正田佐与の 愛するこの世界

神戸の1位マネジャー育成の研修講師・正田佐与が、「承認と職場」、「よのなかカフェ」などの日常を通じて日本人と仕事の幸福な関係を語ります。現役リーダーたちが「このブログを読んでいればマネジメントがわかる」と絶賛。 現在、心ならずも「アドラー心理学批判」と「『「学力」の経済学』批判」でアクセス急増中。コメントは承認制です

2015年01月

 きのうの記事の中で1つ「誤報」がありまして、
「一般財団法人承認マネジメント協会」の設立時理事・評議員・監事7名の内訳が

 「武術経験者2名」⇒「3名」に今は直っています。(注:その後また「2名」に修正)


 記事を書いてから急に不安になり、神戸大学の坂井先生にメールでお問い合わせしました。

「ひょっとして。とお訊ねしますが
武術経験者でいらしたりしないでしょうか?」


 するとなんと、

「実は武道家です。柔道3段です(小学校から大学1年までやってました。卒業後もたま〜に)。」

と坂井先生からご返信。

 えええ〜、でしたね。(^o^) ああ訊いてみて良かった。





 坂井先生はわたしのなんこか下のかたですがすっごい細身で中背で、いかつい武道家体格ではありません。目つきがするどいわけでもなく身のこなしもいかにもそれっぽい感じは全然出されてないんですが、

 ただ微妙に、「端然と」というのか、表現がむずかしいんですが身体の動きや眼の動きがむだがない感じとか座ったときの姿勢が収まりのいい感じがありました。

 お話される内容とか口調に「マウンティング」は微塵もなく。


 合気道とかが「あり」かな、と思ったんですけどね。

 というわけで男性4名のうち3名が武術経験者、ということになります。偏った団体だ。募集条件がおかしいんだと思います。


 Nさんが「すごい筋肉質の組織だ」と言われていましたがあたし以外の人は確かにそうですね。


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 今日は久しぶりに神戸ベンチャー研究会の第169回例会に行ってみました。

 これはもう1人の理事、松本茂樹先生のもう10年以上主宰されている会です。


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 また、恩師のことを考えました。

 わたしが中嶋嶺雄先生に師事したのは1986-88年、先生の49-51歳のときにあたります。

 その後先生は59歳で東京外大の学長になられ、65歳で退官。

 わたしが師事していた当時から、「大学改革」の急先鋒の論客でした。「二学部制にせよ。(語学の学部だけでなく)国際関係学部をつくれ」というのが先生の主張。また大学の府中への移転も。


 大学移転は先生の学長任期終盤に実現し(2000年)、学部新設(外国語学部を「言語文化学部」と「国際社会学部」に改組)はそのはるか後の2012年にやっと実現。



 それを経て、先生は2004年、秋田に「理想の人材育成」をするため国際教養大学を新設されトップダウン体制を実現します。先生の67歳のときでした。


 
 また思います。学内政治などに疎く興味もなかった学生時代のわたしでしたが、先生は師事していた当時、たぶん四面楚歌とまではいかなくても、学内の半数以上は敵だったのだろうと。


 そのなかでゼミは学内一ハードだと言われるのにもめげず学生たちが集まってきて、夏には先生のふるさと松本に合宿に行き、2年に1回は欧州旅行に行き、OBたちも含め代々続く学生たちとの密な交流がありました。


 ゼミはシンポジウムなどの雑用も多く、そして発表は先生の厳しいツッコミにおびえ(とりわけ同じ中国専攻のわたしはおびえていた。しかし2年間でいちどもツッコまれなかった。このブログにはよく厳しい上司風の人が出てきますが先生がそうだったわけではなくわたしの頭が作り出したフレディみたいな幻想です)



 うーんなんか考えがまとまらないなあ。





 2年前、先生の訃報を受けてOBが東京で急遽集まったとき、ある女性の先輩が言われたのが、

「先生は私の永遠の恋人でした(正確にこういう表現だったのかどうか、おぼえていない。大体こういう感じの言葉)」

 そうだなあ、わたしも今もこうして訃報がトラウマであり続けているしこのブログでも、「ご期待に応えられず申し訳ありませんでした」と泣きながら手紙を書いたこと、学長室から出版のお祝いのお電話をいただいたこと、離れて生きていてもものすごく感情を揺り動かすエピソードとして残っている。



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 ピケティ。
 素人には論証のプロセスを知るよしもない。
 でも結論部分は「当たり前じゃん、これ」って思う(こらこら)似たものをみたことがある。

 
 そして結局「わたしのできることをやり続けるしかない」と思う。

 あるべき姿を実現するのに、お金の措置を除いたら「これ」が一番近道なのではないか。だれかがそれを担いつづけるしかない。

 それはこの仕事に入ってから繰り返し問い直し同じところに落ち着く。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
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 奈良・興福寺の阿修羅像に会いにいきました。

 近鉄奈良駅の徒歩すぐにある興福寺です。こんなに近いならもっと早く行くんでした。


 国宝館であいまみえたときの静かな感動にははるかに及びませんが、そのあと本やら絵葉書を買ったのでした


 
29 阿修羅1



 そして、「同志」の姿をうちの事務所にも飾ってしまいました


29阿修羅2



(奥は一昨年50歳の誕生日にいただいたお花がドライフラワー化したもの、一番奥はエッシャーの騙し絵でツッコミ用です)



 上記の『阿修羅を究める』(小学館、2001年)の中には、阿修羅像のモデルは光明皇后の皇女阿倍(のちの孝謙・称徳天皇)だとの説を載せていますが、あまり根拠のはっきりしない記述です。


 でもわたしもこの像は本当は女の子(そして両性具有)のような気がしていたので納得した気分になりました。

 映画『エリザベス』の終幕、ケイト・ブランシェット扮する処女王エリザベス1世が、「性」をまったく感じさせない豪奢な衣装で登場します。それにちょっと似たもの。


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 このブログでおなじみの柔道有段・凄腕研修担当者Nさんとゴハン食べにいきました。

 わたしの日常は極少数の心許せる友人との会話で維持されています。

(先週も女性の友人とゴハン食べに行きましたが非常にピリピリする仕事の直前のタイミングだったので、友人に心配かけるだけで終わってしまった感がありました。ごめんなさいごめんなさい)


 心優しいNさんは、

「こんないい人を怒らせんなよ、と言いたいです」

と言われました。ありがとうNさん、そのお言葉だけで十分です。



 また、このところのブログの記事などを踏まえて、

「仕事って、『本気』でやったほうが絶対面白いですよね。本来そう(本気)あるべきものですよね」

ということも言われました。

 そう、うちの業界は他業界からみてどうみても「本気」とは呼べないようないい加減なものが多かった。飛ばし記事、ファンタジー/作り話、知ったかぶり、辻褄合わせ、自己陶酔、常套句、論旨のすり替え、ポジティブすぎる仮説、その場限りの楽しさ、根拠のない断言口調、場面を限定した真実、大前提や暗黙の了解の不在、副作用への配慮不在、素人が侵してはいけない領域侵犯、創造説、虎の威を借る狐、アメリカではの守、偉人や古人の言葉の受け売り、等々。「他業界の方に失礼でしょ」というものが多すぎる。
 「善意」のものですらそうだし、このブログで「自己啓発セミナー」として言及したような、「騙しテクニック」のものもすごく多い。



 また思い出すと、Nさんがアテンドしてくださった研修は、トータル12時間で1回もおかしな質問は出なかった。

 質疑を積極的に受けつけるタイプの研修は、「マウンティングまじり」の非建設的な質疑が出ることも想定しなければならない。そこで担当者が「この先生をリスペクトしなさいよ」という空気感をつくることはとても大事になります。残念ながら女性の正田が講師の場合はとりわけ大事です。

 女性に対して侮りの感情が存在する、ということは良いことではないがこの国では当たり前です。そのことに「まさか」と言ってたらあきません。想定して予防せななりません。


―でもその「想定と予防」をきちんとやって研修が成功すると、単に「承認」だけでなく「女性観」もみごとに180°転換できるので、やる価値は大いにあります―


 そういう、「カイゼン大好き」の正田ではありますが、自分自身ではどうしても「カイゼン」できない部分がある、担当者さんと心一つにしてやらないといけない。


 担当者さんも、お仕事なんですから、効果の高い研修であればあるほど担当者ノウハウも求められる、ということを理解していただきたいものです。

 あっ、Nさんから離れたことを言ってしまいました。


 体重125キロのNさんはお父さんの影響で小2から柔道を始め、その後柔道名門校に中学から進学、中学時代に全国3位になったそうです。有段有段と書いてましたが三段だそうです。
 柔道の何がそんなに面白かったのですか?ときくと

「投げるのが面白かった」

そうです。小5でお父さんをぶん投げていたそうです。


 で、

「そんなに体力のあるNさんなのに、なんでこの超体力のないわたしを見下さないのですか、リスペクトしてくださるのですか?」

と思わずきいてしまいました。


「体力あるなしは生まれつきのものですから、僕は賢い人、本気で考え抜いてやっている人をリスペクトするのです。それが一番大事なことだと思うので」

とNさんは言われました。

 ありがたいことですね、そんな風にみてくださるのって。


 …あと「おっさん早よ読め」の記事についてお叱りを受けました。最近ずっとハラハラさせっぱなしのわたしです。


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 一般財団法人承認マネジメント協会の設立時役員、評議員の顔ぶれがやっと固まりました。

 Nさんも評議員で参画してくださっています。


 正田以外の「設立時理事」さんは以下の方々です:

・坂井一成氏(神戸大学大学院国際文化学研究科教授)
・他1名



 坂井一成氏は実は旧中嶋ゼミ(i.e.東京外国語大学国際関係論ゼミ)の後輩(汗)でいらっしゃいまして、国際関係論、EUの多民族共生などがご専門です。最近、「シャルリー・エブド紙襲撃テロ考察―日本にとって対岸の火事か」という記事を書かれていました、力のこもった論考です。
http://www.nippon.com/ja/column/g00252/


 理事・監事・評議員全7名のうち武術経験者2名、学識経験者2名(正田はそのどちらでもない笑)、公務員2名、ジャーナリズム出身者2名、そして旧中嶋ゼミ出身者3名となりました。女性は3名、これも武術ではないですが心身ともに「強い」、そして心正しい人たちです。あたし以外は。


 いずれにせよ実際に仕事するのは正田だけなんでしょうけどね、例によって(こらこら)


 28日の夜、「メンバー確定」を内輪でメールでお知らせしたところ、翌朝、

「メールを見て立ち上がりました」(監事Dさん)
「ピリッとしました」(Nさん)

と、お返事いただきました。



 ということで今日は久しぶりにちょっとよいことの記事です。

 定款作成―認証―登記がんばります。。
 神戸公証センターの_先生、ダメダメ生徒で申し訳ありません。お世話おかけします。。m(_ _)m



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
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○×会
Mラボ トップリーダーズセミナー
参加者のみなさま



こんにちは、企業内コーチ育成協会の正田です。
表題のセミナーに12月11日、1月22日の2日間にわたりご参加、ありがとうございました。
今日は一転して急に寒くなりましたが、
その後もお変わりなくお過ごしでしょうか。

さて、みなさまから頂戴した“労作”の宿題のかずかずを
添付のように一覧にまとめさせていただきました。
22日のセミナーでも冒頭に「宿題紹介コーナー」を設けましたが
今回は「相互公開OK」としてくださった方の
すべての事例をまとめて一覧にさせていただきました。

みなさま、素晴らしい事例をご披露くださりありがとうございました!
また、ほかの方の事例からも是非学ばれてください。
わたくしはしみじみ、みなさまにお伝えさせていただいたことを
幸せに、また誇りに思っております。

そして、みなさまを見込んでご相談したいことがあります。
「承認」の一層の普及のため、みなさまの宿題を
外に公開させていただくことは可能でしょうか?
添付ファイルをご覧いただくとおわかりのように、
みなさまの個人名・所属先は特定されないようになっておりますし
部下の方が特定される可能性も低いかと思います。

2回目のセミナーでそれを実感していただいた方もおられるかと思いますが、
今、この考え方を普及させることは一刻の猶予もならない、
とわたくしは考えております。

もし、「公開不可」の方がおられましたら、
今週いっぱいまでにお返事ください。
また公開の場合の文面の変更も必要あれば
今週中に、おっしゃっていただければと思います。

何卒どうぞよろしくお願いいたします。


みなさまの一層のご活躍を心からお祈りいたします。
時節柄くれぐれもご自愛ください。


****

上記の文中で例によって「穏やかではない」言葉を使っている、と
お感じになったかもしれないが、
今の若い働き手の方々の「嘆かわしい現状」
―先週のセミナーではかなり「まとも」にその現状に触れた―
と、真正面から向き合い闘えるのは「この武器」ぐらいしかもうないのだ。
ネットがある以上、
日本全国津々浦々、状況は同じである。


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上記とは別の団体で3回シリーズの形で実施したセミナーの「当日アンケート」記入内容を送っていただいた。

このブログで詳しく触れられないのだけれど、
おおむね、
3回やると1回目より2回目、3回目と、どんどん記述内容が温かくなっていくのがわかる。
1回目の「直後」というのは、まだ「他人事」の感じがあって、
「けしからん部下」という感情が支配的で、
そのあと現場での「実践」をするので、
部下との一体感がどんどん出てくる。

お見せできないのは残念。

このとき3回目で「発達障害」にもかるく触れていて、

(わたしはこのブログでもセミナーでも
「発達障害」という言葉をバンバン使ってしまう。
だって、言葉自体に差別感情があるわけではないからだ。
DDACの広野さんは「どんどんやってください」と言われた)

それを受けた3回目のアンケートでは、

「こういうこういう部下がいるが発達障害なのかもしれないと思った」

ということを、恐らく「けしからん」という感情をもたずに上司のかたが書かれている。

そう、事実を事実として淡々とみる態度ができるので、
はらを立てずに、
「ふざけているのではなく能力の欠陥かもしれない」
と思うことができる。

その後個別にメールのやりとりをしたリーダーの方もいらしたが、
それらしい部下について、その人なりの頑張りを認めて
温かい視線を注いでおられるようだった。


だから、「発達障害対応」という学びは
「承認」とセットにしたほうがいい、とわたしは思う。
広野さん、どうでしょう。


****


…ではあるけれど
「世間的に偉い人」に対しては、
わたしはやっぱり寛容になれない。
偉い人なんだからレベル高い人になるよう努力せえよ、と思う。

今日は、「議員先生」からの電話をはらを立てて切ってしまった。

もともと2日前に
「メンタルの状態が悪いので電話しないでください」
とメールしてあったのに、
「PCメールは受信できないんです」
とか言って、かけてきて
(じゃあ何のためのアドレスなんだ)
しかも当方は「かけてほしくなかったんです」
と言っているのにグズグズ以前の話を蒸し返して
最後はわたしを怒らせるのだった。

マッサンでもやってたよ、
男の子が女の子を傷つけることを言ったら
男の子が謝るもんだよ。
法律以前にそれが社会常識だよ。
なんで、女の子のほうがガマンしないといけないんだよ。
「申し訳ありませんでした」
っていう日本語、知ってる?

またれいによって
「認めないなんて一言も言ってない」
っていう、二重否定。
承認教の流儀でさわやかに
「認める」
と言い切れよ。


というわけであしたは阿修羅にあいに行くのだ。


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「発達障害」か「定型発達」かにかかわらず、”変な宗教”にかぶれた人は救えないとも思う。上司の手になど負えない。



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 「正常性バイアス」という言葉がありまして、どうもわたし正田51歳女が生きていくうえで必要な概念とか言葉かな、と思いました。ので、このブログを見てくださるご縁のある方々とも共有したいと思います。


 正常性バイアスは、社会心理学や災害心理学でよく出てくる用語です。ので、多分このところのうちの地域でもあちこちで多用されたかと思います。


 これまでの常識を外れた異常なことが起こったときに、「これは異常でもなんでもない。正常な範囲だ」と考える。そのことによって自分の心の安定を保つ。

 
 災害では、非常ベルが鳴ったり避難警報が出たりしたときも、「こういうのよくあるよ」「多分誤作動だよ」「騒ぎすぎだよ」と考えて、動かない。その結果悲惨な結果になってしまう。

 
 経営の世界で言う「ゆでガエル」の心理とも似ています。

 多分、ストレングスファインダーでは「これ」が高い人にはそれが起きやすいだろう、というのもあるんですがギャラップ社さんにお叱りを受けてしまいそうだからやめておこう。


 …あと、犯罪とかトラブルが発生したときに「被害者が悪い」という方向にものを考えることも「正常性バイアス」に含まれます。「ミニスカはいてるから露出多い服着てるから○○されるんだ」みたいな話。いやあたしもミニスカは履かないし露出多い服も着ないですけど、被害者のほうにやたらと原因を帰し加害者を責めない、というのは、結局「何も悪いことは起こっていない」と考えたい心理からくるんです。それは「承認教」の事実認識の世界からするとダメな考え方です。


 で、正田とはどういう関係があるのか、ということですが先日も一部の受講生さんには感じ、一部の受講生さん―多分、このブログに一通り目を通していてくださったほうの方―には感じなかったのですが、


「女性でこの容姿のこの社会的地位の人がこの場(他は男ばかり)やあらゆる経営学心理学を俯瞰した中で一番正しいことを言うなんてわけないだろ」

という形で、「正常性バイアス」が働く。

 やっぱり、属性で差別をしたくはないですがご高齢の方へいくほどそれは働きやすいなあ、とも思います。


 そしてその「正常性バイアス」が働くと、次から次へと重要性の低いこととか前回きちんと触れてシートも提供していることについて重複した質問をする。
 あるいは、時間枠の関係でどうしても触れられないことに立ち入った質問をし、
「今ここでこの質問に答えなければあなたを無能な人間とみなす」
というオーラを出す。


 要は、「女性の正田」を引きずり降ろしてその人たちの妥当だと思う地位に着地させたいわけです。


 まあ受講生様だけでなく担当者さんにもいらっしゃるんですよね、「トウシューズに画鋲行為(サボタージュを含む)」をして、正田を無能な人間として演出しようとする方が。意識してか無意識か知りませんが。去年そういうのにあまりにも遭いすぎてしまったからこのところ体調を崩してたんです。


 …と、いう現代日本の社会の中を正田51歳女は生きているんでした。なかなか疲れますよ。


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 NHKローカル「かんさい熱視線」で、子供をもつ働く女性が上司の「過剰な配慮」でモチベーション下がる、がんばっても認められない、というのをやっていました。

 同期の男性より5年昇進が遅れ年収が100万円低い、という女性。つらくて、見ていられなくてTVをけしました。

 この女性の口惜しさは、単なる「競争心」の問題ではないだろう、と思えてしまったのです。感情移入しすぎるあたし。

 例えばしばらく一緒に仕事をしていたら、

「この人、それほど会社を愛してない」
「仕事を愛してない」
「お客様を愛してない」
「だから仕事の質が低い」

あるいは管理職になった段階だったら、

「この人、部下を全然愛してない」
「だからマネジメントが下手。
この人の下で砂をかむような気持ちで仕事してる部下がいっぱいいる」

というのが、同僚の女性から手にとるようにみえてしまう場合があるわけです。

 なのにその人のほうが高く評価され昇進が速く給与も高かったら。


 うーん、エステ行って散財したくなるかなあ。その業界は儲かりますね。

 こういうのって、「女子会」みたいな研修いくらやってもムダだと思いません?


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 えーと、わたし的には、この番組の最後のほうにひょっとしたら「研修風景」もあったかもしれないですけどそこは見てないんですけど、

 「承認」を「女性活用」とだけ結びつけて考えるのは「承認」がやれることの全体像の巨大さからいって勿体ない、という考えなので、当面静観しとこうと思います。

 そういう考えで去年の出版の際も、「女性活用の本」にすることをお断りしました。


 「女性活用」の講演を去年1回だけ、なんで引き受けちゃったのかといいますと、一応「女性パワーアップ研修」じゃなくて、要は女子会研修じゃなくて、「マネジメント」の研修だったからです。うわー親会社の方もきっと見てはるよ。ごめんなさいごめんなさい。


 ただ会場の人は会社の人事の人が多くて、やっぱり「正常性バイアス」が働きそうな表情の人ばっかりだった。特ダネ記者にはある、「えっ」とか「むっ」とか「おやっ」とかいう感情がない感じ。もちろん主催者による講師紹介で「この人はこの分野で第一人者なのでしっかり聴いてください」みたいなのもなかった。通り一遍、どこの大学ご卒業とか職歴はどうだったか、というやつ、それでもないよりましですけど。


 で、それは事前にも割と予測されたのでちょっと自分自身にパワーがなくてどなたかの講演スライドを借用してしまった、のでした(事前了承済み)。
正しいことを正しいと言い切るって結構なエネルギー要りますよね。


 あ、そのときの講演でも冒頭に「『女性を』マネジメントしようと思わないほうが女性マネジメントは上手くいく」、もちろん妊娠とか育休とかの要素はあるにせよ大筋、男がイヤだと思うことは女も当然イヤだ、と考えたほうがいい、全然別の人種だなんて思わないほうがいい、というようなことは言いました。


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 あー、「特ダネ記者体質」の中に「○○○低」というのもあるかもしれないな。


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 「承認研修」の組織力向上を説明するときに、「承認力」も当然上がるし講師の正田のキャラもあるんですけど、「○○○低下」という現象もあるかもしれないです。

「○○○」をつかわなくても、人と人とはうまくやっていけるんだ、とわかって自然と優先順位が下がってくる。すると今まで見えなかったものが見えるようになり、発見の多いみずみずしい組織になる。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
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 ご参考になるかどうかわかりませんが…、


 先日某所で行ったコンサルティングで、わたしがお客様の会社の部下になりきってみて「承認」をしてもらうロールプレイ、というのをしました。


 子供の遊びじゃないか。


 その中に行動パターンから「親密性」があると思われる女性社員さんについて、わたしが言ったのが

「その人には『可愛い』とかの容姿に関わることは一切言わないでください(注:本当は結構美形らしい)。多分受けつけない、はね返すと思います。

 
 ご本人が好むのは、『誠実だ』『率直だ』『骨太だ』などの、”男性的”な褒め言葉です。

 『男気がある』『頼りになる』なんかもいいと思います。

(これも注:ここでは「行動承認」+「Iメッセージ」をするのはお客様との間で大前提としています。プラスアルファ「人格」に関わる褒め言葉をいう場合には、というお話です)

(もひとつ注: 「親密性」の人については、「愛情深い」というのも描写として間違いではないんですが、対面で言ったりするとなんか下心を勘ぐられますよね)

 
 そういうのを言ってあげればあげるほど、その方向にどんどん伸びてくれると思います。


 営業を苦手にされているとか。多分体の緊張感が高いので、初めての場所とか人に対して緊張感が高い、そういうのは気の毒だけど一生抜けないと思います。

 ただ全然できないわけではないので、
『あなたの(上記のような)こういうこういう性格はきっとお客様に気に入られるはずよ(だから思い切って行ってごらん)』
と上司のあなたから伝えてあげてください。」



 お客様も、「今のお話はよくわかります。彼女は多分そうだと思います。そうします」ということでした。


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 「女性に対する承認の言葉」は、去年何回か話題にしましたが、

 例えば、こちらの記事


「あなたはいえますか『先見性のある女性』」(2014年5月)

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51889142.html 


「『一番いい自分でいられれば、離職しないんじゃないでしょうか』宝塚さざんか福祉会様にて」(同7月)

http://c-c-a.blog.jp/archives/51894505.html


「男女へだてなくユニセックス表現の世界、いかがですか―『行動承認』制作秘話<表現編> 」(同10月)

http://c-c-a.blog.jp/archives/51901081.html


「後日談 よのなかカフェとファシリとブログ文体と」(同12月)

http://c-c-a.blog.jp/archives/51903587.html


・・・などなど


 ああいっこ言うといきなり過去アーカイブが大量に出てきて鬱陶しいブログだよ。


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 22日、兵庫県中小企業団体中央会様での2回目のセミナーを終わりました。

 内田雅康事務局長が前半アテンドをしてくださいました。

 今回の参加者は8名、うち何名かの方は当ブログにも目を通していてくださったとみられ、内容を踏まえたガンガンのご質問が出ました。また受講生様から貴重な今どきの情報提供もいただきました。で正田は「まっしろな灰」状態になりそのあとジャンカラに倒れこんだと。

 「補講をしてほしい」というお声が受講生様から割と強く出たのは、嬉しかったですね。社交辞令ではなかったと思います。


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 …でも、「宿題未提出者も2回目出席していいですよ」という仏心は今回限りでやめにしようと思いました。

 何故って、明らかに「宿題未提出」で来て、「宿題紹介コーナー」で紹介されず賞賛もされなかったひとの「言いがかり的質問」が出て、そこに時間をとられましたから。割とぐずぐず長引きましたから。

 こういう因果関係ってそのときはわからず、あとから気づいたりします。


 「承認されてない」と感じた人はひねくれる、悪意をもつ、ということの見本のようなものです。でも「行動承認」の原則で、行動しなかったら承認されないですよ。


 また、そこに引きずられて悪意に近いものを持ってしまった人はその人自身の判断力を問われることになると思います。
 わたしは、人の目の中に「ざまあみろ」がよぎると、わかる人間です。


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 あと、これだけ大量の情報提供を限られた時間内にやり、また元々膨大な情報量なのをそこから重要なものをセレクトしてお役に立つようにお伝えしている、ということに対して感謝やリスペクトの念を持てない人とも、ご縁がないと思います。

 「ないものねだり的発言」と呼べるものも、残念ながら出ました。いくら「もっとよりよくしたい」という気持ちから出たものであってもね、「礼節」は、ないといけません。

 言っておきますが昨年度までこのセミナーの枠は2時間を1回でした。それをわたしが交渉して3時間+2時間半にしてもらったんです。


 去年からはっきり「感謝のない人は、愛さない」方針にしています。


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 また嬉しかったのは、

 先日このブログで「愛情ゆえに出る苦言」のようなものについても触れたからでしょうかね、


 受講生様にちょっと厳しいめの言葉も申し上げる場面もあったのですが、

 その方はにこっと笑い、

「それはあるような気がします。確かにその裏付けとしてこんなエピソードがあって・・・」

と、お返事くださったことです。


 こういう方のことを「男らしいなあ」と思います。


あ、「承認教」の世界って、よく人様から
「さわやか」
とか
「すがすがしい」
って言っていただくんですよ。


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 内田事務局長のいらっしゃらなかった後半部分ですが、

「承認が通じない社員さんの傾向と対策」コーナーで大きく3点に触れました。


 全国でも青少年のスマホ問題について先駆的取り組みをされている猪名川町の太田はるよさんには、昨年春NPOの合宿にも来てお話をしていただきました。

 GREATEST LOVE OF ALL 〜猪名川町のスマホサミットに参加して(2014年1月)

http://c-c-a.blog.jp/archives/51880078.html


 あたしの大事なレパートリーを太田さんに捧げてしまいました



 また、DDACの広野ゆいさん(広野さん、すみません!!先日の第2回インタビューの起こし今からやります;;) 



 この人たちもマネジメント教育に参画したほうがいい、今、ほんとにマネジメント教育でしなければならないことが本当にいっぱいある、とわたしは思っています。


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 「似ている」から「評価し損なう」ということも、あるのかもしれない。
「違和感がない」という感じ方になっちゃうかもしれない。

 たとえば「発見者体質」―いわば「特ダネ記者体質」みたいなもの―

 「学習欲―着想」あたりが複合すると、そうなるのかもしれない。 



100年後に誇れる人材育成をしよう。
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言わずとしれた、M.キャリーの名曲です。
やり切った、2時間半。
ガンガンに質問出された。
今回きた人たちはお得だった。
愛してます。
正田@ジャンカラ

これもM.キャリー
変だな、2曲目に送ったのにブログに反映されずフェイスブックにだけ載ったので再掲。

これはセリーヌ・ディオンとピーボ・ブライソン。

ナルシな選曲だ。

1人カラオケのレパートリーバレバレ。

 
 表題の曲は例によってマライア・キャリー。

 美しいデュエットとコーラスの曲だが、

 この曲のいわれや歌詞をネット上でみると中々面白い。

 
 スーパーネガティブなあたしにはぴったりだ。


 19日、岡山の社会福祉法人夕凪会さんで「承認研修」。

 6名の聡明な介護職のリーダーさんが参加されました。


 直前のお迎えの車の中で、吉永施設長とのお話より「介護報酬下げ」「人件費上げ」に挟撃されて何が起こるか。経費圧縮、そして研修費の圧縮。最低限の介護スキルなどの研修はせざるを得ないから、リーダー研修はゼロになると考えなければならない。


「今年度この『承認研修』を押し込めて良かったですねえ」

実感を込めて言いました。


 研修では、1回目の休憩明けに受講生様にもそのお話をしました。


「そういう事情ですから今日は本当に貴重な機会です。皆さんしっかり吸収できるものを吸収してください」

 力強くうなずいてくださった皆さんでした。


****


 ここ1年くらい、「承認研修」はそのまんまのタイトルでやるわけではなく、「部下をもつあなたに武器を配りたい―静かに職場を改革する最強ツール『承認』」というタイトルでやらせていただいています。瀧本哲史氏の本へのオマージュかな。


 「武器」というと穏やかではないですが、「承認」の「褒める」とは違ういいところの1つは、「性善説」から「性悪説」へ一瞬で切り替えができることです。このブログの読者の方はご存知のとおり。

 最悪の場合、法的措置をとるときの武器としても使えます。どうも時節柄すごい必要性が高そう。いえ夕凪会さんでそうだ、というわけではなく。


 夕凪会さんは人件費60%を維持し教育研修にもしっかりお金もお時間もかけてやっておられ、福祉法人さんとしては非常に優等生さんです。離職率はゼロに近いそうです。さすがですね。

 ただあと一歩足りない何かがある、というとき「承認研修」を採用いただき、

 終了して送迎の車の中で吉永施設長(この方は吉永祐介元検事総長のご縁の方なのだそうな)が言われたのは、

「お蔭でわれわれも『闘う組織』に変貌できます」

ということでした。

 それは「承認」が良かったのか、講師の正田の「闘うキャラ」が良かったのか。


****


 介護業界さんではまじめな話、もう「承認研修」をできるのは最後になるかもしれません。

 試しに吉永施設長におききしたところ、

「次年度以降、こういう教育が必要なリーダーさんに『本』を買って配布する、ということは経費的にはできますか」

とおききすると、それはできる、とのことでした。

「しかし、こうして研修で先生がライブで伝える、ということには叶わないでしょうね」

とも。


****

 
 某「首長」からお葉書がきて、自筆で「読ませて頂きます」と添え書き。

 年明け5日に某所での祝賀会でわたしが「ご献本させていただきます!」と言い訳のおまけつきで言ったのだ。


 このおじさんも「人材育成」に関しては過去には変なことを言っていた人だった。だから東大の人は。

 早よ読め。

 最近のおじさんはあんな読みやすい本を読むのに2か月ぐらいかかるのだ。


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 大きな社会イノベーションのようなものは、多分大きな「ところ」や大きな「人」が何か所か何人か連動して動かないと実らないのだろう。

 青色LEDの場合は、どうだったのだろうか。


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 あすは地元兵庫県中小企業団体中央会様での2回目の研修。

 16人中11人の方が宿題を提出された。いずれも素晴らしい実践だった。

 こちらからご案内メールを出すと、3人ほどの方が(欠席連絡を含めて)気持ちいいお返事をくださった。1人の方は「その後承認にはまってます」と宿題で書いてくださっていた。


 何があっても、あたしは受講生様を愛す。




100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp
 

 以前にも人の「瞳孔(ひとみ、黒目)」の大きさと脳の状態についての記事を書いたことがある。


 『ファスト&スロー(上)』についての読書日記

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51849252.html


 この記事では桁の大きい計算をしている人は瞳孔の大きさが1.5倍程度になるという実験が出てきて、それを評して正田が「真摯な人は黒目が大きいってことでしょうかね?」てなことを言っています。「脳を注意ぶかく使っている」ということだから当然「承認」との関連性も興味深いです。


 あっちなみにこのブログの過去の登場人物はどうしてこういう言動になるのか?という疑問にも上記の記事は結構答えてくれていて、お時間のあるときにはおすすめです


 一方で悪感情をもっている人が黒目が小さくなる、というのも現実生活でよく経験することで、これに関する記事がないかなあと探していたら、よそのブログで辛うじてこんな記事が出てきました


 「ネコ語のチェックポイント 耳・目編」

 http://blogs.yahoo.co.jp/miki1958jp/19882963.html

 
 ―とりあえずネット上で情報を探しましたが文献でも見つかるとよいですね―

 
 ニャンコちゃんの言語の「目」に関わる部分をちょっと引用させていただくと(ちなみに人間でも同様だそうです)

感情による変化は、恐怖を感じたりして興奮すると瞳孔が開いて円形に近づき、反面、攻撃モードへ突入すると瞳孔が閉じていき、最後は針のように細くなります。

★目の感情表現
普通・・・中ぐらいの瞳孔の大きさ
攻撃・・・瞳孔が針のように細くなる
恐怖・不安・・・目を見開き、瞳孔も広がって丸くなる
迷い・・・瞳孔は中ぐらいからやや開き気味で、左右の目がバラバラに相手を見つめる
満足・・・半ば目を閉じて半眼になる

私は上に、「好奇心・いたずらしている時・・・くりくりまん丸」を付け足したいですね。



 恐怖を感じると黒目は大きくなるのですって。

 先日アニメ映画『進撃の巨人前篇』を観に行って、違和感を感じたのはこの部分ですね。
 登場人物が明らかに「恐怖」を感じている場面で、黒目が逆に小さく描写されてましたからね。
 逆だろ、って1人でつっこんでました。

 今年夏にはアニメ版後編も公開されるそうですが…、
 今から修正するのは無理だろうなあ〜。全体としては好きな世界観でしたけど。


(はい、実写版も観たいと思っています。仕事しろよ)


 
 で、恐怖より「攻撃」のほうに興味をもって元々調べていました。

 「攻撃」モードのときは黒目が針のように細くなるそうです。

 人間のときはどうかな?細くはならないと思いますが「小さく」はなるでしょうね。


 「脳が照準を定めた」という感じでしょうかね。


 そういうことを知っていたとしてわたしが変な攻撃に遭うのを防ぐことができるのかというと…、
 できない、のかもしれませんけど。


 あと「S(攻撃)モードに入ったときは黒目が白っぽく濁る」という情報も最近入りまして、これも裏づけの知見がどこかにあるといいな〜、どういう現象やろな、と思います。どなたかご存知の方はご教示ください。

 (わたしも「ビー玉のような眼」が、「対話を打ち切った」ときに出現するのはみたことがあります。一緒カナ)
 


 まあそういう人に会わないで済めばそれに越したことはないですね。


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 「自分原因教」のバイブルを1冊買って読んでみましたが

 途中で「レディースコミックやな、これ」と放り投げました。いえそういうのの読者なわけじゃないんですけど。

 以前にも心理学のセミナー後の「信者」の方のこころの状態について感じた、「魚眼レンズから世界を見ているような状態」。自分中心に曖昧模糊とした世界が広がっていて、周囲の人もみな「点景」にすぎなくて。


 そして、「すべては自分の思考が引き起こしている」というお題目。わたしは近所のP&Gビルの壁で高所作業をしているおじさんをみながら、「あのおじさんが作業するのもわたしの思考が引き起こしているのかなぁ」とつっこみました。いや、「承認教」的には、おじさんにはおじさんのロジックがあって作業していると思います。


 実は「モンスター魔性の女性研究者」がつくられるロジックもここにないか?ということも勘ぐってしまいました。
 生命科学の世界の歪みについては、このところ出版が相次いでどれも興味深いものですが、わたしは「人分析」の人間なもので―。


 生息環境も大事ですが、本人自身の中にどういうロジックが流れているか?

 「女の子はみんなプリンセス、だって可愛いんだもん」という奇怪な実験ノートのフレーズ(注:ネット情報による)は何から生まれるか?

いみじくもこのバイブル本には、主人公の女の子が会社の上司と不倫をして相手の家庭を破壊しその後別の男性と幸せになるというハッピーエンドのエピソードが出てきます。いいんですかそれ。自分原因教って魔性の女のすすめですか?


 この本も、まっとうな知性の持ち主なら普通は放り投げる種類のものですが、年頃の女の子にとっては著者が「アメリカで学んできた」というだけで「お墨付き感」がある。

 (自己啓発の世界は大体どれもそうです、どんないい加減な内容のものでも)


 こういう「魚眼レンズ思考」の人は、過去の経験から言うと、非常に仕事とかやることにムラが多く、たまにすごくいいことをしたかと思うと後に続く日々はすごく「やる気のない」仕事ぶりで時間もルーズ、仕事の質も低かったりする。朦朧とした感じで日々を送っている。

 そしておそらく「本やセミナー」だけの影響でそうなったというより、もともとそういう傾向があって刺激を受けてますます強化された、のであろうと思います。

 本当はそういう傾向の持ち主の方の正しい問題解決方法はそうではない、ちゃんと診断を受けて適切な薬をのんで、というほうが社会適応がいいのだろうに。


 ココロヤジンノスケという人の本も読んだほうがいいのだろうか。

 仕事しろよー。これも仕事です。どうだか。



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NPO法人企業内コーチ育成協会
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 『行動承認』を読まれてわたしのことを「承認の人」と思っている方は、わたしが「叱り技」に転じたときにびっくりして、そして「この人裏表がある」とか「期待を裏切られた。イヤだ」と思われるのかもしれない。


 実は本来めっちゃくちゃ「叱りキャラ」である。


 そういうわたしの近年「叱った」エピソードを挙げておくと、


1)ある人に書いたメール。


「あなたは思春期のお子さんをお持ちですね。あなたの少し口を尖らせたような甲高い声の短い最低限の受け答えは、思春期の反抗期の子供さんのそれを彷彿とさせます。
 あなたは、反抗期の子どもさんのような心理状態でわたしに対して会話しているのではないだろうか。自分のお子さんの日頃ご家庭でみせる態度をあなたも真似されているのではないだろうか。
 わたしはあなたのお母さんではありません。
 あなたのお母さんはご存命と伺っているが多分ご高齢ですよね。『反抗』するなら、その年老いたお母さんになさってください。そしてもしお母さんがそのために衰弱されたら、ご自身で責任もって介護を引き受けてください。
 わたしにはあなたのような大きな子供はおりません。また、やっと子育てを終えて今から社会を幸せにするための仕事をしなければなりません。でも年齢相応にあちこちガタがきています。今の段階で反抗期の子供にかかずらわっている暇はないのです」



2)またある人との電話でのやりとり。


正田「このところNさんがインタビューでわたしについて証言されたこと(要は、「承認研修」の講師である正田がいかにすみずみまでの配慮をもって「承認」を伝えているか)は、誇大広告ですかそれとも真実ですか?」

ある人「いえ、誇大広告ではありません」


正田「誇大広告でなかったら、何ですか?以前にも言いましたが否定形でなく肯定形で言ってください」


ある人「(強い口調で)誇大広告ではありません(←「誇大広告か、どうか」ということに目を奪われているので、否定形で強く言うことが正しい、と思っている)」


正田「『誇大広告ではない』を肯定形で言うとすれば、それは『真実である』ということです。『Nさんが言っていることは掛け値なく100%真実だ』ということが、どうして言えないのですか。
『あれは真実だ』と表現することを100点だとするなら、『誇大広告ではない』と表現することはそれを50点60点に勝手に『減点』していることになりますよ。どうして他人様のやっていることを勝手に減点できるのですか。それは無茶苦茶Nさんに失礼な話ですよ」


ある人「…20代の頃の上司に言われたことがあります、『出し惜しみするな』と。『いいものはいい、とはっきり言え』と」


正田「ほう。ではそれをどう思いましたか。どうしましたか」


ある人「その通りだ、と思いました。そうするように努力しました、その当時」


正田「では、なぜ今はそれができないのですか。若い頃上司の方に躾をされたことを、今は偉くなって忘れてしまったのではないですか。大切なことだったのではないですか。
 今、会社の人があなたの言うことをきいてないとしたら、あなたが率直に『いいものはいいと言う』態度を忘れてしまったからではないですか」


以上


 1)のケースも正直ほんとに沢山経験する。イクメンも決して100%いいわけじゃなく、自分のお子さんの精神年齢がその人に伝染っているのではないだろうか、お子さん並みの精神年齢になっているのではないだろうか、とくに女性のわたし、NPO代表のわたし、との関係性の中で、というのもよく思います。要は「子供に感情移入したうえでの投影」ですかね。「主婦」が働き始めのときに「仕事」の世界の人たちに言われたり思われたりすること―「子供を言い訳にするな」―は、意外にイクメンの方々にも当てはまったりするのです。

 かつ、お父さん世代の方々に要望したいことですけれども、お子さんが思春期の反抗期でお母さん(自分の奥さん)にやたらとつっかかっているとき、奥さんに対して「ざまあみろ」と思ったりしてないだろうか。正義がないのに子供のほうの肩を持ったりしてないだろうか。
 文脈にもよるが、
「お母さんに対してその口の利き方はなんだ!」
とお父さんが言うのが正しい、というケースはいっぱいある。またそれを自信をもって言えるお父さんは少ない、むしろ漁夫の利を得ようとすることが多い、とも。
 


 そして2)のケースはより普遍化すると、人は40になっても50になっても「上位」の人から叱られなければならないようなことをする、とりわけ男性ではそれがある、ということです。20代ごろに躾けられたことも忘れてしまって再インストールしないといけないケースがある。しかしその年齢になって「一から躾けなおしてくれる親切な上司」にめぐりあえる人は少ない、本人も既に躾など受けつけない心理状態になっていることが多い。

 ご家族のいる人は、一番率直に愛情込めて厳しいことを言ってくれるのは家族なので、「ご家族を大切にする」は大事なことですよね…。


 ―えと、1)2)とも直近にやりとりしている方々のことでは断じてありませんのでくれぐれも「自分のことだ」と思われませんよう― (えっ、「思うよ」って?ちがいますちがいますちょっと必要性があるもんですから;;)



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 某所で久しぶりに人材コンサルタント(笑)をする。
 なんで笑うんだ。たぶん、自分で「コンサルタント」を自称するとついおちゃらけてしまうんですよね。
なんちゃってコンサルタント。


でも本当は研修講師よりこちらの方が適性として合っているはずなんです。


 先方の社長さんは、『行動承認』をあらかじめ目を通しておいてくだり、沢山の付箋をはり線を引いていてくださった。嬉しかった。
 ―そういえば先日東京でもそういう読み方をされていたマネジャーさんがいらしたっけ―

「若い頃の一時期新興宗教にはまり掛け軸を2本買わされました。それ以来そういうものとはきっぱり縁を切ってきました。血液型占いも信じていません」
と社長さんはおっしゃる。

「だって、そういうものに支配されていたら、自分の人生じゃなくなってしまいますから」。

 
 まさしく、そういう方(極少数派なのかもしれないけれど)のために書いた本のつもり。

 そして最近のこのブログにも一通り目を通していてくださったのだろうか、沢山の共通認識をもってお話をすることができた。
 やはり必要なことなのだ、「こういうこと」について共通認識をもつことが。
このブログで言ってることは現実に起こっているのだ。


 そのやりとりに立ち会われた方がいらして、「こんなに『内面』に入ったコンサルティングは初めてだ」と言われた。普通はSWOT分析のよううなものから入るのだろう。正田式は徹頭徹尾「人分析」である。今回はそういうのなかったけれど場合によっては「その人は最悪の場合、あきらめてください」などとシビアなことも言う。


 でも最後は結局「承認」に落とし込ませていただいた。


 どうなられるかなあ。


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 「社長」であるということは普通にやっていてもそれだけで「生身の人」の負担を超えることなのだろうと思う。

 社長さんでも多くの方は何かに逃げる。占い、新興宗教、自己啓発セミナー、やたらと動員の多い忙しい経営者団体(いつ経営してるんだろうか)…。

 そういうものにはまり込まないだけでも大変なことだ、と思う。その人のそれまでのめぐり合わせや聡明さとの掛け合わせ。


 血液型占いにはまり込んでいるある社長さんは、履歴書を全部占い師にみせてだれを採用するか決めるそうだ。

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 今日は震災20年。

 あまり意識せずにその日を迎えた。

 ここ六甲アイランドでは1人も死亡者が出なかった。埋め立ての方式がよかったらしくほとんど液状化も出なかった。

 わたしは当時対岸の住吉本町に住んでいて新築の賃貸マンションだったので建物も家族も被害がなかった、しかし周囲には木造住宅が多く軒並み倒壊した。

 毎日、南側のベランダに面した窓から倒壊したお向かいの家をみる。やがて3月、4月が来て、その敷地に唯一残った立派な枝ぶりの桜の大樹が見事な花をつけた。倒壊した家をバックに。


 その年の暮れ、六甲アイランドに移り住んだ。


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 そういえば大学のゼミ時代のわたしは「ツッコミ女子大生」というキャラだった。

 ゼミで先生が何か言うとつっこむというかまぜっかえすというか。

 学術論争という次元の高い話ではない、もっと他愛ない話で。
 たとえば―。


 先生のお嬢さんが留学先でピアスの穴を開けて帰ってきた、けしからん、とぷんぷん怒っている。

「中国では、論語の時代から『身体髪膚これを父母に受く』といって、身体には傷をつけないものだ」

と先生。

 すかさず、

「先生、今の中国の女性はみんなピアス開けてます!」

と私。先生、苦笑。

 気持ちとしては、愛情表現なのだ。大好きな先生に間違ったことを言ってほしくないのだ。ゼミの内輪で間違っても公的な場で間違ってほしくないのだ。

 先生にもそれはちゃんと通じていたようで、そういうのでお咎めを受けたことはなかった。


 先生はほかにもその手のつっこみどころ満載のエピソードが意外とある人でOBが集まると必ずそういう話になる。


 恩師のことをやたら思い出すのは冥界に近いところにいるからじゃないだろうなあ。


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 「出版社」よりレターパックにより「絶版等契約書」が届く。やっと。

 こんなことも急かしに急かしたすえ、だった。社長は「あのメールのPDFにうちがハンコ押したのを郵送しましたからあれでいいんじゃないですか?」とワケのわからないことをFBメッセージで言っていた。

 そして今度届いた「原本」も、よくみると印影が薄く悪意なのか仕事の質が低いのかわからないが。


 たぶんこの手のことも2015年、今の時代は横行しているのだろう、口にしても「はしたなくない」ことなのだろう。

 

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 佐用町社会福祉協議会様で12月3日、1月14日と2回の全職員ワールドカフェを行いました。

 最若手のご担当者N原さんが当協会ホームページに目を留めてご依頼くださった、というご縁でした。
 準備物なども多い中、きめ細やかにご準備、アテンドいただきました。

 きのうは最後にN原さんへの感謝を言おうと思ったのに時間が押して言えませんでした。ごめんなさい。
 N原さん、ありがとうございました!皆様が今年また一歩新たな前進をされることをお祈りします。


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 ご請求書を作成した。


 「ご請求書作成」は苦手科目の1つ。前回もN原さんに数字の間違いを指摘された。
 自分を「性悪説」でみなければならない。

 ただここ数年、「苦手がますます苦手に」という傾向が強まっているように思う。「集客活動」などもその一つ。以前は百何十人規模のイベントをしたときもあったから。



 またしょもないことで自慢をひとつすると、正田は45歳ぐらいのとき脳MRIの詳しいやつをとって(このブログでは2008年の5月だったかに記事があります)、画像診断の先生から「年齢相応の老化のサインがほとんどない。非常に意志が強い。バランスよく多くの思考能力を使っている」とお褒めの言葉をいただいたのでした(先生「数字に弱い」ことは見抜けなかったな)


 今とったら、ちょっと老化のサインが出てるかもしれない。

 これもサンプル数がいっこしかないのでアレなのだが、「承認」実践者の側の方、つまりマネジャーの脳で「老化」についてどんなことが起こるか、ということもちょっと夢想する。老化スピードが低下するんじゃないかと正田は思っている。つまり、「承認」は自分以外のたくさんの人の強みを認めるので、自分に本来ない強みも駆使することになるだろうからだ。


 とはいえ「体力」はそんなことでは伸びないし「ナルシシズム」は伸ばしたくないものなんだけどね。


 「老化をストップさせる」だけじゃなく、近年「意志力」などでよく言われる「認知的負荷」「ワーキングメモリ」を鍛えることにもなるだろう、と思います。脳を注意ぶかく使う習慣がつきますからね。ひいては、判断力決断力向上など多くの喜ばしい結果をもたらす…


 実践者もそうだし「承認」対象者―会社だったら部下、学校やご家庭では子供さん―の側の脳発達はさらに顕著なのではないかと思う。そういうこと考えるとわたしは結構ワクワクするほうです。


 この画像診断の時点では先生が目視でやってましたが(だから「科学ではない」という批判もあったようですが)今は白質の密度を計測する技術があるそうです。


―「承認」と比較してよく「瞑想」に関する実験を取り上げます。「瞑想」実践者では恐れをつかさどる「扁桃体」の白質密度が低下する、つまりあまり恐れを感じなくなる(多分ゼロになるわけではなく、過剰な恐れがなくなり適度な感じ方になるのでしょうね)、とされています。恐れが低下するということはすなわち、「勇気」が相対的に上がるということ。「瞑想」と「承認」は恐らくよく似た効果があり「承認」のほうがはるかに速く大きな効果が出るのではないか(しかもドロップアウトが少なく)とわたしは思っているのですが、「承認」によって日本人が「勇気ある(蛮勇でなく)民族」になったら―時節柄変な方に想像されないことを祈りますが―喜ばしいと思いませんか?


 あ、だから正田はMRI経験者なんです、「若い女性」だから「ない」だろう、と思ったみたいだけど。
 「すごく負荷の高いものですからね」とか言われましたけどあのグワングワンいうドームでしょ?そんなに威張らんでも。



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 よくある誤解で、「競争心―他人に勝ちたい圧倒したい気持ち―」と「闘う」は同じかというと、別物です。よく「恩師はよく『闘う』人だった」とか、書きますけど。


 「競争心」のほうは、ゼロサムなんです。独り勝ちしたい。
 他人が勝つということは、自分が負ける。だから面白くない。WINWINということはあり得ない。
 また、他人が明らかに勝つとわかっている勝負からは「降りる」ということもします。手を貸さない。


 「闘う」というのは、使命感とか責任感からくるもので(ちなみにこの2つはどう区分したらいいのだろう、今のところわからない)ある目的―たぶん、ここでは周囲への共感に基づく、周囲からも共感される目的―のためにケンカすることも厭わない、ケンカは極端だけど少々の障害とか反論とかは気にしないで意志を貫く、という。


 これまで色々と「不毛な押し問答」をしてきて、ようやっと気づいたのは、先方は「正田さんに勝たすのは面白くない」と思っているということでした。
 やっぱり自分に「ない」思考回路のことは理解するのに時間がかかるなあ。

 つまり、先方は上記の「競争心」の思考回路でものを考えている。
 正田は、それはない。このブログを読んでいて「競争心」の人間なんじゃないの?と思われる向きもあるかもしれないが、まあ本人が言うことだから当てにならないがそうじゃないです。必要以上に人の痛みも喜びも見えてしまうだけです。
 でも先方は自分を物差しにしてものを考えますからね。「この女性は『勝ちたい』一心でものを考えている、そんなものに手を貸すわけにはいかない」と考える。


 これまでの経験で企業の窓口である「ご担当者」にも「これ」があるために講師に対するマウンティングが出た場合もあるし、報道機関、自治体、議員先生、あちこちで見る。

 当方は社会のたくさんの層の人たち、経営者・マネジャー層から最末端の非正規の人たちまで含めて幸せを願って物事をすすめているときに、先方ではその場の会話とか二者関係の間の「勝ち負け」の問題に話がすり替わっているのもみる。


「出版社の社長」も、そうなのだろうと思う。「あなたの言うことをきかなければぼくの、あるいはほかの著者の勝ち」という。


 追記 これも思いました。日常生活では、この人たちはお母さんとか奥さんに叱られ、「女性に負ける/敗北する」ことをよく経験しているのだろう。
 それへの報復を、社外から自分に頼み事をしてきた無名の女性・正田にして恨みを晴らす、ということをやっている匂いも、申し訳ないけれどぷんぷん感じてしまうのだ。
 そういうのはもう変えられないですね。



****


 去年、ある人がわたしの側に立って発言してくれたが実りがなかった、という話を書いた。

 「海軍兵学校世代」の人でした。その世代の人に、まあ功成り名遂げた後の段階で持ち上げて言うのもあれですが時々「巨大な知性」の持ち主の人がいた。

ハゲタカファンドを株主総会の席で怒鳴りつけて追っ払う、という快挙ー比較的近年のエピソードーをやった人だった。
また、神戸で20年も続いているイベントの創始者であり今も精神的支柱でもある。

 もう、そういう知性の人が、(もちろん大学の先生を含め)絶滅したのかもしれないと思っていた。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
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お世話になっている皆様


 おはようございます。
 あけましておめでとうございます。
 企業内コーチ育成協会の正田です。

 新年に入って早や半月が経とうとしています。みなさま、いかがお過ごしですか。

※このメールは、NPO法人企業内コーチ育成協会のスタッフ及び代表理事・正田が、過去にお名刺を交換させていただいた方・当協会のイベントやセミナーにご来場いただいた方にお送りしています。ご不要の方は、メール末尾にありますURLより解除ください。
(解除方法が変わりました!詳細はメール末尾をご覧ください)


 本日の話題は:

■「やっと巡り会えた、成果を出す研修」完結編
 ―柔道有段・凄腕担当者Nさんインタビュー(3)(4)

■「責任感」は研修ではつくれない、ではどうつくるべきか
―「研修副作用」シリーズ(5)、(6)、番外編、(7)

■『行動承認』著者から人事担当者へ愛をこめて
―「月刊人事マネジメント」12月号 コラム「あとがきのあとがき」

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■「やっと巡り会えた、成果を出す研修」完結編
 ―柔道有段・凄腕担当者Nさんインタビュー(3)(4)

 昨年から全4回でご紹介している、「凄腕担当者」Nさんのインタビュー。
 研修担当者というお仕事の方ではありますが、どんなお仕事をする方にもお勧めです!
 なぜなら「仕事」そして「結果」そして「お客様」への愛に溢れているから。だからこそ生まれる思考・行動・発言だから。

 インタビュー記事はこちらをご参照ください(それぞれ長文ご容赦ください)

◇(3)言葉の強さがわかった!
   http://c-c-a.blog.jp/archives/51905601.html

◇(4)未来への想像力、幸せを願う気持ち
   http://c-c-a.blog.jp/archives/51906158.html

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■「責任感」は研修ではつくれない、ではどうつくるべきか
―「研修副作用」シリーズ(5)、(6)、番外編、(7)

 こちらも昨年12月以来、「研修副作用」というまったく新しい概念についてシリーズでご紹介させていただいています。
 読者のみなさまは、「研修副作用」なんて自分には関係ない、と思われるでしょうか…。
 実は、だれでも知っている社会現象がこの「研修副作用」で説明がつくことがあります。そしてひょっとしたら、あなたも…。いやいや、大丈夫ですよね!?
 「プロ」でもごく一部の人しか知らない「研修副作用」。
 ちょっと、怖いものみたさ感覚になるかもしれませんが、もしご興味があればご覧ください:

◇(5)目標設定セミナーについて
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51905839.html

◇(6)「表現力」が大事か、「責任感」が大事か
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51905855.html

◇(番外編)現実に「いる」ときにどう対応するか―女性意識改革研修に得るものなし
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51905929.html

◇(7)自己啓発セミナー、自己啓発本。。わたしの基本スタンス
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51906015.html 
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■『行動承認』著者から人事担当者へ愛をこめて
―「月刊人事マネジメント」12月号 コラム「あとがきのあとがき」

 既にこのメルマガでもお伝えしましたように、昨12月、「月刊人事マネジメント」誌に『行動承認』の紹介記事を掲載していただきました。
「あとがきのあとがき〜著者から人事担当者へのメッセージ」という1ページもののコラムです。
 ほんとうに意外なことに、出版について何の宣伝もしない段階で同誌編集部より「WEB書店で見た」とオファーのご連絡をいただきました。
 このほど編集部のご厚意により、その紹介記事の全文をこちらに転載させていただきました。既に『行動承認』を読まれている方もそうでない方も、是非ご覧ください!!:

◇月刊人事マネジメント誌「あとがきのあとがき」(2014年12月号)
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51905794.html

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★本号の発行が大変遅くなりました。
 ブログではひと足先に、「新年のごあいさつ」を掲載しています。

◇「12年1位」を達成したいま 2015年の願いとは―新年のごあいさつ(公式)
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51905578.html 

◇ちいさな声でよびかける 心の友たちへ 新年のごあいさつ(私的)
http://c-c-a.blog.jp/archives/51905431.html

※このメールは、NPO法人企業内コーチ育成協会のスタッフ及び代表理事・正田が、過去にお名刺を交換させていただいた方・当協会のイベントやセミナーにご来場いただいた方にお送りしています。

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(一般財団法人承認マネジメント協会 設立準備中)
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代表理事 正田 佐与
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ブログ「コーチ・正田の 愛するこの世界」
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近著『行動承認―組織の能力を最大化する「認める力」』
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4434198572 

日本人の勇気と自信は、ここから生まれる
「第3回承認大賞」
http://shounintaishou.jp

「企業内コーチ育成のすすめ」
(株)帝国データバンク社『帝国ニュース兵庫県版』
2008年〜2012年 長期連載このほど完結
http://blog.livedoor.jp/officesherpa-column/

兵庫県中小企業団体中央会発行月刊「O!」連載コラム
「誌上コーチングセミナー」
http://c-c-a.blog.jp/archives/cat_50054961.html


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 4本ほど前の「自己啓発セミナー、自己啓発本」についての記事の中で、昔特ダネ記者だった話を書いた。


「広島のハタケヤマ、独自!!」

 東京のデスクが叫ぶ、電話口で。


 これも以前書いたことがあるけど、わたしの姿形を目の前にみていない人のほうが公正(fair)である。仕事をした結果とかプロセスをその通り受け取って「認めて」くれる。そしてわたしを目の前にみた人は…、


 電話で話していると普通にちゃんとした人なのに、対面で会って話すとイヤな人になっちゃう人多いなあ。
 

 容姿にそうとう問題のある人みたいだ、正田は。


 だから、「研修担当者Nさん」が長時間にわたり「サシ」でお話をしていて、一度も態度が崩れなかったのは驚異的でした。
 かれは担当者として「研修のなかでの正田」を正確にみて、そして歪曲なく正確に語りつづけてくれました。評価してくれました。


 これもなんというか、「不毛な押し問答」をして最後には頭を抱えているときの正田と、研修講師としての正田は当然キャラが違います。


 たぶんですが正田の研修に来てニコニコして語る講師の「正田先生」をまぢかにみた人は幸せな気持ちになっていると思います。またその後実際の「行動」までとり、それによってますます幸せになっていると思います。




 一方で「不毛な押し問答」の一方の当事者になった人は―、

 その後一生、正田のことを「優れた研修講師」と認識することはできないのでしょうね…、
そういうのは「選択バイアス」といいます。自分の選択は正しいと思いたい一心で、すべての反証から目を背ける。

 かわいそうだな。
 
 というのと、

 じゃあこの人はこれからの人生でずうっと「正しいこと」に目を背け続けるのだろうか、それはどんな人生になるのだろう、

 と索漠とした気持ちになる。


 先月、正田に失礼なことを色々言った人がいて、その人はその後も「間違ったことは言ってない」と意固地になって凝り固まってしまっているのだときいた。

 あたまが凝り固まって事実は何かということにも意識を向けられなくなっているときというのは、身体はどんな状態になってしまっていることだろう。


 たぶん、ほかの色んなことに対しても心と身体が開かれていない、部分的な認識しかできない状態になってしまっているのではないだろうか。


 過去に正田とトラブルを起こして物別れになった人と何かの拍子に鉢合わせすると、とても強張った、心を閉ざした表情になってしまっていることに気づく。いやわたしと会ったからじゃなくて、先方はわたしに気づいてないことも多い。


あー。
あとでひょっとしたら、と思った。
正田を面談室とかで間近にみた男性は、
「自分の話をきいてほしい」
と思っちゃうのかもしれない。
「そうですよねえうんうん、なるほど〜、おっしゃるとおり、お気持ちはよくわかります、それからどうされたのですか?」
って、共感的な口調とか表情で言ってほしいと思うのかもしれない。

そうしないから怒りが出ちゃうのかもしれない。

でもそれは有料のお客さんにしかしないですよ。

当方が言いたいことがある、要望したいことがある、
だからあえてアポをとって面談に足を運んだ。
あなたの話をお聴きするために行ったわけではない。
そして、先方が当方の知見により間違ったことを言われたらやっぱり反論する。
また、当方が「あれもしてきた、これもしてきた」と言って大量の資料も出しているのに
「何もしていない、よそと何も違いはない」
と言われたら、
いくら「否定してはいない」と言ってもそれは否定でしょう。
「ああ、正田さんはあれもしてこられたのですね、
これもしてこられたのですね」
と「行動承認」の形で話し、それを前提として次の議論をする、
それが「否定していない」ということだ。


その「行動承認」の部分がないから「不毛だ」と感じるんだな。

やれやれ、
「わたしの作る世界を拡げることはなんと難しいのでしょう」。

でもやっぱり「行動承認」決定的に大事ですね。


ヘイトスピーチ・・・。
わたしに何かできる余地ない。
社会に「テストステロン―ドーパミン連合」が溢れている。
女性に対する態度も、そうなんじゃないだろうか。


そして、これだけ「やってる」人に
「あれをしてない、これをしてない」(事実として、「やってる」ことまで含めて)
という人は、
たぶんそれも「依存」なのだ。
こんなに「やる」人なのだから、本人に何もかもやってもらえればいい、
と「過剰期待」をするという。
とっくに1人の人間ができることの限界を超えているのに。
みんなそんな人ばかりだ、珍しくはない。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

年末から引き続き、昨年11月に「承認」「傾聴」「質問」の全3回の研修を企画・アテンドいただいた関西の某経済団体の研修担当者・Nさん(30代後半、男性)のインタビューをお送りします。


 全4回の最終回。恐らく今後最大の難関であろう「2人目以降の講師はつくれるのか」などを中心に・・・。



****

柔道有段・凄腕担当者がみた「12年1位」の研修とは(4)―未来への想像力、幸せを願う気持ち


■嫉妬のマネジメント、「認められてない」感覚
■2人目以降の講師はつくれるのか
■ネット情報提供へもリスペクトを
■未来への想像力、幸せを願う気持ち


■嫉妬のマネジメント、「認められてない」感覚…



正田:Nさんに変なご質問をお伺いしてみたくなったんですけど、ご担当者の方は「嫉妬」ってなさらないのでしょうか?わたしが受講生さんに「超接近戦」で接して、宿題にも細やかにコメント書いて、というのをご覧になって、「ぼくもあんなふうに接してほしい」っていう「嫉妬」をお感じにならないのかなあと。これ、しょってるかもしれないんですけどこれまで経験したご担当者さんとの「悩ましい関係」の中にどうも「嫉妬」の要素があったような気がして、あえてお伺いしてみたいんですけど。


Nさん:そうなんですか。嫉妬がいかにして起こりうるのかを考えたのですが、ちょっと想像がつきません。アテンドしてる時は、そんな心の余裕はあまりないのではと思うのですが、世の中には、いろんな方がおられるんですね。


正田:変なご質問してすみません。そういうことが意外に多い気がしています。
 Nさんはお仕事のミッションとか「本筋」の感覚がはっきりされていらっしゃいますよね。世の中そうでない方も残念ながらいらっしゃるので…。そういう方には、研修の中でわたしがお見せする「愛」の要素は「目の毒」なんだろうと思います。


Nさん:先生ご苦労されますね。


正田:色んな種類の苦労がありますよ。
 難しかったなあと思うケースでは…。昔、うちの地元の経済団体さんでセミナーをやらしてもらったことがありました。雇用調整助成金なんとかセミナーというので、市場環境でレイオフかなんかしてる休眠状態の従業員さんに、遊ばしておくのはもったいないから勉強させなさいという趣旨のセミナーで、受講料無料。それの場合は参加する人のモチベーションが低いというのは最初から分かっていたんです。それで「正田さんしんどい思いさせるかもしれませんよ」ってそこの経済団体の上の方の人に言われて。講師をしましたけれど、案の定こう(突っ伏してる)だったし、告知もこういう研修だと分からせるような告知をしていないから、まったく事前に内容が分からないまま、5Sセミナーの次のコマにこれ(承認研修)を受けた、という感じです。


Nさん:はいはいはい。


正田:寝ますよね。


Nさん:固定観念としてそういう状況があって、ましてや本人さんがそういう休眠の状態、来ただけでナイスファイトですよね。またそこに当てがわれたというか、お招きした先生は大変ですよね。生徒にやる気ないのに。


正田:5Sセミナーの先生はやっぱり職場の色んなビフォーアフターの写真を入れながらお話をされたので、そちらのほうが具体的で分かるんですよ。人に対してどうするこうする、の話よりは。それの後だった、というのもかなり損しただろうと。


Nさん:それは休眠されてる社員さんですよね。何らかの原因があってお休みされてる方ですよね。ということは、そもそも認めてくれる人がいないという状況の方。「いい話やけれどそれホンマの現実社会であったらいいなあ」という先入観があるのかもしれないですね。


正田:そうですね、あまりにも究極の「認めてもらってない」セミナーだったかもしれないですね。
 そのセミナーに限らず、何でも「お前ダメだから行って来い」という送り出し方をされたら、「認められてない」マイナスの状態から出発して「承認」のお勉強ができるかというと、普通できないですね。選抜の段階でよく出る問題です。


Nさん:ホンマに、大変やったと思います。
 だから、管理職から変えていかなあかんというのは本当。下からボトムアップというのは、なかなか難しい。
それをしてもらえる働きかけが、コンサルティングでも研修でもどこにどうやって生まれているのか。本当に先生のされているところしかないと思うんです。
 僕の考えでは、今後信頼できる賛同者の方が沢山増えて、「ホワイト上司マップ」みたいなものが出来て、就活の人の役に立つといいのかも。そういうことも普及活動のお役に立つという気がします。「ホワイト上司マップ」という名前がいいのかどうか分からないですけど(笑)。


正田:企業じゃなくて、人ですよね。


Nさん:そうです、企業単位だと結局色んな人がいるから。先生は人にピンポイントで、その人を変える、という取り組みをされていますよね。ホワイト企業の中にもクラッシャー上司がいるという可能性は大いにあるわけだから。


正田:ありますね、ありますね。


Nさん:僕はそういうやり方ってどこにもないことだし、やる価値があるのではないかと思います。最初にお話させてもらった時申しましたように、社会問題の解決になるのではないかと思いますし。
 みなさん、「上司を変えることが大事や」と気づいている人は多いんです。でもそれを具体的にどうするの?というところに関しては、具体的な手法というのはあまり聞いたことがないですね。
 だからこの「承認」は重要な意味を持ってくる。
 みなさん知らないから。先生が長いことやって来られていることも。
 でも、本(『行動承認』)もこれだけ認知されていますんで、時間の問題かもしれないですけど。
(この後2015年1月、パブラボ社での絶版が決定。このあとの展開はどうなるんでしょうか…)


■2人目以降の講師はつくれるのか


Nさん:会社の仕事でもそうですけど、仕事でお客さんに喜んでもらえる人が「仕事できる」って評価してくれるところって中々少なくて、そういうこと以外の要因が出世の要因としてあると思います。仕事ができるという判断とは別に人間が勝手に序列をつけたがるということがすごく気になってまして、何を基準にそれを判断するの?と。


正田:公正な判断基準がない、ということは今、あらゆるところでききますね。長い間それに対する処方箋がなかった。


Nさん:先生はご自分でそうやって事業をされていると、判断するのは全部お客さんですよね。自分がやったことがダイレクトに反応として返ってくる。そういう中で色々な経験もされながら、やめることなく継続して前に進まれている。
 僕らが言うのは簡単だと思うんですよね。でも先生は見せへんところで大変な努力があって、自分を律してされていると思います。
 努力の天才ですよね、多分。


正田:この仕事は確かに若さだけではでけへんですね。「計算して落とす」というところはどうしても必要です。


Nさん:やっぱりそれってホンマに大きな仕事じゃないですか。


正田:大きな仕事だけれども、多分仕事が軌道に乗ったとしても収入は僅かだと思いますね。かつ、最近色々あって、落語家さんみたいに内弟子修業、徒弟制度のようなものがやっぱり必要だとしみじみ思いました。
 結構フェイスブックのお友達も何人か「それ徒弟制度だよね」「必要だよね」「うちの業界にもあるよ」と色々書いてくださって。


Nさん:冗談抜きで研修って、先生のあれを真似できるかというと、しゃべる言葉を憶えて順番も憶えて、なんて誰もできないし、それを何年かかけてというのはかなりみんな苦労すると思います。大事な根本的なところに流れているものを理解するのが。


正田:うーん、どこにOKのラインを設けるかですよねえ。
 わたしはこれまで「もう(承認を)教えてもいいですよ」ってほかの人に言って、痛い目に遭ってきたので、以前の失敗の同じ轍を踏みたくないとは強く思ってるんです。でもじゃあ内弟子修業というのはどういう風にやるのが正しいんだろう、というのはわたし自身分かってないんです。多分落語家さんがやるみたいに「おい『時そば』しゃべってみろ」って言って(笑)「今のじゃ伝わらんな」とか(笑)


Nさん:ですよね(笑)
 それだけ熱心に学び取るというのはどれだけ大変か。「感じ取る」だけでも大変。


正田:どういう人が「第2の講師」の候補になるでしょうね…。その人のこの社会に対する夢のようなものをお持ちになっていたとしたら。「夢」という言葉は曖昧で本当は嫌いなんですけど、こうあって欲しいという望みをそこに載せられるようなものだったら、一緒にやってもらえるんじゃないかと、わたしはちょっと儚く望んでいるんです。
 ただ、設立から6年経った今、NPOのままではそれはできないな、と思っています。NPOという名前をきいただけで、会員さんもON、OFFの感覚でいうとOFFの感覚でみなさん来られてしまう。するとこちらの「最高の仕事をしてご提供したい」という気持ちがそがれてしまう。
 そういうのはその人自身の感覚をいくら改革しようとしても、奥さんとか周りの人の感覚までは変えられないので、永遠に不可能なんだろうと思います。


Nさん:わかります。


正田:わたしは「最高の」という言葉を人を傷つけるために使いたくない。だからそこに人を駆り立てることはあまり出来ないんです。ただ、わたし自身が最高の仕事を提示し続けることで皆さんに何かを感じてほしい。「これに近いレベルのものを自分も提供する側になろう」とみなさんに思ってほしいと思ってやってきました。でもそれは「NPOの会員さん」には通じないんだな、と。



■ネット情報提供にもリスペクトを


Nさん: 僕はもう半年ぐらいメルマガとかブログを見させていただいてるので、初めから知っていたようなつもりになっちゃうんですけど、先生のブログの記事で「(相手の発言に対して)これってわたしが書いたことだよね」と感じるという、実際おありだと思いますけれど、ああいう錯覚が出ると思うんです。あの仕組みはなんでああなのかな?と。
 聞いたことあること、イコール自分が発見したこと、みたいな錯覚に陥ることがあるようですよね。それって失礼な話ですよね。


正田:ああ、わたしの「出典明記主義」はその意味もちょっと入ってるかもしれないです。武田建氏が発見したこと、太田肇氏が発見したこと、彼らの膨大な読書とか勉強から見つけてきたことで、そのプロセスにリスペクトを持たなかったらわたしは人に伝える資格ない、と思っていますね。
 そして本音を言うと、わたしのブログに書いていることも、わたしの読書と経験、観察を丁寧に照合した結果生まれてきたもので、ほかの人がまだだれも言ってないことも随分書いているのだから、もう少しリスペクトしてもらえないのかな、というのもあります。


Nさん:はいはい。
 それこそ先生が発明したことを「自分は元から知っていた」と勘違いしたとしたら、すごい傲慢じゃないですか。それをよくよく考えんと。
 僕が「一」から身に着けたものじゃない。先生が長い時間かけて発見されたことを学ばせていただいているわけですから。僕は一瞬勘違いして「できるかも」「やってみたい」と思ったんですけど。


正田:難しいところですね。みなさんが最初の一歩、職場で実践する時には、その「できるかも」「やってみたい」という気持ちの高ぶりのようなものが必要だから。
Nさんみたいに、「自分が勘違いしてるかも」という内省をする方は、むしろ珍しいんです。
わたしはずっと低姿勢でNPOの「仲間」に対してきて、
「みなさんがいてくださるから」
「みなさんが一緒にやってくださるから」
と、自分の受けた恩恵を主に言ってくると、みなさんその言葉の通り受け取っちゃう。


Nさん:「その奥を感じろよ」という話ですね。


正田:ある程度は仕方がないのかな、とも思って目をつぶってきた部分がありました。今回、「それじゃダメなんだ」としみじみ思ったわけですが。
 でも、今度は「じゃあわたしにとって本当に『仲間』と呼べる人なんて本当に誰なんだろう」と思ってしまったんです。
 Nさんは今度貴団体でご自身で主催してシンポジウムをされるということで、頼もしい。その経験をいつかうちの団体にも還元してくださいますように。


Nさん:修行します(笑)


■未来への想像力、幸せを願う気持ち


正田:わたしは一つの研修を実現するのに交渉に次ぐ交渉を重ねてやっと(実現する)、なんですけど、実現したときの「一般職の人たちを含めてどれだけ幸せになるか」というのが見えてなかったら、辛気臭い交渉なんかしないですよ。


Nさん:そりゃそうです、うん(笑) そこがなければね。


正田:それは本当に、ブログにも書いたけれどちょっとした未来に対する想像力だったり、幸せを願う気持ちだったり、それらが強くなかったらできないんです。


Nさん:そこまでやって本当に喜びにつながっていきますからね。


正田:これ(承認研修)は演劇でも音楽でも絵画でもない。それらも素晴らしいけれどまったくそれとは違う力のあるものなんです。


Nさん:それはそうですよね。
 時代が一番望んでいることですよね。一番足りてない。
 いつもこれとは違うことで誤魔化す、というと言葉は悪いけれど、突飛なインパクトの強いものでカンフル剤的に紛らわすということをしますけれど。肝心なことは何も変わっていない。そこへ行くと「承認」は凄いなあと。


正田:そうですよね。
 これからも大事にやっていかせていただきたいと思います。
 こうやって深いレベルのご理解をくださった心温かいNさんとご一緒にお仕事できたことは、本当に貴重な経験でした。ありがとうございました。
(了)
 

****


 全4回の連載はこれで終了です。いかがでしたか?

 少なくとも今生きている世代の人は生まれてから出会ったことがないであろう研修が「承認研修」です。

 是非次の担い手の方が出て来ていただきたい。
 そのためにもこうして真摯に味方になって発言してくださる方が出るのは得難いことです。

 一昨年より去年、去年より今年、少しでも前進していると感じられますように―。


 そして貴重なお話をいただいたとともに、4回にわたり休日を潰してインタビュー起こし原稿の校正をしてくださいましたNさん、本当にありがとうございました!


 このところ阿修羅のように闘っていた正田も「ほっこり」させていただきました・・・。


****


Nさんに「仁王像」になってください、とお願いしました。

しかし中にいるのが阿修羅みたいな女でしかも最近ちょっと品位が。。



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 久しぶりに「柔道有段者Nさん」とお話する。

「最近のブログえらい怖いなあと思ってみてたんですけど、何があったんですか」

と心優しいNさんは言い、

 それに対して実はこうこうで、と「予定稿」の内容も含め事情をお伝えした。このために身体の生命力が吸い取られていたんです、とも。

「なるほど、『塩漬けにされる恐怖』ですね。分かります。それは離れたほうがいい」

とNさん。


****


 「原因は100%自分にある」という教えのもとで「塩漬け」という現象が起こりやすいことも、ちょっと考えればわかるのだ。

 「手柄は全部自分のもの。自分に帰すことのできない手柄は『ない』ことにしちゃっていい」

ということにつながるもの。
 
 怖い宗教だなあ。


****


 このブログでは以前、

『独裁力―ビジネスパーソンのための権力学入門』という本の読書日記を載せました。

http://c-c-a.blog.jp/archives/51887844.html

(すみません、先ほどリンクが切れていたので直しました)


 ヒットラーも良くないしプレゼン上手で真実味の薄い首相も良くないけれど、いっぽうでわたしの恩師・故中嶋嶺雄氏は大学の教授会の不毛さを東京外大学長時代に知りぬいたすえ、自ら設立した国際教養大学では学長のトップダウン体制を実現してしまった人でした。


 そして上記の記事にもあるように、「お客様のため」に「副作用斬り」という汚れ仕事を誰も理解してくれないのにやり続けたわたしも、手痛い失敗を散々経験したすえに「トップダウン志向」になっています。

 「賢人政治」というのもひょっとしたら大事なのではないかな、と思ったりしますが票のとりにくい考え方ですね。


****


小包

マーマレードタルトから食べている
おいしい
無駄な金使うな
返事はいらん




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 昨日の記事でお知らせしたように「出版社の社長」から「絶版等契約書」の押印したものをメール送付いただき、同時に郵送もした、という連絡を受けた。


 ので、当方では最悪の事態に備えて今朝8時に期限をきって大量の「予定稿」を準備していたのだけれど、それらを掲載しなくて済みそうだ。

 
 ただ今後も「誠意ある対応」が必要なので、先方の動きを注視する。主な要望点はレターパックによる契約書送付、在庫分は先方で販売して良いのでAmazonの在庫補充などである。


 

 「原因は100%自分にある」という自己啓発本のフレーズの作用は、読者の年齢層によってまた個体によって出方が色々なのだが、

 ひとかどのビジネスパーソンが信じ込むとこういう困った事態が起きる、というのもみた。


 本来、真実とか誠実とは個人の中に100%あるものではないのだ。人と人の間にあるものだ。商売人は信用が何より大事。

 その「基本中の基本」を忘れてしまう、というか前提条件を欠いてしまう、とどうなるかというと、

 例えば、だらしない性格により約束をなおざりにし、人に去られ、その都度「すべては自分の中にある」ひゅう〜、とつぶやく、ああ無常、みたいなことが起こる。多分もうそういうことを死ぬほど繰り返しているのではないかと思う。


 とにかく「去る」のがいちばんである。


あと、このプログラムには「感謝」が組み込まれてないんだね。わたしの行動をみてわたしの方に感謝がないと思うかもしれないけれど、FBメッセージのやりとり等をみるかぎり感謝は明らかにわたしの側の「出超」で、この人の側は「してやってるんだ」と「下」にみる発言ばかりだった。大新聞に書評が載ったというのもこの会社始まって以来の快挙だったはずだが、わたしの方で「いい本を出してくださってありがとうございます!」と言ってるけどこの人の側は何も感謝とかなし。「いやいや正田さんがいい本を書いてくださってありがとうございます」みたいなのは、全然なかった。そしてそれを受けたアクションというのも一切なかった。手土産持って行っても社員さんも礼を言わないし、「自分原因教」は「感謝しない教」でもあるみたいだ。



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このブログで「自己啓発セミナー」「自己啓発本」について、あまり深入りして論じたくない。去年暮れも1冊読んで、「自分の血が汚くなる」のを感じたから。テストステロン―ドーパミン連合、つまり「悪」の匂いを感じたから。

自己啓発セミナー等の源流についてご興味のあるかたは、

もしお時間が十分にある方はこちらの記事をご覧ください
(読書日記です。最近はこういうガッツリした本の読み方をしてないなあ):

エスリンでうまれたものと日本(2008年5月)
http://c-c-a.blog.jp/archives/51344385.html


続・エスリン研究所―実験と成功と失敗の歴史 (同)
http://c-c-a.blog.jp/archives/51344817.html


要は、アメリカ心理学というのは1960年代からバカな実験を繰り返してエクストリームな方へ行っていて、その中から今の自己啓発セミナー、自己啓発本につながる流派が生まれ、またそれのうちの1つがわが国の大手コーチング研修機関に「進化」したりしました(有名な話であります。えっ、しらなかったの?)
以前に取り上げたNLPもエリクソンの弟子と銘打っているがこの流れのようだ。


正田の私淑してる「行動理論」の武田建氏(関西学院大学名誉教授)はそうしたどぎついきわどい素人を惑わす心理学の一連の流派を、「ビジネスコーチング」も含め、徹底的に嫌った人でした。そういうのもあまり知られてないことですよね。


その武田氏が、今時のコーチングの徒だった正田を大学院の聴講に受け入れてくれたのは(2007年のこと)、不遜ながら多分正田がその当時から現代のビジネスコーチングに疑問を感じそれをこのブログでも発信していたのを信頼してくれた、のではないかなあと思っております。そこはご本人に訊いてないんですけど。

―あとから思い出しました、武田氏が2007年、当時のCLS(NPOの前身)主催の講演会に来て話してくれたのはさらに驚異的なことだったな、と思います。かれが講演の中のスキナーの説明でイヌの真似までしてみせたのは、「行動理論家」としての強固な誇りゆえだったと思います。おっさんまだ元気かなあ―



なんであんただけそんなこと知ってるんだ、と言われると、よくわからないですけど正田、記者時代から特ダネ記者でしたから。としか答えられないなあ。
「広島のハタケヤマ(旧姓)から、独自(特ダネのこと)!」
っていう東京のデスクの叫ぶ声を何度電話口できいたかしら。

あっ、その要素があるから新聞記者さんには嫌われるんです、たぶん。わかりますよねそういう気持ち。


なので、まあこのブログの長い読者のかたはみなさん正田のことを信頼して読んでくださってると思うんですけど、たぶんそのまま信頼してくださって大丈夫です。はい。


自己啓発セミナーの有名なフレーズに「すべては自分の選択である」というのがあり、一見間違ってないように見えますけど場面によって個体によってはおかしなことになるんです。まあいっこ前の記事にあるように、「ブラック企業をガマンしましょう、わるいのは自分教」になっちゃう可能性もあります。わざわざあえて言う価値のあることかな、と思います。今はやっている女性向け自己啓発本のフレーズにちょっと似てますね。その古いほうのフレーズは今コーチング研修機関に「化けた」自己啓発セミナー研修機関の教祖の人が言ってましたね。

あっ、よく見たらエスリンの一本目の記事にこの人物のセミナーの模様を紹介してますが、現代のミニスカ女子を集めた自己啓発セミナーもこんな感じ違いますか?結構な高額らしいですねえ。社長お持ち帰りし放題w


ああそれでね、正田が「行動理論ー承認論」っていう心理学のごく浅い分野をやってると、得意そうに「もっと高度なこと知ってますよ」って振り回してくる人がいますけど、前にも書いたけどそういうのは「ニンフォマニアック」に出てくるおばちゃんと一緒でただの悪趣味ですw ごめんね言い方えげつなくて。でもそういうおバカな人があまりにも多いからw



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追記
たった今、パブラボ社菊池社長からメールPDFで、押印した「絶版等契約書」をいただきました。同様のものを郵送でもくれるそうです。
厳密には当方で「生」で押印した、レターパックで郵送した契約書を郵送で返送してもらうのが後々トラブルがないんだと思いますけどね。

「出版社の社長」に「レターパックプラス」で「本」の絶版契約書2通を発送した。返信用の「レターパックライト」の封筒を同封した。

レターパックプラスの追跡番号:1277-5534-0064
レターパックライトの追跡番号:2263-9544-0320

こんなこともブログに上げておかないといけない時代なのだ。
何かの理由で会社にあまり長居できず、郵便物も山積みなのだときいた。

読者のみなさま、この人物が1日も早く正しい行動をとれるよう声援を送ってあげてください。


一応「絶版」「版権放棄」についてはFBメッセージにきっちり言質がある。

あ、言わなかった?正田は司法記者経験あるしうちのお兄ちゃん判事だし。これまでのブログの文章見ていて気がつかなかったかな。嫌なヤツだなあ。



決してこの人のことだとは言わないけれど、
意味のない悪意で凝り固まった人のことは「性悪説」でみないといけない。



ーまあ、悪意の源泉が何かもちょっと察しがついている。簡単に言うと、この会社にとって「自社の営業努力」以外のところでこんなに賞賛された本もなかった、想定外の事態だったのだ。かつ、この会社でマーケティングを一手に担当している社長自身が編集作業をした本ではなかった。編集者5人ほどの会社と言うが。社長は11-12月、自分がとりわけ思い入れのある若い女性向けの自己啓発本(正田からみてロジックめちゃくちゃ)の編集と販促にかまけ、その結果何が起こったかというと…

この手の本を読んで若いミニスカ女子に何が起きてしまうんだろう。私の娘ぐらいの歳だ。
細かい批判・反論は後日に譲るとして、例えばの話表紙の裸体のモデルさんにインスパイアされて40の出版社の独身イケメン社長と一夜の間違いを犯してしまっても、「全部原因は自分にある」と思ってガマンするしかない、泣き寝入りのすすめ。著者と社長が結託してそういう構造になっているようにもみえる。この著者やり手ババアやなw 毒牙にかかる良家の女子がいないことを願う(ま、それは冗談だけど見方によっては「蟹工船のすすめ」「女工哀史のすすめ」にもなるだろうね)

そしてわたし自身は出版社の社長とか編集者の立場になったことはないから想像するほかないが、どんなに外部の賞賛を集め社会を幸せにする力のある本であっても、自分が仕掛けていわば自分の手柄にならない本というのは「可愛くな」くて、塩漬けにしてざまあみろと思うということがあり得るかもしれない、普通だったら、これだけ賞賛されてる本に「選択と集中」すると思うけど、それが理性的な判断だと思うけど、特に性格体質的にドーパミン(承認欲求とかナルシシズム、嫉妬に関わる神経化学物質だ。あと性欲も)の多い人物にはー

 親しい人たちとのやりとり。

 「親密性」のわたしには何よりの栄養。


 11月頃から諸々体調を崩してしまい、12月のある週には1週間で牡蠣600gを料理して食べ(同時にジェネリック医薬品5種類を2クールのんでいた)それでも風邪がぐずぐずと治らなかった、ということが起きた。インフル予防接種はしていた。


 そういう経緯をフェイスブックにはちょこちょこUPして、お友達の皆様から心優しい言葉をかけていただいていた。


 (なお、フェイスブックのタイムラインはお友達だけが見れる設定です。新規のフェイスブックお友達承認は、ご職業ご経歴または周囲の方とのやりとりがわかる方に限らせていただいています)


 あるお友達からの最近の嬉しかった言葉。

「まだまだ教えて欲しいこと多くあるし、恩返しも出来てないし、だからまだまだ生きていてください。」

 過去に受講してくださった優秀なマネジャーさん。『行動承認』にも1か所実名で登場されている。


 嬉しかったけど、なんとお答えしていいかわからなかった。

 心には、まだ意志は「ある」。でも体がこれまでと違う。


****


 『行動承認』は、読まれた方には言うまでもないのだけれど、わたしという人間の価値観の世界だった。

 中には、「女性」「外国人(中国人)」「障碍者」「高齢者」「鬱の人」「がん告知を受けた人」などのモチーフを配している。

 それぞれ変な誤解を生まないよう、論理にも表現にも細心の注意を払って「ともに生きていく」ことを提起したつもり。


 どんなに、それこそテン(、)ひとつ打つのにも腐心したかわからない。

 わたしにとって最後の著作になるかもしれないとおぼろげに感じていたから。


 一瞬だがともに美しい夢をみた、でも瞬間風速だった。

 この苦しみを早く終わらせて、とひたすら願う。


※ また蛇足ですが、「承認」「行動承認」の論理形成のプロセスについては前著『認めるミドルが会社を変える』に、もう少し詳しく書かれています。中古で安く手にはいると思います


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 このブログでは去年の暮れに「某魔性の女性研究者」についての見解をいちどまとめておいた。その直後に年末の回顧番組やコーナーが花盛りで「あれはなんだったのか」とまた嬉しそうに彼女の容姿をなめるように映した映像が出て。は〜。

 このブログでの辛辣な記事をこころよく思わなかった読者のかたもいらっしゃったようで、そのせいで嫌われたカナという対応にも出会う。
 でも、人材コンサルタントの端くれ(笑)としては、やはりああいう見解をきっちりまとめて発表もしておいたほうがいいように思う。


 「女性活用」―近年は「女性活躍推進」とよりウソくさい言葉に言い換えられている―をまじめに考えれば考えるほど、「魔性の女タイプ」って現実にいるよね、という話になり、恐らく何十人に1人かで出現するそういうタイプの女性を職場でどう扱えばいいのか、という話になる。
過去に「何が何でも女性活用」をした先に何が起こるのか、みたいなことを書いたときイメージしたのはこういうことだったかもしれません。公正な基準がなかった場合には「実力より愛嬌」ってことにすぐなると思う。


 ―ちなみに先日化粧品売り場に行ったら「魔性の盛りまつげ」という商品があって笑いました―


 で具体的な研修企画の段階になると、必ず「女性パワーアップ研修」をしよう、という話が出る。女性たちは同性で寄り集まるとすごい勢いで話してフラストレーションを発散させるので、そういう企画をするとああいいことした、モチベーションアップした、みたいな気分になる。「無難な企画」というか。


 しかし、とわたしは思う。
 ―このブログでは去年秋、「女性意識改革研修」のオファーをお断りしてしまったお話も書いた―

 仮に「うちの隣の島の研究機関」で「女性パワーアップ研修」と称して女同士でおしゃべりする研修を企画したら、どんなことが起きただろう。
 「魔性の彼女」に対してそれ以外の女性研究者は非常に厳しい視線を向けていたという話だけれど。
 女性同士で、相互学習機能を発揮しただろうか。どう思いますか。


 わたしが予測するのは、

1)「彼女」がほかの女性からつるし上げられる(でも正義はほかの女性にあると思う)

2)「彼女」が1)の事態を予測して欠席し、ほかの女性同士でぶつくさぶつくさいう。「大体男たちがだらしないわよね」と。こちらのほうがありそうだな。


 どちらにしても、あまり建設的な図ではないと思う。

まあ「魔性の女性」がいなかったとしてもですね、これまで2回ぐらい女性コミュニティの講師をしてますが(少ないでしょ)思ったのは、今ひとつ「女子会」とのけじめがつかないということです。「ああおしゃべりするって楽しいわねえ」というレベルの満足で終わっちゃう、だったら講師あたしじゃなくてもいいじゃん、というのも正直思いました。
あたしはやっぱりごついおっさん集団に研修してるのが面白い。(変な趣味だ)

 ではどうしたらいいのか、というお話だけれど、

「結局、『一言居士』と言われてもそこは『承認』なんです」

とわたしは言う。

 著書の中でもいくつかのエピソードに女性活用の場面が出てきて、それぞれ業績向上にも大きく寄与する。


 「上司(多くの場合男性)が『行動承認』中心の『承認』をおこなうことによって、女性たちも『けれんみなく頑張る』ようになるんです。『けれんみなく』というところが大事です。

 魔性の女性研究者、あのひとがなんであんなモンスターになってしまったのか。わたしは上司の責任だと思います。芽が小さいうちに摘むべきだった」



 「承認」しか知らんのか、と石を投げられるかもしれないが、結果としては現実にそうなっている。「承認」を実践した上司のもとで、ややひねくれていた女性が変わった、素直に頑張るようになった。すごいパワーを出し業績を出した。

 それは人の働きを日々、「行動」という最小単位に還元して観察し隔てなく評価する上司の姿勢から、そうなる。


 「この教育」不在のところでは、上司がやっぱり微妙なスケベ心で女性たちを見、たぶん肌の白さとか小首を傾げて話す表情とかに見とれるのだろう。それは上司の心の隙でもあるし、「視線」を体育会的に鍛えるトレーニングを受けてないからでもある。


 「魔性の女性」の存在を許しておくと、やはり社内の気風、とりわけ女性たちのモチベーションには真剣に影響する。なのでこのブログでは「人材のプロ」として態度表明することを許していただきたい。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

わざわざ単独の記事にするほど価値のある情報ではないのですが。
本日パブラボ社の菊池学社長とのFBメッセージのやりとりの中で、同社が『行動承認』の版権を放棄することにご同意いただきました。
読者の皆様、これまで『行動承認』を愛してくださり、ありがとうございました。
同書の在庫分は引き続きパブラボ社から販売されます


100年後に誇れる人材育成をしよう。


 これはいまだ答えがない話ですが、

 大人向けの研修やセミナー、ワークショップで「責任感」をつくるのはほとんど無理、なのではないか、とわたしは思っています。


 よくある心理学系のセミナーで「表現力」は伸びます。人前で臆せず話し、高らかに謳いあげるように語ったり上手に話の辻褄を合わせたりします。


 それをもって、「セミナーで自己実現した」と思うむきもあるようです。
 しかし、ちょっと考えればわかるように、「表現力」とか「話す技術」は、「実行/行動」という、仕事の能力として最優先で大事なものとはまったく関係がありません。
 一見「自己実現」にみえても、それは「表現力」に偏った、つまりわたし流にいうと「キリギリス能力」だけに偏った成長/能力向上なのです。


 たとえば、何かのトラブルを目にしたとき

「今自分が行動しなければ何が起こってしまうか」
「お客様に、ひいては会社や同僚にひどいダメージを与えてしまうことになるのではないか」
「じゃあ、(疲れてるけど、めんどくさいけど)自分が行動しよう」

 そのように思う思考回路というのは、セミナーでつくれるわけではないのです。「苦痛だけど、でもやる」という思考回路。


 何がその原動力になるのでしょうね・・・、「愛」ともいえるし「体にズキンとくる感覚」ともいえるでしょうか、それはちょっと自分の感覚に頼りすぎてるかもしれないですが。


 また、

「自分が言ったことはやりとげる」

 それを、見栄つまりナルシシズムで動かされるのではなくそのとき言った相手への、あるいは自分自身への誠実さを原動力に行うか。


 あるいはまた、

「行為責任」

 ―これをやったのはあるいはやらなかったのは私だ、という感覚。

 まれな例として、アサーション/アサーティブネスのセミナーでは、「NOを言う技術」を教えるときに

「あのとき引き受けてしまったのは私の責任でもあるのですが」

ということに言及しなさいね、ということも言います。心理学のセミナーではほんとにまれに「責任」ということに言及します。
(ただ、実習の中で注意点としては与えますがそれほど重きを置いているともいえない)


 私見では心理学というのは、大筋こころを病んだ人を治す/癒すことを目的に発展してきた学問なので、「責任」というのはそこではそんなに重要ではなくて、むしろ「肩から責任を下ろして『らく』になりなさい」という文脈のほうが強いのではないかなあとわたしは思います。


 「責任」を教えるのは教育や倫理学の分野です。また、生まれつきの個体差もかなりあるようです。


 わたしの場合はなんだったのだろうか、目立ちたがりではなかったですが学級委員には、よくなりました。あとは高校までは、「社会人としての先生の立ち位置」というのはそんなに意識してなかったけれど、大学後半で師事した恩師は当時50前後でまだあっちこっちとよく「闘う」人でした。


 子供には、犬の散歩を輪番制でやらせて女の子2人は当然のようにやっていたが、男の子は比較的逃げ回ることが多かった。


 このブログでその過程をかなり詳しく書いていたのですが、男の子に関しては小学校5,6年のときの男の担任の先生が大変見込んでくださり彼に可能な範囲の仕事をどんどん与えてくださり、その当時は親からみてもかなり「責任感」が育っていた。ところが中学で心無い先生に遭い二度と責任ある役割を引き受けなくなってしまった―簡単に言うと「過剰期待」で潰された、ということです―


 たぶん男の子の思春期には先生との出会いがかなり大きくものを言うのではないかと思います。いいにつけ悪いにつけ。


 そのときの5−6年の担任の先生にはその後「教育者インタビュー」でも登場していただいていますが、その先生のノウハウというのは子供たちに仕事を与え、達成したら褒め、というのをこまめにされているのでした。「責任感」というのは、そういうふうにして子供時代を通じて育つもののようです。


 子供のころそういうプロセスを経ないで大人になった人に、とりわけ男子に、「責任感」を教えることはできるのだろうか―。

 少なくともセミナーでは無理だとわたしは思います。

 じゃあ「先生」の役割を果たせるのはだれなのかというと…。




100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
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 気持ちとしては社員10人ぐらいの規模の会社に期待したいのだけれど―、

 そういう会社の1つで起こった話。


 自社主催で「目標設定」「未来の夢」に関するセミナーを開催した。
 数か月後。


 この会社は仕事量が増えすぎ、恐ろしく仕事が「雑」になり、既存顧客との約束が果たされず顧客からクレームが次々上がった。投資してもそれについて十分な施策をとらなかったため投資をドブに捨てる形になった。


 何が起こったのかというと、恐らくこうなのだ。

 「目標設定」ということに生まれつきワクワクしやすいドーパミン過剰なポジティブな体質の人がいる。また下手に体力があり長時間労働ができる体質の人がいる。
 そういう人がこの手のセミナーで「洗脳」というかそういう脳の配線を「強化」されると、例えば壮大な目標を掲げて、そのために昼夜をわかたず突っ走り、仕事量を増やし、その分「質」がおろそかになる、ということが起きてしまう。
 会社としては異常な状態である。


 過去にも、某心理学系のセミナー(目標設定プログラムを含む)で「洗脳」されたご同業の方が当団体の営業資料を「盗用」する、ということが起きた。
 「目的のために手段を選ばない」ということすら、起きてしまうのだ。目的のほうに目が釘付けになってしまい手段のもつ倫理的側面まで目を向けない、というか。



 そういうわけで「目標設定」を扱うのは当協会ではかなり慎重なやり方をしている。「質問研修」の一環だけど。もちろん第一段階で「承認」をみっちりやり込んで、周囲の人との人間関係をしっかり作ってもらう。

 手順も、多分受講された方はご存知と思うのだがあまり飛躍のない「目標」に落ち着くような手順で行う―それでも受講された方の「個体差」によってはやたら高い目標を掲げてしまう人もいるのだが講師のわたしがそういうのに気がつく限り「潰す」。


 「人生のビジョン」とかの壮大なものは、そこではあんまり扱えないのだが、いいのだ。
 わたしもビジョンを扱うセミナーを随分受けてきたが本当の自分のビジョンはそういうところでは出なかった。日常生活の中でフワッと「感じる」とか「見える」ときがあるのだ。自分の歴史とか大きな歴史観社会観とか、これまでの人間関係とかを総合したものだ。

 ―まあわたしの場合はその結果、「ビジョン」「夢」のような上向きのワクワクしたものより、「志―なにかをやり続ける―」とか「早くお墓に入りたいな」とかのくらい未来観になってしまうのだが。


 
 上記の目標設定セミナーの場合、詳しいやり方はきいてないのだがどうもプロを呼んだのでなく自前でファシリテーションをしたみたいである。どうぞご自由に。どのみちプロを呼んでも結果は一緒だったかもしれない。


※あとで思ったけれどひょっとしたら「目標や夢をみんなの前で宣言する」ようなやり方だったかもしれない。「ええかっこしい」の傾向のある人だとそういうとき見栄で大きな目標を言い、しかもそれに続く現実生活でも引っ込みがつかずそれに拘束されるかもしれない。


※あっ、宣伝臭いかもしれませんが当協会方式の目標設定・達成研修は、慎重な割にはめちゃくちゃ「効き」ます。質問にも「型」を教え徹底した反復練習を行い、質問される側も正しい手順で質問されるので、(なにせ「この通りやれば世界一のコーチングができますよ」という1枚ものの紙を渡してしまうので)非常に質の高い決断ができ、日常生活での決断スピードが速くなります



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
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 わたしはよくこのブログで「アリとキリギリス」の比喩を使う。


 たとえば、こちらの記事


◇「認めて欲しい」から「認め合う」へ アリとキリギリス 「『絆』社会の幸福と焦燥」に寄せて

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51827102.html


 イソップ童話のアリがせっせと働いているときにキリギリスは楽器を弾いている。

 人間にも「働く」ほうの人と「表現」の世界に生きる人がいる。

 遺伝形質としては、何対何ぐらいなのだろう―。

 キリギリスはパフォーマンスでお金をもらうけれど、それはアリが働いて余剰な富を稼いで払ってくれるからである。

 ぐらいのことは、わたしのようにお金に異様に疎い人間でもわかる。

 
 大学の先生、コンサルタント、ジャーナリスト、アーチスト等は「アリかキリギリスか」で言えば概ねキリギリスであり、とりわけ「アリの仕事の世界のロジック」について皮膚感覚でわからない。往々にしてすごく変なことを言う、「モチベーション」に関しても。


 上記の記事は、劇作家の方の書かれた「ロマンチックな」新聞コラムにわたしがかみついて反論したもので、我ながら嫌な人間だなあと思う。


 でもそういうキリギリスタイプの人ばかりが人目につくところで発言していたので、普通の素朴な人の仕事のロジックが日の目をみなかったのだ。


****


 口では「未来」についての言葉を口にするが身体が動かなくなってきている。何かが変わってしまった。

 Nさんのインタビューだけでも完成させないと。



 
  

2014 12JMあとがき1-Copy



 「月刊人事マネジメント」2014年12月号の巻末コラム「あとがきのあとがき〜著者から人事担当者へのメッセージ」に掲載された、『行動承認』の紹介記事。


 同誌編集部のご厚意により、転載させていただきます:


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主な内容
●職場を愛せますか
●「業績向上」と「優しき人の強さ」
●行動承認を学ぼう!ライブ講義
●インパクト―行動承認の効果
●ここに気をつけて!行動承認の落とし穴
●なぜ「褒める」より「承認」が大事か
●子育ても高齢者も親の看取りも


 「行動承認のマネジメント」を通じて、意外なほど簡単に職場を幸せな場所に変革できる!?本著者は、現場から管理職まで使えて、業績が好転する新手法を分かりやすく伝える。



意識の変革と業績の向上


 「『自社を良くしたい』と、制度やシステムの改革に取り組んだ人であればあるほど、実感を込めて言われること―。

 それは、どんなに制度をいじっても、最後は『人の意識』、とりわけ『管理職の意識』がカギを握るということです。

 本書は、これまで不可能とさえ思えた『管理職の意識変革』を、『行動承認』の1点に絞って伝えることで成し遂げてきたマネジメント教育について紹介しています。その方法はとてもシンプルなので、現実の管理職にとって職場に落とし込みやすく、続けやすく、その結果、売上、サービス、品質など各種指標で『社内1位』や『全国1位』を獲るマネジャーを12年間にわたり輩出し続けるという、ずば抜けた成果を収めています。

 管理職にとっても、また組織の最先端で働く一般職の人々にとっても、極めて満足度が高く成果の挙がる方法が『行動承認』なのです」



課題が次々解決する


「メンタルヘルス、女性活用、高齢者継続雇用、障がい者雇用、イノベーション、グローバル進出先でのマネジメント等々、現代の職場にはかつてないほどの課題が山積しています。ところが、『行動承認』のもとでは、それらの今日的課題が極めて早いスピードで解決していきます。

 その結果をみる限り、これらの課題は結局は管理職層1人ひとりの力量に左右されるものであり、またその管理職たちに確固たる有効な手法を学習してもらい、その担い手になってもらうことが何よりの処方箋なのだ、と言わざるをえません」



企業小説として読める


「硬いお話が続きましたが、本書はすべて実話で構成する一方で、『読みやすさ』に心を砕きました。『行動承認』のもとで起こった成果のエピソードを『企業小説』として読めるよう、改めて関係者に取材を行い、臨場感や感情の動きをいきいきと再現。現実のマネジメントのなかで、怒り、傷つき、意気阻喪し、やがて光明を見出していく等身大の管理職像を描きました。

 読まれた方からは、『我が事として感情移入して読みました!』『自分も幸せな職場を作りたくなりました!』と、嬉しいご感想が寄せられています。
 
 あなたの会社の管理職に『こういう人であってほしい』という願いが、もし本書に登場する人物たちと重なり合いますなら、とても嬉しく思います」

(了)



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
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6-2



 今日届いた。
 ふーん、留学先はディジョンだったんだ。
 なんであと1週間早く送らないんだ、バカ娘。

 年末から引き続き、昨年11月に「承認」「傾聴」「質問」の全3回の研修を企画・アテンドいただいた関西の某経済団体の研修担当者・Nさん(30代後半、男性)のインタビューをお送りします。

 後にも先にもこの人はわたしが出会った中で最高のご担当者さんだったろうなあ〜、と思います。企画・事前告知・当日アテンド・宿題督促 すべての面において。

 全4回の第3回、今回は「スライド」「指示出し」「適正人数」など研修の細かいコダワリに着眼していただきました。


****


柔道有段・凄腕担当者がみた「12年1位」の研修とは(3)―言葉の強さがわかった!


■スライドづくりの要諦「疲れさせないこと」
■実習で「指示出しの強さがわかった」
■実習と講義のバランスは
■宿題はやる意義があるのか
■「現業のマネジャーさんで助かりました」(正田)―場の空気は男っぽいか、女っぽいか
■人見知り研修講師の努力
■沢山受講させてあげたいけれど…適正人数のジレンマ




■スライドづくりの要諦「疲れないこと」


Nさん:スライドは、字が大きくて大事なところを書いていただいてますね。
 ポイントの高いところは大きな字にして分かりやすくしていただいてる。また肝心な説明は文字数をとってしっかり分かるように書いていただいてますので、すごく疲れにくい。


正田:疲れにくい。


Nさん:見ていて疲れないです。見やすい、ということです。


正田:そういう物差しって初めてききました。


Nさん:僕も経験少ないですけれど、テキストでも文字をダーッと羅列してあるのもあれば、表とかグラフ中心のテキストもあります。ちょっと分量が多いとか圧迫感を感じるようなのがあるんですけれど、その中では、先生のは簡潔ですよね。
 字も、小さいと疲れますよね。集中すればするほど疲れる。でも先生のは大きいし。僕はあまり目が良くないので。


正田:うん、みなさんそうですよね。


Nさん:ポイントを押さえてもらっているので、余計なことがないんです。教科書的に物事を追うと疲れますよね。でも見やすいようにスライドを作ってくれてるから、見やすいし言われていることもゆっくり聴ける。字を追うことに集中してしまうと、人の話が聴けなくなる。


正田:そうなんですね。
 えへへ。ささやかな自慢をしますとね。前、わたしビジネススクールに1か月半だけ行って退学しちゃったんです。ハーバード大MBA系の教育をすると銘打って、コンサルタントもよく行くところです。
 そこの入試を通って入って入学式の予備会合のようなものがあり、そこで20人ぐらいの新入生全員が、スライドを使って自己紹介とか入学の目的をプレゼンしたんです。
 全員終わったときに「だれの説明とスライドが一番わかりやすかったか?」先生が問いかけたときにみなさん「正田さん!」と言ってくれました。
 そこのビジネススクールは大学院だけじゃなく単科履修のシステムもあって、入学前にその単科をとっていた人は、その学校流のスライドづくりが分かっていたわけです。図形や矢印の組み合わせだけで説明する、という。コンサルタントさんのスライドってそういうの多いですよね。みなさんそれをやっていたんです。
 わたしのスライドもその図形や矢印もところどころありますけれど、それよりは普通の箇条書きを大きい字で書いてあげたほうが、自分にとっては分かりやすい(笑)。箇条書きのスライドを多めにして、一部だけ写真を使って、という構成にしたところ「一番分かりやすかった」と言っていただいた。
 コンサル業界の「図形で示す」というのをそんなにいいと思ってないんです。ずうっと図形と矢印で示す、それだけでロジックを追えるかというと、人間追えないんです。図形や矢印でロジックを示したつもりでも、読み取れないですよね。作る側の独りよがりになりやすいと思います。


Nさん:短時間であの距離でぱっと図形を見たときに、筋を追えるかというと、追えないですよね。
そうなんです、僕ら普通の人にとっては、理解するためには結論はやっぱり先生の話を聴くことだと思います。先生の話を聴いて理解する以外ない。資料をもらった時は「帰って何回も読み返して理解しよう」というつもりになるけれど、あとで読み返さないですもんね。
 教科書的に全部書いてあるとそれで満足しちゃうけれど理解はしていないんです。それに対して大事なところだけ箇条書きにしてあると、その場で理解できるし再現できますね。
 先生の資料をもらって、それだけ見たら講師を真似できると思うかもしれないけれど、そこへ行くまでの解説は口でしっかり説明してもらえないとできない。
 いい話を持って帰ってチェックポイントとしては「あの表」があって、チェックポイントとして活用すればできるけど「あの表」単独で人に教えることはできない。そういうことまで上手く考えてはるなーと思って(笑)


正田:それは手の内隠してるわけでも意地悪しているわけでもないんです。細かく書き込んでも読み取れないだろうと思うんですよね。


Nさん:なるほど、なるほど。そういう細かいところの配慮が面白いんですよね。すごいなー、と。
 意地悪だとかは全然思わなかったですよ。
 やっぱりそう思ったら皆さん、真剣に聴くでしょう。1回しかチャンスないから。後々考えても後の祭りなんですよね。
 だから「こういう研修は聴き逃したら損ですよ」と言ってあげるといいんですね。


正田:おっしゃったことは本当に大事なことで、「なんでこの『研修』という形が生き残っているのか」という話ですよね。
 スライドや手元資料の視覚的手掛かりと、加えて解説をしてくれる先生が音声で意味を送り込んでくれる。それが両方あって「わかる」ということになる。


Nさん:大事なことは今もやっぱり大事だ、ということですよね。
 先生の資料は、やたらボリュームがあってだらだら長くて、という資料ではないですし話もそれに沿って展開してくださいますから、追いやすいですよね。


正田:そうですか、ありがとうございます。


Nさん:録音は当然禁止ですけれど、録音を残したとしてあとで見て復習しようと思ってできるかといったら、できないですよね。それは甘えになるから、しないほうがいい。


正田:そうですね。そこまで考えたことなかったですけれど。


Nさん:話の筋を追いやすい。自分の現在地がわかるように構成してくださってるので、少々聴き逃したとしても追っかけられる。僕も2時間や3時間の研修で「ああ聴き逃した」というのがよくあって自己反省するんですけれど。


正田:ありますよね。わたしの研修でも実は途中でこっくりこっくりされてる方は必ずいらっしゃって、それはこちらからは必ずわかります。皆さんお疲れでもあるし集中力が続く限界もあるから見ないふりをしてるんですけれど。少々そういう瞬間があっても後から慌てて追っかければ追いつけるように、というのも思いますね。


Nさん:内容を落とし込むフロー(流れ)がはっきりしているので、追いやすい。また、先生は話があまりあっちこっち行かないですしね。
 もし皆さんが露骨にこう机に突っ伏してたりしたら、「この研修早よ終われ」と思ってるサインじゃないですか。でもスライドの方をみてるか、資料を1ページ1ページめくるかされているので、ああ集中してるなあ、話を追っかけてるなあと感じます。


■実習で「指示出しの言葉の強さがわかった」


Nさん:実習は全部やりやすかったです。でもいきなり「はい始めて!」って言われるのが(笑)


正田:あ、それ言ってました?どこだろう。


Nさん:みなさんが最初のほうであまり分かってないときがあるんですよ。あれびっくりしました。でも皆さんあれで顔見合わせて紅くなって、紅潮されて。目が覚めるなあという感じ。


正田:ああ、一番最初の実習ですね。2人1組で「あなたの強みは?」という。わたしも緊張していて変な言い方しちゃったかも(笑)


Nさん:ちゃうんですよ、いいんですよ。この前の「傾聴」の時もそうでしたけれど分かってる人と分かってない人といてて、「はい、始めますね〜」と言われると、「えっ、こんな風に始めるのいきなり!?」と(笑) 悪いんじゃなくてどんなワークでも最初そうなんですけれど。
 全体には和やかな感じで進みますから、皆さん真摯でちょっと恥ずかしそうな(笑)、いい感じですよね。押しつけ感というのは全然ないです。
やっぱりその瞬間急に脳が動くじゃないですか。あれをやればやるほど皆さんいい顔になっていきますよね。


正田:いい顔、そうでしたねえ。
 押しつけがましいか、そうでないか。実習の指示出しに関して、今回また受講生さんからいいフィードバックをいただきました。宿題の中でAさん(仮名)が言われていたことで、「言葉の強さがわかった」。多分、指示出しをするときの最適な語気の強さがわかった、ということではないかな、と思います。彼、立ち話できいたところによると実は過去に部下を潰しまくっていたそうです(笑)
 宿題へのコメントとしてわたしからお答えしたのが、
「この研修は実は指示命令のかたまりなんです」
と。
「はい、2人1組になってください。こういうお話をしてください。ではどうぞ!」
って、指示命令のオンパレードなんです、実は。
 ああいうのは、Nさんはどう思われました?


Nさん:やっぱり声のトーンとか口調が影響してくると思いますね。同じことをしていても、声のトーンによって全然違うと思います。男の人が、かつ横柄な人がやるのとは、やっぱり受け取る側の感じ方が違うと思います。
 同じことでも指示命令された時に受け入れられるときと受け入れられないときがあるじゃないですか。声のトーン、口調に優しさを持っているかどうかの違いだと思うんです。


正田:おっしゃる通り、そうだと思いますね。
 余談ですけれど「指示命令」については別のところで最近ご質問されたことがありました。
 新任のマネジャーで、「自分は人に指示することが苦手だけれどどうしたらいいですか」
 それにはまじめにお答えしました。
「わたしも『指令性(Commander)』という、指示命令する資質が低いんです。ワークショップのリーダーとしては不利な性格です。ワークショップリーダーは、シャキシャキ場を仕切れたほうがいいので。
 で非常に悩んだ結果、辛うじて今のスタイルにたどり着いています。まずは、相手にして欲しいことは『…してください』という語尾で、はっきり言う。『…してくださったらいいな〜と思います』みたいな相手が訳わからないような曖昧な言い方はしない。「これは指示出しなんだ」とわかるように、また「自分は指示出しをしてるんだ」と自覚を込めて言う。
 ただしその『してください』の語尾の中に優しさとかリスペクトを込めて。要は、これも承認の一形態ですよ、という気持ちを込めて。
 それで何とか研修中は皆さんが動いてくださるので、ありがたいです」
と。まあ多分うちの経理のYさんも言われると思いますけど、ふだんの会話もそんな感じですね。


■実習と講義のバランスは

Nさん:実習に対して講義の量が多いか、少ないか。
 量が多いという感覚にはならないですね、内容が面白いので。講義の中にもあるじゃないですか。「脳は貪欲なまでに成長を求める臓器である」と。聴けば聴くほどもっと奥がどうなっているのか知りたくなります。


正田:そうですか、良かったです。
 「承認研修」は意外と実習より講義の部分が多いんです。


Nさん:一番大変ですよね。初回で初見の人とやる、緊張感があって。
 でも話の内容が面白いんですよ。なんぼでも聴きたくなります。脳科学、遺伝子学まで考えてる研修ってほかにないじゃないですか。響きだけじゃなくて実証されてるじゃないですか。
 脳の話でも遺伝子の話でもみんな何となくわかる。オオッと食いついてみたじゃないですか、MRIの画像とか。あれも若い子らより自分らミドルのほうが何故仕事の頭の回りが速いのか、「すっ」と合点がゆきます。講義が長いからといって空気がだれることはなかったですね。
 量が多いかというと、説明の仕方が丁寧なので、これくらいの量が必要でしょう。4時間が長いという感覚はなかったですね。


正田:どなたかアンケートで言われてましたね、「あっという間でした」って。
 そういえば初回のときのアンケートで、「次回も期待しています」だったか「楽しみにしています」か、書いてくださったそうですね。


Nさん:はい、はい。
 実習は、内容を体感するためには絶対必要でしょう。マストでしょう、どう考えても。皆さん楽しそうにやってますよね。


■宿題はやる意義があるのか

Nさん:宿題。これは非常に大事やと思います。ものすごい緊張感が伴います。
 無理やりっていうことは良くないんですけど、何らかの適度なプレッシャーをかけるものがなければ、本気にならないですよね。


正田:ですよね。


Nさん:誰でも仕事は忙しいから、まじめに1から10までやれっていう宿題だったら、それは難しいと思いますけど。すごくシンプルな大事なことを上手く説明してくださって。
 面白いのが、「承認」ってやってみて初めて分かるじゃないですか。「照れくさい」って書いて返ってくるのが一番面白くって。そこを感じてほしいですね。


正田:うん、うん(笑)


Nさん:上司と部下ってそう分かり合えるものじゃないから、何もしない状態ではストレスを感じ合ってると思います。
 (承認を)言った瞬間って照れくさいけれど、相手が変わりますよね。それを先生から言われるだけじゃなく、受講生さんご本人が職場で感じるじゃないですか。そして自分も「らく」なんです。「どう思われてるのかな」と普段は思っているのが、「こうやったら仕事してくれるのか」と。
 自分でそれがわかる。最初の一歩をやっていただくところが一番難しいんで、宿題は受講生の方からしたらイヤかもしれないですけど大事な一歩。「恥ずかしいけど、やってみよう」と(笑)
 頭で分かるだけじゃなくて、自分自身が体で感じてみる。どう変化するか確かめてみる。確かめてみたときに「どう思う?」というのが一番大事。それ以上強制はしませんけれど、その初歩のところをやっていても効果は実感できる。
 コメントの仕方も、先生優しいですね。案外大人でもああやって返ってきたら嬉しいですよ。普段ルーティンでみなさん報連相の受け答えとかしてますもんね。
 コメントもね、皆さん気恥ずかしいと思うんですよ。子供みたいに。


正田:(笑)


Nさん:それでも認められたら嬉しい。「もっとやってみようか」となるのが人間ですよね。例外もあるでしょうけれど、普通はそうなりますよね。
 適度にプレッシャーかけて「やる」ように持って行って、やったら思い切り認めてあげて。この展開がすごいですよね。
 「宿題めんどくさい」という話が(事例セミナーで)出たそうじゃないですか。


正田:ああ、某パネリストの方ね。


Nさん:男はそういう「めんどくさい」という心理があるんですけど、でもめんどくさいと思いながらやってみたら部下が喜んだ、というまさかの展開じゃないですか。やってない人からしたら、めんどくさく見えるんですよ。仕事してほしい一心なので。
 現場の人から見たら意思疎通の改善に役立つきっかけ作りになってます。いきなり大きなことをやらせるわけじゃない、恥ずかしいひと言を出させる。すごくいい刺激になっていて、やっている意味あるんじゃないかな。
 だからこそシリーズ研修の形でやる意味もある。「明日また研修や、いこかー」だけで参加するのでは、あまり身にはつかないんじゃないか。こういう研修に宿題はあって全然いいと思います。
「恥ずかしいけど、やってみよう」
 宿題って大体「重たい」ものじゃないですか。でもやると返ってくる反応が面白くて、面白いとなったらなんぼでもやってくれるじゃないですか。やってみて経過観察して「あ、面白い」と思うからさらにもっと応用してみようかな、と思う。
 そこって自分自身が興味が湧いて、ワクワクしている状態じゃないですか。そういう状態になっているって、有難いことですよね。
 結果的にその人が「気恥ずかしい」のを乗り越えても、効果を実感できるような仕組みづくりをしていただいてますので、いい意味で分からざるを得ない。背中を押してくれる感覚はあると思いますね。
 やった人にしか分からない喜び、面白味。
 僕らも「宿題」って想像していたのとちょっとイメージが違ったんですが。


正田:ああ、そうですか。


Nさん:やっぱり宿題というのは「課題」という硬いイメージで、どう受け取られるかとヒヤヒヤしていました。そう思われたら中身も形骸化してしまうし、たとえ形骸化したとしても宿題を出していただいたことに感謝しようとは思ってましたけれど、蓋を開けたら皆さんやってくれたので、すごく有難いなーと。そこにすっごい意味があったなーと感じております。


正田:Nさんがあの中に入ってくださったお蔭です。


■「現業のマネジャーさんで助かりました」(正田)ー場の空気は男っぽいか、女っぽいか


Nさん:かなり男っぽいんじゃないですか。


正田:性格は男っぽいと思いますよ。「C」(主導型)だし。


Nさん:男らしい。表現が難しいですよね。
 あのね、敵意むきだしの強さじゃなくて、先生ご自身がリスペクトのスタンスでやっておられるんで、上からマウンティングするようなムードは全然ないし、まじめに、―それこそ「真摯」だと思うんです。
 これも「淡々と」というのとも違うんですよね。抑揚もついてるし。やっぱり表現が難しいなあ。
 やっぱり「向き合う」という姿勢がある。ナアナアで済ますという雰囲気を見せない。そこが一番大きいですよね。
 研修講師の先生を「優しい」「厳しい」と一言で表現できるか、というのも微妙なんですけれど、学びの場として一番適切で合っているというんでしょうか。
 やっぱり大人やから、得られるものを得てやっていきたい、それは子供以上に強いと思います。講師の先生がそれに応えれる力量があるかというと難しいと思います。
 先生はそれに応えられる以上の研鑽もされています。何を質疑されても動揺しない。「それはそうですねー」と言いながら真摯に向き合う姿勢をみせる。本当の余裕というのをお持ちになっているから、相手に警戒させない。真摯に講義していただいているから、受講生の方からみたら嫌みなくしかも論理的に教えてもらえるから、気持ちよく学べるのだと思います。
 柔軟というんでしょうか、色んな環境、職種の方が来られますが、柔らかく対応されますね。
 僕ブログだけみたらガチンコ勝負ばっかりの人かなーと。


正田:ハハハ。


Nさん:実際研修になるとそんなことないんですね、フワッと大きい感じがしますね。


正田:小さいですよ、小さいですよ(笑) 


Nさん:心では怒ってはるのかなーと思いますけどね。


正田:いやいやいや、貴団体のセミナーでは怒る場面ってなかったですよ。有難いことに製造とか建設とかの現業のほうのマネジャーの方が多かったので、すっと入っていけたと思います。あれで変な本読んで勉強して頭でっかちになっていると難しいところがあるんですけど(笑) 現業の方はむしろ、ゴツイようでも「行動承認」をすっと分かっていただけるところがありますね。
 怒る時もたまにありますよ、あんまりひどいときは。最近はないですけどね。


Nさん:上手くまとめきれてないんですけど、やっぱり相手を人間としてリスペクトする姿勢がおありだから。コミットしているというのも違うなあ、とにかく色んなことを教えていただけるんで、脳が喜ぶ。
 やっぱり「本人さんのため」を考えてやってくださるのを感じます。寄せ付けないとか、威圧感はない、ここまで「接近戦」でやってくれていても。そう感じさせないような配慮をしてくださっているからすごいな、と思います。
 強引でも断定的なところもないですよね。
 「空想的」というところもないです。現実から遊離しているかどうか、ということですよね。


■人見知り研修講師の努力


Nさん:先生は「親密性」がおありでしたっけ。


正田:そうです、「個別化」「親密性」とあります。


Nさん:「親密性」ああこれか、とわかりました。先生が受講者の方と1人1人挨拶しに行って、名刺交換して名前を憶えはるじゃないですか。あの感じって、ささっと(自然に)行かはるんで、壁を作らないんだなあ、と。これが「親密性」か、と。
 やっぱり最初はちょっと緊張しはるじゃないですか。でも初日だったけど初めての感じがしなかったんですね。あ、良かった、と思って。僕、「どうやってつなげようか」とドキドキしてましたもん。
 でも知らん間に名前とか憶えはって、発表とかのときも名前で呼ばれるじゃないですか。「あれー?半年ぐらいやってたっけ」という感じで。


正田:ああ、席順を紙に書いてたんですよね。


Nさん:あれが自然に、人懐こくじゃないですけど、壁を作らずしかも真摯に上手くコミュニケーションをとってはりましたね。


正田:そういう風に見ていただいてたんですか。ありがとうございます。
 そうなんです、「親密性」は何回やっても1位とか2位に必ずあるので、もう本当に生まれつきの固有のものだと思うんです。
 研修講師には本当は不向きな資質なんです。内向的で人見知りが激しくて、人前で話すのにものすごく体の緊張が強くて。
 なんだけど研修前にああやってちょこっとお話したり名刺交換したりすると多少和らげられる。
 本来は1対1で今日のように、「この1人の人とずーっと話していたい」というのが本来のわたしなんです。


Nさん:なるほど、なるほど。


正田:それが相手が30人になっちゃうとものすごく苦しい。今年はそれでも(30人規模のセミナーを)随分やらされましたけど、できればやりたくない。気力体力の限界を感じます。また受講生さんも目が届かなくてご不満だろうと思います。
 今回みたいに20人以内に収めていただくと1対1の延長線上で、20人ぐらいまでは何とか広げられるんです。
 全部の人の人生を愛しく思って、「この人はこういう風に40年生きてきたんだなあ」と一々思いながら話すのがわたしなんです。


Nさん:なるほど。
 強いか弱いか、というのは難しいところですね。弱くもなければ強くもない。強さ弱さということでは表現しきれない。
 温かみはありますね。


正田:多分、ブログできついことばかり書いているので心配されたと思うんですけど。
 ブログで文句垂れまくってるのはですね、わたしは基本ニコニコしてるし、セミナーも穏やかに進めば本当はそれが一番良いんですが、ただこのニコニコしてる「承認」の人間をみたときに、わざと挑発して怒らせてきたいとか、色んな人がいらっしゃるんですよ。そのとき、もしその人が事前にブログを見ていたらブログでいきなり一発かまされる、みたいな。「こういうことはあたしは嫌いだよ」とか「心の中ではこういう風に毒舌で思ってるよ」ということを分かっていただくと。「あ、この人にこういうことはしてはいけないんだな」と(笑)


Nさん:やっと分かりました。僕それが分かってませんでした。


正田:いやいやいや、Nさんは一線越えたりとかなさらないじゃないですか。すごくそのことに感謝しています。
 よく、変な親しみを持って一線越える方がいらっしゃってそれで疲れてますけど。


Nさん:やっぱりそれ(牽制)はしとかんとね。優しさの受け取り方を間違えることがありますからね。


正田:沢山いらっしゃいます。


Nさん:ナメてかかるとかね。


正田:基本人は好きなんですけどね。


■沢山受講させてあげたいけれど…適正人数のジレンマ 

正田:20人より30人がイヤ、というのは、人って「自分が30分の1だ」と思うとそれだけで「承認されてない」と感じてイヤなんだろうと思います。


Nさん:あ、なるほどね。
 当初、30人で告知していたので、本当に申し訳なかったです。でも申込み殺到したんです。


正田:え、申込み締切後も来てたんですか。


Nさん:来たんです。で、お断りしたんです。僕、目標設定をしようと思って当初は30人に設定してたんです。インパクトというか、それぐらいにしていたらそれぐらいの規模で(申し込みが)来るかなと思って。
 断るのがかたじけないな、と思って。
 でも、若手向けの研修で30人の研修をやった時、やっぱり居眠りが出たんです。
 一方で10何人の研修のときに「少ないなー」と上に言われたんですけど、10何人ぐらいやったら声も届くし、満足度とか納得度が高かったんです。なので少人数だとインパクトは弱くなるけど、アンケートとか結果、もろもろを考えたら、10何人ぐらいが一番いいです。
 一度、12人で製造の研修をしたときに「ああやっぱりこのぐらいが一番ええなー」と思いました。


正田:そうでしょう、うちの協会主催の講座は12人限定ですもん。


Nさん:ホンマですね。これぐらいじゃないと声が届かないな、と。
 それとその研修の場合は、部屋が「縦長」だったんです。今回の先生の研修で使っている部屋も、実は前面があれと逆で、僕がアテンドでいつも座っている端の辺が前面で、縦長だったんです。でも声が聞こえない。これでは4列目ぐらいの人から寝るな、と思いました。
 それを今回会場を「横長」にして使ってみると、その方が断然圧迫感がなかったです。
 そして前でデモンストレーションされるということだったので、ホテルの人が「あ、分かりました考えときます」と言ってくれはって、ああいう風にアレンジしてくれました。
 先生ご苦労が多いですね。


正田:いえいえ、お蔭様で横長で良かったです。
 今年夏の某所での研修が、縦長のお部屋で30人来られて、縦長のこちら側(右側)の席が壁にぴたっとくっついて、こちら側に通路がないんですよ。だからこの奥の席の人は本当に狭い空間に押し込められるような感じで、それが30人分縦長に続いていて。
 これはねえ、大人にとってはかなり苦しい配置だったと思います。


Nさん:聴いてるだけでもちょっと苦しくなってきました(笑)


正田:これ、2時間限定の研修だったらそれで良かったかもしれないですけど、1日研修だったんです。可哀想やったなあと思って。


Nさん:そこは一番判断に苦しむところですけど、応募は殺到しましたからね。やっぱりそれだけ意義のあるセミナーに関しては、人は「受けたい」と思う。募集する側としては「受けさせてあげたい」と思う、それが邪魔をする。
 本当に受講生さんのことを考えたら、少人数で受講させてあげたいですよね。
 (大人数だと)まず空気がしんどい。先生のおっしゃってたことは間違ってなかったなあと。


正田:ありがとうございます、分かっていただけて。
 ああいうときの(人数に関する)押し問答も、「うるっさいこと言うなあコイツ」と思う人もいてるし(笑)


Nさん:うるさいことないですよね。ただ「断る」というのが気楽にできればいいですけど、切なくてね(笑) かたじけない。
「初日来れないけれど残りの日程参加したい」というお問い合わせもいただきました。上の人にもプレッシャー掛けられてね。


正田:辛いですね…。でも初日来ないと、2日目以降もう話が合わないでしょう。


Nさん:まあね(笑)でもその気持ちが嬉しかったです。そこまでして受けたいと思う内容だったんですよ。あの告知の文面を見ただけでも思うんですよね。
 だからそういう人に受けさせてあげたかったなあと。


正田:皆さん本当に聴く姿勢で、取りに来る姿勢で。


Nさん:大人でしたね。


正田:さすが、貴団体の会員さん。

(第4回に続く)


※これまでのインタビューはこちらです

◇柔道有段・凄腕担当者がみた「12年1位」の研修とは
(1)論理性、背筋の伸びる瞬間、ナルシシズム
http://c-c-a.blog.jp/archives/51903851.html
■なぜ、僕が「この研修」にたどり着いたのか
■出典明記主義について
■論理的であることの価値
■背筋が伸びた、独特の話し方
■ナルシシズムと経営者の受講生と
■専門用語、敬語
■アクションについて
■とことん突き進むのはすごいエネルギー


(2)これは闘いなんやなあ!

http://c-c-a.blog.jp/archives/51904145.html 
■知識を詰め込むのか、現場を良くするのか
■傾聴ワークの優しい気づき
■「型で教える」ことの意味
■教えるとは「フォルダを作る」こと―「教えない教育」との決別
■これは闘いなんやなあ!
■社内研修と経済団体主催と自主勉強会、意識の差
■末永い真実とリスペクトの教育を



追記

 昨年末、「『行動承認』が日本総研・藻谷浩介氏の『今年の3冊』に選ばれました」とアナウンスした時、
「今年、僕がすごいものに出会ったと思ったのは、本当だったんですね」
感慨深げに言われたNさんでした…。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp


 読者のみなさま、改めまして明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。


 昨2014年は、当協会にとり暮れにも書いたように困難な年でした。

 
 03年から14年までの間に「12年、1位マネジャー輩出」。さらに13~14年にかけて「年間業績向上事例8例」を達成、「承認研修」の動かしがたい再現性が明らかになっても、世間のみる目は変わりません。結果が明らかなときに「世間のみる目」をどう変えるか、ということに苦しみ続けました。


 そして、「短時間」「単回」の研修のご依頼が増え、研修に対して妥当な謝金を払おうとしない、妥当な投資をしないお客様の態度、というものも目立ちました。


 それでも辛うじて成果としては『行動承認』を出版できたことが救いでした。


 また、ほぼ史上初めて、「正田の研修講師としての特質」を証言してくれる人が出たことが救いでした。これは正田自身の努力では言い得ないことなのでほんとうに得難かったことでした。


 『行動承認』出版後には、本を読んでから研修に参加したとみられる受講生様も現れ、その方々は過去にない極めて高いパフォーマンスを上げてくださいました。「業績1位」等の指標が実現するのが、どんどん短縮されています。研修後10日、1か月、ではっきりと成果が出るようになっています。恐らく、人が人に対しておこなう「承認研修」の精度を最高に高めた結果がそれなのでした。


 わたしの今の時点の希望は、どこか第三者機関が客観的に「承認研修」の効果を計測してくださることです。実証実験してくださることです。これまで独自に統計調査したものはありますが、第三者機関ではありませんでしたから今一つ信頼に欠けました。業績、業務品質、業務能力の変動のほか、当事者の人びとの脳発達、遺伝子発現、神経化学物質の変動など、評価する価値のあるポイントはいくらでもあることでしょう。

 わたしの知る限り「この手法」に並ぶ力のあるものは人類史上かつてなかったのです。
 そのことが正しい手続きを経て実証され、そういうものとして周知され、お客様が一度導入したら変えない、そのようにして初めて末永いお客様の繁栄と人びとの幸せにつながるでしょう。


 今年、そういう展開に一歩を踏み出すことはできるでしょうか。


 人類の発展のため、取りあえず日本人の幸福のため、そうした決断に踏み切るところが出てくることを願うものです。


 過去に事例セミナーを通算7回。わたし個人は長年の疲労が積み重なり、もうあまり訴える気力がなくなってきているのも事実です。あとは時間との闘いになることでしょう。
 わたし以外の人が「この手法」を維持発展させよう、そのために知恵を絞ろうと思ってくださるでしょうか。だれかそれだけの大局観をもつ人がいるでしょうか。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

 珍しく大学生の子供が「家に物を取りに戻る」とメールしてきたのでその時間外出することにした。


 わたしが死ぬのを待っている人々がいる。このブログは彼ら彼女らにとって安否確認のツールである。

 安否確認とは、わたしの身を案じているわけではない。

 「まだ自宅が老いた母親の腐乱死体の臭いで満ち満ちていないな」と確認する。「葬式の出費はまだ要らないのだな」と。

 そういう使い方をしている人もいるのだ。

 できればそういう使い方の人たちにこのブログを読めなくしたいのに。


 わたしの側は彼ら彼女らの消息をまったく知らない。


 「心の理論」のない人にとっては、「自分が知っていることを相手は知らない」ことがわからないのだ。サリーとアンの課題。



 そしてわたしのほうも、積極的に知ろうとは思わない。どうせ「知りたい」と働きかければ不愉快な「ゲーム」の題材にされるだけだから。関心を持たないで過ごすほうが穏やかな心でいられる。
たまにひとに問われて困るぐらいで、知らなくてもさほど不自由はない。


 わたしの人生を通り過ぎた不愉快な若い人々、だった。わたしとは価値観を共有しない、こころの荒廃の典型のような人びと。もう教育をできる時期もとうに終わった。

 たぶん、「邪教」にたぶらかされたのだ。感謝をすると自分の隠してきた負い目があらわになる、と危機感をもった人による。


 感謝のない人とは、関わりたくない。

そしてひとを失うことなどもう怖くない。

 友達のすくないわたしですがフェイスブックのお友達と新年のあいさつを交わしました。ブログは今日になってしまいました。ごめんなさい。

 読者のみなさま、あけましておめでとうございます。よい3が日をお過ごしですか。


 このブログと「本」とを通じてわたしの心の友でいていただけることに改めて感謝を申し上げます。


 あなたと共有できるものが多くありますように。
 たとえば―。


 人はひとりひとり違うと感じることのできる人は、だれもが属性にかかわらず応分に認められ尊重される社会をつくることをともに願ってもらえるだろう。その人たちにとってそれは本来当然のことだから。


 親密性のある人は、身近な人や土地を大切に思う気持ちを共有できるだろう。


 学ぶことが好きな人は、世界と人に向けるあくなき好奇のまなざしを共有できるだろう。


 世界のすべての要素がつながっていることを感じることができる人は、一部の人でなく全体が幸福になることをともに願うことができるだろう。


 責任を人一倍強く感じる人とは、使命感に殉じて障害を乗り越えてでも正しいことの担い手となる姿勢を共有できるだろう。また質の高い仕事を実現する方策を喜ばしく感じたり、またあなたの求めるレベルの仕事が「承認」だけでは実現できないことにフラストレーションを感じたりするだろう。
 ―お互いマッサージのお世話になりますね―


 未来を考えることに喜びを感じる人には、ともに未来予想図を楽しんでもらえるだろう。
 ―出現率の低い資質らしいのであまり多くの人と共有できない。わたしは以前これが高かったのだが今相対的に低いのはあまりにも反応してくれる人が少ないからのようで、最近は控えめな出し方になっている―


 戦略性のある人には、秘められた戦略を読み取って「にやり」としてもらえるだろう。膨大な情報群を正確に見極めながら隘路を見出し前に進む精神を共有できるだろう。


 慎重な人は、「お客様の幸福のために副作用を徹底して排除する」という考え方に共感してもらえるだろう。


 新しいアイデアが好きな人は、―これもわたしもかつてはそうだったのだけれど近年は相対的に下がっている、たぶんやり方を確立してしまい動かせなくなったから― 新しいやり方でないことにやや不満をおぼえるかもしれない、でも「効果」と「持続可能性」のバランスを絶妙にとったのだ、ということにワクワクしてもらえるだろうか。また細かいところでの「改善」を楽しんでもらえるだろうか。


 人が成長するのが嬉しい人には、若い人や子供さんの成長する力を全開させることに喜びを感じてもらえるだろう。


 歴史を考えることが好きな人は、歴史上のどこかの時点との共通点を読み取って嬉しくなってもらえるだろう。


 分析する力のある人には、―わたしは残念ながら数字を扱う力は低い―数字の上がるやり方を選ぶのが得策だ、という考えに賛同してもらえるだろう。


 共感能力の高い人とは、弱い立場の人、しいたげられた人への共感を共有できるだろう。


 人に命令する資質のある人は―「クロージング」に関わる資質だがわたしはこれは非常に低い―わたしに代わって「これをやれ」と命令することができるかもしれない。


 人と表面的に和することにあまり価値を置かない人は、論敵を論破するのに仮借ないかもしれない。―わたしも実はそうで、「本」や「研修」ではあまり出さないがブログでは全開だ―


****


 その他ここで言及しなかった資質がもっとも上位近いところにある人は、すくなくともわたしの世界に入るときは、それらを尖らせることは危険かもしれない。それらは、「承認」との掛け合わせで変な暴走をするかもしれない。それらがあるゆえに自分は正田より優れた人間なのだ、と考えないほうがいいかもしれない。


****


 今年一年、あなたにも、あなたのご家族にも幸ありますように。
 またともに幸せな社会の実現を願いましょう。




100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

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