正田佐与の 愛するこの世界

神戸の1位マネジャー育成の研修講師・正田佐与が、「承認と職場」、「よのなかカフェ」などの日常を通じて日本人と仕事の幸福な関係を語ります。現役リーダーたちが「このブログを読んでいればマネジメントがわかる」と絶賛。 現在、心ならずも「アドラー心理学批判」と「『「学力」の経済学』批判」でアクセス急増中。コメントは承認制です

2012年12月

 映画「レ・ミゼラブル」を観てきました。


 ヒュー・ジャックマン、ラッセル・クロウ、アン・ハサウェイ、アマンダ・セイフライドと豪華キャスト。ヒュー・ジャックマンはむしろミュージカル俳優だったんですね。力強い歌いぶりです。アクション映画でみてきたかれの大きな瞳が、ここでは絶望、真摯さ、恐れ、ためらい、そして愛と揺れ動きます。ラッセル・クロウの歌も、ストレートプレイ出身の人の骨太の歌声というかんじでした。


 アン・ハサウェイは美しいフォンティーヌ像です。美しさ純粋さゆえに目ざわりだと仕事の場から排除され(これも貧困とハラスメントにみちた職場には起こりがちなことだ)、髪をずたずたに切られ、歯を抜かれ・・・というシーンは分かっていても目をそむけずにはいられないむごさ。(さすがに前歯は抜かなかった)それは、幾つか前の記事(『あなたはなぜ「嫌悪感」をもつのか』)にあるように、肉体の破壊は自分の死を想起させるからですね。


 そのあと娼婦になり身体を売った直後のシーンで歌う「夢やぶれて」。数年前スーザン・ボイルという無名の女性がこの歌を歌って話題になりましたね。ああこのシーンだったのか・・・まっとうに生きてきた人が身体を売ることの悲惨さをこれほど物語るシーンもありません。

 しかし現代日本でこれはむしろ今、わたしたちのすぐ近くに忍び寄っている風景です、というのを、『デフレ化するセックス』(中村淳彦著、宝島社新書、2012年12月)などを読みながらおもいました。日本には信仰がないぶん、悲惨よりも荒廃感が漂います。


 映画のラストシーンは涙なしには見られません。貧困、権力の腐敗、若者への非情、これらは今世界普遍の現象で、恐らく世界中の人が同時に涙したことでしょう。


 さて、数日前(12月27日)の読売新聞に鹿島茂氏が映画評を寄稿していました。少し長くなりますが引用させていただきます:


「・・・では、ユゴーがこの作品で人類に訴えようとしたメッセージとはなんなのか?

 それは、愛はたしかに勝つ。だが、愛というものは貰った分だけしか人に与えられないものである。ゆえに、ファンテーヌやコゼット、それにジャベールのような、愛を受け取ったことがない惨めな人々(レ・ミゼラブル)を救うには、ジャン・バルジャンに象徴される<<だれか>>が見返りを要求しない無償の愛を<<最初>>に与えなければならない。かつてその<<だれか>>はイエスであった。だが、イエスへの信仰が衰えた現代にあっては、その<<だれか>>は<<あなた>>でなければならないのだ」ということなのである。

 原作でも映画でも、その「始まりの愛」は、パン1つを盗んだために十九年間も徒刑場で鎖につながれ、憎しみだけで生きるようになったジャン・バルジャンに銀の燭台を与えるミリエル神父から発するように描かれているが、勘所は、この「始まりの愛」を受け取ったジャン・バルジャンがキリスト教の伝道師となるのではなく、福利厚生施設を整えた工場の経営者として更生するところにある。つまり、現代における「愛」は雇用の創出や働く喜びを伴った社会事業として実現され、その前提から「愛」のリレーが始まらなければならないのだ。」(太字正田)




 ・・・そう、「愛」のはじまりを実現することがあるとしたらそれは企業経営のなかにこそ可能性があるのであり、そこからリレーがはじまるのです・・・


 かつ、ここで補うとしたら、この映画の中に、

「経営トップが『愛』の人であっても中間管理職教育をきっちりやらないとリレーは途切れてしまいますよ」

というメッセージもわたしは勝手に読み取ってしまうのでした。NPO会員の皆様、おわかりになりましたか。


 名作映画としては珍しく、客席を若い人、カップルが埋めていました。他人ごとではない貧困の中の愛の貴さを若い人たちも感じているでしょうか。



 今年も、さまざまなお出会いと別れがありました。時節柄人のこころの醜さをみることもありました。私は人生の新たな段階に入りました。数年来支えてくださっている方々のご厚情にあらためて感謝いたします。皆様良いお年をお迎えになりますように。


 
100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp


 『世界の経営学者はいま何を考えているのか―知られざるビジネスの知のフロンティア』(入山章栄著、英治出版、2012年11月)を読みました。


 「アメリカの経営学者はドラッカーを読まない」「世界の経営学は科学を目指している」「ハーバード・ビジネス・レビューは学術誌ではない」―などなど、冒頭にわたしたちの「思い込み」を正してくれます。


 著者は現役のニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールのアシスタント・プロフェッサー。こういう本、必要だった。


 経営学には3つの理論ディシプリン(流派のようなもの)があると、本書は言います。〃从儚悒妊シプリン認知心理学ディシプリン社会学ディシプリンです。わたしの分野は△鉢にまたがるようなものなんだろな。


 また、「企業とは何か」という問いについても、4つの視点を持っているとします。
 第一に「効率性」―経済学ディシプリン、つまり人の経済合理性を重視する立場ではこの視点が中心です。ここでは、企業とは「市場取引ではコストがかかりすぎる部分を組織内部に取り込んだもの」となります。

 第二に企業の「パワー(力)」を重視する視点。ここでは「企業とはパワーの集合体である」と考えられます。社会学ディシプリンの資源依存理論ではこうなります。

 第三に企業の持つ「経営資源」を重視する視点。(「企業は経営資源の集合体である」)社会学あるいは認知心理学ディシプリンからきます。

 最後に、従業員の「アイデンティティ」を重視する視点。主に認知心理学ディシプリンの研究者が主張しています。「この会社は何をする会社なのか」「この会社が目指しているものは何か」といった企業のアイデンティティやビジョンを社員が共有することが重要である、と考えます。すなわち「企業とは経営者や社員がアイデンティティやビジョンを共有できる範囲のことである」。


 正田はちょいと第三や第四に偏ってるかもしれないな。でも無意識に一や二もやってるのかもしれないな。四は、私にはあまりにも当たり前のことすぎてわざわざこんなふうに列挙してもらうと新鮮な気すらするのだが、ときどきこうして整理してもらうといいのかもしれないな。


 以下、たくさんの興味深い論点が出てきます。

 いくつかをご紹介すると、


◆ポーターの競争戦略論(SCPパラダイム)とはライバルとの競争を避けるための戦略、いわば守りの戦略のことである

◆ウィギンズとルエフリの分析によると、近年では競争優位は持続的でなくなってきている。すなわちハイパー・コンペティションが進展している。

◆ハイパー・コンペティション下では攻めの競争行動が有効になる可能性がある。(p.81)

◆企業のラーニング・カーブ。組織が同じ作業の経験を積むほどその作業効率が高まる。例えば、病院のある執刀チームが同じメンバー同士で繰り返し手術を経験するほど、手術にかかる時間は短くなる。(p.86)

◆企業では、アメリカで学習効果のもっとも高い産業の上位3つは、コンピュータ産業、医薬品業、石油精製業であり、逆にもっとも学習効果が低い産業は、革なめし業、製糸業、製紙業。(p.88)

◆トランザクティブ・メモリー(組織内のだれが、何を知っているかを知っていること)が組織の記憶力を高めるうえで重要である可能性。組織全員が同じ知識を共有することは効率的ではない。重要なのは、従業員の多くが「他の人が何を知っているか」を自然に日頃から意識できる組織づくりを目指すこと。(pp.101-102)


◆ある戦略の効果はその戦略以外の要因が働いていることがあり(内生性)、他企業で成功した戦略をそのままあてはめられない。多くの経営効果は過大評価されている可能性がある。(p.112)

◆モデレーティング効果。企業が多角化から高い業績を得られるのは、その企業が多様な知的資産を有しているときに限る。(p.116)

◆オープン・イノベーションの効果。アライアンスによって知識の幅が広がることが企業のイノベーション効果に与える影響を分析したところ、「ほどほどの知の広がり」が最適であるという結果が出た。幅が広がりすぎるのもよくない。(p.132)

◆アメリカで1つのコミックを出版するとき、通常複数のクリエーターによるチームがあたる。チームのクリエーターが過去に携わったコミックのジャンルが多様であるほど、そのチームは大ヒットか大外れのコミックを生み出す可能性が高い。(p.133)

◆知の探索と知の深化(両利きの経営)。企業組織は中長期的に「知の深化」に偏りがちで、「知の探索」をなおざりにしがち。当面の事業が成功すればするほど、知の探索をおこたりがちになり、結果として中長期的なイノベーションが停滞する(「コンピテンシー・トラップ」、マーチによる、pp.136-137)
(日本企業の得意な「カイゼン」は知の深化にあたるかもしれない)

◆上記に関連して、クリステンセンの「イノベーションのジレンマ」は成功している企業の経営者・企業幹部ほど破壊的なイノベーションが発生した時それに対応できない現象を述べたもので、経営者や企業幹部の認知の問題としてとらえる。一方でコンピテンシー・トラップはその本質を組織の問題に求める。(p.138)


◆イノベーションの停滞を避けるために、企業は組織として知の探索と深化のバランスを保ち、コンピテンシー・トラップを避ける戦略・体制・ルール作りを進めることが重要である(「両利きの経営」、p.141)

