29日(土)、NPO法人発達障害をもつ大人の会の会合「関西ほっとサロン」に伺わせていただきました!
午後2時から5時まで、お座敷の会議室で40〜50人が集まり、全員の自己紹介のあと雑談。3時間はあっという間に過ぎました。
感想は…、
事前に抱いていたイメージはそんなに間違っていなかった、といいますのは、
自己紹介の中で「診断名」に多くの人が触れていたのですが、
一部の「知的が入っています」という人以外は、ほとんどはぱっと見てそうとわからない人ばかり、話しぶりをきいていても「この人どこが障害?」と感じる人ばかり。
むしろ、もっと重症でそれでも自覚がないまま普通に会社で社会人やってる人が多いよね、という感想をもってしまったのでした。
「この人のもってる雰囲気は、知り合いのあの人(未診断)にそっくりだなあ」
という人もいました。
でもしばらくお話をきいていると、
「ミスが多い、忘れ物が多い」
「時間内に仕事が終わらない。残業が月30時間ぐらい」
(そんなに多いとは言えない程度だが、今どきの残業に厳しい風潮のもとでは問題になり、診断を受けざるを得なくなるらしい)
「子供が先に診断を受け、その病院で『家庭環境の問題もある。親御さんがADHDなのではないか』と言われて自分も診断を受けた」
といったお話が出てきます。
また中には、
「診断を受けADHDの薬をのんでいるが、こうした自助グループに入れば薬を減らせるとお医者さんに言われた」
という人もいて、自助グループに入るということはQOLを上げるために非常に有効なようです。
またもうひとつ事前イメージが割と当たっていた、というのは、
わたしがこれまで漂流してきたコーチングや各種心理療法の勉強会とも、会合の空気が大いに重なる部分があり、人口的にも重なっているのではないかと思え、むしろ発達障害の会のほうが自分の問題に誠実に向き合っている分「おとな」だと言えるかもしれない、ということでした。
コーチングでいう「個性」「自己実現」という言葉がなんとなく胡散臭く感じられてきたのは、それらが「生きづらさ」を抱える人たちの逃げ口上にきこえる場合もあったからです。その種のセミナーで出会う人の中に「傍迷惑な人」の匂いを感じることもあったからです。この人と一緒に仕事しててこのロジック振り回されるとイヤだよな〜、という。
実際、認知行動療法や一般的なカウンセリング、コーチングを漂流してきた、という人もいます。
「生きづらさ」にも色々あり、中には「共感しすぎる超女性脳」とよべる特性で悩んでるんじゃないだろうか?という人もいます。それは余談。
カウンセラーさんの卵でこの会に参加しながら発達障害者支援の勉強をしている、という人にも会い、そこで一致したのが、
「今どきの流行りの『アンガー・マネジメント』という分野は、むしろ『発達障害』という切り口でみた方がいいのではないか」
ということでした。
発達障害の当事者の一部の人のもつ「易怒性」や、発達障害の働き手の人との間で発生しやすい「言った、言わない」の問題、「説明したけど理解してもらえない」「わかったやりますと言ったけどやらない」の類の問題は、自分や相手の特性を理解することで初めて解決する。入り口が間違っているといつまでも解決しない。
・・・で、そういう正田自身は?という問題に必ずなるのですけれど、
以前にも書いたように自閉症スペクトラムの度合いをはかるAQ値は20(30以上だと「疑いあり」になる)でした。忘れ物が多い、片付けられない、という問題は昔からありましたが最近忙しいせいかひどくなってると思います。初めて行く場所に行くのに迷い、遅刻するという問題も出てきています(えと、この問題に関しては言い訳になりますがHPのアクセスマップのところに「地番」を載せていただけるようせつに希望します。「地番」があれば普通はスマホのマップアプリでたどり着けるのです;;)
診断を受けられる一部の病院でも2−3か月待ちという状況なのだそうで、ほんとわかってるお医者さんがまだ切実に少ない状況なようです。だから診断受けに行くべきなのかどうか悩むなあ。
障害を受容したさわやかな皆さん
100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp