正田佐与の 愛するこの世界

神戸の1位マネジャー育成の研修講師・正田佐与が、「承認と職場」、「よのなかカフェ」などの日常を通じて日本人と仕事の幸福な関係を語ります。現役リーダーたちが「このブログを読んでいればマネジメントがわかる」と絶賛。 現在、心ならずも「アドラー心理学批判」と「『「学力」の経済学』批判」でアクセス急増中。コメントは承認制です

2015年02月

 このところまた見聞きする、どうも「『傾聴』こそが経営者マネジャーの最も学ぶべきものだ」という流れというかプロモーションがあるらしいです。

 わたしが行く先々にいる、奇妙な「傾聴」をする人びと、はその産物なのだろうか、と思います。

 奇妙な「傾聴」というのは、例えば、聴くのはやたら時間をとって聴くけれど何も行動しない人。「あの会話はなんだったの!?」と口あんぐりになる。「傾聴」と「行動」がまったくリンクしていない、傾聴だけしたら自分はいい人だ、と思っているらしい人たち。

(決してみんながみんなそんな人ばっかりではなくて、先日ご紹介していただいた先では本当に真剣に聴いていただいた。ご紹介者の方が真剣に紹介してくださった、と思う)

 
 あるいは、傾聴するが目的がブレている、理念なき傾聴。具体的にはトラブルの仲裁者を買って出た人がいたんですが、加害者側に聞き取りをすると結局加害者の言い分に共感するばかりで何も「被害回復」や「再発防止」に役立たない。共感すべきはそっちちゃないでしょ、ちゃんと警察官をやってくれよ、という。いいとこの大学を出た社会的地位のある人でもそんなんです。


 歴史上、「傾聴」みたいなものが「救国の思想」になったことはないんですがねえ…、それはさておき。

 
 断っておくと、正田は以前は「傾聴」を連続セミナーの最初に置いていました。経験の浅いころ。その結果そのことの限界も見てきました。

 また、「12年1位」を成し遂げこの分野では特異な成果を挙げてきて、そこに働いた効果発現メカニズムもかなり丁寧に観察してきた人間であります。人一倍実地のPDCAを回してきたのです。


 決して傾聴全然ダメと言っているわけではないのです。現在も「承認マネジメント」の長いバージョンのシリーズ研修では、2回目に傾聴研修をやり、そこでは「地獄の傾聴8本ノック」という、世間に例のないどぎつい反復練習の傾聴研修をやります。(是非根性のある方は志願者できていただきたいです)


 長いバージョンの2回目にはやるけれど、それはあくまで1回目の「承認」の実現に資するもの、という位置づけでおこないます。「次の段階の話」であり「承認の手段」です。どうも、世間で「傾聴こそが大事」というのは、「『承認』の代用品」として言っているようにわたしには思えます。「聴いてもらいたい」の本当の中身は、「認めてもらいたい」。


要は、「完全にどちらかだけで」というのではなく、その先いろんなものを載せていく上でプラットフォームとしてどちらが優秀か、という話なのですけど。

 
 「傾聴研修」をどこかで受けて、その研修がすごく良かった良かったと思っている方にはたのしくないかもしれないですが、以下に「傾聴こそが一番大事」と言うことはなぜダメなのか、「12年1位」の先生としてご指摘をしたいと思います。もともと、心理学セミナーを受けて良かった良かったと思うのは、多くはそこに性欲に似た高揚感、陶酔感、恍惚感、それにナルシスティックな全能感が入っているからであり、それは実務の中では有害になることが多いです。思わぬセクハラ行為をしちゃうかもしれません。



■なぜ、「傾聴教」でなく「承認教」が有効なのか

1. 肯定する姿勢があるか

基本的な他者肯定、リスペクトのない傾聴は「拷問」ですらある。「暗黙の前提の不在」というタイプの詭弁。
経営者管理者の、攻撃性競争心高ナルシシズム高という基本人格を考えると、彼らに「他者肯定こそ最も大事」と意識づけるのは、手段でなくそれ自体目的としてなされなければならない。
偶発的要素や自己にとっての限定的な真実を排し、学生(経営者管理者)の現実を虚心にみなければならない。
カウンセラーさんであれば、単なるテクニックとしての「傾聴」以外にクライエントへの「畏敬と尊重」をみっちり学ぶ時間がある。そしてもともと他人を援助したいという人が多い。そして傾聴したあとその内容を何かに反映する義務は、カウンセラーさんにはない。純粋にコミュニケーションとしての傾聴をする。それを機械的に真似すると、見事にしゃべってばっかり、聴いてばっかりの行動しない人ができる。


2. 時間がなくても始められる「承認」
「忙しくても声かけぐらいできるから」(2011年兵庫工業会での正田講演)
「承認」は最初の一歩のハードルが低い。一歩を踏み出しやすい。


3.「承認」は「みる」「きく」両方にまたがる
そして、著書にも書いたように働く人にとっては、「みてもらいたい」「ああ、みてくれるんだ」というのは、最も根源的な欲求です。


4.「行動する責任感」をつくれるのは心理学ではない、「行動承認」だけ
これは長い読者の方ならおなじみの考え方ですね。そしてすごく大事なところです。
「言い訳が減った」という現象は最近でもありましたが、過去の宿題でも出ています。恐らく報告された以外にも多数例があるでしょう。
傾聴教なら、くどくどした言い訳に延々と耳を貸すところ、承認教では仕事の中で出会いがしらに「○×をやったな」と短く言ってあげればいいだけです。詳しくいうと、結局行動理論で「言い訳してるより行動したほうが、いいことがあるんだな、おもしろいんだな」と思うので、行動のほうが増える。そんなので言い訳が減って有能な人になるのだから、これほど効率のいいやり方はないではないですか。

実は「言い訳たれ」のケース以外に、「ウソつき」が相手の場合、というのも大真面目にあります。健常な範囲と病的なウソつきの場合があります。スマホ時代には「妄想的」な人が冗談抜きで増えるかもしれません。その場合も、相手の言うことと事実を虚心に照合するということをするので、「承認教」の事実認識のトレーニングは役にたちます。逆に下手に「共感的傾聴」をすると間違った解決になるでしょう。


5. 正義と法の精神、トラブル解決の思想
「承認」は単純明快な倫理のルールである一方で、意外かもしれないが、現代日本の法体系すべての基本精神です。就業規則のようなものにも適用される。そしてこのところ「仁義なき戦いの時代」のため、正田は「法」を利用してトラブル解決する場面もあります、読者の方はご存知のように。その場合も「承認」のちょっとした応用でやれてしまいます。
正田でなくても、法学や倫理学の素養のない人でも「承認」はすべてに適用できる基本原理。だれかがだれかを暴言で傷つけた、といった職場トラブルも「これ1本」で解決がついてしまいます。
逆に、素養のない人は冒頭にも述べたように「傾聴」だけ単独で与えても「何が実現すべき正義なのか、何のための傾聴なのか」でつまづくようです。結構な社会的地位のある人でさえも。


6. リーダーとしての「介入力」を育てる
「承認マネジメントの全体像」でいう
「アドバイス」
「教示」
「フィードバック/叱責」
「理念の提示」
を発信する力、受け取る力が「承認」実践につれて上司部下双方に育ちます。
これも仮説で言っているのではなく、リーダーたちの実践を通じてみられてきたことです。



7. 部下は「上司から絡んでほしい」と思っている
これも、もう何年も前から若手社員に詳しい人から指摘されていることです。部下は年上の上司に自分から話しかけてなんかこない。一方上司は「どう話しかけたらいいかわからない」と思っている。
だから、「存在承認」の「声かけ」大事です。また以前承認大賞に輝いた「わからないことを訊いてくれたね」(行動承認)も、大事です。
承認しないで傾聴だけしたって、部下はしゃべらないですよ。


 以上です。


「承認は勇気をもらえるんです。すごく大事なことですね」

と、「承認教」のある友人は言います。

 自分たちで「承認教」「承認カルト」と揶揄してはいますが、これは「12年1位」の自信の裏返しだと思ってください。
「傾聴」は、セミナーではいいかもしれない。あるいは実務でも、場面限定でいいかもしれない。しかし、企業の現場ではほとんどの場合「傾聴」 などしてられない、しかし「承認」はできるのです、普通の指揮命令系統の中で。そして有効、なのです。


 冒頭に書いたことの繰り返しになりますがわたしも「傾聴」をもっとも大事、とみなした時期はあります。それは駆け出しに近い頃、10数年にわたるPDCAプロセスのごく初期の頃の話です。

 その後効果発現メカニズムを吟味することを繰り返す中で、「傾聴」が単独で効果を発揮したと思えたことは他の因子も関与した偶発的な現象である、ということにも気がつきました。まあ、要は先生の正田がもともと「承認的」な人格なので、その人格に曝露した因子が「傾聴」そのものよりも強く働いた、ということなんですけどね。色々考えた結果、現場の忙しいリーダーにとって最優先で、「これ1つだけ心がけておけばいいですよ」と言って手渡すのに最もふさわしいものは「承認」である、という考えに行き着いています。もともと「例の表」の中によくみると傾聴も質問も含めてありますしね。


 その考え方になったあとで2011年から始まる「効果再続出」、そして統計を入れた後の13-14年の「効果爆発」になっているのです。結果は正直なのです。
現場の人がノドから手が出るほど求めているのは「承認」なんです。


 「傾聴教」が強いと、例えばある企業で「傾聴」を導入して、一向にいい結果につながらないなあ、というとき、次に「承認教」を導入しても、受講する側には既に悪い形で免疫ができていて、「また似たようなのがきたよ」と、もう受け付けない。そういう伸びきったゴムのような感性のところに研修をするのはおそろしく不毛です。だから、不毛な遠回りはしない方がいい、効かない薬を好奇心で入れるより効くとはっきりわかってる薬を最初からつかったほうがいい。

 またさらに、「傾聴教」がダメだとなると、こんどはこの手の心理学―コミュニケーション系の研修の類は全部ダメだ、と短絡的な思考に陥る可能性もあります。効く薬あるのに。

 だから、こういう分野って、「効かない薬」をのさばらせておくことは恐ろしい非効率なんです。


 そして最近出会った、なにか背景説明を隠したまま「承認だけが正しいわけじゃない」と、「12年1位」の実績を前にしても強弁する人たちは…、

 正直に言ってください。あなた、傾聴研修を受けて「うっとり恍惚」になったのでしょう。理性でなく本能を刺激されたでしょう。そのときの感覚を過去のものにしたくないのでしょう。それは思い切りあなたの主観ですよね。そして、あなた全然人格のいい人にも強い人にも責任感のある人にもなってないですよね。
 あなた自身が「傾聴教」にかぶれているという主観の問題を、「正田さんの想い」「正田さんの意見」なんていう、主観の言葉で実績豊富なわたしをよごすことに使ってすりかえないでくださいね。


 事実に即して言うなら、「正田さんの実績」そして「傾聴こそがもっとも大事だという一部の人の思いとか意見」こういう言い方をしたほうが妥当だと思います。正田、目の前に地元にいる素朴な女の人ですけど金メダル級の仕事をしてるんですよ。金メダリストは金メダリストとして扱いましょう。



100年後に誇れる教育事業をしよう。
一般財団法人承認マネジメント協会
http://abma.or.jp

 ひきつづき、「ヘーゲル承認論」について入門書、解説書研究書、と読んでいます。

 とにかく言葉がむずかしいです。ヘーゲル自身言葉の定義を厳密にする人ではなかったようで、あたしそういう勝手なルールで引っ張る人すきじゃないんです、公明正大なのがすきなんですが。
 なので「超訳本」のようなものにも頼らざるを得ないです。


 いきなりお詫びしないといけないのは、承認はヘーゲルのオリジナルだったわけではないらしい、ということです。この当時の「ドイツ観念論」の中で流行りのような概念だったようです。

 だから、「世界初」と持ち上げると間違ったことになっちゃう。すみません。

 なお、「ドイツ観念論」は「観念」とついてると妄想的に抽象的なことばかり考えてる人たちなんだろうか、というとこの人たちが今の日本の法体系の基礎をつくったと思っていいでしょう。ドイツ法ですもんね、日本は。
 あとヘーゲルの左寄りの解釈をしたのがマルクスなので、ヘーゲルとマルクスは一味だ、ヘーゲルは共産主義者だ、と思うとそれは間違いです。ヘーゲルは左寄りにも右寄りにも解釈できる余地があり、ヘーゲル承認論を「資産分配」の問題として曲解したのがマルクスなようです。たぶんマルクスはストレングスファインダー「公平性」か「規律性」の人だったんだろうなあ。



 ドイツ観念論においてヘーゲルに先立って承認の問題を扱ったのはフィヒテである。ところで、フィヒテが他者の問題や相互人格性の問題に着目するようになったのは、カントにおける人格の共同の思想によって啓発されたためである。また、シェリングも一時期フィヒテの影響のもとに承認について論じており、ヘーゲルはこれを念頭においていたとも考えられる。このようにして承認の問題は、ドイツ観念論全体に伏在しこれを貫流する基本テーマである。ヘーゲルはこのテーマを明るみに出し、展開させたといえよう。(『承認と自由―ヘーゲル実践哲学の再構成』高田純、未来社、1994年、p.304)

 
 だそうです。ああこの人の文読みやすくて助かる。あ、これは超訳本じゃなくて研究書です。

 ドイツ観念論って何?というと、もうWikiでみてください、というかんじですが、

 要は、「承認論」に何人かの「お兄さん格」がいて、お互い切磋琢磨してというかカイゼンをしていたらしい。ヘーゲルはその中で後世に最も有名になった存在みたいです。

 上の文の中に出てくる人の生没年を挙げると

カント(1724-1804)
シェリング(1775-1854)
フィヒテ(1762-1814)
ヘーゲル(1770-1831)

 そうですか、シェリングのほうがヘーゲルより5歳年下だったりしますね。親しかったかどうか知らないけれどシェリングが何か発表するとヘーゲルが「なにを!」と思っていた可能性はありますね。

 なので「承認論」が出てきたのはヘーゲル30代のときでありますが個人史的に何かあったというよりは、同時代の人との切磋琢磨でもまれてきた、結構対抗意識マンマンだったかもね、というかんじです。

 そして主な先輩格としてフィヒテがいたと思っていいようです。


 本書の記述にしたがい、それぞれの人の主張を短く言うなら…。

カント:道徳的共同体
フィヒテ:自由の相互制限
シェリング:自己の自由を制限するのは自我
ヘーゲル:部分的自己否定による他者肯定。家族から経済、国家へ承認の及ぶ範囲を広げる


 これだけでは当然わからないので、もう少し詳しくみてみましょう。
 
 フィヒテは『学者の使命』で、自我と他我との関係を「概念にしたがった相互作用」「合目的的共同(相互性)(ゲマインシャフト)」ととらえているが、これはカントの道徳的共同体(「目的の国」)を念頭においたものである。したがって、フィヒテの承認論はカントに連なる面をもつ。カントがいう道徳的共同体は、もろもろの人格が共同の道徳法則にしたがって結合することによって設立され、そこでは、もろもろの人格は相互に「目的自体」として尊重しあう。カントは人格としての相互承認を道徳関係の基本においているといえる。(同上 p.306)

 フィヒテは、カントが人格的共同の問題を正面から扱っていないことには不満であった。
(中略)
 (フィヒテにおいては)他我が自我を承認するのは、自我もまた他我を承認するばあいである。このように、承認は自我と他我とのあいだで相互的におこなわれる。(同上 pp.306-309)



 ・・・と、フィヒテは「自我と他我の承認関係」を「自由の相互制限」とし、その関係を「法」だと言った、ようです。


 ここでわたしは、はるか以前、2007年に自分が「人と人との関係は風船プールのようなものだ」と書いたことを思い出しました。
http://c-c-a.blog.jp/archives/51071914.html#more

 意外とわたしって、ドイツ観念論的な人だったかも。こらこらうぬぼれるな

「自由の相互制限」についてはヘーゲルはフィヒテにあとで盾ついているようですが、個人的には共感するものがあります。
 この「風船プール」の文章も、どういう背景があって書かれたか考えてみると、心理学系のセミナーに行ってそこの論法により自我がブワーっと拡張した感じの人をみたときに、「これじゃ自分個人は満足でもはた迷惑だわ、社会はこれの集積じゃうまくいかんわ」と思って書いた記憶があります。

 心理学系セミナーはそのように、人々を甘やかしおかしくさせる要素があり、だから「承認研修」以外の心理学系セミナーを受けたことありますよ、なんてのは何の自慢にもならないんです。


 うーん、あたしも何百時間もそういうセミナー受けてきてますから既に相当おかしな人間ではありますけどね(もし「心理学系セミナーを受けたから、自分はえらい」という論法の人がいたとしたら、その人より100倍あたしの方がえらくなっちゃうんですけどね、だからそういう論法はやめときましょうね)。小学生の頃から論語荘子唐詩漢詩史記といった漢籍、それに啓蒙思想やら(これは漫画の影響かも)読む宙二病な小学生でしたから、心理学に対してかなり免疫ができていた可能性はあるんですね。「その論法おかしいやろ」とつねに批判思考が起こりましたね。

 そういうほうの貯金が子どものころから「ない」人は、大人になって心理学に出会うと「かぶれる」かもしれません。甘やかしてくれますからね、心理学は。「きもちいい」ですからね、はしたないけれどドーパミンが出ますから性欲が亢進した状態と一緒ですからね。その代わり倫理的におかしくなっても知りませんよ。


 フィヒテにおいては、まず他我がその自由の自己制限によって自我を承認するといわれたが(正田注:それはフィヒテ先生ちょっと「虫のいい」考え方じゃございません?)シェリングにおいては、まず自分の活動を制限するのは他我ではなく自我である。(同上 p.311)


 だそうです。ここはちょっとシェリング先生に共感しますね。「与える側になれますか?」のあたしとしては。


 さて、いよいよ、じゃあそれに対してヘーゲル先生ははどう考えていたか、というお話です。


 ヘーゲルにおいては、自己の否定はその自由の部分的制限と同一ではない。自己の否定は自己の肯定に転化される。ヘーゲルによれば、承認の弁証法的構造は、「個人が他人のなかで自分を自立的なものとして直観する」ことにあるが、これが実現されるためには、個人はその利己的、排他的あり方を克服しなければならない。個人は他人のなかで自分の個別的あり方を否定することによって、普遍的なものとして肯定される。また、個人が利己的であるかぎり、他人と対立しており、他人の否定によって自分を肯定しようとするが、個人が普遍的なものに高まるときには、他人を肯定する。このように、他人における個人の自己否定をつうじて他人における自己肯定がえられるのである。このように、承認は自分にたいする肯定的かつ否定的な二重の関係を含むと同時に、他人にたいする二重の関係を含む。


 めっちゃ抽象的な文章で、なんか例示してよ、という気分になりますが。
 「個人はその利己的、排他的あり方を克服しなければならない」
 これは、思春期〜青年期から中年期にかけての個人のこころの成熟の推移を思うと、なんとなく理解できる気がします。
 わたしたちは他人を否定することによって自分を肯定する心理、って残念ながらあります。わたし個人についていうと思春期、青年期はもとより30代ぐらいまでそういうのが残っていた気がします。倫理的に悪い他人を考えることによって善であろうとする自分を肯定する、みたいな。
 でも今、メディアで誰かの「悪」を好んでほじくり返すのをみていると、わたしだけじゃないんだなと思いますが、むしろ生涯長きにわたって他人を軽蔑することでやっと自分を肯定できる、ゼロサムの人が多いんじゃないかと思いますが。
 そういう相対関係の中で自分を肯定する、という段階を脱して「他人を肯定する」ことと「自分を肯定する」ということが無理なく両立するようになったのは30代後半以降だった気がします。

 そして、リーダーたちは「承認」実践者になることを通じて、自分のナルシシズムを程よく抑制できるようになる、ということはこのブログで繰り返し言っています。「他人はすごい」と感じたり言ったりすることは「オレ1人がすごい」という唯我独尊を抑制することになるんです。もともと攻撃的でナルシスティックなリーダーたちへの教育として大事な要素であろうと思います。




