岡田尊司『発達障害と呼ばないで』(幻冬舎新書、2012年7月)を読みました。
出版当時物議をかもしていたような気もする。近年の発達障害有病率の上昇を、「愛着障害」に大きく帰した本です。
細かいところは割愛して、残念ながらこれも「本人と家族が読むタイプの発達障害本」なので、職場に対する要望には、「それ現実的なん?」と首を傾げるところは大いにあります。
しかし、本書の提唱する「オキシトシン・システム」は、当協会方式の「承認」でつくる活性化された組織図モデルにも通じるものです。
「承認」は、いわば「愛のマネジメント」です。しかし空理空論ではなく、発達障害/愛着障害の当今の増加を踏まえるなら、またこのほかのパワハラ、メンヘル、女性・外国人・障害者活用等の要請をまともに受け止めるなら、これしかない、という今世紀の究極のマネジメントです。
(「愛」という言葉に「ひく」という感性の方は、どうぞ「業績向上」という「ごほうび」のほうに注目しておいてください)
本書は当協会が主張するのと同様、日本人の遺伝的不安感、過敏さと派生してオキシトシンの弱さにもきちんと目配りし、マネジメントには言及していないもののやはりやるべきことは一つ、との思いを強くするのでした。
これほど大きなものを伝える役割を担う巡り合わせになるとは予想していませんでしたが、感謝しています。たとえ生涯報われること少なかったとしても、価値あるものを担うことができました。
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3つ前の記事「ハンナ・アーレントと『彼は役人よ!』・・・」にみるナチの高官アイヒマンの態度は、障害なのか健常者の中の組織への過剰適応の態度なのかは不明ですが、役人的「思考不能」に終始したために「悪の凡庸」と呼ばれることになりました。
では、わたしたちにそれ以外の態度をとることは可能なのか?と思われるでしょう。
ちょうど、それに相当する記述に出会いました。
『道徳を問いなおす―リベラリズムと教育のゆくえ』(河野哲也、ちくま新書、2011年3月)です。
少し長いですが引用させていただきましょう。
いかがでしょう。
ここには「役人的態度」とは対極の態度があるのでした。キリスト教世界の出来事であるとはいえ、もちろん私たちにも不可能ではありません。私の周囲にも個人の良心に基づいて決断している人たちがいます。
この本の著者、立教大学文学部教育学科教授の河野哲也先生とはフェイスブックのお友達で今年春には「鎌倉哲学カフェ」で見事なファシリテーションぶりをみせていただきました。
河野先生には来年のしかるべき時期にインタビューできそう。先日フェイスブックメッセージでお申し入れをすると、1時間もしないうちにOKのお返事をいただきました。発達障害者を含む障害者雇用、男女平等など、ごく近い未来のあるべきマネジメントについて、話題は盛りだくさんにあります。
ネット依存を危惧したりはしますが、程よくネットを使いこなしている人たちはコミュニケーションが柔軟で、こだわりが少ない、「開かれた知性」のもちぬしだなあと思うしだいです。
もう1人、フェイスブックのお友達Kさんは東京在住の「団塊世代」の会社経営者さんです。今年私のフィードに63回コメントを下さり、最多賞になられました。
私がかなり不遜なことをブログに書いてフェイスブックに転送するときも、ときには「団塊世代」への攻撃めいたことを書くときも、まっすぐ受けとめ謙虚にコメントをくださいます。
****
80歳代の知人は風邪が治りました。先日この知人のところにフリースを届けに行きました。
私「フリース着てる?」
知人「いや、暑いもん。柄がはずかしいし」
私「無地のは分厚くて重ね着にむかないんだよ」
知人「ちゃんと置いてあるよ。もっと寒くなったら着るよ」
私「ねえ、私のこと『頑張ってる』じゃなくて『いい仕事してる』って言ってくれる?」
この知人も10年の付き合いですが、「あんたは頑張ってる」とか「あんたは一生懸命やってる」とかの、若い人向きのほめ言葉しか言わない人でした。
ときに口論してでもそれを直そうとしてきました。あるときは当協会方式の「承認の種類」をラミネートして叩きつけました。
ただ後継社長には納得の人材を選び、人を見る眼は非常にまともです。
知人「ああ、あんたはいい仕事してるよ。前からずっと『いい仕事してる』と思ってきたよ。ただわしらの世代は『頑張ってるね』としか言えないんだけど」
私「私、もう家族がいないから、仕事しかないから仕事で認められたいんだよ」
知人「ああ、わしはあんたの仕事のこと認めてるよ。あんたはいい仕事してる。だから頑張れ」
・・・と、強引に自分が言われたいことを言わせて2013年は暮れようとしているのでした。
