正田佐与の 愛するこの世界

神戸の1位マネジャー育成の研修講師・正田佐与が、「承認と職場」、「よのなかカフェ」などの日常を通じて日本人と仕事の幸福な関係を語ります。現役リーダーたちが「このブログを読んでいればマネジメントがわかる」と絶賛。 現在、心ならずも「アドラー心理学批判」と「『「学力」の経済学』批判」でアクセス急増中。コメントは承認制です

2011年12月

今月半ば、免許更新に行くと、新しい運転免許の裏には臓器提供の意思表示の欄が。
ご存知でしたか?


「以下の部分を使用して臓器提供に関する意思を表示することができます(記入は自由です。)
記入する場合は、1から3までのいずれかの番号を○で囲んでください。
 1.私は、脳死後及び心臓が停止した死後のいずれでも、移植のために臓器を提供します。
 2.私は、心臓が停止した死後に限り、移植のために臓器を提供します。
 3.私は、臓器を提供しません。
 (1又は2を選んだ方で、提供したくない臓器があれば、×をつけてください。)
 【心臓・肺・肝臓・腎臓・膵臓・小腸・眼球】
 [特記欄:       ] ≪自筆署名≫  
               ≪署名年月日≫
 


1990年頃、正田が臓器移植の取材にかかわっていた頃、アメリカでは既にこうなっていました。
それからなんと遠い月日が流れたことでしょう…。


移植記者としての正田のヤンチャな過去
「わるいことはできないよ。」
http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/50733997.html

この当時、「信念にもえて、あきらめず頑張りつづける」移植医たちの姿をみたことが、今の私の原動力になっている気がします。
(もちろんそれだけではないですけれどね)


「20年後」のために、この人たちはやり続けたのです。


日本は、変革を阻むものが一杯あります。中には合理的な主張もありますが、上記の記事の中に出てくる某大学の脳外科医―「白い巨塔」の題材になりそうな人―は、

自分の面子、
院内政治、

などのためにヒューマニズムの仮面をかぶったグロテスクな怪物でした。

そういう、明らかに合理的でない「邪悪」なものが阻んでいる場合もあるのです。
また「邪悪」なもののほうを大きく評価してしまう気分もあるようです。

また日本人独特のメンタリティ、「係争中のものにはかかわりたくない」、「少しでも反証が上がったら(程度によらず)やらないでおこう」というのも、変革を阻む壁になります。

更年期障害のホルモン補充療法も、乳がんを増やすとする臨床試験結果がやたらと大々的に取り上げられ(のちにこの試験のデザインに不備がありあまり信頼できないとわかった)、療法の普及が日本だけ遅れた、ということがありました。実は普及したほうが医療費の大きく引き下げになり、本人のQOLも高く元気に暮らせる、というのにです。


少し話題がずれますが先日よのなかカフェに出られたスウェーデン人研究者アンベッケン女史は、「貧困層のローン制度」「子ども手当」についてこんなことを話されました。


「例えば貧困層のローン制度は日本でできるかという問いを日本の学生に聞くと、「違うことに使ってしまうのでは」と答える。スウェーデンではマイナスのところをみない。信頼がある。「2割ぐらい悪いことをする人はいるだろうが8割はいい人、本来の趣旨に使う」と考え、不正にはそれに応じた対策をとればいい、と考える。子ども手当の時も、日本では不正申請をして沢山もらう人が出る心配をする人が多かったですが、それはごく一部だとみな知っています。」


どうも「取り越し苦労」をするとそれがすべてに思えてしまい、メリットデメリットを冷静にてんびんにかけることができない国民性、というのもあるようです。
マスコミの論調もそれを煽るふしがあり、少し考えた方がいいのでは、と思います。


色々な大きな変革のやりかたをみていると、
「じっくり時間をかけて納得いくまで論議しよう」
と言っていると、本当にいつまでも決めない。取り越し苦労のほうの話を延々とする。
そして為政者の都合のいい方にもっていきたい場合は、
みんながうっかりしているうちにスピーディーに決めて遂行しちゃう、
だれもそのプロセスについていけない、
と、非民主的なプロセスになります。
民主的であるためには、私たち自身が冷静に比較考慮し、さくさく決断する国民でなければなりません。
・・・なーんてまた大風呂敷を広げてますよね。


脳死移植法が成立して10年以上、もはや論争自体が消滅した今ごろになって、日本はやっと国家的に移植医療を推進するように踏み出しました。



フェイスブックのお友達で、臓器移植に使われる免疫抑制剤の開発に関わった人が、今度移植医療に関わる病院組織の高度な人材育成、それに世界38か国で実証研究を行い「日本で臓器移植を普及するには?」を提言した本を出版されました。

『医療の組織イノベーション―プロフェッショナリズムが移植医療を動かす』

http://www.biz-book.jp/%E5%8C%BB%E7%99%82%E3%81%AE%E7%B5%84%E7%B9%94%E3%82%A4%E3%83%8E%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E2%80%95%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0%E3%81%8C%E7%A7%BB%E6%A4%8D%E5%8C%BB%E7%99%82%E3%82%92%E5%8B%95%E3%81%8B%E3%81%99/isbn/978-4-502-69220-8


届くのが楽しみです。


神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

 『報酬主義をこえて』の著者、われらがアルフィー・コーン君について、こんな記事もみつけてしまった

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A5


 エリック・ドナルド・ハーシュという、アメリカ初等教育での「知識教育」の必要性を唱えた教育学者に対して反論したとある。

 ハーシュはアメリカ人の「知識不足」を真摯に憂えて教養主義に取り組んだ人で、それに対して

『我々の子ども達にふさわしい学校とは:既成の教室や「より厳しい標準」以上のものへ』という反論の書を出したという。


 なんというか、良心的なほかの人の取り組みが全部気に入らなくて自分にはろくな実践も成果もないくせに噛みつく、というタイプの人なんではないだろうか。各種学力調査で、アメリカ人に知識教育が必要なのは明らかでしょう。しかし実際にそれに取り組むのは想像を絶する労力のはず。そこに真摯に取り組んだ人に、また理想論的な言いがかりをつけたとみられる(読むほどの興味がないので想像。どなたか時間のある方は原典を当たってみてください)

それでも文章を発表できる場所があるんだから、懐が深いですねアメリカは。表現の自由はありますからね。


 こんどこそ終わりにしよう、この人の話は。


 『報酬主義をこえて』
 この語でGoogle検索すると、今正田のこのブログの書評がトップに出るようになりました。アマゾンのページを抜いちゃいました。

 Googleは内容まで評価してランキングをつけてくれるというので素直に喜びます。

 決して何らかの操作をしたわけではありません。自然になっていました。

(ただ、他の人の書評ブログを読むと本書の主張を疑わずにそのまま丸写しにしたものが多いので、まだまだ戦いの道のりは長いなあ…と思っています)




神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
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2016年1月1日補足:この記事にはその後いくつか厳しいコメントが寄せられ、驚いています。(コメント欄参照)
たぶんブログ全体の流れをみずこの記事のみ単独でご覧になる方がいらっしゃった場合、誤解を招くおそれもあるので追記します。

このブログは「承認」を何よりも重要なこととして掲げる研修講師の日記です。既に成人した子供たちに対しても、彼(女)らが小学生のころから、「承認」を基調として接してきました。しかし子育ては一筋縄ではいかないもの。きっと「承認研修」を受講後、日常行動として「承認」をされている受講生のマネジャーの方々はお分かりになると思うのですが、セオリー通りでないことは起こります。日常の接触機会100回に1回か、あるいは10回に1回にせよ。

そうしたセオリーの想定外の出来事についてどう対応するか、その都度”家元”のわたしでも悩みながらセオリー外のやりかたで対応していることがあります。子育ては綺麗ごとではいかない、簡単にいえばそういうことです。

この記事のやり方が極端でクレージーにみえるかもしれませんが、その前後は通常の親子関係よりはるかに濃密な「承認」をもって対応していることは、ご理解ください。それがあったからこそこの記事の対応が可能だったのかもしれないのです。

****

これも、私は決して子どもの教育の専門家ではなくて自分の3人の子を育てた経験しかないが、ひとつの経験として記録しておこうと思う。


私が死んでも誰かが見てくれるだろう。



よく泣く怒りっぽいあかちゃんであり、「じぶんでやる〜!」の2歳児であった長女に、「共感」を叩きこんだ、と思われる瞬間があった。


彼女が小学校3年ぐらいのこと。学校で須磨水族園に遠足に行ったが、それから帰ってきた長女がヘラヘラした感じで言う。

「今日、水族園の駐車場で変な人を見たの」

「ふ〜ん、どんな?」

「自分が連れていた犬の足が車にひかれて切れてしまったの。その人はおばあさんだったけど、ワンちゃんを指さして『ひっ、ひっ』と泣いて言葉が言えないの」

彼女は「ひっ、ひっ」というしぐさを真似しながら言った。

で私はブチ切れた。

「なんでわからないの!その人は自分の可愛がっていたワンちゃんの足が二度と戻ってこない姿になって、ワンちゃんだってどんなにか痛かったろうし、そんなひどい場面みたらふつう言葉にならないでしょ!あんたなんでその人がそれだけ悲しいんだってわからないの!なんでそんなヘラヘラした顔でそんなこと言えるの!」

ぼーっとした顔で私をみる長女。何が起きているかわからなかったらしい。


そこへ夫が帰ってきて、私は「今この子がこんなことを言ってそれで怒ってるの」とチクリをした。

すると夫も私と同じようにブチ切れ、夫婦そろって、

「共感能力のない子なんて大嫌いだ!」

と自分の娘に大合唱した。


手は上げなかったものの、その光景をみて「精神的虐待だ」という人も世の中にはいると思う。


しかし、今19歳になっている長女は、

「あのとき母ちゃんがあれだけ怒ってくれなかったら、私は人の気持ちがわかるようにならなかったと思う」

と言う。

彼女なりに「自分には生得的な共感能力が欠けているようだ」と自覚し、その後本を読むなどして人の気持ちに対する想像力を養うようにしたようだ。


小学校中学年までは友達の少ないキャラだったこの子は、高学年になると、よそのグループでいじめられていたお友達を自分のグループに招き入れ仲良くする、ということをした。

それはたっぷりの賞賛をしてあげたことはいうまでもない。



その後は地味キャラながら中学で副部長、高校で2つの部の部長、とやっている。

共感能力と正義感はあんまり両立しないものかもしれない。

共感能力が低いのは要するに「男性脳」ということだが、その偏りの程度と本人の自覚によっては後天的に学習することは可能である。

ただ、外的な刺激―この場合は動機づけというより介入と言ったほうがいいのだと思うが―がなくてその「自覚」が生まれるかどうかは疑問だ。



神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
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『人を伸ばす力』も、よくみると攻撃対象を「行動主義」に設定している。

「行動主義」は、「人は出発点では内発的動機づけなどない」と主張している、という。おいおいそんなこと言ったのか。

このブログでなんども触れるように、「行動主義」は20世紀前半に動物実験のみに基づき、過激な主張を行った。その後20世紀後半、「行動理論」「行動療法」「行動科学」と発展するにしたがって鬱の治療、技能訓練、スポーツ・コーチングなどれっきとした人相手の有効な手法として評価を確立した。

私が武田建氏のもとでかじった行動療法のカウンセリングでは最初のセッションで「あなたはこのカウンセリングを通じてどうなりたいですか?」と「目標設定」の質問をする。カウンセラーが目標を押し付けることはしない。そんなことをしてもカウンセリングの効果が上がらないことなどとうに知っているだろう。
(だから、現代のコーチングとほとんど同じことをやっているのである)

さらに、スポーツ・コーチングであれば選手の側に「そのスポーツをやりたい」とか「試合に勝ちたい」という意欲があることが前提なので、これも問題にならない。

(補足:ここまで書くと会社員の場合はどうか、ということになるが、私は従来から「コーチングだけじゃなく理念大事。理念に共感した人がその会社に入るという前提にたつべき」という立場をとっているので、やや逃げ道めいてみえるかもしれないが、その会社の一員としてお客様に商品・サービスを提供し、利益を上げることに貢献したいという意欲をもっていることが前提となる。無駄飯を食ってぶらさがりたい人にコーチングしても意味はない)

つまり、
行動主義―過激、実験室のもの、
行動療法(行動理論)―穏健・常識的、実践の世界のもの、
と分けて考えたほうがいいのである。

しかし、やはり、「内発と自律」思想の人々が論敵として選ぶのは「行動主義」のほうである。

もしこの人たちが、後者の「行動療法―行動理論」について言及しながら、そこと連携がとれるように議論をすすめたら、この人たちの主張ももうちょっと気持ちよく読める。


繰り返すが、私は「内発と自律」そのものは何も悪いと言っていない。うちの子らの進路なども基本的に本人らの意思を尊重している。


しかし彼ら「内発と自律」思想の人たちのの論法が、「外的動機づけ」=悪いもの、卑しいもの、と敵視しながら進めるものだから、はっきり言って迷惑なのだ。
彼らの記述の中に嫌がらせ・揶揄・見下し・敵視などが含まれるため、その主張にかぶれた人はそのスタンスまで感染する。良心的な実践をしている他人に平気で「アメとムチ」といった言葉を投げかけるようになる。


「内発と自律思想」は、恐らく「自分は他人の世話になったことがない」と豪語する人たちのものだ。もし自分が病気をしたり、身体の機能が損なわれたり、障害のある子どもをもったり、メンタルを病んだり、というときにはいきなり他人の世話になるはずだ。そして自分をお世話してくれる他人がもし有能で効果的に手助けしてくれる人だったら、それは行動理論家か、あるいは生得的に行動理論に近いことができる人間力の高い人だ。


それと、負のイメージのことにばかり言及したが、普通の師弟関係、上司部下関係もまた行動理論があったほうが上手くいくのであり、「内発と自律思想家」は、たまたまそういう枠組みの中に入らない、自分1人の力で成功した幸せな人たちなのだ。


彼らに洗脳された状態でなく、普通に「内発と自律」はいいものとして選びたい。


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ここまで書いて、自分が「子どもの自発性」と出会ったときのことを思い出した。

初めての子を授かったのが1992年。これが勘の強い、よく泣くお子様だった。今でも彼女に「あんたは手のかかるあかちゃんだった」とからかう。

2歳ぐらいになると、「自分でお着替えする!」と主張。それは尊重して時間がかかってもとことん待った。何故かというと、以前にも書いたかもしれないが、「じぶんでやる〜!」と言ってやっている時の彼女の脳の中で急速に「シナプスが伸びる」のが見えるような気がしたからだ。

「コーチング」と出会うのはそれから9年ほどあとのことである。

「子どもの自発性があれば、それに委ねることが大事だ」。

それは私の場合、勘の強い長女を観察することによって培われたとおもう。(その後この子は「もしドラ女子高生」になった・・・)

**********************


私自身、「内発と自律」があまりに不足していてまずい、と思う状況はある。いまどきの日本のお母さん方の「早期教育熱」である。
子どもにあれもこれも習わせたい、つねにほかのお子さんと比較して叱咤激励ばかりしているお母さんなどをみると、「内発的動機づけ大事ですよ」と、言ってあげたくなる。そういうお母さん方にあまり行動理論を「悪用」してほしくはない。

(私なりの表現をすれば、それは「ありのままのその子を受け容れ愛する」という意味の承認だったり、「その子の成長意欲に応じた課題を与える」という意味の承認が足りないのだろうと思うが。逆にこういう育てられ方をして自信がないタイプの子は、職場で「承認型企業内コーチ」に出会うと非常によく育つ)


そういうことに警鐘を鳴らしたい場合、そういう性格のお母さん(お父さんもいるかもしれないが)、お母さんをそういう状態にしてしまっている情報過多の状態か、あるいはお母さんが専業主婦で家にいて変に子育てに仕事的な成果を見出したがる状態、に的を絞って話をすれば「内発と自律思想」はもうちょっと説得力が出てくるようにおもう。

「外的動機づけ」を悪者にしているから、話がややこしくなるのだ。

「敵はだれか」

というか、

「ほんとうに解決したい課題は何か」。

これ何思考法っていうんだっけ?

