正田佐与の 愛するこの世界

神戸の1位マネジャー育成の研修講師・正田佐与が、「承認と職場」、「よのなかカフェ」などの日常を通じて日本人と仕事の幸福な関係を語ります。現役リーダーたちが「このブログを読んでいればマネジメントがわかる」と絶賛。 現在、心ならずも「アドラー心理学批判」と「『「学力」の経済学』批判」でアクセス急増中。コメントは承認制です

2014年04月

 レジリエンス(回復力/復活力)についての読書を2冊。

『レジリエンス 復活力―あらゆるシステムの破綻と回復を分けるものは何か』(アンドリュー・ゾッリ、ダイヤモンド社、2013年2月)

は、システムの崩壊・送電系統・都市と熱帯雨林など、非生物のレジリエンスから始まって、個人と社会のレジリエンスを論じます。

 わたしはつい安きに流れて後者のほうから読み始めます。


 たとえばホロコーストや大災害で被災者になった人たちの3分の1はひどいダメージを受けずに自然に立ち直るといいます(3分の1弱はメンタルの疾患にかかります)。それを分けるものは何か。

 ダメージを受けにくい子どもを観察すると、彼らには「自己回復力」(楽観性や自信)と「自己統制力」(将来の目標のために楽しみを先延ばしする力)が備わっていたといいます。

 またそれは大まかに言って3つの信念が土台となっており、

1)人生に有意義な目的を見いだせるという信念
2)自分が周囲の状況や出来事に貢献できるという信念
3)経験はよかれ悪しかれ学習と成長につながるという信念

だそうです。


 性格的要因のほか、
・信仰
・コミュニティ
も個人のレジリエンスを高めるはたらきをします。

 特定のコミュニティの一員が逆境から立ち直る力は、良好に機能する社会的ネットワーク(友人、家族、宗教団体、地域団体、充実した職場、行政による支援やサービスを利用できる環境)によっても強化される。

 ・・・ワーナーとスミスは、社会的要因(例えば、コミュニティの模範的な大人による支援)が逆境を緩和できれば、ハイリスク集団の50から80パーセントに健全な成長を見込むことができると結論づけている。


 
 「コミュニティ」には職場も含まれるので、「上司に対する承認教育」が部下のレジリエンスを高めるはたらきをする(ひょっとしたら上司自身にも)といういくつか前の記事「承認は根性をつくれるか」の仮説はやっぱり正しいのだろうと思います。


 さらに遺伝とレジリエンスの関係では、本書は「5−HTT遺伝子」に言及しますが、これは当ブログでもよく言及する「セロトニントランスポーター遺伝子(不安遺伝子)」のことです。

 不安感が低いとされる長いのが2つそろう「LL型」の人はストレスにも適応が良く、LSとSS型は適応があまりよくなかった。

(かつ、このブログや講演でも紹介するように、日本人ではLSとSS型の人が全人口の90%以上を占めているため、「折れやすい」国民と言えるかもしれないのです)

 そして本書のこの章は個人のレジリエンスを高めるために最終的には「瞑想」を勧め、かつ「瞑想でなくても、幸福感を高める活動を日常的に行えばよい」ということも言っています。引用している「素人に8週間瞑想をしてもらった」論文は当ブログで過去に引用したものと同じようです。

 と、またしても「瞑想」に遭遇し、かつ「瞑想」は「承認」でも代替できそうだ、瞑想がめんどくさいと感じるひとは他人を承認することをやってみよう、ということになるのでした。


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 もう1冊の本、『レジリエンスビルディング―「変化に強い」人と組織のつくり方』(ピースマインド・イーブ株式会社、英治出版、2014年4月)はコンサルティング会社によるレジリエンスを高めるソリューションの本です。

 この会社では、レジリエンスの学習可能な要素を1.信念 2.人間関係 3.考え方 4.専念する力 5.自己コントロール 6.良い習慣  と整理し、研修で提供しています。


 先日NHK「クローズアップ現代」に出ていたのはここの会社かな。


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 自治体にお勤めの管理職の友人とお食事しました。

 
 書いてもいいと言われたのでおそるおそる書きますが、

 自治体の管理職に心折れる人は多いのだそうです。

 3年周期ぐらいで、全然違う仕事の職場にかわる。1から担当に教えてもらいながらやらないといけない。前の職場でつちかったノウハウや自信はまったく通用しない。そして管理職になると、担当時代のように笑いながら相談しあいながら仕事するわけにはいかなくて、すごく孤独。異動して6月から8月くらいまでがしんどさのピークだそうです。


 ではあなたはなぜ心折れなかったの?ときくと、しばらく考えてから、

「子どもたちにみっともないところを見せたくない。強いお母さんでいるところを見せたい」

と、答えはったのでした。


 この人もご家庭で良い躾を受けて育った人で、「武士は食わねど高楊枝、って感じですね」というと「ああそうです。父がよくそう言ってました」。

 彼女の周りには強力なレジリエンス・システムがあるようでした。


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 篠山市商工会の原田局長から、最近の職場のご様子をうかがいました。

 理事会に提出するための何かの資料で情報やアイデアを朝礼で募ったところ、たちどころに部署ごとに集まって活発に話し合う様子がみられたとか。

 
 「打てば響く」感じと、対話や議論と。原田局長自身のもつスピード感も作用しているのか、ますます元気な職場です。


 別のお客様のところでも「部下が自発的に机の周りに集まって話し合う様子がみられるようになった」と伺ったところでした。「承認から自然発生的な対話」という流れになっているようなのでした。


 そんなふうに、「人間性への信頼」を取り戻せるわたしのレジリエンスの源はお客様でした。

 「承認」はお客様のもとに移植され定着してから、何年にもわたって進化し続けます。
 



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

『独裁力』というジャンルが出てきています。


『独裁力―ビジネスパーソンのための権力学入門』(木谷哲夫、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2014年4月20日)では、

組織の生き残りのためには、

○あるべき姿についてのビジョンだけでなく、
 それを実現するための独裁力が重要なことを理解する
○権力欲で動くのではなく、乾いた視点で、道具として権力を活用する
○「正しい独裁者」を見出し、その人の能力を最大限生かす仕組みをつくる
○権力者を有効にサポートするフォロワーシップを育成する

が、重要だとします。


 強大な権力をもった独裁者。現役の経営者の中で何人思い浮かぶでしょうか。(でも、何人かはいますよね。その人たちがいいか悪いか別にして)

 また、わが国でこうした強いリーダーが生まれにくい素地として、日本には4種類のイデオロギーがあるとします。
 それは、・「すりあわせ」至上主義 ・「強みを生かす」というお題目 ・組織文化のせいにする ・間違った権限委譲の信奉―でした。確かによくみるなあ。本書によれば、アメリカではもともとリーダーの独裁力が強すぎるためにそれを制限する仕組みをつくったのが、独裁力が強くない日本にそれを輸入してまじめに運用してしまったのだという。だから、独裁力を身に着けるためにはリーダーは理論武装しなくてはならない、とも。

 
 そして具体的にどうやって権力基盤を構築するか、動員力を発揮するかのノウハウ部分は本書に譲りましょう。知りたい方は購入してください。


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 さて、
 こうして「独裁力」についての学問的知見が出てきたのはわたし的には歓迎であります。

 それはお客様についてとわたしたちのNPOについてと両方あります。

 お客様について、これまでエグゼクティブ・コーチングでご支援してきたのは多くの場合「独裁者」でありました。その人たちが正しくあるように、かつ個別の場面で部下に上手く対応できるように、とご支援しおおむね上手くいっていたわけです。
 「独裁者」のもつ武器としての「承認」という側面もあったと思います。ここは誤解されやすいところですが「承認」は必ずしも「完全民主制」を意味してはいない。

 それぐらい、経験的に、正しい志や信念をもつリーダーの「突破力」というのはすぐれたもので、合議では出せない力が出せる。


 いっぽうでわたしたちのNPOについては、ご存知のように正田は体力もない、知力もさしてない取り柄のない人間でありますが、
 このブログでも悩ましく延々と書き続けているとおり、当協会の歴史の中では「独裁」にならざるを得なかった事情がありました。

 例えばのはなし、旧コーチング・リーダーズ・スクエア(CLS)時代に、他研修機関の考え方の講師を招いて勉強会をする。
 すると、その中には「他研修機関」のものなのかその講師の個性なのかわかりませんが、甘やかされて育った人特有の「自分甘やかし」のロジックが入っている。会社はマネージャーは個人に対してあれしてくれるべきだ、これしてくれるべきだ、というような。
 
 ―どうも、あるときから感じているのですが、こうした「コーチング」などの心理学的な手法に飛びつくひとや講師になるひとの中にみんなではありませんが相当数、「???」というひとがいるのです―

 わたしなどはそういうのは聞き流すのですが、勉強会参加者でそれまでわたしが信頼していたリーダーがその磁場に巻き込まれ影響されて、それまで言ったことがないような「自分甘やかし」のロジックを言い出す。

 おいおい家族持ちでマネージャーのあなたがそれ言ったら人生おかしなことになるだろ、というような。

 
 そうしたことを何回か経験して深刻に反省し、

「これは同じ『コーチング』という名のもとに全然違う考え方を導入してしまったから、一度わたしを通じて『コーチング』を信頼してくださった受講生さんが無批判に無防備に受け入れてしまう状態になってるんだ。つまりわたしが招いたことだ」

と考えるに至りました。


 要は、玉成混交である。マネージャー育成、というミッションに基づいてこちらで選別してあげなければならない。選別はプロの仕事で、素人さんにはそこまでの判断能力がない。往々にして「甘い」ことを言うほうがその場の受けは良い。


 こうした、「選別はこちらでします」という態度は、本書によるとスティーブ・ジョブズのIpod, Iphoneも同様のコンセプトのようです。お客様が安心して楽しめることを優先し選択肢を狭める、という。「わたしはジョブズだ」というんだろうか、なんと怖れ多い。
 でも、それはお客様の人生を大事に思う姿勢から出ているのだ、ということもわかっていただけますでしょうか。


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 本年のNPO会員名簿には、会員のみなさまから「一言メッセージ」を書いていただいたのですが、その中におふたりほど「正田さん/正田先生の考えのもとに集まられた皆さんとの交流を楽しみにしています」という言葉がありました。

 ご承知のように決して新興宗教のたぐいではない、会員さんも狂信的ではない、良識あるハイパフォーマーの方々です。


 それはわたしの中にある悩ましい思いに少し安堵感を与えてくれたのでした。

 すなわち、例えばかつてのわたしの母校の「国際関係論ゼミ」が別名「中嶋ゼミ」であったように、当協会も「NPO法人企業内コーチ育成協会」と、中立な名称ではあるけれど実質は「正田ゼミ」のような(ミンミンゼミじゃないですよ)ものである。そして、「正田さん/正田先生はおおむね間違ってないことを言ってるな」と思うひとがそこに入ってくれる。コーチングは好きだけど正田は嫌い、というひとは入らなくていい。そういうコンセンサスが成立しつつあるのだな、ということに。


 そのコメントを書かれた1人の方に会って、感謝を述べたあと、「私の中にあのように書かざるを得なくさせるようなものがあったのでしょうか?」と訊きました。そうではない、というお答えでした。どのみちこうした問答で本当の答えを言ってもらえるものなのかわかりませんが―、その方のキャラクターで、多分本当に「そうではない」なんだろうな、と思いました。

 
 昨年度からようやっと個々の集会の幹事さんを任命し、任せるようにした当協会です。冒頭の本で言う「民主独裁企業」への移行はなるでしょうか。

 


 参考記事:

 恩師の「お別れの会」と恩師のいさかいの記憶、そして遺してくれた言葉

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51859894.html
 


100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp
 


お世話になっている皆様




 おはようございます。
 企業内コーチ育成協会の正田です。

 
 連休中日の月曜です。皆様、いかがお過ごしですか。



※このメールは、NPO法人企業内コーチ育成協会のスタッフ及び代表理事・正田が、過去にお名刺を交換させていただいた方・当協会のイベントやセミナーにご来場いただいた方にお送りしています。ご不要の方は、メール末尾にありますURLより解除ください。
(解除方法詳細はメール末尾をご覧ください)



 本日の話題は:


■「承認―認める―」がもたらすものの大きさ
  すべての読者の皆様に、また会員・過去の受講生の皆様に
  

■第40回よのなかカフェ「幸せって何?〜世代を超えて語ろう大切な瞬間〜」募集開始しました

 


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■「承認―認める―」がもたらすものの大きさ
  すべての読者の皆様に、また会員・過去の受講生の皆様に


 大型連休にプレゼント企画です。

 過去のすべての受講生様に、またこれから学ばれる方に。

 「承認」の学習と実践が、マネジメントに携わる皆様に何をもたらすか。過去の受講生様の成果と、それを記録した記事をまとめてご紹介しています。

 従来「高業績が生まれます」「1位マネージャーが生まれます」と、喜ばしい結果をお伝えしてきましたが「それだけでは何のことかわからない」「胡散くさい、疑わしい」「われわれの仕事は営業ではないから『1位』など関係ない」というお声もきいてまいりました。

 いまだ学習されていない方には、そうしたお声が出るのも無理からぬことです。わたしたちは良心の教育で皆様が幸せになる道筋を探究してきたものとして、ご説明を尽くしたいと考えています。


 ブログにシリーズでご紹介していますので、お時間のあるときにご覧ください:



 幕間の独白(2):「承認」は「叱れるマネージャー」をつくれるか

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51887195.html


 幕間の独白(3)「承認」は「根性」をつくれるかー鬼塚氏がみたものは

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51887237.html


 幕間の独白(4):「コーチング」と「リーダー教育」に関する迷いとわたしの生き方と

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51887562.html


 幕間の独白(5):「承認」は「変化に強い人」を作れるか、幸福感をつくれるか

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51887696.html

 
 現時点ではこのシリーズは以上です。

 今後も追加する可能性がありますので、都度ご紹介させていただきます。


 当協会方式の「承認」または「承認中心コーチング」は、10年、3年、と続けて使ってくださる方が珍しくありません。有難いことですね。

 それは、現実世界に応用したときに無理がないこと、シンプルな原則であれもこれも詰め込まないこと、など、忙しいマネージャーである受講生様の使い勝手を誠心誠意考えた結果そうなったのだろうと思います。


 願うのは、「この手法」の価値を認めて今も実践を続けておられる方々が、周囲の方から「迷信にはまり込んだ」などと奇異な目でみられず、その成果にふさわしくリスペクトされる存在になりますように。




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■第40回よのなかカフェ「幸せって何?〜世代を超えて語ろう大切な瞬間〜」募集開始しました


 「よのなかカフェ」、皆様おききになったことはありますか。

 2009年4月以来、「社会人が時事問題について語る対話の場をつくろう」と開催。当初は水道筋でスタートしたものが、現在は神戸・三宮と姫路の2か所で開催するようになっています。


 そこでの主役は偉い先生ではなく、普通の社会人。毎回、生活実感に基づいて「こう思う」というご意見から、新しい視点、新しい気づきが得られはっとします。


 これまでは「高齢化社会」「神戸は住みやすいのか住みにくいのか?」「日本はスウェーデンを目指すべきか」など、さまざまなテーマを取り上げてきましたが、

 今回は第40回記念として、時事問題ではなく普遍的なテーマにトライ。

 それが、「幸せって何?〜世代を超えて語ろう大切な瞬間〜」です。


 メルマガ読者の皆様は、ご家族と「幸せ」について話し合う機会を持たれていますか?

 今回のよのなかカフェをご案内したところ、早速、「妻を連れて伺います」というレスポンスもいただきました。是非、大切な方とご一緒に(もちろんお1人でも結構です)ご来場ください。


 5月25日15-17時、三宮のカフェ「アロアロ」にて。http://aloaro.net/

 参加費 社会人2,000円、学生1,000円(ワンドリンク付き)。

 詳細のご案内はこちらでご確認ください

 よのなかカフェページ http://c-c-a.jp/cafe/index.html

 お申込みは メルマガ読者のかたは本メールへのご返信でどうぞ。
 
 ・お名前 ・ご職業(社会人・学生の別) を添えて、5月23日(金)までにお申込みください。


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◆ブログ「コーチ・正田の愛するこの世界」人気記事ランキング



1.発達障害者は注意するのが好き?『大人の発達障害ってそういうことだったのか』

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51884228.html

2.神戸は住みやすいのか住みにくいのか?よのなかカフェ「内から見た神戸、外から見た神戸」開催しました

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51833038.html

3.いま最も重要なのは日本企業の「組織を軽くする」こと〜三枝匡氏講演〜

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51792866.html

4.ANA河本宏子氏インタビュー(1)CAは約6000人の巨大組織

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51820117.html

5.ナルシシズムの記録、警告記事の記録

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51887366.html

★こちらもお勧め・「スマホ問題」について、真摯に取り組んでおられる県内の方々に敬意を表するとともに、こちらの記事自体にも高い評価をいただきました


 GREATEST LOVE OF ALL―猪名川町のスマホサミットに参加して

 http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51880078.html


★前号で配信した記事「けしからん!で済まない現実〜若手の集団離職をどう防ぐか〜誌上コーチングセミナー(10)」には、フェイスブックで「頭の痛い問題ですね」「普通に生きるということは昔も今も決して易しいことではないですね」とコメントいただきました。またあるお友達からは、「私の知っている職場(個人病院)でも最近集団離職がありました」と情報提供いただきました。
 毎日滞りなく職場が回っているのは、既に「奇跡」のようなことかもしれないのです…。
 




※このメールは、NPO法人企業内コーチ育成協会のスタッフ及び代表理事・正田が、過去にお名刺を交換させていただいた方・当協会のイベントやセミナーにご来場いただいた方にお送りしています。

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いたずら防止のため解除の確認メールをお送りさせていただいておりますのでご理解のほどよろしくお願い申し上げます。

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※このメールは転送歓迎です。
もしこのメールを新たに購読ご希望のかたがいらっしゃいましたら、
info@c-c-a.jp まで、「メールニュース希望と書いて
お申込みください。



ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

皆様にとって素晴らしい大型連休でありますよう。


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100年後に誇れる人材育成をしよう。
特定非営利活動法人企業内コーチ育成協会
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代表理事 正田 佐与
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ブログ「コーチ・正田の 愛するこの世界」
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日本人の勇気と自信は、ここから生まれる
「第3回承認大賞」
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「企業内コーチ育成のすすめ」
(株)帝国データバンク社『帝国ニュース兵庫県版』
2008年〜2012年 長期連載このほど完結
http://blog.livedoor.jp/officesherpa-column/

兵庫県中小企業団体中央会発行月刊「O!」連載コラム
「誌上コーチングセミナー」
http://c-c-a.blog.jp/archives/cat_50054961.html


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 今回のお題には、過去記事を参照しながらかきます。というのも全部蒸し返すと大変な長文になってしまいますから…、


 「承認」と「変化に気づく」「決断する」との関係は、以前こちらの記事に仮説として書きました:


 気づきに満ちた日常を生きる―受講生様の幸福を祈って―『マインドフルネス 気づきの瞑想』
 
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51824660.html


 ここでは、毎日「瞑想」の習慣を取り入れたひとがそれによって日常的に小さな変化に気づく力や問題解決力が向上する、という知見をとりあげて、

「『承認』を習慣化した人にもみているとそれとよく似た現象が起こっている」

と述べたものです。「承認」は周囲の人の良い行動につねに目をとめ、言葉で伝えることを課すものですが、それを習慣化するということは、案外わるい行動にも目をとめているものです。

―だから「承認ワールド」の人が「叱る」に転じると結構怖いんですが―

 いいにつけわるいにつけ変化に気づく態勢になっているでしょう。


 「瞑想」に関しては昨年秋にも情報提供をいただき、紹介しています:

 
 講座15期開催しました 情報提供に感謝:嫉妬と痛み、瞑想の効用

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51873506.html


 どちらかの脳科学研究機関で「承認」による脳変化、というのを研究してもらえないか2,3の研究機関を当たりましたがいい返事はもらえませんでした。



 さて、上記は「承認」をおこなうことが行為者の上司側に良い効用をもたらす、ということを述べていますが、部下側はどうなのでしょうか。

 これまで情報をいただいた範囲では、おおむね、日常的に「承認」されている部下にも好ましい変化が起こります。というか一般にはそちらに良い効用があることを意図しておこなうのですが、

 部下もまた、はっきり変化への適応は良くなります。新しい課題にすすんでチャレンジするようになります。

 多少それには注釈が必要です。

 ここで「承認」というとき、当協会方式ではそれにプラスして、「決定の理由・背景・根拠・目的を伝える」と、トップダウンの指示にプラスアルファの理由をつけて伝えることを推奨しています。「君は良くやってるね」などと部下自身をたたえる言葉がけもあるのですが。こうした、「しっかりした背景説明」を抜きに決定だけ伝えてさあやれ、と言ってもそれは難しいでしょう。
 そういうのもあって、単に「ほめる」というより「承認―認める―」と呼びたいのですが。


 そこで思い出すのは、

 先日ご訪問した特例子会社さんでの事例を差し支えない範囲でご紹介しますと、一般には変化への適応が難しいといわれる発達障碍者の方々が、理念で「職域拡大」をうたって浸透させるとともに、新しい課題へのチャレンジを奨励してやると(ちなみにこちらの特例子会社さんでは「認める」ということにも非常にご理解がおありでした)すすんで取り組んでくれるようになる、とのことでした。

 ダイバーシティーのさまざまな局面でおもうのですが、「承認」のマネジメントは「ユニバーサルデザイン」のマネジメントなのでした。


****


 ふたつめのお題、「承認は幸福感をつくれるか」は、よりわかりやすいかと思います。

 上司、部下ともに幸福感がアップします。


 これについては、「承認研修」を受けた管理職の方が、とりわけ「宿題」をきれいに型どおり行って成功してくださった方が、「自分自身の幸福感がアップした」と述べています。もともと相手に良かれという気持ちを多く持たれている方でしたら、良かれと思って発した言葉が狙い通り相手の幸福感を増し、パフォーマンスも上げた、となると、そこから回りまわってご自分の幸福感に寄与することは図り知れないでしょう。

 シンプルに「人の脳は自分と相手を分けることができない。相手をたたえる言葉がけをすればそれは発し手の脳に、自分がほめられたかのような喜びや能動性をもたらす」という解釈もできます。

 上記のフィードバックは女性でしたが、男性でも「自分自身の決断スピードが速くなった」というフィードバックを研修後にくださった方もいます。


 部下の幸福感がアップするのは…、論をまたない、と言いたいところですが、残念ながら幸せと自覚してくれないケースも多いようです。

 のちに「28商工会中1位」をとった篠山市商工会さんでは、管理職研修の途中に記述式アンケートを、管理職・一般職と分けてとったところ、管理職が「部下にプラスの変化あった」と回答しているのに対し、一般職は「変化なかった」と、軒並み残念な回答でした。

 しかしその1か月後には「1位」が明らかになり、部下の側に自覚がなくても、能力的には、またパフォーマンス的にはアップしていたことがわかったのでした。

 そのあと再びとったアンケートでは、部下の中にも「自分にも上司にほめられて嬉しい気持ちがあったことを言っていなかった」と反省の弁がみられました。これは比較的成熟度の高い人でした。

 
 「親の心子知らず」は上司部下の関係にも結構当てはまるものであります。いいじゃないか行動が伸びたんなら、とも思いますが。


 そして、「能力が上がった」「パフォーマンスが上がった」というとき、それは本人さんがさほど自覚していなくても、幸せな状態といえるだろう、と思います。このブログで良く出る言い回しで、人の脳は貪欲なまでに成長を求める臓器なのであり、成長を求めるのが人の本態だ、と。(障碍のある人ですとまたちょっと変わるのですが、特例子会社さんでもゆっくりですが成長はされているそうです)幸福感が損なわれるのは往々にして、成長が妨げられているときであります。

 「承認」は「その人の個別性をみる」ということでもありますし、また「成長を欲するたましいとしてみる」という側面もあるのです。


もう少しわかりやすい「幸福感」の例としては今年1月、コープこうべ顧問・有光毬子 さんが紹介してくださった、おとしよりのラジオ体操の会の活性化ぶりが挙げられるでしょう。メンバー同志の会話や互いの関心がはっきりと増えたほか、年末には手分けして全員にコーヒーを淹れてご苦労さんをする、バレンタインデーやホワイトデーにはプレゼントを送り合う、とアクティビティも活性化しました。「企業だったらこれが競争力になるのだろうけど」とは有光さんの弁です。


 なお上記の「変化に強い人をつくれるか」「幸福感をつくれるか」の答えとして、「ポジティブ心理学」の側の知見もあります。「ポジティビティ(自己肯定感情)」を持つ人は上記のどちらも兼ね備えており、そしてポジティビティを持つためには瞑想も良いし、「承認」のようなことも効果がある、ということを言っている読書日記があります。


本当のポジティブとは、逃げないこと?―『ポジティブな人だけがうまくいく3:1の法則』をよむ

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51873506.html



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp


 

 「週末起業」としてのコーチング、というものもあるんだった。そういうのをウリにしたコーチングスクール、というのもある。資格をとるとパーソナルコーチとして起業できますよ、副収入がえられますよ、っていう。

 うわ〜、こんなチャライものと一緒にされてはかなわんなあ。

 
 そこのスクールの人が一度うちの講座にきたことがあったがまるっきり「別系統」だった。当社流の「リスペクトの精神」などは微塵もなかった。


  たぶんこのブログを読まれるかたに誤解されるかたはいらっしゃらないと思いますが、当協会は「週末起業をすすめる団体」ではございません。ああ疲れる。

 「コーチング(Coaching)」という言葉の是非について。


 ビジネスコーチング発祥の地アメリカでは、リーダー育成の手法としてコーチングは確固たる地位を築いているようにみえます。『リーダー・パワー』(ジョゼフ・ナイ、日本経済新聞社)、GEやグーグルでのリーダー育成の模様を描いた『リーダーは弱みを見せろ』(鈴木雅則、光文社新書)などをみる限り、そうです。そしてわたしもそれに賛同しており、コーチングはリーダーの精神とスキル両方の重要部分をなすものであると考えています。(かつわが国では、そのなかでも「承認」が従来考えられていたよりはるかに比重が大きいのですが)


 一方ではヨーロッパでは「コーチング」は日本と同様、自己啓発セミナー的な伝え方が災いして胡散臭いものとして認知されたということもききます。要はアメリカから持ち込むとき、どういうふうに加工し味つけしたかで印象が決まってしまうようです。
 わが国でもそうですが、パーソナルコーチングのクライアント獲得狙いのセミナーをする講師だと、理性を失わせるような場づくりをします。予後つまりセミナーで成果が出るか出ないか、副作用が出るか出ないかの結果はわるくなります。


 このところ当ブログで書いてきたことが、みる人によっては「コーチングって怖い」というイメージを持たれたかもしれないですけれども、これについてわたし自身複雑な心境です。


 当協会では、今のところコーチングという手法を使っていることは隠すつもりはありません。世間の多くの企業内研修で、「これ、要はコーチングだよね」ということも、その名を伏せてほかの名でおこなう研修がよくあるようですが、人が何かを学ぶとき、自分が習得しようとしているものの名前を知っていることは重要なことだと考えています。

 ですので「承認」を語るにもセミナーの中身に入ると、「企業内コーチングの全体像」を紹介し、それが「承認」「傾聴」「質問」などのモジュールで出来上がっていること、さらにその中の「承認」の重要性について伝える、ということをします。ただしその内容は関学の武田建流のコーチングの考え方を使っており、わが国で一般に流通している「コーチング」とは別系統だ、ということも。
 そしてクライアント獲得の意図をもってセミナー・講座・研修をすることはありません。純粋に、受講生様のマネジメント力が向上することを意図して教育を行います。


 有難いことに当協会の会員さんは、自社で別系統のコーチングの研修をやっていても「こちら(当協会)のほうが本物のコーチングだ」とわざわざポケットマネーで講座を受講したり年会費を払ったりしてくださいます。そして業績的には・・・(以下略)


 でもこうしたごちゃごちゃしたことは、間に入る人、要は研修事務局の方には邪魔くさいだけだろうとも思います。


 今の正直な心境は、「武田コーチング」に敬意を表しつつも、「承認リーダーシップ」という今使っている呼称で認知してもらえたらいいな、と思います。
 優れたリーダーをつくっていることは間違いないのですから。


****

 
 「コーチング」という語が生む誤解の種類にも色々あるのですが、最近気がついたことは、

 例えば一部公的経営支援機関には、大企業からの出向組の方がきて役職についていらっしゃいますが、この人たちは出身企業で恐らく社内講師による「コーチング」の研修を受けておられるだろうこと。

 その場合、「コーチング」と「リーダーシップ」を切り離した形で、単なるスキルトレーニングとして研修をしている可能性が高いのです。講師は多くの場合社内の総務部門の女性とか、子会社の人材育成会社の女性講師です。
 だから、わるくいえば「リーダーのやることではない、女子供がやるもの」と思ってしまっている。
それはわたしが女性差別しているわけではなくその人たちの思考回路はそうだ、ということです。

 そういう種類の誤解をすべて先回りしてコントロールすることはできないなあ。


****


 色々と人と話すなかで、難しいなあと感じるのは、

「承認」が既に大きなものになりすぎてしまった、と言えるのではないでしょうか。

 たとえば担当の方とお話していてああでもないこうでもない、とやる中で、「それやりましょう!」とノリでポンと合意できるようなものではなくなってしまっている。


 受講生様の「成果」をつくりだすノウハウはほぼこの12年間に確立されていて、それはわたしなりに誠実に真摯に追求し続けてきた結果編み出されたものなのだけれど、

 逆に新任の担当者のかたが到底追いつけないところに立ってしまった。


 このブログでここ数日書いてきたように、それこそ沢山の取捨選択のプロセスがありました。それは例えば「若手教育が大事かミドル教育が大事かとか、もっというと「制度が大事か教育が大事か」、「教育費はかけるべきかかけないべきか」のような入口の議論も含みます。また細かいセミナーのやり方とかわたし自身のあり方、話し方なども含みます。


 それらに真面目に悩みながら答えを出してきたからこその受講生様の高業績なんですが、

 その「完成品」ぶりに反発を感じないで受け取れるタイプの人が担当者でなかったら、もうアウトです。
反発を感じやすいタイプの人は、どんなに「高業績に結びつきますよ」と言ってもダメ。かえって反発を強くします。仕事のミッションとしてどうか、というのはどうでも良くなっちゃう。


 わたしも無駄にセンサーが発達しているものだから、「反発心」は、敏感に感じ取ります。

 「民間でどんな成果が出たか知りませんけれど、われわれの仕事は営業じゃないですからね」

 はい、存じてますあなたの揚げ足をとりたい「お気持ち」は。どんな成果でも反発し、お母さんに対してするみたいな口ごたえをするということは。高業績はかえってうれしくないわけですね。


 女がリーダー教育をして高業績を出す。歴史上は、あまりみた記憶がありません。同時代には結構あちこちで起きていることなのではないかと思いますが。

 それは慣れていただかないといけない。



 12年間リーダー教育をやってきた。最初は「自分なんかがマネージャーに何か教える資格があるのか」と問うて緊張のあまり腸炎を起こすぐらいだった。それでも成果が出、それを信じてやってきたら「成果続出」になった。その結果を信じることができなかったら、今目の前にあるPCだって信じられないことになってしまう。


 人様の先入観がどうあろうと、わたしはわたし。そして事実は事実。それは会社員時代からずっと続いてきたことで、生き方が下手だと言われればそうなのでしょうが、わたしを育ててくれた人たちを裏切ることはできない。もちろん「この手法で成果が出ました」と報告してくれた人たちのことも。


 残念ながらわたしの教育が行き届く範囲の外の人にはナルシシズムがあり、ジェラシーがあります。

 わたしが実績を積めば積むほどそれは激しくなり、手段を選ばなくなっているようにも思えます。


 それのコントロールの仕方というのは、今も正直言ってわかりません。


※※※※


最近複数のところで出た議論で、

「どうして東京に出ていかないの?」
これには、

「地縁がないから」
「エージェントがないから」

等とお答えしていますが、
たとえこれらの問題がクリアされたとしてもわたしの中に残るであろうもの、
それは、

「地元を幸せにすることができなくて何の人を幸せにする仕事か」

という思いであり、
土地への愛というのは例えば篠山で仕事すればお祭りを見に行ったりボランティアに参加したりと、わたしにとって自然と体の動くモチベーション源なのです。

過去に大阪でそこそこの成功を収めながら新しいものに飛びつかない神戸に戻ってきてしまったのはそれゆえでしょう。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

 今年度のNPO総会資料を発送しました。今年の総会は5月25日(日)。よのなかカフェも同じ日におこないます。

 先週が、監査と理事会でした。

 今年は役員改選時期に当たり、監事のUさん(女性)が辞任。また3期6年務めてくださった理事の大前さんが遠隔地とご多忙のため辞任されました。

 Uさんは、実はNPO設立当時の経理担当者さんで、今のYさんの前任者さん。
 そして某大企業の社長の奥さんでもあります。ということは以前のブログで何かの折に触れましたでしょうか。収入には全然困ってないのに「NPOではたらきたい」と来られたかたです。会計事務所勤務とNPO勤務の経歴があり、設立ほやほやの当NPOには本当に有難いスタッフさんでした。

 目のご病気で経理を退任されたあと、監事の席が空いたので「年に一度のお仕事だから」と監事になっていただいていました。

 また大前さんは、NPO設立時の(これもまた、「他研修機関」の人の)うんざりするようなドタバタがあり、その理事の後任として入っていただいてもう6年になりました。あのドタバタを見慣れた人でなければ、あそこに入ることはできなかったと思う。


 企業でも常務という役職で、議案書、議事録の作り方などはいつも大前さんにお知恵をお借りしていました。

 それは余談です。


 今回の総会資料の1つ、前年度の事業報告書には、活動風景の写真を入れたりして少し楽しくしてみました。
 使ったのは多くは集合写真ですが1か所、正田の顔写真が入っている箇所があります。

 それは昨年8月のよのなかカフェ。

 これは、団塊コンサルタント―役員の謀略で「研修中断」になった直後のこと。ナルシシズムの醜さ愚かしさをまざまざと知った”事件”であり正田も相当精神的に参り、寝込みました。そのさなか、姫路で予定していたよのなかカフェは主催者だからやらないといけない。重い身体と心で姫路に赴いて、かろうじて人前に出ていた、そういう姿です。


 このときのよのなかカフェは「承認」をテーマにした回でしたが、ここでもこの手法で業績やモチベーションが顕著に向上することを紹介された年配者やご同業のコンサルタントが悪意の発言をし、正田にとっては決して楽しい回ではありませんでした。まだまだ猛暑の途切れないころでした。


 人はなんとジェラシーで、要はナルシシズムで、物事を正しくみることができない生き物だろう。そういう疲れが写真の表情から読み取れます。


 なんとなく、そういう「記念」にその写真を使いたくなったのでした。

 わかる人にはわかるかな。

 しかし、この後この年度はご承知のように「業績向上事例」が連続し、過去12年で最高の「豊作」な年となりました。素晴らしい受講生さんがたとのお出会いがあり、また以前からの会員さんがたからの支えがありました。

 それで正田もだいぶこころの体力が回復したと思います。


****


 このブログでは定期的に「心理学系セミナー」についての警鐘を鳴らします。

 過去からあまりにも沢山の記事を書いたので、いちどそれの「まとめ記事(リンク集)」のようなものを作りました。

 それが

 「研修カクテルがもたらす副作用―傲慢、ナルシシズム、全能感、打たれ弱さ」
http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51819638.html


 (これももう2012年8月、今から2年前の記事で、その後も何本か追加で記事を書いています)


 本来は、一研修機関が他研修機関を批判するなどというのは自社にとってもイメージダウンになりますから、普通やらないことです。


 なぜあえてやっているのかといいますと、

 折角当協会の講座等を受講して「良い」と思ってくださったかたが、その後知識がないばかりに好奇心で他社の研修もどんどん受講され、その結果好ましくない影響を受ける、良くない方向の人格変容が起きる、ということが引きもきらなかったからです。

 普通は知識がなければそうしてしまうでしょう。

 しかしそれでは大切なお客様を当協会が守れなかったことになるではないか、と悩みに悩んだすえ、ブログで警告を出すことになりました。非営利教育だから良心の発言をすることも引き受けよう、ということになりました。


 このところのブログ記事「幕間の独白(1)〜(3)」もその系統の記事です。初めてみる方はびっくりされるでしょうが、当協会では以前からやっていることなのです。




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 いくつか前の記事「日本の田舎に伝わるナルシシズム封じのおまじない」には、「辛抱やで」というお父さんが出てきました。


 「辛抱」「根性」は死語になったかのようにみえますが、一昨年『スタンフォードの人生を変える授業』で「持続力/続ける力」が注目を集めたのは記憶に新しいですし、逆境に負けない「レジリエンス(回復力)」もこのところ注目を集め、先日はNHK「クローズアップ現代」でも取り上げられていました。「根性」、実はトレンドなのです。


 さて、「根性―やり続ける力とレジリエンスが合体したようなもの―」は、社会人になってから鍛えることはできるのでしょうか。あるいは、「コーチング」とか「承認」のような、企業研修で高めることはできるのでしょうか。


 答えはYesでもありNoでもある、とわたしは思います。

 Noつまり「鍛えられない」の理由は、1つには「続ける力」にはかなり個体差があり生まれつきあきっぽい人が練習次第で持続力のある人になれるわけではない、と一昨年「続ける力ブーム」の最中にも遺伝子学者の主張があり、わたしも経験的にはそちらに傾くからです。

 ただ日本人は遺伝子上は「固執性」すなわち1つのことをやり続ける資質をもっている人は多いとされ、それが「変化に弱い性質」につながってもいるのですが、「続ける力」には一日の長がある民族です。正確に言えば「続ける力」をもった人が多い民族です。


 もう1つ職場では鍛えられないと思う理由は、もともと「続ける力」の素質に恵まれた人であっても、幼少時から中高生ぐらいまでに部活などで何かをやり続ける経験をさせてやらないと、その力が開発されないからです。中高生までの生活体験の決定的に乏しい人に職場が何かしてやれる余地があるのだろうか、とすら思います。

(そういう意味でも今どきの中高生のスマホ依存には危機感をおぼえるのですが)


 このあたりは今年1月、『成功する子 失敗する子』の読書日記でも触れましたね。


 ただ、Yesの部分もあるでしょう。

 先日のクローズアップ現代に描かれていた「レジリエンス」に関する企業研修では、結局講師のかたが参加者に「承認」に近い言葉がけをしていました。過去の逆境体験を承認し、「あなたにとって今の苦境はそれに比べれば『大したことではない』可能性があります」と言ってあげていたわけです。言われた参加者はそれをきいて勇躍新規開拓に行っていました。


 それと同じように、上司が「承認」を習得して使い手になっている職場では、この企業研修のような場面が日常的にしょっちゅう起きている可能性があります。部下たちはチャレンジを奨励され、長期にわたる労苦をねぎらわれ、結果だけではなくプロセスを承認され長期にわたりエネルギーを持続します。「レジリエンス」の重要な要素の1つは自己効力感ですが、自己効力感は「承認」でつくってやることができます。


 「メンタルの弱かった部下が強くなった」

 当協会の受講生さんからは、よく伺うことです。


 もうひとつ、上司が「習得して使い手になる」にもやはり上司の「続ける力」が必要です。

 一般に管理職になるような人は部下の方々より「続ける力」の持ち主であることが多いのですが、それでもまた、人生観や人間観が「承認」とは合わない人もいますから、研修の歩留まりは100%ではありません。


 そこで講師のわたしからは、人格的に合わない人やなにごとも続かないタイプの人については諦め、人格的に合い、かつ続ける力のある人をターゲットにお話しして「承認」を教えます。


 そこでは、正しいターゲットの人ができるだけ実際の行動をとり、かつ「続けて」くださるように知恵を絞ります。
 1つ2つ前の記事にあるように「自己啓発セミナー口調」「遊び半分口調」ではなく、実務の中でマネージャーさんが話すのと同じような話し方をします。(もちろん、「上から口調」ではなくフラットな口調です)セミナーでの話を現実に移植しやすいように、夢のような非日常空間ではなくできるだけ「現実と地続き」の空気をつくります。受講生さんは気楽に質問をし、感想を述べられるよう双方向性の空気にします。
 セミナー後には宿題を出して、行動をとるよう促します。宿題ではもっとも成功確率の高い「承認」のやり方を指示し、良い手ごたえを得、成功体験となるよう図ります。提出された宿題には承認のコメントをつけて返し、継続するよう促します。「宿題の共有」もするので、研修後2週間は刺激に暴露することになります。


 このほかやり続けた人にどんな良いことが起こるかの情報提供をセミナーでもしますし、メルマガ、ブログでも追加の情報提供をします。ブログは足かけ9年にわたり書き続けていますから、活字を読むのが苦痛ではないタイプの人には飽きのこない情報量だろうと思います。


 本当はこれ以外に、単発の研修で終わらさずシリーズ研修で受託し、数か月にわたって正田が出かけてきて顔を合わす、というのが理想なのです。
先生につく、ということでは、わたし自身苦手な体力づくりのためにパーソナルトレーニングに通いますが、ある程度対人関係を大事にするタイプの人にとっては、「定期的に先生と顔を合わす、会話をする」というのが、何にも勝る最大の持続法です。


 今どきの企業研修事情ではそれがどんどん難しくなりつつあるのですが―、

 「続ける」人を作ることが業績向上につながり、有意義な投資なのだ、と周知し続けるほかないでしょう。



 さて、「質問中心コーチング」は持続力をつけることはできるのでしょうか。


 わたしのみる限り、長期シリーズ研修であれば別ですが1日研修ぐらいですと、「続ける力」に結びつけるのは難しいようです。

 ともかく1つ2つ前の記事にあるように、現実世界に戻ってすぐ頭打ちに遭いやすい。

 また、あくまでわたしが接触した範囲の人ですが、妙に気が変わりやすい。「今日は昨日とは別のところにいるの」なんて、過去を全否定するようなセリフをいい大人が言ったりします。過去の自分の決断には責任を持つ必要はない、と言わんばかりに。

 人は質問をたくさん投げかけられると、視点を変えることができるのですが、視点を変えた結果、過去にやると決断したことも既にやり始めたことも、「やーめた」と放り出しやすいのです。

 こういう人が視点を変えるとか自由とかいうのは、実は現実世界の困難に遭って痛い目をみ、それだけでやる気がなくなった、という「根性のない」人のセリフなのではないか、とわたしは思います。

 人びとがそういう安易な選択をすることの歯止めは「質問中心コーチング」にはありません。そこでは「責任」で人びとをつなぎとめることはできません。


 「あくまでわたしが接触した範囲の人」という言い方をしていますが、この12年の間にこの種の方々に裏切られる体験を十分すぎるほどしてきているので、上記は控えめな言い方をした、と思ってください。このタイプの人を「信頼」するほどお人好しではないし、こうした人格形成は当然、組織や社会の信頼感を低下させることにもつながるでしょう。


2006年、前身のコーチング・リーダーズ・スクエア(CLS)でアシックスの会長だった故鬼塚喜八郎氏に講演をお願いし、続いて顧問就任をお願いしたのは、みるひとによっては「正田はすぐ権力者にすり寄る」みたいに思うかもしれませんが、意図としてはこうした「チャラいコーチング」とわれわれは一線を画しますよ、と打ち出したかったからです。また鬼塚氏がマネージャーたちのパネルディスカッションまでご覧になったうえで、
「コーチングはわれわれの若い頃にはなかったが、素晴らしいものですね。感動しました!」
と言われたのは、「コーチング」という言葉を使ってはいますが、わたしたちの特有の骨太の気風を感じ取ってくださったでしょう。

それはひょっとしたら、恐れ多いことですが「戦中派」世代の方々が持っていたものと通じるところがあったかもしれません。
 
 
 
 1つ前の記事で「イノベーション」は自由とか創造とかの文脈ではうまれない、ということを言いました。

 イノベーションの端緒が何から生まれたかはべつとして、それの実現のためには、社内の人びとの息の長い説得が必要です。その面倒さのゆえに日の目をみないイノベーションがどれだけあることか。


 現実化したイノベーションはその大半が「根性」の産物だ、といえるでしょう。あとは「勇気」と。



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 「叱れない管理職が増えている」と、いわれます。今どきの空気を読む、嫌われたくない、風潮が関わっていそうですがそれでは職場の規範維持ができません。

 
 好ましくない行動をとる社員がいるのを知りながら注意/指摘/叱責をせず放置していると、職場のやる気の高い、規範意識の高い人までもモチベーションが下がってしまいます。


 
 当協会方式の「承認中心コーチング」はこの状況に何ができるのか、ということですが、


 「承認」を他にないくらい強いトーンで伝える代わり、「承認」にはマネジメントのコミュニケーションのおよそすべてが入っているといっていいのです。

 すなわち、指示命令依頼、伝達/連絡、教える/OJT、問いかける、理念・ビジョンを語る。そして注意/指摘/叱責 もであります。

 「承認」がイコールこれらだ、というわけではありませんが、「承認」導入後は驚くほどこれらを伝えたとき伝わりやすくなります。

(それは、お世辞の歯が浮くような「ほめ」ではなく、相手の行動を正確に「認める」ことを繰り返す、当協会方式の「承認」の場合は、であります)


 なので当協会方式で長くおやりになっているマネージャーさんがたにききますと、結構いまどきの人でも「叱って」おられます。現代でも「叱る」ことは別に禁忌ではありません。ただ相手の納得性の要求度が高くなっただけです。

(こういうことを言うとどうしても一部の受講生さんのところで「叱る」が正当化され増えてしまう、という現象もみられるようです。皆様くれぐれも気をつけて。安易に「叱る」に頼りませんように)


 
 わたしは基本受講生様方を信頼していて、皆さん基本的に自分の部署を良くしたい、問題など起こすことなく運営したい、そして業績を伸ばしたいと思っておられると。もちろん「承認研修」をして反応する人、しない人といますが反応する人に関しては、です。(反応しない人はもともと非常に問題の多い人である可能性大です)


 その「信頼」は、メディアの世界の「バーチャル」な意識の方々には信じられないことかもしれません。若い人=善、中高年マネージャー=悪、というバイアスがあるようですから。

 また大学の先生もそう。自分が企業に送り出した若い人=善、それを職場側で迎え指示命令を出すマネージャー=悪、という構図があるようです。マネージャー側に関わる機会などない人たちですから、仕方ないですね。


 
 さて、それはともかく、

 1つ前の記事で触れたような従来の「質問中心コーチング」ではその「規範維持」はどうなるかというと、

 叱れないマネージャーをつくる可能性大です。規範維持はできなくなります。


 というのは、前述のようにセミナー運営の必要上「遊び半分ノリ」「自己啓発セミナーノリ」を作りますから、そこでは「叱る」など野暮なものとみなされるのです。

 シャイな日本人に質問に答えるというストレスフルな状況に耐えさせるために、「自由」「責められない」を強調します。

「自由!」
「創造性!」

 魅力的な口調で連呼する講師もいます。

 そこでは、「でもときには叱らなくちゃいけないんじゃないの?」などと口を挟むすきがありません。


 こうした講師の方々の「場を巻き込む力」は凄いもので、わたしなどは逆立ちしても真似できなくて舌を巻きます。「巻き込み力」は「扇動力」と呼ぶこともできると思います。

 しかしそうした教育を受けた人びとは―、前項の記事のように、きわめて無責任な軽々しい調子で仕事をするようになります。あるいは、業種によってはそんな調子では1日も持たない仕事もありますから、そこで即頭打ちに遭い、「にどと『コーチング』なんて信じないぞ」と思うようになります。


 現実世界は、「自由」どころではない規律規範で一杯です。社会人になるということは、そのルールの世界にすすんで身を投じるということなので、そういう契約なのです。ところがとうのたった40いくつになって、マネージャーになって、「自由!」「創造!」の教育に暴露したとき、当初の契約など忘れて自分の都合のよい「自由」にはまりこんでしまいます。なまじ「権限」をもった年代の人が。なんと危険なことでしょう。


( ほんとうは、イノベーションというものも「自由!」「創造!」の文脈でうまれるわけではないのだ、ということを過去にも書いたことがありますし、次の記事でも触れたいと思います。)


 ともあれ「質問中心コーチング」が「叱れないマネージャー」をつくる一助になっている可能性大、ということは言っておきたいと思います。とりわけ短時間の、1日だけ、半日だけの研修だとその可能性があります。もし長期のシリーズ研修で、承認傾聴質問だけでなく「フィードバック研修」まで入るなら別かもしれません。



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嫌な仮説がどうやら当たったようだ。
このところどうも話がかみ合わない、と感じていた人々は、どうやら他社方式のコーチング研修を受けていたようなのだ。

当社以外の方式は、ほとんど「質問中心コーチング」である。

そして、それらを受講した人々は…、

因果関係はないと思いたいのだが、

読者の皆様は、みたことがないだろうか。

やたらゆるゆる甘々で、規範意識が低く、「自由」で、
「面白い」とか「楽しい」がすきで、
辛抱強さとか根性はなくて、安易に流れる。
そして「自分の意見」「自分の発案」にやたらこだわる人々。
他人には共感しない人々。

そんなんでは仕事が成り立たないことのほうが多いので、
現実が抑止力になる、普通は。
ところがそんなでも成り立ってしまう職業も世の中にはある。

元々そういう変なご性格の人もいるが、
それを強化するような刺激に暴露し、なまじ教育だからそれに「正しい」と大義名分がくっついてしまう。


こういうタイプの人はうちのNPOの前身の任意団体や自主勉強会にもいっぱいいて、節目節目で問題を起こしてお引き取りいただくことになった。その都度頭を痛め、何がこういう人格形成につながるのか考え続けた。
現在の正田の研修スタイルはそうした苦悩と思索のすえに生まれたものです。
また「理念経営」の大切さも。


質問中心コーチングの伝え方にも色々あるが、
多くは、講師が妙に軽々しい半ば歌うような、語尾が上がり気味のイントネーションでしゃべる。
「さあ〜いってみましょうか〜」
みたいな感じで。

わたしの友人にはそういうのを
「自己啓発セミナー口調」と言って忌み嫌う人もいる。

何でそういう調子でしゃべるかというと、
「質問され、それに人前で答える」
というのは本来人々にとってストレスの高いことなので、
その場を「遊び半分ノリ」の空気にしないといけないからである。
そして空疎な質問と答えが飛び交う。


(ちなみに承認中心コーチングだとそこをどうしているかというと、
「承認」で相手のエネルギーレベルを上げ、
また質問者は「リスペクト」の姿勢を維持するので、
誠実で真摯な空気のまま質問し回答することができるのだ。
遊び半分ノリを作らなくても別のやり方で安心感をつくる。
そして質の高い回答、質の高い決断をする。
それこそが「王者をつくるコーチング」なのだ。
ごめんねまたコップの中の嵐で。

あ、それとうち「質問研修」もかなり徹底したことやるから、
「2時間」の人とか「孫」の人は「質問研修」もちゃんと受けてね)


そしてよく考えもしないでアイデアを出し、しかもその質の低いアイデアに固執する人が出来上がる。
仕事の現場がどんどんバーチャルな遊び半分ノリになる。
それは、悪いけれど質の低い教育に洗脳されたのである。
でも大人だから、何に洗脳されるかは自己責任だけど。


だからだ、
ここの会社の人が急速に質が下がってる気がするのは。


製造物責任とか問われないのだろうか、それって。

 尊敬する女性の友人から、亡くなられたお父様の教えというのを伺いました。

 ご了解をいただいて紹介すると、

「辛抱でけへん人間は何もでけへん人間や」。

 「何も」のところを「ひとつも」の意味の「ひーも」と言ったりもするそうです。


 味わい深い言葉だと思いませんか?

