『物づくりが国を支える―企業蘇生の現場からのメッセージ』(岩城宏一著、冬至書房)という本を読みました。
提言と主張にみちた本。具体的なエピソードが入ってないのでもどかしいけれど、正田にも同意できる部分が沢山あり、コンサルタントの著者の豊富な経験に裏打ちされている、と思っていいのでしょう。
「我が国の人々は、集団として結束したとき非常に大きな力を発揮する。それは日々の仕事の中での、経営者の優れたリーダーシップによるものである。それによって、人々の知恵と成長が促され、統合されて集団としての力を発揮する」(p.15)
とりわけトヨタ生産方式は、トヨタの経営者のみならず、当時の我が国の経営者たちに共通した、経営思想と行動様式を継承している、とし、
「一般的な経営マネージメントは、指示したことを行わせるために管理するのであるが、日本流は、各自が創意工夫を凝らし、自主的に働けるようにすることにある。
そのために、一般的な経営管理のコミットメントとチェックに代わり、日本流の経営は会社をよくする目的と目標を従業員と共有し、その実践に必要な仕事の環境づくりを行っている」(p.16)
「私の知る多くの成功例は、・・・現在の行動を創業時の経営思想と行動に回帰することによって、再生に成功したものである。
その基本的な経営思想は『企業は公器である』『その発展育成上の武器は、従業員全員の経営参加とその知恵と成長に勝るものはない』ということである」(p.17)
わが国製造業の競争力低下を憂える著者は、「製造業は生産現場の改革を先行させ、それに合わせて経営思想の改革をするべき」という考えを持っています。
「強い生産現場は、それを必要とする能動的な経営があって初めて維持できる。また、そのような生産工場は強力な経営活動の礎になる。生産活動を疎かにする企業には、経営的な安定はなく、またそのような社会も安定的な維持発展はないだろう。
それは当然のことで、製造業の仕事の実体は『社会が必要なものを開発してつくって売る』の一連の行動である。しかも『つくる』ことは、この行動を物として具体化する直接的な行為であり、会社組織のハブ的な機能を担う。そのため、この機能の弱体化は、経営全体が健全に機能することを直接損なう」(p.22)
中央集権的な経営改革に著者は疑問を投げかけます。
「多くの企業が近代化という社会的な風潮のもとに、特定の部門や中央での管理を強化し、欧米流の経営を指向してきている。その結果、具体的な経営施策としては、事業改革の名のもとに企業や事業所の統合や再編、生産の海外移管程度である。このような小手先の対応は企業内に無用な労力を強いるだけで、逆に企業の体力の消耗に拍車をかけ、根本的な問題解決に至っていないことは言うまでもない。
これらの一連の施策は仕事の現場ではなく、本社を中心にした経営企画部門などの発案と先導による場合が多い。現在も何ら反省されることなく、事あるごとに管理体制の強化を理由に、企業内の中央集権的な管理体制強化の流れは続いており、実際の仕事の現場の軽視と遊離が進んでいる」(p.29)
新製品開発に依存した経営にも、リスクがあるとします。
「現在では、大型な新製品は地球環境、医療などの限られた分野であり、その他の多くは目先の新しさを競う程度で、それにより品質・原価の劣勢を補うことは不可能であろう。
このような状況下では、新製品開発は多分に投機的な要素があり、多くの企業がその存続を託すほど大きな効果と市場を期待できる分野ではない。企業の安定のためには、日常の製品市場に軸足を置き、その中で安定的な収益を確保することは重要な経営課題である。そのためには、基礎体質の強化のための地道な努力が不可欠である」(p.32)
・・・「画期的なイノベーション」が大事か、「地道な製品づくりとコスト削減」が大事か、という問い、と言い換えることもできるでしょう。情報機器分野でのスティーブ・ジョブズの成功が目を引きますが、同じような現象を他分野で続々と起こすことができるのか。
個人的には、「イノベーション」と「地道」、どちらも好きなのでどちらかに軍配を上げにくいところであります。
そして「経営者」への注文。
「企業の盛衰が経営者の行動に、直接左右される多くの例を私は目撃してきた。現在の企業組織の疲労と停滞は、今日の経営者自身のマンネリ化と怠慢に多くの原因がある。組織の弱体化は、仕事の現場の軽視の風潮に端を発し、価格競争からの逃避に進む。