一々名前をつけなくても、常識力のある人ならワンフローでやれることだと思うのだが。


※この記事は、もともと1つ前の記事の追記として書いていましたが長くなったので別立ての記事にしました



神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp



(追記)
いい加減この話題にうんざりしているが、やっぱりこういう可能性についても書いておこうと思う。
ほんとうは、人間社会のもっとずっと美しい現象について書きたいのだが、それはいつでも書ける、ということで。


アルフィー・コーンの見ていた風景とはどんなものであったか。

彼が引き合いに出す「外的報酬でコントロールするけしからん場面」についての記述が、どうも曖昧でリアリティに欠けるのだが、

たとえば
「これをできたら…をあげるよ」
というのが、よく出てくるように思う。

カネや物で釣る、というやり方。

私自身はそれを子どもにやってみたところ、あまり上手くいかなかった。
確か、「肩をもんでくれたら、お金をあげるよ」と言ったところ、
「いらな〜い」と断られたので、その後はあきらめている。
(100円だと安かったのだろうか)

いい成績をとったら幾らあげるとか物をあげるとかは、やったことがない。
単に高校に受かったからお祝いに食事でもいこうか、というのはある。
ご褒美は「あとづけ」で、サプライズ的にあげるのがお互い楽しいのだ。
事前に釣ると、貰った時に驚きがなくてあんまり楽しくないんではないかと思う。
それは、下手くそなやり方だと思う。

家族間だとルール化していないからサプライズができるが、
会社だとルール化せざるを得ない。だから事前に見えていることになる。
それが「事前に釣る」ことになり、やる気をそぐことはあり得るだろうと思う。


このほか想像で思い浮かぶのは、
コーン氏は自分の講演会に来る経営者をあまり好きだったとは思えないのだが、
たとえばこんなセリフ。

「先生、わてうちの息子に『100点とったら小遣いはずんだるで〜』って釣ると、
坊主張り切って勉強しまんのやが、
ヤツの要求する小遣いの額がだんだん吊り上っていきまんねん。
どないしたらよろしいんでっしゃろか」

こういうセリフは関西弁が似合う。
これは報酬が悪いんだろか、お金が悪いんだろか。

私なりの答えは、
「その子は生まれつきお金が好きなんですね」。

個別性の観点でみると、人は結構、言葉に言えない恥ずかしい欲求を個々にもっている。
前、セミナーに来られた経営者さんが、実際に子どもの頃のエピソードを探ってみると、
「お金が好き。儲かるのが嬉しい」
という価値観をもっていると思われたことがあった。
でもその人は、自分のシートに「努力」とか「貢献」とか別の言葉を書きこんでいた。

根っから「お金が好き」な子であれば、お金を励みに勉強したり、
小遣いの要求を吊り上げたり、というのもあり得ることなのだ。

また、そういう「お金好き、儲け好き」の性向はけっこう遺伝するようだ。

最近読んだ経営者の伝記では、ザッポスの創業者がそういう人だったようだ。


だから、

「これをしたらお金をあげるよ」

という強化子がうまくいった場合、それはその子にとって有効な強化子だ、
ということだ。

こういうタイプの子をどうやったら上手く導くか。
それもそれなりのやり方がありそうだ。

いかにコーン氏がその風景に嫌悪感をもったとしても、
「個別性」の観点で読み解けば、そうなる。
それは、やっぱり外的動機づけの罪ではないのだ。

私の言っていることは、どこかおかしいだろうか。



またもう1つ思い出してしまった。

「褒められ中毒になる」ということについて。

実際にそういう「個体」はいるようだ。ごめんね動物行動学のような言葉をつかって。

以前実際にお母さんから相談を受けたのだが、
幼稚園の先生から、
「この子はどんなに褒めても褒められ足りないタイプの子ですね」
と言われた、という。

そしてその子は高校卒業してフリーター。仕事しても長続きしない。

周囲の人から見て、この子の働きに対してはこのぐらいの「承認」が妥当だ、と考える量と、
本人の思う、自分はこれぐらいの「承認」をもらって当然だ、と考える量が
釣り合わない、後者があまりにも大きすぎる、という人がいるようなのだ。

そうすると、残念ながら大抵の仕事はつとまらない、能力は低いのにいつも承認不足だと不満をたれている人になってしまうことだろう。

実はいわゆる「能力の低い人」の話をきいていると、このタイプの人が多いように思う。生まれつき「承認欲求」がものすごく高いので周囲への不満が尽きない。自分自身の能力不足に気づけばいいが、気づかない人はいつまでも努力するということをしない。気の毒だがそういう風にプログラミングされてしまっているのだ。

閑話休題、
こういう「承認欲求過剰」な人は、やっぱり「褒められ中毒」になりやすいだろう。
それも褒めることの害ではなく、その人の個性なのだ。

人によっては、少年院とか刑務所とか、強制的に規則正しい生活を課せられるところで暮らすと、ちゃんと生活できることがあるらしい。

そういう少数の個体の方にばかり目が行って普通の勤勉な人を褒めないというのは、それも馬鹿馬鹿しいことである。ごく一部に急性アルコール中毒になりやすい人がいるからといって、国民全員が禁酒する必要があるだろうか(ほんとは、アルコールは非常に依存性の高い危険な麻薬だというのだが)やっぱり、論の立て方が間違っている。

コーン氏はご自身が人の個性に対する理解が足りないので、いろんな人に嫌悪感をもって生きているのではないだろうか。その嫌悪感をぶつけやすい相手が「外的動機づけ」であり「行動主義」であった、ということはないだろうか。

そして、やはりEQの低い人特有の現象で、自分が見聞きした2,3の極端な現象を一般化してしまう誤りを犯していると思う。
自分がどういう個別の体験をし、それについての感想や解釈をもったか、というところを明示するという手続きをとればいいのだが、限られた体験から一般化をして、それに嫌悪の感情をまぶしながら学問のような記述で言う、ということをやっている。体験の記述も曖昧なので、コーン氏の解釈(つまり、外的動機づけはわるいものだという)が正しいのかどうか、検証しにくい。


最後に厳しいことを言うと、実は「褒められ中毒」に一番近い所にいるのは、コーン氏を含む大学の先生や文筆業、講演業の人たちなのだ。「チヤホヤ中毒」といってもいいかもしれない。

これも、ひょっとしたら自分自身に起こったことか、あるいは虚業のご同業者に起こったことをとらえて、「だから褒めることは良くない」という論拠にしている可能性がある。そうだとしたら本当に馬鹿げている(でもコーンという人の思考回路をみていると、本当にそういうことをやってしまいそうだ)。そんなことを根拠に真っ当に頑張っている子どもや大人を褒めないなんて。

また、内発・自律思想のお話について。



「内発」ということを、なんで外的動機づけとそんなに対比して言わないといけないのか、本当にわからない。


 このブログでなんども「報酬系」という言葉を使うけれど、例えばある作業をして成果が上がった、その手ごたえが嬉しい。これも「報酬系」で説明できる。「手ごたえ」という「ご褒美」をもらったのである。


 またそれは行動理論で言ったら「強化子」という。強化子はなにも他人からの褒め言葉でなくてもいい、自分が作業から得られる手ごたえも、それが次の行動を誘発するなら強化子とよべるのである。


 また、お客様から喜ばれた、感謝された、ということも当然「強化子」である。


 「内発」か「外発」か、の分け方にこだわる人は、要するに「外発」というのは上司や親が言葉がけしてコントロールする作業だ、というところにこだわっているのだと思う。


 どうなのだろうか、例えば初学者はなんでも最初は上手にはできないし、作業そのものから貰う手ごたえというのもそんなにはない。そういう場合横にいる指導者が「うまいうまい」「それでいいよ」「私も最初はそうだったよ」などと声掛けして強化子を与えてやる。そうしているうちに徐々に本人が作業から手ごたえを感じられるようになる。

 それが「内発」のものに変わっていったからといって、じゃあ「外的動機づけ」はもう要らないか、というとそんなことはなくて、何か作品をつくり上げたら一緒に喜んでやる。いいところを言ってやる。結果が出たときだけではなく、途中経過でも「ごせいが出ますねえ」「がんばってるねえ」みたいな、ちょっと栄養補給をするようなことを言ってやる。「外的動機づけ」の仕事は決してなくならない。


 そんなのは大抵の指導者はわかっていて、ワンフローでやることなのではないだろうか。


 だから、「外的…」をアメだムチだニンジンだと汚い言葉でくさすのは大変おかしなことなのだ。人をさげすまない、静かな気持ちでやり続ければいいだけのことだ。


 アメだムチだニンジンだといった言葉を使う人は、自分自身が他人に対していつも蔑みの目線をもっているのだと思う。それを行動理論の指導者に勝手に投影する。


 普通は、人は自分を見下している人から褒められても動かない。だから、そういう蔑みの心の状態が出現して、相手をコントロールしようという気持ちで褒め言葉を発したときは、単に「何も効果がない」という結果が返ってくるだけなのだ。


 うちの協会のプログラムでは、武田建氏の言葉を引用しつつ、「無条件の畏敬と尊重」ということを言う。その姿勢を守っている限り、アメだムチだニンジンだ動物だなどという荒涼たる情景にはならない。

―武田氏曰く、「行動理論では行動を扱うから傾聴のロジャース流の畏敬と尊重をしないでいいかというとそんなことはない。われわれ行動理論家は行動を扱うからこそ、「無条件の畏敬と尊重」は「必須」なのだ―


 そう、アルフィー・コーンの著書『報酬主義をこえて』は、行動理論をやたらと言いがかりをつけてくさした本なのだけれど、コーン自身がなにものにも非共感的で、反抗と見下しの目線をもった人だというのは、文体をみればわかる。下から上へ突き上げの視線、そして「上から目線」。彼は多くの良心的な人々の長時間にわたる労力を汚い言葉であざ笑う。


 最近『上から目線の構造』という本を読んでいたら、「『上から目線はやめてください!』と言う人は、自分自身上から、下から、という考え方に縛られている人だ」というフレーズがあり、そうそう、と膝をうった。


「コントロール」「操作」
「外的動機づけ」
「ハトやネズミ:」

といったことを目の敵にして扇動キーワードとして使うコーン氏は、実は彼自身がそれらに非常に「囚われ」ており、非常に敏感な人なのではないだろうか。


実は彼自身が非常に支配欲が強かったり、自分の内なるものにしか従いたくないという気持ちが強かったり、自分の講演に来る経営者たちを実験動物のように見下している人なのではないだろうか。(もちろん、彼の本を参考文献に使ったり引用する人たちもそうだ。)


こういうタイプの人が言う「内発的動機づけ」には、全然共感できない。

(少し脱線だがある種の「邪悪」な人格の人に、「共感能力はないけれども人を『操作』することはものすごく上手」という人がいる。コーン氏が「操作」ということにやたらと反応するところで、もしかしたらそれかな、と思ってしまう。全体にこの人の文章から私は「邪悪」のオーラを感じるのだ)




デシ、フラストの『人を伸ばす力―内発と自律のすすめ―』は、それに比べるとごく穏健な主張で、言葉に毒もなく、割合共感できる部分が多かった。
この本は『報酬主義をこえて』の初版の2年後に出版されているが、おもしろいことに、同一陣営であるにもかかわらず、『報酬主義をこえて』については全然触れていない。参考文献リストに載っていない。

その気持ちはわかる。『報酬主義』の本はいくら似たような主張でも、論理構成はめちゃくちゃだし、当事者を傷つけるような表現がいっぱい入っていて、「こんな本や著者と一緒にされたくない」と思っても不思議ではない本なのだ。


さて、『人を伸ばす力』だけれど、この本にしても、読了後浮かぶのは、「内発と自律に一番近いところにいる社会人って、大学の先生じゃないの?」ということ。

大学の先生の労働観、組織観はちょっと特殊なのだ。学問の自由、表現の自由と、一般社会人に比べるとかなり大きな自由を享受し、一般の人のように組織中心にものを考えずに済む。そういう彼らの皮膚感覚で、
「こういうふうに扱われたい」
「こういうふうに仕事させてほしい」
というのを組織に求め、またあるべき姿として提示されると、ちょっと困るな、という感じがする。

例えばものづくりの人であれば、作ったものに何かの不良があればお客様を死なせてしまうかもしれない。ところが、大学の先生は少々間違ったことを言ってもそれで即、人が死ぬことはない。因果がまわりまわって死ぬことはあるかもしれないがそれは大学の先生の関知しないところで起こる。

こういう「責任」の質量の違いが、大学の先生の考える労働観、組織観についての違和感となる。
「そんなんで複数の人で仕事ってできるの?」と、首を傾げることになる。コンサルタントさんも、独立性の高い職人のような人たちなので、また結果責任を負わない人たちなので似たようなところがある。研修講師もそうである。

チクセントミハイの「フロー状態」の説明をしながら、デシは言う。

「テニス選手、外科医、小説家、画家、ダンサーたちは、そのようなフロー体験をしているに違いない。」

これをみていきなり「みんな職人じゃん!」と突っ込んでしまうのは私だけだろうか。
(現代でいえば、IT技術者などもその中に入るだろう)


子どもの頃に何かに熱中してフローを体験させるのはいい。でもほとんどの社会人は、ごくまれにしか仕事の中でそういう体験をしない。まったくしない人も多いだろう。


で、それは不幸せなのだろうか。

フロー体験も、いわばマズローの「自己実現者」と程度は違えど一緒で、ごく一部の人のぜいたく品なのではないか。仕事がそういうものを提供してくれないからといって、はたらく人に自分は不幸せだと感じさせるのは間違いだ。もっと別のいいものをもらっているはずなのだ。

大体、うちの会員さん方のようなマネージャー職になると、「フロー状態」で仕事をすることはまず無理だ。それで彼ら彼女らが「自分は不幸だ」と感じさせるのはよろしくない。

「フロー状態」が何が何でもいいものだ、人として一番幸せな状態だ、というのは少し考えなおしたほうがいいんじゃないかと思う。


(なお、「ストレングスファインダー」で、フロー状態に好んで入りたがる人、というのはどの資質の持ち主か、大体想像がつく気がする)

(IT技術者はフロー状態をよく経験するだろう、と述べたが、この人たちも今、「時間管理」や「ワークライフバランス」が課題になっている)

(もうひとつ、「フロー状態を経験すると超越者になって人格が良くなる」みたいなことも書いてあるが「ほんとか?」と私は思う。大学の先生やIT技術者、この集団に人格の良い人が多く分布しているという証拠はあるだろうか。ある種のディープな心理学セミナーを受けて、「自分は変わった!!」と豪語する人はいるが、周囲からみて何も変わっていない、それまで以上に身勝手でくるくる気の変わりやすい人になっていたりする。また承認欲求が亢進していたりする。そういう種類の勘違いじゃないだろうか)

これとは別に大学の先生の困ったところは、彼等はEQの低い人が多いので、「自分は…と感じる」ということを、すぐ「一般的に…だ」と、一般論にすりかえる。

「上司の褒め言葉は、統制の手段として受け取られることが多い」

これは、本当は
「私は私の今の上司が嫌いだ。彼が褒め言葉らしきことを言うと、私には統制してきた、と感じられ不愉快だ」
ということを言っているのである。
こういうのを学者さんが言うからといって学問だと混同してはいけない。


実際には、「上司だから統制だと感じる」ということは、うちの会員さんのところではあまり耳にしない。あるんだろうか。
私個人の経験では、承認のプログラムを受け、実際にやり始めたマネージャーさんにしばらくして会うと、
目元の感じが優しくなっている。
それで、ああ、いい手応えをつかんだんだな、と思う。

自分の投げかけた言葉が部下の喜びにつながる。
自分の働きかけによって他人が喜びながら新しい行動をとり、いきいきと報告してくる、そういう現象をまのあたりにすると、自然と目元が優しくなるんではないか、と思っている。
「アメとムチ」などという冷たい風景はそこにはない。




・・・あと、「内発と自律」を言う人には、かけている視点がある。子どもは反抗期になると親の言うことをきかない。褒め言葉もアドバイスもきかない。これまで親に頼りきりだった子どもも、自分を動機づけてくれる人を家の外に求める。

これは、「外的動機づけの限界」とか「内発的動機づけの人になった」といえるだろうか。いや、単に「外的…」を与えてくれる人が交代したに過ぎない。



「内発と自律」論者の想定するよりも、人ははるかに大量の「外的動機づけ」を欲しい生き物なのである。プライドの高い人にとって苦痛であっても、それを認めないといけない。


(もし、「いや、自分は要らない」と言うなら、その人のことは以後一切褒めなければいいのだ)



神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp



(追記)
『人を伸ばす力』も、よくみると攻撃対象を「行動主義」に設定している。
「行動主義」は、「人は出発点では内発的動機づけなどない」と主張している、という。おいおいそんなこと言ったのか。
このブログでなんども触れるように、「行動主義」は20世紀前半に動物実験のみに基づき、過激な主張を行った。その後20世紀後半、「行動理論」「行動療法」「行動科学」と発展するにしたがって鬱の治療、技能訓練、スポーツ・コーチングなどれっきとした人相手の有効な手法として評価を確立した。

私が武田建氏のもとでかじった行動療法のカウンセリングでは最初のセッションで「あなたはこのカウンセリングを通じてどうなりたいですか?」と「目標設定」の質問をする。カウンセラーが目標を押し付けることはしない。そんなことをしてもカウンセリングの効果が上がらないことなどとうに知っているだろう。
(だから、現代のコーチングとほとんど同じことをやっているのである)

つまり、
行動主義―過激、実験室のもの、
行動療法(行動理論)―穏健・常識的、実践の世界のもの、
と分けて考えたほうがいいのである。

しかし、やはり、「内発と自律」思想の人々が論敵として選ぶのは「行動主義」のほうである。

もしこの人たちが、後者の「行動療法―行動理論」について言及しながら、そこと連携がとれるように議論をすすめたら、この人たちの主張ももうちょっと気持ちよく読める。


繰り返すが、私は「内発と自律」そのものは何も悪いと言っていない。うちの子らの進路なども基本的に本人らの意思を尊重している。


しかし彼ら「内発と自律」思想の人たちのの論法が、「外的動機づけ」=悪いもの、卑しいもの、と敵視しながら進めるものだから、はっきり言って迷惑なのだ。
彼らの記述の中に嫌がらせ・揶揄・見下し・敵視などが含まれるため、その主張にかぶれた人はそのスタンスまで感染する。良心的な実践をしている他人に平気で「アメとムチ」といった言葉を投げかけるようになる。


「内発と自律思想」は、恐らく「自分は他人の世話になったことがない」と豪語する人たちのものだ。もし自分が病気をしたり、身体の機能が損なわれたり、障害のある子どもをもったり、メンタルを病んだり、というときにはいきなり他人の世話になるはずだ。そして自分をお世話してくれる他人がもし有能な人だったら、それは行動理論家か、あるいは生得的に行動理論に近いことができる人間力の高い人だ。


それと、負のイメージのことにばかり言及したが、普通の師弟関係、上司部下関係もまた行動理論があったほうが上手くいくのであり、「内発と自律思想家」は、たまたまそういう枠組みの中に入らない、自分1人の力で成功した幸せな人たちなのだ。