 そのあと続く言葉が、「だれかからひどいめに遭ったら10何年かかっても喧嘩する。自分に負けたらあかんねん」と言って、これも別の意味で「ひー」という言葉ですが。あっ、結構共感してしまったりもしますが。


 このお父さんは岡山県倉敷市の北のほう、小田郡矢掛町の山の上のご出身だそうで、ものすごく貧しいところ。そこで生きる知恵として「辛抱」があったらしいのです。


 感銘を受けました。


 このブログで以前ご紹介したように(「自己愛とサディズムと身近なこと」参照)、正田が目の敵にしているナルシシズムこと自己愛性パーソナリティー障害の特徴のひとつは、「すぐに結果が出ることを好む」というのがあります。そうした人が経営者にいると、正田がやってるような成果は上がるけれど少し時間のかかるようなものは採用されなかったり妨害されたりする。そしてそういう経営者が増え続けている。

 当協会の先日の合宿では、3種類の問題人格について取り上げるなかで一番救い難いのは「ナルシシスト」だと言いました。

 
 しかし、日本語の「辛抱」という言葉は、見事にそのナルシシズムを封じ込めるはたらきを持っている。


 ドラマ「おしん」の舞台は山形でしたが、日本の貧しい田舎にはナルシシズムを戒める文化が存在しているのかもしれません。ひょっとしたらそういうのを嫌う人が都会に行ったかもしれません。


 先月うちの父方の実家である信州の人たちのナルシシズムから遠い話しぶりもご紹介しましたが―。


 「辛抱」、現代では死語になったような言葉。上記の友人も「私は同世代とは全く違う躾を受けた」と認めていらっしゃいました。
(わたしからみると大好きなかたです)


 正田はとくに「辛抱」を強く言う人に育てられたことはないですが、この12年の軌跡は「辛抱」と言ってよかったと思います。ナルシシズムの強い人にはできないことだったはずです。


****


 1996年に大ベストセラーになった『平気でうそをつく人たち』(M・スコット・ペック、草思社)が文庫になっていました。原著は1983年出版。


 今手にとるとこれは、古典的な「ナルシシズム」に関する本です。


 いくつか印象的なフレーズをご紹介しましょう。


 
悪性のナルシシズムの特徴としてあげられるのが、屈服することのない意志である。・・・健全な大人であれば、自分が真実であってほしいと望んでいるものではなく、真実であるものを信じる。自分の愛するものが必要としている物が、自分自身の満足よりも重要だと考える。要するに、精神的に健全な人は、程度の差こそあれ、自分自身の良心の要求するものに従うものである。ところが、邪悪な人たちはそうはしない。自分の罪悪感と自分の意志とが衝突したときには、敗退するのは罪悪感であり、勝ちを占めるのが自分の意志である。


 ・・・いうまでもなく、一般の人がうぬぼれと呼んでいるものは、しゃれた精神医学用語でいう「悪性のナルシシズム」のことである。悪の根源にうぬぼれがある以上、キリスト教教会当局が一般にうぬぼれを第一の罪のひとつと見なしているのも偶然ではない。うぬぼれの罪とはいえ、これは、やるべきことを首尾よくやりとげたあとに人びとが抱く誇り、当然の達成感をさして言っているのではない。この種の誇りも、正常なナルシシズムと同様に落とし穴にはまる危険性を持ったものではあるが、しかし、これは、健全な自負心の一部となっているものであり、自尊心の健全な感覚である。ここで問題にしていることは、われわれが本来的に持っている罪や不完全性を非現実的に否定するある種の誇り―つまり、自身の欠点を日々証明するものが暗に示している判定を否定し、これを攻撃さえしようとする衝動に人を駆り立てる、ある種の尊大なプライドまたは傲慢さである。


 
あまり感心しないことではあるが、現実に広くみられる集団ナルシシズムのかたちが、「敵をつくる」こと、すなわち「外集団」に対して憎しみをいだくことである。・・・集団凝集性を強化する最善の方法が、外部の敵にたいする憎しみを助長することだ、とは広く知られていることである。外集団の欠点や「罪」に関心を向けることによって、グループ内の欠陥は容易に、なんらの痛みも感じることなく看過される。



 
・・・こう考えると、物ごとに失敗した集団が最も邪悪な行動に走りやすい集団だということが明らかになる。失敗はわれわれの誇りを傷つける。また、傷を負った動物は獰猛になる。・・・邪悪な人間は自己批判に耐えることができない。したがって、邪悪な人間がなんらかのかたちで攻撃的になるのは、自分が失敗したときである。



 いかがでしょうか。このところ正田が「凝っている」ナルシシズムについての古典的表現のかずかず。

ときどきこういうのを載せて「お祓い」をしないと。

 本書では「邪悪」という言葉を繰り返し使います。こうした切り口は決めつけのようでもあり、また正直言えば安心感を与えるものでもあります。「相手を理解しましょう」という仕事のかたわら、「邪悪」という、自分が一線を画したいものを規定するのも「あり」のような気がします。


****

 
 発達障害者を積極的に雇用する大阪の特例子会社さんに行ってきました。

 そこでのやりとりは・・・、でも今回はやめときましょう。先日のセミナーのお話を踏まえ、かなり突っ込んだやりとりでした。

 ひとつ言えるのは、先日の京大iPS研・山中伸弥教授の言葉と同様、日頃から対話や議論を重ねているところでは言葉の質が高い、練り上げられた言葉が出てくる、ということであります。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
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 物事には「それ以上裏読みしてもしょうがないこと」がある、のだと思います。

 たとえば某研究機関が某女性研究者を懲戒処分にしたとしても、それはむしろ研究機関の常識的な良心の行為だとしか言えません。「トカゲの尻尾きり」などと言うむきもありますが、もし女性研究者を庇ったら、それはたとえていえば「マルハニチロ」が毒物混入犯を庇うようなもので、「組織全体が反社会組織なのか」ということになります。たとえ組織の側にも管理責任があったにしても。

 昔の「A新聞」の「KY記者」も懲戒解雇で社長も引責辞任でしたが、たぶんそれに準じたような結論になるだろうと思います。
(このへんわかる世代の人だけわかってくださいね)


 「それ以上裏読みしてもしょうがないこと」といえば、昔わたしが担当させていただいた島根医科大学第二外科による国内初の生体肝移植という「事件」もそうでした。


 永末直文・第二外科助教授(当時、47)が執刀したこの手術は、当初驚愕をもって迎えられ、そのあと「売名行為だ」とめちゃくちゃ叩かれました。

 2年生記者だったわたしは発生2週間後に赴任地の広島から大学のある出雲に入り、その後2週間置きに出雲入りするようになります。そのうち永末助教授と妙にうまが合ってしまい、本を執筆してもらうことになります。


 当時TVに顔が出まくっていた永末助教授をいつも間近にみていたわけですが、TVのスクリーンを通すとどうしてこんなに誤解されるのか、不思議でなりませんでした。ちかくでみる永末氏は裏表のない単純明快な人物でした。そして医局員からは名外科医として、また論文の名指導者として慕われていました。
(このひとも今のわたしより歳下なんだなぁ。。やれやれ)


 「日本初、世界でも3例目」の手術に至る経緯は、当時誤解されていたような、血気にはやる医師が患者を説き伏せるか言いくるめるかした、というのとは違い、患者家族側が地元岩国の主治医の古い友人である永末氏に強い決意で頼み込んだ、という公式説明以上の事情はないのでした。永末氏は長年にわたって肝移植実験を繰り返していたとはいえ、功名心が高じた医師が患者に襲いかかった、という構図ではないのでした。あくまで患者のほうからやってきたのでした。というか押しかけてきたのでした。そして永末氏の「患者を救いたい」という気持ちが動いたのでした。

 というのを、患者からも元の主治医からもそして永末氏本人とその周辺からも、どんなに取材しても事実はひとつで動かない、という結論になったのでした。現場にいる記者はみなそういう感触であったろうと思います。しかし現場にいなかった記者はいくらでも妄想めいた推測をするもので、(記者って意外と妄想的だと思います。事実にstickするタイプの人って実はそんなに多くないですよ)出雲から広島に帰ってそちらの記者と話すたびに「ン?」となるのでした。出雲から一歩離れると永末氏はおどろおどろしい功名心の塊として人物像が独り歩きしていました。

 先にも言ったようにTVスクリーンを通すと極悪人に見え、生でまじかでみると裏も表もない人にみえる。(若くて綺麗な女性じゃないのが災いしたんですかネ。逆に今起きている現象をみると、若い人=善、おじいさん=悪、というバイアスが働いていそうです)なるべく生で会うのがいいですね、やっぱり。


 現在はこの手術についてそうした「裏読み」は跡形もなく、公式説明通りに歴史が落ち着いていると思います。
 裏読みが生まれるというのは関心の高さゆえかもしれません。しかしわたしのささやかな人生経験では、そんなに裏読みする余地のないことが世の中いっぱいあるのです。


 わたしたちの教育が挙げる成果についても、あまりにも「異常値」と呼べるような業績向上を起こしますから、裏読みするひとはいるのだろうと思います。いわく成果を報告するマネージャーたちはみんな正田とねんごろな関係で、みたいな。ああ書いていて気持ちわるくなる。でもそれ、ありませんから。妄想ネタにしないでください。


 でそうした裏読みというか下衆の勘繰りというかをできるだけ寄せ付けないために、わたしがやっていることは永末氏から学んだことだと思います。徹底した情報公開であります。

 島根医大第二外科というのは、あとにも先にも唯一、医局室に記者立ち入りOKのところでありました。記者クラブになった大会議室は別にあるのですが、わたしたちは医局室に入れ替わり立ち替わり行ってどかっとソファに座り、若い医局員としゃべったり室内の張り紙を見まわしたりしていました。ときにはブタの肝臓移植実験をみせてもらったりもしました。そうしたオープンさは、確実に現地にいる記者の医師団に対する好感情の形成に役立っていたと思います。


 そこで正田自身はおせじにも外向的な性格とは言い難いですが、このブログを通じて、また一時期毎年のように行っていた事例セミナーを通じて、他の研修機関にはないくらい情報公開はしてきたと思います。

このブログは実験ノートとまでは言えませんが、わたしのものを見、考えた軌跡です。



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 ふとしたことで恩師の故・中嶋嶺雄氏(前国際教養大学学長、元東京外国語大学学長)の思い出になりました。

 正田は中嶋先生の秘蔵っ子だった、というひともいます。学生思いの中嶋先生でしたから歴代の学生はだれでも可愛がられていたんじゃないかと思いますが。昨年、ゼミの一年下の人に会ったところその代のひとたちに中嶋先生はわたしの話ばかりしていたという。それは知らなかったです。


 そういう中嶋先生はまた細やかに面倒みのいい人で、今だからいうけれどゼミの中で「いじめ」がありまして、中国帰りで中国語ペラペラだったわたしを「中国人」と呼んでからかい、雑用を全部押しつけてきた男の子というのがいました。たまりかねて教授に相談するとゼミの役職を外して負担を減らしてくださいました。そういうことの察しはやたらいい方でした。



 何本か前の記事でわたしは広島県警担当だったときの、他社に抜かれまくり「なんじゃこりゃ〜!」の状態になった話をかきましたが、そのときなんで頑張ったんだろう?と記事をかいてから考えました。
 「20対1」なのだから、いいではないか抜かれまくったって。どこでもうちの通信社の記者はそうしているではないか。

 でも、「20対1」でも希望を捨てず頑張ろう、と思えたのは、他ならぬ中嶋先生のためだったろう、と思うのでした。先生に恥ずかしい生き方をしたくない、諦めきって自分を甘やかした生き方をしたくない。どんな状況でも自分のベストを尽くすこと、それが先生の恩に報いることだ。そういう感覚。わかります?


 そしてまた、それでも「中嶋先生」は、自分が頑張るためのシンボルとかアイコンのようなもので、よくみるとそこには、信州の伯父さん伯母さんとか、何人かの小中高時代の理解ある先生方だったり、が同居していたりするのだろう。

 わたしを育ててくれた人たち。


 自分には確かにそんな感覚があるので、逆に研修講師として受講生さんと向き合ったとき、それはマネジャー・リーダーですから社会人の中でもある程度の達成をしてきた人が多いのですけれども、

「このひとには、『このひとのために頑張りたい』と思えるひととの出会いがこれまでにあったのではないか」

と、思うのでした。

 荒れていた中学のあのときの先生。道を踏み外しそうになった自分を強い力で引き戻してくれた先生。あるいは平凡だけど揺るぎない背中をみせてくれた親御さん。


 
 今日の記事はオチなしです。


100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

お世話になっている皆様




 おはようございます。
 企業内コーチ育成協会の正田です。

 
 綺麗な快晴の月曜日となりました。みなさま、いかがお過ごしですか。



※このメールは、NPO法人企業内コーチ育成協会のスタッフ及び代表理事・正田が、過去にお名刺を交換させていただいた方・当協会のイベントやセミナーにご来場いただいた方にお送りしています。ご不要の方は、メール末尾にありますURLより解除ください。
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 本日の話題は:



■今、何ができるのでしょう―。
 「けしからん!では済まない現実―若者の集団離職をどう防ぐか」
  

■地域の「素敵な大人」が続々登場する回です
 「地に足のついた社会人」、リーダーたちの真摯な瞳


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■今、何ができるのでしょう―。
 「けしからん!では済まない現実―若者の集団離職をどう防ぐか」


 兵庫県中小企業団体中央会様の会誌「O!」4月号に、誌上コーチングセミナー(10)を掲載していただきました。

 このたびも同会編集部のご厚意により、全文をブログに転載させていただいております。

 まずは、何も予断を持たず、こちらを読んでみてください。


 「けしからん!」で済まない現実―若者の集団離職をどう防ぐか―誌上コーチングセミナー(10)

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51886481.html 

(大手ブログですので、アクセスされてもウィルス感染等の心配はありません)



 もし、この記事に何かご感想をお持ちになりましたら、どんなことでも本メルマガへの返信でお知らせください。ブログ、フェイスブック記事へのコメントでも結構です。お待ちしております。


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■地域の「素敵な大人」が続々登場する回です
 「地に足のついた社会人」、リーダーたちの真摯な瞳


 当協会の歴史の一端をご紹介する記事を書きました


 「地に足のついた社会人」、リーダーたちの真摯な瞳

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51886607.html

 マネジメント教育12年目になる当協会です。当初から教科書には載っていないような高い成果を受講生様方が挙げてくださいました。でも「騙し」のテクニックや捏造、不正など一切使ってはいません。

 まだあまり知られていない「この手法」を皆さんに知っていただくため、2003年以来事例セミナーを行ってきました。

 その歴史には、上記のようにわが神戸・兵庫を代表するような素晴らしい方々が登場されます。

 こうした風景はもう過去のものになったのでしょうか。


 いえ、去年わたしが研修をさせていただいた限りにおいては、この社会にはまだまだ、心のしっかりした、狂騒に流されない人々が存在します。そうした人々を核にこれからも経済活動を行い、社会を維持していくことが必要なのです。


 このメルマガをご覧になっているあなたは、そうした「しっかりした人」の側でしょうか、それとも―。


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◆ブログ「コーチ・正田の愛するこの世界」人気記事ランキング



1.ええ加減にせえよ小保方さんとメディアは同罪

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51886421.html


2.発達障害者は注意するのが好き?『大人の発達障害ってそういうことだったのか』

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51884228.html

3.美しく聡明な社会イノベーター現る―瓜生原葉子さんにお会いしました

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51788777.html

4.神戸は住みやすいのか住みにくいのか?よのなかカフェ「内から見た神戸、外から見た神戸」開催しました

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51833038.html

2.ANA河本宏子氏にきく(5)「安全」と「自由闊達」――意識調査は企業の健康診断

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51820133.html




★こちらもお勧め

 フェイスブックでお友達の「池永さん」と長いコメントのやりとりになりました。
 「21世紀日本のマネジメント思想・社会思想として『承認』を完成度の高いものにしていきたい」というささやかな願望を吐露したわたしであります。哲学・思想に幅広く深い造詣をもつ池永さんが受けてくださっています。

さあ、この対話は今後どういう形に発展していくでしょうか…


 この記事は会員さんだけ読んでください:池永さんとの対話

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51886550.html



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もしこのメールを新たに購読ご希望のかたがいらっしゃいましたら、
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お申込みください。



ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

皆様にとって素晴らしい1週間でありますよう。


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100年後に誇れる人材育成をしよう。
特定非営利活動法人企業内コーチ育成協会
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ブログ「コーチ・正田の 愛するこの世界」
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日本人の勇気と自信は、ここから生まれる
「第3回承認大賞」
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「企業内コーチ育成のすすめ」
(株)帝国データバンク社『帝国ニュース兵庫県版』
2008年〜2012年 長期連載このほど完結
http://blog.livedoor.jp/officesherpa-column/

兵庫県中小企業団体中央会発行月刊「O!」連載コラム
「誌上コーチングセミナー」
http://c-c-a.blog.jp/archives/cat_50054961.html


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 きのうは、おつきあいのある地域の公的経営支援機関2か所にお邪魔して、「過去最悪の環境」について、お話させていただきました。

 いずれも真摯にご対応いただき、


「どんどん資質が低下している。経営者もワーカーも。日本がいつまでも特別だと思ったら大間違いよ。(だからうちは海外へ行くけど)」と村元工作所顧問のひょうご産業活性化センター・村元四郎総括コーディネーター。




 当協会は、前身の任意団体時代から今年で足かけ12年になります。

 過去最悪と言いましたが、その間にも「狂躁的な時代」が、なかったわけではありません。

 
 2005年11月。任意団体「コーチング・リーダーズ・スクエア(CLS)」は、大阪商工会議所国際会議ホールにて1回目の「コーチング関西」を主催しました。

 1日イベントで、午前中は有名人の講演、午後は成果を挙げたマネージャーたちのパネルディスカッション。

 今から考えるとまあ、強気に出たものだと思います。成果を挙げたマネージャーたちの事例セミナーは2003年、04年とそれまで2回、少しずつ大規模になりながら開催していました。(株)ノーリツ創業者で現名誉会長・太田敏郎氏が大阪国際会議場で行った事例セミナーに足を運ばれ、「いいことをやってるじゃないか」と言われたのは04年のこと。保険会社の支社長さんが「目標達成率1位」をとられたことを発表されると、それに触発された銀行支店長さんが次の担い手となるなど、事例セミナーは確信ある学び手をつくる良い場でした。


 その「銀行支店長さん」こと現当協会会員の松本茂樹さん(関西国際大学准教授)が、銀行で「トップ支店」をつくった、という事例を初めてお話くださったのが、この2005年のイベントです。その翌年には同じ支店を舞台にさらにワークライフバランス、監査での好成績、そして「目標達成率150%」と、強烈なかつ魅力的な成果を発信してくださいます。その皮切りがこの05年。



( 余計なことですがアシックスの故・鬼塚喜八郎会長(当時)が「コーチング関西」で午前中に講演してくださったのは06年のこと。鬼塚氏は午後までずっと残られ、
「コーチングはわれわれの若い頃にはなかったが、素晴らしいものですね。感動しました!!」
と閉会式で言ってくださいました。
鬼塚氏が副会長を務めていた兵庫工業会の当時の専務理事・高橋敏樹氏も参加されました。以来、「あんた(正田)のやることは素通しにするから」と、つねに後援名義をくださるようになり、それは専務理事交代まで続きました。はい、工業会でセミナーを受けて業績が上がったというひとは、正田のその当時の頑張りが貯金として効いた、と思ってください。
こうした、地域の最も心のしっかりした方々が当協会の教育に共感してくださり、自ら教育を受けたり発言してくださる、というのは、直近のコープこうべ顧問・有光毬子さんや、篠山市商工会の原田豊彦事務局長まで今も系譜が続いています。それは余談です)



 この2005年ごろは本当に「1位」事例がこのほかにもまとまって出た年でした。

 しかし、世相に目を転じると、上司の人間力で業績を高めて、ということに注目が集まりにくい状況がありました。

 ITバブル。とりわけライブドアのホリエモンが前年よりプロ野球球団を買収する、ニッポン放送の株取得する、総選挙に出馬するなど派手な言動で話題を集め、IT長者ぶりが話題になりました。

 経営者団体などに行くと、「われわれが売り上げを少しずつ積み上げるのをはるかに上回る額を彼らはITで稼ぐ。やってられない」と、製造業の経営者さんのぼやきがきこえます。


 そんななかでも「うちの受講生さん」が時流に合わない地道なやり方でつくる「1位」という目覚ましい業績向上は、依然と真実であり続けるのでした。


 この年の1日イベントで、わたしは任意団体の紹介ビデオのようなものを作成し、

「地に足のついた大人の社会人のための手法をわたしたちはご提供してきました」

と、述べました。「地に足のついた」と、言ったのは、もちろんITバブルIT長者との対比を意識したものです。このイベントには140人余りの方が来場されましたが、さあ、どの程度「響いて」くださったかはわかりません。


 ところが、このイベントのわずか2か月後の06年1月末、ホリエモンは証取法違反で逮捕されてしまいます。そこで急速に世の「IT長者志向」はしぼんでいきます。IT長者自体は存在しても、それほど注目は集めなくなります。


 そしてわたしは決して自分が一番正しいなんて確信があったわけではありませんが、今と同じように「ああ、これまでの受講生さんの実践を信じて良かった」と思ったのでした。今はそのころよりもうちょっと筋金入りになっていますが、そういう時代の波にもまれてきて12年やってきた実績があるので、それは致し方のないことでしょう。


 わたしたちの手法はなかなか世の中のメインストリームにはなりません。

 ところで、うちの兵庫県は製造業メインの県です。製造業の凋落が県税収入にダイレクトに影響しています。

 ここ数年の成果として、製造業に恐ろしくわたしたちの手法は「はまり」ます。有効性が周知されたおかげで、去年は

「猛暑の中工場従業員200人でモチベーション指数0.2ポイントアップ(満点は7点)」

「0.2ポイントアップのリーダーが同時に『小集団改善活動優秀賞』」

「中国工場で2年前の『承認』導入以来従業員の仕事ぶりが変わり、大躍進」


と、「8この金メダル級の仕事」のうち3こまでが製造業での仕事です。


 いずれも、従来こういう手法が「なかった」職場で、自分自身上司からこんな扱いは受けてこなかった、というリーダーたちが、それでも今の時代に最善の方法はないか、と模索する中で、わたしたちの手法は真摯に取り組むに値する、と思ってくださったのです。

 その歴史的転換をになう彼ら1人ひとりの心の軌跡をおもうと、時に「抱きしめたい」という気持ちにかられる―いや、それは誤解を招きそうだしどうでもいいのですが、人が心を動かして初めて教育というものはできます。


 地方に行けばいくほど、商工会さんなどで「地場の製造業がパワハラで人がどんどん辞めて集まらなくて」という話をききます。地元のイオンさんなどと比べて人が集まらないのは、ネット情報などで楽しくない職場であるのが周知されてしまった可能性があります。

 でもイオンさんも地場の製造業に人がお勤めしなくなったら、地域の購買力が育たないわけでしょう。(これ、ロジックわかります?)

 じゃあそうした職場をどう改革したら?というと、地域の一公的機関さんの手には余ることなのです。社会的トレンドをつくっていかないといけない。


 こうしたとき、歴史的にはある「決断」をしたところもあります。しなかったところもあります。するしないで明暗が分かれるだろうと思います。


 今日のお話では当協会のもう1本の柱、「介護」が抜け落ちてしまいました。この分野では依然、会員の林さんが頑張ってくださっています。

 先日も社協さんでひとしきりお話をしたのですが、またいずれ話題にさせていただきましょう。


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 来週、大阪の特例子会社さんをお訪ねすることになりました。

 先月「われわれは覚悟のある障碍者を雇用します」というご発言の出たところです。

 わたしは以前より、「発達障害者はそういう人として定型発達の人と分けないといけない。でないと彼ら彼女らの独特の思考や行動が定型発達の人にも伝染ってしまい職場の規範がガタガタになる」という主張をこのブログに書いています。


 それに関連して今週の「狂躁的な出来事」について思うところもありますがやめておきます。
 




100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
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きのうのブログ記事「『けしからん!』では済まない現実」は、フェイスブックの数年来の信頼できるビジネスパーソンのお友達が「シェア」してくださいました。またきのうの記事にも登場されたお友達「池永さん」から、真摯なコメントをいただきました。


池永さんのご了解をいただき、コメントのやりとりをここに転載させていただきます。
悪意のひとは、「ほめてもらったのを得意げに載せやがって」と、思うかもしれません。(まあそのタイプの人は読まないでください)できればNPOの会員さんは、読んでいただきたいな。

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池永さん:おはようございます。
「論語読みの論語知らず」の私には過分なお言葉を頂き恐縮です。
本日のブログもヘーゲルの「承認をめぐる闘争」を想起させる示唆に富んだ興味深いものでした。
いつもありがとうございます。


正田:ありがとうございます。引用させていただきました。
ヘーゲルそんなこと言ってたんですか?恥ずかし…
(あわててアマゾンにとんでいきました)


池永さん:初期ヘーゲルの思考モデルで、ジョン・ロックの思想にも通じるもので、
人間は(承認を求めての命懸けの闘争)を行うと述べています。

小林秀雄も「人は社会に正しく負けなければならない。つまり承認を得なければならないので有る」との主旨の事を彼一流の表現で述べています。
ヘーゲルのそれに纏わるものとしてテイラーの「承認の政治」の解説の一部を引用すれば、
承認の政治・概要「集団やそのなかに生きる個人が自らの文化やアイデンティティの適切な承認を求めて行う主張・運動や、それをめぐる論争・交渉のこと。」
あくまでこれはヘーゲルの主張のごく一片の解説で有って、彼の哲学は断章取義できるものでは有りませんが。

それよりも私が感心させられたのは、正田さんがヘーゲルのこの思考モデルを意識せず、つまり巧まずして相通じる主張をされた事です。
それは正田さんの問題意識の高さ、見識の確かさを証明して余りある事と感銘を受けました。


正田:池永さん、ありがとうございます!
今年は、ひょっとして頂いたこのテーマを中心に学んでいくことになるかもしれません
お恥ずかしいことに、承認の概念の起源はマズローまでしかたどれていませんでした。しかし以前より承認は心理学より哲学・倫理学の世界のもののように感じていました。そう思って先日は哲学者と対談をしたのですが、先方からはそういう話は出ませんでした。
21世紀日本のマネジメント思想・社会思想として完成度の高いものにしていきたいというのが今のわたしのささやかな願望です。
池永さんからのご示唆、大変ありがたかったです。自分がまだ全然未熟だと気付かされました。


池永さん:私の拙いコメントが何らかのお役に立ったとすれば幸いです。
正田さんの「実るほど頭を垂れる稲穂かな」を実践される相手を立てる謙虚な御姿勢には敬服するばかりです。
日本のマネジメント思想に対する理解度の低さは先進国の中でも際立っておりますので、正田さんのお取り組みはこれからの日本に欠くべからざるものと愚虜致します。

蛇足ながら概読されていたらご容赦頂きたいのですが、そのお取り組みに資するものとして「同感」という言葉の語源となったアダム・スミスの「道徳感情論」もお薦めです。


正田:池永さん、ご紹介ありがとうございます!
今、「道徳感情論」も注文してみました。つい昨年文庫版が新しく出ているのですね。
池永さんを信頼して、少し大風呂敷を広げたいと思います。
先人たちの思考の跡に敬意を表したどることも十分に行いたいのですが、わたしたちは成人が「承認」に習熟し確信ある担い手となったときに、実際にどれほど大きな好ましい変化が起こるかについて、統計や業績上昇の記録を積み重ねてきています。その作業は、恐らく人類史上でも前人未到のものであると思います。リアルタイムに目の前でそれが起きている、ということも、信じていただきたいのです。これは、わたしたち自身が信じてやり続けなければならないことなので―。


池永さん:勿論です。「温故知新」物事の足腰、土台となる先人の教えは徒や疎かにはできませんが、リアルタイムでそれが役立つ事、未来に資する現在の取り組みが何よりも大切で有ることは言を俟ちません。
だからこそ正田さんのお取り組みが我が国に欠くべからざるものと確信しております。


正田:池永さん、身に余るお言葉をありがとうございます。
自分を見失わないよう、精進したいと存じます。
また、このたびのやりとりをブログでご紹介させていただいても
構いませんでしょうか?


池永さん:以前も申しました様に私は思った事しか申し上げません。
もしかしたら気分を害される事も有るかも知れませんが、必ずや意の有るところを汲んで頂けると信じております。
それが君子の交わりで有り、美辞麗句を並べるよりは遥かに有意義な人間関係を構築できるものと愚虜しております。

元よりメッセージと違いコメントはオフィシャルなものですから拙コメントで宜しければ如何様にもお使い下さい。
ただ、時間的制約や文字数の関係上、言葉足らずな部分や意を尽くしきれていない部分も有り、他の方々の鑑賞に耐えるかどうかは疑問ですが、普段は正田さんの読解力に信倚して投稿している事も予めご理解を頂いた上で、拙コメントがお役に立つ様でしたら喜んで。


以上


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 池永さん、ありがとうございます!2日続けて引用させていただきました(^^)/


 ・・・なお正田の教養不足で池永さんコメント部分の「裏取り」は完全にはできておりません なので「自己責任」でお読みください。


 アマゾンをみるとヘーゲルのほか、哲学者の片山善博氏(すいません、このひとは元鳥取県知事とは別の人でした)も『差異と承認―共生理念の構築を目指して』を書いていますし政治哲学、法思想としても「承認」があるようだ。うわーうっかりしてた。こっちがおるすになっていた。

 一方には『承認をめぐる病』のような、心理学者が病的に描きだす「承認」「承認欲求」もあるが(確かにそういう世界もあるのだろうが)もっと高次の文脈の「承認」があるのです。そしてわたしたちがやってきたことも、そちらのほうだったろう、と思います。


 ただ、わたしたちほど徹底的に「実践者」のスタンスをとり、そのスタンスで何が起こるか?をみてきたひとはいないだろうと思います。


 実践の世界の人正田はふだん平易な言葉でしか話さないので、このたびは池永さんがわたしの言葉を「思想」の言葉に翻訳してくださったようです。ありがたいことです。


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 去年、わたしたちの主催事業に地域の公的経営支援機関さんが一斉に「後援名義」をつけてくれたのに、メディアは頑として反応しなかった。おかげで大コケして面目まるつぶれになったし、あまりにも「書かない」と、うちが反社会勢力と関わりがあるんじゃないか?特定政治、宗教団体と関わりがあるんじゃないか?と邪推されるんじゃないかと心配にもなった。先日は見かねて財界の大御所も動いてくださるみたいなことになった。


 今の心境は、むしろ書いてもらわんでいいよ、大人の仕事の値打ちが下がる、という心境です。

(どうせ大人の仕事のことなんて社会の仕組みなんてわからないんだから。いや、ほんとにそういう問題なんだなって今回わかりました。ただもうオボちゃん報道終わって、大人の女の人に迷惑かけないで、っていうのは思います。「混同」が引き続きものすごいダメージです。)


 書かれる書かれないにかかわらず、昨年うちは金メダル級のお仕事を8こもやりました。それは12年前からそれ級のお仕事をしてきたのが、蓄積が実って去年開花したものです。真っ当に正直にやり続け、この社会に今でも残る(希少価値になりつつある)真っ当な感覚の人たちの心に響いてきました。

 さあ、今からはそれはどう変わるでしょうか・・・。




100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp




 兵庫県中小企業団体中央会の会報、月刊「O!」に連載中のコラム「誌上コーチングセミナー」第10回。4月号記事を同誌編集部のご厚意により、転載させていただきます。

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 「『けしからん!』で済まない現実―若手の集団離職をどう防ぐか」


  気付かないうちに「人」の問題が起きて、成長の足かせになっている…そんな現象があなたの会社にもありませんか?「人」の問題によく効くクスリ、「コミュニケーション」「リーダーシップ」の観点から解決法をお伝えします。


 
 「他部署で若手の同期の子が5人まとめて辞めてしまったんですよ」

 当NPOの会合で、あるマネージャーが話し出しました。

 「もともと、同期の子同士でLINEで連絡を取り合って一緒に旅行にも行っていたらしいんですけど。仕事が忙しくてきつい、もう続かないと、ある日突然まとめて辞表を」


 その部署の事後処理がどんなに大変だったか、想像に難くありません。


 すると、他のマネージャーが「わが社にもありました。仲の良かった子同士が3人まとめて辞めました。幸い私の部署ではありませんでしたが」


 いつの時代にも「今の若い者は」と言われてきたものですが、今、若い人たちの心にかつてない変化が起きています。

 その筆頭は、前回(本誌1月号掲載)にもお伝えした、「スマホ・ネット依存」。

 2013年10月の時点で、スマートフォン(スマホ)使用率は10代で75%、20代は69.5%(ジャストシステム調べ)。その使用の仕方をみると、1日1時間以上使用しているのは41.7%。一般の携帯電話では7.8%と、スマホ使用者の方が使用時間が圧倒的に長くなっています(インターワイヤード調べ)、高校生では、スマホ使用者の53.5%が1日3時間以上使用している(携帯では15.4%)との報告もあります(猪名川町Swing-by調べ)。スマホ使用者の率の高さを考えると、それほどまでに今、若い人はスマホに取り込まれているのです。

 ではそのスマホの世界とは―。

 若い人同士が連絡を取り合う手段の主流になっているLINE。そこではグループ内で仲間のメッセージを読むと「既読」マークがつき、既読がついているのに返事をしなければ、愛想の無い「既読スルー」として、いじめの対象になることがあります。このため入浴中もスマホを手放せず、「寝落ち」といってスマホを枕元に置き眠りにつくまでスマホをやり続けるという。

 なまじ仲間同士のつながりの手段を持つことが、かつてない息苦しい呪縛になるのです。

 このほかにも犯罪につながりかねない出会い系や個人情報の流出など、スマホには地雷原ともいうべき危険が溢れています。

 「今の若い子って、なんだか手応えがなくってねえ」

 TVをつければそうした中高年の識者の声が溢れていますが、若い人たちが子どもの頃から生きてきた現実を見なければなりません。「自分」を持ちたくても持てない、身も細るような世界を生きてきた、ということです。

 それでは、そうした若い人を迎える職場では、管理職・中堅の側では何ができるのでしょうか。

 当協会では、やはり「承認―相手を認めること」を大人世代の方が日々実践されることをお勧めします。

 といいますのは、若い人たちは多くの場合これまで、自分を身近で行動に即して正確に認めてくれる大人に出会ってこなかったのです。「正しく認められること、報われること、成長を促してもらうこと」に飢えており、そうした大人に出会えれば、それはスマホの誘惑より表面的な「仲間」の存在より強い、自らを鼓舞する存在になり得ます。それほど「認められたい」承認欲求は人にとって根源的な欲求なのです。

 冒頭にご紹介した「集団離職」問題でも、上司が1人1人と密にコミュニケーションをとり、事実に即して承認し、リアルの強い繋がりを作っていれば…と惜しまれます。

 当協会の受講生企業からは、新入社員7名に「相互承認」を課すフォローアップ研修を施したところ1年間1人も離職しなかった、という例も報告されており、状況は決して絶望的ではありません。

 「最初の上司は13年後まで給与、昇進に影響する」という研究結果もあります。御社に折角入社された新人に末永く戦力になってもらうため、上司の「育てる力」をパワーアップしていきませんか。


(中小企業団体中央会「O!」2014年4月号)


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 いかがでしたか?

