正田佐与の 愛するこの世界

神戸の1位マネジャー育成の研修講師・正田佐与が、「承認と職場」、「よのなかカフェ」などの日常を通じて日本人と仕事の幸福な関係を語ります。現役リーダーたちが「このブログを読んでいればマネジメントがわかる」と絶賛。 現在、心ならずも「アドラー心理学批判」と「『「学力」の経済学』批判」でアクセス急増中。コメントは承認制です

2013年01月

お世話になっている皆様



 おはようございます。
 企業内コーチ育成協会の正田です。



 アルジェリアで亡くなられた方々の悲報に胸つぶれる思いで過ごした先週末でした。「日揮」の社員様方は、やや遠いお仕事ですが、皆様の海外での活躍のお蔭でわたくしたちが石油製品を使い、便利な日々を送らせていただいていることを改めて知りました。そしてその仕事が危険に満ちていることも。

 今回は日本人を集中的に狙ってきたとのこと。テロへの備えも十分にしながらも、その裏をかいてくるのがテロだとのことですが、是非再発防止できますよう、また進出先の国で日本の貢献が正しく理解されることを祈っております。



※このメールは、NPO法人企業内コーチ育成協会のスタッフ及び代表理事・正田が、過去にお名刺を交換させていただいた方・当協会のイベントやセミナーにご来場いただいた方にお送りしています。ご不要の方は、メール末尾にありますURLより解除いただくか、このメールに直接「不要」とご返信ください。




 本日の話題は:




■メンタルヘルスの「セルフケア」、どうしてますか。


■ふたたび「体罰」について考える


■講演会のお知らせ
 「日本の企業を『つながり力』で動かす!」(2月13日)

■早くも好評。よのなかカフェin姫路 (2月15日)


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■メンタルヘルスの「セルフケア」、どうしてますか。

 

 新型うつ、適応障害などのメンタル疾患が職場に多発し、これを「労務リスク」とみなければならない、とする考え方が広まっています。


 働き盛りの正社員がうつで1人休職したときの企業の蒙るコストは単純計算して年間1000万円。しかしそれだけではない、周囲の人がその人の仕事をカバーするために行う残業、補充の人への教育コストなどを含めると2000万円に上るともいいます。

 
 これへの対策として、厚労省が提唱する4つのケアは
1)セルフケア
2)ラインケア(管理職によるケア)
3)企業の産業医、産業カウンセラーなどによるケア
4)社外リソースの活用

などで、平成25年から社内研修会が義務付けられることになります。労基署の立ち入り調査があれば研修を行ったか否かが必ず問われるそうです。


 さて、当協会では日頃「承認中心コーチング」を提唱し、管理職がこれの担い手となることで業績向上だけでなく、職場のメンタルヘルスにも極めて高い予防効果があることをみてまいりました。


 一方、管理職が行うには適さない予防策もあります。

 ご本人のもともと持っている人格的な偏りのため、メンタルヘルスを害しやすい人も中にはいます。こうした人々が精神的タフさを獲得するために、まれに管理職からの関わりが功を奏することもありますが、基本的には医療やセラピーを受診してもらうことが望ましいでしょう。管理職が「傾聴」を行うのは大事なことですが、管理職の本来の役割はカウンセラーではありません。


 こうした人は、どのようなセルフケアをするのが望ましいでしょうか。

 こうした人々のもっている「偏り」の種類も一様ではないので、これまであまりご紹介しやすい本がなかったのですが、最近出版された本でお勧めしたいものがありました。

 『現世療法』(千田要一、クラブハウス、2013年1月)


 書評をこちらに掲載しました

 「『現世療法』、セルフケア、「体育会系」との決別」

 http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51845632.html


 上記の書評にあるようにやや「スピリチュアル」が前面に出ているので「引き」たくなりますが、そこをぐっとこらえて中身を読むと、これは「セルフケア」には非常にいい本だということがわかります。


 最新の「ポジティブ心理学」を踏まえ、「感謝」「褒め日記」「瞑想」「森田療法」など、自分でできるものから専門家に依頼するものまで、幅広くセルフケアの方法を網羅しており、お勧めです。 
 


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■ふたたび「体罰」について考える


 前回のこのメールニュースでも「体罰」を取り上げましたが、桜宮高校での「体罰」問題発生以来、愛知、京都と全国各地で学校の運動部指導者による体罰の報告が相次ぎました。また昨日には、ロンドン五輪の女子柔道代表選手らが監督による体罰を告発するという動きにもなっています。

 
 上記のブログ記事でも桑田真澄氏の著書をとりあげましたが、体罰に頼る日本のスポーツ指導はやはり世界的にも特異であり、それは決して威張れたことではないようです。

 http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51845632.html 


 ここでいう「野球道」にある、「長時間練習」や「絶対服従」は、そのままわが国の職場のマネジメントのスタイルにも踏襲されている感じがしますね。


 桑田氏の提唱する「スポーツマンシップ」という言葉。高校球児の宣誓にも使われ、やや耳新しさのない言葉のようですが、桑田氏がそこに込めた意味合いは、暴力や抑圧との決別、それに合理精神やリスペクトしあう高次の人間関係に基づいた向上であることがわかります。


 軍隊のまねをして体罰をすることが何故いけないか。前回の記事ではそこが説明不足だったきらいがありますので、補足の記事をこちらに書いております。


 「問題に対処する国、しない国―「日本モデル」とは―」

 http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51845034.html


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■講演会のお知らせ
 「日本の企業を『つながり力』で動かす!」(2月13日)


 公益社団法人兵庫工業会人材育成部会のイベント部会で、わたくし正田が講演させていただくことになりました。

 考えてみますと、2010年に当協会顧問・太田肇氏(同志社大学教授)、11年にわたくしがこの同じイベント部会で講演させていただき、当協会の考え方をこの場でお話させていただくのは通算3度目となります。


 タイトルは「日本の企業を『つながり力』で動かす!」

 わたしたち日本人の特性とは何か、そしてグローバルで優位を築いて生き残るために必要な教育とは何か。工場を舞台にした、「承認中心コーチング」の最新データも、お客様のご厚意でご紹介いたします。


 2月13日(水)15時より神戸市産業振興センターにて、参加費おひとり1,000円。定員30名。

 詳細とお申し込みは兵庫工業会ホームページ 

 http://www.hyogo-ia.or.jp/info-pdf/event.pdf にて。


 皆様、お忙しいことと存じますが、是非ふるってご参加ください。




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■久びさ姫路でよのなかカフェ「姫路版・高齢化社会を探る!」(2/15)



 議論を通じて「考える社会人」を育てるよのなかカフェ第37回。次回は姫路で開催いたします。


 タイトルは「高齢化社会」。増え行く元気なシニア層の力を地域にどう活かすか、また充実した老後を過ごしていただくか。「姫路」という地域社会にそれがどう組み込まれていくかを探ります。

 前回、このメールニュースでお知らせしたところ、早速10名を超える方々がお申込みくださり、このテーマへのご関心の高さがわかります。


 まだ若干お席の余裕がございます。世代を問わず、新しい地域社会にご関心のある方はぜひお越しください。


日時:2013年2月15日(金)19:00〜20:30(最大21時まで延長あり)

会場:姫路駅南口・ノマドワーキングカフェ「ロバスト」 http://robust.bz/

主催:特定非営利活動法人企業内コーチ育成協会

参加費:1,000円(+別途ドリンク代)


お申し込みは メール info@c-c-a.jp (NPO法人企業内コーチ育成協会)まで。
お名前・ご職業を添えて お申込みください。




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※このメールは、NPO法人企業内コーチ育成協会のスタッフ及び代表理事・正田が、過去にお名刺を交換させていただいた方・当協会のイベントやセミナーにご来場いただいた方にお送りしています。

今後ご不要の方は、
空メールをご返信いただくか、こちらのページ

http://www.webcordial.com/bn/tk.html

より解除していただければ、
購読リストから外し、次回から送信されないようにいたします。


※このメールは転送歓迎です。
もしこのメールを新たに購読ご希望のかたがいらっしゃいましたら、
info@c-c-a.jp まで、「メールニュース希望と書いて
お申込みください。


 ここまで読んでいただき、ありがとうございました!

 まだ寒い日々が続きます。皆様くれぐれもご自愛ください。良い日々をお過ごしくださいますよう。



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100年後に誇れる人材育成をしよう。
特定非営利活動法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp
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代表理事 正田 佐与
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ブログ「コーチ・正田の 愛するこの世界」
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愛する日本を、人が元気になる国にしませんか。
「承認大賞2011プロジェクト」
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「企業内コーチ育成のすすめ」
(株)帝国データバンク社『帝国ニュース兵庫県版』
2008年〜2012年 長期連載このほど完結
http://blog.livedoor.jp/officesherpa-column/
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 『現世療法』(千田要一、クラブハウス、2013年1月)という本を読みました。


 スピリチュアル系の本と思って手にとったけれどスピリチュアルは一部で、大半は「ポジティブ心理学」の本。


 なんだか出会いだなあ、と思うのは、このところ「コーチングでは救えない人」―問題が深くて、やや「病的」が入っている人―に悩まされていて、そうした「救えない人」にはいくつかパターンがあるのだけれど、本書はちょうどそうした「救えない人」を救済する内容だから。


 それは上司がするのではない、セルフケアとしてすることですが。本人さんが周囲に迷惑を掛けている自分、それはだれのせいにできることではなくて、自分の中に原因があることにまず気づき、こうしたセルフケアの門戸を叩くことが必要です。


 そして、考えてみるとこうした「上司やコーチにとって救済不能」な人は結構な比率になるのではないかなあ、と思います。わたしは管理職の皆さんに深追いはすすめないほうです。

 
 例えばその中の1つは、「完璧主義」でがんじがらめになり、行動がとれず生産性の極端に低い人。

 こうした人々の特徴は、

〔槁犬泙任瞭擦楼貭樟と考える
⊆最圓魘欧譴
L槁犬世韻大事(たとえば、2つ3つ仕事を抱えているとき一番偉い上司から言われたことだけが大事で、2つ目3つ目の仕事はまったくやらないか雑にやったりする)
ぁ崛瓦無か」思考(恐らくこれがあるので、いちどでも叱られるとその仕事は失敗であり、力を注ぐ価値のないものであり、その仕事に集中力を欠き信じられないようなミスを繰り返すようなことになる)
ゼ己防衛が強い
Δ△蘆気群
Ч田勝静的(「ねばならない」思考で柔軟性に欠ける)

 こうした人に対して、本書が勧めるのは

1)快楽を「味わう」
2)マインドフルネス瞑想
3)認知行動療法の6カラム法
4)森田療法

などです。
 こうして要約だけ読んでいるとどうしてそこにつながるかわからないと思うので詳しくは本書をご参照ください。

 とまれこのようにひとつの手法に偏らずかなり網羅的に各症状別の治療法を取り上げているので、押し付けがましい感がなく、納得感が高いとおもいます。

 
 ただあくまで本人さんのセルフケア、もちろん家族が本人さんを引っ張っていくのもありですが、本人さんが「自分には問題がある。治そう」と思うことが前提となります。


 これは受け売りですが、最新の職場のメンタルヘルスケアの指針では.札襯侫吋↓▲薀ぅ鵐吋◆淵泪優献磧爾砲茲襯吋◆豊2饉劼了唆醗紊覆匹離吋↓こ杏専門家によるケア の順になるということで、本人さんはメンタルになりやすさの自覚をもち、セルフケアすることが必要となります。

 たしかに日本人の生まれつきのネガティブ性格もあって、マネジャーの手に負えない、セルフケアが必要な人というのは多いでしょう。

 ただ、自分の性格の偏りを自覚し、それは治さなければならない性質のものだ、と真摯にとらえることも、「勇気」が必要になります。自分の弱さを認めることは勇気のある行為です。本当に「弱い」人がそこに行きつくのは至難のわざで、やはり直属のマネジャーが医療機関やセラピーの受診を勧めるトークの腕が問われそうです。


(そしてまた、病的な人に「あんた病気や」と言うことが許されるのは、恐らく「承認するリーダー」だけであろう。そういう意味もわかっていただけるだろうか。上司自身がバイアスだらけ、問題が発生したときに上司に原因がある場合もかなりある、とういとき、他人に「あんた病気や」と言うことはできないのだ。ここでも結局「承認」の重要性は減らない)


 とまれ、スピリチュアルな装いの本なのは困ったことですが、中身に関していえばそうしたトークが必要な場面で役立ちそうな本です。


 なお本書の著者の他の著書や本書中で引用している文献の出版元が某宗教団体なのはいささか気になるところですが―、ポジティブ心理学自体はちゃんとした学問で、大筋いいものです。本書p.20-21の「ポジティビティ比 自己診断テスト」などはどなたもやってみる価値ありです。かつ正田がそっち系の人ではないのはNPO会員さん方はご存知でいらっしゃると思います。


 もひとつ補足すると―、

 本書の中のもっか最も役立ちそうな部分を上記でとりあげましたが、こうしたセルフケア本、ないしは自己啓発本に特有の、独善につながりそうな箇所も一部にあります。後半の「なりたい自分になる」などは、その人の文脈によっては有効なのでしょうけれども、場合によっては大変はた迷惑なはき違えを起こして周囲との摩擦の原因になる場合もあり、注意が必要でしょう。自己啓発本を読む若い人の層と話してもかみ合わない、というのを正田はよく感じます。(こうした若い人たちは「自己啓発本の著者のほうが上司や正田さんより偉い」と思い込んでいるふしがあります)


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 『野球を学問する』(桑田真澄+平田竹男、新潮社、2010年3月)。

 品切れ状態でしたが思ったより早く届きました。


 ここでは元ジャイアンツの桑田真澄投手と、その現役引退後の恩師である平田竹男氏(早稲田大学大学院スポーツ科学研究科教授)が対談。


 桑田氏の発言は「体罰」問題でよく取り上げられたが、メディアに載るのは「ぼくも小学校のとき体罰を受けたが当時は大した選手ではなかった」という断片的なもので、誤解を招くきらいがありました。


 桑田氏は大学院で「野球道」を研究しようと志しました。なぜ野球界には、後輩いじめ、体罰、長時間練習といった悪しき伝統が引き継がれているのか?

 そこで読み込んだのが飛田穂洲(とびたすいしゅう)という人。1886年生まれ、早大野球部、野球監督から朝日新聞に入り野球記者として活躍、西洋伝来のベースボールを「野球道」と日本的に解釈して、のちの野球界にきわめて大きな影響を与えることになった人物です。

 「一球入魂」「根性野球」「千本ノック」もこの飛田穂洲がつくった。水島新司漫画のファンだった正田にも結構なつかしい言葉です。

 桑田氏が要約した飛田の野球道の柱は3つ。「練習量の重視」「精神の鍛練」「絶対服従」です。1936年にはじまった日本のプロ野球(職業野球)は第二次大戦中には、一時休止声明も出されましたが、飛田はこうした時代背景にあって軍部の圧力から野球を擁護するために、「野球は兵士養成に役立つ」という論理を組み立て、野球を守ったのでした。


 「戦時下であったからこそ生まれた飛田の野球道が、現在の平和な日本でも生き続けていることが問題なんですね。世界は変わったのに、野球は戦時中のまま変わらないでいる。そういう意味では、野球には、まだ戦後民主主義が訪れていないということですね。」(平田)


 ちなみに1968年生まれ、正田より5歳下の桑田氏が小学校時代に受けていた体罰がどんなものだったか。


「ミスは連帯責任なんですよね。で、ひと通り2〜3発ずつ殴られると、全員、顔に手の型が赤くつくわけですよ。そうすると、監督も「これ以上殴ったらまずいかな」と思うんでしょうね。それから誰かがエラーをしたりミスをすると、「キャプテン、来い!」と。ぼくはキャプテンをやってましたから、あとは全部ぼくがやられるわけです。ただぼくは、チームメイトに対して「おまえら、しっかりやれよ!」とは決して言いませんでした。ピーピー泣いている選手もいましたからね、かわいそう、というか…。キャプテンだからしょうがないなと、だまって我慢していました。」


 これが、小学校2年以前に受けていた体罰。3年になってからは6年生のチームに編入され、そこでは先輩からのいじめがあったという。
 高校で強豪のPL学園に進学した桑田氏は、休日で9時間にもなるという長時間練習の見直しを1年生のときに提言、3時間練習しあとは自主練で効率よく練習するという形にした。それがPLの黄金時代をつくる。


 そうした桑田氏は、現代の時代背景に合わせて「新たな野球道」を提言します。

「練習量の重視」⇒「練習の質の重視」

「絶対服従」⇒「尊重(リスペクト)」

「精神の鍛練」⇒「心の調和」


 これら3つの言葉の中心に「野球道」に代わる言葉として「スポーツマンシップ」を置くことを提言したのです。


 「スポーツマンシップ」という、いささか手あかがついたような言葉が、そこでは過去の痛みの記憶の上に成り立つ、血を洗いおとしたあとの清らかで強靭なものとして提示されるのです。

(ひょっとしたら、「コーチング」にも似た意味合いがあるのかもしれません)


 一方の平田氏は、「逆台形モデル」を提示、子どもの頃に例えば野球に親しんだ子が、トップアスリートにならなかったあとも挫折感を持ったり野球を嫌いになったりせず生涯野球に親しみ続け、それを通じてスポーツビジネスや地域とのかかわりなどの広がりを産むことを提言しています。

 
 「体罰」だけにとどまらない、いじめとかしごきとかそれらに耐えてきたプライドとか、日本の変な「体育会体質」そのものを、いまや見直さなければならないときかもしれません。


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 年初からまたパーソナルトレーニング(筋トレ)に通っています。

 以前にも登場した遠藤先生は生徒さんがいっぱいつき、整体院の午前診と午後診のあいだお昼をとる間もなくレッスンをしてはります。


 優れた方々に支えられています。もういちど感謝の念をもちなおさないと。




100年後に誇れる人材育成をしよう。
企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp
 
 
 



 

 病気療養中です。


 「体罰」問題については、橋下市長の動き方に賛否両論あり(「否」の方が多いのかナ)コメントしずらくなってしまった。


 そんなとき手元には『北欧モデル』や『IKEAモデル』という、まるでシリーズ物のようなタイトルの本があって。

 どうわたしの頭のなかで関連するのかというと、

 一昨年、2011年に、当協会は神戸でのよのなかカフェで5月と10月の2回、「スウェーデン」をとりあげた。5月にはIKEA神戸の女性マネジャーさん方。聡明で力強く決断するタイプの日本人女性だった。また10月にはスウェーデン人研究者のアンベッケン女史が登場。いずれもよのなかカフェ史上ヴィヴィッドな記憶だ。


 そこで感じたのは、さまざまな社会変革を率先してすすめるスウェーデンの人々の問題に対処する態度というか思考法というか、である。

 例えば、「携帯電話の電磁波は人体に害がある。発がん性がある」と言われはじめたとき。

 スウェーデンは世界に先駆けていち早く大規模な疫学調査を行い、これを立証し、電磁波に関する規制を立法化してしまった。

 そこではざっとこんなことが起こっている。

  嵬簑蠅あるようだ」という問題の認識(疑いの段階も含む)

 ◆嵬簑蠅あるならストップをかける」「是正する」という方針の確定

 △量榲を遂行するため立証をおこなう。上の例の疫学調査など。

 の証ができれば是正措置をとる


 こういう,らい泙任鬚気さくと行うのが「スウェーデン流」。

 人によっては北欧諸国はアメリカと同様、「チェンジ!」が好きなのだ、という議論もあるが、私はそうは思わない。好きだから興奮するからチェンジするわけではなく、ただ問題に対する感覚が「さくさく」しているだけなのだ。

 ひるがえってわが日本は、どうだろう。

 ,涼奮の議論は、する。ときには疑いの段階でもわりと大きな見出しになり、しばらくの間とりあげる。

 しかし、どうも△砲燭匹蠱紊前に失速する。△鮗臘イ垢訖佑眞罎砲呂い襪、「まあまあ」とそれを引き止める人々の声がだんだん大きくなる。

 △帽圓たがらない人(アンチ変革派の人)はそこで、どんなことを言うかというと、

「だって昔からこんなことはあったし」
「だって僕の、私の子ども時代もそうだったし」

 以前にこのブログでみたように「ノスタルジー」はその人を強くする。何かの逆境に遭ったとき支えになる。だから、人は容易にはノスタルジーを手放したがらない。
 ・・・かつ、日本ではエピソード記憶の能力が高いとされる遺伝子スニップをもつ人の割合が世界で突出して高い。世界一ノスタルジーが好きな国民と言えるかもしれない。・・・

 それにプラス、

「変えようと言う人は強引だ。民意をきいてない」
「もっと議論を尽くしてから」

 一見民主的なようだが、そこでいう「民意」はその問題の当事者ではない無関心層を含むので、そうした「民意」を動かすのはそもそも至難のわざなのである。

 でも、これも以前にもみたように「空気を読む」人にとっては、「みんな」が動いてくれないと安心できないのだ。動くはずのない無関心層までも動く、それこそ自分も安心して動けるときなのだ。

 そんなときくるわけないじゃん。だから、黒船とか敗戦のような強烈な外圧のきっかけが欲しいのだ。


 そのように、日本では「変革」を起こさない方向へのベクトルが非常に強くはたらく。その結果、社会変革のたぐいが遅々としてすすまない、体罰や女性活用やはたまた体外受精の卵子提供まで。

 そして、問題が長引いているうちに、被害と加害の構図がひっくり返ってワケのわからないことになり、結局うやむやになって次の問題勃発を待つ、みたいなことになる。デジャヴュな問題が芸もなく繰り返される。その社会的コストたるや。


 「桜宮高校」をめぐる問題も、なんかそんなことになっていそうだ。

 
 けっしてハシモトさんに関して支持者ではないが、この高校の校長以下先生方や生徒、保護者、OB、といった方々の感覚はおかしい、とわたしも思う。人が亡くなった、それも落ち度のない人が無残な形で、という事実の重さがわかっていない。ただ「受験生が可哀想」というのも、「亡くなった子が可哀想」に対抗しうるような、情に訴えるインパクトがある。

 
 以前にメールニュースに書いたように、日本のスポーツ界の体罰指導というのは恐らく戦時中に必要に迫られて軍隊のまねをしたことからくる。そしてそのときそこまで書かなかったが、軍のまねをするのが何故よくないかといえば、軍は死の恐怖という極限のプレッシャーにさらされるため、新兵いじめとかしごきとか、理不尽な暴力が横行する場だった。そこに教育的価値を見出すことはできない。暴力は上司・先輩のストレス発散のために行われた。

 現在も、体罰を容認する限り上司・先輩のストレス発散のために暴力が振ることは防止できないだろう。そして、「強いものがストレス発散のために暴力を振るっていい」ことを学んだ少年・若者は、容易に女性や乳幼児に対しても暴力をふるうだろう。DVや虐待、パワハラの温床になるとどうして言えないだろうか。暴力の連鎖がつづくと。


 そう言ったからといって私も倫理的に許されないことをした人への鉄拳制裁が絶対にいけないか、あるいは暴力を振う生徒にも暴力で対抗していけないか、というと、そこは保留しておきたい。わが家の中でもきょうだいをひどいやり方で傷つけた子どもに対して体罰が行われたことは、このブログにも書いていると思うし、暴力を振う生徒に警察を呼んでも構わないと思っている。

 
 私は自分があまり長く生きると思っていないし後に残せるのはこのブログだけ、という事態も当然あり得ると思っているので、できるだけ誤解の余地のないように書き残しておきたいと思う。

 
 日本の学校スポーツの「勝利至上主義」も槍玉にあがり、それがなぜわるいのか、その中にいた人はわからない人も多いと思う。

 欧米諸国での学校スポーツはより「楽しむ」ことに重点を置いているのだ、人口比でメダル獲得数の多い北欧諸国ではとりわけそれが徹底していて、スポーツを「楽しむ」すそ野が広いことがトップレベルの選手を産むのだという。

 そのあたりは詳細を知らないので、受け売り。


 ただ身の周りでも運動部内の体罰やしごき、いじめが嫌で部活から離れる子は少なくなかったし、中学から高校に行くとさらにそれがすすんで、

「厳しい運動部なんか、うちの子とても、とても」

と男の子のお母さん方がささやきあう。体罰がスポーツ人口を減らしているのは確かだ。トップを狙いスポーツエリート進学の可能性のあるエリート層の子だけが体罰にもめげず頑張り、それほどの才能のない子は最初から参加しないレースになっている。スポーツが本来もっている、人の試練を乗り越える力、いわば「根性」を育てる機能が、そこでは発揮されない。「根性のない子」を大量生産しているのは、実は体罰かもしれない。


 体罰がその人を強くしたのではない、それは記憶の混同。ほんとうはその人には最初から強い目的意識があり、その目的に近いところにいるという自覚があった。だから体罰でもやめなかった。しかし体罰エピソードは強烈な負の記憶なので、後に残りやすい。とくに教育効果があったわけではない。そうした記憶の編集というか混同は、人間には起こりやすいのだ。それほど目的意識のない人は、また可能性のない人は、体罰に遭えばさっさとやめる。


100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp


NPOの会員さんと3月の仕事のことで打ち合わせ。

 その業界でも飛びぬけて厳しい品質水準で仕事をする会員さん。


「うちの業界は、『主婦』感覚が抜けないとか他業種からの移籍組が多いので、ほんとのプロ意識がない人が多いんですよ。お客様からのクレームも、自分たちの改善ポイントとは考えないで『被害』ととらえちゃう」

 そういう業界のレベルを何とか引き上げたい、だから教育を、と考えるけれどなかなか理解を得られなくて。


 うん、なんだかわかるなあ。

 つい自分ごとにしながらきいてしまったが、その会員さんのところをプライベートな事情で辞めたスタッフから最近きいた話になった。

 「ごきょうだいと一緒に何かしたときに、『あら、なんでそんなに褒めてくれるの?』と言われたそうですよ、彼女が。もとは、うちの事務所にきたばかりのころは褒められても『やめてください』と身を引きたそうにしていた彼女やったんですけど」

 ・・・だから、ああ、つながってるなあと。プラスの連鎖が。


 幸せなひと時。こういう話をきくときが。

 厳しさと優しさ。

 このところ「体罰」のからみで文章をかくことが多かったので、最近のこのブログだけみると、

「正田さんって、優しさだけの甘々の教育をする人」

という風にみえるかもしれない。


 でも、私自身そんなに優しくはないし、「うちの会員さん」も仕事ではめちゃくちゃ基準の厳しい人が多い。そういう人達が、厳しさの中で部下を成長させる手法として、「承認中心コーチング」を選んでくださっている。


 先日の忘年会では、ある課長さんが

「厳しいばかりの、ボロクソに言う課長の下にいた部下が異動してきたあと自分のもとで伸びた」


という話になったので、思わずきいてみた。

「ボロクソ言う上司の下にいた人が、承認する上司の下にきたとき、『こんどの課長はゆるい』とか思って、ナメてきませんか」

 すると、

「それはあります。やはり締めるところは締めてますから。何かのときにガツンと言うと、それでわかってくれます」

 ようするに緩急のバランスを上手くとっているのだ。

 
 この人は、

「コーチングの本はたくさん読んだがピンと来なかった。正田さんの本が初めてピンと来た」

と言ってくれる人だが、そういうタイプの人が「うちの会員さんや受講生さん」である。


 正田は決してほめてばかりの甘々の人間ではない、ということを、いちげんの人にはなかなかわかっていただけないので、時々「叱り」に転じたときどんな風かというのもブログに書いている。


 たとえばこの記事―。

 「ギャグマンガ・市職員に合格したお坊ちゃまの躾け方」

 http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51553626.html


 (かなりどぎついです。怖いもの見たさの人は読んでみてください。まあ、「うちの会員さん」は皆さん、こういうのを承知のうえで当社の教育を支持してくださっているわけです)


****

 
 閑話休題、きょうはゴルフの中島常幸プロの講演を聴きに行きました。


 3つのスランプをどう乗り越えたか。両親の他界、きょうだいの病気といった、中年期につきものの不幸とそこからの再起。

 ゴルフを知らない私でも楽しめました。さすがプロ。講演も相当ふだんから練習してると思われます。


 途中、

「皆さんゴルフを上手くなりたいですか?じゃあアプローチからやらなきゃいけません。皆さん立って」

 と、そこから

「足の裏の左半分で床を踏んで立って」

「ハーフスイングは9時から3時、アプローチは7時から5時。これが基本で、これが出来なかったら次のところ行ったらいけません」


 やっぱりね、と心の中で膝をうつ。たぶん天才型じゃない努力型の人で理論派だからだろうな、

「素人の人にとってはここが必ず通るゲートウェイだ」

 と見定めたらとことんその基本をやらせる。

 自分がプロとして何千何万時間と練習した中の試行錯誤を、素人の人に再現してもらうわけにはいかない。では最短距離でじょうずになってもらうにはどうするか、というのを、考え抜くと、

「基本を徹底して型でおぼえる」

というやり方になってくる。

 そんなのは邪道だ、という人には、素人の人には時間がない、という当たり前のことが見えていないのである。

 またどの世界でも、真剣に試行錯誤した人の言うことはばかにしたもんじゃない、っていうこと。


 ・・・というのもやはり我田引水で、「うちの教育」がそういう「基本を型で」のやり方だから。これも会員さんはよくご存知のことと思います。


 このほか他のレッスンプロをくさすシーンもあって

、「同じ業界のことを言ったらいけないんですけど、皆さん(レッスンプロ)自分の生徒が上手くなろうがなるまいが関係ないんです。永遠に自分の生徒でいてくれればそれでいいんです」

 これも言い得て妙。


***


 以前、これも多少古くなった胸痛む記憶だが、

 「承認」をふくむ2日間研修のあと、いつもの伝で「宿題」をお出ししたところ、返ってきた宿題にこんなのがあった。

 その「宿題」は、こちらの指示した「行動承認」ではなく「期待の言葉」をつかっていた。しかも当協会方式でわざわざ注意書きのある、困った使い方をしていて、案の定失敗していた。相手の部下はよい反応をしなかった。

 そして、その「宿題」をやったご本人は、感想欄に

「理論ではなく心が大事なのだと思いました」。

 なんだそれ。

 申し訳ないが、かなり厳しいコメントをそのご本人に書かせていただいた。

 自分が指示通りのやり方でやらなかったから失敗したのを、「理論が悪い、心が大事だ」なんて論理のすり替えをするのは言い訳もはなはだしい。見苦しい。そんなことでこちらが失敗のないように丁寧に教えているのにクレームをつけられては迷惑だ。

 ・・・とそこまでの表現では書いてないけれど。

 男性って(このご本人は男性だった)時々なんと頭が悪いのだろう。


 こういうことがあるとやはり「承認」も一歩間違うと危険行為なのだなあ、と思うし、テキストにある指示を守るよう徹底させる必要があるなあ、と杓子定規になってしまう。


 ありがたいことにこういうおかしなやり方で宿題を返してくる人はごくまれだ。管理職だからね、普通。

 今後出会う受講生さんが「男らしくない」言い訳をするのをみたくないので、再発防止のためにここに書いておきます。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp


お世話になっている皆様



 おはようございます。
 企業内コーチ育成協会の正田です。


先週末に安倍政権の経済政策が発表され、史上最大級のバラマキで財政破綻は必至だ、いや日本復活の唯一の道筋だと専門家も両極端に意見の分かれる中、好感した円安株高が進行。市場はバブル以降最大という景気に湧いています。
 

 そのなかで比較的明確なのは、中小企業、とりわけ製造業への支援策が打ち出される中、製造業は今年中に自立的復活の道筋を描くべきだという提言。


 感覚的な楽観に陥らないで、気を引き締めていきたいものです。
 


※このメールは、NPO法人企業内コーチ育成協会のスタッフ及び代表理事・正田が、過去にお名刺を交換させていただいた方・当協会のイベントやセミナーにご来場いただいた方にお送りしています。ご不要の方は、メール末尾にありますURLより解除いただくか、このメールに直接「不要」とご返信ください。




 本日の話題は:




■桜宮高校「体罰」に2ちゃんねるの反応は…


■「空気を読む」「リスクを避ける」問題解決能力の低さを放置しないためには


■久びさ姫路でよのなかカフェ「姫路版・高齢化社会を探る!」(2/15)


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■桜宮高校「体罰」に2ちゃんねるの反応は…

 
 先週明らかになった、大阪市立桜宮高校バスケットボール部での顧問教師による体罰と2年生キャプテンの自殺。


 当事者のお子さんと親御さんのお気持ちを思うとつらすぎてしばらく考えられないでいたのですが、12日(土)になって、新しい事実が出てきました。

 問題の顧問教師は、12月19日に生徒のお母さんから抗議を受け、体罰をやめることを約束していたというのです。しかしその日は体罰はありませんでしたが、すぐに再開し、数日後の22日には練習試合での暴力と暴言、そして生徒は翌日自殺した、というのです。


 お子さんと親御さんは明らかに非常にまっとうな道筋で問題解決をしようとしていた、しかし教師の地位を利用した暴力(もはやこれは「体罰」と呼んではいけません)はエスカレートした。

 
 あまりにもやりきれないこの経過に、ブログ記事を書いたところ、2ちゃんねるの本件に関するページにトラックバックされました。


 その記事はこちらです

 『リスクに背を向ける日本人』と桜宮体罰問題と

 http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51843580.html


 トラックバックされた先の2ちゃんねるページに行ってみたところ、「顧問が異常」の大合唱。
 「体罰」という用語を使うことがこの顧問の行為を正当化してしまう、暴力と呼ぶべきだ、とまともな論調も。
 また、自分も体育会系で理不尽な体罰を受けたという書き込みも複数ありました。


 本メールニュースの読者の方は、中高年の男性の方が多いので、「体罰」という響きに懐かしさをもつ方もおられるかもしれません。


 ところが、元ジャイアンツの桑田真澄氏が2010年に著した『野球を学問する』という本があります。ここでは桑田氏が現役引退後に大学院で行った研究をもとに、第二次大戦時の日本の野球界では、敵性スポーツであるとの批判から野球を守るため精神主義を標榜し、軍隊をモデルにしたという趣旨の記述があります。それが、野球界での体罰の起源らしいのです。


 「自分も学生時代に体罰を受けた」

 そういう思い出があると、変えることへの抵抗が出てくるかもしれません。


 しかし、「改善」によく出てくる譬えがあります。ローストビーフを焼くとき肉の端を切って焼くと美味しいとされていた。しかしそれは、昔オーブンが小さくて肉が丸ごと入らなかった時代の名残りに過ぎなかった。

 過去から伝わるものに合理的理由がない場合があるのです。

 ときには、ノスタルジーに別れを告げる勇気を持ちましょう。


 ドイツサッカーでは、少年に体罰を加えると指導者の資格を剥奪されるという厳しいルールがあるそうです。さすが、「言語技術」で名高い国ですね。体罰と強さは比例しないのです。
 


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■「空気を読む」「リスクを避ける」問題解決能力の低さを放置しないためには


 さて、前の項でも出てきた「空気を読む」。


 桜宮高校でも、この現象が問題解決を遅らせたことは疑いありません。なお本件を報じた「ジャパンタイムズ」では、"culture of silence" (沈黙の文化)という表現をつかっています。


 空気を読むのは、決して共感能力が高いというような高尚なことではありません。日本人は概して不安感が強く、他人がどう出るか、あるいは自分の行為が他人の目にどう映るかが気になり、自縄自縛になってしまうのです。これが、さまざまな場面で問題解決を遅らせます。


 いかにして「いい意味で空気を読まない」いわば自立した人になれるのか。

 
 処方箋を2つ掲載しました:


 空気を読む弱さを克服するには(1)―『遺伝子があなたをそうさせる』

 http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51843912.html

 
 空気を読む弱さを克服するには(2)―『江戸の読書会』

 http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51843946.html




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■久びさ姫路でよのなかカフェ「姫路版・高齢化社会を探る!」(2/15)



 議論を通じて「考える社会人」を育てるよのなかカフェ第37回を、姫路で開催することが決まりました。


 タイトルは「高齢化社会」。増え行く元気なシニア層の力を地域にどう活かすか、また充実した老後を過ごしていただくか。「姫路」という地域社会にそれがどう組み込まれていくかを探ります。

 ファシリテーターは、村瀬利浩氏(姫路経営者協会 専務理事)と正田。


 世代を問わず、新しい地域社会にご関心のある方はぜひお越しください。


日時:2013年2月15日(金)19:00〜20:30(最大21時まで延長あり)

会場:姫路駅南口・ノマドワーキングカフェ「ロバスト」 http://robust.bz/

主催:特定非営利活動法人企業内コーチ育成協会

参加費:1,000円(+別途ドリンク代)


お申し込みは メール info@c-c-a.jp (NPO法人企業内コーチ育成協会)まで。




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◆兵庫県中小企業団体中央会会誌「O!」に連載中の「誌上コーチングセミナー」。
 1月号掲載記事を同誌編集部のご厚意により、ブログに掲載させていただきました。


 「『上向きリーダー』は会社を伸ばせるか?」

 http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51843676.html

 やや、研修の「ネタバレ」のような記事です。こちらもお時間のあるときご覧ください。




※このメールは、NPO法人企業内コーチ育成協会のスタッフ及び代表理事・正田が、過去にお名刺を交換させて

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もしこのメールを新たに購読ご希望のかたがいらっしゃいましたら、
info@c-c-a.jp まで、「メールニュース希望と書いて
お申込みください。


ここまで読んでいただき、ありがとうございました!

皆様良い日々をお過ごしくださいますよう。



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100年後に誇れる人材育成をしよう。
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2008年〜2012年 長期連載このほど完結
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 さて、空気を読むことによる閉塞感、前項でみたようにそれはわたしたち1人ひとりの気質と行動様式によって支えられているわけですが、これを打破するために先人が編み出したきわめて有効な方法があります。


 「会読(かいどく)」。

 江戸時代の多数の学問所や私塾に広がっていた、フラットな関係性の中でのディスカッションによる学習方法です。

 ご存知のように幕末には、この手法を取り入れた吉田松陰の「松下村塾」などが志士たちの育つ揺籃となりました。


 以前にも『江戸後期の思想空間』(前田勉、ぺりかん社)のなかでご紹介しましたが、

 江戸時代、日本人は討論していた―『江戸後期の思想空間』をよむ  #yononakacafe

 http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51677640.html


 この本の続編『江戸の読書会―会読の思想史』(前田勉、平凡社、2012年10月)が出ていましたので再度ご紹介したいと思います。


 「会読」という手法を最初に取り入れたのは本書によれば、一般に言われている荻生徂徠より伊藤仁斎(1627-1705)がやや早かった。

 伊藤仁斎という人は一旦人嫌いになったあと(今でいうひきこもりでしょうか)再度世俗に戻ってきて私塾を開きました。そういう人らしく、「会読」をはじめても、「同志会」という名で、君臣、師弟というタテの関係でなく「同志」「朋友」というヨコの関係を重視しました。

 そのやりかたは、「講師」がどんどん入れ替わりながら経書をよみ、一同はそれに対して「疑う所」を質問する。荻生徂徠も「疑う」ということを重視していたそうですが、今でいう「クリティカルシンキング」を奨励していたということになります。

 仁斎はやはりこれも一度人嫌いになった人らしく、ディスカッションの中で多弁になること、勝ちたい一心でものを言うこと、ナルシシズムに走ることを戒める言葉を残しています。


 荻生徂徠はまた、会読のディスカッションの効用について、「東を言われて、西について納得する」ということを言っていますが、これは異質の議論に触れることで初めて自分自身を知ることにつながる、という意味のようです。なんとも現代的な含意ではありませんか。

 徂徠は先生の一方的な講釈を批判し、一方的な講釈をきく人は「疑」を持つことがなくなってしまう。そのように教えられた「理屈」は、所詮、役に立たない「ツケヤキバ」だと言っていたともいいます。


 やや時代を下ると、「会読」は、藩校で採用されたり全国各地の私塾でも採用されるようになってきます。中には藩主自らが会読に出席した水戸弘道館、佐賀弘道館などがあり、水戸藩の徳川斉昭のもとでは経書の字句にとどまらず政治的な議論も君臣の序列を超えて行われました。蘭学でも大阪の緒方洪庵の「適塾」などは有名です。

 そこでは議論を通じた熾烈な競争があったため、ややもすると「これは学問の本来の姿ではないのではないか」という考えも出てきました。


 なお会読と「村の寄り合い」はまったく別の種類のものです。

「村の寄り合い」では、1つの案件について、自分たちが見聞して知っている限りの事例が話題に出され、途中、他の話題をはさみながら、出席者らが延々と述べ合い、最後にまとめ役が結論を出して、参加者全員が賛同して決まった。狭い村のなか、参加者それぞれの思惑や利害が複雑に絡み合っているだけに、こうした参加者全員が、いくつかの話題を転がしながら、納得するまで話し合う形式がとられた、それは村の成員すべての疎外感を抱かせないためのゆきとどいた配慮だった、ようです。

 だからそれはディスカッションではなくて、「対話」のほうに近かったかもしれません。アメリカ先住民でもこうした形の話し合いが行われる、「トーキング・スティック」をもった人が延々としゃべり、自分の言わんとしたことが全員に受け入れられたと感じるまで話し続ける、というお話は『七つの習慣』でしたっけ。


 ともあれ会読は主観的な偏見を去って、「虚心」を求める人格修養の場でした。主観的な偏見の独善性を自覚化して、寛容の精神を培うことができるがゆえに、会読は有益な教育方法であるとされました。

 
 ここでやはり、吉田松陰の「会読観」をみてみましょう。


 安政5年(1858)6月に書かれた「諸生に示す」では、


 
松陰は、生徒たちを縛りつける規則を設けず、先に紹介したような…「諧謔滑稽」の自由闊達な雰囲気のなかで、「会講連業」=会読を行うのは、「自得」したことを語りやすくするためだと説いている。松陰によれば、書物(知識)と行動の間、「古」と「今」の間には隔たりがあるので、疑いも生まれる。その疑いのなかで「自得」するところがあったならば、それを自分だけのものにしないで、他者に語るべきである。友人はもちろんのこと、「牛夫馬卒」にも語るべきである。この「諸生に示す」の一文は、少なくとも3つの創見を含んでいる。

 第一は、書物を読む時の疑いが、「書」と「為」、書物と行動との間で生まれるとした点である。中国古代の書物に書かれていることなので、今ここで、行動を起こす時に、本当にそれでよいのだろうかという疑いも生まれるだろう。そこから、主体的・能動的な読みがはじまるというのである。(略)こうした考えが生まれる前提には、書物をたんなる過去の出来事の知識とするのではなく、それを現在の直接行動に結びつける発想があることに注意せねばならない。(略)


 第二の創見は、自分なりに疑いを解決して「自得」するところがあったならば、「沈黙」せずに、それを他者に語ることを積極的に勧めている点である。松陰にとって、会読はまさにそうした各々の「自得」を語り合う場であった。(略)つまり、個々人の道徳に収束されない、他者への働きかけがここから生まれてくる。

 第三は、その「語る」他者が朋友や同志に限られていないことにある。(略)この「牛夫馬卒」にも語る態度は、読書方法における会読と講釈の間にあった間隙を埋めるものとして注目すべきである。

 その間隙とは、会読の討論が原理的には対等・平等であるのにたいして、講釈では講釈者と聴衆との間に上下関係、知者と愚者という上下関係があったことに起因する。・・・(pp.289-292)
 


 行動に結びつけること、他者に語ること、貴賤の別を設けないこと。松陰は会読に一段階進んだ思想を賦与したのでした。


さて、こうした江戸期の「会読」は、それまでの古来の日本文化とも違う、また経書の出所である中国とも異なる、さりとて西洋の真似でもない、鎖国時代の国内のとびきり聡明な人びとが意識的に編み出した手法でした。ほぼ時を同じうして18世紀に、啓蒙時代のフランスでも「カフェ文化」「サロン文化」が生まれたことを思うとシンクロニシティを感じますね。日本では、先生が生徒に「疑い」を言うように勧めること、また議論に火がつくとオレがオレがになるのでそれにも釘をさしていること、などが印象的です。

 こうしたわが国の誇る手法が、現代には、大学のゼミを除いてあまり伝統として残っていないのは残念なことです。

 実務面でいうと、現代では、偉い先生をたとえば東京から招いて講演してもらうと比較的人が集まるけれど、
偉い人がだれもこない「カフェ」をやると非常に集客に苦労する。「講師=智者」と「聴衆=愚者」という色分けのはっきりしたイベントよりも、対等な関係性で討論したほうが学習の質として高く、優秀な人をつくれるのですが、それと集客力とは比例しないのであります。


 というわけで正田は今年も「食えない教育」をやることになるのでしょうか・・・




100年後に誇れる人材育成をしよう。
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 さて、当ブログでこのところみてきた「空気を読む」、これについてつける薬はあるのか?というお話。

 「空気を読む」のは、恐らく山岸氏いうところの「プリベンション(予防)志向」が関連します。

 (決して「人の気持ちがわかる=共感能力」と同じではないことにご注意ください。本当に人の気持ちがわかるなら、「自分自身は個人主義だがほかの人はそうではない」などと他人の気持ちを読み間違えることはないはずです。この点、一部の遺伝子学の本は共感ホルモンのオキシトシンと「空気を読む」「顔色をうかがう」を関連づけていますが、これは誤りです)


 そして、プリベンション志向は遺伝子学でいう「損害回避」とおそらく同じ概念であり、ゲノム的にも日本人には損害回避に関連付けられる「セロトニントランスポーター遺伝子S型」の人が圧倒的多数を占めることなどもみてきました。(そして共感能力や社会的スキルと関連づけられるオキシトシン受容体のスニップは日本人を含めたアジア人には少数派です)


 『遺伝子があなたをそうさせる』(ディーン・ヘイマー他、草思社、2002年、原題'Living with Our Genes'1998)は、比較的初期の遺伝子学の集大成ともよべる本です。


 初期だからといって重要でないということはない。心理学でも、1950〜70年代に確立された行動理論から今も学ぶことは多いです。その学問分野の骨格をつくるものが初期にできることは多い。そこから細分化されていくと、素人がフォローしきれない分野になったりする。

 ちなみに今流行の「エピジェネティクス」は、遺伝子学の中の一過性の流行といっては失礼ですが、その知見をどうやって一般人の世界に有効に適用するか、しばらく見守る必要がありそうです。胎教の重要性など、強調しすぎるとまた日本女性の職場進出を阻む社会的圧力になりかねない。かつ、エピジェネティクス論者の人は「決定論」に異を唱えたいのはわかるのだが、ふたご研究などで行動に遺伝が大きく影響されることは立証されており、エピジェネティクスで動くのはごく一部と考えられます。


 閑話休題、本書は「不安―世界を暗く見る傾向」という章で、「損害回避」という気質について大きな紙幅を割いています。

(「気質」はここではクロニンジャーの考え方にしたがい、生まれてすぐに表れる形質で生涯変わらないものです)

 その記述を引用すると:


 
損害回避という言葉は誤解を招きやすい。この気質の人は損害を回避しようとするだけではないからだ。むしろ、つねに不安で苛立ち、悲観的な世界観ですべてを暗く考え、人生そのものを恐れている。損害回避のレベルがきわめて高い人にとって、人生は暗く、将来には暗雲がたちこめ、毎日は灰色なのだ。

 こんなふうに感じるからといって、必ずしも、その人の人生が難題続きであったり、不幸な育ち方をしたり、虐待されているとはかぎらないし、当人が弱いとか怠け者だというわけでもない。損害回避は遺伝子に深く根ざし、生涯続く感情的な傾向なのである。強い損害回避の気質をもっているのは、自分自身も周囲もすべて暗く見えるサングラスをかけて生まれたようなものだ。

(中略)

 損害回避は不安や恐怖、抑制、内気、うつ、疲労、敵意などを含む総合的な概念である。このような損害回避のさまざまな側面は、ある程度までは独立している。たとえば神経質でも暗くはない場合もあるし、敵意を抱いていても慢性的疲労感はないこともあるだろう。しかし多くの研究によれば、否定的な気分の一つがある人は、ほかのものも経験していることが多い。

 損害回避の一般的な兆候は感情的な過敏さである。感情がいつも日焼けで赤くひりひりしていて、すぐに炎症を起こすようなものだ。損害回避のスコアが高い人は些細なことに落ち込み、明るい気分を押しのけてしまう。罰に対してきわめて敏感で、いつもびくびくしている。食べ物やタバコ、ものの所有への欲求や衝動を抑えられないことが多い。(pp.61-63)



 なんとも気の毒なことですが、損害回避の人は怒りや敵意などを含むネガティブ感情のオンパレードだというのです。また幼児を対象にした実験では臆病な子の唾液からストレスホルモンのコルチゾールが大胆な子の2倍含まれていたそうで、これも山岸氏の「決めたくない人」の知見と一致します。本書などによればこれが気質のなせるわざであり、環境要因はさほど大きくないということで、山岸氏に反論した部分をご理解いただけるでしょうか。おそらく制度をどう変えたとしてもそれをかいくぐる形でプリベンション志向は生き残り制度を形骸化させるはずです。


 こうした人々によって構成されているのが日本人だとすると、なんだか救いがないようです。(たぶん、こうした社会の気風を嫌になった人は海外で就職したりするだろうなあ、と思います。)本書はこの「不安」の章の最後に、「一定範囲までは努力すれば変えられる」と福音のような記述があります。

 
双子を対象にして損害回避の遺伝について研究している心理学者のデヴィッド・リッケンは、こう助言している。「体験の美食家になることです。小さな喜びをせっせと味わえば、セットされている気分のポイントは上がっていきます。おいしい食事、庭仕事、友だちとのつきあいなど、気分をよくする小さなことを見つけて、暮らしにちりばめるのです。長いあいだには、このほうが、大きな成果を達成して一時的に気分を高揚させるよりも、ずっとあなたを幸福にしてくれます」(p.91)
 


 日本人の大部分―これまでのデータではセロトニントランスポーター遺伝子のSを1つでも持っている人は90%以上にのぼります―は、「小さな喜び主義」を励行したほうがいいということでしょうか。

 本書では「承認」に触れていませんが、

(もともとアメリカ人は「承認」という概念をあんまり理解してくれません。うちの英会話の先生のクリストファーに"acknowledgement" というと、"praise?"とききかえされました)


 わたしどもの経験では「指導者やリーダーによる承認」も重要です。たぶんそれはアメリカではあまりにも常識だからさほど言われないのでしょう。日本人リーダーは自分自身も損害回避傾向をもっているはずですから、自然に任せておくと「承認」を出し惜しみしますし、怒りなどのネガティブ感情を多く表出します。


 損害回避の人はリスクを避ける、いわば「義をみてせざるは勇なきなり」を絵に描いたような人です。これも本書にはありませんが行動理論のモデリングを当てはめると、勇敢でかつ蛮勇ではなく総合的に信頼のおける魅力的な人を身近に持っておき自然にその人からの影響を受けることも、損害回避克服のひとつの処方箋になるでしょう。


 「損害回避の日本人」にたいする、もうひとつの処方箋と考えられるものがあります。

 それは次項でご紹介したいと思います。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp
 
 


 兵庫県中小企業団体中央会の会報、月刊「O!」に連載中の「誌上コーチングセミナー」第5回。


  同誌編集部のご厚意により、転載させていただきます。


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 気付かないうちに「人」の問題が起きて、成長の足かせになっている…そんな現象があなたの会社にもありませんか?「人」の問題によく効くクスリ、「コミュニケーション」「リーダーシップ」の観点から解決法をお伝えします。



 管理職研修の中で、参加者の皆さんに「あなたの会社の『組織図』を書いてみましょう」
 
とお願いすることがあります。

 大きめの紙とペンを渡し、

「あなた自身を真ん中に『私』と書いてください」

「次に仕事でやりとりのある周囲の人を書きこみます。『〇×工場長』など、職制だけでなく名前も入れるように」


 10分ほどお時間を差し上げて、書いていただくと・・・。


 単純な作業なのですが、面白いようにその人の周囲の人との関係や感情があぶり出されてしまいます。


「〇×工場長」「△△専務」をすぐに大きく書きこんだ人。上司である自分の部門トップを、自分と真横の水平の位置関係に書きこんだ人もいます。

 そして、そのあと。

 ある人は、「部下」を、名前を入れずただ「部下」と、数人並べて書いていました。


「部下の方には名前はないんですか?めんどくさいなんて言わないで、部下の方にも名前を書いてあげましょうね」

 それを目にするたび、私はなるべくやんわりと言います。しかし、「たかが名前」と言うなかれ。このことが大きな意味を持っているのです。

 研修前に受講生の部下たちのモチベーションをみるためにとったアンケート調査では、こうした「部下」に名前を記入しない管理職の部下は軒並みモチベーションが低いことが多いのです。


 この連載で繰り返し出てくる「承認=人の行動や存在価値を認める行為」では、人を「名前で呼ぶ」は、承認の基本の「き」に当たる重要なこと。「存在承認」といって、相手がそこに在ることを認める、受け入れていることを示す行為です。名前を呼ぶのは相手を仕事上の能力や機能だけではなく、1人の人としてリスペクトしている、認めていることを表します。部下を名前で認識しない、「部下」という機能で認識するのは、人として認めていないことになります。

 こうした「まず上司を大きく書き、部下を名前抜きで小さく書く」管理職は、おそらく上司の顔色ばかり気にし、部下の気持ちをまったく考えない「ヒラメ型上司」であることが大いに考えられます。そうした無意識の感情は、部下にははっきり伝わりモチベーションに影響を与えます。こうした人の中には研修の中で非常に高いコミュニケーション能力を発揮する人もいるのですが、研修で上手に出来るかどうかよりも職場での部下に対する人としての意識のほうがまず重要です。

 最近のベストセラー『「ついていきたい」と思われるリーダーになる51の考え方』で、「ザ・ボディショップ」「スターバックス」のCEOを務めた著者の岩田松雄氏は、「現場、そして弱い人たちを大切にする」ということを繰り返し挙げました。また、近年の複数の調査では、日本企業の従業員のモチベーションが先進国の中でも際立って低いこと、それはリーダーシップの問題であり日本企業の低迷はリーダーシップの欠如に原因があることが浮き彫りになっています。

 そろそろ本気で「やる気を高めるリーダーシップ」を考えませんか。


(兵庫県中小企業団体中央会「O!」2013年1月号 所載)


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 前項に引き続き「山岸俊男本」を読んでいます。

『リスクに背を向ける日本人』(山岸俊男、メアリー・C・ブリントン、講談社現代新書、2010年10月)。


 これも非常に「日本人」というものを緻密な実験で検証してみせてくれ、面白いです。


 「世界価値観調査」によれば、「自分はリスクや冒険を求めるほうの人ではない」と思っている人は、日本では70%を超え、調査対象国中で最多。(p.22)


 「コミュニケーションがたいせつだと日本人はよく言いますが、日本人のいうコミュニケーションは、『感情』に重きをおきすぎているんじゃないでしょうか。いわゆる『心を通わせる』ことがコミュニケーションなんだ、と」(メアリー、p.33)


 最近の心理学でいう 「プロモーション志向」と「プリベンション志向」。加点法的な考え方と減点法的な考え方という違い。プロモーション志向の強い人は、何かを得ることに向かって行動する。プリベンション志向の強い人は、何かを失うことを避けるように行動する。(p.46)

 ―プリベンション(予防)志向とは、遺伝子学や性格心理学の世界でいう「損害回避」に該当するでしょうか。漢学でいう「小人」もこういう人をいうのかもしれません。(でも日本人では実際に大多数です)


日本の「自分探し」は世間のしがらみから離れた「ほんとうの私」がいるはずだ、「ほんとうの私」に向かって進んでいきたい、という形。それは日本社会のしがらみの強さからくる。世間のしがらみから自由になった生活こそが、「ほんとうの自分」に正直な自分なのだという思い。(p.75)

 ―自分探しは若者にも多いですが中年でもみられます。よく心理学系のワークショップなどで「自分に目覚めた」結果、家族とか仕事の責任を放棄しちゃう人をみかけますが、古来西行法師の例もありますがそれホンマに自己実現かい、とつっこんでしまいます。(なので当NPOのセミナー、研修は極力そういうことにつながりそうな要素を排除して行っています。リーダー研修なのでどちらかというと「すすんで責任を引き受けろ!」という方向性です)


自己決定したくない日本人。「独裁者ゲーム」でお金を分配する側分けてもらう側どちらになりたいか?の問いに、日本人は35%もの人が「分けてもらう方になりたい」と答える。分けてもらう場合は、不公正な分配で取り分が少なくなる可能性もあるのだが。分けるほうには責任が伴う。自分で責任をとらないといけない行動は、どんな場合でもしたくない人たちがいる。できることなら何も決めたくないという人たち。(pp.87-88)

 ここで、「35%」という数字が多いのか少ないのか、残念ながら国際比較した研究はないそうです。ただここでは、メアリーの「アメリカなら大多数が分配する側を希望すると思う」というコメントが挿入されています。

 上記の研究で「分けてもらう方がいい」と答えた人たちは、自律性が低い人たちだということがわかっている。へりくだる傾向が強く、用心深く、リスクを避ける生き方が賢明だと思っている人たち。また、個性を持つことが世の中での成功の邪魔になると考えていた。さらに、唾液に含まれるホルモンをみると、分けてもらう方がいいと答えた人はストレスホルモンの分泌が高かった。(p.88)


 日本人にとって無難な行動は、まわりの人から非難されたり嫌われない行動。よく事情が分からない時には、とりあえずそういう行動をとっておく。そういう行動をとっていると、ほんとうに欲しいものを手に入れることができないというコストがあるけれど、まわりの人から爪弾きにされてしまうという、もっと大きなコストを避けることができるから。(p.100)


日本の江戸時代の「株仲間」は集団主義的秩序形成。法や制度が追いつかないので、自然発生的に集団の中で相互監視した。江戸時代には何回か談合組織だとして株仲間禁止令を出しているが、そのたびに物流が止まってしまった。株仲間なしではだまし放題の社会になってしまうので商売できない。老中水野忠邦が再度株仲間禁止令を出したので経済が混乱し、幕末の騒乱にもつながった(p.114)


「まわりの目を気にする程度」を質問したうえで「囚人のジレンマ」ゲームに参加してもらったところ、「自分はまわりの人の目を気にするほうだ」と答えた人のほうが利己的にふるまった。独立的な傾向の強い人のほうがほかの人と協力することのたいせつさを理解していた。(pp.130-132)


 これは、わたし個人の経験ともよく合致します。まわりの目を気にする人は決して有徳の人とはいえない。とりわけおもしろいことに(全然おもしろくないけど)わたしのような女性の働き手との間の約束を守るかどうか、遅延なく高いレベルで履行するかどうかに、「まわりの目を気にする」度合い、いわば見栄ともいえますが、は関わってきます。「まわりの目を気にするらしき人」は、わたしからみて「信頼するに値しない人」です。




日本の学生はほんとうに質問をしない。おもしろいことに一度、「日本語でも英語でもいいですよ」と言うと、1人の学生が英語で質問をしてきた。自分の質問が他人の迷惑になることを嫌う。英語だと多少気が楽でアメリカ的にふるまえる。
 アメリカでも引っ込み思案な学生は周囲に気兼ねして発言できないので、研究室に来るように言い、クラスで発言できるにはどうしたらいいか話し合う。ちょっとだけ手を挙げてくれたらすぐ気づくから、と言い、プリベンション志向の学生がちょっとしたリスクをとることを励ます。(メアリー、pp.148-150)


 ひじょうに実務的な示唆。プリベンション志向の人にはこうして、懇切丁寧に、「自分の思ったとおり振る舞っていいんだよ」と、その行動1つ1つについて教えてあげないといけない。日本では大多数の人にこれをやってあげないといけません。



「貧困の文化」をどうするか。社会の底辺に置かれた人がやる気を失ってしまう。そういう文化では、親もひどい親だったりするし、そういうふうに育ってきているから自分の子どもにも同じようにしてしまう。
 そこでぼく(山岸)は二宮尊徳のことを考える。大名や旗本の領地に貧困の文化が蔓延して領地が荒れ果てた状態になっているのを、二宮尊徳は努力と工夫次第で結果がちゃんと出るんだというのを実地で納得させ、農民たちのやる気を引き出した。(pp.224-225)

 ここにも「二宮尊徳」が出てきました。貧困の時代のカリスマ?二宮尊徳。以前にも書きましたが森信三先生は、「日本の凋落は2033年まで続くだろう、そして二宮尊徳が復活のときの思想となるだろう」と述べたそうです。



日本の女性は2つの道を選ぶことによって「静かな抵抗」をしている。1つは結婚しないか、結婚しても子どもを産まない。もう1つは結婚して子どもを産んで仕事を辞める。あまりにも多くの女性がこうした選択をしているので、社会の変化が生まれにくくなっている。
 背後には、制度と社会規範が柔軟さに欠けていることがある。良い働き手のイメージが固定していて、良い母親のイメージも固定していれば、2つを組み合わせるのは最初から無理だということになる。(メアリー、pp.241-242)

 上記について、規範が存在するのは幻想ではないかと思う。多くの日本人は固定した父親像や母親像など持っていない。しかし固定したイメージを自分は受け入れていなくてもほかの人たちがそうしたイメージを持っていると思い込んでしまっていると思う。(山岸、pp.242-243)




 統治の倫理は実は統治者に求められている倫理であって、誰もが守ることのできる倫理ではない。統治者がその気になれば利益を独り占めすることができる。だから自分の利益を考えてはいけない。しかし、すべての人に無私の精神を求めるのは無理な話。それよりは、正直に商売をすると結局は自分のためになるんだよという市場の倫理なら、誰にでも受け入れることができるはず。(pp.248-249)

 ここにやはり、「統治の倫理」がリーダー層にはいまも求められるという話がでてきました。対外的には「市場の倫理」ではたらけばよい。

 ・・・そして最後に山岸氏の呼びかけ。


 「社会だとか文化だとか、自分を外から縛りつけているように見えるものは、すべてみんなで寄ってたかって作り出している幻想なんだ。だけど、幻想はみんなが信じているかぎり現実を生み出し続ける。だから、みんなで『王様は裸だ!』と叫ぼうじゃないか」(p.268)


****


 ここから先は、私個人の読後感で、


 「自分では何も決めたくない」人が35%もいる。

 こういう人は管理職になってはいけないだろうなあ〜・・・

 しかし、現実にはそれらしい人をよく見る。自分では何も決めたくない。でも年功序列として管理職になると、それはそれで名誉職としてうれしい。同期や下の代の人が先に管理職になるのはうれしくない。

 でも、部下や関係者は災難だ。こういう人は、

 「だって上から言われたことですから」

 と、何の疑いもない口ぶりで言う。あるいは部下からの聞き取りで上司にもの申さねばならない局面が出てきても、はなから「無理」と一蹴する、提案を聞いたふりして聞き流す。

 
 (なお、関連してあとから思ったことだが、ここでいう「決めたくない」は、独裁者ゲームで分配する側になりたくないということだが、これは細かくいうと「決めたくない」と「他人の喜怒哀楽に関わることをしたくない―他人から文句を言われたくない」ということに分割されるのかもしれない。なぜそんな分割に意味があるかというと、マネジメント上の意思決定を促す思考トレーニングのようなツールとか研修方法もあるのだが、それはあくまで仮想空間の中のことであり、現実に課長などになって部下その他から文句を言われるストレスと同じではない。仮想空間の中の意思決定は、受験勉強のようなノリでもできてしまうのだ。)


 また、こうした層が無視しえない相当数存在する日本では、本来の意味でのリーダーが共感を得にくく足を引っ張られるのもわかる気がする。「決めたくない」人にとって「決める」人は異質分子、異常な人なのだ。こうした人からみる世界は、「自分で決める」人が猛獣のようにうろつきまわっているのだろうと思う。

 こういう国で「リーダー」をやるのは本当に大変だ。


 「空気を読む」
 「決めたくない」
 「変えたくない」


 これらは、本来独立の因子なのだろうと思う。しかし、すべての因子を一身にもちあわせた人も存在するし、「空気を読む」がすべてについて右へならえの要素になるから、これさえ持っていればほかの因子も持っているようにふるまう可能性がある。


 困った人たちだなあ。


****


 大阪・市立桜宮高校での体罰事件だが、今日ぐらいになって、自殺した高校生のお母さんが自殺の数日前の12月19日、問題の顧問に体罰をやめるよう働きかけていたことがわかった。顧問教師はやめることを母親に約束した。
 その結果、その日は体罰はなかったがすぐに再開した。そしてわずか数日後の22日には問題の練習試合での体罰があり、だけでなく「B(チーム。二軍)に行くか」などの恫喝もされた。


 これは、報復、身代わり体罰ではないのか。自分に正論で抗議してきて、体罰をやめると約束させた生徒の母親に対するうっぷんをこの少年相手に発散したとは考えられないだろうか。
 もちろん許されることではない。

 こうしたことが明るみに出ると、起こり得るのは今後、全国のわが子が体罰に遭っているお母さんお父さんが報復を恐れて口をつぐんでしまうことだ。(たぶん、もうとっくにそうなっているのだろうが)




 ―わたしも自分の子どもに対する体罰で学校に抗議したことがあるが、その後の該当の教師たちの子どもに対する態度はかんばしいものではなかった。(体罰は事の性質による、という考えもあるかもしれないが、体育祭の練習のときに砂にいたずら書きをしていた、というどう考えても「微罪」である。ただ当時、その子は体育委員で、体育祭に関する「リーダー」を任されていた)―


 話をバスケ部の顧問に戻して、この教師が教委の調査に対して語ったところでは、

「体罰は強くなるために必須だ。これまで殴ったことで強くなった子もいた。亡くなった子にもそうなってもらいたかった」

 という。


 ここにも指導者にありがちなバイアスがある。体罰までいかなくても言葉の暴力で傷つけるというような、暴力的にネガティブなかかわりをすることが指導に役立つと考える。たしかにそうした刺激に対して強い反発がはたらき、その後伸びるという現象はごく一部の人にはみられる。しかしそれはごく一部で、おそらくストレングス・ファインダーでいうと〇〇をもっている人だろう、と予測はつく。だれにでも起こることではない。

 そして、恐らくこういうことを言う指導者は自分もかつてそのような指導を受けたことがある。快楽物質と言われるドーパミンは、実は決して楽しいときだけに出るわけではなく、痛い、怖い、悔しい、腹が立つといった強いネガティブ感情を経験したときにも出るらしい。〇〇をもっている人たちというのは、そうした経験を成長のエネルギーにする稀有の人びとだが、これは言い換えるとSM趣味と言ってもいい。

 練習試合中、他校の目もある中で少なくとも10〜11発殴るというのはあきらかに常軌を逸しているが、こうした行動は「異常性欲」と同等だ、と考えてもいいのである。おそらく自分でコントロールが利かなくなっているはずである。


 こうした事例をみるたび、やはり「厳しい指導」はあまり表だって標榜するものではない、と思う。厳しさは、何かの拍子にたがが外れて暴走しやすい。また、まれに徳の高い指導者が愛ある厳しさを示し、そのために多くの人が成長した、ということはあると思うが、その指導者の厳しさの部分だけを外形的にコピーした勘違い指導者が代を下るにつれ出てくる可能性がある。


 

 そしてもちろん、この高校の校長や教委は異常なまでに「空気を読む」そして「決められない」あまり、この少年を見殺しにしてしまったのだ、と言っていいと思う。
 体罰の情報に接して、顧問に対する聞き取りだけで調査を済ませた。バレー部の顧問がこれ以上処分されては大変だからと情報を握りつぶした。
 校長や教委の人々の会見をみていても、こちらの見方が結果ありきからかもしれないが、共感能力というものがあまり感じられない。責任よりも結果への想像力よりも、自分の業界内の空気を読むことを大事だと考えるイージーな生き方が表情にかいまみえてしまう。


 この問題についてはまともに考えるとつらくなるばかりなので避けていたのだが、今日は「報復体罰」らしき情報にいたたまれずつい書いてしまいました。


 少年を強豪バスケ部のキャプテンになるようなしっかりしたお子さんに育てたすえ、失ったご両親はどんなお気持ちだろう。心から少年のご冥福を祈ります。

 気丈にも謝罪に訪れた橋下市長に「体罰撲滅の旗振り役になってください」と言ったというお母さん、あなたの心の強さに応える社会でありますように。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

 



追記:この記事は2ちゃんねるの「体罰教師」のスレで引用されているみたいです。こういうとき2ちゃんねるは「母親の方が異常」みたいに騒ぐほうが多いのではないかと思うが、今回はさすがに「教師が異常」の大合唱になっている。大津のいじめでもそうですが、「空気を読む」日本社会のほうが異常なので、問題が明るみに出たケースはかなりまともな考え方のご家庭だったのでは、と思います。


 

 年の初めから凄い本に出会ってしまいました。

『日本の「安心」はなぜ、消えたのか』(山岸俊男、集英社インターナショナル、2008年2月)。


 定説を覆す、しかし説得力ある社会心理学の本。著者、山岸俊男氏は北大名誉教授。去年の7月、大津の事件で「いじめ」がクローズアップされたとき、このブログでも同氏の『心でっかちな日本人』から、教室の力関係について、すなわち傍観者の数とそれを変えるダイナミクスについて―最終的には「熱血先生」の存在がカギになる―の考察を引用しました。


 本書は5年前の本ですが、このところの正田の「日本人とは」の論法にもゲノム学以上にベースになり得る本。もっと早く知っていれば良かったです。


 ただ迷いもあって、というのは本書の分析とりわけ現状分析にはおおむねうなずけるのだが結論部分はわたしと違ってしまうこと。そのあたりは後述しましょう。


 著者は、「日本人らしさ」とは生き抜くための戦略(適応戦略)だった、といいます。

 例えば、忠誠心とか愛社精神というものも、決してそういう美徳を備えた国民だからというのではありません。


 
日本のサラリーマンが会社に忠誠心を示すのは、そうやって振る舞うことが日本の社会において最も適応した行動であるからに他ならない―分かりやすく言うならば、会社に対して忠誠心を示したほうが何かとトクをするから、そうしているだけにすぎない。

 (中略)

 江戸時代の武士たちが滅私奉公であったというのも、結局は同じ理由です。「転職」がいくらでもできた戦国時代とは違って、江戸時代では主君を替えるわけにはいきません。子どもや孫の代までも同じ殿様に仕えることになるのですから、常日頃から忠義ぶりを示していたほうが得策だった。だからこそ、江戸時代の武士たちはお家大事、殿様大事で働いていたというわけです。(p.49)


 
 さらに、自己卑下、謙譲の美徳というものも疑わしいといいます。

 日本人が自己卑下傾向を示すのは、そういう態度を取ったほうが日本社会ではメリットが大きいから謙虚にしているだけのことであって、「日本人独特の心の性質」が産みだしたものでも何でもない。要するに「タテマエ」と「ホンネ」を使い分けているだけのこと、もっとはっきり言ってしまえば、日本人の心が欧米人に比べて本当に謙虚であるという保証はどこにもない、というわけです。(p.56)


  この「自己卑下傾向」は単なる「適応戦略」だ、ということを実証する著者の実験が非常におもしろい。日本人の大学生に、普通のやりかたでセルフイメージを問うと「平均より下」と自己卑下的に回答するのですが、質問の仕方を工夫し、「あなたの自己評価が正しければインセンティブを出します」という文を付け加えると、多くの者が自分を平均より上に回答し、こういうやり方でホンネを表出してもらうと、日本人学生の自己評価は海外の学生と変わりなくなってしまうというのです。ただ、普通のやり方で問うと、たとえ匿名であっても、自分を平均より下だと回答したほうが「無難」だと考える、「デフォルト戦略」がはたらきます。


 日本人は、集団主義か、個人主義か。

 『世界の経営学者はなにを考えているのか』にも出てきた有名な問い。山岸氏は果敢にこの問題に切り込み世界で大いに引用されているとのことです。

 著者の実験の細かいところは省きますが、これも興味深い結果として


「日本人は自分たち日本人のことを集団主義的な傾向があると考えているが、ただし『自分だけは例外』と考えている集団である」(p.79)

という結論がみちびかれます。


「個人主義でもいいじゃないか」とみんなが内心思っていても、現実にはいつまでも集団主義が維持されてしまう。その理由は2つあり、

1つは「帰属の基本エラー」。他人が集団主義的に振る舞うのをみると、本当はその人は内心嫌がっていてもそうせざるを得ない事情があるためにそうしているのだが、それをみている人はその人がそうしたい心の持ち主だからそうしているのだ、外的な事情のためではないのだ、と思ってしまう。接客業の人が親切なのはそれが仕事だからなのに、その人が本当に親切な人なのだと信じてしまう。

もう1つは「予言の自己実現」。みんなが内心、「個人主義的に行動したら、周りの人たちに嫌われてしまうのではないか」と思い込んでいると、その思いこみが本当になってしまうという現象。銀行倒産のときなどにも同様の現象がみられる。


 「日本人は本当は個人主義者である」

 このことを証明する実験もあり、・・・1つひとつの実験のデザインは大変おもしろいものなのですが、紹介していると長くなってしまうので、ご興味のある方は是非本書をお読みください。・・・


 「日本人はアメリカ人と比べて、他人を信頼する度合いが低い。」(統計数理研究所)(pp.94-95)
 これについてはおやっと思われる方もいると思うので、設問と数字を挙げておきましょう。

・たいていの人は信頼できると思いますか、それとも用心するに越したことはないと思いますか?
  アメリカ人「たいていの人は信頼できる」が47%
  日本人「同上」26%

・他人は、隙があればあなたを利用していると思いますか、それともそんなことはないと思いますか
  アメリカ人「そんなことはない」が62%
  日本人「同上」53%

・たいていの人は他人の役に立とうとしていると思いますか、それとも、自分のことだけに気を配っていると思いますか
  アメリカ人「他人の役に立とうとしている」47%
  日本人「同上」19%

 ―すなわち、日本人は一見「和の社会」に暮らしているが、内心では「人を見たら泥棒と思え」と思っている。


 アメリカと日本の犯罪発生率の差をみるとかえって不思議な気がする調査結果です。山岸氏によるとそれは「信頼」というものの質の違い。「アメリカは信頼社会、日本は『安心社会』」といいます。

 安心社会とは、言い換えると「相互監視社会」。農村を典型とする集団主義社会では、人々がおたがいに協力しあうのも、また、裏切りや犯罪が起きないのも、「心がきれいだから」という理由などではなく、「そう生きることがトクだから」という理由に他ならないというわけです。


 開放型社会、都市型社会と信頼社会。
 閉鎖社会、農村型・集団主義社会と安心社会。

 以下、この2つの対比がのべられますが、

「この契約書の話がいみじくも象徴しているように、戦後の日本経済はケイレツ、株の持ち合い、元請け=下請け関係、さらには護送船団方式といった、さまざまな集団主義的ネットワークを活用することによって「奇跡の経済成長」を実現させたのでした」(pp.113-114)

 
 日本的なるもの、日本人らしさがもっともうまくいったのは高度経済成長期ではないか。当時の成功体験を今に当てはめるのはもう無理なのではないか。これはこのところのわたしの問いとも合致します。


 では今からどうするか?日本人はどうしたら再生できるのか?というときに、やはりこうしたリアリスティックな現状把握は役に立ちます。とはいえ、これまでの山岸氏の論法の中にも、既に一部に反論したい箇所はあるのですが・・・、


 このあとさらに、「信頼」というものについてのわたしたちの常識に山岸氏は揺さぶりをかけてきて、小気味いいほどです。

 「囚人のジレンマ」などの実験の結果、他人を信頼する傾向の高い(一般的信頼の高い)人ほど、「相手は自分から巻き上げるだろう」など、他人に対する予測を正確に行えることがわかりました。

 「人を信頼する人はだまされやすい」という思いこみがわたしたちにはありますが、それとは真逆の結果になったのです。

 
 一方、一般的信頼の低い人は、相手の振る舞いに関係なく悲観的であり、相手が良さそうな人か悪そうな人かを見極めることなくだれに対しても裏切りを予測したのでした。

 つまり、「信頼度の高い人」のほうが柔軟に人を信頼するかしないかを決めており、しかもその予測が正確なのです。
 「高信頼者」は他人と協力することが生きていくうえで必要不可欠だと考えており、他人とのあいだに協力関係を築こうと積極的に行動します。そこでときには騙されることもありますが、その失敗を教訓にしてまた他者との協力関係を築こうとするので、高信頼者たちは他人の信頼性をだんだん的確にチェックできるようになっていくというわけです。
 

 こうした知見は、「オレオレ詐欺」のようなプロの詐欺行為にはつかえるかどうかわかりませんが、もう少し一般的なビジネスの現場では大いに参考になるでしょう。


 (ちなみにWEBでダウンロードできる山岸氏のべつの論文「他者の協力行動の推測の正確さを規定する要因―魅力度と表情豊かさ―」(心理学研究2010年第81巻第2号)では、人が人を信頼する決め手となるのは「魅力度」と「表情の豊かさ」であり、とくに「表情の豊かさ」を手がかりとしたほうが予測の確度は高いという結果が出たそうです。男性については魅力度を手がかりにすると間違えやすい。これは以前「テストステロン」のところで見た、魅力的で雄弁な弁護士の話にも通じます。また表情の豊かさは詳しくいうと、ポジティブ感情だけでなくネガティブ感情も表出したほうが、「信頼できる人」と判定されたそうです。これはゲームの流れで裏切られたり信頼されなかったりと、がっかりする場面も含まれるときに、詐欺師はつねにポジ感情だけを表出するが、信頼できる人はそこでネガ感情も見せるからだそうです。面白いですネ)


 こうした、他人の信頼性を検知できる能力が信頼社会での適応に不可欠であるとすると、いっぽう集団主義社会では「関係性検知能力」が必要になると本書は言います。いわば「空気を読む能力」ということです。


 若者の間に「空気を読む」傾向が過去にまして蔓延している。グローバル化を迫られ、過去のやりかたで社会適応していては世界から取り残されるというときに。このことは、日本人の「心の道具箱」の再配置が正しく行われていないからではないか、と本書はみます。

 
 もちろん、人間関係の機微を読み取る関係性の検知能力は信頼社会での「サバイバル」には役に立ちません。それはまるで山を登るのにボートのオールを持っていくようなものです。
 しかし、とりあえずそのツールを手につかんでしまった以上、それで何とか問題を解決できないかとしてしまうために、ますます問題がこじれているのが今の日本の状況と言えるのかもしれません。(p.172)
 


 たとえば社の命運をかけて新規事業に、あるいは新興国に進出しないといけない。欧米、中韓が早々に進出し現地と太いパイプを作っている中、自社の意思決定メカニズムそれも「社内の誰それさんがいやな顔をするんじゃないか」レベルのことに神経を使っていたら永遠に意思決定できない。というような話でしょうか。
 あるいは、職場改善のために話し合っている。小手先の「カイゼン」の項目は活発にみんなから提案が出るが、表面的な原因ではない「根本原因」「真の原因」が存在することは一部の人にはわかっている、あるいは下手すると全員がわかっている。でもそれを互いの顔色をうかがいあうあまり言い出せない。そんな風景でしょうか。

 そう、ここにはどの企業も直面するであろう価値観の転換があります。そのことにどれだけ気づけるか、またそれを転換するのはどれほどの労力が必要か、丁寧なプログラム変更が必要かということにも気づけるでしょうか。だめですよ、承認研修1日研修で済まそうとか、1年やったからいいだろうとかいうのは。


 さて、本書の最後に「武士道精神が日本のモラルを破壊する」という、刺激的な章があります。

 ここも本来じっくりご紹介したいところですが長くなりすぎてしまいました。

 かいつまんでいうと、ここではカナダ人研究者ジェイン・ジェイコブスの説をとりあげ、「市場の倫理」と「統治の倫理」、言葉をかえると「商人道」と「武士道」の対比をみせてくれます。本書では前者は信頼社会の倫理、後者は安心社会のそれであるとします。また、この2つはまぜてはいけない、ともいいます。


 
えてして人間は、当地の倫理と市場の倫理という二大モラル体系を合体させれば、最高にして最良のモラルができあがると考えてしまうのだが、実はそれこそが大間違いである。それどころか、この二つのモラルを混ぜて使ってしまったとき、「救いがたい腐敗」が始まってしまうのである(p.245)


 
まぜるな危険。このことも、従来米国型のコーチングを日本に持ち込んだとき、決してすべてではないが一部に奇妙な退廃が起こる。またやや硬質な当協会の価値体系の中に他研修機関の考え方の人が入った時に強烈な反発作用が起こる。そうした経験から、わたしにはわかる気がするのです。


 ではどちらか一方だけを選ばなければならないのなら、本書の論法でいうとグローバル化対応のために「市場の倫理」(日本でいえば心学)だけを選ばなければならないのか?

 リーダー教育からみると、現代でもリーダーには武士道的倫理が求められる部分があるので、話がややこしくなります。このあたりは山岸氏も明確には述べていません。またわたしの属する「教育」という分野も、医療などと同様市場原理だけで動かしてはいけない分野なので困ってしまうことになります。(たとえばの話、だれも分数の計算をできるようになりたくないと思っているときに「分数の計算法」を営業して売り込めるかというと難しいはずです。それは営業して売れるか売れないかではなく、「できなかったら死ぬぞ」という問題なのです)


 ひょっとしたら「承認教育」というのは商人道と武士道、ふたつの価値体系の交差点に位置し、うまく接合点になるものなのかもしれない。買い被りすぎかもしれないが。


 ともあれ学ぶところの非常に多い本で、NPO会員の皆様にはぜひご一読をお勧めしたいです。(そこまで言うことそんなに多くないでしょ?)


 さて、ただ本書の結論や提案部分には今ひとつ賛同できない、というのは、

「空気を読む日本人」
「他人を信頼しない日本人」
「リスクを回避したがる日本人」

をそうさせているのは、社会制度である、として、制度の欧米並みの変更を迫っている点です。

 
 これはタブラ・ラサ論(人は白紙の状態で生まれてくる、生まれたあとの教育で「らしさ」が生まれるのである、とする論)ではないのか?制度さえ変えれば人を変えられるというのは。
 
 制度は、やはりそれを支える「人」に応じて発達したのではないのか?

 というのがわたしの疑問です。

 
 ここで論拠となるのがゲノム学になります。つまり、わたし的に言えば、日本人はそもそも生物学的にさまざまな点で「違う」のであり、日本人がリスクを避けたり他人を信頼しなかったりするのは、生物学的にそのようにつくられているからであり、制度だけがその心理や振る舞いをつくっているのではない、むしろ制度は生物としての日本人に適応する形で発達した、という考え方です。

 ただまた、生物学的な「違い」を言っていると、過去の鎖国パターンや高度経済成長パターンをいつまでも卒業できず、現代のグローバル化に永遠に適応できないではないか、ということになるでしょう。

 ・・・でわたしの結論は「徹底した教育」になってきます。

 ある人に生まれついての「偏り」があるとき。だれにも大抵なんらかの「偏り」があるのですが、それについての教育の対処法は二通りになります。

 1つは、「強みを活かす」ということ。「偏り」を「強み」として見、尊重して心ゆくまで伸ばしてあげることにより本人の自信になり、最終的には全人的成長につながる。

 もう1つは「弱み」のうち、放置していては生存にマイナスとなる部分については教育を通じて克服する。苦手なことも手とり足とり教え込む。時間にルーズな人には、時間にルーズではほとんどのビジネスで生きていかれないということを教え込む。―ただし、イチローの振り子打法を矯正しようとした土井監督と放任し伸ばした仰木監督、のように、なにが「生存にマイナスになる弱み」なのかは慎重な見極めが要ります。―


 このばあい日本人について言うと、他者を信頼する、必要以上に空気を読まず必要な自己主張をする、自己決定をする、ということを、苦手だからこそ懇切丁寧に教え込む、ということになります。それはたとえば「信頼した個人を奨励する」「自己主張した個人を奨励する」「自己決定した個人を奨励する」といった道筋をたどります。
 

 
「徹底した教育」というとファシズムのようでもあり、過去の愛国教育を想起するかたもいらっしゃるでしょう。
本書の著者山岸氏もそうしたやり方に懐疑的です。


 あとは、当協会が「信頼」してもらえるかにかかっていそうです。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp
 
 


お世話になっている皆様



 おはようございます。
 企業内コーチ育成協会の正田です。


 最大11連休もあったというこの年末年始。皆様、お健やかに、また安らかな新年をお過ごしになったこととお慶び申し上げます。
 姫路・書写山円教寺の「今年の1字」は「穏」の字だったそうです。激動が続いた昨年までと違い、安らかでありますようにという願いがこめられているそうです。

 今日から2013年は本格始動―。
 


※このメールは、NPO法人企業内コーチ育成協会のスタッフ及び代表理事・正田が、過去にお名刺を交換させていただいた方・当協会のイベントやセミナーにご来場いただいた方にお送りしています。ご不要の方は、メール末尾にありますURLより解除いただくか、このメールに直接「不要」とご返信ください。




 本日の話題は:




■日本人のためのリーダーシップ教育、アンチ自己愛、優秀さと幸福感、女性活用―2013年も願うこと


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■日本人のためのリーダーシップ教育、アンチ自己愛、優秀さと幸福感、女性活用―2013年も願うこと


 
 今年の当協会の抱負をブログに掲載しました。

 リスクを避け空気を読む日本人。グローバル化を生き残る強さをもつため、処方箋があるとしたら…、当協会は今年も精一杯最善と思うことを行っていきます。


 全文はこちらをご覧ください

 http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51842418.html


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 元旦、初めて「お遍路さん」にバスツアーで行ってきました。四国八十八か所の第一番「霊山寺」から第六番までを回りました。


 きっと、もう行かれた方も読者の方には多いと思いますが、それぞれのお寺で2回ずつお線香を上げ蝋燭を灯しお経を上げ…ということを繰り返します。1日の終わりにはだれもが優しい顔になっているんだそうです。


 ここで何か気の利いたことを言うつもりはありません。弘法大師さんの時代から続いてきた日本の老若男女の心の拠りどころとは、こういうものだったのか。自分自身体験し敬虔な思いにしばしなりました。


 ちなみにわたしが何をご祈願したかって?

「今年出会うすべての人が幸せでありますように」

です。ほんとですよ。



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ここまで読んでいただき、ありがとうございました!

皆様にとって良いことの沢山起こる1年でありますよう。



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(株)帝国データバンク社『帝国ニュース兵庫県版』
2008年〜2012年 長期連載このほど完結
http://blog.livedoor.jp/officesherpa-column/
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 ブログ読者の皆様、あけましておめでとうございます。
 日頃はわたくしどもの事業に温かいご理解ご支援を賜り厚く御礼申し上げます。
 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 世界の主要国でリーダーの交代が相次いだ昨年でした。今年は各国との関係を仕切り直す節目となりますが、いずれにしても欧州に端を発した世界同時不況により共通の課題に面していることは確かです。
とりわけわが国はかつて経験しなかったグローバル化の中、慣れ親しんだ物の見方との決別、新しい物の見方の習慣化を迫られることになるでしょう。

 この転換期にあたり、わたしたちNPO法人企業内コーチ育成協会は昨年、「100年後に誇れる人材育成をしよう」というスローガンを掲げ、地域において一層のご理解を得てまいりました。

 遺伝子学、社会心理学といった学問分野で「日本人はどんな民族か」が明らかになりつつあります。そうした知見を見れば見るほど、わたしたちの提唱してきた「承認リーダーシップ教育」は間違っていなかった、と感じざるを得ません。また『自己愛過剰社会』に代表されるような、文明の副作用ともいうべき誤った自己愛傾向が蔓延するのを見るにつけ、「ほめる」ではなく「承認」という、1本筋の通った行動様式こそが必要なのだということもあらためて確信いたします。

 昨年はまた、研修効果計測のための調査を開始し、わたしたちの提唱する「承認リーダーシップ教育」がさまざまな業種で効果を上げ得ることが確かめられつつあります。

 これまで、多くの尊敬すべきリーダーたちが華々しい成果を上げ、かつ公の場で自ら証言してくれてきたわたしたちの教育の効果を科学的手法で証明することにより、多くの企業様の正しい選択につながることを期待します。その先には働く人々と集団の優秀さを高め、かつ幸福感をも向上させるというわたしたちの願いの実現があります。

 とりわけ昔も今もわが国の国際競争力の源泉である製造業において、例えば生産性向上により製造拠点の国内回帰、空洞化の回避、雇用確保といった、わが国の社会の根幹をなす成果につながるならば、わたしたちが過去10年以上もひとつの教育を提唱して無理解の中で報われることの少ない仕事をしてきたことの意味があるといえましょう。

 もちろん、どの業種に対しても役立ちたい思いは同じです。高齢化の中、介護にあたられる人々の労を思うにつけ、介護職の人々の幸福度の向上も引き続き念願するところです。

 加えて昨年、承認教育の一環として「女性活用」に関して発言する機会を得させていただいたことは特筆に値します。わが国はこの分野で先進国として恥ずべき立ち遅れぶりであり、一方管理職に対する承認教育がそこにきわめて有効な処方箋であるのは確かなことです。女性活用について発言することは嫌われるリスクを負いますが、わたくしがこの分野について今後も勇気を持って発言させていただくことを、NPO会員の皆様にもご理解をいただければ幸いに存じます。

 いまだ知名度も低いわたしたちにリスクを承知の上で発言のための場を提供してくださる地域の諸機関、諸団体様には深く感謝いたします。

 また東洋の誇る儒教文化、ならびにわが国の儒学についての学びは歴史的考察の薄いわたしたちの教育に一定の基盤を与えてくれます。こころよく学びの門戸を開いてくださる先達の皆様に感謝いたします。

 わたしたちの教育をたいせつに思い日々職場で実践されている敬愛する会員の皆様と交流させていただくことは大きな幸せです。皆様の公私にわたる忙しさを思いますと、あまり頻繁にお声がけすることも憚られるのですが、ご負担にならない範囲で時折集まる機会をつくらせていただければ幸いです。

 本年も皆様にとって素晴らしい年となりますよう。


100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

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