正田佐与の 愛するこの世界

神戸の1位マネジャー育成の研修講師・正田佐与が、「承認と職場」、「よのなかカフェ」などの日常を通じて日本人と仕事の幸福な関係を語ります。現役リーダーたちが「このブログを読んでいればマネジメントがわかる」と絶賛。 現在、心ならずも「アドラー心理学批判」と「『「学力」の経済学』批判」でアクセス急増中。コメントは承認制です

2015年09月

 今年出た資本主義論の中の「白眉」である『ポスト資本主義』の著者、広井良典氏(千葉大学法政経学部教授、科学哲学専攻)より、新たに「承認論」について大変興味深いご示唆をいただきましたので、ご紹介したいと思います。

 ちなみに『ポスト資本主義』については、当ブログではこちらにご紹介しております

 アカデミズムからの責任ある論考、「福祉」と「環境」の興味深い相関―『ポスト資本主義』をよむ
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51921557.html

 ここでは、4つの自然観が最終的に帰結するものとして、また定常化社会に移行する時期に生まれるであろう「心のビッグバン」「文化のビッグバン」を経て「地球倫理」というものが生まれるとすれば、その候補になるものとして「アニミズム」というものに言及されています。ここから広井教授は、「鎮守の森エコプロジェクト」すなわち村の「神社」などに自然発電の拠点をつくる、というご活動を独自にされています。


 今回のやりとりの舞台はフェイスブックメッセージで、広井教授にお友達承認をしていただいた返礼としてわたくし正田が書いたメッセージから始まりました。

正田:「広井先生、ご承認ありがとうございます! FBページで広井先生のリアルなご活動の一端を知り、益々勉強になります。
このシルバーウィークの連休で熊野方面に参り、先生が仰った『アニミズム』をまだ体感できていないけれどこういうことかなあ、と思いました。これからも色々勉強させてください。よろしくお願いいたします。」


広井教授:「メッセージありがとうございます。それは幸いで、前から少し思っている点ですが、アニミズムや自然信仰(自然とのつながり)は、ある種の『承認』をもたらすもののようにも思います(自己の土台、よりどころのようなもの)。通常の意味の他者からの承認とは異なりますが、このあたりは結構おもしろいテーマかもしれませんね。」


正田:「広井先生、メッセージ頂き色々な意味でびっくりいたしました。
 あえてお伺いしてみたいことがあります。 広井先生にとって、自然信仰やアニミズムの対象物に向き合っておられるとき、自分がそこからある種の『承認』を得られていると感じるとき、その感覚を何と名づけますか?
 わたしどもでは、マネジメントの中で『承認されている』と感じたとき、『みていてくれてるんだなあ』という感覚がわき、幸福感につながり行動や成長につながります。この感覚に何かもっといい名前をつけられないか?と思っているのです」


広井教授:「メッセージありがとうございます。さすが正田さんで、根源的な応答をいただき感謝いたします。その点は私もまだ探究途上のものですが、『みていてくれている』というよりもう少し広い印象のもので、自分が生きている土台というか『根っこ』があるといった感覚でしょうか。また、『包まれている』という感覚ともつながり、さらに角度をかえて言えば『世界(宇宙)の中の自分の居場所』とでも呼べるかもしれません。 正田さんとのやりとりで『承認』のテーマが私にとって別のテーマだったもの(自然のスピリチュアリティ)とつながり幸いでした。」


正田:「広井先生 ありがとうございます!こちらこそ、本来広井先生が大事にしてこられ現実に『鎮守の森エコプロジェクト』のような形で取り組んでこられたアニミズムというテーマについて、『承認』との共通性を語っていただけたということは望外の喜びでした。別個のものとして在るのも仕方ないのでは、と思っていました。
 連休に友人と議論したことで、承認はドイツ観念論から生まれそこでは人はまず神から承認を受ける、神による承認を起点として人同士の承認が生まれる、と考えたのだから日本には根づかないというのが友人の説だったのですが、私はピアノやバレエやバイオリン等本来日本文化の中になかったものを受容して今は日本人が国際コンクールで優勝するようになっている、それと同様に日本的な承認の受容と発展があってもいいのではないかと思っていました。なので広井先生からのご示唆はタイミング的にも目から鱗で、そうか自然信仰を起点とした承認があり得るのだ、と思いました。」


広井教授:「書かれている点そのとおりで、私も承認というテーマは広い意味での宗教と深く関わると思ってます。以前ケアというテーマに関し、『絶対的なケアラーとしてのイエスとブッダ』ということを書いたことがありますが、ここでのケアラーは「(自分を)承認してくれる人」ともいいかえられると思います。
 ちなみに承認論を含むポジティブ心理学について、統合医療でよく知られたアンドリューワイルさんが『ワイル博士のうつが消えるこころのレッスン(原題はSpontaneous Happiness〕)』で評価しながら関連して『自然とのつながり』の重要性を指摘していますが、その中でリチャード・ルーヴというアメリカの作家の『あなたの子どもには自然が足りない』という本(アメリカでベストセラー)での「自然欠乏障害nature deficit disorder」というコンセプトを重要視しています。多少話題を広げてしまいましたが、私自身はこうした自然とのつながりが大きな意味をもっていると感じています。大変有意義なやりとりができて幸いでした。」


・・・やりとりは以上です。
 以前拙著『行動承認』について、「土台に哲学的な思考」と勿体ないような賛辞をくださった広井教授でしたが、今回はメッセージ中にもあるように、同教授ご自身の長年取り組んでこられたフィールドと共通するところに「承認」を位置づけてくださったことは、また望外の喜びだったのでした。

 自然から承認されていると感じるときの、
「包まれている」
「自分の土台、根っこ」
 こういう感覚の下位概念として、
「みていてくれるんだなあ」
を位置づけることができるかもしれない。
 「承認」の与え手が人間であるとき、そこに「みる」というフィジカルな行為が介在するので、「みていてくれるんだなあ」になるわけですが。
 古来、武将や僧侶や修験者たちは山に向かいましたね。
 崖っぷちに立って、「神仏もご照覧あれ」なんて言いましたね。

 6月ごろこのブログにも、
「私はクリスチャンだから、神様がみていてくれる、という感覚があるんです」
と仰ったリーダーの方がおられましたね。
 それが、「神様」をもたない平均的な日本人だとどうしたらいいか?というと、自然から発する承認を受け取ることができるかもしれない。
 それを起点として対人の承認をすることのできるリーダーや教育者の方もいらっしゃるかもしれない。

 不肖正田は、「この手法は人間社会を幸せにするんです!」と、誇大妄想かと思われるようなことをすぐ言います。そしてアカデミズムの世界でまともに評価してくださる方は、「承認論」以外の世界の方は皆無でした。とりわけ前にも言いましたように、経営学、経営教育論、心理学、等の方々はそうでした。


 あとは、感激して言葉が出なくなってしまったので、読者の方々の評価をまちたいと思います。

 でも受講生様方、大丈夫です。この道は正しい道です。太古から人類が歩んできた道の続きです。自信をもって、引き続きお取り組みくださいね。



(一財)承認マネジメント協会
 正田佐与

お世話になっている皆様


 おはようございます。
 一般財団法人承認マネジメント協会の正田です。
 好天に恵まれたシルバーウィークでした。本日からご出勤の方もまだ9連休中という方もいらっしゃるでしょう。
 
※このメールは、正田が過去にお名刺を交換させていただいた方・当協会のイベントやセミナーにご来場いただいた方にお送りしています。ご不要の方は、メール末尾にありますURLより解除ください。
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 本日の話題は:

■素敵な論考がありました。「承認欲求」を否定してしまうと、何が起こるか
 ―決定版・アンチ承認欲求についての論考・熊代亨氏ブログ「シロクマの屑籠」

■「労働」はいかに強力なものか、幸福をつくりだす力の強いものか
 ―読者様のおたよりから

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■素敵な論考がありました。「承認欲求」を否定してしまうと、何が起こるか
 ―決定版・アンチ承認欲求についての論考・熊代亨氏ブログ「シロクマの屑籠」


 前号の本メルマガで、「承認」「承認欲求」という言葉がまるで悪いもののように使われていることに疑問を呈しました。

 犯罪心理学者や社会学者らが、例えば寝屋川の中学生殺人事件で「子供が深夜徘徊するのは『承認の質的劣化』」と言い(正田注:家庭環境の要因もあったかもしれないが、なまじLINEがあったがゆえに連絡をとりあって子供らしい冒険心を発揮した、その結果痛ましいことになった、と解釈してもいいのではないだろうか)、JR連続放火事件の劇場型犯罪については「自己承認欲求(=「自己顕示欲」とほとんど同じ意味で使っている。自己顕示欲でよいのでは)」であるといいます。

 どうも、言葉の本来の意味をまったく参照することなく、この言葉を使うと何かがわかったつもりになる、そういう「お約束ワード」と化していたきらいがありました。

 「それはヘンだよ」とわたしは思っていたわけですが、同じことを昨年、もっと深く考察されたブログがありました。

 シロクマ先生こと精神科医・熊代亨氏のブログ「シロクマの屑籠」です。

 同ブログで2014年1月発表された「承認欲求四部作」。非常に完成度の高い考察です。

 例えば同四部作でのこのフレーズ:
 「『承認欲求や自己愛は人間の基本的な心理的欲求』であり、それそのものをバッシングするのは人間の基本的性質をバッシングするに等しい。」

 このフレーズは本メルマガ前号の

「わたしたちのあらゆる社会的活動、学校へ行くことも仕事をすることも恋愛したり家庭を営むことも、すべて『承認欲求』が行動原理だ、ということです。」

というフレーズと非常に通じます。

 わたしはこういう、複雑な現代で起きていることを真摯に思考する同時代人には敬意を表します。

 熊代氏のご了解により、同四部作を拙ブログに引用させていただきました。

 お子さんをお持ちの方、学校関係者の方。そして本メルマガの読者の大半を占める経営者管理者の方も、今会社に入ってくる若い人たちのこころがどうなっているのか?なぜ、成長不全が起こってしまうのか?よろしければ、ご覧ください。

◆決定版・アンチ承認欲求についての論考―ネットスラング、罵倒語からの市民権回復へ―熊代亨氏ブログ『シロクマの屑籠』より
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51922715.html 

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■「労働」はいかに強力なものか、幸福をつくりだす力の強いものか
 ―読者様のおたよりから


 わたしのブログを過去5−6年にわたり読んでくださったという、読者の方からおたよりをいただきました。「行動承認」の価値を非常に高く評価してくださっています。ありがたいことです…。

 その方はマネジャーとして、「行動承認」を発達障害と思われる部下の方に対して使い、その結果部下は「仕事のできる人」になっただけでなく、人生に大きな展開がありました…。

 その顛末を書き綴った詳細な手記。その中には「労働」についての素敵な言葉がありました:

◆働くことの重さと貴さ、幸せ連鎖の頂点、そして自信のない正田
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51922570.html 

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★本日から雨や曇り空が続きます。突発的な大雨に見舞われるおそれも。ご出勤の方もそうでない方も、くれぐれもお気をつけください。

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ブログ「コーチ・正田の 愛するこの世界」
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近著『行動承認―組織の能力を最大化する「認める力」』
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4434198572 


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 先日、「コミュニケーショントレーニングは『徳』に至る手段c菊池省三先生」ということを書きましたが、

 やはり哲学・倫理の素養のある人もコミュニケーショントレーニングが必要、ということを最近思いました。

 たとえば、

「さえぎらず聴く」
「質問を発したら、待つ」
「話しながら激さない」
「自分ばかり一定時間以上話さない」
「会話の中でいくつもの話題を自分が話すときに入れない」
「相手が何かしている最中にあまり矢継ぎ早に話しかけない(相手の認知的負荷をおもんぱかる)」

など、「行動抑制」に関わること。当たり前だけどやっぱり大事なことです。恐らくトレーニングを受けないとできないことです。

 会社では、上司がこれらをやるだけで部下は疲弊してしまいます。
 そして上司になったらだれも注意してくれる人はいません。

(なお「正田は行動抑制ができてるのか?」というツッコミは、無視します)


 そして「行動承認」の場合は、前提として「みる」トレーニングが入ります。
 部下の仕事ぶり、行動ぶりを一定時間継続して「みる」。そして相手の行動の記憶を蓄積し、それを事実そのとおり言語化する。
 これらも、そういうものだとわかった上でトレーニングしないとできるようになりません。すごく単純なことではあるんですけれど。


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 「哲学」分野の人でよくいらっしゃるのが、「思考」の強みが優れていて、ものごとをすべて「認知のレベル」で理解しようとします。
 「思考」の強みが優れている人は、「感情」をバカにしやすい。女子供のめめしいもの、と思いやすい。
 こうした人と「承認」について議論しても、しょうがない。役人や記者にもそういう人がよくいます。

 ほんとうは「思考する力」と「感情認識力」は、トレード・オフ関係なのではなく独立した因子で、どちらも優れている人も世の中にはいらっしゃると思います。

 正田は決してそれほど「感情的」な人間ではなく、「論理8:感情2」ぐらいの人間だと自分では思っていますが(ほんとか?)
 それでも、こうした「思考」に偏った知覚感覚の人に対しては、
「あなた、頭だけで物事を理解してもしょうがないよ」
と思います。
 視覚や身体感覚も総動員して理解しないといけないものが、世の中にはあります。「承認」もその中の1つです。

 そして身体感覚は―、残念ながら、子育て経験のある・なしがかなり大きく影響します。「ない」人はかなり努力していただかないといけないかもしれません。

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 拙著『行動承認』は、現場のリーダーにも読んでいただきやすいようできるだけ平易な言葉で書き、かつ論理だけでなく、視覚や身体感覚まで総動員して味わっていただくことを狙って書きました。

 「承認」で幸福な状態になった職場を視覚的、身体的に味わっていただくこと。
 そこに行くまで暗中模索を繰り返しときには自己嫌悪、自己否定にまで陥ったリーダーたちのこころの軌跡も味わっていただくこと。

 残念ながらそれは読解力に依存したりもするんですけどね―、幸い、セミナーテキストとして読んでいただいた現場の方々には、それはリアルな物事として受け取っていただけたようです。

 わたしに対して「行動承認」についてのさまざまな質問を発したい方は、まず拙著を読んで視覚、身体感覚まで総動員してその幸福の世界を体験していただきたい。
 そこまでやって「これはリアルなものなんだ」と実感してから、理論上の色々なことについて質問していただきたい。
 
 そういう要求をするのは、決してわたしが傲慢なのではないと思います。

 あの本で言語による表現を尽くして幸福の状態をリアルに描いたものを、立ち話のような会話で再現できるわけではありません。230ページ分の情報量は、まずは読んでください。

 ひょっとして、「この教育」が実現してきたものは、ヘーゲルもカントも実現しえなかったものかもしれないのです。またしょってる発言。カントも勉強しよう。

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 シルバーウィーク、読者のみなさまはどんな風にお過ごしになりましたか。

 正田は1日和歌山方面に行って観光&友達に会い、
 最終日は、地元神戸・板宿の「井戸書店」さんに行って、寄席を聴いてまいりました。
 店主・森忠延社長の創作落語(桂三枝師匠の)「読書の時間」、お腹がよじれるほど笑いました。



(一財)承認マネジメント協会
 正田佐与

 

 このところ「アンチ承認欲求論」―つまり、承認欲求が高じて犯罪や非行やいじめなどの逸脱行為が起こるので承認欲求とはわるいものだというような言説―のようなものの存在が気になり、その系列の本を読んで批判したりしていましたが、

 「承認欲求叩き」というタームを使って昨2014年、この風潮に疑義を呈したブログがあるのを知りました。
シロクマ先生こと精神科医・熊代亨氏のブログ「シロクマの屑籠」です。


 昨年1月、「承認欲求四部作」と題して発表された記事は、今月突然この現象をまじめに調べ始めた正田と違い、非常に完成度の高い論考。

 幸運にも筆者熊代氏のお許しをいただき、本ブログに転載させていただきます。


 四部作の全体像は:

 その1 承認欲求そのものを叩いている人は「残念」

 その2 承認欲求の社会化レベルが問われている

 その3 承認欲求がバカにされる社会と、そこでつくられる精神性について

 その4 私達はいかにして承認欲求と向き合うべきか


 では、1つ1つご紹介していきたいと思います―


 その1 承認欲求そのものを叩いている人は「残念」

 「承認欲求や自己愛は人間の基本的な心理的欲求」であり、それそのものをバッシングするのは人間の基本的性質をバッシングするに等しい。


 この記述はまったくわたしの感慨とおなじもので、出会えて非常にスッキリしました。

 (たとえば拙ブログの当たり前の日常から発して、リーダー教育を語る参照)

 あまりにも基本的な欲求である「承認欲求」だからこそ、「承認欲求(笑)」などと叩く人々、風潮の危うさ。

 だから私は、承認欲求という言葉を、考えもなしに罵倒語として用いる人というのは、若いなら若いなりに、年を取っているなら年を取っているなりに「残念」と感じる。人間を飛躍させる原動力になり得るモチベーションを、リスクばかりにとらわれて否定すること、現代という時代に即して評価できないこと、どちらも建設的なことではあるまい。承認欲求の存在*3や今日的意義を認めたうえで、いかにそのモチベーションを運用するのか、どのような目標に向かってモチベーションを転がしていくのかを考えたほうが良いだろう。


 非常にうなずける、私的には常識的な、安心できる見解です。



 その2 承認欲求の社会化レベルが問われている

 「承認欲求には社会化レベルがある」と筆者。

 幼児期から学齢期へ、それは褒められたい・認められたい欲求をモチベーション源にして発達していく。この時期に適切に褒め・認められなかった子は、「自分がやりたい事をやって承認欲求を充たす、という心理的営為のノウハウ蓄積が欠落してしまう」と筆者。

 そして思春期になると、子供時代とは違う新たなアイデンティティの構築に承認欲求が大きな役割を果たすが、ここで子供時代の承認欲求の満たされ方がそこに影響する。その人によって特有の躓きを経験するかもしれない。

“褒められたくてもバカにされるかもしれない”……という範疇的な不安だけでなく、自分が褒められてしまう事態にうろたえてしまう人や、自分自身の心のなかにせり上がってくる(思春期特有の)衝き上げてくるような承認欲求が怖くなってしまう人もいる。


 そこで「トライアンドエラー」の重要性を筆者は説きます。

 幸い、思春期前半は誰であれ承認欲求のブレ幅が大きくなりやすい季節なので、それまで承認欲求の社会化レベルが低めだった人でも、トライアンドエラーについてまわるミスや過ちが許容されやすく目立ちにくい――つまり遅れを取り戻すための修練がやりやすい――とは思われる。自分自身のこなれていない承認欲求を否認することなく、認め、乗りこなしていくための意志や能力は必要かもしれないが。



 こうした、逸脱しているわけではない普通の思春期の子供(若者?)についての特定個人の個体を超えた「メタ」な議論には、これまで「承認欲求叩き」の中では中々巡り合えなかっただけに、ほっとしますね。

 
 そして「社会化」の結論部分:

承認欲求がほとんどの人に生得的に存在する以上、それを超克しようとか、無くしてしまおうとか
考えるのは、かなり難しい。それよりも、承認欲求の熟練度を少しでも高め、より社会化された、より穏当なかたちへと洗練させていくほうが、やりやすく、実りも大きかろう。自分自身のなかに眠る承認欲求を弾圧するのでもなく、檻の中で飼い殺しにするでもなく、放し飼いにしても大丈夫なように手懐けていくこと――それが肝心のように思われる*4。


 超克するのではなく「洗練させる」「手なずける」というキーワードが出てきます。


 その3 承認欲求がバカにされる社会と、そこでつくられる精神性について


「昨今、思春期前半の承認欲求が馬鹿にされたり、批判に曝されたりする機会が増えたように思う。」と筆者は書きます。

 その背景には、若者特有の逸脱を許さないいわば狭量な社会がある、と筆者。

そうした逸脱を包摂する共同体的雰囲気はなくなり、きわめて契約社会的な、個人的文脈を忖度しない社会がやってきた。


 こうした社会になれば、若者ははみ出さなくなる。犯罪発生率も下がる。そして若者にとっての”生きづらい”社会が到来する。

中二病が嘲笑され、承認欲求が罵倒語として機能し、若者の逸脱が厳しい制約を受けるようになったため、現代思春期において、承認欲求の社会化レベルをあげる難易度は高くなった、ともいえる。


逸脱の振幅が大きすぎる個人は嘲笑され、叩かれ、排除される。承認欲求絡みのトライアンドエラーの安全マージンが狭くなったということでもあり、ネット炎上に象徴されるような新しいタイプのブラックホールと隣り合わせになった、ということでもある。



 そして幼児期〜学齢期に「承認欲求の社会化」があまりうまくいかなかった人は、その影響をもろに受ける、という。

承認欲求の社会化プロセスのハードルが高くなり、安全マージンが狭くなってしまうと、もともと承認欲求の社会化レベルを稼げている人にはさほど影響は無いかもしれないとしても、承認欲求の社会化レベルの遅れを取り戻したいと思っている人にこそ、そのしわ寄せは大きく響くと推測される。

 こうした社会のなかで、一体どれぐらいの若者が承認欲求を適切に社会化し、モチベーションとして上手に生かしていけるだろうか?



承認欲求の重要性が高まったにも関わらず、その社会化プロセスが難しくなったせいで、おそらく、現代思春期の心理的な成長過程は険しくなっていると思われる。



 わぁあたしが面倒くさがってちゃんとみてこなかったところを静かな目で「まじまじ」と見続けた人がいはんねんなあ。
 ついいつもの癖で、解決編「私の教育の下では…」というフレーズが頭に渦巻きそうになるのを抑え、最終章にまいります。



 その4 私達はいかにして承認欲求と向き合うべきか

 
 
承認欲求全般の否定は、おそらく自分自身の心理的性向の一部を否定することにも直結する。そうやって承認欲求に“臭いものに蓋”を続ければ、さしあたり承認欲求周辺の問題から自由になれるかもしれないが、承認欲求の年齢相応な社会化はいつまでも遅れ、承認欲求をモチベーションとした技能習得やアイデンティティ確立が成立しなくなってしまうため、社会適応に大きな偏りを免れないと思われる。
 

 はいはい。ここはもう一度押さえましょう。
 ではそうならないためにどうするか。

 「だから、よほど特殊事情を持っている人でない限り、自分自身の承認欲求は、なるべく年齢相応に使ってあげて、モチベーションの源としての熟練度をあげていったほうが望ましい。それも、できれば年齢が若いうちのほうがいい」と筆者。
 セルフケアとしては、そうですね。

 ラインケア(メンタルヘルス用語)としては―。

 
 また、もしも承認欲求を不器用に充たしている年下の人を見かけたら、本当にそれを笑って構わないのか、本当に炎上させて良いのか、立ち止まって考えたほうが良いと思う。笑って構わないと判断された場合も、どのように笑うのが適当か検討が必要だ。ちなみに、私自身はそうやって立ち止まって考える習慣がこれまで足りなかった。これは私自身の課題でもある――年少者の成長を願い、喜べるような成人になっていくための。


 うんうん。

 ここでやっと「当協会方式の承認教育」も出番になってくるかな。


 しめくくりに、筆者は「承認欲求の社会化」が困難な現代社会について、こう言う。

承認欲求が個人のモチベーション源として重要な社会ができあがっているにも関わらず、幼児期〜思春期にかけて、承認欲求の社会化プロセスを適切に踏んでいくのは簡単でも当然でもないのは、随分ひどいことだ。


さしあたって今、承認欲求の社会化プロセスが難しくなっていて、それが次世代の精神性に影響を与えているであろう点には留意が必要だとは思うし、今後、どのような社会が理想的な社会なのかを考えていくにあたって、勘定に入れていただきたいとも思う。
 


 いかがでしょうか。

 「解決編」にすぐいきたい正田がふだん思考をサボっている部分をこうして激するでもなく陰陰滅滅とでもなく、描写し分析し建設的に処方箋を出す人がいた。

 こういう品質の思考にこの分野でこれまで出会えなったのだ。

 (欲をいえば正田はマズローだけでなくヘーゲル承認論まで遡りたいが…こらこら。)


 このブログへの引用を快くお許しくださった熊代亨先生、ありがとうございました!


 もう1つ、「承認欲求という言葉の使われ方が変」と感じたわたしの疑問に親切に答えてくださった番外編の記事

 番外編その1 ネットで「承認欲求」が使われるようになっていった歴史

 本来の語義を離れ(参照することなく)ネットスラング、罵倒語として「承認欲求」が使われるようになった、残念な経緯がまとめられています。
 正田ほんとうにこういうこと知らなくて良かったのか(苦笑)

 ありがたいことに、これまで受講生さん方はあまりネット世界の住人でなかったせいか、こうしたネットでの残念な使われ方の影響をそれほど受けてきませんでした。

 受講生様方、大人は「満たす」ことに集中しましょうね。


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 先の加東市商工会での「行動承認セミナー」を受講された経営者、管理者の皆様の宿題が続々返ってきています。
 皆様一様にいい感触のよう。宿題をみると、つい「にっこり」してしまうわたしです。

 「承認研修」は、シロクマ先生の論考のような、若者の側の「承認の社会化プロセス」の分析を経てうまれたものではありません。

 たんに上司側からこう働きかけるといい結果になるよ、という大人社会側での知恵を集積したもの。

 「行動」承認であるのは、「承認の最適化」「質の高い承認」という、これまで承認不全で育って来たきらいのある若者たちの側のニーズにそれがジャストフィットするからなのでした。

 宿題でも、型どおり「行動承認」の形でやってくださった方が最もよい結果を出され、長く続くモチベーションになるであろう、という予感があります。


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 こうして引用、出典明記にこだわるのはわたしのスタイルです。できればオリジナルの方に仁義を切りたいと思うのもわたしのスタイルです。
 自分以外の聡明な方のお知恵をお借りして少しでもいい仕事をしたいのです。またオリジナルの方がイヤな気持ちにならないやり方でしたいのです。

 そして複雑極まる現代のために真摯に思考したり行動する同時代の人に対しては、敬意をもちます。


 ありがたいことに他所にもそういう方がいらっしゃるようで、8月にこのブログに書いた記事を最近別の人材育成業の方が、

「自分が感じていたことと同じだったので引用させてもらいました」

と事後承諾でしたが、ご連絡をいただきました。

 そういう、認め合って引用しあうようなコミュニティってひそやかにあるのかもしれません。



(一財)承認マネジメント協会
 正田佐与

 2つ前の記事で「ウチダ本学ぶものなし」と取り上げた『困難な成熟』という本のAmazonレビューが、今新規投稿・編集ができなくなっているようです。

 ので、こちらに取りあえずアップしておきます。

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 無知と知ったかぶり、恣意的な用語と思考、ファンタジーのオンパレード ★1つ


組織論を名乗っているが底が浅くペラペラ薄い。用語の用法や、基本的知識で間違いが多く、まったく依拠するに値しない。著者のファンだけが共同幻想のために買えばよい。
間違いを2、3例示する。

”組織論というのは「生き延びるための集団づくり」の知恵のことです。…構成員の心身のパフォーマンスが最大化するのは、どのようなサイズの集団においてか。人類の祖先たちはそれを考え、答えを見出した。”(p.113)
⇒組織論イコール集団のサイズ、という定義づけ。この後もずっとこの定義で行っているが、こんな定義を付与する文献はほかにないだろう。通常はリーダーシップ、組織心理学、組織制度設計などが複雑にからみあっている。

"でも、そのときに見出された組織論的知見は今では軍隊にしか残っていません。もう親族共同体にも、地域共同体にも、企業にさえ残っていない。軍隊だけなんです。”(同)
⇒「軍隊にしか残っていません」がまったく根拠不明。ただ「組織論的知見=最適な集団のサイズ=150人」というこの著者の独特のルールだと、親族共同体に援用するのは難しいかもしれないが。この変な定義づけの下では、確かに残っていないかもしれない。常識的な定義での「組織論」に真摯に取り組む企業は決して少なくない。

”自衛隊では先般「いじめ」による自殺者が出て問題になりました。「戦友」に心理的・身体的ストレスをかけてパフォーマンスを低下させ、ついには自殺するまで追い込むようなことは臨戦体制ではありえないはずです。”(p.114)
⇒ここが一番笑えた。著者は、旧日本軍の下でどれほど熾烈な「いじめ」「しごき」が行われ死者や脱走者が出ていたかご存知ないのだろうか。詳しくは『日本軍と日本兵』(講談社現代新書)など参照。「臨戦体制ではありえないはずです。」このフレーズは完全に著者の妄想の産物である。
わずか2ページで3つの明らかな間違いが見つかった。様々な分野の専門家が力を合わせれば、400ページの本書に600の間違いを見つけるのも夢ではないだろう。
ことほどかように、無知と知ったかぶり、テキトーに作った用語をテキトーに組み合わせた恐ろしく場当たり的な思考、ファンタジーのオンパレード。だが著者の年齢(1950年生まれ)を考えるとちょっと微笑ましくさえある。無害な妄想として、言葉を楽しめばいいのではないだろうか。


(一財)承認マネジメント協会 正田佐与

 久々に明るい話題(批判でない話題)です。

 先日、「ブログ発・幸せな発達障害部下?」の記事に登場されたブログ読者の方(仮にY子さんとします)から、このときの部下の方について詳細なエピソードを綴った体験談が届きました。Y子さんのもとで仕事に自信をもち、障害とも向き合い人生全般幸せになってしまった、というお話です。
 

 能力の凸凹があり、ある部分ではすごく有能だけれど時間管理ができず、プロジェクトを完遂できそうにない部下。マネジャーとして初めて直面するタイプの部下に戸惑い悩んだすえ、Y子さんは自己流で、この部下のために「詳細なタスク分解をし、スケジュールを把握し、細かくGOとSTOPをかける」というやり方を編み出します。そのやり方は、「行動承認」の応用編のようなものでした。細かく分けたタスクを達成するごとに承認を与え、自信を持たせて前に進ませました。

 その結果この部下は、「生まれて初めてプロジェクトを1人で完遂できた」と言いました。
 だけでなく、自ら医療機関に赴き発達障害の診断を受け、障がい者手帳も取りました。職場でも障害をオープンにし、自分の出来ること、出来ないことを周囲に伝えて仕事をするようになりました。

 さらに半年後には結婚もし、今は幸せに暮らしているといいます。
 結婚式にもよばれたが上司のY子さんは都合で行けなかった。その後、「自分が障碍者を作り出してしまったのではないだろうか…」と悩み続けたそうです。

 一方で、「大人の発達障害」の本も読み、さらにこのブログの一連の発達障害に関する記事を読むことで、「あれで良かったのだ」と氷解したそうです。


 このくだりでY子さんの記述が心に沁みます:

私のとった方法が正しいものだったのどうかは、未だ自信が無い。ただ、Aさんがプロジェクトの完遂を成功体験として認識したことは、心から嬉しかった。そして、発達障害であることを受け入れ、その中で自分なりの働き方を見つけようとしてくれたことについては、驚きをこえ彼女の勇敢さに尊敬すら感じた。

彼女のことを思い出すと、仕事をする、働くということを通して人が得られる意味の重さ、その貴さの前に、跪いてひれ伏したいような気持ちになる。(太字正田)


 働くということの意味の重さ、貴さ。
 
 そうなのでした。
 人はこれほどに、働くという行為から人として自信を得、そこから人生すべてを変え得るのでした。

 そしてこの部分を読んで、わたしは思い出したのでした。なぜ、「マネジャー教育」というドメインを自分が選んだか。

 通信社記者、主婦、母親、医薬翻訳者、というそれまでの経歴から連続性がありません。でも、「いや、恐らくこれが正解だから、これをやるしかないんだ」と思ってきました。

 それは、人がもっとも人として誇りを持って生きられるのは「仕事」の場であり、それは上司のマネジャーからの働きかけによってもっとも効果的になされる、とわかっていたから、ではないでしょうか。

 もっといえば人が仕事の場で誇りをもった存在でいられるとき、その人は家庭、地域でもよいメンバーでいられ、ひいては子供さんたちにも良い影響を及ぼすことができる。
 子供たちの幸せは親御さんに大きく依存するのだけれど、じゃあ親御さんの幸せや誇りや子供を愛する能力を育めるのはどこか。それは「職場」なのだ。

 社会に幸せの連鎖を生む、その頂点は職場にある。もっといえばマネジャー(経営者を含む)に。決して、同じことをご家庭から発してできるわけではない。


 そういう「結果」が見えていたので、自分自身マネジャー経験がなくてもマネジャーに教える仕事をするという無謀な賭けに出たのでした。
 不思議なことにマネジャーたちはそんなわたしを許容してくれました。許容しなかったのは「間の人」たちですね。今でもしつこくその人たちに「主婦」って呼ばれますからね。

 長い間の「間の人」たちの無理解で、心や身体に随分ガタがきていますけれど、やはり「この教育」が人々に作り出すことのできる幸福のスケールの大きさは、それとは引き換えにできないものです。

 いえ、お蔭様でこのところ皆様に良くしていただいています。
 

****

 上記の記事で「子供さんの幸せは親御さんに大きく依存する」ということを書きましたけれど、ちょうど昨日「小学生の暴力行為が過去最多」というニュースが流れました。中高生の暴力行為が減っているのに、小学生さんに増えているといいます。

 わたしなどは「ああ、スマホ(親世代の)だなあ」と直感的に思いましたし、また専門家の方々は様々に分析しておられるようですのでちょっと資料を集めたいと思いますが、
 大げさに言えば、「社会崩壊の危機」が、はじまっているのではないか、という予感があります。

 既に小学生さんになっているお子さんたちが前頭前皮質/実行機能の発達が大きく遅れ、行動抑制ができない、という事態だとしたら、何がしてあげれるのでしょうか。

 教育すべきはお子さんでしょうか、親御さんでしょうか。

 すっこんでろ団塊。いやなんで今それが出てくるの。

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 先日研修をさせていただいたベーカリーチェーン「リヨンセレブ」の牧田社長より、「正田の第一印象」を教えていただきました。

 牧田社長は今年5月の連休前後に史上初の「メールサポート」を受けて「行動承認の宿題」に取り組まれ、見事飯田GMほか社内の人との関係を改善され、その効果に確信をもって翌6月、当方に社内研修を依頼してこられました。

 さらに6月中旬、飯田GMとお2人で関西まで正田を訪ねてこられました。お忙しいトップとNO.2が日程を合わせて関西に1日来られるというのはそれだけで大変な決断だったでしょう、わあ「三顧の礼」ってこういうことを言うのかしら、と正田は柄にもなく感激しておりました。

 ちょうど新大阪で企業研修があった日の夕方に駅で待ち合わせてお会いしました。
 その日の正田の印象というのは―。

 ここからは牧田社長のメールからの引用です。

さて先生にお会いした時の印象は、品格もあり丁寧で印象の良い方だなと思いました。私はそういう方と話すのは実は苦手なほうで、(自分は品がないので)ちょっと緊張感が走りました。
その後お話ししていく中で、少し先生が引かれているのかなと感じる場面もありました。でもそんなことはないはずなのにと思い直したりしました。何とかやってもらえることになり、安堵して帰った記憶があります。
帰りに飯田GMの印象は、先生は自信がないようだったけど、大丈夫ですかね?と言ってきました。私の勢いに押されてしまわれたんですかね?でも社長の私の印象としては、「うちのような会社の講師経験が少ない事を心配されているのか?わからないけど、当社には必要なので先生にかけてみるしかないね」という結論で話は終わりました。その後、正田先生と当社とのやり取りの中で、机の位置やどこまでコーチングを社内に落とし込んでいるのか等のやり取りの中で、講習を充実した内容にしたいという先生の思いが伝わってきて、私も飯田GMも安心した思いがありました。現在は何の心配も無く、本当に良かったと思っています。



 「品格もあり丁寧」だって…その当時はあまりブログを更新していなかったので、最近のような悪口雑言の文章を牧田社長にお目にかけないで済んだみたいですね(苦笑)

 「自信がない」というのは多分本当にそうだったと思います。多分性格的に「自信のある」表情など一生できないのかもしれませんが―、

 ベーカリーチェーン様での講師経験がなかったというのも本当です。加えて「職人気質の人もおり、難しい」ということも伺っていたので、「どう難しいの?どんなわだかまりがあるの?」という疑問とプレッシャーが頭の中でぐるぐる回り、
(実際には研修でお会いした店長、リーダー様方は職人出身の人も気持ちのいい人ばかりだった)

 いつも研修前は情報収集をしたがるのですが必要な情報を事前に十分入手できるだろうか、とか、
 研修は水もの当日何が起きるかわからない、とか、

 要は、『行動承認』のせいで研修効果についての期待値が上がってしまっているので、事前期待が高ければ高いほど正田は自信のない表情になる、という現象なんですけどね。


 なので、これからお会いする方々も、どうか「正田の自信のなさそうな様子」は、あまり気になさらないでください。いつものことですから。多分本番になると腹をくくってしゃきしゃき喋るとおもいます。そして結果を出すとおもいます。


 牧田社長、わたくしからの変なお願いに応えていただきありがとうございました。


(一財)承認マネジメント協会
 正田佐与
 


 

 『困難な成熟』(内田樹、夜間飛行、2015年9月)という本を読みました。

 このブログでは最近批判記事ばかり続いていましたが、この本に関しては元々批判しようと思っていなくて「大人の成熟」ということに関してちょっとは答えが書いてあるかな?と手に取ったのですが、

 ダメでした。

 ウチダ本、もはや学ぶところなし。そこまで言っちゃうか。

 以前は、「内田樹本」はそれなりの衝撃があったり、指針にするところがあったのでした。学び手が消費者になったことを指摘した『下流志向』などは、無条件のテキストとして頭に叩き込まれました。

 しかし―、

 やっぱり、「定年後のおじさん」なのだなあ、この人も。小さな小窓から企業とか労働の場を覗いて、そこにたっぷり妄想と恣意的な思考をくっつけて文章を書いている感じ。


 たとえば、

「会社には、『母』がいない」というフレーズ。

 すいません、女性社長たちはあれは何なんですか。

 「姐さん」なんですって。

 会社は、「父性原理・男性原理」でなければならないのですって。

 ここで「あの〜、父性原理・男性原理ってどこの心理学とか哲学の用語ですか?どういう文献の中でどういう文脈で使われてますか?」なんて、野暮なことをきいてはいけないようです。

 この本のあとの方に、「私は用語の定義などしない。そんなことを要求されたら逃げ出す」と、「逃げ」をちゃんと打ってあります。
 ずるいですねえ。
 だからこの本は、内田氏が恣意的にテキトーに作った用語を組み合わせて恣意的に議論をすすめるんです。

 いいですね〜気楽で。自在の境地ってやつですね。

ひょっとしてちょっと、緻密にものを考える姿勢って壊れてきてませんか?私の知り合いでそういう人いたんですよ、その人はアルコール依存でしたけどね、ええ。ちょっとヨタ話の匂いを感じたもんですからね。いろんな理由で脳って壊れますよねー。

あ、わたし「個別化」という資質が強いので、本来はマジメですけど不真面目な人のことは不真面目に相手するんです。

 野暮を承知で、「父性的」や「男性的」をあえて神経化学物質の知見にまで還元すると、「テストステロン原理の会社がいい」と言っていることになります。

 それ、ダメでしょ。

 内田氏がどの程度の人生経験や会社を観察した経験があるのか知らないが、テストステロンの暴力性を肯定してしまうと、それはパワハラ肯定、暴力肯定、それについていけない多数の人たちの切り捨て肯定ということになる。
間違った仮説を持って物事をみると、結局いつまでも正しく見れない。内田氏は結局団塊世代の制約を抜けきれない人なのではないだろうか。


 かつ、今どきの女性も障碍者も外国人も受け入れましょう、という多様性前提のところではテストステロン原理はつかえない。テストステロン性の強いリーダーは、過去も何度もご一緒したが、人の多様性個体差に対して恐ろしく無頓着で、自分と同様の有能さのない人は平気で切り捨てる。障碍者とわかっていながら罵る。女性は見下すか、愛人にするか。ハーレム化しちゃった会社もありましたよ。

 だから、「男性性」なんてむやみに持ち上げないほうがいいのです。わたしの経験では元々テストステロン性の強いリーダーでも、「女性的な」承認トレーニングを受けることではじめてその有能さを組織に反映させられます。男性はそのままでは良いリーダーになれないのです。40代半ばくらいにテストステロン値が落ちてきて、枯れてきて、その頃に女性性を学習して身につける、というのが幸せな転換なんですよ。そのくらいの発達心理学の知見は盛り込んであるのかと思った。全然ない、ウチダ氏の狭い見聞の中からだけの話だった。この人はあんまり成長しなかったほうの人なのではないだろうか。

 でも男性的な会社がお勧めだ、と内田氏は言っているのです。

 この人は女子大の先生だったと思うんですけどねえ。

 全体に、この人の文体に感じるのは、なまじ大学の先生であったがゆえに人生経験の少ない未熟な人向けに大風呂敷広げたような、博識をひけらかしてはいるんだけど恐ろしく断片的で恣意的で、読者がそこから何かを構築しようがない、そういう話のすすめかたなのでした。

 こういうのを喜ぶ人は、本当に人生経験が少なくて「偉い人」に教えてもらって喜んでる人だなあ、あと同じ団塊世代で威張ってるこの人をみて威張りたい自分を投影したい人だなあ、と思うのでした。去年は「哲人」が説教しているスタイルの本が流行りましたけれどね、あの路線ですかね。威張り本とでもいうジャンルですかね。


あと、女嫌い(ミソジニー)の気配も感じる。女を引き合いに出すのはフェミニストとかで、いかにも「嫌い」という文脈で、だ。奥さんに逃げられるとかしたんじゃないだろうか。そして「橋本治さんにゴミ拾いを教えてもらった」などと、男の有名人のお友達にしがみつきたい症候群、みたいのも感じるのだ。(そんなこと市井の経営者なら誰でも教えてくれることだろうに)


 以前はこの人の本を読んでこんな風に感じなかったなあ。

 わたしの人間がわるくなったのだろうか。


 ともあれ、「父性原理の会社がいい」なんて言説は、信じないほうがいいです。良識ある現役の経営者・リーダー層が読む本ではないことを祈ります。

(本当は、本書は黙殺するほうの本だったのだが、「無意味を通り越して有害」という記述があり、過去には一定の影響力のあったことに鑑みてあえてブログアップしたのだ)

 団塊はまだ当分本を買いますからね、こういうのが団塊向けのマーケティングで、老々介護なのかもしれないですね。


(一財)承認マネジメント協会
 正田佐与

お世話になっている皆様


 おはようございます。
 一般財団法人承認マネジメント協会の正田です。
 

※このメールは、正田が過去にお名刺を交換させていただいた方・当協会のイベントやセミナーにご来場いただいた方にお送りしています。ご不要の方は、メール末尾にありますURLより解除ください。
(解除方法が変わりました!詳細はメール末尾をご覧ください)


 本日の話題は:

■22名のリーダーの方々へ 祈りを込めて
 ―加東市商工会・行動承認セミナー開催しました―

■当たり前の日常から発すること、日常を慈しむこと
 ―「アンチ承認欲求本」を評す―

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■22名のリーダーの方々へ 祈りを込めて
 ―加東市商工会・行動承認セミナー開催しました―

 先週11日、兵庫県中部にある加東市商工会にて、「行動承認セミナー」3回シリーズの第1回を開催しました。
 地域から製造業、電器販売、金融業、小規模事業者などの22名のリーダーの方が参加。
お一人も欠けることなく、大変コミットメント高く、初日を無事終了しました。
 改めて主催された加東市商工会の皆様、そして共同で講師を務めてくださった、このプログラム初期の成功者・松本茂樹先生(関西国際大学経営学科長)に感謝申し上げます。
 数人から100数十人の部下をもつこのリーダーの方々が、この情報の多い時代においても、ひとつのプログラムの良い学習者となり、担い手となり、強く幸せな会社を作ってくださることを願います。
 当日の詳細をこちらにご紹介しております

◆幸せな行動承認セミナー第一弾、情けないJ-POPとの決別ー加東市商工会様
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51922286.html 

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■当たり前の日常から発すること、日常を慈しむこと
 ―「アンチ承認欲求本」を評す―

 さて、「承認」という良いものの与え手になる人を増やす仕事をすると同時に、現代に多い、人を惑わす言説にも目を向けなければなりません。そうした言説の影響をできるだけ最小にしなければなりません。
 「承認」「承認欲求」という言葉は、2008年ごろから最近まで、何か悪いことが起きたときの理由づけとして、さも悪いもののように扱われる風潮がありました。社会学者、犯罪心理学者などが、犯罪や非行やいじめ、その他もろもろの逸脱行為の動機として、憎しみをこめて「承認欲求」というものに言及してきました。
 ところが、そうした論者たちが大きく見落としている事実があります。
 わたしたちのあらゆる社会的活動、学校へ行くことも仕事をすることも恋愛したり家庭を営むことも、すべて「承認欲求」が行動原理だ、ということです。そして一部の人が承認欲求ゆえに逸脱行為に走ったとしても、大多数の人は、承認欲求ゆえに、逸脱をしないで踏みとどまるのです。
 そうしたわたしたちの当たり前の営みに、慈しみや畏敬の念をもつことから出発してはいかがでしょうか。
 「アンチ承認欲求本」について評した記事はこちらです

◆幸せな行動承認セミナー第一弾、情けないJ-POPとの決別ー加東市商工会様(後半部分)
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51922286.html 

◆再度「アンチ承認欲求本」を斬る―『「認められたい」の正体』『人に認められなくてもいい』
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51922394.html 


 もうひとつ、では「承認」「承認欲求」をどう位置づけたらいいのか?というとき、「栄養」「食欲」との関連を書いた記事があります。「人に認められようなどと思うな!」などという言説は、「栄養を摂るな!ガリガリに痩せて生理も止まってしまえ」というのと同じぐらい、危険行為です。

◆長すぎてしまった前振り 承認欲求と食欲と栄養と過剰摂取の関係について
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51920236.html 

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★台風18号は、北関東から東北南部にかけて甚大な被害をもたらしました。
 犠牲者の方々のご冥福をお祈りするとともに、今はささやかながら義援金をお送りしたいと思います。
 多数の自治体に被害がまたがっているため、日本赤十字社に送ることにしました。有効な使い方をしてくれることを願います。

 
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ブログ「コーチ・正田の 愛するこの世界」
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近著『行動承認―組織の能力を最大化する「認める力」』
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*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*

 また引き続き「負の承認欲求本」を読んでみる。

 このブログでは2011年7月にもとりあげた『「認められたい」の正体―承認不安の時代』(山竹伸二、講談社現代新書)。

 再読してみますと、この本自体は最終結論部分では「社会の『承認』の総量を増やそう」的なことを言っていてわたしとそんなにスタンス変わらないじゃないの、と思います。だがわたしのやってるみたいなコミュニケーショントレーニングは有効な道筋と認めてなくて、もっと何となくやりたい、自分の身の回りからほそぼそと、というスタンスみたいですが。向こう三軒両隣。

 甘いね。それじゃ1000年かかっても無理、と実際家でコミュニケーショントレーニング屋のわたしは思う。「コミュニケーション」は見下されがちだが、菊池省三先生も著書の中で言われたように、「徳」の手段なのだ。コミュ力を鍛えることが、徳に至る道筋。そう意識して使っている指導者のもとでは、そうだし、そういう志のない空虚で受講料ばかりバカ高いコミュニケーショントレーニングも一部にある。そこと一緒にしないでいただきたい。また現実の手応えとして、何となくやってるつもりでいるのと、きちんとやり方を学び宿題もこなして型を身につけるのとでは、天と地ほどの開きがある。

 
 そして結論部分はそうなのだが、本書『「認められたい」の正体』の導入部分ではやっぱり「犯罪」「いじめ」と「承認欲求」との関連を延々と描き、「承認欲望」という明らかに善悪の「悪」の価値判断を含む言葉づかいをし、陰陰滅滅と、「承認欲求」のきもちわるさを訴える。そんなんで社会に承認が増える結果に結びつくとは思えないのだが。

 もう1冊、『人に認められなくてもいい』(勢古浩爾、PHP新書、2011年12月)は、この年に先行で出た『「認められたい」の正体』を長めに引用し、引用文献としてはそれが唯一と言ってもよく、あとは「認められたい心理(承認欲求)」をひたすら品位の低い言葉で貶しまくっている本。いわば便乗本、尻馬乗り本という感じ。たぶん「内発と自律論」にかぶれて憧れてるほうの人だと思う。

 「内発と自律論」についての最近の記事はこちらです

 ふたたび「内発と自律」をモグラ叩きする
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51921314.html


 このへんの論者の方々にわたしが言いたいのは、たとえば大前提として、承認欲求がボルテージ上がってるから犯罪が増えてるんだろうか?そもそも、犯罪発生率が上がってるという事実もあるんだろうか?

 すっごく犯罪が増えていて、アキバ通り魔事件のようなのの発生率が過去に比べて右肩上がりで上がっていて、それの原因が承認欲求の亢進だ、という図式が成り立つんだったらいいですよ。現実には、犯罪は減ってるんでしょ。ちょぼ、ちょぼ、と起きていて、たまに起きるがゆえに目立つそれの原因をみると承認欲求由来のものがある、という話でしょ。

 そのへんのデータ的なところは詳しい方にゆずるとして、、、


 昔から、犯罪の動機が承認欲求だった、というのは実はよくあった。「永山則夫」とかもそうなんじゃないですか、たぶんほかにも枚挙にいとまがない、めんどくさいから一々挙げない。三島由紀夫とかインテリがやるのもそうだし粗暴犯もそうだったろうし、明治の人も江戸時代の人も戦国時代の人ももっと前の人もやってた。だってギリシャローマ秦漢の時代から承認欲求ゆえに戦争をし、主と奴に分かれた、っていうんだから。

 承認欲求ゆえに人は恋愛もする。源氏物語だってそれを言えば承認欲求の産物だと思う。思い返すと近代ヨーロッパの恋愛小説とかビルドゥングスロマンとかも全部、今読み直せば延々と承認欲求のことを書いている。漱石のこころだって言ってみればそうじゃないですか。「近代的自我」なんて今の言葉で言えば全部承認欲求じゃないですか。

 だから、ふつうのことなんです。承認欲求を持っているのって。
 昔から若い人はそれで悶々としてたんです。
 単に今の大人が成熟度が低いから、出し惜しみして与えないから、社会に足りなくて窒息感が起きてるんです。それと、昔は文章を書くなんて一部のエリートの行為だったのが、彼らは社会的地位が高かったので割合承認的に満たされていたのが、今はもっと普通の社会的地位の低い人も書いて公開できるようになったから目立つということはあるでしょう。
 去年はまたナルシシストのスキャンダルが連続して起きたが、あれは「承認欲求」も度を越すと一種の才能だ、という話なんだと思う。別にすきじゃないですよ、あのひとたちのこと。
 (あと多少、顔出しできるツールの出現が自己顕示欲という形の承認欲求を高めたというところはあるでしょうね。拡張させるツールは溢れていますね、それは1960年代からアメリカ人を肥満にさせるスナックが溢れたのと同じです。そういう社会を作っちゃったのは大人です)

 でもこの著者たちは、「アンチ承認欲求」で論陣を張ると、それだけで新書が何冊も書けちゃったのだ。「まるで承認欲求の亢進ゆえに不条理犯罪が増えた」みたいに見せかける文章を書いて、日本的なケガレみたいな味つけをして。そういう、イージーな論客たちの「おまんまのたね」だったのだ、承認とか承認欲求は2008年ごろから最近まで。牧歌的な時代でしたねえ。

 『承認をめぐる病』(斎藤環、日本評論社、2013年12月)は、病気の人のことなので、こころの栄養である承認が極端に不足すれば病気になるのはわかりきっているので、省きます。あと病的に承認欲求の強い一部の人も病気になりやすいです。専門家の方はそういうものだと思って粛々と対処なさってください。


 そしてもうひとつ意地悪なことを言いましょう。

 承認や承認欲求のことを何と表現するか。それは、その人自身の内面の投影だ、とわたしはみています。

 たとえば、求めても得られないもの。ここにはないどこか。幸せの青い鳥のようなもの。J-POPで歌う夢とか幸せのような現実味のないもの。地獄の餓鬼の絵のような嫌悪の情をもよおすもの。際限のない闘争をもたらすもの。羨望と見下し。

 全部それは、その人自身の内面の物語なのです。
 きっと本人さんが「ほしい〜、ほしいのに〜、もらえない〜」と悶々としている人なのです。ノドから手が出ているのです。イソップ童話のキツネのように、手に入らないから、悪口を言うのです。そして「与える側になる」なんて夢にも思わないのです。はいクイズです、そういう人格の人のことを何と呼ぶでしょう。


 わたしなどは、
「そうか、足りないのか、じゃあ与えよう、そのためにトレーニングをしよう。そのために人びとを説得して動かそう」
という脳の回路をしているので、そうした陰陰滅滅としたイメージはあまり持ちません。供給したあとの現実の美しいイメージのほうを沢山蓄積で持っています。しかし根暗イメージを持つ人は持つので、ふうんそう見えるんだなあ、と不思議な思いでみています。
(もちろん不足のために問題が起きていることには人一倍心を痛めます、だから迅速に行動を起こします。わたしの受講生たちが1位続出しはじめたのは、わるいけれどこの論者たちが「承認欲求」の悪口垂れはじめるより5年も早かったのです)


 適切に与えさえすればこんないいものはないものについて悪口雑言たれる人とはお友達になれません。

 彼らは、「承認」「承認欲求」を遠巻きにしてみて悪口言う仲間をつくり、その仲間同士の承認を期待しているナルシシストなのです。


 
 もうひとつ追加しましょう。

 拙著『行動承認』は「はじめに」の一章を除けば、全編が「解決編」でできている、と言ってもいい本です。

 わたしは恨み節嘆き節がすきではないのであまり気乗りがしなかったのですが、打ち合わせでそういう章が必要だ、という話になったので、仕方なく「承認不在の職場でどんなイヤなことが起きているか」を取材して書いたのでした。

 残りは全部、解決編。
 世間には、データだけ出して解決編提言編は書きたくなかったとか言われる御仁もいらっしゃるけど、

「こういう問題が起きています」「さあ、あなたはどうしますか」

という本の書き方より、解決編に徹して書くほうが責任が重いのです。

 とりわけリーダーの行動規範に関する本なので、リーダーが間違ったことをやったらものすごく影響が大きい。それは、あらゆる取り違えや行き過ぎや色々な事態を考えて、丁寧に副作用の芽を摘み取って書いているつもりです。

 わたしは「変える」という言葉もあまりすきではなくて、「変えるより『つくる』ほうがはるかに難しい」と思っています。現状に問題があるから変えたい。でも変えた先の形でまた別の問題が起きない保証はない。

 そして受講生さんや読者さんは素人なので、ほっとくと色んな失敗をされる。本当はリーダーの行動では失敗は許されません。経験値のある当方が、できるだけ失敗しないように丁寧に指導してあげる必要があります。「失敗してもいいですよ」は若いうちだけのことです。


 そういう、「この形に変えたあかつきに何が起こるか」を丁寧に予測して問題の芽を摘み取る作業をしている本なのですが、そういう配慮を読み取ってくれる読者さんはすくないですね。世間の本でそういうの中々ないですよ。いいんだけど。


 わたしは、嘆き節の本何冊も書いているよりも自分の生きている時代に責任持った仕事の仕方してます。超マジメタイプですから。
 
 
 
(一財)承認マネジメント協会
 正田佐与

 

 加東市商工会で11日、3回シリーズの「行動承認セミナー」初日が開幕しました。


 会員企業様から22名の経営者〜リーダー層の方(うち女性6名)が参加されました。

 県下きっての経営支援通、篠原靖尚経営支援課長(拙著『行動承認』に登場したK島さんの以前のお師匠さんです)が冒頭挨拶を読み上げられ、

「コーチングの研修も受けました。ほめる研修も受けました。どれも違う、と思った時に私が去年出会ったのが『承認研修』でした・・・」

 荘重な、教会のパイプオルガンの前奏のような冒頭挨拶。

 照れ屋のわたしはつい、「篠原さん、話長いです」とつっこんでしまいましたが…、本当は内心は感謝でいっぱいでございました。


 ご一緒に講師を務められた元銀行支店長の松本茂樹先生(関西国際大学経営学科長)は、

「この研修はその通り『素直に、愚直に』やり続ければいい、というものです」

「私も銀行支店長時代、個別面談をやりながら部下が目の前でみるみる変わっていくのを経験しました。みなさんも経験してください」

と、嬉しい援護射撃をくださいました。


 商工会から事前に本を配布するという「反転学習」の効果か、皆様最初の実習から大変コミットメント高く参加していただき、笑顔がこぼれました。

 その瞬間は何度立ち会ってもいいものですネ(*^_^*)


 3時間、最後の実習で、ちょっと難しかったカナ?と当方が気をもんでいた最後のお1人も破顔一笑。

 あとは、このまま順調に職場で実施してくださいますように。と祈るばかりです。


 非常に沢山の課題を事前アンケートで出していただいていましたが、わたしがみる限りすべて「承認」の先に解決策があります。それはみなさまの実践に依存します。




 「幸せな初回の終了」のかげには、加東市商工会K島様の周到なご準備もありました。チラシレイアウト、配布、FAXDMなど事前告知の労、それに当日作ってくださった感動的な席次表。いまやこの方しかご存知ないセミナー開催ノウハウの塊ではないかと。

 この場をお借りして、ありがとうございました。「承認研修」、こんなに盛り立てていただいて幸せ者です。


****

 
 さて、幸せな気持ちになったので、少しイヤなことにも目を向けようと思います。

 今回の読書は『友だち地獄―「空気を読む」世代のサバイバル』(土井隆義、ちくま新書、2008年3月)と『希望難民ご一行様―ピースボートと「承認の共同体」幻想』(古市憲寿+本田由紀、光文社新書、2010年8月)。

 いわば「負の承認欲求本」の「はしり」のような文献群であります。けっしてこのあたりの論者の方々を敵視したいわけではないんですが、きっと良心的な方々なのだと思いますが、このあたりの書物がつくるイメージが、「承認」という本来すごくいいものをわるいもののように見せてしまっているということは指摘しなければならない。

 わたしは大人の世界に「承認教育」をして、サクサク問題解決をしようというほうの人なんです。そう、本当にサクサク解決できるんですもん。


 このあたりの「若者論」の文献に、「承認」「承認欲求」は、どういう形で現れるでしょうか。なんだか、大学生さんの卒論みたいな論の立て方ですが。


 たとえば前者、『友だち地獄』では―。

「他者のまなざしを自己の内にもたない人間が自らを物語ろうとする場合には、自分の外部にその聞き手をもたざるをえない。しかし、自己の物語が赤裸々なものであればあるほど、自分と利害関係のある人びとにその役割を求めるのは危険が大きすぎる。そこで彼らは、具体的な利害関係のないバーチャル空間の他者にその役割を求め、ネット上に日記を公開する」(p.69)

 ―ここでは「承認欲求」という言葉こそ使っていませんが、ブログを書く人は承認欲求を満たしたいから公開で書くのだ、という意味のことを言っています。そうですかすみませんねえ。


「献血によって彼女(南条)が得たいのは、自分という存在の確認とともに、他者からの絶対的な承認である」(p.82)

「(南条の自殺願望の記述を受けて)ここには、なんと切ない自己承認への欲求があることだろう。死亡後に発見される自分の刺激的な身体が、さらには自殺という衝撃的な事件によって自分の欠けたダンスのステージの光景が、かえって自分という存在の強力なアピールになることを敏感に感じとっている」(p.83)

 ―いやですね〜、自殺によるドタキャン願望。傍迷惑このうえない自己顕示欲。まじめ義理人情タイプの正田はそれは絶対ないな。でも時々、例えば職務怠慢な新聞記者があまりにも「承認」のことを書かないものだから、「あなたたち私が死んだら書いてくれるんですか?」なんて言うことは本当にあります。ギャグですから、あのひとたちは。まあ「思想」なんて高級なことはわからない、ミニコミ紙ですからどこも。
 ともあれ、その人はビョーキなんだと思いますよ。


「一般的な他者の視線が自分のなかに取り込まれないとき、自らの身体感覚のみに依拠した自分は、まさに世界の中心点となる。しかしそれは、社会という確固たる根拠をもたない空虚な中心点である。それゆえに、自己の安定のためには具体的な他者からの絶えざる承認が必要となる。その承認欲求の強さは、南条の日記に書きつらねられた内容ばかりでなく、ネット上でそれを公開するという形態にも表れている」(pp.83-84)

 ―はいはい。現代の若者の病理を解剖する時に、どうしても表現力豊かなエクストリームな人の例を挙げざるを得ないんでしょうかね。
 最近も自分がブログを書いていることに関してナルシシストだとか言われて、「私は碌に発表場所もないから受講生様のために自分が思考した軌跡を書き残しているんです、なんか悪いですか?」ってある人に言ったんでしたっけ。なんでこんな説明しなきゃいけないのよ、疲れるなあ。相手はベストセラー作家さんでしたけどね。あいつら一味だな。回し者だな。


「彼女(南条)は、甘美なものとして仕事を捉える。そこに、自己承認への活路を見出しているからである。彼女にとって仕事とは、確固たる承認を得るために非常に有効な手段だった」(p.85)

 ―あの〜、「仕事が承認を得る手段」だ、というのは、いたって「まとも」ですよ。ビョーキの人だからそうなんじゃないですよ。そういう認識は全然ないみたいですね。なんか読むのイヤになってきたこの本。あなた自身は、仕事は承認を得るための手段じゃないんですか?この人本当はいい人じゃないんじゃないのかな。


 ―さて、「昔の若者はそれほど承認を必要としなかった」という言説も登場します。

「…かつての若者たちが人間関係の強い絆にからめとられているように見えながら、その一方で孤独にも強く、むしろ孤高にふるまうことすら可能だったのは、自分の判断に客観的な色彩を与えてくれる社会的な根拠を自己の内面に取り込んでいたからである。その根拠が、つねに一定方向を示しつづける羅針盤の役割を果たして、彼らの自律性を支えてくれていたからである。だから、たとえ周囲の人びとから自分だけが浮いてしまおうとも、『我が道を突き進んでいく』と宣言することができた。いわば一般的・抽象的な他者による承認を感じとることができていたので、具体的な他者からの承認を現在ほどには強く必要としなかったのである」(p.122)

 ―昔の若者は自律的だった説。異議あり。昔がどのへんの時代なのかわかりませんが、たとえば安保闘争とか学生運動、紅衛兵、など若者がモブ化したことは何度もあり、それは自立していない若者が集団行動すると安心したからで、要は承認欲求です。紅衛兵なんかは、毛主席から承認されたかったんです。だから団塊はその過去を恥じて右翼反動になってるんです。中には本当に自分の信念と一致していた人もいたでしょうけど、大多数は自分なんてありませんでした。もちろん普通の働く風景でも、高度経済成長の長時間労働のサラリーマンは当然、会社や周囲から承認されたくてそうしていたわけであります、もっとさかのぼれば軍国主義にしても。正田は会社員時代も一匹オオカミで上司とか周囲の(「弱くあれ」という)期待には従わないほうの女の子でしたが、それは大学で強い恩師の影響を受け承認も受けたからで、良い親御さんや師に承認された経験のあるひとは周囲に流されず強く振る舞えるかもしれません。自分1人でそれができるわけではない(できるのは恐らく病的に空気を読まない人)、それは昔も今も同じと思います。漱石とか鴎外とか、文豪と言われるクラスの文献を残している人は例外でしょうけどね。あと太宰治は自己愛性人格障害だった説もどこかにありましたね。あー、どんどんきらいになってきたこの人。言ってること変。学者のくせに間違ったこと言ったら、アウトでしょ。かなり妄想的な頭脳の人、学者というよりアーチストなんじゃないだろうか。


 ―いじめ自殺も「承認欲求」の産物説。別に否定はしませんが…。

「2006年の後半に引き続いたいじめ自殺の背後にも、この「私を見つめて」という強い承認欲求が潜んでいるように思われる。自殺を企てたいじめの被害者たちは、…「優しい関係」に孕まれた対立点の表面化が巧みに回避されることで、いじめの傍観者たちが自己肯定感の基盤を補強していくのと引き換えに、自らの肯定感をとことん剥奪されてしまった存在である。「私を肯定的に見つめてほしい」という想いは、ふつうの若者たち以上に強かったに違いない。」(pp.135-136)

 ―そうだろうと思いますよ。ホネットも言ってるでしょ、いやヘーゲルだったかな、人間同士の葛藤とは、要はどれも「承認の剥奪」の問題なんです。戦争も犯罪もいじめも。だから、奪われた側は必死でなんらかの形で奪い返そうとする、承認を。それは自然なことです、といっても自殺などしてほしくないが、彼らには奪い返す権利は当然あるんです。それはそこまで追い詰められた被害者が悪いんですか?自殺した被害者をナルシスティックだといえますか?承認を奪った加害者が悪いんじゃないですか?あるいは放置した大人たちが悪いんじゃないですか?
例えばこの文章を、「餓死した人の表情からは強い食欲が窺われる」という文と比べてみてください。


 「ケータイは…、つながりたい、承認されたいという欲求を、とりあえずはいつでも満たしてくれる装置として活用されている」(p.172)

 ―きたきた。本書は2008年の出版なので、まだスマホ登場前で「ケータイ」を話題にしています。ここでいう「承認」は、当協会的には「やすっぽい承認」なのやけどなあ。本書では「優しい関係」という言い換えバージョンも度々出てくる。「さみしい」に対しての「さみしくない」、「ないよりまし」というレベルの不安定なもの。だから、仕事の場での「行動承認」に出会うと、それはいまだかつてない大人同士の骨太な強固な信頼できるものなので、今どきの若い子もコロっと変節(いい方へ)してしまう。


 『友だち地獄』、「おわりに」で著者は、「本書で述べてきた若者のメンタリティの半分は、自分にも当てはまることを率直に認めておかなければならない」(p.231)と述べたところには、ちょっとだけ救いがありました。

 しかし全体としては、若者の現状の暗黒面を取り上げ嘆いてみせ(慨嘆調)、そして「承認」「承認欲求」をスケープゴートにしている本なのでした。まるで、人間ではない架空の概念だから悪玉にしてよいのだとばかりに。
 いや向かうべきはそっちじゃないでしょう。大人社会をどうつくりかえるか、でしょう。

 問われるべきは大人社会なのだ、という視点がこの本には見事に抜け落ちている。「若者の病的な承認欲求」のおぞましさだけが読後感として残る。

 あれですよね、問題発見とか慨嘆調がお上手な著者の方っていらっしゃるんですよね。それだけで本が何冊も書けちゃう。ネガティブ日本人は嘆き節には「そうだそうだー」って反応するんです。イヤだわ男のくせに慨嘆調ヨロメキ調。定年後の読者層の方なんかには受けますね。

 でも社会問題は何も解決しない。有効な問題解決をしているこちらが足引っ張られる。

 このブログでは、最近も「承認と栄養の関係」を取り上げているが、

 長すぎてしまった前振り 承認欲求と食欲と栄養と過剰摂取の関係について
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51920236.html

承認欲求は誰にも普通にあるもので、正常な範囲のものは与えられて然るべきもの。


 ごめんね、教育技術の進化によって、また地道な社会変革によって(それはお気楽な大学の先生ではない正田の長年の心身をすり減らす「営業活動」で成り立ってきたのだが。正田はもう歳でかなり疲れてきているので、大学の先生にはとりわけ厳しいです)、大人のほうに「承認教育」を施し、「承認の与え手」の大人の数を増やすことができるようになると、ここにみるような「承認観」はむしろ退場していただかざるを得なくなる。

 美しいものなんです、大人の「与える承認」は。この教育に関与できることも美しいんです。汚いものみたいに言ってご商売してきた無責任なひとは、関与しなくて結構です。


 
 
 もう1冊の『希望難民ご一行様』(光文社新書、2010年)は、気鋭の若手社会学者・古市憲寿氏のデビュー作らしい。綾野剛みたいな今どきのイケメンの人ですね。


 ピースボートに同乗し、その限界を見、返す刀で「承認の共同体」を切っている感じの本。「承認」はもちろん本書の本筋の話ではないが、承認屋なので一応、どう扱われたかフォローしておきたいです。


「そう、「承認の共同体」は再分配の問題(経済的格差)を覆い隠すし、しかもなかなか政治運動へも発展しないのである」(p.264)


―政治運動には、このところ「反原発」や「反安保」に発展しているようにみえますけどね…。
 再分配の問題と承認を切り離して論じているところが曲者で、ヘーゲルの構想した承認は、ちゃんと再分配にまでつながっていた。ヘーゲルは承認を当初公共の愛として構想し、次に法や社会制度として構想したのだ。承認を、非力な若者同士で歌うJ-POPみたいなものに矮小化しちゃったのは著者の勝手な解釈である。

 
「要するに、ピースボートは特に「セカイ型」と「文化祭型」の人に対して、ムラのようなコミュニティを作った。それは一部の人が期待したような世の中に反抗するような集団ではないし、社会運動につながるようなものでもない。なぜなら、「共同性」による相互承認が社会的承認をめぐる闘争を「冷却」させる機能を持ってしまうからだ。
 
 つまり、「承認の共同体」は、労働市場から体制側から見れば「良い駒に過ぎない。このことを、「若者にコミュニティや居場所が必要だ」と素朴に言っている人たちは、どのくらい自覚しているのだろうか」(p.265)
 
―だからねー、さっきも言いましたけどね。ぽりぽり。
 たぶん、現代の非正規労働化、ブラック企業化というのは、「社会全体で、いわば大人世代が若者に与える承認のパイが縮小した」という現象なのだ。生身の若者たちにとって取り分が少なすぎるから、自分らの世代の中でなけなしの承認を回さざるを得ない。それが、ここに現れるような負け犬の遠吠えのようなゴールデンボンバーの歌のような「情けない承認イメージ」になってしまう。
 それは承認の責任ではないっつーの。イケメンさんだけどおばさんは厳しいよ。

 どうも見てると、土井隆義氏が「承認悪玉説」「昔の人はもっと自律的だった説」の先鞭をつけ、それに便乗して、本来の承認の意味をよく調べもせずに悪者扱いして使う人が学者さんでも増えた、という系譜のようにみえます。土井隆義氏元凶説。土井氏って本当は内発と自律論者なんじゃないの。いや本当はどうなんでしょうね。あまりこの問題に深入りしたい気もしないんですが、もしお詳しい方がいらしたら、ご教示ください。


 ああ鬱陶しい、このひとたちに触ることもわたしにとっては「汚れ仕事」だわ。



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 えー、せっかく加東市商工会様で幸せなセミナーをさせていただいたのにね。返す刀で憎まれ口叩くわたしは罰当たりな女です。

あ、こんなにブログでは毒舌吐く女でどんな恐ろしいセミナーするんだろうと思われるかもしれませんがセミナーではすごく優しい先生キャラです。(^_^)v

 でもね、論破すべきは論破しないといけない。3時間のセミナーではごくわずかしか伝えられないのだが、受講された方がこのあたりの文献に触れてしまうととたんにそのネガティブなトーンに「かぶれる」可能性がある。「あのセミナーは、こういうのを読んだことのない人のきれいごとなんだわ」と思っちゃう可能性がある。

 それくらい、田植えをしてから害虫駆除を念入りにやらないといけない時代です。



(一財)承認マネジメント協会
 正田佐与

 

 
 

 今年は色々と事情があって、「研修営業」ということをしないことにしています。

 企業の人事とか研修担当者の方に頭を下げて「承認研修を採用してください」とお願いすることをしないことにしています。先方からご依頼があったときだけ、お仕事をする。殿様商売。

 だから、「内製化批判」のようなことも書けるのかもしれないです。


 わたしは「承認研修」で人々が幸せになるのを見すぎてしまいました。それは動かしがたい現実です。

 だから、ほとんどの人事とか研修担当者の方々とお話するのが苦痛です。「選ぶのは当方だ」とばかりにふんぞり返って、いかにもほかの選択肢も考えてるんだ、という空気を匂わすところへ行ってプレゼンするのが辛いのです。かれらの妄想がわたしの知る現実より「上」だ、高級なものだと考えているのをみるのが辛いのです。わたしのことを「オーラのない女だな」という目でみるのが辛いのです。


 「承認研修」の価値を露骨に鼻で笑う人もいます。また、アポには応じ続けるのですが、採用はしない。情報収集だけのためのアポだと思っている。

 後者の人とみられる、とある大企業の研修担当者との会話。先方が「謎かけ」のような話を振ってきました。去年ぐらいに実際にあった会話です。



担当者「例えばうちで最近出た部下からの不満で、『上司が色々なフォーマットを要求してくるから面倒だ。統一してほしい』というものがありました。各部署の月次の予算達成の状況を報告するフォーマットが、上司ごとにばらばらなフォーマットを要求する。見たい指標が違うらしい。部下にとってそれは煩雑だ、と映るようだ」


正田「詳しい状況がわかりませんが、部下がどれくらいの仕事量を抱えている中でその上司の要求に応じているのでしょうか。
 ひょっとしたら、『臨機応変』に対応するのが苦手だ、という部下の方なんでしょうか。
 あくまでひとつの答えですが、そうした月次の報告というようなのはいわば『雑用』ですが、そうした『雑用』は今、細かくタスク化して障害のある方に集約してやってもらう、という流れがあります。(注:かなり大きな規模の会社で、ここでいう『各部署』も数百人規模である)そこでそういうきめ細かい、上司1人1人ごとに報告する指標を変える、というような作業はその方々の手に余る、という話になるかもしれません。統一フォーマットで報告してもらい、上司のほうが譲歩する。すべての指標を盛り込んだフォーマットを作るとか、特別に見たい指標には上司が自分でアクセスするとか。」


 すると質問をした担当者氏は怒ってしまい、

「そんな障害をもった人がいるなら話は別ですが、うちにはいませんので」

という。

 そうなんだ、おたくの会社にはいないんだ。すばらしいですね。

 で、ここの会社にはめんどくさいのでもうご訪問しないことに、わたしはしました。有名な食品メーカーさんですけどね。まあ、こういうのも歴史の一コマなので記録しておきます。


 まあ、わたしのこの時の答え方も不完全で、こういう考え方もあります。

 「特別な指標をみたい上司」が、「ごめんな忙しいのに無理いって。頼むよ」と可愛げのある態度で「お願い」をしていればまた話は違ったかもしれないです。いかにも当然という態度で命令するから反発されるかもしれないのです。要は「承認」の問題です。とっさにはそこまでの可能性について答えられないものですが、わたし的にはそれは当たり前すぎる答えなので―。(え、当然それはやっていらっしゃるわけですよね?)


****

 嬉しかったこと。

 このブログを5〜6年前からみていたというある読者の方とお話することができました。

 その方は、

「発達障害と思われる部下を先生のブログでヒントを得て『行動承認』で成長させました」

と、体験談を話してくださいました。

「タスクを細かく割り、承認することで達成感を持たせました。20代後半、それまで成功体験がなく転職を繰り返していたという部下はそれで一気に自信を得、自ら診断を受けて障害者手帳を取り、さらには結婚もしました。今は幸せに暮らしているときいています。この部下のあまりの変容ぶりに、自分はやりすぎたのではないかと思うぐらいでした。

 だから正田先生とこのブログには感謝しています。そういう人はいっぱいいるんじゃないかと思う、ただ忙しさに紛れて感謝を届けられないのだと思う」


 えっどんな気持ちだったかって?
 嬉しいに決まってるじゃないですか(*^_^*)


 だから、わたしはこのブログで「発達障害」と、ストレートに言葉を書くことをためらいません。たとえ批判を浴びても。結果的に当事者の方が幸せになれるんです。

 ―でも、「幸せになる」というのがこの方のお話のようなレベルにまで幸せになるということは想定していませんでしたけれど。「仕事で自信をつけた結果すすんで診断を受けた」というところは、何日か前のブログ記事での「承認の作る幸福感がイヤなことと向き合う勇気につながる」という話に通じるかも―


 この読者の方がまたいわく、

「『行動承認』は、すごくシンプルだけれどすごく難しく、そして『できるようになる』と、今度は『当たり前』になってしまい、有難みが薄れ、感謝がなくなってしまう。
 でも『当たり前』だと思って感謝がなくなったとたんに『落ちて』いく、そういうものですね。

 だから、繰り返し確認しないといけない、自分が『行動承認』という形でできているかどうか。

 月に1回ぐらい、ちゃんとできているかどうか確認するためだけの集まりがあればいいと思う。仏教の法会などのように」


 そうなのかもしれません。
 
 この方の言われたように、一度承認の恩恵を受け、そのあと感謝が薄れ、とんでもない「罰当たり」な行動に出る人、というパターンに、去年ぐらいからあまりにも沢山遭いすぎてしまいました。それでわたしは心を痛めることが続き、一時期自分の健康を害しました。

 いちど「罰当たり」になってしまった人とは、にどと関係を修復できません。また、その人の人生ももう良くなる見込みはありません。「承認」というたいせつなものを否定してしまったら、それの類似の何もかも全部価値を見いだせなくなるはずです。よいものから目を背け続け、だめになっていきます。「悪相」で長い老後を生きることになります。


 この「思想」―最近わたしは「思想」ということをためらわなくなっている―をより大きく広めるということについて、新しい展開というのは何かあり得るのでしょうか。

 それは、今の段階ではわたし以外の人の行動が問われると思います。

 わたしは、もう頑張れません。



(一財)承認マネジメント協会
 正田佐与

お世話になっている皆様


 おはようございます。
 一般財団法人承認マネジメント協会の正田です。
 本日も神戸のわが家周辺は曇り。
 気象庁の「期間合計日照時間」のページをみておりましたら、
 http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/data/mdrr/tenkou/alltable/sun00.html 

 神戸の過去5日間の日照時間合計は22.0時間で平年比69%。過去10日間では、同33.0%で50%、となっていました。
 「日照不足」少々心配になりますね…。

※このメールは、正田が過去にお名刺を交換させていただいた方・当協会のイベントやセミナーにご来場いただいた方にお送りしています。ご不要の方は、メール末尾にありますURLより解除ください。
(解除方法が変わりました!詳細はメール末尾をご覧ください)


 本日の話題は:

■わたしたちは、どこまで「見えて」いるでしょうか
 ―判断を歪めるものとの闘いシリーズ・『見て見ぬふりをする社会』を更新しました―

■現代をどんな心で生きるか 共感した記事をご紹介します
 ―「三つの寂しさと向き合う」―

■「月刊人事マネジメント」誌 連載を更新しました
 ―「承認」の学習ステップ―

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■わたしたちは、どこまで「見えて」いるでしょうか
 ―判断を歪めるものとの闘いシリーズ・『見て見ぬふりをする社会』を更新しました―

 人の「認識のミス」を起こさせる、ヒューリスティック・バイアス・ステレオタイプ。
 こうした「思考の陥穽」について、ここ数年認知科学の世界で研究が進んでおり、そうした文献をわたくしのブログでもフォローしてきました。

 シリーズの最新版として、『見て見ぬふりをする社会』』(マーガレット・ヘファーナン、河出書房新社、2011年12月。原題’Willful Blindness’)という本を取り上げました。
 ここでは、巨大組織の中で、忙しさや疲れのために、あるいは拝金主義のために、「本来見えるものを見ようとしない」人々の行動を取り上げています。登場する主な事例にはBP社の製油所爆発事故、エンロン、サブプライムローン、グリーンスパン元FRB議長、イラクのアプグレイブ刑務所での米軍による虐待事件などがあります。
 ご興味のあるかたはこちらの記事をご覧ください:
◆できれば「見える」状態でいたいものです―『見て見ぬふりをする社会』をよむ
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51920996.html 
 
 ちなみにわたくし正田は女性であるため、「バイアス」「ステレオタイプ」の被害を受けやすい立場にあります。
「そんなの、女の人なんだからしょうがないじゃないか、そう見られるのは」
とお叱りを受けるかもしれません。
 ただ先月末に「女性活躍推進法」も参院で成立しましたし、だんだん、どなたもこの問題に無関心ではいられなくなるのではないかと思います。
 ちなみに読者のあなたが、「自分にも何かのバイアスがあるんじゃないか?」と思いこっそり試してみたくなったら―、
 「潜在的連合テスト(Implicit Association Test, IAT)」というものがあります。指示した二通りの分類方法における反応速度の違いを調べることで、その人がある社会的カテゴリーとさまざまな特性をどの程度強く関連付けているかを探ることができます。つまり男性と女性、白人と黒人、などのカテゴリについて、どんなバイアスを持っているかがわかります。
 怖いものみたさのあなたに、こちらが日本語版のIAT無料診断サイトです
 https://implicit.harvard.edu/implicit/japan/ 

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■現代をどんな心で生きるか 共感した記事をご紹介します
 ―「三つの寂しさと向き合う」―

 前回は広井良典氏の『ポスト資本主義』の読書日記に添えて、2009年年頭におけるわたくしの駄文をご紹介してしまいました。

 さて、今年2015年。「今」を語るもう少し雄弁なエッセー(?)をご紹介します。
 この感覚、読者のみなさまは共有していただけますでしょうか。

◆三つの寂しさと向き合う(演出家・平田オリザ氏、2015年8月16日)
 http://politas.jp/features/8/article/446 

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■「月刊人事マネジメント」誌 連載を更新しました
 ―「承認」の学習ステップ―

 「月刊人事マネジメント」誌(ビジネスパブリッシング社)に今年7回シリーズの連載をさせていただいている、「上司必携・行動承認マネジメント読本」の第2回を、同誌編集部のお許しをいただいてブログ上に掲載させていただいております。

◆第2章 「承認」の学習ステップー月刊人事マネジメント8月号
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51921667.html 

 ちょうど、この記事をブログアップしようと思うさなか、NHK「クローズアップ現代」では「承認の問題です」「承認の劣化」という言葉が流れ…。みると、高槻の中学生殺人事件に絡め、スマホをもって深夜漂流する若者たちについて言ったものでした。
 ただ頭で必要性がいくらわかっても、「できる」ようにはならないのがわたしたち人間というものです。当協会では、「できる」には何が必要か、真摯に考えてきました。そしてご理解のあるお客様に恵まれ、2003年以来幸せな業績向上例を作り続けて今にいたっております。

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★そのほか幾つか「承認」および「マネジャー教育」「教育研修全般」についての雑感をブログに書きました。もしご興味があればご覧ください:

◆「大人に教える16か条」、哲学的思考、猛獣つかい
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51921647.html
◆試論・学者さんはなぜ間違うのか
http://c-c-a.blog.jp/archives/51921811.html
◆盗用剽窃時代と出典明記主義、研修カクテル再掲
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51921871.html
 
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*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*
100年後に誇れる教育事業をしよう。
一般財団法人承認マネジメント協会
(旧NPO法人企業内コーチ育成協会
http://abma.or.jp
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
理事長 正田 佐与
----------------------------------------
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Post:〒658-0032 神戸市東灘区向洋町中1-4-124-205

ツイッターアカウント: @sayoshoda

フェイスブックページ: http://www.facebook.com/sayo.shoda

ブログ「コーチ・正田の 愛するこの世界」
http://c-c-a.blog.jp/

近著『行動承認―組織の能力を最大化する「認める力」』
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4434198572 


*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*

 某デザイナーと東京五輪のエンブレムその他のデザイン盗用問題がこのところ話題でありまして、

 すごくこの問題に興味があるわけではありませんが自分の分野に照らして考えれば、「出典明記主義」を改めて確認するのは大事なことかと思います。

 このブログで何度もお話したとおり、当協会というか正田は「出典明記」にこだわるほうです。こういう人は業界でも珍しいと思います。他社様の研修で資料をもらうと、「おやおや、出典が書いてないのだなあ」と思うことはよくあります。心理学の知見でもなんでも、だれがどういう実験デザインでやった、とわからない書き方をしています。
 
(実は心理学の実験にはかなりいい加減なものもある、追試してみたところ3分の2は再現できなかったという記事がありまして

 http://www.afpbb.com/articles/-/3058654?act=all 

これも1つ前の記事でいう「業績至上主義」のもたらす弊害といえそうですね。信頼できる重要なものを選別できる目を持ちましょう)


 出典明記のお話に戻ると、これも何度も書きますように、人様に教えている自分は所詮先人の知識や思考の蓄積の「器」であります。オリジナルの部分などそんなに多いわけではありません。それを自覚したうえで、自分オリジナルの考えについてはそうと断ったうえで述べます。

 それは決してアカデミズムの世界に入りたいからとかの下心ではなく、自分的にほかのかたの仕事をリスペクトする形で文を書きたいからそうなりました。自分がそういうスタイルで文を書くので、書物を読んでいてもそういうスタイルで書かれている方の文章が好きであります。フェアプレイで誠実な仕事だと感じます。

 ちなみに「行動承認」を重視するのは一応オリジナルの考えであります。「例の表」を使用しだしたのは記憶に残っている範囲では2006年ごろから。当時から既に「行動承認」は「存在承認」に次ぐ位置にありました。それ以前から、学校や大学と違って会社組織という共通の目的のもとに集まった人々について最適化した承認とは何か、ということを延々と考えてきました。ただひょっとしたらわたしの知らないだけで先行の類似のものがどこかにあったかもしれません。

 ひとつ懺悔をしないといけないのは、目下「月刊人事マネジメント」誌に連載中の「行動承認マネジメント読本」では、あまり出典明記とか引用の形で書けていません。これは編集部様からの「あまり理屈っぽくなく、話しかける文体で書いてください」というリクエストに従った形で、そうなりました。(人のせいにしていますネ)本当は忸怩たるおもいです。これに限らず、引用とか出典明記にこだわると、文章の読みやすさをそこなう、という問題はたしかにあります。


 なおこういう盗用剽窃花盛りで、「やったもん勝ち」みたいな時代ですと、当協会コンテンツが盗用される側になる危険性は大いにあります。とりわけ「内製化論」に煽られた人事担当者の皆様は…、やめとこう。そしてわたしが「女性」であることは盗用リスクを増します。ワトソンとクリックはDNA螺旋構造に関する研究を…これもやめとこう。


****


 「研修カクテル」という現象について、過去に何度か触れました。

 「研修カクテル」がもたらす副作用―傲慢、ナルシシズム、全能感、打たれ弱さ

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51819638.html

 当協会方式の研修に触れてせっかく素晴らしくよい状態になった個人や企業様が、矢継ぎ早に類似の研修に触れることによって、急速にダメになってしまわれることがあります。

 事実なので、こうした指摘をするわたしのことを傲慢だと思わないでください。


 どういう現象なのだろうか、わたしの考えた今のところの答えは、

 昔の人だったら素直に一生の指針にするような思想にせっかく触れても、今の時代はどんどん他の類似品にアクセスできる。色々と見比べて天秤にかけて、そこで「消費者気分」が出てくる。
 さらに、自分が色んな思想群を俯瞰できる立場だ、という傲慢な感覚が出てくる。実はまだ何も自分は習得していないのであっても。
 最初の研修で味わった、自分の枠が大きく拡がったという感覚、自分の側の「修練」が問われるという感覚、それを「維持」するにも自分の努力が要る、という感覚、それがどこかへ行ってしまう。クルマの免許が取れてもいないのに大型バイクの免許もあるよねー、二種の免許もあるよねー、と屁理屈こねているようなものです。


 そうして伸びきったゴムのような感性の、とんでもなく傲慢なナルシシストができあがる。企業の人事とか研修担当者にそんな人は多いです。先日わたしが会った、「承認」について社内講師をやったという研修担当者も、「承認」にどういうカテゴリがあるか、かなり上のほうの代表的なカテゴリについても忘れていました。


 わたしが「例の表」にこだわるのはなぜかというと、あれは「承認」という難しいものをいつも脳のワーキングメモリに置いていただくためのいわば「圧縮フォルダ」なんです。

 最近の研究で、人のワーキングメモリは思われているほどキャパが大きくない、一度に4つぐらいのものしか処理できない、という知見が出てきまして

 http://karapaia.livedoor.biz/archives/52199837.html

 
 ―お友達(それもあまり近い縁ではない)の投稿でこういう知見に出会えるからフェイスブックも捨てがたいのですが―

 拙著『行動承認』に書いた、

「『承認』『傾聴』『質問』その他で構成される『コーチング』ですら、マネジャーがワーキングメモリの上に置いておくには『メモリ過多』です。
 しかし、『承認』だけでいいですよ、と言われれば置いておけるのです」

 これも決してどこかからの盗用剽窃ではなくてわたしのオリジナルの考えであり言葉なんですが、

 こうした「ワーキングメモリの限界」の知見をみるにつけ、やはりそれで正しいのだ、と思います。


 「『承認』だけでいいんですよ」

 こういうフレーズは、一見「甘やかし」のようにも見えてバッシングを浴びてきましたが、著書をきちんと読んだり研修をきちんと受けた方なら、その世界にはきっちり「叱責」もあり、バランスを欠いたものではないことがお分かりになると思います。

 そして実際に強烈な成果に結びついています。

 不遜な言い方ですが、わたしは職場という「乱戦状態」のただなかにあるマネジャーの脳内活動にきちんと想像力をめぐらしたからこそこういう教育プログラムを作ることができた、と思います。


 ・・・そして、極限までシンプルにしたいわけですが、しかし「承認」が「ほめる」に矮小化されたり、「感謝」だけに偏ったり、という、困ったところまでメモリサイズがダウンしてしまうのは避けたい、のです。

 だから「あの表」があります。これだけのメモリサイズのものですよ、これをワーキングメモリに置いておいてくださいね、と繰り返し念押しするために。


 だから、過去記事の繰り返しになりますが、当協会方式と他社方式をまぜないでください。まぜるな危険。まぜたら、今あなたの手にしている成果は失われます。すみません一見エクストリームなことを言っていて。でも過去のさまざまな事実に照らして本当です。


(一財)承認マネジメント協会
 正田佐与

 注:ここで扱う「学者さん」とは最近このブログに登場された方のことではありません。


 つれづれなるままに。

 「学者さんはなぜ正しくものを考えられないのか」
 
 これは特に、わたしに関わりのあるとみられる経営学とか経営教育学の分野について感じることですが、
 彼らの一人のブログをみていると、

「業績数値化」

というプレッシャーがあるらしい。

 論文を何本書いたとか、大学院生を何人獲得したとか。

 (実は、これを書いているのがわたしの天敵、「研修内製化」を提唱している当の大学の先生ご本人だったりする。消されるかもしれないから書いておくと7月30日付の記事である。だから「ベンダー排除―内製化論」のよって来る動機は自明なのだ。社内講師志望の人を大学院生として囲い込むことなのだ。たぶん本人さんも自分の動機はそこなのだと自覚はしていないだろうが、なんという利己主義の独り勝ち理論(笑)さすが団塊ジュニア。)


 そして最近のブログを見ていると、この人は「ものさしは幾らでも多数ある」という趣旨のことを書いていらっしゃるようなのだが、これは要は「iPS細胞に対抗するSTAP細胞的なものを論文数作成のためにいくらでも作り出せる」と言っているのにひとしいのではないのでしょうか。まあどうぞやってください、国の研究費使って。

 わたしは、自然科学分野の研究でもある一つの理論に収斂することは珍しくないことなので、価値のある理論は大きく価値づけすればいい、と思うほうです。もちろんそれしかないと思う思考停止はいけませんが。過去のこのブログで取り上げた経営学の本『世界の経営学者は何を考えているのか』でも、「理論のインフレ」という現象に言及しています。しかしそれは必要悪で仕方ない、と思わず、良識のある知性は「重要なもの」と「その他色々」をきちんと切り分けることが必要です。前にも書きましたよね、栄養学のスタンダードと、納豆ダイエットバナナダイエットのたぐいの関係って。この人、最高学府のくせに要は納豆ダイエットバナナダイエットのたぐいに際限なく惹きつけられる知性なんですよ。もっと三流大でやるならわかるんですが。
(そういう人に限って大学名を冠した自分のメルマガを発行したりするんです笑)

 学者さんがオリジナリティを追求するということを宿命づけられている限り、例えば学者さんが100人いてうち1人が正しいことを言ったら、残り99人は間違うことを運命づけられる。だから学者さんの集団に石を投げたら、99%の確率で間違っている人に当たる。「学者さんを見たら間違っている人だと思え」と思うのが正しいのかもしれない。正しい人を探すのは本当に難しい。彼らは自分の生存のために際限なく珍説を開陳し、「まだ確立されたものは何もない」と言い張る。自分の分野で確立されたものができてしまったが最後自分は確実におまんま食い上げになる。


 もちろんこの分野に研究者はうじゃうじゃいらっしゃるわけだが、わたしはこれまで何人かアクセスしてみた結果、この人たちとお付き合いすることに倦んでしまっている。ナルシシストで嫉妬ぶかくて、当協会の出してきた研修実績を認めようという気などさらさらない、簡単に言えば口惜しいから。中には女性のわたしにとんでもない汚い嘲り言葉を言った人もいた。そんな人たちをおだてたいとは思わない。彼らはやるべきことをやらない怠慢な人たちなのだ。


 ここで余談:他分野の例を挙げると、発達障害や自閉症のお子さんの療育指導の方法でTEACCHという有名な手法があるが、その中でも有名な「構造化」という手法は、まだ本家アメリカで検証されていないという。しかし「構造化」はとっくに津津浦浦で使われているし、体感的に有効なのは自明な手法である。たぶんあまりにも有効なので、学者たちが「無力感」で検証するのをサボってしまったのだと思う。それは反知性主義というような問題ではない、学問が無力だっただけの話だ。


 わたしが「この人ダメだな」と思った人は大体本当にダメになる、明らかにおかしなタイトルの本を書いたり良識ある人の吟味にたえないような底の浅い議論をするようになる。過去に「ほめる教」の教祖の1人と仲良くなった知り合いの学者さんが、急に発言の中に「ほめる」という言葉が増え、加えてわたしに対するメールに小バカにしたトーンがまじり、そしておかしなタイトルの本(うち何冊かは読んでみたがやっぱり中身も本当に変だった)を書くようになった。「ほめる」と「おかしくなる」がどう関連しているのかわからない。ただわたしは研修副作用のシリーズの一環で「幼児化か、老化か」という記事を書いたが、ある種の研修に暴露して幼児化したような状態になった人の脳の状態は、幼児化とも言えるが老化とも言える。何か、理性のタガが外れてしまったような状態になる。

 よくわからないが「承認」だと脳の可動域が広がるのだが、「ほめる」だと逆に狭まる気がする。

顔も「悪相」になる。テストステロンードーパミンが行動原理になった人の顔はそういうものだ。なぜ「ほめる」という本来いいことをやっているのにテストステロンードーパミン連合になるんだろう。すべてをバカにしちゃった感じ。


 お客様に「研修後、時間がたつと『承認』の理解が『ほめる』とか『感謝する』とかの部分的な理解に変質してしまって後退してしまうことがあるので気をつけてください」とメールする。

 このお客様は良くわかっていらして、「例の表」をラミネートして受講生さんに配ってくださっていた。


 いまだ、出口のみえないトンネル。

 敵だらけ。昨日の友は今日の敵。
 

 去年、「仲間」とよんだ人を全部切ってしまった。「仲間」になど期待できない、自分の思考の跡しか信じられない。
 たとえ「手伝いたい」というオファーがあったとしても、
 どんな醜い世の中をわたしが闘いながら生きていて、手伝うということがどんな泥沼の戦場に自分自身も身を置くことになるとわかって言っているだろうか。自分自身も手ひどく汚されるかもしれない、と知っているだろうか。また対立相手を斬るという汚れ仕事をしなければならないということをわかっているだろうか。


 ああまたネガティブなことを書いてしまった。


(一財)承認マネジメント協会
 正田佐与
 

 ふとTVから「承認」という単語が流れました。
 高槻の中学生殺人事件についての「クローズアップ現代」でスマホを持って漂流する中学生はじめ若い子たちの特集をやっており、筑波大学教授の土井隆義氏が「承認の質的劣化」という言葉を言いました。
 今の親子関係はフラットで、子供は過去ほど親に全面的に依存できない。勢い外の承認を求める。承認の質が劣化しているので、量で与えないといけない。
 ・・・と言うような趣旨でした。
 さて、この議論に同意してよいものかどうか。もともと、人は昔も今も根源的に「承認」を求める生物です。どうもそこが共有されていないまま、こんなふうに犯罪や問題行動の契機として「承認」を語る言説が溢れています。ふだんから「承認」という言葉に耳慣れていない、そのことについて考えたことのない一般視聴者にどれぐらい伝わったでしょうか。
 (またこのブログでの古くて新しい問題、「犯罪学」などの負の側から「承認」を語ると「承認」がおどろおどろしいものにみえてしまい、与え手の側の「やりたい」という動機に結びつきにくい、という問題もあります。)

 ともあれ「月刊人事マネジメント」誌に連載させていただいている、「上司必携・承認マネジメント読本」の2回目のゲラをご厚意により「公開OK」でいただきましたので、転載させていただきます。

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以下、本文の転載です:
 
****

上司必携・『行動承認マネジメント読本』
〜人手不足チームのやる気と力の引き出し方〜


一般財団法人 承認マネジメント協会 理事長
正田佐与


第2章 「承認」の学習ステップ


 第2章では、「承認」スキルの習得について、「承認研修」の実際を通じて順に解説します。大きく4つのステップから成ります。

習得のために踏まえておくべきことは?

Step 1. 行動理論による「強化」の仕組みを知る

 心理学の行動理論では、「人は、行動した後に褒められると(ご褒美をもらうと/嬉しい気持ちになると)、その行動を繰り返しとる(強化される)性質がある」という法則(オペラント条件づけ)があります。まずは、この大原則を押さえていただきます。

Step 2.「承認」が人の働く動機づけの最大のものである(承認論)ことを理解する

 「承認」がすべての働く人にとっての根源的な欲求であることを、受講者自身の経験に照らし理解していただきます。金銭的報酬を得ることも、もちろん生活のためでもありますが、ひとかどの働く人として認められていることのシンボルでもあります。また精神的にも、労苦を伴った仕事が全く評価されなかったら、報われなかったら、誰しも深い悲しみを経験することでしょう。
 一方で「承認」の重要性を知ることは『両刃の剣』です。自分が認められたいという思いを募らせることは不幸なことでもあるからです。自分が「認める」側になり他人の「認められたい」を満たすことが、「承認欲求」を学ぶことの正しいゴールなのだ、ということも理解していただきます。


「承認」にはどんな種類がありますか?

Step 3. 承認の種類

 ここでいよいよ実際に使いこなすための知識の解説です。コミュニケーションの中での人を認める言葉、「承認」の代表的なものには、以下のような種類があります。重要な順になっています。

‖減濔鞠:あいさつや、名前を呼ぶこと、「最近どう?」など、相手が存在していることを知っていますよという意味合いのこもった日常的な声かけが「存在承認」です。すべての「承認」の中で最も基本的・根源的なものです。
行動承認(事実承認):存在承認と並んで最も重要なもの。「あなたは〇×しましたね」「してくれましたね」と、相手の行動したことを事実通り、記述的に言うものです。これは前述の「行動理論」を仕事の現場に応用したときに、「褒める」よりも「行動を事実通り認める」ことのほうが大の大人の場合、嬉しさすなわち「強化」につながりやすいことからきています。この後に述べる多くの「承認」は「行動承認」のバリエーションと考えられ、マネジャーが「行動承認」に重点的に取り組むと、前章で述べたような人々の目覚ましい成長が起こり、業績向上に直結します。
成長承認:「〇×ができるようになったね」「成長しているなあ」といった、相手の成長を認める言葉を言う「承認」です。とりわけ今の若い人は自分の成長を上司に認められたい気持ちが強いため、「成長承認」は有効です。
し覯名鞠:結果が出たときに言う「承認」。「やりましたね!すごい成果ですね」「よくやった!」など。当たり前のようですが大事なこと。
ゴ待・信頼:期待されると、それに応えようとしてパフォーマンスが上がる心の働きが私たちには備わっています(ピグマリオン効果)。ただし、根拠のない期待はかえって重荷になるもの。根拠を添えるには、△旅堝鮎鞠Г大事です。
ηい擦:人によっては言葉による「承認」よりこちらが嬉しい場合もあります。また「行動承認」をするうち、上司も「任せることが自然とできるようになるようです。
Т脅奸△佑らい:「行動承認」をしていると、自然とそれに伴って「感謝」の念が湧いたり、「大変だったろうなあ」と「ねぎらい」の気持ちが湧いたりします。これらは「行動承認」のバリエーションだ、と捉えます。こまめに相手の「行動」を認めていると「感謝、ねぎらい」も自然と出てきます。
╋Υ:相手の感情を共に感じること、あるいは理解すること。
感情を伝える(Iメッセージ):褒めることとは違い、「私は〇×と感じます」と、「私」を主語にして自分の感情を伝えます。嫌みにとられることが少なく、年上・元上司の部下との会話に悩む管理職にも使い勝手がよいようです。
Weメッセージ:「私たち」を主語にした言い方です。これも相手にとっては嬉しい表現です。
励まし、力づけ:「その調子です。続けてください」「あなたの判断は間違っていない」など、相手にエネルギーを与える言い方です。
褒める(Youメッセージ):「すごい!」「さすが!」など、よくある褒め言葉はここに分類しています。
第三者メッセージ:「お客様の担当者の〇×さんがあなたのことを『…』と褒めていたよ」など、お客様や他部署の人など第三者を主語にした言い方です。上司自身が「頑張っているな」などと言うと操作的に聞こえる場合がありますが、第三者が主語であると真実味があり、素直に喜べるものです。
その他:「話を聴く」「相手の考えを質問してみる」「相談する」「教えを乞う」「提案や意見を採用する」「決定の理由・根拠・背景・目的を説明する」「メールにすぐ返事をする」「叱る」など。
 研修では、上記の 銑を用例を添えて一覧にした表をお渡しします。このA4・1枚もののシートは忙しいマネジャーの役に立つようで、「机のガラスマットの下に入れて毎日見ている」「手帳のビニルシートの中に入れている」など、様々なやり方で研修後に手元に置いていてくれます。
 「べからず集」でなく「望ましいこと」の一覧なので、見ると自分自身前向きな気持ちになり、部下を「承認」しよう、という気持ちになれるのです。

実際に試してみたいのですが?

Step 4. 「行動承認」+「Iメッセージ」の実習

 Step 1.〜3.を踏まえ、最後に「行動承認+Iメッセージ」の実習をしていただきます。この実習の手順は以下の通りです。
/場の部下や後輩1人を選び、その人の最近行った良い行動を3つ、書き出してもらいます。
△修譴鉾爾辰董屬△蠅たい」「助かっている」「よくやっているなあ」といった、良い感情が自分の中にあれば、それも書いてもらいます。
 続いて、,鉢△鯊海韻新舛如■何唯荏箸料蠎蠅謀舛┐討發蕕い泙后
 相手は、部下の年齢、性別、人となり等を理解したうえで、部下になりきった状態でその言葉を受け取ります。
 この実習のポイントは「部下になりきる」こと。すでに功成り名遂げた管理職同士が互いを「承認」し合う形で実習を組むと、心があまり動かないことがあります。未熟な成長途上の部下にとって「承認」されることがどれほど嬉しいかを、管理職が自身の若い時代を思い出しながらしっかり体感していただくことがカギになります。実際にやってみると、女性管理職などでは感極まって涙ぐむことさえあります。
 ここまでくれば、あとは職場で「承認」を実践していただくのみ。部下の喜びの表情だけでなく、事後のプラスの行動変化まで観察していただけるといいですね。(了)


「上司必携・行動承認マネジメント読本」シリーズ全体の構成は:

第一章 行動承認は”儲かる技術”である(2015年7月号)
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51919833.html
 第二章  「承認」の学習ステップ(8月号掲載)
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51921667.html
第三章 女性活用と登用は「上司の眼差し」次第(9月号掲載)
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51923763.html
第四章 LINE世代に対するマネジメントとは(10月号掲載)
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51925545.html
第五章 「踏み込みすぎない」メンタルヘルス対策(11月号掲載)
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51927183.html
第六章 部下の凸凹を戦力化に転じる(12月号掲載・本記事)
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51932814.html
第七章 伝えたいことが「伝わる」伝え方(2016年1月号掲載)
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51934650.html



(一財)承認マネジメント協会
 正田佐与

 以前の拙著『認めるミドルが会社を変える』(2010年)では、「大人に教える16か条」として、マネジャー教育のためにこれまで研修機関、講師として心がけてきたこと、取り組んできたことをまとめてみました。
 今見ると章のタイトルにもとっていないし、目立たない書き方しちゃったなあと思います。

 このところの「研修内製化の波」それも『行動承認』出版後に「オレも承認の講師になれるかも?」と思われたかたのご参考用に、再掲しておきたいと思いました。

 その16か条とは・・・

^貭螳幣紊慮修時間数、継続性、期間を確保する
△罎辰りした丁寧な講義。質疑を奨励する間合い
9峙粗睛討砲弔い突論的根拠を示す。できるだけ本物の講師にも触れさせる
ぜ講生への承認
ゥ侫ローアップ。宿題を出し、コメントをして返す。相互に共有するほか
Ε瓮襯泪、パネルディスカッションなどで情報共有。先輩の姿を示す
Д泪優献磧柴瓜里離灰潺絅縫謄を作り、交流を促す
┯開講座もできるだけマネジャー同士で受講できるようにする
「宿題を太田教授にみてもらおう」「承認大賞に応募しよう」などのキャンペーン
私自身の姿勢がぶれない、一貫したメッセージを発する
つねにマネジャーの人格を尊重する。手段として見ない。仕事の忙しさ、大変さに共感を示す
断言口調でものを言わない。絶対不変の真理であるように言わない
「上から口調」でものを言わない
私自身が常に学んでいること、それを発信すること
マネジメントはつねにネガティブなことと対面することを迫られる。それに鑑み、セミナーをあまり楽しくエンタテインメント風に演出しない。ブログでも時折ネガティブなことも書く
阿△襭嫁越しの研修では、1年目に成果を挙げた受講生6名を「内部講師」に仕立て、2年目の研修(6回連続)に順番に来て体験談を話してもらった


 以上であります。

 まあざっとみてリーダーシップの行為に似ている、という感想もありえるでしょう。

 これはあくまでわたしが「承認」という、一般的にはむずかしいものをマネジャーさん方に教えて習得していただく場合のものです。業界ではむしろ特殊なほうの心得だと思います。講師の先生によって、力点の置き方は違うでしょう。びっしりデータを書き込んだ、特殊なグラフを使ったスライドとか、すごい早口でしゃべりまくるとか、そういうところにアイデンティティを置かれる先生もいらっしゃるかもしれません。

 今はわたし自身もこの16か条を全部はやれていないところもあるなあと思います。40代前半に比べるとかなり疲れてしまいましたね。イベント業とかできないですもんね。

 逆に最近ある方に評価していただいたような、「シンプルでわかりやすい」一方で「哲学的な思考が土台にある」ことを感じていただく、というのも、16 か条には含まれなかった、でも大事な要素なのだと思います。めったに指摘していただけないがわたし的には大事にしてきたところだけにありがたいお言葉でした。また学びやすさに配慮するためできるだけ易しい言葉を使って語るのでともすればその背後の哲学的思考というのは、なんとなく感じはするのだけれど知覚されず、言葉の易しさだけが「利用可能性」として印象づけられて内製化を招いてしまうところがあるので、ありがたいお言葉でした。その評言をくださった方は学生さんの論文にも細やかなコメントをされる方のようです。

 またの後半、「できるだけ本物の講師に触れさせる」のところは、最近はやれていませんが、任意団体〜NPO時代の前半には、東京や神奈川からわたしが「これは」と思う講師の方をお招きして、「本物の先生」に登壇していただく、ということをしていました。「強み」の森川里美さん、「部下力」「ビジョンマッピング」の吉田典生さん、システム思考の小田理一郎さん、それに「行動理論アメフトコーチング」の武田建氏にも。そう、システム思考さんとは仲良かったナー。

 やっぱり「本物」は違うんです、教えてきた迫力とか奥行きが。質疑をしても対応が全然違うんです。
 (だから、訓練不足の人が講師をやったら受講生さんが可哀想なんですよ。)

 システム思考に関しては、わたしは確か東京で基礎〜応用と2つか3つのコースを受講しましたが、それで自分が人に教えられるようになるとは全然思わなくて、チェンジエージェント社の社長の小田氏に1回来ていただいたのと、その後もう1回、同社の女性の方で長年スタッフをされていた方に来ていただきました。やっぱり、何かのコンテンツを教えられるようになるのは、「徒弟制」のような学びが必要だと思います。コンテンツを学ぶ側に少々なったぐらいでは、また少々の「講師育成セミナー」を受けたぐらいでは教える資格にならないと思います。教えるからにはそのコンテンツに没入しないと。またそのコンテンツを一から作ったり認知されるために道を切り拓いてきた先生に畏敬の念をもたないと。




 「哲学的思考」とはまたすこし別の話題ですが、

 マネジャーとかリーダー向けの教育は、「猛獣つかい」の仕事でもあります。厳しい質問が出るときも出ないときもありますが、どんな質問にでも備えはできているといえるだけの引き出しが必要です。また、質問に答えられる答えられないの問題ではなくて、彼ら彼女らの中にある「攻撃性」をはるかに上回り包み込むぐらいの大きさの「愛」が必要です。 大学生とか若手・中堅だけ教えてきた人には分かりにくい感覚かもしれません。

 ―「猛獣つかい」とは、たとえば今夏公開中の映画「ジュラシック・ワールド」で主人公の訓練士がヴェロキラプトルの顔に手を出して頬をなでるシーンを思い出していただけますでしょうか―

 わたし的には、そういうことが「ノウハウ」です。

 前にも書きましたがそういうことが横でみていてわかる方とそうでない方とがいる、と思います。わかる方は少数派ですね。

 そして正田の風貌をみて、「この人は若手か中堅向きの講師だろう」と思われる方も多いんですが、どっこい理論上も組織のトップに近い方々、社長さんや役員さん、部長さんぐらいから課長さんあたりまでの人に学んでいただくのが組織への浸透はいいです。中堅さんあたりにだけ教えても立ち消えになります、1つの組織の中で。また正田自身もそのクラスの上層部の「獰猛な」方々と相性がいいです。子供子供した見かけ上そう見えないかもしれませんが。

 「見かけ問題」最近もフェイスブックにぶちぶち書きましたが困ったものです―。
 ちょっと「16か条」から話がそれてしまいました。


そういえば去年、わたしの講師ぶりをみて「話す口調に一切ナルシシズムが入っていない」と言われた方もいました。
色々総合して「16か条」作り直さないといけないかもしれないです。











(一財)承認マネジメント協会
 正田佐与
 

お世話になっている皆様


 おはようございます。
 一般財団法人承認マネジメント協会の正田です。
 「今年は秋が来るのが早いですね?」
 いつになく涼しい9月の始まりを迎えて思います。

※このメールは、正田が過去にお名刺を交換させていただいた方・当協会のイベントやセミナーにご来場いただいた方にお送りしています。ご不要の方は、メール末尾にありますURLより解除ください。
(解除方法が変わりました!詳細はメール末尾をご覧ください)


 本日の話題は:

■資本主義の現在にアカデミズムからの責任ある考察
 『ポスト資本主義』読書日記をアップしました

■続・ヨロコビの感情で仕事をすることはできるでしょうか
 ―幸福感が内省をつくる・研修1か月のイノベーション・協力行動・時間・若手…

■6年半前の漠然とした予想。今は…?

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■資本主義の現在にアカデミズムからの責任ある考察
 『ポスト資本主義』読書日記をアップしました

 「資本主義」を問いなおす出版が近年続いています。
 今年は『21世紀の資本』のトマ・ピケティ氏来日の話題もありましたが、千葉大学教授・広井良典氏の『ポスト資本主義―科学・人間・社会の未来』(2015年6月、岩波新書)を読書日記で取り上げてみました。
 広井氏は公共政策・科学哲学専攻。経済学の外の学問、科学や哲学を動員して語る「資本主義の未来」です。多くの方は実感を伴ってうなずける結論ではないかと思うのですがいかがでしょう―。
 長文ですが、もしお時間があればこちらの記事をご覧ください:

◆アカデミズムからの責任ある論考、「福祉」と「環境」の興味深い相関―『ポスト資本主義』をよむ
http://c-c-a.blog.jp/archives/51921557.html 

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■続・ヨロコビの感情で仕事をすることはできるでしょうか
 ―幸福感が内省をつくる・研修1か月のイノベーション・協力行動・時間・若手…

 前回もご紹介した、ベーカリーのチェーン様での「承認研修」の2回目です。
 ここでは、1カ月間で観察された働き手の方々の多数の喜ばしい変化が語られました。
 そこでは、
 「若手の自発的行動の増加」
 「協力行動の増加」
 「商品開発をしてくれた」
 そして、
 「内省の言葉を言ってくれた」
などの変化がありました。
 また、研修終了時にはちょっとしたサプライズがありました。
 詳しくはこちらの記事をご覧ください:

 ◆幸福感が内省する強さをつくる―株式会社牧様2回目研修
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51921235.html 

 
 実は、前の記事の広井教授からは、拙著『行動承認』に嬉しいエールをいただいておりました。
 これもご紹介すると自慢めいてしまいますが、親愛なる受講生様方が引き続き確信をもって取り組んでいただくため、ご紹介する次第です。

 ◆「土台に哲学的な思考」広井良典先生より書評(メール)をいただきました
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51921034.html 

 非常に情報量の多い現代ですが、「承認」は恐らく大きな歴史観に照らして正しい方向のもの。漠然とそんな確信をもってきました。
 これまでの受講生様、そしてこれからお出会いする方々も、共有していただけますように―。
 

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■6年半前の漠然とした予想。今は…?

 ふと思い立ってブログの過去記事を見直してみました。
 今から6年9か月前。2009年1月1日に書いた記事があります。
 ここで未来に関する「悲観的なシナリオと楽観的なシナリオ」というのを、これは何もデータの裏づけがあるわけではなくて漠然と書いております。

◆ともに過ごすこの1年を
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51433600.html 

 わたしの尊敬する友人のひとりは、「僕の周りは今まさにこの『悲観的なシナリオ』の通りになっています」と言われました。それは残念なことですね…!
 ただ、この悲観的なシナリオも1か所明らかな間違いがあります。さて、どこでしょう…^^

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※このメールは、正田が過去にお名刺を交換させていただいた方・当協会のイベントやセミナーにご来場いただいた方にお送りしています。

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