10年間、この人から教えてもらったことは数限りなくありますが、最大のものは、「経営者の思考にとってもっとも重要なのは難しいカタカナの思考法ではない。正しい事実認識、これに尽きるのではないか」と、あくまで私が受け取ったことですが、思ったことでした。
一時期ビジネススクールに通って「クリティカルシンキング」もお勉強した私ですが「こんなものは重要ではない」と感じて1か月半でやめてしまったのでした。それは身近にいる優れた経営者の思考法はこれよりはるかにシンプルで普遍性がある、と思ったことと無縁ではないでしょう。
そして近年では、「事実認識を誤らせる要素を排除することが大事」と、「判断を歪めるものとの闘い」シリーズに凝っています。
「難しい言葉を使うな!」と叱られたのもこの人からでした。出会ったころ、10年前の私はまだ、(医薬翻訳者上がりだったこともあって)小難しい専門用語を使う人間だったと思います。
この人は、だれから教わるでもなく、「小学生にでもわかる語彙」を使い、それを組み合わせてものを考えるのでした。私も自然それをまねるようになりました。
こうしたものもひょっとしたら、「1位マネージャー育成」に役立っているかも、と思います。
(ただまた、女の私が「小学生でもわかる語彙を使い、考える」というのをやっていると、それは私が「女子大生扱い」されることに一役買ったかもしれない、とも思います)
紅白がはじまりました。
読者の皆様、今年も1年ご愛読ありがとうございました。来年があなたにとって素晴らしい年でありますように。良いお年をお迎えください。
100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp
出版当時物議をかもしていたような気もする。近年の発達障害有病率の上昇を、「愛着障害」に大きく帰した本です。
細かいところは割愛して、残念ながらこれも「本人と家族が読むタイプの発達障害本」なので、職場に対する要望には、「それ現実的なん?」と首を傾げるところは大いにあります。
しかし、本書の提唱する「オキシトシン・システム」は、当協会方式の「承認」でつくる活性化された組織図モデルにも通じるものです。
「承認」は、いわば「愛のマネジメント」です。しかし空理空論ではなく、発達障害/愛着障害の当今の増加を踏まえるなら、またこのほかのパワハラ、メンヘル、女性・外国人・障害者活用等の要請をまともに受け止めるなら、これしかない、という今世紀の究極のマネジメントです。
(「愛」という言葉に「ひく」という感性の方は、どうぞ「業績向上」という「ごほうび」のほうに注目しておいてください)
本書は当協会が主張するのと同様、日本人の遺伝的不安感、過敏さと派生してオキシトシンの弱さにもきちんと目配りし、マネジメントには言及していないもののやはりやるべきことは一つ、との思いを強くするのでした。
これほど大きなものを伝える役割を担う巡り合わせになるとは予想していませんでしたが、感謝しています。たとえ生涯報われること少なかったとしても、価値あるものを担うことができました。
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3つ前の記事「ハンナ・アーレントと『彼は役人よ!』・・・」にみるナチの高官アイヒマンの態度は、障害なのか健常者の中の組織への過剰適応の態度なのかは不明ですが、役人的「思考不能」に終始したために「悪の凡庸」と呼ばれることになりました。
では、わたしたちにそれ以外の態度をとることは可能なのか?と思われるでしょう。
ちょうど、それに相当する記述に出会いました。
『道徳を問いなおす―リベラリズムと教育のゆくえ』(河野哲也、ちくま新書、2011年3月)です。
少し長いですが引用させていただきましょう。
私が思い描く真に道徳的な人物とは、こういうものだ。
もうずいぶん前になるが、海外に滞在したときに、アルチュールというアフリカ人のキリスト教神父と友人になった。あるとき、彼の知り合い夫婦の自宅に一緒にお邪魔して、四人でコーヒーなどを飲みながら談笑していたときのことだ(中略)
アルチュールとその夫婦は、当時、その国の警察が行っていた就労ヴィザ切れのアフリカ人に対する、かなり過酷な摘発について話を始めた。その知り合いは、次の摘発がいつごろ行われるかについての情報を神父に教えた。警察内部の者しか知り得ない情報だ。今でも、結構、はっきり覚えているが、知り合いの男は私にこう言った。
「そうです、私は警察官です。しかし今の警察の摘発のやり方は、アフリカ人だけを標的としていて、人種差別的で不当だ。だから、この情報を神父さんからアフリカ人たちに伝えてほしいのです。」
「おっしゃることは正しいと思いますが、そんな情報を伝えたことが表ざたになったらご自身の職業上の立場が危うくなりはしないですか」
「そうかもしれません。でも、法の精神を犯しているのは当局の方です」
「それに、―彼の妻が口を挟んだ―私たちヨーロッパ人が植民地時代にアフリカで行ったことを考えれば、それくらいのことをするのは当たり前なのです。私たちは、取り返しのつかないような酷いことをしてきました」
「しかし、そんな話を初対面の私の前でしてよいのですか」
「あなたは信用できる人ですよ。」夫婦は顔を見合わせて笑った。
いかがでしょう。
ここには「役人的態度」とは対極の態度があるのでした。キリスト教世界の出来事であるとはいえ、もちろん私たちにも不可能ではありません。私の周囲にも個人の良心に基づいて決断している人たちがいます。
この本の著者、立教大学文学部教育学科教授の河野哲也先生とはフェイスブックのお友達で今年春には「鎌倉哲学カフェ」で見事なファシリテーションぶりをみせていただきました。
河野先生には来年のしかるべき時期にインタビューできそう。先日フェイスブックメッセージでお申し入れをすると、1時間もしないうちにOKのお返事をいただきました。発達障害者を含む障害者雇用、男女平等など、ごく近い未来のあるべきマネジメントについて、話題は盛りだくさんにあります。
ネット依存を危惧したりはしますが、程よくネットを使いこなしている人たちはコミュニケーションが柔軟で、こだわりが少ない、「開かれた知性」のもちぬしだなあと思うしだいです。
もう1人、フェイスブックのお友達Kさんは東京在住の「団塊世代」の会社経営者さんです。今年私のフィードに63回コメントを下さり、最多賞になられました。
私がかなり不遜なことをブログに書いてフェイスブックに転送するときも、ときには「団塊世代」への攻撃めいたことを書くときも、まっすぐ受けとめ謙虚にコメントをくださいます。
****
80歳代の知人は風邪が治りました。先日この知人のところにフリースを届けに行きました。
私「フリース着てる?」
知人「いや、暑いもん。柄がはずかしいし」
私「無地のは分厚くて重ね着にむかないんだよ」
知人「ちゃんと置いてあるよ。もっと寒くなったら着るよ」
私「ねえ、私のこと『頑張ってる』じゃなくて『いい仕事してる』って言ってくれる?」
この知人も10年の付き合いですが、「あんたは頑張ってる」とか「あんたは一生懸命やってる」とかの、若い人向きのほめ言葉しか言わない人でした。
ときに口論してでもそれを直そうとしてきました。あるときは当協会方式の「承認の種類」をラミネートして叩きつけました。
ただ後継社長には納得の人材を選び、人を見る眼は非常にまともです。
知人「ああ、あんたはいい仕事してるよ。前からずっと『いい仕事してる』と思ってきたよ。ただわしらの世代は『頑張ってるね』としか言えないんだけど」
私「私、もう家族がいないから、仕事しかないから仕事で認められたいんだよ」
知人「ああ、わしはあんたの仕事のこと認めてるよ。あんたはいい仕事してる。だから頑張れ」
・・・と、強引に自分が言われたいことを言わせて2013年は暮れようとしているのでした。
10年間、この人から教えてもらったことは数限りなくありますが、最大のものは、「経営者の思考にとってもっとも重要なのは難しいカタカナの思考法ではない。正しい事実認識、これに尽きるのではないか」と、あくまで私が受け取ったことですが、思ったことでした。
一時期ビジネススクールに通って「クリティカルシンキング」もお勉強した私ですが「こんなものは重要ではない」と感じて1か月半でやめてしまったのでした。それは身近にいる優れた経営者の思考法はこれよりはるかにシンプルで普遍性がある、と思ったことと無縁ではないでしょう。
そして近年では、「事実認識を誤らせる要素を排除することが大事」と、「判断を歪めるものとの闘い」シリーズに凝っています。
「難しい言葉を使うな!」と叱られたのもこの人からでした。出会ったころ、10年前の私はまだ、(医薬翻訳者上がりだったこともあって)小難しい専門用語を使う人間だったと思います。
この人は、だれから教わるでもなく、「小学生にでもわかる語彙」を使い、それを組み合わせてものを考えるのでした。私も自然それをまねるようになりました。
こうしたものもひょっとしたら、「1位マネージャー育成」に役立っているかも、と思います。
(ただまた、女の私が「小学生でもわかる語彙を使い、考える」というのをやっていると、それは私が「女子大生扱い」されることに一役買ったかもしれない、とも思います)
紅白がはじまりました。
読者の皆様、今年も1年ご愛読ありがとうございました。来年があなたにとって素晴らしい年でありますように。良いお年をお迎えください。
100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp