正田佐与の 愛するこの世界

神戸の1位マネジャー育成の研修講師・正田佐与が、「承認と職場」、「よのなかカフェ」などの日常を通じて日本人と仕事の幸福な関係を語ります。現役リーダーたちが「このブログを読んでいればマネジメントがわかる」と絶賛。 現在、心ならずも「アドラー心理学批判」と「『「学力」の経済学』批判」でアクセス急増中。コメントは承認制です

2014年12月


 天皇陛下は、今年の最も印象的な出来事として

「青色発光ダイオードのノーベル物理学賞受賞」

を挙げられた。
「照明器具として消費電力が少なく、発光による熱し方も少ないことから、社会の様々な分野で利用されていくことと思います」
と。


 青色LEDは、貧困国の子供たちの就学にも役立つだろうとみられている。現在では。

 超有名人、有名技術になってからチヤホヤするのは簡単だ。あんな用途こんな用途もある、と期待をこめて言うことも簡単だ。
 開発途上には、研究者たちはどれほど嘲りを浴びたろうか、「これは夢の技術ですよ」と言って狂人扱いされたことだろうか。


 それは著書にも書いたわたしの恩師・故中嶋嶺雄氏が新大学を設立して成功するまで味わったであろう思いとも重なる。


****


 これもあくまで自分自身の備忘録として書いておこうと思う。

 今年前半、わたしのためにあえて発言してくれた人が地元にいた。
 3月末、地元の”ある機関”に自ら出かけ、

「正田さんをもっと取り上げてやってくれ」

と言ってくれた。


 ”ある機関”(あえて名を秘す)のほうでは「わかりました」と言ったが、そのあとすぐ迷走した。その機関から当方に電話がかかってきたが、それはわたしの専門のリーダー教育ではなく、「マーケティング」のセミナー講師をしませんか、というオファーだった。その機関の事業部で月1回「マーケティングセミナー」をやるのでその枠を割り振ってあげよう、ということだった。「正田さんを取り上げる」ってそういうことじゃないと思うけどね。先方は、研修講師などはどれも十把一絡げなので、リーダー教育の人がマーケティングと銘打ってセミナーをやることも可能だと思っていたらしい。組織の中枢にはいたが、なにごとも真摯に考えているふしがないのだ。


 わたしは一応の感謝を述べながらも「お役に立てるかどうかわかりません」と慎重な返事をした。それはわたしの頭が固いわけではなく、「マーケティング」に関してはそれ専門の先生の100分の1も恐らく知らないだろうし、そんなで人様の役に立てる話ができるはずないからだ。かつ、リーダー教育で社会の幸福に資する仕事を本来できるはずのわたしが、専門外のことでしゃべって無様な失敗をしたら「後がなくなる」からだ。そして案の定、その機関の事業部の方も筋違いだと断ってきた。

オファーをしてきた本人は、
「せっかくこちらで気を回して考えたのに」
と、恩着せがましくおかんむりだった。


 そういうあほらしいやりとりのさなかに間のわるいことに「隣の島の某魔性の女性研究者」の第2回会見というのがあり、「12年、1位輩出」の当社もそれで旗色がわるくなってしまった。わたしまで妄想的な人間とおもわれてしまった。”某機関”はこの女性研究者のことが大好きで上から下までなめるように扱っていたけどね。


 そういうわけで
「これは戦争だ」
「男が男であることを見せなならん」
と言って”某機関”にわざわざ出かけていった人物を討ち死にさせてしまった。
 不幸中の幸いなのは、ご本人が今もまだぴんぴんしていて、この屈辱的な一件のせいで憤死したりはしなかったことだ。

 ―わたしはわたしの側にたつ人に屈辱的な思いをさせてしまう罰当たりな人生を送っているのだろうか―
 

 その過程では色々不愉快な押し問答があり、たしか一度

「これ(承認研修)は”夢の技術”なんですよ。STAP細胞なんかよりはるかに沢山の人を幸せにするんですよ」

とわたしが言い、

「正田さあん、そこまで言うと僕、ちょっと引いちゃいますよ」

と先方の人物が言った。

 なんというか思考がとても表面的なのだ。
 なんというか
「仕方ない、読者とか視聴者はこの程度のレベルなんだから」
とレベル調整する、その調整した先のレベルに自分自身がなり切っている感じだ。
 

 こういうことも記録しておこう。



****


 そんな、「12年1位」「年間業績向上事例8例」という実績と、幸福になる当事者ではない官僚的な人々の無理解のギャップのあまりの大きさに、今年前半は気分的には「どん底」だった。


 それが5月下旬にパブラボ社の菊池社長との出会いがあり、そのあとも紆余曲折あったが何とか『行動承認』の出版にはこぎつけた。あえて割愛するけれどそれまでにも本当に色々あり、よく自分の意志が保てたと思う。ごく一部の理解者が励ましてくれたことに藁にもすがる思いだった。


 
 出版したあとも身内や地元の反応は様々だった。素直に「凄い本だ!」と反応してくれた人もいたが、目立ったのはむしろ既知の人たちの「依存」や「マウンティング」―立派な本を出して有名人におなりになったんだから(注:まだ全然そんなものになってない)これぐらい言ってもいいでしょ、と公開の場で侮辱する、貶しめる。あるいはだらんとだらしなく甘え、社会人としての規範の行動がとれなくなる。こんなことは過去7回事例セミナーをやって初めてのことで、「人の質」全体がそれだけ落ちているのだ。


 そして、圧倒的な良いものと自分が幸運にも出会えて、手にしているんだということへの感謝の念がない。「この教育」のお蔭で表彰されたとか、会社の経営と自分の生計が辛うじて「この教育」で維持できている、という人にしてからが。
 わたしはこれまで自分自身に「ナルシシズム」に陥ることを禁じてきたし、自分に対する感謝や敬意をひとに強制したりすることもなかった。しかし恩恵の程度によっては、「感謝しない」というのはやはりそのひとの生き方としておかしいのではないか、と思うように今年はなった。

 以前にも書いたが、「感謝しない」は「依存」のサインだ。

 そして何に感謝すべきなのかというと、「メールいただきありがとうございます」みたいな些末なことを要求しているのではない。
「この配慮にみちた精巧な教育プログラムを作ってくれてありがとう」
「私に施してくれてありがとう、そこまでの営業プロセスまで含めてご苦労さまです」
「その後もずっと経営努力により維持してくれてありがとう」
「ずっと追加の情報提供をして教育してくれてありがとう」
なのだ。

 教育に対して感謝をすると、追加のコンサル料を請求されるのではないか、請求されるとイヤだから感謝の言葉を述べない、というのも、人として情けない、みみっちい考え方だ。そして人生の恩恵の収支が間違っているのだ。
 わたしはつねにこのブログ上でもだれかに感謝の言葉を述べ、「感謝する」ということについてのモデリングをしているというのに。そこから何も学べないのだ。
 そういう人は今後はもう「この教育」の恩恵を受けないでいい、儲からないでいいとまじめに思う。


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 わたしの側に立って発言する人が屈辱的な思いをしないで済むのかどうか。

 『行動承認』出版後、この本をフェイスブックで写真やAmazonのリンク入りで紹介してくれる人が、とりわけ現役の経営者やマネジャーで続々現れた。

 都度感謝の言葉を述べながら、今年前半のことがあるから、いつもその人たちの「傷」にならないで済むように、とヒヤヒヤしてしまう。


 そして、無名ではあるけれど優れた動体視力と研修というものや経営現場への洞察と言葉の力により、わたしの研修講師ぶりを証言してくれた人。(彼ひとりで事例セミナーで出来なかったことをやってくれた)
 それに有名ではあるけれど自分の名誉の一部を使って本を紹介してくれた人。


 その人たちに幸ありますように。

 来年はもう少しこころの美しいひとが増えていて良いことがありますように。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
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訪問先で「当社の人材育成」の話になる。

「12年1位輩出」の当社は今までわたしに次ぐNO.2の講師を作れていない。

今日、初めて言ったセリフとして

「免許をとるのと教官になることは違う」

というのがある。

クルマの免許を持っていても、それは即教習所の教官になれるわけではないですよね。教官になるには、学んだ人のもとで何が起こる可能性があるか、全部知ってなければなりません。自分が言った一言のせいで事故が起きる可能性もあることを知っとかななりません。

これまで教育研修業界にはなかった考え方だと思う。そもそもお客様(受講生さん)が本当に行動することを想定して研修してなんかいないのだから。


今年、「承認」を教える立場になりたいと言ってきた二人の人にダメ出しをした。

一人は女性だった。当初、わたしの友人として親しげに振る舞い、わたしの生き方に共感するふりをした。
でも1対1でなく、大勢でご一緒する場で馬脚を現した。彼女は体にぴったりしたワンピを着てきて、自分の自慢話を延々として他の人の時間を奪った。そして無口なわたしを嘲り明るくて魅力的な自分のほうが「上」だという態度をとった。

要は、このひとは恐ろしく「承認欲求」の強い人であり、「承認」を教える人になりたいというのは、ちょっと知的で尊敬される仕事がしたいという、職場でややとうがたってかわい子ちゃんではいられなくなった自分のポジショニングの変更が目的であり、かつ日頃はお年寄りを相手の仕事をしているので、当社の交流の場で30-40代の働き盛りの男性たちにチヤホヤしてもらえることは体のいい性欲のはけ口なのだった。

もう一人は男性だった。「コミュニケーション」が上位にある、わたしよりはるかに座持ちのいい、アドリブの利く人だった。
わたしにない良さのある人だからと、彼が職場で教えることにもOKを出していたのだけれど、その寛容気取りが良くなかった。わたしにない良さのある代わり、わたしが神経を尖らせる副作用やナルシシズムについて、この人は無頓着だった。


結局、この問題について「ええかっこしい」をするべきではないのだ、以前からそのつもりだったけれど今年の失敗を経て、一層そう心に刻まざるを得なかった。「教える人」の質について妥協してはならない。わたしの周りに群がる人が減ったとしても、寂しさと引き換えにしてはならない。

「承認」を教えたいなら、徒弟制を受け入れて欲しい。1年ぐらいわたしのかばん持ちをし、わたしが質疑にどう応じるか見て学んで欲しい。教習所の教官の立場なのだ、それぐらい安全配慮義務のある責任の重い仕事なのだと自覚して欲しい。到底、自分の承認欲求を満たすためになどできる仕事ではない。

いつも引用する「人に教えるということ」という記事では、「この教育を『教える人』のことは、スパナで頭殴りますよ」ということも言っている。

お客様には、「日頃は承認って言ってるのに自社の人材育成はそうちゃうんですか」と驚かれた。正直な反応だと思う。

とにかく「教える」ということについて、当社の基準は業界標準と違うのだもの。

以前デンマークの教育に一時期凝っていた、かの地では教師は小学校の先生でも修士でないとなれないのだという。自由で人格教育に重きを置く教育というのは、教育する側の厳しい修練によって担保される。

正田自分は修士なんて持っていないくせにね。


寂しいのは我慢しよう。


100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会

 このブログには結構「はしたない」ことをこれまでにも書いていて、わたし自身今後嫁に行く予定はないのでええかと思うのだが、

「某女性(元)研究者」

のこと。


 なんであの女性に今年、日本中がトチ狂った状態になったのだろうか…。


 わたしも実害を受けた側なのであんまり今でも冷静になれないかもしれないのだが、一時期はこの女性のことをちょっとでも悪く書いただけでフェイスブック友達もギャーッとなったのだ。
 多少は沈静化したので、本音を書かせてもらってもいいのではないかと思う。

 世間がなぜコロリと騙されたか。今の時点でわたしが想像する要因は4つほどある。



 1つ目には彼女のビジュアルのもつ説得力というもの。


 とりわけ4月初めの2度目の記者会見のときの、紺色のしゅっとしたラインのワンピースの選択と、そのワンピに見事に合ったプロポーション。会見では上半身が映るが、頭の大きさと首のラインと肩幅のバランスの良さ、それに胸からウエストにかけてのラインの美しさ。


 そしてお顔のほうは、わたしはあんまり美しいと評価していないのだが、あどけなくて一重瞼の目尻の垂れ具合がちょうどいい。唇は小さく、真ん中部分が程よく分厚くてチャーミング。


 そんなふうに見事にポイント、ポイントに「キレイ」と「カワイイ」の要素が入っている。よくまあ神様はこんなのデザインしたものだ。

 単にキレイ、カワイイというだけではない。彼女のプロポーションにはどこか、「これは高度に理知的な人なのではないか」と思わせるものがあった。

 最近ネットに彼女の研究ノートと称するものが出回っていて、それをみると「なんだこれ、JKでもこんな酔っぱらいのたわごとみたいなことは書かない」というものなのだが、しかし知性がそこまで崩れている人については、わたしたちは自動的に、食生活も崩れているのではないか、拒食だったり過食だったりしてプロポーションも崩れているのではないか、と頭の中でつなげてしまうところがあるのではないかと思う。
 30歳でプロポーションを完璧に保っている人物は、とりわけ研究者なんていう体を動かさない不健康な職種の人でそうならば、かなり知的レベルの高い自制的な人なのではないかと思ってしまう。
 でもそういういわばヒューリスティック(自動思考)には当てはまらない人なのだ。


 2つ目には、口頭コミュニケーションの上手さ。しおらしい言葉の選択や、辻褄合わせの上手さ。不合理な点にも顔色ひとつ変えず理由を述べられる。


 3つ目には、以前にもこのブログで触れた、「可愛い」と「可哀想」カードを見事に使いこなしていること。1回目の会見では前者、2回目では後者。

 とりわけ「可哀想」はわが国では最強カードなのだと思う。というのを「保育所にやるのはかわいそう」の話の中で書いた。このキーワードを言えば、誰もが「自分はいい人だ」気分になれる。いわばナルシシズムを満たすことができる。他人ともなんとなく連帯できる。「可哀想」を上手く使えば、日本人に戦争だってさせられるんじゃないかと思う。

 それを30歳にして自己プロデュースで見事に使いこなしているから本当、只者ではない。



 4つ目は本人要因ではなく、直前の2月のソチオリンピックの影響というのを考えてみた。

 やっぱり真剣に頑張るアスリートの姿というのはみているとこちらも鼓舞されるから、わたしもこのブログで「羽生結弦くん」について思い入れたっぷりの文章を書いたこともあるし、とにかく無条件にTVにアップで映るアスリートたちの姿や顔に感情移入していたのだ。ほとんどの日本人はそうだったと思う。

 それと同じことを、「女性研究者(当時)」にも無意識にやっていたのではないかと思う。何の疑いもなく。




 いえ、今書くことに深い意味はないんです。一度書きたかっただけです。
 いいです、「意地悪ババア」って言われても。




100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
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お世話になっている皆様


 おはようございます。
 企業内コーチ育成協会の正田です。

 きょうは「朔旦冬至」、19年に一度、冬至の日が旧暦11月1日になるおめでたい日なのだそうです。とフェイスブックのお友達の投稿でさきほど知ったわたしです。

※このメールは、NPO法人企業内コーチ育成協会のスタッフ及び代表理事・正田が、過去にお名刺を交換させていただいた方・当協会のイベントやセミナーにご来場いただいた方にお送りしています。ご不要の方は、メール末尾にありますURLより解除ください。
(解除方法が変わりました!詳細はメール末尾をご覧ください)


 本日の話題は:

■『行動承認』が藻谷浩介氏の「3冊」に選んでいただきました

■嬉しかったご報告「5Sが進んでいます」

■「発達障害者マネジメント」で再インタビュー予告編

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■『行動承認』が藻谷浩介氏の「3冊」に選んでいただきました

 昨21日、毎日新聞の「書評欄」で、日本総研主席研究員の藻谷浩介氏が小著『行動承認―組織の能力を最大化する「認める力」』を「2014年この3冊」の1冊として、取り上げてくださいました!
 文面はこちらからお読みいただけます
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51904508.html

 このほか、『行動承認』について今月に入ってたくさんの嬉しいメッセージ、お知らせがありました。
○「月刊人事マネジメント」12月号(ビジネスパブリッシング発行)の巻末2ページのコラム「おわりにのおわりに」に、『行動承認』を取り上げていただきました。
○在京の大企業の人事の方より「『行動承認』を『良書』として自社の管理職に勧めました」とご連絡をいただきました。
○フェイスブックの女性のお友達(個人事業者)がご自身のタイムラインで「自分も良い人格の人に『承認』されているような気持ちになった」と紹介してくださいました。
○ある経営支援の方から「『行動承認』を会員の経営者さんに勧め、共感できるなら専門家派遣をしますよ、とお話していただき、実際に派遣につなげていただきました。

 みなさま、ありがとうございます!!この時代においてみなさまが判断されたことは正しいのだと、新たな証拠をもって申し上げたいと思います。
 
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■嬉しかったご報告「5Sが進んでいます!」

 今年もたくさんの印象的な受講生さんとのお出会いがありました。

 そのうちのお1人、先月「承認」「傾聴」「質問」の3回のセミナーに自ら参加された経営者さんがいました。社員10人前後のものづくり企業のトップ、60代半ばの方です。

 ハードな反復練習の実習の連続だったセミナー。3回目、デモの場面で社長さんは手を挙げて立候補され、そこで社内の「5S」を推進する約束をされました。「5S」が品質向上、信頼アップ、そして取引先拡大のカギになるだろう、とのことでした。

 その後、「どうなってらっしゃるかなあ」とお問い合わせしてみると…。

「以前より整頓された状態になっています。一番散らばりが目立った現場も工夫で良くなっています」
とのお返事。

 嬉しかったですねえ。

 これまで何年もさまざまな取り組みをしてきたが変わらなかった、と伺い、かつセミナー後は急速に新たな取り組みをされたので、果たして「定着」されるだろうか、とかげながら「はらはら」していたのです。

 この社長さんはセミナー1回目の「承認」から大変意欲的に取り組まれ、素晴らしい宿題をご提出いただきました。わたしから「経営者さんのされた宿題として過去最高レベルです!」と賞賛させていただいたほどでした。

 「承認」3週間の実践で社内が「温まった」次の段階で「5S」にも取り組まれたので、社員さん方の順応も早かったのではないか、とご想像するしだいです。

 現場が良くなられるということ。それは、社員さんが幸福感をもってはたらいておられるということ。1日、集中し、脳がもっとも活性した状態でよい感情をもってはたらき、お家に帰っていただけるということ。

 わたしにとってはそれが最高のプレゼントなのです。

 そして、日本中に無数にある同様の規模の会社でそのようなことが起こったら…、それはあと何年かかるか分からないけれど2015年の「初夢」とさせていただきましょう。

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■「発達障害者マネジメント」で再インタビュー予告編

 去る18日、「発達障害をもつ大人の会」代表の広野ゆいさんに2度目のインタビューをさせていただきました!
 今回は「仕事の場での発達障害」について、かなりききにくいこともあえてご質問させていただきましたが、広野さんはご自身の働き手としての経験、そしてNPOでのマネジャー側としての経験をもとに、真摯に答えてくださいました。

 非常に個別具体的なことですが現役マネジャーにはお役に立つ部分、部分があるのではないかと思います。

 まだ全体の録音起こしは先になりますが、「予告編」の記事をアップしました。

 ご関心のある方は、ご覧ください。

◇広野ゆいさんインタビュー第二弾 予告編
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51904358.html 

 また10月に行い11月にアップした広野さんインタビュー全3回のうち、「仕事」に深くかかわる第3回の記事はこちらです

◇広野ゆい氏にきく(3)―凸凹部下と凸凹上司、どうつきあう?
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51901749.html


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★前号でお伝えした、「凄腕担当者がみた承認研修」の記事(1)(2)は、その後も高いアクセスをいただいています。
 読者の方から「年末年始にゆっくり読みたいです」というご感想をいただきました。
 再度リンクと目次を掲載いたしますので、お手の空かれたときにご覧ください:

◇柔道有段・凄腕担当者がみた「12年1位」の研修とは
(1)論理性、背筋の伸びる瞬間、ナルシシズム
http://c-c-a.blog.jp/archives/51903851.html
■なぜ、僕が「この研修」にたどり着いたのか
■出典明記主義について
■論理的であることの価値
■背筋が伸びた、独特の話し方
■ナルシシズムと経営者の受講生と
■専門用語、敬語
■アクションについて
■とことん突き進むのはすごいエネルギー

(2)これは闘いなんやなあ!
http://c-c-a.blog.jp/archives/51904145.html 
■知識を詰め込むのか、現場を良くするのか
■傾聴ワークの優しい気づき
■「型で教える」ことの意味
■教えるとは「フォルダを作る」こと―「教えない教育」との決別
■これは闘いなんやなあ!
■社内研修と経済団体主催と自主勉強会、意識の差
■末永い真実とリスペクトの教育を
以上
 なお、このインタビューは全4回です。後半第3・4回は年明けに掲載させていただきます。

※このメールは、NPO法人企業内コーチ育成協会のスタッフ及び代表理事・正田が、過去にお名刺を交換させていただいた方・当協会のイベントやセミナーにご来場いただいた方にお送りしています。

解除される場合は、下記の解除フォームから受信していただいたメールアドレス入力して下さい。
メールアドレスを入力していただいた後、解除専用の確認メールをお送りさせていただきますので解除専用のURLをクリックして下さい。
いたずら防止のため解除の確認メールをお送りさせていただいておりますのでご理解のほどよろしくお願い申し上げます。
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ブログ「コーチ・正田の 愛するこの世界」
http://blog.livedoor.jp/officesherpa/

日本人の勇気と自信は、ここから生まれる
「第3回承認大賞」
http://shounintaishou.jp

「企業内コーチ育成のすすめ」
(株)帝国データバンク社『帝国ニュース兵庫県版』
2008年〜2012年 長期連載このほど完結
http://blog.livedoor.jp/officesherpa-column/

兵庫県中小企業団体中央会発行月刊「O!」連載コラム
「誌上コーチングセミナー」
http://c-c-a.blog.jp/archives/cat_50054961.html


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 本日(2014年12月21日)付毎日新聞朝刊の書評欄で、日本総研主席研究員の藻谷浩介氏が小著『行動承認―組織の能力を最大化する「認める力」』を「2014年この3冊」の1冊として、取り上げてくださいました!


 21毎日1(2)



12.21毎日2(2)



 藻谷浩介氏の名著『デフレの正体』は、以前よのなかカフェのネタ本としても取り上げさせていただいたことがありますし、同氏の昨年10月の神戸での講演を「ブログ中継」したこともあります。
 今年は先月福岡で不肖正田が行った「女性活躍推進」についての講演で、同氏の了解をいただいて講演資料からの引用をさせていただいたことがあります。
 「地方創生」「人口問題」「女性活躍推進」で発言されている同世代の代表的なオピニオンリーダーであります。

(余談: ほら、最低限こういう風に言わないとぱっときいてどう位置づけたらいいかわからないでしょ。だから「講師紹介」って大事なんですよ)
 

 以下、「毎日新聞」での短いながら嬉しい同氏のコメントを引用させていただきます:


「上から下まで満たされぬ承認欲求を抱えて窒息する日本社会への、酸素となる一冊。よくある宣伝本やノウハウ本ではなく、誰でも実践でき奥は深い。見かけを褒めるのではなく行動を認めることで、ナルシストを減らし前に進む人を増やそう。」


 実によく言い得ているなあ、と思ったのは、今年、これまでのどの年にもまして歪んだ形の「承認欲求」の表出(マウンティング)にたびたび出会い、『行動承認』を出版していなかったら窒息しそうだ、とわたし自身が思っていたからです。

 『行動承認』出版後にすら、著者のわたしを貶めることで自分の優位を示そうとするおぞましい人や行為に出会いましたもの。


 そのなかで逆に一貫してわたしを信頼し励ましてくれた人の存在が奇跡のように思えました。その人たちに対して『行動承認』はわたしからせめても形あるものとしてプレゼント出来たものでありますし、このたび藻谷氏からの評価はもう一つ、彼ら彼女らの判断力に太鼓判を押すものになったことでしょう。



 かつ、この短いコメントの中で「よくある宣伝本やノウハウ本ではない」と言ってくれているのも、実は形式としてはビジネス書であり、そういう「よくある…」ものだと一刀両断しようとすればできない本ではないだけに、「そうではない」と退路を断つように言葉を補ってあるのは嬉しい配慮だ、と言うべきでしょう。
 よく言えば、それは「真実であり、これまで発見されていなかったが普遍的真理と呼べるものだ」ということなのです。


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 これもフェイスブックで一度出した話題ですが

 我が家の美人犬リンちゃんが、年内最後のシャンプーでカワイクしてもらいました(首元参照)


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 御影にある不動産屋さん兼ペットシャンプーの「セジュール」の横田ちかさんで、「クリスマスだからこれつけましょうねえ」と。

 セジュールさんを紹介してくださったのはペットシッターアビーの土井紀子さん。


 それに長年HPやチラシ制作、イラスト画でお世話になっている(有)ファブリーの村岡正司さん・みきこさんご夫妻の顔も思い浮かべました。

 そうだ、最新の手法で身体や心のケアをしてくれている専門家の方々も。


 こんな小さな団体、ちいさなわたしとリンちゃんのためにまごころこめて変わらずお仕事してくれる方たち。

 
 感謝できることにもういちど感謝したい。



―わたしのお蔭で儲かったくせにわたしに感謝の言葉ひとつ言えない、
   人のこころの醜さもみた年に―




100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
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 これも今年、奇妙だと思い記憶しておいたこと。
 自分の備忘録のために書いておきたいと思います。


 研修講師をしていると、「本番」が仕事のメインである。研修時間、セミナー時間、イベント時間…。なのでここで使う「本番」はそういう意味だと思ってほしい。


 「本番」の中で、講師のわたしが
「お時間押しています」
「急ぎ目にお願いします」
と、声をかけると、急ぐどころか逆にのろのろしてしまう人がいる。


 今年3回ぐらいの「本番」で経験した。


 今の時点で思うことは、恐らくそれは「固定観念(≒性差別)」のなせるわざなのだ。
 要は、「お母さんとの関係性」を再現しているのだ。


 時間というものは時間管理の先生にきくまでもなく、だれもが等しく持っていて、しかし失ったら永遠に失われる有限の資源である。そして、ある程度地位の高い人なら、「この失った時間は時給換算でいくら」と気にしなければならない。


 ましてや「本番」の時間の中でそれをやるのは…、


 みていると、急かしを入れられて逆に「のろのろ」してしまう人は本当に無意識に、自然な身体反応としてやっている節がある。理性でやっているわけではないのである。


 推測だが、それはその人の幼少時からの「お母さん」との関係であったり、現在の「奥さん」との関係なのである。


「早くしなさい!!」

と、お母さんが毎日何度も急かしてきた。

 男の子がある年齢になると、「ババア」とうるさがりながら、一方ではお母さんの急かしを自分の時間の符牒とし、急かしが入ると面倒臭そうに身体を動かす、ということをしてきた。

 かつ、そこにTAでいう「ゲーム」が入ってくる隙もあるだろう、と思う。
急かしというストロークが欲しい。ついでに相手のイライラした感情も自分にとっての栄養になる。要はねじくれた承認欲求である。

 とりわけADHD傾向のある子供だと、急かされる場面は多いし、急かされることで自分で時間を管理することをますますサボる。そして自分が叱られることでやっと正しく行動できるのであっても、一方で叱られたことを恨む。恨む気持ちから、わざと逆らう行動もみせる。急かされても急かされても動かない、最後は相手(お母さん)が切れてヒステリーを起こすのを待つ。

 ヒステリーを起こすと
「ほらみろ、ヒステリーババア」
と見下す。そこで「怒った相手」の負けだ、自分は勝った、と居丈高になる。


 わたしもそうした思春期の男の子の「依存と見下し」の入り混じったバカバカしい心理を散々経験したので、わたしとの関係性の中でそういう心理に陥る人、というのもみているとわかる。


 急かされたら、言われたとおり急いで動く。スピードアップする。
 だって時間は待ってくれないのだから。それはお母さんがどうこう言うのとは別の話なのだから。
 それがわたしから「ADHD傾向の思春期の男の子」とみなされないための処世術である。


 これも冒頭に書いたとおり自分の備忘録のために書いているので、くれぐれも直近のやりとりのある皆様は自分のことだと思われませんように。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
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 NPO法人発達障害をもつ大人の会(DDAC)代表の広野ゆいさんに2回目のインタビューをさせていただきました。

 前回のインタビュー後に再度湧いてきたたくさんの疑問を広野さんにぶつけてみたところ、前回同様誠実に淡々とお答えいただきました。感謝。今回は2時間になりました。


 例によって録音起こしには当分時間がかかりそうなので私的にハイライトと思うところのみ簡単にご紹介します:


 ●ASDの人特有の固定観念の強さは、性差別にもつながりやすい。性的役割分担の思い込み。

―わたしも経験上このタイプの人はよほど自覚していない限り、差別感情全般が強いようにおもう。一人の人が性差別も中国人差別も、またある職種の人を極端に見上げて丁寧な敬語を使う傾向も同時にもっていたのをみたことがある。また一部の人は、「差別はいけないことだ」と学習すると、いかなる場合でも杓子定規に「公平」を守ろうとするそうだ―


 ●ADHD傾向があると仕事上勝手な判断で変なことをやってしまうことがある。自分の興味のないことは勝手に省略していい、と思う。そういう人は厳しく叱ってよい。叱ると恨んできて悪口を触れまわることがあるが仕方ない。(注:管理者にとっては嫌な話だけどこういうことを共有するだけで「らく」になる人はいっぱいいるだろうな)DDACさん発行の当事者向け小冊子(マニュアル)には、「仕事は基本、勝手な判断でやってはいけないものだと心得よ」的な記述がある。
 
―またそういう人はなまじ「コーチング」をかじっているせいで、「あなたはどうしたい?」が正解だと、つまり仕事は勝手な判断でやっていいものだと思い込んでいるケースがある。そして上の人は「権限移譲」という名のええかっこしいで見過ごしていたりする。どんどん仕事の現場から「プロ」が減っている―

 ●ミスの多い、やはりADHD傾向の人。コンサータやストラテラなどのADHD治療薬で多少は改善するが完全にはなくならない。

 ●発達障害の診断を受けたときの本人の感情は、「ほっとした」が大半。とりわけADHDの人は小さいころから失敗しているため、診断を勧められるとかえって喜ぶかもしれない。ただしASDの人は中には告げられて絶望してしまうことがある(本人の差別感情のためか?)

 ●Iメッセージは訓練次第で発達障害の人にもできる。広野さん自身は「フォーカシング」という手法で身体感覚を言語化することを訓練した。そして「発達障害の人のためのアサーション」を独自に開発した。


 ●広野さん自身は「全体の6割の人が発達障害」と思っている。みんなが自分の欠点を認め、補いあえる社会になるのが理想。


・・・

 
 考えたくない、できればふたをしたいような嫌なことが、「発達障害」というものさしを持っていると理解できることがある。また対策も見えてくることがある。

 「ミスが多い」「勝手なことをやってしまう」という理由で組織の中でたらい回しに異動させられている人。前の部署の上司は、その異動理由を申し送りしない。言ったら行く先の部署が受け取ってくれないから。

 ふたをしたままだと本人のメンタルヘルスの問題につながることもあるし、また周囲の定型発達の人が振り回されてメンタルヘルスの問題が出てしまうことがある。


 正田も信じられないような嫌なことを経験してきたのを、割としつこく1つ1つ覚えているのだが、ちゃんと覚えていると「発達障害」という物差しを得てつながってくることが多い。


 けっして悪意ではないかもしれない、しかし本人は「自覚していないから他人に迷惑をかける」という罪はあるのだ。


 そして、「なんだそんなこと、ハハッ」と(アンガーマネジメント式に?)流すことばかりが解なわけではない。ただある程度「本番」ではこらえて流すスキルも必要だ。そればかりやっていると心労で身体をこわしてしまうけれど。
 これは心の声。


 

100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

お世話になっている皆様


 おはようございます。
 企業内コーチ育成協会の正田です。

 「変化より継続」総選挙の結果が出ました。
  廃案になった法案の再提出を。。と早くも与党は意気込んでいることでしょう。
 さあ、何を最優先することでしょうか。

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 本日の話題は:

■「凄腕担当者」がみた「承認研修」を伺いました
 結果にコミットする、論理性と優しさと闘いの4時間

■『行動承認』の世界
 自分の言った言葉が伝わる!

■「研修副作用」の記事に続報がありました
 養老孟司氏はどう語るか

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■「凄腕担当者」がみた「承認研修」を伺いました
 結果にコミットする、論理性と優しさと闘いの4時間

 先日お知らせしたように、去る11月25日、関西の某経済団体の研修担当者・Nさん(男性、30代後半)にインタビューさせていただきました。
 Nさんは柔道有段者という、この職種の人には珍しいキャラ。自ら探して当協会に連絡をとられ、遠方から事前に当協会の他のセミナーもご参加いただいたりしたうえで「承認」「傾聴」「質問」全3回のセミナーを企画されました。人を育てるのが好き、「研修」について語りだすと止まらなくなる「仕事の虫」さんです。
Nさんの動体視力と表現力を活かして、「承認研修」の魅力を語っていただきました!
 連載全4回のうち、今回は1回目と2回目をご紹介いたします。いずれも長文ですが、過去に「承認研修」を受講された方やご担当者様には、ご参考になるのではと思います。お時間のあるとき、ご覧ください:

◇柔道有段・凄腕担当者がみた「12年1位」の研修とは
(1)論理性、背筋の伸びる瞬間、ナルシシズム
http://c-c-a.blog.jp/archives/51903851.html
■なぜ、僕が「この研修」にたどり着いたのか
■出典明記主義について
■論理的であることの価値
■背筋が伸びた、独特の話し方
■ナルシシズムと経営者の受講生と
■専門用語、敬語
■アクションについて
■とことん突き進むのはすごいエネルギー

(2)これは闘いなんやなあ!
http://c-c-a.blog.jp/archives/51904145.html 
 ■知識を詰め込むのか、現場を良くするのか
■傾聴ワークの優しい気づき
■「型で教える」ことの意味
■教えるとは「フォルダを作る」こと―「教えない教育」との決別
■これは闘いなんやなあ!
■社内研修と経済団体主催と自主勉強会、意識の差
■末永い真実とリスペクトの教育を

 このインタビュー記事の校正をやりとりしながら、Nさんがポツリと言われたこと。
「やっと、僕のような普通の人の感覚が研修に反映されるようになるんですね」
 Nさんに大きな感謝をしつつ、そのお気持ちに応えないと、と思ったわたしでした…
 
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■『行動承認』の世界(3)
 自分の言った言葉が伝わる!

 近著『行動承認』から、承認の組織に与えるインパクトをお伝えしています。

 「言ったのに、伝わらなかった」
 日ごろよく経験することです。
 「承認のマネジメント」の下では、リーダーからトップダウンで話した言葉が部下に伝わる度合いが如実に上がります。部下が「わかりました」と、言った通り動いてくれる確率が高まります。
 これはとりわけ、「承認」の中でも「行動承認(事実承認)」に基づいた、事実に忠実な「承認」を行っていると起きる現象です。
 人は、ソーシャルスタイルによっても感じ方が微妙に異なりますが、「行動承認」やそれに基づく「感謝」、「Iメッセージ」などそのバリエーションの「承認」は、ほぼ確実に嬉しいものです。それは、「自分を正確に認めてもらった」という、リアリティのある嬉しさです。
 するとそれは部下から上司への信頼感情となり、「この上司の言うことはリアリティがある」という感覚になり、たとえ上司が「外部環境により…しなければならない」という内容のことを言ったとしても、リアリティを持って受け取れるのです。
 マネジメントは、ある程度トップダウンであることは免れないもの。しかし、「部下がリアリティをもってトップダウンの言葉をきき、動く」ということは、何物にも代えがたい価値をもち、競争優位の源泉になるのです。

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■「研修副作用」の記事に続報がありました
 養老孟司氏はどう語るか

 前号のこのメルマガの「研修副作用」についての記事には、大きな反響がありました。
 その後また、「NLP」についての記事を追加しました:

◇研修副作用の話(4)―心理学の「あなたもイチローになれる!」
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51903812.html

 また、前号でご紹介した(2)の「正しくないしめんどくさい人たち」の記事をアップした直後、「日経ビジネスオンライン」で養老孟司氏の同じ内容の対談が載りました。
 それがこちらの記事です:

◇年寄りがいなくなれば、若い人が入ってくる
養老孟司×隈研吾 日本人はどう死ぬべきか? 第1回
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20141121/274162/?P=1&rt=nocnt 

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★11日、兵庫県中小企業団体中央会様の「トップリーダーズセミナー」でわたくし正田がお話させていただきました!
 ◇師走の出会い 兵庫県中央会トップリーダーズセミナー
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51903999.html 


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日本人の勇気と自信は、ここから生まれる
「第3回承認大賞」
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「企業内コーチ育成のすすめ」
(株)帝国データバンク社『帝国ニュース兵庫県版』
2008年〜2012年 長期連載このほど完結
http://blog.livedoor.jp/officesherpa-column/

兵庫県中小企業団体中央会発行月刊「O!」連載コラム
「誌上コーチングセミナー」
http://c-c-a.blog.jp/archives/cat_50054961.html


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 引き続き、今年11月に「承認」「傾聴」「質問」の全3回の研修を企画・アテンドいただいた関西の某経済団体の研修担当者・Nさん(30代後半、男性)のインタビューをお送りします。

 後にも先にもこの人はわたしが出会った中で最高のご担当者さんだったろうなあ〜、と思います。企画・事前告知・当日アテンド・宿題督促 すべての面において。

 全4回(たぶん)の第2回、今回は「教える」「型で教える」ことに関する、不肖正田が思索し実践し続けそしてNさんが見出した「真実」について語っていただきます。


****


柔道有段・凄腕担当者がみた「12年1位」の研修とは(2)―これは闘いなんやなあ!


■知識を詰め込むのか、現場を良くするのか
■傾聴ワークの優しい気づき
■「型で教える」ことの意味
■教えるとは「フォルダを作る」こと―「教えない教育」との決別
■これは闘いなんやなあ!
■社内研修と経済団体主催と自主勉強会、意識の差
■末永い真実とリスペクトの教育を






■知識を詰め込むのか、現場を良くするのか


正田:Nさんの担当者としての思いとしてどうなのか伺ってみたいことがありました。経営者管理者さんにこういうものをお教えするということは、彼らが部下のもとに戻って実践して、それでやっと部下がモチベーションが上がって、というようにワンクッション入ってるじゃないですか。そのワンクッション入っているものを目の前でみているというのはどんなお気持ちなのかな、という。
 例えば若手従業員さん対象のセミナーだったら、元気になる若手さんが目の前にいるわけでしょう。それと比べると。


Nさん:そこが一番の大切なテーマでして、実際に現場に戻って、行動変容につなげていただきたい、そうでなければ、何も変わらないので、そういう気持ちを理解していただける講師の先生を探し続けてました。
 そして、やっと理解していただける人にあったなと思えたのが正田先生だったんです。
 これは先生にお話したことなかったですが、色々自分なりに探して、最初のうちは、理解してもらえる方に、まったく出会えませんでした。実際、最後の結果まで追うことなどできないんだから…みたいな。一度や二度ではなかったんです。ズブのど素人が、初めての仕事で熱くなってるでみたいに、鼻で笑われることが幾度もありました(笑)でも、そこで終わってたら、なにも変わらへんやんと思いました。少なくても、来ていただいた管理者の方の心に残る研修ができたなら、変革を起こしていただけるのではないかと思い先生にお願いいたしました。
 変革を起こしてもらうためには、まず受講者の方にとって後々も思い出しやすく、残る研修でなければなりません。実際、正田先生の研修を拝見して、一つ一つ論理的に落とし込んでいき、その背景や成り立ちまで説明いただけるので、やはり、その時の納得感とか理解度も高いと思いますし、後々、学んだことが活かしやすいなと思いました。やはり、そこが大切なことだと思うんです。
 それから、今回の研修が満足感が高いと感じたのは、皆さんの筆記してる時の集中力。後々使えるかもしれないと思うから、一生懸命書いていただけていたのかなと感じています。ああいう時の様子で、なんとなくその日の納得感とか理解度が分かるような気がします。
 もちろん、今回は、最高の受講者様にも恵まれましたが、そういう真摯に受講していただける方だからこそ、もし、満足感が低ければ、厳しい態度も出ていたかもしれません。先生と受講者様には、集中を切らさず、取り組んでいただいていますので、本当に感謝しております。

正田:「満足度」というのも人によって捉え方が違って、よく人事担当者の方にあるのは、テンポが速くて次々新しい話題に切り替えてセミナーをやると、「いっぱい習えた」という満足度が高いみたいなんです。その人たちにとって。

Nさん:なるほど。
 ただ、今回の研修のような企業の変革とか課題解決というテーマであれば、やはりテーマを深掘りして理解してやっていく方が、結果的に定着ということを考えるといいなと拝見してて改めて思いました。


正田:やっぱり、「それであなたはできるようになりましたか?」という話なんですね。


Nさん:満足度というか、密度が違うんです。密度。
 若手従業員さん向け研修では、みんなこう(机に伏せて昼寝)してます。たまに役立つことがあるとびくっと起きるんです。

正田:アハハ。

Nさん:成り立ちを説明している箇所もあるんですけど、深く理解して説明している人と、理論だけ理解して説明している人とではやっぱり違うんです。前者の人だったら、こう(前のめりに)なります。
 それがなかったらお昼寝タイムです。口開けて寝てます。
 若手向けセミナーは、参加者は最初の時30人ぐらいおったんです。後々ワーク(実習)を入れたんです。その子たちが課題解決のプロジェクトを考える考え方。そのワークをしたときはすごく満足度が高かった。授業の乗りも「自分の向上につながるかもしれない」と前のめりになるんですけど、最初は営業職向けでも講義だけだったんです。そしたら昼からは後ろ3列がこう(突っ伏せ)ですね。午前中それだけ一生懸命聴いてくれてたんです。やんちゃな感じの子が多かったですけど。
 ゆったりなのと単調と違うじゃないですか。「ゆったり」は穏やかなんですけど、穏やかな中にリズムがあり、笑いがあり、考える時間があるから楽しい時間になるじゃないですか。学校の授業と同じですよね、特に大学ですよね。僕専攻は経済学だったですけど、統計学とかどんないいこと言ってくれてても寝てました(笑)
 それと一緒で、上げるところとか落としどころとか、知っている先生はやっぱり違う。単調な講義でしたら、短時間集中詰め込みですよね。

 だから比較にならない。大事にしようと思うポイントがそもそも違うと思うので。

 正田先生は際立っています。やっぱり結果にコミットされているじゃないですか。骨太の研修ですよね、一言でいうと。自分自身「受けて立つぞ!」という人はあんまり見たことがない。
 先生の研修はアクションのインパクトも強いし、それに対するみんなの反応、返りのアクションが大きいので、講義として締まってきます。密度も濃い研修になると思います。
 ですので次回ラスト3回目、すごく期待しているんです。もう空気も完全に馴染んでますので。

正田:ありがとうございます。

Nさん:最初のときの緊張感の中であれだけ密度の濃い研修をしていただいたというのが、やっぱり一番大きいです。
 3回目で「人はここまでこう動く」ということを自分で目の当たりにして、それを自分で言葉にすることによって「正田先生の研修はこういう効果が出ますよ」という言葉に力が入ってくるかな、と思う。最初は警戒もされていたと思いますが、どういう形で受講者の心に入って行って、こういう風に変わっていきましたということをお伝えしたいなと思います。(3回目までみられてここはいかがでしたか?)
 それを伝えたらみなさん分かってくださると思うんですよね。「ああそうなのか」と。


■傾聴ワークの優しい気づき


正田:そういえば、2回目のあのワーク(傾聴の実習のこと。「傾聴8本ノック」と銘打って8通りの聴き方の実習をしてもらう、非常にハードな実習)はいかがでしたか。ハラハラされたんじゃないかと心配でしたが。

Nさん:あれね、ハラハラするというのはいい意味やったんです。
 一番感じたのが、「これ(悪い聴き方)やられる側になったらイヤでしょ?」という。「それあんたらやってんねんで(笑)」。言いませんけど(笑)

正田:ハハハ(笑)そうそう。「みなさんは決してこんなことないと思いますが」と言いながら(笑)

Nさん:そう。あれが先生、お上手なんですよ。
「気づかせる」ってそういうことじゃないですか。反感を買う人って、そこで言っちゃうんですよ。悪くないんだけど「気づかせてやろう」というのが相手を抑えつける形でやると、そこで反発が起こるんです。
 「そんなことないですよねえ」と、敬意があると、「よく考えたらオレもあるなあ」(笑)あえて責めないわけじゃないですか。そこがやっぱりお上手ですね。

正田:それはね、研修講師のずるいところで、上司部下関係だったらもっとストレートに言わないと上司の責任としてあかん場合もあるだろうなと。やっぱり講師は基本「業者」ですよね(笑)「業者の立場で言えるところは基本ここまでかなあ」というところで抑えて、皆さんが考えてくださったら、と期待するんですよね。

Nさん:絶対そうですよね。ホンマに難しいところだと思います。
 例えば心から「お前ら変えてやるわ」という講師の方がおられたとして上手くいくかな、という。仮にその講師の方に圧倒的な威圧感があって、受講者が怖くて「変えなならん」と思って変えたとしても、それがストレスになって八つ当たりされてる方いますよ、多分。

正田:うんうん、そうですよね(笑)

Nさん:正田先生はそこまで読み切って配慮されて。あれが僕もみていて一番言っていただきたかったことだった。
「みなさんはないと思いますけどね」
「いやオレ、あるって」(笑)
 でも正直、いかつい人同士のペアのところは、「大丈夫かな」「怖いな」と思いました。びびってましたよ。

正田:あの「C(主導型)」のペアの方々ね(笑)

Nさん:でもみなさん大人の対応をしてくれて、理解してくれて、良かったです。
 
 みなさんに一番忘れて欲しくないと思ったのは、そこですね。
「やられたら、イヤでしょ」
 言うこときかんヤツおんねんって言う前に、自分もこういう態度をとってるからそうなってるところも多少はあるでしょ。そこに気づいてもらえたら…、ということです。
 その優しい気づきの与え方、その演出がエクセレントですよね。

正田:ありがとうございます、そこまで見ていただいて。有難いなあ。

Nさん:僕、楽しみたいんですよね。賢い人の考え方、思考法、メカニズム、観点がすごく面白くて。「は〜こういうこと考えてるのか」と思ったり、遊びじゃないけど一番興味のあるところです。

正田:Nさんは戦略性さんですもんね。

Nさん:面白いんです。その人がどういう戦略をもって「聴かせてやろう」と思ってるか、考えた跡が面白い。
 そしてみていて考えるんです。「どんなことあったんかなあ」「どうやってああいうことに行き着いたんかなあ」と。背景とかに思いを馳せるのが好きなんです。頭の中で勝手に盛り上がるタイプです。

正田:Nさんのその頭の配線ね。わたしも多分この業界の中では考えてるほうだと自負してるんですけれど、その考えた道筋をかなり正確に追ってきてくださってますよね。でもNさんはこの業界歴そんなに長い方じゃないじゃないですか。すごいなこの方、わたし12年かけて考えたことを、って。

Nさん:追っかけて楽しんでるだけですけどね(笑)ひょっとしたら誰よりも興味持ってるかもしれないです。面白いなーと思って。
 すっごく考えて作り込まれる方ってすごいな、と思っています。尊敬以外ないです。


■「型で教える」ことの意味


Nさん:すいません、しゃべりすぎました。
 「型で教える」はどんな印象か。
 これはね、大事なことだと思うんです。
 「型」が堅苦しいと感じるか、役に立つか、ということで言うと、「型」の意味が違うと思うんです。
 「自分が考えてきたことがすべてなんだ、これ以外は消してしまえ!」という威圧的な雰囲気があるかないか、です。あった瞬間、「型で教える」という印象はものすごく悪いものになる。

正田:ああ、それを是非きかせてください。

Nさん:「型にはめる」ということでしょうか。
 例えば僕、柔道をしてたんですけれど、技に入るのでも何ステップかありましてね。例えば引いて、回転して、投げる。
 それがなくて人がやってるのを見て「お前やれよ」と言われても、できるわけがない。
 先生が仰っている「行動理論」はすごく大事だと思います。行動理論がすごいと思うのは、僕なんか不器用ですから、順序を追って理解したいんです。一発でできたらだれも苦労しないです。まれに天才はそれをやっちゃいますけど。僕らみたいな凡人は「なんでこうなるのか」を教えてもらいたいんです。

正田:わたしもそれはありますよ。前どこかに書いたかもしれないけれど、お料理で「サシスセソの順番に調味料を入れるのよ」と言われると、「なんでサシスセソの順なん?分子レベルでどうなるん?」とそこまで教えてくれないとイヤだという(笑)

Nさん:そこまで理解したものがあった上で、何回も反復を繰り返して、ということが必要ですよね。
 立ち帰るための「型」が欲しいんです。間違ったところを修正するために、一番大切な基本のところは、やっぱり教えて欲しい。幹になるところを。
 それを教えてくれる正田先生の研修は、やっぱり僕は役に立つと思っています。これはやはり、聴いた人でないとわからないと思います。
 堅苦しく感じないかというと、オレがオレがと、教えるより自己顕示欲とかのほうに気持ちがシフトしてしまっている印象を与えてしまうと、これは「型にはめる」ということになる。堅苦しくてだれも聴くに堪えない、という状況になると思います。正田先生のはそれとは全く異質のものであると思います。

正田:ああやっぱりそこなんだ。よく、そこまで言ってくださいました。
 わたしがナルシシズムにものすごく神経をとがらしているのは、自分が「型で教える」というやり方をしているからだと思いました、今。

Nさん:なるほど。

正田:あのね、「型」に戻っていただくというのは本当に必要なことなので、あえて「必要悪」というか、自分でもマンネリズムなんじゃないかと思いながらお教えしているんです。ただ、それを教えているわたしの口調の中にひと粒でもナルシシズムが混じってはいけないのだろう、と。なんでか分からないんですけど以前からそういう気がするんです。

Nさん:受けている方からしたら印象論としてさっき僕が言ったようなことですね。
 正田先生の場合は、役に立つために「型」で教えているわけですから。
 例えば研修で「型」を持って帰れるということは、プレゼントを持って帰れる、武器を持って帰れるわけですね。
 だけど堅苦しいだけの「型」にはめられたら、気分も悪い、そんなん役に立つか!という話です。なおかつプレゼントがないというイメージになってしまいますから。
 だから「型で教える」ということも、そこにリスペクトということが流れていて、使えるものを提供していただいてるんで、これは役に立つんだ、と。

正田:実は「例の表」つまり「承認の種類」の表ですね。よくあるのは、あれを社内でコピーして配布して「これできるようになれよ」って言っちゃう、という。そうしたくなるのはすごく分かるんです。わたしもその立場になったらしたくなるだろうと思います。
 でも恐らく、あの表だけ単独で「これできるようになれよ」と言われたって、言われた人はできないだろうと思います。それは恐らく表とともに解説があって、その解説が人間的な温かさやリスペクトを伴うもので、かつナルシシズムを厳密に排除したものでないと。それがあって初めてあの表が生きたものとして心に入ってくるんだろうと思います。

Nさん:多分そうやと思います。


■教えるとは「フォルダを作る」こと―「教えない教育」との決別


Nさん:教えるということに確信を持っているか、覚悟を持っているか。
 これはもう、完璧に確信も覚悟も持たれていると思います。

正田:ほかの先生方がされているかどうか分からないけれど、「わたしはこれを本当に知っていると言えるんだろうか?」とすごく自問自答します。アホだって思われそうですけど。

Nさん:すごく謙虚だと思います。

正田:だから、例えばマズローの何々というのに言及するときは必ず原典の『人間性の心理学』、分厚い本はPDF化してiPadに入れてすぐ読めるようにしていますし、とにかく「自分は知っていると言えるのか」というのは、つねに内省はしますね。

Nさん:自信と覚悟ってまったく違うなあと思います。「オレの言ってるのは正しい!」「間違いない!」っていうのと、一歩踏み込むのは一緒じゃないですか。間違ったときに折れるか折れないかの違いだと思います。依怙地になるのか、言ってることがいいのか悪いのかきく耳を持ちますよ、という姿勢か。
 それが、「知っていると言えるのか」と愚直に突き詰める姿勢になると思います。
 自信って、「オレやってるし」「間違いないんだオレは」(笑)それとはまったく違うから、1回1回「正しいのかどうか」と確認しながら、きく耳をもつ。そこは全然違いますよね。
 そこまでおやりになっているので、確信をお持ちになるのは当然です。

正田:もう一つうちの業界のわるいところ。「教えない教育」とか「教えない人材育成」とか、ここ2−3年「教えない」というのが流行りの言葉なんです。
 90年代かな、学校教育の世界にも結構あったんです。「教えない教育」ブームが。気づかせるとか、ワークの作業だけやって気づいてもらうとか。
 わたしがこの業界に入ったときもそれは流行ってたんですけど、迷ったすえに「いや、違うだろ」「やっぱり教えなあかんだろ」と、スタンスを決めた時期があったんです。
 そのスタンスを決めた少し後のタイミングで、ある脳科学者さんの講演を聴きました。それは京都のATRのそんなに一般に有名じゃない方ですけれど、その方によると
「教えるというのは、学んだ人の頭にフォルダを作ってあげる作業だ」と。

Nさん:名言ですね。

正田:わたしも名言だなと思いました。フォルダに明確にラベルを貼ってあって「これは何々のフォルダ」とわかる状態になっているということが、学んだ人がそれをまたいつでも引き出せる、ということなんだと。

Nさん:すごいですね。

正田:そして、「気づかせる」ということに頼っていると、その綺麗な形のフォルダが作られない、と。ああ確かにその通りだ、と思いました。

Nさん:ホンマに思いました。
 教えるテーマによりけりだと思います。人を伸ばす、創造力を伸ばす、成長させる、という研修であれば、そのための時間も必要だし、創造させてもらえるような空気づくりも必要です。
 しかしこと、今先生にやっていただいている研修の内容というのは、「世の中が出来なかったから、ほっといたから組織がこうなったんでしょ」ということなので。この先ほっといて変わるぐらいならそもそも研修の元になった課題が要らないわけですけど、絶対必要です。
 基本がないと。土台のないところにきれいな家を建てても倒れるじゃないですか。みんなが上に立派な家を建てようとしてる感じがありますけれど。土台、スポーツや柔道でもそうですけど、基本が一番大事で、時々あかん時にきちんと戻るベースって大事。その一番肝心なところを教えてもらうことが大事。そして一番最初に時間をかけて教えてもらった方が、確実に結果として出る、と。その部分は時間がかかります。

 よく言うじゃないですか、今どきの子らは何でもかんでもサービスとして提供してもらっているから、してくれるものだと思っている、と。そういう角度でみたらそう。
でも僕がみていてあの子らの強みって何かというと、今どきの子って意外と、そういう考え方の基本を教えてもらってるから出来てる。色んなことをよく知っている。
 成り立ちの基本を知っているがゆえに、好きなことについては突き詰めて応用もきく。そのへんは、僕らの年代よりもあの子らのほうが全然すごいと思います。それは成り立ちを知っているからなんです。
 何を言いたいのかというと、やっぱりある程度最初の基本のときに大事なこと、「型」、成り立ち、を教えてもらったほうが、明らかに速く正確に大事なことを身につけていける。そのためには、正田先生がされているような研修の考え方はものすごく大事です。そこに意識を持てば、ね。
 研修時間(を短縮すること)だけにみんな意識が行っているわけです。でも組織を結果的に変わらせようと思えば、あの最初の「承認」の4時間を真剣にやったほうが、あとあと時間かからずして改善ができると思う。ここを慌ててやって結局時間がかかる、上手くいけば時間がかかる、悪ければ何も変わらない、時間も労力もムダやった、みんなが悪口言う。そんなことするぐらいだったら、やっぱり時間をかけて落とし込むべきですね。結果が欲しければそうすべき。
 そういうことですよね。先生が「時間をかけてやらなければならない」と仰るのは。

正田:その通りです。


■意外と大きい、「講師紹介」の影響力


Nさん:僕らの同じ立場の人(研修担当者)に、多分言っても分からないと思うんですよ。そこまでの気持ちが多分ない。

正田:(笑)

Nさん:先生、セミナー前に集客を気にしてはったでしょう。僕も集客は気になります。色んな仕事を並行してやっていますし。
 でも今、何が大事なのか。必要な、求められている研修とは何なのか。
 結果的には、告知開始数日で満席になりましたからね。
 先生の方も仕事を選別されて、「これは受けてやってあげないといけないなあ」という研修であれば、お互いが密度の濃い仕事ができるんじゃないか。僕ら担当とも話が出来るんじゃないか。
 今、先生も『行動承認』の本を出版されて、反応としては非常にニーズが高くて、それだけ望んでいる声があるわけですね。私どもの団体のようなところとお仕事をされると、温度差をお感じになっていらだちも多分あるでしょう。


正田:温度差は…、Nさんも多分団体の中でご苦労されたと思います。


Nさん:僕は「わがこと」というか、自分自身が好きやったから。ほかの研修でもそうですけど。やっぱり興味があった、結果にコミットしたかった。
 でも大抵の担当の人は、どう思ってるでしょうね(笑)僕、そういう人の心は変えられへんし。僕みたいな不器用なことをしてる人、あんまりいないですよね、この業界に(笑)


正田:よくぞ、Nさんはここまで、やる前から確信を持ってくださったと思って。本当に感謝申し上げたいです。ご担当者さんでそんなふうに「やる前からの確信」を持てる方は少ないです。持てるだけで才能やと思います。


Nさん:いいものだと思ってますので。もっともっとやってほしい、伝えてほしい。
 僕、争いごとはあまり好きじゃないですけど、こんないいことやってる先生がひどいことされたら怒りたくもなるだろうと思います。見ていて心配になるときもあります。
 今からの時代はそういう愚直にやっていることを、もっと骨太にアピールされたら、本当に人の心が動くと思います。
やっぱり人、動きましたもん。
宿題でも時間ギリギリにぱぱっと書いて送ってくれたのでも僕はいいと思ってたんです。時間を割いて送ってくれたことだけで満足しようと。


正田:宿題については、細かく声かけしてくださって本当にありがとうございます。
 わたしも自社主催の研修だったらあれを直でやることもあるわけですけれど、Nさんが真ん中に入ってあんなに丁寧に細やかに、相手の方が気持ちよくきけるように声かけされたので、「強制された」「無理強いされた」という意識なくみなさんおやりになれたと思います。
 細やかさのリレーでしたね。


Nさん:いやいや。先生もそういう感じでおやりになってたので。
 そこは流れ作業になりやすいところだと思います。言われるのもイヤやし。
 メールって、言葉が難しいじゃないですか。友達に「頑張れよ」と言っても、それが重くなったり、「これ以上頑張れるか」という話になります。それぐらい友達であってもメール言葉って難しい。
 ましてや知らない人に、こちらが優しい言い方をしたつもりで書いてもそう受け取らないことがある。忙しい時だったら「ちっ、なんやねん」となって次回来たときも気分が悪かったりする。
 だからホンマ、メール送るの怖かったんです。
 でもみなさん急かしのメールが来たから、「あ、出さないと」と思ったと思うんですけど、そこの急かしを入れる緊張感ですね、やっぱり気を遣う。
 でも(実際に承認を)したら、やっぱり喜ばしい結果が出るじゃないですか。
「結果が出るから喜ばしいんですよ」
というのは、やるまでわからへんですよね。それを口で言って分からせるのはなかなか難しい。
 そういうことに感化される担当者の方から順に輪が広がってほしい。
 いきなり「わっ」と広がるのは難しいと思います。
 僕も、お話していて楽しい。偉い、すごいことやと思っていますし。
 どんな気持ちで聴いているかわからへんのにちゃんと結果が返ってきて。今回来られた方はゴリゴリ系の方もおられたですけれど(笑)大人やったですね。
 おききしたかったんですけど、過去の受講者の人って何文句言ってきたんですか。何を角立ててたんですか。


正田:それはちょっと技術的な問題もあって一番当初は、わたし自身も下手だったところもあるけれど。
 主催者さんによる「講師紹介」の場への影響というのも、こういう研修の場合すごく大きいです。こちらからご担当者さんに「こういう講師紹介をして」と言ってないと、すごく変な形で紹介されてしまったこともあるし。
 また、講師紹介が「ない」というのも、参加者からしたら「この講師は自分で『12年1位マネジャー』と実績を誇っているけれど、主催者はそれを信じてないんだ」というイメージになるので、スタートから減点になってしまいますね。


Nさん:ハハハ。
 僕も講師紹介のとき、グダグダだったじゃないですか。


正田:そんなことないですよ。思いがすごい入っていて。
 緊張していても思いが入っているというのは聴かれる方はわかると思うんです。


Nさん:僕の卑怯なところです(笑)。


正田:あと発達障害のところで書いたんですけど、脳の仕組みがもともと「承認」とは真逆の方向にとんがってる方がどうしてもいらして、そういう方はこれを学ぶと苦痛なんだと思うんです。負荷が高すぎるんだと思うんです。そういう方が研修にとんでもない変なクレームをつけてきた、というのも過去にはあったと思います。


■これは闘いなんやなあ!


Nさん:その負荷をかける気持ち、勇気。それがすごいと思います。みなさん手間暇かかりすぎてそんなアプローチしないですよ。


正田:ありがとうございます、「勇気」って言っていただいて。ちょっと「勇気」大事にしているものなんです。


Nさん:僕ら一般人のファンが凄いなあと思うのはそこですね。効率を考えたらそんなことできない。


正田:「気づかせる」というのに頼っていたらできないです、負荷をかけるというのは。


Nさん:あえて泥水かぶる覚悟で進まれているから、1人でされていたらイラつくわなあ、と(笑)。心配ばっかりしてたんです。


正田:ご心配お掛けしたと思います。担当者さんも下手したら泥かぶるようなことなので、これは。
「泥かぶる」というのを言っていただいたのも良かった。玉砕の覚悟で真っ向対決するんです。


Nさん:面白いですね。ケンカですからね、ある意味(笑)。


正田:ですね、リンクの上の死闘をみているような感覚でしょうね。


Nさん:「本気で向き合う」というのをよく言うじゃないですか。そこなんだと思いますね。学校の先生でも「本気で向き合ってガチンコで行かないと分かり合えない」とかよく言うじゃないですか。
 論理的に表面的に綺麗にまとめることもできるんでしょうけれど、先生はドロドロの対決をされてきてるわけでしょう。
 ウルトラマン好きやった、みたいな話もされてたじゃないですか。面白い人やなー、と思って。


正田:多分ベースにそれはあるんだと思います(笑)。受講生さん決して怪獣じゃないんですけど(笑)


Nさん:僕らもハラハラしてるんですけど、まあ面白いんですけど。


正田:Nさんみたいに「これは闘いなんやな」と読み取ってくださっている方もいるし、ご担当者さんで全然そこが分からないで、「先生ニコニコして話してるだけやな」「あれやったら僕もできるな」と思う方もいるし。なまじ論理的な順を追った教材とか「例の表」も手元にあるし。
 

Nさん:僕、ムリです。マジでこれ、闘いやなと思いました。
 僕はこの仕事(研修)に入った当初、お師匠さんがいて生徒がいて、学びにくるものだと思ってたんです。学びの場だと。そこから何か持って帰るものだろう、それが大人だろう、と思ってたんですけど、そうじゃない。大人じゃない、人間の生々しさが出ますよね。


正田:そうでしたか。今回の3回の研修もそうでした?


Nさん:いや。今回の人たちは、僕からみてすごい大人の対応をしていただいたと思いました。学びに来た、理解しようとして来てくれたと思いました。
 受講生が若ければ若いほど色々いるじゃないですか。会社から派遣されてきて、嫌々でも来て座っていきなり寝る人もいない。ただ、せっかくだから何か持って帰ろうと思っても、お話されるポイントがずれてたり、かゆいところまで届かなかったり、というときに人間、集中力が続かない。すると態度にもそういうのが出るし、生々しいのも出るし。
 聴いているうちに先生のお話いいなあと思っても、現実はそんな甘いものじゃない。そうなったときにどうするかというのが、やっぱり真価を問われるかなあ。
 僕ら担当も後ろで聴いていると、ドーンと疲れますもん。気を遣って。


■社内研修と経済団体主催と自主勉強会、意識の差


Nさん:先生も前でしゃべられてて緊張されるのは僕らの比じゃないと思いますけれども、最初の頃どうでしたか。

正田:最初の頃はこうして講師を依頼していただくということがなかったので、ひたすら自分で非営利で主催して来てもらって、という。ですから最初からそういう気持ちのある人が受講生で来てますよね。そこで鍛えてもらったから、良かったのかな。

Nさん:ああ、はいはい。
 お伺いしたかったのは、学ぶ姿勢というもの。僕、最初はセミナーって一緒だと思ってたんです。学びに来るんやろ、聴きに来るんやろ、と。しかし違うんですよね。
 その学ぶ姿勢の差ってお感じになりますか。うちの団体主催のセミナーに来られる方と、そういう自主勉強会の方と。

正田:3段階あって、貴団体主催のセミナーだと真剣さで言うと中間ぐらいだと思います。うちの協会主催のセミナーに自分のポケットマネーで来られる方というのはさらに一段階真剣で。
 一番真剣じゃないのは社内の主催の研修。慣れ親しんだ人同士で2人1組のワークをやって、「はい今からパートナーと話してください」と言ってもなんかだらっとした感じでやられたりします。
 そして主催している人事の人に対するリスペクトもないものだから、「また変なの連れてきた」と思いながら参加するわけじゃないですか(笑)

Nさん:なるほどですね。社内研修って本当に難しいんですね。

正田:昔はというか初期の頃はそれをやらせてもらえなかった。全く採用されなかったから、逆に自主勉か経済団体さん主催セミナーか、そういう比較的真剣さの度合いが高いところでやらせてもらったので、それで「真剣にガチ勝負する」というスタンスが身についたのかもしれないです。もし社内研修ばかり最初からやっていたら、「かわす」研修講師のやり方になっていたかもしれないです。なんか予定調和で、「なーんちゃって、チャンチャン」っていう感じ。

Nさん:それそれ。予定調和ですね、はいはい。
 先生は絶対その予定調和がないですね。合理精神で、最後の着地点がイヤでも以前とは変わりますね。
 僕、先生のブログを最初読んでいて「怖いなあ」と思いましたけれど、でもある意味優しさなんだと思いました。ダイレクトに書かれているところもありますけど、でも考えさせる。

正田:12年もこういうことをやっていると、ときどき何のためにやってるか分からなくなっちゃうんですけど、結局は現場の人がものすごくいい状態で仕事して、スピード感も持ってぱっぱやり上げてお家帰って子供さんの面倒をみて、という循環を作っていい社会を作れるのがやっぱりわたし的には一番嬉しい。
 その結果をつくるためにはどこかとケンカすることも厭わない。別にわたしは傷ついてもいい。

Nさん:この心意気がいいです(笑)

正田:すみません、ハラハラさせちゃって(笑)
 Nさんは、その作業を横でみてくださる方もどういう品質でサポートすべきなのか、ということを身をもって示してくださった方ですね。事前告知のやり方、研修当日のアテンドの仕方、宿題急かしの総務の方とのメールのやりとりなど、どういうレベルの仕事をしなければならない、というのは分かってくださる方。そういう方と初めてお出会いしました。

Nさん:いえいえ、恐れ多いです。


■末永い真実とリスペクトの教育を


Nさん:今度、組織を変えてどういうところを目指されるんですか。

正田:いいご質問をありがとうございます。基本、こういう研修業なんです。
 名称からは「コーチ」という名前が消えます。コーチングの従来品にわたしは満足していないんだと思います。従来品のイメージをつけられると、わたしたちの提示したいレベルとは違うものになってしまう。
内容としては「企業内コーチング」、あるいは「承認マネジメント」です。武田建氏のことはリスペクトしているから、プログラムの中ではコーチングという言葉は使おうと思います。団体名からは外します。
 わたしは「公益性」「非営利」ということは好きなんです。武田建氏から「コーチの非営利精神」ということも教わりました。そのときに「商業主義のビジネスコーチングとわたしのやりたいことは確かに違うな」とも思ったんです。本気で相手に役に立つために、と考えたら、ビジネスコーチングの流れにも乗れないし普通の商業教育の流れにも乗れない、と。それで公益法人という形がいいんだと思います。


Nさん:さすがですね、自信をもった内容ですもんね。


正田: 「12年、1位マネジャー輩出」さらに昨2013年度だけでも(業績向上)事例を8つも作ってしまってますから、これは再現性のある真実の教育なんだという実感があったんです。


Nさん:1年で8事例ってすごいですよね。確かに、確かに。もっと誇ってもおかしくないです。
 だから企業が一斉にこっちの方向に動かない理由が僕には分からない。だって一番欲しいことじゃないですか。従業員にやって欲しいことをやってもらえなかったわけですもんね。エンジンの中にガソリンが空の状態で空回しで走っているわけですからね。


正田:いい表現ですね(笑)


Nさん:いや本当に。エンジン、焼けてるじゃないですか。
 人の心が動いて身体も動く、一番大事なところを突いておられますからね。
 「承認」じゃなくて「褒める」の場合、褒めたら一瞬だけ「ワーッ」となりますけれど、人によってコントロールしてくるような褒め方もあるし、疑わしいですよね。変に褒められるのはイヤですよね。
 それでも、エンジンが焼け付いてる人間からしたら有難いんですけどね。
 もっと前の、自分が頑張ってることを認めてくれたら、圧倒的に沁みますよね。「上がる」んじゃなくて「沁みる」んです。


正田:いい言葉だなあ。そうですよね。


Nさん:この違いを理解して欲しいですね。
 (「承認」のエビデンスを無視しようとする人は)目を凝らしてみてますか。目をそむけてるんですから、そりゃそうでしょ、という話です。
 僕だって認めてもらえたらもっと仕事できるのに、と思います。僕がここに可能性を感じたのは、こうしてもらったら間違いなく人は伸びる!本当に幸せになる!と思ったから。
 先生にご依頼して、今宿題などで結果が出始めているのをみると、やっぱりそうだ、と思います。
 頭が凝り固まった人たちからしたらあり得ない結果にみえると思うんですけれど。
「半沢直樹」で最後土下座させたじゃないですか。「ウワアア」ってなったじゃないですか。あの状況でしょうね(笑)大事なことだと分かってるのに、認めたくない。
 自分のことだと分かって痛い部分をいじられて反発しているのだと思います。
 先生がまずすごいのはそこに、反発を恐れずにガーッと食い込んでいくところだと思います。その上でグッとこらえて、変わってくれるところまで待とうという気持ちですよね。普通の人はそこまで出来ないです。そして納得させるための努力を惜しまれてませんもんね。
 下の人からしたら、「これが実際現場にあったらどう思う?」「やっぱり仕事頑張る」となりますよね。大事なのは間違いない。その大事なことをしんみりと、しっとりと、ズシンと、伝えている。そこによどみがない。
 みんなは「ない」って諦めてますからね。


正田:そうですよね、諦めてますよね。


Nさん:諦めさせるようなムードを作ってます。今までの歴史が。


正田:歴史的なところで言うと、ある世代の人、言ってしまうと団塊世代に特徴的に極端に人格の悪い人がいた。それは個人差がありますけれど、わたしの周囲の人では「あの世代がガンだった」という人が多いです。ナルシシズムとか悪意とか、組織がそれのせいで歪んだ状態になった。
 そのあとの流れとして、まず「コーチング」というのがブームになって、それの成功から火がついて心理学とかコミュニケーションの新しい流派が入れ替わり立ち替わりブームになったわけですね。ある時期はほめる研修の流行、そして今年、2014年はアドラー心理学。
 結局やったとしてもその時ちょっと嬉しいだけで、すぐ元に戻ってしまう。そういうものが繰り返し流行って廃れてきたわけです。それを繰り返してきているので、みなさん諦めていると思うんですよね。新しく流行ってきても「絶対ウソだろ」みたいに。
 『行動承認』がああやってジワジワとまだ失速しないで売れているところをみると、「こういう本物が欲しかったんだ」という人は沢山いらっしゃるんじゃないかな、と思うんです。


Nさん:ああやっていい本を出されて突き抜けられれば、人からイヤなことも言われにくくなると思います。「承認教育」浸透させたいですね。


正田:現実には、「この教育」が正しければ正しいほど反発してとんでもないことを言う人はいまだにいるので、永遠にそれはなくならないのだろうと思いますけどね。正しさの代償なのだろうと思います。
 でも傲慢な言い方なんですけれど、「この教育」はガリバーになっていかないといけないと思います。日本人の現状からしたら。

(第二部了)



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

11中央会



 11日、兵庫県中小企業団体中央会様で「若手社員が定着する会社をつくるトップリーダーズセミナー」の講師を務めさせていただきました。


 午後1時から4時までの3時間で「承認」のお話。

 県下から15名(うち女性2名)の経営者・管理者の方が参加されました。


 最近の「承認研修」は「3時間」でもかなり早回しになり、時間がオーバーしてしまいます。。

 「承認」を習得していただきながら同時に多様な人への対応力を高めようと欲張ると、ついついご説明することが増えてしまいます。


 参加者の方はずっと集中力をとぎらさず聴き、実習にも積極的に取り組んでくださりありがたかったです。
 やはり「C(主導型)」の人の多い、硬質な感じの場でした。


 正田は体調万全ではなかったですが力強い皆様に助けられ、何とか最後まで務めることができました。
 皆様、ありがとうございました!また中央会の佐藤さん、ありがとうございました。

 

 お忙しいとは思いますが、宿題楽しみにお待ちしております!



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

 今年11月、3回にわたる「承認」「傾聴」「質問」研修を企画・アテンドいただいた関西の某経済団体勤務のNさん(30代後半、男性)。


 柔道有段者というごつい身体と、そこからは想像もつかない優しい心配りと語彙の豊富さと、また研修というものをみる目の厳しさと。

 
 Nさんの動体視力を活かした、「承認研修」が「12年、1位マネジャーを作り出してきた」秘密を語っていただきました!

 今回は全4回の連載(たぶん)の第1回を掲載いたします。


****

柔道有段者がみた「12年1位」の研修とは(1)
―論理性、背筋の伸びる瞬間、ナルシシズム―


■なぜ、僕が「この研修」にたどり着いたのか
■出典明記主義について
■論理的であることの価値
■背筋が伸びた、独特の話し方
■ナルシシズムと経営者の受講生と
■専門用語、敬語
■アクションについて
■とことん突き進むのはすごいエネルギー






■なぜ、僕が「この研修」にたどり着いたのか

Nさん:担当者として研修にアテンドしながらもったいないなあと思うことがあります。
セミナーを何のために聴きにくるかというところで、「サービスしてくれるもんや」と思っている。確かにそうなのかもしれませんが、自分が拒絶した態度になると、受け取ることもできないし、提供しようとしてくれている講師の先生も力を出し切れない状態になります。それをどうお考えになるのか、私などは気になっています。
 正田先生もおっしゃるリスペクト。リスペクトということを軽くとらえる方もいらっしゃいますが、あくまで礼儀ですよね。基本。
「親しき中にも礼儀あり」という言葉があるぐらいで、当然見ず知らずの方には。
「オレはそんなん変えられへん」というのはお客さんだからあるのは分かりますけれども、何かを購入することと何かを教えていただく、学ぶ、ということは少し違うと思いますね。「損得」とか「お客さん」という意識を捨てたうえでまず自分が学びに来たいんですよね、ということを意識していただくことが願いですね。主催者側としては。

 私は第三者的に見ていますので、そういう空気感があると伝わります。そういうことがないように、というのは苦心しているところです。


正田:Nさんは今のお仕事(経済団体研修担当)を今年5月からおやりになっているということで、それからすぐの段階で6月に当協会に連絡をとってくださったんですね。どういうきっかけでご依頼いただいたんでしょうか。


Nさん:それはちょっと長いお話になります。
 私は今の仕事の前に1年間ほど大阪で仕事をしていたんです。大企業の人材関連会社でやはりコーディネーターみたいなことをしていました。
 何かのときにこういう人の役に立つ仕事をしたいと思っていたんですが、その当時は今と少し違っていたんです。何かをして喜ばれて認められたいという気持ちが自分にすごく強かった、誰よりも強かった。というより目立ちたい、目立ちたがりのところが俄然出ていたんです。
 それで何やねんこのモヤモヤした気持ちは、と思ってネットで調べたときに「承認欲求」という言葉を初めて知りました。去年のことです。
 さらに色々調べるうちに、自分はやっぱり認められたかったんやなあ、何かをしてあげるより返して欲しかったんやなあ、と気がつきました。それですごく苦しくなって。なかなかそんな簡単に認めてもらえるということはないじゃないですか。それを無理やり引き出してもそんなに嬉しくないし。
 そして「諦めたら楽になる」みたいなことも色々見たりして、自分で自分を満足させる方法もないんかな、とも思ったんですけど答えが出ないまま次の仕事に移ったんです。
 そして今の仕事になったときに「新人の離職」という課題解決のためにこの「承認欲求」の問題を解決できれば、と思いました。それで調べてたどり着いたのが先生のホームページだったんです。そこに可能性を感じてお電話させていただきました。

 だから今回は皆さんのためになんていうことじゃなくて、私自身が解決したかった。私なんかがムズムズ考えていることが解決するなら、普通の人なんかもっと伸びていくだろう。かつ、前任の人は全然やっていなかったので、やってみたらどんな反応が起こるだろう、とこの研修は私の今年一番の楽しみでした。
 言葉は軽いかもしれませんが「尊敬」します。何に尊敬するかということですけれど、そこまで費やされた時間とか努力。
 だれでも結果をみるはずなんですけど、結果が出てるのに文句言う人って何なんかな、と思いますけれど、そうじゃなくてどれだけ時間をかけて、時間だけじゃなくてやってきたか。それはやっぱりすごいと思います。ぼくは出来ないからなんですよ。自分が出来ないことをそこまでやり切った人はやっぱりすごいなあと思います。
 それだけすごい人にお願いするのだからやっぱりそこは「敬意」を僕ら担当は持ったほうが、中身も充実してくるだろうし大事なことではないか、と思います。


正田:Nさんは本当に担当者としてポイントポイントをきっちりおやりになってくださっています。逆にそうでない担当者の方も少なからずおられるので、仕事の品質として気になっていますが。
(注:このくだりは2014年12月直近の担当者の方のことではありません。くれぐれもみなさまお気になさいませんよう…)
 NPOを団体として改組していく予定です。品質の訴求をしっかりしていく。これだけの高品質のものをご提供しているから、盗用はしないでください。社内で1年でやりきれないような人数がいる場合には2年計画、3年計画でこういう研修計画を組むように考えていただきたい。
 Nさんにお願いしたいのは、担当者として横で研修をみていただいていますので、ほかの業者さんも並行でみられている中で講師としての正田はどうなのか、研修としてどういう価値があるのか、というのを語っていただけますでしょうか。


Nさん:はい、了解しました。


正田:若手従業員さん向けの研修を並行しておやりになっているとのことでしたが、経営者・管理者向けにはほかには?

Nさん:経営者向けのは今年1回やりました。ほかの研修を担当されていた先生もどちらかというとマネジメントを専門にされている方もいらしたので、そことの比較になりますが、私が感じた正田先生の良さをお伝えしたいと思います。

正田:よろしくお願いいたします。


■出典明記主義について


Nさん:正田先生は研修資料に必ず出典を明記されますね。
 受講者のメリットとして、根拠のもとを知ることで、しっかり裏づけられたことから導き出されたものであることを理解できますので、納得感、安心感につながると感じました。人間は、興味を持つと、理解を深めるために掘り下げたくなるものです。しっかりと現場で活用するためには、考えて理解して、自分を納得させる必要がありますので、学んだことを定着させたいその時に、原典に素早くアクセスできるようにしてもらえていると、セミナーで聞いたことも、後々そういうことなのだと理解を深めていけると思いますし、しっかりと腑におちるようなインプットが可能になると思います。また、忙しいマネジャー様方にとっても素早くアクセスできるように配慮がなされているわけですので、理解を深めたい方にとって、とてもありがたいことなのではないかと思います。


正田:では、仮に出典が書いてなかったら、受講生さんにとってはどんな印象になったんでしょう。

Nさん:知らない人に対しては人間、警戒しますよね。言ってることがすごく良くても警戒する。「ホンマかよ」と思う。だからまずは安心感。言ってることが腑に落ちたとして、「この先生の言ってたこといいなあ」と思って後日もう1回調べ直そうとしたときに、深い学習をしようとしたときに困ると思います。そこで忘れ去ってしまう、ゼロに戻ってしまう可能性があると思う、調べる先がなかったら。
 こうした出典明記主義を打ち出していただいていることは、「定着」ということに関してすごく有難い配慮だなと思います。

 
正田:ありがとうございます。
 ちなみに少し補足させていただきますと、最近私がよその心理学系の研修に行って勉強させていただいたところ、資料に出典はほとんど書いてなくて。「転載厳禁」は書いてあるんですけれども。一番最後に「出典:○○協会プログラム」と、まあそこの認定講師の方なんですけど。そして研修中に時々講師から「これは私が言ってるんじゃなくて心理学で言われていることです」という言葉が入る。
 そうすると、「心理学でも色々あるけどどこの心理学?」と、私などはなるんです。私だけではなく人事部の人で似たような心理学系の研修をいっぱい受けている人もいらっしゃる。今はやりのアドラー心理学もあるし私のやっているような行動理論もあるし認知行動療法もある。「どこの系統の先生が言ってるの?」「どこをあなたは選んでるの?」という。
 そこまで言ってあげないと、ある程度詳しい人には不親切になっちゃうんです。心理学の中でも「これ」を選んでやっています、と。


Nさん:面白い研修であればあるほど、「どこから来ている」というのは必ずあとから見ますよね。それで「ああなるほど」となって、活かしていこうと思うんですよね。
 一番残念なのはあとで調べたくてもどこで調べたらいいのか分からなくなること。それで多分、結果が分かれてくると思います。
 そういうことで先生のように見えない配慮をいただいていると、受講者の人はそれが当たり前と思いますけれど、非常にありがたい配慮ですね。


■論理的であることの価値


Nさん:論理的だとなぜ分かりやすいのか。
 これは、テクニックか、その行動の成り立ちまで理解するのか、は大きな違いがあると思います。
大半の人は、早くテクニックを知りたい、早く答えを知りたいという思考回路になっておられると思います。
 ここまで順序立てて、ステップバイステップでやれば、チェンジ(変化)していきますよ、という説明ですね。細かくステップを刻んでいただいている。
 自分があとあと実際の現場でやろうとしたときに、順を追っていけるじゃないですか。講義を聴いているときも、ここからここ(遠く)へ跳ぶよりも、細かくステップを刻んでもらった方が、何というか味わいながら、理解しながら、進んでいけるじゃないですか。「この順序」を論理的に説明していただけるほうが、非常にわかりやすいです。
 ぼくらのように頭の回転がちょっと遅い人間であればあるほど、こうやって説明してくれるほうがありがたい。「懇切丁寧」という言葉が当たるかなと思います。

