先日の当協会総会で、団体理念改訂が議題になり、「行動規範」の項に「敬意」という言葉を入れた。
理念ページは、こちら
http://c-c-a.jp/profile/profile.html
具体的なセンテンスでいうと、
「私たちは、組織の上下、内外にかかわらず、互いに尊重し、承認しあいます。私たちは、人としての基本の敬意、礼節と思いやり、誠実と正義を大切にします。」
というもの。
背景説明として私は、
「今、メディアやネットの発達により人間観が『バーチャル』になっている。若い人からみると、偉い政治家や有名経営者にフェイスブック等でアクセスできる反面、目の前の普通のおじさん、おばさんである自分の上司を尊敬できないということがある。私たちがめざす承認とは、そうではない。目の前にいる、肉体をもった普通の人をリスペクトするということ。今このような時代だからこそ、改めて強調しなければならない」
と言い、高業績マネジャー揃いの会員さん方は非常に気持ちよくうなずいてくださった。
これを総会議事で決定したあと、会員さん同士の自己紹介になった。
「やはりマネジメントで先ほどの『リスペクト』は大事だなと思った」
と、昨年度目覚ましい成果を上げた新会員さん。
不思議なもので、当協会方式でもっとも強調してお伝えする「行動承認」を徹底しておこなっていただくと、この「リスペクト」が実現できてしまう。
「行動承認」とは、「あなたは・・・しましたね」という、相手がおこなった行動を事実そのままに認める、それだけのもの。
恐ろしく単純なこのことが、過去の経験ではもっとも行動促進効果が高く、人々のパフォーマンスを高めてしまう。(ほかの「期待」とか「感謝」とか「力づけ」などは全部これのバリエーションと考えていいですよ、とまで、当協会ではいう。)
で、このブログではなんども出てきている話題だが、「行動承認」は、行動心理学的には相手がその行動を繰り返しとるようにさせるはたらきがあるが、一方で行為者のマネジャー自身にとっては、「ミラーニューロン」を活性化するはたらきがあるのではないか、という仮説を、わたしはもっている。
ミラーニューロンは「心の理論」の核になる物質だけれど、人の行動をみて自分もそれをしているように感じる、「共感」をつくっているもの。
それの働きがよくなれば、例えば部下がした仕事上の行動の価値や、たとえば新しい行動をとるときに伴う勇気の量も、正確に評価できるようになる。
野中郁次郎氏のいう「フロネシス(実践知)」という概念の構成要素の1つに、「他者の文脈(コンテクスト)を取り入れる」という要素があるが、「承認」は本来非常にむずかしいこの部分をできるようにする。
目の前にいる、肉体をもった普通の人をリスペクトする。その人がとった行動にともなう、流した汗、筋肉の痛み、創意工夫のこころの働き、あるいは奮い起こした勇気の量がわかる。
そのこころの構えが一度できてしまうと、もう男性女性とか日本人中国人とか、関係なく優秀な人を育て長くともに働くことができる。
なかなかふだんここまで説明できないのだが、「承認」にはここまでの意味がある。
1年に1回ぐらいおさらいでブログに書かないといけない。
一方で、メディアを通じてしかものを感じたり考えたりすることができなくなっている人が何と多いことか。
人を「見上げるようなすごい人、えらい人」と、「自分が小ばかにしていい大多数の普通の人」の2種類に分ける思考法の人も何と多いことか。
こうした人は、「リスペクト」という感情を出し惜しみする、それは「一番えらい人」―たとえばイナモリさんとか―にのみ捧げるべきものだから。目の前の普通の人には、意地でもリスペクトという感情をつかわない。
私はこうした価値観をもった人の匂いはすぐ気づくし、できるだけ避ける。一緒にいると疲れる。
100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp
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具体的なセンテンスでいうと、
「私たちは、組織の上下、内外にかかわらず、互いに尊重し、承認しあいます。私たちは、人としての基本の敬意、礼節と思いやり、誠実と正義を大切にします。」
というもの。
背景説明として私は、
「今、メディアやネットの発達により人間観が『バーチャル』になっている。若い人からみると、偉い政治家や有名経営者にフェイスブック等でアクセスできる反面、目の前の普通のおじさん、おばさんである自分の上司を尊敬できないということがある。私たちがめざす承認とは、そうではない。目の前にいる、肉体をもった普通の人をリスペクトするということ。今このような時代だからこそ、改めて強調しなければならない」
と言い、高業績マネジャー揃いの会員さん方は非常に気持ちよくうなずいてくださった。
これを総会議事で決定したあと、会員さん同士の自己紹介になった。
「やはりマネジメントで先ほどの『リスペクト』は大事だなと思った」
と、昨年度目覚ましい成果を上げた新会員さん。
不思議なもので、当協会方式でもっとも強調してお伝えする「行動承認」を徹底しておこなっていただくと、この「リスペクト」が実現できてしまう。
「行動承認」とは、「あなたは・・・しましたね」という、相手がおこなった行動を事実そのままに認める、それだけのもの。
恐ろしく単純なこのことが、過去の経験ではもっとも行動促進効果が高く、人々のパフォーマンスを高めてしまう。(ほかの「期待」とか「感謝」とか「力づけ」などは全部これのバリエーションと考えていいですよ、とまで、当協会ではいう。)
で、このブログではなんども出てきている話題だが、「行動承認」は、行動心理学的には相手がその行動を繰り返しとるようにさせるはたらきがあるが、一方で行為者のマネジャー自身にとっては、「ミラーニューロン」を活性化するはたらきがあるのではないか、という仮説を、わたしはもっている。
ミラーニューロンは「心の理論」の核になる物質だけれど、人の行動をみて自分もそれをしているように感じる、「共感」をつくっているもの。
それの働きがよくなれば、例えば部下がした仕事上の行動の価値や、たとえば新しい行動をとるときに伴う勇気の量も、正確に評価できるようになる。
野中郁次郎氏のいう「フロネシス(実践知)」という概念の構成要素の1つに、「他者の文脈(コンテクスト)を取り入れる」という要素があるが、「承認」は本来非常にむずかしいこの部分をできるようにする。
目の前にいる、肉体をもった普通の人をリスペクトする。その人がとった行動にともなう、流した汗、筋肉の痛み、創意工夫のこころの働き、あるいは奮い起こした勇気の量がわかる。
そのこころの構えが一度できてしまうと、もう男性女性とか日本人中国人とか、関係なく優秀な人を育て長くともに働くことができる。
なかなかふだんここまで説明できないのだが、「承認」にはここまでの意味がある。
1年に1回ぐらいおさらいでブログに書かないといけない。
一方で、メディアを通じてしかものを感じたり考えたりすることができなくなっている人が何と多いことか。
人を「見上げるようなすごい人、えらい人」と、「自分が小ばかにしていい大多数の普通の人」の2種類に分ける思考法の人も何と多いことか。
こうした人は、「リスペクト」という感情を出し惜しみする、それは「一番えらい人」―たとえばイナモリさんとか―にのみ捧げるべきものだから。目の前の普通の人には、意地でもリスペクトという感情をつかわない。
私はこうした価値観をもった人の匂いはすぐ気づくし、できるだけ避ける。一緒にいると疲れる。
100年後に誇れる人材育成をしよう。
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