正田佐与の 愛するこの世界

神戸の1位マネジャー育成の研修講師・正田佐与が、「承認と職場」、「よのなかカフェ」などの日常を通じて日本人と仕事の幸福な関係を語ります。現役リーダーたちが「このブログを読んでいればマネジメントがわかる」と絶賛。 現在、心ならずも「アドラー心理学批判」と「『「学力」の経済学』批判」でアクセス急増中。コメントは承認制です

2014年03月

 東大のちょっと有名な先生が「研修内製化」に関する分厚い本を出版され、ここ数年の「内製化」のトレンドにまた火がつきそうです。


 わたしの感想は―、この「内製化」ブーム、深刻な教育の質の低下を招くことに皆さんが気付くのはあと何年かかるのでしょう。研修ベンダーのほうも毒にも薬にもならないいい加減な研修を垂れ流してきたのが悪いのですが。


 たとえば、一番わかりやすいところでいうと、「内製化」のメリットとして、「社内人材の活用」ということが挙がります。

 これは、もっというと「余剰人材の活用」ということです。さらにもっというと「仕事できない」とレッテル貼られた人材が、プレゼン関係のことだけは嬉々としてやるところを見込まれて、社内講師の仕事をする、ということです。


 まあそれはおおむねナルシシストです。


 でも仕事できないけどプレゼンだけは上手い人に仕事のやり方教えてもらって、嬉しいですか?

 たぶんその人は仕事の現場のロジックはわかってないです。マネージャーに登用されるような優秀な人の頭の仕組みまではわからないはずです。

 たぶん大学の先生とか大手研修機関でならったことを真に受けて切り貼りして、現実感のないことをしゃべるはずです。


 わたしは以前に一度だけ「社内講師」の人のする研修を見させてもらったことがあるんですが、見させてもらって言うのはなんですが、(だから時間をあけてから言う) あれは全然合格点をあげれんな、と思いました。


 あくまでそのときは、ですけど、例えば当協会では「絶対」であるような、「出典の明示」がなく、出所不明の言葉をしゃべっていたり研修資料に書いたり、ブルーカラーである受講生に色々とヒューマンスキル上の指示をするんですが、「なぜこれをやらなければならないのか」が不明。間のロジックが抜けていて「なんとなく、フィーリングで」指示を出している。受講生は唯々諾々と従わざるを得ない。

 こういうことを書いていると自然と「当協会のこだわり」とは何なのか、ということがあぶりだされてもくるんですけどね…、


 そして、「彼らは現場の人ですから、むずかしいことはわからないんですよ」と高学歴のホワイトカラーの社内講師のかたはおっしゃるわけですが、

 どっこいわたしの理解では、ブルーカラーといえども沢山の機械操作の講習には参加します。そこでは「なぜ、これをやらなければならないのか」「なぜ、これをやってはいけないのか」という理屈も含めて、叩き込まれるように教えられ、納得して従ってその機械操作を習得するわけです。自動車の教習を考えればわかりますね。


 だから、「間のロジック」をきちんと言い含めながら教えれば、ブルーカラーホワイトカラーに関わりなく、非常に高いレベルで納得して学習してくれます。


(わたしはまあ、「リスペクト」が基本姿勢ですから強引な命令口調ではやりませんが、「科学的にこれが普遍真理だ」というところは、「きっぱり」した口調で教えます。その方が受講生さんにとって「親切」ですから)

 そういう、相手の「学ぶ力」を信じることができていない。


 でもたぶん社内講師のかたって「お山の大将」ですから、こういうちょっと厳しいフィードバックを浴びたり、師匠について徒弟制でやりかた、考えかたを教わりながら「教える」やりかたを習ったり、ということはしてないんです。ナルシシストさんなんですから。そもそも学ぶ力が低い人たちで、かろうじて東大の先生の言うことは正しいことだと思ってきく人たちですから。


そのときの社内講師のかたも、プロのわたしに「もし気がついたことがあれば遠慮なく言ってください」なんていう謙虚なことは一切言われませんでしたので、わたしも「こういう難点がある」なんて、親切に言って差し上げたりはしなかったんです。


ここに書いたのもわたしが教えるうえでのこだわりのごく一部であって、自分でも意識していない暗黙知はほかにもようさんあります。それ全部人様に伝えるにはすごい時間がかかり、畢竟、人に教える仕事をする人というのは促成栽培できるものではないだろう、と思います。


 それとあれですね、もし「承認」を教えるんであれば、1つ前の記事に書いたような組織の「シニシズム」とまでも闘う覚悟があるかどうか。それがなければ、いくら形だけ「承認」を教えても入らないでしょう。こなすだけの「言い訳研修」になってしまうだけでしょう。通常、社内講師のかたというのはその組織の文化コードに従って振る舞い、悪い文化を覆すほどの力は持てないはずです。



「教育は間違いに気づくのに10年かかる」


 2009年夏、IFU(国際大学連合)理事長で英国・アイルランドの大学教授を務める北中寿氏が言った言葉です。


 「内製化ブーム」は数年前に火がつき、今年あたりがピークかそのちょっと手前ぐらいだろうと思います。研修費削減の流れに乗ったものですが、そもそも研修費削減もグローバルスタンダードからまったく離れた我が国独自の現象で、先進諸国と比べると悲惨なぐらい社員一人当たりの教育費が低いのです。その片棒担ぎを、「内製化ブーム」とそれを煽る東大の先生がやっている、ということです。


(「教育投資」の問題は過去にこんな記事をかきました
 「教育投資あれこれ―GEの人材育成費は日本の10倍。竹槍日本、再来。 」
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51799358.html 


 そして自分個人のポイント稼ぎをしたい総務系の人が「オレも社内講師に」と欲をかき、部長役員クラスも研修の中身まで知りませんから「いいことだ。がんばって」などと言います。教える質や学習効果が低いなんてことは社内のだれも知りません。



 10年か20年後、今の時代をふりかえって「バカバカしいものが流行ってたなあ」と言えるようになりたいものです。



 ・・・まあ、遊休人材を沢山抱える大企業が「社内講師制」にしがみつくなら、むしろ中小企業のほうにチャンスが回ってくるかもしれない。という見方もあります。


 なお最初のほうにも書きましたが研修ベンダーのほうにも淘汰されたほうがいいものがあることは否定しないです。




このブログには時折「論争スタイル」の記事が載るんですが、1-2年たってから見直すと「やっぱ言っておいて良かった。間違ってなかった」と思います。「報酬をこえて」だったかな、もうあの本のことだれも言わなくなりましたしね。


****


 「承認」を教える仕事というのは、人から見下されやすい仕事です。


 「ああ、きれいごとを言うお仕事をしている人ね」

 初めての人とお名刺交換して、その人の頭をよぎる言葉は大体見当がつきます。


 受講生様方が高い成果を上げて報告してくださらなかったら、この12年間のうちにとっくに放り出していたでしょう。

 40歳前から今までの12年は、わたしにとって見下され嘲られ続けの12年でした。ひどい妨害も受けました。われながら精神状態がよく持っていたと思います。


 そして今も、わたしを見下し嘲る人と「この人が窓口だから」と、お話をしなければなりません。

 もうたすけて、勘弁して、と正直言って思います。



 そしてまた思います。

 当協会がいまだマイナーなこんにち、成果を報告してくださった受講生様方は、わたしとともに闘ってくださっているのだ、この長い「冬の時代」を一緒に耐えてくださっているのだ、同じマインドを持っているのだ、と。






100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp


 以前ある研究機関で(理研ではない)研修をしたときの暗〜〜い雰囲気を文章に書いたことがあります。


 「ワイワイガヤガヤの効用」

 http://blog.livedoor.jp/officesherpa-column/archives/349445.html


 半年かけて「どんより」した空気を「承認」の力で「ワイワイガヤガヤ」に変えたんですが、この施設で研修を継続しなかったので、年度が替わったらずどーん、とモチベーションが下がってしまった、という話もどこかで書いたと思います。

「重症患者」は息の長いフォローをしないと、単年度で末永く元気になっていただく、というのはむりなんです。


 この文章の主題はそこではなくて、理研さんをどうこう言いたいわけでもなくて、


 「冷笑的」ということを、考えてみたかったのでした。

 
 年度が替わり研究員の受講生たちとお別れしてから、1人の元受講生を会合に招いて、来てもらいました。

 すると、やっぱり態度が硬い。

 言葉数が少ないだけではなく、ぽつりぽつりと話す断片的な言葉が、そう、「冷笑的」なのでした。話題にしている誰かについて話す口調に微妙に見下しがまじる。その前年の彼はそんな話し方をする人ではなかった。


 
 受講生たちを少年のようなピュアで熱い状態に変えてしまう研修を中断すると、シニシズムが蔓延するのか。

 暗澹となるとともに、

 それだけではない、わたしがかつて研修講師として半年間闘った相手も、もとはといえば同じシニシズムだったのではないか。

と、いう感覚にとらわれました。


 研究開発組織とシニシズム。
 恐らくわかちがたく結びついているものでしょう。

 みな高学歴、出身の研究室のプライドを大なり小なり有している。そして一言も言葉をかわさないでいても仕事としてはすすんでしまう。

 そういうとき、よほどの「仕掛け」をしなければ、一人一人がシニシズムの殻に閉じこもってしまうのだろうと思います。

 しかし、シニシズムの蔓延している組織にイノベーションは生まれません。思い切った果敢なプロジェクトを提案しても、冷やかな視線を浴び、暗に失敗することを期待されている。失敗して嘲笑を浴びることには耐えられない。そんなところでは各自が「言われた仕事」に没頭し、傷つかないように毎日を過ごすようになります。


 
 ひょっとしたらそれは研究開発組織だけでなく、ひとつの会社で高学歴の人が集まりやすい部署にはよくみられる現象かもしれません。

 最近体験したさまざまな現象をみてなんとなくそう思います。あくまでなんとなく、です。




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長いことマネージャーさんに「承認」を教えることをしておりますと、

一人のマネージャーさんでもその時々で、承認についての理解が偏ることがある、というのは見ていて思います。

ある程度は許容範囲だし、ある程度逸脱してくると業績にも影響してきます。


あるマネージャーさんは、

「結局『ありがとう』と言うことが大事ですよね」

と言いました。正しいようでもあり、でも「その人のくせが出た」とも言えます。

このかたは回復志向さんなのです。そして「人を助けて、『ありがとう』と言われたい」という気持ちが人一倍強い。

そういう人が「ありがとうが一番大事ですよね」というときは、少し気持ちが弱っていて、そしてありがとうに飢えているときかもしれない。
また、回復志向が支配的になっているときは、回復志向は問題点をみがちな資質ですから、人の美点より欠点に目が向きやすくなっているかもしれない。それで重要な承認どころを見逃してしまっているかもしれません。


一方、「承認=ほめる」と理解しやすい人もいます。「すごーい」「さすがあ」みたいな言葉を使いやすい。それは、多分ご本人が「ポジティブ」が強いかたなのだと思います。
「ポジティブ」が強いと、見通しが甘いとか同じミスを繰り返すとか、そういう問題があるかもしれない。また、人によってはポジティブな人のいう「すごーい」「さすがあ」系の褒め言葉はかえってバカにされた、と感じて不愉快になるかもしれません。

去年の7月東京で、「上司が見えすいた褒め言葉を言ってきて不愉快」という話が出ましたが、すごーいさすがあ系の言葉はある程度誇りを持って仕事している人に使うのは気をつけたほうがいい、と思います。

こういう、人によって理解にくせが出る、というのは、最近でこそパターンを帰納して「あなたの場合はそういうことなんですね」と言えるようになったけれど。


ではどうすればいいのか?というと、当協会方式で研修のあと「宿題」をお出ししますが、そのとき指示した「型」を守っていただくのが一番で、業績にもいい影響を与えます。

一応あの「型」を守っていただくと一番汎用性が高く、(定型発達の人なら)相手が誰でもほぼ伸ばすことができ、また以前「瞑想」との関連で述べた「変化に気づく」というところにもつながる、いわば「拡張性が高い」のです。

そんな風に単純なものでも考え抜いて作られてるものなんですが、なかなかわかっていただけなくてねえ。。


従来のコミュ力研修では考えられないぐらい、当協会は「型」を重視します。そしてそうむずかしいものでもありませんが武術経験者は、習得がいいです。

「型」による指導をするためには、先生に一定以上の「権威」がなければなりません。
あんまり皆さんそう思ってくれませんが、わたしは「家元」のような立場です。


※※※※



去年の秋、高槻商工会議所というところで講演し、そこでは年配の経営者中心の聴衆で「過去の研修の中で一番良かった」と、嬉しいご感想をいただきましたが、

そこで使ったのは今時のプレゼン術とは真逆の話し方でした。

関西だからと言って笑いの要素を一切入れない。身振り手振りも、自然に出る範囲以上のものは入れない。

そしていつもの芸のない淡々とした口調で、ひたすら自分の「やってきたこと」に徹してしゃべりました。
決して愛想のないのがいいことだと思っているわけではないので、聴衆と高槻の土地に対するありったけのリスペクトを込めて話しました。

ちょっと上手さを自慢する講師の先生のような「いなす」「いじる」というのは、一切やりませんでした。


でも、わたしが思うに関西の聴衆だってそういう講師の先生に飢えてたんじゃないかと思うんです。


「過去の研修で一番良かった」とまで言っていただけるというのは。


※※※※


わたしは記者出身ですが、もう12年、マネージャーたちと接してきたお蔭で彼らの堅実な思考回路というのは身についてきたと思います。

わたしの仕事は女性としては「重い」種類の仕事だとおもいます。組織の底辺の部分に変化を起こして組織を良くしてしまう、というのは。


この「重い」仕事を理解するのは、「重い」思考力のある人でなければなりません。
「重い」思考力を持てるかどうかは、かなり「才能」だな、と思います。


※※※※


いつものことながら、

「正田さんの思い」
「正田さんのご主張」

という言葉は大嫌いであります。

わたしが女だから矮小化している。

「正田さんの実績」

という言葉がふさわしいでしょう、これだけ実績があれば。
「思い」「主張」はだれでも語ることができます。
「実績」は、その都度起きていることと誠心誠意向き合い、考え抜きやり抜く態度から生まれます。
自分自身何かをやり遂げてきたビジネスパーソンなら、その違いはわかるはずです。


これも繰り返されている問題で、こちらに初出記事があります。

「想い」についての違和感


http://c-c-a.blog.jp/archives/51788949.html

ああ、また嫌な人間になりそうだ、わたしは。



 これも何度か出ている話題ですが、

 わたしはストレングス・ファインダーで「個別化」という資質が不動の1位にあります。1人1人の違いを見抜き対応を変えてしまう、という資質です。


 師匠によるとこれは全人口の中でも出現率が少ないそうで、多分わたしのコーチ・研修講師をやるうえでの強みになっていると思います。いや自分がもっているからって特別立派な強みなわけではないんですけどね。


 ・・・ただ「承認歴3年」の林義記さんが2回目の診断で「個別化」があがってきていますから、「承認」は「個別化」を高めるはたらきがひょっとしたらあるかもしれません。

 でまた師匠によると、個別化があれば名マネージャーになれる、ともいいます。


 わたしはリーダーに戦略を教えることはできません。以前にも書きましたが戦略は理念と内部環境、外部環境の掛け合わせで、自分で考えること。ちゃんと情報収集し情報の重要度の評価もできる人なら戦略立案は自分でできるはずです。

 自分で考えないとパッションは生まれないですからね。


 じゃあ、わたしにできるのは何なんでしょ。。



 わたしの責任範囲でないところでは、たとえば「発達障害」らしき行動特性のある人について、リーダーが「オレが何とかする」というのは、よく見ます。

「大丈夫、オレが何とかする」

 こういうことを言うと、「ああ、この人は個別化が低いんだな」と思います。

 多分ポジティブ、自我、成長促進あたりが強い。


 なぜなら、ある部分の脳の機能が「欠損」している人の場合に、素人がどう働きかけてもその部分は伸びないからです。片手がない人の手が伸びてきますか?伸びないでしょ。


 「欠損」ということについて、もう6年も前ですが脳画像診断医との対話がありました。

 「脳画像診断・加藤俊徳先生との対話」

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51341500.html


 関連のあるところだけ抜き書きすると、

画像診断について、医師同士で話すときは客観的に話すんですけど、患者さんに説明するとなるとそうではない。


 人の脳の欠けている部分というのは、事故とかであとから欠損した部分についてはこれができないとか、本人さんが認識できるんですけど、

 さいしょから足りない場合というのは本人さんはまったくわかっていないんです。さいしょからその部分についてはないものだという意識。

 この木(室内の観葉)だって、葉があるところはあるけれど、葉が茂っていないところの情報というのは『ない』でしょ」

 …「ない」ものについて説明するのには、相手の世界観になりきって説明するのがよいようです。



 観葉植物を使った説明が良かったですね。

 まあ、こういうことを書くとまた、「正田も『ない』ところいっぱいあるじゃん」ていう話になるんですけどね。

 ここでは加藤氏は、「ない」認識の「ない」人に対して心優しく相手の世界観に沿った説明をしますよ、ということを言ってるんですけど、

 少し意地悪い見方をすると「それはご商売だからですよね」ということになります。


 現実に、仕事の中で発達障害の人、たとえば時間管理能力やイメージ力の障害のある人にどう仕事させるか、というときには、「あなたはこの部分は『ない』ですよね」と、だれかがはっきり言ってやらないといけません。汚れ役をやらないといけません。


 相手に「ない」認識を正確にもってもらって、そのプロセスでは実際にやってもらって「ほらこういう失敗をしたよね」と現物をつきつけるようなことをしてもいいですけれど、とにかく正確な認識をもってもらったうえで適材適所を考えてあげる、ということになる。


 それはかなり辛抱強い作業になるので、指導者の側も「この相手は定型発達者じゃないんだ」という認識をしっかり持たないと、腹がたつでしょうし投げ出したくなるでしょうし。

 特例子会社さんの例では、「第三者機関との連携」という話も繰り返しでましたが、職場の上司だけが恨まれ役を負いきれるわけではなく、職場外からもみてもらわなければならない。

 場合によっては、以前わたしがこのブログに書いたように、

「お給料をもらって仕事をできるのは幸せなことなんだよ」

と、第三者が言ってあげたほうがいいかもしれない。職場の上司のほうがちゃんとした人であれば。


 ともあれ長くなりましたが、

「大丈夫、オレが何とかする」

の、ポジティブ自我成長促進らしき人は、すぐドツボにはまるだろうし、あるいはそうなったとき自分が「大丈夫オレが何とかする」と言ったことなんか忘れて他責にすりかわってるかもしれない。


 まあそういうところには近づかないのがいいです。


 自我と成長促進は共存していることがよくあります。とわたしは思います。師匠はあんまり同意してくれないんですけど。

 当協会の承認リーダーについても、お若いころこのかたは自我が強かったろうな、というかたはよくいらっしゃいます。

 程よく枯れてきたころにタイミング良く「承認研修」に出会ったので人を育てるリーダーに切り替えられた、というかんじではないかとおもいます。


 で、人を育てるマインドは高いけれど「個別化」は低い人の場合、わりといつまでも「大丈夫オレが何とかする」と言います。


 正田は「回復志向」は低いので「だめんず趣味」はないのです。




100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp


 


 年度末、NPOの会員さん方に会員の更新の有無をお伺いしています。

 去年からできるだけお電話で更新の意思をお伺いするようになっていますが、古手の会員さん方はとても気持ちよく

「もちろんです。喜んで」(松本茂樹さん)
「応援しますよ」(間瀬誠先生)

と言ってくださいました。

 ありがたいことですね。

 そして今活躍してくださっている現役リーダーの会員さん方に加え新たに3人の方の加入があり、現時点で会員13名となっています。


 皆様ありがとうございます。来年度もどうぞよろしくお願いいたします。また敬愛する皆様のお顔を拝見するのが楽しみです。


****


 発達障害もそうですが「ナルシシズム」についても、調べれば調べるほど「あたしもそうなんじゃないかしら」と思ってしまって嫌になります。

 「自己愛性人格障害」のチェックシート類は多数あります。ここでは2012年久留米大学心理学研究の論文から拾ってみたいと思います。

 (元論文は http://bungaku.kurume-u.ac.jp/img/other/psychology/2012/2012-15.pdf  

新自己愛人格傾向尺度

<認知>
1.私は将来、偉大な人になるだろう
2.私はすばらしい才能を持っている
3.自分は特別な存在である
4.みんな自分を頼りにしている
5.生まれつき、リーダーになる素質をもっている
6.大抵のことは自分で何とか出来ると思う
7.自分の容姿に自信がある
8.何事にもあえて挑戦している
9.精力的に良い考え、企画、あるいは自分自身を売り込む
10.自分の行動は自分が一番理解していると思う

<感情>
11.自分を理解してもらえないと悲しくなる
12.褒められたいと思う
13.他者が褒められたり賞賛されたりすると羨ましい
14.賞賛されたり、承認されたりしないと、不安になる
15.よく他人に嫉妬する
16.傷つきやすい
17.周りの人からチヤホヤされたいと期待する
18.褒められるように行動している
19.感情の起伏が激しい
20.欲しいものは手に入れたいと思う
21.怒りっぽい

<対人/行動>
22.はっきり言って他人を見下している
23.人からよく無責任と言われる
24.自分の目標のためには人を利用する
25.冷たい人間だと言われる
26.自分の思い通りに人を使うのは簡単だ
27.目上の者には上手く取り入り、下の者にはいばる
28.話を誇張して考える癖がある
29.我慢することが苦手だ
30.社交的だが中味を伴わない会話をよくする

(出典:「自己愛に関する研究―新たな質問紙の作成」天満翔、日高三喜夫、Kurume University Psychological Research 2012, No.11, 128-134)



 読者の皆様いかがでしょうか。

 わたしなども何項目か当てはまっているのがあるので、すごく嫌ですねえ。

 研修講師として営業をしておりますと、「9.精力的に良い考え、企画、あるいは自分自身を売り込む」ということもやらないといけないので、これがすごく嫌です。上手な人はきっと上手なんでしょうね。

 わたしじゃなくて受講生さん方を売り込むんだったらいいけどな。

 あと個人的には研修の盗用とか内製化、とりわけ当協会方式で十分なトレーニングを受けてない社内講師のかたがわたしに断りなく、研修資料を無断使用したり研修効果の話も流用したりされるのはすごく嫌なんですが、(あ、無断使用は違法です)その「嫌だ」という気分もナルシシズムなのでは?と考えだすとすごく気が滅入ります。

 でも盗用とか無断内製化とかをしちゃう人のほうも相当なナルシシストだと思います。碌にトレーニングも受けずにそういうことをしていい、って考えるのは。ナルシシストが承認教えてもおかしなことになるだけですよ。


(今のところわたしからは2名のかたに「承認を教えてもいいですよ。『承認の種類』も使っていいですよ」と言っています。その方々はもう「承認研修」をご自分で何度も受けている方で、人格的にもすばらしくて、当協会会員さんです。よそで「講師コース」に100万円もとるのと比べるとはるかに安価な講師資格ですが人格要件はむしろ厳しいと思います。)


 ともあれわたしの場合、「自分もナルシシストなのでは?」と考えだすと際限なく気が滅入りますが、そういうとき支えてくださる方々のことを考え、「自分個人の妄想でやっているわけじゃないんだ」と自分に言い聞かせます。


 一番上の<認知>のところの項目は、リーダーになる人であればみんな少しずつは持っていそうでもあり、でも暴走しないでね、と願うところです。ほんと当協会会員様方は、これだけひつこく念を押しているので、ならないでね。

 「30.社交的だが中味を伴わない会話をよくする」の項目は、ちょっと興味深いです。2つ前の記事も考えあわせると地域性もひょっとしたらあるかもしれないです。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
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お世話になっている皆様


 おはようございます。
 企業内コーチ育成協会の正田です。

 
 いよいよ年度内最終週。皆様いかがお過ごしですか。


※このメールは、NPO法人企業内コーチ育成協会のスタッフ及び代表理事・正田が、過去にお名刺を交換させていただいた方・当協会のイベントやセミナーにご来場いただいた方にお送りしています。ご不要の方は、メール末尾にありますURLより解除ください。
(解除方法が変わりました!詳細はメール末尾をご覧ください)



 本日の話題は:



■承認リーダー教育 2013年度のふりかえりと感謝
  
 〜受講生様方、たくさんの奇跡をありがとうございました〜

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■承認リーダー教育 2013年度のふりかえりと感謝

 〜受講生様方、たくさんの奇跡をありがとうございました〜
 
 
 最近、個人的に不思議に思うことがありました。
 「発達障害」について、セルフチェックをする診断シートをみておりましたら、「競争がからむとプレッシャーを感じモチベーションがわかない」というところに、わたし自身は明らかに○がつくのです。「過敏タイプ」にかかわる項目です。

 そんなわたしが行うマネジメント指導の中で、しかしこの12年間、「1位」という言葉がついてまわりました。
 それはわたしではなく、受講生様方が成し遂げてきたことです。

 そして、2013年度は、格別に受講生様方の達成のご報告が多かった年でした。

 ここに感謝を込めて振り返らせていただきます。



 
13年7月 当協会会員の柏原直樹氏(OA機器営業課長)、コピー機部門で社内表彰。30代の若手課長として珍しく、また常に1年生社員を引き受けるというハンデの中。

  8月 当協会研修先企業で工場リーダー16人の下、200人の従業員のモチベーション指数平均0.2ポイント上昇(満点は7点)。2度目の統計調査回収は記録的猛暑のさなかの8月6−9日。

  9月 当協会受講生(2年前受講)が総経理を務める中国工場を訪問、活性化ぶりをレポート。(業績数字は公表せず)

  10月 当協会受講生の工場リーダーの下でモチベーション指数0.2ポイント上昇、同時に社内の小集団改善活動優秀賞を受賞。11年目の「1位マネージャー現象」。

14年1月 コープこうべ顧問有光毬子氏(13年9−10月当協会研修を受講)、地域のラジオ体操の会で実践したところ100人近い参加者になり、参加者同士の会話が活発になりはっきりと活性化したことをインタビューで証言。

  2月 研修先の篠山市商工会が県下28商工会中、貯蓄共済加入件数1位を達成、12年目の「1位マネージャー現象」。

  同 柏原直樹氏(同上)、2期連続で社内表彰。

  同 当協会会員の林義記氏(介護施設相談室長)が施設の新人研修を手がけ、「承認」を絡めて大卒高卒合わせ7人の新人に1年間1人も離職者を出さなかったことを報告。


以上


 非常にシンプルな内容の当協会方式の「承認研修」に、地域の優秀なリーダーたちが心を寄せてくださり、真摯な実践の対象としていただきましたことに感謝申し上げます。またご報告くださいましたことに感謝申し上げます。

 社会の方に目を転じますと偽作曲家事件、論文捏造事件など残念な現象が満ち溢れました。しかし、ここに報告されたリーダーたちの日々の地道な実践にウソはありません。職場の部下というものは不誠実な実践はすぐに見抜くものです。


 またここでは業績上の成果のみご報告していますが、そこで起こっていることは詳しく見れば、人々が仕事の中で自分の成長を実感しながら果敢にトライアルアンドエラーを繰り返しながら働く、ということであったり、男女、年齢、国籍等にかかわりなく公正に評価され働く、ということであったりします。それらは、「パワハラ」「メンタルヘルス」「ダイバーシティ」「人手不足」などこんにち言われるマネジメント上の課題のほとんどを軽々と凌駕していきます。

 
 そういう性格をもつものだからこそ、わたしはこのリーダーたちの実践がこの社会で、この歴史のなかで正しく評価されることをせつに願います。


 今年度はこれ以外に、「マネージャー教育10周年の集い」の開催(13年11月)、初の合宿研修(14年3月)と、真摯な地域のリーダー同士の場を持たせていただきました。


 来年度はどんな1年となるのでしょうか。まだまったくわかりません。

 今年初めに出した当協会方針はこちらです

 
 「10年間の光と影、次の10年わたしたちにできること―NPO法人企業内コーチ育成協会 新年のごあいさつ」

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「企業内コーチ育成のすすめ」
(株)帝国データバンク社『帝国ニュース兵庫県版』
2008年〜2012年 長期連載このほど完結
http://blog.livedoor.jp/officesherpa-column/

兵庫県中小企業団体中央会発行月刊「O!」連載コラム
「誌上コーチングセミナー」
http://c-c-a.blog.jp/archives/cat_50054961.html


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 ―本日はNPOとは関係ないプライベート日記です―

 23・24日、10数年ぶりに長野の親戚を訪ねました。

 わたしの父方の親戚はJR小海線の沿線、長野県佐久穂町、臼田町にいます。佐久穂町大日向に父の兄である伯父さんの家があり小学校高学年から中学生にかけて、夏休みをよくそこで過ごしました。

 以前にも書いたように本を山と積み上げてもらって読んで、合間にすこし農作業のおてつだいすこし川遊びと山登り、という生活。

 伯父さんは先年他界、伯母さんはいま89歳になります。わたしはこの伯母さんがだいすきでした。


 こども心の記憶にあるのは、
 田舎の家なので伯父さんはお座敷で「どてっ」とあぐらをかいてTVをみている。伯母さんは台所と畑の間を忙しく行き来している。伯母さんは小柄で小作りながらたいそうな美人で、でもそんなことを全然構わず、「天ぷらの油がはねた」と目の縁を火傷していたり畑の鉄条網で目を突っついたりしていました。

 血のつながっていない姪のわたしを「さよちゃん、さよちゃん」と大層可愛がってくれました。


 このたび訪ねると、「松本清張」を読んでいた従兄のお兄ちゃんはもう60で、小さな建設会社を経営していますが相変わらず無口でした。ほかのひとが10しゃべるところを1くらいしかしゃべらないのですが、ちゃんと周りの流れが全部わかっていてその場で必要なことを言うのでした。


 伯母ちゃんは入院していました。沢山の皴の中に昔の面影がありました。わたしが訪ねると起き上がって満面の笑みになり、

「さよちゃん、来てくれただか。なんだか夢みたいだねえ。おばさん涙がでるよ」

「さよちゃん、手があったかい」

「さよちゃん、あのときは何もごちそうできなかったねえ。天ぷらぐらい出しただかねえ」
(伯母さんの揚げてくれる自家用野菜の天ぷらはわたしの大好物でした)

「さよちゃん、神戸から車で来ただかね。大変だったねえ」

「ほら見て、ここから蓬莱山がよくみえるよ」


 これを、20セットぐらい繰り返してくれました。

 優しい人は呆けたときも優しく呆けるのでした。


 
 伯父さんは農家でしたが町議会議長をつとめた町の名士でした。口を「へ」の字に結んだ遺影にあうことができました。一度、町長選にも出馬しましたが「クリーン選挙すぎて」敗れました。

 うちの両親によると、わたしは遺伝的にはこの伯父さんに似ているのだそうです。口角が下がりやすいのはそのせいらしいです。

 その孫である従兄の娘さんと伯父さんの思い出話になり、厳しくて無口だったけれどときに一生財産になるような言葉を言ってくれる人だった、と一致しました。


 色んな人に育てていただいて大人になった気がしますが、わたしにとってこの伯父さんと伯母さんはとても大きな存在だったのです。


 
 その夜は従兄姉のお子さん方の就職や大学入学祝いも兼ねて食事会をしていただきました。

 信州人同士の会話は・・・、ノリツッコミ会話、一切なし。関西の人に想像つくでしょうか。
 よぶんな修飾が入らないから「間」があくんだな。
 「間」があくのをわるいことだとあんまり思ってません。

 なんというか会話することにめちゃくちゃエネルギーを投入することはしなくって、
 意味のやりとりができればいい、と思っているかんじです。


 この理屈っぽくも質実であたたかい人たちにたしかに育てていただいたのでした。

 

 翌日は善光寺や恩師のふるさと松本市などに寄り道しながら帰りました。

一度、なぜ「発達障害」「ナルシシズム」にこの1年ほどこだわり続けているのか、まとめてみたいと思います。今日は1日かけておりをみてこの記事を手直しし続けると思います。


当協会の歴史からいえば、「発達障害」へのこだわりはまだ日が浅いのです。
基本は健常者が対象の教育でした。受講生のマネージャーはおおむね定型発達の人々、彼ら彼女らが、おおむね定型発達の一般職の人々をどうまとめるか?が主眼でした。

(で、しつこいようですが「12年、1位マネージャーを作ってきました」というようにお蔭様で大きな成果と人々の幸福を作ってきました。それは、今考えると上記の図式が成立している場合において、であったと思います)


ただその図式が必ずしもそうではないことにも気づきました。

一番のきっかけは、一昨年の秋医療機関で研修したときに、少なくない発達障害の人が混じっていたこと。当初ご相談いただいた施設のトップは、その問題を全く把握していませんでした。彼はただ「職場の雰囲気が暗い」「信頼関係が低い」ということを言いました。

実際にそこで研修をしてみると、何人かの発達障害のナースが「話を聴けない」(聴覚過敏?)障害のため指示を正しく聞き取れないで違うことをやってしまう、「わかりました」と言うのにわかっていない、「以前のコーチングの先生と進め方が違う」と食ってかかり険悪なムードに。なんじゃこりゃ、と思いましたが発達障害と考えるとよくわかる。最初のご相談のトップは「彼女は確かにああ言う言動で他部署から苦情がでていました」という。そういうのをたった3時間のコーチング研修で治してくれっていうのも無理な話です。


その次はとある高学歴、大企業出身の男性と仕事してこの人の「はいやります」「はいできます」に手こずらされた。実際にはできない、それをするのにどれくらいの時間や手間がかかるか全然見積もらないで言っている。50代なのに。それでまたなんじゃこりゃ、この人の頭の中どうなってるのやろ、という興味がムクムクと湧きました。今はお蔭様で一緒に仕事してません、わたしも散々この人のことを怒ったのですっかり恨まれてますから。あ、1年ほど前の話です。まあ障害の認識のない発達障害者さんは困った存在です。


そんなんで発達障害について調べだすと、これまで研修をやってどうもうまくいかないなあ、と思ったことの原因がかなりここにあることに気がつきました。

そこで、「承認研修と発達障害」をめぐる実務上の問題をまとめておきたいと思います。

まず大きく分けて受講生(マネージャー)が発達障害の場合とその下の部下が発達障害の場合の問題に分かれます。


ここでは、あとの方から。すなわち、受講生のマネージャーが定型発達で部下に発達障害者(とりわけ障害の自覚のない)がいる場合を考えます。問題のメインはこちらです。

この場合、マネージャーは、苦悩の極みにあるはずです。かつてわたしが研修で経験したように、指示が通らない。普通に問題なく指示したはずなのに違うことをやられてしまう。あるいは「きいてませんでした」などと食ってかかられる。普通の研修講師の先生に相談すると、「自分と未来は変えられる、他人と過去は変えられない」なんて、お経みたいなこと言うはずです(ちなみに正田は、この手の予定調和の常套句は大嫌いであります)。じゃあオレが悪いんか、オレがどう変わればええっちゅうんや。多分そんなこと思っているはずです。

こうして被害者意識で一杯になった状態でマネージャーは承認研修にやってきます。そこで「承認」なんて言ったってたぶん通らない。

そこで去年から極力承認研修に個別面談をくっつけるようになりました。承認研修では宿題を出しますが、そのときには「なるべく皆さんと関係の良い、日頃よく仕事してくれる人を承認してください」ということを言います。それを言わないと、多くのマネージャーは職場の一番の問題人物を「治そう」と思って発達障害者に承認してしまい、そして墓穴を掘るからです。「承認したけれどまったく無表情で行動も変わりませんでした」となるからです。長い目でみると発達障害者も承認でだんだん信頼関係を築けるのですがそれは遅々とした歩みで、手応えが感じられにくい。定型発達の人を選んで承認して、笑ってくれたとかすすんで仕事してくれたとか、わかりやすい手応えを得たほうがよいと思います。

それから個別面談をします。承認学習後のマネージャーは職場の働き手たちの行動を分解して見る力が育つので、職場の問題人物の行動特性もかなり具体的に話してくれます。そこでおおむね「それらしい」とわかるので、そう言ってあげて「あなたのせいではない」ということも言ってあげます。すると一様にホッとした顔をされます。部下に発達障害の人が一人いるだけでマネージャーは夜眠れなかったかもしれないのです。わたしは診断ができる立場ではないのですがいずれ診断を勧めるうえでもアタリをつけるということは必要でしょう。現実にその人に合った指示の出し方、指導の仕方をしなければなりません、それは診断を待たなくてもやらなければなりません。

去年は、そんな個別面談込みのプログラムの組み方をして、複数の事業所で300人弱の従業員についてマネージャー側から聞き取りをし、そして「おおむね10人に一人、仕事に支障があり特別な配慮を要するような発達の遅れや偏りがある」という結論になっているわけです。


そんな自慢話はさておき、
自分の情報収集のためだけでなく教育そのもののために、「発達障害個別面談」は、やって良かった。マネージャーたちは多くの場合部下の発達障害者に怒り、いらだちの感情を持っており、そうしたネガティブ感情に心が占められたままでは、「相手の良い行動を事実そのままに認めましょう」という、常識的な教えにすら耳を傾けられないのです。発達障害者と定型発達者の切り分けをし、部下10人のうち9人の定型発達者はちゃんと普通に承認すれば反応してくれるんやで、伸びてくれるんやで、ということがわかってきます。そうすると承認を自信を持って使えるようになりどんどんいい循環になります。
伸びれる人はどんどん伸ばしたほうがいい。伸びれる人を伸ばすということも、生命尊重のマネジメントと言えるでしょう。かつまた、部分的な思考能力しかない発達障害の人がこれだけ出現率が高いと、そうでない定型発達の人は貴重な戦力、貴重な資源、ということになります。われわれが「生きる」ためには切実に定型発達者の知性が必要です。
そうやって個別の人の見極めを徹底し発達障害についてもどんどん話題にしていった結果、 例えばある工場で、これは上層部からのパワハラもあり悪条件下だったのですが、受講したリーダー16人中6人のもとでは顕著にモチベーションが伸びた。全員やないやんけ、なんて言わないでください。「16人中6人」というのは従来のこうした研修ではかなりの高率です。承認は、スーパーマンしか身につけられないものではなくなったのです。

また、別の会社でモチベーション指数0.2ポイント上昇と、社内の小集団改善活動優秀賞獲得をしたリーダーのもとには、鬱休職明けの社員、癌の告知を受け検診を受けながら出社している社員、発達障害の社員、といました。それを全部個別面談の場で整理してもらい、前二者の社員には丁寧に承認してあげればいいこと、最後の発達障害の社員にはまた別の配慮がいるが基本スタンスは承認でいいこと、などを言ってあげたわけです。そんなフォローをしたうえでの「優秀賞」でした。

というように「発達障害個別面談」は、教育の歩留まりを上げたり、質を高め定着を良くしたり、という役に立ったのでした。
出現率としては10人に1人、ただし10人のうちの1人がマネージャーの頭の9割を占めている、という現象なんです。



部下側の問題としてはこんなところでしょうか…


あ、補足すると個別面談は決して発達障害の話題のためだけしたんではなくて、マネージャー自身の強み弱み、「あなたの場合この強みが暴走しないように気をつけて」といった話もしましたし、中年期のマネージャーさんだとプライベートの悩みを抱えている方もいらっしゃるし、そういうのをたとえ解決はできなくても聴いてあげるだけで楽になります。でも7割ぐらい発達障害の話をしていたと思います。


あ、大事なお話まだありました。
発達障害の人とと定型発達の人、切り分けるのがなぜ必要かと言いますと、下手に境界を曖昧なままにして、社会人としては困った振る舞いをする発達障害の人に心優しい理解を示し、かばってあげたりすると、それをだんだん定型発達の人たちまで真似して、組織全体の行動規範が「ナアナア」になってくるからです。発達障害の人が「数十人に1人」ぐらいだと、少数派で孤立してて済むんです。2人以上になると、だんだんマジョリティになります。無視できない勢力になります。そしてその人たちの行動パターンが全体に影響しはじめます。わたしのみたところ既にそうなっている組織はようさんあります。だから、オープンに話したほうがいい、発達障害について。




続いて、上司(受講生)が発達障害だったらどうなるか、というお話です。


研修のテクニカルな問題ですが、発達障害やその傾向の強い人は、受講生に含めないほうがよいと思います。本来そもそもマネージャーにならない方が良い。


最初の方で述べた医療機関での研修のように、ちなみにこの施設ではその決定的なコミュニケーションの障害のある、感情面でも悪感情の多いナースを改善させてマネージャーにしようとしていたので驚いたんですが、発達障害によるコミュニケーション障害は、定型発達者のための短時間のコーチング研修などではまず治りません。かつ、その医療機関でのように、研修自体に反発し悪感情をばらまき、一緒にいる定型発達の人まで習得する機会を逸してしまいます。


これは、一つ前の記事に出てきた「覚悟」という言葉が当てはまります。苦手科目であるコミュニケーションを発達障害者が習得するには、自分が決定的にその能力を欠いている、かつそれによって社会適応の妨げになっている、という「自覚」が要ります。自覚したうえで、苦手なコミュ力をトレーニングして高めるんだ、少々できなくても先生を恨んだりしないんだ、という、いわば「学ぶ覚悟」が要ります。そうした人たちには、ソーシャルスキルトレーニング(SST)といったコミュ力の学びの場が別途あります。そうした人同士で、時間も長めにとって、辛抱強くトレーニングするのが良いと思います。


悪感情をばらまくまでいかなくても、わたしのみてきた範囲では軽い発達障害の人も「承認」は習得が難しいようです。定型発達の人なら楽に習得できることなのに。
こうした人たちは、よく「承認って難しいですよね?」と、一般真理として難しいような言い方をされます。いえ、あなたに難しいだけなんです。一点に興味が限局されて他人の多様性や美点を見ることができない、ワーキングメモリが小さいので他人の良い行動を覚えておけない、人一倍不安感が強くて悪感情が多い、などの問題です。また自分自身が上司に叱られることが多かったので他人を承認することが上司として正しい行動パターンだ、ということがなかなかわかりにくいようです。
あるところで6人の管理職が研修を受け、その中で軽い発達障害の人とナルシシストの人、この二人が最後まで「承認って難しいですよね」と言い続けました。


それでも、みていると発達障害とナルシシストの人は、管理職の中に少なからず存在しています。幾つか前の記事にも書きましたが、「ナルシシストか我儘な順に昇進する」という現象は、どうもあるようです、小保方さんの例を引くまでもなく。
それはやめた方がいいでしょう、と正田は思います。発達障害はともかくナルシシストは上司に取り入り上手、ってあるんですよね。しっかり見極めましょう。

発達障害の人がマネージャーになった場合、よくみるのは、彼ら彼女らの「イメージの障害」が、例えば「部下への過大な期待」と「それが裏切られたときの激しい怒り」という形で出るのです。そうしたとき、地位が高くなっているともう以前のようにビシッと怒ってくれる上の人がいない。このほか以前にも書いたように認知上の問題のため、男尊女卑など差別の担い手になる場合もありますし、時間管理の問題が出る場合もある。説明不足でやたら朝令暮改をして振り回す場合もある。リーダーの振る舞いが部下のこころにどんな影響を与えるかなんてイメージすることができませんから。だから、不幸をつくるだけだから、この人たちはマネージャーにしないほうがいい。


マネージャーへの昇進を決めるツールとしては、正田は以前高得点をとりましたがイ_______研修なども良いのかもしれません。「くっつきやすくはがれにくい」認知上の特性を持っていると高得点が取れない仕組みになっているので、「足切り」のツールとしては悪くないと思います。非人間的なことを言っているようですがそういう人がマネージャーになった場合の不幸を考えると必要だろうと思います。

えーと、わたしが「くっつきやすく、はがれにくい」のほうの人だと思ってませんでした?わたしまんべんなく得点して、かつ「最優先事項」についても3つ中2つ当てました。一緒に受講してた人たちがなぜわたしと同じように考えないのか、不思議でした。そういう人が長年「承認」って言い続け、かつ近年は「発達障害」って言ったり、「ナルシシズム」「スマホ依存」って言ってるってことです。

今回の記事ではあまりナルシシストに触れられなかったですよね。。
なっがい文で最後までお読みになる根性のある人はそんなにいらっしゃらないんじゃないかと思います。ものごとを真剣に考えるのが苦にならないタイプの人はここまでたどり着けたカナー。


さて本日は西国三十三か所のバスツアーの1日です。朝の集合場所でこの記事を書き始めました。

親を続けて亡くしたので去年は四国八十八か所巡礼の旅を志しましたが挫折、今年は「西国」にトライ中です。これは私にとって「祈り」と「癒し」の効果があるように思います。
会員さんの中のクリスチャンのかた、怒らないでください。

慣れないiPadで記事を書いているのでちゃんとした文章になっていますかどうか。




100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会

 このところ延々と取り上げている「発達障害」の話に 大きな進展がありました。


 19日、神戸で開かれた障害者雇用促進セミナー(主催:兵庫労働局、神戸市)は、2つの講演とも発達障害のお話でした。

 その1つ、東京海上ビジネスサポート株式会社(特例子会社、TMBSと略)の採用能力開発部部長・内藤哲氏のお話。


 障害者の法定雇用率は昨年4月から民間企業で2.0%へ引き上げ。そしてTMBS社では身体の障害者が高齢化しているのに鑑み、今から障害者雇用の中心は発達障害者だ、との認識にたち、2010年の設立時より発達障害者を雇用しました。東京海上グループ全体の障害者雇用率は2.06%。
 障害のある社員の従事する業務は、アンケート入力等のデータ入力・加工、保険事故受付通知の発送、DMの封入・発送 等です。


 発達障害の社員を採用するうえでのチェックポイントは

・働く意欲はあるか(やらされ感はないか)
・体力があるか(毎日、定時に通勤できるか)
・上司(指導員)の指示を素直に聞くことが出来るか
・向上する意欲があるか
・周囲との関係が穏やかに保てるか
・最小限必要な「チームワーク」、協力体制が形作れるか
・楽しみ、趣味があるか(気分転換ができるか)
・休日を有効に過ごせているか
 (休日に翌日に備えて働く準備が出来ているか)

 
 続いて、株式会社ニチイ学館神戸ポートアイランドセンター センター長の岡順子氏からのお話。

 ここではユニバーサルオフィスとして、特例子会社ではなく普通雇用で障害者・高齢者を雇用しています。13年2月現在、障害者12名を雇用。12名のうち5名が発達障害、ただ身体の障害の人も発達障害をあわせもっている人がいます。
 
 障害者の業務はユニフォームセンターで、ピッキング・サイズ確認・ネームラベル熱着・たたみ・袋詰め・結束・梱包 など。また事務センターでアンケート入力、ファイリング、シュレッダー・スキャナー操作など。

 障害者の面接ポイントは5つあり、1つ欠けても採用はしない。

・自覚:自分の障害について伝えることができる
・素直さ:自分のできないことを伝えることができる
・コミュニケーション:フォローは何が必要か伝えることができる
・連携:支援機関をもっているか
・姿勢:会社のことを調べてきているか

 
 仕事の「ミス」についての対処。

 ミスの認識のある人に対しては、・目標入力件数を大幅削減。・ミス削減件数を中心に目標設定、・1件でも減れば努力を認める、誉める・件数よりも正確に入力することの認識 というアプローチをします。

 ミスの認識がない、もしくは指導を受け入れない人に対しては。
 ・入力ミスフィードバックの根気良い継続、・個人面談実施、・ミスの内容=現物=具体的に示す ・第三者機関との連携(相談)・・・とここまでくると「業務との相性の見極め」という話になります。

 指導者の側は、

「福祉雇用ではない、通常雇用なので」という言葉が印象的。会社の状況などはすべて伝える。伝える側がいかにスキルを上げられるかが課題。また(問題が)障害か、性格によるものか判断し、「注意していいものかどうか迷うが、性格によるものは厳しく叱るべき」とのことでした。

 というふうに、非常に具体的な職場での指導方法の話が出ました。イメージの障害のある人相手には、指導者は「グッ」と軸をもって構えなければなりません。


 さて、要約すると、発達障害の人は非常に構造化した環境で特性に配慮して働いてもらうと力を発揮してくれる。構造化しているというのが、「ガチッとルールで固めた」とでもいおうか。学校とは違い、障害ゆえの甘えは許されません。そこが「自由」「生命尊重」の精神とだいぶ違う。いや生命は尊重してもらいたいですけど。自由ってもともとわたしクエスチョンなんですよね。上記両社とも、もちろん障害者手帳保有が前提になっています。


 質疑の時間、正田は図々しくも、きょうのお話になかったことについてのご質問をしました。

「一般企業には、障害の自覚のない、障害識のない発達障害者の方が多数おられ、現場で苦慮しておられます。そういう人には何がしてあげられるのでしょうか」

 先日の河野哲也氏インタビューでも繰り返し出た、終始ぐるぐる回って結論の出なかった話題。このセミナーの趣旨にはそぐわないようでもありましたが、しかし現実に普遍的に「ある」問題について。

 これには内藤氏が回答され、「非常に難しい質問です。われわれの世代でも発達障害らしき子はクラスに1人や2人はいた。しかし問題になっていなかった。何か強みがあればサラリーマンとしてやっていけるのだろう。われわれでは手帳を持ち、いわば障害者として就労する覚悟のある人を採用します

 切実感を感じ取っていただけたのか、慰めにはなっていませんでしたが非常に真摯に回答していただきました。


 上記両社とも、「見学歓迎」とのことでしたのでまたお邪魔してみよう、とおもいました。


 
 素晴らしい内容のセミナーを企画してくださいました神戸市保健福祉局障害福祉課さんに感謝。おふたりのスピーカーさんのプレゼンも素晴らしかったです。


100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
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 多分書いても差し支えないと思うのですが、

 フェイスブックのあるお友達から講演のご依頼をいただき、日程を確保していたところ、お友達からあやまりのお電話がかかってきました。

「ごめんなさい。上司の決裁が下りませんでした」


 きいてみると、「コーチングの先生」と言ったとたんに拒否反応を起こしてしまったのだそうです、上司さんが。

 その組織では、以前にコーチング研修を導入したがめちゃくちゃ評判がわるく、大ブーイングの嵐だったそうでした。こそっとそのときの先生のお名前も伺うと、「ああ、それは確かにわたしも賛同できない主張をされる先生です」という話になりました。


 そうなんです。いちげんの人に「ああ、コーチングの先生ね」と言われるとき、どんなイメージで言われるのか、見当がつかない、というか、悪いほうの予想が大体当たるんです、最近は。


 もう、このブログにも「コップの中の嵐」と言いながら色々書いているので、ここでは詳しくは触れません。わたしからみて賛同できない「コーチング」の主張はようさんあります。あるコーチングの先生が組織のなかに入って徹底してその手法をやったら、その組織で退職者が続出してしまった、それ不幸をつくる研修でしょ、だってその理論わたしがきいても無理があるもん、といった話です。はい、無理のある理論でやったらあきません。


 先ほどの話のお友達は、他社さんをつかっての「大ブーイング」の痛い過去にもめげず、わたしの年来のブログ記事やフェイスブックの書きこみ(といってもそんな高尚なことを書いているわけではないですが)をみて信頼してご依頼くださったわけです。そのご信頼がありがたいです。


 そんなこんなで、「コーチング」という言葉をなるべく使いたくない最近のわたしであります。武田建氏のコーチングの流れをひき、自分たちとしては正統派のコーチングをやっているつもりだったんですが。最近の営業資料などには、「承認リーダー教育」という書きかたをしております。

 これは、本13年度の総会で協会理念を改訂し、「承認中心コーチングを応用したリーダー育成」と、自らのミッションを規定したのです。リーダー育成が目的で、(承認中心)コーチングはそのための手段だ、という考えです。わざわざ「承認中心」の4文字を「コーチング」につけているのも、「世間様のコーチングとちょっとちがいますよ」と言いたいからです。姑息ですね。


 近年はこのブログに「話し方・伝え方」についての記事も増えてますもんね・・・、コーチングというよりリーダー教育ですね。


 「リーダー」の人格をつくっていくのに、トレーニング方法としては「承認・傾聴・質問」のコーチングだ、という。それでもやっぱりわかりにくいでしょうか。


  最近とみに思うのは、リーダーの道徳観、倫理観というのは研修などで作れるものではなく、ご本人のうまれつきの性向や小さいころからの親御さん、先生との交流がつくる、さらには長い読書の蓄積などがつくる。
 そうした長い時間かけてつくられた道徳観、倫理観を組織のなかで実現するのに、やっぱりコミュニケーション技術が要り、(承認中心)コーチングのトレーニングが有効なのだ、と。これもひとによっては「承認」だけでめちゃくちゃ上手くいってしまうひともいてますが。


 まとめると要は、「コーチングってよばないでね」っていうことなんです。呼ぶときは、「承認の先生」とか「承認リーダーシップの先生」って呼んでいただけるとうれしいです。



 ほんとうは、これを書いていてもめちゃくちゃ心は危機感でいっぱいです。
 先ほど兵庫県中小企業団体中央会様の機関誌「O!」様に原稿をおおくりしました。(足かけ4年のご依頼、ありがとうございます!)
 はい、タイトルを予告すると「『けしからん!』では済まない現実」といいます。


 コーチングというよびかたのためにこの手法の普及が遅れるぐらいなら、ということなんです。





100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp


 「話す」という行為は何なのだろう。

 人は何のために話すのだろう。


 こどものころ「話す能力」が決定的に欠けていたところから出発して研修講師になったわたしはよくそんなことを考えます。

 で答えをほかの記事にゆだねるのは人が悪いような気もしますが、
このブログに折りにふれ再掲する記事があります。

 「人に教えるということ」

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51754001.html


 やっぱり、周期的に「これ」がらみの問題が出てくるので、登場回数が多くなります。

 おなじだなあ、と思います。



 わたしは口頭で口数のすくない人間だけれどどういうことをアカンと考え自分自身にも戒めているか、ということはネット上にしょっちゅう書いているので、受講生さんはおおむねわかってくださっているのではないかと思うんですが―、

 ナルシシズムの高い人だと、一応目を通すけれど「へっ」という気持ちで読んでいる、ことがあるだろう、と思います。基本だれのこともリスペクトしないし、「教えてもらった」と思うことがありません。



 ナルシシストは男性女性の区別なく存在していますが、多少男性のほうが多いようにも思います。女性にもいてます。

 以前にも「インタビューが人を狂わせる」という意味のことを書きましたが、これまでインタビューさせていただいた中で一番楽しく爽やかだったのは、有光毬子さん。
 徹頭徹尾ご自分の「やってきたこと」を実務家の語りで話されましたし、1時間を超えるインタビューでも後半ダレたり舞い上がったりすることがない。自分を見失って言ってはいけないことまで言ってしまう、ということがない。インタビュアーの私に対しても最後までリスペクトを忘れないでくださいました。そうした人柄全体に触れるのが楽しかったのです。
 「話すこと」によって狂っていく、ということがありません。

 それでいうと先日の太田はるよさんも、これは講演でしたが、同じ感触をもちました。どうしてこの人の立場でこういう知性を維持できるのだろう、と不思議な気すらしました。

 そして、みているとわかるのです。太田さんの話が聴衆のこころに「すうっ」と入っていくのが。

 
 さて、正田は?今回反省点ばかりなので・・・



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

 

お世話になっている皆様


 おはようございます。
 企業内コーチ育成協会の正田です。


 4月並みの暖かい陽気、一方で花粉の飛散も多いよう。
 皆様、いかがお過ごしですか。


※このメールは、NPO法人企業内コーチ育成協会のスタッフ及び代表理事・正田が、過去にお名刺を交換させていただいた方・当協会のイベントやセミナーにご来場いただいた方にお送りしています。ご不要の方は、メール末尾にありますURLより解除ください。
(解除方法が変わりました!詳細はメール末尾をご覧ください)



 本日の話題は:



■生命尊重のマネジメントとは―哲学者・河野哲也氏インタビュー
  

■NPO法人企業内コーチ育成協会 初の合宿研修開催報告


■お詫び―STAP細胞記事につきまして



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■生命尊重のマネジメントとは―哲学者・河野哲也氏インタビュー


 前号でお知らせしました通り、去る3月1日に立教大学教授・河野哲也氏にインタビューした内容をこのほどブログに掲載しました。

 
 河野氏は身体論、心の哲学の専門家で特別支援教育にも造詣の深い方。

 今回はビジネスの現場の話題で、女性、障碍者等を組み入れた「多様性」の時代のマネジメント、とりわけ障碍者では近年予想を上回る出現率が報告されている「発達障害」の人とどう共にはたらくか、が焦点となりました。


 非常にエキサイティングな、またビジネスの現場の方にも論議を呼びそうなお話になりました。


 全8回で掲載しています。
 1つ1つ長文ですので、くれぐれもお仕事中にはお読みになりませんよう。



(1)人はなぜ平等でなければならないのか

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51884348.html


(2)もっともポピュラーな障害―発達障害との共生(1)

 ■発達障害は全人口の9%
 ■休憩時間問題―ADHDの子は20分しか持たない

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51884349.html


(3)「男の甘え」から「生命尊重の社会」へ―男女共同参画

 ■日本のルールは「男の甘え」
 ■政治は女性進出で「命」と向き合う政治に
 ■海外の学会は「子連れOK」


 http://c-c-a.blog.jp/archives/51884350.html

(4)できないことの自覚から始まる―発達障害との共生(2)

 ■リーダーは教育者でなければならない
 ■「対人関係の問題は認知上の問題」(河野)
  「くっつきやすくはがれにくい問題ですね」(正田)
 ■学校が排除してきたから職場で戸惑う
 ■大企業から中小企業への流入
 ■自分の問題にどう向き合うか
 ■「できない」ことの自覚ができない壁

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51884352.html

(5)ナルシシズムは悪なのか

 ■ナルシシズムは氏か育ちか
 ■女優さんと政治家はナルシシストの職業
 ■性欲、権力欲、自己顕示欲、嘘つき
 ■自分の弱点に気づく知性
 ■承認欲求に関わる環境要因
 ■「問題に気づく場」について

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51884359.html

(6)ファシリテーターの心得と公共の場
 ■「マネージャーがファシリテーターであることが大事」(正田)
  「僕は『自分は間違っているかもしれない』と思って臨みます」(河野)
 ■”おじさま参加者”をどう扱うか
 ■評価されることのない、ものを言える場を
 ■最もガードが固いのは「お母さん」

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51884362.html

(7)心の理論不在の場合の「心の疲れ」
 ■職場は「共通善」を追求する場

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51884362.html


(8)背後にあるトップの問題とフロネシス

 ■オーナー企業の閉塞感
 ■組織は良くも悪くもトップ次第
 ■フロネシスをもつリーダーと承認教育

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51884365.html

(ききて:正田佐与、撮影:山口裕史)





※なおこれらの記事を掲載したとき、早速フェイスブックのお友達で中学の先生からレスポンスをいただきました。
 
「学校現場で発達障害を分けている?そう見えているのでしょうか?」

 40人学級という現状の中で苦慮されている先生からの正直なご感想というのは、そのようです。
 今回のインタビューのお話は、「明らかな理想論」と感じられるかもしれないし「いや、長い目でみるとそうしていかないといけないのかもしれない」という見方もあり得るでしょうし、ひょっとしたら特例子会社などでは実現できていることかもしれません。
 「最終解」はまだどこにあるのか見えない状況です。メルマガ読者の皆様からも、是非ご感想をお聞かせいただければ幸いです。

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■NPO法人企業内コーチ育成協会 初の合宿研修開催報告


 15−16日、当NPOでは初となる「合宿」を行いました。兵庫県神河町のグリーンエコー笠形にて。

 12年にわたり「1位マネージャー育成」を行ってきた当協会は、実は「合宿」のような長時間拘束する研修は行ったことがなかったのです。

 ほとんどがご家庭、お子さんをもつミドルマネージャーで、地域貢献の役職も引き受けている人が多いだけに、プライベートの時間を拘束することには気を遣います。今回は「エイヤッ」と勢いで合宿をしてしまいました。


 お蔭様で9名の素晴らしいメンバーが参加され、また豪華ゲストからの講演、メンバーも先生になるなど、充実した合宿になりました。

 メンバーは「承認」導入により会社・組織が非常に上手く回っている方が多いですが、一方人一倍新しい問題にも敏感な方々です。

 「承認リーダー教育」のかたわらその限界もみてきた当協会にして初めてご提供できるディープな内容の学びだったと思います。


 合宿の模様はこちらからご覧いただけます:


 「発達障害、ナルシシズム、スマホ依存そして答えは…NPO初の合宿開催しました! 」

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51884546.html

 この場をお借りしてちいさなわたしたちの団体にゲストとして来ていただいた、猪名川町青少年健全育成推進会議会長、太田はるよ氏にお礼申し上げます。
 太田氏らが自らの手であぶり出した、若者のスマホ依存の現状報告は、若者たち自身への痛ましさとともに、わたしたちの社会がいまやどれほどもろい基盤に立っているか、考えさせられました。また太田氏自身の取り組みぶりがしみじみ胸を打ちました。



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■お詫び―STAP細胞記事につきまして


 先週末14日、理化学研究所理事長・野依良治氏ら幹部が記者会見し、1月に科学雑誌「ネイチャー」に発表したSTAP細胞論文について、「重大な過誤があった」と認め撤回も考えていることを明らかにしました。またSTAP細胞の存在自体現状ではクエスチョンであるとも。


 当メルマガでも、2月5日号で理研の研究体制について「新聞等で報じられている以上のことは何も知らない立場ではありますが」と注釈のうえで、「勇気の要る決断だったろう」と賞賛しましたが、取り下げなければいけません。申し訳ありませんでした。


 現時点では少なくとも論文作成について大きな問題、いわば「ウソ」があったことは間違いありません。ただ偽作曲家の件もそうですが、こうした「大賞賛―大バッシング」という構図が積み重なると、今本当に地道に真摯に頑張っている人が正しく評価されなくなってしまうことは、真剣に懸念する次第です。
 


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◆ブログ「コーチ・正田の愛するこの世界」人気記事ランキング


1.ANA河本宏子氏インタビュー(1)CAは約6000人の巨大組織

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51820117.html


2.わたしたちの実像と、あるべきマネジメントとは

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51883547.html

3.ウソとホントの交錯する日々。。

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51884228.html


4.発達障害者は注意するのが好き?『大人の発達障害ってそういうことだったのか』

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51884228.html

5.河野哲也氏インタビュー「生命尊重のマネジメントとは―男女、発達障害、対話、フロネシス」(2)もっともポピュラーな障害―発達障害との共生(1)

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51884349.html



★こちらもお勧め

 1月に全国で初めて開かれた「スマホサミット」。この記事で出た「若者たちの決意」に、既に来年度予算がついているのだそうです


 「GREATEST LOVE OF ALL - 猪名川町のスマホサミットに参加して」

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51880078.html




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ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

花粉に負けず、年度末の忙しさを元気に乗り切りましょう!


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100年後に誇れる人材育成をしよう。
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ブログ「コーチ・正田の 愛するこの世界」
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日本人の勇気と自信は、ここから生まれる
「第3回承認大賞」
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「企業内コーチ育成のすすめ」
(株)帝国データバンク社『帝国ニュース兵庫県版』
2008年〜2012年 長期連載このほど完結
http://blog.livedoor.jp/officesherpa-column/

兵庫県中小企業団体中央会発行月刊「O!」連載コラム
「誌上コーチングセミナー」
http://c-c-a.blog.jp/archives/cat_50054961.html


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 15−16日、NPO初の合宿研修をしました!兵庫県神河町のグリーンエコー笠形にて。


 男性4名、女性5名(うち1名ゲストの太田はるよ氏、1名は初日のみ)と、おそらく初めて男女数逆転した会合になりました。


 初日は午後から夕方までひたすら「対話」。1人10分の自己紹介と現状紹介、それについてのコメント。

 
 いずれも「承認」導入で非常に会社、組織が上手く回っている、一方で問題にも人一倍気づいているリーダーの方々です。

 
 今回は「PTA」についての話題が多出、メンバーの中に現・元会長もおり、話す中で「ぼくPTAやります!」と某30代会員さん…。

 マネージャー教育の団体ですが、大人の社員の問題も子ども、学校の問題も実は全部つながっています。それに気づいている聡明な会員さん方です。


 夜は宿名物の「ぼたん鍋」。

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 イノシシ料理の本場・猪名川町から来られた太田はるよ氏は「鍋師匠」と名づけられました

 食事の席で出る話題はやはり「今の若い子」ですが・・・、
 「親が悪い」「管理しすぎる親の存在と地雷原のようなスマホの世界はつながっている」等、議論百出。


 
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 リーダーたちは何を話していたんでしょうか



 翌16日は、朝から真剣モードでびっしり「お勉強」。


 「承認応用編・難しい部下への対応」として、1限目「発達障害」、2限目「ナルシシズム」、3限目「若者のスマホ使用」。


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 知的障害者施設所長の村山俊宇さんから、「発達障害」について。

 資料の「こんな社員いませんか?」からは、かつてなら「問題社員」として片づけられていたタイプの人が、実は多くの場合発達障害だと考えられることがわかります。
 そして、障害である以上受容するものであることも。

 現場で自閉症の人を日々みておられる村山さん、山本さんのお話は大変説得力がありました。

 続いて正田から、発達障害の補足の形で「ナルシシズム」について・・・。「こういう人格類型」としてお話しすると、会場から「いるいる」と声があがりました。治るのか?との問いには、「若い頃尊敬できる指導者からガツンと怒られれば治ることもある」と、はなはだ心細い答えです。


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 最後の太田はるよ氏からの「スマホ使用」のお話は、猪名川町の自家製アンケートで出た数字のインパクトや、女の子のスマホ由来の性被害の痛ましさ、そして太田氏の人々を組織し動かす力の凄さが胸を打ちました。

 太田氏の存在はほとんど「奇跡」です。ピアノ講師という立場だからこそ沢山の子どもさんに何年も一貫してマンツーマンで関わることができ、だからこそ若者を組織することも本気で怒ることもでき、かつPTAを長年やったお蔭で教委、校長ともツーツーで話ができる。地域から信頼されている。
 こういう人だからこそ先日のスマホサミットのように、地域を動かすことができたのでした。

こういう業界にありがちなボスタイプの人でもなく、しみじみ心に届く言葉で話をされました。


 そして結論は「PTAをやろう!」ということになるのでした。


 正田からは「発達障害、ナルシシズム、スマホ・ネット依存、この3つはいずれもつながっている。そして大人のありかたについての解はやはり『承認』、これしかない」


 お世話役のまあるいお人柄の生駒眞一郎さん、このかたのお蔭でこの合宿は実現しました!

 また司会進行役の柏原直樹さん、スピーカーの村山さん、太田さん、ご参加の皆様も本当にありがとうございました!


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 それぞれの持ち場で「フロネシス」を発揮される皆様でした。



 ・・・正田は今回、電車事故による遅刻からはじまって色々と足を引っ張ってしまい一番しっかりしてない参加者で大変申し訳ございませんでした。皆さんがしっかりしていらしたので助かりました。・・・



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
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帰りのマイクロバスの中で太田さんと「この社会はどうなっちゃうんでしょうかねえ。『グダグダ』になるんじゃないですかねえ」という話になりました。
実力を勘違いするナルシシストと、それを注意できない上司。スマホ依存で指示をちゃんと聞いてない若手社員。クルマの部品屋さんは、正確に部品を作ってくれるでしょうか。飛行機の整備屋さんはちゃんと整備をしてくれるでしょうか。発電所は事故なく発電をしてくれるでしょうか。…
受講生様のところでだけは、奇跡的にうまく行っています。

 立教大学教授・河野哲也氏へのインタビュー 8回目です。

 
 組織のトップが末端の細かい問題までに及ぼす影響がいかに大きいか、優れたリーダーをいかに作っていくか。リーダー育成がなぜ急務なのか、という根源的なお話になりました。

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哲学者・河野哲也氏インタビュー「生命尊重のマネジメント―男女、発達障害、対話、フロネシス」

(1)人はなぜ平等でなければならないのか


(2)もっともポピュラーな障害―発達障害との共生(1)

 ■発達障害は全人口の9%
 ■休憩時間問題―ADHDの子は20分しか持たない


(3)「男の甘え」から「生命尊重の社会」へ―男女共同参画

 ■日本のルールは「男の甘え」
 ■政治は女性進出で「命」と向き合う政治に
 ■海外の学会は「子連れOK」


(4)できないことの自覚から始まる―発達障害との共生(2)

 ■リーダーは教育者でなければならない
 ■「対人関係の問題は認知上の問題」(河野)
  「くっつきやすくはがれにくい問題ですね」(正田)
 ■学校が排除してきたから職場で戸惑う
 ■大企業から中小企業への流入
 ■自分の問題にどう向き合うか
 ■「できない」ことの自覚ができない壁


(5)ナルシシズムは悪なのか

 ■ナルシシズムは氏か育ちか
 ■女優さんと政治家はナルシシストの職業
 ■性欲、権力欲、自己顕示欲、嘘つき
 ■自分の弱点に気づく知性
 ■承認欲求に関わる環境要因
 ■「問題に気づく場」について


(6)ファシリテーターの心得と公共の場
 ■「マネージャーがファシリテーターであることが大事」(正田)
  「僕は『自分は間違っているかもしれない』と思って臨みます」(河野)
 ■”おじさま参加者”をどう扱うか
 ■評価されることのない、ものを言える場を
 ■最もガードが固いのは「お母さん」


(7)心の理論不在の場合の「心の疲れ」
 ■職場は「共通善」を追求する場


(8)背後にあるトップの問題とフロネシス

 ■オーナー企業の閉塞感
 ■組織は良くも悪くもトップ次第
 ■フロネシスをもつリーダーと承認教育


(ききて:正田佐与、撮影:山口裕史)


****

(8)背後にあるトップの問題とフロネシス
■オーナー企業の閉塞感

正田:
私はその発達障害の人たちに直接かかわっているわけではなくてマネージャーを介して関わっているわけですが、これはもう身びいきなんですけれども私どものところで学んでくれるマネージャーというのは、恐らくもともと「心の理論」の部分の才能があって、伸ばせば限りなく伸びる、伸びしろの高い人たちなんです。なので努力は非常にする、それこそソチオリンピック並みにする。でこっち側の人がこれだけ努力しているのに、こっち側の人たち何やねん、と私などからみるとそういう風にみえてしまうんです。

河野:そうすると、そこまでやって難しいのであれば、職場のルールを変えるしかないのかもしれませんね。

正田:まあ個別のケースにあまり踏み込んでお話しするとあれなんで、その会社の場合はかなりオーナー、トップの方に問題があって、原因はそこから来ているのかもなあという気もするんですけど。

河野:それはどういう原因ですか。

正田:オーナー企業の3代目か4代目かで、お坊ちゃんで、人を人とも見ないような使い方をするわけですね。

河野:じゃあそれが影響していますね、明らかに。結局そういうふうに扱われてきたので、自分が会社に貢献してもあまり何というか実入りがないんだという思いがどこかにあるんじゃないですかね。

正田:実入りって、例えば人間的に感謝されたり、そういう精神的報酬が与えられてないということですね。

河野:はい。そのオーナー社長さんも問題を抱えているわけだから。お父さんとかにもそうやって扱われたはずですよね。お前は4代目なんだからこうでなきゃダメだ、という育てられ方をして、それがずっとトップから下に流れ込んで、という感じじゃないですか。

正田:日本中そういうケースは多いです。やっぱり戦後すぐに会社ができて、それが3代目4代目になってますから、オーナー企業ってみんなそういう感じのところがあります。閉塞感のもとですね。

河野:地方の経済界ってそういうのが多くて、それが保守化を生んでますよね。多分女性の進出が難しいのはそこがあるのかもしれないと思ってるんですよね。

正田:ありますね。

河野:多分なかなかそういうのが変わらないのは、男が継ぐみたいな流れがあるので、地方だとそれがなかなか難しいですよね。
 大変ですよね、それ。

正田:(苦笑)


■組織は良くも悪くもトップ次第

河野:
だからビジネスの場合、その場での内側の人間関係が外枠を反映してると思うんですよね。そういう拒否的なことをやっている発達障害系の人がいるとするならば、大枠として拒否的な雰囲気というのがあるのじゃないかなと思います。
 でもそれは、オーナーの首をすげ替えるわけにはいかないだろうし、雰囲気を変えろというのは難しいですよね。ずうっとそれで扱われてきちゃったんだろうから。

正田:やっぱりそこがあるんですねえ。

河野:だと思いますよ。トップのムードというのはそのまま如実に反映するような気がしますね。

正田:ははあ。どんなケースをご経験になりました?

河野:大学でのことですけれど、最初に防衛大というところにいたんです。あれは大学と言えど大学じゃないんです。小さな、学生と言えど小さな部隊に分かれるんですけど、トップの雰囲気、影響力でもうそこが決まってしまいますよね。いい人がいていい雰囲気になってきたなあと思ったときトップが替わるとそこでコロッと変わる。いじめは増えるし、問題行動も増えるし、大体トップの持っている問題が下に流れ込んできてそれが出てくるという感じですよね。それはそのまま授業にも響くので、やっぱりそれが悪いと勉強ができなくなるし、できないのでひたすら厳しくするしかない。教育方法もいじめとか暴力みたいな形に行っちゃう。悪循環になっちゃう。
それはもう、見ているとトップによってここはいい、ここは悪いとクルクル変わっちゃう。
 ですから組織も同じじゃないかなあと思います。大学組織であって大学組織でない、学生組織であって学生組織でない、小さな職場のようなもので。聴くことができなくて、トップが。任せることもできない。そのオーナー社長さんも不安を抱えているのかもしれませんね。
 まあやはり発達障害の人にとっても、受容的な雰囲気であるならば、むしろ形として出ないようなものが、雰囲気が悪いと出る、というのが若干あると思いますね。だから個々の問題だけじゃなくて、グループとしてのムードはすごく大きいと思いますね。

正田:やっぱりそうなんでしょうね。

河野:学校のクラスでもそうです。そうそう、学校でいうと校長先生次第で学校の雰囲気がガラッと変わってしまいますね。個々の担任の先生の力ではどうにもならないところがあります。


■フロネシスをもつリーダーと承認教育

正田:
先生は以前ご著書にも「フロネシス」ということを書かれていましたね。

河野:フロネシス。賢慮。

正田:アリストテレスの実践知だったかな、経営学の野中郁次郎氏がフロネシスは企業のトップリーダーがもつべき倫理ということを書かれていましたが。

河野:そうですか。フロネシスというのは、テオリアというのが理論知だとすると、理論的に一般化された知識のことをテオリアというんですが、フロネシスは「その場で何とかすること」です。

正田:その場で何とかすること。

河野:徳のある人物、すなわち勇気があったり賢かったり、頭が良かったりする徳のある人物が、その場の状況に応じて、何かその場を切り抜けていくようなものを賢慮、フロネシスというんです。理論的な一般化された知識、科学的な知識というのとは違ってその場でうまく対応していく能力のことで、これはリーダーに必要な資格。

正田:なるほど。それはじゃあ、徳というのがもうちょっと高次のものがあってその下にフロネシスがあるんですか。

河野:ギリシャの思想の細かい部分はわからないですけど、多分フロネシス、賢慮というのは徳全体をまとめるような、高次の徳じゃないでしょうか。勇気とか親切さとかね、そんな個別の徳が色々あってそれらをまとめるようなのがフロネシスじゃないかと思います。それを養うのはなかなか難しいです。それこそが必要なものなのですが、養うのは難しい。
 アリストテレスは、フロネシスを養うにはそういうものを体現した良いモデルになる人物を見せることだ、と言っていますね。

正田:そうですね。そういうものを持ったリーダーが増えてほしいというのは本当に切実に願います。
 思い上がっているのかもしれませんが、私どもの承認リーダー教育というのは、結果としてみるとフロネシス的な振る舞いをするリーダーを作ってきたように思います。人々を隔てなく見、丁寧に対話し、その場その場で正しく状況判断をし、不確かな中でも勇気をもって決断をし、という。そこでは男性女性、国籍、といった従来の日本人リーダーが超えられなかった壁も自然とクリアーしていきます。また決断力も高いです。
 承認とフロネシスはイコールではないんですが、フロネシスに至る道のりの多くの部分をカバーするレールを承認教育は引いてあげることになるのではないかと。それくらい、他者を認め、他者の文脈を取り込むということは、正しい判断能力を形成するために役立つのではないかと。教科書には載っていないことですが、この12年間やってきまして私どもの感触というのはそうなんです。
 ただとりわけ今出ている発達障害の働き手の問題は、そうした判断能力の高いリーダーたちでもキャパを超える事態なんです。これは世界的にも同時に起こっていることなので、だからこそ新しい知恵を紡ぎだしていかなければならないのだと思います。

 今日はお忙しい中、貴重なお話を本当にありがとうございました。(了)




哲学者・河野哲也氏インタビュー「生命尊重のマネジメントとは―男女、発達障害、対話、フロネシス」




(1)人はなぜ平等でなければならないのか

(2)もっともポピュラーな障害―発達障害との共生(1)

(3)「男の甘え」から「生命尊重の社会」へ―男女共同参画

(4)できないことの自覚から始まる―発達障害との共生(2)

(5)ナルシシズムは悪なのか

(6)ファシリテーターの心得と公共の場

(7)「心の理論」不在の場合の「心の疲れ」

(8)背後にあるトップの問題とフロネシス(終)




100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
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 立教大学教授・河野哲也氏へのインタビュー 7回目です。

 
 ここでは、12年にわたりマネージャー教育を行ってきた正田が、発達障害やさまざまな精神疾患をもつ人と接する際のマネージャーの「疲れ」について言及しました。
 

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哲学者・河野哲也氏インタビュー「生命尊重のマネジメント―男女、発達障害、対話、フロネシス」

(1)人はなぜ平等でなければならないのか


(2)もっともポピュラーな障害―発達障害との共生(1)

 ■発達障害は全人口の9%
 ■休憩時間問題―ADHDの子は20分しか持たない


(3)「男の甘え」から「生命尊重の社会」へ―男女共同参画

 ■日本のルールは「男の甘え」
 ■政治は女性進出で「命」と向き合う政治に
 ■海外の学会は「子連れOK」


(4)できないことの自覚から始まる―発達障害との共生(2)

 ■リーダーは教育者でなければならない
 ■「対人関係の問題は認知上の問題」(河野)
  「くっつきやすくはがれにくい問題ですね」(正田)
 ■学校が排除してきたから職場で戸惑う
 ■大企業から中小企業への流入
 ■自分の問題にどう向き合うか
 ■「できない」ことの自覚ができない壁


(5)ナルシシズムは悪なのか

 ■ナルシシズムは氏か育ちか
 ■女優さんと政治家はナルシシストの職業
 ■性欲、権力欲、自己顕示欲、嘘つき
 ■自分の弱点に気づく知性
 ■承認欲求に関わる環境要因
 ■「問題に気づく場」について


(6)ファシリテーターの心得と公共の場
 ■「マネージャーがファシリテーターであることが大事」(正田)
  「僕は『自分は間違っているかもしれない』と思って臨みます」(河野)
 ■”おじさま参加者”をどう扱うか
 ■評価されることのない、ものを言える場を
 ■最もガードが固いのは「お母さん」


(7)心の理論不在の場合の「心の疲れ」
 ■職場は「共通善」を追求する場


(8)背後にあるトップの問題とフロネシス

 ■オーナー企業の閉塞感
 ■組織は良くも悪くもトップ次第
 ■フロネシスをもつリーダーと承認教育


(ききて:正田佐与、撮影:山口裕史)


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(7)心の理論不在の場合の「心の疲れ」について
■職場は「共通善」を追求する場

正田:
お時間がちょっと押してきたんですけれども、一番おききしたかったご質問をおききしてよろしいですか

河野:どうぞ。

正田:私自身のルーツを言いますと、亡くなった父は確実にアスペルガーだったと思いますし、母もアスペルガーとADHD混在したような、非常に共感能力の低い女性でした。そういう親のもとで育って非常に不全感をもって育って、その反動で今、こういう「他人を理解しましょう」みたいな仕事をしてるんだと思うんですけど。
そういうルーツがあるからか、今でも「心の理論」のない人としばらく話すと、すごく「疲れる」んですね。ただ仮にそういうルーツがなくても、一般に共感能力の高い人と話すと癒し効果があって疲れがとれる、逆に低い人と話すと疲れる、というのはあるのだろうと思うんですけど。
 「心の理論」がない方というと、発達障害だけではなくて鬱の人、統合失調症の人などもないのだそうですが、 「心の理論」がないということは、互酬性がない。
 そこで多分職場のマネージャーも毎日疲れてるんじゃないかと思うんです。こういう(発達障害や精神障害の)人を理解しなさいよ、ということはできます。その人に合った仕事をさせてあげましょうよ、条件を整えて働きやすくさせてあげましょうよ、ということはできます。でもここで感じる「疲れ」というのを何ともしがたいんです。

河野:なるほど、自分の方が向こうに認められてない感があるわけでしょうか。

正田:それはあると思いますね。例えば「承認」を学習して実行している人というのは、決して「相手から認められたい」ということを最初から目的にしているわけではありません。しかし多くの場合相手から信頼とか感謝とか、指示に従ってくれるとかの報酬が返ってくる。すると無意識にそういうものを期待するところがあると思います。その期待が裏切られ続けると、疲れが蓄積してくる…。
 いわば、対人支援の技術を自分が持つことが、自分の心を傷つきやすい無防備な状態に置くことにもつながりかねない。だから「自分の心を守る技術」というものも教えないといけないかな、と思っています。
 例えば、アイコンタクトがない。自閉症の人だと「視線が合わない」「通り抜けるような視線」ということがよく言われますが、そうしたことでも接しているうちに疲れが蓄積する可能性がある、ということ。

河野:なるほど。例えば、一方的に相手が話してくる、みたいなこともありますよね。どうしたらいいですかね。僕だったら言っちゃいますけどね、「私もしゃべりたいので、しゃべらせていただけますか?」と。

正田:ははあ…。まあ一方的に話す以外にも、例えば職場でしてほしいことをしてくれない、先ほど休憩の問題が出ましたけれども、それ以外にも、ちょっとした配慮、ほかの人に協力してくれない、とかですね。
 職場って「共通善を追求したい」ところが学校よりも強くって、その「共通善」の中に結構共感すること、しあうこと、が含まれていると思うんですよ。

河野:なるほど。相手の仕事を共感して「大変だったら手伝おうか」とか、これは今度一緒にやろうか、とか協調行動が必要なわけですよね。
 まあ学校って「個人を伸ばす」みたいなところがあるので、そういうのはずっと職場のほうが強いですよね。そういう時にそういう人が出てきちゃったらどうするか、っていうことですよね。
 逆に言うと、相互に仕事を期待しない形にはできないですかね。

正田:結局今そういう方向にはなっていますね、そのケースに関しては。職人仕事のような、その人だけで完結する仕事を与える、そしてやっぱりリーダーは??という判断になっているんですけれども。

河野:確かに発達障害である程度重い人たちというのはそういう作業をやってもらいますね。ただ、かなり重い人がまったく他人のことを気にしないかというとそうじゃないので、引き出せると思うんですけどね。なんで引き出せないんだろう、ただ気がついてないからだけじゃないんですよね、多分。こういう風にしてほしいけどどう思いますか?って話してもいいんじゃないですかね。

正田:当事者のマネージャーというのは、ここで考えられる大抵のことはもう既に試みていますから―、
 一度問題を整理したいのですが、ここでは特定企業で起きていることというより少し一般化させてください。
 先ほど発達障害の人も決して共感能力がないわけではない、ただ認知能力の問題があるので隠れているんだ、というお話で、そうするとその認知能力の特性をよく理解した人が周囲に指導者としていて、適切な療育とか働きかけをすると、共感能力はないわけではないので伸びてくる、ということでしょうか。
 ただ現実には現代はまだ過渡期で、児童期〜青年期に診断され療育を受けなかった、自分の問題を自覚していない発達障害の人が職場にいっぱいいます。それまでに沢山の否定された経験をもち、挫折感をもち、自覚していないがゆえに、その人たちの振る舞いは、私たちの考える「人格の悪い人」「能力の低い人」とか、「倫理的な悪」に近いことになってきてしまう。
 ではその人たちにどうすれば、というと、身近な指導者、マネージャーがその人たちの特性を理解してあげてうまく仕事を振ったり指導してあげて、というのが取りあえずの解になるんですけれども、じゃあその指導者はじめ周囲の人の感じる「疲れ」をどうしてあげたら、というのが今の問いです。その障害の人が問題を自覚しないまま今まで来て、二次障害などもいっぱい出てこじれてますます難しい人になっている、というのは今そばにいる人の責任ではない。難しい人のそばにいて指導することを義務付けられているだけで疲れるだけでなく心の病気になってしまう恐れもあります。実際、聴き取りをしたほとんどのマネージャーは部下の発達障害らしき人に対して、いらだちや怒りを感じたり、夜も眠れないほどその1人の部下のことばかり考えてしまう。
 「疲れ」の問題がある、ということを認めてあげないと、例えば発達障害のお子さんを毎日お世話しているお母さんに「たまには1人で遊びに出かけておいで」と言ってあげることも必要でしょうし、マネージャーであれば自分の疲れに気づいていないあまりパワハラをしてしまう恐れもあるわけですね。

河野:なるほど、「疲れ」がある、ということを認めてやる必要があるわけですね。


>(8)背後にあるトップの問題とフロネシス(終) に続く




哲学者・河野哲也氏インタビュー「生命尊重のマネジメントとは―男女、発達障害、対話、フロネシス」




(1)人はなぜ平等でなければならないのか

(2)もっともポピュラーな障害―発達障害との共生(1)

(3)「男の甘え」から「生命尊重の社会」へ―男女共同参画

(4)できないことの自覚から始まる―発達障害との共生(2)

(5)ナルシシズムは悪なのか

(6)ファシリテーターの心得と公共の場

(7)「心の理論」不在の場合の「心の疲れ」

(8)背後にあるトップの問題とフロネシス(終)




100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
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 立教大学教授・河野哲也氏へのインタビュー 6回目です。

 
 「鎌倉哲学カフェ」など今、あちこちで見事なファシリテーションを披露される「対話する哲学者」河野氏。ファシリテーターの心得や、公共の場のありかたについて語られました。


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哲学者・河野哲也氏インタビュー「生命尊重のマネジメント―男女、発達障害、対話、フロネシス」

(1)人はなぜ平等でなければならないのか


(2)もっともポピュラーな障害―発達障害との共生(1)

 ■発達障害は全人口の9%
 ■休憩時間問題―ADHDの子は20分しか持たない


(3)「男の甘え」から「生命尊重の社会」へ―男女共同参画

 ■日本のルールは「男の甘え」
 ■政治は女性進出で「命」と向き合う政治に
 ■海外の学会は「子連れOK」


(4)できないことの自覚から始まる―発達障害との共生(2)

 ■リーダーは教育者でなければならない
 ■「対人関係の問題は認知上の問題」(河野)
  「くっつきやすくはがれにくい問題ですね」(正田)
 ■学校が排除してきたから職場で戸惑う
 ■大企業から中小企業への流入
 ■自分の問題にどう向き合うか
 ■「できない」ことの自覚ができない壁


(5)ナルシシズムは悪なのか

 ■ナルシシズムは氏か育ちか
 ■女優さんと政治家はナルシシストの職業
 ■性欲、権力欲、自己顕示欲、嘘つき
 ■自分の弱点に気づく知性
 ■承認欲求に関わる環境要因
 ■「問題に気づく場」について


(6)ファシリテーターの心得と公共の場
 ■「マネージャーがファシリテーターであることが大事」(正田)
  「僕は『自分は間違っているかもしれない』と思って臨みます」(河野)
 ■”おじさま参加者”をどう扱うか
 ■評価されることのない、ものを言える場を
 ■最もガードが固いのは「お母さん」


(7)心の理論不在の場合の「心の疲れ」
 ■職場は「共通善」を追求する場


(8)背後にあるトップの問題とフロネシス

 ■オーナー企業の閉塞感
 ■組織は良くも悪くもトップ次第
 ■フロネシスをもつリーダーと承認教育


(ききて:正田佐与、撮影:山口裕史)


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(6)ファシリテーターの心得と公共の場

■「マネージャーがファシリテーターであることが大事」(正田)
 「僕は『自分は間違ってるかもしれない』と思って臨みます」(河野)


正田:
そうですねえ…。
 先日、組織内ワールドカフェをしまして、同じところでワールドカフェを2回やりました。1回目には問題を出すだけ、という回をやったんです。

河野:いいですね。

正田:上司がコーチングを学んでいるから、ファシリテーター役をやりますね、4人1組の中で。そうするとやっぱり、部下が問題点を言ってきたときに「ちゃうやろー」と言ってしまった、という上司がいて、私は「まあ人間だからしょうがないかなー」と思いながら、そのメールへのお返事に、
「普通の人というのは問題を一通り言ったあとで『いや、これは別の考え方ができるかもしれない』と思える。自己治癒能力というのがあるから、それを信じられたら、『ちゃうやろー』ってあなたから言わないで黙ってられるねんで。そこは場数やで」
と、そんなことを言いましたね。ただ、その自己治癒能力があるのはメタ認知能力のある定型発達の人の場合ですけど。
 職場でやると上司がみてどうしても「正しい」「正しくない」は普通以上にわかってしまう。また多くの場合上司は、部下以上に仕事にパッション(情熱)を持っていますから、「怒り」がわいてしまうのも無理からぬことなんです。そこを何とかコントロールできるようになるといいですね。
 別の上司の人には、「やっぱりこんな失敗をしてしまった」と書いてきたので、「私もコーチングを習って半年目ぐらいにロールプレイの中で何かをすごくできてない自分を自覚した、それからできるようになった、だから失敗して自覚することが一番学ぶきっかけになるんですよ」とお返事しましたね。
 その時はたまたま2回あったので1回目は失敗していいと思うぐらいの余裕があったんです。やっぱりマネージャー自身が職場のファシリテーターであることは大事なので。

河野:僕自身が哲学カフェをやるときの心構えは、「僕は間違ってるかもしれない」。いつもそのつもりで。今までの哲学の理論で言われてきたことが全部間違ってるかもしれない。「マイト・ビー・ロング(”might be wrong”、間違ってるかもしれない)」とそういう感じですね。それを正せるきっかけがあるといいなあと探る感じ。まあ、要するに「学ぶ」という感じですね。そのつもりでファシリテーションをやると、僕はずっとこの人と付き合ってきたけれども、全然知らないかもしれないし、僕の今まで考えてきたことは間違ってるかもしれない。多分間違ってるんです。それぐらいの気持ちで。

正田:ほう…!

河野:それぐらいの気持ちで臨むと「え、どうして?」となる。ちょっと違うところからの問いになる。感性が働くんですよね。
 自分と違う感覚に出会ったときに、「自分が違うのかもしれない」。「それは違うだろう」と自分に言う必要があるかもしれない。でも「なんでそう思うの?」と、理由は聞かないと納得はしないので、それは訊くんです。

正田:その感じを体得出来たらいいですね…。先生の場合何かきっかけはおありになりました?

河野:いやいやでも、間違ってるかもしれないというだけの話ですよね(笑)正しいことを知りたいのであって、そうすると自分は間違ってるかもしれないですよね、やっぱりね(笑)


■“おじさま参加者”をどう扱うか

正田:
変な質問ですけど、先生がそういうスタンスでファシリテーションされたときに、年齢層の高いほうの方が、「オレは人生経験あるんだあ」という感じで来られて、「そんなのあんた若いから知らないだけだよ、こうだよ」って言ったときに「でもあなたはこの件についてちゃんと考えてなくてオレのほうが正しい」って思うことはありません?

河野:そういう風には思わないようにしてます。絶対、そういうふうに言ったからには動機と道筋があるはずなんです。必ずそういう発言には文脈があって、「なぜあなたは自信があるのを人に言わなきゃいけないのか」の理由があるはずだ、と思うわけです。
どうしてわざわざここに出てきてそんなこと言わなきゃいけないのか知りたいな。そしてなぜそれを人に強く言いたくなるのかなあと、それに理由があるはずなんですよ。

正田:ああ、なるほどねえ。

河野:ファシリテーションのやり方って結構色々あって、私は結構心理学的な気がするんです。サイコロジーな感じがしますね。うまい人でももう少し硬い感じの人とか、議論が社会的なことに関心がいく人とか、でも僕はサイコロジカルなので、言うからにはそこに文脈があるんです。なぜそういう風に言うのか。探偵みたいな感じなんだけど、そう感じますね。
 言ってることって必ず何か文脈があって、その文脈は何だろうか、と考えることは大事だと思うんです。
 先ほどご質問を受けた女性の地位に関しても、なるほど神戸市ってそんなに専業主婦が多くて(笑)ときくと「ああそうなのか」。大阪って結構商人のまちだから、まちを歩いてもおばさんたちというと悪いけれど商店で女の人が前に立って、「いらっしゃいいらっしゃい」って、こういうのがあると女の人が働くって別に当たり前じゃないのかな、というイメージがあったんですけど、神戸と大阪って大きく違った。そう思ったりもするし、もしかして海のまちだからそういうのがあるのかな、とかね。そういうふうに、情報をいただいたらどんどん膨らんでくるんですけど、何か言うからには必ず背景がある。映画の断片をもらってるみたいな感じですよね。

正田:ははあ。その人の文脈。

河野:その人の考え方は映画の予告編のようなもので、「ここだ」というところだけ言っているけれど、流れがあるはず。

正田:それで言えば、2回目のワールドカフェでは1つ新しいチャレンジをして、「大事な質問はこれです。『それどういうこと?』という質問を使ってあと一歩深く聴いてください」ということを言ったんですけど、無意識にそういうことをやっていたかもしれないですね。
 でもまた次のご質問で、その人のライフストーリーまで全部きいてしまったら、哲学カフェとしてほかの参加者のかたの機会を奪ってしまったりしません?

河野:それはそうですよね。ですからそこは全部全部話してもらうことはできないです。
 そういった人が多かった場合はやはり制限してもらっていますね。
 確かに、大体中高年の男性ですよね。奥さんに聴いてもらってないのかなと(一同爆笑)まずその想定を。それで「なんでこんな自分と違う人生を生きている人に言いたいのかな」と。そうするとライフストーリーというより「どうしてそうなんですか?」理由は何なんですか?」という感じで訊いたほうがいいかもしれない。そして、振ってみるんですね。「こういう風な意見をいただきましたけど、どう思いますか?」若い女性とか男性に振ってみると、大体発言できることがあるんですね、ぱっと言われるんです。そこで「それに対してどう思いますか?」と戻す。今まで反撃食らったことがないので、そういう人って。反撃というか質問を受けたことがない。もっというと自分の人生に関心を持ってもらったことがない。きっと。それで言ってるんですよ。

正田:ははあ(笑)
 ちょっとお客さんあしらいみたいなお話になってしまいまして。私は女性のせいか、「ものを知らない女に教えてやるとか説教してやる」っていうモードで年上の方から言われることが多いので、参考になります。

河野:確かにそういう方はいらっしゃいますね。そうした場合にいくつかやり方があって、僕は場合によっては「発言人形」を使うんです。縫いぐるみ、なるべくフカフカした可愛い縫いぐるみにします。ちょっとバカっぽいので、そうすると(笑)真剣な話もこれ持ってると真剣にできなくなる。これを持った人が発言する。持った人が発言するので、キャッチしますよね、これ投げていいわけです、離れた人に。鎌倉(哲学カフェ)ではそれはやりませんけれども。持った人が次に渡す権利もあるんです。「この人に話して欲しいな」と。そうすると、話す量が多いのが制限されますよね。
 まああの、小学校でもハイハイハイって手を挙げる男の子いますけれど、大体それと同じメンタリティ。先に言って認められたいっていう。

正田:ハハハ(笑)

河野:そうですね、今言ったように障害を持った人にとっての良い環境をつくるというのはまず大切なんですけれども、障害をもった人たちが気づきを自分で見つけるということが大切で、その気づきというのが色んな要因で本人が拒否したり、難しいのかもしれませんけれど。多分そのときに「自分の弱みを見せても大丈夫なんだ」という場面をどこかで作らなければいけませんよね。

正田:あー、なるほど。


■評価されることのない、ものを言える場を

河野:
弱みを見せると攻撃されるという絶対的なプライド…。プライドって、要するに負ける恐怖から来ていると思うんです。プライドって恐怖の産物だと思うんですよ。やられたり、負けちゃったり。恐怖というのは、自分が何かを失ってしまう、やられてしまうという恐怖心なので、それがない状態の中で、何か気がついて貰えるような研修なり、話し合いなりになるといいですよね。

正田:ははあ。

河野:だから、職場の評価とは別の、自分が安心して自分のことを話したりできる場ができないんだろうか。
 ただそれを作り出すのは会社全体のムードなので、そこを作っていくのがより上司の役目というか、経営トップの役目なんじゃないかと思うんですよね。
大学でも学校とかでも、ほかの職場でも同じだと思うんですけど、やっぱりいいムードがあった中でそういうことができるんじゃないか。
 病院とか伺ってみると、いい院長先生がいると公平な感じ、あんまり院長先生が良くないと個々のお医者さんや個々の看護師さんが自分を守ってるんですよね。自分の決められた仕事しかしなくって、公共性の部分が弱くなってくる。お互い助けないし、手を抜きやすくなるというのはききますよね。看護師さんとかの話し合いで。
そうすると、どうしたら問題点を地位とか立場とか限定せずフラットにしゃべれる場を作れるのかということですよね。
 それを作るのは、大きいと公平感があったりしますが小っちゃいと難しいですよね。
 何かやってれば上から「何やってるんだ」と言われちゃう。そこは僕なんかが語れるようなあれじゃないですけど。
 この間の企業内研修でやったことですけど、まったく企業の経営内容と関係ないようなことを話し合ってみる場があっていいんじゃないか、と思います。そういう場を仕事の場につくれないんでしょうか。
 仕事が上手くいってるとか上手くいってないとかの評価とは別に自分のことを話せる場ってあっていいんじゃないか。評価とは関係なく、自分のことを自由に言えたり、人の話を聴けたり、それについて語り合ったりする自由な空間。そういうのがなきゃいけないんじゃないか。
 そういうのが会社の中にできないものですかね。仕事の上で、例えば障害をどうしようかとかのテーマにしてしまうと、なかなか言えないように思います。そうじゃなくてこう、単純に自分の生活について語るようなことはないのかなあと。そうすると違うのかなあと思うんですよ。

正田:自分の生活について。なるほど。
 それでいうと私どもの受講生さんでは、姫路市立楽寿園というところで従業員同士、朝礼と仕事中にも茶話会のようなことをやって、プライベートのこと仕事のこと隔てなくなんでも語る場をつくったところ、従業員満足度も顧客満足度も向上したところがあります。そこでは「なんでもいいからしゃべって」といって、高齢の従業員さんが多いんですが、「きのう孫とどこそこへ行った」といったプライベートの話をする。受講生さんからすると、そういうのも「承認」の一環なんです。ホールシステムとしてのその人を認めるという。
 私どもはマネジメントはマネージャーがするものだと考え、マネージャー教育を充実させることによって高業績と職場の幸福感を両立させてきましたが、マネージャー教育の次の段階で対話を仕掛けることは大事と考えています。うまくすると適切なマネージャー教育のもとでは、それは自然発生的に起きます。先日のワールドカフェのように外から仕掛ける場合もあります。

河野:それはいいですね。
 僕のゼミでも、学問でこの本を読みましただけじゃなくて、なるべく自分の生活と結びついて、ちょっと恥ずかしいことでも言えるようなムードを作ることをしています。そうすると結束力がついてくる。本当の人の結びつきって、真実を追求するというか、真実を語り合うことなしにはできない気がするんですよね。真実が人を結びつけるというか。
 だから評価の中で自分を大きく見せたり、人を小っちゃくさせたりするようなことでは、問題が明らかにならない。なかなか難しいことだと思うんですけどね。そういった場を作れないかなーとは思います。

正田:真実が人を結びつける、だから対話を。ということですね。



■最もガードが固いのは「お母さん」

河野:
今、お母さんたちを集めた母親カフェみたいなことをやるんですけど、これは子育てについてはガード固いですね。

正田:それは面白いですね。そうなんですか。

河野:なんかね、すごく心配だし、子育ての仕方が人と違ったり批判されたりするようなことをみんなすごく避けますね。それで極端に言っちゃうと悩んで、どうにもならなくなっている。親子関係がこじれちゃって。
だったらどうするかというと、標準的に子育てをするって一体どういうこと?という問いがあっていいと思うんですよね。
 昔は多分、1人の子供におばあちゃんとかおじいちゃんとか関わっていて、沢山の人がみているということで相対化できていたんですけれども、今核家族が中心だと、かつ出てくるのは本で結構抽象的な育児論ばっかりだと、本当に使っていいか解らなくなっていて、心配を抱えている。その辺を話し合わせて。結構今までやった中でも最もガードが固い人たちです。子育てってこれだけ個人個人の中で固くて言いたくない部分なのかと。そこを何とかしようと。

正田:それは有意義なことですね。

河野:明日(3月2日)やるんですけどね。楽しみです。寄居ってご存知ですか。埼玉県の、東武東上線で上に上がっていったところでやるんで、ファシリテーター何人かで行って、片方で子どもたちは子どもたちでカフェやってるんです。絵本をみて語り合うというやつです。発達障害の子もいますけれども、大分落ち着いてきましたよ。2年間やっていると。大分落ち着いてきて、すごく元々頭がいいんです。でも暴れまわっちゃうんです。だんだん落ち着いてきて、きいてもらえます。学校ではすごくこらえているらしいんですけど、カフェに来るとまあちゃんと話せるし聴いてもらえるんで、だいぶ落ち着いてきました。今度はお母さんとでやってくれと言われていて、僕の知り合いたちは子どもとカフェをやって、私はお母さん方とカフェ。
 福島でやったときも良かったですねえ。震災のあとにしましたが、バーッとみんな吐露しますね。不安と怒りと。でもそれを吐いたあと、前に進んでく感じがあるんです。
 それは政治とか対立のない、ただ自由に話す場。それはなんていうのかな、「なんでもない公共の場」。
 何の評価もない、対立もない。公共の場というのは、必要なのかなと思うんですよね。

正田:まとめると安心というキーワードを実現するために、公共の空間を、組織内にも対話を、ということでしょうか。



(7)「心の理論」不在の場合の「心の疲れ」に続く



哲学者・河野哲也氏インタビュー「生命尊重のマネジメントとは―男女、発達障害、対話、フロネシス」




(1)人はなぜ平等でなければならないのか

(2)もっともポピュラーな障害―発達障害との共生(1)

(3)「男の甘え」から「生命尊重の社会」へ―男女共同参画

(4)できないことの自覚から始まる―発達障害との共生(2)

(5)ナルシシズムは悪なのか

(6)ファシリテーターの心得と公共の場

(7)「心の理論」不在の場合の「心の疲れ」

(8)背後にあるトップの問題とフロネシス(終)

 立教大学教授・河野哲也氏へのインタビュー 5回目です。

 
 数年来の正田の問題意識、「ナルシシズム」が今回の話題です。折りしも偽作曲家、論文捏造疑惑事件…とナルシシストたちがマスコミを賑わします。身近にいるナルシシストたちの困った行動とは、またそれに対する河野氏の答えとは。


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哲学者・河野哲也氏インタビュー「生命尊重のマネジメント―男女、発達障害、対話、フロネシス」

(1)人はなぜ平等でなければならないのか


(2)もっともポピュラーな障害―発達障害との共生(1)

 ■発達障害は全人口の9%
 ■休憩時間問題―ADHDの子は20分しか持たない


(3)「男の甘え」から「生命尊重の社会」へ―男女共同参画

 ■日本のルールは「男の甘え」
 ■政治は女性進出で「命」と向き合う政治に
 ■海外の学会は「子連れOK」


(4)できないことの自覚から始まる―発達障害との共生(2)

 ■リーダーは教育者でなければならない
 ■「対人関係の問題は認知上の問題」(河野)
  「くっつきやすくはがれにくい問題ですね」(正田)
 ■学校が排除してきたから職場で戸惑う
 ■大企業から中小企業への流入
 ■自分の問題にどう向き合うか
 ■「できない」ことの自覚ができない壁


(5)ナルシシズムは悪なのか

 ■ナルシシズムは氏か育ちか
 ■女優さんと政治家はナルシシストの職業
 ■性欲、権力欲、自己顕示欲、嘘つき
 ■自分の弱点に気づく知性
 ■承認欲求に関わる環境要因
 ■「問題に気づく場」について


(6)ファシリテーターの心得と公共の場
 ■「マネージャーがファシリテーターであることが大事」(正田)
  「僕は『自分は間違っているかもしれない』と思って臨みます」(河野)
 ■”おじさま参加者”をどう扱うか
 ■評価されることのない、ものを言える場を
 ■最もガードが固いのは「お母さん」


(7)心の理論不在の場合の「心の疲れ」
 ■職場は「共通善」を追求する場


(8)背後にあるトップの問題とフロネシス

 ■オーナー企業の閉塞感
 ■組織は良くも悪くもトップ次第
 ■フロネシスをもつリーダーと承認教育


(ききて:正田佐与、撮影:山口裕史)


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(5)ナルシシズムは悪なのか
■ナルシシズムは氏か育ちか


正田:実はそこで、ナルシシズムに関するご質問になるんです。
 E・フロムは『悪について』の中でナルシシズムについて語っています。世の中には自己愛性人格障害という障害があります。またそれの強度なものと思われる、反社会性人格障害という障害があります。自己愛性人格障害は、最近のエポックメーキング的な著作『自己愛過剰社会』によればアメリカで16人に1人、20代で10人に1人の割合でみられ、急速に増加しているそうです。
 最近のわが国での偽作曲家事件、人気漫画家への脅迫状事件、尼崎の家族乗っ取り事件などは強烈なナルシシズムの人格を思わせます。マルハニチロの農薬混入事件もその気配があります。
 先生の『善悪は実在するか』では共感性、互酬性を倫理の基盤としていますが、一方で個別性個体性への理解、配慮もまたその倫理のための方法だというお考えもみられます。もしナルシシズムが遺伝形質としてあるものなら、生まれつきの個別性だから倫理的悪ではないということになってしまわないでしょうか。

河野:僕は基本的に、遺伝的に最初から悪である人はいないと思うんです。発達障害も、別に最初から対人関係が弱い、共感がないというよりも、認知上の問題で共感ができにくくなっているだけであって、それを上手くすれば。自閉症で人間に関心がない人はいないし。

正田:関心があるといっても自分にとってプラスの働きかけをするかどうかというそこにだけ関心が行ったりするのでは?

河野:多分、限られてきちゃったんだと思うんです。

正田:限られてきちゃった。

河野:はい、はい。ずっとそういう扱いを受けてきているので、そういう形の対人関係になってきちゃったんじゃないか。ずっと気がついてもらえなくて多分ずっと一方的に、拒否されることが多いとそうなっちゃう。だから二次障害だと思っているんです。障害が出てくることによって相手の反応が変わって、それによって二次的に障害が起きてくるんじゃないかと思ってるんです。
ナルシシズムも同じだと思うんです。ナルシシズムは誰にもあって、例えば偽作曲家の件でいうと、彼がああなったのはやはり理由があると思うんですよね。最初からそうではなくて、何らかの形で一歩足を踏み込んじゃうと自分では取り返しがつかず行ってしまう場合があると思うんですよね。だから本質的な悪とかがあるわけじゃなくて、そういう風になってしまう、送り込まれてしまう、そっちへ。という風に思います。

正田:どうなんでしょう、私ももとはそう考えていたんですけれども、やっぱり生まれつきのそういう傾向というのはあるようなんです。たとえば、ある人の息子さんは2歳か3歳のころ保育園の先生から「この子は私たちのキャパを超えてすごくいつもいつも褒めてもらわないと気が済まない子ですね」と言われた、という。その息子さんはもう大きくなって20歳ぐらいになって、結局ニートなんです。仕事に就いても続かないで辞めてしまって、を繰り返す。そういう例をみると、やっぱり生まれつき承認欲求が極端に強い人、永遠に満たされなくて定職にも就けない人というのは中にはいるのかな、と。また最近きいた話では親子2代でナルシシストの傾向の強い人というのがいて、近所から煙たがられているらしい。

河野:ああ、なるほど。確かにそういう傾向性の強い人というのはいるかもしれなくて、そういう人は周りの人が知らなかったんじゃないのかなと。やっぱり人に合わせてどうこうするというのをそこで作っていかなきゃいけない。人をどう扱うかというのは。
今までのやり方だと満たされないような承認欲求なのかもしれない、それは生まれつきなのかもしれない。

正田:人の生まれつきの個性と周囲の働きかけは相互作用すると思うんです。一般には生まれつきの個性を強化する方向に働きかけることが多い。承認欲求の極端に強い子に対しては、周囲はそれに負けて承認を与えることの方が多い、だけれどもそれは本人の「勘違い」を強化することになるかもしれないですよね。

河野:だけれども、それがすべて悪くいくかというとそうでもないんじゃないか。


■女優さんと政治家はナルシシストの職業

正田:
この問題については、人材育成業界の先輩で人の個性に詳しい方とこのところよく議論するんですけれども、ナルシシズムに関わる資質がある。ひょっとしたら承認欲求に関わる視床下部の線条体という部位が生まれつき大きい人というのがいるのかもしれません。そのナルシシズムが高い人でさらに他の資質との組み合わせによっては、常にほめられていないと気が済まない。自己顕示欲がすごく強くて、注目されていないと気が済まない。厳しいことを言われたときに反発して物凄い形で仕返しをしたりする。内省はしない。そういう人格の人は残念ながらいるようだと。
 コーチングでも一般に「強みは伸ばしましょう」という建前になっているんだけれども、ナルシシズムの資質だけは非常に伸ばしにくいのだそうです。例外的に、例えば芸術的才能に恵まれていて、なおかついい師匠に会ったらそこで開花する可能性がある。

河野:かもしれません。芸能人でそういうタイプの人はいるかもしれません。
ある女優さんが私の家の近くに住んでいますけど、かなりそれに近いですよ。

正田:あ、そうですか。ほう。どうですか。

河野:やっぱりナルシスティックだし、常に女優なんです。常に見て欲しいし、そのオーラがあるわけですよ。「見て欲しいオーラ」というのがあって(笑)普通の人と違うんですよ。

正田:はいはい。見て欲しいオーラですか…。私にはないものですねえ(苦笑)

河野:その女優さんの場合はまさにナルシスティックな人で、常にほめてほしいし常に見て欲しいし。ほめるに値することをやるし。それがまさに、「女優」という感じ。そういう人は、自分の本来持っているものと天職が合ったんでしょうね。ただそれは演技のほうの才能もないといけない(笑)ただそういう人はもしかしたら演技のほうの才能があるかもしれませんよね。

正田:そうですよね。

河野:まあずべての人がそういう風にするというのは難しいかもしれない。そういう人たちってプライドが高いので他人の影響で自分を変えないので、確かに教育には乗りにくいかもしれませんよね。
それでも、必ずしもそれが悪くなっちゃうかというとそうでもない気がする。
ぼくの親戚でもそういう人はいるけれども、押し出しが強いですよね。よくありますよ。場を圧する力。もしかして政治家に向いているかもしれない。

正田:おっしゃる通り、政治家って多分ナルシシズムがすごく高い人ばっかりなんだろうなって(笑)あれだけポスターに向かってニカッと笑って、その顔をずっと維持したまま有権者と握手して回る、そして「私はこんなすばらしいことをします」と言い続ける…。

河野:そうそう。いかに政策が良くて頭が良くて人の役に立ったとしても、自己顕示欲がなければ政治家になれないと思うんですよね。

正田:そうですねえ…。

河野:なったとしても、目立たない(笑)いい人ではあるけれど、目立たない。
だからとてつもない自己顕示欲と自己愛というのが、やっぱり政治家には必要なのかもしれません。
ただ政治家ってそれだけでもやっぱりダメで、自分はそういう人間なんだけど人の役に立つぐらいに思わないと。それはそれで居場所があると思うんですけど。
リーダーってある程度そういうところがないといけないのかもしれませんね。ただあまり極端だと、人のことを考えないようではいけませんけれど、バランスの問題でしょうけれど。


■性欲、権力欲、自己顕示欲、嘘つき

正田:
その極端なほうの例で言いますと、私の知っている中小企業の経営者で、ナルシシズムのものすごく高い、そして仕事面でもすごく有能なんですけど、女性に汚くてですね(笑)、会社の女性に軒並み手をつけちゃって奥さんにもばれて、その女性たちを退職させるような羽目になってしまう。

河野:あー。それはよろしくないですね(笑)

正田:承認欲求の最たるものは恋愛、(異性愛者ならば)異性からの愛だという、それは「承認論」の提唱者の同志社の太田肇先生(教授)も言ってるんです。その経営者自身、「自分の性的魅力をいつも確かめてないと気が済まない」ということを言ってるんですけど(笑)、際限なくそれを満たそうとしてしまうんですね。

河野:どうなんでしょうね、そういうのって脳の問題というか心の問題なのかもしれないんですけれど、どうしたらそういうのって満足するんでしょうかね、永遠に満足しないんですかね。

正田:あとはですね、あまり芸術的才能と縁のないところ、日常的なところでのナルシシストの症状でいうと、「職場で変な噂を流す」っていうのはよくやるみたいなんです。リーダーからよくそういう相談を受けます。

河野:変な噂っていうのはそれで注目されるし人をコントロールできるんで、権力欲が強い、権力欲の表れだと思うんですよね。

正田:権力欲というか、自己顕示欲というか。

河野:でもそれは良くないことなんで、倫理的な問題ですからね、それはわかってもらうしかないですね。

正田:そうですね…。それで結局リストラのリストの1番上に載っちゃうんです。

河野:なりますよね。それはどう考えても悪いことをしてるんでリストラのリストに上がるのは当然のことなんだけど、本人がそれを解ってないのが不幸ですよね。
どうして自覚させるかですよね。

正田:どうやって自覚するんでしょうね…。現実にナルシシストについて職場で扱いが難しいのは、注意されるとキレる、逆恨みする、だけでなくひどい形で仕返しする、それこそ注意した相手について変な噂を流すとか、それが怖いので周囲が注意しなくなっちゃう、問題行動を大目にみるようになっちゃう。それでその職場の善悪の基準全体がおかしくなってしまう。それが目に余るのでそれもあってリストラのリスト最上位になってしまうのだろうと思うんです。

河野:自覚させるというところが非常にむずかしいわけですね。


■自分の弱点に気づく知性

河野:
ただ、先ほどのその女優さんというのは、自分がそう(ナルシシスト)であることは解ってますよね。

正田:あ、そうなんですか。

河野:当然そう。そういう職業なんですよね。
ただ、謙虚なところもあって、僕の知り合いのブティックでいつも服を買うんですよね。「私服装のセンスがすごく悪いから、女優のくせに。だから服は全部あなたが選んでね」。こういう傲慢な感じでくるんだそうです(笑)

正田:そうなんですか(笑)

河野:それって面白い話ですよね。まさに女優としての張りはあるんだけど、自分は美的なセンスは、服装のセンスは全然ないんだということはよく解ってて、だから信頼できるお店に全部任せるスタンスで、「いい服選んでよね!」とこう強気な感じでくる。「はい」って売るんだ、というんですけれども(笑)
まあそれは、自分の強みと弱みが解ってらっしゃるからいいんだろうと思うんですよね。自分のナルシスティックなところというのは逆に女優としては張りであるし、カリスマ性というかオーラになっているんだけれども、「服はダメなんで」っていう。ちゃんとそういうのが解っていて。
だからこそ、ああなるほどこういう人たちはちゃんと生き残っていけるんだなと。結構言えばだれでも知ってる女優さんですよ。

正田:え!知りたい知りたい(笑)

河野:年配の方ですよ。まあナルシシストの人はそうなるといいですよね。

正田:そうですね。

河野:だから自分の弱点というのは消せないかもしれないんだけれど、でも強みでもあるんで、それをちゃんと活かせるように自己認識ができるといいですよね。
どうしたらそういうのを解るんですかね。

正田:どうですかね、ナルシスティックな部分と、クレバー…知性の部分と両立していればいいんでしょうけど。
その女優さんの場合だと恐らく、スターシステムの高みを目指すとか、常にトップステージを維持していないといけないという目標、かつ自分の強みとリンクした目標が確固としてあるんだと思います。それだとその目標に向かうために障害になる弱みを認識して潰す、という発想ができるかもしれないですね。だから目標達成に必要な表現力とかの能力があって、知性もあって、という。

河野:知性が低くてナルシスティックだとダメなんでしょうかね、やっぱり(笑)

正田:やっぱり結構そういう人の話はききますねえ。

河野:そうですか。どうしたら聴いてくれるんでしょうかねえ。発達障害の場合と違って似た人同士で集めて学ぶというのは難しいかもしれないですね。プライドが高くて学習能力がないようでは(笑)

正田: そうなんです、ナルシシズムというのは決定的な学習能力の弱さにつながってしまうかもしれないんです。自分の不足を認識してくそっと思って、周りのレベルに届かないのは何故?というプロセスが働かないですよね。

河野:ええ。そうですよね、そのプライドの高さが「くそっ」ていうのにつながっていい回転になるといいですけどね。そうじゃなくて、守っちゃったり排除したりするようだとダメですよね。

正田:ですね。
 先ほどの先輩によると、ナルシシズムをもっていてかつほかの能力があまり高くない人ですと、例えば学校で「この問題わかる人!」というと、本当は「ハーイ」と手を挙げたいのに、でも手を挙げて答えが間違っていたらと思うといつまでも手を挙げれない。みんなの前で間違うという屈辱を味わうのは耐えられない。そのうちにほかの人がハーイと手を挙げて正しい答えをして拍手をもらったりすると、くやしくてその手を挙げた人を憎んじゃったりする。そういうネガティブ感情の塊になってしまう。ナルシシストの方って。

河野:それだけやっぱり肯定感がないんでしょうね。なんで人ができることが自分ができないことを比較するのかなあと僕なんかは思うけど。やっぱりいつも比較されているんでしょうか。


■承認欲求に関わる環境要因

河野:
承認欲求が強いということは、人から優れていると認めてほしいんでしょうかそれともただ単に人に受け入れられたいんでしょうか。仲間になりたいんでしょうか。

正田:TA(交流分析)のストロークという考え方を使うと、悪いストロークを出すのも承認欲求の表れだ、と言いますよね。他人からのストロークが欲しい一心で悪いこともしちゃう。

河野:認められたいってどういう気分なのかなあと思うんですよね。優れていると認められたいというのはどういう気持ちなのか、って。そうすると丁寧に扱ってくれるわけですか。

正田:うーん。

河野:いや、優れていると言われて何が嬉しいのかなと最近思って。

正田:そうですか。先生ファシリテーションお上手ですねって言われて嬉しくないですか(笑)

河野:そんなに上手いと思ってないし。今は上手くいったけど次上手くいくかどうかは解らないし。

正田:あ、そうですか(笑)

河野:さっきの「クールな能力評価」みたいなもので、喜んでもあまり役に立たないじゃないですか。

正田:それは、先生やっぱり健全な方だと思います。承認欲求が極端に強くないということは。
技量が優れているかどうかは別に、例えば大学教授であられたり著書を出版されたり、あるいはファシリテーターとして人前に出るということでも、普通以上に承認欲求が満たされていらっしゃると思いますよ。

河野:認められたいというのは何かに帰属したいということなのか仲間として認められたいということなのか。あとは優位に立ちたいということなのか。

正田:仲間と認められたいというのは健全な承認欲求の範囲だと思うんです。むしろそれくらいはみんなに持っていてほしい。ただ近年はスマホの普及もあって若い人に「空気を読む」というのが蔓延して、「仲間と認められたい」が高じて「仲間から排除されるのが怖い」という、後ろ向きの承認欲求が目立つようになっていますが。

河野:そうですね。
 多分、上位にいなければ仲間でいられない、と思っているのかなあ。

正田:スクールカーストの問題とかはまさにそうですね。
 自己顕示欲に関しては、ナルシシストにとっては他人が注目されたら自分は注目されない、幸せがトレードオフなんですよ。

河野:ああなるほど。ゼロサムなんですね。なぜそうなんですかね。

正田:わかりません。

河野:そこの発想おもしろいじゃないですか。誰かが注目されたら誰かが注目されなくなるというのは。こう、奪うものなんですね、きっとね。愛の総量みたいなものがあって、奪うものなんですよ。そういう経験をどこかでしているかもわからない。
 先天的なものって「変わらない」という意味だけであって、どういう行動パターンなのかというのはまた考えなきゃいけないですよね。脳がこうだからというのは後付けの話にすぎないので、それはそうなんだではなくて、それを変える手段というのはきっとあると思うんですよ。

正田:そうですね。
 あ、考えてみたら団塊の世代にはナルシシズムの強い人が多いですね。ベビーブームで一学級が50人も60人もいて教室からあふれ出すようにして授業していた、学校時代も就職してからもひときわ数が多かった中で注目されるために血道を上げてきた、その闘いの勝者として勝ち残った人たちはナルシシズムの匂いをぷんぷんさせ、少し下の世代を威嚇して委縮させ思考能力を奪ってきましたし定年後も現役世代に影響力を持ちたがる人たちが多い。介護職の人たちは、団塊の世代が要介護者になることに戦々恐々としていますけれども。
ということは世代的な特徴があるということは、ある環境の下で育つとそうなりやすいということですよね。

河野:そうですね。承認欲求は誰にでもあって、かつそれの強い気質をもった人というのはいるかもしれないけれど、度を超えるというのは多分、社会的な要因じゃないかなと。
統合失調症みたいに、器質性の病と言われていたものが最近環境要因が大きいことがわかってきたので、やっぱり環境要因が大きいんじゃないかなと思うんです。

正田:ああ、そうですか。統合失調症が。

河野:統合失調症ってしかも、社会的な病のような気がしています。ある社会では出ないんじゃないか。今の統合失調症は昔と違ってきてそれほど重症ではない。50年代にヨーロッパで撮った統合失調症の映像をみると一発で「これは統合失調症ですね」とわかるくらいはっきりしている。今はあまりそんなにわかりやすく出てこないんです。軽くなってる。軽くなってるけれども、それほど重症じゃない。
だから、統合失調症になる気質というのはどこかにあり続けてるんですけれども、表出の仕方は随分社会によって変わってくるだろうと思うんです。

正田:一昨年インタビューした遺伝子学者の方によると、統合失調症になりやすい遺伝子はあるんだそうですけれどもそれがオンになるか、それとも一生スイッチが入らないで生きられるかは食べ物が関係するんだという研究が最近まとまったということでしたね。ただそれだけではないだろうと思います。やはり食べ物以外に社会関係、人間関係が影響するのだろうと思います。

河野:同じようにナルシシズムも誰もが持っているし強い人もいるかもしれないけれども、それがどんな形で出てくるかというのはやっぱり社会的な要因で、こじれてしまったらなかなか人間って歳を取ると変わりにくくなるかもしれない。
さっきの女優さんみたいにうまくそれを自分で統御して、自分の職業にプラスにしている人もいます。
まあこちらの『当事者研究』にあるように、今の状態からどうするかが問題なんであって、原因を問うても仕方がない気がしますね。

正田:はい。

河野:まあそういうのは、自分で問題を認識することがないと、不幸ですよね。周りの対処の仕方があると思うんだけれども、自分はこうこうで、と思っちゃってるんだということを知る必要がありますよね。

正田:そうですよね。
 ナルシシズム形成に教育の影響も結構大きくて、わたしどもが猛省しないといけないところです。
コーチングも心理学の端くれをやっていますけれども、世間一般にある心理学セミナーの類に好んで通う人にもナルシシストの人はよくみられます。「ありのままの自分を受け入れましょう」「強みを活かしましょう」「自分の本質を感じましょう」といった言辞が、ナルシシストの人には甘美に響いてしまうので、わたしどもそこには非常に注意を払っています。心理学セミナーに行った人がナルシシストの顔になって帰ってくることは多いです。当協会から他流派に流れてしまう人にはそのパターンが多いです(苦笑)
 だからわが社、厳しいですよ。「承認」のトレーニングはある意味、他人の美点に目を留めよ、外界の素朴な観察者であれ、ということを強く言っているので、リーダーがナルシシズム、自分の美点にばかり関心がいくということにはなりにくいプログラムではありますね。



■「問題に気づく場」について


河野:
ナルシシズムにしても発達障害にしても、問題のある人は見ているとある程度わかるので。対処の仕方をある程度人によって変えられますよね。
 だからやっぱり周りも認識しているかどうかが大きい気がしますね。ぴんとくるかという。
 大学にいるとそういう子を沢山みるので、ぴんときますけれどね。

正田:ああそうですか。沢山ご覧になっているから。

河野:センサーを働かせる機会が多かったので段々わかってきた感じですね。
 大学だと学生相談があって、そこでは勉強の相談ももちろんあります。「授業が難しくてついていけません」とか「どういう風に履修したらいいでしょうか」というのも。あとは生活上の相談ですが、大体二分されていて、経済的な問題か、障害あるいは精神疾患なんです。まあ本当の体の病気の場合もありますけれどね。大体病気か、金銭問題かの2パターンです。金銭問題のほうはお金のことを考えるという対処になります。
 病気の場合は来ただけでOKなんです。自分で何か問題があると思ってきているので。で対処のしようもあるんですけど。そうじゃない場合は大変ですよね。

正田:そうですよね。先生、例えば研究室に来られる学生さんで、本人は自覚してないけどこういう問題がありそうだと思われたときってどうなさってますか。

河野:特別なことはしませんね。ただ、こういうの(当事者研究など)を扱うことが多いので、本人たちが段々気がついてきますけれどね。

正田:ああそうかそうか、先生の研究室の場合は研究対象がこうでいらっしゃるから。

河野:ある場合は、ですね。軽ければ、僕も自閉症の当事者研究などをみて、ああわかる、ということが結構あるわけで、逆に「全然これわからない」という人は何らかのセンサーが鈍いんじゃないかと思います。人間の何かの普遍的な傾向というのが強く出たのが自閉症という病気だと思うので、これ(当事者研究など)読んでも全然自分と関係ないという人はちょっと鈍い。もしかして色んなことに気がついてないんじゃないかと。

正田:そうですね。
 以前、職場で「発達障碍者いじめ」というケースに遭って、あわてて綾屋紗月さんの本を紹介したり色んなことをやったんですが、みているとやっぱりそれをやるいじめ主のほうも、「いじめっ子傾向」というんですか、ある意味他人の痛みに気がつかないとか他人の問題に腹がたつことを抑えられないとかいう、障害と言えるかもしれないものを持っているわけですね。

河野:結構同種だったりするし、本人が問題を抱えている場合もある。多いですね。
自分のそれに気がつきたくないんですよね。

正田:ああ、おっしゃる通りですね。

河野:それを、本人にも気がつかせるといい。「なぜこの人のこれを問題だと思うんですか?」って、哲学対話で洗い出すことができると思うんです。
「どうしてこうなんですか」「どうしてこうだと思ったんですか」訊いていくと自分の問題にも気がつくと思うんです。

正田:去年河野先生主催の哲学対話のシンポジウムに行かしていただいて、まだ全部消化しきれてないんですけれども、何とかコーチングの中にも取り入れられないかなあと思いながら。

河野:はい。1人1人のことをよく聴く、よく理解するためにはすごく役に立つと思います。心理学のカウンセリングではないので、今与えられた状態をそのまま受け入れたうえでどうするか。
「あなたこういう病気です」ではなくて、まさに自己診断の病名をつけるのが一番大切なんです。この「べてるの家」に先々週も行ってきたんですけれども、そこで一番大切なのは、自分で自己診断をつけること。「統合失調症です」じゃなくて、自分で「何とか何とかタイプの病気です」と、自分で問題を自己診断することが大切。それが第一歩なんですよね。
 だからそこを何とか、対話で見つけるということができるんじゃないですかね…。
 何のいい悪いの価値判断もない、腹を割った話し合いができるといいんじゃないですかね。職場での問題というのを単に話し合うと。そんなことをやってみてもいいかなあと思うんですよね。沢山出てくると思うんですよね。

正田:出ると思います。

河野:それをフラットに上下なくちゃんと話し合える場。
 うちの学生で就職が最初難しくて4年やって今度編入で入ってきた、編入は3年へ編入する。そうすると3年から入るともう、哲学対話しかやらない。すると今度の就職のときすごく楽になった。

正田:ほう、ほう。

河野:なぜかというと、自分が何を求めているかが解りやすくなったし、相手のことも解りやすくなったし、表現、自己開示もしやすくなったので、すごく就職も簡単だったと。昔就職活動やって苦しんだのと比べてずっと楽になったと。やっぱり効果はあるなと思うんです。

正田:そうですか、それはすごいです。


(6)ファシリテーターの心得と公共の場 に続く



哲学者・河野哲也氏インタビュー「生命尊重のマネジメントとは―男女、発達障害、対話、フロネシス」




(1)人はなぜ平等でなければならないのか

(2)もっともポピュラーな障害―発達障害との共生(1)

(3)「男の甘え」から「生命尊重の社会」へ―男女共同参画

(4)できないことの自覚から始まる―発達障害との共生(2)

(5)ナルシシズムは悪なのか

(6)ファシリテーターの心得と公共の場

(7)「心の理論」不在の場合の「心の疲れ」

(8)背後にあるトップの問題とフロネシス(終)



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

 立教大学教授・河野哲也氏へのインタビューの4回目です。


 お話は再度「発達障害」に戻り、自覚のむずかしさ、リーダーの適格性など突っ込んだやりとりになりました。


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哲学者・河野哲也氏インタビュー「生命尊重のマネジメント―男女、発達障害、対話、フロネシス」

(1)人はなぜ平等でなければならないのか


(2)もっともポピュラーな障害―発達障害との共生(1)

 ■発達障害は全人口の9%
 ■休憩時間問題―ADHDの子は20分しか持たない


(3)「男の甘え」から「生命尊重の社会」へ―男女共同参画

 ■日本のルールは「男の甘え」
 ■政治は女性進出で「命」と向き合う政治に
 ■海外の学会は「子連れOK」


(4)できないことの自覚から始まる―発達障害との共生(2)

 ■リーダーは教育者でなければならない
 ■「対人関係の問題は認知上の問題」(河野)
  「くっつきやすくはがれにくい問題ですね」(正田)
 ■学校が排除してきたから職場で戸惑う
 ■大企業から中小企業への流入
 ■自分の問題にどう向き合うか
 ■「できない」ことの自覚ができない壁


(5)ナルシシズムは悪なのか

 ■ナルシシズムは氏か育ちか
 ■女優さんと政治家はナルシシストの職業
 ■性欲、権力欲、自己顕示欲、嘘つき
 ■自分の弱点に気づく知性
 ■承認欲求に関わる環境要因
 ■「問題に気づく場」について


(6)ファシリテーターの心得と公共の場
 ■「マネージャーがファシリテーターであることが大事」(正田)
  「僕は『自分は間違っているかもしれない』と思って臨みます」(河野)
 ■”おじさま参加者”をどう扱うか
 ■評価されることのない、ものを言える場を
 ■最もガードが固いのは「お母さん」


(7)心の理論不在の場合の「心の疲れ」
 ■職場は「共通善」を追求する場


(8)背後にあるトップの問題とフロネシス

 ■オーナー企業の閉塞感
 ■組織は良くも悪くもトップ次第
 ■フロネシスをもつリーダーと承認教育


(ききて:正田佐与、撮影:山口裕史)


****


(4)できないことの自覚から始まる―発達障害との共生(2)

■リーダーは教育者でなければならない



河野:ちょっと発達障害の話に戻りますが。

正田:先ほどのリーダーの適格性の問題で、もう1つそこにはあって、リーダーの機能であるケアっていう、メンバーをケアするという、そこを彼はあまり果たしていないわけですね。それもあって降格というのを言ったんですけれども。

河野:なるほどね。確かに教育者であることがリーダーということですよね。何でもかんでも自分でやるのがリーダーじゃなくて、それは一匹狼なので、リーダーというのは、色んな人の能力を上げてあげて、上げることによって仕事を上手くいかせるのがリーダーだとすると、まあご専門であるコーチングだと思うんですよね、リーダーとは。コーチして教育するのがリーダーの役割だと。
 それが上手くないということであれば、降格されても仕方ないなーと思うんですけれども、ただその人は、今までそれでずっとやってきてしまったんです。で多分その人のことを心開かせてあれすると、能力が高いにもかかわらず、自分のその部分というのはなかなか上手く向き合ったり社会化することができなくて、そこでこう、バンバンやることを中心にしちゃったんじゃないですかね。

正田:うん、大量生産の時代ってそれで良かったみたいなんですよね。

河野:そうですよね。今は大量生産の時代じゃなくて、人と人とのお付き合いが大切ですし、ま、ちょっと変わってきてるので、そういう発達障害系のリーダーの方以外にもそういう人は沢山いるんだと思うんです。工場でうまくバンバン作ってればよかった時代と、それは開発途上国時代ですよね。今は大分違うと思うんですよね。 

正田:河野先生のおっしゃる通り、「リーダー、マネージャーとはこういう要件を満たすものであること」という基準を設ければ、それを満たさない人は障害の有無にかかわらず降格、あるいは昇進させない、ということは可能ではないかと思います。それは決して差別ではない。
 発達障害の人の多い研究機関などはかなりこの問題に気がついていて、明らかにマネージャーに向いていない人はマネージャー職でなく専門職の別のコースにする、そういう判断は今、普通に行われていると思います。
 私がみてきた中では、発達障害を見いだされないまま、その人自身がリーダー、マネージャーになっているケースも現在はまだまだいっぱいあって、その場合はその下の人が非常に苦しむ。発達障害の方は、判断能力、ケアの能力いずれにも問題を抱えているので、下の人がどんどん心を病んで退職する、ということが起きてしまいます。判断能力の問題でいえば、全体を視野に入れて適切な判断をする、というのはこの人たちには無理難題で、努力しても恐らく身に着けられないことなんです。例えばわかりやすい記号に目が向きやすいので、みていると男尊女卑を自然と選択していることも多いです。また時間管理能力が低いので平気で遅くまで残業してしまう、それで部署全体が残業が多くなってしまう。突然怒り出してパワハラの加害者になってしまうこともある。障害があるのであればこうした人たち自身の責任ではないのかもしれませんが、こうした人をリーダー、マネージャーに登用すること自体がその人自身も部下も不幸にしてしまうとすら思います。


■「対人関係の問題は認知上の問題」(河野)
    「くっつきやすくはがれにくい問題ですね」(正田)


河野:
発達障害の人って、自閉症だからと言って、まあこっちの本にも書きましたけれど、対人関係が最初から、これ本当に間違いなんじゃないかと思うんですけれど、社会性の障害というか、社会的な関係を作ることの障害だといいますよね。それは私は間違いだと思うんです。

正田:えー、私社会性ってこと自体よくわからない…。

河野:やっぱり基本的に、綾屋紗月さんが書いているように認知上の問題点なんですよね。全体をバランス良く見ることができなくて、ちょっと細かい部分に集中しちゃう。それであるがゆえに言葉の意味も1こ1こ、コンピュータみたいに確かめないと気が済まなかったり。

正田:へへへ(笑)

河野:部分でもあんまり細かいことに気をとられすぎていて、そこにこう入れ込んでしまって、全体として大きく見なければいけないものをそっちに行ってしまう。
綾屋さんは自分の旦那である熊谷さんの顔すらも、誰だろうと思うそうですからね(笑)それぐらい細かい部分、例えば眉毛をクローズアップしちゃって、この眉毛は大島優子と似てるとか(笑)この人だれだっけ?と思うらしいです。

正田:ハハハ(笑)

河野:で、やっとそこから離れて、ああ、なんだ旦那だった、と思うらしいです。確かにそういう問題があると、対人関係の難しさは出てきますよね。だから、どっちかというと認知上の問題が対人関係の問題を引き起こしてるんじゃないかなと思うんですよね。

正田:認知上の問題、細部に注意がくっつきやすく、一度くっつくとはがれにくい、という問題ですね。
付き合いやすさでいうとアスペルガーの中にも「他者配慮型アスペルガー」と言われる区分の人たちがいて、そういう人たちだとアスペルガーでも非常に付き合いやすい。綾屋さんなどはそうなんだろうと思います。ただそういう人たちだけでもないな、という気がします。

河野:ともかくそれは、何か医療的な処置で治るようなものではない。自分の問題というのは自分でどういうふうに改良していったらいいのか、と考えるしかないと思うんですよね。
ただ職場でそういうふうにするというのは必ずしも同じような人が集まっているわけじゃないので、どうしたらいいのかということですよね。

正田:そこがですね、生身の上位の人、リーダーの人が定型発達者だとして、やっぱりそこまでの知識を持てない。まあ今企業の中の教育も非常に貧弱なんですけれども、対人理解のノウハウとか心構えとかそういったものをまったく教われないんですよ。


■学校が排除してきたから職場で戸惑う


河野:
学校がそれまで発達障害の人って排除してきちゃったので、結局特別支援学級に入れちゃってた。そうすると色んな人が教室の中にいなかったので、いわば先生が授業をやりやすいような子どもを作ってきたわけですよね。

正田:先生、そこは例えば40人学級とか学級の定員の問題まで踏み込まないと。

河野:大きいですよね、大きい。40人というのは大きすぎますよね。

正田:はい。

河野:やっぱり先進国は20人なので、比較にならないですよね。40人だと面倒を見きれないし、先生がパンクしちゃうと思うんですよね。
そこがあるのと、ドイツと日本ってそのへん考え方が似てるんですけど、障害の子を別にしてやると上手くいくと思ってるんですよね。でも上手くいかないし、子どもたち自体何も学ばないし、先生も何も学ばないんですよ。

正田:ああ、そうですか。

河野:そうすると同じようなものを同じようにやってスムーズに流れるものだけを経験してしまうと、ちょっと違ったタイプの人とかちょっと困ったタイプの人とかどうしていいかわからなくて、すごくストレスになってしまう。だからそういう人入ってくるな、ってなお排除的になるサイクルになっちゃうと思うんですよね。
 職場での対応では、私自身ではなく私の学生で今度博士課程に入った若手の研究者がいますけれど、彼女は特別支援学校にいてそこからNPOを作って障害をもったお子さんの就労支援をやってるんですよね。今までは人から愛される障碍者、みたいなのを作って(笑)定められた作業所にどういうふうに入れるか、というスタンスだったんですけど、彼女が今取材していて研究している職場というのはまったく普通の企業で、どんどん受け入れるんです。

正田:ほう。特例子会社でもないんですか。

河野:はい。パン屋さんなんです。特別なことをしているわけではなくて、普通に回して普通に儲かってるんです。大きく儲かってるんです。これは使えるというんで、ザクザク優秀な人が就職できないでいるんで、こっち来てくれとどんどん雇っているという状態なんです。その社長さんは僕直接お会いしたことない、今度お会いするんですけど、やっぱりこの人がどういう特性なのかと見て、適材適所に合わせたり、教育ももちろんしなきゃいけないし、職場の学びであるとかも配分の仕方が非常に適切であると。まあそれで上手く活かせてるというところはあるようなんですよね。
 発達障害に関してはどこでも沢山いるし、僕は増えているんだと思うんです。

正田:やっぱり増えてますか。

河野:生理的な何かの損傷だといわれていますけど、結構怪しくて何か原因ははっきりしない。

正田:愛着障害説というのもありますよね。

河野:はい。ただ、1つの原因によるものじゃないと思うんですよね。そして何らかの因子を持っているものが、社会の中でそれが進んじゃうという風に僕はとらえています。社会の在り方によって、誰でも癌にはなるし癌になりやすい人とあんまりなりにくい人はいるけれども、がんがん酒ばっかり飲んでれば肝硬変になっちゃうとかね、そういう話と似たようなもんじゃないかと思うんですよね。社会のその人に対する扱いが悪ければ、その問題が顕在化してくるということがあると思います。
 逆に、もしかしてこの人は軽く問題があったのかもしれないけれど上手く解消されているな、という場合も沢山あると思います。
 学者ってかなりの割合が発達障害ですよね(笑)。教授会とか行ったら9割ぐらい発達障害。

一同:(笑)

河野:いやいや、それでも何とか生きてますけど(笑)立派に社会人を務めてますけれどね、そこをどういうふうにしていくかというのは、今までは障碍者・健常者を分けて専門家が教える。しかし自分たちで問題を見つけていって話し合いとかでオープンに話し合って問題を自分たちで解決していくというカルチャーを作ったほうがいいのじゃないか。


■自分の問題にどう向き合うか

正田:
先生すみません、そのパン屋さんのような世界が広がるといいなと思うんですけど、現実世界の方に目を戻すと、私がよくみるパターンとしては、大企業から中小企業にどんどん発達障害系の方、その傾向をもった方を出向させたり、リストラしてしまって転職させたり、そういう人材の流入が中小企業にすごく起こっていて、なのに中小企業では教育が貧弱なので、そういう人たちにどう対応するかというのはまったくわからない。その人たち自身も自覚がないのでプライドだけは高くて、非常に職場でいやな人になっている。

河野:そうですね、わかります。それは大きな問題ですよね。例えば障碍者割り当て制度みたいなものがありますけれど、あれは例えば視覚障害だとか、杖ついてるとかはっきりしてるし、大企業のほうも断りきれない。とにかく連続体で、だれが発達障害ってはっきりわからないので、とにかく扱いづらい人をリストラして中小企業にくるという形になってるんでしょ?どういう風にしたらいいんですかね。大きな問題ですよね。
 それは何か、1つの会社だけで取り組めることではなくて、大きく社会で取り組むべきことじゃないかと。つまり成人教育の分野で、大人のための発達障害の本で今、たくさん増えてますよね。これを気がついてどうすればいいかというのを考えていかないといけないんですけど、中小企業だと時間もないし、人手もないし、そんな悠長なことやってられないのかもしれないですね。それはどうしたらいいですかね。本当にそこのところは一体どうしたらいいのかなと思いますね。
 理想的な状況でこうするんだ、とは言えるんですけど、現場の状況の中でどんな形で作っていったらいいんだ、と。どうしたらいいんですかねえ。

正田:どうしたらいいんですかねえ。
 最近もフェイスブックにお友達がコメントしてくれたのが、2人職場で、本当に小規模事業所で、でも相方が恐らく発達障害であると。いつもストレスを私にぶつけてきて非常に苦痛だと。相方は診断を受けている人ではないので自分の問題には気がついていないと。

河野:ということはまず自分の問題に気付かせる過程って一番大切ですよね。そう思いますね。それができれば、自分の問題どうしたらいいかと見つめることによって、やり方を考えるということができますよね。その意味で障害識というか、問題識、問題の意識をちゃんと持てるかですよね。そこがポイントですよね。

正田:それが本当に悩ましいところで。

河野:私も大学でやっぱり相談を受けるんですけれどもそこが一番のポイントですよね。重い場合だと統合失調症でもなかなか認めないし、発達障害の中でも。
 うちの学生の中でもああ私そうだったんだ、と気がついた、向き合うことができました、とリアクションペーパーを書いてきてくれたのはどういう授業だったかというと、障害をもった人たちが自分で「こういう問題があります」と語ったときなんですよ。
 私がやっている授業の中でこの中の綾屋さんも熊谷(晋一郎)さんもスポット的に授業内講師として来てくれたんです。話を1時間とか、してもらうわけです。そのときのリアクションペーパーで、「あ、私も多分綾屋さんと同じだ、私も多分発達障害だということがわかった」とか、「色々自分で本を読めるようになりました」とか、自分の今までの問題で人からとにかく責められていて自分はダメな人間だ、ルーザーだと思ってました、だけどもしかして、軽い綾屋さんなんじゃないかなーと思うようになりました、と。300人教室なんで、10何名かいたんですよ。

正田:ほお〜。綾屋さんの文章は価値ありますね。私もあれを読んだとき、「お友達がこういう風に言ってくれたら私この人と付き合えるのに」と思っちゃいました。

河野:そうですよね。ああいった例を、身近で話してもらうというのは結構大切かなと思いました。授業の中でそれができるかどうかわかりませんけど、自分が苦労して、同じような傾向をもった人が、実を言うと自分はこういう問題があって、こういった形で苦労してきてこんな形で問題と向き合ってるんだ、という。「ピア」(水平、仲間)っていいますよね、その人たちに話してもらうことで変わるんじゃないかなと。それが1つきっかけになるんじゃないかと思うんです。
 その何人かが僕のゼミに来てくれて、今修士まで行って勉強しようということになってるんですよね。でまたその学生たちがやりたいと思っているのが、学校の中でこういった問題を持っている先生たちに気付いてほしいと。それをどういう風に気付いてもらえるかというのともう1つは職場のこと。
そういうのを、自己開示する中で気付いていく。それこそ定型発達の人から頭ごなしに「おかしいです」って言われたら反発する。多分同じような人が言ったときに全然違う反応になるんじゃないかなと思います。そういう機会がつくれないかなと思うんです。

正田:はい。それはいいですね。

河野:1つはもちろん、社会的にはTVでやるべきなんですよね。TVで何か訴えることによって、マスコミがやることによって「ああ自分こうかもしれない」。
 もう1つは大学とかで、小中高の教育を受ける中で「自分はこういう経験をしてきていて」というと、ああ自分もそうかもしれない、と思いますよね。
 何度も言うように治療は何の役にも立たない。診断されてもそれで何かできるわけではないので、診断は必要ないんじゃないかと思います。ただ今この状態になったらこういう興奮状態になってこうするとか、自分で引きこもりたいときになったらこうするとか、そんなような対処法をすると随分違うと思うんです。
「自分はそうなんだ」と認めさせるのは、やっぱり似た者、似た人が言ってもらうのがいいんじゃないかと思います。どうですかね。
 その機会が、小さい事業所だとないんじゃないかと思います。大企業ならきっと可能です。研修で。

正田:そうですね。

河野:小さければ小さいほど、時間も作れないでしょうしお忙しいでしょうし、少ない人数で沢山の仕事をこなさなきゃいけない。人間関係も狭いとすると、苦労してしまいますよね。

正田:そうですね。むしろ発達障害やその傾向のある人たちは大企業のほうが生きやすかったんじゃないかと見ていて思います。

河野:ただ大企業の方も苦しいでしょうから、下から数えて働きが上手くない人とか付き合いづらい人とかをカットしていくと(発達障害が)入っちゃうんですよね。
「自分はこうしてきた」ということを誰かに語ってもらうのが一番いいのではないかと思います。あんまり近いと良くない、ある程度距離を置いた人に語ってもらって「ああそうなんだ」「自分もそうかもな」というところがあるといいですよね。
 ただそれに関してはあまり研究がありません。どういう風に就労するかというのはあるんだけれど、本人にどう自覚させて本人に何とかというのは、今までの研究ではっきり言ってあまりないですね。
当事者がどうするかと、医者がどうするか先生がどうするかの話ばかりで、本人がどうするかについてはないと思いますね。
 ようやく今社会人向けにいくつかの本が出てきたので、今後はそういうのをやっていかなきゃいけないところだと思うんです。
 一つの手立てとしては、当事者研究みたいに、似た人から言われると随分違うんじゃないかと。そういう機会を中小企業でどう作るのかというのは、中小企業のことは全然わからないので、ちょっと見当もつきません。どうしたらいいですかね。

正田:中小企業を対象とした公的支援機関というのは一応複数コンタクトはありますが…、できることとしてはわたしどもの手法で「業績向上策はこれですよ」という中で、これの1つのカテゴリーとして障碍者への対応があってまた発達障害者への対応がある、そんな形でしか言えないですね。
  診断されていない自分の問題に気がついていない発達障害の人にどう気づいてもらうか、ということですが、私は以前、「第三者機関」が判定するモデルをつくれないか、夢想したことはあります。就労して間もない人、1年生か2年生社員の人たちに集まってもらって仕事能力検定のようなことをして、そこで発達障害の疑いありとされた人は、改めて職場を通じて医療機関の受診を勧めてもらう。あるいはその会社に来ている産業医の先生から勧めてもらうのでもいいんですが、診断を勧めるうえで責任を分散するような仕組みがいるのかな、という気がします。でないとすぐパワハラ、メンタルヘルスの問題に発展する可能性があります。

河野:そうですね…、本人自身に自覚を持たせてというのは、今まで拒否されてきた経験があるからかえってプライドがあって、「自分は平均なんだ標準なんだ」という気持ちがすごく強くあると思うんですよ。

正田:学歴の高い人などはまったくそうですね。

河野:はい。自分は優れてるんだとそっちに頼ってしまう。他のところで問題があるからなおそちらに頼ってしまうということがあるかもしれません。そこをどうしたら向かい合ってもらえるかですよね。
周りもやるんだけど本人にもやってほしいですよね。


■「できない」ことを自覚できないのが悩みの種

河野:
先ほどのケース以外にはどんなケースがありますか?これは困った、というのはあります?

正田:沢山あります。例えば、やはり製造現場のリーダーが「女性は難しいですねー」というので「どう難しいの?」と訊いたら、やっぱりそのケースは発達障害だった。「女性発達障害」の方もよくみるとびっくりするぐらい多いんですけれども、現場の女性作業者のかたが、仕事メニューの中のごく一部の得意なやつしかこなせない。それは作業場の掃除であったり物の運搬であったり。そういうことは進んでやってくれるしよくやってくれる。ところがほかの、製造のほうの本当の作業は、本人はやりたがるけれどやらすとミスが多くてやらせられない。ただ「君ミスが多いよね」と言っても本人はそれを認めないので、自分の要求を通してもらえないと不満だけが残る、と。

河野:なるほどねえ、どうしたらいいですかねえ。「こういう風なミスしてるじゃないですか?」と言ってもなかなかわかってくれないわけですか。

正田:そこは言ってるみたいなんです。

河野:どういう状態なのかな、本人がミスと思ってないのか、ミスだとわかっているけど突っぱねちゃってるのか、どっちなんでしょう。

正田:ひょっとしたら私にも罪があるのかなあと思ってしまって、つまり「承認」をリーダーに教えるので、物を運搬したり作業場を掃除してくれたりしたらねぎらってあげて、「ありがとう」と言ったり「きれいにできたね」と言ったりします。そこで高揚感のようなものを(作業者が)持ってしまうとほかのこともできると思っちゃうのかなあ、と。

河野:うーん…そうすると、自己肯定感がそれまで十分になかったのかもしれませんねえ。「成長する」ということは、出来ることと出来ないことを分ける。「クールな自信」を持つことですよね。

正田:クールな自信ですか。むずかしいですねえ(笑)

河野:これは出来て、これは出来ないと。出来ることが増えると逆に出来ないことも増える。それを客観的に見れる自信。自信というか能力に対する予測みたいな感じですかね。それが形成されづらかった。
スポーツ選手って正確にそれを測るものじゃないですか。このジャンプは跳べるけれどここは難しいからちょっと無理しないとか、このジャンプは今日の天候だとあまり無理しないほうがいいとか、クールに測るのがソチオリンピックの人たちかなと思ったんですけれども、だからその人などは上手くいくいかないということについての経験が足りないんじゃないかな。だから何でも上手くいくと思っちゃう。ある部分で褒められるんだけど、ここは上手くいってないというのはなかなか受け入れられないのかなあ。ちょっとわからないですね。

正田:現実には「自分の能力不足に気づいていない発達障害の人」は沢山いらっしゃるみたいなんです。そこでマネジメントに対する不満も起こり、関係がこじれるようで、現場にとっては非常に頭の痛い問題です。


(5)ナルシシズムは悪なのか に続く


哲学者・河野哲也氏インタビュー「生命尊重のマネジメントとは―男女、発達障害、対話、フロネシス」




(1)人はなぜ平等でなければならないのか

(2)もっともポピュラーな障害―発達障害との共生(1)

(3)「男の甘え」から「生命尊重の社会」へ―男女共同参画

(4)できないことの自覚から始まる―発達障害との共生(2)

(5)ナルシシズムは悪なのか

(6)ファシリテーターの心得と公共の場

(7)「心の理論」不在の場合の「心の疲れ」

(8)背後にあるトップの問題とフロネシス(終)



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

 立教大学教授・河野哲也氏インタビューの3回目です。

 
 ここでは、わが国では遅れに遅れ、アベノミクスでやっと重い腰を上げつつある?「男女共同参画」について語り合いました。

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0753



哲学者・河野哲也氏インタビュー「生命尊重のマネジメント―男女、発達障害、対話、フロネシス」

(1)人はなぜ平等でなければならないのか


(2)もっともポピュラーな障害―発達障害との共生(1)

 ■発達障害は全人口の9%
 ■休憩時間問題―ADHDの子は20分しか持たない


(3)「男の甘え」から「生命尊重の社会」へ―男女共同参画

 ■日本のルールは「男の甘え」
 ■政治は女性進出で「命」と向き合う政治に
 ■海外の学会は「子連れOK」


(4)できないことの自覚から始まる―発達障害との共生(2)

 ■リーダーは教育者でなければならない
 ■「対人関係の問題は認知上の問題」(河野)
  「くっつきやすくはがれにくい問題ですね」(正田)
 ■学校が排除してきたから職場で戸惑う
 ■大企業から中小企業への流入
 ■自分の問題にどう向き合うか
 ■「できない」ことの自覚ができない壁


(5)ナルシシズムは悪なのか

 ■ナルシシズムは氏か育ちか
 ■女優さんと政治家はナルシシストの職業
 ■性欲、権力欲、自己顕示欲、嘘つき
 ■自分の弱点に気づく知性
 ■承認欲求に関わる環境要因
 ■「問題に気づく場」について


(6)ファシリテーターの心得と公共の場
 ■「マネージャーがファシリテーターであることが大事」(正田)
  「僕は『自分は間違っているかもしれない』と思って臨みます」(河野)
 ■”おじさま参加者”をどう扱うか
 ■評価されることのない、ものを言える場を
 ■最もガードが固いのは「お母さん」


(7)心の理論不在の場合の「心の疲れ」
 ■職場は「共通善」を追求する場


(8)背後にあるトップの問題とフロネシス

 ■オーナー企業の閉塞感
 ■組織は良くも悪くもトップ次第
 ■フロネシスをもつリーダーと承認教育


(ききて:正田佐与、撮影:山口裕史)


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(3)「男の甘え」から「生命尊重の社会」へ―男女共同参画
■日本のルールは「男の甘え」



河野:そういう風にしないと、例えば今男性・女性で言うと、仕事している女性は多いけれど、女性が高い地位に居られない日本の問題ってありますよね。
 日本は女性参画率がさまざまな国際調査指標で105位ぐらい。評判の悪い中東の国よりも女性が働きにくい国になっている。それは男性基準でルールを作っているからなんですよ。

正田:おっしゃる通りですね。

河野:女性というのは周期的に体が悪くなったりするものだし、もう1つは出産というものを経るもので、しかもそれはやはりある程度若いうちに経験しないときつくなってしまう。かつ、そういう人たちからわれわれ産まれたわけですから、それを否定するわけにはいかないわけですよ。そういった人たちも仕事をしていくんだというのは、当たり前のことなので、それを含んだルールにしなきゃいけない。今のルールというのは男の一部の人間たちが基準で、しかも母親や奥さんに支えられている男ができるルールになっているわけです。「甘えた」ルールになっているんです。

正田:フフフ、「甘え」の問題は私もしょっちゅう突き当ります(苦笑)。

河野:はい。それは今の男性というのは非常に甘えていて、甘えた男たちを基準としたルールになっていると思います。

正田:先生についてのルーツ的なものをお伺いしてもいいでしょうか。私たちは兵庫県だから余計でしょうか、神戸市は政令指定都市の中で専業主婦率が一番高いまちなんです。

河野:そうですか。

正田:そうなんです。兵庫県全体も女性の就労率というのは高くないです。その風土の中にどっぷり浸かっていますとね、男性というのは自分の有利なように社会を設計するのが当たり前なんだと、私の頭の中にもあるわけですね。それにガーガー文句を言ってるんですけれども(笑)
 なので、河野先生にとって何故そちらのほうが自然なのかというのは非常に興味深いです。

河野:私の母も専業主婦ではありましたが、ひとつには僕の祖父も戦前から戦後ずっと。小さいながら会社をやっていた。製紙業です。社長宅というのは工場の人も来るし銀行の人も来るし。祖母も副社長というわけではないんだけれども、秘書的な役割をやらなきゃいけない。そうすると主婦でもあるけれども仕事をするというのは結構あって、かつ祖母の妹も会社の社長だったりしたので、女性で仕事をやっているというのは当時からすると先進的な人たちだったかもしれない。だからそんなに違和感はないです。

正田:なるほどー。

河野:何でしょうね、主婦って独特の感じだな。家が大きくなるとお手伝いさんとかいるから、主婦的な業というのはほかの人がやりますよね。サラリーマンになって女性が1人という形で主婦ってできるんじゃないですかね。逆にもう少し地方だと、農家になってしまうと、奥さんも野良仕事をやると。
 あと商店だと奥さんもお店に出るということがありますよね。だから専業主婦というのは、サラリーマン化した、比較的最近のカルチャーじゃないかと思うんですけどね。

正田:そうですね。日本では明治大正のときにその専業主婦という職業の人ができて、それを昭和にずっと温存したんですよね。スウェーデンとかは1940年代ぐらいから男女共同参画をやっていて、そのあたりからもう大きく分かれてしまったんですよね。


■政治は女性進出で「命」と向き合う政治に


河野:
そうです、そうです。今日本の場合多くの場合女性の進出が弱いからだと思うんです。原因として。
政治家も10%ぐらいしかいないでしょ。やっぱり半分近くはいかないと嘘じゃないかと思うんですよね。そうすると全然変わると思うんですけど、政治も。

正田:政治はどう変わるでしょうか。

河野:やっぱり基本的に関心の対象が変わってくるでしょうし、都知事になった舛添さんって昔は随分剛直なことを言う人だったけれど、お母さんかなんかの介護をみられるようになって、随分柔らかくなったと思うんですよね。その時から随分変わったなという印象がありました。本当かどうかわからないけど、直接会ったことがないから(笑)
 でも印象として言ってることが変わった気がするんです。それまでは「強い国家」みたいなことを言う勝気な人だったけれども、お母さんの介護をやるようになってから、随分考え方が柔らかくなったし「命」というものを近く感じるようになった。僕は好ましいことだと思ったんですよね。
 そんな要素が入ってくるし、あと家庭のこととかケアのこととか両親も年とるわけだから、そういうことを全部女性に全部押しつけて、企業とか大きな社会の発展の方を男が担って、という図式がなくなるんじゃないか。もう少し生活と仕事というのはバランスよく考えなきゃいけないところがあるし、もっとほかのことに目が向くようになるんじゃないか。
 もちろん男性と女性の生理的な差があると思うんですけれど、そこを含みこんでルールを作っていくというふうに世の中変わってくるんじゃないか。
 大学もそうですし、企業もそうだと思いますので。
 アベノミクスを待つまでもなく、女性の進出が今後の日本の変化の鍵だと思っています。


■海外の学会は子連れ参加OK

正田:
先生はこの間フェイスブックで高校大学の教員の男女比率を上げていらっしゃいましたね。

河野:そうです、(女性比率が)低いですね、極端に。びっくりするほど低いです。

正田:あれは何が原因だと思われます?

河野:原因はどこにあるかと1つに特定するのは難しいですけれどもやっぱりほかの社会と同じく、外で働くのが仕事で、哲学の分野で言うとびっくりするけど、僕より上の世代で「女性は哲学に向いてない」とか「考えることに向いてない」という人がいたんです。でも私の哲学の師匠は女性なので(笑)何言ってんだと思うんですけれど、まあそんな偏見があった。よく言われる「女性は感情的だ、理性的じゃない」。そんなこともないと思うんですけれども(笑)

正田:私は自分の実体験として言うと、感情的だというより向こうが挑発してくるよね、ということは結構あります(笑)

河野:そうでしょ。ある種、個人的に爆発せざるを得ないようなところに押し込められてしまう、押し込められてある意味感情的に反発するんであって、立場が別ならばそうはならないと思うんですよね。プライベートなことを言わなきゃいけないような場所に置かれているのでそういう反応になっちゃうので、(感情的だというのは)違うと思うんですよね。
 やっぱりでも外国に行って、北欧などで女性が普通に活躍してる場面をみると、いかに日本のほうが変わっているか、遅れてるかというのは実感しますね。
 北欧の障碍者の雇用でも、彼らの考え方は、働くことは人間にとって権利であるし、義務でもあると。したがってどんな重い障害があっても、働くのは当然なんだと。権利なんだと。学ぶ権利があるじゃないですか、それと同じ権利。
 社会に出ていくということが当たり前なので、社会の側が働けるような環境を整えてあげるべきだというのが、北欧のデンマークとかスウェーデンとかノルウェー、フィンランドあたりは徹底していますよね。
 収入の多い仕事でなかったとしても、どんな人でも職場にいると。まあ本当にその人が病院にいなきゃいけないような状態以外は、色んな人が職場にいるというのが当たり前で、そういったものを含めて人間なので。
元気な男もちょっと病気するとほんと弱くなってしまうんですよね。偉そうなこと言ってるんですけれども。一度病気するとすごく変わるし自分の弱さがわかるんですよね。
そういう経験をしてない、まさに甘ったれた男たちが障碍とか女性に理解がないということじゃないでしょうか。
 正田さんの「優勝劣敗と種の保存」のお話ではないですが、さっきの北欧の話ですと、やっぱり人間だから子どもが生まれなかったら途絶えてしまいますよね。

正田:北欧は子どもを大事にしますよね。

河野:びっくりするというか当たり前といえば当たり前ですが、学会では託児所じゃなくて、学会のホールに子どもさんがいるんですよ。託児所があってそこに預けるということも可能なんですけど、連れてきても構わないんです。なぜ、考えてみれば子どもが、邪魔をしなければ、職場にいちゃいけないのか。会場に子どもたちがいるんですよ。そういうのが当たり前なんだなと思って。

正田:はあ…。河野先生同世代でいらっしゃるからアグネス・チャンの子連れ出勤論争はご記憶でいらっしゃると思うんですけど、あの当時はどう思われました?

河野:はい、僕はもちろんアグネス・チャンのほうが正しいと思いました。ちょっと古いんだと思いますね、あのとき攻撃に回った林真理子さんとかは。
 働くことが神聖なこと、公(おおやけ)のこととみなして、私事(わたくしごと)よりも一段素晴らしいものだと思っているということだと思うんです。公というのは私を支えるためにある。国家もよく言われるように、個人の権利を擁護するための集団的な保険会社みたいなものですよね。
 会社というのも、言うなれば個々人の生活を上手くできて、かつ自分たちの作っている製品なりサービスなりがほかの人たちに役に立つっていう、最終的に個人の命を大切にするようなものであるならば、私事ということは、公のほうが素晴らしくて、こっちに子どもを連れていくなんてとんでもないなんておかしなことで、やっぱり生きていくことの大切さ。公のことよりそっちを大切に、逆にすべきだ。
 とするならば、子どもがいて当然だし、自分たちもそうやって育ってきたくせしてね、すっかり忘れてそんなこと言うと。私に言わせると、甘えた人間たちの考えだと。甘えるな!って言ってる人が一番甘えてるんです(笑)

正田:うん(笑)



(4)できないことの自覚から始まる―発達障害との共生(2)に続く




哲学者・河野哲也氏インタビュー「生命尊重のマネジメントとは―男女、発達障害、対話、フロネシス」




(1)人はなぜ平等でなければならないのか

(2)もっともポピュラーな障害―発達障害との共生(1)

(3)「男の甘え」から「生命尊重の社会」へ―男女共同参画

(4)できないことの自覚から始まる―発達障害との共生(2)

(5)ナルシシズムは悪なのか

(6)ファシリテーターの心得と公共の場

(7)「心の理論」不在の場合の「心の疲れ」

(8)背後にあるトップの問題とフロネシス(終)



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

 立教大学教授・河野哲也氏インタビューの2回目です。

 ここでは、雇用促進の法整備がすすむ障害、とりわけ「発達障害」についての議論になりました。

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哲学者・河野哲也氏インタビュー「生命尊重のマネジメントとは―男女、発達障害、対話、フロネシス」

(1)人はなぜ平等でなければならないのか


(2)もっともポピュラーな障害―発達障害との共生(1)

 ■発達障害は全人口の9%
 ■休憩時間問題―ADHDの子は20分しか持たない


(3)「男の甘え」から「生命尊重の社会」へ―男女共同参画

 ■日本のルールは「男の甘え」
 ■政治は女性進出で「命」と向き合う政治に
 ■海外の学会は「子連れOK」


(4)できないことの自覚から始まる―発達障害との共生(2)

 ■リーダーは教育者でなければならない
 ■「対人関係の問題は認知上の問題」(河野)
  「くっつきやすくはがれにくい問題ですね」(正田)
 ■学校が排除してきたから職場で戸惑う
 ■大企業から中小企業への流入
 ■自分の問題にどう向き合うか
 ■「できない」ことの自覚ができない壁


(5)ナルシシズムは悪なのか

 ■ナルシシズムは氏か育ちか
 ■女優さんと政治家はナルシシストの職業
 ■性欲、権力欲、自己顕示欲、嘘つき
 ■自分の弱点に気づく知性
 ■承認欲求に関わる環境要因
 ■「問題に気づく場」について


(6)ファシリテーターの心得と公共の場
 ■「マネージャーがファシリテーターであることが大事」(正田)
  「僕は『自分は間違っているかもしれない』と思って臨みます」(河野)
 ■”おじさま参加者”をどう扱うか
 ■評価されることのない、ものを言える場を
 ■最もガードが固いのは「お母さん」


(7)心の理論不在の場合の「心の疲れ」
 ■職場は「共通善」を追求する場


(8)背後にあるトップの問題とフロネシス

 ■オーナー企業の閉塞感
 ■組織は良くも悪くもトップ次第
 ■フロネシスをもつリーダーと承認教育


(ききて:正田佐与、撮影:山口裕史)


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(2)もっともポピュラーな障害―発達障害との共生(1)


■発達障害者は全人口の9%

河野:
事前にいただいた質問リストには色んなテーマがありますが発達障害に関する質問が多いですよね。

正田:そうですね、今非常にホットなテーマで、沢山のマネージャーさんが悩んでいるところです。発達障害は世界的にも予想を上回る出現率になっていて、現実に職場にも沢山いらっしゃいますし、通常の障害より理解しにくいところもあります。わたしたちの支援のありかたもバージョンアップしなければならないように思います。
 先ほどのお話の「平等」はこうした方々に対してはどのような形で実現できるのか、どう適用したらいいのか、是非お伺いしたいと思います。

河野:発達障害の人は全人口の9%ぐらいと考えたほうがいいと思います。

正田:9%、ああやっぱりそうですか。私も去年ぐらいから兵庫県で意識して聴き取りをして大体10人に1人ぐらいはいてるな、という感じです。いくつかの事業所で従業員300人弱をカバーした聴き取りでそんな感じです。

河野:そうです、そうです。10人に1人って大変な数ですよね。

正田:そうですよね…、9%というのは自閉症スペクトラムというカテゴリーですか。

河野:いや、発達障害全体という括りで、ADHDも入ります。ADHDは作られた病気だという説もありますけれども、いずれにしてもいわゆる体の障害、目が見えないとか足が動かないとかそういう末梢系の障害ではない障害で、しかし知的障害といっても純粋な知的障害というのは少なくて発達障害だという場合が多いのです。

正田:そうすると障害の中で一番ポピュラーな障害で、かつ職場で女性に次いで最大のマイノリティですよね。

河野:逆に言うと末梢系の障害って医学の進歩によって何とかなるようになってしまって、また脳性麻痺についても理解が進んで、見えやすいですからね。差別はあるかもしれないけれども人は比較的理解してくれやすい。車椅子に乗っていて何が不便かと言っても一目でわかるとまでは言わないまでも大体見当がつくし、しゃべってくれればああそうなんですね、という感じになりますよね。できることできないことも想像がつく。
それに比べると発達障害って色んなタイプがあって、どう扱っていいか本人も周りもわからない。それをどうしたらいいか。
お土産を持って来たんです。この場で読んでいただくのは大変だと思うんで、お帰りになって読んでいただけますか。

正田:ありがとうございます!あ、この『当事者研究の研究』はうちにあります。

河野:あ、そうですか。
それからこちらの『最重度の障害児たちが語りはじめるとき』(草思社、2013年)は私が書いたものではないんですけど中村尚樹さんという方から取材を受けたものなんですけれど、ご存知ですか。

正田:これは知らなかったです。

河野:これは発達障害のお子さんたちのそれまで全然しゃべれなかったと思われる子たちが、手話とかタイプで話し始めるということなんですけれども、私も登場人物として出ているんです。もしお読みになっていただくとすごく面白いと思います。
 ここに書いたことなんですけれども、確かに現場で発達障害の方はいらっしゃると思うんですね。ところが、ご存知のように発達障害ってどこまで発達障害でどこまで発達障害じゃないかって、明確に線が引けないし、実際知的程度の高い、例えば東大で教えていたりしますけれども、この子ちょっとどうなのかなーという子が結構いますよね。

正田:ああ、やっぱり。

河野:それでも何とかやっていってる形なので、自分の問題点に自覚的に向き合うということが大切だと思うんですけれども、レッテルを貼ってもいい薬があるわけではないので、これで全部治りましたというものは発達障害には多分ないんです。したがって問題を自分たちで解決していくということが大切なんじゃないかなと思うんですよね。
 この『当事者研究』であったのは、すごく大切なのはお医者さんではなくて、近い問題点をもった人たち同士で話し合ってみる機会があるということだと思うんです。
例えば発達障害の人と脳性まひの人というのは、全然違うタイプの障害なわけですよね。ところがそこでもお互いに学べることがあるんです。
 例えば仮に「上手く話ができない」という問題があるとき、障害が種類が何であろうと共通な課題で、それをどうしたらいいかというのが、原因を突き止めて原因を無くすというのが医学だと思うんですよね。つまりペスト菌が入ったからペスト菌を殺せば、ペスト菌の症状が無くなるとかそういう話ですね。でも、病原菌が入ってきたならいいんですけれども、そうじゃない場合というのは原因を消しても消すことはできない、原因を消去することはできないと思うんですよね。そうすると今ある自分のこの状態からどうやっていくのかということを考えなきゃいけない。病気か病気じゃないか、障害があるかないか、はあんまり関係ない。
 ですから本当に重い場合は薬で治療することもありますが、ここでは今職場にいる発達障害の方ということですからそんなに重くないと思うんです。

正田:そうですね、はい。

河野:そうすると、大きな職場で同じような問題をもつ人がいたら社内でできるでしょうし、小さかったら似たような人たちで集まったところで「今自分はこんな問題があるんだ。どうしたらいいだろうか」と、似た者同士で考えてみる。それが当事者研究の発想による解決策になりますね。

正田:なるほど。ただそこに行くのは実は非常に大変で、まずご本人たちは問題があるということをほとんど自覚していないし、それが何らかのカテゴリに入るようだ、だから似た人がここにいるから行けばいいという情報提供をするプロセスも非常に難しいのではないでしょうか。

河野:そうですね。

正田:受け付けない、心を閉ざしてしまう。普通は周りの人が怖くて言えてない。

河野:そこはもし問題解決するとするならば、それをかなりオープンに話し合う以外ないんじゃないでしょうか。


■ADHDの子は20分しか持たない


 ここでケーススタディー。
 現在リーダーをしている人が、1時間に20分勝手に休憩をとってしまう。仕事が忙しく、周囲の部署から応援の人が入っているが、リーダーがそのような行動をとることが全体の士気に影響する。勝手に休憩をとらないよう話しても受けつけない。そこで「障害があるからそういう仕事の仕方になるのであれば、リーダーを降格したほうがいい」と正田は進言した…。これは障害者差別にあたるだろうか?



河野:例えばリーダーを降格させるということを考えた場合、結局最終手段としてそうなってしまうので、その前の段階で何か話し合う必要があったんじゃないでしょうか。

正田:話し合いは何回もしてるんです。この場合ですと休憩を1時間に20分とってしまうのは、就業規則で決められている休憩時間ではないですから、そういう行動をリーダーがとってしまうと周りの人に対してしめしがつかないということになります。それで上級の人が何度も話して、「困るんだ」と。「仕事が忙しくて周りの部署から応援に来てもらってるのにリーダーの君自身がこういう行動をとってしまっては困るんだ」ということを何度も話すんですが「自分は仕事の手が早いからこれくらい休んでいいんだ」とマイルールを作ってしまう。

河野:そうすると、難しいかもしれないですけれどルールの作り方を含めて職場で話し合ってはどうでしょうか。就業ルールがあって何分と最初から決めてしまって、ルールに合わないからそのリーダーの人はマイルールになっちゃってるわけですよね。もしかしたらそのルールを変えるべきなのかもしれないです。

正田:それはしかしどうなんでしょう、そういう特性のある方なので、20分以外の40分には非常に集中してできるのかもしれない。でもそれはその人の特性だからそうなのであって、普通の人の就労―休憩のメカニズムとは違うのかもしれない。

河野:はい。でもそれは学校で起きていることと同じなんですよ。学校でも60分の授業で何かの形で居なきゃいけないということがありますよね。でも例えばADHDとか自閉症とかの人は集中力はあるけれども逆にクールダウンしなきゃいけないんで、出て行っちゃう。それは、それで認める。その代りそれは職場で認める。みんなに「この人はこういう行動なので、成果としては取れているので、この人はこういう仕事のパターンにしましょう」ということをみんなで認める。この過程があっていいんじゃないでしょうか。
今私たちが生きている社会というのは多くの場合、ある一定の割と狭い範囲の人たちを基準に作られている。平均値と言っても平均値のど真ん中って少ないわけですから。

正田:私も大学の1時間半の一コマというのはかなり苦痛だったんですが(笑)

河野:ずっと座ってるのは大変だったと思いますね。それというのは実を言うとその人に向いてないかもしれないし、その1時間半という授業時間というのは、間違った設定なのかもしれないですよね。
この間大学の試験をやったんですけれど、その試験は普通は60分の試験をある人についてだけは80分かけた。それはどうしてかというと、その人は特殊な乱視で、字を読むのがすごく遅いんですよね。それなので普通の1.3倍ぐらいかかります。その事情を汲んでじゃあ私たち認めますと、60分の3割増しの時間でやるように、と。それは特別視ではなくて、その人に合わせた形の試験の仕方なんだと思うんです。
就労も同じことが言えて、バリアフリーデザインというものがあるのはご存知だと思います。ユニバーサルデザインとか。今ここのラウンジの入り口のところも階段ですよね。ここに階段があると、車椅子の人は1人では決して入れない。1人では。持ち上げないといけないです。ここは、そういう車椅子の人用、ご老人の人用にできてない、ということですよね。それはいわばある一定の人たちを排除してつくられている。
そういったことってたくさんあって、まあ女性だからお分かりのように、女性として使いづらい建物の設計とかドアの設計とか、あると思うんです。
 例えばお手洗いの数が男女同じで、男性は小はまあ立ってやるわけですけどね、女性の場合全部個室になってしまう、そうするとスペースとして女性のほうが広くあるべきなんです。しかも体のことを考えると、女性のほうが排泄が遅いかもしれない、そうするとスペースが1:2でも構わない。ところが訳のわからない平等意識で同じスペースになっている。これなどはむしろ女性に対して平等になっていない。というふうに考えられると思います。
 そうすると職場の環境というのも、難しいかもしれませんけれど、一人一人の特性に合わせて、まあ仕事はちゃんとしなきゃいけない、成果を出さなきゃいけないということはあったとしても、その人に合わせた働き方というのがあっていいんじゃないかと思うんです。
 社会の枠のほうを、バリアフリーデザインだと、バリアがないように建物の設計を変えていくわけですよね。それと同じように会社のルールとかも、障害の特性とかその人の特性に合わせて、柔軟に変更していっていいんじゃないかと思います。ただ、それを勝手にするんじゃなくて、みんなで「この人はこうだからこうしようね」と認めていけばいいんだと思います。
 私がみている小学校だと、やはりADHDのお子さんがいて、出て行っちゃうんですよ。40分持たないんです。で20分するとクールダウンして、その時にみんなの前で「○○君は20分しか持たない特徴を持っているので、20分経ったら一旦部屋を出て、「クールダウン部屋」というのがあるんですね。そこに行って静かにしていて、落ち着いたら戻ってくる、そういうことにしようね、と、そうやって「認める」という形で勉強してもらう。
 多分、今まで20分休憩とっていてそれでも上の方にいらっしゃるというのは、その人優秀だと思うんですよ。きっと。

正田:おっしゃる通り多分仕事自体はできていると思うんです。

河野:ということは、それに合わせてやっていいんじゃないかと思うんです。


 (3)「男の甘え」から「生命尊重の社会」へ―男女共同参画 へ続く



哲学者・河野哲也氏インタビュー「生命尊重のマネジメントとは―男女、発達障害、対話、フロネシス」




(1)人はなぜ平等でなければならないのか

(2)もっともポピュラーな障害―発達障害との共生(1)

(3)「男の甘え」から「生命尊重の社会」へ―男女共同参画

(4)できないことの自覚から始まる―発達障害との共生(2)

(5)ナルシシズムは悪なのか

(6)ファシリテーターの心得と公共の場

(7)「心の理論」不在の場合の「心の疲れ」

(8)背後にあるトップの問題とフロネシス(終)



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

 去る3月1日、立教大学文学部教育学科教授(哲学)、河野哲也氏にインタビューさせていただきました。


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 河野氏は身体論、心の哲学の専門家で特別支援教育にも造詣の深い方。

 今回はビジネスの現場の話題で、女性、障碍者等を組み入れた「多様性」の時代のマネジメント、とりわけ障碍者では近年予想を上回る出現率が報告されている「発達障害」の人とどう共にはたらくか、が焦点となりました。


 非常にエキサイティングな、またビジネスの現場の方にも論議を呼びそうなお話になりました。


 8回にわたり掲載させていただきます。


哲学者・河野哲也氏インタビュー「生命尊重のマネジメント―男女、発達障害、対話、フロネシス」

(1)人はなぜ平等でなければならないのか


(2)もっともポピュラーな障害―発達障害との共生(1)

 ■発達障害は全人口の9%
 ■休憩時間問題―ADHDの子は20分しか持たない


(3)「男の甘え」から「生命尊重の社会」へ―男女共同参画

 ■日本のルールは「男の甘え」
 ■政治は女性進出で「命」と向き合う政治に
 ■海外の学会は「子連れOK」


(4)できないことの自覚から始まる―発達障害との共生(2)

 ■リーダーは教育者でなければならない
 ■「対人関係の問題は認知上の問題」(河野)
  「くっつきやすくはがれにくい問題ですね」(正田)
 ■学校が排除してきたから職場で戸惑う
 ■大企業から中小企業への流入
 ■自分の問題にどう向き合うか
 ■「できない」ことの自覚ができない壁


(5)ナルシシズムは悪なのか

 ■ナルシシズムは氏か育ちか
 ■女優さんと政治家はナルシシストの職業
 ■性欲、権力欲、自己顕示欲、嘘つき
 ■自分の弱点に気づく知性
 ■承認欲求に関わる環境要因
 ■「問題に気づく場」について


(6)ファシリテーターの心得と公共の場
 ■「マネージャーがファシリテーターであることが大事」(正田)
  「僕は『自分は間違っているかもしれない』と思って臨みます」(河野)
 ■”おじさま参加者”をどう扱うか
 ■評価されることのない、ものを言える場を
 ■最もガードが固いのは「お母さん」


(7)心の理論不在の場合の「心の疲れ」
 ■職場は「共通善」を追求する場


(8)背後にあるトップの問題とフロネシス

 ■オーナー企業の閉塞感
 ■組織は良くも悪くもトップ次第
 ■フロネシスをもつリーダーと承認教育


(ききて:正田佐与、撮影:山口裕史)


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(1)人はなぜ平等でなければならないのか


正田:河野先生、今日はお忙しい中、ありがとうございます。
 私どもNPO法人企業内コーチ育成協会は、12年前からマネージャー教育を行い、受講生のマネージャーのもとで高い業績向上とはたらく人々の幸福感を両立してまいりました。
こんにち、わが国でも女性、障碍者、外国人といったマイノリティを職場に招き入れ、多様性を前提としたマネジメントに切り替えていくことが求められています。こうした要請を受けて改めて新時代のマネジメント思想を確立していきたいと思い、哲学分野で真摯に思考していらっしゃる河野先生のご意見をお伺いしたい次第です。どうぞよろしくお願いいたします。

河野:よろしくお願いいたします。
 最初に「人はなぜ平等でなければならないのか」という大きな問いをいただきましたね。

正田:はい。
私どもの団体では、主催するよのなかカフェの中で過去にスウェーデン社会について学ぶ回を2回行ったり、それを含めて男女共同参画をテーマとしたカフェを何度も開催しています。
また私は以前、ブログの「優勝劣敗と種の保存」という文章の中で、「強いことがいいことだという優勝劣敗思想を突き詰めてしまったのが団塊ぐらいまでの日本社会であり、日本の男性は『自分は妊娠出産しなくていい』というアドバンテージを徹底して行使し女性から収入を得るチャンスを奪ってきた、しかしそれでは種の保存すらなし得ない、出生率低下がそれへの答えだ」という意味のことを書きました。このように繰り返し考え言葉にはしてきているんですけれども、それはあくまで私の言葉なので、先生の哲学研究のお立場からはどんな言葉になるのでしょうか。

河野:はい。それでは平等の思想の根幹をなす、「人権(human rights)」というものについてお話ししましょう。
 人権は、現代の国際社会の政治的かつ道徳的原理となっています。人権とは、個人が人類に属するという単純な事実にのみ基づいて享有する、生まれながらに持つ権利のことです。
 人権の根本的思想は、「生きていることは正しい(right)」という生命人命を肯定する思想です。この生命の肯定(生存権)から、生命の価値としての等しさ(平等権)、等しい社会での扱い(市民的自由)が生まれてきます。生命の肯定は、道徳性の根本原理でもあります。

正田:生命の肯定。

河野:はい。そして人権の中核的価値は、自由(自律)と平等にあると言えます。昔の王侯貴族のように、誰か1人がほしいままに振る舞って人を傷つけるのは道徳的とはいえませんよね。それを防ぐために、近代に入って自由と平等という概念が生まれたのです。
 自由と平等という人間にとってきわめて重大な道徳的価値を志向する点において、民主主義という政治体制はすぐれて道徳的なシステムなのです。

正田:なるほど、道徳的であるために平等であることは大事なんですね。
 生命の価値としての平等。
 それは本来、圧制下で不平等が生まれていたのを是正するために必要な概念だった、というふうにとらえられます。
 それと、今から話題にするビジネスの現場で、個々の行動パターンをどう受容するか、頑張ってる人と頑張っていない人をどう評価するか、価値づけするか、昇進させるかさせないか、といった新しい問題が出ています。
 それらは「公正」という別の概念になるのかもしれないですが…。
 今日はどうぞよろしくお願いいたします。


 (2)もっともポピュラーな障害―発達障害との共生(1) に続く



哲学者・河野哲也氏インタビュー「生命尊重のマネジメントとは―男女、発達障害、対話、フロネシス」




(1)人はなぜ平等でなければならないのか

(2)もっともポピュラーな障害―発達障害との共生(1)

(3)「男の甘え」から「生命尊重の社会」へ―男女共同参画

(4)できないことの自覚から始まる―発達障害との共生(2)

(5)ナルシシズムは悪なのか

(6)ファシリテーターの心得と公共の場

(7)「心の理論」不在の場合の「心の疲れ」

(8)背後にあるトップの問題とフロネシス(終)



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp


 これも一度フェイスブックに書いた話題なんですが、

 理研のSTAP細胞論文捏造疑惑。

 あちこちで詳しく報道されているのでこの記事ではその中身には触れませんが、当協会では一度メルマガで賞賛してしまったので、「捏造」が明らかにすれば次のメルマガで謝罪しよう、と思っています。


 当事者は必死で調査をしているであろうし、インサイダーでもなんでもないのでまったくの想像ですが、

 今の時点(12日)で一番好意的な解釈というのは、

「STAP細胞作製はあった。しかし論文作成は問題が多い」。

 問題の女性研究者が、映像で見る限りヘアもメークも研究者と思えないくらい完璧で、「キレイ」(視覚的に美しい)がすき、キレイでないものは耐えられない、という価値観のもちぬしにみえる。

 そうすると、そういう人がたとえ地道に研究や実験をやったとしても、いざ論文作成の段になって、その心の癖が出て、「こっちのほうがキレイ」と、使ってはならない別の写真を使ってしまう、というのはありえないことではない気がします。博士論文にNIHのサイトから長々と引用した、というのもその延長上でありえないことではない気がします。

 もちろんそれでも研究者倫理として許されることではありません。

 要は、「信じたい」のです。理研も共同研究者も「STAP細胞作製はあった」という趣旨のことを言っているし、実験には多くの人が立ち会っているだろうから何年もの間、だまし続けられるわけではないだろう。理研もそこまでいい加減な組織ではないだろう。論文作成のその瞬間だけ「ごまかし」が起きた、ということであれば見逃すこともあり得るのではないか―という希望的観測であります。



 ほんとに研究自体ウソだったら、やっぱりとんでもないことです。あの可愛い笑顔が自分好きナルシシストの笑顔だった、ってことになります。

 
 詳しくは14日の発表で明らかになることでしょう。



****


 「佐村河内守」しかり、他にも震災がらみの美談のバイオリン製作者の疑惑やら、このところ詐欺師のニュースオンパレード。

 ほんと「ナルシシスト」の題材にはこと欠きません。

 (とりわけ「震災」に絡もうとするナルシシスト、許しがたいですね。)


 しかし全然関係ない「12年、1位マネージャーを作ってきました」のわたしもこのところそのせいで、いささか「とばっちり」を受けつつあります。

 この問題では、フェイスブックのある心優しいお友達のかたが

「御心痛、お察し致します。
世の中に疑心暗鬼が蔓延して、本当に頑張っておられる方が不当な扱いを受ける事が無いように衷心より願います。」

と、書き込んでくださいましたが―。はい、涙が出るほどうれしかったです。


 つらいのは、わたしが作ってるのはたかが細胞ではなく、生身の人間だ、ということであります。あるいはその人の周囲につくられる多数の人の幸福だ、ということであります。それは、生身の人間であるマネージャーたちの真摯な努力によって維持されるものです。

 彼ら彼女ら自身のモチベーションには恐らく影響を与えないだろうと思っています。とはいえ、ひときわ誠実でリスペクタブルな人達である彼ら彼女らが、わたしへの侮辱を通じて間接的に侮辱されることがわたしには耐えがたいのです。


 彼ら彼女らに裏取り取材するなんて簡単なことのはずなのですが―、

 その「ほんのひと手間」を惜しみ、何もしないままただわたしのことを疑って、彼ら彼女らのことも疑って、そして「きかなかったことにする」人がどうやらいるようです。


 ウソとホント、どっちがどっちでもどうでもいい、これだけでたらめな世の中だから。そんなリアリティのない時代になってきました。

 ウソを消費し、しばらく夢というか妄想とダンスし、そしてケチがつくと捨てる。真か偽かの検証みたいなどんくさいことはしない。そんな知性の持ち主が多数派になったのでしょうか。


 
 当協会の今年の年頭メッセージ
 「10年間の光と影、次の10年わたしたちにできること」
http://c-c-a.blog.jp/archives/51878957.html

 要旨部分にはこんなことを書いています:

わたし個人として今、思いつくのは、引き続き変わらず真心をもって発信を続けること、そして心に響く人々に届けること、であります。
 なぜなら、これまでも実例からみてきたとおり、こんにちのマネジメントの諸課題、すなわちメンタルヘルス、パワハラ、女性活用、グローバル経営、ワークライフバランス、障碍者雇用等、きわめて多方面にわたるニーズに同時に応え、業績向上を成し遂げてしまうのはこの手法しかないからです。そして地球環境問題等、人類共通の課題を解決していくにも、この「マネジメント」の問題を避けて通れないからです。


 
 でもちょっと折れそうなわたしです・・・



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp






 

 当協会では「コーチング」も「ファシリテーション」も商材にしているのだけれど、これも業界で論争になりやすい話題なので当協会のスタンスを書いておくと、

 ある組織にどんな順序で介入するかを考えたとき、まずはマネージャーにコーチングの承認・傾聴・質問のトレーニング、その次に会議ファシリテーションや対話、というふうに考えます。会議や対話は、コーチングトレーニングの後に自然発生的に起こる場合もよくあります。その場合は、「コーチングだけで一粒で二度おいしい」んです。
 
 先日の篠山でのように、コーチングトレーニングの後にワールドカフェ、というように、組織内対話をほんのちょっと「おてつだい」する場合もあります。その場合もコーチングトレーニング済みのマネージャーさん方に各テーブルのファシリテーター(ホスト)をしていただき、わたしは見てまわるだけでした。


 コンサル会社さんで「ファシリテーション」をメインの商材にしていらっしゃるところは、「まずファシリテーション、対話ありき」と発想しがちです。

 その場合は、大きく言って「マネージャー不在のマネジメント論」に属するのだと思います。外部コンサルがファシリテーターとして入り、マネージャーは退席する。

 
 それだとその場の満足度は高いかもしれないけれど、翌日からの日常はどうなん?とわたしは思います。思いません?
 まあそういう主張をするコンサル会社さんは、毎週のように外部ファシリテーターが来て対話をしかければいい、ということを言うんですけど、
 じゃあ、マネージャーは上からの指示を伝達するだけの伝書鳩ですか。納期とか品質とかコンプラとかを言ってまわる憎まれ役だけですか。あんたおいしいところ全部もっていこうとしてませんか。


 これはコンサル会社だけでなく、人事の人もラインマネージャーを憎んでることがあるし大学生を会社に送り込む大学の先生もそういう発想をしやすいようです。マネージャー悪玉論、マネージャーを排除すれば良くなる論。


 それは、ちがいます。と「12年、1位マネージャーをつくってきました」の正田は言います。

 素質のある人を選んでマネージャーにし、正しい教育を施せば、良いマネジメントは行われます。対話もマネージャー主体で仕掛けられます。そのほうがずっと企業さんのご負担もかるいです。医学っぽく言ったら、「侵襲」の度合いも小さくてすみます。