 それとそれが「見えない」ように配慮されているということが一番ありがたいですね。
 「これやったってんねんで(こうしてやってるんだよ)」というのがわかると誰でも聴きたくなくなりますよね。「いけ好かん」という感じ。
 でも、「こうして成り立ってるんですよ」と言ってもらえると、認めざるを得ない感じ。どうしても認めたくない人はいるでしょうけど。
 この研修のように、ここまで説明してくれてそれでも入らないというのであれば、それは私も仕方ない、と思いますね。「理解したい」という人にとってはこの上ない配慮。

 どういうときに論理的だと感じるか。
 一番最初に大事なことを説明していただいたうえで、そのうえで解説を必ずつけていただいている。
 その解説も、一方向だけじゃなくて、脳科学的なこととか遺伝子学的なこと、神経経済学的なこと、すべて色んな角度からみていただいてますよね。
 例えば一方向のことって、先生「騙し絵」のお話をよくされますけれど、見方によって全然違うじゃないですか。大体人間って一方向でものを見ていると思いますけれど、こう見ている人にとってはこちら側の側面は見えないじゃないですか。
 でも「こっちから見てもこうだし、こっちから見てもこうですよ」と説明してくれてる時が、一番論理的だなあと思います。それはなかなか出来ることじゃない。
 よそでこの研修を2時間で依頼されて困られる、というお話がありましたね。僕は半日でも足りないと思っています。1日研修で2日間とか、みっちり落とし込んでやっていくのがすごくいいなあと思います。4時間では詰め込みすぎのように感じます。1日間余裕をもってやっていただいた方が後々いいのではと思いました。
 元々今の仕事に僕が入ったときは、「忙しいんで2時間で凝縮してしゃべってくれ」というのがセオリーだったので、そういうものかと思っていたんです。でも、先日のセミナーでのアンケートでは皆さん希望の時間数に「半日」に○をしていましたよね。
 もし、上辺だけとかの面白くないセミナーだったら、この回答が1時間とか2時間になってしまうんですよ。「長い」という感想になるんですよ。


正田:そういう回答もあるんですか。


Nさん:あるんです。そうなっちゃうんです。
 これは、ご依頼するこちら側もその内容に応じた時間配分でお願いできてなかったために上辺だけの内容になってしまった、という場合もあります。そうなると主催者側の判断ミスですね。

 
正田:それは内容は本当は半日でお願いしても良かったのに、1−2時間でお願いしちゃったから受講生も「1−2時間でいい」と思っちゃう、ということかしら。


Nさん:僕は基本そういう形でお願いしないんですけど、たまに圧力に負けて(笑)1−2時間でお願いしたときに、物事の成り立ちって話しているうちに1時間2時間すぐ経っちゃうじゃないですか。ましてや論理的にしゃべってもらおうと思ったら、2時間だけで最初の論理だけで終わっちゃう。で何も質疑はできない、ということが起こっちゃう。
 ですので、こういう論理的な研修は、1日研修が基本になってくるかと思います。意志がある人に1日研修というのが一番効果が上がる。論理的に多角的に検証して、そしてステップバイステップで。


正田:人って、できれば論理的に納得したいですよね。
 私はこの仕事に入る前に医薬翻訳者というのをしていましたので、臨床試験の論文の書き方などは「門前の小僧習わぬ経をよむ」という感じで親しんでいたんです。それで論文がどういう成り立ちで出来ていて、ものごとを証明するにはどういう手続きをするか、ということには馴染みがありました。
 この研修はそこまで厳密な手続きをしているわけではないんですけど、人が新しい物事について他人から言われたときに「できれば論理的に納得したい」と思う気持ちは、そういう仕事を経験したからよくわかるかな、と思うんです。


Nさん:納得感を持ちたい、理解させてほしいというのが受け手側の気持ちですよね。そこまで落とし込んでくれたら、わかるでしょ。というお話ですよね。


正田:あと、仰っていた「正しいけどでも聴きたくない」という気持ちもやはりすごく大事で、論理と感情ですよね。「これ正しいよね」と「これ好き」と、両方感じていただくにはどうしたらいいのか。
 やっぱり正しくても「立て板に水」とまくし立てていては正しさは通じないと思いますね。だから時間枠、時間数というのは必要。
 じゅんじゅんと、時間をかけて1つのことを落とし込んで、また少し置いて次のことを落とし込んで。その「じゅんじゅんと(諄々と、順々と)」という感覚は大事だと思うんです。


Nさん:まったくその通りだと思います。ど素人の受け手からしたら有難いことです。
 セミナーにあまり期待していない、という方も中にはいらっしゃるかもしれませんけれども、こういう論理的なセミナーを一度受けることによってあなたの考え方が変わるかもしれませんよ、と言いたいです。


■背筋が伸びた、独特の話し方


Nさん:先生にお伺いしたかったことがありました。
今年9月に神戸での「価値観セミナー」に出席させていただきました。あの時と今回の「承認」「傾聴」「質問」研修の時は、スピードが違いますね。
 価値観セミナーの時はものすごく「内観」させていただくセミナーだったでしょう。「間」をしっかり取って、一段階ゆっくりでしたけれど、今回はスピード感というかリズム感がすごくいい感じで進んで、そして止まるときに「ぱん」と止まって。


正田:あ、それ見ていただきましたか。ありがとうございます。


Nさん:そう、あの「間」のタイミングなんですけど、息が上がる前にぱっと次へ行く、いい感じなんです。あれは人間の呼吸の間隔を測ってるじゃないかと思うぐらい。あの「間」のタイミングは先生独自でおとりになってるんですか。


正田:よく分からないです…。2008年の夏、ある倫理学の先生がうちのセミナーを見て、「正田先生『間』の取り方が上手いですね」と言ってくださったんです。それで初めて、「『間』を取る」ということを自分がやっているということに気がつきました。


Nさん:「間」を取りすぎると間延びするじゃないですか。あの「間」はすごく考える。ちょっと「間」を取ってバッとまた入るので、すごく面白かった。
 「間」の取り方のポイントを知りたかったんですけど、無意識にされているということですね。


正田:あそこですね、「このセミナーがここで終わったらどうなりますか?」という。


Nさん:はい。いやそれ以外にも色々な場面で。


正田:ああ、そうですか。


Nさん:今おっしゃったところも急激に受講者の方に「覚悟」を持ってもらう。
 僕は3か所、受講者の方が「ビッ」と「変わった」印象があったと思います。最初のときに「結果にコミットします」というお話をされていたじゃないですか。
「この内容を実践していただきましたら、必ず成果が出ますということだけは最初にお伝えさせていただきたいと思います」
と。


正田:言いましたっけ(笑)


Nさん:言われました。あの瞬間受講者の方の背筋が「ビッ」と伸びたのがわかったんです。セミナーによっては受け手が「何ええかっこしやがって」で終わるかもしれないですけれど、あれを言うか言わないかで全然違います。皆さんの気持ちが「入った」のがわかりました。「そこに責任を持って私やりますよ」ということは、やっぱり聴かなあかんな、と人間思うので。あそこはやっぱり凄いな、かっこいいなと思いました。
 自信がある話を人間、聴きたいじゃないですか。ああいう方々(経営者・管理者)って、自信のない声を聴くだけで100からゼロになる。
 ああいうことを言ったのを僕は聴いたことがない。それぐらい真摯にやってますよ、だから聴いてくださいね、というのはあるべきだと思います。


正田:今、「真摯」という言葉を言っていただきましたね。
 ずっと考え続けてるんです。「真摯」ってどういうことなんだろう。人間が脳をどういう風に使うことを「真摯」と言うんだろう。
 やっぱり「真摯」な人とそうでない人では能力が全然違うんですよね。100%かそれに近いぐらいそこにコミットしている人というのは、ものすごい力を出してすごいことをおやりになれる。「ふんふ〜ん」ってこう斜に構えちゃっている人は、それに比べたら20%、30%しか力を出せない。


Nさん:おっしゃる通りだと思います。
 お互いがそういう姿勢で向き合うために一番「がっ」という瞬間ですね、音が聞こえましたね(笑)かっこいいなと思いました。あれを言い切るってかっこいいです。


正田:そうですか(笑)


Nさん:次にびっくりしたのが、武田コーチングの話をしたときに「いいぞ!」っていう、あそこでみんなびっくりしましたね(笑)


正田:あ、そうですか(笑) あそこはちょっと発声が違ったかもしれないですね。


Nさん:あれがいいんだと思います。ここ一番というところに抑揚をつけて。わかりやすく説明されてるなと思っていると、ここ一番で「バッ」と超える。あの演出がおもしろい。
 人間、集中すればするほど疲れるじゃないですか、集中してないわけじゃなくて。だから時折「踊り場」じゃないですけど場面がガラッと切り替わるところがあると有難い。
 声のトーンは、腹式呼吸されてますね。最初「すごい声通るなー」と思いました。


正田:価値観セミナーの時はそうでもなかったでしょう。


Nさん:優しい感じでしたね。ゆっくり語りかけるように話されてたので、そういう感じでスタートされるかなと思ったら今回は「ぱーん」と入られた。


正田:個別化さんなので、相手が誰かによって発声法自体変えてます。これも近年になって自分はそういうことを無意識にやっていると気がつきました。
 差別しているみたいですけれど、相手が経営者さんだと腹式呼吸になるというのもあります。それくらい仕事にコミットしてはるな、責任とか覚悟を引き受けている人だな、そう思ったとき発声が変わったりします。


Nさん:経営者になればなるほど「圧」がすごいじゃないですか(笑)。それに打ち勝とうと思えばあれぐらい腹式呼吸で声を出さないと。甲高い声じゃなくウワッと「下から」声を出す。
 優しくしゃべっておられるけれどすごく声に力がある。それと「間」の取り方、抑揚。あれが考えさせますね。


■ナルシシズムと経営者の受講生と


Nさん:ナルシスティックなところは全然ないです。


正田:どうですか、色々な先生をみられていて「この人はナルシスティックだな」と思うことはありますか。


Nさん:めっちゃいい人ですけど、それ(ナルシシズム)で失敗しているという場面はみましたね。
 「上から」行こうとした人がいて。大学の先生だったですが。
 最初に「ほら、出来てないでしょ」と気づきを与えようとしたんです。それがもう大失敗で、「どんより」してホテルさんが気を利かせてBGM入ったぐらいで(笑)


正田:それは経験の長い方ですか。


Nさん:どうかなあ、いい方で、優しいんです。あんまり怒らなくて。お話が上手な方ですよね。だけど業界特有の、人をばかにするというか、自信があって「教えてあげてる」というスタンスで「ほらできなかったでしょー」「大丈夫ですか」とやるので、こちらはナルシスティックに感じますし受講者からしたらちょっと受け容れがたい。
 今年それが一番どきっとした瞬間ですね。


正田:うちの業界の一部の人が、強い相手向けに自分の優位を示そうとすることがある、要はマウンティングですよね。


Nさん:そう、やっぱりマウンティングやったと思います。最初にマウンティングして聴く態勢をつくらせて、という意図だったかもしれないですけど最初のそこで失敗して、あとは並行線ですよね、入ってこなかった。
 正田先生はそういうところがなくて、元々「リスペクト」。受講者に敬意を払ってお話いただいてますよね。


正田:経営者さんの受講者さんは、色んな人がいますが全体的に言うと、Nさんもそうですが柔道で組む相手の力量をかなり正確に測っている方々だと思うんです。

 
Nさん:ああ、なるほど。


正田:それは前に立った瞬間からわたしも見抜かれてるんだと思うんです。
 わたし自身はちっぽけな人間で経営者でもない、ただの女性研修講師なんですけれども、でもその存在を尽くして一生懸命やります、真摯にあなたと向き合います、というのをお見せするのが一番かなと思っていまして。


Nさん:本来そういうものじゃないですか。真摯に学びましょう、私が経験してきたことをお話します、それに対して敬意を払って聴きます、というのが。
 うちの団体でしていただく方はおおむねそういう感じなので有難いことだなと思っています。
 受け取る人それぞれでナルシスティックだとお感じになる方はいるかもしれませんが、先生は底流に「リスペクト」をお持ちになっているので、そういうところはありません。偉そうぶるということもないです。
 だからこそ人は話を聴くし、深く理解する人はかなり深く理解します。


正田:本当に今回の宿題はみなさん理解が深かったですねー。


Nさん:ありがとうございます。僕ドキドキして、「怖い怖い」「出してくれんのかよ」と思って。


正田:提出してくださったのが十何人で、その中に「これまではこんな深い理解に基づく宿題は十何人に1人ぐらいだ」という方が何人もいらしたので。このグループは凄い!と思いました。


Nさん:最初の話に戻るんですけど、論理的に説明していただいたので、受講者の方も理解して現場で活用しやすかったのだと思います。順を追って説明をされ、経過観察もされていたので、その論理性が宿題にもいい影響を与え、現場でのアクションにつながった。正田研修の大きな特徴だと思います。やはりそこに結果としてつながりますね。


■専門用語、敬語


Nさん:難しい言葉は、なかったですね。難しい言葉を使おうとする人はナルシスティックですよね。
 私もね、コンプレックス強い人は横文字を使いたくなるんですよね(笑)あるんですあるんです。
 受講生にもずっと敬語を使っていただいていますね。マウンティングするタイプの先生だと、マウンティングした後敬語でないぞんざいな言葉遣いになることもあるんですが、正田先生はずっと敬語を使ってくださってます。
 ただ、私自身はは「敬語使ってもらっているかどうかとかそんなん気にするな!勉強せえ!」と受講者に対しては思いますけれど(笑)


正田:いやいや、会社でその立場になったら気になられることだと思います。
 自分が職位も高い、年齢も経験値も高い。こちらがちょっとでも「なめた」態度をとったら、「お前ごときになめられる俺ちゃうわ!」となるだろうと思います。


Nさん:今回もそういう立場の方、いらっしゃいましたもんね。ぼくも見ていて「この人良く見てるなあ」と(笑)

正田:かぶりつきで受講していただいて(笑)怖いぐらい。

Nさん:やってることにはすごい理解をしていただいていましたね。あの人があそこまで理解ていただいて宿題も出していただいたということは、ほかの人も多分理解してくれていたと思います。一番「大丈夫かなあ」と思ったところですが(笑)

正田:いやいや、ありがたいです。


■アクションについて


Nさん:先程も申しましたが、あのアクションのところではビシッと背筋が伸びますね。


正田:ああいうアクションだということは予想されてましたか。


Nさん:全然。まったく想像がつかなかったので、ワクワクしていました。
 優しすぎるということもなく、ホンマに大人の雰囲気、大人の学びの場やなあと思いました。


正田:よろしければ、どうしてそうつながるんですか(笑)


Nさん:一般にセミナーでは一番大事なことは何かということに頭が向かず、マウンティングとか、損得を気にしたりとか、ほかのちっぽけなところに気が行っていることがあるような気がするんです。最初は「学びに行こう」としていても、マウンティングするセミナーに出会ってしまったり、真摯に来れば来るほど「なんやねん」となりますよね。そんな「子供か!」みたいな小さなところでうまくいかなくなることが多いですけれど。


正田:本当にそうなんです。Nさんはよくおわかりですね。


Nさん:それをクリアしていこうと思ったら、リスペクトする気持ちを忘れず最後まで持ち続けてやる、というのが本当の大人だと思います。それが真摯だといえると思います。


正田:今おっしゃった、「それでもリスペクト」という感覚ですね、「何があってもリスペクト」。


Nさん:それがあってやっと小さいことに気が向かず、学びに集中できると思うんですね。
 向き合って、その先のこれを待っている人たちのことまで考えてやる。心意気というか信念というか。それを持っておられるのを感じるから、「大人」と感じるんだと思います。
そこは商売でやってるんじゃないなと。
 研修業界の人たちも、色んな不本意なことがあるから自己防衛で「ビジネスや」と言っておられるのが大半なんじゃないかと思います。教えようと思ってもうまくいかないことが色々ある。傷つくことは人間イヤですから、自己防衛で「ビジネスとして割り切ってるんです」と言っている気がします。そうじゃないと耐えれないんじゃないか。
 それをグッとこらえて突き進んでいく、愚直にそれをされている方というのは「大人やなあ」と思うし「強いなあ」と思う。


正田:そこを見てくださってありがとうございます。
 「愚直」って健さんみたいな言葉で嬉しいなあ、光栄だなあ。


■とことん突き進むのはすごいエネルギー


Nさん:男の人って、カッコよさを追求したいと思うんです。承認欲求も強いし(笑)
 そっちにこだわるので、本質的なことを忘れてしまいがちになる。(承認研修のような)そこまでケアしようと思ったら相当の根性が要る、エネルギーも要ることですから。
 それをやれるというのはやっぱり女性の方は強いな、と思います。
 物事をはっきり言い切れるじゃないですか、女性のほうが。そこは男のほうが弱いかな。


正田:その「自己防衛」のことも気がついていただいてありがとうございます。
 立ち回り先で最近よく言われるんです。「『承認』というのはほかの先生も言っておられましたよ」「ほかの先生の話の中でも聞いたことありますよ」って。
 もうけっこう流通しているらしいんです。言葉としては。
 でも、「じゃあその先生はあなたが実際にやれるところまで教えてくれましたか?」と、心の中で思います。
 生徒さんが「できる」ところまで、とことん突き進んで教えるのは、傷つくのが怖いとかイヤだとか思っていたらできないんです。
 「承認研修」のときは、「これをやれるかどうかがあなたがたのすべてよ!」という感じで、「腰の引けない」トーンでお伝えするから出来るようになるんだろうと。
 論理的というのはそれの手段なんです。最終的にはこちらの「腰の引けない」姿勢なんだろうと思うんです。
「この人が、結構コモンセンスもあって論理的にものを考えることもできるこの人が、ここまで言うんだから多分そうなんだろう」
とみなさんに思っていただけるような。
 その「腰の引けない姿勢」というところが見えないと、初めて習った人が「自分もこれを教えられる」という勘違いが出やすいだろうと思います。


Nさん:なるほど(笑)


正田:でもこれを実際にやろうとしたら物凄いエネルギーが要るんです。終わったらダーッと疲れますね。


Nさん:そうでしょうね。
 それだけ凄い仕事をやっていただくという前提でご依頼するのと、それがわかってないご依頼とでは、来ていただく先生のやる気にも大きく影響するでしょうね。
 やっぱり先生のご努力に敬意を払って、覚悟を決めた上でやってくれるという担当者がどれだけいるかでしょうね。
 何に本当に目を向けなければならないかということですね。上辺だけをみて仕事をしていることが多いので、良心的な先生方はご苦労されてると思います。
 先生のどこに敬意を払ってご依頼するか。そのポイントが明確になると、これまでのセミナーというもの全般が変わってくると思います。
 いい先生、名前が売れている先生を招んだら、お客さんは集まるかもしれませんけれど、後味の悪い、気持ち悪いのが残ったりする。それでいいの?という話です。
 セミナーでもない研修でもない、もっと違うネーミングがないかなと思います。「覚悟」とかもキャッチ―だからみなさん使うじゃないですか。
 そんなこんなで届いてほしい人に届かなくて、悶々としますね。解決するのはとても難しい。
 正田先生が今度組織を改組してそのあたりをしっかり訴求していかれると伺い、なるほどなと思います。是非やっていただきたいと思います。


(第一部了)


―第二部以降は今後順次掲載させていただきます―

 研修終了から10日ほど経った今週初め、「承認の宿題」の「一覧表」を「みなさんにご転送ください」とNさんに送らせていただきました。
 受講者21名中17名が提出、それも大変レベルの高い実践ばかり。
 このインタビューへのご恩返しがちょっとだけできたかな、と思うわたしです。

 みなさまもご覧になって「おおっ」と思ってくださいますように(*^-^*)



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp


 体調を崩しているのでやめた方がいいかもと思いながら引き続き「研修副作用」の話を。


 数年前に「NLP(神経言語プログラミング)」というのが、「コーチング」よりもっとディープな心理学として流行りました。

 
 当ブログでは何度かこれの問題点についても話題にしてきました。

 代表的なのはこちら


上から目線を喜ぶ人々―コーチングネガティブキャンペーンへの反論

http://c-c-a.blog.jp/archives/51859011.html


 要は、NLPはエリクソンという不世出のカウンセラーの行った技法を再現し習得可能にしたもの、という触れ込みでしたが、それは

「あなたもイチローになれる!」

というのが嘘くさいのと一緒なんです。

 心理学の基礎訓練を受けてない人に、心理学界のイチロー並みの人のやることを「短期集中講座」で習得できるかのように煽る。

 
 かつ、野球より心理学のほうが「たちが悪い」というのは、それが他人様の心をいじくる方法、とりわけ上司部下関係で使う場合には立場の弱い部下の心をいじくることになるからです。


 NLPもいくつか前のコーチングの某流派と同じで、よりどぎついもの、きわどいものが好き、という価値観の人たちに好まれるところがあります。

 とりわけ、「某流派」と類似しているのは、「恐怖症の治療」という、心理学の専門家にとっても最もディープなことをやらせることです。

 「某流派」が「恐怖症」を扱うやり方は、「エクスポージャー」とか「フラッディング」という手法で、オペラント条件づけも属する行動療法の中の最もディープなものです。当然、熟練したカウンセラーしかやってはいけません。でないとクライエントを傷つけてしまうおそれがあります。

(最近この件でカウンセラーさんとお話する機会があり、これらの手法は時間がかかるわりにあまり治療効果がない、またわたしが実感したとおり情緒不安定になりやすい、ということでした)


 NLPでは、恐怖症を「タイムライン」と呼ばれるやり方で取扱います。

 ある時期NLP流行りのせいであまりにも上から目線の人に出会って鬱陶しかったので、わたしは2008〜09年、不承不承NLPのセミナーに通い一通りのワークを体験しましたが(ので一応マスター・プラクティショナーの資格も持っていますが表示したことはない)、
 正直言って「タイムライン」というやり方で恐怖症が治るとは思えなかった。周りの人が「治った」と言っていたり「個人契約のNLPコーチングを受ける」と言っているのが不思議でした。

 どのみち治るにせよ治らないにせよ、素人が他人様のそこまで深い部分の心をいじくることは「危険」です。

 
 ―現在は「EMDR」という心理学の最新のトラウマ治療の手法は信頼できると思い、人に勧めたりしています。これも選ぶのは自己責任でお願いします。わたし自身は自分がこれの施術者になることはありません―


 ともあれわたしはNLPは素人が行ってはならない領域を犯しているものだ、と当初から認識していたし、一通りの訓練を経験したあとも資格を表示したりはしていません。


 「承認研修」の中では、「行動理論」の説明の中の「レスポンデント条件づけ」のところでこれは恐怖症の治療に使われる、職場のマネジャーさんが使うものではないから説明は割愛する、とお話します。


 2007年、武田建氏の大学院の講座を聴講して同氏がレスポンデント条件付けの「脱感作療法―恐怖症の治療法にもつながるもの―」をやるところにも立ち合いました。1人の院生さんが暗示にかかったようになって倒れてしまいました。


 わたしがセミナーでそこの部分をやらないからと言ってNLPの先生に比べて「劣る」先生だと思わないでくださいね。ああこんなことクギをささなきゃいけないなんて。

NLPが鬱陶しかったのはそれ以外にも、カタカナの心理学用語が頻出し、「ペダンディック」「スノッブ」と形容したくなる「上から」ぶりだったせいもあります。武田建氏の「コーチは選手にわかる言葉を使わなければならない」とは対局にあるものでした。

 
 思うのですが、良識ある研修機関が「それはやってはならないことだ」と、やるのを避けていることを、あえてやることで新規性や奇抜さを売り込もうとする研修業者は、絶えず出るのだろうと思います。

 そして購買側にはそうと見抜くほどの知識は、ないです。(「知識」と言うにとどめておこう。。ほんとは「見識」って言いたい)

 どうしたらいいんでしょね。
 被害者は現場のマネジャーや、部下たちです。




100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
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お世話になっている皆様


 おはようございます。
 企業内コーチ育成協会の正田です。

 あっという間に「師走」になってしまいました。ここからが早いんですよねー。。みなさま、いかがお過ごしでしょうか。

※このメールは、NPO法人企業内コーチ育成協会のスタッフ及び代表理事・正田が、過去にお名刺を交換させていただいた方・当協会のイベントやセミナーにご来場いただいた方にお送りしています。ご不要の方は、メール末尾にありますURLより解除ください。
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 本日の話題は:

■「女性が輝く社会」が絵に描いたモチにならないために。
 女性活躍推進カフェ 開催しました!

■あえて「研修副作用」を語る時代になりました
 アドラー心理学・怒りのマネジメント・コーチングの流派

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■「女性が輝く社会」が絵に描いたモチにならないために。
 女性活躍推進カフェ 開催しました!

 4日、三宮・カフェ「アロアロ」にて、第41回よのなかカフェ「『女性が輝く社会』には何が必要?」を開催させていただきました。
 大変、「深い」対話と議論になりました。

 ご興味のある方は、こちらに詳報を載せましたのでご覧ください:
GDPのためではなく、女性が自分の意志で人生を決められる社会を―よのなかカフェ「『女性が輝く社会』には何が必要?」開催しました
http://c-c-a.blog.jp/archives/51903578.html
 今回のカフェは、自治体勤務の恵理さん(仮名)が、「女性自身をパワーアップするって、何か違うんじゃないかしら」と、ポロッと漏らしたことが発端。
 その問題意識から発展して、記事タイトルにもある
「GDPのために女性活用を、というのは何か違うような」
「有形無形の障壁をとりのぞき、女性自身が自分の意志で人生を決められることが理想なのでは」

といった、参加者の気づきにつながりました。

 また「男性が女性の足を引っ張っていることに気づいた」という、ある男性参加者の気づきも「マネジメント」を専門とする当協会主催ならではの興味深いものでした。

 現状は、まだまだ後進国。息長く取り組んでいかなくてはならないでしょう。

 よのなかカフェでは、時事問題、社会問題について社会人が対話し、考え・気づきを深める場として2009年4月以来41回にわたり開催しています。
 その司会進行(ファシリテーション)の仕方も独特のものがあります。
 
 それについてこのたびまとめた記事を「続編」のような形で掲載しました:

後日談 よのなかカフェと女性とファシリとブログ文体と。。
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51903587.html 

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■あえて「研修副作用」を語る時代になりました
 アドラー心理学・怒りのマネジメント・コーチングの流派…

 「研修」と「副作用」。耳慣れない言葉の組み合わせです。

 心理学系のマネジメント研修は、気をつけないと色々な「副作用」を引き起こしてしまいます。
 ところが、そうしたことに無頓着に研修を売り、買いし実施されることが多く、当協会はこれまでにもブログで警鐘を鳴らしてきました。

 わたしの感覚がおかしいのかな?と思っていましたら、たまたまきのうフェイスブックのお友達から紹介いただきました、将棋名人・羽生善治氏の記事がありました:

若手に負けぬための秘密の習慣
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20141207-00014033-president-bus_all 

 ここで羽生氏はこんなことを言っています:
「勝負の世界では、ベストだと思う手法が通じるかどうかは、常に皆目わからないものなんです。ただ、この場面でこのやり方は通じないとか、この手はあまりよくないだろう、という当たりはつきます。
 経験知が活きるのは、そういう場面での対処ではないでしょうか。つまり「こうすればうまくいく」というより「これをやったらうまくいかない」ということを、いかにたくさん知っているかが大切であるような気がします。
 いろいろある選択肢の中から、何を捨てていくか。取捨選択の捨てるほうを見極める目が、経験知で磨かれるのだと思うのです。」

 いかがでしょうか。「心理学」や「コミュニケーション」の研修や本が、こうした視点を持たないまま売り買いされることによって、どれほど人々の不幸を作り出しているか、あるいは「効果のない、意味のない研修」というものが行われているか。
 羽生氏の発言をみて、大変意を強くしたわたしです。

 わたしはこのところ意を決して、これまで以上に正面切って「副作用」についての記事を書くようになっています。
 もしご興味があれば、ご覧ください:

またまた研修副作用の話 できれば書きたくない。。
http://c-c-a.blog.jp/archives/51903264.html

研修副作用の話(2)―正しくないしめんどくさい人たち
http://c-c-a.blog.jp/archives/51903306.html

「勇気づけ」についての副作用情報。。
http://c-c-a.blog.jp/archives/51903598.html 
 まだだれも言いだしたことのないことをあえて言うことは、わたしにとって勇気の要ることでした。
 励ましてくださいましたフェイスブックのお友達の皆様、本当にありがとうございます。

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★「『行動承認』の世界」はお休みいたします。

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ツイッターアカウント: @sayoshoda

フェイスブックページ: http://www.facebook.com/sayo.shoda

ブログ「コーチ・正田の 愛するこの世界」
http://blog.livedoor.jp/officesherpa/

日本人の勇気と自信は、ここから生まれる
「第3回承認大賞」
http://shounintaishou.jp

「企業内コーチ育成のすすめ」
(株)帝国データバンク社『帝国ニュース兵庫県版』
2008年〜2012年 長期連載このほど完結
http://blog.livedoor.jp/officesherpa-column/

兵庫県中小企業団体中央会発行月刊「O!」連載コラム
「誌上コーチングセミナー」
http://c-c-a.blog.jp/archives/cat_50054961.html


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 例によって「はしたない」話題ですが副作用情報を。

 ここ1−2年非常に流行った心理学の分野に「アドラー心理学」があります。
 特定の本の題名を挙げず「アドラー心理学」というにとどめておきたいと思います。

 アドラー心理学で勧める手法に、「勇気づけ」というのがあります。


 それだけきくと、何もわるいことはない、いいもののようにみえますが…、「勇気づけも『承認』の一部分としてあるから、わるいものじゃないよね」と当初は思っていました。

 こういうものでも「副作用」がちゃんとある、という体験を最近しました。これは、実際体験してみないとわからないですねえ。


 今年またベストセラーになったこの分野のある本では、文中で「承認欲求」を否定しながら、有効な手法として「勇気づけ」を勧めます。


 この結果―。

 わたしが実際体験したある会話。

 わたしの出してきたエビデンスや、出版や事例セミナーといったそれらのエビデンスを提示する誠実な手続きを完全否定し、何の価値もないように言う。そうしたエビデンス提示を何もしていない同業他社といまだに横一線、何の差別化も出来てないように言う。

 そのうえで、「あなただけではない、女性経営者はみんな大変な思いをしていると思いますよ」と訳知り顔で言う。50代の男性です。
 やれやれ、わたしがどんなレベルの辛酸をなめてきたかなんてあなた知らないでしょ。またそういう理不尽を繰り返していいなんてとんでもないことです。


 恐らく、この男性はアドラー心理学の本を読んだのだろうな、とわたしは睨んでいます。

 アドラー心理学では、当協会方式のような「承認」や「リスペクト」が不在なんです。「承認欲求」を否定しているわけですから、他人の承認欲求を満たす行動をとる必要もありません。リスペクトについては一切触れてないんじゃないかなあ。大体「哲人」なんていう上から目線の人が説教するわけですから…。

 承認とリスペクトが不在のまま「勇気づけ」だけを行ったのが、上記の男性の事例であります。


 「盗人猛々しい」ということわざは状況的に今ひとつ当てはまらないが、感覚的にはそれに近いものを抱きました。

 あなたごとき苦労の足りない人があたしに説教垂れるんじゃない。

 あたしがどんなレベルの苦労をしてきたかをしっかり推し測ったうえで、共感とリスペクトを示したうえで、そういうことを言うなら言いなさい。ていうか知ったらもう言えなくなると思うけど。


 この感覚、まっとうじゃないですか?
 わたしは少なくともこの同じことを他人様にはできません。してはいけないことだという感覚があります。


 あえてこれを言わなくてはならないと思うのは、今年そのベストセラー本のお蔭で、全国津津浦浦でそういう事態が起こっているだろうと思うからです。たぶん似たようなやり方で他人に不愉快な思いをさせる人がいっぱいいるだろうと思います。
 「上から目線」でしたり顔で「勇気づけ」を行う、「釈迦に説法」状態の人。相手にリスペクトも何もないまま。

 でも、その人たちは正しいことをしてると思ってるんです。ベストセラー本に書いてあることだから。


 このベストセラー本については、以前も少し言及しましたが

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51900284.html 

 要は、「オウム信者」になるような人たちとこの本にはまり込む人たちとは重なるだろう、という意味のことを書いています。

 ここで書いたことは今も全然間違ってない、と思うのと、いざ自分が被害に遭ったとき「ああこれはイヤだなあ」と心底思いました。ので、「副作用情報」を迷わず書こうと思いました。


 恐らく、今年何かのきっかけで「心理学」に興味をもった人が、ベストセラーだから読んどこうと手にとったのが「この本」。
 そしてまた恐らく、子供のころからの読書経験の少ない、教養レベルの低い人ほど「この本」にはまり込みます。
 かつ、恐らくASDの傾向のある人がはまりやすいだろう、というのは、意味もなくプライドを持ち他人を見下したがっている人が、見下すための「言い訳」を与えてくれる、というたちのわるい性質をもった本だからです。「見下し病」が強化されます。


 そして、どうも「研修担当者」の層の人たちにそういう人が多く分布しているだろう。
 こういう場合も決して「みんながみんな」と思っていないのは少し長い読者の方はご理解いただけると思います。

 「想像力の欠如」と「一面的な論理への傾倒」。

 わたしは1963年生まれで、学生運動などは一通り終息した時代に学生生活を送りましたが、恩師・中嶋嶺雄のもとで、「文革」のファナティシズムの愚かさはしっかり学んだと思います。だからそれにつながる可能性のあるものは敏感に嗅ぎ分けます。でも近い世代の人でも似た状態にはまりこんでしまう人がいます。



 
 もうひとつ、出版界のベストセラーの作られ方についても、今に始まったことではないですが思うこと。
 お金を出して本を沢山買うのは、基本20〜30代の独身者なんです。
 だから、その層をターゲットに本を作ったほうが「堅い」。自己啓発本の類い。前出のアドラー心理学の本もその類いです。
 わたしからみると、視野の狭い人向けにますます視野狭窄にさせるような文体や内容の本が好まれる傾向があります。

 また、「書店の店員さん」も基本、その層の人たち(中堅〜若手の中の本が好きな人たち)。

 前著『認めるミドルが会社を変える』も、ミドル層自身からは非常に評価の高かった本ですが、売れませんでした。
 わたしは近場の書店に営業に行き、比較的見る眼のあると思われる書店の店長さんにあって「管理職からすごく共感してもらえる本なんです」と言いました。
 「わかりました、ビジネス書担当に話してみましょう」
と店長さんは言い、数週間後、同じ書店に行ってみると、コーチングの近い分野の別の本が「推薦図書」になってPOPが立っていました。ああ中堅層以下の人はこういうトーンの本が好きだよね、と思う自己啓発がかった雰囲気の本でした。


 前出のアドラー心理学本が出版されたのは昨年12月。今年大変な売れ方になりました。
 今年11月に出版された『行動承認』が来年それ並みに売れるのかというと、ターゲット層(ミドル)から考えると難しいかもしれない、と思います。

 内容は恐らく圧倒的に『行動承認』が正しい。
 いつもそうですが「100年後に残る仕事」だと思います。

 1つ前の記事にもあるように人事の人向けの雑誌から早速お声がけいただいたり、最近もフェイスブックで大学の先生のお友達から「学生に勧めます」と言っていただいたり人事の人から「当社の管理職に良書として勧めました」と言っていただいたりしています。
(ちなみにこの人事の人からは「あの承認の一覧はよくできていますね」とおほめの言葉をいただきました^^)


 出版の経緯もいろいろありましたが、基本パブラボ社さんが『行動承認』の正しさにほれ込んだ、と言ってくださり、新人著者同然のわたしの構想通りに本を書かせてくださり、大きな知性による判断をしていただいた、それの連鎖が起こった、と思います。

 
 そして平易な文体で書かれた本としてミドルの手元に届いたときの、ミドルたちからの熱い支持が、今も「ああ真実を探りあて丁寧にエビデンスを積み重ねてきてそのうえで書いてよかった」と思わせてくれます。


 さあ、このあとはどんな展開になることでしょうか…。


 
 
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<シリーズ・アドラー心理学批判>

●「勇気づけ」についての副作用情報。。(2014年12月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51903598.html

●褒めない・叱らないは正しくない!「逆張りロジック」に正しく反論する知性を磨こう―『嫌われる勇気』著者講演会 (2015年12月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51927076.html

●「自己認識には事実のフィードバックが大事」「思考的盲目が心配」―宮崎照行さんのメッセージ(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51927143.html

●「子どもさんは大いにほめてください。そして叱ってください」―正田、アドラー心理学セミナーで吠えるの記 (2016年1月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933511.html

●「誰もが活躍できる社会」とは「承認社会」―NYさんからのメッセージ (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933591.html

●「勇気を持って指摘されたからこそ、いずれ考えを改める」―永井博之さんからのメール (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933656.html

●『行動承認』Kindle化に向けて(4)メディアの考える怠惰なお客様と「行為者」の乖離、王道とパチモンの「大衆的人気」(2016年5月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940842.html

●NHKおはよう日本 アドラー心理学特集を批判する(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940920.html

●NHKおはよう日本 アドラー心理学特集を批判する(2)友人たちの反応 (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940923.html

●『行動承認』Kindle化に向けて(5)行為者の脳発達と細胞レベルの変化の可能性――林田直樹先生との対話より(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940962.html

●アドラー心理学批判 「承認欲求否定」「ほめない叱らない」はどこから来るか―「共同体感覚」との関連において―アドラー『個人心理学講義』をよむ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941070.html

●アドラー心理学批判・友人からのお便り「幼稚さ、ナルシシズム亢進、成熟拒否」
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941137.html

●アドラー心理学批判 「トラウマ否定」「承認欲求否定」起源はみつけたが誤読と捏造だった―『人生の意味の心理学』をよむ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941143.html

●アドラー心理学批判 アドラーの罪:発達障害者向けのお説教と批判封じ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941204.html

●アドラー心理学批判 まとめ:「承認欲求を否定せよ」「トラウマは存在しない」有害フレーズの捏造と岸見氏の罪
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941255.html

 「女性活躍推進カフェ」を開催し、ブログアップした今の時点の感慨です。またこれまでの経緯のふりかえりも交えながら―。


★これまでの取り組み〜スウェーデンカフェ2回、女性カフェ1回〜

★参加者への事前の意識づけ

★公正ファシリの努力

★ブログ文体のユニセックス化

★初の正田以外の人の主催の試み


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★これまでの取り組み、 スウェーデンカフェ2回、女性カフェ1回


 よのなかカフェでは、5年・41回にわたる歴史の中で、「女性活用」に関して繰り返し対話を重ねてきました。


「女性に『働いてほしい』(行政)されど事情は。。 女性活用カフェ開催しました!」

http://c-c-a.blog.jp/archives/51673959.html

「責任と決断の根づく人びとが作る社会 よのなかカフェ『日本はスウェーデンを目指すべきか』開催しました 」

http://c-c-a.blog.jp/archives/51733243.html

「議論、透明性、そして信頼―よのなかカフェ「日本はスウェーデンを目指すべきか?福祉編」開催しました 」

http://c-c-a.blog.jp/archives/51766547.html


 このほか「男性」を問うたものとして、「男のプライド」というタイトルの回もありました。

「リツイート感謝。団塊の世代価値観を問う「男のプライド」よのなかカフェ」

http://c-c-a.blog.jp/archives/51753490.html


 このたび2014年12月4日の「女性活躍推進カフェ」は、それらに比べても出席者の少ない、司会を入れて5名のカフェでした。

 
 わたしの体感値としては、「女性」に対する見方というのは安倍さんをべつとして「冷たく」「悲観的に」また「悪質に」なっているように思えます。

 安倍さんが先走りすぎて「浮いて」いるんでしょうか。現実がまったく追いついていない、むしろ足が止まっているような気がします。わるい前例がどんどん作られているような気がします。


 一過性の瞬間風速的なものでなければよいが、と思います。

 もちろん参加者からも出たように、「この問題は息長く取り組まなければ」というのは大いに同意するところです。人気がないテーマだからやらない、というのは間違いであろうとも。
 何しろ、「人類の半分」に関するテーマなのですから。


****

★参加者への事前の意識づけ


 よのなかカフェでは日頃冒頭に簡単にルール説明をします。

「大いに話し大いに聴こう、90秒ルール、挙手して発言」

 ふだんはこれだけで済んでしまうのですが、今回は開催数日前に参加予定者にもう少し詳しい事前の意識づけをしました。
 それもNPOの会員が多いので「内輪」の口調でかなり厳しく―。

 いわく、一々立って発言しない。立つと時間のロスになる。かつ、立つと1人の人があれもこれもと何項目もしゃべってしまうことにつながる。90秒ルールで1回1項目。自分の発言に他人が反論や質問をできるよう、フェアプレイをすること。
 自分の言葉で話す。事実・感情・行動。
 よそから引っ張った知識情報については情報の信憑性がわかるよう「出典明記主義」。


 とりわけ、「男性、女性」の間で「フェアプレイ」の感覚が崩れやすく、それも男性側から崩しやすい。

 日本の男性の女性に対する「甘え」はかなり根深いものがあり、それについて数か月から数年に1回、かなりきつい形で釘を刺さないと正常化しません。

 その「釘をさす」行為をみて、「正田は人格の悪い女性だ」と思われるなら、それも致し方ない、多少痛みを与える形で言わないといけないしそれでやっと正常化する、とこれまでの経験で思います。


 今回はお客さんでありながら参加前にいきなり冷水を浴びせるようなことを言われましたが、当日はみなさんこれらのルールをよく守り、発言してくださいました。「強い」みなさんでした。


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★公正ファシリの努力


 このたびの「女性活躍推進カフェ」は正田がファシリを務めました。

 
 長いよのなかカフェの歴史でみると、ほかの人にファシリを任せた時期もあります。ところが、任せたその人のファシリに問題があった、とりわけ「男女間の公正」という観点でみて問題があった、というケースは多かったです。結果、また正田がやるように戻しました。


 これまで41回、述べでなく実人数で正田以外にファシリを務めたことのある人は男性4人、女性1人。このうち男性2人は残念ながら「問題あるファシリ」でした。男女に公正に発言機会を与える、ということができていなかったり、あるいはファシリとしては禁じ手の、「この問題について女性はいかがですか?」「○○さん、女性ですけどこれについていかがですか?」という、人ではなく属性で呼ぶということをやってしまいました。

―「女性」を期待して人に発言を求めると、人によっては「女性」イメージから逸脱したとんでもない骨太の考えをもっていることもあるので、ファシリの目論見が見事に外れるときがあります。逆に他人の期待に応えようとするタイプの女性だと、「女性」イメージに合わせようとして自分の言葉でなくなってしまうおそれがあります。―

 こうしたことについて厳しく釘をさしたあと、やめる人はやめてしまい、そこから学習した人はちゃんと問題のないファシリができました。
 こういうのはもうコーチングより「躾」とか「徒弟制」なのだと思います。
 講師業もそうですがファシリテーションもやりながら失敗して学ばないといけない。失敗したとき「自分は失敗した」と痛みを味わう強さのある人でないとやってはいけないのだろうと思います。


 「女性1人」は実はうちの不肖長女19歳(当時)でした。これはまあ心優しい参加者のお蔭でもあるのですが、ちゃんと公正なファシリができていました。

 ―いささかそこは自画自賛ぽいですが、日頃日常生活の中で厳しいおかんの立居振舞をみていると、「公正」とは何かということは自然と学べるのではないかと思うのです。それも含めあまりにも多くの暗黙知を学んでもらわないといけないので、「徒弟制」ということを最近言うようになっています。
 今後は、だれかにファシリを任せた場合はその直後に「反省会」をしよう、嫌なことでも失敗から学ぶ習慣をつけよう、と思ったことでした―

 
 
 今回のカフェで最年長・男性だった一郎さん(仮名)にその後、参加のご感想を伺いました。

「公正ファシリについての感想ですか?ぼくは自分の職場では、やっぱりあんな風に会議をしています。みんなよく積極的に意見を言ってくれてです」
「自分が『男性、最年長』なのに優遇して発言時間とか機会を割り振られなかったことについてどう思うかですか?いや、ぼくはそういうのは別に感じません。むしろ発言しすぎだったんじゃないかなあと帰りの電車の中で反省してましたから」
「これまでのよのなかカフェでは確かに、男性の発言マナーの問題はありましたね。高齢になってくると、話にストップがかからなくなるんです。そうならないように自分はしたい、と思いますけど」
「ぼく自身はどんな状態で臨んだか。リラックスしてました。心地良かったです(たぶん、お世辞で言われてるのではないだろう、というのはいっぱいご発言いただいてましたから^^)」


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★ブログ文体のユニセックス化


 1つ前のよのなかカフェ詳報記事で心がけたのは、「だ、である」と「です、ます」の文体の配置です。

 近著『行動承認』でも書いたように、「だ、である」は男性、「です、ます」は女性、というイメージがあります。もちろん女性も論文や記事では「だ、である」で書いたりしますけれど。

 今回のように男性女性入り混じった会話を再現するとき、ともすれば流れがちなのは、男性が「だ、である」で語り、女性が「です、ます」で語っているように文を作ってしまうことです。

 それをできるだけ排除することにしました。
 
 男性、女性とも丁寧語で「です、ます」を基調に。
 ときおり1人の人でも考え込みモードで話しているようなとき、「・・・と思う」というような「だ、である」文になることがありますが、それを男性に偏らないように気をつけました。男性でもたまに「だ、である」が入るし、女性にもたまに「だ、である」が入る、というように同じ比率で入るようにしました。

 そんなちまちました配慮をしているのですが、お気づきになりましたでしょうか。

 意図としては男性、女性で言葉の重みの印象が違わないようにする、ということです。


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★初の正田以外の人の主催の試み


 今回は、NPO法人企業内コーチ育成協会としても「よのなかカフェ」としても初めてのことがありました。

 「言いだしっぺ」が正田以外の人であり、その後も内部ではその人が主催者、という形にしたのです。
 外にはお名前を出しませんでしたが、内輪ではその人が開催案内のメールを出していました。議論のたたき台となるデータも準備してくれました。
 それが「恵理さん(仮名)」であります。

 よその団体では当たり前にそういうことがあるかもしれませんが、こんな簡単なことがこれまで出来なかった。
 「女性の正田さん」「コーチング」「承認」
 これらが、「やっぱりやめますー」と責任放棄するための言い訳に使われてしまうのです。
 とりわけ「コーチング」というのが、イコール「あなたはどうしたいですか?」と問いかけることだと理解され、次いで「自分がやりたいことをする。ちょっとでも疲れたりやる気が下がったらやらないでいい。」という誤解につながります。

 そういうことは、結局メンバーが幼児化、退化してしまうことにつながります。あるいは、「憩いの場」「癒しの場」と位置づけ、どんどん場の質が下がってしまいます。


 自分が言いだしたことの責任を最後まで全うする、ということの最初のお手本となっていただいたのが女性の恵理さんだった、というのも興味深いことでした。


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 これは1つ前の記事をまとめながら湧いた感慨なのですが、
「かわいそう」
という言葉が、錦の御旗なのだなあと。
 子供を預けてはかわいそう。それが女性の再就職を阻んだり、当の女性が家庭にとどまる言い訳になったりします。

 で、なんで「かわいそう」がこんなにパワーのある言葉なのだろうか?と考えてみたとき、
 
 ひとつの切り口として、「かわいそう」は「かわいい」と密接につながっている。

 順序からいうと、「かわいそう」が先に出来て、それが「かわいい」の語源になったらしい。哀れだ、不憫だ、という言葉からかわいいができた。「愛すべき」の意味の「可愛い」という表記になったのはそのあとらしいです。


 ということは、野垂れ死にした子供、飢え死にした子供の哀れな姿、憐れむ心、が先にあって、そこから「かわいいなあ」と今を愛おしむ言葉や概念ができたのでしょうか。


 どこまでもネガティブ日本人。


 そして、想像ですが可愛い赤ちゃんを目にし、その可愛さがいつまでもとどまりますように、という思いがわくとき、わたしたちは同時に「かわいそう」が出てくるのかもしれません。

 「可愛い」⇒「こんな可愛い子を自分で育てないなんて可哀想!」
 
 なんか、他国の人と違って自動的にそうつながっちゃうのかもしれません。
 
 まあこのへんは全部想像なのですけどね。

 そうすると、そのイメージがすぐつながっちゃうのを何とか切断しないといけないのかもしれません。

 保育所で幸せに育っている子供さんのイメージをどんどん宣伝するとか。

 ただ今どきの待機児童解消政策で大急ぎでつくった保育所での保育の不備などが明らかになると、とたんに「かわいそう」に逆戻りしちゃいますよね。


 このあたりは後出しジャンケンの余談でした。


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 よのなかカフェとは関係ないんですが、
 このたび『月刊人事マネジメント』2014年12月号(12月5日発行、1万部)に、近著『行動承認』を取り上げていただきました!

 
5月刊人事マネジメント


5月刊人事マネジメント (2)


 「あとがきのあとがき」という、著者自身が書くコラムのようなところです。

 11月の初め、まったく前触れなく編集部から「こういうコラムを執筆しませんか」というオファーのメールをいただきました。「企業の人事の人に語りかけるように」というオーダーでした。
 大変光栄なことでした。


 記事全文は、1か月ほど後にこのブログにも掲載可となるそうです。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp
 

100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

 3日、三宮・アロアロにて、第41回よのなかカフェ「『女性が輝く社会』には、何が必要?」を開催させていただきました!


 
4よのなかカフェ-2-2



 今回お集まりくださったのは自治体、高齢者施設から4名のマネジャーのみなさん。男性女性2名ずつ。

 登場人物を仮名でご紹介しましょう。
 カフェ中、「『男女』という言葉も男が先だし名簿の類は男女別の時は男が先だよね」という発言もあったので、ここでは「仮名を50音順で」という混合ルールにしてみました・・・


一郎さん(仮名):市営高齢者施設園長、元市役所課長、60代
恵理さん(同):市役所課長、40代
千草さん(同):市役所係長、40代
祐樹さん(同):老健施設室長(課長級)、30代


 
 ちょっと属性が偏っていまして社会全体を代表できるとはいえませんが、少人数ならではの深い気づきとその応酬となった、とても質の高い場となりました。

 貴重なその気づきを是非ご覧ください:


 冒頭、発起人の恵理さんより、「女性活躍推進」をめぐり最近発表された諸データの紹介。


 直前にHP掲載された、「神戸市男女共同参画年次報告書(抜粋)」や今年10月発表の関経連労働政策委員会ダイバーシティ研究会による「女性活躍推進のための提案」、それにスウェーデン事情や取組との比較の論考やYahoo!ニュースの意識調査、第12期市政アドバイザー第4回意識調査など、それぞれ大変興味深い資料。

 大筋、やはり依然として進んでいない先進国中最低ランクの女性活用度、それの背景となる家事労働などの男女の意識、また近年の行政の努力で保育所の待機児童が激減したこと、などのポイントがわかりました。


 大変早回しで手際よく的確にポイント、ポイントを紹介してくださった恵理さん、この場をお借りしてありがとうございます。またそれ以前の資料ご準備の労力にも。


 続いて、フリーで意見交換。


祐樹さん:こういうデータ自体初めてみました。日本でこういう状況なんだと、愕然としました。
 今日自分の施設できいてきた数字では、常勤者が男性33人女性41人、パートが同0人と女性36人、管理職は男性8人と女性6人と、大きく偏った状態です。育休取得は男性多分ゼロ、女性100%です。


千草さん:私の今の係は、珍しいんですけど男性が1人しかいない。女性が多いから和気あいあいとしています。女性が多くて育休が同時に重ならないかというと、重なりますね。その分を見越した職員数のゆとりがあるかというと、ないので、残りの職員はめちゃくちゃ長時間労働になります(笑) 休日出勤は当たり前、という状態。
 でも育休が白い目でみられるかというと、それはないですよ。「ちゃんとしっかり休んで出産してきてね」と送り出す雰囲気があります。


祐樹さん:子どもが生まれるとき、職場の上司に「私(育休を)とってもいいですか?」ときいてみたんです。そしたら「奥さんがとるでしょー。あんた働き」と。そういわれて無理にとるのも、と思いとれなかった。女性がするのは当たり前、という風潮があります。


一郎さん:家内は幼稚園の先生でしたが、出産の1年前に育休制度ができたんです。その当時は期間中無給でした。

⇒恵理さん・千草さんより「今も無給で、6割ぐらい手当がつきます」と補足

一郎さん:そうですか。当時は手当もまったく何もなかったんです。2年で復職しましたが。


恵理さん:役所で育休をとった男性を身近にみるかというと、身近には見ないですね。とった男性に体験を話してもらう場をつくることはあります。


千草さん:一つには、育休は休職扱いですので有休のように「明日とりたいです」と言ってすぐとるわけにはいかないんです。何か月も前から計画的に休みを申請しないと。それを知らないで、育休の希望を出して通らなかった男性の例はあります。


一郎さん:こういう男女共同参画のデータでやはりヨーロッパに比べて日本は遅れてるんだなあと感じますが、「男女」という言葉もそうなんでしょうね。男が先、があかんのやな。
 今、小学校でも男女入り混じった順序の「混合名簿」がありますが、あれも面倒ではありますが、根深い部分で日本は遅れてるんだなあと感じます。


祐樹さん:私の母は家業をしながら子供を育てました。
 今、私の家は共働きですが、子供を保育所に預けるのを母が「かわいそうに」と言い、いっとき嫁と母が険悪になりました。
 今は子供が保育所でのびのびと成長している姿をみて、母も「行かして良かったね」と最近言ってくれるようになりました。

 

恵理さん:私は育休をとり半年で復職したのですが、今の若い女性職員からは「半年で復帰すると子供がかわいそう。私は3年育休をとるんだ」と言われます。


―今、市では育休3年とろうと思えばとれるんですか。


恵理さん:とれます。フルにとるのは半分くらいの人ですね。普通は1年-1年半で復職します。


千草さん:関経連のレポートの中で「育休しているうちに女性が専業主婦化してしまう」という話が、私にはストンと腑におちました。復職したくないんです。「せっかく長期の休みなので休みたい」「子供と一緒にいたい」「子供がかわいそう」と。


(司会より「職場が十分に知的刺激に満ちた、チャレンジを奨励させる場だったらもっと職場に戻りたいと思うんじゃないでしょうか」という発言あり)
(注:あとになって思うとやっぱり「長時間労働」とか「家事負担」の問題も解決しないと身体がしんどいよね、とも。司会発言だけどそんなに権威ないと思ってくださいね;;)


一郎さん:姫路短期大学の先生がテニス仲間なんですけど、その先生が言うのに「子供はたっぷりだっこしてあげなさい」と。ずっと子供のそばにおりたい、というのも母性のなせるわざかな。
 一方で、社会復帰、復職するかどうかは、本人の希望とは別の保育所の事情とかめんどうを見てくれる人の事情で決まるところがある。そういうところが遅れてるかなあ。色んな事情が結局女性の肩にばっかりかかるところが、平等じゃないなあと思う。


★このあたりでお話はどんどん佳境に…。
 恵理さんが、今回のよのなかカフェを開催するもとになった疑問、「女性自身をパワーアップするってなんか違うんじゃないかなあ」について語りました。


恵理さん:女性の人生を切り取ったときに、背景をよく振り返ってみると、チャンスが与えられなかったり周囲の見方があったりと、本人以外のことで決まってしまう。そういうことを根本的に修正していかないと、自分の意志で決めていくということができないと思います。
 ダイバーシティという言葉が流行っていて「女性だけではないんですよ、外国人、高齢者、障碍者もみんな大事なんですよ」というけれど、私は女性については女性に特化した取り組みが必要だと思います。間口を広げると違っちゃうんじゃないかと感じています。


一郎さん:安倍さんが「日本社会がもっと活気を取り戻すために若い世代や女性がもっと活躍を」と言うが、GDPを上げるために女性をもっと働きなさい、もっと若い人の正規雇用を増やしなさいというのは、目的がおかしいんじゃないかと思います。
 同じように働くために今、沢山のハンデがある。それを1つ1つ取り除いていけばいいのに。


―もう少しそこをわかるようにお願いします。


一郎さん:安倍さんは国の力を盛り上げるために女性がもっと社会参画を、そのために施策を、と言いますが、そうじゃない。半分の女性が男性に比べてハンデが大きすぎます。
 女性管理職が少なすぎる、女性経営者が少なすぎる。如実にそういう結果が出てしまっている。GDPのために、というのは違うかなという気がします。
 ぼくたち男性には身に沁みてわかってはいないと思います。確かに女性はハンデがあるなあ。身をもって体験しているわけじゃないなあ。女性の立場では理不尽な体験をされていると思います。


恵理さん:アベノミクスの中で、「GDPを上げるために女性活躍推進を」というのは、中小企業などに女性を登用させるためのよく使う言い方ですね。
 ただそのためだけに女性を登用せよというのはどうかなと思います。


―それでは、身近に理不尽だと感じたことについて。


一郎さん:ぼくが勤め始めのころは女性が朝、みんなにお茶を入れていました。
 30-40歳ごろには朝のお茶くみは女性の仕事、というのはなくなりました。掃除当番も男女交代でやっていました。


千草さん:私自身は、民間企業に数年勤めたあと専業主婦を7-8年やり、それから市役所に採用された変わりダネなんです。
 女性が輝く社会というのは、その人が本当に色んな社会を知ったうえで選択していけるならいいけれど、女子大生に今、専業主婦志向がとても強い。色んな社会を経験しないまま、専業主婦が楽そうかな、と思ってしまう。
 公務員は比較的そのへんが平等だと思いますが、民間企業では女性が同じだけの努力を積み重ねたのに上に上がれないという差が大きくあります。


―(司会)民間ではトップセールスとかのハイパフォーマーの女性がいじめられるという話はよくききますね。数字が出る分、逆にいじめられたり陰口を叩かれたりする。数字を出す先輩の女の子より若い女の子を「かわいい」とチヤホヤしたりする。


恵理さん:よく働く女性にロールモデルがいない、と言われますね。うちの市ではすごいパイオニア的な女性の大先輩がいるんですが、その人たちから話がきけないんです。
 その人たちは男性と同様にバリバリ働いてきた。今、その人たちに体験談を話して、とお願いしたくても、周囲が「あんたと同じようにみんなが働けるわけじゃないんだから」と止めるんだそうです。本人も、「私は仕事も家庭も両立したわけじゃないから」と出たがらない。そんなふうにして素晴らしい先輩が前に出られないという現実があります。


―(司会)以前きいたことがあります。団塊世代ぐらいの女性の方で、本庁から自ら希望して出先に行きバリバリ働かれた、すごい仕事のできる、という方。でも周囲の男性からは「あの人変な人だよね」とけむたがられていた。私はその人の下で働いた男性部下からきいたのですが、すごい厳しいけど公正で働きやすい上司だった、ということでした。


祐樹さん:男性ってダメですねえ…。
 男性が女性の足を引っ張っているのでは、という事例がありました。
 うちの施設の上司が女性ですが、市の検査が入る前に設備を色々直さないといけない。厨房の設備に不備があって外注業者さんに来てもらっているのですが、その中でペーパーホルダーを取り付ける作業を一向にしてくれなくて。以前は私は、その男性業者を「仕事サボりやなあ」という目でみていたのですが、最近「(女性)上司の足を引っ張っているのではないだろうか」と思うようになりました。
 そのペーパーホルダーは、絶対ないと検査が通らないというものではないんです。ほかの絶対やらなあかんことはしてくれるのですが、ペーパーホルダーみたいな些細なことに限ってやらない。そして女性上司に責任転嫁をしている。
 今日その上司と実は食事をしまして、「足を引っ張られているようにみえるんですが?」と水を向けました。上司は「こんな愚痴を言えるのは祐樹さんぐらいしかいないわ」と言っていました。
 意識してないと、みえてないものは沢山あるんだなあ。
 自分は女性を差別しているつもりもないけれど、でも考えてないことによって自分がそれを引き起こしていることもあるなあ、と思いました。


―(司会)それは大事な気づきですね。
 これまでも当協会受講生のマネジャーが、部下の男性が女性の足を引っ張っている、嫌がらせをしている、というストーリーを見抜いて解決した事例がありました。下手したら女性の退職というケースを救った事例がありました。そういう人の心の汚い部分を見えるようになることもマネジメントの中では大事ですね。


一郎さん:男性側の意識も大事ですが、それだけでは解決できないことがあると思います。
 女性は仕事と家庭の両立、仕事と子育ての両立を求められます。
 そこで日本の仕事のやり方、長時間労働の問題があります。
 そもそも1日8時間労働が既に長すぎるのではないかと思います。長すぎてそもそも両立できない。
 私は1日4時間でも正規雇用として、制度として保障されないといけないのではないかと思います。みんなが8時間では無理です。


千草さん:うちの部署には短時間勤務の人が2名います。
 現実には、フルタイムの人と短時間勤務の人がいると、他の職員に(仕事が)かぶってしまうことが起こります。。
 「長時間労働」に関しては、男女共同参画課にいるとみんなわかっているので長時間労働をすることが評価されたりはしません。
 しかしほかの部署では、課長によって長時間労働の人を評価する発言が出たりはしますね。


一郎さん:ぼくの若い頃の部長さんで、年休をとってない職員がいいかのように勤務評定をつける人がいました。「彼は1年間2日しか年休をとってない」と評価して。
 へー、歳いってる人はそういう考え方をするのかな、と思いました。ぼくは若かったから、年休をとりまくって遊んでたんですけど(笑)



★このあたりで時間となりました。「最後に一言タイム」。


祐樹さん:私には小さい娘が2人います。娘たちの将来のために世の中が変わってほしいです。そのために私自身が行動したい。気づかない問題がたくさんあると思います。

千草さん:最近つい業務に追われがちになって女性活躍についてじっくり考える時間がとれませんでした。
 管理職として後輩や部下を育てていけるようになりたいと思います。

恵理さん:みなさんの公平な視点からのご意見がきけて良かったです。

一郎さん:目先の施策を求めがちですが、この問題は長いスパンでみて取り組まないといけないことだと思います。



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 晴れやかな表情のみなさん



 雨模様の寒いお天気の中、すばらしい対話をしてくださった皆さん、そして会場のアロアロさん、ありがとうございました!