彼らに洗脳された状態でなく、普通に「内発と自律」はいいものとして選びたい。

お世話になっている皆様





おはようございます。NPO法人企業内コーチ育成協会の正田です。

クリスマスの3連休、皆様いかがお過ごしでしたか。

 仕事納めまであと数日。ラストスパートの忙しさのさなかという方、大分忙しさのピークは過ぎたという方、色々でいらっしゃることでしょう。


 
 このメールニュースは今回が年内最後の発行となります。皆様、今年1年、ご愛読いただき本当にありがとうございました。





 さて、私は「NPO法人」という形で活動しているので、「なぜNPOなのか?」と、初めてお会いする方によくきかれます。


 これに対するお答えは、以下のようなものです:


 「コーチング」も、また私どもで深く依拠する「行動理論」「承認論」も、既にあまり耳新しいものではありません。世間にはもっと新しくワクワクするような教育商品がリリースされています。しかし、現実にコーチングを職場に導入した時―詳しく言うとそれは、真摯なマネージャーさんが担い手になり、やり続けた場合―驚くほどの効果が出ます。「成果」という点で、恐らくこの「企業内コーチング」に優るものはないでしょう。


 このことに鑑み、私たちは一般的な企業活動と少し違う道を行くことにしました。


 日進月歩、新しい商品をリリースして注目を集めるよりも、信念をもってお客様にひとつの商品をお勧めし続けることにしたのです。だからこそ、NPO(特定非営利活動法人)という形をとりました。


 その代り、私たちはご提供する商品・サービスの品質を最高に高めることを目指しています。


 現在、ハンドブック「最高のプロの2日間の授業」を作成中です。英国在住の日本人哲学者が、不肖わたくしの授業風景をご覧になったあと、正田の「教え方」に着眼して言われたご感想を小冊子にしました。

 
来年には、皆様にお分けできることになるかと思います。しばらくお待ちください。



 
 さて、本日の話題は:



■「アメとムチ」は卑しいか?
 「内発的動機づけ」信仰とイーストウッド流師弟関係



■「元気が出そうですね」金融と世界経済のあすを占うよのなかカフェ(1月5日夜)



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■「アメとムチ」は卑しいか?
 「内発的動機づけ」信仰とイーストウッド流師弟関係



 お陰様で、「承認」というものについて、ご理解がより一層広がった1年でもありました。


 私たちは「承認」というものを、日本人に最も適した、日本人を最も伸ばすシンプルな手法としてお伝えしています。


 先日も、1年ほど前のセミナーに来られた方(大企業の営業マネージャーさん)が、私の顔をみるなり

「『承認』って本当ですね。あのセミナー以来、われわれの間でもそう話するんですよ」

と、言ってくださったのです。


 ところが、「承認」についてお話すると、人材育成担当者のかたは特に、


「褒めたり叱ったりする『アメとムチ』で人を操るのは、卑しいことなのではありませんか?」

「人は、もっと『内発的動機づけ』で動くべきなのではありませんか?」


と、反論されます。


 どうも、1990年代以降のアメリカの教育学―心理学の風潮で、「アメとムチ、ニンジンで外から人を動機づけるのは卑しいことだ。人は内発的動機づけで動くべきだ」というものがあったようなのです。そして、現代日本の人材育成担当者の皆さんにはそれが今も浸透しているようなのです。


 しかし、「内発的動機づけだけが大事だ」と信じられた結果、アメリカでは何が起こったでしょう?


 実は、現代の脳科学では、人の「道徳規範」は脳の報酬系のはたらきによるものが大きいことがわかっています。悲しんでいる人に同情するなど、プリミティブな共感能力は乳幼児でもあります。が、少し複雑・高度なことである行為が「よい」か「悪い」かを判断するのは、脳の報酬系が学習した集積なのです。


 そのあと、道徳的にふるまうことへの学習能力の高低は、個人差があります。たとえば、「罰」についての感受性が低い人―たとえば親や大切な人の悲しむ顔をみて、それを生んだ自分の行為に嫌悪感がわき、以降しなくなる、ということが起きない人―は、犯罪者気質の人に多い、などということも既にわかっています。



 これとは別に、「外発的動機づけ」とくに「認められる」ことと、「内発的動機づけ」との関係が、思いがけない作品に出てくることがあります。


 師弟関係を描いた作品の多いクリント・イーストウッド監督の2008年の作品、「グラン・トリノ」。イーストウッド自身が演じる頑固な老人がチャーミングですが、この中にこんな場面があります。


「グラン・トリノからキャリア教育、『育てなおし』へ…」

http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51475197.html


 ここでは、ある少年が「外から押し付けられた仕事」にだんだんとやり甲斐を見出す様子が描かれています。


 もともと、師弟関係、徒弟制、というものは、行動理論の「模倣学習―オペラント条件づけ」のカタマリなのです。学問の世界の人ではないけれどもコモン・センス溢れるイーストウッド監督は、「内発・自律全盛」の思潮に「なんじゃこりゃ?」と首を傾げたことでしょう。この映画の中で、アジア人の中でもひときわ伝統的道徳観を維持しているといわれるモン族の少年が題材になるところも示唆的です。


 このあとに同監督が撮った、南アのネルソン・マンデラ元大統領を描いた映画「インビクタス/負けざる者たち」は、思い切り「承認」のオンパレード。名優モーガン・フリーマン演じるマンデラ大統領が、ごく自然体で、「承認」のありとあらゆるワザを周囲の人に発し続けます。それが嫌味に響いているかどうか、お正月休みの間に是非、DVD等でご覧になってみてください。


 私自身は、「内発」も「外発」も分けることにあまり意味はないと考えるほうです。もともといずれにしても、人が動機づけられると脳の同じ部位が活性化するのです。外発の「アメとムチ」を卑しいなどとする議論は、ほとんど意味がありません。よほど「曲解」して、おかしな使用法をした場合でしょう。

(そうしたことが起きないよう、「行動理論」の使用法について、少しじっくりお時間をいただいて解説することにしています)



 日常生活の中での「行動理論」の使用風景、また「内発」「外発」が1人の人の中で容易に入れ替わることについては、こちらに簡単な例をお載せしておきました。もしお時間がありましたら、ご覧ください。

 

「地元の人に誇りだと思ってもらえたら嬉しい―行動理論の現場、イブの食卓の裏話」

 http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51780707.html
 


 この記事の中で書きましたように、私自身は、たとえば「行動理論」があまりにも正しくて効果が上がりすぎ、再現性がありすぎ、そしてさほど普及はしていないものの長年言われ続けたために、今更言うのが凡庸に響く、ということであっても、「偏った独創」よりも「正しい凡庸」をとりたい、それは多くの人の幸福のために必要なことだから、と考えています。


 受講生の皆様、行動主義はさておき行動理論―行動療法は正しいものです。私どもでは受講生様にお伝えするコンテンツを1つ1つ丁寧に吟味しています。誤解の余地のないよう丁寧にお伝えしてまいりますので、どうぞこれからも安心してご使用ください。




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■「元気が出そうですね」金融と世界経済のあすを占うよのなかカフェ(1月5日夜)



 前号でもお知らせしたとおり、社会人のディスカッションの会「よのなかカフェ」は、次回1月5日で第30回を迎えます。


 http://c-c-a.jp/cafe/



 既にこの回のカフェにお申込みいただいた方々のうちお1人の方は、


「ありがとうございます。元気が出そうですね」

 と、メールをくださいました。


 金融機関出身で、大学学長を務めたあと退官し客員教授になられた方でした。


 この方に限らず現・元金融関係者の方は、恐らく今直面している事態がどれほど「怖い」ものか、想像がつかれていることと思います。


 それでも、そのことを近所の人同士が集まって語り合い、共通の認識をもつ、それだけで、「元気が出る」そういう効果は、ひょっとしたらあるかもしれません。

 今からどうしよう、という道筋もみえてくるかもしれません。


 空元気を売り物にするつもりはありません。「考える社会人づくり」を目指すよのなかカフェ。「ともに考える」ことによって知恵を生みましょう。



 皆様、年明け5日(木)の夜19時より。大きな歩道橋が目印、三宮・加納町交差点そばのカフェ「アロアロ」にて。参加費500円+ドリンク代。
 
 是非、いらしてください。お待ちしています。

 詳細とお申し込みは ⇒ http://c-c-a.jp/cafe/


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★このメールニュースが「届かない」あるいは、「タイトルに【Spam】とついているので怖くて開けない」というご質問を、このところよくいただきます。

 サイバーテロのため会社のセキュリティが厳しくなったことが原因のようです。

 発信元が"info@…"となっているメールは自動的に削除されることがあり、その場合は本メールの発信元"info@c-c-a.jp"は削除の対象外としていただく、という対策をとっていただくと解決するようです。

 ただ皆様にご迷惑になることを避けるため、発信元アドレスの変更あるいはマガジン発行サービスの変更といったことも検討したいと思います。

 来年もどうぞよろしくお願いいたします。



※このメールは、NPO法人企業内コーチ育成協会のスタッフ及び
代表理事・正田が、過去にお名刺を交換させていただいた方・
当協会のイベントやセミナーにご来場いただいた方に
お送りしています。

今後ご不要の方は、
空メールをご返信いただくか、こちらのページ

http://www.webcordial.com/bn/tk.html

より解除していただければ、
購読リストから外し、次回から送信されないようにいたします。


ここまで読んでいただき、ありがとうございました!

 ラストスパート、皆様最後まで元気にまいりましょう。

 良いお年をお迎えくださいませ。



*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*
神戸のコーチング講座
特定非営利活動法人企業内コーチ育成協会
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代表理事 正田 佐与
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 先日、3泊4日という、結婚してからの私としては最長の出張をしたとき、仕事先の方から言われたのが、

「お子さん方だいじょうぶですか」
「心配でしょ」


 その都度、こういう材料を4日分買い置きしたので娘たちがシチュー、肉のグリル、サラダなどを作るはずだとお話しすると驚かれる。


「しっかりしてますねえ〜」


 社交辞令かもしれません。はい。

 ただうちの娘たちは同学年の人の中で家事ができるほうとみなされているようで、中学時代からお弁当は自分たちで作っていたし、友達同士の集まりで率先して立って必要な家事をするので「マザー・ハルカ」と呼ばれていたのだそうだ。


 私自身は全然自慢できるようなしつけをできる人間ではないが、もし何か秘訣があるとしたらそれは「行動理論」ぐらいだ。


 彼女たちがあまりにも何もしないときには雷を落とすような場面もあったが、基本的には小さなことをやれば褒め、作ってくれたものは美味しいと言って食べた。

 (「C」の性格なので本当はちょっと褒めるのにも努力を要するのだ)


 そのうち、野菜切りや焼きそばの最後の炒めといった単純な仕事から、「一から肉野菜を切ってシチューを作る」といった一連の仕事までこなせるようになった。


 こういうのは「小さな行動から始まってより大きな望ましい行動へ」=「形成化」(シェイピング)というものだが、
決してその手法の名前から想像するように、徹底して行動を監視して言葉がけした結果そうなるというわけでもない。ある時期から本人が面白さに目覚めて自分で勝手にやりだすから。

 特に二女は今年料理作りに目覚めたようだ。イブの食卓も、チキン以外のメニューはほぼ彼女が、冷蔵庫にあるものを基に決め、トマトのディップは買ったクラッカーの外箱にレシピが載っていたのを見て作っていた。

 これは「外発」から始まって「内発」になっていった現象といえるかもしれない。

 


 2人とも絵は得意なので(そういうのはかなり生まれつきで、これは「内発的動機づけ」と呼ぶかもしれない)、作った料理は色どりの美しさを褒めることも忘れなかった。


 「内発」の行動であっても外から褒められることはやはり伸ばす役に立つ。

 だから、内発か外発かどっちが大事か、外発のアメとムチは卑しいことかなんて議論することにあまり意味はないのだ、本当に。

 そういうのは、現場を知らない人が言うんだろな、と思うだけだ。


 『報酬主義をこえて』という本の言っていることがどれだけおかしいか、お分かりいただけるだろうか。

 『報酬主義をこえて』という本について私の書評は、こちらの記事をご参照ください



 http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51780572.html



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 さて、たのしくないことでも真っ直ぐ見つめるのが私の流儀で、


 『報酬主義をこえて』というおかしな本について起きたここ2−3日の出来事を書いておきたい。


 最後にいいことが起こるので、ちょっとだけ我慢しておつきあいいただきたい。



 例の「変な評論家氏」がメルマガで同書のことを褒めそやしたのが21日。翌22日、私はアマゾンでこの本のページをみると、この同じ評論家氏が長々とレビューを書き5つ星をつけていた。

 これに反論しこの本の誤謬を指摘する書評を私が書いたところ、

 
 何が起こったかというと、私の書いた書評に「参考にならなかった」という投票がみるみる増えていった。


 最終的には、「6人中2人の人が『このレビューが参考になった』と評価しています」という数字になった。

 わざわざ「参考にならなかった」と投票した人が4人もいた、ということである。


 たまりかねて23日の夜、フェイスブックのお友達で学校の先生をしている私から見て非常に真っ当な人に、


「このページをみて、レビューを見比べていただけませんか。少し知識のある人ならすぐわかる話題のはずです」

とお願いした。


 すると、「私からみて正田さんのレビューの方が妥当だと思います。正田さんに投票します」と言っていただいたが、

 その時既に「6人中2人」という数字になっていたので、このお友達を巻き込むのも申し訳ないと思い、自分のレビューを削除した。そしてブログの方に転載した、という次第である。


 問題はそれだけではない。私はアマゾンにレビューを書いた経験はあまり多くないが、わずかに書いた、自分が本当に良心的だと思う2,3の本のレビューについて、たどってみると、


 突然、「このレビューは参考になりませんでした」の票数が各2人ずつ増えているのだ。


 例えば比較的新しい、まだそれまで投票をされていなかったレビューについては「2人中0人」。


 これは、私が本当に良いと思い、5つ星をつけて支持のレビューを書いたものについての「参考にならなかった」という投票なので、本当に腹が立った。


 さらに、過去に1冊、私がレビューでボロクソにけなした本があり、このレビューにはこれまで「3人中3人が『このレビューが参考になった』と評価しています」と、なっていたのだが、このレビューについても急に、「5人中3人が…」と、変わっていた。

 つまり、過去に投票した人の人数に加え、急に2人、「参考にならなかった」に票を投じた人がいるということである。


 こういうことが出来る仕組みになっている。レビューは私はペンネームで書いているが、そのペンネームをクリックすると、同じレビュアーの書いている他のレビューをたどることができ、「投票」をすることができるのである。

 今回の論争を機に、そのような行動をとった「2人」の人がいたらしい。


 繰り返すようだが、私が本当に心から「この本は良心的ないい本だ。後世に残していい本だ」と感じてレビューを書いたものについても「参考にならなかった」と投票したのだから、これは極めて悪質な行為といえる。私の投じた5つ星の信憑性が疑われ、その本の良さを信じてもらうことができなくなるわけだ。反論のレビューを書くだけの知識もないくせに。

 アマゾンの罪ではない、利用した人の問題だ。「変な評論家」にかかわったばかりに。


 なので、過去に自分がアマゾンに書いたレビューを削除した。また別の形でこれらの良書には貢献したい。


(この悪質な嫌がらせは本日(25日)時点も続いていることがわかった。私が良書と感じた本のレビューで、一旦削除し、新たに投稿しなおした記事に、また1人の人間が「参考にならなかった」と投票したのだ。このたぐいのことは「ゲーム」と言い、「承認欲求」が病的に強い人間のやることだ。まあ、要するに今後、アマゾンのレビューというところに関わらなければいいのだ)



 以上が「嫌なこと」だったのだけれど、そのあと「良いこと」が起こった。


 フェイスブックで、このブログに書いた書評の記事のリンクを張り、自分のウォールにこう書きこんだ。

「独創的でありたいという「欲」より、多数の人の幸福に役立つものを提示したいという「欲」のほうが、私のばあいは最終的に勝つ。評価の確立した正しいものの凡庸さに耐えられないという人も中にはいるだろう。
受講生の皆様、行動主義はさておき行動理論―行動療法は正しいものです。私どもでは受講生様にお伝えするコンテンツを1つ1つ丁寧に吟味しています。誤解の余地のないよう丁寧にお伝えしてまいりますので、どうぞこれからも安心してご使用ください。

 http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51780572.html


 この書きこみに、フェイスブック流の「いいね!」を、みるみる19人もの方々からいただいたのだ。


 お1人お1人にお礼を述べたことは言うまでもない。



 私は神戸に住む一介の女性NPO代表。

「ただの主婦じゃん」

 と思う人もいるだろうし、実際面と向かってそう言われたこともある。


 この程度の人間に、「過去に書いたレビューを全部たどって嫌がらせをする」などという「大物扱い」をしてくださってありがとう。


 私は地元兵庫・神戸の人たちに誇りに思ってもらえるような生き方をしたい。



神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
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 トマトのディップを作る二女。美味だった



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 スープを温めている長女


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 サラダ。娘たち作成


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 ディップをよそっている二女



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 今年のイブの食卓。チキンは去年に引き続き、ガーリックローストチキン。

 ローストチキンの鶏や野菜を買ってきたのは娘達2人、ニンニクの皮をむきミキサーにかけ塗ったのは二女、最後に腹に野菜をつめて焼いたのは私。


 その他サラダ、カナッペ、ディップ、スープは娘達。


 あと何回一緒に食卓を囲めるかわからないから、最後から数えて若いイブの食卓。



神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
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 『報酬主義をこえて』という本についてアマゾンに書いた書評を削除し、こちらにUPしておこうと思う。

 本書のような本は、本来は黙殺したいところだが、日本で「少し有名」な評論家が擁護し、メルマガで宣伝し、アマゾンの書評で5つ星をつけ、よほど気に入ったとみえて自身のブログで「今年一番インパクトのあった本」と持ち上げているのだ。

(今のような時代だと、何冊本を書いても決して「すごく有名」にはなれない。この評論家氏もつねに第一線にいないといけないという焦りがあると思う)

 既に評価の定まった学説について、言いがかり的な議論を吹っかけているこの本が日本で再評価されることが、そもそも不思議でならない。再版自体が、教養のない人による間違った意思決定だったということはないのだろうか。

「あっ、あの本また出してみようか。初版のときそこそこ売れたから」
「6000円で1冊でも売れたら儲けものだからな。世間には高いものずきの需要もあるし」

 こんなバブリーな会話がきこえてきそうだ。

 読者の皆様、アマゾンの本書のページに掲載されている「やや有名」(笑)な評論家による書評とこちらを読み比べてください。

*********************

 ポイントは、心理学の歴史に関する基礎知識の有無。歴史は重要な教養だ。この本を正しいと信じ込んでしまった人には猛省を促したい。本代の値打ちはない。以下、面倒ではあるが一つ一つ本書の主張の問題点を指摘したい。

 本書は、行動主義と行動理論、行動科学を意図的に混同したミスリーディングな本。専門の人が見ればすぐわかる話題。行動主義は20世紀前半に、動物実験に基づき過激な主張を行った。その後行動理論、行動療法、行動科学と発展した際に、鬱や不登校の治療、スポーツ・コーチングの指導法など、れっきとした人相手の理論として評価を確立した。本書はそれらを混同したうえで、「行動主義のうちの過激な主張」あるいは「行動主義を中途半端にかじった人々の間違った行動」を批判することで、「行動理論―行動療法」の主張までひっくるめて否定してしまう乱暴な議論をしている。 

 この著者がいかに否定しようと、行動理論、行動療法以降の理論の恩恵を受けた膨大な数の人々がいたことは疑いようがない。これはエビデンスである。現在も、学校教育をはじめ技能訓練などの場面で幅広く活用されている。山本五十六の「やって見せ言って聞かせてさせてみて褒めてやらねば人は動かじ」は見事に行動理論の模倣学習―オペラント条件付けと同じことを言っている。

 さらに、「ヒトは動物と違う存在だ、ヒトが動物と同じ行動原理で動くなどというのはヒトに対する冒涜だ」という主張は、失笑を通り越して危険でさえある。私たちは動物と同様に食欲や性欲をもち、生命の危険にさらされれば心臓が早鐘のように打ち、身体が総毛立つ。それは私たちが動物の脳をベースとして進化してきたからであり、動物と共通の部分がきわめて多いのである。

 著者は「報酬主義」という独自の用語を使っているように、自身がイデオロギー志向の強い人のように見える。自分の気にそまないデータを無視して議論しているし、人間が動物と違うという本書の主張は、むしろ人は神によって創られたと主張する原理主義に近い非科学的なものである。

(じゃあ、動物実験―臨床試験によって開発されるほとんどの医薬品はどうなるのだろうか?また動物行動学から私たちヒトの営みを考える試みも近年隆盛なのだ)


 著者の主張には、現時点の心理学、脳科学の知見に基づいて反駁できるものが多々ある。

 「褒めることによる動機づけには持続力がない」ということについては、20世紀後半の行動理論―行動療法の中にはちゃんと答え(対処法)があり、著者の言うように致命的欠陥ではない。

 また、「セルフイメージの崩壊を恐れて失敗を恐れ、冒険しなくなる」という主張については、褒め方の問題であり、「あなたは天才ね」「賢いわね」といった、人格や能力を褒める褒め方をすると確かに失敗を恐れて冒険しなくなるが、「よく頑張ったわね」といった、行動や努力にフォーカスする褒め方だと、次回以降も失敗を恐れず挑戦することが心理実験で確かめられている。

 著者がいかに否定しようと、人は脳の報酬系で動く。例えば、「罰」についての感受性が低い人は犯罪者気質となることなども近年明らかになっている。

 著者がイデオロギー的に礼賛する「内発的」も、所詮広い意味の報酬系の所産なのだ。教育の世界では「内発的」はこれほどインパクトのある、水戸黄門の印籠のようなものなのだろうか。

 ただ、本書の初版出版当時(1993年)は、こうした「内発」「自律」礼賛論が全盛であったようで、時代の制約を受けた本。歴史的検証には耐えられない。「内発的」であれ「外発的」であれ人が動機づけられた時には脳の同じ部位が活性化するのであり、「内発」か「外発」かの二元論はあまり意味がない。

 このように、現代(2011年時点)の心理学・脳科学の知見は、行動理論―行動療法の主張をサポートするようなものが多いのである。むしろ「行動観察」という行動理論の手法はますます重要性を増しているように思える。現代の目でみると本書の主張は噴飯ものというしかない。  

 著者、アルフィ・コーンは前著『競争社会をこえて』でアメリカ社会を覆う競争至上主義を批判したが、返す刀で書いたような本書は、当時の心理学上のメジャーな主張を十把一からげにして批判するというやっかみめいた本で、議論の粗さが目立つ。「良心的」ではあるが、強い反発心に動機づけられている。実践に長く携わった目からすると、「反発心の強い人は褒められても喜ばない」単にそこからすべての論理構築をしている気がする。

 以上のように極めて一面的な偏った主張を学術的に装った本と言うしかないが、むしろこの主張ががあたかも学問であるかのように評価されこの本が出版された経緯に興味が湧く。

 本書が高く評価されることが招く未来とは何か。そしてそれをもたらしている現代の「思考法の混迷」とは何か。この本を称揚する人たちはその後何をしたいのだろうか。いささか暗い気分になる。良心的な研究者が積み上げてきた成果を一笑に付そうとする本書のもつ「負のエネルギー」にこれ以上、巻き込まれる人が出ないことを願う。


*******************************
(アマゾンで掲載しのちに削除した書評の引用はここまで)



 その後著者アルフィー・コーンについての英文ウィキペディアをみつけた。
 http://en.wikipedia.org/wiki/Alfie_Kohn


 1957年生まれ。生涯に12冊の本を書いたこと、とくに"behaviorist"(行動主義)批判などがよく読まれていることなどが記されている。2000年以降の著作には『条件付けしない親業Unconditioned Parenting』などがあるが、

私が興味を持つのは、これだけ「教育」について発言した人が、現代の脳科学の知見についてなんと言っているのだろうか?ということ。

 このブログでなんども繰り返し言うように、「報酬」という言葉の響きがいかにいやらしくても、人は「報酬系」で動いているのは間違いないことなのだ。行動理論的に言えば、「その人にとっての『強化子』は何か?」という問題であり、人によってあるいは状況によって、それは内発であったり外発であったりするのだ。

 熟練した指導者なら、その人が「内発」によって動いているか、それとも「外発」によって動いているか、見てとることは簡単である。そして「内発」の影響の強い人―往々にしてそれは唯我独尊であったり、周囲の人との関係を顧みない人だったりするのだが―であれば、それを尊重した働きかけをする。それだけのことである。


 私なりの理解によれば、アルフィー・コーンという人は、前著『競争社会をこえて』において、「アメリカの不幸」のもとになっている思想を真摯に考察した。そしてアメリカ心理学会賞を受賞した。

 本書『報酬主義をこえて』は、精神においてはそれと共通するものがあるが、しかし闘う相手を間違えた。「敵」の選定を間違えた。

彼が闘うべき相手は、所謂「報酬主義」ではなく、むしろ彼の称揚する「内発・自律」が象徴する、アメリカの「アトム的自己」だったのではないか。

(こういう、精神においては共感する余地があっても、切り口を間違えた議論というのは一杯ある。研究者で似たような分野を研究していてもノーベル賞をとる人とそうでない人の違いはおおむね出発点の切り口の違いである)

(また正田が「一生懸命だ」「熱心だ」という類の褒め言葉を嫌うのもここに起因する。精神において「一生懸命」「熱心」はたまた「真摯」であっても、切り口を間違えて決定的に間違ってしまう人がいる。だから、お客様のためを思えば、一生懸命かどうかなど、私には大した問題ではない。最近も友人に対して、「私について『あの人は熱心だ』なんて言わないでください。言うなら『あの人は本気だ』と言ってください」と言ったものである。「本気」と言えば、単に一生懸命なだけでなく正しくあるために最善の思考をめぐらしていることが伝わるだろう)


そして、「内発・自律」礼賛思想の行き過ぎに警鐘を鳴らしたのが2008年のイーストウッド作品『グラン・トリノ』だったのではないか。アメリカではむしろ、もう「終わった」議論なのではないか。

「アメリカで終わった商品」を日本に持ってきてやたらと褒めそやすのは、コンサル業界ではよくあることなのだ。


あるいは、こう思ったりもする。アルフィ・コーンという人は『競争社会をこえて』で賞を獲り、「大きなものに噛みつくスタンスが良心的として評価される」ことに味をしめたのかもしれない。だとしたら気の毒だが、それも「報酬系」のなせるわざなのである。


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行動理論―行動療法を正しく使用したときに上がる成果の高さや再現性の高さは、一方で往々にして、凡庸な主張の中に埋没することを潔しとしない目立ちたがり屋さんの反感を呼び、異論が出る。

その人は定説に逆らうことで一定のポジションを得、教育雑誌などからそこそこの頻度で原稿依頼が入る。いかにその主張がトンデモであっても。(どうもアルフィ・コーンはそういう生き方をしている人のようだ)


そして、そうした議論の尻馬に乗るオッチョコチョイな(か、自分自身目立ちたがりやで、行動理論の正しさを目の上のたんこぶのように思っている)人も出る。


問題の「変な5つ星レビュー」の載ったページも、別に隠すつもりはないので、リンクを載せておきます。

http://www.amazon.co.jp/dp/4588007041/


「一人の人間の持っている可能性は、もっとすごいはずです。望ましい行動を取らせるために報酬というニンジンを与えることは、その人が持っている「行動そのものへの興味」を殺し、ニンジン中毒を作り出してしまう可能性があるのです。」


などと、本書の奇妙な、反証を挙げるのさえ馬鹿馬鹿しい主張を引用しつつ自分の言葉でナイーブにロマンティックに語った実名の評論家氏にとって、これは誇りにできる仕事なのだろうか。


 私は例えば信頼する指導者から褒められる、認められるときの人としての喜びを「アメ」だの「ニンジン」だのと汚い言葉で表現するセンスに、この著者と評者双方の人格の傲慢さを感じてしまう。この人たちは、「自分はだれかに育ててもらった」という気持ちがないのだろうか。

 
 ブログ読者の皆様、上記に書いた諸々のことを踏まえ、この評論家氏の美辞麗句を見てやってください。うわべの言葉の美しさに流されず、皆様ご自身の批判思考をしっかりと働かせてください。そして、文末の「このレビューは参考になりましたか?」のところで「投票」をしていただけますので、是非このレビューに皆様のご意見を投票してやってください。

この人はよほどこの本に感動したようで、自身のブログでは「今年一番インパクトのあった本」として本書を挙げている。

「プチ有名」の地位にすがることはこれほど苦しいことか。目立ちたい一心の行動に出ることか。
 この人はこんなトンデモ文章を書いてしまった以上、例えば文科省の教育審議委員みたいな役職は一生もらえないだろうな。なりたいのかどうかわからないけれど。

 まあ、この人にも今後、一定頻度で教育雑誌などから原稿依頼があって仕事に不自由しないだろう。アルフィ・コーンのように。




 私自身は、"Controlling(主導型)"なので褒められることを一番苦手とする性格だし口先だけのお世辞はすぐ読み取ってしまう。しかもこの性格の人のつねで、独創的な何かを提示したいという「欲」もある。


 ただし、多数の人の幸福のために役立つものを提示したいという「欲」のほうが、私のばあい最終的には勝つ。自分自身が独創的な人として見られたいという「我欲」よりも。



 受講生の皆様、行動主義はさておき行動理論―行動療法は正しいものです。私どもでは受講生様にお伝えするコンテンツを1つ1つ丁寧に吟味しています。誤解の余地のないよう丁寧にお伝えしてまいりますので、どうぞこれからも安心してご使用ください。


 そして、以前にもこのブログに書いたこと―、
何が「王道」で何がそうでないか、わかる人であってください。教育学、心理学にしてもほかのことにしても。



神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp


「正しい」。

 心理学では批判されやすい言葉。

「正しい間違っているじゃなく、あなたがそうしたいかどうかを言いなさい」
「間違っている人なんかいない」

 といったタームで使用される。


 ところが、「『正しい』って必要なんじゃない?」と思うときがある。


 ある女性の友人は、職場で派遣社員の女性を注意したところチクリを受け、自分が左遷された。

「おじさんたちが彼女らをちやほや甘やかすので、電話が10コール鳴っても出ないんですよ。だから私は、『あなたがたは受付や電話とりのために雇われてるんでしょ』って言ったんです」


 さて、こういう場合「注意する言い方が良かったか悪かったか」も話題になりやすいが、ここでは面倒くさいからあまり関知したくない。コーチング屋だけど。

 それよりは話の本筋が何なのか、のほうを考えたい。

 しかし、登場人物が「男性」ならごく簡単なはずのこの種の問題に「女性」がからむと、「何が本筋」が見えにくくなりやすい。


 似たようなエピソードを私も過去にわずか3年半の会社員時代に持っている。

 ある報道機関の内勤の部署にて。4月から入ったバイトの女の子は新聞のスクラップを作っていたが、そのスクラップ作りの作業が「きのうの新聞記事がもうファイルに収まっている」状態だと理想的。ところが当初そのペースでやっていたバイトの子は、夏が終わるころになるとスクラップを5日6日分も溜めてしまい、続き物の記事を調べるために正社員の記者たちはスクラップファイルではなく、畳んで置いてある新聞各紙をひっくり返して調べなくてはならなくなった。なんというロス。

 1年生正社員の私はその子と親しかったが、ある日彼女をお昼に誘い、「説教」した。

「あなたと同じ年(大学1年)のとき私がどんな仕事をしていたか知ってる?家庭教師は、自分には人を教える資格なんかないって言ってやらなくてね、喫茶店のウェイトレスをしてた。時給480円。それで1Fから4Fまである広い喫茶店を私1人で駆け回って給仕してたときがあってね。それでも週3日くらい大学の後通って3〜4万かな。

 あなたは、同じ女性なのに私は正社員で高給取りで知的な仕事をして、って思って、自分の仕事がばからしくなるかもしれないけれど、あなたまだ高校出たばかりだよね。まだバイトを通じて仕事の厳しさも知ってないし、大学の学問も大してかじってないよね。今の私と一緒じゃないはずだよ。私があなたの歳のときは自分の目の前のことを一生懸命やってたわよ」


 彼女はぽろぽろ涙を流して自分が悪かった、と言い、その後スクラップを遅らさなくなった。遅らしていた当時は何をやっていたかというと、当時産経新聞の料理のページがカラフルで好評だったが、それを切り抜いて見入っていたのだった。

 その部署ではしばらく「正田(当時は旧姓)がバイトをいじめた」という噂が流れたがほっておいた。

 しかし、私がその部署を離れると彼女はまたスクラップを遅らせたときいているし、なんでもその子の前のバイトの女性はケバイ系の人で、男性記者と飲み歩き、やはりスクラップを遅らせる常習でとうとうクビになったというのだ。

 
 ・・・で、「正しい」という言葉が出てくる。

 もう少し細かくいうと会社の利益を最優先で考えればとか生産性を上げるにはとか色々あるだろうけど、逆になんでこういうとき「正しい」っていう言葉をつかっちゃいけないの?と思う。


 なぜ、「女性」が絡むとダブル・スタンダードというか、奇妙にねじれた議論になってしまうのだろう。


 相手が男であれ女であれ、同じ基準をブレずに適用すればいいではないか。仕事は一生懸命やれ。効率よくやれ。他人に役立つような仕事の仕方をしろ。


 で、先ほどの友人いわく、

「今は70代になっている人たちが会社にいたころは、こういう話はちゃんと通じたんです。正しいことが割合通ったんです。ある世代が『上』になってからは、ダメ」


 う〜ん、「ある世代」っていわばバブルを仕掛ける側になった世代だから、

「女=お立ち台の女の子、軽薄で性を売り物にして頭からっぽなのが女として正しい」
って思ってるのかも。

 やだやだ。


 このブログを以前から読んでいる皆さんは、「どの世代」のことを言っているか、もうお分かりですね。

 
 私がやっている「承認型コーチング」は、ある意味、「ある世代」の負の遺産を一掃して正しい状態に戻すためにやっているようなものかも。


神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
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 ふとしたきっかけで『報酬主義をこえて』(アルフィ コーン著、法政大学出版)という本が新装本で出版されたことを知り、アマゾンのページに珍しく書評を書きこんだ。

http://www.amazon.co.jp/dp/4588007041/


 読者の皆様、よろしければ上記のページで書評に対する評価をお願いします。


 褒めて伸ばすことを言った「行動主義」という心理学の理論を批判し、褒めることに意味はないとする本。


 一見、良識ある知識人の議論に見える。


 ところが、ほとんどの人は気がつかないと思うが、「行動主義」という理論は正田らが根拠にする「行動理論」「行動療法」とは微妙に異なる。


 Wikipediaの「行動主義心理学」のページ
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%8C%E5%8B%95%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E5%BF%83%E7%90%86%E5%AD%A6


 同、「行動理論」のページ
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%8C%E5%8B%95%E7%90%86%E8%AB%96


 同、「行動療法」のページ
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%8C%E5%8B%95%E7%99%82%E6%B3%95


 
 簡単に言うと、「行動主義」にはいささか過激な議論が含まれ、実際に20世紀前半の一時期に勃興したあと下火になったのだが、「行動理論」「行動療法」はごく常識的な主張であり、心理学にとどまらず教育・技能訓練のさまざまな場面に応用可能なものだ、というお話。現実にカウンセラーさんで行動療法で鬱を治した人はいっぱいいますし、鬱の家族をもつ人、はおろか普通の学校の先生、会社の上司、などが知っておいて全然損はない知識です。