◆ソーシャル・キャピタル。ゞ技佞龍軌薹亳海篷富であったり、算数を教えるのが得意であるほど、受け持った生徒のテストの結果もよくなることがわかった。すなわち教師個人の能力(ヒューマン・キャピタル)は生徒の成績に影響を与えた。△海涼楼茲任篭技佞同僚とグループを作って情報交換を行うのが慣例になっていたが、グループ内での教員の人間関係が親密であるほど、その教師が受け持つ生徒のテストの結果がよくなる。すなわち教師のあいだのソーシャル・キャピタルは生徒の成績を押し上げる効果がある(こういう知見は、マネジャーズ・カフェの効果をうたうにも使えそうですね)6技佞好調と親密な人間関係を築いているほど、その教師が担当している生徒のテストの結果がよくなることもわかった。すなわち、教師と好調のあいだのソーシャル・キャピタルにも生徒の成績を押し上げる効果がある。(p.157)


◆弱い結びつきの強さ。就活を口コミに頼っていた時代、就活に有用な情報は遠い人間関係から得られた。強い結びつきは非効率。(p.159)

◆弱い結びつきの人間関係を多く持っている研究員のほうがクリエイティブな成果を多く残している。(p.166)

◆アライアンスの性質と産業の関係。半導体産業では弱い結びつきのアライアンスを多く持つ企業の利益率が向上し、鉄鋼産業では強い結びつきのアライアンスを多く持ったほうが利益率が向上する。(pp.172-173)

◆日本人は集団主義か。国民性に関するホフステッド指数とGLOBE指数。


◆山岸俊男・北大名誉教授の集団主義と排外主義に関する指摘。集団主義はグループ内の利益を重視するしグループ内のメンバーの結束も強くなる。逆にいえば、グループ内の結束が強ければ、それだけグループの外の人たちとの協力関係を築くのが心理的に困難になる可能性がある。(p.200)

◆自分の所属するグループの外部の人達を一番信用しやすいのは、個人主義であるはずのアメリカ人。逆にアジアの人々はアメリカ人よりも外部者をなかなか信用しない。中でも外部者を信頼する傾向が低かったのは、韓国人、中国人、そして日本人。(pp.200-201) 信頼を築く妨げになっているのは欧米人よりむしろ日本人かもしれない。


◆経営計画(戦略)の立て方として、近年注目されているのが「リアル・オプション」。例えば進出先で段階的に設備投資をするなど、経営資源を小出しにすると、進出先の市場規模の拡大見通しなど不確実性に対応することができる。不確実性が高くなるほど「上ぶれ」のチャンスが大きくなる。(pp.230-237)
(このブログの1つ前の記事のHONDAのバイクから入る海外戦略などは、無意識のリアル・オプションと言えるかもしれない)

◆事業計画を立てるとき役立ちそうな、著者の提言(pp.246-247)。読みたい方は本書をお買い求めください。


◆企業買収額が決まるメカニズム。経営者の「思い上がり」「あせり」「プライド」。(pp.251-262) 

思い上がりプレミアム。過去に買収で高い成果を収めたことのあるCEOが率いる企業は、その後の買収で高いプレミアムを払う傾向がある。メディアが賞賛しているCEO、報酬が高いCEOも高いプレミアムを払う可能性がある。
買収企業のCEOが取締役会の議長を兼ねている場合、社外取締役が少ない場合も買収プレミアムを高める。

あせりプレミアム。買収企業の過去3年間の成長率が業界の平均成長率を下回っていればいるほど、買収プレミアムは高くなる。また過去の成長率、とくに直近の成長率が低いほど、その企業は高いプレミアムを払う傾向がある。

「国家のプライド」プレミアム。中国、インド、ブラジルなどのいわゆる新興国がアメリカ、欧州、日本などの先進国の企業を買収するときには、他のクロス・ボーダーM&Aと比べて平均16%も高いプレミアムを払っている。「自分の母国を代表している」というプライドが高いプレミアムを払わせる?

(本書の中でももっとも人間臭い分析。おもしろい)


◆コーポレート・ベンチャーキャピタル(CVC)。金融機関系でなく、メーカーなど事業会社が社内にもつベンチャー投資活動。イノベーションの探索行動としてメリットがある。しかしベンチャー側にとっては技術を盗まれるリスクがあり、CVCには信頼を得られる行動が求められる。


◆リソース・ベースト・ビュー(資源ベース理論、RBV)。
バーニーの有名な命題は、
・ある企業の経営資源(リソース)に価値があり(valuable)、それが希少なとき(rare)、その企業は競争優位を獲得する。
・そのリソースが、他社には模倣不可能で(inimitable)、またそれを代替するようなものがないとき(not-substituable)、その企業は持続的な競争優位を獲得する。(著者訳、p.291)

上記の命題についてはトートロジー(類語反復)ではないかとの反論が出されている。それに対する反証としての実証研究もあるが、まだこの議論には決着がついていない。


◆現代の経営学の課題。
〃弍蝶惻圓陵論への偏重が理論の乱立化を引き起こしている。
△もしろい理論への偏重が、重要な経営の事実・法則を分析することを妨げている。
J振僂砲發箸鼎統計手法では、独創的な経営手法で成功している企業―たとえばサウスウエスト航空など―を分析できない可能性が残る。
(pp.325-326)

このうち△実務ではよく行きあたる問題で、ある理論がどんなに妥当性があっても、それを普及したり現実の企業に当てはめてもらうには数年〜数十年かかり、かつその間にその理論はみかけ上どんどん陳腐化されていくということが悩みの尽きないところです。
説明して回る中にも、「おや、それは新しい理論だねえ。はじめて聞いた」という人と、「いや、そんなのもう古いでしょう。最近の旬なトピックは〇×でしょう」という人とが混在します。前者はともかく、後者の人に会うとその場での説得はほぼ諦めです。「本当に有用な理論」と、「新しい、おもしろい理論」は違うのだということを理解していただくには時間が必要で、冷静になることが必要です。

そこで次のがあるかもしれない―

◆エビデンス・ベースト・マネジメント。多くの実証研究で確認された経営法則、すなわち「定型化された事実法則」を企業経営の実践にそのまま応用しようという考え。例えば「高い目標を設定したチームのほうが、そうでないチームよりも優れたパフォーマンスをあげる」などがその定型化された法則。これを実際の企業の経営計画や組織デザインに適用することを通じて、その法則の効果を検証したり、その法則の導入プロセスで発生する問題を検証し、そこで得た知見を研究やビジネススクール教育にフィードバックしよう、といこと。(pp.329-330)

うん、多分これをやろうとしているんだと思う。


◆メタ・アナリシス。これまで蓄積されてきた研究結果そのものをデータとして統計解析を行い、その法則が正しいかどうかを検証すること。



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 アメリカのビジネススクールで教鞭をとった後日本の大学で活躍し文筆活動をする学者も沢山いらっしゃいますが、あえて1つの視点に偏ることなく俯瞰した本書のような本はあると大変助かります。

 本書は多くの視点、論点を扱うだけに著者の姿勢が問われます。いわば情報編集者の誠実さが透けてみえるとき、こうした「情報集」のような本は気持ちよく読めます。


 
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17日、大阪商工会議所にてHONDA(本田技研工業株式会社)前社長で現取締役相談役の福井威夫氏の講演「夢を追い、世界で競う」を聴きました。


 今年は3月に経営学者・伊丹敬之氏による本田宗一郎に関する講演を聴き、その後評伝を読むなどわりと宗一郎づいています。


 既にきいた話読んだ話との重複も多かったですがいくつか印象的なお話がありましたのでご紹介します。


・ASIMO(アシモ)は最初から二足歩行にこだわった。2000年?の紅白に出場したときは直前に声がかかり、SMAPと共演した。SMAPが踊ったりするとステージが揺れる、そういう環境では開発していなかったのでステージにはりつき、当日ソフトを手直しした。倒れそうになったらフリーズさせることも考えたが幸い倒れずほっとした。


・ASIMOは家庭ロボットを目指す。1台あれば家事、介護、防犯、子守、をやってくれる。自動車以上の産業になると我々は見込んでいる。(そういうこと言っちゃうんだ) 
(HONDAは自動車会社ではない、Mobilityの会社だ、とも)


・本田宗一郎は創業期から世界を目指した。しかしベースは日本文化にあった。創業期、奥さんと京都にきたら2時間も仏像をみて動かなかった。そのあとで出来たデザインは堅牢で”神社仏閣”とわれわれは呼んだ。


・われわれとトヨタさんとの大きな違いは二輪車をもっていること。海外進出するときは最初に二輪車で事業展開する。自動車よりリスクが小さい。イスラム社会など、文化や制度のわからないところを二輪車で勉強し、かつブランドイメージを浸透させたあと自動車で出ていく。他に二輪車をもっている自動車メーカーにはBMWがあり、構造が似ているとして注目している。


・研究開発には宗一郎の考え方が色濃く残っている。
「99%失敗して当たり前」
「世の中の定説や学者の理論はあてにするな」
政府への反発があり、「政府の世話には一切なるな」


・宗一郎は66歳で引退、最高顧問になった。会長にはならなかった。以後HONDAでは会長をつくったときもあるしつくらなかったときもあるが、つねに社長がトップ、会長はいつもその下。意思決定がシンプル。歴代の経営者にお伺いを立てるということはない。


・MM精神。”Man Maximun, Mecha Minimum” 「技術が先行しちゃいかん、機械より人間尊重」


・失敗続き。研究所には20年、30年、40年成功しないまま研究を続けている人がゴロゴロいる。エアバッグは16年間失敗続き。カーナビは14年間失敗の連続。航空事業は40年間うだつが上がらなかった。ロボットは26年間基礎研究をやっていた。1960年に研究所と本社を分離したのは、研究所と本社の価値観の違いが大きい。本社はお客様に直接接するから、失敗の許されない世界。



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 うん、やっぱり面白かったのだ、この講演。

 宗一郎はある種のリーダーの典型だと思う。

 『採用基準』(伊賀泰代、ダイヤモンド社、2012年11月)に日本人の「リーダー」に対する態度についておもしろい指摘があった。


 
多くの日本人は、坂本龍馬や織田信長、『坂の上の雲』の秋山兄弟など歴史上のリーダーや、外国のリーダーであるオバマ大統領やスティーブ・ジョブズ氏が大好きです。すでにかなり高齢の場合、もしくはすでに歴史となった人であれば、日本人の名経営者に関しても多くの称賛の声を聞くことができます。しかし現在進行形で存在する強いリーダーに関しては、「独裁者」、「ワンマン」など否定的に評価する声が絶えません。

 伝記では偉業が称えられるリーダーでも、その人の身近で働いた人にとっては、「極めて独善的な人だった」という場合もよくあります。だからこそ、時代的・空間的に自分から離れた場所にいるリーダーは尊敬も称賛もできるけれど、自分と同じ場所・時代に生きているリーダーは必ずしも好ましい存在ではない、という現象が起こるのです。(pp.107-108)



 強力なリーダーは、一緒に働いて必ずしも楽しい存在ではない。

 うんうん。真理だ。



 いや、リーダーの当事者の方々は、だからといって独善で居直っちゃいけませんよ。

 あと「昔のリーダーずき」「歴史小説ずき」で、とくに龍馬をやたら理想化して、かつ今の政治家等に対してはやたら辛辣な、メディアをふくめたおじさん連中の態度。

 当協会の承認でいう「目の前の人へのリスペクト」は、当事者への揚げ足取り的批判に対する「じゃあお前出来んのかよ」という反駁もふくんでいる。


 おじさんではないが田中真紀子が「自爆テロ解散」とか「周囲の話もあまり聴かず…」とか言っていたのは、笑止だった。

 私は個人的に野田さんいつか復活しないかなあと思うほうです。「決められない政治」は、かれの責任ではなかったはずです。


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 「学者の理論をあてにするな」

 この言葉と出会ったタイミングを考える。当NPOの歩みを考えると、学者を当てにした時期もあったし、そうでない時期もあった。

 昨年の今頃だと、教育分野のある文献の評価をめぐって私はカンカンに怒ってブログに書きまくっていた。

 「行動主義」(注:「行動主義」と、当協会でつかっている「行動理論」は微妙に違うものなので気をつけてください)「外的動機づけ」を批判したその文献の中にあるひとつの表現、


 「人間を動物と一緒にするのは、人間に失礼ではないか」

を軽はずみにも真似したべつの学者のことも、返す刀で怒りまくった。


 人間は動物の一種である。人間の脳の活動を今も多くの研究者が動物実験を通じて明らかにしようとしている。かつなによりも、製薬企業の中の無数の研究者が今も動物実験を通じて新薬を創造したり有効性や副作用を検証しているのであり、われわれも当然そうした努力の恩恵を受けて生きているのだ。


 でもそれぐらい、学者というのは自分の専門分野を一歩外れるとおかしなことを言ってしまう生き物だ。


 最近のトピックでいうと、遺伝子学というのは基本的に、妊婦さんや若いお父さんお母さん、その予備軍の方々を脅かしてご商売をする学問だ、というのがわかった。


 たとえ科学的事実であっても、たとえば特定の状況での異常の発現頻度のようなデータを伝えるのは当事者の方々への手厚い配慮をもってするべきであろう。

 私も3回も妊婦をやった人間だから、当事者のほとんどは真面目で、こうした情報のひとつひとつを必要以上に深刻に受け取ることがあるのを知っているつもりである。



 当協会は、もともとそうした仕事をすることを理念にしているわけではないので、最近の遺伝子学者へのインタビューは掲載をとりやめることにしました。楽しみにしていてくださった皆さん、ごめんなさい。

 インタビュー中に断片的に得られた情報は、とりわけ「日本人とはどういう人種なのか」に関する比較的罪のない情報は、当方で独自に検証したうえで使っていくことになるでしょう。


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 例えば組織をストレスフリー(完全に、というのはあり得ないが)にする取り組みとして、私たちは
「リーダー層を皮切りに、最終的には一般職も巻き込んだ、他者をリスペクトするコミュニケーショントレーニング」
を提唱する。きっちりやれば、それは極めて効果的である。
 ―もちろんストレスレベルを低下させるなどはむしろ些末な副次的効果で、主目的は優秀な人々をつくり、生産性の高い組織をつくることである―


 片や、遺伝子学者や寄生虫学者や精神医学者は近年、DHAや食物繊維といった、食べ物による改善を主張する。それは彼らが論文化しやすいのがそういうものだからだ。実験計画が立てやすいからだ。会社組織に対して教育研修計画をもちかけ同意してもらい実験するなど、かれらの手には余るのだ。
(恐らく動物実験をモデルにするということもできない種類の実験だ)


 「人は、独りで生きている存在ではない」
 これも当たり前すぎるほど当たり前なのだが、社会人の中では特殊な仕事の仕方をする、というかあまり社会人の端くれとは呼べない学者たちが見過ごしやすいことを、声を大にして言いたい。


 私たちのしていることはフロンティアだ。そのことに必要以上に不安を感じるべきではない。





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3日、2年ぶりにNPOの忘年会をしました。神戸三宮・丹波地鶏の店「ちょぼいち 鶏鶏」にて。

忘年会2012



 小柳さんと山口さんが帰ったあとだった!お二人ごめんなさい。山口さん、ご家族は大丈夫でしたか。

 NPO会員・受講生5名と私、それに某新聞の記者さんが飛び入りで参加されました。

 「承認するリーダー・リーダー予備軍」の方々で歓談されました。

 たくさんの新しい心温まるエピソードと、「承認は結果が出ますから」という力強い言葉がきけました。

 皆さんとても「強い」方々ですが、それでも時にはこうして集まって力づけあうのもいいものです。

 
 私はこっそりこの日49回目のお誕生日でした・・・いえいえ流石は皆さん、「おめでとうございます」で乾杯をなんどもしてくださいました。大変幸せな夜でございました。



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『思い違いの法則―じぶんの脳にだまされない20の法則』(レイ・ハーバート著、インターシフト、2012年4月20日)を読みました。


 このブログにもたびたび出てくる「バイアス」というもの、わたしたちの錯覚をもたらすその代表的なものをまとめた本です。

 ここでは、わたしたち自身が日常的におこなっている「ヒューリスティック」という思考法をその「バイアス」をもたらすものとして挙げます。なのでここでは、バイアスの種類を「〇×ヒューリスティック」と呼びます。

 「ヒューリスティック」は、『医者は現場でどう考えるか』という本を紹介したとき出てきました。

 「判断をゆがめるものとの闘い―『医者は現場でどう考えるか』

 http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51778972.html


 医者だけでなくマネジャーにとっても、「ヒューリスティック」は日々の業務をこなしていくうえで欠かせない思考法、いわば「必要悪」ともいえるもの。とはいえ、それがなす害についても知っておかなければなりません。


 本書には大量の興味深い心理実験が紹介されます(1つ前の記事の『あなたはなぜ「嫌悪感」をいだくのか』と重複しているものも少なからずありました)が、そのうちのとくにわたしにとって興味深かったものをメモ書きでご紹介させていただきます。


●ヒューリスティックは、認知における経験則である。それは頭の中に思考の近道として組み込まれ、直感的ですばやい意思決定や判断をするときに用いられる。・・・ヒューリスティックは、一般的にはとても役立つものだ。私たちは毎日、何百という意思決定をおこなっているが、ひとつひとつを深く考えないですませられるのも、ヒューリスティックのおかげだ。けれどもそれも完璧ではなく、理屈に合わないことも多い。(pp,.12-13)


(大原則ですね。ヒューリスティック、いわば経験則に毎日頼らざるを得ない。でもその落とし穴を知っておいたほうがいい)


●仲間はずれにされた経験をした被験者グループに部屋の室温を予想してもらったところ、常に温度を低く予想し、その経験をしなかったグループとの差は3℃近かった。仲間はずれにされた胸の痛みを思い出すことで、本当に寒く感じた。


●清められた人は嘘をつきやすい。手を洗った被験者のほうがより多く嘘をついた。『あなたはなぜ「嫌悪」するのか』にもあったエピソード。


●大打者ミッキー・マントルは「ボールがグレープフルーツのように大きく見えた」と言ったが、調子の良い(パットがよく入る)ゴルファーは実際よりカップが大きく見えていた。

●あと知恵バイアス(「僕にはわかっていた」シンドロームともいう)。いったん起こってしまったことについて、それは避けられなかったと考えようとする性向。私たちの過去の記憶は、起きたばかりの、より新しく強烈な記憶にかき消されてしまうらしく、そのため私たちは心理学的に、以前どう考えていたのか、自分に正直になることができない。これがあると、失敗から学ぶことが難しくなり、自分の行動について責任を持たなくなる可能性がある。

(この知見はべつの意味で大変おもしろい。研修をしていても、「私は以前から承認を行っていた」と主張する受講生さんによく出会うが、状況証拠がそれと反するばあいがある。研修で学習したり体験したりした結果、それは初めての経験であるにもかかわらず過去の記憶のほうをそれに一致させて「僕にはわかっていた」となった可能性がある。)


●なじみのあるものの方が価値があると感じる(流暢さヒューリスティック)。同じ1ドルでも見慣れた1ドル札のほうがあまり流通しておらず見慣れない1ドル硬貨より価値がある(沢山のものが買える)と感じる。また読みにくい字体で書かれたものは価値が低いと感じる。



●ものまね(協調)ヒューリスティック。2人以上で協同作業を行うときにはたらく。

 「被験者たちは1人のときより、誰かと組んだときのほうが一生懸命で、ハンドルを握る力も強かった。しかし意外なのはここからだ。被験者たちは、1人のときより苦労したのはパートナーがいたからだと感じていた。つまり相棒はまったく役に立たなかったと思い込んでいたようなのだ。実験が終わってから、パートナーは助けになったどころかむしろ邪魔だったと、不満を口にする被験者もいた。しかしその感覚は間違っている。実際に時間を記録したところ、どの被験者も1人より2人で作業したときのほうが成績はよかった。もう1人の力が加わるため、物理的な抵抗を感じるのは事実だが、それでも互いの役に立って、結果的に良い成績をおさめているのだ。」(p.87)
  

(非常におもしろい実験。本書の「ものまねヒューリスティック」という解釈はべつにして、私たちは一緒に仕事をする仲間を「邪魔くさい」と感じるようにできている。客観的には仲間のお蔭で自分もより力を発揮できているというのに)


●自制心は刺激されて増大したり、使いすぎて消耗したりする。空腹なウェイターの気持ちになろうとしていた被験者は、認知能力が枯渇してその後のテストの成績はほかの人に比べてよくなかった。しかしウェイターの自制心を見ていただけの被験者のほうが、満腹なウェイターを見ていた被験者よりも成績がよかった。

(この同じエピソードは意志力の本にも載っていたかも。とまれ、意志の強い人をそばで見ていられるのはいいことだ。)


●近接した点でプライミングされた(頭の中で狭苦しさを感じた)被験者のほうが、さまざまな強い刺激に対する拒否感情が強くなる。心に距離的ゆったり感をもったほうがものごとに寛容になれるようだ。両親、兄弟、生まれ育った町との感情的な結びつきに、心理的な隔たりをプライミングされた被験者はあまり執着を示さなかった。隔絶と孤立は自由の裏返しなのだ。


(アメリカでも小さい町に住んでいる人は一般に保守的で道徳的に不寛容だ。また昔、「大きい家に引っ越したほうがダイナミックにものが考えられる」という「水槽理論」なるものがあったがそれに似ている?一方で自由が本当に幸せなのかという問いもある)


●ある作業を心理的に遠く感じると、すぐに取り組まずに、いつかわからない将来に持ち越してしまう。あいまいでばくぜんとした作業は、具体的な作業に比べて先送りしやすい。

(コーチングの「スモール・プロミスを大切に」というのと同じですね)


●「視点取得」は、「説明能力」にかかわるおもしろい知見。私たちは他人も自分と同じ視点で考えると思ってしまう。クイーンの某曲を逆回しすると「マリワナを吸うのは楽しい」と言っているという噂がある。都市伝説のようなもので、実際に逆回ししても普通はそのように聞こえない。大学生に逆再生した曲を聴かせたところ、ドラッグ礼賛メッセージについて事前に聴いていた学生はほぼ全員が「メッセージが聴こえた」と言い、事前に聴かされなかった学生はそのメッセージが聞き取れなかった。
 さらに、このメッセージについて事前に聴いている学生に対し、事前に聴かされなかった学生が曲を聴いてメッセージが聴こえたと答えるかどうか予測させたところ、「事前に聴かされなかった学生」の視点を取得できず、彼らはメッセージが聴こえたと答えるだろうと予測した。

(研修屋からみた、世間の人々の「説明不足」が起こるプロセスをよく説明している。たとえば、プロの研修講師から受けた研修内容を「社内講師」が次の学生に教えようとする。しかし、プロが学生にわからせるために限られた時間内で慎重に配置したエピソードや理論説明が抜け落ちているために、独りよがりの説明になって「伝わらない」ケースも多い。自分がなぜ、どの説明によって「わかった」と思ったのか、自分が「わかっていなかった」状態から「わかった」プロセスをきちんとコピーしないからそうなる。一般に例えば自分が丸1日とか2日かけて初めて「わかった」ものを、他人に説明してわかってもらおうとするとき、1時間や2時間でわかってもらえると思うのは間違い。)


●幸福を「取り消してみる」と、満足度が上がる。カップルに2人が出会っていないと仮定し、お互いの存在なしに人生を歩む状況を思い描いてもらうと、満足度が上がった。


●アルツハイマー病の患者に自然現象の理由を尋ねたところ、世界は何かの目的のためにつくられていると考えていた。雨が降る主な目的は飲み水を提供するためであり、木が存在するのは影をつくるためであり、太陽は人間を暖めるためだけに存在すると考えていた。これは未熟な子どもたちの思考と同じで、人間の脳はものごとは存在目的があると考える衝動に動かされている。

(上司が「部下はオレを喜ばせるためにいる」とか「部下はオレの出世のために存在する」とか考えるようになったら、自分の認知能力を疑ったほうがいいかもしれない?)


●ポジティブな感情の意義とは。何かを好きになるという行為が思考を形づくり、多面的な思考をし、他人にはわからない違いもわかるようになる。”拡張・形成”理論によれば、前向きの感情は、さまざまな新しい経験に対して心を開く。好奇心や喜びを感じた人はより大きな可能性を見出し、視野が遠く、幅広くなり豊かなメンタルマップをもつ。そして時間がたつにつれて、こうした前向きでオープンな経験が積み重なって、心理的、感情的な回復力が生まれる。恐怖や嫌悪のようなネガティブな感情は捕食者から逃げたり毒を避けたりするのに役立つが、前向きな感情は創造性を高め、知的な活動に従事し、自分のことばかり考えなくなる。そのため複雑なこの社会をうまく泳ぎ、生き延びるのに有利になる。


●ステレオタイプは認知のエネルギー節約のためのツールである。これを遣えば限られた脳の力をもっと有益で重要なことに使える。ステレオタイプに頼れば、他のこまごましたことについて学習能力が上がる。

(「決めつけ」をする人は、その事物や相手を重要だと考えておらず、限られたエネルギーをほかのことに使いたいと考えているのかもしれない。でもそもそも体調が悪くてものを考えるのに使えるエネルギーの総量が少ないのかもしれない。次の項目参照)


●朝に生産性が高い朝型人間と夜にピークが来る夜型人間の2種類の人間がいる。頭の働きがピークでないとき、体調が万全でないときのほうが、ステレオタイプ思考に流されやすい。

(裁判員の人などは要注意。あと当然管理職は二日酔い状態でのステレオタイプ思考にも。)


●ステレオタイプを抑えるときには自制心の領域が活性化する。(つまり、筋肉と同じで使いすぎると疲れてしまうということ?)


●老人に対する失礼なステレオタイプを持っていた人は、まさにそのイメージに合った老人になる。老人は無力であると考えていた人はその後の40年の間に何らかの心臓疾患を経験する可能性が高い。


●制服を着ている人のほうが、病気やけがによる欠勤、通院や入院での回数も少なく、慢性病を抱える人も少なかった。これはおそらく制服で仕事をする人は、服を選ぶという、年齢を意識させる行為をせずにすむから。


●汚れは伝染ると感じられる(黴菌ヒューリスティック)。ヒトラーが来たセーターを着るかとの問いに多くの人はノーと答える。不道徳も伝染すると感じている。マザー・テレサが着たセーターなら多くの人が着ると答えるので、よい本質も伝染ると思っている。しかしヒトラーのセーターをマザー・テレサが着たとしても、汚れは帳消しにならない。

(ネガティブな感情とはそれぐらい根源的で強力なものだ。この部分は『あなたはなぜ「嫌悪」するのか』と重なる)


●死について考えた被験者は明るく前向きな連想をする傾向があった。歳をとって死に近づいていくとき、脳はより明るい情報をさがし求める。さまざまな顔の写真を見せたところ、老人の被験者は明らかに楽しげな表情を好み、怒った顔を見るのを避けた。

(年配の人は優れた直観をもつこともあるが、老害があるとしたら過剰にポジティブで、不愉快な情報から目をそむけてしまうこと。もし問題を正しく認識して対処できなくなったら、意思決定の場から退場するしかないだろう)


●ノスタルジアは孤独感をやわらげる作用がある。ダメージから立ち直る力を意味する回復力(レジリエンス)は、侮辱を跳ね返し、非難や攻撃をかわす能力だが、その回復力を備えた人は、困難への対処法としてノスタルジアを使っていると考えられる。


●死を意識した人は、贅沢な消費をこのみ、欲深くなる。彼らは競争相手を負かし、多くの木を切って、お金を稼ごうとする。自らの不安や恐怖があまりにも強く、生態系や他人をかえりみる余裕がなくなる。


●思想上の脅威は死を思いださせる。大量殺人や大量虐殺の裏には、思想上の脅威による死の恐怖がある。ナザレ(キリスト教の聖地)のイスラム化についての記事を読んだキリスト教徒は、だんだんイスラム教徒ばかりでなく、仏教徒、ヒンズー教徒、無神論者についても否定的になった。

(コーチングや類似の心理学、コミュニケーションの研修機関もそれぞれ一種の思想空間なので、時には相手を滅ぼさんばかりの勢いで攻撃を仕掛けることがある。私は他人のテリトリーに入るときは他人を「尊重」するけれど。自分のテリトリーで散々いやな思いをしているから)



●ウディ・アレンの有名な言葉で、仕事の80パーセントは姿を見せることだ、というのがある(既定値思考)。



これらは本書で紹介されている膨大な心理実験のあくまで一例です。
さて、これらを知っていると私たちは少しは判断ミスをしない人になれるでしょうか・・・


100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

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