 その後後だしジャンケン的なよのなかカフェと女性、ファシリテーションなどについての来し方や感慨は、またこのあとの記事に書きたいと思います。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp
 

12月1日付メルマガをブログに転載するのが遅くなってしまいました!
このメルマガ末尾に登場する、奈良中央会様のセミナーの受講生さん(経営者、60代)から、「社員さん個々の5Sのスモール・プロミス」をメールで送っていただきました!!ありがとうございます。

皆様の会社が幸せな変化をこれからも続けていかれますことをお祈りいたします。


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お世話になっている皆様


 おはようございます。
 企業内コーチ育成協会の正田です。

 あっという間に「師走」になってしまいました。ここからが早いんですよねー。。みなさま、いかがお過ごしでしょうか。

※このメールは、NPO法人企業内コーチ育成協会のスタッフ及び代表理事・正田が、過去にお名刺を交換させていただいた方・当協会のイベントやセミナーにご来場いただいた方にお送りしています。ご不要の方は、メール末尾にありますURLより解除ください。
(解除方法が変わりました!詳細はメール末尾をご覧ください)


 本日の話題は:

■『行動承認』の世界
 インパクト(2)―協力行動、チームワークの増加

■いよいよあす(2日)締切。改めて「女性活躍推進」考えてみませんか?
 第41回よのなかカフェ「女性が輝く社会には何が必要?」(12.4)


■新しい人間理解の地平を創る
 ―発達障害の当事者の会に参加して


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■『行動承認』の世界
 インパクト(2)―協力行動、チームワークの増加

 前号より、「承認マネジメント」の下で組織に起こる幸せな変化について、1つずつ解説しています。
 今回は「チームワーク」について―。

 「承認マネジメント」の世界では、組織の個々人の間の協力行動が増え、きわめて効率よく仕事をする状態になります。
 職場のだれかが難しい仕事を抱えて困っていると、周りの人がぱっと集まって手伝い、やり終えてしまう。
 また、だれかが提案したプロジェクトに、みんなが一丸となって動いてくれる。
 そうした、人と人が有機的に結びついているといえるような状態がよく出現します。
 別の側面としては、「いい意味でのライバル意識」と言われるようなもの。個人プレーの仕事であっても、だれかが頑張っていることを、他人事と思わず「あの人が頑張っているのだから、自分も頑張らなくては」と思える。その結果、営業パーソンの売上でもセル生産の品質でも、互いに切磋琢磨して高い業績を出してしまう。
 これは、「承認」のもとで組織の成員に出現する「善感情」の表れとして説明できます。
 上司が部下に「承認」を行うことによって、部下個々人の間に良い感情が芽生える。ひとつの仮説としての説明では、「承認」は上司にとっても部下にとっても幸福ホルモンの「オキシトシン」を産生するのに役立っているのではないか、というものです。
 こうしたことの集積が、非常に効率の良い、業績の高い組織を作っていき「12年、1位マネジャー輩出」の現象を作りだしています。

 なお『行動承認―組織の能力を最大化する「認める力」』(パブラボ)は、その後もフェイスブックで何人もの良心的な現役マネジャーの方々が推薦の記事を投稿してくださいました。
 一過性の「ネタ」的なマネジメント手法ではなく、マネジャーの方々が本気を投入するに値する手法とみてくださっていることが本当に嬉しかったです。出版業界も決して綺麗ごとがまかり通るところではありませんが、このたびは納得の出版ができました。
 Amazonでの品切れ状態が長引きましたが、この週末の間にやっと解消されました。
 お友達のみなさま、どうもすみませんでした。そしてありがとうございました!

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■いよいよあす(2日)締切。改めて「女性活躍推進」考えてみませんか?
 第41回よのなかカフェ「女性が輝く社会には何が必要?」(12.4)

 アベノミクスの柱だった(これからも?)「女性活躍推進」。選挙の争点の1つにもなりそうですが、わたしたち自身の実感は???
 ぜひあなたのご意見をおきかせください。
 当日は自治体男女共同参画部署経験者の友人よりデータを紹介していただいたうえで、対話と意見交換をしたいと思います。
「女性」がテーマの回ですが男性マネジャーも何名か参加表明。さあどんなお話になりますやら。。
 あなたのご参加お待ちしています!

 詳細とお申し込みはこちらのページから
  ↓ ↓ ↓
第41回よのなかカフェ「女性が輝く社会には何が必要?」
 http://c-c-a.jp/cafe/index.html


※なお、お申し込みは本メールへのご返信でも結構です。
「4日よのなかカフェ希望」のタイトルで、
?お名前 ?お勤め先 ?ご連絡先メールアドレス を添えてお申込みください。

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■新しい人間理解の地平を創る
 ―発達障害の当事者の会に参加して


 29日(土)、NPO法人発達障害をもつ大人の会の会合「関西ほっとサロン」に正田も参加させていただきました。
 先日このメルマガでもご紹介した、同会代表・広野ゆいさんのご縁で。

 その模様はこちらの記事をご覧ください

 「人間理解を一段落成熟させるとしたら―発達障害当事者の会に伺いました」

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51903167.html

 この記事もフェイスブックで3人の方にシェアしていただきました。

 なぜここまで「発達障害」に関心を注ぐのか?と疑問に思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、
 あとの記事でお書きする経営者・管理者向けのセミナーの中でも、「5S」を話題にしながら、やはり発達の問題かと思われる個人の能力の凸凹の話が出てきました。およそマネジメントを語るのにいまや発達の問題は避けて通れない、とわたしは思います。

 この問題を抜きにして語っていたらとんでもなく間違ってしまう、とも。

 メルマガ読者の方も、いまだ「ぴん」と来ない方もおられるかもしれませんが、是非何かのきっかけにご自身の問題として考えていただければ幸いです。


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※このメールは、NPO法人企業内コーチ育成協会のスタッフ及び代表理事・正田が、過去にお名刺を交換させていただいた方・当協会のイベントやセミナーにご来場いただいた方にお送りしています。

解除される場合は、下記の解除フォームから受信していただいたメールアドレス入力して下さい。
メールアドレスを入力していただいた後、解除専用の確認メールをお送りさせていただきますので
解除専用のURLをクリックして下さい。
いたずら防止のため解除の確認メールをお送りさせていただいておりますのでご理解のほどよろしくお願い申し上げます。

http://mag1.hyper-mail.jp/md/publish/quit.asp?mid=848



※このメールは転送歓迎です。
もしこのメールを新たに購読ご希望のかたがいらっしゃいましたら、
info@c-c-a.jp まで、「メールニュース希望と書いて
お申込みください。


★奈良県中小企業団体中央会様での「若手従業員育成セミナー」、「承認」「傾聴」「質問」全3回が先日終了しました。
3回目は、「質問」のワークをみ〜っちりみなさまにやっていただきました。
「もうええ」というほど反復練習をして身につけていただくのが当協会方式の研修の特徴であります。
3回目の最終、わたしは20名の経営者・管理者の受講生さんに語りかけました。
「みなさまは若い頃から、マニュアルがあれば人一倍食い入るように読んだ、仕事のやり方だけでなくその背景まで読み込んだ、学習能力の高い方々です。
 みなさまの学習能力を信じて、この3回非常に高い負荷をかけさせていただきました。よく、ついてきてくださいました」
 本当に最後まで真摯に課題に食いついてきてくださったみなさんでした。
 このシンプルな行動の集積が、「よい現場」を創っていき、そして競争優位を創っていきます。
 ひと足先に奈良で優れた企業様が育っていきますように。

 そして今月は、兵庫県中小企業団体中央会様での研修がはじまります。
 また、真摯な受講生の方々に出会えることを楽しみにしております。

*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*
100年後に誇れる人材育成をしよう。
特定非営利活動法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
代表理事 正田 佐与
----------------------------------------
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ブログ「コーチ・正田の 愛するこの世界」
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日本人の勇気と自信は、ここから生まれる
「第3回承認大賞」
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「企業内コーチ育成のすすめ」
(株)帝国データバンク社『帝国ニュース兵庫県版』
2008年〜2012年 長期連載このほど完結
http://blog.livedoor.jp/officesherpa-column/

兵庫県中小企業団体中央会発行月刊「O!」連載コラム
「誌上コーチングセミナー」
http://c-c-a.blog.jp/archives/cat_50054961.html


*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*

 「研修副作用」について書き始めてしまったので、もう一方の対極にいる「正しくないし、めんどくさい人たち」のことも書いておこうと思う。


 これはここ数日のうちに会った人たちとは何の関係もないことだけれど―、


 当協会のやっている「よのなかカフェ」では、何度となく「高齢者男性が正しくない発言をする」という現象があった。

 そのうちの1つの例は、去年の夏、「承認」をテーマにした回のもの。


 わたしが直前の製造業での「承認研修」前後の統計数字などをとりあげ一通り説明したあと、参加者には感銘の声もあれば、文脈に関係なくワークライフバランスについて語る人もいれば、反発して「お嬢ちゃんには現場に入れないよ(入りましたけど、直前の研修でも)」という声もあれば、


 そして終了まぎわ、ある70歳代の男性参加者が言ったこと。

「承認が作ったおかしな人格、その典型的な例が元首相のHYですよ」

 妙に確信をもって決めぜりふ風に。

 おやおや。
 HY氏は確かに変な人格だと思うが、わたしからみるとそれは「承認」とは別に関係がない。宇宙人のようなキャラと原色の変な色調の服、あれも「当事者の会」の人がみたらどうコメントするかなあと思うが…、
 たぶんに先天的なものだとわたしは思う。多少は甘やかされて強化されたところがあるかもしれない。そのことも、わたしたちの基準では「承認」とは言わない。


 でも、この根拠薄弱な変な発言が出たとき、その日の司会(これも70歳前後、男性)は「承認の権威、エキスパート」であるわたしにコメントを求めず、時間切れとしてよのなかカフェを終了してしまったのだ。

 結果的に、「HYのおかしな人格は承認が作った」という根拠薄弱発言が、その場全体の決めぜりふのように印象づけられてしまった。わたしからみると50歳女性のわたしの出すエビデンスに対する悔し紛れの捨てぜりふに過ぎないゴミ発言が。


 高齢者男性は往々にして間違ったことを言うし、言ってしまったら引っ込みがつかない。そのめんどくさいプライドを尊重すると、場全体が間違ってしまう可能性があるのだ。

 この回のよのなかカフェは「疲れた」ので、とうとう詳報を上げなかった。


 これはあくまで一例で、よのなかカフェはそれまでにも、団塊世代の男性の発言内容や発言マナーがあまりにひどいので、一時期「60歳以上お断り」にしてしまったことがある。

 ―彼らはバブル期の営業方法を身につけているので、権限をもった立場の人に媚びを売って楽しい会話をするのはやたらと上手いかもしれない―

 現在は「人を見て」門戸を開けている。



 さきほどの根拠薄弱発言の人は論語などを教えるその地域の「先生」だったが、それである程度見識のある人かと思って参加を許可したのだが、それでも「50歳女性の正しさ」の前には、そういう態度をとった。

 彼らは、正しいか正しくないかより、自分の優位を示したい一心で正しいことを言う人と違うことをあえて言うことがある。同意すべきものに同意せず、向こうを張る、大上段に。要はマウンティングが目的の発言、ナルシシズム発言なのだ。


 
 もちろん高齢者男性みんながそんな人間なわけではない。女性差別と高齢者差別、どちらも良くないことだ。
 ただし、世間にまかり通っている常識というか迷信というのは、「高齢者のほうが正しく、50歳女性の正田はそれに比べて正しくない」というものだ。


 わたしはこれまでの経験上思うけれど、「高齢者男性」と正田、もし意見対立が起こったら正しいのはおおむね正田のほうだろうと思う。正田はそもそも自分のよく知らないことについては「聴く」「学ぶ」「教えてください」というスタンスをとるので、対立自体が起こらない。

 逆に、正田が確信をもって「それは違います」と言ったら、かなりの確率で正しいのは正田のほうだ、自分の専門分野については誰よりも緻密に正確にみている人間だから。だからこそ「12年1位マネジャー」を作っているのだから。


 だから、恥をかかないでおこうと思ったら、高齢者男性も正田の専門分野に関しては素直に頭を垂れて学んだほうがいいと思う。自分の知らないこともあるのだ、と知ったほうがいいと思う。

 くれぐれも、正田のブログで読んだ知識を使って、当の正田先生に説教しよう、なんていう混乱した行動をとらないように。



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 「真摯な人」は瞳孔(黒目)が大きくなる。

 カラコンなどでごまかせそうだが、1人の人の経時的変化をみる、というお話。
 
 難しい計算問題をしているときの人の瞳孔の面積は、ふだんの時より50%大きくなるという。

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51849252.html

 わたしがある人を「真摯だ」と判断しているとき、やはり黒目の大きさ(1人の人の中の変化)を無意識に参考にしていると思う。

 たとえば直前にわたしのやっている分野に関する面白おかしい新聞記事を読んだり話題にした人は、黒目の大きさがそれまで見慣れた大きさより小さくなる。それは、「知ってるつもり」になって、「ふん、この人のもってくる話題に関してはこの程度しか考えなくていいな」と、「認知的負荷」を無意識にケチるからだ。

 そして会話の質は低くなる。よく考えずに「反応的」に出て来た言葉が多くなる。話題への集中度合いが低くなる。


 申し訳ないがやはり貴重な時間を有効に使いたいので、目の前の人の「真摯さ」を、会話の推移と黒目の大きさを基準に判定したいと思う。


 なぜこの問題が致命的になりやすいかというと、正田のやってることというのが、恐ろしく大きな波及効果があり、それを意図して恐ろしく緻密な仕事のやりかたをし、要は認知能力をフル稼働しなければ行うことも理解することもできないことをしているからである。認知的負荷をケチった状態で理解できることではない、TV番組の「ネタ」レベルの話ではないのだ。




100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp


 

 キヤノンの御手洗冨士夫・現名誉会長の有名な言葉で、「公正と平等」というのがある。

 同氏によれば、「アメリカは公正を重んじ、日本は平等を重んじる」。


 公正というのは、よりよいもの、大きいもの、優れたものが高く評価されること。オリンピックでより速い者、優れた演技をした者が表彰されるのと同じ理屈だ。
 それに対して平等というのは、中身に関わらず同じ扱いをすること。


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 「研修の副作用」という言葉は、今よりも2008年ごろにこのブログでよく書いていて、いささか「はしたない」話題なのでできればあまり取り上げたくない。でも、繰り返しクギを刺さないと身内でも間違いが出るし、ましてその他の人は恐ろしくこの問題に無頓着だ。


 以前1−2回話題にしたことがあると思うエピソード。

 コーチングのある流派で、質問者が相手の「感情」をぐりぐりいじる、というのがある。「あなたはそれについてどう感じていますか?」「どんな気持ちですか?」という問いをたたみかけて繰り返して、さいご相手を泣かしてしまうところまでやる。泣くと多少カタルシスになり、今どきの研究によるとストレスホルモンを体外に出してすっきりした気分になる。

 そういうのは了解を得たうえで個人契約のコーチングでだけやるものと思っていたら、職場の上司部下間でそれをやれ、と勧めるその流派出身の講師がいらっしゃる。


 わたしは一番最初、旧CLS(任意団体コーチングリーダーズスクエア、現NPOの前身)に出入りしていた女性管理職からそれをきいた。彼女はラインマネジャーで、わたしをその会社の研修担当(女性、独身)に売り込んでくれたのだが担当者のお気に召さず、結局その会社の研修として採用されたのはその「泣かすコーチング」の講師だった。


「わたしたち、研修以外に個人コーチングを受けて泣かされるの、その人に」
 女性管理職は涙をためて言った。
「ああ、また、と思うんだけど、手の内はわかっているけど毎回泣かされてしまうの」


 うーんなんでそんなヨロメキ調のものをそもそも「コーチング」っていうかなあ。わが社は禿頭の武田建のおっさんの方式だから。


 そして、「当社方式」のもとで凛としたかっこいい女性だった彼女はわたしからみて情緒不安定になり、さいごは問題行動を起こして団体を去っていった。


 心理学的にディープなものであればあるほど良いと思う感性というのがあるようだ。ストレングスファインダーでいうと「○○○○」の一部の人かな。先日「ニンフォマニアック」という映画も観たけれど、人の個性オタクのわたしはこの映画も「○○○○」の人の物語として観てしまった。よりきつい刺激、きわどい刺激を求めてしまう感性。わたし、それはないんです。あ、あとこのタイプの人に「SM趣味」もよくあります。
 残念ながら研修の購買を決める立場の人と新聞記者にそのタイプの感性の人が多い。


 「承認」はドラスティックな効果が出る割には、心理学的にはごく「浅い」ことをやっている。だから心理学の基礎訓練を受けていない大方のマネジャーが実践しても害がほとんどない。



 その次にきいたのは、某公的機関が主催した介護職向けコーチングセミナーにその同じ系統のコーチングの別の講師が起用され、あれれ、と思った。ただわたしがどうこう言うことではないので静観していた。

 すると2年ほど後、ある介護職の人からきいたのが、その講師がそのセミナーをきっかけにある施設―わたしのすぐ近所のところだ―の施設長に気に入られどっぷりその施設に研修とコンサルティングで入り、例の「泣かすコーチング」をやりそこの管理職にも部下に対してそれをやるよう勧め、どうなったかというと離職者続出だというのだ。

 わるいことにご近所なので利用者側からも話を聴くことがある。やはり人の入れ替わりが激しく、若くて頼りない職員ばかりだという。


 そういう結果になるのはみる人がみれば火をみるより明らかなんだけど。素人には判別がつかない。そして公的機関の人にも。
 そこで働いていた人にとってはなんと晴天の霹靂の、研修副作用による被害だろう。自分の職場で感情のプライバシーが守られず泣かされ、離職せざるを得ないというのはなんと罪深いことをしているのだろう。


 そういう状況に憤りを感じるのはわたしが怒りっぽい性格だからだろうか。
 いや、わたしはこういうことに腹を立てる自分がそんなに嫌いじゃない。


 わたしは腹を立てたり「危機だ」と思うと、むしろ感情が無くなって、「対策」を考える癖がある。そういうとき人からみると結構凄味のある顔をしているのかもしれない。


 自分のできることでいえば、このところ「コーチング」という言葉を表向き言わなくなってきているし、こんどは団体名から「コーチ」という言葉を外すことも考えている。



 なまじ医薬翻訳者出身なので「副作用」「有害事象」「長期毒性(慢性毒性)」ということに神経をとがらすほうである。前にも書いたように当協会方式で「12年1位マネジャー」が出るのは、効果発現メカニズム自体も正しいが一方で慎重に副作用を見極めて潰す作業をしているお蔭もあると思う。「うちの業界」には、不思議とそういう感覚をもっている人が少ない。

 でも、医薬品に限らず「ものづくり」をしていたら普通に存在する思考法なのだ。

 研修業界には「思いつきの言い散らかし」もすごく多い、あとでちょっと考えると辻褄が合わない、というような。顔色ひとつ変えず自分でも信じていないことを断定口調で言えるのが「いい研修講師」の指標のようだ
 ―ただしラインマネジャーはそういう人の匂いはすぐ勘づくし忌避する、知らぬは担当者ばかりなり、である―



 先日このブログに悪口雑言書いていたさなか、東京でお会いしたある真摯なマネジャーさんに言われたこと。

「先生の(すみません、ブログで強要しているものだからこの人もつきあって「先生」と呼んでくれている)書かれていることは、実際にあるんだと思いますよ。だれかが言わないと気づかない。そういう勘違いをしてしまうものなんだと思う。本当のことを書くからかえって信頼されるのではないでしょうか」


 …わたしはちょっと天狗になって自分を甘やかすようになっているのかもしれない…



 ADHD的知性の人だと、ものごとの優劣の区別がつかずすべて同じレベルの情報記号として飛び込んでくる、という記述も一部の本にあるが、はて。

 今年は新聞記者等で「あなたとほかと同じでしょ?どこが違うんですか」という薄ら笑い交じりの言葉に何度も出会った。エビデンスを提示するたびに。どんなにエビデンスを提示しても、女性が提示するものは真実ではないと認識する。いわばわたしを嘘つき、法螺ふきと言っているようなものだ。立派な性差別である。

 行動承認で「あなたはずば抜けたエビデンスを作ってきた。圧倒的に質の高い仕事をする、力量のあるマネジメント教育者だ」と(エビデンスに基づいて)正しく言える人はいないなあ。


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「アンガーマネジメント」という概念を、問題に対して「いいじゃないかそれぐらいハッハッハ」という形で使う人にも会う。問題を「あえて認識しない」というやり方、要はええかっこしい。たぶん営業では顧客の激怒に、ものづくりでは不良につながるだろう。顧客や製品に直接タッチしない部署ならそれでもいいだろうね、というしかない。そういう副作用があるだろうな。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

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