 一見似たような言葉なので素人だと混同してしまいますが、専門家は混同してはいけません。


 で、先ほどの本『報酬主義をこえて』は、「行動主義批判」をすることで、「行動理論」「行動療法」の主張までもひっくるめて否定してしまおう、という、タチの悪い揚げ足取り言いがかりの本です。いくら、自分の主張する「内発」「自律」のよさを訴えたいからとはいえ。

 
 この本は2001年に一度出て絶版になったのだと思うけど今年秋になってなぜか新装本で再版された。

 
 どういう意図があるんだろうか法政大学出版。


 ともあれ、研修プログラムの中に「行動理論」の紹介が入っている当協会としても看過できず、申し訳ないが批判的な書評を書かせていただいた。

 態度表明しておかないと、研修で揚げ足取りされても困りますもんね。



 さて、「外発」「内発」の違いということで言えば、思い出す映画は、C・イーストウッドの『グラン・トリノ』です。


 このブログではこちらで映画評を載せています。

「『グラン・トリノ』からキャリア教育、『育てなおし』へ…」 


 端的に言うと、「セールスでもしたい」という少年に、イーストウッド扮する元自動車工のお爺さんが「建設現場で働いてみるか?」と言った。少年は当初あまり乗り気そうではなかったが、イーストウッドに紹介され上司にあいさつし、腰にカッコイイ工具をつけて街を歩く。すると少年の背がしゃんと伸び、表情が生き生きとしてくる。


 「セールス」がどの程度少年の心からの願望だったのかわかりませんが、外から押し付けられた仕事であっても、その仕事を通じて一人前の働く人間として認められることが、その少年の誇りにつながった、というお話。


 ラスト、老人の遺品「グラン・トリノ」のハンドルを握って疾走する彼は、ひょっとするとセールスマンになっていたのかもしれませんが…、


 この「願望」と「認められる」ということの関係性がシナリオに織り込まれていることに、そうそう、と膝を打ったのでした。イーストウッドって、「承認論」を知ってるんじゃないだろうか。あるいは、2000年前後に「内発がすべてに優越する」みたいな議論が全盛になったことに疑問を持ったんじゃないだろうか。

 
 実は、私は「どちらが強い」というつもりもないのです。

 どちらも同じ「報酬系」の働きだ、ということです。内発的願望をかなえることも、外から与えられた仕事を通じて「認められる」ことも。


 そしてどちらが強い弱いは、おそらくその人の置かれた状況や、もって生まれた性格、(他者との関係性を重視する性格か否か、とか)によって異なるのでしょう。


 今の脳科学の画像診断では、ある人が外から動機づけられたとき、あるいは自分のアイデアが採用されたとき、自分の企てたこころみが成功したとき、ほめられたとき、お金が儲かったとき、に脳の同じ部位が活性化するのをみることができます。画像診断にもまだまだ限界はありますが、変な二元論とかイデオロギー的仮説が入る余地は少なくなってきているのです。
 
 『報酬主義をこえて』は、意地の悪い見方をすると、「内発」「自律」という当時最先端の新たな商材を得た(と思った)学者さんが、他流派をこきおろして目立とうとした、「悪意の書」ではないかと私は思います。「内発」「自律」が大事なものだからといって、すべての教育や指導にかかわる人が行動理論的素養を持っておく(つまり、良い行動を褒めて伸ばすアプローチが出来るようにしておく。人は他人の報酬系を刺激する存在になることができるのです)ことについての免罪符にはなりません。そちらはそちらで、やっておいたらいいのです。

 もうひとついうと「内発」「自律」の過度な賛美は、現在のキャリアカウンセリングの隆盛を招き、企業の人材育成のあり方にも影を落としているのではないか、と私はみています。現実の職場の人は、学者さんが想定するよりずっと、上司に依存する存在です。若い人のほうが可愛らしいし教育への感受性が高いですが、上司教育をきちっとやるほうが現実にははるかに効果的なのです。


 しかし、こうした「学術論争」―先方のほうが「学者」のくせに思考プロセスが全然「学問的」じゃないのだが―は、現実の企業である教育研修を採用するか否か、の議論の中では残念ながら俎上に上げている暇はなく、そして間違った「学問」が信じられているのが普通なのであります。




神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
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お世話になっている皆様





おはようございます。NPO法人企業内コーチ育成協会の正田です。

 
寒い寒い週末。皆様いかがお過ごしでしたか。



 
 さて、本日の話題は:



■よのなかカフェいよいよ第30回。
  年明けは「まるわかりユーロ危機!」で金融のあすを占おう(1月5日夜)



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■よのなかカフェいよいよ第30回。
  年明けは「まるわかりユーロ危機!」で金融のあすを占おう(1月5日夜)



 
 さて、お蔭様でこのメールニュースでたびたびご紹介している「よのなかカフェ」も、いよいよ次回が第30回の節目になります。


 2009年の4月に第1回、以降ほぼ月1回のペースでテーマを替えて開催してきました。忙しい社会人のため、勤務帰りの19時からの時間に500円のワンコインで。


ちなみに、よのなかカフェの誕生は、大阪大学哲学科の先生などが主催している「哲学カフェ」がヒントになりました…というのは、拙著『認めるミドルが会社を変える』の中にいきさつをご紹介しています。

 大阪W選の結果などをみても、「わかりやすいキャッチフレーズ」「わかりやすい政策」などが選挙の目玉になってしまいやすい昨今。

 地元兵庫・神戸で、しっかりと「今」を見つめ考える人を増やしていくことは切実に必要な気がします。


 閑話休題、

 この間、多彩なゲストの登場があり、またとりわけ2年目からずっと会場として使わせていただいている三宮のカフェ「アロアロ」さんには大変お世話になりました。


 アロアロさんとの出会いをここで少し…。


 2010年春のこと、三宮近辺の別の場所でカフェを開催したのだけれど、イベント終了後も参加者がもっともっと話したくて、挨拶しあいながら立ち話、なかなか会場を去りません。

 お蔭でそのときの会場さんからきついお叱りを受け、「今後は(イベント使用を)ご遠慮ください」と言われてしまいます。


 困った〜、と主催者の正田は夜21時のその時間に三宮をウロウロ。あちこちのカフェに飛び込み、

「こんなイベントを定例でしているのですが、使わせていただけませんか?!」

とお伺いするも、その時間まで営業時間をやっていますよ、というカフェは意外と少ないのです。


 そして最後にたどりついたのがアロアロさん。


 アロアロさんは、それ以前から聾唖の方の「手話カフェ」の会場になるなど、店主の白石さんご夫妻がこうしたソーシャルな取り組みに大変ご理解のあるところでした。


「こんなイベントなんですけど…」


と言うと、「いいですよ」。二つ返事でOK。


 以後、よのなかカフェはアロアロさんに居ついています。

 三宮の北側、加納町交差点の北西角に面した、木目調の内装の落ち着いたカフェ。


 豪華ゲストをお呼びしてお店を貸切にし、大盛況だったときもあれば、参加者4,5人で「まったり」カフェになるときもあります。


 山あり谷ありですが、アロアロさんに温かく見守っていただいているお蔭で何とか30回目に到達しました。

 いつも、本当にありがとうございます。



 
 そして、第30回のテーマは


「まるわかりユーロ危機! ―今年こそ知りたい金融の話―」

 http://c-c-a.jp/cafe/


元銀行支店長で関西国際大学准教授・松本茂樹氏(経営学)をゲストにお招きし、激動真っ最中のEU情勢について解説。また各国はじめ日本の「ソブリンリスク」、日本経済の行方についても解説していただき、そのあと参加者同士の討論に入りたいと思います。


 先日松本氏と行った打ち合わせのもようをこちらにご紹介しています。


 http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51779598.html



 本日の読売新聞朝刊に「伊、遅すぎた財政再建」という現地レポートが載っていました。こうした話題も今、少し身近になりつつありますね。



 また、まったく余談ですが、松本氏は以前、銀行支店長時代に、当協会方式のコーチング講座(注:当時は個人事務所-任意団体)を受講され、

「1年目に地方支店のトップ支店」

「2年目に目標達成率150%」

という、とんでもない成果を上げた方でもあります。

 「トップ支店の次の年に目標達成率150%」

 …営業経験のある方だと、これがいかに凄い数字か、おわかりになるでしょうか。


 何度かそのプロセスを松本さんに公開の成果事例発表の場でお話いただきましたが、この事例が過去のものになるにしたがって、細かいプロセスのエピソードを新たに公開され、「ほう、そうだったんですか」となるのでした。

 これは、実在の組織で実在の登場人物がいる性格上そうならざるを得ないのかもしれません。


 2010年春に松本氏に事例発表していただいたときには、私は


「この2年間の銀行支店長としての松本さんは、マネージャーとして最高峰の仕事をされたのかもしれませんね」

と、言ったのでした。


 でもそれはあくまで余談です。今回は本業だった金融のお話です。


 皆様、年明け5日(木)の夜。
 
 是非、いらしてください。お待ちしています。

 詳細とお申し込みは ⇒ http://c-c-a.jp/cafe/



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★帝国データバンク発行 帝国ニュース兵庫県版に連載中の人気コラム「企業内コーチ育成のすすめ」を更新しました。

 「『期待の言葉』はなぜ人を動かすのか―今年の承認大賞事例より(2)」

 http://blog.livedoor.jp/officesherpa-column/archives/1314405.html


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★前々号のメールニュースで「今年も売上対前年比120%を叩きだしたマネージャーさん」について触れたところ、何人かの読者の方から「詳しいことを知りたい」というお問い合わせをいただきました。

 この営業マネージャー、永井博之さんも今年4月、当協会で成果事例発表をしてくださっています。

 こちらの記事をご覧ください。

 「名セリフ続々 承認型コーチングは”ベタ”なやり方―『情熱のマネージャー、営業所を変える』勉強会開催しました!」

 http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51726685.html




※このメールは、NPO法人企業内コーチ育成協会のスタッフ及び
代表理事・正田が、過去にお名刺を交換させていただいた方・
当協会のイベントやセミナーにご来場いただいた方に
お送りしています。

今後ご不要の方は、
空メールをご返信いただくか、こちらのページ

http://www.webcordial.com/bn/tk.html

より解除していただければ、
購読リストから外し、次回から送信されないようにいたします。


ここまで読んでいただき、ありがとうございました!


今週が皆様にとって素晴らしい週でありますよう。

素敵なクリスマスをお迎えください。



*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*
神戸のコーチング講座
特定非営利活動法人企業内コーチ育成協会
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代表理事 正田 佐与
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に好評連載中
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 次回よのなかカフェのゲスト・松本茂樹さん(関西国際大学准教授・・・長いこと松本さんとお呼びしてきたので「松本准教授」というのがなかなか口をついて出ない)と打ち合わせ。


「EUはドイツとフランスが問題ですよね。フランスの大統領ってものすごい権限があるんですよ。ご存知ですか。そこにサルコジという、ああいう個性の人が座っていることが問題だと思うんですけれど」


と松本さん。


 以下、発言を切れ切れにご紹介します。

(なんで全部ご紹介しないのかというと、当日のお楽しみが薄れる、ということのほかに、確かにこれは怖すぎて新聞も書けないわけだ、と思うのもあり。
新聞が書くことを手控えるということの気持ちがちょっとわかりました。)


「ドイツという横綱が十両クラスと一緒のリーグにいて戦っているというのがEU。そこで幕下クラスがこてんぱんにやられ、ボロボロ脱落しそうになっている現状。

強者と弱者をきちんと分けるか、強者が腹をくくって弱者を助けるか、ですね。年末年始にもドイツの決断があるかもしれません」


「われわれにとってEUは『ひとごと』なんです。自分に降りかかって初めてわかる。でも今回のはもうひとごとじゃない」


「日本では隠れ不良債権と言う名の汚染水が金融機関にたまっている。それをもう処理させてくれと、年明け早々にも大手銀行が言い出す可能性がある。すると債務者の中小企業が全部討死しちゃう。本来それはリーマン・ショックの時に倒産しても仕方がなかったものを今まで先延ばししていたものですが」


「今年想定されることはいっぱいあります。まずは投資信託の海外国債の商品を個人投資家に勧めてきたので、個人金融資産がどーんと目減りするでしょう」


 そして最悪の事態は・・・、

 怖くて書けない、でも想定しておいたほうが間違いなくよいでしょう。



 その松本さん登場の「よのなかカフェ」、進行方法は参加者の顔ぶれをみて調整することになりそうです。

 開催は来年1月5日(木)19:00〜20:30、三宮のカフェ「アロアロ」にて。

 お申し込みは、http://c-c-a.jp/cafe/



神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

 

(追記)

打ち合わせの中でも余談の部分です。

私:「目下の問題解決をどうするか、という話のときに、上の世代の人と話すと限界を感じるんです。『右』か『左』か、という二分法がすごく強く頭にあるみたいで、すぐお前あっちか、という目になって」

松本さん:「その世代の人は『右』『左』をファッションで選んできたんですよ、よく考えもせず。そして今でもその二分法が残ってるんです」

私:「右左と、あと『ヒューマニズム』か『アンチヒューマニズム』か、というのもある気がします。アンチヒューマニズムっていうのも定義しにくいんですけど、とにかく人道的なものはカッコ悪い、非情なほうがかしこい、スマートだっていう価値観。ある世代には強いように感じます」

松本さん:「その二分法を抜け出さないと問題解決にはならないでしょうね」


・・・

「アンチヒューマニズム」っていうとそれの定義は何?っていう話になりそうなので、それよりは「非情自慢」とか「非情依存」ぐらいに言うといいのかもしれないです。

ある世代の人、主に男性が、一生懸命目をそらして生きてきたもの。職場のメンタルヘルスの問題など、既存組織や社会の機能不全が出ているときでも、「『人道的』な解決方法」からは逃げて、逃げて、「鬱になった人のカウンセリング」とか「退職した人の穴埋めの採用」という「破れ穴につぎ、臭いものにフタ」的な解決方法で事足れりとしてしまう。

その人たちは「人道的こわい」なのだ・・・。なぜならこれまでも逃げてきたから、今更人道的なやり方など考えたら、自分が過去に足蹴にしてきた亡霊たちがぜんぶ出てきてしまう。


女性差別などもそうで、今更引き返せない後ろめたさを抱えている男性はいっぱいいる。過去に自分が足蹴にしてきたお母さんや奥さん、お姉さんや妹さん、そして職場の女性たちの亡霊が全部出てきてしまう。ざんげする勇気などない。





過去の総決算というか、

やっぱりとことん「自分たちはダメだ」と追い詰められる必要があるのかもしれない。


 ギリシャはあすにも破綻する。英国をはじめ欧州各国で大規模デモ。連日報道されているけれど、今ひとつピンと来ない欧州情勢。世界の金融は今、どういうことになっているの?そして日本には、わたしたち庶民にはどう影響するの?そして考えられるシナリオとは。

 2012年を占うよのなかカフェは、年明け5日!ゲストに関西国際大学准教授・松本茂樹氏(経営学・写真)をお招きし、揺れ動くEU、そして世界金融の現在について解説していただきます。「通」の方にも素人のあなたにも、きっと腑に落ちるお値打ちワンコインの「金融カフェ」。どなたでもご参加お待ちしています!


松本茂樹氏



【日時】2012年1月5日(木)19:00〜20:30

【会場】三宮のカフェレストラン「アロアロ」  http://aloaro.net     
神戸市中央区加納町3−13−3 松本ビル1F  電話 & FAX : 078-230-7388  
     JR・阪神・阪急・地下鉄三宮駅よりフラワーロードを山側へ徒歩7分。
     加納町交差点の北西角、キムチラーメン「麺蔵」隣


【参加費】500円 (別途ドリンク代)

【対象】すべての社会人、学生、主婦の方。お子様も歓迎です。(注:中学生以下は保護者の方同伴のこと)

【ファシリテーター】
正田 佐与(NPO法人企業内コーチ育成協会代表理事)

【主催】NPO法人企業内コーチ育成協会

【お申込み方法】
TEL 078-857-7055 または下記のお申込みページより、
・お名前・ご職業・e-mailアドレス を添えてお申込みください。締め切りは1月4日(水)です

お申込みページ: http://c-c-a.jp/cafe/

皆様のご来場をお待ちしております!


神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

お世話になっている皆様





おはようございます。NPO法人企業内コーチ育成協会の正田です。

 
もう年末。皆様も今年を振り返ったりされることでしょう。


 先日の清水寺の「今年の漢字」は、「絆」。


 震災そのものを表す「災」などの字より、苦しみ、痛みの中から生まれた人と人のつながりを表す字が、今年のシンボルとなりました。



 さて、わたくし個人は今年の初め、いくつか誓ったことがあり、「代表メッセージ」という形で公表させていただきました。

 http://c-c-a.jp/profile/daihyou.html



 この中で、


「リーダー育成の手法としての承認型コーチングを一層地域に普及させる」


という目標については、地域の公的機関様での研修採用が新たに一か所、そして新聞報道が1回など、ゆっくりゆっくりではありますが、いくらかご理解が広がった気配はあります。


 
 善いものが決してスピーディーには広がらない、それが現代です。

 最近もTVを観ていましたら、ある有効な治療法が誕生してから普及するのに30年かかったというお話があり、ではそのうちの最初の10年をやっと消化したところなのだ、と自分に言い聞かせます。


 今からの20年の歩みがこれまでより少しは順調であるように、と願うばかりです。



 一方で震災に加え世界経済情勢、世界各国の災害など、リーダーたちの一層の踏ん張りが求められる事態が重なり、加えて管理職層の年収減のため、管理職個人が自力で良い教育研修を受けることがほぼ不可能という時代になりました。



 そのため個別の企業の人材育成担当者様にお願いに上がることが重なっています。


 是非、「現場」の目、「管理職」の実感をその方々も備え、ともに考えてくださることを願います。


 また、経営者様方にもお願いです。


 人件費を削減している分、せめて良い教育を会社の経費で受けさせてあげてください。


 でなければ、長い目でみてわが国の競争力が低下するばかりです。歴史の変わり目を、一番賢いやり方で乗り切りましょう。



 
 さて、本日の話題は:



■「三日坊主派」に朗報。ご存知ですか?年始の目標を立てるコツ。


■読書案内 ユーロ危機、リーダーシップ、判断エラー


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■「三日坊主派」に朗報。ご存知ですか?年始の目標を立てるコツ。



 少し気が早いですが、新年の話題。


 年頭には、「今年の目標」を立てる方も多いでしょう。


「目標」に関しては、


 「目標は必ず達成している」

 「いや〜、必ず三日坊主になってるなあ」


 恐らく色々な体験をした方がいらっしゃることでしょう。

 その方の持って生まれたご性格によって、「目標」というものの相性の良し悪しは変わります。

 決して、偉い経営者さんと同じようにだれでも振る舞えるわけではありません。



 ところで、「これまで必ず三日坊主になってきた」という方に朗報。
 年始の「今年の目標」については、コツがあるのだそうです。


『自分から自由になれるゼロ思考』(佐田広幸著、総合法令出版)

http://www.amazon.co.jp/dp/4862801927/


 この本では、「佐田式アファーメーション」として、

 「…する」という形の誓いの言葉ではなく、

 「…したらいいなあ」「…だったらいいなあ」

 という、やや無責任な「願望の言葉」を使うことを勧めています。


 
 「…する」という行動を言う誓いの言葉は、三日坊主になりやすい。その結果挫折感が生まれて精神状態がわるくなったり、目標を立てるということ自体に悪いイメージがついてしまう。


 願望の言葉は、無責任なぶん、続けることができ、よい結果につながりやすい。


 というものです。


 これはあくまで「個人の年始の目標」に関するものです。

 だまされたつもりで、来年の「今年の目標」。皆様いかがでしょうか…。
 



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■読書案内 ユーロ危機、リーダーシップ、判断エラー



 さて、来年1月によのなかカフェでも取り上げる「ユーロ危機」。


 読みやすい解説本をご紹介します:


 
『ソブリンリスクの正体』(浜矩子著、フォレスト2545新書)

http://www.amazon.co.jp/dp/4894518481/


 わが国が「キリギリス財政」に陥った背景、ユーロ危機に関わる関係諸国の思惑など、この人独自の切り口で

解説してくれます。

 「ユーロ崩壊」を予言した気鋭の経済学者。関係者の思考・感情の流れを追い見えてくる未来を描く、この思考法に触れてみてください。


 「怖いものを見たくない」恐怖症、とわたしたちの心理をも喝破する。ホラー映画なら見にいけるのにね。

 ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ勇気を出して、まずは解説本を読んでみましょう。



『成熟ニッポン、もう経済成長はいらない』(橘木俊詔、浜矩子著、朝日新書)

http://www.amazon.co.jp/dp/4022734191/


「経済成長不要論」「日本はヨーロッパ型を目指せの論」などは、これまでも繰り返し出てきたこと。実はもう不可避の段階に来ているのに、なぜか新しく出てきた論のように繰り返し議論せざるを得ないし、いまだに現実感が湧かないのが不思議なところ。

 この本は対談形式でずーっと口語体で書いてあり、大変読みやすいです。



 
『リーダーシップ〜胆力と大局観〜』(山内昌之著、新潮新書)

http://www.amazon.co.jp/dp/4106104415/

「今年のリーダーシップ論」、毎年新たな切り口のリーダーシップ論が生まれる。「リーダー待望論」は商品になるけれど「リーダー育成」は興味がない…という堂々めぐりももう終わりにしたいものです。「次」の段階の話をしましょう。




 最後に、経営・マネジメントと一見関係なさそうな本をご紹介します:


『医者は現場でどう考えるのか』

http://www.amazon.co.jp/dp/4883442004/


 誤診は、何から生まれるか。実は技術的エラーではない、医師の認識エラーから生まれるのだ。そして認識エラーは医師の内面の「感情」から生まれるのだ。

 実は、ここに描かれる「医師の思考法」は、私のみたところ良くも悪くも「マネージャーの思考法」と大いに相通じるように思います。それは本来、ビジネススクールで教わる「ロジカルシンキング」や「ケーススタディー」の思考法とはまったく「別物」なのです。

 
 

上記の本について、「正田流」の少し詳しい書評はこちらに掲載しています:

「ソブリンリスク、成熟ニッポン、リーダーシップ」

http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51778943.html


「判断をゆがめるものとの闘い―『医者は現場でどう考えるか』」

http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51778972.html




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★先月末、実現した一橋大・野中郁次郎名誉教授とのお話の中で、

「承認」と、野中氏の提唱する「フロネシス(賢慮)」との関係性について触れました。

 野中氏曰く「ああ、それは通じるでしょうね」。

 具体的には、フロネシスのうちの「説得術」との関連をそのときは言われたのでした。
 正しい目的を掲げ、そのために周囲を巻き込む。周囲の文脈を取り込みながら、自分の文脈に組み入れていく。

 簡単に野中氏の提唱する「フロネシス」の全体像をご紹介すると、

「賢慮型リーダーシップ6つの能力」

卓越した「善い」目的をつくる能力
他者と文脈/コンテクストを共有して場を醸成
する能力
個別の本質を洞察する能力
個別具体と普遍を往還/相互変換する能力
その都度の状況のなかで、矛盾を止揚しつつ
実現する能力
賢慮を育成する能力



★11日に予定していた「英語カフェ」は残念ながら中止になりました。
 お申込みくださっていた皆様、多忙な中予定してくださっていた桂三輝氏、会場をご準備してくださっていたアロアロさん、その他関係者の皆様、大変申し訳ありませんでした。



※このメールは、NPO法人企業内コーチ育成協会のスタッフ及び
代表理事・正田が、過去にお名刺を交換させていただいた方・
当協会のイベントやセミナーにご来場いただいた方に
お送りしています。

今後ご不要の方は、
空メールをご返信いただくか、こちらのページ

http://www.webcordial.com/bn/tk.html

より解除していただければ、
購読リストから外し、次回から送信されないようにいたします。


ここまで読んでいただき、ありがとうございました!


師走の風の中、皆様くれぐれもご自愛ください。



*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*
神戸のコーチング講座
特定非営利活動法人企業内コーチ育成協会
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代表理事 正田 佐与
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ブログ「コーチ・正田の 愛するこの世界」
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「企業内コーチ育成のすすめ」
(株)帝国データバンク社『帝国ニュース兵庫県版』
に好評連載中
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*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*



引き続き、「感情」について考えさせられる書物。


『医者は現場でどう考えるか』(ジェローム・グループマン、石風社、2011年10月)


 この本では、医師の意思決定に「感情」がどれほど影響を与えるかを説いています。



 ヒューリスティクスという思考法があります。「近道の思考法」。これまであまりいい意味で使われているように見えません。先入観のバイアスが入りやすい。精度が低い思考法。


 しかし医療現場では、


 現場(ベッドサイド)の医師は、膨大な量のデータを集めてから、ありうる診断について悠長に仮説を立てるようなことはしない。医師は逆に、患者に会った瞬間から診断のことを考え始める。「こんにちは」と言いながら相手を観察し、顔色が青白いか赤いか、首の傾き、目や口の動き、座り方や立ち方、声の響き、呼吸の深さなどを頭に入れていく。次に、患者の目の中を覗き込み、心音を聴き、肝臓を押し、最初のX線写真を調べるうちに、患者のどこが悪いという最初の印象をさらに発展させる。研究によると、ほとんどの医師は、患者と会った時点で即座に二、三の診断の可能性を思いつき、中には四つや五つの診断を頭の中で巧みに操る器用な者もいる。それらすべての極めて不完全な情報に基づいて仮説を展開させるのだ。そのためには近道をせざるを得ない。



 医療の現場では、ヒューリスティクスは必要悪といいますか、実際的な思考法のようなのです。


 「重要なことは、最善の感情バランスを保ちながら、正しい近道を使うことである。医師は、どのヒューリスティクスを使っているかを認識すると同時に、自分の内面の感情がそれにどう影響するかを認識する必要がある」。(太字正田)



 おやおや、とふと目を上げて思います。


「経営」あるいは「マネジメント」について、こういう言い方にお目にかかったことがあったかな。

 実はこれはかねて私が「マネージャーの思考法」について考えていることと一緒で。


 ビジネススクール目の敵にしているようで申し訳ありませんが、ビジネススクール的なあるいはインバスケット思考的な、情報のそろった「ケース」を、現場のマネージャーが扱えるわけではありません。

 ほとんどの場合彼・彼女は、情報がごく少ない段階で動きだし、仮説を立てながら次の情報を集め、情報が不完全なうちに決断をしなければなりません。


 こういう「マネジメント」の世界についての連想を何とか封じ込めて読み進めると、


 医学教育においても、意思決定に関する研究においても、医師の内面の感情がないがしろにされる傾向がある。「医学的意思決定は客観的かつ理性的なプロセスであり、感情の入り込む隙がない、とほとんどの人が思い込んでいる」とパット・クロスケリー医師が私に言った。しかし現実はその逆である。医師の内面の状態および緊張の度合いが臨床判断と行動に入り込み、強い影響を及ぼすのだ。




 そしてヤークス・ドッドソンの法則という、精神運動能力を測るために心理学者が開発した作業達成能力の法則があります。

 ストレスと不安が最適レベルにあるとき、知力は焦点を正確に合わせ、速やかな反応を引き起こすといいます。

(これは、ストレスがゼロならいいのではありません。ゼロとは、むしろ過度のリラックスの状態です。適正レベルに高いほうが、いい仕事ができる、ということです)




 本題に戻すと、例えば精神疾患の患者に対して医師は否定的な感情を持ちがちで、

心の病だから身体的な症状を真剣に捉える必要はないと医師は考えがちである。心理的障害があるとされている患者は、内科、外科、婦人科などから不親切な扱いを受けるという事実を示す膨大な研究資料が存在する。その結果、身体的な疾病の診断がなされない、あるいは先延ばしされる。医師の否定的な感情が思考を曇らせるのである。

(中略)


 私は医学における間違いはあらかた技術的なものだと長い間信じていた。・・・しかし、今も増え続けている研究結果が示すように、すべての誤診や医療ミスの中で、技術的エラーによるものはほんの僅かである。ほとんどのエラーは認識の誤りによるものだ。しかも、認識エラーの原因の一部は内面の感情によるものだが、その感情の問題を我々は認めようとしない、あるいは気づきもしないのである。(太字正田)



 このあとに出てくる事例では「属性エラー」という典型的なバイアスを乗り越えた医師が登場します。

 ある更年期の女性は自分の更年期をジョークの種にしながら、自分の症状を訴えました。

「そう、更年期の女性がホットフラッシュ(ほてり)を感じるのはわかっている。でも、私の場合は何か別のものだと、更年期以上の何かだと思うの」

 医師は、この女性を型にはめるのはやめよう、たった一分でもいいから患者が大事なこと、有意義なことを語っていると思うことにしよう、と自分に言い聞かせます。そして患者を徹底的に調べたところ、尿検査の結果カテコラミンの数値が異常に高く、CTスキャンで左の腎臓の上に褐色細胞腫がみつかったのでした。

 手術し腫瘍を切除すると、カテコラミンの引き起こす血圧の上下やほてり、偏頭痛のような頭痛、それに不安、絶望、攻撃性などの症状がなくなり、更年期の普通のレベルになったそうです。


 このように患者が医師のもちがちな属性エラーを知っていて、自分が一般に知られているステレオタイプに当てはまることを知っていることを伝えることで、医師が感情にとらわれて判断を誤ることを回避することができます。


 さて、こうした認識エラーの問題は、やはり経営の世界ではあまり論じられていないように思います。正田は女性なので、ビジネス界の多くの人が相手が女性だというだけでいかに多くの判断ミスを犯すかというのをみてきているつもりです。これは女性に生まれたささやかな役得です。


 判断に感情が入ることをどうしたら避けられるか。
 「思考と感情を分けなさい」と、言うだけではそれをできるようにはなりません。

 多くの男性は女性に比べて感情機能の発達がゆっくりで、それは感情がないということではなく、感情認識をするのが下手なのです。

 そこで、まずは感情認識のやり方を学んでもらわなければなりません。


 しかしそのプロセスでは、学びの目的を十分に伝えなければなりません。

「感情認識を学ぶのはあなたに、自分の感情を振り回し感情に振り回される感情的な人になってほしいからではない。最終目標として、感情認識をしたあと感情を制御できるようになってほしい。それで思考に感情が混じるのを避け、論理的に思考できるようになってほしい」


 こうした目的が、男性の場合ちゃんと憶えていられるかどうかはあやぶまれるところです。

 





神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp


(追記)

ある企業のマネージャーが私をその企業の他の人達に紹介するとき、「彼女は実績があるんです」という言葉を使ってくれたそうだ。
有難いことだなあ、と思う。
48歳にもなって童顔の女性について「実績がある」という言葉を使うとき、彼はどれほどのリスクをとってくれたことだろう。

逆に、私が心底がっかりする種類の褒め言葉があって、それは「彼女は一生懸命だ」というものである。

なぜ、その言葉にがっかりするか。「一生懸命」という言葉から連想するのは、力量はアマチュアレベル、独りよがりに頑張る、人間的には可愛らしいけれど仕事としては評価できない人だ。私がそういう人だったら、人生経験豊かな、そして他にも沢山の教育研修をみてきているラインマネージャーたちが私の教えることに従おうとするだろうか?

「一生懸命」という言葉を使う人達は、「仕事」を認めたくないのだ。人間的な可愛らしさ、「愛い奴だ」という部分だけを取り出して評価したいのだ。

それは女性の私の場合、仕事に対する過小評価につながる。

私は可愛げで認められたいわけではない。

「あなたの仕事は当社に本当に必要なものだ。冷静な経営判断としてあなたを採用したい」

と、認められたいのだ。それはわがままなことだろうか。


浜矩子さんという女性学者に最近凝っています。


「2010年3月『ユーロが世界経済を消滅させる日』で予測的中!」

と、手元のフォレスト出版『ソブリンリスクの正体』(2011年11月25日)のオビにあります。


占い師とかじゃありません。同志社大学大学院ビジネス研究科教授。


この本(『ソブリンリスクの正体』)は、「主権国家が財政の主権を失う危険度」をソブリンリスクと呼び、世界中ですぐそこに迫っていると警告します。


この人の筆致は、的確に事実関係を抑えながらすすむのですが合間合間に登場人物(経済の話なので、当該国が主語だったり、その国の金融当局者や首脳が主語です)の「気持ち」の言葉が入ります。


例えば―

 経済に関心を寄せる日本人の多くは、ソブリンリスクがすでに特定の国に限定された問題ではなくなっていることを次第に強く実感されていることと思います。ヨーロッパで財政恐慌が本格化すれば、その影響が金融・債権・為替・市場の中で増幅されつつ、日本経済の波打ち際にも大波となって押し寄せてくることは必定です。

 ところが、私たちは、どこかでもう一息危機意識を欠いているように思います。あるいは危機意識を持つことを避けようとしているといったほうがいいかもしれません。「恐いもの見たさ」ならぬ「恐いもの拒絶症」ですね。実際に。



 と、いうふうに。


「恐いもの見たさ」ならぬ「恐いもの拒絶症」という言葉には、そうそう、と膝をうちたくなります。


 「今そこにある危機」について、まともに見ようとせず、一生懸命ほかのものに目をそらしている、それが現状。


 よのなかカフェ主宰者が日々ひしひし実感するところであります。



・・・このような苦い体験もありますから、消費増税論議は盛り上がりながらも、いざとなれば後景に退いていきます。菅前首相や野田現首相が大連立にこだわるのも、みんなでやれば怖くないという発想があるからでしょう。
 うんうん。

 実は、新聞ほかメディアが消費税論議をするとき、こうした「いざとなれば後景に退いていきます」といった表現が出てこないので不思議でした。なぜ、「やる」「やらない」の二元論で語るのだろう。現実はそのようには動かないのに。この論議はまるでゲーム理論のようにメディアで報じられるのとは逆に振れる、生き物のように。


 ギリシャのあの有様をここまで見せつけられても、自国のソブリンリスクに関する日本の政治家たちの感性はどうもいっこうにとぎすまされてきません。ソブリンリスクに鈍感であればあるほど、ソブリン・ショック到来の危険性は高まっていきます。感受性鋭き公的債務管理政策が急務です。




 どう思います?「ぜんぶ感情論じゃん」って言わないでください。私、この感情論、ものすごく正しいと思う。


 行動経済学が「人は感情で動く!」てなことを言って功利的一本やりの「経済人」というモデルが正しくないことを言い出したのはまだここ数年来のことですが、


 恐らくこの浜氏にとってはそんなこと自明の理で、

「やりゃあいいのに、やらん」

 合理的に動かない人の性(さが)を死ぬほど観察してきたのでしょう。


 だから徹底して感情の言葉で語る。そしてむちゃくちゃ正しく響く。



 
・・・この案(EFSF拡充案)の取りまとめに奔走した独仏は、人騒がせなやつらだとさぞかし不快感を募らせたに違いありません。統合欧州の舵とり役をもって任ずる大国たちにとっては、こうした獅子身中の虫たちの反乱がとてつもなく苛立たしいのです。

 しかも、スロバキアはユーロ圏のとても新入りのメンバーです。2009年に加盟したばかりです。小振りの新参者め、しゃらくさい。古参の大物たちはそう思ったに違いありません。


(中略)
 
 スロバキアは、2009年のユーロ圏入りを果たすために身を削る努力を重ねました。ユーロ圏の既存メンバーたちが、次々と突き付ける加盟条件を必死で満たしてみせました。・・・

 一連のハードルを、懸命になってクリアして来た。そのスロバキアが、身から出た錆で窮地に陥った国々の救済のために、なぜ、その身を削らなければならないのか。「それはないだろう」。それがスロバキアの思いでしょう。



 ね、楽しいでしょ。こういう表現。

 実は、戦略論や戦略思考というものが、囲碁将棋の盤の上で、いわば二次元で語られることに正田は違和感があって、

 囲碁・将棋を戦略思考のトレーニングとして推奨するビジネススクールもありますけれども、それはあくまでひとつの素養であって、

 現実の戦略というものは出会う人、登場する人の「文脈(コンテクスト)」の理解なしには語れない。

 相手のコンテクストを100%呑み込むか、あるいは考慮しつつ先方の譲歩を引き出すために使うかは別として。

 そして、コンテクストとは、恐らく相手の「感情」であったり「承認欲求」であります。だからこれらのお勉強をすることは、立派な戦略の勉強になるのです。


 平面的な囲碁・将棋の駒が、チェスの駒のように立体の厚み、文脈をもって立ち上がってくる。その景色が、恐らく浜氏には手にとるように見え、それらの織り成す未来像もまたかなりの確率で予測できるというわけなのです。


 しばらくこの人から目が離せなさそう。

 またしかしこの人の言うとおり、私たちは「恐いものをあえて見る」勇気をもたないといけません。


 
 浜氏と、同じ同志社大学教授の橘木俊詔氏の対談

『成熟ニッポン、もう経済成長はいらない〜それでも豊かになれる新しい生き方〜』(朝日新書、2011年10月30日)


も、面白かったです。


 男性女性間の対談だったら、普通男性が一方的にだーっとしゃべる。女性は聞き役に回る。

 それが普通、というか私はそういうのしか経験がないけれど、この本では橘木氏と浜氏のしゃべってる行数がほぼ5:5だ。

 
 まずはそこが新鮮です。そこかよ。


 「日本はアメリカ型かヨーロッパ型か決めないといけない。私はヨーロッパ型がいいと思う」(橘木氏)

 などは、今はめずらしくない議論。あと、道州制など、住民サービスを徹底的に地域に下ろしてしまう提案。サービス主体を北欧諸国のようなサイズにしてしまおうという発想ですね。

 
 「日本はもう事実上破綻しているに等しい。ヨーロッパの破綻している国と実質同じ。だれかが国債をわーっと売り出したらもう歯止めがきかなくなる」(浜氏)


 わ〜、怖いようホラーだよう。


「日本女性は最高の貿易財。非貿易財の特徴は移動性が低い、適応力が弱い、もろい、壊れやすい。これは日本男性に当てはまる。逆に日本の女性は虐げられてきたから強くなった。すごくフットワークが軽くて適応力抜群、そしてタフです」(浜氏)


 ははは。うん、日本の男性が弱くなった、そして弱い自分より無理やり女性を弱い立場に置きたがる、それで男性女性どちらも共倒れになりかけ、ひずみが出まくっているのが今の日本ではないかと思う。


 男性は「自分は弱い」と素直に認めればいいのに。これもテストステロンが認めさせないのかな。


 これも日本の未来設計図を言ってる、それもほぼ他に選択肢がないところまで来ていることを言っているので、ぜひご一読ください。口語体でとても読みやすい本です。


 
 あとは『リーダーシップ〜胆力と大局観〜』(山内昌之著、新潮新書、2011年10月21日)。年に一冊ぐらい、違う著者から新しい観点のリーダーシップ論が出る気がします。


 私のすきな吉田松陰が載っていたので嬉しかったです。



神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
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嬉しい、美しいエピソードの後に、思い切り嫌〜なことを書く。


かねてから、「『悪』とはなにか」について考えている。


それもコーチングの定石として使っている「ストレングス・ファインダー」との組み合わせで考えている。
あとこのブログによく出てくる「テストステロン」との組み合わせで。


きょう書くのはまだ全然立証はされていないこと、あくまで「仮説」であることをお断りして・・・、

頭の中に断片的につくられている思考の道筋を洗い出すために書いておきたい。



たとえばギャングスター、マフィア、ヤクザ、黒社会みたいな「組織的悪」、そして「確信犯的悪」は、まだちょっと難しいので置いておく。


それと「精神病質的悪」、病的なウソつきで天性の詐欺師、人を痛めつけて何ら痛痒を感じないという人たちも、恐らく脳の器質的問題なのだろうが、ここでははぶく。(でも最近対人口比で増えてきていないだろうか?という気がする)


そういうのではない、人生の大半をまっとうに生きてきた人が「悪」に陥るとき―、

うっかり賄賂を受け取ってしまう地方公務員、
もうちょっといかがわしい風俗の店に集団で行き、くだをまく国家公務員、
妻を殴ったり罵る夫、
他人の足を引っ張ったり重要な情報を隠す営業マン、

いや悪いことをするのは男だけじゃないと思います、もちろん。

昔から「トウシューズに画鋲」っていうのが女の世界にもあるわけで。
先日の女性リーダーセミナーで、いみじくもある識者が
「今からは日本の働く女性にも女性間の競争が起きるでしょう」
という意味のことを言っていました。

ただ今のところ対人口比率で男の方が多い気はします。

これは権力を持つ確率が男性の方が高いから、

「まっとう」だった人が悪いことをする人に変質する、という
現象が起きやすいかもしれません。

一応、犯罪を犯す率も人口比で女性より男性が高いのであります。



「悪」に関連しやすいのは・・・、


たとえば「嫉妬」「やっかみ」は、「悪」の動機づけになりやすいものです。
「嫉妬」によって人がどれほど悪いことをなすことか。
他人から何かを奪ったり、平気で拝借したり、
無視したり、不作為をしたり、
不正な情報を流したり、ということをします。

ところで「嫉妬」「やっかみ」は「承認欲求」の強さと関連します。
実は「承認欲求」と「嫉妬」「やっかみ」には、
脳の同じ部位がかかわっているそうで、
ドーパミンを産生するところですとか、
側坐核でしたか。
つまり、自分の個体が「承認」を受けたいという欲求の
裏返しが「嫉妬」「やっかみ」。

で「承認欲求」に強くかかわっている「強み」というのは・・・、
詳細ははぶく。

だれでも、ある程度はあるものです。ただその強弱がある。
また、
人によっては、その強みがある特定の場面で強くはね上がる場合があるのだそうです。

たとえばの話、他人が承認を受けている。
それまでは気に留めていなかったのに、
「自分が(も)あの立場に立ちたい」
と、いう欲求がぐんと膨らむ。
すると今、承認を受けている他人がいきなり憎らしくなり、
何とか彼・彼女を引きずり下ろしたくなる。

引きずり下ろすそのためには、
傍の者が「まさか」と思うようなことを割合平気でしてしまう。


これは「悪」の一例にすぎません。
ただ、案外日常的に遭遇する「悪」です。


「承認欲求」がからんだ「悪」というものは、
これとはまったく別のパターンのものもいくつかあって、

例えば

「やるやる詐欺(できもしない約束をして大言壮語してほめられたい、実際にはできない)」
「話を聴いてもらいたい病、それで他人の時間を浪費する病」
「引き延ばし、せかされたい病」


・・・私個人は最近それらによく遭遇して非常に困っています。
「承認屋」だからそれを許容せよ、と言われると困ります。
これらは社会人として当たり前の約束事を守らないという「悪」なのです。

また上記のような「承認欲求」からくる「約束」と「行動」にまつわる「悪」を戒めるため、
当協会理念の「行動規範」には、わざわざ

「約束を守り、行動する勇気を重んじます」といった文言を載せています。

さんざんそれで痛い思いをしている、ということであります。


このほかここに書くと色々と差しさわりがあるので書けませんが、

「承認欲求由来の悪」にはまだ色々バリエーションがあり、

「承認」を標榜している業者としては、やはり神経をとがらせる必要があるでしょう。




ただ、
「寝た子を起こさない」
より
「起こす」ほうがいい。

それらは、意識していないよりは意識したほうが抑制できるから。


そうして、
「承認」「承認欲求」という概念のパッケージを使っているからこそ、
それのなす「悪」についても説明ができる。

「コーチング」という概念のパッケージでなければ説明し得ない現象があるように、

どういった概念のパッケージを選ぶかについて、慎重でなければならない。



また余談で、「承認欲求」のとりわけ強い世代、というのもあるようで、
その世代の人が「承認欲求」を満たす場に、よのなかカフェが堕してしまうことは避けなければならなかった。




ほかにも、「悪」に関連しそうな強みがどれか、というのは
ある程度念頭にはありますが、

どの強みが絶対に関連しないということはなく、
どの強みも場面によっては関連する。

ただ、より日常性の高い「悪」に関連しやすい強みというのは
やはりあるように思います。

比較的関連する可能性の低い強みは、
文脈によって、関連することもある。
文脈依存の度合いが高いといえます。


なんだか奥歯にものの挟まったような表現ですが、
特定するとちょっと怖い気がします。


出しやすいところでいうと、

例えば私は「親密性」「責任感」といった、
義理人情系の強みを複数もっていますが、
これらが、例えば愛する人を殺された、愛する人の利益が損なわれた、
という場面では「暴発」する可能性は大いにあります。


なんだか自分を美化するようなことを言ってるなー。


まだ頭の中でぐるぐる回っているいろんなことを書ききれていないけれど、
無理やり要約すると、

「出来心系の悪」というものは、
恐らく、
その人の強みを組み合わせたときに存在する
「思考の癖のもたらす盲点」が重なり合った「思考の穴」のようなところに、
現実がすぽっとはまったときに起きやすくなります。

いわば、ソフトウェアの「セキュリティホール」のようなものです。

だから、「思考の癖」というものは、
知っておいたほうがいい。

結論としては、そういうことであります。



もうちょっというと、
私は以前、ビジネススクールで「ロジカルシンキング」系の講座を受けていましたが、
周囲の受講生さんをみて感じたこと。

「結局、自分の感情がわからない人は、論理的にものを考えられないな」

ということ。

藤原正彦氏が『国家の品格』で言われた、
「論理は出発点が誤っていればどんなに論理的にきれいでも正しくない」
というのと通じるかもしれません。

だから、思考法の教育というのは、
思考法単体でやっている限り、限界があるのであります。



神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

お世話になっている皆様





おはようございます。NPO法人企業内コーチ育成協会の正田です。

 

 ご報告です!


 本日、神戸新聞第8面「地域経済面」の、「この人に聞く」の覧に、正田のインタビュー記事を掲載していただきました。


 「管理職『コーチング』の狙いは」「『承認』を実践 組織を活性化」と題して、こうした研修を行う意義について紹介していただいています。


 ありがとうございます!


 兵庫県内の読者の皆様、お忙しいことと存じますが、お昼休みにでもお時間がありましたらお手にとってご覧ください。




 「コーチング」をわたくしが仕事にしたのは10年前、地元神戸ではほとんど「はしり」の頃でした。

 そして翌年から「マネージャー」(管理職)に対する非営利教育、いわばインディーズの教育に取り組みはじめて9年になります。


 その間、「トップ支店」「売上全国1位」といった「成果」を、多数の受講生様方からきかされてきました。


(なお新聞的には「トップ」「1位」は誇大広告の恐れありということで使用できません。ただ、これらは紛れもなく事実で、過去に何度も受講生様ご自身による事例発表を行っています)

 
 このことは、やはり自慢としてではなく、皆様に真剣にお伝えしたいと思います。この手法、方式だからこそ実現できる「幸せな業績向上」があり、それは他の手法よりはるかに強力なものなのです。


 これまですすんで担い手になってくださった尊敬する友人であり受講生である管理職の皆様に感謝。皆様自身の幸せにも寄与していれば幸いです。そして広い範囲の方に伝えてくださった神戸新聞の松井記者にも御礼申し上げます。



 今日は、もう1つ大変嬉しいニュースをご紹介します:

 


■おめでとう!「承認大賞」の林さん、法人内表彰式実現・号泣



■いよいよあさって。英語カフェ版よのなかカフェ
  「英語落語と英語DE今年の十大ニュース」



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■おめでとう!「承認大賞」の林さん、法人内表彰式実現・号泣


 
 今年、当協会の「承認大賞・上司部門大賞」を受賞された、介護福祉施設勤務の林義記さん(32)。


 彼が、きのうこんなツイート(ツイッターのつぶやき)をしました…。



「昨夜、勤務先の法人全体の忘年会がありました。 (私は)総合司会をしていましたが、司会者も知らないサプライズイベントがあり、感動、感激をいただきました。」


「今年の忘年会では、スタッフに何らかの承認メッセージを伝えたくて、職員表彰の機会を設けていただきました。 結果は大成功、表彰だけじゃなくて、自然と周囲からの承認メッセージも出るんですよね。 機会を作ることが大事だと思いました。」


「司会者も知らないサプライズイベントというのが、私への特別表彰でした。 『あなたの功績はこのような表彰状では表現できません。どんな言葉も色褪せてしまいます。しかしあえて今日は伝えさせてください。いつもありがとう。』このような文面でした。 感動、感激し、200人の前で号泣してました。」


「表彰状を渡してくださったのは理事長。 読みながら理事長の目に光るものがありました。表彰状の文面から気持ちが感じられましたし、理事長の姿から、言葉から、すべてから、言行一致、それがさらに感動につながりました。とっても幸せな時間をいただきました。ありがとうございました。」


「表彰後、多くのスタッフが『みんな見てたんだよ』『あなたが表彰されて私もうれしい』『あなたの表彰は当然』などの声をかけていただきました。 本当にこんなに幸せなありがたい時間をいただけ、本当に本当に幸せ
者です。本当にありがとうございました。」



 …これらのツイートから、すでに林さんの人となりが伝わりますね。


 林さんは、普段スタッフ80名ほどの老人保健施設にお勤め。法人全体では200名。


 そのなかで32歳の主任、組織の中ではまだ下から数えたほうが早いような立場でしたが、去年の秋、「承認」に出会い、「これをやっていこう」と決意しました。


「『徳を回す』とは、こういうことなんじゃないかと思います」

 林さん独自の表現でメールをくださいました。


 それからは、組織の中でたった1人で周囲を「承認」する日々。


「あなたのポジションではまだ辛いのではないか…」


 と思いながら(実際にご本人にそう伝えたこともあります)みていましたが、日々倦まずたゆまず実践を続け、次第に周囲にその姿勢が伝わり始めます。


 今年の「承認大賞」上司部門大賞は、そんな林さんが、まだ上司部下関係ではなく先輩として、新しく入ってきた後輩にかけた言葉のエピソードが受賞しました。


 秋の「承認大賞」授賞式では、新聞に小さく受賞者名が載り、それでも気がついた周囲の人から「見たよ」と言われました。




 そうしてこのたびは、トップダウンでなく、32歳・主任の林さんからの発案による表彰式。そしてサプライズ、発案者本人に対する表彰。


「1人から始める企業改革」、

 林さん自身がみずから「承認」の発し手となり、周囲をモチベートし、よい模範となりながらの「表彰」だったので、借り物ではない、だれもが納得のひときわ清々しい場面となったことと思います。





 そして、職員を喜ばす制度などの導入には積極的でも言葉での「承認」は苦手とされていたというトップの理事長自らが、表彰状に心のこもった文言を書いて読み上げて渡してくださったという。

 上記の表彰状の言葉、嬉しいですね。


 そして号泣したという林さん。

 いい場面ですねーー。


 林さん、改めておめでとうございます。




 

 今年の当協会のインディーズの講座では、「トップ支店」のような華々しい業績向上のお話は出ませんでした。



(数字的な業績向上ということでは、昨年から今年にかけ売上対前年比120%を叩きだした、OA機器販売・営業部長の永井博之さん―今年4月事例発表―がおられます。今の経済状況で120%はご立派。でもこんなところで引き合いに出されると永井さんはご迷惑かも。ごめんなさい永井さん)



 代わって、本当に清々しい、仕事を通じた幸福とは、を考えさせてくれる林さんの事例が出ました。



「人を幸せにする仕事ができているか」。


 最近、私がよく自分に問いかけ、何かのときに判断基準にする言葉です。

 

◆これまでの林さん関連記事

「温かさと厳しさを体現する上司の言葉―今年の承認大賞事例より」

http://blog.livedoor.jp/officesherpa-column/archives/524304.html


「表彰式2011(2)―『コワモテ』と『優しさ』、2人の企業改革者」

http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51768948.html





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■いよいよあさって。英語カフェ版よのなかカフェ
  「英語落語と英語DE今年の十大ニュース」


 同じ神戸新聞朝刊に、実は11日に行う「よのなかカフェ 英語落語と英語DE今年の十大ニュース!」も載せていただきました。


 うしろの方の「掲示板」の欄です。

 
やってみると、英会話というものは、「自分のプライベートについて話す」より、「時事問題をネタにして話す」ほうが、ずっとらくなんですヨ。


 "Oh, Noda? I like him." でも"I hate him." でもOK。立派な「自分の意見」なんです。


 単語帳もおつけしますので、話せることをどんどん話してみましょう。いよいよ困ったら、日本語でもOKですよ。


 お申し込みは、延長してぎりぎりあす(10日)正午まで受け付けます!


 英語落語一席きいてそのあと今年のあれやこれやをしゃべってお茶ケーキつき。これはお得!!


 お申し込みは、info@c-c-a.jp このメールへのご返信で結構です。

 メールタイトルに「11日よのなかカフェ希望」として、

 ,名前 △歓Χ函´ご連絡先メールアドレス を書いて、お申込みください。



★あす10:25AMよりABC放送『カナダ人落語家桂三輝が歩くお伊勢参り』で、今回のゲスト桂三輝(サンシャイン)が登場!今旬のサンシャイン、どうぞ見てあげてください!
 

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★引き続き、「メール見てるよ」「今度話しにおいで」と、言っていただくことが重なりました。

 毎日、どっさりのメールを受け取られていることと思います。皆様の日々のお幸せにこのメールも少しでも役立っていますなら、大変うれしく思います。




※このメールは、NPO法人企業内コーチ育成協会のスタッフ及び
代表理事・正田が、過去にお名刺を交換させていただいた方・
当協会のイベントやセミナーにご来場いただいた方に
お送りしています。

今後ご不要の方は、
空メールをご返信いただくか、こちらのページ

http://www.webcordial.com/bn/tk.html

より解除していただければ、
購読リストから外し、次回から送信されないようにいたします。


ここまで読んでいただき、ありがとうございました!


皆様にとって素晴らしい1週間となりますよう。



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神戸のコーチング講座
特定非営利活動法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
代表理事 正田 佐与
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Email:info@c-c-a.jp
TEL: 078-857-7055 FAX: 078-857-6875
Post:〒658-0032 神戸市東灘区向洋町中1-4-124-205

ツイッターアカウント: @sayoshoda

フェイスブックページ: http://www.facebook.com/sayo.shoda

ブログ「コーチ・正田の 愛するこの世界」
http://blog.livedoor.jp/officesherpa/

愛する日本を、人が元気になる国にしませんか。
「承認大賞2011プロジェクト」
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「企業内コーチ育成のすすめ」
(株)帝国データバンク社『帝国ニュース兵庫県版』
に好評連載中
http://blog.livedoor.jp/officesherpa-column
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今年の承認大賞上司部門大賞・林義記さんのツイートを勝手に公開―。

「職員に承認メッセージを」。

彼の取り組みが、とうとう彼の発案による法人の「表彰式」という形になって結実しました。



「昨夜、勤務先の法人全体の忘年会がありました。 総合司会をしていましたが、司会者も知らないサプライズイベントがあり、感動、感激をいただきました。」

「今年の忘年会では、スタッフに何らかの承認メッセージを伝えたくて、職員表彰の機会を設けていただきました。 結果は大成功、表彰だけじゃなくて、自然と周囲からの承認メッセージも出るんですよね。 機会を作ることが大事だと思いました。」

「司会者も知らないサプライズイベントというのが、私への特別表彰でした。 『あなたの功績はこのような表彰状では表現できません。どんな言葉も色褪せてしまいます。しかしあえて今日は伝えさせてください。いつもありがとう。』このような文面でした。 感動、感激し、200人の前で号泣してました。」

「表彰状を渡してくださったのは理事長。 読みながら理事長の目に光るものがありました。表彰状の文面から気持ちが感じられましたし、理事長の姿から、言葉から、すべてから、言行一致、それがさらに感動につながりました。とっても幸せな時間をいただきました。ありがとうございました。」

「表彰後、多くのスタッフが『みんな見てたんだよ』『あなたが表彰されて私もうれしい』『あなたの表彰は当然』などの声をかけていただきました。 本当にこんなに幸せなありがたい時間をいただけ、本当に本当に幸せ者です。本当にありがとうございました。」



彼の施設単独で職員80名ときいていたけれど、法人全体で200名なんですねー。

トップダウンでなく、32歳・主任の林さんからの発案による表彰式。

「1人から始める企業改革」、

林さん自身がみずから「承認」の発し手となり、周囲をモチベートし、よい模範となりながらの「表彰」だったので、借り物ではない、だれもが納得のひときわ清々しいものとなったことと思います。


(…ちなみにひそかな自慢ですが、当協会独特の気風として「清々しい」というのは、よく言っていただきます)


そして、職員を喜ばす制度などの導入には積極的でも言葉での「承認」は苦手とされていたというトップの理事長自らが、表彰状に心のこもった文言を書いて読み上げて渡してくださったという。


そして号泣したという林さん。

いい場面ですねーー。


林さん、改めておめでとうございます。



神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

CIMG3773



スタッフ山口元子さんからいただいた花束です。
きれいでしょー。
ビニールのカバーをなかなかとれない貧乏性の私・・・。(とれよ)



CIMG3774



お誕生日にいただいた有機野菜を焼き野菜にしました。厚めに切ってオーブンで焼くだけ。
甘い!美味!



神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
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このところ、会社に入っている研修についての「セカンドオピニオン」


―つまり、うちの会社に来ている先生がこんなことを言うけれど正田さんどう思いますか、というご相談―

を求められることが増えている。


相談してくれるのは大体「ラインマネージャー」で、彼ら彼女らは「先生」の言うことが現実に合わなければすぐ気がつく。


いろんなパターンがあるけれど、

例えば「一面的」な言論―、

例えばの話、「自由」「個人尊重」という語を好んで使う場合。

耳触りはよいが、非常に取扱い注意の言葉である。

それらがあまりにも抑圧されているときは、それらを言うほうが正解になる。しかしそこには本当は「程度問題」がある。


「程度問題」つきの正解である、なんてことは外からきた夢想家の、そして高学歴の先生は触れない。厄介なことに「先生」のほうが現場のマネージャーより人柄が良さそうだ。で下の人たちの人気を博したりする。


橋下が大差で当選する時代、ものごとは一面的に言い切ったほうが人気者になれるのだ。

そうして、地味で手堅い議論は日の目をみない仕組みになっている。

研修講師を職業に選択する人たちもまた、「夢想家タイプ」が多いのではないかと思う。大学の先生方も、だいぶあやしい。



さて、私に相談してくれるような人は大体優秀な人たちである。

彼らは、決して教育研修を無視したいわけではない。ただ研修の先生の言うことを実行しようと思うと、いきなり現実との齟齬に出会う。

そしてこの齟齬は不可避なものなんだろうかそれともただ先生が無責任なんだろうか、と悩んで相談にくるのだ。


悩むのはまだましなほうで、大多数の人は、研修の先生が現実にそぐわないことを言うと、


「研修なんてそんなものだ。夢を売っているのだ。息抜きだ」

と考える。

そして会社がどんな研修を採用しても、斜に構える。「自分が学習する場」とは、みなさない。

「次はどんな夢を売ってくれるんだい?」という態度をとる。


そういう選択をしてきた歴史が積み重なると、私などがその会社に入ったとき人の心には分厚い壁ができている。


残念ながら以前の先生がどんな人で全部でどんなことを言っていて、それで受講生の態度がこうなっているなどの経緯は、私のところでは知りようがない。


ただ自分のコンテンツを精一杯伝え、かつ受講生と精一杯対話して齟齬をなくす努力をする、だけである。

過去に積み重なった歴史が分厚ければ分厚いほど、その壁は厚い。(そして私は整体にお世話になる)




神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp


お世話になっている皆様





こんにちは。NPO法人企業内コーチ育成協会の正田です。

 


 いよいよ、師走。
 ひときわ長かった気がする2011年も締めくくりの時期となりました。

 皆様は、どんな感慨をお持ちでしょうか。



 NHKの「坂の上の雲」の季節でもあります。第三部がきのう、始まりましたね。


 日露戦争の「旅順攻撃」のあたりは、正直話がよくわからない。原作も読んでいないわたくしはきのう画面を見入っていて、「このあたり、わからない」ということだけがわかりました…


 ある世代の人までは、日露戦争の歴史をきっちり学校で教わったので、「わかる」というか「知っている」のだそうです。

 来週はいよいよ「二百三高地」です―。



 本日の内容は:
 


■日頃の感謝と正田48歳のごあいさつ


■いよいよ1週間後。英語カフェ版よのなかカフェ
  「英語落語と英語DE今年の十大ニュース」



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■日頃の感謝と正田48歳のごあいさつ



 
 日頃は、このメールニュースをお読みいただき、誠にありがとうございます。

 
 
 このところ交流会などで「メール見てるよ」と、また「あんた、いいこと書いてるな」と、お声をかけていただくことが増えました。


 
 ご覧になっている方は人生経験豊かな方が大半ですが、そうした方の琴線に触れるものをお届けできているとすれば、嬉しいことです。



 不肖わたくしは大手研修機関からは距離を置き、ひたすら目の前のことを見、自力で必死で考えた結果のことを、またこれまでに現実の実績として積み重なってきたことをご提示し、それを実現するためにNPOという形態をとっているものです。


 そして、もう既に10年間この方式が正しいことをみてきました。


 ネームバリューなどはありません。


(以前、わたくしからの手紙を受け取ったある自治体の首長は、周囲に

「この人は有名な人か?」

と、きいたそうです。)



 これまでに出会ってきた受講生の皆様、大学教授でも有名人でもない一介の女性であるわたくしのために


「正田さんは正しい」

「現に私のところでは正田さんの方式で成果が出ている」


と、言ってくださった人達。

 その人達は、きっと


「あんた、先生が女の人だからかばってるんやろ」


と、人から言われることを覚悟の上で、いわば「泥をかぶる」ことを覚悟でそうされていたのだと思うのです。




 その方々のためにも、わたくしは「承認」の一言居士であろうと思います。




 きっと、何の後ろ盾もない日本の地方都市に住む女の人が、大手企業よりも大学教授よりも有名人よりも正しいことを言う、ということが、世の中にはあり得るのです。



 わたくしには19歳を筆頭に3人の子どもがいます。この子たちに少しでもよい社会を残してやるために、自分のできる限りのことをした、と思いたい一心です。




「正田さんは正しい」


と声を挙げる勇気をもってくださった方々のために、このメールニュースも書き続けます。




 もし、薄々「正田さんは正しいのではないか」と思いながら、

「いや、女の人のことを『正しい』などと言ったら、人からどう言われるかわからない」

という気持ちが湧いて、言えずにいる方がおられましたら―、


 大丈夫です。それは、あなただけではないのです。


 ただ、わたくし自身は「勇気」を尊ぶほうの人間です。



 また、そういう方が大多数を占めるからこそ、いまだに「正田さんは正しい」という声は、大きなうねりとはならないのだ、会社で公式の研修として採用されることもないのだ、ということもご理解ください。



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■いよいよ1週間後。英語カフェ版よのなかカフェ
  「英語落語と英語DE今年の十大ニュース」


 
 コーチング講座とともに、「考える社会人をつくる」試みとして行っているよのなかカフェ。次回12月11日がいよいよ第30回を迎えます。


 ゲスト出演される桂三輝(サンシャイン)氏がメインで登場する番組『カナダ人落語家桂三輝が歩くお伊勢参り』が、前日の10日10:25AM〜、ABCテレビにて放映されます。

 また毎晩22:00よりUstreamで「YNN三重チャンネル」ustre.am/xvMrという番組にも出演。大熱演です。是非一度アクセスしてご覧ください。


 そんな今旬の三輝氏が三宮でライブ出演する「よのなかカフェ」お見逃しなく!


第30回よのなかカフェ

 『英語落語と英語DE今年の十大ニュース』

 12月11日(日)15:00〜17:00、アロアロにて。

 詳細とお申し込みはこちらから

 http://c-c-a.jp/cafe/


やってみると、英会話というものは、「自分のプライベートについて話す」より、「時事問題をネタにして話す」ほうが、ずっとらくなんです。


 "Oh, Noda? I like him." でも"I hate him." でもOK。立派な「自分の意見」なんです。


 単語帳もおつけしますので、話せることをどんどん話してみましょう。いよいよ困ったら、日本語でもOKですよ。

 お申込み〆切は、今週金曜(9日)です。


 また、

 来年1月〜3月の日程、ラインナップを以下のように確定しました:


◆1月5日(木)19:00〜20:30 会場アロアロにて
「ヨーロッパ危機と日本の金融 今どうなってるの?」

 ヨーロッパ金融不安、極端な円高ドル安、ウォン安の今年。大きな流れとしてどうなっているのか、庶民には今ひとつつかみにくいけれど、なんだかとんでもないことになってるんじゃないだろうか…。関西国際大学の松本茂樹準教授(経営学、金融)をお招きし、現状の解説とともにディスカッションをしようという年初の企画です。参加費500円+ドリンク代。


◆2月2日(木)19:00〜20:30 会場アロアロにて
「中国人とどう付き合うか?」

 今や日本にとって欠かすことのできないビジネスパートナー、中国。しかし、中国人と日本人、顔は似ていても行動様式などは、いまだに天と地ほども違うと言われます。中国人部下はおろか中国人上司の登場も夢ではなくなってきた今、もう一度考えませんか。中国人との付き合い方。参加費同上



◆3月1日(木)19:00〜20:30 会場アロアロにて

「日本人にとっての『自信』とは?」

 東日本大震災で、またもや冷静で我慢強く、助け合う気風を世界から絶賛された日本人。日本人のいいところって、全部でどんなことがあるだろう?私たちが今から誇りを持ってグローバルな競争に立ち向かうために必要なものとは?参加費同上。





 そして来年5月は、こどもの日特集として「子どもたちが危ない!?」を、取り上げたいと思います。

 廊下に制服姿のままお尻をつけて座っている中高生、授業中に寝そべっている子ども。他人の教科書や参考書を「パチる」ことも平気。驚かないでください。こんな子どもが増えているんです。

 そういう子どもがいずれ企業にも…と思ったら、既に若手をみている人材育成担当者から「あるある」と、きかれるようになりました。

 次の時代を担う子どもたちに、わたしたちはどう向き合うべきなのか。
 親も、先生も、みんな当事者同士。徹底的に語り合ってみませんか。

 日時・会場等が決まりましたら、改めてお知らせします。


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※このメールは、NPO法人企業内コーチ育成協会のスタッフ及び
代表理事・正田が、過去にお名刺を交換させていただいた方・
当協会のイベントやセミナーにご来場いただいた方に
お送りしています。

今後ご不要の方は、
空メールをご返信いただくか、こちらのページ

http://www.webcordial.com/bn/tk.html

より解除していただければ、
購読リストから外し、次回から送信されないようにいたします。


ここまで読んでいただき、ありがとうございました!


皆様にとって素晴らしい1週間となりますよう。



*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*
神戸のコーチング講座
特定非営利活動法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp
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代表理事 正田 佐与
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Email:info@c-c-a.jp
TEL: 078-857-7055 FAX: 078-857-6875
Post:〒658-0032 神戸市東灘区向洋町中1-4-124-205

ツイッターアカウント: @sayoshoda

フェイスブックページ: http://www.facebook.com/sayo.shoda

ブログ「コーチ・正田の 愛するこの世界」
http://blog.livedoor.jp/officesherpa/

愛する日本を、人が元気になる国にしませんか。
「承認大賞2011プロジェクト」
http://.shounintaishou.jp

「企業内コーチ育成のすすめ」
(株)帝国データバンク社『帝国ニュース兵庫県版』
に好評連載中
http://blog.livedoor.jp/officesherpa-column
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 3日が不肖わたくしの4回り目のお誕生日だったので、娘たちとちょっと優雅にランチ。


 ホテルプラザ神戸18F「スマイリーネプチューン」にて。


 一部の方にはおなじみ某姉妹です


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お誕生日特典のケーキです


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 フェイスブックでは、お友達の皆様が

「おめでとう」メッセージ。

 バルーンのカードをつけてくださったもの、「次の1年一層楽しく\(^o^)/」とメッセージをくださったもの、そして親しい方々からは短いながら心のこもったメッセージ・・・

 図書館で資料づくりしながらお返事を書こうとしていたら急にぽろぽろっと涙が。


 やばいです。フェイスブック。

 すみませんまだすべての方にお返事できてません…


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 コーチの森川里美さんからは、2日の午後に重い小包。

 以前森川さんからは「花束」をいただいたことがあるんだけれど、今回はなんだか様子がちがいます。


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 JAくにたちからの「野菜」の詰め合わせでした。


 甘いさつま芋やれんこん、マンゴーのような味姿のかぼちゃ、それにヤーコンなど珍しいお野菜のかずかず。


 3日の夜はさっそくオーブンで「焼き野菜」にしていただきました。





 私は「営業か」と言われるのを気がねして自分が受けているコーチングの恩恵について語ることをおさぼりしているかもしれません。


 今年はとりわけ、「3・11」に影響されたわけでもないだろうに、自分の体調不良、家族のトラブルなどに次々見舞われ、倒れそうになった時期もありました。


 そんななか様々な人に助けていただいたのですが、とりわけほとんど「カウンセリング」に近い状態になったコーチングセッションを辛抱強く聴き続け、支え続けてくださった森川さんには、感謝するばかりです。


 こういうことを書くと「じゃあ、コーチングはカウンセリングなのか」と早とちりする方もいらっしゃるかもしれません。あくまで、長い間にはそういう場面も「あり」だ、というだけです。


 ふだんの私は考えるより先に行動するタイプの人間なので、「自分はこうしました」と自分のやったことを過去形で語り、森川さんからのフィードバックを求め、いただいたフィードバックに基づいてまた何か新しくいろいろ発想し、言語化し、次の行動をとるというパターンのセッションが多いです。あるいは、身近な人について「ストレングス・ファインダー」をとってみていただく、ということもあります。






今年は「承認大賞2011」も応募数が伸び悩み、そのままでいけばただの負け戦だったけど表彰式のやり方を工夫して勝ち戦っぽく演出しちゃった、けっこう粘り腰。なんて誰もほめてくれないから自分でウジウジほめています。



 そんなふうにして48歳になりました。また少しでも向上すべく精進したいと思います。

 (お相撲さんか?)



神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

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