特に生産活動は人々の具体的で直接的な働きを必要とし、常に本当の働きが求められる。多くの人々はそこから逃避しがちで、実際の仕事の現場にとどまり、率先して行動している経営者は、最近ではきわめて少なくなっている。しかし、仕事の現場に密着した経営者こそ、活力のある企業活動の牽引車であることは、いまも変わらない」(p.35)
「現在の多くの企業に見られるように、正常に機能しなくなっている組織の中に長年安住していると、結果的に人々の能力開発の遅れが蔓延する。まず目に付くことは、会社経営上重要な影響力を持つ経営者の経営力の低下である。
現在では、その兆候はかなり深刻で、会社の中で自分が何をしなければならないかさえ、自覚していない人たちが非常に多い。そのような人たちには、経営上の企画力や判断力、行動力など重要な部分で、会社が置かれた状況に対して、妥当性のある判断や行動、リーダーシップを全く期待することができない。彼らの多くは概して月並みで、マスコミやビジネススクールでの学習レベルにとどまったままで、行動力に乏しくそこから一歩も踏み出していない。
このことは、生産や開発、営業などの実際の仕事の現場からの遊離に原因があり、その遊離の実態は驚くほどひどいものである。実際の仕事の現場からの逃避は、目の前で展開されている現実より、安易な自分の知識の中の一般論で物事を処理しようとする傾向に走る」(p.39)
「このように任務を全うできない経営者を輩出する背景には、人材の登用の仕方とその任務の付与の仕方に問題がある。経営者への登用の動機は、予定される任務に対し、最適者が選抜、登用されるのが本来の姿である。しかし、実態は『ほどほどであれば誰でもいい』『年齢が優先』『運のいい人』等々、理想とは全く掛け離れた人事が平然と行われている。」(p.40)
「改革へのリーダーシップは、経営者としての旺盛な責任感と、その人の持つ鋭敏な感性と直感力によって始まる。
経営者としての感性は、変革をリードする上で欠くことのできない重要な要素である。感性はその場の情報を瞬時に感じ取り、自分のとるべき行動を正しく選択する。これは人間の持つ重要な能力の一つである」(pp.40-41)
ここにも「情報」と「感性」「直感」の関連が出てきました。ここでいう「感性」は、他の経営者育成の本で言う「インサイト(洞察)」と同義のものかもしれません。
「経営者」に対する注文は、後半で再度出てきます。この本では、戦後日本にみられたような「現場型経営者」の復権を提唱します。
「そのため、経営上大きな影響力を持つ経営者の実際の行動は、会社をよくすることの目的と目標を社内の人々と共有し、長期の会社育成のための行動を方向づけるための、経営思想の社内への浸透を図ることを指向する。そのために、常に皆とともに仕事の現場で対話を進める。これは、本書で取り上げている経営革新の主要な柱の1つである。しかし、振り返ってみると、このことはここで改めて取り上げるまでもなく、終戦の廃墟の中から、今日の我が国の産業を育て上げた当時の人々の思想と行動であり、かつての我が国ではごく普通のことであったように思う。
このことが、これまでの日本の強さの支えであったことは明らかであり、このような経営風土の退化に伴い、我が国の競争力は弱まってきているように思う」(p.218)
「目標の共有」「経営思想の浸透」「現場」「対話」をすすめる一方で、「成績の良い人」をバッサリ。
「人材の採用時の選抜の基準は、多くの場合『成績の良い人』ということである。また、この基準は採用時のみならず、その組織に在籍期間を通して長く残存し、役職登用などの大切な節目で、いろいろな形で影響している。
これらの『成績の良い人』たちは、維持業務は手際よく処理する。しかし、改善改革時は、逆に反対勢力になることさえある」(p.41)
「『成績の良い人』とは、どのような人を指すのか改めて問い直してみると、その基準は甚だ曖昧であるが、学校の成績の良い人、学歴の良い人などはその代表的なものであろう。これらの人たちの共通点は、行儀が良く物知りである。業務上では、維持業務については手際よくこなす。しかし、改善・改革や行動力を必要とする業務については、逆に阻害要因になっている場合が多い。
そのため、そのような基準で任命された経営者が統率する多くの企業は、いろいろな経営施策が後手となり、その施策も月並みなものに終わっている。構造改革の名のもとに、安易な人員の削減、不採算事業の撤退、生産の海外移転などはその典型的なものであろう」(p.191)
著者は経営思想を「性善説人間観」(いわゆるY理論でしょうか)に転換すべきだと主張し、トヨタ生産方式の導入を勧めます。
「日常的な業務の標準化と管理の仕組みをつくることによって、これまですべての業務を定常的に管理していたものを、異常と改善業務のみの管理で可能にする。・・・その行動の原点は、問題解決のための最大の力は、資本や設備ではなく、あくまでも、そこで働く人々の知恵と成長であるとしていることである。このことは、企業における『人間尊重』を根底に置く、経営の具体的な組織と運用方法であろう」(p.61)
ここで正田のぼやき・・・
最近ある席で「コーチングって一言で言うとなんですか?」と無茶ぶりされ、「無理やり一言で言うとすれば、人間性尊重ということだと思います」と答えたら、
「人間性尊重なんて、私は重要だと思ったことはありませんねえ」と鼻で笑われた。団塊の世代の経営者さん。
一言でなく少し言葉を補うなら、ここでいう人間性尊重というのは「人は成長する存在である」ということを前提にした人間観である。身もふたもない言い方をすると、ヒトの脳は貪欲なまでに成長を求める臓器だという。成長を阻害されているとき、人は閉塞感をもち、仕事から疎外された存在になる。だから「小さな行動」「小さな成長」に目をとめた「承認」が驚くほど機能する。
もっというと「存在承認」もより根源的で大事だったりするのだが。
そうしたものを重視しないでも経営が成り立ってきたのなら、それは幸せなことだと言わなければならない。
ただまた一方で、こうした「人間性尊重なんて・・・」といった言辞がその人の真意だったとは限らなくて、ある年代の男性特有の「ああ言えばこう言う」、とにかくちょっと賢そうな女の人の言うことを否定してみたい、相手を貶めたいだけだったりするのだ。こういう議論は本当に時間の無駄である。でもこういうことが繰り返されている。ひょっとしたら、そもそも「一言では?」という問いの真意は、「一言で何か言ったら否定して相手を負かしたい」ということにあるのかも知れず。
(だから、正田は本音ではパーティーがあまりすきではない。一見気楽な話の中にきなくさい他者否定や女性否定をはらんでいたりするから)
(正直言って「負けたくない」が先立って不毛な議論をする傾向のある人は議論の場から早々にお引き取り願いたい。しかしそれを裁定できるのはその人より地位の高い人だけなので、そういう人がもし最高権力の座についてしまったら、その組織は不運としか言いようがない。生産性のない話を延々とすることになる)
付け加えると、「女の人に負けたくない一心」で、不毛な破綻した議論をしてしまうのは市井の一般の人に限らない。高名な評論家でも、外に漏れたらその人の名声をいっぺんで落としかねないようなトンデモ議論を私との間で展開することがある。具体的に書かないけど。その人の「負けたくない」の強烈さに苦笑するのみだった。繰り返すがそれは大いなる時間の無駄だった。
長いぼやきの寄り道でした。
発端は「人間性尊重」の話で、それは「成長を前提とした人間観」だ、ということでした。本書で言う「性善説」「性悪説」もほぼ同義のように思えます。
なお、このところマネジメント手法に「アメリカ海軍で生まれた」を売り文句にするものがよくみられますが、「軍隊」は基本的に「性悪説」を前提にしています。それはそれで、人生の一時期を過ごすぶんにはよい学習になると思います。
さて、このあとは「生産部門の改革」でおおむね「トヨタ生産方式への移行」という話になります。
そうした移行を経験済みの組織の人には新しい発見はないかもしれませんが、
ただここにも注目すべきフレーズはあり、
「トヨタ生産方式は、現在では世界中で何らかの形で取り上げられている。しかし、いずれも生産現場の作業の無駄取りの改善手法の範疇にとどまっている場合が多い。重要な点は、この生産方式の特徴的な組織と運用方法に着目し、生産現場にこれを移植することである。
なぜならば、個々の作業の『無駄取りや在庫削減』による効果と比較し、会社の組織活動上の悪さ、すなわち人々のちぐはぐな行動による、お互いの連携の悪さによって発生する「無駄」や「在庫」は圧倒的に大きく、さらにその悪さが個々の作業の悪さを誘発しているためである」(p.68、太字正田)
ここはトヨタ生産方式でなく承認型コーチングをやっている正田も大いに同意するところであります。
個々の作業の時間短縮よりも、作業と作業をつなぐ情報伝達、意思伝達、さらには感情共有プロセスを効率化したほうが全体の効率に与える影響ははるかに大きい。もちろん個々の作業時間の短縮も大事ですが。
この本は製造業を主題にしているのが目新しいといえば目新しいのですが、
ビジネススクール的な 「知識」「論理」が大事か、「感性」「洞察」が大事か、はたまた「現場」が大事か。これはリーダーシップ論の中では繰り返されている議論であります。ただ「製造業に立脚し、製造業の行く末を思うがゆえに」議論を発しているから耳に届きやすいかもしれません。
リーダーシップでは後者つまり「感性」「洞察」「現場」が大事だ、と一見理屈抜きでコンセンサスが得られるようでいて、
現在強まっている流れは、経営層に占める修士以上の学位取得者の増加であり、
例えばある程度以上の規模の企業同士の契約の場などで、片やMBAホルダーがずらりと並ぶのに此方が大卒者以下ばかりである、ということが企業の心理的な「格」ひいては契約の「強気度」に影響を与えかねない、ということが笑い話のようですが、現実に起こり得るのであります。
できれば、若いうちにある程度体系的な知識・教養を得たうえで現場経験からより多くを学び、学問的な知識・教養を解体し再構築するような教養の持ち主になっていただくのが理想なのでしょう。中年期以降にあまり知識的な知性にはまりこむことは個人的にお勧めできない。それらの相対性を十分にわかったうえで取り込んでもらうのならいいかもしれない。
正田が承認・傾聴・質問などから成る「コーチング教育」にこだわるのは、人を成長させるだけでなく、それらが「現場から生きた知識を学ぶ」有効な手段だからであります。
もうひとつ押さえておきたい気がするのは、「イノベーション」―本書では「改革・改善」という言葉をつかっている―は、現在スティーブ・ジョブズ的な新製品開発あるいは画期的な製品体系の開発という意味でとらえられやすいけれども、本書で言う改革リーダーはそれ以外の「組織」という分野について言っています。ジョブズ型イノベーションがもてはやされるがために、組織上の改革はむしろ脇におしやられているかのようにみえます。
これも余談ですが、アップル社に関してはジョブズ周辺のエピソードが断片的に漏れ伝えられるのみで、それ以外のところが妙に伝わってこない。ひょっとしたらジョブズ的な強烈なイノベーショナル・リーダーの率いる組織とは、きわめて中央集権的、上意下達的な、組織の下位の人々は心がないかのように働く組織なのかもしれないが情報がないのでわからない―、
ジョブズ的イノベーションへの過度の注目は、斬新な製品コンセプトを希求するあまり一発逆転的な投機的気分をもたらすとともに、むしろ組織のすみずみにおける現状維持志向を強めてしまうかもしれない。とくに「変わることがきらい」な傾向の強いわが国ではそこに注意しないといけないかもしれない、という気がします。
最後に本書の提言とは―、
「しかし、このような現状に抗することなく、そこに安住し続ける限り、現在の海外との人件費差や円高の問題の解決は不可能であるばかりでなく、国の進路さえ誤る深刻な問題である。
(中略)
その1つの試みは、まず国内生産を前提に生産性を現状対比で、生産現場は三倍、その他の部門はすべて二倍に引き上げた場合、海外との人件費差や円高(80円)の問題をクリアーし、予定の収益を確保できないか試算してみることである。
この結果はほとんどの場合クリアーし、問題は解決する。残る問題は、その前提となった生産性を二倍、三倍の改善ができるかどうかである」(pp.226-227)
こうして、本書の最終的な結論は、”海外移転によって国内経済の空洞化をもたらす前に、国内生産現場の生産性を高めコスト競争力を持て。そのために経営思想全体を改革せよ”ということになるようなのです。
さて、「生産性二倍、三倍」は現実に可能なのでしょうか。
当協会方式の企業内コーチングの受講生では、ホワイトカラー職で「4年間に1人当たり生産性2倍」をマークした人がいてましたが―、
こうした現象は、経営思想が先か現場の心あるリーダーが目覚めることが先か、というのは難しいところであります。制度をいじるのではない、リーダー層の「学習」に依存する改革は。
当協会がこれまでにできたことは、現場のリーダー個人の責任感や倫理性に訴えかけることでした。そして残念ながら、経営思想全体を変えるところまでは至りませんでした。本書の著者もそこに成功したのかどうかは謎であります。
神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp
提言と主張にみちた本。具体的なエピソードが入ってないのでもどかしいけれど、正田にも同意できる部分が沢山あり、コンサルタントの著者の豊富な経験に裏打ちされている、と思っていいのでしょう。
「我が国の人々は、集団として結束したとき非常に大きな力を発揮する。それは日々の仕事の中での、経営者の優れたリーダーシップによるものである。それによって、人々の知恵と成長が促され、統合されて集団としての力を発揮する」(p.15)
とりわけトヨタ生産方式は、トヨタの経営者のみならず、当時の我が国の経営者たちに共通した、経営思想と行動様式を継承している、とし、
「一般的な経営マネージメントは、指示したことを行わせるために管理するのであるが、日本流は、各自が創意工夫を凝らし、自主的に働けるようにすることにある。
そのために、一般的な経営管理のコミットメントとチェックに代わり、日本流の経営は会社をよくする目的と目標を従業員と共有し、その実践に必要な仕事の環境づくりを行っている」(p.16)
「私の知る多くの成功例は、・・・現在の行動を創業時の経営思想と行動に回帰することによって、再生に成功したものである。
その基本的な経営思想は『企業は公器である』『その発展育成上の武器は、従業員全員の経営参加とその知恵と成長に勝るものはない』ということである」(p.17)
わが国製造業の競争力低下を憂える著者は、「製造業は生産現場の改革を先行させ、それに合わせて経営思想の改革をするべき」という考えを持っています。
「強い生産現場は、それを必要とする能動的な経営があって初めて維持できる。また、そのような生産工場は強力な経営活動の礎になる。生産活動を疎かにする企業には、経営的な安定はなく、またそのような社会も安定的な維持発展はないだろう。
それは当然のことで、製造業の仕事の実体は『社会が必要なものを開発してつくって売る』の一連の行動である。しかも『つくる』ことは、この行動を物として具体化する直接的な行為であり、会社組織のハブ的な機能を担う。そのため、この機能の弱体化は、経営全体が健全に機能することを直接損なう」(p.22)
中央集権的な経営改革に著者は疑問を投げかけます。
「多くの企業が近代化という社会的な風潮のもとに、特定の部門や中央での管理を強化し、欧米流の経営を指向してきている。その結果、具体的な経営施策としては、事業改革の名のもとに企業や事業所の統合や再編、生産の海外移管程度である。このような小手先の対応は企業内に無用な労力を強いるだけで、逆に企業の体力の消耗に拍車をかけ、根本的な問題解決に至っていないことは言うまでもない。
これらの一連の施策は仕事の現場ではなく、本社を中心にした経営企画部門などの発案と先導による場合が多い。現在も何ら反省されることなく、事あるごとに管理体制の強化を理由に、企業内の中央集権的な管理体制強化の流れは続いており、実際の仕事の現場の軽視と遊離が進んでいる」(p.29)
新製品開発に依存した経営にも、リスクがあるとします。
「現在では、大型な新製品は地球環境、医療などの限られた分野であり、その他の多くは目先の新しさを競う程度で、それにより品質・原価の劣勢を補うことは不可能であろう。
このような状況下では、新製品開発は多分に投機的な要素があり、多くの企業がその存続を託すほど大きな効果と市場を期待できる分野ではない。企業の安定のためには、日常の製品市場に軸足を置き、その中で安定的な収益を確保することは重要な経営課題である。そのためには、基礎体質の強化のための地道な努力が不可欠である」(p.32)
・・・「画期的なイノベーション」が大事か、「地道な製品づくりとコスト削減」が大事か、という問い、と言い換えることもできるでしょう。情報機器分野でのスティーブ・ジョブズの成功が目を引きますが、同じような現象を他分野で続々と起こすことができるのか。
個人的には、「イノベーション」と「地道」、どちらも好きなのでどちらかに軍配を上げにくいところであります。
そして「経営者」への注文。
「企業の盛衰が経営者の行動に、直接左右される多くの例を私は目撃してきた。現在の企業組織の疲労と停滞は、今日の経営者自身のマンネリ化と怠慢に多くの原因がある。組織の弱体化は、仕事の現場の軽視の風潮に端を発し、価格競争からの逃避に進む。
特に生産活動は人々の具体的で直接的な働きを必要とし、常に本当の働きが求められる。多くの人々はそこから逃避しがちで、実際の仕事の現場にとどまり、率先して行動している経営者は、最近ではきわめて少なくなっている。しかし、仕事の現場に密着した経営者こそ、活力のある企業活動の牽引車であることは、いまも変わらない」(p.35)
「現在の多くの企業に見られるように、正常に機能しなくなっている組織の中に長年安住していると、結果的に人々の能力開発の遅れが蔓延する。まず目に付くことは、会社経営上重要な影響力を持つ経営者の経営力の低下である。
現在では、その兆候はかなり深刻で、会社の中で自分が何をしなければならないかさえ、自覚していない人たちが非常に多い。そのような人たちには、経営上の企画力や判断力、行動力など重要な部分で、会社が置かれた状況に対して、妥当性のある判断や行動、リーダーシップを全く期待することができない。彼らの多くは概して月並みで、マスコミやビジネススクールでの学習レベルにとどまったままで、行動力に乏しくそこから一歩も踏み出していない。
このことは、生産や開発、営業などの実際の仕事の現場からの遊離に原因があり、その遊離の実態は驚くほどひどいものである。実際の仕事の現場からの逃避は、目の前で展開されている現実より、安易な自分の知識の中の一般論で物事を処理しようとする傾向に走る」(p.39)
「このように任務を全うできない経営者を輩出する背景には、人材の登用の仕方とその任務の付与の仕方に問題がある。経営者への登用の動機は、予定される任務に対し、最適者が選抜、登用されるのが本来の姿である。しかし、実態は『ほどほどであれば誰でもいい』『年齢が優先』『運のいい人』等々、理想とは全く掛け離れた人事が平然と行われている。」(p.40)
「改革へのリーダーシップは、経営者としての旺盛な責任感と、その人の持つ鋭敏な感性と直感力によって始まる。
経営者としての感性は、変革をリードする上で欠くことのできない重要な要素である。感性はその場の情報を瞬時に感じ取り、自分のとるべき行動を正しく選択する。これは人間の持つ重要な能力の一つである」(pp.40-41)
ここにも「情報」と「感性」「直感」の関連が出てきました。ここでいう「感性」は、他の経営者育成の本で言う「インサイト(洞察)」と同義のものかもしれません。
「経営者」に対する注文は、後半で再度出てきます。この本では、戦後日本にみられたような「現場型経営者」の復権を提唱します。
「そのため、経営上大きな影響力を持つ経営者の実際の行動は、会社をよくすることの目的と目標を社内の人々と共有し、長期の会社育成のための行動を方向づけるための、経営思想の社内への浸透を図ることを指向する。そのために、常に皆とともに仕事の現場で対話を進める。これは、本書で取り上げている経営革新の主要な柱の1つである。しかし、振り返ってみると、このことはここで改めて取り上げるまでもなく、終戦の廃墟の中から、今日の我が国の産業を育て上げた当時の人々の思想と行動であり、かつての我が国ではごく普通のことであったように思う。
このことが、これまでの日本の強さの支えであったことは明らかであり、このような経営風土の退化に伴い、我が国の競争力は弱まってきているように思う」(p.218)
「目標の共有」「経営思想の浸透」「現場」「対話」をすすめる一方で、「成績の良い人」をバッサリ。
「人材の採用時の選抜の基準は、多くの場合『成績の良い人』ということである。また、この基準は採用時のみならず、その組織に在籍期間を通して長く残存し、役職登用などの大切な節目で、いろいろな形で影響している。
これらの『成績の良い人』たちは、維持業務は手際よく処理する。しかし、改善改革時は、逆に反対勢力になることさえある」(p.41)
「『成績の良い人』とは、どのような人を指すのか改めて問い直してみると、その基準は甚だ曖昧であるが、学校の成績の良い人、学歴の良い人などはその代表的なものであろう。これらの人たちの共通点は、行儀が良く物知りである。業務上では、維持業務については手際よくこなす。しかし、改善・改革や行動力を必要とする業務については、逆に阻害要因になっている場合が多い。
そのため、そのような基準で任命された経営者が統率する多くの企業は、いろいろな経営施策が後手となり、その施策も月並みなものに終わっている。構造改革の名のもとに、安易な人員の削減、不採算事業の撤退、生産の海外移転などはその典型的なものであろう」(p.191)
著者は経営思想を「性善説人間観」(いわゆるY理論でしょうか)に転換すべきだと主張し、トヨタ生産方式の導入を勧めます。
「日常的な業務の標準化と管理の仕組みをつくることによって、これまですべての業務を定常的に管理していたものを、異常と改善業務のみの管理で可能にする。・・・その行動の原点は、問題解決のための最大の力は、資本や設備ではなく、あくまでも、そこで働く人々の知恵と成長であるとしていることである。このことは、企業における『人間尊重』を根底に置く、経営の具体的な組織と運用方法であろう」(p.61)
ここで正田のぼやき・・・
最近ある席で「コーチングって一言で言うとなんですか?」と無茶ぶりされ、「無理やり一言で言うとすれば、人間性尊重ということだと思います」と答えたら、
「人間性尊重なんて、私は重要だと思ったことはありませんねえ」と鼻で笑われた。団塊の世代の経営者さん。
一言でなく少し言葉を補うなら、ここでいう人間性尊重というのは「人は成長する存在である」ということを前提にした人間観である。身もふたもない言い方をすると、ヒトの脳は貪欲なまでに成長を求める臓器だという。成長を阻害されているとき、人は閉塞感をもち、仕事から疎外された存在になる。だから「小さな行動」「小さな成長」に目をとめた「承認」が驚くほど機能する。
もっというと「存在承認」もより根源的で大事だったりするのだが。
そうしたものを重視しないでも経営が成り立ってきたのなら、それは幸せなことだと言わなければならない。
ただまた一方で、こうした「人間性尊重なんて・・・」といった言辞がその人の真意だったとは限らなくて、ある年代の男性特有の「ああ言えばこう言う」、とにかくちょっと賢そうな女の人の言うことを否定してみたい、相手を貶めたいだけだったりするのだ。こういう議論は本当に時間の無駄である。でもこういうことが繰り返されている。ひょっとしたら、そもそも「一言では?」という問いの真意は、「一言で何か言ったら否定して相手を負かしたい」ということにあるのかも知れず。
(だから、正田は本音ではパーティーがあまりすきではない。一見気楽な話の中にきなくさい他者否定や女性否定をはらんでいたりするから)
(正直言って「負けたくない」が先立って不毛な議論をする傾向のある人は議論の場から早々にお引き取り願いたい。しかしそれを裁定できるのはその人より地位の高い人だけなので、そういう人がもし最高権力の座についてしまったら、その組織は不運としか言いようがない。生産性のない話を延々とすることになる)
付け加えると、「女の人に負けたくない一心」で、不毛な破綻した議論をしてしまうのは市井の一般の人に限らない。高名な評論家でも、外に漏れたらその人の名声をいっぺんで落としかねないようなトンデモ議論を私との間で展開することがある。具体的に書かないけど。その人の「負けたくない」の強烈さに苦笑するのみだった。繰り返すがそれは大いなる時間の無駄だった。
長いぼやきの寄り道でした。
発端は「人間性尊重」の話で、それは「成長を前提とした人間観」だ、ということでした。本書で言う「性善説」「性悪説」もほぼ同義のように思えます。
なお、このところマネジメント手法に「アメリカ海軍で生まれた」を売り文句にするものがよくみられますが、「軍隊」は基本的に「性悪説」を前提にしています。それはそれで、人生の一時期を過ごすぶんにはよい学習になると思います。
さて、このあとは「生産部門の改革」でおおむね「トヨタ生産方式への移行」という話になります。
そうした移行を経験済みの組織の人には新しい発見はないかもしれませんが、
ただここにも注目すべきフレーズはあり、
「トヨタ生産方式は、現在では世界中で何らかの形で取り上げられている。しかし、いずれも生産現場の作業の無駄取りの改善手法の範疇にとどまっている場合が多い。重要な点は、この生産方式の特徴的な組織と運用方法に着目し、生産現場にこれを移植することである。
なぜならば、個々の作業の『無駄取りや在庫削減』による効果と比較し、会社の組織活動上の悪さ、すなわち人々のちぐはぐな行動による、お互いの連携の悪さによって発生する「無駄」や「在庫」は圧倒的に大きく、さらにその悪さが個々の作業の悪さを誘発しているためである」(p.68、太字正田)
ここはトヨタ生産方式でなく承認型コーチングをやっている正田も大いに同意するところであります。
個々の作業の時間短縮よりも、作業と作業をつなぐ情報伝達、意思伝達、さらには感情共有プロセスを効率化したほうが全体の効率に与える影響ははるかに大きい。もちろん個々の作業時間の短縮も大事ですが。
この本は製造業を主題にしているのが目新しいといえば目新しいのですが、
ビジネススクール的な 「知識」「論理」が大事か、「感性」「洞察」が大事か、はたまた「現場」が大事か。これはリーダーシップ論の中では繰り返されている議論であります。ただ「製造業に立脚し、製造業の行く末を思うがゆえに」議論を発しているから耳に届きやすいかもしれません。
リーダーシップでは後者つまり「感性」「洞察」「現場」が大事だ、と一見理屈抜きでコンセンサスが得られるようでいて、
現在強まっている流れは、経営層に占める修士以上の学位取得者の増加であり、
例えばある程度以上の規模の企業同士の契約の場などで、片やMBAホルダーがずらりと並ぶのに此方が大卒者以下ばかりである、ということが企業の心理的な「格」ひいては契約の「強気度」に影響を与えかねない、ということが笑い話のようですが、現実に起こり得るのであります。
できれば、若いうちにある程度体系的な知識・教養を得たうえで現場経験からより多くを学び、学問的な知識・教養を解体し再構築するような教養の持ち主になっていただくのが理想なのでしょう。中年期以降にあまり知識的な知性にはまりこむことは個人的にお勧めできない。それらの相対性を十分にわかったうえで取り込んでもらうのならいいかもしれない。
正田が承認・傾聴・質問などから成る「コーチング教育」にこだわるのは、人を成長させるだけでなく、それらが「現場から生きた知識を学ぶ」有効な手段だからであります。
もうひとつ押さえておきたい気がするのは、「イノベーション」―本書では「改革・改善」という言葉をつかっている―は、現在スティーブ・ジョブズ的な新製品開発あるいは画期的な製品体系の開発という意味でとらえられやすいけれども、本書で言う改革リーダーはそれ以外の「組織」という分野について言っています。ジョブズ型イノベーションがもてはやされるがために、組織上の改革はむしろ脇におしやられているかのようにみえます。
これも余談ですが、アップル社に関してはジョブズ周辺のエピソードが断片的に漏れ伝えられるのみで、それ以外のところが妙に伝わってこない。ひょっとしたらジョブズ的な強烈なイノベーショナル・リーダーの率いる組織とは、きわめて中央集権的、上意下達的な、組織の下位の人々は心がないかのように働く組織なのかもしれないが情報がないのでわからない―、
ジョブズ的イノベーションへの過度の注目は、斬新な製品コンセプトを希求するあまり一発逆転的な投機的気分をもたらすとともに、むしろ組織のすみずみにおける現状維持志向を強めてしまうかもしれない。とくに「変わることがきらい」な傾向の強いわが国ではそこに注意しないといけないかもしれない、という気がします。
最後に本書の提言とは―、
「しかし、このような現状に抗することなく、そこに安住し続ける限り、現在の海外との人件費差や円高の問題の解決は不可能であるばかりでなく、国の進路さえ誤る深刻な問題である。
(中略)
その1つの試みは、まず国内生産を前提に生産性を現状対比で、生産現場は三倍、その他の部門はすべて二倍に引き上げた場合、海外との人件費差や円高(80円)の問題をクリアーし、予定の収益を確保できないか試算してみることである。
この結果はほとんどの場合クリアーし、問題は解決する。残る問題は、その前提となった生産性を二倍、三倍の改善ができるかどうかである」(pp.226-227)
こうして、本書の最終的な結論は、”海外移転によって国内経済の空洞化をもたらす前に、国内生産現場の生産性を高めコスト競争力を持て。そのために経営思想全体を改革せよ”ということになるようなのです。
さて、「生産性二倍、三倍」は現実に可能なのでしょうか。
当協会方式の企業内コーチングの受講生では、ホワイトカラー職で「4年間に1人当たり生産性2倍」をマークした人がいてましたが―、
こうした現象は、経営思想が先か現場の心あるリーダーが目覚めることが先か、というのは難しいところであります。制度をいじるのではない、リーダー層の「学習」に依存する改革は。
当協会がこれまでにできたことは、現場のリーダー個人の責任感や倫理性に訴えかけることでした。そして残念ながら、経営思想全体を変えるところまでは至りませんでした。本書の著者もそこに成功したのかどうかは謎であります。
神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
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