天皇陛下は、今年の最も印象的な出来事として
「青色発光ダイオードのノーベル物理学賞受賞」
を挙げられた。
「照明器具として消費電力が少なく、発光による熱し方も少ないことから、社会の様々な分野で利用されていくことと思います」
と。
青色LEDは、貧困国の子供たちの就学にも役立つだろうとみられている。現在では。
超有名人、有名技術になってからチヤホヤするのは簡単だ。あんな用途こんな用途もある、と期待をこめて言うことも簡単だ。
開発途上には、研究者たちはどれほど嘲りを浴びたろうか、「これは夢の技術ですよ」と言って狂人扱いされたことだろうか。
それは著書にも書いたわたしの恩師・故中嶋嶺雄氏が新大学を設立して成功するまで味わったであろう思いとも重なる。
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これもあくまで自分自身の備忘録として書いておこうと思う。
今年前半、わたしのためにあえて発言してくれた人が地元にいた。
3月末、地元の”ある機関”に自ら出かけ、
「正田さんをもっと取り上げてやってくれ」
と言ってくれた。
”ある機関”(あえて名を秘す)のほうでは「わかりました」と言ったが、そのあとすぐ迷走した。その機関から当方に電話がかかってきたが、それはわたしの専門のリーダー教育ではなく、「マーケティング」のセミナー講師をしませんか、というオファーだった。その機関の事業部で月1回「マーケティングセミナー」をやるのでその枠を割り振ってあげよう、ということだった。「正田さんを取り上げる」ってそういうことじゃないと思うけどね。先方は、研修講師などはどれも十把一絡げなので、リーダー教育の人がマーケティングと銘打ってセミナーをやることも可能だと思っていたらしい。組織の中枢にはいたが、なにごとも真摯に考えているふしがないのだ。
わたしは一応の感謝を述べながらも「お役に立てるかどうかわかりません」と慎重な返事をした。それはわたしの頭が固いわけではなく、「マーケティング」に関してはそれ専門の先生の100分の1も恐らく知らないだろうし、そんなで人様の役に立てる話ができるはずないからだ。かつ、リーダー教育で社会の幸福に資する仕事を本来できるはずのわたしが、専門外のことでしゃべって無様な失敗をしたら「後がなくなる」からだ。そして案の定、その機関の事業部の方も筋違いだと断ってきた。
オファーをしてきた本人は、
「せっかくこちらで気を回して考えたのに」
と、恩着せがましくおかんむりだった。
そういうあほらしいやりとりのさなかに間のわるいことに「隣の島の某魔性の女性研究者」の第2回会見というのがあり、「12年、1位輩出」の当社もそれで旗色がわるくなってしまった。わたしまで妄想的な人間とおもわれてしまった。”某機関”はこの女性研究者のことが大好きで上から下までなめるように扱っていたけどね。
そういうわけで
「これは戦争だ」
「男が男であることを見せなならん」
と言って”某機関”にわざわざ出かけていった人物を討ち死にさせてしまった。
不幸中の幸いなのは、ご本人が今もまだぴんぴんしていて、この屈辱的な一件のせいで憤死したりはしなかったことだ。
―わたしはわたしの側にたつ人に屈辱的な思いをさせてしまう罰当たりな人生を送っているのだろうか―
その過程では色々不愉快な押し問答があり、たしか一度
「これ(承認研修)は”夢の技術”なんですよ。STAP細胞なんかよりはるかに沢山の人を幸せにするんですよ」
とわたしが言い、
「正田さあん、そこまで言うと僕、ちょっと引いちゃいますよ」
と先方の人物が言った。
なんというか思考がとても表面的なのだ。
なんというか
「仕方ない、読者とか視聴者はこの程度のレベルなんだから」
とレベル調整する、その調整した先のレベルに自分自身がなり切っている感じだ。
こういうことも記録しておこう。
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そんな、「12年1位」「年間業績向上事例8例」という実績と、幸福になる当事者ではない官僚的な人々の無理解のギャップのあまりの大きさに、今年前半は気分的には「どん底」だった。
それが5月下旬にパブラボ社の菊池社長との出会いがあり、そのあとも紆余曲折あったが何とか『行動承認』の出版にはこぎつけた。あえて割愛するけれどそれまでにも本当に色々あり、よく自分の意志が保てたと思う。ごく一部の理解者が励ましてくれたことに藁にもすがる思いだった。
出版したあとも身内や地元の反応は様々だった。素直に「凄い本だ!」と反応してくれた人もいたが、目立ったのはむしろ既知の人たちの「依存」や「マウンティング」―立派な本を出して有名人におなりになったんだから(注:まだ全然そんなものになってない)これぐらい言ってもいいでしょ、と公開の場で侮辱する、貶しめる。あるいはだらんとだらしなく甘え、社会人としての規範の行動がとれなくなる。こんなことは過去7回事例セミナーをやって初めてのことで、「人の質」全体がそれだけ落ちているのだ。
そして、圧倒的な良いものと自分が幸運にも出会えて、手にしているんだということへの感謝の念がない。「この教育」のお蔭で表彰されたとか、会社の経営と自分の生計が辛うじて「この教育」で維持できている、という人にしてからが。
わたしはこれまで自分自身に「ナルシシズム」に陥ることを禁じてきたし、自分に対する感謝や敬意をひとに強制したりすることもなかった。しかし恩恵の程度によっては、「感謝しない」というのはやはりそのひとの生き方としておかしいのではないか、と思うように今年はなった。
以前にも書いたが、「感謝しない」は「依存」のサインだ。
そして何に感謝すべきなのかというと、「メールいただきありがとうございます」みたいな些末なことを要求しているのではない。
「この配慮にみちた精巧な教育プログラムを作ってくれてありがとう」
「私に施してくれてありがとう、そこまでの営業プロセスまで含めてご苦労さまです」
「その後もずっと経営努力により維持してくれてありがとう」
「ずっと追加の情報提供をして教育してくれてありがとう」
なのだ。
教育に対して感謝をすると、追加のコンサル料を請求されるのではないか、請求されるとイヤだから感謝の言葉を述べない、というのも、人として情けない、みみっちい考え方だ。そして人生の恩恵の収支が間違っているのだ。
わたしはつねにこのブログ上でもだれかに感謝の言葉を述べ、「感謝する」ということについてのモデリングをしているというのに。そこから何も学べないのだ。
そういう人は今後はもう「この教育」の恩恵を受けないでいい、儲からないでいいとまじめに思う。
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わたしの側に立って発言する人が屈辱的な思いをしないで済むのかどうか。
『行動承認』出版後、この本をフェイスブックで写真やAmazonのリンク入りで紹介してくれる人が、とりわけ現役の経営者やマネジャーで続々現れた。
都度感謝の言葉を述べながら、今年前半のことがあるから、いつもその人たちの「傷」にならないで済むように、とヒヤヒヤしてしまう。
そして、無名ではあるけれど優れた動体視力と研修というものや経営現場への洞察と言葉の力により、わたしの研修講師ぶりを証言してくれた人。(彼ひとりで事例セミナーで出来なかったことをやってくれた)
それに有名ではあるけれど自分の名誉の一部を使って本を紹介してくれた人。
その人たちに幸ありますように。
来年はもう少しこころの美しいひとが増えていて良いことがありますように。
100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp