人が見たらワクワクするんだろうなあ。わからなくてごめんなさい。



 帰りのバスの中で、工業会の方にご許可をいただいて、新著『認めるミドルが会社を変える』を参加者の方全員に配らせていただきました。


 兵庫工業会さん、ありがとうございました。


 来年度もまた、見学会参加させてください…いえ毎回今回のようなわがままは申しません…


--------------------------------------


 なお、私の

「見てもわからないくせに見たがる」


性格は、結構年季が入っていて、


会社員時代にブタの肝移植実験を島根医科大学と広島大学で見せてもらって以来です。


 脳死状態で、しかも肝臓も切り取られて心臓死にもなったブタさんがびくっ、と手足を動かすので、


「きゃ〜」


と顔を覆いました。



 医薬翻訳者になる修行をしていた時代には、薬物動態試験の論文に登場する放射能分析機が、それもいいメーカーの最新の型のやつが近所の薬科大学の放射能研究所に入っていると知り、特別に頼み込んで見せてもらいました。


「こんなところにいたのかあ、君」


 論文で名前だけ知っていた機械を「すりすり」しました。



 だから何が変わるというものではないのです。


 でも記事を書いたり論文の訳文を書くときの言葉にこもるリアリティが違うと思っているのです

(↑完全に自己満足。大丈夫かうちのNPO)





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 ダイバーシティー思想と反するようなことをあえて書きます。


 あくまで私個人の実感にもとづいて。



 私は17年前、28歳で初めて子どもをさずかった時、それまでの仕事人生では味わったことのない、子育てというもののあまりの「大変さ」に、がく然としました。


 ちなみにそれまでわずか3年半の会社員人生の中では、夜討ち朝駆けをいとわず、社内で毎月のように名指しで表彰される社員ではあったのですが…、

 こういうことあんまり言ったことはなかったですね。


 「赤ちゃんの世話は大変だ」

 どんなに予備知識をもっていても、それは大変でした。


 その大変さをあんまり詳しく描写するとまたブログが暗くなるのではぶきますが…、


 そのときしみじみ思ったことは、


「これまで28年間に私が学んできたこと、経験してきたこと、蓄積してきた多少の知恵と体力は、すべてこの『大変さ』のためにこそあったのだ」


ということでした。


 いいかえると、


「われわれ人類の肉体と頭脳は、そもそもすべて『子育て』をするためにこそデザインされているのだ」


という根強い確信のようなもの。



 ダイバーシティー思想の方、また何より望んでも努力しても子どもを持てない方、本当にごめんなさい。



 また、ワークライフバランスの中で言われる

「自分中心に物を考える」

という思想。



 これも人によると思いますが、あくまで私個人は、

 子どもを持ったことによって、


「自分」というものについての考え方が180度変わりました。


 それは、


「自分のための自分など既に存在しない。赤ちゃんをふくめ、次世代とか他人のための存在なのだ」


 という感覚であります。

 かっこよく言えば「利他」なのかもしれませんが、そういう言葉や概念としての意識ではない。


 とにかく、「自分」というものの枠線が薄くなった、ような感覚であります。


 
 そのことについて、「自分がない。けしからん」などと言われても、かえって困る。



 ダイバーシティー思想というものが、子育てとか介護とか、社会の根幹をなす仕事をする人を尊重するものかと思ったら、そうではなくて、


 「子育てをしない人の権利も尊重しましょう」


という話だった。


 具体的には、例えば育児休暇介護休暇があるなら、それらをしていない人向けの自己啓発のための休みもつくりましょう、といった話になる。


 そんなバカな話ないでしょ。


 あ、とうとうバカって言っちゃった。


 キリギリスのための保護なんてどうしてしなきゃいけないんだ。

 キリギリスは、歌がうまくて声が大きいのかもしれないけれど。






 こういうのと同じ種類の違和感は、以前ある大学教授によるハラスメント研修に出たときも思った。

 この人のばあいは、恫喝を使いながら女性社員がいかに妖怪のような、理不尽にあなたを脅かす存在であるかを述べていた。

 その研修があちこちの企業や自治体にも入っているということだった。


 
 たぶん行った先の男性上司と女性部下の関係は軒並みわるくなり、女性社員ははれものに触るように扱われ、息苦しい職場となったことだろう。

 仕事の効率もさぞかし良くなったことであろう。


 なんでそんな伝え方をするんだろう、いい「ご商売」になるからいいのか、と思ったけど。


 私は「キリギリス」に対してはあまりリスペクトがないのだ。




 キリギリス型人間が研修講師になり、またキリギリスにかぶれやすいタイプの人が研修事務局をし、

 そして受講する社員は「キリギリスかぶれ」になるか、
 それともキリギリス言説の中の傲慢さに反感をもって、


「ワークライフバランスもダイバーシティーもハラスメント防止もコーチングも大嫌い」


な人になる。心ある人が、むしろそうなっていく。


 
 
神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
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 人前で言葉を発するということは、怖い。


 たとえば、あるメッセージを発信するとき、


「非常に責任感の強い、まじめな人で、自分を犠牲にしてでも働くタイプの人に対してはこういうメッセージを言ってあげることは有効だが、


 そうでない、基本的な責任感が欠如しているか、そこまでではなくても何かの時に『放りだす』『逃げる』傾向のある人に、


 このメッセージをインプットすると、


 そこでは『逃げ』を助長するプログラミングになってしまう」



 往々にして、そういうことがある。


 心に「弱さ」を抱えた人は、何かの難局に直面した時、

 過去にきいたことのある、

 研修講師の発した不用意な一言、

 過去に目にしたことのある、

 本に書かれた不用意な一言、

 を、

 「逃げ」の口実に使ってしまう。

 都合のよいときに、それらの言葉が頭の中で鳴り響き、

 よりによってそれらの言葉にばかり支配される。

 いわば「時限爆弾」もっといえば「呪い」のようなもの。

 そういうのが、例えば

「自分のやらかしたミスの尻拭いを周りの人が必死になってしているのに

『用事がありますから』と先に帰ってしまう若手社員」


 につながったりする。


 そういう場面を数多くみてきた。


 
 ひとつのメッセージを発するのに、そこまで考慮しないといけない。


(補足すると、「責任感」というモラルを1人の人に据え付けるためには、何年にもわたる大変な労力がかかる。それは、「責任を肩からおろしていいんだよ」という、鬱になりかけの人向けのメッセージを言うのと比べて、比較にならない労力である。なにごとも、壊すのは簡単だが創るのはむずかしいのである)


(もうひとつ補足すると、メッセージを受信する側のもともとの人格によっては、発信した側の意図とは全然異なったプログラミングになる、という現象は、アサーションの世界でもよく起きている。『断る』ということを組み入れたプログラムや本も同様である)



 あくまで「うちの団体」での人材育成という観点でいうと、

 現代に生きる1人の人がそこまでものを考えて言葉を発するようになるには―、


 最後は、「徒弟制」で育てるしかないのではないかと思う。


 「ゼロから私の生徒になりなさい。また、数年は、人にものを教える立場になろうと思わず、私のやり方を見ていなさい」


 なんと傲慢な響きだろうか。



 勉強会のあと、オオマエさんに


「あなたはなんでよその研修機関でコーチングを学ぼうと思わなかったの?」

と、きいてみた。

(この人とももう8年来のお付き合いになるのだ)


「一時期はあっちこっちの異業種交流会に顔を出したこともあるんですけどね。でも僕の場合、それをやっていると『疲れる』ことに気がついた。

 それとコーチングに関しては、たとえば1つの勉強会で習ったことを、どれだけ『わかった』かといえば、たぶんほとんどわかってない。同じことを何回も何回も受講しないといけない。

 しかも正田さんもどんどん勉強して新しいものをとりこんでいっている。僕らには追いつきようがない。

 
 だったら正田さんのところでずっと習っておいたほうがいいと思って」



 歴史上かつてなく情報量の多い時代。


 人と人、きちんと合意しあったり共感しあうことが本当にむずかしい。


 と、お互い嘆息しあった。彼もまた、1つの職場を預かる中でたくさんの経験をしているから。


 
 こういうことを書いていることが「うちの団体」に対する純粋無垢の忠誠心を強要している、ととられるかもしれない。


 お断りしておくと、受講生さんが個別に、「よその団体」発行のコーチングの本を読んでいるであろうことは先刻承知である。オオマエさんも読んでいる。私でも同じことをする。


 ただ、個別で読んでおられるという場合、それを理由にあからさまに講座での態度がわるくなられるということはない。


 「よその団体」の本を読まれて、その内容が「うちの団体」のプログラムと一致しないという場合、もしそれを堂々とディスカッションの場に出してくださるなら、私も堂々と、なぜそれを「うち」のプログラムでは採用しないのか、理由を述べると思う。これまでそういう場面はなかったが。


 単純に時間不足で、「よそ」の本に盛り込んでいる内容を「うち」でカバーしきれない、という場合もある。その場合は、補足説明の形で「それも正しいです」というと思う。


 ややこしいのは、「徒党を組んで」「よそ」の本を読まれて、しかも読んだという事実を私に告げないまま、理由のわからない「見下し」の態度に出られる、という場合だと思う。


 職場の上司―部下の間でもこういうことは起こるかもしれない。今どきの部下であれば。



 ありがたいのは、沢山の情報がある中で、私たちの団体が誠心誠意、マネージャーさんとマネジメント実務がうまくいくようにプログラム作りをし、伝えつづけているということを、当のマネージャーさんであればわかってくださる方が多い、ということである。
(注:あまりにも精神的に未熟でそもそもコーチングについて理解不能、という人を除く)



 ところで…、

 ここから先、小さな声で言います。

 『社会構成主義』の本を読みましたが、ご高説ごもっともとは思いましたがあまりにも視点が「マクロ」すぎて、「自分はその場そのとき、何をするか」という、1人1人の行動レベルの視点とかけ離れていると思う。素養の1つとして知っておけばいい分野だと思いました。私的には。

 ものごとは高度であればあるほどいい、というわけではないと思う。全人口の9割が学者とかプロコーチをやっている社会が幸せとはいえない。


 それは、アリとキリギリスでいえば、キリギリスなんです。




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 これまでに、『認めるミドルが会社を変える』について、読者の方からいただいたご感想を、感謝をこめて載せさせていただきます。

(注・いただいた順)


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「サイン本」、先ほど読み終わりましたよ。全体を通してとても読みやすく

頭の中にスーっと入ってくる感じでした。



正田さんがどのようにして「企業内コーチ」に行きついたのかということや、

「企業内コーチ」に対する想いもよく判りました。

また3章の実例では、紹介されている皆さんが不退転の覚悟でコーチングを

実践されている様子が判り大変参考になりますね。

この方たちに比べると私の取り組みは今一つ肝が据わっていないような

感じがしました。



それから、本文中にも私を登場させていただきありがとうございます。

あのA4の紙を今はトイレの正面に貼って毎朝新鮮な気持ちで確認していますが、

これに今日のビジュアライジングのワークで描いた絵が加わりました。

これも、毎朝新鮮な気持ちで眺め続けることになるでしょう。



今回のBコースは講義以外にも示唆の多い内容だったと思います。

正田さんの逃げない気持ち、全てを受けとめようとする気持ちが

とても強く感じられ感銘を受けました。



これからもコーチングを学び続けてゆきますので、ご指導のほど

よろしくお願いいたします。



(from トーキチローさん)

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おはようございます。
昨日、本が届きました。
ありがとうございます。

改めて読み返してみて
中身の詰まった
読むたびに新しい気づきを与えてくれる
本だなと実感しています。
壁に突き当たったら
この本を読み返してみようと思わせる本だと思います。
本当におつかれさまでした。


(H.Y様)



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 太田肇(同志社大学)です。

 ご高著、『認めるミドルが会社を変える』のご出版、おめでとうございます。
 さっそくご恵投いただき感謝いたします。

 「承認型コーチング」についてとてもわかりやすく書かれており、良い本だと
思います。取り上げられている事例やエピソードも読者を引きつけます。

 講演などの機会には、是非紹介させていただきたいと思っています。

 ありがとうございました。
 

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 皆様、貴重なご感想ありがとうございました。

 心ある皆様とこの本を通じて対話することができたとしたら、とても嬉しく思います。


 あすにでも絶版になってもおかしくない本ですが

 こうしてお言葉をいただけると、少し元気に育つかもしれない、と希望を持ちます。

 


 ありがとうございます。



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 先日、久しぶりに私のコーチに


「どうありたいのか、どんな状態を目指したいのか」という質問をしてもらいました。


「…自分自身がどうなりたい、というのはないんですけどねぇ。


とにかくこんな時代ですから、あとになって振り返ったときに、

日本人が

・希望を持って
・力強く
・幸せに

なるように少しでも役立った、と思えればそれで満足です」



「なるほど〜」


コーチは言って、そして笑われました。


「希望を持って力強く幸せ、って、それ全部正田さんのことじゃない?」


私「え〜っ、そうですかねぇ」


コーチ「そう思いますよ。たぶんだから皆さん、正田さんのそばで関わっていると『希望を持って』『力強く』『幸せ』になれるんだと思いますよ」



私「じゃあ、日本人みんな私になりなさい、みたいな?!それはかなり傲慢ですねぇ」


 幸せ、なのかなぁ。たのしくないことは一杯あるんですけど。


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 久しぶりに帝国データバンクの神戸支店にご挨拶。


 以前にもブログに書きましたが、最初うちの事務所に来られたTDB社の若い営業の方が上司に推薦してくださり、


 それを受けた情報部部長のN氏から月1回の連載のご依頼があって、という「情報リレー」でした。「長寿連載にしましょう」と言われ、もう16回になりました。


 そんなに書くことあるかなあ、と思ってたんですが。


 書きだすと、職場の人間模様と業績の話、実はネタは尽きないのでした。


(中にはギリギリ当日になって受講生さんに掲載許可をもらって、という回もありましたが)


 N氏と周りの人と話をされている様子をみていても何となく勉強になり…、


 やっぱり、デキル人の空気感だなと思うのでした。あ、お追従じゃなくて。


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 娘が高校の模試で「学年1位」と「偏差値91」というのをとって、

クラスのともだちに


「気持ち悪ッッ!」

「あんたもう学校来なくていいよ」


と言われたそうです。


 家族も、みんなで


「気持ち悪ッッ!」


と、ツッコンだのはもちろんです。本人「わ〜ん♪」と言ってまんざらでもなさそう。


 今どきの計算方法では91なんて出るんですかベネッセさん。


 この子は以前「部活の企業改革」にやたらとかまけていたが今学期はそれが落ち着いて、問題部員が退部したので本人1人になって、先生にマンツーマンでお琴を教わっていました。


 新学期からは、また文芸部を再興したときのように部員集めに走りまわるんでしょう。


 私は何をしたかというと、毎日ごはんを作って好きなお菓子を切らさずに買ってやって、あとたまに(数か月に1度くらい)悩み相談をきいてやっただけです。




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私「『ワンピース』の最新巻が30万部だってねぇ」


娘「そうそう」


私「『ワンピース』って何がいいの?」(←BLEACHと銀魂は読んでいるがONE-PIECEは読んでいない偏った読書傾向の私です)


娘「んー考えなくていいっていうかぁ、主人公が何も物考えないヤツで、コイツ悪い!!じゃあやっつける!みたいなぁ」


私「ふーん、それっていいのかね悪いのかね」


娘「ちっちゃい子が読むのには…、いいんじゃね?」


私「勧善懲悪っていうのが善悪の価値判断の力を鍛えるのに役立てばいいんだけどさ、むしろ善悪があまりにも混沌としちゃってる時代にうさばらしの役にだけ立ってるとしたら、それもねえ。大人でも善悪の価値判断しない人多いよ」


娘「ふーん」


と、ちょっと嘆き節入ってきて会話は終了。



 岡田尊司氏の『脳内汚染』『脳内汚染からの脱出』によれば、6〜8歳の幼児の精神構造というのは、極端な勧善懲悪で「コイツ悪い!!じゃあやっつける!」であったり、逆に善悪の判断力が未熟で周囲にすぐ引きずられるとか、らしいです。


 そしてIT化によりティーンや若者だけでなく、社会全体が6〜8歳の幼児と化しているのだそうだ。

 ファンタジー傾向、つまり妄想もある。



 私もぜんぜん人のこと言えませんが。


 
 最近ブログで文句を言ったファストフード店「S」については、近所の別の店舗のかたから、「うちにもそこの悪い噂入ってますよ」とお便りいただいた。


 「講座運営と他団体テキスト」の記事については、

「正田さんのご苦労を慮るばかりです。私がその場にいたら注意していると思います」


と、以前の受講生さんからメールをいただいた。


 お優しい言葉ありがとうございます。
 お客様の励ましに支えられています。


 
 このところブログが暗くてすみません。本も出たし、もっと明るい話題を多くしたいですね。



 あすは「ワークライフバランス&ダイバーシティー勉強会」。北尾真理子氏登場です。



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 いろいろと嫌なこともある一方で、


 「わが社」の一つ、いいところを挙げるとするなら、

「ほんものをよんでいる(すみません、えらそうですネ)」


ということであります。

 
 このことは今回、しみじみ思いました。



 私は読書をしながら割合リテラシー目線で読むほうですが、


「この人のこの考え方は『ほんもの』だ」


と思ったら、直接会いに行って、それからご本人に当協会で講演していただく、ということをします。


 
 そういうやり方で、
当協会顧問で「承認論」の提唱者、太田肇・同志社大学教授のほか、
「行動理論コーチング」の武田建・関学名誉教授、
「システム思考」の第一人者、(有)チェンジ・エージェント社長の小田理一郎氏、
 といった方々にこれまで講演をお願いしてきました。


 もちろん、応用コースに講師としてご協力いただいている、吉田典生さん、横山みどりさん、森川里美さんもそうであります。



(ここまで書いて、

「すみません、皆様薄謝でお願いして」

という気持ちが湧いてきています。すみません本当に。)


 CA社からはその後も中小路綾子氏に来ていただき、1日セミナーをしていただきました。

 一時期は「私自身が教えられるようになりたい」などとも言っていたのですが、システム思考の世界の厚みから考えてムリだと断念。

 その代わり、ちゃっかり「本場」の方に来ていただくようにしています。


 自分でやることにこだわると、中途半端な模造品になってしまいますからね。


 だから「うちの生徒さん」は、実は幸せなんですョ。すごく「ほんもの」に触れる機会があるんです。

 
 あ、ちなみにわが社の「応用コース」の中でシステム思考の1日セミナーを受けると、CA社の「ベーシックコース」受講に相当とみなされ、東京で行われる同社の「アドバンスコース」以降に参加できるということです。ということを、最近ご許可をいただきました。



 そういえば吉田典生さんに

「『部下力』教えられるようになりたいです〜。教えてもいいですか〜」

「いいですよ」

といったやりとりもしたけれど、いまだに自分で教えることには踏み切っていない私。


 「部下力」需要もあるけれど、やっぱり本物から教えてもらえたほうがいいですもんね。



 
 えーと蛇足ですが

拙著『認めるミドルが会社を変える』が、JBOOKとアマゾンで検索していただけるようになりました。


 もし、購入されたい方はどうぞ…。


(でも当分、当協会主催のセミナーに来られた方には無料でお配りしてます)


 
神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
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 この話をブログに掲載することは、少々つらい決断です。


 でも、私たちのNPOの社会的責任に関わることかと思いますので、勇気を振るって書きます。


 
 先日、私たちの主催による「コーチング講座 基礎コースB」土日2日間を開催しました。


 そこで、講師の私には奇妙な、私の力量の未熟さを思い知らされるような事態が発生。


 ある受講生様が、講師の私の発言を否定するような発言を繰り返し、冷笑し、ほかの受講生様もそれに同調したのです。


 その場に参加されていた現役のマネージャーの受講生様は、幸い真剣にコミットメント高く学ばれていましたが、そういう人でなければ、その場の空気により学びの質が下がってもおかしくないところです。


 私の話を繰り返し否定していた受講生様に何があったか。


 実は、それに先立ち1週間ほど前、1月の「基礎コースA」に参加されていた別の受講生様―この人は「基礎B」には参加せず―が、同じ期の他の受講生様を誘って、独自の勉強会をされた。


 その勉強会では、当協会のテキストではなく、別の女性コーチの著者による出版物が使われたとのことです。

 この勉強会は、受講生様同士が知り合うもとになった講座の主催者である私どものNPOには連絡なく、無断で行われました。


 そうした、他の研修機関のテキストを用いた勉強会に参加したあとであれば、受講生様が当協会の講座に参加しても、講師の私の発言をことさらに否定する、また冷笑する、といった態度に出るのは、無理からぬことです。


 通常、私どものような社外のオープンセミナーに参加する受講生様は、通常の社内研修に参加する場合よりもモチベーション高く、旺盛な学ぶ意志をもって主体的に参加されます。全体的に学ぶ雰囲気が横溢している場です。そのため、通常の社内研修よりも結果的に高いレベルで学習ができるのです。


 わざわざオープンセミナーに参加してきて、講師の言うことにことごとく「口答え」をされるという現象は通常はありえず、一部受講生様とはいえそうしたことがありますと、学ぶ場の空気はてきめんに悪くなります。


 もちろん、講師の側では大人である受講生様に対して押しつけがましい口調でものを言わないよう細心の注意を払います。ただし、学びの場面によっては、はっきりと受講生様に負荷をかける場面もあり、丁寧さや尊重の姿勢と、リクエストを出し負荷をかけることのバランスには気を遣います。


 そういう細心の配慮をしている講師を混乱させるような出来事が、先日の基礎コースBでは起きたわけです。


 これはすなわち、先立って受講生様同士で行われた「秘密勉強会」において、他研修機関のテキストが使われたことにより、当協会および講師の私に対して「見下し」が起こった、と解釈すれば理解できることなのです。


 こうしたことが起こりますと、わたくしどもはオープンセミナーの教育に重きを置いているだけに、主力商品に欠陥が生じることになります。よい学習環境とは言えないことになります。とりわけ、コーチングの場合は受講生様に発言していただく場面が多く、受講生様の「問題発言」が場の空気に与える影響が大きいのですから。


 この事態を遺憾に思い、私は今回の「基礎B」に同時に参加されていた、その「秘密勉強会」参加組ではなく、モチベーション高く学んでおられた受講生様に、事情説明とお詫びのメールをお送りしました。


 それとともに、他の受講生様を誘って「秘密勉強会」を主催された受講生様に抗議のメールを送りました。講座で問題のある言動をされた受講生様を含め、その勉強会に参加された受講生様には、今後当協会の講座に参加されることをご遠慮いただくメールをお送りしました。


 再発防止策として、ホームページの「講座お申し込みの際の注意事項」にまた加筆し、「他団体のコーチング受講経験者の方」の項目を、一層具体的かつ厳しい文章としました。

http://c-c-a.jp/koza/chuui.html
 
 
 ただ、これではまだ足りないかもしれません。例えば「講座受講後に勉強会等を開催される場合について」といった項目を別途立てて注意喚起するようなことが必要かもしれません。


 当協会の講座で知り合った方を誘ってコーチング勉強会をされる場合、必ず当協会の了承を得ること。

 そこで他団体発行のテキストを用いる場合などは、正直言って私は他団体のテキストすべての書いてあることに責任が持てるわけではない(中にはそれこそ都市伝説のような、無責任なものがある)ので、了承できるかどうかわかりません。
 今回使われたといわれるそのテキストも、私の基準からみると決して誠実な姿勢で書かれたものとはいえません。
 同じ「コーチング」でも、そうしたスタンスの違いが、読まれた方の対人スタンスにも影響を与えます。


 少なくとも当団体が誠心誠意、社会との間に、また受講生様との間に作ってきた信頼関係にひびを入れるような行為をしないでいただきたいこと。
 もしそれをされた場合、法的措置も視野に入れること。


 私自身は、あちこちの研修機関に勉強に行きますが、そこで営業行為などしたことはないです。やはり、そこで出会った人は、そこの研修機関の営業努力により集めた人たちなのです。それに対して「宝の山」だと思って営業をかけるようなセンスは、私にはありません。


 今回、問題の「秘密勉強会」を主催された方は、当方からの抗議のメールに対して「平謝り」をされました。
 今後は、その受講生様から他の受講生様への接触を控えていただくよう要望しました。


 
 コミュニケーション研修などしていると、自分の教えたことに自縄自縛になってしまいそうですが、人と人との間の利害を調整するのは、一義的には「倫理」であり、それが通用しなければ「法律」ということになります。



 倫理の地に堕ちた時代です。それでも、私たちの事業では次の社会づくりのために、精一杯よい教育を行い、そこに人を集めなければなりません。

 どうすればこうした事態の再発防止ができるのか、またほかのパターンでの妨害行為があるとしたらどういうものがあり得るのか、暗中模索ではありますが、私たちを信頼してくださるお客様方のためにも、最善を尽くして知恵を絞っていきたいと思います。


 何卒、ご理解、ご支援をいただければ幸いです。



神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp 
 


高校生の娘が近所のファストフード店「S」に行って、怒って帰ってきた。


「店員ウザい。なんか外人が来る店だからって、あたしたちのこと見下してる気がする」


 どんなふうだったかというと、娘が

「サンドイッチとポテトダブルはクーポンではいくらですか?」

ときくと、30代くらいの男の店員は「ええ〜」とカウンターに片ヒジをついて空を見上げて考えるそぶりをし、いかにももったいぶった風情であったという。


「あ〜、その人知ってる」

と私。


「母さんも前、そこの店に行ってイヤだなと思ったんだ。だからつい今日はあんたに行ってもらったんだわ。ゴメン。

あの人店長かなんかでしょ。前、ほかの女の店員に指示出ししてたよ。やっぱり感じわるかった」


娘「あたしもうあの店当分行かない。『S』に行きたいときはよその店行く」


私「わかるわかる。だからあそこ、流行らないんやろね」


 うちの近所では、別のファストフード店「W」が撤退し、本来「S」にとってはビジネスチャンスなはずである。でも「S」がその分流行っているようには見えない。あの店員じゃなぁ。


 本人は恐らくわかっていないだろう。自分がいかに感じがわるいか。


 大企業を辞めさせられて英語ができるというだけでこの町のファストフード店の店長をやってるとかかなあ〜。

 大企業をドロップアウトした人で、意味もないプライドを表に出して仕事をしてる人は多い。


 根拠のない自信。異様な自己顕示欲。見下し。


 社会の就労人口全体に、そういう人が増殖していく。とりわけ底辺にちかい方に。その傾向はもう止めようがないのではないだろうか。


 もちろん感じのいい人もいっぱいいる一方で。


 私たちにできることは…。でも、好きになれない人のために何かしてやる気になれないし。





 ところで、私たち「研修講師」「コーチ」という仕事を志す人にも、基本的な対人スタンスが間違ってるんではないか、と思える人が多い。


 研修講師になりたいのは、人前で偉そうに上から口調でしゃべりたいから。
 あるいは、えらい人の書いた本を読みすぎて、その世界に自分をアイデンティファイしてしまっているから。

 偉そうでなくても、演技的な雄弁術で人を魅了したいから。アーチスト気質だから。


 「コーチ」になりたいのは、

―私は「コーチ」という言葉をつい、カギカッコつきで書いてしまう。いまだに奇妙な職業だと思う―

 人の話を聴くということを仕事にして生計を立てたいとか副業にしたいとか、およそ仕事とか世間というものをナメているからだ。自分のことを棚にあげて言うけれど。


 私は「プロによるパーソナルコーチング」よりも実社会の中の「企業内コーチング」のほうが、はるかに意義があると思っている人間である。


 大体クライアントの話すことが、パーソナルコーチに全部本当かどうかわかるわけがない。自分に都合のよいことばかり話しているかもしれないのだ。


 私たち「プロコーチ」に存在意義があるとしたら、「企業内コーチ」の育成を、豊富な経験を活かしてサポートすることにあると思っている。プロコーチなど黒子でいいのである。




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 初の著書『認めるミドルが会社を変える』(カナリア書房)について。



 先日、西安への旅行から帰ってきた母が、心配して電話をかけてきた。


「今の時代は、イヤなことが一杯あるんだよ。商道徳にもとるようなことが当り前に起こるってよ。

 出版社から刷りあがった本が送ってくるまで、信用しちゃダメだよ」


 好意に感謝しつつ、「大丈夫、ちゃんとした出版社さんだから。変なところじゃないから」となだめた。


 先日本がうちに届いたとき、真っ先に母のもとへ7部、梱包して送ったのは言うまでもありません。親戚に配ると言ってましたから。



 それにしても、母の心配ももっともだ思う。無名の地味な著者の本。題材は既に手アカのついた感のある「コーチング」。果たして何部売れる可能性があるのか。



 母は恐らく、西安への団体旅行中に、一緒のツアー客から今の時代のさまざまな業界の「商道徳にもとる行動」をたっぷりきかされたのだろう。



 「硬派な本にしましょう」
と、きっぱり言ってくださり、
 実際にケレン味のない、私からみて悔いの残らない本に仕上げてくださったカナリア書房社長の佐々木紀行さんに感謝。


 私にも悔いが残らないし、登場する関係者の方々にも恥ずかしい思いをさせることはないと思うのだが(家族親戚にもたぶん恥ずかしくないと思うが)、ただ「売れる本」かと言うと、ちょっと心配。大丈夫ですかカナリア書房さん。



(ちなみにカナリア書房さんでは12月ごろに早々に「出版依頼書」を作ってくださり、「原稿の催促だけして実際は出版しない」といった、この業界の一部にあるらしい悪しき慣行とは無縁の出版社さんです。)



 『認めるミドルが会社を変える』


 残念ながら、まだアマゾン検索にはひっかかりません。「プレゼントじゃなく買いますよ」と言ってくださった方々、ごめんなさい。佐々木さんによると、店頭に並ぶのはあす、3月4日ごろだそうです。




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 1日、本の梱包と発送に明け暮れました。


 梱包作業というものは不慣れなので、確実にきれいなばらけない状態で先方に届くかどうか、自信がありません。


 どうか届きますように。



 メール便の集荷の人が、


「シール貼り手伝ってもらったから、厚み1cmにしときますね」と有難いお言葉。


 私はこういうサービス業の人とお話するのが好きかも。変なむずかしい理屈がはいらないで、ぱきぱきっとして。


 
 『邪悪なものの鎮め方』(内田樹著、バジリコ)という本を読みました。



 …「邪悪なもの」との遭遇というのは、「どうしていいかわからないけれど、とにかくえらいことになっている」ということで定義されるわけですから、「邪悪なもの」を鎮めるためには、この状況から脱出する方位について逡巡することなく、「こっち」とはっきり指示できるような知がどうしても必要です。


 (略)


「邪悪なもの」をめぐる物語は古来無数に存在します。そのどれもが「どうしていいかわからないときに、正しい選択をした」主人公が生き延びた話です。主人公はどうして生き延びることができたのでしょう。


 私自身のみつけた答えは「ディセンシー」(礼儀正しさ)と、「身体感度の高さ」と、「オープンマインド」ということでした。




 邪悪なものは世に満ち満ちています(私の周囲も例外ではありません)。


 だから、こういうタイトルの本が出るのでしょう。


 心を強くもって、常に最善をこころざすしかないのです。


 あらためて家族に感謝、また支えてくれるスタッフ、理事、社員の皆さんに感謝。



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 ある研修機関に行って受講した時、人々がひどくエネルギッシュになり、自己表現ずき、アーチスト的になる半面、傷つきやすく、他人からの厳しい意見を受け入れられなくなることに気づいた。


 それは制約をうけずにのびのびとお絵かき粘土細工をする幼児に似ていた。
 40代や50代の大人なんだけれど。
 「自由」「表現」をこのんだ。



 「幼児化」とも呼べる一方で、
 その変化は「老化」の一形態とみることもできた。


 興味関心の幅が狭まり、他人の予想外の反応にひたすら怯え、予想外の反応をする人を避けるようになる。この人たちとよい関係を維持するには、こちらがひたすら共感的に、あるいは迎合的にふるまっておつきあいするしかないのだ。


 認知能力の衰えた人にも似ていた。


 この人たちは、興味のもてるごく狭い範囲のこと以外に対しては、学習能力が低下してしまったんじゃないだろうか。



 そうして、私はある研修機関をある時期から推奨しないことを決めた。



 しかし、そうした作用をもつ研修機関は、そこだけではないようなのだ。


 きりがない。あとから、あとから。


 暗澹たるおもい。「禁書」の長いリストを作らないといけないかもしれない。


 ある田んぼが1枚全滅になってしまった。




 よくみると、今回問題になった本は、「人は感情で動く」というフレーズを使っている点が、推奨しないことにした研修機関と似ていた。



 あくまで私の経験からいうと、
 「人は感情で動く」というフレーズに暴露すると、その人の脳は「感情系優位」になる。

 
 「感情系優位」という言葉は脳外科医・築山節氏の著書にみられる言葉で、どのくらい一般化されているものなのか知らない。しかし、この概念を使うことで確かに説明がつくことがある。
 


 「感情系優位」になった人は、疲れやすく、だらしなくなる。行動量が減り、うらみがましく愚痴っぽくなる。ちょうど、1日の終わりに疲れきって理性が弱ってきた状態が「感情系優位」だ。


 「感情系優位」になった人が、だから、興味関心の幅が狭まるのは自然なことだし、好きでないことは避けるようになる。


 
 この状態の人はまた、反発心や反感、ネガティブな感情が表に出やすいようだ。ちょうど、幼児が両親に甘えながら反抗している状態と同じである。とにかく理性のはたらきが低下しているのだから。


 残念ながら「感情系優位」になったとき、共感能力は高まらないようだ。人々はより利己的に非理性的になる。


この人たちには、礼節にもとる行動や非倫理的行動、他人の気持ちなどお構いなしの行動や他人をあざわらい見下す行動もよくみられる。


 「理性がなくなる」とは、そういうことなのだ。



 当然、仕事の遂行能力は低下する。上司に対して反発が出やすくなる。モチベーションが下がる。

「人は感情で動く」というフレーズが、部下のモチベーションアップを意図して使われているのだとしたら、とんでもない真逆の作用である。



 だから、当り前だが理性は大事なのだ。教育は大事、躾は大事。していいこと、悪いことを教え、集団の中で果たすべき義務はやること、最後まで遂行することを、本人が望もうと望むまいと「叩き込む」。


 それは幼稚園の年長〜小学校〜中学校の間にやらなければならない。 
 また、大人になってからもその教育の意義を否定してはならない。



 その「理性教育」、つまり躾の意義を否定するような人材育成の研修や本は多い。

 
 「人は感情で動く」―いいかえれば理性は重要でない、というフレーズは危険な呪いのようなものなのだ。


 いちどそのように洗脳されてしまった人は、にどと(脱洗脳をしない限り)理性の力で自分を奮い立たせることができない。


 「今日は雨が降っているから家を出たくないなあ」と思ったら、立派な引きこもりのできあがりである。



 くわばら、くわばら。


 世に「人は感情で動く」と自信たっぷりに書いてある本は何冊出ているのだろう。



 私はそういうのに「かぶれた」人をいちいち脱洗脳したり、躾けなおしてあげるほど暇ではない。

 一般に、厳しい言い方だが子どものいない人ほど「かぶれやすい」ようである。「感情系優位」が実は「幼児化」と同じ現象だということに気がつかない。


 また、子どもをもつ人や学校の先生がいかに大変な手間をかけて、幼児を社会化して―つまり躾けて―大人にしているかにも気がつかない。


 
 夕ご飯。

 子どもたちにまた、


「あんたたちがいてくれて良かった。母さん幸せ」


という。






神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
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 「真央ちゃんとヨナ」宿命のフリー対決の熱気もさめやらぬ26日金曜夜。


 「韓国が気になる!」というお題でよのなかカフェを行いました。


韓国ってこんな国!
日本人、韓国人双方で出しあった「韓国」とは…。

いいところ:
家族関係を大事にする。兄弟も仲よくする。
大家族でみんなで集まってお祝いする。
細かい心遣い。長幼の序を重視するので、初対面でさりげなく年齢を訊く。
目上の人の前では煙草を吸わない。酒は横を向いて飲む。
家族でよく手をつなぐ。おじいちゃんおばあちゃんともつなぐ。
ウリ(私たち)をよく使う。仲間意識が強い。ウリマル(私たちの言葉=韓国語)
サッカー代表選では、日本の一体感と韓国の一体感が全然違う。
韓国―ブラジル戦のときは叫びが団地にひびきわたった。
大統領がかわるとガラッと方針が変わる。改革が早い。変化をこわがらない。
韓国のおばちゃんたちはどんどん肩とか髪とかさわる。



わるいところ:
パリパリ(早く早く)とせかす。タクシーが乱暴運転。
仕事で価格交渉、納期交渉をけんかごしでする。納期にはすごく厳しい。(でもあとで酒を飲む)
他人にはきびしい。子どもがけんかしてくると「相手を負かしてこい」と教える。
地下鉄ででかい声でケータイで話している。



そんな韓国人とつきあうには、
・本音を隠さない。やりたくないならやりたくないという。
・けんかしてもすぐ仲直りする


だそうです。


韓国に残る人情味。
おじいちゃんおばあちゃんの手を引く。荷物を持ってあげる。席を譲る。

対して日本は席を譲ると「失礼な!」と怒りだすお年寄りもいるので
席を譲れない。


「親切にするルールを日本は複雑にしすぎちゃっている。もっとおおらかに親切にしあえればいいのに」
という声も。


空気を読み合いすぎる日本人。若い世代にいくにつれどんどん程度がひどくなって息苦しくなっているかも。


お隣韓国に見習えるところが色々ありそうですね。




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