 この記事の締め切りのすぐ後だったでしょうか、大手牛丼チェーン「すき家」の集団一時閉店が話題になりました。一説には待遇のきつさ、時間のかかる新商品の投入などにより不満のたまったバイトの集団離職によるものだとか。

 でも現実にはすき家ばかりではない、足元の神戸にも起きていることなのです。

 この記事を投稿するとき、私は編集部のかたにお電話し

「私は感情的になっているでしょうかねえ。もし間違っていたらおっしゃってください」

 編集部のかたは

「いいんじゃないでしょうか。企業の現実が今こうなっているということは皆さんに知ってもらったらいいので」

 心優しくお返事くださり、そのあとメールで、

「若い人とどこまでコミュニケーションができているのだろうと、不安になりました」。

 この連載も足かけ4年目を迎えました。関係者の方のご尽力に厚くお礼申し上げます。


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 きのうの記事「ええ加減にせえよ小保方さんとメディアは同罪」は、その後どんどんアクセスがつき1日で単独の記事に202件のアクセスがありました。このブログ全体のふだんのアクセスが100−200の間です。昨日のトータルは370でした。

 決して狙って書いた記事ではありません。むしろ「黙殺されるかもな」と思って書いた記事です。


 フェイスブックで「シェア」してくださった面識のない1人の方は、「今日の報道には腹が立ってたんです。すっきりしました」と言われました。
 このタイプの若い子を「みる」ミドルマネージャーや経営者の側は本当に苦虫をかみつぶす思いでみていたと思います。

 あるお友達の方は厳しい口調でコメントくださり(この方は「論語読み」でもあり、日頃幅広い教養に基づく記事を書かれる方です)

「おはようございます。
正論ですね。同感です。
ウインストン・チャーチルが喝破したように「報道と政治はその国の民度を映す鏡に過ぎない」のですから、我々がメディア・リテラシーを向上させメディアが啓蒙するのでは無く我々がメディアを啓蒙する気概を持って臨まねば、「新聞に書いて有ったから」「TVで言っていたから」では大本営発表を鵜呑みにした70年前から一足の進歩もしていない事になります。」

と、言われました。

 いやおっしゃるとおりです。

 とくに、新聞さんの購読層って今一体だれなんでしょうね。

 でもなんだかうちの市の現市長も女性研究者寄りの発言をしてたのだが、この人も「きれいなおねえさん大好き」な人なんだろうか。おねえさんが国民の人気者だ、というふうに風を読んだのだろうか。


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 また、少し若い頃の思い出をかきますと、

 正田は某通信社の広島支社時代、1990年の春、市政―医療担当から県警担当に移りました。

 それまで医療ではほぼ「独壇場」でしたが、県警はまったく調子が違った。「なんじゃこりゃ〜!」の世界でした。人数比が地元紙中国新聞20人、こちら1人。向こうはよりすぐりの精鋭ばかり。当然抜かれまくりました。ボロボロ抜かれ続ける情けなさは初めて経験することでした。

 それでも、少しずつ馴染のおまわりさん、馴染の弁護士さん、を増やしていきます。弁護士さんは比較的ノリが近かったようで、「提訴」とか「結審」とか「判決」の話でネタをもらえるようになりました。

 一方真面目に夜討ち朝駆けをやります。

 「わしら若い捜査官に言うんは、聞き込みで顔見知りのもんばかりに声かけるのはマスターベーションじゃ、言いよるんよ」

 ・・・これは「同じところにばかり夜討ちしたらあかんよ」って言われてるんだろうなあ、と思いながら。

 それでも、真面目に努力すると女の子の記者でも報いてやらなあかん、と思う苦労人の捜査官あがりのおまわりさんというのはいるもので、ぽろっ、ぽろっ、と話してくれます。


 地元紙の中国新聞にとっては、「20対1」の、それも自分が加盟社でないところの通信社に「抜かれる」というのは嫌なものだったでしょう。年間何回かは抜きました。とくに「橋げた落下14人死傷事故」という、そのときの年間最大の事件で、発生と原因とを科捜研と1課から抜いたのは、中国さんには痛かったみたいです。すみませんまたコップの中の嵐の話で。一応、医療報道ばかりでもなくて社会部記者の「王道」、警察回りもしてたんです。あんまりこの手の話をこれまで書かなかったのは、事件事故の報道は結局人様の不幸をほじくる話なので自慢したくない、というのがはたらいていたからです。

 で嫌われるかというとそうでもなくて、結構他社同士「こいつよくやってるな」と思うと仲良くなるもので、(はい、自社の記者は結構ジェラシー目線でみるんです。記者ってナルシシストだしジェラシーきついですよ)中国新聞の県警サブキャップには可愛がってもらいました。その人は私が神戸で結婚式を挙げたときも出席してくださり、

「嫌なライバルだったが公明正大にさわやかに闘う記者だった」

なんて、祝辞で言ってくれました。

 今はああいう懐の深い先輩記者っていうのももういないんだろうなあ。 ドリカム、マライアキャリーが出てきたころです。


 まあ、そんな「20対1」の仕事の仕方をしてきたので、それは単に夜討ち朝駆けをしましたというだけではなしに、対象に本気で肉薄するような仕事をしていたと思います。だから、今記者さんに取材を受けても、「このひとは社会人としてどれぐらいギリギリの努力をしたことがあるひとだろう」というのはつい、見てしまいます。(もちろんわたしも、記者にかぎらずそういう経験をしてきたひとからはそういう目でみられているだろう、と思います。)


 冒頭の記事のような「集団離職」の話を聴いたら、「えっ、本当ですか」「それ神戸ですか」「どこの会社ですか」って、私の若い頃だったらきいたと思いますね。書く書かないにかかわらず。無駄な「書いてやる目線」のプライドがあるから、身体の直感が正しくはたらかない。ピリッ、とどこかが震えたり前のめりになるということができない。


 その後今の仕事をしながらでもなにをやっていても思うんですが、「こいつは『本気』でやっている」と思うと、姿勢を正してくださる人って今でもそこここにいらっしゃいます。多くはその人自身苦労してきて、「本気」じゃないとなにごとも成せないな、と学んできた人たちです。そして一方には、「本気」が永遠に通じないタイプの人もいらっしゃり、残念ながらそういうタイプの「バーチャル」な人が今、増えているなあ、意思決定の中枢にも、と思います。


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 ああまた電話口でよく考えないでペラペラしゃべる人と話をした。会議会議で忙しいらしいけれどこの人のような調子でしゃべる人ばっかりだったらさぞかし中身の薄い会議だろうな。しかもまた私と小保方さんと混同しているふしがある。混同しやすい頭の持ち主っていますから。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
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 せっかくきのう心を浄化したのに、きょう新聞をみたら一面トップが「小保方さん」、TVも朝から「小保方さんきょう午後会見」ってがんがん流している。


 「精神的に不安定」とか「会見が近づくにつれ不安がつのる」とか、まあよく1人の30歳の美しい女性の心のひだに寄り添いますな。

 わたしもう飽きたんですけど、この人に。

 だから書かなくてもいいんだけど、ここまでくると「メディアの変質」要は劣化を象徴するものとして書いておいたほうがいいのかもしれない、という感覚。


 真っ当な感覚からいうと、この人はナルシシスト、それが理系の研究者に多いある種の知性の偏りと合併している人、という印象です。


 「くっつきやすく、はがれにくい」知性だろうな、と思います。


 特に騒ぐことでもなく、理系の研究機関にはゴロゴロいるタイプだろうな、と思います。そういう人たちが無数の研究開発の筋を追い、その何千のうちの1本かが日の目をみて商品化される。ただ間違って出してはいけないものを出してしまった。

 
 何で読んだのか忘れましたが、ノーベル賞学者とその他大勢の研究者を分けるのは研究のごく早い段階で、ノーベル賞学者は正しい「筋」に早く気がついて仮説を立てる、その他の人は間違った筋を延々と追い続ける。その正しい筋に気がつく直感というのは教えられないんだそうです。たぶんその他の人がくっつきやすくはがれにくい知性であることにも助けられていると思います。


 わたしの経験ではくっつきやすくはがれにくい知性の人が変な論点のすりかえをすることも多いし重要性の低いところで変な正義感を振りかざすことも多い。見慣れた人はあまり相手にしないものです。なまじIQは高いので「一抹の真実性」に弁護士が乗っかる、ということはあるだろうと思います。弁護士さんも売名行為大好きなひとたちです。


 で小保方さんについてはこの人が自己顕示欲の強いタイプなのは間違いないので、(だって1月の会見時のフルメークは、わたしもああいうのプロフィール写真撮るときにプロのメークさんにしてもらったからわかりますが、外を歩いたらケバすぎて歩けない種類のものですよ)


 大きく報道することがこの人個人の自己顕示欲に手を貸すことになるだけなのに気がつかないのかなあ。大人は相手にしないのが正しいです。


 でも、このところのわたしの感慨なのですが、メディアの人って子どものころからTVをみて育っているので、『世界は芸能人〜キリギリス〜でできている」と思ってるんです。自分自身もキリギリスだし、キリギリスを報道でとりあげるのがご同類だからほっとするんです。


 ほんとうは、9匹のアリが額に汗して働いて、日がな1日芸術活動をしている1匹のキリギリスを支える、それが社会の正しいありかたです。いや、この比率もっとアリのほうが大きくてもいいかもしれない(大体、キリギリス以外にも高齢者とか障碍者とか重病患者とか子どもとか、働けない人もいっぱいいるわけですから、アリの役割は重大です。)

 であるなら、アリがいかに元気で働けるかを考えることに、為政者も知性の9割を使うのが正しいんです。もちろん報道も。うちの市の前の市長が「芸術振興が大事だ」って言ってたけど「芸術を鑑賞する一般人を元気にするほうが大事だ」ってわたしは思ってました。どんだけ虚業がすきなんだか。


 なんでこんな簡単なことがわからないんでしょ。わたしもここしばらく説得活動してたんですが、ほどの良いところでその過程もオープンにしようかと思っていますが、これも「歴史」のひとコマですから。


 
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NPO法人企業内コーチ育成協会
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 NPOの通常総会の日程ご相談メールを会員さんに投げたところ、ウィークデーに入って2日目の午前には、すべての会員さんが回答してくださいました。はやっ。


 最近正田が「遅延はナルシシズムの兆候」なんて言ってることはたぶん関係ないでしょう。現・元マネージャーで構成される会員さん方は、皆さんすごい「大人」なんです。待たせて正田を困らせるなんてことはしない方々なのです。

 ていうのと、会員さん同士がお互い「会いたいなあ」って思ってくださるのが嬉しいです。


 残念ながら希望日程が見事に割れてしまいましたが。。



神戸市森林植物園にて、少し遅いお花見


ハクモクレン1



ハクモクレン2


 ハクモクレン


ベニシダレザクラ


 ベニシダレザクラ


ミツバツツジ


 ミツバツツジ



 たぶん、自然は何が正しいか一番よく知っている。
 
 ナルシシズムもシニシズムもジェラシーもコンプレックスも、みーんなとんでいけ。



 
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NPO法人企業内コーチ育成協会
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お世話になっている皆様




 おはようございます。
 企業内コーチ育成協会の正田です。

 
 去る2日、電車に乗っていましたら、リクルートスーツの若者の集団と一緒に乗り合わせました。

「新入社ですか?」

 お隣の席の若い男性に声をかけると、にこにこして

「はい、きのうが入社式でした。今から研修会場に向かうところです」

 その場の同期の人同士、顔を見合わせて笑顔になりました。その会社では、全体で100人余りの規模のところに

今年は10人採用したのだそう。

 沢山の若い人が新社会人生活をスタートしたのですね。


※このメールは、NPO法人企業内コーチ育成協会のスタッフ及び代表理事・正田が、過去にお名刺を交換させて

いただいた方・当協会のイベントやセミナーにご来場いただいた方にお送りしています。ご不要の方は、メール末尾にありますURLより解除ください。
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 本日の話題は:



■河本宏子氏(ANA常務取締役執行役員)の思い出
  

■どう思いますか?
「運命は変えれなかったら運命ですけど、変えれたら運命じゃないですよね」


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■河本宏子氏(ANA常務取締役執行役員)の思い出



 
 新年度、あちこちで人事異動が発表されました。そのなかで、ちょっと嬉しいニュースがありました。

 わたくし正田が2012年7月にインタビューさせていただいた、全日本空輸株式会社(ANA)の河本宏子・上席執行役員客室本部長(当時)が、常務取締役に就任されていたのです。


 このときのインタビューは、

「ANA流『安全』と『サービス』そして『承認』―河本宏子・客室本部長にきく」

 として、こちらのページに掲載されています。


 「インタビュー・対談ページ」
 http://c-c-a.jp/kyoukai/interview.html


 実はこの中の「番外編・石切にて」の回に書かせていただいたように、このインタビューは神戸の1NPOがわが国を背負う巨大航空会社の役員にインタビューさせていただくという、大変破格のものでした。

 そこには、蔭で様々な方のご尽力があったのですけれども、河本氏ご自身も大きなご決断をしていただいた、と思います。
 それだけに、今回の人事は「ああ、やっぱり優れた方だったんだなあ」とわがことのように嬉しいのです。

 インタビューでの河本氏は、言葉が先走るのを抑えるように丁寧に都度の質問に回答されました。素人質問にも「かわす」「いなす」というようなところは微塵もなく…。またインタビュー起こし原稿をご提出した後は、河本氏や同時に説明された水田美代子氏とも非常に時間をかけて原稿を見、手を入れられましたが、やはりインタビューがネット上に出る事の重みを考えると、責任の大きさを十分に考えて行動された、とわたしの目には映ったのでした。

 その甲斐あってか、このときのインタビューはANAの人材制度の変更などのたびに沢山のアクセスを集めます。自画自賛ですが長い検証に耐える仕事になったと思います。
 

 インタビューの中でも話題になったように、「安全」はすべてに勝る重要なことで、そのことと「自由闊達」との両立はつねに葛藤となる、ようでした。また、「小さなことほど丁寧に、当たり前のことほど真剣に」という言葉も、現場の積み重ねからこそ出てくる言葉で含蓄があり、わたしにも励みになる言葉でした。


 「番外編・石切にて」に登場される、河本氏の客室乗務員時代の先輩である寺田まさごさんという女性の言葉もとても利いています。


 笑顔でANAの姿勢と「承認」との共通性を解説してくださった水田美代子氏のやさしさとともに、心に残る方々であり、インタビューでした。
 


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■どう思いますか?
「運命は変えれなかったら運命ですけど、変えれたら運命じゃないですよね」


 「運命は変えれなかったら運命だけど、変えれたらそれは運命じゃないですよね」


 昨日NHKスペシャルをみていておおっ、と思った言葉です。言われたのは、山中伸弥・京大iPS細胞研究所教授。

 再生医療について、どこまで生命を操作できるのか、どこまで科学者がそれを決めていいのか?という疑問に対して、「私たちの中でもそれはよく議論します」と答えたあと付け加えた言葉。自分自身としては老衰で死にたいが、不慮の事故で手足を失ったらどうか、それが自分の家族に起こったらどうか。


 山中教授の弟子の講師の方の講演を聞いたことがありますが、本当にチーム内でしっかりコミュニケーションをとっているのがしのばれる講演でした。

 コミュニケーションの密度の濃さが、哲学とも呼べる練りに練った言葉を生むのではないでしょうか。山中教授の言葉に素直にそう感じました。
 また、この番組での山中教授のたたずまいは、ノーベル賞学者といえども、また柔道やラグビーの経験者といえども、それを感じさせるような威圧感はまったくなく、まるで一般人がそこに混じっているような、控え目なものでした。上記の言葉も、大仰でない訥々とした口調で語るなかで言われたので、うっかりすると聞き逃しそうになってしまうのでした。


 同じ山中教授が、去る4日国会で答弁し、研究不正を防止するためにノートの記録が大事で、自身の所属する研究所でも、学生を含めた研究者全員にノートの書き方を指導していると紹介した、とのことです。


 参照 http://www.huffingtonpost.jp/2014/04/04/shinya-yamanaka_n_5089261.html
 

 「コミュニケーションの質」と、「徹底した世代間指導(徒弟制にちかいもの)」。両者はやはり密接につながっているものなのではないでしょうか。


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◆ブログ「コーチ・正田の愛するこの世界」人気記事ランキング


1.発達障害者は注意するのが好き?『大人の発達障害ってそういうことだったのか』

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51884228.html


2.ANA河本宏子氏にきく(5)「安全」と「自由闊達」――意識調査は企業の健康診断

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51820133.html


3.小保方さんと徒弟制と内製化と

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51885860.html


4.神戸は住みやすいのか住みにくいのか?よのなかカフェ「内から見た神戸、外から見た神戸」開催しました

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51833038.html


5.ANA河本宏子氏インタビュー(1)CAは約6000人の巨大組織

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51820117.html




★こちらもお勧め

 最近フェイスブックで沢山の「いいね!」をいただいた記事です。
 「自由」は絶対ではない、相対的な価値だ、と当協会は考えています。それが正しいかどうかは、マネジメント教育として実績が上がったかどうかによって検証されるべきでしょう…


 「リアクタンス(心理的抵抗性)、自由と責任と権利と義務と」

  http://c-c-a.blog.jp/archives/51886020.html



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ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

皆様にとって素晴らしい年度のスタートでありますよう。


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「誌上コーチングセミナー」
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 何年ぶりでしょうか、ひょっとしたら数十年ぶりかもしれません。「週刊ポスト」を買ってしまいました。決して回し者ではありません。

 「団塊」と「女性役員」と「マルハニチロ」の特集が面白かったものですから・・・。


 「団塊世代」については個々には人格のいい方もいらっしゃいますし当協会の会員さんにもいらっしゃいますが

(先日の会合では「あなたのことは団塊と思ってないです」なんて酷いことを申し上げてしまいました;;)

トータルではリスペクトしがたい人格の方がたくさんいらっしゃり、このブログでも「当協会の教育事業は団塊がこの社会に残した精神面の負の遺産を一掃する役割を担っているのではないか」なんてことも書いたことがあります。


 第一の特集「団塊世代の罪と罰」は、「頭割りで1人当たり約1000万円もの巨額年金債務」、「巨大インフラ整備の負の遺産」などのほか、(この辺は1人1人に責めを帰すことはできないことだと思う)

 人格面として

「分かち合うより自分の生活重視」
「自己顕示欲が強く、同期にも助け合う友人がいない」
「スポーツでは強いチームを贔屓する『寄らば大樹』」
「マルクス主義が正しいのか自分で考えた気配がない。そしてバブルの担い手になっていく」(高村薫氏)
「聞きたくないことは耳に入れない」
「権力志向」
「(菅直人氏などについて)権力のために簡単に筋を曲げた」
「過剰なまでの自己正当化」
「自分勝手で権威好き世代は指導者より解説者が向いている」
『護送船団方式の成功体験は逆風の時代に何の役にも立たなかった」
「悪しき平等主義」

などと列挙します。

 そして「『団塊』という言葉の生みの親」という堺屋太一氏が、

「団塊世代が自分たちの好きなものを同世代に向けて提供すれば必ず大きなマーケットは生まれます」

と、いわば世代内でのマーケット創出を提言します。


 わたしが思うのは、団塊世代でもコンサルタントや企業顧問のような形で今でも現役世代に関わりを持とうとする人がいらっしゃるんですけど(去年その1人らしき人からうちの事務所に脅迫状を受け取った)

 団塊の方々は、もし教育事業的なことをするのであれば、同世代の人を指導していただきたいな、ということであります。「リタイア後の正しい生き方」「ピンピンコロリになる生き方」「愛される高齢者になる生き方」等、演題はいっぱいあると思います。


****
 

 同じ号の「女性役員が会社を滅ぼす」という特集も大変おもしろかったです。

 一部上場企業に「女性役員比率40%」を定めたノルウェーでは、これが深刻な負担になり上場廃止するところも出ているというから、穏やかではありません。


 えっ、「承認」的にはどうなのかって?

 このブログでは、以前から何度も「お嬢さん管理職」の問題を書いていて、最近の渥美由喜氏の「女性部下を管理職に登用した数を上司の評価に盛り込むことを制度化」案にも疑問を呈したりしていますから、特に矛盾は感じてないんです。

 やっぱり、鍛えられてない女性管理職さんをよく見てきました。あと上司に可愛がられることばっかり考えて生きてきて下の人にはすごくきつく当たり、統計をとると極端にモチベーションが低いとか(幸い当協会会員さんになるような方は、そうではありません。そういうところわたし厳しいんです)

 「承認」の下で女性は顕著に伸びますが、その「伸びる」「伸ばす」という風景の中には、心優しくほめて伸ばすだけではなくて、高い負荷をかけて死に物狂いで頑張ってやっとクリアする、という場面も含まれています。また必要に応じて叱責もします。
 かつ、女性でも優れた人は実力に応じて評価する、間違っても「女のくせに優れてるから可愛げがないから追い出しちゃおう」なんて考えないこと。実際そういうのがよくあるんです、そういうことを繰り返しているから社内にはできない女性しか残ってなくて、それにゲタはかせて昇進させようとする。それは兵庫労働局から「まったくその通りです。ぜひその話してください」って言われて、言いました。そういうところに数値比率なんて持ち込んだらえらいことです。

 このブログでは過去に河本宏子さん(現ANA常務取締役執行役員。その後常務に昇進されていたのだ)、有光毬子さん(コープこうべ顧問、元常任理事)など、優れた女性も登場されてますが、やっぱりパイオニア世代には凄い方々がいらっしゃり、レールが引かれたあとの世代の方はそれとは少し違うなあ、と思います。


****

 もうひとつ「マルハニチロの犯人への独占インタビュー」もお目当てで、ここではかれを犯罪に追い込んだ上司の言葉も出てきました。何が追い込んだのか・・・答えは、雑誌を読んでいただいたほうがいいでしょう。

 
 
 週刊誌さんがこういう形で特集を固めるのもひとつの戦略かもしれないですね。その分野に興味のある人は買いますからね。


 えっ、Hなほうの特集は読んだかって?何のことでしょう。



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先日のマネージャーさん方の集まりで出たなかの話題の1つに、

「若い子がすぐ『ムリ』って言っちゃう」

というのがありました。


 職場の部下だけでなく、ご自分の思春期のお子さんなども含めた「若い子」のこと。

 そこはやっぱり受講生さん、

「やる前から『ムリ』って言わない」

「自分が損するだけよ」

きっぱり言うのだそうです、お子様には。

 ・・・ただ「部下」に対してはそれが言えるかどうかはわかりません・・・


 一方で「今どきの親はだらしない」と、PTA関係者からも話が出、

 どういうことかというと中学ぐらいになってもやたらと身の回りの世話を焼いてしまう。着替えを用意してやる、持ち物を全部そろえてやる、のような。

 あとは体育祭でトラックに飛び出して写真やビデオを撮る非常識親、みたいな話になりましたけれど。



 さて。


 「ムリ」の話と「身の回り」の話、どちらも「発達障害」の話と関連づけられなくもありません。


 経験的には、発達障害的な素因のありそうな方は「はいできます」「はいやります」とできもしないのにお返事するか、「いやできません」「いやムリ」と、できないほうの判断をすぐしちゃうか、両極端に分かれるように思います。

 イメージの障害と実行機能の障害。これも両方がどっちがどっちなのか「切れない」ところがありますけれども。

  
 イメージの障害でいうと少し先の未来の見通しがまったく持てないときに、気分やご性格がポジティブかネガティブかで、「できます」というか「ムリ」というか分かれるのだろうと思います。


 また、独特の「時間管理能力」の問題。

 これも昨年、知的障碍者施設で学ばせていただいたことで、非常におもしろかったのですけれども、

 自閉症の人の時間の把握の仕方は個人差があるのですが、あるひとは、時間が「遠近法」でみえる。

 その場合、直近のスケジュールがやたら大きく見えます。それが立ちふさがっているので、2番目以降の予定は全然見えません。頭はいつも直近のスケジュールのことで一杯です。それだとつねに「忙しい」と感じ、直近のスケジュールをこなさないとほかのことはできない、と感じるようです。そのあとどこに空きがあるとか、だからここに入れればいいとか見通すことができません。

 こういう人に対してスケジュール管理してあげるのは、やはりその人の世界観にあわせて「遠近法」になったカードを使うのだそうです。めくり式で1枚めくると次のスケジュールが出てきます。


 これに近いこと、すなわち時間観念の違いはNLPでもならった気がするのですが、ここまで具体的に、「遠近法のカード」も見せてもらいながら学べたことはありませんでした。

 見学したときにも書きましたが知的障碍者さんの世界はわたしたち自身にもある偏りをデフォルメしたようなもので、少しずつ自分にもあることが多く、大変に学びになりました。なんだか最近は「この人にとっての時間のイメージはこんなふうなんだろな」とイメージできることも多いです。


 さて、イメージの障害と実行機能障害と時間管理の障害とみてきましたが、「イメージ」と「実行機能」については、とくに障害がなくてもトレーニング不足のために「ムリ」と言ってしまうことにつながることがあるだろうと思います。


 やっぱり、今どきのスマホやネットに耽溺している子だと現実世界と切り結ぶことが少ないために、これまでの世代のように「イメージ」「実行機能」が鍛えられないで育ってしまう可能性は大いにあります。現実の何かにチャレンジした経験があまりに少ない。


 その場合、やっぱり冒頭のお父さんお母さんのように、少々憎まれ役になっても、「ムリって言わない」って言い続けることが必要でしょう。スマホネットの世界に対抗するために。しかし消耗する闘いですよね。。


 (ここでまた少し自分の自慢話をすると、「わたしは12年間『ムリ』って言わないでやり続けたんだなあ。普通の人ならとっくに投げ出してることを、やってきたんだなあ」と、最近思うことがありました。
 軽〜くできるものだと思っていたひとは、やってみてできなかった、というとき、是非「正田さんってすごいことやってきたんだなあ」と思っていただきたいものだと思います。。)




 もうひとつ、「子どもが大きくなったのに身の回りの世話を焼いてしまう親」これもどうなんでしょう。

 親が甘やかすのか、子ができないのか。前にも書きましたが子どもさんと養育者とは相互関係で、子どもさんの個性に応じて養育者の態度が変わることが多い、とくに今どきの虐待親ではない、過保護の親御さんだとそうかな、と思います。


 すると、子どもさんのほうにお着替えをそろえることができない、遅いなどの実行機能の遅れがもともとあって、親御さんはそれを鍛えるはたらきかけはせず、その遅れを前提に取りあえず毎日間に合わすために自分が行動しているという可能性もあります。

 ひょっとしたら子どもさんについてつらい判断(診断など)をした方が後々良いのかもしれないけれど、そういうのは先送りする。

 もちろんこれも、「スマホ依存」だから実行機能が育たず、身の回りのことができない、という可能性はあります。


 少し前の子育てセミナーでも、

「私は思春期の子どもに『朝は自分で起きなさい』と言いました。朝自分で起きる、それが自立の第一歩です」

というふうに、講師のかたがしめくくりの「決め」セリフを言って終わり、みんなが納得して帰る、というパターンがあったのですが、それも今は障害との関連で、またスマホ依存との関連で考えないといけません。


 そういうのはこのブログの手には余るので、やっぱり教委とか学校さんで啓発していただくことなのだろうな。。


 

 このところ色んな方から「身の回りの発達障害者」について教えていただきます。

 そんな中ひとつ良かったと思うのは、自分の生い立ちの中で不全感を持ったようなことも、「発達障害」で説明がつくと、かなり気分が楽になったことです。

 そういう切り口に出会う前は、おどろおどろしい心理学―精神医学用語で説明しなければならず、文学的な人生の悲劇のように感じていたふしもありました。 

 「発達障害」と考えると、はるかにあっさり割り切れるのです。それは収穫でした。




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NPOの過去の受講生さんの写真をみる機会がありました。


昔も今も当協会は、形のある商品はありません。強いていえば受講生様方が商品(製品?)です。というか宝です。


高業績を上げる承認リーダーの方々の面構えというのはー。


結構十人十色な気もしますが、無理やり共通点をまとめると、


業績から想像されるような、ぎらぎらした目つきとか人を射るような視線というのは、ありません。また理想家っぽく虚空を泳いだ視線というのもありません。


あくまで柔らかく、でも人をまっすぐ見る真摯な視線。社会人として高度に洗練された礼儀正しい語り口。めちゃくちゃ豪放磊落、という感じの人はいません。そのへんはこのブログとか口頭で正田がうるさくナルシシズムについて戒めるのも関係しているかもしれません。豪放磊落というのはスタイルとして張り付いてしまうと、事実認識のきめ細かさに影響してしまうものです。(「ええかっこしい」というやつですね)


ナルシシストの人は多くの場合(例外もあります)ぎらぎらしたエネルギーの光を放ちます。とりわけ、心理学ーコミュニケーション系の研修でつくられるナルシシストさんはそうです。自己啓発セミナー帰りの人とか、イメージできますか。お肌のテカリ具合が、いかにもそういう感じなんです。承認リーダーの方は、もっと柔らかい、透明感のある光です。それは関心が「自分」に向かうか外界に向かうかで変わってくるように思います。


ー師匠によるとナルシシズムの状態というのは、幼児が大人の関心を集めたい願望、本来もう少し大きくなれば消失するはずのものが、大人になっても残っていてむき出しになっている、非常に危うい状態なのだそうですー



承認リーダーたちは友人としてお付き合いすると男性女性に関わらずよく気がつくし(時々「うるさい」と感じる時がないでもない)配慮に満ちていてこんないい友人なかなかいないよ、という感じです。



ただ不思議と、メディアの人は彼ら彼女らに会いに行こうとは思わないみたいです。当協会がどんな素敵な聡明な大人たちを作っているか、実物をみてもらったらいいのに。この人はそういう勇気があるかな、と期待した人もいたんですけど。勇気の問題か。

たぶん生徒さんが可愛らしい小さいお子さんか、中高生だったら全然違うのです。でも社会をよくする時はヒエラルキーの頂点に近い方から直した方が直しやすいんですけど、直すというかおじさんおばさん世代の人が人間的に成長して周囲に良い影響を及ぼすのが一番いいんですけどメディアさんはそこまで考えない。

わたしもいつまでも「1人で誇大妄想吹いている女の人正田さん」みたいに話をつくられるのは嫌なのでー、



そうしてメディアには、依然、中身のちゃんとしてない偽作曲家とか論文不正の人たちが溢れます。政治家とかもそのたぐいだしね。


この世界は急速にそれ一色に塗りつぶされていく気がする。



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わたしからすると、会員さん受講生さん方、また一部の当協会シンパの方々以外の人って、男性も女性も一生懸命見栄を張っているようにしかみえない。
わたしに会う前に 当協会コンテンツを結構一生懸命見ていて、書いてあることを身につけようとする、わたしの前では背伸びをし、最初からできるふりをし、当協会から学んだことをおくびに出そうとしない。でもこっちから見ているとバレバレなのだ、にわか勉強しましたというのが。家元だからね。
素直に「あなた方のシンパです」って言ったほうがこの人も自分に嘘をついて自分の中にねじれ現象を作らずに済むのにって思う。当協会コンテンツはずば抜けてよく考えられたものなので、素直にその通りやった方が成果が出るものだ。やらなかったら損、ぐらいのものだ。それはこれだけエビデンスを出した段階では言っていいことだと思う。
このコンテンツを作ったわたしをナメている限り、その人は承認リーダーたちのレペルにはるかに及ばない。承認リーダーたちは幼いプライドを大事にするよりも、幼い対抗意識を燃やすよりも、上手くいくやり方を率直に評価することを選んだのだ。また「何年も自分が上手く行っているのはこの手法のおかげだ」と感謝することもやぶさかではないのだ。
だんだん、「評価も感謝もリスペクトもしたくない」そして一生懸命背伸びするタイプの人とお話するのもきつくなってきたなあ。
ほんと、なんですぐメッキがはがれるような見栄の張り方をするんだろう。。

 人は、「自分の自由意志」に従って仕事するのが効率がいいのか、それとも「共感しあって」仕事をするのが効率がいいのか。

 読者の皆様は、どう思われますか。


 このブログではこの話題を、「選択理論と行動理論」の形で何度か取り上げています。

 「選択理論系コーチングと行動理論系コーチング」(2011年8月)

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51757064.html


 「何度目かの選択理論と行動理論、『外的コントロール悪玉論』」(13年4月)

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51855767.html


 たとえば、マネージャーが「Aをしてください」と言った。

 すると部下はその「A」を強制されることに反発して「B」と言ったり、やったりしてしまう。

 だから「A」と言わないほうがいいですよ、「君はどうしたい?」と質問形で言いましょう。

 というのが選択理論コーチング。


 一方、

 マネージャーは日ごろ「君はよくやってくれた」「あの時これをしてくれたのは、君だったね」等、当協会的に正しいやり方で部下を承認している。

 そのマネージャーが「Aをしてください」と言った。

 すると部下は素直に「わかりました」と言って、「A」をマネージャーの指示したとおりの方法でやった。あるいは指示されたよりもっと高度なことを頑張ってやった。
(もちろん、「A」は反社会的な事柄ではなく、その企業の理念、戦略、社会常識に沿った正しい行動だという前提です)


 これが、行動理論というより当協会方式の「承認リーダーシップ」の中で一般的に起きる現象です。「1位マネージャー現象」はこういう現象の積み重ねで起きていると思います。


 さて、上記のどちらのマネジメントがより効率がいいでしょうか?という問い。


 
 前者(選択理論)では、人は他人から強制されることに反発をおぼえるものだ、という「心理的抵抗性(リアクタンス)」の考えに基づいています。

 これはマーケティングではある程度正しいのかもしれませんが、(だから同じデザインで何色か品揃えしたほうがいい、とかね)

 マネジメントの中では「危険思想」になるかもしれない、というのがわたしの考えです。なので多くの(質問中心)コーチング研修ではこの「リアクタンス」の考え方に触れますが、わたしはあえて触れていません。
なんというか人と人とは共感し合わないものだ、歩み寄らないものだ、という諦念。「あなたの期待に応えるために私がいるわけじゃない」って場面によって正しいかもしれないけど、じゃあ複数の人で心一つに動くことは永遠にできないのが正しいのか。

 質問法で部下に答えを出させなさい、というのは、特に相手が末端の部下、若い部下の場合正しい答えにたどり着く確率が低すぎる。ほとんどの場合は従来通り「指示」「依頼」の形をとったほうがよい。質問で相手に答えを出させるのはよほど営業車で一緒に移動していて時間のあるときなどに、補助的に使う程度でよい。

(相手がリーダー以上であれば、個別面談などである程度「質問」を使って自分の考えを出してもらう場面が増えるかもしれません。)


 そして「指示」「依頼」を上手くいかせる手段は「承認」です。


 困るのは、上記のような「選択理論系」「質問中心」コーチングの「リアクタンス」の考え方に研修などで触れてしまうと、
 
 「自分も『リアクタンス』を振り回していいんだ」

と、「リアクタンス絶対視」がそのひとのなかに出てきてしまうことです。
 研修でならったことって、結構好ましくないことに限って暗示的なはたらきをして人に影響を与え続けることがあります。


「あなたがそういう言い方をすると、私は反発するんですよね」

 そういうことを言う人がいると、わたしなどは「ちょっと待って?」と思います。


 じゃあ、仕事ってあなたの好きなようにやっていいの。それでは企業統治はどうなるの。リスクマネジメントはどうなるの。どんな指示も依頼も受けつけないってそれは、本当に社会人なの。


 ほんとうは、「自由」には「責任」がともないます。「権力」には「義務」がともないます。

 こういうことをだれかに言われたとき、「上から目線で物を言いやがって」と感じるとしても、それは言わなければならないことだから言う局面になっているのです。



 もし、これまでに受けたコーチングの研修でこれ(リアクタンス)的なことを習ったことがあっても、それは忘れてくださいね。わたしは従来のコーチングを決していいと思っていません。そしてそのほうがむしろ「良識」の側にあると思います。


追記

 わたしの経験では「正しいこと言われると、反発するんですよね」ということを言われるのは、多くの場合ナルシシストさんです。
 正しいことを言う人が身近にいてしまうと、その人に「勝てない」と思ってしまうからです。案外そういう人は東大の先生のことはきくのです。

 「正しいことに反発する」
 それは、間違ったことを間違ったことだと認識しながらやる、ということでしょうか。大変な非効率ですね。
 それは前にも書いたようにナルシシスト特有の「学習能力の低さ」につながります。また、間違ったことに一度手を染めてしまうと、それは呪縛となってその人を縛り、その(間違った)選択を正当化する理由を際限なく考えつきます。反発心にかられていちど行動してしまうと一生間違ってしまう可能性があるのです。袴田さん事件の捜査担当者のように。

 こういうことも、言っても通じるのは結局当協会の「承認」にもともと共感してくださっている、元々ナルシシストでない方だけかもしれないな、とは思いますが。


 それから、「じゃあ正田さんは一切の反論を許さないのか」と思われるかもしれませんが、わたしは研修をするとき丁寧に間合いをとりながら教え、それは受講生の熟考、批判、反論、質問をむしろ奨励しているのだ、と、英国帰りの先生に言っていただきました。わたしほどクリティシズムを奨励している講師もいないです。「単なる反発」と「クリティシズム」は違うものです。でも反論や批判は、それなりに正しい根拠がなければなりません。単なる反発より質の高いことを言わないといけません。また反論や批判に対して十分納得のいく説明と回答がなされれば、反論や批判を引っ込めなければなりません。


 「反論が出るかもしれない」と思いながら間をとることの怖さって、わかりますか。是非一度やってみてください。勇気の要ることだと実感できますよ。
 そしてわたしは信じてるんです、わたしから「承認」を学んだマネージャーたちも、部下に十分な批判、反論、質問の余地を与えているだろうと。
 



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

以前朝ドラの「ちりとてちん」愛でこのブログにも記事を書きました


「徒然亭若狭のそだて方」

http://c-c-a.blog.jp/archives/51307775.html#more


(でもこのドラマの脚本はすごく良かったんだけど、この藤本有紀さんという人そのあと「平清盛」の脚本も担当したんですよねー。何だったんでしょうねあれ。それは余談)



ここにあるように、噺家さんの「年季奉公」では3年間、無給で師匠の家の家事をこなしながら人の心を学ぶのだそうです。

でもなんでそんなことが必要なんだろ?って思いませんか?

最近になってわたしが思うことがあります。それは、

人前で話をして食っていきたい、なんていうことを考える人というのは、大抵傲慢不遜な性格なんです。私もその例にもれないでしょう。

それは、過去12年この業界の人と一緒に仕事をして、あるいは堅気の人だけど人に教える仕事をしたいと言ってきた人をみてきて思います。

あくまでうちにくる人は、ですけど、一生懸命背伸びをして師匠(この場合はわたし)よりすごいんだということを見せようとして、やっぱり馬脚をあらわす。というパターンが多い。
40代ぐらいになった人がメンツが潰れると、ダメージが大きいですね。メンツは、低めに維持したほうがいいと思います。
あなたはあなたで価値ある人生をこれまで送って来たと思うけど、でも「1位マネージャー」を作ったことはないでしょ。少し黙って師匠がどうやってるのかみといたらどうですか。と、思う。


で、「年季奉公」という発想が出てきます。その業界で食っていきたい以上は絶対通らないといけない。師匠との間の縦の師弟関係。


実際にやろうとまでは正直思いませんけれど、

「他人のために徹した存在になる」

ということを教え込みたいな、と思うことはあります。

あなたがしゃべるのは、あなたの素晴らしさをひけらかすためではなくて、100%相手のための存在になりきるんだよ。

結局いつも「人に教えるということ」で言ってるのと一緒ですね。


そしていつも困るのが、「マネージャー育成」という仕事のリアリティのなさであります。目の前の彼らを喜ばせるというよりは、彼ら彼女らが職場に帰ったあとうまくいく、というところに想像力を働かせないといけないので。その想像力こそが当協会の強みであり、そして伝えるのが難しいものであります。
多くの場面で人様とは意見が別れるのですが、なぜそうでないといけないのか語るのは難しいのです。


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「代表的日本人」の中の二宮尊徳のエピソードだったと思いますが、

尊徳翁が名声高くなり門前に人が溢れるようになったころ、遠方から汚いなりで来て弟子入りしたいと何日も座り込みをした若者がおりました。

あまりしつこいので尊徳が家の中に招じ入れ、「では台所番をせよ」と言いました。


若者が師匠にお膳を運んでくると、尊徳翁はお膳をじろりと見て

みると沢庵がちゃんと下まで切れておらず、端を持つと全部つながって持ち上がってしまう。

それを青年の手に載せて


「これを持って帰りなさい」

やっとのことで入門できた青年はあっさり破門になってしまったという。


これなどわたしも耳が痛い話で、しょっちゅうそれに近いチョンボをしていそうですが、

このエピソードを引いて尊徳は傲慢で芝居がかってていけすかん、という人もいるそうです。


わたしが思うに、尊徳はコンサル会社の社長として、そこに就職したがる人と欲しい人材のミスマッチをよく知っていたんじゃないかと思います。

よその藩の財政に関わって良くするという仕事は、ひとたび名声がたつと、

「オレも天下に関わりリスペクトされる仕事がしたい」

という不遜な若者を惹きつける。

でもそういう志を持った人が、「人様のため」に徹して報われない地味な仕事を何年もやり続けることができるとは限りません。
むしろ地味な仕事が嫌いなナルシシストかもしれないというのが大いにあり得ます。自分の地元の野良仕事を放り出してくるというのは。


ナルシシストに対する「叱り方」としてみると、この話は割合おもしろいです。



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今日、一つささやかな仕事を終えました。

福島の原発事故でも、大津波を予見した人はいたのです。

予見できることに警鐘を鳴らすこと。ささやかにできること。


いつか自分に「あなたは力の限りできることをやった」と、行動承認の形で言ってあげたいと思います。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会


1日に理研の小保方さん論文「捏造」「不正」会見がありました。

 そこで1つ前の記事の「内製化問題」と「小保方さん」はつながっている、というお話を書きたいと思います。


 え?我田引水すぎるって?


 小保方さんご本人は不服申し立てをするそうですが、いくら「悪意はない」と言っても核心部分の写真のすり替えは、そうは受け取られないことです。「つい、盛っちゃったんです」とか言ってもだめです。許されないことです。


 一部に理研の組織ぐるみ説もありましたが、やり方が稚拙なので(たとえば博士論文からのコピー写真は上の方に変な線が入っており、それは一度プリントアウトした論文をスキャンしてコピーした跡だと思われること)、小保方さんが個人でやったことが濃厚です。


 で、こういうことは一時代前の研究者なら絶対に許されなかったことでしょう。大学か大学院か理研でかわかりませんが、どこかの時点で先輩研究者から「論文の書き方とはこういうものだ」と厳しく指導され叩き込まれたものでしょう。

 その「徒弟制」のプロセスが、小保方さんには感じられない。

 いまどきの「自由」万能の雰囲気の中で、奔放に甘々で育てられた、のではないでしょうか。「リケジョは子供っぽい、社会人として訓練を受けていない」と、いうことを、実はわたしは以前、講演で言ったことがあります。女の子が少ない環境なので甘やかされてしまう。かつ、ハーバード大のバカンティ教授でしたっけ、この人もネット情報によると実は4人兄弟で他の兄弟はみんな研究者でネイチャー掲載経験者で、という面白いキャラですけれども、この人におだてられまくって、自分をほめてくれたこの人にだけ忠誠を誓っている、いや勝手にそんなストーリーを立てちゃいけないですけれども。ごめんなさいこのパラグラフはまるまる想像で書いています。あっ講演で言ったことはほんとです。


 そして叱られると逆ギレするところも、ああやっぱりナルシシストさんだなあ、と思います。恐らく初めてまともに叱られたのではないでしょうか。(そして永遠に「悪かった」とは考えない・・・)


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 で、1つ前の31日付の記事に「徒弟制」の重要性をちょろっと書いていますが、ああやっぱり書いておいて良かった、と思います。

 研究者でなくても、どの世界でも「徒弟制」はあります。

 去年の今頃は洋菓子売場で、お菓子を包む若い店員さんの手つきがたどたどしくて時間がかかるなあ、なんてことをフェイスブックに書いてたんですが、よくみると昔のように慣れた手つきで「ちゃっちゃっ」と包んでくれる店員さんはほんと貴重になりました。


(恐らく、まあどうでもいいんですけど「デパ地下」と「本店」ではまた違うのだろうと思います。「本店」ではもうちょっと指導が行き届いているだろうと思います。どなたかこのあたりの事情に強い方はご教示ください)


 かつては洋菓子売場の店員さんはもちろん包み方を研修などで教わり、そのあと遅くまで残って何度も包み方を自主練するものであった。それは「サービス残業」であっても一人前になるために当然だとみんな考えていた。


 そして「あたしの若い頃は『自主練』したものよ。当然でしょ」というベテラン店員さんがいて、それはいじめではなく愛情ある叱責であった。


 いや洋菓子店員さんの話に脱線しましたけれども、結構あちこちで同じようなことが起きているのだろうと思います。かつては徒弟制が存在したところに存在しなくなった。それはネイチャーに載った論文の取り下げにとどまらず、経済活動のあらゆるところに波及しているだろう、既に、と思います。


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 またふと思い出したのですが、

 わたしは、「自分は『知っている』とは、どういうことだろう」と、随分悩みました。向いてない研修講師業に転換してからしばらくのことです。

 1つ前の記事で、「これは科学的に普遍真理だ」というところは「きっぱり」言う、ということを書きましたが、その「きっぱり」言っていいことは何なのか、ということにも関連します。


 本を1冊読んだからって、セミナーで一度受講して教わったからといって、「知っている」ということに実感がわきませんでした。だからかつて脳死臓器移植記者だったころのように、1つの分野のことに何十冊も本を積み上げて読みました。また学者にコンタクトをとって会いに行きインタビューしました。武田建氏については、大阪のはずれの大学で教鞭をとられているのを幸い、許可をとって一学期間聴講に行きました。
ただ「気づいてもらう」研修ではなく、「教えて、学んでもらう」研修をするには、そういう「『知っている』とは何か」というこだわりがあります。「気づいてもらう研修」より、はるかに「知っている」ことの要件が厳しいのであります。


 そして、現在当協会の教材に学者さんの著書から引用させていただいている箇所は、出典明記はもちろんですが、ほとんどについてその学者さんご本人から許可をもらっています。
 それは、法的な義務は本来ないのですが、ほとんどの学者さんは「著書に発表したものだから、いいですよ」と言われますが、当協会というかわたしのこだわりです。


 当協会の「傾聴」研修、受講されたかたはご存知と思いますが「傾聴8本ノック」という、かなりハードなワークをします。わたし自身自分が受けたときは頭が「ふらふら」になりました。(あ、ついでに当協会の「2時間で習得した」とか「孫」の方々はこの傾聴研修受けてないですね。篠山のマネージャーさんがたは受けてますからね。なるべく機会を作って受けてくださいね。)このワークは、以前ご一緒にしばらく仕事をした、武田氏のお弟子さんで関学人間関係学部講師の川島恵美氏から直伝のものです。これも使用することについては川島氏から許可をいただき、研修の中でもそれはクレジットのように言っていると思います。

 そういうふうに、ちゃんと「仁義」を切らないと、わたし自身は「気持ち悪い」んです。


 でも結構企業の人材育成担当者なんかが受講されると、自分が本来もらわなかったカードを人からもらってコピーしてるのを目にしたりするんだな。AさんのカードBさんのカードとあって、自分のぶんのカードは「記念にお持ち帰りいただいていいですよ。ハードな練習をした思い出に」とわたしは言うんですけど。それは、現場に戻って実践する人のための優しさで言います。AさんはBさんのカードは持ってないはず、その逆もしかりです。


 そういう気持ち悪い行動を、今どきの人材育成担当者(そのときは女性だった)はとります。


 だから、「内製化」なんて全然いいことじゃない。自社の社員が「コンテンツ泥棒」「コピペ講師」になることを奨励するようなものだ、と経営層のかたも認識していただきたいです。


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 えーと、わたしが仮に社長だったら「内製化」についてどう考えるかというと…、


 自社内によい経験知識をもった人がいるのを知っていたら、「みんなにその話をしてやってくれ」というのはあるだろう、と思います。

 そのとき、例の「人に教えるということ」の原則は踏まえてね、というだろうというのと、もうひとつ、

「研修講師のまねごとなんかするな。あなたの経験は貴いものなんだから、みんなが気持ちよくきけるように、『自分のやってきたこと』に特化して話しなさい。お説教なんかはしようと思わなくていい」

と、いうだろうと思います。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
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