 ヘーゲルでは「家族愛」と「承認」をリンクしてとらえているのが大きな特徴のようです。そこから、経済、国家に「承認」の範囲を広げていきます。法思想の中核に「承認」の概念があります。


 フィヒテにおいては自我と他我が対立的なものと理解されるために、自我と他我との相互承認も、自由の相互制限という消極的なものとみなされる。
(中略)
 フィヒテにおいては法が承認関係と特徴づけられているが、その妥当範囲は限定されている。
(中略)
 これに対して、ヘーゲルはより広く承認の実現を家族、経済社会(市民社会)、国家に求める。法的承認が形式的、外的であるのに対して、家族、経済、国家においては実質的承認が実現されることをヘーゲルは重視する。ヘーゲルにおいては、承認は、たんに自他が自由を妨害せず、これを許容するという消極的なものにつきるのではなく、承認の根本は、自他が協力して生活を保障しあうことにある。
 後期ヘーゲルにおいては、法は、狭義の法、道徳、人倫(家族、市民社会、国家)を包括している。法のこれらの段階は形式的承認から実質的承認の高まりを含意している。
 


 いかがでしょうか。
 「家族」、わたしには過去のものとなりましたが、やはり大事でした。「承認」という概念とお付き合いして10数年、途中に迷いがなかったわけではないのですがそういう時、やはり「家族」という最小単位はわたしにとって「承認」で運営できる、実体のあるコミュニティであり、そこで生まれるダイナミズムは次の段階、企業体にも当てはめたくなるものでした(そしておおむねうまくいってきました)

 ほかの記事で触れたいと思いますが、ヘーゲルがいう「承認をめぐる闘争」、あるいは何かの事件があり被害と加害が存在するとき、被害とはなんぞや、と考えた時、それは個人(たとえば家族のメンバーのだれか)の「承認」がほかのだれかによって損なわれたときであり、それを回復することが正義、という道筋で単純に考えられました。子ども同士の喧嘩の仲裁も基本、その考え方でしていました。


 そういう実体験による検証がなかったら、わたしはこんなに長くひとつの概念に固執していられなかったでしょう。とりわけ実務での成功体験が少なかった時期には。


(繰り返しますが実績としては「12年1位」です)



 本書『承認と自由』は、この部分だけでなくやはり「家族と承認」「愛と承認」の記述も大変興味ぶかいので、もう何度か引用させていただきたいと思います。


100年後に誇れる教育事業をしよう。
一般財団法人承認マネジメント協会
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 引き続き、優秀な介護リーダーさんたちからの研修のご感想を紹介します。岡山県の社会福祉法人夕凪会さんより。

 それぞれのリーダーさんの人柄を映し、それぞれの言葉で「承認」との邂逅を述べてくださっています。



 トップバッターは、「裕次郎タイプ」、顔も体もごつい強そうな50代男性リーダーさん。

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●受講後の感想

 「承認」を実践する事で、職員の行動を今以上に見直す機会になったと思います。今までもできるだけ声掛けをして職員の行っている事を聴いたり確認したりして会話を持つようにしてはいましたが、今後はさらに相手の性格や今までの行動言動から、本人が気持ちよく、さらに良い行動ができる言葉掛けを行っていきます。

 どんな相手にも信頼を持って接して行けるように、介護の仕事を続けて良かったと思える職場でありたいと思います。


●『行動承認』p.198からp.210を読んでの感想

 人は、誰しもが老いて行きます。輝かしい活き活きと生きた時があると思います。誰もが歩んできた人生に敬意を表され、お母様に寄り添われた事は素晴らしいと思います。
 その人の人生に敬意をはらって接する事の大切さを教えられました。


●正田先生へひとこと

 人としてお互いに関わり合うときに一番大切な事をあらためて教えていただきました。認め合い成長できていければ幸せだと思います。
 ありがとうございました。
 

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 次に若手男性リーダーさん。優しそうな方です。

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●受講後の感想

 今回の承認研修を受講させてもらい、自分に足りないものに気づかされました。それは相手への敬意と感謝の気持ちです。承認で教えて頂いた言葉を普段何気なく使うことはありましたが相手に届くように伝わるようにはできていなかったように思います。また、どこかで適当に使っていたように思います。気持ちを込めて伝える、そして場面を考え伝えることで職員との関係がよくなり、能力まで上がる、承認の宿題で実感しました。もっと早く承認に出会えていたらと思いました。これから教えて頂いたことを意識し、相手を認めるという大切さを忘れず頑張りたいと思います。


●『行動承認』p.198からp.210までの感想

 言霊という言葉があるように改めて言葉の重みのようなものを感じました。
 承認は人の人生にも影響を与える大きな力があり、相手にも自分にもよい影響を与えることができる。承認は困った人迷った人をも助けることが出来る魔法のような言葉であり、人間が生まれた時から死ぬまで求めるものだと感じました。


●正田先生へひとこと

 貴重な研修をありがとうございました。(略)先生に教えて頂いたことは、忘れず、これからも頑張っていきたいと思います。ありがとうございました。

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 部下30人の女性リーダーさん。正田と同年輩、しっかりさんです

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●受講後の感想

 最初、「承認を学ぼう」と聞いて、承認するってどういう事だろうと思いました。
 今まで参加した研修では聞いたことが無いような気がしたからです。
 承認では挨拶や感謝の言葉を一番使っていますが、名前をつけては言えないことに気づきました。
 名前をつけることで、相手の存在価値や行動を認めていることが伝わる気がしました。
 私は、リーダーだということもありますが、常に職員全員と出来るだけ話をする、どんな話、提案でも聴く、短所より長所を探すようにする事を心掛けていました。
 これからは、承認の言葉を伝えれるようにしていきたいです。
 そして、承認の言葉を伝える事ができて、問題行動(ミス)が減ると叱ることも減るので叱ることが苦手な私には良いことだと思います。
 今は、講義を聞いたばかりなので、少しはできる気になっていますが、自分の行動や言動がすぐには変わらないと思うので、少しずつ頑張りたいと思います。


●『行動承認』p.198-210の感想

仕事ではなく、身近な人にたいしての行動承認は、身近だから難しいような気がします。
私も、親や友人にたいして承認の言葉を伝えたいと思いました。
身近だから、伝えることが恥ずかしい気持ちが強いのですが、素直に伝えることができるようになりたいです。


●正田先生へひとこと

丁寧で分かりやすい講義、ありがとうございました。
承認の講義を聞いて、私の部活の顧問の先生が「ほめて伸びる子、叱って伸びる子」と言ってたことを思い出しました。


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女性サブリーダーさん、健康的な笑顔がステキな、前向きな人です

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●受講後の感想

今回の研修で、初めて「承認」という言葉を知りました。
心の中では、当たり前のように相手のことを認めたり、感謝したり、共感したりと思ってはいても言葉に出すということは行っていませんでした。例えば「ありがとう」という言葉は簡単に言えることかもしれませんが、その時の状況や空間、空気によってはそんな言葉でも勇気が要ることはあります。そのくらい、人に伝える(言葉で)ということは勇気が要るけど、その分とても意味のあることだと改めて実感しました。


●『行動承認』p.198-210の感想

承認といっても、このようなパターンもあるんだなと感じました。今回は、職場での承認について教えて頂きましたが家族や人、友人など誰にでも行えることなのでやっていこうと思います。実際にやってみて、いろいろなことを気づけるのが楽しみです。


●正田先生へひとこと

今回、正田先生に教えて頂いたことを何かしらの形で必ず活用していきたいです。少しずつでも「承認」を行えるようになり(自然に)自分の武器としていきたいです。ありがとうございました。


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 みなさん、お忙しい中心のこもった文面で丁寧な字でまとめてくださいました。

 おひとりおひとりのお顔や声を思い浮かべながら写させていただきました。ありがとうございます!


 みなさんがお仕事の場で生きた証をわたしも胸に刻んでまいりたいと思います。
 みなさんに恥ずかしくないよう生きます。

 「承認」つかってくださいね!




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 『行動承認』最終章へのご感想について…、

 「身近な人への承認のむずかしさ」―これはですね、本には書けなかったけれど複雑な母娘関係だったもので(汗)、自分のお母さんというよりは娘のような存在、というのは実は以前からだったんです。まあちょっといわく言い難いです、たぶんみなさんも利用者さんの中にときどきそういう家族関係があるのをみられているんではないかと思います・・・。

 でも、もっと自然な一体感のある親子関係であっても、「承認」はされるといいと思いますね。「承認」は他者を(自分と切り離された)他者と認める、というものなので。


 もうひとつ、「人生に敬意を払う」という重要なキーワードを言ってくださった方がいました。

 実はそこでやっているのは単純な「行動承認」だ、ということにも気づいていただけると思いますが、

 不思議なことに、相手が好んでとってきた「行動」をそのまま言う、記述的に言う、ということは、そのまま相手の誇りに触れることであり、「敬意を払う」行為になってしまうのですね。これ、絶対悪意をもって使ったらダメですけどね。

 「追悼文」などは特別偉い人について書かれることが多いですけれど、実は同じことを生きている身近な人や、利用者さんにもやれてしまうんです。

 「行動承認」、これまで知られていなかっただけで、ものすごく強力なクスリなんです。そして汎用性があるんです。

 でもちろん「行動承認」だけでなく「例の表」に載ってるいくつかの「承認」は介護の中でも「つかえる」ものなんですが、

 わたしは介護の世界に、このところフランス生まれの横文字の手法が入ってきていますけれど、「承認」を軸にした日本生まれの手法をだれか集大成してくれないかなあ、それはわたしには手に余る仕事だけれど、と思っているのです。

 「集大成」まではいかなくても、せっかく「承認」に触れてくださったみなさんなので、是非日常のお仕事の中でも「あ、ここにも使える」「あそこにも使える」と発見していつの間にか「承認」に満ちた施設、法人様になっていただきたい、と願っております。



100年後に誇れる教育事業をしよう。
一般財団法人承認マネジメント協会
http://abma.or.jp 



 
 
 

 雨の日。

 受講生様からの温かい言葉に出会った1日でした。


 1つ前の記事に出てくる、農業経営者さんとコンビでニヤニヤ頷き合っていたIT企業経営者さんがいました。
 すみません、大の大人の経営者さんをつかまえて悪戯坊主みたいに。

 この社長さんにお電話すると、元気なお声が返ってきました。

「ブログ見てますよ。セミナーではわからなかったことが、ブログの情報を手がかりに少しずつやれていることがあります」

と、ご自身の達成には控えめな表現をされています。

 どうもこの人の癖で、「すごくできている」を「全然できてない」「まだまだ」と表現するらしいのは、宿題をみていても思いました。

「やっぱり3時間ぐらいのセミナーでは無理がありますね。あれ先生が(主催者と)話して2日にされたんですもんね」

「…そうなんです、あれは従来2時間を1回だったのを交渉して3時間+2時間半にしていただいたんです」

 ん?軽くわたしの中に「くらくらっ」という感覚がありました。

 そうか、これは「行動承認」なのだ。「話して2日にされた」のところが。

 敵に使われてしまいました。なんか、肩の力が抜ける感じがありました。めったに自分に対して正確に「行動承認」していただくことはないのです。

 こういう風にさりげなく使われていれば、きっと大丈夫。
 元気な声は「うまくいっている」ということなのだろう、と思えました。


****

 
 もうひとつコンサル先の社長さんからお電話をいただきました。

 先月来、思い切ったことをされました。かなりダイナミックに組織が動いておられる。

「まだご報告する段階じゃない、とついついご報告が今になってしまったんです」

 聡明な社長さんは言われました。


 改めてこの方に愛と、畏敬の念を抱き、よいご縁に感謝しました。

 承認をめぐる闘争。優しいばかりの承認だけではなくそんな場面もある。

 拙著『行動承認』第四章には、実践の中で出会うはずの葛藤場面をいくつか例示しています。そのうちの1つがお役に立ったかもしれない、と思います。
 この章は全部で何を含めればいいのか悩んだ部分でもありましたが、現役経営者、マネジャーならこれぐらいの範囲をカバーしておけばいいだろう、と項目を出し入れしました。今回お役に立ったかもしれない項目は第二校で盛り込んだものでした。


****


「え、これはブログに公開できないですよ〜」

 電話口でわたしは絶句しました。

「これを書かれた__さんのサービス精神ですね、人間の出来た方ですね。でも大分脚色が入ってますよ」


「いえいえ、どうぞ公開してください」

 お電話の先は、先日2回にわたる研修を終了させていただいた岡山県の社会福祉法人夕凪会の吉永施設長。


 夕凪会さんでは研修を終えて、今度は受講生の皆さんに「受講報告書」を書いてもらい、そのお1人目のシートが返ってきてわたしにも送付してくださったのでした。


 嬉しかったのは、わたしが吉永施設長との会話の中でちらっと『行動承認』の最終章を読まれたら介護のプロであるみなさんのご感想が知りたい、ということを言ったのですけれど、そこに関する質問項目を入れてくださったこと。

 なんときめ細やかなフォロー。なんと心優しいお客様。


 お言葉に甘えて「最初のお1人」をご紹介させていただきます。日頃は会議でもあまり発言されないという、でも芯はとてもしっかりされた50代後半女性の方です。謙虚ばかりやっていると温かい人のお心を活かせなくなってしまいますね。

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●受講後の感想

職場は私が一番下なので、入居者の方9名、職員6名、皆、人生の大先輩、ということになります。使いづらい承認もあります。共感、感謝の承認が一番多いです。すばらしい武器を下さったのに、使う者がお粗末で申し訳ありません。これからも武器を上手に使いこなせる様、自分を磨いて参りたいと思います。


●先生の著書「行動承認」のp.198からp.210までの(約13ページ)を読んでの感想

お母様と一緒にいられた時間はとても濃密で、それまでの時間をすべて埋められたんだなあ、と思いました。お母様も幸せでした。
「時代に呑まれず、時代と対決する。」…すごすぎます!
時代の流れに添ってあるがままを受け入れて生きて来た私には難解です。


●正田先生へひとこと

「承認」って研修、またむつかしい題で、途中眠くなるかと思いきや、救いはモデル並の美人な先生だった事です。
早春の陽だまりにつつまれた様でほっこりしました。ありがとうございました。

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 …えーと。

 ああ使ってくださってるんだ。難しい人の組み合わせの職場で。
 ありがとうございますm(_ _)m


 日頃は、「容姿についての褒め言葉は」とキッ、となるわたしなんですが。そしてかなり社交辞令入っていらっしゃると思いますが。


 この場合、ありがたく受け取ろう、と思えたのは、

 「女性」であることが日頃マイナス要因であることが多く、また何の性的関心も惹かないような容姿だったらもう少し能力を客観的に評価してもらえたろうと思うことも多い

(会社員時代も「なんで、差別する材料をわざわざ与えるんだろうなあ」とぶつぶつ言いながら化粧していた)、

 ―今も本当のサービス対象である現場の管理職の方々とは遠いところにいる媒介者の方々には、「容姿」は「オレがこの女性に便宜を図ったと思われる」と保身的な態度を誘うという意味でマイナス要因である―

 しかし多分実際の研修に入ったときには、現場での複雑な悩みを抱えて研修に足を運んでいる管理者のみなさんには「キレイ」だったり「優しい先生」だったりすることは
(この方は以前の宿題で「優しい先生でほっとしました」ということも書いてくださっていた)
プラスポイントなのだ。

 多分、本気で研修を通じて何かを習得し変化を起こしたい、と思っている人にとっては、

「優しい」―すなわち、「承認」と言っている内容と非言語コミュニケーションが一致していること、ブレていない、矛盾していないこと。たまに今でも「叱責技」を使うこともあるのだが―

ということは、学ぶうえで余計な迷いを生じる必要がなく、またこころに問題解決のためのエネルギーを与える大事な要素なのだ。

 ―「大声で威圧して思考停止させてほしい」というタイプの受講生さんは、残念ながらわたしの研修では学べないだろう―


 それと同様、あまり理性的ではないけれど「キレイ」な先生だ、ということも、必須ではないけれどプラスアルファの喜びを与えることなのだろう、いわばサービス内容の一部なのだろう、と思う。
 ひょっとしたらそれで、職場のさまざまなストレスでがちがちに固まっていた心がゆるむ、ということはあるかもしれない。
 「承認」が初めてきく人にとって小難しく響くものだとしたら、「先生が美人」というのはそれに付加価値を与えるものかもしれない。


 と、言い訳がましいことをダラダラ書いてしまいました。

 この記入者の方の優しさ、そして吉永施設長の優しさがしみじみ心に沁みたのでした。

(もちろん、吉永施設長は鼻の下伸ばすようなタイプの人ではなく、いつみても闘ってるわたしへの陣中見舞いのような意図があっただろうと思料します)

 
 
 幸せなお出会いに感謝です。


100年後に誇れる教育事業をしよう。
一般財団法人承認マネジメント協会
※新財団HPを試験開設しています↓ 
http://abma,.or.jp  
 

 12月と1月、受講してくださった農業経営者さんに様子うかがいのお電話をする。

 ご自身も元ビジネスマンでIターンかUターンで農業経営をはじめた方、多分仕事の出来る人だったろう、目の鋭い人である。

 もう1人の「反応の薄い」若手社員さんを扱いあぐねていたが、セミナー当初の宿題では「反応が薄いながら行動してくれる」「言い訳が減った」と、まずまずの結果を得られていた。「行動承認」一本槍で関わられたようだった。「いいチョイスだと思いますよ」わたしは賞賛していた。


 2ヵ月経った時点で再度伺うと、引き続き「反応は薄いながら行動している」「言い訳は過去より減った」。そして、「厳しいことも言っているがちゃんと受けとめ取り入れてくれている」という。
 よかった。この子は一段階逞しくなった、と思っていいのだろうか。


 この農業経営者さんはブログを見ていてくれた派だったので、セミナー中はもう1人ご同類の方とにやにや頷き合い、わたしの言葉の裏の裏を読んでいてくれた。

 3時間やそこらのセミナーで伝えられることなど本当に少ない。今どきのビジネスパーソン、マネジャーならこのブログぐらいの情報量を得てちょうどいいぐらいなのだ。

 できれば、単なる「承認」だけでなく、探究する心、まじめに悩む姿勢、それに問題解決のために闘う姿勢などを受け取ってほしいと思う。


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 Iターンなどで就農する若者、ということも思う。

 サンプルがまだ少ないけれど、都会の職場で何かなじめず、あるいは傷つけられてきた可能性は大いにある。

 そういう子たちでも、私見では農業というものはクラフツマンシップを獲得していかなければならないだろう、主に上司からのOJTによって。


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 新温泉町でのセミナーを終了。

 最終22名の方が参加された。LPガス、旅館業の方多数。

 真摯な方はとても真摯。事前の情報量の違いにみえた。そして真摯な人に向けてお話しする。

 今から地方ではこうした手法に真摯に取り組むかどうかが生死を分ける。

 真摯な人にしっかり残っていることを期待。


 ともあれ前日のお宿の手配までお手数をお掛けしました、新温泉町商工会温泉支所長の安田様、ほかの皆様に感謝です。


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 イーストウッド監督の「アメリカン・スナイパー」を観る。

 何を観たのか全部はまだわからない…。

 イーストウッド監督の切り取る世界はその分野の専門家も追いつかないほどの真実だ、何故か。
 同じ人を礼賛していると思考停止しているみたいで悔しいけれど本当だもの。近作「ジャージー・ボーイズ」も感動してプログラムまで買ってしまった
 
(何度も言いますが「インビクタス/負けざる者たち」は「承認リーダーシップ」のサブテキストにしたいような映画です。低音の名優モーガン・フリーマン演じるネルソン・マンデラ元大統領の「承認」のかっこよさ、最近「承認教」に親しまれた方は是非みてください)


 イスラム教徒への憎悪をあおる、という批判があるようだが最近の出来事を考えると、既に現実化していることだ。憎しみ、「邪悪」とみなすこと、罰を与えること、報復すること…。


 愛や結婚や出産子育てと対極の世界がある、世界各地に。どちらも真実なのだ。



100年後に誇れる教育事業をしよう。
一般財団法人承認マネジメント協会

お世話になっている皆様


 おはようございます。
 一般財団法人承認マネジメント協会の正田です。
 神戸では最高気温15度の暖かい週末となりました。みなさまいかがお過ごしでしたか。

※このメールは、正田が過去にお名刺を交換させていただいた方・当協会のイベントやセミナーにご来場いただいた方にお送りしています。ご不要の方は、メール末尾にありますURLより解除ください。
(解除方法が変わりました!詳細はメール末尾をご覧ください)


 本日の話題は:

■「地方活性化」をめぐる新旧オピニオンリーダーの対話 エキサイティングでした
 ―内田樹×藻谷浩介対談 津山にて

■子供たちとスマホ―社会にどんな未来が待っている?
 ―行動に次ぐ行動・国内最先端の猪名川町スマホサミットに参加して

■一般財団法人承認マネジメント協会 設立登記いたしました

■読書日記:「ヘーゲル承認論」シリーズ始めました

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■「地方活性化」をめぐる新旧オピニオンリーダーの対話 エキサイティングでした
 ―内田樹×藻谷浩介対談 津山にて

 今月14日、お隣岡山県津山市で行われた公開対談「人口減少社会を見据えた、これからの美作国づくり」に行ってみました。内田樹氏(神戸女学院大学名誉教授)と藻谷浩介氏(日本総合研究所主席研究員)の組み合わせ。

 このメルマガの読者のみなさまなら、この両氏の著作の1冊はお読みになったことがあるのではないでしょうか―(ちなみに商工会関係の方は、藻谷氏の『里山資本主義』必読書のようです)

 ブログでこの対談の模様を取り上げたところ、本日まで高いアクセスを集めています。
 登壇者の方には「ネタバレ」になってしまうかもしれませんが、ご興味のある方は是非ご覧ください!

◇「地域でお金を使うのが正しい」「Iターンを呼び込む施策を」内田樹×藻谷浩介対談
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51908632.html

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■子供たちとスマホ―社会にどんな未来が待っている?
 ―行動に次ぐ行動・国内最先端の猪名川町スマホサミットに参加して

 先週末はまた、わが国だけでなく先進諸国共通の課題である「子供たちとスマホ」についての価値あるイベントに行ってまいりました。
 国内最先端の取り組みをしている、兵庫県猪名川町の「INAGAWAスマホサミットII」。
 同町としては昨年に続き2回目のイベントですが、普通のこの種のイベントと違うのは、1回目に出た気づきが1年間に現実の多数の「行動」につながっていること。
 「言いっぱなし」ではないのです。
 このスピードでなければ実際、現実に激動のさなかにあるこの問題には対応できないかもしれない。冗談抜きでわたしたちの社会の存立にかかわる問題です。
 コーディネーターの竹内和雄氏(兵庫県立大学准教授)によれば、猪名川町の取り組みはこの1年、東大やウィーンでも発表し賞賛を集めた、といいます。

 そのスマホサミットの模様をこちらにアップしました。是非ご覧ください!

◇GREATEST LOVE OF ALL II―猪名川町スマホサミット2015
http://c-c-a.blog.jp/archives/51908896.html 

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■一般財団法人承認マネジメント協会 設立登記いたしました

 前号(16日発行)で財団の「設立認証」をお知らせしましたが、先週はやっと「登記」を完了いたしました。
 どうか「子供の遊びだ」「格闘技の団体ですか」なんて、言わないでください。
 「財団化」は、この教育プログラムに対する信頼性の向上、そして後世に伝える教育プログラムとしての矜持、を真摯に考え抜いた結果です。

◇カイゼン好き同士、めでたい財団設立登記、地動説進化論
http://c-c-a.blog.jp/archives/51908629.html


 そして「この教育」による離職防止事例を2つ、今月連続で出ましたのでご紹介しました

◇「辞めたい」→「辞めない」、誇りをもって働く人たちとともに
http://c-c-a.blog.jp/archives/51908783.html


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■読書日記:「ヘーゲル承認論」シリーズ始めました

 突然思い立って、「ヘーゲル」を読み始めました。
 大学の専攻は法学でも倫理学でもなかったので、高校の倫社の授業以来です。
 「承認論」の起源を辿ると、マズロー以前に「ヘーゲル」に行き着きます。
 19世紀初めのドイツ。10代後半のときにアメリカ独立革命、フランス革命の洗礼を受け、そしてナポレオンの侵攻により勤務先の大学閉鎖という経験もした、そして現代のわれわれよりはるかに古典に通暁していたヘーゲルが何故、人類史上初の「承認論」にたどり着いたのでしょうか…。
 もともと「承認」は心理学より倫理学の世界のもの、と言っていたわたくし自身が丁寧に学んでいきたいと思います。
 シリーズ1回目の記事はこちらです

◇『法の哲学』と調節者としての国家―ヘーゲル承認論シリーズ始めました
http://c-c-a.blog.jp/archives/51908943.html 

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★前々々号(1月14日発行)でも掲載した「新年のごあいさつ」を再掲します。

◇「12年1位」を達成したいま 2015年の願いとは―新年のごあいさつ(公式)
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51905578.html 

◇ちいさな声でよびかける 心の友たちへ 新年のごあいさつ(私的)
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51905431.html 


 
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 突然「ヘーゲル」を読みだしました。本来「承認」を語るのにヘーゲル避けて通れない、はずですがこれまでちょっと食わず嫌いしてきました。

 
 アカデミズム界にも静かなヘーゲルブーム、またそちら側からの「承認」ブームというのがあるようです。資本主義の再構築、という観点からも意義のあることでしょう。


 というわけで原典(邦訳書)と入門書解説書、とりまぜて少しずつ読んでいきたいと思います。

 まずは『法の哲学II』(中公クラシックス、Kindle版)。ヘーゲル51歳のほぼ完成期の著作。「承認論」はこれより前、30代のイエナ大講師のときに出て来たもので、この著作では比較的「さらっ」と触れられています。


 やっぱり言葉がむずかしいんですが(よくこんなに抽象に次ぐ抽象でものを考えられるものだ;;)、重要と思われるところを抜き書きしながら、例によって自分の感慨(ぼやき)を挿入していきます。


※なおこのブログの「引用」機能を使うとバックがグレーで読みにくくなるので、引用部分を太字表示にするという形式にしたいと思います


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 §185

 〔社会の緊急状態の調節者としての国家〕特殊性はそれだけでは、放埓で限度のないものであり、この放埓な享楽の諸形式そのものに限度がない。人間の欲望は動物の本能のように閉ざされた範囲のものではないから、人間はおのれの欲望を表象と反省によって拡大し、これを悪無限的に追いつづける。ところが他方、欠乏や窮乏も同じく限度のないものである。この放埓な享楽と窮乏との紛糾状態は、この状態を制御する国家によってはじめて調和に達することができる。


 いきなり、きたきた、という感じです。
 緊急状態の調節者としての国家。(実はヘーゲル時代のドイツは統一ドイツなどというサイズのものはなく、零細国家に細分化されていたので、ヘーゲルがイメージした国家とは今の日本でいうとどのぐらいの単位のものかというと…、)

 要は、ほっておくと際限なく「弱肉強食」になり「格差社会」になりそうなとき、あるいは「悪貨良貨を駆逐する」になりそうなとき、行政が調節者になることは正しいわけです。


 えっ、我田引水すぎますって?でも教育において「弱肉強食」「悪貨良貨」という事態が起きることは、常識人になら想像がつくことじゃないですか。四字熟語多すぎますか。
 もう少しここを詳しくいうと、大人向けの教育について「ネタ」として取り上げる傾向が強まった、と感じています。極端なもの、「えっそんなものが」と目を引くようなものがメディアに載る、スタンダード/王道は顧みられない。しかし、実際の効果を上げるのはスタンダード/王道のほうなんですけどね、「ネタ」的加工をすればするほど、現実世界を幸せにする力は失われますね。どんどん平気で脇道にそれている。それを本筋に戻すのはもう見識あるところが英断でやるしかないでしょう。

 

 これに続く文章ではこんなことも言います。


 プラトンの国家は特殊性を排除しようとしたが、それはなんの役にも立たない。というのはこうした救助策は、特殊性を解き放って自由にするという理念の無限の権利と矛盾するであろうからである。
 キリスト教においては、とりわけ主体性の権利が対自存在の無限性と同じように芽を出した。しかし主体性の権利が芽を出した場合には、全体性はそれと同時に、特殊性を倫理的一体性と調和させる強さを手に入れなくてはならない。



 ここ1−2週間のうちにわたしは「公正(fairness)」と「平等(equality)」の違い、ということも女だてらに言ったのですが、ひょっとしてそれに近いことを言ってくれてるでしょうか。


****

「欲求」について。のちのマズロー「五段階欲求説」に発展するような欲求の多様性についての視点があります。

§190


 動物の欲求は制限されており、それを満足させる手段および方法の範囲も、同様に制限されている。人間もまたこうした依存状態にあるが、それと同時に人間はこの依存状態を越えて行くことを実証し、そしておのれの普遍性を実証する。

・・・

 人間には、住居と衣服に対する欲求があり、また食物をもはや生のままにしておかないで、適当に調理し、その自然的直接性をこわさなければならない必然性がある。こうした欲求と必然性からして、人間は動物のように安閑と暮らすわけにはゆかず、精神としても安閑とかまえていることはyるされない。

・・・

 こうしてついに、満たされなければならないものは、もはや必要ではなくて意見ということになる。そして具体的なものをもろもろの特殊的な面に分割することこそ、まさに文化の一面なのである。欲求が多様化されると、とりもなおさず、むきな欲望は抑えられる。というのは、人間が多くの物を使用するときは、これだけはどうしても必要だというような何か一つのものに対する切望はさほど強くないからである。そしてこのことは、窮乏の度が総じてそれほど激しくないという証拠である。


****

 そしていよいよ「承認」が出てきます。

§192

 欲求と手段とは、実在的現存在としては他人に対する存在となる。欲求と手段の充足は他人の欲求と労働によって制約されており、この制約は自他において相互的であるからである。欲求および手段の一性質となるところの抽象化はまた、諸個人の間の相互的関係の一規定にもなる。承認されているという意味でのこの普遍性が、個別化され抽象化された欲求と手段と満足の方法を、社会的なという意味で具体的な欲求と手段と満足の方法にするところの契機なのである。

 いかがでしょうか。

 個人と個人は欲求を満たしあうことで社会的関係をつくる。「承認する」ということの相互性。

 「当たり前のことを言っている」と思われますか?

 もしあなたが、拙著『行動承認』を読んだ方でいらっしゃるなら、第2章の

「わたしたちは『承認されないと満たされない』心に少しずつ穴の空いた存在です。満たす側になれますか?」

というくだりも想起していただけるかもしれません。

 あれはたぶんヘーゲル的世界では思考として当たり前のこと、しかし「コーチング」をはじめとする心理学の世界では当たり前ではありませんでした。

 というのは、心理学業界というのは、「コーチング」を含め、基本的に個人契約で専門家と個人が契約し、専門家がプロの仕事で個人の思いを受け止めることでご商売が成立してきました。

 また、リーダー研修にもある心理学系のセミナーというものも、現実社会のアンチテーゼ的に個人の自由自発性ということに奇妙に力点が置かれ、そこでは個人が戻った先の現実社会での相互関係ということは捨象した形で個人がねんごろに扱われました。「ご商売だから」とわたしなどはみていましたが、そこではとんでもないロジックの不備が入りこむすきがありました。


 そうした場や利害関係のもとでは、個人が教育を通じて進化して「与える側」になることで理想的な組織をつくる、なんてことは想定されていなかったんです。それができてしまうと専門家の仕事がなくなってしまうんです。だから教育のやり方が雑だった。

 だから、正田は特別高度なことをやっているわけではない。ただちょっと「コーチング」はじめ心理学業界の枠からはみだした思考をしただけです。それを生意気だ、なんて言わないでくださいね。

 ちなみに、某国際同業者団体を含むコーチングの世界では、「クライアントをいかに多数確保するか」がコーチ資格の基準となるので、「承認屋の正田」はある時期からその世界での資格ホルダーになることから降りてしまっています。「承認」習得によって、リーダーたちは多くの悩みから解放されてしまうので、わざわざパーソナルコーチングを受ける必要がないんです。儲からない仕事の仕方ですよね。


 これに続く『法の哲学』の文


 私は欲求を満足させる手段を他人から得るのであり、したがって他人の意見に従わざるをえない。しかし同時に私は、他人を満足させるための手段を作り出さざるをえない。だから人々は互いに他人のためになるように行動しているのであり、他人と繋がり合っているのであって、そのかぎりにおいて、すべて個人的に特殊的なものが社会的なものになるのである。


 これも当たり前のこと言ってますねー。心理学業界にどっぷり浸かっていると、すごく利他的なことを言っているようにみえると思います。あと某高齢者世代の方にとっても常識ではないかもしれません…


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 ほんとは、もっと引用したいんですが今日はこのへんで。

 この後はヘーゲル30代のイエナ大学時代の「承認をめぐる闘争」のあたりの思考をフォローしたいと思います。
 ちなみにヘーゲルが結婚したのは41歳だったそうですが、その前の30代はどんな青春だったんでしょうね…恋愛関係と「承認」に関する思索は関連しそうな気がしますけれど、そういう個人的なことは書きたがらないですね。
 あとヘーゲルってジャーナリストだった時期があるんですね。正田もときどき「罪刑法定主義」なんてことを書きますけれど、「罪と罰」についての思考トレーニングに役立ったことでしょう。

 
****

 さて、正田が急にヘーゲル読みになったのは、なにも衒学趣味にはしって大所高所から語る偉そうな研修講師をやりたいわけではないんです。

 ただ自分でも以前から「修正資本主義」的なことをやっている、という自覚は薄々ありました。それは最終的に経営者、管理者にとって容易に行動できる教育プログラムでなければならないことに変わりはないのですけれど、あまりにも急激な(過激な、ではない)変化を起こす教育をやっているだけに、そのことの歴史的意味を知っておきたくなった、という感じです。

 なにも、研修や某高齢者世代との論争のなかで「ヘーゲルカード」を持ち出したからといって相手がひれ伏してくれるなんてことはないと思います。ただ自分が知っておきたいのです。


拙著『行動承認』を読まれた方で、もしそこに載っている参考文献を辿ってくださった方なら、それら1つ1つについて膨大な冗長な読書日記がアップされていることに気づいていただけるでしょう。本文中で「さらっ」と言っていることも、実はそれぞれの文献との大真面目な対話を通じて自分の血肉化した(と思っている)思索なのです。いずれ今の読書がそのように結実してお客様のお役にも立てることを願います。
ーただわたしの性格上、「まず文献と思索ありき」から今のリーダー教育というおこがましい仕事に入ることは恐らくなかっただろう。今のタイミングだということも恐らく必然なのだろうー


 2012年から13年ぐらいまで陽明学の学びの場に通いましたので、今度はヘーゲルもいいんじゃないでしょうか。


****

 モーゼを扱った映画「エクソダス―神と王」をみました。
 これも格差社会を描いた映画、のように見えてしまいます。
 スペクタクルだったけれどそれ以上の感想は湧きません。カエルやらイナゴやら、CGなら出来るんだと思いますがリドリー・スコット監督ご苦労さま、という感じです。



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 21日、兵庫県猪名川町の「INAGAWAスマホサミット2015」へ。

 
 昨年1月、初めてこの同じ猪名川町スマホサミットへお邪魔し、同町が青少年のスマホ問題で全国最先端の取り組みをしていることを知ったのでした。その中心が太田はるよさんと高校生のグループ「SWING-BY」のみなさんであることも。


 今年、2回目のサミットでは昨年行動宣言した通り、いやそれ以上の具体的行動の数々が盛り込まれていました。

 昨年3月にはSWING-BYのメンバーが町長、教育長と座談会をし、
 ‐学生に高校生がスマホの使用法を授業したい
 ▲好泪朸飢塀颪鮑遒蠶の全小中学生3000人に配りたい(要事業費)
 等を申し入れ、実現した。


 6月、高校生が質問項目を作成した「スマホアンケート」。町内の小中高児童生徒3,928人が回答。
 中学生の半数、高校生の9割がスマホ所持。
 夜12時以降就寝はスマホ派に多い。
 「勉強に自信が少しはある」と回答した率は不所持>ガラケー>スマホと、スマホ派の自信の無さが鮮明。
 「1日3時間以上操作」と答えるのもスマホ派多い。
 見ている内容は男子がパズドラ等ゲーム、女子はLINEで友達とのやりとり。Youtubeで動画をみているのも。
 あとのパネルディスカッションでも「動画をみていると平気で朝3時とか7時になる」との声。


 ―ここは私的な感慨で、ネット動画視聴が多くなると、それは製作者にPCとか働かない世界だから、性的バイアスは強まるのではないかと思う。女性=AKBみたいなかわい子ちゃんとそれ以外とか。


 また、面識のない人とLINE等ネットで会って実際に会ったことがあるか?との問いにスマホ派小学生の2割、同中学生の5割以上が「会ったことがある」。


 コーディネーターの竹内和雄氏(兵庫県立大学准教授)によると、

 今の小1−3年は「ケータイネイティブ2世」」。お父さんお母さんがスマホを持ち家に固定電話がない、子育ても「鬼から電話」アプリなど使ってスマホでやっている。

 
 このあと、高校生による小中学生への公開模擬授業や高校生をパネリストにしたパネルディスカッション、教科書の手交式、大人たちの行動宣言などがありました。


 なんとも、言いっぱなしでなく行動する猪名川町の高校生たち、またそれにつれて動く大人たちです。

 大人の教育をする立場としても大いに触発されるイベントでございました。

 しかしまた、この分野のことは猪名川町だけでなく全国的にも動きが早いのだけれど、激動する子供の世界を何とかフォローしようと試みているのだけれど、

 この高校生たちとすぐ隣の世代、若手社会人についてどんな手当てがされているのだろう。
 ほとんど手つかずだ。スマホの実態も統計がなく、高校生たちの数字から類推するしかない。
 小中学生にとっての高校生に当たる存在は、若手社会人には。



 公開授業の生徒になった小中学生に、最後高校生たちが「大縄跳びをしよう」と外に連れ出しました。
 現実に身体を動かして遊ぶ楽しみを教えたい、ということだそうです。

 「スマホの害を教えて終わり、ではない。それに代わる遊びを教えるところまでやらなければ」。


 さあ、「それに代わる遊び」とは若手社会人にとっては、何を意味するでしょう…。



 とまれ、素晴らしい実践をみせていただいたスマホサミット関係者のみなさま、ありがとうございました!




****


 すごく蛇足なのですがこの素晴らしいイベントで1か所「モヤモヤ」が残った―巧みに残してくれた、と言っていいかもしれない―箇所を挙げておきましょう。


 親に叱ってほしいか、どうか。

 高校生パネリストは、

「勉強しなければと思うのについスマホをやってしまう。時には親にビシッと言ってほしいと思う」

と言いつつ、

 じゃあ、実際に厳しく言われたらどう思うか、「やっぱりイヤ」。


 ここなのだ。当たり前の上司部下関係にもあるジレンマ。


 心のどこかで「厳しいことを言ってくれる存在であってほしい」「自分一人では自分を律しきれない」と思い、しかし現実に厳しいことを言ってくる人には反発する。

 上司にとっては、「じゃあどうしろっていうんだ」という話でしょう。


 これについてその場では解が出ず、イベントの一番最後ごろになって竹内和雄氏が言ったことは、


「先生も生徒からわからないことは教えてもらう。そのうえで『大人社会ではそれは通らないよ』ときにはビシッと言うことも大事。その部分がないと大人も子供から信頼されない」


 それは最適解ではなく最善解なのだろうなあ、しかしそれしかないだろうなあ、と。

 要は「開かれた知性」であること、大人が。子供/若者が独自に持っている情報に興味をもち、真摯に耳を傾け驚いたり学習したりできる。
 そうした姿勢を維持する大人が、次の段階で厳しいことを言うこともできる。

 
 これを、まとめて「要はコミュニケーションが大事なんですよね」みたいな言い方をしてしまうと間違ってしまうと思う。最近思うのが「コミュニケーション」という言葉は何も生まない、なんでもありになるだけで。思考停止を招いてしまうだけ。
 「没コミュニケーション」が当たり前の状況になっているとき、覆す説得力をもつための過渡期の言葉である。


 声掛けする、関心を示す、ときには教えてもらう、驚く、学習する、(「学習する」と「リスペクトする」は、イコールではないかもしれないが非常に近い)と、必要なことを特定していったほうがいいのだ。


 


100年後に誇れる教育事業をしよう。
一般財団法人承認マネジメント協会

 「承認」実践の世界の人になった友人から嬉しいお知らせ。


 この人は今月限りで勤務先を辞めることになっていたのだが、「承認」実践をきっかけに心境の変化があった。イヤだった上司のイヤさ度が下がり、仕事がはるかにスムーズになった。辞めたいという気持ちが低下した、という。

 そこへ勤務先からも慰留された、ということでいったん辞めても再雇用となる可能性が出てきたのだ。


 「これは『承認』のお蔭です。『承認』は人材定着にはっきりつながる、自分の経験に基づいて信念をもって地域で言っていきたいと思います」

と友人。


 もうひとつ「離職」関連のお話が今月はあり、先日研修をさせていただいた先では、やはり辞めたいと言っていたある非正規職員―仕事量が減ると電話して休んでもらわなければならない、不安定な立場であり「ほか」を探したくなる気持ちもわかる―が、気持ちの変化があり「今月一杯様子をみる(辞める決断を先延ばしする)」と言った。その後も上司側に様子をきくと、「残ってくれそうだ」ということだった。上司の「承認」―「休まず責任感高く来てくれますね」という意味の「行動承認」―が功を奏した。


 1か月に2つのサンプル。残念ながら大規模調査での「離職防止」につながるかどうか、の統計はまだない。


 「承認」は離職防止につながるかどうか、自前のデータはないので研修でも「本」でも、昨2014年8月ジェイック社の調査を引用する。
 「尊敬する上司が離職を減らす」という趣旨のもので、そこでいう「尊敬する上司」の中身はほとんど「承認する上司」とイコールである。


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 発売中の「週刊文春」2月26日号では、「高齢者施設『修羅場』ルポ」と題して5ページの記事を載せる。介護報酬下げに伴う3K職場・介護現場の悲鳴。迫真のルポ。

 確かに、新聞にはこうした話は載らないなあ。
 本来ははたらく人の中のかなりの比率の人口と、そしてすべての人の親御さん祖父母さんの幸せに関わる話なのである。

 このブログでもちょこちょこ介護職の方や施設長の方のお話を載せるが、ここまで悲惨な話というのはまだない。実は当財団とコンタクトがあったり研修を採用してくださる施設・法人様というのは、その業界でも比較的「優良企業」であり、「エステに行くのは美人」なのである。それでも中には、「法人内のある施設では離職続出のため40代以上のリーダー層が月8回夜勤に入る。そうなると研修が必要でもそのためのシフトも組めない」というような話もある。


 人材確保難。これは建設業などとも共通するのだけれど。


 わたしが

「『承認教育』を普及することが必要なんです」
「それも『決定的にこの教育が重要』と位置づけていただくことが必要なんです」
「わたし個人のために言っているんではないんです。お願いします」

 さまざまなところで頭を下げつづけるとき、視野にはつねにこうした、誇りをもって働いていながら痛めつけられている人たちの生身の存在がある。

 話している相手にはほとんどの場合、それは見えていない。共通のものが見えていない。


 そして相手に見えているのはつねに目の前のわたしという存在であり、

「正田さんという『女性』のために何かをしてやった」

という話に、話がすり替わっている、気がつくと。


****


 来週24日に県内遠方で実施する研修の受講生様―ものづくり、建設、LPガス等現業の管理職の方―から、事前アンケートのお返事をいただいた。


「やる気をいかに引き出すか」
「挑戦する気持ちをいかに奮い起こすか」
「お客様の懐に入りこむか」
「仕事をプラス思考でさせるか」

という課題。

 非常に正確に研修趣旨をわかってくださっている、きっと間に入った担当者さんが役員会で苦労してプレゼンしてくださったのだろう。

 これも、だれが間に入っても絶対に一言では説明しにくいテーマだけに、頭が下がる。
 



100年後に誇れる教育事業をしよう。
一般財団法人承認マネジメント協会

 神戸、今朝も抜けるような青空。

 わたしは「1人でも多くの人が幸せであってほしい、いい人生を送ってほしい」と願っている。

 あくまでその立場から、最近また「不毛だ」と感じたことを書きますね。

 ここ2日間でもたとえばわたしを「正田さんという女性」という言い方をして「女性じゃありません人です」みたいに突っつかれ「失礼じゃないか!」と怒りだしたり、類似の不毛なやりとりがあり、

 そういう方のことは多分今後スルーするしかないのだろう、と思う。

 ただまたそういう方について気がつくのは、

 会話の中でわたしのブログに登場した言葉を使ったりするのだ、その方が。

 例えば最近でいえば「スタンダード」とか「地動説」とか「プラットフォーム」とかね。


 たぶん、これはわたしの想像だけれどずっと以前から薄々感じていることで、

 こういう方はわたしのブログの愛読者なのだ、実は。
 PCかスマホか知らないが毎日、気になって読み、反発をおぼえながらもこのブログの独自の見聞や発見や思索を無意識に学習してとりこんでいたりする。それでちょっと「得した」と思ったりしている。

 こんなに無料で情報量が多く、情報の質の高い読み物も本当はないんです。天下国家とかそういう大きなところは論じないですけどね。
 日常的な事柄について、新しいものの考え方のフレームワークを日常的に提供している、と思います。

 多分、特ダネ記者体質の正田の書くものをずっと読んでいたら、その人自身も発見が毎日多くなると思う。
 また論理的で問題解決能力の高い正田の書くものをずっと読んでいたら、その人自身も問題解決能力が高くなると思う。

 ごめんなさいね、傲慢なもの言いをして。


 でも本当、もう何年も出会う先の社会的地位の高いおじさまに対して感じてきた。
 「この人、無意識にあたしのブログで使った言葉や考え方を使っている」と。

 その話は先般の凄腕担当者Nさんとの対話でも出て来て、Nさんは「あるでしょうね」と同意されていた。

 (Nさんは125kgの巨漢で柔道三段者だけれど一方で非常に心の柔らかい、体内感覚を言語化する能力の高い人で、かれによると「正田先生のブログは毎日怖いものみたさでみる。『怖い怖い』と思って、人との葛藤があると一度閉じてしまうけれどまたもう一度開いてみる」ということだった)

 
 (そしてまたNさんによると、「正田先生のブログを読んでいると僕も以前よりものすごくものを考えるようになったし、考えたことを伝えるようになった」とも言われていた。こういうことをそれも男性で素直に言う人は確かに珍しいが、多分その通りなのだと思う)


 ・・・そして、思うのが「わたしのブログの本当は愛読者なのに反感をもって侮って、わたしに上から口調とかひどい態度をとる」というような、ねじくれた態度は、決してその人の人生のために良くない、ということ。


 本当はみなさんNさんのように「あなたのブログを愛読しています。うなずくところが多いです。あなたのブログのファンです」と言ったほうが、自分自身の中に一本合理的な筋が通るのではないか。


 生きているポジションは違っても、わたしはわたしの置かれているポジションで出来ることを精一杯やっている。それはこのブログを読めばおわかりになるし人として通じるものはあるはずだと思う。
 そのことにことさら目を背けていると、その人の人生は間違ってしまうと思う。ほかの正しいものにも心開かれなくなる。可哀想なことだと本気で思う。


 「汝の敵を愛せよ」なんていう高級なことを言うつもりもないですが―、

 以前こちらのブログの末尾部分に書いたこと

◇気づきにみちた日常を生きる―受講生様の幸福を祈って―『マインドフルネス 気づきの瞑想』
http://livedoor.blogcms.jp/blog/officesherpa/article/edit

 ここに、「敵を慈しむ」ということに関して、 「当分この境地にはたどり着けないであろうけれど、いつかあるかもしれない到達点として、書いておきました」なんてことをわたしは書いていますが、最近ちょっと部分的にそこに近づいたかな?と思いました。

 「可哀想。どうか間違わないで」と思うことが多い。

 わたしの大切な友人たちは、どうか「正田先生のブログの愛読者です」とさらっと言える人であってほしい。

 これも不遜ですけどねえ。



100年後に誇れる教育事業をしよう。
一般財団法人承認マネジメント協会




 

 昨夜遅く1つ前の記事「『地域でお金を使うのが正しい』『Iターンを呼び込む施策を』内田樹×藻谷浩介対談」をアップしたところ、今朝早くフェイスブックの親しいお友達の1人から嬉しいコメント。

「故郷の秋田を思うと、とても重要な、大事な点をご指摘なさっている講演内容でした。早速、母校の研究会に紹介しました。ありがとうございました。」


 嬉しいなあ。こんな風に反応してくださると、長い記事をアップした甲斐があります。


 ちょっぴり自慢ですがこのブログでは過去、三枝匡氏・伊丹敬之氏の講演(対談ではない)聴講記をそれぞれアップしたところ、まったく面識のない方から「非常に正確な講演録だ」とおほめの言葉をいただきリンクしていただき、そこから今に至るまで高いアクセスをいただいたりしています。


 スピーカーの方は、内容がネタバレになると「損」なのかもしれないですけれども、わたしたちが日頃何事によらず安心感を求めることを考えると、「内容の濃い、依頼して間違いのないスピーカーだ」とご依頼担当者さんがわかるのはいいことだと思うんですよね。

 わたし自身にとっては、読書であれ講演セミナーであれ、学んだことをこのブログにアップしておくことは、自分の脳の「外付けメモリ」のような役割を果たします。


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 さて、本日はごあいさつ回りをちょっとお休み。


 わたしはこの仕事をもう10数年やってきて、(正確に言うと「コーチング」は2001年8月から、「マネジャー教育」は2002年9月から、そして「1位輩出開始」は2003年10月から)

 その大半を、「なぜ」この手法がいいのか、をご説明する仕事に明け暮れてきました。

 むしろ仕事本体のほうをそんなに多くやったとはいえません。世間の「通算何千何万人の経営者管理者に教育を実施」とうたうコンサルタントさんみたいな実績があるとはいえません。
 言い訳になりますが単発の講演よりは「質重視」でなるべくシリーズ研修でご採用いただいてきた、というのもあるんですけどね。


 でそんなことをやって40代を丸々終えて50代に1年踏み込んでしまい、なんともったいない人生の時間の使い方、とも思います。

 
 なぜそんなことができるか、といえば、これも「師」がいたのです。

 これは、中嶋嶺雄氏とも武田建氏とも違う、記者時代に取材させていただいた方です。


 1989年、島根医科大学第二外科の助教授(当時)だった、永末直文氏です。


 永末氏は国内最初の生体肝移植手術の執刀医でした。ご存知のかたはご存知の事情で、わが国の「臓器移植」は1960年代の「和田移植」の失敗によりタブー視され、一部研究者が盛んに動物実験を行っていたものの人間には実施されませんでした。その間、心臓や肝臓に先天的な異常があり移植でしか助からないと宣告された小さなお子さん方がオーストラリアやアメリカに渡航して手術を受ける、莫大な費用がかかるし渡航先でもだんだん日本人が国内で解決せず海を渡ってくることに厳しい目が注がれるようになりました。

 そんなとき、やはり動物実験を繰り返していた永末氏のもとに瀕死の赤ちゃんをもった患者家族が嘆願に来て、ほだされた永末氏は第二外科の医師団とともに独断で手術を決行してしまいます。

 大学の倫理委員会は「後づけ」で承認する形になり、非常に横紙破りの形でした。

 これは世間の非難を集め、永末氏が手柄欲しさのために患者に持ち掛けたのではないか、という疑念すら生まれました。

 
 記者時代の正田は広島から島根県出雲市まで何度もカバーに行き、そのうち永末氏とも馬が合ってしまい(どうもわたしは向こうっ気の強い人と相性がいいのだ;;)永末氏に手術に至る経緯を本として出版してもらうまでになります。

 そして自分でも関係者に繰り返し当たったのですが、だれに当たっても「永末氏の功名心」という線は出てこなかった。患者から腕を見込んで嘆願され、決断した、それ以上の裏事情はない、という結論になったのです。


 あまり報道されなかった一面として、永末氏は優れた論文の書き手でそして指導者でもあり、弟子の書いた論文をちょちょっと手を入れるとそれらは、ネイチャーサイエンスとは行きませんが「セル」「キャンサー」「ニューイングランドジャーナルオブメディシン」等のやはり一流誌に載るのでした。そうして取材の10年後、ふと思い出して検索をしてみると、あのときの医師団はやはり固い団結で島根医科大学にいて大量の論文を発表していたのでした。


 それはどうでもいいこととして、

 そうしたまぢかでみると誠実で裏表のない人柄の永末氏が繰り返し記者会見に出て記者たちの底意地の悪い質問を浴びせられるのにもたびたび立ち合いました。
 医師たちは昼夜わかたずのICU(集中治療室)詰めで疲れきっているはずで、それでも永末氏は時には顔をこわばらせる場面もありながらも、誠実に1つ1つ受け答えするのでした。
 説明に次ぐ説明。


 島根医大第二外科は恐らく史上最初で最後、「記者の出入り自由」の医局で、記者たちは中央のソファにどっかり腰かけて医師たちがICUから戻るのを待っていました。そのオープンさも永末氏自身の持ち味であり、また「移植医療の推進のため」必要と判断したことでした。


 ブタ肝移植実験も見学させてもらいましたが、

 彼らはもう何年実験をやり続けていると言ったのだったか―、さまざまな実験デザインで実験をし、データをとり論文化することを繰り返していました。
 

 これはほかの大学でも同じで、その後広島大学でも肝移植実験には立ち会わせてもらい、本当はこちらのほうが実験の歴史は古く何十年もやってきたといいました。広島大学では学内政治を牛耳る脳外科医の先生がいてその人が脳死も臓器移植も認めない、としてきたのですがその支配構造をわたしが週刊誌にかいてしまったので流れがかわり、移植ができることになりました。後にも先にも1回のみの広大の移植はこうして行われました(しかし失敗)。
だから、わたし自身は記者時代、イノベーターの味方だった。


 こういうこと書くとまた記者さんに嫌われるなあ。


 決してここでは「臓器移植」が唯一無二の正解、と言いたいわけでもないんです。その当時も人工心臓という、臓器移植に代替することを期待された技術があり、今はまた「再生医療」に期待が高まっています。


 ただまあ、ものごとを1つ変えることは日本では信じられないぐらい息の長いこと、というのを覚悟しないといけない。

 それは、あの意地の悪い質問を浴びせられる医師たちの姿をまぢかでみたから、自分もまたそれを引き受ける力になるような気がします。行動理論でいうモデリングですね、これも。


 新しいことをしようとする人は辛抱づよくないといけない、日本では。言っても言ってもわかってもらえないフラストレーションに耐えなければならない。孤独にも悩まなければならない。


 だから、わたしの40代がもうにどと還ってこないとかそういうのは別にどうでもいいのです。

 たくさんの人が「この方式」のもとでなら、幸せになる。その幸せは従来手に入らない、みんなが諦めていた種類のものだった。

 いつか、今ではないいつかなのだろうか、これが普及することが加速する日がくるのだろうか。


 やっぱり「あの人たち」は男性だったのだなあ。そしてわたしは女性。
 わたしの言っていることは従来この国が女性に与えてきた役割より大きすぎる。それも思う。


****


 去年「職員研修(管理職研修)」をさせていただいた、経営支援機関さんにお電話してみる。

 県下に散らばっている、それぞれ独立性の高いプライドもある団体さん。


 あるトップの方は、

「研修後みんな自発的にすぐ報告してくれ、あれ以降も前向きによくやってくれています。良い研修だったと思いますよ」

と言われ、統合後の大変さも気になっていたが大丈夫のようだった。

(今、地方を支える大動脈のような組織に「統合」の問題は必ずついて回る)


 そしてよく光る眼をした管理職さんは、「お待ちしています」と力強く。


 この人たちとは一緒に闘える、たぶん。


「宿題まとめA3ファイル」というものを作ってお送りするようになったのは実はこの方々の代からで、それまではなかった。
「承認」というものが10数年来正しく、従来考えられていたこの種の研修よりはるかに効果が安定して出る、とわかっているとき、次の段階どうやって受講生さんに
「一生もののかけがえのないものに出会ったのだ」
とわかってもらうか、ということに知恵を絞った。とにかくこの分野には同工異曲のものが溢れていて放っておくとすぐ新しい考えが入ってきて。
宿題も出しコメントも返していたが、もう一歩「まとめファイル」というものも(相互公開に同意を得たものについて)作ることで、自分の成功は偶発的なものではなくほかの人も先生の言う通りのメソッドで成果を出しているのだ、今後もその通りやり続ければいいのだ、と実感してもらうことにしたのだった。





100年後に誇れる教育事業をしよう。
一般財団法人承認マネジメント協会

 先週末、神戸から片道2時間20分、クルマを飛ばして津山での講演(対談)へ。

 「人口減少社会を見据えた、これからの美作国づくり」


 内田樹氏(神戸女学院大学名誉教授)と藻谷浩介氏(日本総合研究所主席研究員)の対談でした。岡山県美作県民局とNPO法人つやまNPO支援センターの共催。14日、津山文化センターにて。


 このブログの読書履歴から言っても「マスト」の対談でしょう。「ウチダ本」はある時期出るそばから読みました。苦しいさなかの指針になったときもありました。そして藻谷氏はいまや地方創生・人口問題等の代表的論客で、先般来日したピケティもいうところの「所得移転」は、わたしたちは藻谷氏の『デフレの正体』(2010年。もう古典だ)によって馴染みのあったものでした。

 
 非常に興味深い取り合わせで、また期待にたがわず迫力あるやり取りになりました。
 
 撮影録音録画は禁止なのでメモを基に再現した聴講記です。あまり正確でないかもしれないことをお詫びします。

※藻谷氏資料はこちらの美作県民局ホームページからみることができます

  http://www.pref.okayama.jp/uploaded/life/405321_2615236_misc.pdf

****

 対談は1.マーケティング 2.観光振興、おもてなし 3.地域づくり―について、主に藻谷氏が情報提供し内田氏がコメント・補足するという形ですすみました。


 藻谷氏の得意とする「人口の波」。津山市、岡山+倉敷、東京都、そして中国の比較。


 津山市は今の勢いだと今後130年で人口ゼロに。一方「岡山+倉敷は2000年後も持ちます」と驚くようなご託宣。しかし安泰なのではない、子供や現役世代人口は減っているのであり65歳以上が急増中。山間部から暖かく住みよい地域におとしよりが移動する。


 東京も人口減少の例外ではない、人が減っているのに不動産を建てるから100軒のうち11軒は空家(津山は100軒中13軒空家)。
 そして中国では隠し子も含めた国連のゲリラ予測によれば、まだ人口増加中。17年で日本が1こ増える勢い。しかし急速に65歳以上が増加しており、介護人口不足が見込まれる。


 ここから対談:


内田:統計数字は、分かっていてとんでもない数字が出ますね。社会システム自体が持たなくなる。
 新聞でいうと朝日が年間5万部減らしているところ、去年20万部減だったそうだ。新聞社はあと10年でビジネスモデルが破綻する。
 TVも、若い人は観ない。CMが売上に影響しなくなっている。こちらも近年中に破綻するでしょう。
 あまりに足元が崩れそうな大きな問題についてはだれも書かない。


藻谷:あまりに都合が悪くてだれも言わないですね。


内田:アメリカ主導のグローバリゼーションの下で、あるタイプの国々が今からシュリンクしていく、そして僕らと関係なかったイスラム国のような勢力が伸びて来た。
 世界が劇的な転換期です。今まで使っていたような思考の枠組みが有効でなくなる。
 既成概念を1回クリアしてみて、本当はどうしたらいいのか?を考えないといけない。
 未来を見越した仕事をしている人が日本にはほとんどいない、願望を語っている。


藻谷: こちらがデータで見せてもあなたの思い、あなたのご意見、あなたの主張という言葉が返ってくる。それはその人の主観を言っているんです。

 
内田: 少子化問題担当相というのがいるが、われわれが直面しているのは問題ではなく回答だ。過去数十年やってきたことへの答えだ。


藻谷:アメリカも人口が増えないんです。
 日本では85歳以上人口は、現在400万人、30年後には1000万人。


内田:私たちの頃は子供があまりに多かったので子供が大事にされなかった。出身地の太田区では子供が教室に入りきらないので二部制になり、午前と午後に分けて通学した。


藻谷:今のインドとアラブが全く同じ。子供が多く貧富の差が激しい。


内田:当時は地域社会がしっかりしていた。行政システムがまだ確立していないので、治安、どぶさらい、自治、自分たちでやっていた。今よりも秩序があった。


藻谷:70M先に住んでいる子供について「そんな子供は見たこともきいたこともない」と言う、それが今や田舎でも成立してしまうという現実ですね。
 私は山口県の田舎育ちで、学校に呼び出しの電話があったのを憶えている。
 それがバブルの頃はおやじがゴルフ、子供はスキー、個室にカギをかけている生活が普通になった。その生活習慣のまま今に来ている。

 
内田:85歳以上人口が1000万。これは既存のシステムが対応できないですよね。介護とか根本的に考え直さないとダメですね。最終的には老人が老人を介護しないと。現役世代には働いてもらう。
 先日も60歳の人が除雪作業をして家の中に80歳のおばあちゃんがいるという光景をみた。概念規定を変えていかないと。手足の動く人が現役で、フロントライン。老人は老人で何とか支え合っていく。
 就労人口が足りないと今度は奴隷を輸入しないといけない、と言い出すが。


藻谷:人数が合わないですよね。


内田:移民を入れて成功した国は1つもない。
 アメリカは成功したじゃないかというが、私は「それは現地人を殺したからでしょう」と言う。そもそもが移民国家だから。


藻谷:医療はアメリカは全然うまくいってないですね。
 中国は介護の人手が足りないですが、インドネシア、フィリピンで介護人材が余っていれば向こうは富豪が金に明かして買いあさる。善良な日本には全然来ない可能性がある。
 中国は今のところ意外と優等生なんです。食糧9割自給、エネルギー9割自給、移民受け入れゼロ。


内田:階層の違う人を輸入して使えるだけ使って国へ帰れというのは人を侮ったシステム。そういうのがうまくいくはずがない。
 フランスが50年代から移民受け入れを始めてどれほど大きな社会的コストを抱え込んだか。短期的な経済効率を求めてどこの国も失敗している。
 移民は文化資本に一切アクセスできないような環境に置かれる。郊外のイスラム居住地など、何もない。図書館、美術館、資料館のたぐいはない。学校は荒れに荒れている。
 子供はどんな才能があろうと気づけない。部活などもない。サッカーはプライベートのクラブで、金持ちの子供が家に帰ってママが車で送り迎えしてくれるもの。
 階層社会の一番邪悪なところは、自分には才能があるということに気づかせないことです。才能を知っていれば、怒りをおぼえることもできる。知らなければ怒りようもない。芽をつぶしてしまう。自尊感情を持たせない。
 シャルリを襲撃したのは一部のテロリストだとみるのは間違い。フランス社会全体が生み出している。


藻谷:そうすると日本はこういう状況を自分で何とかしないといけないわけですね。
 私は何とかなると思っているわけですが、是非批評していただきたい。

 島根県邑南(おうなん)町は私の一押しの田舎です。
 ホームレスがいない、イタリアンレストランでイタリア政府一押しのレベルのがある。
 65歳世代がもう戦力になっている。
 大学生の子はいったん出ていくがほぼ戻ってくる。人口は20年後もほぼ横ばい。出生率は2.65。
 都会からIターンしていて、一昨年から引っ越して入ってくる人のほうが出ていく人を上回った。20代―30代前半の人が移入している。昔は大卒の人が戻ってこなかったというが。
 なぜ、うまくいっているのか。
 あまり天気の良くないところで、町長も職員も優秀だが地道にやっている。


内田:定常型の社会構成ができているということですね。
 農業をやりながら子育てしたいという女性が増えている。神戸女学院は、昔はお嬢さん学校だったが今はカントリーガールが多いです。加古川とか丹波からきていて、しっかりしていますよ。


藻谷:過去に「マネー資本主義」をコロンビア大学大学院で学んだ。
 そのころ見たのがマネーゲームをやってる奥さんと理髪店のだんなというカップル。すごい知的な奥さんとガテン系のだんなという組み合わせ。


内田:そのカップルはリスクヘッジからいって正しいですね。
 
 一番大きいのは3・11です。当時、本当にどれくらいリスクがあるのか隠していました。西へ向かう新幹線がお母さんと子供満載で。メディアの人が奥さんに「逃げろ」という。東電も政府も全く状況を把握していない、というとき。あのとき日本のメディアは倫理性を失ったと思う。
 私はそれをブログに書いたら、官邸筋から横槍が入った。先生のような有名人がそんなことを書くと東京における経済活動が停滞すると。経済活動ですよ、人命がかかっているときに。


藻谷:私は東京にいて、とある大新聞の人に子供を移したほうがいいですよ、と言われたんです。福島原発4号機が収拾したのでしなくて済んだ。言われたときは危なかった、偶然助かった。東京壊滅、と菅直人も口をすべらしたとき。


内田:阪神大震災あれは原発事故とは比べられない。自然災害だったので、だれを恨むこともない。市民社会が立ち上がって、助け合って、みんな一斉に家が壊れたからと頭を切り替えて前を向くことができた。


藻谷:今の人災をだれひとり総括しないでいると、潜在意識にどこかに歪みが出ますね。


内田:事故について「自分には非がない」と言い続ける。あれで十分だったということを証明するためにあれと同じ基準でやり続ける。
 改善点があったということは、それまで悪かったということですから、改善点はないと言い続けるしかなかった。

(ですよねー。カイゼンしないということはわるいものを平気で温存するということ、わるいものをわるいと感じる感性を麻痺させてしまうこと。やたらうなずく正田)

藻谷:南相馬市民は忘れてないがほかの日本人と意識が違ってしまう、だから無理やり忘れさせられる。


内田:「フクシマ・イズ・アンダー・コントロール」。みんなウソだとわかっているのに短期的にそれで上手くいってしまうなら、みんなウソつくようになる。国のトップがそれをやるから。
 小学生じゃないんだからというような未熟なことをトップが平気でやる。情緒的な未熟さを平気で出せる。トップに情緒的成熟を期待しなくなった。日本人のモラルが一斉に下がっている。安倍晋三と橋下徹の影響は大きい。


藻谷:株価が2倍になった、だから経済成長しているかというと、よその国なら株価2倍なら給与も2倍になるとか、実感するものがあるんです。でも実質があまりないので。
 今の内部留保について、冬眠を前にしたクマがドングリを食いだめしているのと同じだと言った人がいました。脂肪の薄いほうから死ぬ。それぐらいビジネスマンが今、将来に対して絶望している。
 一方ですでにこの先に行っちゃってる農村がある。平均2.5人の子供がいて美味しいもの食ってる夫婦がいる。こうなると恐竜は死ぬ、哺乳類は生き残る。


内田:グローバル企業が生き延びていく環境ではない。
 私は医療系大学の理事もしていますが、医療とか学校教育に政府がどれだけ圧力をかけているかよくわかる。毎年減っていく。
 なんでこんなに医療を追い込むのか、ときくと、「公共工事に使いたいからじゃないですか」という。
 医療や教育は100年の社会をつくる。それより短期的に土建屋が儲かる道を選ぶ。


藻谷:すごい少ない人件費で年寄りをみろというシステムは無理ですよね。
 教育費は、津山のほうが東京より状況はまし。


内田:出生率の回復は、簡単なんです。フランスがV字回復しましたが、教育費無償化をやればいい。教育費と出生率は負の相関があります。


藻谷:長野県下條村は人口4000人ですが、子育て支援をした結果20年前から子供が減っていません。年よりも増えない。こういうことを真剣に社会的にやったところは子供が増えている。


内田:数千人規模のところがうまくいくことがありますね。
 (岐阜県中津川市)加子母では人口3000人なのに飲食店が27軒もある。1軒に100人客がついていれば何とかなる。「花見酒経済」です。中でぐるぐる回している。
 消費者が一番安いところで買う義務があるという考え方をしているとこうはならない。


藻谷:選択の自由がある。値段より価値。いや盲点でしたね、加子母。


 ―ここで「お金の使い方次第で地域が変わる」というスライド。
  (藻谷氏資料p.54)
 藻谷氏が「これは農協の人に説明するために知恵を絞って作ったんです」という、力の入ったもの。
 この人のスライドは過去に引用させていただいたこともあるが、よくあるコンサルタントさんの「上から目線」のきれいなスライドと違い、「共有したい」という意志に溢れている


・受け取った人が地域内でまた使う
・地域外に出ていってしまう
・地域内のだれかの貯金に回る(内部留保、個人貯蓄など)

 特に3番目が、「日本特有の問題」と藻谷氏は言う。
 そして2番目がアメリカ資本主義、1番目はスイスなどだと。


内田:「一番安いところで買い物しよう」というルールだと必ず地域外に出ますね。
 スイスの偉いところは自分たちの産業を守るために多少高くても買うというコンセンサスがあること。
 日本ではだれもそういうことを言わない、だれかから教えてもらうこともない、市民性が低い。
「賢い消費者であれ」というが、自分たちの社会が10年、100年続くことこそ賢い消費でしょう。


藻谷:節約して浮いたお金を何に使うの?という話ですね。貯金する、死ぬまで使わない。金を使わない貯金するのがいいことだ、豪遊して使う奴は悪い奴だ、と刷り込まれている。


内田:子供のころ、カメラに100円札を入れていたら無くなっていた。お兄ちゃんが「オレが代わりに使ってやった」という。それで学びましたね、金は使うものだと。
 貯めるビジネスマンのところには金は来ない。昔大蔵官僚に教わったのが、金は運動するもの。流すと流量がどんどん増えて横に川ができて、何かのときぱっとすくえる。


藻谷:グラフの右側(高齢者)の人たちが亡くなるころまで金をため込んで相続する頃には相続する相手も65歳になっている。

 では今までの話をまとめて美作の人にアドバイスを。


内田:「なんで周防島にしたの?」「なんとなく」。おいでおいで、と言われる気がして。
 最初に定着する人がどれだけ気分よく定着するかがIターンのカギ。都市部の若者たちはそういう情報を求めている。
 成長ではなく定常的な人口構成の維持。小商い、それ以上のことを求めない。
 それがあれば首都圏3500万人の一極集中は解消していくんじゃないか。


藻谷:一部の人が金を貯め込んでいる現象と人間が大都市にたまっている現象は同じ問題だと今、気づいた。
 美作20万だから関西600万とはちょっと規模が違うけれど、関西から2万人流入するだけでもすごく面白くなる。
 今日はどうもありがとうございました。



****

 
 両先生の愛読者の方なら先刻ご承知、のことがひょっとして多かったかもしれませんがいかがでしょうか。
 一部、メモの不備で発言者がどっちだったか不明の部分がありました。間違っていたらすみません。

藻谷氏の講演は2013年10月に「男女共同参画」のテーマで聴いたことがあります。今回が初めて本領の「地域活性化」について聴く機会でした。その後安倍政権批判で風雲児になった時期もありましたが過去に比べると「戦闘スタイル」が影を潜め、いい意味でスタンダード感を醸し出している気がします。独自の発見と、「共有する意志」は健在です。


 内田氏の「階層社会の邪悪なところは、自分の才能に気づかせないこと」は、実はわが国では「女性」をめぐる状況が今もそうじゃないかな?などと勝手に頭が飛んでいたわたしです。



 この対談の前、愛車ホンダフィットを駆って11時半頃に津山に着き、
 中心街を歩くと見事にシャッター街。


 そんな中ちょっと怪しげなイタリアンレストランが営業していて、土曜日もランチをやっていました。
 ご主人の平本大介さん(年齢きき忘れた、30代かな)は、埼玉県出身で六本木で修業して
「津山には友達がいておいでって言ってくれたから」
というご縁でこちらに店をオープン。
「僕田舎が好きなんですよ、母方の田舎が北海道でそこに入り浸ってましたから。」
と平本さん。
 そういう感覚って確かにこの世代の人にあるんだなあ、とIターンに疎いわたしにもちょっと実感がわきました。

 そして「地元のものでしたらこちらがお勧めです」と、メニュー外のそずり肉(これも聞きなれない名詞だ)とすじ肉のフォッカチアを作ってくださいました。
 美味でございました…。
 夜はジビエ料理もあるんだそうです。




100年後に誇れる教育事業をしよう。
一般財団法人承認マネジメント協会
 
 


 16日、岡山の社会福祉法人夕凪会様で2回目の研修を行いました。


 多忙な6名のリーダーさん方も宿題全員提出。主催された吉永施設長がなんと全員分、『行動承認』を購入してくださり、みなさん本を手元に置きながらの受講になりました。

 嬉しいですネ^-^


 3時間×2回での「承認」の研修。

 こちらの法人様はいい意味で研修慣れしておられるというのが、「3時間」は実質ほぼ「午後いっぱい」であり少々の時間オーバーは構わない、研修終了したらすぐ業務に入らず家に帰るようにシフトを組む。余韻を残すためだそうです。

 「カイゼン」「PDCA」を好む体質はわたしと似たものがあり、吉永施設長は他施設、他業種から異動してきた人に「おかしいと思ったことはおぼえておきなさい。あとで役立つから」と勧め、法人内に「気になる係」というのがあり(昔の松戸市役所の「すぐやる課」を思い出させるネーミングですネ)これは仕事の中で「おかしい」「気になる」と思ったことを集約して改善に活かす係だそう。


 利用者さんから「選ばれる施設」だそうですが、過去のしがらみに囚われずカイゼンを奨励していたら、圧倒的に高品質になっていきますね。


「すごいことですね。わたしも他業界から今の業界に参入して10数年、おかしいおかしいと言って一人でカイゼンしてきましたから―、とても共感します」

 どうも、「似たもの同士」であったよう。



 今回の2回目は、みなさんの宿題のふりかえりをしながら組織論や脳科学や遺伝子や神経化学物質のお話(「ここは面白い人には面白いですが時間帯的に眠くなるでしょうから寝てもいいですよ」と正田はいいました。みなさんほぼ目パッチリで受講してくださいました)
 
 それに今どきの問題職員さんの一般的なお話をいたしました。


 夕凪会様のある施設単独で、来年度の経費は年間1000万円減になるそうです。
 厳しいですね…


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 きょう17日はやっと新財団の「登記」を終えました。なので正式なお誕生日は2月17日です。

 終わった。自分で自分におめでとうを言おう。


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 本日のごあいさつ先での答弁。数年前からご理解者でいらっしゃる先なので大口を叩いております:


正田:「また大きなことを言って、とお叱りを受けそうですが、『この教育』が恐らく地動説が天動説にとって代わったように、また進化論が天地創造説にとって代わったように(国によってはとって代わってないのかナ)、あと30-40年も言い続ければ全人類のコンセンサスになるようなものです。それくらいの普遍的な正しさがあります。ただわたしはまだ12,3年しかやり続けてないので、すべての人の共通認識というところまで行っていません。しかしコンセンサスになるには、今了解している方々が『いずれすべての人が知るものになる、今は過渡期なだけだ』というイメージを持っていただくことが必要です。○×様(先方様)はご理解いただいている方だからこそこうしてごあいさつに参りました」


正田:「もし人にご紹介いただく際には、図々しいお願いですがわたしが女ではあるが大きな仕事をしている人間だ、という事前イメージを相手の方が持ってくださるようにお伝えください。
○×様(先方様)は長年、わたしからお送りするメルマガ、ブログ等の大量の情報をご覧になって、また貴団体での研修実績もあって、既に大量の情報をお持ちくださっていることと思います。でもわたしと初対面の人はそうではないんです。
初対面の人が一介の女性のわたしを前にしたときどう思うかというと、こんなに(手を下のほうでひらひらさせる)低くみられます。言っては何ですが『うちのヨメ程度のレベルだろ』−奥さんにも失礼なことですが―というふうに見ます。そういうモードで会話されてしまうと、もうこちらの考えることややってきたこと、できることなどまったくお伝えできないんです」



―あとのほうの「紹介」に関する話はかなり切実感をもっていいました。これも大変懐の深い先方様で「わかりました」と言っていただき助かりました。


 今まで色々人から人へ紹介いただいたことはありますが、本来有難いと思わないといけないものなのでしょうが、そのときの言い方が

「正田さんていう女の人が」

「承認っていうことをやっている正田さんていう人」

何か気恥ずかしげに、そのような表現をされることが多いのでした。


 そのような形で紹介された先をお訪ねしてみると、泣きたいぐらい冷淡な、見下した対応をされることが多い。


「女性=世間知らず」
「承認=きれいごと、理想論」

 せっかく紹介いただいたのも空しく、そうしたヒューリスティックに凝り固まった対応になっている。

 このブログをちゃんと読んでくださる方ならおわかりのように、これほど論理的で合理精神の塊でかつ現実の成果を10数年も出してきたものはないですのにね。



 「地動説」やら「進化論」を持ち出してしまいましたが、残念ながらガリレオもダーウィンも男性だったのだ。
 女でこんなことをやっている人は歴史上には…、やっぱりナイチンゲールかなぁ。


 わたしは、この先出会う人がわたしが女であるがために「ガリレオ裁判」をやる側、すなわち歴史的に恥ずかしい間違った側になるのをみたくないのです。本当に。そして働き手の方々が理不尽に壊される状況は…。




100年後に誇れる教育事業をしよう。
一般財団法人承認マネジメント協会

お世話になっている皆様


 おはようございます。
 一般財団法人承認マネジメント協会の正田です。


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 本日の話題は:

■論理か、感情か―マネジメント教育上の難問に出した答えは

■答弁集:承認マネジメント教育はこうしてできている

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■論理か、感情か―マネジメント教育上の難問に出した答えは


 既にお伝えしましたように、今月5日、「一般財団法人承認マネジメント協会」の設立認証を、神戸元町の「神戸公証センター」にて受けました。

 先週は、新財団立ち上げについて神戸周辺で「ごあいさつ回り」が続きました。その中でさまざまにご質問をいただき、お答えすることが続きました。

「12年1位」という実績を、誇大広告ではなく現実に上げてきた「承認マネジメント教育」。
「なぜ」そうなるのか、「どういう考えで」つくられているのか、「どうやって」いるのか、ご質問者の方にとって疑問は尽きないことと思います。

 その中のあくまで1つの答えとして、こちらの記事があります:

◇論理か、感情か 「行動承認+Iメッセージ」のもつ意味

http://c-c-a.blog.jp/archives/51908403.html

 敬愛する読者のみなさまは、マネジメントに関する心理学系の教育の中で
「人は感情の動物だ」
というフレーズに触れたことはないでしょうか。そして、
「でも、みんなが『感情的』になってしまったら組織は動かないぞ?」
と思われたことはないでしょうか。
 また、「ロジカルシンキング」を学ばれる中で
「でも、現実に人はこんなに論理的に動いてくれないぞ?」
と首を傾げたことはないでしょうか。

 両方の疑問に誠心誠意答えた結果、当財団の教育の「型」があります。


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■答弁集:承認マネジメント教育はこうしてできている


 上記と同様、たくさんの疑問にお答えした様子を以下にアップしております。

 あれもこれも色んなことが入っているのは、「承認マネジメント」は少なくともわが国においては、「マネジメント」とほとんどイコールで結べるくらい、ありとあらゆる課題解決が入った、欲張った(しかし現実に有効な)コンテンツだからです。

◇続・ごあいさつ回り 正田答弁集 ブリッジング、日本人の遺伝子、目標達成の位置づけ、スマホ依存その他
http://c-c-a.blog.jp/archives/51908322.html

◇またご挨拶回り 正田答弁集(2)第2の講師育成、女性活用、例の表、オキシトシン
http://c-c-a.blog.jp/archives/51908322.html



 これまで伺った先でも、一か所でこれらすべての疑問に同時にお答えできたわけではないのを申し訳なく思います。

「あなたの教育の特徴を一言で言ってください!」
とお叱りを受けてもなかなか「一言で」は難しいのが現実です。

 言い訳になりますが記事の中にも書きましたが10数年間カイゼンに次ぐカイゼンを重ねておりますと、全部でどこをカイゼンしたのかやった本人にもわからなくなってしまっているのです。ひたすら「現場」のためを考えて「最適化」してきた結果です。

 ただ、「12年、1位マネジャー輩出」という結果を出してきたことは事実です。
 さて、今週のごあいさつ先ではどんなご質問が出るでしょうか…。
 できるだけよい体調で臨み、真摯にお答えしたいと思っています。


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★前々号(1月14日発行)でも掲載した「新年のごあいさつ」を再掲します。

◇「12年1位」を達成したいま 2015年の願いとは―新年のごあいさつ(公式)
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51905578.html 

◇ちいさな声でよびかける 心の友たちへ 新年のごあいさつ(私的)
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51905431.html 


★前号(2月9日発行)でお知らせした、「承認の宿題一挙28例」。
 上司の承認力と部下の幸せな躍動…殺伐とした現代、あったかい気持ちになってください
(印刷の場合はA3ヨコ4pです。無断転載不可)
 http://www.c-c-a.jp/pdf/20150205.pdf


 
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100年後に誇れる教育事業をしよう。
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ブログ「コーチ・正田の 愛するこの世界」
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*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*

「ご挨拶回りと答弁」の日々の合間にある人に正田が書いたメールです。
頭が早回しでメールを書いていても「答弁」になっています。


****


○× 先生

あの本をまだ手元に置いてくださっていますか。
あの本について冷静客観的な本だと賞賛してくださった、
あれは間違いなく真実です。

わたしはビジネススクールでEQの低い人たちが論理を振り回す愚をみました。
私見では本当の論理性はEQも兼ね備えた人がもつものだと思います。
自分の感情をわからない人には本物の客観性は備わらない。
それはビジネススクールでも ロジカルシンキングを習いながらつねに感じていました。
自分の感情認識ができない人がロジカルシンキングという武器をもっても
人を傷つける凶器にしてしまうだけだと思いました。
ビジネスの世界の奇妙に人格のわるい人はこうしてできるのかと思いました。
そして退学しました。

一方で心理学系の研修で「感情」が過度に強調されているのもみました。
「感情」を過度に強調するとどうなるか、というと、
疲れたとかめんどくさいとか言ってやるべきことをやらなかったり、
正しいことを言う人への反発心でやらなかったり、
という、「やらない」方向へのだらしない「不作為」が起こる、というのもみてきました。
脳科学でいう「感情優位」という状態です。
また野放図でルール軽視、他人の感情軽視、
職場の秩序としては明らかに困ったことが起こる、
というのもみてきました。

それをみて思ったのが、
結局行動することは価値のあることだ、
わざわざ行動すると身体が疲れたり葛藤に出会うことだからこそ
「行動」こそ価値あるものだ、と位置づける必要がある。
ある会社がうまくいくためには、
理念に沿って人々が行動することが必要です。
その「理念に沿った行動」を増やせば、業績が上がる。

一方でやはり「行動」一本槍では人は息切れする。
どれほど大変なチャレンジだったか、
それをみていて嬉しい、
あるいは安心できる、助かる、
そうした「Iメッセージ」を添えることで人間らしい表現になる。

そうして「行動承認+Iメッセージ」の形が生まれました。

この形に定まったとき(正確にいつ頃定まったのか定かではありません)
きわめてコンスタントに成果が上がるようになりました。

行動承認に添えるIメッセージ、というのは
決して「感情」が主役なのではありません。
よい「行動」がまず第一であり、
それに添える感情、とデザインすることで、
「感情こそが何よりも大事」と位置づけたときに起きる
怠惰や野放図を避けることができます。

ただ、やはり行動承認だけが大事なのではなく
そこにIメッセージもあるから、
温かい言葉がけとなり部下のこころに響くようです。


そのように、わたしなりに「論理か、感情か」の問題をクリアしました。
どちらか一方ではない。
脳科学者さんは、大脳旧皮質の存在を挙げて
「人間は感情の存在だ」
という言い方をしがちです。
しかし教育によって社会的存在をつくる、という立場からいうと
これは誤りです。
「行動承認」によって大脳新皮質(理性)のほうを
つくっていかなければなりません。


※ただし、発達障害の人の場合は
体内感覚を認識する力が弱いので、
スキルトレーニングより、「感情認識」を先に重点的にやらないといけないようです。
この点、定型発達の人とは教育の順序が逆になるようです。
それは最近になって友人たちの示唆で知りました。


そのように、「行動承認+Iメッセージ」は、人類にとって新しい発見であるはずです。
わたし自身がどんな人間かに関わりなく、
それを見出した○×先生もまた、誇りにしてくださっていいものです。

(一部改変の上掲載)



100年後に誇れる教育事業をしよう。
一般財団法人承認マネジメント協会

 引き続きご挨拶回りをしています。


 そこでの会話(正田発言部分)。何か所かでの発言をとりまぜております。

「後進の講師の育成」
「女性活用は『承認教育』から」
「女性主導社会の予測」
「教育の特徴/例の表」
「オキシトシンの作用」

などについて、発言しております。


正田:「(承認マネジメント教育の)講師が今わたししかいない、という状態はいずれ解消しなければならないと思っています。第2第3の講師を養成したい。
 去年の暮れごろから、『教習所の教官』という言い方をするようになっています。マネジメント教育で従来ここまで受講生様が実際にやってくれる、ということを前提にしたものがなかったので、今度は実際にやったらどういうことが全部で起こりえるか、事故にならないか、というところの想像力が必要になります。講師にはそこまで要求される、と志望する方には思ってほしい。
 ただ、従来は甘い考えで『教えたい』と入ってくる人が多すぎたんですけれど、『教習所の教官』という言い方をすることで、それぐらい難易度が高いことにチャレンジするのだ、とちゃんとわかった上で入ってもらえれば、習得していただけると思うんです、これの教授法を」


正田:「女性活用に関しては、数値目標などの考え方が入って来てわたしは非常に危機感をもっています。また女性のほうをパワーアップしようという考え方が優勢ですが、管理職の意識改革のほうがはるかに現実に大事です。意識改革というのも、『女性女性女性』と意識するのは関わり方がおかしくなってしまいます。永遠に異性と意識していることになります。
 わたしどもの考え方で、相手がだれであれ『行動』に注目して認める、これを励行すると女性へのバイアスは見事に直ります。ぜひ、こちらの考え方を推進していただきたいものです」


正田:「このところ中央の人材育成系のメルマガをみておりますと、『男がだらしない』という見方がちらほら出てきています。『草食系男子』というのももう数年来言われていますが、実は個体としての女性が個体としての男性より優秀だ、ということは現実に大いにあり得ることなのです。
日本も亜熱帯のようになっていますが、東南アジアのどこかの国のように女が外で働いて社会を引っ張って、男が家で子守をする、というのが普通になるかもしれない。そうであってもじゃあ女性に頑張って働いてもらわないといけない。そういう事態を想定して備える、要は女性を本気で職業人として鍛え上げることが必要になってきます。甘やかしている場合ではないのです」


(あなたの教育の特徴は何だ、と問われて)
正田:「例えば、この本の後半に載っているこちらの表。元はエクセルのA4・1枚のものですが、内容は業界内外で非常に評価の高いものです。研修ではこの表を受講生様にピラッと渡して、『これをいつも見れるように置いておいてください』と言います。すると、皆さん『承認』ができるようになってしまう。
本来こういうものをお渡ししてみなさんができるようになってしまう、というのは研修機関からすればおまんま食い上げになってしまう、ノウハウを手放してしまうようなものです。それでもみなさんができるようになる、というのはそれだけ価値がある。
コンテンツ盗用も実際、されやすいです。ずっとそれとの戦いです」
(本当は当財団の教育の特徴は「これ」1つなわけではなくて、何せカイゼン大好きな正田が10何年細かくカイゼンしてきたものだから、全部でどういうカイゼンをやったか本人も忘れているのです。とにかく「12年1位」をやってきたのは確かです)


正田:「今日の会話ではとても厳しいご質問をいただいて、わたしが食ってかかるみたいに攻撃的な人間のようにお話をせざるを得なくて、とても残念だったんですけれど、ぜひこの本は虚心にお読みになってください。
 この本は日本語も徹底的にブラッシュアップして書かれています。そして、読まれた方がオキシトシン的なこころの状態になることを意図して書かれています。
 そのオキシトシン的な状態を体験していただけると、『承認の世界』の感情状態がおわかりいただけると思います。
 この本でもオキシトシン、セロトニン、ドーパミン、テストステロンといった神経化学物質の作用に触れています。中でもオキシトシンは、平和で温かく、周囲の人への好意に満ち溢れた状態をつくり、免疫にもとてもよい働きをもたらすものです。そしてオキシトシンはセロトニン、ドーパミンの分泌をうながし、きわめて問題解決能力の高い状態を作りだします。
 はたらく人びとがオキシトシン的なこころの状態で仕事をずーっとできる、そのことがどれほど価値のあることか、ぜひ体感してみてください。
 従来のモチベーション理論で言うところのモチベーションは、ドーパミン的なものだったんです。一過性で、持続力が弱かったんです。また周囲への共感に基づいていなかったんです。それと比べるとオキシトシンは、持続的で穏やかな心優しい状態をつくりだします。組織が一丸となった状態をつくりだします。
 わたし個人のキャラクターからは想像がつかないかもしれませんが、『承認』がつくりだす圧倒的な高業績の世界というのはそういうものです。従来のマネジメント教育ではこういうことまで触れていませんでしたが、わたしどもの教育では脳科学、遺伝子学と神経化学物質まで触れます」

先方:「それは教育の前提ということですか、研修の中でそこまでの話はしないでしょう」

正田:「いえ、研修の中でもいたします。高卒の工場のリーダーさんでも非常に興味をもってきいてくれますし、理解してくれます。従来の研修では、言ってはわるいですが受講生様を子供扱いしていたんじゃないでしょうか。そして心理学の表面的なところをなぞっていたのではないでしょうか。
 現代では心理学も、脳科学、遺伝子学、神経化学物質の各方面から解体して理解されつつありますので、心理学にこだわらずにそういうお話もいたします。そこで結局『行動理論』は正しいよね、という結論にもなります」


 
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 ほんとうは、正田は今、津々浦々まで「承認教育」を普及させることで、社会の中の攻撃的な感情を少しでも減らしたい。『行動承認』にも書いたがひとりの人の中でオキシトシンとテストステロンはトレード・オフ関係にあるそうであり、オキシトシンが増えると相対的にテストステロンは下がる。みんなが、というか1人でも多くの人が穏やかなこころの状態でいられるようになる。

 そして、前にも書いたけれど心理学の本家アメリカにもないものだから、「クール・ジャパン」のコンテンツとして平和外交のツールとして輸出したい。とりわけ東アジアでは効果を発揮するはずなのだ。


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 でもわたしの立ち回る先の人たちは想像がついていないと思う、
 例えばここ1−2年、「正田先生」はとんでもない形で足を引っ張られることが増えた。
 親を亡くした直後に自宅に脅迫状のようなものが来て、そのまた直後にシリーズ研修をだれかの差し金で中断させられた。
 自団体主催のイベントで、スピーカーがとんでもない言葉で正田を貶めた。
 過去をはるかに上回る恐ろしいナルシシズムそしてやっかみの行為。
 とても、「良い教育をしているから結果も出しているから地道にやっていればみんながわかってくれる」という牧歌的な環境ではなくなりつつある。
 


 そして業種によってオキシトシン的なこころの状態とは相いれない業種があるのだ。テストステロン―ドーパミンが初期設定みたいな。

 正田は「橋げた抜かせていただきました」なんて言っているけれど、それは当時「仕事だからベストを尽くして頑張りました」というだけで、人を出し抜こうとか負かしたい、あざむきたいみたいな動機はなかったんですけどね。なんども言うように医療報道のほうが好きだったんです。

 

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 「承認」は実践者と外部の人の皮膚感覚が大きく異なってしまうものなのだが、最近新しく感じたこと。

 「承認の宿題」によって「実践」の壁をクリアしてない人は、例えば相手が異性のとき「お疲れさま」が言えない、とくに男性はそのハードルが高いみたい。

 男性管理職は、女性部下に「お疲れさま」を言うと、なんか性的意味あいがあるみたいで言えてないってことはないだろうか。

 本当は、「行動承認」は言葉による行動への従量的な対価、報酬、という意味合いのものなので、男性から女性、異性に「お疲れさま」「大変でしたね」と言って全然不思議ではない。でもそこを「恋愛関係みたい」って逡巡する男性は多いみたいである。

 ばかばかしいようだけれど、結構根深い問題、というのは、やはり男性管理者が評価者となり女性が評価対象者となる構図が結構多いとき、その「行動承認」をすべきときに逡巡してしまっていると、女性の働き手の仕事を正しく評価できなくなる恐れが出てくるからだ。


 「行動承認」は言葉で行動の報酬を与えることで、評価者自身も相手の行動の量や質を記憶するはたらきがある。

 それが回りまわって「評価の公正さ」にもつながってくるのだけど。


 また、「行動承認」は恐らくミラーニューロンの働き、いうなれば「共感」とも密接につながっていて、「あなたは○×しましたね」「大変な仕事量でしたね」と、行動の量や質を言っていると、そこでは言っている人の相手に対する「共感」のアンテナも同時に振れる。それにより次の段階さらにいいことがいっぱいある。


 ただその「共感」のアンテナが振れてしまうことを怖がっていると、「行動承認」はできない。でも相手がだれであれ、男であれ女であれどの女の人であれ、「行動承認」はするものなのだ、と統一したルールで適用したらどうだろう。

 
 そこまで他人に興味はない?そうでしたかどうもすみません…



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一般財団法人承認マネジメント協会
 

 超体力のないわたしですが時間が「早回し」のように過ぎていきます。

 きのう12日は午前、地域の経済団体さん2か所をご訪問。

 
 なんとどの面下げてか、仕事と生活センター様もお訪ねしてしまいました。北条センター長が寛容に応対してくださいました。こういう大人にならなきゃなあ。


 そのあと銀行手続きをし、法務局で登記へ…と勇んでまいりましたが残念、一か所だけ不備があり登記にはなりませんでした。

 (一か所だけだったのは奇跡です。この関係のことで何往復もするとどんどん「自己有能感」が下がりQOLに影響します。)


 最初にご訪問した経済団体様での会話。というか正田発言部分。

「ブリッジング(薬効に関する異人種間の橋渡し)」
「遺伝子学的日本人論」
「巨大なプラットフォームとしての『承認』」
「『目標達成』のリーダー教育の中の位置づけ」
「スマホ依存等職場の諸問題についての情報提供」
「営業下手な正田の特性」

などについて、生意気にも発言しております。


正田:「わたしは医薬翻訳者というのもしていたんですが、クスリの世界では『ブリッジング(橋渡し)』というのは当たり前のことなんです。アメリカ人と日本人、体質が違うから薬の効き方が違ってくる。思わぬ副作用が出るかもしれない。だからアメリカで認可された薬でも日本で再度治験をして、いいかどうか確認する。ドラッグラグ(薬や医療機器で海外で認可されたものが日本でなかなか認可されず恩恵に浴せない現象)というのもありますが、あれはお役所の仕事の遅さなどの問題もからみますが、基本ブリッジングというのは必要な考え方なんです」

正田:「日本人の遺伝子は特殊です。わたしは以前遺伝子学者さんにもインタビューしたのですが(注:これはちょっと「論理が粗い」と感じてボツにしている)遺伝子学者がみると、『あ、この人は日本人』とすぐわかるそうです。特徴的な遺伝子スニッブの型がいくつかあり、それ全部併せ持っている人が多い。そうしたらそういう日本人に合う教育のやり方をしないといけない。幸いわたしどもの『承認』は過去10数年にわたり日本人について検証をしてきて、わるいことは起きない、反対にいいことは限りなく起きる、とわかっている方法です」


正田:「『承認』のことばかり言っている、とよくお叱りを受けますが、『承認』は従来まったく想像できなかった種類のマネジメントの巨大なプラットフォームなのです。女性活用、障碍者外国人高齢者雇用、若者の離職防止、コンプライアンス/規範維持、品質、知識創造経営、ワークライフバランス…、すべてがこのプラットフォームに載せられます。個別の取り組みをしてもいつまでもできないことがこれに取り組むとできてしまいます。それだけ大きなものを今手にすることができているのだ、ということにご理解をいただければ」


正田:「『目標達成』のコンテンツは「承認マネジメント教育」の長いバージョンの中にもありますが、あまりそこに重きを置かないようにしています。とりわけ経営者さんの人格を考えると、もともと目標志向的な人が多い。そこへ『目標達成』の教育をすると、クスリが効きすぎてしまい、普通の社員さんから遊離してしまうのです。彼らの人格特性を考えると、むしろ『承認』に重きを置くのが一番いいのです」


正田:「去年わたしが貴団体の会誌に書かせていただいた若者のスマホ依存に関する記事が、今になってネット上でご覧になった方がいて『あれは無茶苦茶必要な考え方ですね』と言われたりしています。このほかこのところ言及していることがいくつかありますが、おこがましいことですが、わたしどもで独自に蓄積してきた情報を会員企業様のお役に立てなければならない局面になっていると思います」


正田:「わたし自身はものづくりで言えば開発のほうの人の頭に近いのだと思います。開発、製造のほうの仕事がすきな人間で営業は今でも得意ではないと思います。なのでこうしておこがましくお話をしているのが自分でも信じられないくらいなのですが、何卒今後ともよろしくお願いいたします」




 ほんと、51歳の今でも自分が本当に社会人と言えるのかわからない。

 このところ「悪太郎キャラ」も思い切って打ち出していて、心ある地域のみなさまが寛大にお目こぼししてくださることに感謝です。





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 このところこのブログの

「発達障害者は注意するのが好き?」

http://c-c-a.blog.jp/archives/51873335.html

という記事にアクセスが集中している。


 何かこれ関連の動きがあったんだろうか。


 わたしは10日(火)にも地元で「発達障害セミナー」に行った。100数十人だろうか、結構な人出だった。3人のスピーカーさんの情報量の多い講演、3時間半にわたって一方的に聴き続けるのは結構きつかったのだが、「双方向性」にするとややこしい問題が多いのだろう。チェックリストくらい入れてくれても良かったかなあ。(すみません広野さん文句言って;;)

 
 で相変わらずわたしは立ち回り先でも「発達障害」の語を連発していて、相変わらず「まさか」とか「そんなことないだろ」という反応が返ってくるけど、これがどれほど日常的な問題なのかマネジメント分野の方に早く認識してほしいものだと思う。大体元特ダネ記者の言うことに「まさか」で反応してはいけないのだ。


****


 それとは別に、12月くらいからこのブログで「研修副作用」のシリーズをやっている。

 わたしから見ると世間で今流通している大人向けの研修商品のほとんどは「欠陥商品」である。


 細かいことでも、受講者の「問題行動/社会人としておかしな行動」を招いてしまうことがある。


 例えば、ア○○○○○。これを受講した後の人に、きわめて不適切な形で「NOを言う」症状が出ることが多い。任意団体―NPOとやってきて、そういうのの被害を散々受けてきて、「ア○○○○○要注意」という認識になっている。

 なんどもいうように趣旨としてはすごく共感する、ただし受講した人の問題行動が多い。わたし個人的には、結局親や先生、養育者や上司の側が「引き出す」関わりをしっかり学ぶと結果的にア○○○○○の目的は達せられるのではないかと思う。

 
 最近流行りのア○○○○○○○○○(字数あってるカナ)もそうで、「怒り」というマイナス感情に焦点を当てても何もプラスの効果は生まない、むしろ悪い方向への作用が多い。
 悪い方向への作用の代表的なものは、「問題軽視」の傾向を生むこと。「まずい!」「それはいかん」というマイナス感情をわるいものだと思うと、問題を「ない」ものだと認識しちゃう、「なんだそんなこと、ハハッ」という態度になる。
 リーダー層がそういう感情状態になったら、どれほど深刻な組織の害を生むことだろう。現に多くの組織でそうなっていないだろうか。



 うちの業界でだれもそういうこと言わないんだよね。

 教育会社さんなどは、年々変わる新しい研修商品をわるくいえば「ころがし」て、新規性で企業の人事の人の目をひきつけてマスコミの目もひきつけて、生き延びるのが正しいんだと思っている。


 そしてマスコミもそういう構造になっていることを気づくところは少なく、流行りもんのネタとして研修商品を紹介する。 

 だれも企業や地域や国の行く末を本気で案じてない。



 そうそう、「ワ○○○○○○○○○」も、今流通している研修商品としてのそれの大半は欠陥商品だとわたしは思う。


 わたしの親しい友人のひとりは、プロジェクトの大詰めで20代の優秀な部下数人が毎日終電帰りだというが、マネジャーであるこの友人は

「思い切り悔いのないようにやりなさい」
「今からの仕事で必ず役に立つよ」

と言って、黙認しているらしい。


 今、その当たり前が言いづらくなっている企業や組織が多くなっているのではないだろうか。

 ブラック企業の勧めなんか当然しないけれど、仕事には死に物狂いでやるような節目が必ずあるものだ。それを経験した人はひと皮むける。


 多くの人がはき違えを起こしやすい部分があるとき、そのはき違えに歯止めをかけるプログラムが組み込まれているだろうか。わたしにはそれを考えることは仕事なんだから当たり前に思える。





100年後に誇れる教育事業をしよう。
一般財団法人承認マネジメント協会

 

 新財団設立メンバーの中でも「承認の宿題」を出してやってもらっています。

(注:一部「したくない」人には無理強いはしない。研修受けてない本も読んでない人には確かに難しいだろうと思う。逆に本を読んでくれた人はメンバーになった時自分の勤務先の総務の人に「読め!」と勧めてくれた、というくらい、あれはいい本です。そういうのも強制はしてないですよ)

(ただ、「承認」の世界のすぐ近くにいるのに自分は「承認」を習得しないでいる人は、外部者目線で「承認」をみることを続けていると奇妙にこころがねじくれて反社会的な行動をとってしまうことがある。それは警告しておきますので、選ぶ選ばないは自己責任でお願いします)


 そのうちのお1人は、まだ組織の「最若手」の立場で部下がいなかったのですが、上司の方3人に対して実践をされました。

 これまでも衝突の絶えない「困った上司」についてご相談をいただき、「それはちょっと___入ってるかもねえ」と正田が言った(__のところは長い読者の方、類推してくださいね)その上司さんにも、果敢にこころみました。

 武道家らしくきれいに「型通り」に。

 すると。

「口調が穏やかになった」
「よく気遣いをしていただけるようになった」
「指摘が減った」
「褒めてもらえるようになった」

という結果になった、というではありませんか。

 良かったですね〜〜。ご立派!!\(^o^)/


 というわけで、正田からは「絶賛」のコメントを入れお返ししました。


 さらに後日談があり、

 宿題にコメントすることについて、その方から真摯なご感想をいただきました。


 ご同意をいただきましたので、こちらでご紹介させていただきます:


正田先生

お世話になっております。

今回の承認の宿題をやってみての感想があります。

本日、フィードバックをいただいて、研修で教えていただいた
「オペラント条件づけ」
人は、行動のあと褒められると
その行動を繰り返しとる性質がある。
というのが、すごくわかりました。

何度も何度も繰り返していかないと身につかないものですが、
フィードバックをいただくと、やはりうれしいですし自分のどの部分がうまくいった
かを
知ることにより、精度を上げていこうという気持ちにもなりました。

宿題を機に、人間関係の壁を超えることが出来ました。優しい気持ちも取り戻せたよ
うな気がします。
先生もおっしゃっていただいていたとおり、これまでは直線的にハッピーエンドには
ならなかったことでも
一つ踏み込んでいくことによって、得られるものは大きいなと思いました。

先生、ありがとうございました。

引き続き、やっていこうと思います。



 えへ★

 なんで、今回「コメントに対していただいたご感想」がこんなに嬉しかったのかといいますと、ブログでご紹介しちゃったのかといいますと、

 長年承認のコメント書きの仕事をしていまして、それが受講生さんに役立つものだということはわかっているのですが、またその後職場をご訪問させていただいたとき

「ああ、引き続きやっていてくれてるなあ。職場から光り輝く『気』が出ているなあ」

と感じそこに宿題コメントもお役に立ったかも、という形で手ごたえは得ているものですが、
(最終的には「業績向上」とか「1位になりました!」という形で返ってくるのですが)

 なにせ、こんなふうにコメントをもらったその時の気持ちを言葉でフィードバックいただいたことがない。

 
 化学実験のようなことをしているが、各段階ごとの化学変化を全部全部知っているわけではないのです。かかわれる時間が短いですし。結果、結果が出たときに化学変化を類推する感じです。


 上記のように言葉でご感想を言っていただけると、これまで経験した「各段階の結果」をつなぐ「線」が見えたような気がしました。上記の方も言われるように一応正田自身も「行動理論」でコメントをしているのですが、それはめくら打ちではなくちゃんと効果につながっているのだ、とわかったような感じです。


 1つ前のこのブログでも「何をやっているのかわからない」と言われて宿題の記入前の白紙のシートをお見せして、「こんな単純なものです。これに記入していただきます」と言ったのだが、


 当協会方式の教育というのは、ほんと種もしかけもない「公明正大」なものなんです。


 ・・・ただそうは言っても習熟してない人には講師をやってほしくない、「マネジメント」に関して不用意な発言は許されないから、教育の信頼性が上がれば上がるほどそこは厳しくならざるを得ないから。



 参考記事

 「受講生様大好き」の正田が過去、ものづくり企業の受講生様の宿題に添え書きした文―

「承認と生産性向上」宿題まとめファイルへの添え書き
http://c-c-a.blog.jp/archives/51860119.html


****


 読者のかたにお役に立つカナ?と思って、もひとつ補足をいたします。冒頭の記事の中の「承認の宿題」のかたの事例でみられたことですが、

「『承認』ができるようになると、人に仕事を頼めるようになる」。

従来より、「一粒で何度も美味しい承認研修」は、実質的に「アサーション研修」の役割も果たすだろう、むしろ言ってはわるいけど本家以上にその役割を果たすだろう、と正田は思っていました。

 今回の提出者ご本人は「部下側」です。そして年上の人ばかりの職場で、周りの人に仕事を頼むことができず困っていたようです。
 ところが、「○×してくれて助かりました(行動承認―Iメッセージ)」の形で事後に声かけすることを心がけていると、次頼みやすいし相手の方も動いてくれやすい。という現象がみられたそうです。

 この方も、年下だからだけでなくわたしと同じ、「指令性低」という要素があったみたいなのですが、「承認」を意識しているとそれがある程度クリアできる、というお話なんです。


 読者の多くを占めるであろう「指令性低」のみなさま、ご参考になりましたでしょうか・・・。



100年後に誇れる教育事業をしよう。
一般財団法人承認マネジメント協会(HPは建設中)

 阪神大震災20年の次は、よく考えたらオウム20年なのだ。


 そんな2015年2月9日、正田はまじめに「あいさつ回り」をしました。


 あるところでは、

先方「そうですか、89年から91年まで広島ですか、じゃあH大の助手が教授を殺した殺人事件があったころじゃないですか」

正田「いえ、それは少し前です。私のころは『国勢調査員殺人事件』とか『橋げた落下14人死亡事故』です。
 橋げたでは抜かしていただきましたので、ご迷惑をおかけしたと思います」


 地獄の鬼同士のような会話です。

 承認の正田先生、天女のような優しいキャラでいたかったです。うそですだれもそんなこと思ってません。

 あと本当の本領はわたし、医療報道だったんです。


 しかし考えてみれば、「地元紙」の人とはこんな会話になったことないですね。相手の人のサイズ感ですかね。
 あそこには小粒のお嬢さんしかいないんじゃないですかね。男を脅かさないような。


 またちなみに、「橋げた落下事故」というのはH島市の新交通の建設中の橋げたが下の道路に落下して14人が亡くなったのですが、
 それの発生を無線から抜いて他社さんに数時間先んじたのと(それはC日新聞さんからめちゃ感謝されたらしい)、捜査情報もいち早く抜いて後々までそれが正解だったのですが、だから他社さんには大迷惑かけたのですが、その捜査情報とは、「H形鋼の組み方を間違えたのが事故原因」というものでした。


 ほかにも「医療過誤訴訟」の提訴とか判決の記事もかきましたが、、


 だからね、どんな仕事でもやり方間違えたら人を死なせることがあるんです。研修も本当はそうです、特にリーダー研修は。


****


べつの某所では「ご献本」したりほかにさまざまな「研修成果資料」をお渡ししたが、

「これがどういうことをやっているかイメージできない」

と言われました。

もともと、1つのマネジメント教育がここまで「原発並み」の成果を上げるということが今までだれもイメージできなかったろうと思うのですが、

ただ事ここに至っては、またそれをやってきた当人が目の前にいて説明してるんですからイメージしてくださらないと困ります。

考えたすえ、印刷してもってきた資料以外の資料をその場でPCをあけてお見せしました。

「こちらが宿題の白紙のシートです。こんな簡単なものです。これに受講生さんに記入していただいて、こちらの宿題一覧のようなものになります」

この場合は先方さんはそれをみて納得してくださったようです。

だからPCも持ち歩かないといけない。Dynabook立ち上がりが早いので助かります。薄軽ではありますが非力なわたしには重いです。

さいごは、

「正しい方向の社会イノベーションなんです。どうかお力をお貸しください」

と頭を下げ、先方もわかってくださったようでした。


****


 夕方からは、某所で持参の割れおかきをポリポリ食べながら、

正田「○×ちゃん(人名、男性)も一緒に来ておかき食べたらいいんじゃないですかね」
先方「呼ぼうか?○×ちゃん」
正田「○×ちゃんがあたしと仲良くしたいかどうか、じゃないですかね」


正田「これって、うちの県の特産品なんですよ?材料も県特産のものでできてるし。東京とかよそにこれと同じものはないんですから。みなさんわたしが情報発信し続けてるのをみて、麻痺してないです?その麻痺がこわいです。こんなすごいものが目の前にあるのに。
あとこれって、日本が世界に誇る『クール・ジャパン』のコンテンツとして輸出できるものかもしれないんですよ」



・・・

あとは、人の品評会みたいになり、天女はおろか「悪太郎キャラ」全開で、

正田「○×(人名)はもうちょっとまともな男かと思ったけどダメでしたね。あたしがどんだけあの人らに頭下げたかわからない。あそこ部長がきれいな女の人でいかにも『見栄でつくられた部長』ぽいらしいんですけど(注:決してきれいな女の人=無能 と思っているわけではない)そういう部長の下だとモチベーション湧かないんじゃないです?冒険する気になれないんじゃないです?」

―こういう発言をわざわざここにも書くのは今からやり方を間違うと日本中にそういう部署が出現するのではないか、と思っているからです。「オボカタ部長」みたいな―


正田「__(社名)のことはあらゆるアプローチしましたけどダメでしたからね。N_のO_さん(海軍兵学校おじさん)まで動いてもらって社長に直談判して『正田さんをもっと取り上げてくれ』と言ってもらって、それでもおかしなことして潰しちゃいましたからね。O_さんの顔まで潰されて怒り心頭でしたよ」



正田「○×会(団体名)のことはもう諦めてます。前の○×専務の時はよくしていただいた。大阪でやった事例セミナーにも足を運んでくれて、あたしがどれだけ苦労してここまで来てるかご存知だった。今の○×専務はあたしのそういう苦労を知らない、見た目だけで昨日今日出て来た調子よく生きてる女の子、みたいに思ってるし大企業のほうを向いてる」



正田「ここにいるとわからないだろうと思いますけど、県内の色んなところがいかに性差別的かご存知です?うちの県の女性活用度は全国で下から数えて何番目ですからね、働く女性にとっていいところじゃないんですよ。あたしがどんだけエビデンス出しても女だというだけでいろんなところで相手にされない、アポすら応じてもらえない、説明しても一蹴される、それがこの県の現実です。うちの県のスタンダードで考えちゃダメですよ」


―先方の懐の深さに感謝します―


さいごは、人が増えて4人でおかきをポリポリしました。
そこでも悪口雑言。

正田「大企業の女の人事の人はタチ悪いですね。あの人ら『男の先生が好き』でしょ。○×さん(人名、女性)なんかは、苦労して苦労して切り拓いた方だからわたしのことも見下さない、リスペクトしてくださいますけどね。今の代の人たちはわたしがどれほど苦労して『承認教育は有効』っていうのを切り拓いてきたかが見えない。だから平気で自分の手柄みたいに思う。見事にマウンティング女子」


―こういうのは、正田私利私欲で言ってるんじゃなくて、そういう世間知らず苦労知らず罰当たりの人たちが担い手になっても現場リーダーの心には響かないだろうし「承認」への信頼性は生まれないし結局だれも恩恵に浴さないから言うんですよ―


とりあえずどこへ行っても、「『行動承認』まずは読んでみて考えます」となりました。
「すっごく読みやすい本ですから!!」と、強調しておきました。
「本」と「著者」がギャップありすぎだ、と思われるかもしれません。


ご一緒のおかきポリポリのみなさんいい方々そうなのだがこの中には「命令キャラ」の人は居なさそうだ。
だからおじさんが命令してるんだろうか。
さあ、これからどんな展開になるのだろう。


あたしは仮に東京で先に認められても別にダメだとは思わないけれど、
でも自分の県で一番お役に立ちたいんだもの。
裏日本の新温泉町とかからご依頼があるとどんな謝金でも嬉しくてぴゅーっと行っちゃうもの。


そして、あたしが「メディアに取り上げられてない」という状況について、
「正田の努力不足とかやり方が下手」
という原因に帰し続けるのは、ちょっと「正常性バイアス」入ってるかも、と思う。
ものにちゃんと驚かないメディアさんの責任もある。かれらの内部の意思疎通のわるさみたいな問題もある。これまで無定見に変なものを取り上げ続けたせいもある。そして要所要所に「性差別」がある。


ともあれ、「正田の言いたい放題」におつきあいいただいた先方様、
お疲れさまでした&ありがとうございました…



100年後に誇れる教育事業をしよう。
一般財団法人承認マネジメント協会(HPは建設中)

 

お世話になっている皆様


 おはようございます。
 ひときわ寒い2月の月曜の朝になりました。みなさま、お変わりなくお過ごしですか。正田です。

※このメールは、正田が過去にお名刺を交換させていただいた方・当協会のイベントやセミナーにご来場いただいた方にお送りしています。ご不要の方は、メール末尾にありますURLより解除ください。
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 本日の話題は:

■「一般財団法人承認マネジメント協会」認証されました

■上司の「承認力」が経営を一変させる
―「承認の宿題」全28例一挙公開!あったかい気持ちになってください

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■「一般財団法人承認マネジメント協会」認証されました

 先週5日、「一般財団法人承認マネジメント協会」の設立認証を、神戸元町の「神戸公証センター」にて受けました。
 今後は2週間以内に登記をして正式に団体として発足いたします。

 そのハラハラ・ドキドキの設立認証の模様はこちらをご覧ください

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51907827.html


 本年度中ご依頼をいただいている研修に関しましては、従来通り「NPO法人企業内コーチ育成協会」の名前で実施し、来年度からは「一般財団法人承認マネジメント協会」として活動させていただきます。

 これまでのNPOへのご理解ご支援、誠にありがとうございました。

 引き続き新財団をどうぞよろしくお願いいたします。

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■上司の「承認力」が経営を一変させる
―「承認の宿題」全28例一挙公開!あったかい気持ちになってください

 また昨年11月〜今年1月にかけて実施させていただきました、奈良県中小企業団体中央会・兵庫県中小企業団体中央会での離職防止のための「承認マネジメント研修」での、受講生様の力作の宿題全28例をWEB上に公開させていただきました。
  ↓      ↓      ↓
 http://www.c-c-a.jp/pdf/20150205.pdf


 読まれた方からは、
「何度読んでも温かい気持ちになります」
「自分が認めて欲しい部分を上司がピタリと認めてくれると、ミラクルなパワーが生まれてくるんですね。」
というご感想が寄せられています。

 そう難しい教育をしているわけではありません。ある程度の元々の人間的センスがあり、部署を良くしよう、という志をちゃんとお持ちになっている普通のマネジャーさんでしたら、数時間のトレーニングで習得していただけます。(この方法で限界があれば「叱る」「処分する」という発想でいいんですよ、ということもお話しています)
 また、その後数か月続けていただければ、「12年1位マネジャー」「2年間お客様のもとに出す不良ゼロ」といったはっきりした成果につながっていきます。

 色々と経営手法はありますが、「これ」がすべてに優先する第一選択であろう、それでも解決しない部分について追加の施策を行うのが正しいアルゴリズムであろう、とわたくしは思います。
 


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★前号(1月14日発行)でも掲載した「新年のごあいさつ」を再掲します。

◇「12年1位」を達成したいま 2015年の願いとは―新年のごあいさつ(公式)
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51905578.html 

◇ちいさな声でよびかける 心の友たちへ 新年のごあいさつ(私的)
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51905431.html 


★このところ仕事を放りだして遊びに行くことも多くなりました
私的な観光と映画の記事です

◇阿修羅と仁王像に会いにいく、承認マネジメント協会設立メンバー確定
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51907400.html

◇水仙に心洗われる、アニーと格差社会とナルシシズム
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51907787.html 
 
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*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*
100年後に誇れる人材育成をしよう。
一般財団法人承認マネジメント協会
(旧NPO法人企業内コーチ育成協会
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━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
理事長 正田 佐与
----------------------------------------
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TEL: 078-857-7055 FAX: 078-857-6875
Post:〒658-0032 神戸市東灘区向洋町中1-4-124-205

ツイッターアカウント: @sayoshoda

フェイスブックページ: http://www.facebook.com/sayo.shoda

ブログ「コーチ・正田の 愛するこの世界」
http://blog.livedoor.jp/officesherpa/

近著『行動承認―組織の能力を最大化する「認める力」』
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4434198572 

*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*

 あるところで「正田には威厳がない」ということが話題になりました。


 だから、「セミナー妨害」みたいな現象がよく起きるんじゃないだろうか?


 昔から、正田は年配男性諸氏から「自分の部下」「自分の秘書(兼愛人?)」と間違われやすい。それもバカだ、と思うんですけど。いえ男性がね。何か言われると基本、「はいは〜い」とやってしまうし少々難しいことでも工夫して乗り越えてしまうし報連相もいいし、人の気持ちに察しもいいし。

「手元に置いとくと便利そうだ」と思われ、そして本人は意外に自立していて自分のやりたいことをはっきり持っていておじさんの思い通りにはならない人間だ、というのがわかってくると今度は怒りをぶつける。わたしの息の根を止めよう、というところまでいく。

 どうも若い頃からその手のことを繰り返してきたようだ。もう51歳なんだから勘弁してほしい。


 新財団設立にあたり、内部で申し合わせたことが幾つかありました。


 たとえば、「待たせない」ということもそうです。恩師の思い出で触れた、「人を待たせない時間管理」。

 また言ったのが、

「わたしは基本、皆さんに何か言われると『ラジャー!!』って言ってピッピッ、とやってしまうほうの人間です。でも、任意団体、NPOとやってきてそれがみなさんの『甘え』につながってしまうのも残念ながらみてきました。
 みなさんも何かのときは(そんなに難しいことはお願いしませんから)『ラジャー、ピッ』ていう感じでやる人であってください。そうすることで末永く対等によい関係でおつきあいできると思います」


「待たせない」ことを意識してると、威厳がないようにみえると思うんですよね。女だし恩師のような大御所じゃないですしね。

 でも、「自分を偉く見せたい」がために「人を待たせる」っていうのも、あほらしいじゃないですか。

 
 もうひとつ不遜エピソード。


 新財団の役員さん評議員さんは、二転三転した結果、本職以外の兼職がこの財団以外にない、珍しいくらいフレッシュな顔ぶれになりました。


「大学の先生」とかは公務員さんなどと違い自由度があるので、特に引っ張りだこになりやすい、と思うんですけどね。

 
 それについてわたしが過日某友人との電話で言ったのが

(大体わたしは陰口は言わない、「本人返し」するか言ってもばらすのだ)


私「手アカのついてない人が欲しかったんですよ。色々兼職している人だと、ありがちなのが
『ああそれは私が兼職している先のNPOでもありますが、難しい問題ですよね〜』
とか、すぐ言っちゃう」

友人「あ、それイヤですね、『難しいですよね』って言うの」

私「でしょ。『よそ』で解決しないかどうか知らないけど、うちでは解決するの。そういうことで『よそ』に義理立てしておつきあいして永遠に解決しないことみたいに考えるの、やめてくれる?って思うの。そういう発言に時間を費やすのってばからしい」


 どうでしょ、この不遜発言。天上天下唯我独尊。


****


 あと、正田はお出会いするかたの「人生の苦」を背負えるわけではない。こういうことも後々のために一度書いておかなきゃなあ、と思う。

 色々と人間関係で悩んだすえに。


 わたし自身もここ数年、身近な人との死別や別離、ほんとうに色々あって今もメンタル万全な状態とはいいがたいのだけど、

 ほかのみなさんにしても、「人生の『苦』」的なものは色々おありだと思う。


 たとえばのお話、(決して直近でやりとりする方々がそうだ、というわけではないんですよ。誤解のありませんように)

・自分の病気怪我
・家族の病気怪我、介護、認知症、死の床にあること、死
・子供の受験(の失敗)、反抗期、いじめ
・配偶者との不仲、離婚協議
・パワハラ上司に仕えること
・出来がわるいか悪意を持った部下をもつこと
・・・

 こうしたことを抱えるというのは、だれでもあり得ることなのだけど、普通はおおっぴらには言わない。とりわけわたしのようなコンサル業の人は言わない。
 考えてみるとミドル層の人たちは集中的に抱え込みそうな気がする。


 ただ、「言わない」でいると、その人の中に自分でも制御しきれない感情の澱が溜まることがある。

 そして、とりわけ「承認の正田」(注:ほんとは全然そんないい人ではない、ブログ読者の方々はご存知のように)には、甘え依存が起こりやすいので結果、すごく変な形で噴出することがある。


 「変な形で噴出」というのは、例えば純粋に事務連絡をしているところで「変なねちっこい口調」「ネガティブな口調」が入ってきたり、あるいは理由もわからないまま連絡に応答しなくなったり、という。
 微妙に「八つ当たり」がまじる、というんでしょうかね。

 どういう形で出るかはこちらでは予測しづらい。

 しかし、これまでのささやかな人生経験で言うと確かにそういう現象はある、それもわたし正田が被害を受けやすい。期待してくるんでしょうね、「この人は当然受け止めてくれるはずだ」と。

―それも結局、カウンセリング等で話をして傾聴してもらってオートクラインの働く人であればそれを通じて自分の問題に直面することができる、というような高級なことではなくて、言葉はわるいが「排泄欲」、「あっ、漏れちゃった」という無自覚なレベルのものになるのだが。受け止めさせられるとこちらも大変なのだが―

―そしてそんな些細な、というか相手にとっては無自覚なちょっとした「お漏らし」のようなものが正田にはとりわけ団体運営の中で出されると多大な迷惑になり、結果的に取り返しのつかない物別れになってしまうことがある―


 例えばある程度親しい関係で一緒にゴハン食べてプライベートの愚痴をきいてあげる、というのは全然やぶさかではないんだけれど。
 (ただそれも程度問題で、これまで最高5時間にわたってその人の奥さんの陰口をきかされ続けたことがある)


 なので、もちろん新財団の関係者のみなさんもそうだしほかのことでおつきあいのある方々も、「人生の『苦』」を全部言わないでも察して事務連絡のやりとりの中で解決してあげられるほど正田は全能の神ではないし、事務連絡にはできるだけそういうのをまじえないでほしい、というお願いであります。

(それと切り分けた形での愚痴だったらきいてあげるから、程度によるけど)




100年後に誇れる教育事業をしよう。…今日の記事は関係あるのカナ?
一般財団法人承認マネジメント協会

 5日、「一般財団法人承認マネジメント協会」の認証を受けました。元町の神戸公証センターにて。

BlogPaint



 定款の添削で12月末以来お世話になった公証人の先生が達筆で定款に署名されました。それを写真撮ってアップしたかったのですがダメと言われました。


 先生は「承認マネジメントって何?」とネットで探してどうもこのブログも読まれたみたいです。
 わるいこと書いたらあきませんね。
 それで、おおむね中身については理解をしていただいたみたいです。

 しかしそれとは別に定款の添削のほうはシビアにしていただきました。当初は「メールで1往復の添削で終わりますよ」ということでリラックスして臨んだのが、5−6往復のやりとりになりました。


 「認証2日遅れ」の事情についても察して同情していただきました。



****


 理事会は柔道三段同士になったので、

 危険なので;;

 いやそうじゃなくわたしが審判員できないので、

 Skype会議にする予定です。


 格闘技の団体と間違われないか心配でしたが、認証は問題なくできました。

 あっあと暴力指導の団体でもないですから、間違わないでください。


****


 11月に受講された1人のマネジャーさんの職場にお電話し、宿題を公開することのご同意をいただきました。
 ものづくり企業の加工課長さん。サムライ的な風貌です。


「あれ以来、社員全員ではないですが一部が如実に動きが良くなっています。ヤンキー的なだらんとした動きだったのが、きびきび小走りのような動作になっていますね。自分で考えて動いてもくれますね」


と課長さん。

「また先生のセミナー受けに行きたいです」

 じーん。


 電話の向こうでカチャン、カチャンと機械音が響いていました。


****


 その課長さんも含む、「宿題公開ファイル」をWEB上に公開しました。

 奈良県中小企業団体中央会、兵庫県中小企業団体中央会の離職防止セミナーの宿題事例集。一挙28例の公開です。


 上司の温かい視線を受けた部下たちの動きのダイナミックなこと。お返事の声の大きいこと。


 ぜひみなさんも、ご一緒にあったかい気持ちになってください!

  ↓  ↓  ↓

 http://www.c-c-a.jp/pdf/20150205.pdf


 この1番上の事例が、その後5Sも如実に進んだ、という社員10人のものづくり企業さんです。

 さらに第1回セミナー後10日ではっきり職場の情報共有が進みお客様からの信頼を得た、という建設業さん。

「あれ以来『承認』にはまっています」
と書いてくださった、旅館のマネジャーさん。

 その他どの事例も「人」がその中でイキイキ動いていて。

 こういうのが、「12年1位」現象の、初期の段階の変化です。

 提出率は奈良21人中17人、兵庫16人中11人。



 あっ、この期に及んで

「承認ってまだみんな知らないですよね」

「ほめるんでしょ?仕事でほめるなんて出来ないですよ」(注: 承認はほめることではありません。本読んでまだそんなことを言ってるなんて)」

とか言ってる人は…、


 アニメ声で何か言う必要もないですね、きっとお客様のことが大してすきじゃないんです。ほっときましょう。


また

「おじいさんがた(際限なく定年で出現してくる人たち)がしゃべりたいって言ってうるさいからそっちに機会を回してるから」

っていうのに至っては…、

ノーコメント。。


100年後に誇れる教育事業をしよう。
一般財団法人承認マネジメント協会(HPは建設中)
 



 淡路島に行ってきました。


 いいお天気に恵まれ、黒岩灘水仙郷では満開の水仙がお出迎え。


水仙1



水仙2



水仙3



水仙4



明石海峡大橋




****


 映画「ANNIE/アニー」に行ってきました。

 
 格差社会の映画です。州政府の窓口のおばちゃんのとげとげしくて相手によって180°変わる対応などリアルにこうなのかな、と思わせます。そして露骨に結婚に物欲しげな女性たちは、やはり自立して生きられないいらただしさでしょうか。


 フェイスブックでやたら有名人と2ショットを上げたがる人々は、「ゴーン・ガール」―これもグロテスクなナルシシズム・ホラーと呼べる映画でした―にも出てきました。それが選挙活動も邪魔してしまいます。
 だからセミナー妨害みたいな行為が出るのも当たり前なのかな。



 あと収穫はこのセリフ


「NOと言うのは、YESと言うのが怖いからよ」

 うんうん。

 このブログには「二重否定」の人たちが出てきますが。「怖い」という自分の気持ちに気づいたほうがいいですね。それが正しい認識を妨げてます。


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 あすいよいよ「新財団」の認証にこぎつけることになりました。予定より2日遅れました。

 気持ちよく爽やかに連絡し合う社風がいつまでも続きますように。





100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
⇒一般財団法人承認マネジメント協会認証申請中

 今日も「マッサン」で男の人が女の人に謝っていた。


 今日のばあい、せっかく謝った男の人が「言い方が悪い!!」と女の人にどつかれていた。


 嫌なドラマだなあ。


****


 また昔の恩師の話に戻ってしまうけれど、

 恩師の故・中嶋嶺雄氏は、時間管理の達人でもあった。


 たぶんそれに関連した思い出を語られるかたは多いだろう、

 わたしの場合は、2011年春に大学(AIU)を訪れたときに「承認大賞」への推薦文を依頼したところ、先生は夕食をご一緒した席で趣旨文などをじっくり読まれ、「わかりました」と言われ、翌日には「推薦文」を書いてくださったとか、

(先生は、渡された資料を「その場でみる」人だった。まぢかでみた食い入るような先生の眼のいろをはっきりおぼえている)

(だから、このところ会う、渡された資料を碌にみもせず重ねて置いたままで「2週間後にお返事します」なんていう「先生方」には、尊敬の念を持てない、上から目線だから悠長なんだな、と思う)


 2012年10月AIU祭のときにもう一度お邪魔してインタビューさせていただき、原稿をお送りした。先生は欧州出張されていたのでしばらくタイムラグがあったけれど、秘書の方が丁寧に対応いただき、欧州から帰国された翌日には校正原稿をくださった。PDFで秘書の方から送っていただいた手書きの校正は見事に的確で、すみずみまで目を通してくださっていた。


 2つ前の記事にある先生の年譜を考えると、一見華やかな経歴でいそうで実は信じられないほど長い間、辛抱強く「待った」人だったのだ。

 
 そして、プロパーの学者であった先生がどこでどうやってビジネスパーソンのような時間管理の要諦を学んだのかはわからない。とにかく、「待たさない」人だった。たぶん学者さんに多い「待たす」ことの時間的精神的ロスを嫌というほど経験していただろう。



(それを言うと先生はその世代の男性に似ず「褒める」達人でもありこのことも多くの方が証言されているが、先生がどこでそれを学んだのかわからない。また弟子の手柄をとるような人でもなかった。わたしはゼミで「政治文化論」という物差しを初めて入れて、先生はそれを非常に気に入ってくれてその後ご自身でも「政治文化論」に言及するようになったが、わたしを賞賛するのも忘れなかった)


(またプロパーの学者であるにもかかわらず、先生は自ら果敢に売り込みをする人でもあった。AIU設立準備期間にご自身で全国各地の高校に電話をかけまくり、AIUの意義を説いて受験生を集めた。そのことは広告業界では語り草になっているそうだ。それは余談)


 AIUは、秘書の方ほか職員さん方も優秀でこれまで3回訪問して「待たされた」記憶がない。研究者さんがたのことはあまり存じ上げないが元日経新聞で図書館長(365日24時間開館のあの図書館である)の勝又美智雄教授などはやはりレスポンスの速い方だった、タイミング的にはイベントを準備中だったときでも。


 それは学長自らそういう、大学としては特異な企業文化を意識して作り上げたかもしれない。


 先生ご自身の年譜を考えて胸が痛み、そして畏敬の念を抱く。



 今、ゼミの先輩方が先生の著作集を編纂されていて、大変な労力でそこに何もできないのだけど小さなわたしから垣間見えた先生の横顔をまたひとつ。

 


100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp


 また新しいグループの宿題をみています。

 ”メンタル弱り気味”(本当)の今のわたしには、宿題コメントの仕事も結構感情が上下してしまいます。いつもの倍の時間がかかってしまいました。


 「承認研修」の宿題コメントも、ちょっとした「職人芸」であります、自分でいうのもなんですが。
 公開用ファイルの一番右にあるコメントは実は氷山の一角で、本人さんに返す個別のコメントはもっと宿題のエクセルファイルのすべての欄にびっしりコメントを入れます。
 もう何年もこればっかりやっているので―。

 自分で、多少コメントのノウハウかな、と思っているのは、部下側の気持ち上司側の気持ち両方を同時に斟酌することです。
 気持ちと、あと両方の性格ですね、この部下は恐らくこういう性格であろう、だからこういう「承認」の言葉になったのであろう、上司側は研修で直接お会いしていますがこういう性格であろう、としたらこの人にとってどれほど高いハードルをクリアしただろうか、と想像をたくましくしながらコメントを入れます。


 このたびの皆さんの宿題は、大変よい実践でよい結果を得られていました。

 ちょっと気がかりな部下のことをご相談いただいていた上司さんも、果敢にアプローチされ、いい手ごたえだったようです。


 わたしは割と、

「ああ、あんまり(部下が)ひどかったら叱っていいんですよ」

とか、

「それ(サボタージュとか指示違反とか)は懲戒でいいんじゃないですか」

みたいなことをすぐ言ってしまう「承認研修」の講師です。


「…ただ、今この研修ではみなさんに『承認』という武器をお渡ししますから、まずはこの武器で行けるところまで行ってみていただきたいんです。それでも改善しなかったら叱るとか処分でもいいと思います」


 最悪「叱ってもいい」「処分してもいい」と言われると、上司のみなさんは「ほっ」とされるようです。
 そして、そういう「奥の手」がちゃんとあるとわかると、じゃあ「承認」をまずは真剣にやってみようかな、と思われるみたいです。


 今回は、「これまでの研修に比べて非常にわかりやすかった」というお褒めの言葉と、「辞めたいと言っていた社員がとりあえず辞めないで様子をみると言うようになった」という記述が宿題の中にあり、嬉しゅうございました。

 
 でも「相互公開不可」の方が多いのが残念…。組織内研修では「公開不可」とされることが多いんですが、相互公開はしないともったいないです。いくら先行事例がよそにあっても、自組織の事例のほうがはるかに気持ちが上がります。


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 今週はまた、当社とは全然企業文化が真逆の組織に出向かないといけません。

 当社が「筋肉質の組織」だとしたら、それの真逆ってなんでしょうね…。


 贅肉をとろうと、人を減らす企業や組織は多いですが、わたしが一番「ムダ」だと感じるのは、こころを傷つけることによる「時間のロス」です。

 前回の面談からもう2か月も経っている。その間、わたしも動けなかった、正直平気で人のこころを傷つける人たちに対する恐怖心で。


 そこでは、法的にセクハラに該当するかどうかは、全然大した問題じゃないんです。

そういう時間のロスがやれるのは、要はヒマなんです、余裕があるんです、また事態の深刻さがわかってなくて優先順位のつけ方が間違ってるんです。自分の上から目線を自覚できてないんです。


元特ダネ記者で現「12年1位」のリーダー教育の先生と見解が食い違ったとしたら、それは自分のほうが間違ってるかも、と思った方がいいです。自分の固定観念にこだわり続けることは時間のロスになるかも、と思ったほうがいいです。

 
 あと、わたしの著書『行動承認』を読んで、この本を「正しい」と思った人は、「承認」の実践者になっていただきたい。
 そんなにむずかしいことじゃありません、過去に「承認ができない人って発達障害なんじゃないかしら?(アニメ声)」てなことも、書いたことがありますが。


 言語による「承認」について例文を出しますので、是非声に出して読んでいただきたい。リピート・アフター・ミー。


「正田さんは過去12年にわたり『1位マネジャー』を育ててこられましたね」(行動承認)

「正田さんは過去通算7回も事例セミナーを開催してこられましたね」(同上)


 
 どちらも「事実」ですからね。でも他人事と思ってきいているか自分で声に出して読むか、で体の感じも変わってくると思います。練習してないと講師紹介でも噛む人多いんですよね、多分その場で初めて実感が湧くんでしょうね、どんなに凄いことかって。


 「事実認定」に基づいた会話をしようじゃないですか、固定観念ではなく。

 あ、「事実認定」に基づいて会話してるときの正田は、全然怖いひとではないですよ、むしろ「こんないい人いるんだ」と感激するぐらいいい人ですよ。「承認」もちゃんとしますよ。


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 矢継ぎ早に新たな「師」のお話を書いて恐縮です。


 「行動理論コーチング」の武田建氏(関西学院大学名誉教授)と初めてお会いしたのは2006年秋のこと。何月だったか忘れましたがブログにもちゃんと残っています。神戸元町のどこかでおしゃれなランチをご馳走になりました。


 そのときの会話で「おっ」と思ったことがあります。

 武田氏が、実にカジュアルに、「ごめんなさい」という言葉を使ったことです。


 確か、わたしが当時も関西福祉科学大学で教鞭をとっていた武田氏に「聴講したい」と言い、そのことの具体的な段取りを話していて、何かの取り違えとか勘違いを武田氏がされたんだと思います。そのことに気づいた武田氏が、即言われたのが「ごめんなさい」です。


 で、引っかかりました。当時も武田氏の『コーチング―人を育てる心理学』(誠信書房、今は新刊本で入手できると思います、いい本です)ほかアメフトコーチングやリーダーシップに関する本を何冊か読んでいまして、「ごめんなさい」は行動理論の中のものではないとは知っていた。武田氏は徹底した現場リーダーなので、スキナー由来の行動理論以外にも自分が現場でぶち当たって失敗して悩んだことなどを正直に本の中に書いておられ、それがただの行動理論でなく共感するところでした。失敗した選手をひどく叱ったあと自宅に電話して謝る、というようなこともありました。


 そのときの会話の「ごめんなさい」でわたしが感じたのは、武田氏はこうして意識的に「ごめんなさい」を頻繁に使うことで、自分が傲慢になるのを抑え、現実認識が狂うのを抑えているのではないか、いわば武田氏流の「ナルシシズム封じのおまじない」のようなものではないか、ということでした。

 これも結局ご本人に確かめてないんですが―、いっぺんまた会いにいかなきゃなあ。


 それで、わたしの「承認教」の中にも、バイブルの中には入ってないですが、ちゃんと辞書の中に「ごめんなさい」「申し訳ありません」「すみませんでした」のような言葉はあるんです。

 気をつけてみるとこのブログの中にしょっちゅう出てくると思います。


 わたし自身も「ナルシシズム封じ」気をつけたいところですし、またこのブログを読まれる方がモデリングで学習してくださるといいなあ、という願いもあります。


 しかし、どうなんでしょ。

「ごめんなさい」

と言う他人をみたとき、「こいつダメなやつだ。自分のほうが上だ、自分が勝った」と思うか。

 あるいは「謙虚な人だなあ、自分もそうならなきゃなあ、見習わなきゃなあ」と思うか。


 どうも、残念ながら男性の圧倒的多数は前者のほうなんじゃないですかね。バカだ、と思いますけどね。



 わたしは師匠の一挙手一投足から学ぶほうの人間なので、だから「承認教」を人様に教えるなんていうおこがましいことができるんだと思いますよ。

 あ、きついこと言っちゃった。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

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