 
 大体「ファシリテーション」をプロでやってる人のファシリを先日近くでみる機会があったけど、全然大したことなかった。あれだと当協会方式で「承認、傾聴、質問」を学んだ篠山のマネージャーさん方のほうがずっと上手かったぞ。あんた仕事でやってるんでしょうに。この教育研修業界の人材なんて本当にそんなもんなんです。マネージャーって本気で学んだらすごくうまくなる人たちなんです。それだけのものもってるんです。

わたしは「僕は君たちに武器を配りたい」の人なもんで―。


 
 うちはまあ、ミンツバーグのマネージャー論を信奉する立場でもあるので、マネジメントはマネージャーがやるものだ、と考えている。人事とかコンサル会社から遠隔操作できるものではない。


 というわけで、珍しく1つの話題だけでこの記事はおわります。


 あっそうだ後から思い出しました、

 「対話に必要な土台は結局上の人(マネージャーや先生)がつくる」という意味のことを、この記事で書いております。

 対話ブームに必要な土台づくりとは?―イベント「対話をうみだす”実践知”をトップランナーから学ぶ」

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51863366.html



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 穏やかな日曜の午前です。

 静寂を破ったのはわがやの「永遠の3歳児」リンちゃんの断末魔の声。いつもお世話になっているペットシッターアビーの土井紀子さんに耳薬をさしていただいたからです。

 土井さんの一連の動作はカメラに収めフェイスブックに【土井紀子さんの犬の耳薬さし講座】として、アップさせていただきました。基本プロのお仕事というのは好きなのであります。そして私はいまだにできるようになっておりません・・・^^



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 こどものころどんな人間だったのかというと、
 
 非常に共感能力の低い両親のもとで非常に自己肯定感低く育ったわたしは、それでも学校の先生には基本、「しっかり者」として可愛がられておりました。いじめられて泣いていた学年のときもあったし(そのときは、やっぱり先生が「えこひいき」とかで評判悪い人だった)問題の少ない学級のときには、学級委員とかになって「しっかり者」としてふるまっていた感じです。そして仕上げに中嶋嶺雄教授に出会い自己肯定感を高めていただいたので、社会人になってからのきついトラブルに耐えられたのは中嶋教授が与えてくれた自己肯定感のお蔭だろうと思います。

 
 長野県の父方の親戚からの評判はというと、

 どこの親戚の家に行ってもそうなのですが、「とにかく本ばかり読んでいた」。長野の家では従兄のお兄ちゃんの愛読書「松本清張」を1Mぐらい積み上げてもらって、延々とそればかり読んでいた。

 なんで読書にばかり走るのかというと、口頭の会話であまり座持ちのしない性格だというのを自分なりにわかっていたようです。こどものくせに「きく」ことはできるが「話す」ことはできない。こどもらしく身の回りのことを相手が興味あろうとなかろうとしゃべりまくる、というのができない。人の顔色をうかがって、ちょっとでも「興味なさそうだな」と思ったらそこでしゃべるのをやめてしまう、可愛げのない子どもでした。今でも美容院に行って話が続かないので苦労しています。

 そうかと思うと農作業のおてつだいをするのは好きで、喜んで連れていってもらっていた。あるときそのうちの伯母ちゃんが、栽培しているリンドウ(花)を囲う鉄条網で目を怪我した、と眼帯をしているのをみると大泣きして、翌朝早く起きて畑に行き、「おばちゃんが目を突かないように」と鉄条網の針金が出っぱっているところを全部折っていた。基本ひとが痛い思いをするのをみるのはいや、なんです。

 そんなふうなので長野の親戚からの「さよちゃん」の評判は、

「本ばかり読んであまり話さない変わった子、ぶあいそうな子」

というのと「すごく優しい子」というのが両方あります。おおむね正しいんじゃないかと思います。


 
 さて、そういう性格なので「しゃべり」の仕事は今も苦痛は苦痛なのですが、まあ駆け出しのころと比べるとその仕事の結果どんな幸せなことが起こるか、という予測がたちますから随分楽になったと思います。

(あ、駆け出しのころは「しゃべり」の仕事の前に急性腸炎を起こして倒れて絶食状態のまま行ったりしてたんですよ。もちろん結果は惨憺たるものでした。それくらい極度の緊張状態だったんです)

 1人カラオケに行く習慣は、武田建氏に師事して著書も読み漁っていたころ、「リラクゼーション」の技法も習ったわけですが同時に

「緊張を解くやりかたは他にも色々ある。大声を出す、歌を歌うなどもよい」

というので始めました。やっぱり「しゃべり」が苦痛な自分の性格を改善したかったからです。


 やってみると、「歌を歌う」とりわけカラオケで伴奏つきで歌う、というのは、緊張を解く以外に自分のナルシシズムを高めるのにいい装置なのかもしれないな、と思います。こういうのも教科書に載っているわけではないんですけどね・・・、

 前にも書いたようにしゃべりの仕事というのはナルシシズムを必要とします。それが本来なかったナルシシズムを喚起する場合もある、リーダーの仕事の害になってしまう場合がある、ということも書きました。「研修」もそうですがこちらが一方的にしゃべる「講演」の場合は特にそうだろうと思います。

 基本設定自己肯定感の低いわたしが「しゃべり」の仕事をするのに、ナルシシズムのスイッチを「オン」にして程よく高めるとそれでしゃべれるようになると・・・、

 で、ふだんの生活ではちゃんともとに戻す、というのが理想ですね。


先日某所で「ファシリテーションをするときや教壇に立つときには『自分は間違ってるんじゃないか』と思うことが大事」というお話がでましたが、どういう心得を持つことが正しいかはその人のこころの基本設定によるかもしれない、と思います。

ナルシシスト度合いの高い人は自分を疑う習慣を持つことが大事。大体それでまちがっていない。
一方、基本自己肯定感のすごく低いところから出発している人は、疑うと同時に信じることにも重きをおかないといけない。疑いすぎると仕事自体できなくなってしまいます。当協会方式では、「自分は人にものを教える資格があるか」と厳しく内省したうえで、「相手に役立つために結晶化した言葉を伝えよ」ということを日頃から言います。「他者承認」をつねに課し、ナルシシズムを抑制した状態の人は、次の段階で「信じる」ことをしてもいいと思います。


 ヒトカラでのわたしの選曲はいつもマライア・キャリーとかホイットニー・ヒューストンなんですが、このへんの人たちってやっぱり自己肯定感すごく低いんじゃないかと思う。だからここまで修練して上手く歌わないと気が済まないんじゃないかと思う。同病相哀れむですね。マライアは肌露出しすぎな人だったが体型くずれてきてちょっと悲しい。こら、それはどうでもいいです。

 逆に、歌の下手なアイドルって何のためにいるんだろ?って考えると、それは一般大衆のナルシシズムを投影するためなんじゃないかと思う。「あれぐらい歌が下手でも注目されチヤホヤされるならオレもあたしも」って思える、そそる、ところがいいんじゃないかと思う。なんというのかな、有名になるために「すぐれた歌唱」という道具が要らない。本人の「有名になりたい!」という「押し」があればいい、と感じさせる。


 これはまた余談ですが、過日あるところで、「人事評価は能力ではなく、ナルシシズムに押されて行われることが多いんじゃないか」という話になりました。

 本来は当然、能力や人柄を評価して昇進などさせたほうがいい。一方ナルシシストは、能力がそれほど高くなくても、例えば「同期がオレより先に昇進した」とかするといきなりやる気をなくして手を抜いたような仕事ぶりになります。それが職場全体の士気に影響しちゃったりもすると思います。

 それをみていた上司が、「えーいめんどくさい。コイツのやる気が上がらないのは昇進できなかったせいだから、じゃあ多少ゲタ履かせてでも昇進させよう。それでやる気をもって仕事してくれたらしめたものだ」と思う。

 そうして「ナルシシストに対するゲタ履かせ昇進」が起こります。結構あちこちで起きてるんじゃないかと思います。そんなことやってると「実直な実力ある人よりナルシシストの方が昇進が速い」という不合理なことになります。

 ピーターの法則だったかな、人はあるところまで昇進するとその職責に耐えられないことを証明する、みたいな話は。それはこういうナルシシストの場合当てはまるんじゃないかと思います。


****


 まああれですね、ナルシシストはあまり有能でない人が多いのですがまれに「有能なナルシシスト」もいます。わたしのみてきた中には、「自分の才能を証明するためには手段をいとわない」タイプのサラリーマン経営者もいました。高卒で大企業の子会社の社長にまで昇進した人です。

 そのひとの場合の”症状”というのは、「とにかく、早く結果が出るやり方をこのんだ」。教育みたいなまだるっこしいものより、命令一下何かを強制する、制度で強制する、というのをこのんだ。「強制する」というのは共感能力の乏しい人だけでなく、ナルシシストもやりたがるのです。
 「〇×をゼロにしろ!」というと、まあ半期ぐらいやるとゼロになる。「ゼロにしろ!」という表現がすきでした。


 あと組織再編もすき、例えば技術部門を別会社にして独立採算にしてしまって「わが社流のアメーバ経営だ」と誇るのですが

(付記すると、ナルシシスト経営者は「ベンチマーク経営」と称して色々な経営手法を切り貼りするのもすきなんです。その手法の根底の精神のところをみず、小手先で「本で読んだだけ」で器用にとりいれて、その手法の創設者を鼻で笑おうとする。基本誰のこともリスペクトしたくない人たちですから)、

そうやって策に溺れた結果、その製造子会社は技術部門を失って誇りの源泉を失い、やらされ感で仕事するのをどうすることもできない、そのモチベーションの部分に対する手当はない、また技術が別会社になれば当然コミュ不足による品質問題が出る、それについての手当ても遅れる、てなことになります。


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 またべつの話題で、「発達障害本」を前にウーンと考えてしまうのが、

 自閉症のひとは、「心の理論」がうまくはたらかない。

 「サリーとアンの課題」というのがあり、サリーだかアンだかがお菓子を戸棚だか箱に入れて部屋を出た、するとその子がいないあいだにもう1人の女の子がお菓子を移動してべつの戸棚だか箱に入れる、それをみている私たちは知っている。さて最初のサリーだかアンだかが戻ってきました、お菓子をとるためにどこを探すでしょう?(こら、ちゃんと文献みて書きなさい)

 
 定型発達のひとだと、最初にサリーだかアンだかがお菓子を入れた戸棚だか箱を探すでしょう、だって移動したことを知らないんだから、と答える。
 ところが自閉症の人だと、もうひとりの子が移動した先の戸棚だか箱の方を探すでしょう、と答える率が高いそうです。その子がお菓子を移動したことを、最初のサリーだかアンは知らないはずの設定なんだけど、自閉症の人だとそこがわからない。


 さて。

 仕事柄、マネジメントの中の「説明不足」が起こるメカニズムを色々考えてきましたが、

「自分が説明する対象の事物について相手は知らない」

ということをちゃんと知っていれば、一から親切に説明しようと思うだろうと思います。

 ところが、自閉症スコアの高い人だと、それがわからないがゆえに、「おざなり」な説明で済ましてしまうことがあるだろう、と上記の「サリーとアンの課題」をみながら思います。



(なお「説明不足」に陥る理由は他にも色々あります。

例:

・「管二病」と言われる傲慢さ、部下に対する見下し、ナルシシズム

・「ポジティブ」なので「説明しなくてもわかるだろう」と思う

・「最上思考」なので「説明しないとわからないとはけしからん!」と思う

・「内向的」なのでとにかく人とコミュニケーションをとることが苦手

…)




 また、繰り返される不毛な議論ともいえない議論―、

「正田さんはご立派な実績を挙げていらっしゃるんだからわれわれが報道しなくたっていいじゃないですかあ。正田さんからのメルマガはわれわれ受け取って知っていますよ」

―あなたがたがどれだけ知っていようと、私のメルマガの発行数などたかだか2000なのだ。「あなたがたが知っている」ことがイコール「兵庫県民が知っている」なわけではないのだ。あなたがたは「もう手垢のついた話題だ」と思っているらしいけどそれは「心の理論」がないだけだ。
 私の実績を信じない人が多いがゆえに、去年1年間だけでどれだけひどい迫害を受けたことか。これだけの実績を持ちながらメディア的に有名でない、実績と知名度がアンバランスな人というのは大ぼらふき呼ばわりをされ、ひどい迫害を受けるものだ。早くこのアンバランスをあなたがたが改善しろよ。うちの受講生さんたちだってカルト呼ばわりされて浮かばれないよ。(あ、カルトって言ってるのは私だったか)



 
 
 ヒトカラ行こうっと。




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 また発達障害の本を読んでしまいました。

1.季刊『発達』2014年冬号 【特集】”発達障害”を問い直す
2.月刊『こころの科学』2014年3月号 【特別企画】自閉症スペクトラム
3.『発達障害の子どもを伸ばす魔法の言葉かけ』
4.『アスペルガー症候群のある子どものための新キャリア教育』
5.コミックエッセイ『ボクの彼女は発達障害―障害者カップルのドタバタ日記』


 決して、ほめてもらいたいから読んでるわけではございません。お友達の皆様いいねしないでください(うそ)


 なんて、もともとこのブログの読書日記は自分のための備忘録のような目的で始めたのですが、近年はここに書かないとお勉強した気がしなくなってしまってるのです。書かないと読んだことを統合できないのです。ますます怪しいなあ。

 
 昨年初め以来もう何十冊発達障害の本を読んでるんだろう。今日も何冊か届く予定です。もちろん、雑誌の特集をみてもわかるように、専門家の間でもホットトピックで、出版のペースも早いです。


 それぞれの本にもちろん学べるところは多々あるのですが、わたしの興味である「職場」「マネジメント」の中の発達障碍者の位置づけをどうすれば、という点では、どうしても不満が残ります。いずれもこどもの療育か、よくいって「就労支援」にとどまっています。「就労支援」のゴールは「就職」で終わり、その先がありません。

 そのなかで1.季刊『発達』2014年冬号【特集】”発達障害”を問い直す の記事「発達障害を楽しむ―保護者であり支援者である立場から」(株式会社Kaien 代表取締役 鈴木慶太)では、

「支援者がどう変わっていけるかが、発達障害の人が生活を楽しめることにおいて、今、鍵になっていると思っています」としたうえで、支援者に伝えることとして、
1.健康であること
2.病理としてみない
3.舞台背景を見る
ということを挙げています。

「まずもって支援者の方は健康であってほしいと思います。…人を助ける前に自分のメンタル状態が保てない人が非常に高い率でいます」

「発達障害であることの前に1人の人間ですので、その受け止めをしっかりしていただきたい」
「ただしこの点で難しいのは、ご本人もご家族も、障害者として受け入れてほしい、というニーズも一定程度あることです。」

―本当に難しい二律背反。

「発達障害の定義は、社会的に依存しています。・・・このため、実は発達障害の本を読んだり、当事者に囲まれたところで会ったりするだけでは、支援が難しく感じられてしまうと思います」
「この社会依存による発達障害の特性を本気で考えるとかなり大きな世界観や個人観をもつ必要があり、支援者として様々な分野に高いアンテナを立てることが必要です。」

―ここなのだな、わたしの興味である「マネジメントの中の発達障害」を考えるとき、たとえ療育の側から発達障害をみてきた人であっても、同じことをマネジメントの中に持ち込めるか、というとクエスチョンです。現状とにかく療育の世界にしか専門的知見はないので、なんとかそこからの視点を取り込みたいと努力中なわけですが―、

 以前から言うように(言ってたかな?)マネージャー支援は子育て中のお母さん支援に限りなく似ています。発達科学の立場、児童精神医学の立場、小児科医の立場、色んな側から専門的知見を言うことはできます。「こうすることが理想」ということができます。でもそれらを全部足し算したら生身のお母さんのできるキャパをはるかに超えてしまうのであり、賢いお母さんは専門家の言うことを適当に割り引いてきかないといけません。
 あるいは、「現実にお母さんができること」を最初から思いやって発言する専門家の言うことなら、できるだけ全部きこうかな、ということになるかもしれません。
 
 あんまり無理難題を言うとじゃあめんどくさいからリストラしちゃおう、という結論にもなりかねないので、もし発達障害の人たちのクオリティオブライフを本気でたいせつに考えるなら、その人たちが生きる現場のロジックにも思いをはせてあげなさいよ、基本お給料をもらえて生きられるのは幸せなことですよ、と言いたい。


 鈴木慶太氏は記事のまとめ部分において、

「社会レベルで発達障害について求めることになると、まだ私の考えもよくまとまっていないというのが正直なところです。・・・ふと言葉としてまとまったのが、『秋葉原のような空間をもっと作っていきたい』ということです」

と述べています。

 今回読んだ他の本でも繰り返し出てくる、「発達障害者にとっての娯楽の場」というコンセプト。これはマネジメントというより起業アイデアの方になるかもしれません。見回してみると、今やどこのまちにもコスプレイベントというものがあり、わが六甲アイランドでも毎週のように開催されていますが、それも多少そういう性格はないかしら?


****

 やっと2冊目の本にまいります。

2.月刊『こころの科学』2014年3月号 【特別企画】自閉症スペクトラム


鈴木國文「自閉症スペクトラム障害と思春期―成人の精神科医療の立場から」では、思春期に自閉症スペクトラムの患者さんが抱える問題を「外的な問題」と「内的な問題」のふたつに分けます。

「外的な問題」−たとえば周囲からのいじめとか、指導的立場の人に自分のやり方を否定されるといった出来事、いわば彼らの「独我論的」世界を打ち砕く人との遭遇―を、鈴木氏は「世界にあいた穴」とよびます。

「おそらく、自閉症スペクトラム障害の人たちは、どの年齢においても、彼らの『独我論的』世界を打ち砕く他者とさまざまな場面で出会っているのであろう。そうした他者について、彼らは通常『無視する』という対処によって大きな影響を受けることなく日を過ごしている。」

「また、『世界にあいた穴』を前に、被害的色彩の妄想様観念を発展させる場合もある」―統合失調症との違いは、自閉症スペクトラム障害の場合、妄想発展の前提として「世界が謎化する」という契機が明確に認められることだ、といいます。統合失調症のばあいは妄想に先行する「問い」がないのだそうです。

―こういう心理まで言及することが「差別」にあたるのだろうかといえば―、

 このブログは専門家の書いたものを引用しているだけです、ということもできるだろうし、何か悲劇的なことが起きるのを予防するためには知っておかなければならない知識だ、ということもできるし。

 昨年から繰り返し「発達障害」に言及する記事を書くことに躊躇がなかったわけではありません。とりわけ、「あけすけ」なトーンで書かれた大人の発達障害に関する本を紹介したときには、本当にいいのか、という思いもありました。
 しかし、手がかりを得て、1歩1歩深めていって最後に「差別」ではないところにたどりつくしかないのだと思います。

 後のほうで紹介する文献には、「カテゴリー分けすることが結局本当のインクルージョン」という記述もみえます。

 本稿では、定型発達者は生まれてすぐ「視線触発」(他者の視線に気づく経験をする)があり、むしろそもそも「穴のあいた世界」へと生れ落ちてくると考えることもできる、といいます。わたしたちが他者の期待を感じとりある程度くみとって行動するのはそういうことです。そして言葉ができ、普通の知能を発達させるアスペルガー症候群の子どもは、幼児期〜学童期になんらかの仕方で「視線触発」へ開かれるようです。

 最後のほうの一文は、悩ましいというか考えさせられるというか、です。一応書いておこう。


 「「視線触発」を世界にあいた穴ととらえるならば、アスペルガー症候群の子どもたちは、いったん世界に穴があきながら、それをなんらかの仕方で閉じてしまった子どもたちといえるのかもしれない。あるいは、不安という『心にあいた穴』が『世界にあいた穴』と連動することなく、世界を築き上げた子どもたち、という言い方ができるのかもしれない。そのような仕方で生きてきた彼らに、思春期においてもう一度、ふたつの穴が現れるのである。

 おそらく、そのふたつの穴が連動してくれないこと、このことこそが自閉症スペクトラム障害の人たちの一部にとって、特有の困難を生むことになっているのであろう」


 同じ号の「青年期の自閉症スペクトラムの人たちへの発達支援―心理面接のあり方を中心に―」(日戸 由刈)では、

 「人に相談することが苦手なAS(自閉症スペクトラム)」の特性をとりあげています。

 
ASの人たちは人間関係にストレスを抱えていても、「困っていることはない」と無関心にみえる態度を示すことや、「自分のせいだ」と必要以上に落ちこむこと、相手の行動を誤解して一方的に非難することなどが、しばしばみられる。
 こうしたASの人たちには共通して、周囲の人間関係に漠然とした不安や不満を感じても、その感情がなぜ生じたかという理由がわからず、漫然とストレスを溜めこむメカニズムが考えられる。これは、AS特有の認知特性といわれる”同時総合機能(全体的統合ともいう)の不全”と関係するかもしれない。
 同時総合機能がうまく働かないと、注意の向け方や物事の理解の仕方が断片化しやすくなり、自分に対するモニタリングが働きにくくなる。また、社会的文脈や人間関係などの複雑な因果関係の理解が難しくなる。このため、自分のストレスを自覚すること、ストレスの理由を理解することが上手にできない。



―子どものころ家の中で家族が半ばうなるような喉をこすれる空気の音を立てていることに、小さい頃は怯え、より大きくなってからは嫌悪感をもって受け止めていた。あの人もいつも何らかの説明不能のストレスを抱えていたのでしょう。あの人にとって世界は不快刺激にみちみちていたのかもしれないです―


 こうしたASの人に対する心理面接は独特の「型」があるようです。

 本人のおかれた状況やそこでの感情状態が解明されたら、それを本人に向けてわかりやすく解説する。本人の話に登場した人物の行動や言動をシンプルに書き出し、それぞれ「自分(本人)」がどう感じたか、どうふるまったか」も具体的に書いて示す。「コミック会話」や「五段階表」など、信念や感情を視覚化する技法を用いると効果的である。

 ・・・ASの人たちは、先に因果関係を理解することで、後から自分の感情を適切に理解できることが多い。心理面接で「自分についての解説」を聞くことで、初めて「理解してもらえた」という安心感を抱くケースも少なくない。ASの人たちにとって共感的理解とは、相手からの”正確な理解”にほかならない。

 ・・・心理面接では、本人のニーズに沿って、ストレス事態での発想の転換法、トラブル回避のための対処法などを、視覚的かつ具体的に助言する。その際は、ASの人たちの、物事の応用が難しい特性に配慮し、どの場面でも通用する”社会常識”を伝授するとよい。



 上記には全然反対ではありません。

 これを書き写しながら今思っているのは、これまでみてきたケースでおそらく本人にはASの診断が出ているのに、差別をおそれ上司には言っていない、職場で心を許している同僚にしか言っていない、というケースです。外部からの支援者の助言が、上司をスルーして本人に届いてしまっている。「部下が上司に断りなくパーソナルコーチングを受けている」というケースも結構むずかしいのですが、わたしなどは「そんな部下、やだ」となるところですが、発達障害の人への助言も、真に受けやすいだけに専門家のかたは気をつけていただきたいものだなあ、と思います。ひょっとしたら職場のロジックになじまない助言になっているかもしれない。それをリジッドに信じこんで上司に断りなく職場にもちこむASの人がいるかもしれない。いえ、上記のケースはいいんですよ。


 さて、ASの人の就労支援の場面では、やはりASの人のセルフモニタリング下手の特性が壁になることがあるようです。

 
 しかし、彼らは最初から現実的な自己理解を形成できるわけではない。・・・ASの症状が強く一般就労が難しい状態であっても、一般就労に固執し続けるケースや、能力に見合った職業訓練の内容を「意味がない」と感じるケースも、実は少なくない。このことは、AS特有の認知特性といわれる”自己体験的意識の希薄さ”と関係するかもしれない。

 ASの人たちは、自分自身の体験を「わがこと」として内在化することが難しく、自分の体験と外部情報との区別がつきにくいこともある。職業訓練や職場実習を体験しても、その仕事の意義や難しさを、実感をともなって認識しづらい。(正田注:なるほどー。いるなあ、「実感をともなって認識しづらい」人って。)逆に、自分が体験したことのない仕事でも、メディアから情報を得ると「自分にもできる」と容易に思い込んでしまうことがある。青年期のASの人たちにしばしばみられる、非現実的で歪んだ自己理解は、こうして形成されると考えられる。

(正田注:もちろん人のふり見てわがふり直せなんだけど、こういう記述をみたとき、あたしもこういう人つまり非現実的で歪んだ自己理解の人のようにみえてるんじゃないかって、特にあたしの話をきいてもそれがどれほどすごいことが「ぴん」ときにくい人びとからは、と思うと、すっごくいやな気分になるんだよねー)

 この傾向は、年齢や学歴が高くなるほど顕著になる。とくに大学生は、就職情報に触れる機会が増え、周囲のプレッシャーと実際の就職活動の難しさから、注意・関心の断片化や固執傾向が顕著になりやすい。公務員、専門職、大手企業など、特定情報に本人が固執すると、その書き換えは容易ではない。


 いるなあ、高学歴の人で意味もなく「自分はえらい」って思ってる人…。

 そういう例を下手に沢山みてしまうと、ASの人に好意とか共感をもつのがなかなか難しい。ほんとうは適切な療育を受ければ、バランスのとれたつきあいやすい人格になれたのかもしれないけれど。ただ、こういう傾向が思春期以降、青年期に現れるとすると、その年代のときに適切な修正を受けられることはほんとうに難しいだろうと思う。


 で、このところわたしが凝っているもうひとつのキーワード「ナルシシズム」との切り分けがやはりむずかしいです。正しい自己理解を持てないという問題。ひょっとしたらうまれつき線条体が大きい系のナルシシズムと、ASのセルフモニタリング下手由来のナルシシズムというのがあるのかもしれませんが―、
 さらに健常者、定型発達者でも地位が上がったりチヤホヤされることが続いたりするとナルシシストになるし、某バレンティン選手なんかそっち系かな?と思ったりしますけど。あ、アルコール依存というか酩酊状態というのは脳の中で快楽物質の「ドーパミン」が出っぱなしになるのだそうですね。まあチヤホヤされると大概お酒ものみますよねー


 現実的な自己理解の形成には、どんな関わりが求められるのでしょうか。

 
 
自己理解の形成には、他者視点が大きく影響する。自分の体験をもとに他者とやりとりすることで、より客観的かつ現実的な自己理解の形成が促されるのである。

 ASの人たちは、・・・定型発達の人たちよりもはるかに多く、自分が体験して感じたこと、考えたことを人と一緒にふりかえり、視覚化して整理する手順を踏む必要がある。言い換えれば、この手順を十分に踏むことで、彼らはたとえ部分的であっても、自分の得意・不得意や行動・考え方の傾向などを、実感をともなわせて蓄積し、内在化できるかもしれない。・・・

 ただ、現実的な自己理解は、配慮された環境での成功体験や、他者からの一方的な助言・提案だけでは深まりにくい。ASの人たちにも、私たちと同様、自分で考え行動した結果、「うまくいかなかった、失敗した」という感情体験が必要である。順調に青年期に至った彼らにとって、多少の失敗や試行錯誤はむしろ、等身大の自己理解を深める契機となりうる。

 本人が「こうしたい」と強く希望した時、それが難しいと予想されても頭ごなしに反対せず、「うまくいかなければ、このように援助しよう」という見通しと計画性をもって見守る姿勢が、家族や支援者には求められる。


 上記は、職場のマネージャーにもできそうなことが一部ありますが、しかし「それは療育場面だからだよねえ」という事柄もあります。基本、仕事は失敗しそうな人にはやらせられないものです。

 先日も、セルフモニタリングができなくてできない仕事をやりたがってリーダーを逆恨みする作業者、なんて話題が出ましたが、じゃあどうしたらいいんだろう。

 以前に某所でわたしが言った、「家庭訪問」が本当に解になるばあいがあります。そういう価値あるコンサルティングを受けた、と思うためにも「正田先生」って呼んだほうがよいように思います。どうせ聞き流したんだろうなー。

 あっ会員さんがたは今のままでいいんですってば。


 同じ号の「当事者からみたASD診断―生きやすさの道標とするために」(片岡聡[東京都自閉症協会])

 ここでも多くの重要な事柄が当事者の語りとして述べられます。

 
 真に私たちにできないのは、私たちを利用しようとして悪意で近づいてくる人たちの作為を読むことなのである。したがって、年齢や知的障害の有無を問わず、自閉症の人をだまし利用することはたやすい。この生涯にわたる「純粋という名の無知」こそが、自分で決めたことについてはその責任をとることを前提に成立している社会においての最大の障害性であり、ASD支援が必要な最も大きな理由である。


― 「アスペルガーの人の騙されやすさ」については、あとで取り上げる『ボクの彼女は発達障害』でも、「彼女」の「あお」が振り込め詐欺に危うく引っかかりそうになるくだりがあります。

 ―そういえばわたしも以前身近なアスペルガーの人が「パーティー商法」でしょうか、何かの懸賞に当たりました!という甲高い女の声の電話に見事に騙されて指定場所に行こうとしてしまい、慌てて引き留めたことがあります。

「新聞に載ってるでしょ!そういうの詐欺なんだよ」

「なんで?だっておめでとうございますって言ってたよ」

 なんでええとこの大学出て・・・と思うが、本当にそういうものなんです。



 閑話休題、「グループ分け」と「インクルージョン」をめぐる話題です。
 
 
私は、ASDのグループワークをする場合に支援者がまずするべきことは、すべての参加者にとって安全な場所をつくることだと悟った。ASD診断のたしかな人だけを集めるという意味ではない。誰が診断してもASDである方であっても、二次障害や育ちの困難の深刻さによっては、ASD者のグループワークに加われず、まず支援者の個別対応が必要なことはよくある。またASDでなくても、悪意をもって人を操作して傷つけることをしない健常者の方、あるいは内科や神経内科領域の難病の方とは、何の問題もなくインクルージョンが可能なことが多い。実は支援者のすべきことは、インクルージョンという理念を実現させることではなくて、「グループ分け」というある意味「汚れ仕事」を引き受け、作為を読めない人たちに安全な環境を提供することなのである。


―この記述の前には、同じアスペルガーの人同士のピア活動でも、傷つけあいが起きうまくいかなかったケースも紹介されており、どうもピア活動に参加できるかどうかにはやはり資格があって、人を傷つける傾向のあるASDの人は参加させないほうがよい、という風にもとれるのです。もちろん人を傷つけるのはその人の背景に「二次障害や育ちの困難さ」が考えられるので、そういう人は個別支援の中で問題解決してね、ということのようです。よのなかカフェでも、これはアスペルガーではなくナルシシストですが、どうみても正田のリーダーシップに異を唱えたい、人前で正田を侮辱したい、という意図をもった人がしきりに来ていたのでご遠慮願ったことがありましたね…。私は人様のつくった場に出かけていって「荒らし」なんてしたことないのにね。

 インクルージョンの話の続きです。

 
私はこの病院の初期からのASD向けデイケアの利用者であるが、診断と個々の利用者の困難度のアセスメントが安定するにつれ、グループ分けが利用者それぞれにとってプラスに機能する場面が多くなったと感じる。また逆説的ではあるが、これがより高度のインクルージョンにつながった面がある。



 なのだそうです。だから、レッテル貼りに意味がないとはいえないと思います。

 非常にジレンマなのですが、障害者である前に人である、そのように扱われたい。しかし、障害ゆえにまったく特有の快不快、可能不可能の世界をもっており、それを理解し踏まえたうえでないと、その人にとっての最低限の「人として扱われる」が担保されない。
 そしてその独特の世界は、障害を前提としないと理解できない。

 これが「インクルージョン」のむずかしいところ。ここでいう「インクルージョン」は、職場での受容とは意味が違いまだ「療育」の領域を出ていませんが、職場での問題を考えるうえでも踏まえておきたいと思います。


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3.『発達障害の子どもを伸ばす魔法の言葉かけ』(講談社)は、ABA(応用行動分析)を利用した「言葉かけ」の本です。

 基本的には、ほめることで強化する。「承認」の1時間めでお話しする行動理論の延長です。多少それに

「できない課題には手助け(プロンプト)を」
「コンプライアンスを築こう―子どもの抵抗に負けて、言いなりになってばかりいませんか?親が主導権をもち、時には厳しい態度で指示に従わせることも必要です」
 
といった、プラスアルファがついてきます。

 定型発達の子どもを育てるうえでも役に立つ知識だと思います。


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4.『アスペルガー症候群のある子どものための新キャリア教育』(本田秀夫+日戸由刈、金子書房)は、5つ前の記事でご紹介した『自閉症という謎に迫る』で推薦していた療育の本です。

 これなどは、当事者のかたは是非買って読まれるといい本だと思いますが、たとえば問題解決のときに図示して見せること、アスペルガーの子どもは挫折感を持つとあきらめて心を閉ざしてしまう、そうさせずに希望を持って暮らさせることが療育の目標であることなどが述べられています。

 「少し変わっているけれど、にくめないキャラクター」に育てたい、というくだりは傾聴に値します。


「この子たちを、将来どんな大人に育てるか?」といった議論がありました。最終的には、”ちょっと変わっているけれど、なぜかにくめないキャラクター”に育てたいという、まるで盛親僧都(じょうしんそうず、徒然草の登場人物)のくだりのような結論になったことがあります。『しょうもないこともたくさんするし、とにかく手はかかるんだけど、なぜかにくめない性格で、周りは『しょうがねえなあ』と言いながら、ついつい面倒を見てしまう。人から可愛がられやすいというか、助けられ上手というか、そういうふうになれたら最高だよね』というような話になりました」

(中略)

 「なんだかんだあるけど、アイツ、意外とわかってるし、結構可愛いところもあるじゃないか」と周囲の人に思わせる何か、すなわち、杓子定規な常識よりも、心の通った良識を身につけることが大切なのです。

 学校という枠組みに保護されているうちは、”可愛い不思議ちゃん”でよいと思います。しかし、就労して社会に出るにあたっては、それに加えてある程度の分別と何らかの分野における実力を持っていることが、自立への鍵となるでしょう。先の盛親僧都のエピソードを通して兼好法師が後世に伝えた、人としての”徳”の在り方を、現ぢを生きるBさんたちといっしょに、じっくりと考えていきたいものです。



―いいこと言うなあ。

 ちなみに著者の本田秀夫氏の別の著書『自閉症スペクトラム―10人に1人が抱える「生きづらさ」の正体』(ソフトバンク新書、2013年)は、去年知人から自閉症のお勧め本を尋ねられたときに私が推薦した本です。

 なんというか、「療育」の世界と「社会」の世界、両方の視点をバランス良く持っていて納得できたような気が、わたし的にはしたのです。


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 やっと最後まできました、

5.コミックエッセイ『ボクの彼女は発達障害―障害者カップルのドタバタ日記』は、可愛い外見の彼女「あお」がチャーミングなので楽しく読めてしまう本です。やっぱり「視覚化」だいじですね。

 「あお」のキャラが可愛いので、色々変なところもゆるせてしまう。いや、やっぱり本当は大変なんだと思うんですけど。

 ここで学べたのは、
例えば先述の「振り込め詐欺への騙されやすさ」であったり、
また「怒った声、怒鳴り声を異常に怖がる特性」であったり、(だからわたしの苦手なストレングスファインダーの資質、○○○はひょっとしたらアスペルガーの人の特性かもしれないのだ) 
「聴覚過敏なので子どもの甲高い声が苦手」ということであったり。
 
 もちろん個人差があることでしょう。


 また発達障害の人にとっての日常を、「寝不足で頭が働かない時に攻略本も説明書もないゲームを渡されて異常に明るいネオンがついてワーワーうるさい中でさあやれって感じ?」といった言葉で、イラストつきで説明してくれると、たとえば綾屋紗月氏の一連の著作に「文学?」って引いちゃう人でも解りやすいのではないかと思います。

 ひょっとしたらこの本は、診断されてない自覚がない発達障害の人に「気づいてもらう」小道具にするにはいいかも?なんて思ったりもしますが、難しいかな?




 非常に長い記事になりましたがあとで見直す手間を考えると1つの記事にまとめた方がいいのだろうと思ったのですよね。

 これで何ができるんでしょうね。まだわたしにもわかりません。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

 インタビューの録音起こし作業が終了し、河野先生にご送付。ワード40pの、かつてないボリュームの録音起こし原稿になりました。柏原さんお勧 めのDynabookR632/28GKはキータッチが浅くて打ちやすく快適です。

 原稿には当日お話を伺うスタンスで聴いていたときには言わなかった、当協会の12年のマネージャー教育の経験に基づく文言も後から追加しました。


 たとえ現時点で教科書に載っていることではなくても、私たちが12年間見続けてきたことはでっちあげでなく真実です。そこから何らかの法則性を導き出すこともわたしたちの仕事です。あるいはどこかの学者さんが注目してくださればうれしいとは思いますが―。

 「この教育」が、恐らくアカデミズムの立場からはあまり取り上げたくないものだろう、と思うのは、「この教育」を認めてしまうと、もう研究として発展する余地がなくなるからです。「そこで話が終わっちゃう」からです。多くの研究者が考えつくような、マネジメントとはリーダーシップとは企業内教育とはこういうものであったらいい、というオピニオンとか仮説が、「この教育」のもとでは既に実現してしまっており、それ以上発展し得ないからです。
(でも完成度が高いというのは、受講するマネージャーさんがたにとって利益になるということで、私たちがお客様のためを思ってペストを尽くしてきたことが、学者さんにとっては面白くないということにすぎない)



 わたしたちは驕るでもなく、ただ目の前の事実を事実そのままに観る姿勢を維持したいと思っています。

 ここ数日お話しする先の方々がわりあいわたしのことを「大言壮語するヤツ」とみなしたりせず、「なるほど」とスムーズに聴いてくださるのが本当にありがたいです。


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 録音起こしという作業が入るとどうしてもほかの色々なことが滞ってしまうのですが、まあ日数をあけるから書けることもあると思います。


 先日神戸で開かれた男女共同参画がテーマの座談会について、わたし個人的には学ぶところも多々あったけれど、もろ手を挙げて「すばらしい」とは言えなかった。嫌われるかな、こういうこと言うと。


 ちなみに学べた点は、ダイバーシティーの専門家渥美由喜氏の発言で、

「部下の女性を管理職に登用した上司は役員まで昇進する比率が高い。男性女性隔てなく公平にみて能力を引き上げる力がその人にはあるということ」

「女性部下の登用を上司に義務づけ、上司の評価に反映させるというのが、女性管理職増のための有効なやり方」

というものでした。

 前者は、まあ賛成。そうだろうなと思います。
そして後者は、反対まではしませんが、「教育」不在のまま「制度」で義務づけるという結論には???です。いつものことです。

 人のこころの成長は「制度」ではつくれません。適切な教育と実践がつくるのです。

そして先日このブログに書いたように、日本社会は「自閉的」であり、男性女性といったわかりやすい記号に左右されやすいメンタリティをもっています。


「教育」の力を信じたくない、たとえ膨大なエビデンスがあっても、というメンタリティは何なのだろうか、と考えると、私はそこで「自閉症あるいはナルシシズム」というものに行き当たります。
他人を尊敬したくない。教育をリスペクトするということは、教育はかなり属人的なので、それの担い手をリスペクトしなければいけなくなる。それがどうしても嫌だ。

とりわけそれが「女」だったりした場合にはー、

男性にとっては自分の奥さんぐらいの年恰好の女性をリスペクトすると自分の奥さんもリスペクトしないといけないし、
女性にとっては、自分と同じ女性がリスペクトされる存在になるというのはたまらなく不愉快だ。
そうして男性からも女性からも、教育者はやっかまれ妨害される。


閑話休題「座談会」に話を戻すと、
 ぶっちゃけ不満点は、やはり大企業の総務系の女性たちやんけ、ということです。

 膨大な広がりのある製造現場、そして中小企業をどうするのか、という解は全然ない。そうしたところには「女を認めない」男性管理職、経営者がゴロゴロいます。


 これはわたしだけではなく、参加者のグループワークのテーブルでやはり出たことでした。

「うちの会社は意識が遅れてるから、産休に入る人に花束が贈られる。『もう帰ってこないんでしょ』ということ。
そういう中で私は育休まで社内で初めてとった。私も花束を贈られたが、『会社に居続ける』ことが私のできる男女共同参画だ」

 こういう現場の女性の言葉にやはり切実感がありました。

 まあ、そういう現状なのだ、乖離のある「今」なのだ、ということを知るうえではわたしにとって良かったです。

 会場には報道関係者もきていましたが、先進事例の話をきいてゆめゆめ「男女共同参画ここまですすんでる」という表面的な見方をしないでいただきたいものです。この先膨大な「現場」の意識を変えていく地道な作業をしなければならないのです。


****


 
 わたしは決して男女共同参画の権化になるつもりはないです。でも2012年の秋に労働局の雇用均等室によばれて講演してから、改めて過去の業績向上事例の中の女性の活躍ぶりを見直し(直近の篠山の例もそうでした)、わたしでなければ発言できないことがある、理想論のオピニオンとしてではなく事実の推移をみてきたものとして、女性活用について発言していきたいということを、2013年の年頭メッセージで言いました。また、女性活用について発言することは嫌われるのがつきものだけれども、会員さん方許していただきたい、とも。


 そんなメッセージを出した年であっても、その春の総会は「男子校」状態になったし、「うちの会員さん」がたは、男気のある方々です。


 相変わらず、微笑ましい「うちの社風」としてあるのは、男性会員さん方が

「今日は妻が友人と遊びに出かけているので私は子どもと留守番です」

とか

「今日は子どもの学校行事なので会社を休みました」

とかのプライベートのご報告です。ちゃんと一方では「業績向上」「表彰」のご報告もしてくれる人たちです。えっ、決して正田が強制してそういうこと言わせてるわけではないんですよ。


 そして来年度は女性会員さんが増える予定ですが、またどんな「社風」になっていくことでしょう…。


 
 
100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
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 先日の河野先生インタビューで「ADHDだと授業を聞くのが20分しか持たなくて教室を出て行ってクールダウンすることが必要」なんていう話が出ましたが、わたしもしゃべりの仕事のあと緊張のあまり丸一日倒れていることが多いです。ますます怪しいです。

 でもちょっとうれしかったのは、先日お昼をご一緒した、今度NPOに正会員で入ってくださる女性の方(昨年秋1日研修を受講)によると、その人も学ぶことがすきで沢山の研修を受けている方なのだが講師としての正田は

「一切鎧を着ていない感じ」

なのだそうです。普通の講師はもっと鎧を着ていて、教科書に載っている言葉でしゃべってる感じなのだそうです。

 で、緊張しいのわたしだけどああちゃんと受講生さん(まあ優秀な受講生さんです、やっぱり)の側からは伝わる言葉でしゃべる講師、にみえてるんだ、と安心したのと、人並み以上に「疲れる」ので社会人としてどうなのかと思うこともあるけれど多分それだけのことをやってるんだろう、と思ったのでした。

 今年は、この方をはじめ何人か素敵な方々が正会員になってくださるのでした。うれしいなあ。
 あっこれまでの正会員さんが素敵じゃないわけじゃないんですよ。



 閑話休題、
 本番の「しゃべり」の仕事のほうでそんなふうでじゃあ営業場面ではどうなのか、というと、これまた恐怖と緊張でガチガチになっています。

 何しろ去年の秋ごろブログに書きましたが、駆け出しのころ営業先で資料を投げ返されたことがトラウマになっており、いわば子どものころ犬に追いかけられた人が犬が苦手になるように営業が苦手であります。
何がそんなにショックだったといって、自分が否定されたというよりも明らかに人々が幸せになる手法が否定された、恐らくはやっかみのような美しくない感情によって否定されたのがショックでした。

研修でもつるし上げ火だるまになったことあるけど、それより営業でのダメージのほうが大きいというのは、わたしもよせばいいのに「ここであたしが下手な営業してこの組織が採用しなかったら、この組織の人たちは最低あと1年は幸せになれへんのやなあ」と、変に責任を感じるからです。
「あたしが幸せにできない人々やそのご家族」ってことまで考えて電車に乗ってても涙が出てきたりするからです。


 最近は営業先の方もだいぶご理解をくださりお優しくなったと思います。


 ほんと、社会人としてどうなんだろうかこの人。


****


 「詐欺写真」をフェイスブックの方にアップしてプロフィール写真もそれに変更してしまい、このところ「すみません中身は小学生なんです」と言い訳しまくっていますが、

 そんなことを言ってるせいか本当に「中身小学生」になってきたように思います。


 どうも思い返せば去年の秋イノシシに引きずられたころから、大人としての矜持とか面子みたいなものが無くなってきたように思います。

 
 人生ひとまわりして小学生がえり。


 小学生キャラだと、ひょっとしたら「変な男目線」でのひどい仕打ちに遭うことが少なくなるかもしれない。



「正田先生は学校の先生になったほうがいいんじゃないですかあ?(←暗にもっとけばい化粧して夜の女みたいにこびてこい、と言っている。こういうこと言うのは自分は先生の生徒になれない役員のやっかみが多い。工場リーダーたちは個別面談をしてもらうのが楽しみで早い時間から廊下で待っている)」

とか、

「あなたに話をするのとのみやの女の人に話をするのとどこが違うんですかあ?(←これは地元大学の某有名男性教授がパーティーの席で言った。もう既に受講生さんに「1位マネージャー」が続々出ていた時期である。周りの男性新聞記者などがどっと笑った。この人の著書を有難がって読む人の気持ちが解らん。海外の研究をコピペしてるだけのくせに。適当なタイミングでこの人の名前をオープンにしようと思う。この人とコラボしてる人も被害を受けるかもしれないが)」

とか言われても、

「すみません中身小学生ですから〜」

って流していられる。


―ほんと品性下劣な人って多いですね。いくら本いっぱい書いてても言っていいことと悪いことのけじめがつかなくなったら認知症の始まりですね
―ていうか、上の学者のばあい、学者のくせに目の前に歴史的に重要なものがある、っていうことがわからなかったらその時点で終わりですよね。


****


 かつて私のいる家は子どもの甲高い声に満ち溢れていた。今はそれはない。

 「あのひとたち」と今会ったらどんな気持ちになるだろう。

 小学生のわたしよりお姉さんで、今からおばさんになっていくひとたちだ。そしてうちのカルト団体のひとではない。

 これって認知症の始まりかなあ。不思議な気持ち。


 心理学っぽく解説すると、両親を亡くしたので、「子どものころの不全感」と距離を置けてやっと「子どもの自分」を愛おしめるようになったのかもしれない。
遺伝的初期設定の私がどんな人間だったのか今はわからない。言葉を遮られ、否定され、延々と職場の愚痴をしゃべられ、希望は持つそばから破壊され今も時々発話に困難を感じるのはそういう遺伝形質なのか話したとき受け止めてもらう体験が決定的に少なかったのか、どちらが原因かわからない。
今の私は世界に好奇のまなざしを向け、愛したい人たちを愛し、愛を限界まで搾り取られることもない。


****


 また閑話休題、

 「自分は講師の何が良くて『承認』を習得できた」

とおぼえておくことは、これも不遜発言のようですが「自分も承認を教える立場になりたい」と思うひとには大事なことであります。


 ともすれば、「承認プログラム」の言葉の易しさ、概念の整理の適格さ(自分でよくいうよ)、習得のしやすさに目を奪われて、同じ資料を流用すれば(一応著作権があるので勝手に使ったら盗用になります。これは「研修中断企業」さんなどにはっきり言っておきます)簡単に人に教えられるように思ってしまいがちであります。


 ところが、それだけではない「教授法」−教師としての心のありかたとか話しかたとか―というものが横たわっているのであります。これが、「正田流」はかなり独特で、この教育研修業界には他に類をみないものであるようです。

 ところがそれが受講生様の「習得」に深く関わっているとしたら。

 
 正確にコピーしなくてもいいですが「この話しかた、この心のありかたのとき一番『伝わる』」というのを、その人その人でつかんでいただかなくてはいけません。


 
 以前、パートナー講師をつくりたがっていたときのわたしは、割と軽々しく

「あなたならすぐ講師をしてもらえるわよ」

「よその研修のいいものも取り入れたいから、色々教えてね」

てなことを言っていたのですが、どうもそれはまずいのだ、という結論になりました。

 やっぱり「講師」としてこれだけの修練や心構えがいるのだ、ということを言わないといけない。

 また、「よその研修」にもいいものはあるのでしょうが、安易にとりいれると「うちの研修」が無意識のPDCAで築いてきたものの良さを捨てなければいけなくなる、それが致命的失敗につながることがある。案外よくみると「よそ」は「うち」ほどPDCAをやってなかったりする。最初からそんなこと言うと傲慢だけど、失敗してみてわかることがある。


 だから今のわたしは前よりちょっと「講師になりたい」の人にいじわるであります。でもそんなにそれは長いこと必要ではないように思います。


****

 
 以前は、そういえば「資格制度」っていうののことも言っていましたが、最近あんまりそこに執着しなくなってしまいました。

 何しろ、これ言うと儲からなくなってしまいますが「2年前に2時間研修を受講しただけ」とか「上司が受講生だった孫弟子で自分は本を読んだだけ」とかの人たちが、「売上倍々に伸びました」とか「社内表彰されました」ということになってしまうと、長時間の研修を義務づける意味がよくわからなくなってしまうのです。

 いえ、「2時間」「孫弟子」のひとたちはやっぱり特に勘のいい人たちだったのでしょうけど。たのむからそういうこと外でじまんしないでね。

 こんなこと言う研修機関もほかにないでしょうね。普通は国際コーチ連盟(ICF)の資格を重視したり、資格授与機関になるために、長時間の研修を義務付けたりします。

 「正会員」が、今はそれ(資格制度)に近くなっている感じです。師匠の森川さんによると、ストレングスファインダーの○○○○とか××をもってる人は資格に執着しやすいそうです。そして正田自身も「無冠」です。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
URL:http://c-c-a.jp




 

 

お世話になっている皆様


 おはようございます。
 企業内コーチ育成協会の正田です。


 早いもので今日から3月の第一週です。皆様いかがお過ごしですか。


※このメールは、NPO法人企業内コーチ育成協会のスタッフ及び代表理事・正田が、過去にお名刺を交換させていただいた方・当協会のイベントやセミナーにご来場いただいた方にお送りしています。ご不要の方は、メール末尾にありますURLより解除ください。
(解除方法が変わりました!詳細はメール末尾をご覧ください)



 本日の話題は:



■哲学者はどう答えるか「男女・発達障害・ナルシシズム」
 


■読書日記
 『日本軍と日本兵―米軍報告書は語る』
 『自閉症という謎に迫る―研究最前線報告』


■NPO法人企業内コーチ育成協会 賛助会員募集のお知らせ


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■哲学者はどう答えるか「男女・発達障害・ナルシシズム」


 1日(土)、大阪・千里中央に来られた哲学者で立教大学文学部教授・河野哲也氏にインタビューをさせていただきました。

 「身体論」「アフォーダンス」の専門家であり、特別支援教育にも造詣が深く、またメディアに表出する「女性イメージ」についても苦言を呈する河野先生。「鎌倉哲学カフェ」では「華麗なファシリテーション」を披露されるかたでもあります。


 「海外で女性が活躍している姿をみても、日本は変な国、遅れた国だなあと思いますよ」
 「北欧などでは障碍者が働くことは権利であり義務である、ととらえています」


 この日も華麗にトークを展開してくださいました。

 「(ADHDを含む)発達障害者は今、全体の約9%です」

 この言葉は前号でもお伝えした、「ほぼ10人に1人」というわたしの感触とも合致するものでした。ですので職場で「女性」に次ぐ最大のマイノリティということになります。

 要所要所で、

 「それは難しい問題ですねえ。どうしたらいいんでしょうねえ…」

 問いを発して一緒に煮詰まってくださる場面もあり。


 大変にエキサイティングな時間でした。

 現役最先端の思索をご紹介できることを光栄に思います。


 インタビュー全文のご紹介はまだ先ですが、どういったご質問をしたインタビューだったのか、というところはこちらの記事に公開しています:


 哲学者はどう答えるか「男女・発達障害・ナルシシズム」


 http://c-c-a.blog.jp/archives/51883405.html

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■読書日記
 『日本軍と日本兵―米軍報告書は語る』
 『自閉症という謎に迫る―研究最前線報告』


 今回は新書ばかり2点ご紹介いたします。

 
(1)『日本軍と日本兵―米軍報告書は語る』(一ノ瀬俊也、講談社現代新書、2014年1月)は、半藤一利氏の著作などで戦記物として描かれる日本軍の実像を、アメリカ軍の軍内報のような文献から引用した文章で描いています。

 交戦中に書かれた文献なので、戦勝国が戦敗国を貶めるというよりは、目の前の「敵」を正確に把握し有利に戦うためのノウハウ集なのでかなり「実像」には近いかもしれません。ただ多少戦意高揚のための誇張も入っていると思われます。


 現代にも通じそうなその実像とは―。

 読書日記をこちらに掲載していますので、ご興味のある方はお読みください:


 かっこよくない実像、セクショナリズム、医療軽視、生者軽視―『日本軍と日本兵』

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51883101.html




(2)『自閉症という謎に迫る―研究最前線報告』(金沢大学子どものこころの発達研究センター監修、小学館新書、2013年12月)は、複数の研究者による、タイトル通り自閉症の研究最前線を紹介する本です。


 このところ「自閉症」「発達障害」というキーワードに凝っているわたしですが本書に関するブログ記事はフェイスブックで非常に注目されました。(決して、「注目されたい」から凝っているわけではありません…)
 中には、コメントで身近な人についての悩みを吐露される方もいらっしゃり、これらのキーワードが一般になじむにつれ、身近なお悩みが「実はこれなのではないか」と思い当る方も増えてきているようです。


 ご関心のある方はこちらの読書日記をご覧ください:


 自閉的文化、渥美氏のカミングアウト、そして正田は?―『自閉症という謎に迫る』

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51883281.html 

 なお、3月15−16日に予定しているNPO法人企業内コーチ育成協会の合宿では、メンバーで知的障害者施設の所長さんより、自閉症の人向けの療育手法の1つ「TEACCH(ティーチ)」について、レクチャーしていただく予定です。

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■NPO法人企業内コーチ育成協会 賛助会員募集のお知らせ


 NPO法人企業内コーチ育成協会では、メルマガ読者の方から賛助会員(年会費3000円)を募集しています。

 本メルマガならびにブログでご紹介する読書日記は、読まれる方には非常にご参考になるようで、中には

「読書日記を読んでからそこでとりあげた本を実際に買った」

 また、「買った本だけど何を書いてあるかあとで見直すのにここの読書日記がすごく役に立つ」とおっしゃる方もおられます。

 決して本屋さんのお仕事を奪ったりはしていないと信じます…。


 ただ、ブログ運営(月使用料320円の有料ブログで広告が入らないようにしています)、メルマガ発行(月使用料3200円)とも、それぞれコストがかかります。

 有料メルマガにしたいわけではありません。このメルマガ並びにブログを読むことは、他のさまざまな支出との比較でも自分にとって年間3000円程度の価値がある、と思われる方だけが、「賛助会員」になってくださると嬉しいです。


 もし「自分も賛助会員になりたい」と思われる方は、info@c-c-a.jp または本メルマガへのご返信で、?お名前?ご住所をお知らせください。年度明けに3000円の郵便振替用紙(手数料無料)をお送りいたします。


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◆ブログ「コーチ・正田の愛するこの世界」人気記事ランキング


1.自閉的文化、渥美氏のカミングアウト、そして正田は?―『自閉症という謎に迫る』

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51883281.html

2.発達障害者は注意するのが好き?『大人の発達障害ってそういうことだったのか』をよむ

 http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51873335.html

3.かっこよくない実像、セクショナリズム、医療軽視、生者軽視―『日本軍と日本兵』

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51883101.html

4.「先生」と「さん」どっちがいい?私の場合

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51883138.html

5.神戸は住みやすいのか住みにくいのか?よのなかカフェ「外から見た神戸と内から見た神戸」開催しました

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51833038.html



★こちらもお勧め

 過去の事例セミナーをとりあげた人気記事の1つ。

 「上司が承認してくれたから自分は成長できた」ことに、部下は気づいているでしょうか?


 名セリフ続々「承認型コーチングは”ベタ”なやり方」―「情熱のマネージャー、営業所を変える」勉強会開催しました!

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51726685.html




※このメールは、NPO法人企業内コーチ育成協会のスタッフ及び代表理事・正田が、過去にお名刺を交換させていただいた方・当協会のイベントやセミナーにご来場いただいた方にお送りしています。


解除される場合は、下記の解除フォームから受信していただいたメールアドレス入力して下さい。
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ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

年度末の忙しさを元気に乗り切りましょう!


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「企業内コーチ育成のすすめ」
(株)帝国データバンク社『帝国ニュース兵庫県版』
2008年〜2012年 長期連載このほど完結
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兵庫県中小企業団体中央会発行月刊「O!」連載コラム
「誌上コーチングセミナー」
http://c-c-a.blog.jp/archives/cat_50054961.html

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1日、大阪・千里中央に立教大学教授の哲学者・河野哲也先生をお訪ねしインタビューさせていただきました。

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 午後に阪大で講演をされる前のお時間というのに2時間余りも延々とお話いただき・・・、

 河野先生、ありがとうございました。午後に支障はありませんでしたでしょうか。

 河野先生は「鎌倉哲学カフェ」のファシリテーターを務められそこに参加した正田が「神業ファシリテーション」と絶賛。

 ふだんは「アフォーダンス」「身体論」を専門とする哲学者であり、また特別支援教育にも造詣の深い方です。

 しかし「アフォーダンス」がこの日までとうとうわからなかった正田の限界で、今回は現時点の関心を反映して、「女性(男女共同参画)」「発達障害」「ナルシシズム」を中心のインタビューとなりました。

 大体どういうご質問をしたのかというと、

 1週間前に河野先生にお送りした質問リストをご紹介するのが手っ取り早いかと思います。

****

 河野先生、こんにちは。神戸の正田です。
お願いしておりました1日のインタビューが、いつの間にか1週間後に迫ってしまいました。今の時点でご都合のほうは大丈夫でしょうか。午後に阪大でのご講演を控えたお時間ですのでご負担にならないか、かつ新たな重要なご予定が入るのではないかというのも気がかりです。新しい事態が生じた場合にはお気兼ねなくおっしゃっていただければと思います。
 私どもNPO法人企業内コーチ育成協会は「承認中心コーチング」という手法でマネージャー教育を行い、お蔭様で小さくない成果を挙げている団体です。職場のマネジメントの世界は現在、女性活用、障碍者雇用、外国人雇用など「多様化」の課題に否応なく迫られています。そうした時代の要請に応じたマネジメント思想を確立していきたいというのが、おこがましいながらわたしどもの願いです。
 先生の『善悪は実在するか アフォーダンスの倫理学』を読ませていただき「承認」はケアリングという概念に近いのかな?と思いました。元々所謂「コーチング」の中でも、私どもの手法は心理学より倫理学の要素が強いように思っております。
 河野先生にとってこのたびのご依頼は「ウール・トーク」以上にアウェー感のあるものではないことを祈っております・・・

 当日のインタビューで先生にお伺いしたいことをまとめてみました。
 
1.人はなぜ平等でなければならないのでしょうか。職場での(機会の)平等とは何が根拠となるべきでしょうか。

2.とりわけわが国で「女性」に関しては以前に河野先生が指摘されたように、「性的イメージ」が大きな障害になっているように思います。なぜ日本でこの傾向がこんなに強いのでしょうか。どうしたら克服していけるでしょうか

3.障碍者については、経済合理性を追求する職場の論理になじみにくい現実があります。しかし法整備によりそれを乗り越えていかざるを得ません。いかなる思想の転換が必要なのでしょうか。

4.発達障害については、現実に職場で非常に出現頻度の高い悩ましい問題になっています。
・文献をいくら読んでも発達障害の人を一般の職場でいかに「仲間・同僚」として受容し共生していくかのモデルが見当たりません。現実には多くのマネージャーが手さぐりしています。
・診断を受けてもらうという手続きを経るべきなのでしょうか?
・診断の出ないレベルの、しかし発達障害の傾向の強い人について、どう対処すべきなのでしょうか。

5.発達障害については次のような疑問も生じてきます。
・「倫理」が「共感」に基盤を置くとするなら、共感能力の欠如した発達障害者や精神疾患をもつ人は倫理的に振る舞うことがむずかしいことになります。では「倫理的悪」が障害や疾患に起因するとするなら、何が「悪」なのか規定できなくなってしまわないでしょうか。
(たとえば共感能力の非常に低い政治家が弱者に配慮を欠いた失言をし、怒りを買うことが多々あるわけですが、それ自体もその政治家の「共感能力の欠如」という障害によるとするなら、悪ではないことになってしまう。殺人やストーカーなど犯罪にも大なり小なり知性の偏りという「障害的なもの」が絡んでいそうです)
・発達障害の人に対して思いやりを、というとき、共感能力を持ち合わせている定型発達者の側の一方的な努力により関係を成り立たせることが、理性では仕方ないとわかりつつもときには不公平だ、と感じられたりもします。

6.ナルシシズムの問題について。E・フロムは『悪について』でナルシシズムを取り上げています。遺伝的形質としてナルシシズムの資質をもった人がいるようです。最近の尼崎の家族乗っ取り事件、偽作曲家事件、漫画家への脅迫状事件などは、強烈なナルシシズムの人格を思わせます。こちらも、遺伝形質として備わったものであれば、「悪ではない」ことになってしまわないでしょうか。


 現時点でご質問したいことは以上です。
 もっと思いつくかもしれませんが上記だけで2時間はすぐ経ってしまうのではないかと思います。
 河野先生を必要以上に悩ませてしまわないことを祈ります。
 このたびの先生へのインタビューに大変、期待しており、また2時間ものお時間を頂戴できることに深く感謝しております。





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 さて実際のインタビューでは決して厳密に質問リストの順にすすんだわけではなく、かなり「自由に」河野先生に語っていただいた感じです。


 いつものようにまずは録音起こしをし、河野先生のGOサインが出ましたらブログにアップさせていただきます。お楽しみに!!


 今回のインタビューには長年の「よのなかカフェ」の心優しき盟友、山口裕史さんにカメラマンで同行していただきました。
 河野先生、山口さん、ありがとうございました!


 いつか河野先生に「よのなかカフェ」でファシリテーションをしていただく機会があるかもしれません・・・


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 千里中央までの行き帰りの道すがら、久しぶりにお会いする山口さんと「今どきの○者って」とか「今どきの男○共○○画って」という話に花が咲きました。


 不思議だなあ、うちのカルト団体の中では「するっ」と通じる話なんやけどなあ。


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 それにしても―、

 正田は人に「一方的にしゃべられる」というタイプの災難に遭いやすい人なのだが、ブログにインタビュー記事を載せるとその手の災難に遭う頻度が高まるというのも経験上、思います。

「オレもあんなに立て板に水としゃべって正田にきいてもらって『すごーい』とか『なるほどー』とか感嘆の相槌を打ってほしい」

という人の心の煩悩に火がついてしまうみたいです。「神業のようなファシリテーション」みたいな感じでほめてほしい、とも。まあ大体男性です、そういうのは。

 あたしがインタビュー記事を載せることがその人のナルシシズムを喚起しているといえるのかもしれないです。

 一応インタビューしたい相手はこちらから選定しているので、それ以外の方は勝手に2時間も3時間もインタビュイーにならないでください。
 話を聴いてほしいときは、

「正田さん、聴いてほしい話があるのですが聴いていただけますか。聴くプロである正田さんに聴いていただけるのは大変に幸せな贅沢なことで、この幸せを当分かみしめることにします」

って、挨拶していただけると嬉しいです。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
URL: http://c-c-a.jp
 

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