正田佐与の 愛するこの世界

神戸の1位マネジャー育成の研修講師・正田佐与が、「承認と職場」、「よのなかカフェ」などの日常を通じて日本人と仕事の幸福な関係を語ります。現役リーダーたちが「このブログを読んでいればマネジメントがわかる」と絶賛。 現在、心ならずも「アドラー心理学批判」と「『「学力」の経済学』批判」でアクセス急増中。コメントは承認制です

2016年06月

 今日の記事は単なるデータ整理、ノートのようなものです。
 
 時々、出版社のかたがこのブログを訪問してこられて、「むずかしすぎる」と言って帰られるそうです。

 でも、「オキシトシン」についての記事もそうですけど、あんなに長々と読書日記を書いて、本に書くのはそのうちのほんの1−2行ですよ。自分があいまいな記憶に基づいていい加減な「捏造」をするのが嫌なので、覚え書きとして長々とブログ記事を書くんです。


 さて、以前から日本人における「承認」の有効性を言うときに「セロトニントランスポーター遺伝子(5-HTT遺伝子)」のスニッブのことを書いていました。

 「日本人は不安遺伝子を持っている人が多い」

 これ自体にもいろいろ注釈をつけないといけないのですが、最近では脳科学者の中野信子氏があちこちで同じことを言われているようです。

 
 で、気になりだしたのがこれの「分布」のこと。

 こうした研究は1990年代後半から盛んに出だしたのですが、それのもともとの論文に当たれていません。二次資料、二次情報ばかりです。

 で、ずうずうしく研究者の先生にお願いして「サイエンス」の論文を取り寄せていただきました。


 'Association of Anxiety-Related Traits with a Polymorphism in the Serotonin Transporter Gene Regulatory Region'
 筆頭著者はKlaus-Peter Lesch,* となっています。独ワルツブルグ大学の人。

 
 ここでは、2つの実験の被験者計505人のうち、

SS  95人 18.8%
LS 247人 48.9%
LL 163人 32.2%

となっています。
ちなみにSSとSL、Sが1つでもある人は不安感の高い「損害回避気質(harm-avoidance)」に関連づけられるとされています。SSの人は「とても不安」と言われます。

2つの実験の被験者とは、いずれもNIHが募集したものでアメリカ在住の人です。詳しくいうと、
(1)221人。男性93%女性7%。非ヒスパニック系白人79.1%、アジア/太平洋諸島出身者10.0%、ヒスパニック/ラテン4.1%、アフリカ系アメリカ人4.1%、その他2.7%。

(2)284人。男性92%女性8%。非ヒスパニック系白人93.6%、ヒスパニック/ラテン5.3%、アフリカ系アメリカ人0.7%、ネイティブアメリカン/アラスカン0.4%、その他0.4%。

 ・・・てなことをずらずら書くのは、以前「アメリカ人と日本人の分布の違いが云々」という話をしていたときに、「アメリカ人というのは人種は何か。アングロサクソンのことではないか」というご質問を受けたからです。答えは、アメリカ全人口の人種分布に近づけたような母集団だったということです。


 これに対して日本人に関してこのセロトニントランスポーター遺伝子多型をみた実験とは。
 アメリカ人の場合ほど母集団が大きくありません。

 中村敏昭らによる「アメリカン・ジャーナル・オブ・メディカル・ジェネティクス」に1997年掲載された論文の被験者数は女子学生ばかり173人で、

SS 118人 68.2%
LS  52人 30.1%
LL   3人 1.7%


でした。ネット上に流布している分布の数字は、ほとんどは出典が付されていませんが、この中村論文です。

だからよくこの種の知見を紹介するときに「日本人とアメリカ人500人ずつで調査」などというのは間違いだと思います。




 この当時(2000年前後くらい)は人種による遺伝子スニッブの分布の違いがホットな話題だったんですね。
 今もこれらの説は立ち消えになったわけではなく、例えばこちらの論文などに続いています。


「遺伝子と社会・文化環境との相互作用:最近の知見とそのインプリケーション」

>>http://www2.kobe-u.ac.jp/~ishiik/gxc.pdf

 これなどを読むと、「セロトニントランスポーター遺伝子」の多型と「オキシトシン受容体遺伝子」の多型(後者はオキシトシンの活性に関わる)が、それぞれ集団主義と、サポートの求めやすさに関わると言っています。

 ちなみにわが日本人をはじめとするアジア人は、セロトニンもオキシトシンも低く調節される多型の人が多いので、不安感が高く集団主義的になり、また信頼感が低くて相互サポートを求めにくい文化だ、といえます。

 欧米の個人主義というのは、実は高オキシトシンで相互信頼、相互サポートが期待できる基盤に支えられてるんですね。日本人は下手に個人主義をまねしないほうがいいと思います。


 今日はオチのないトリビアばかりの記事でした。


(23:15頃数字の間違いに気づいて修正させていただきました)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ・・・……<<<エウダイモニア通信>>>……・・・
発行日 2016.6. 6                 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ※「エウダイモニア」は「幸福」、また「栄える」という意味のギリシア語
です。
 「業績1位」の山を築いてきた承認マネジメントの研修講師・正田佐与が、
経済的繁栄を含めたわたしたちの「幸せ」についてご一緒に考えるメルマガ
です。
 
※このメールは、正田が過去にお名刺を交換させていただいた方、イベントや
セミナーに  ご来場いただいた方にお送りしています。
ご不要の方は、お手数ですがメール末尾にありますURLより解除ください。

■■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ┃本日の話題 ☆☆☆☆☆
■■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

【1】再まとめ:アドラーの言葉は捏造されていた!

【2】STAP細胞 デマを拡散する側になっていませんか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【1】再まとめ:アドラーの言葉は捏造されていた!

 先月24日、NHK「おはよう日本」で「アドラー心理学」が取り上げ
られました。
 アドラー心理学といえば、2013年末に発売された『嫌われる勇気』が130
部、今年2月に出た続編『幸せになる勇気』(いずれもダイヤモンド社)が
既に37万部と大ベストセラーに。両書の共著者、岸見一郎氏も特集に登場
していました。
 前号のメルマガで、『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』に登場し「おはよう
日本」ほかNHKの番組で取り上げられた、「承認欲求を否定せよ」「トラウマ
は存在しない」「ほめない叱らない」いずれもアドラーの言葉ではなく、“捏造”
であることをご紹介しました。
 再度、アドラーの原著をたどって検証すると、アドラー自身はそれとは真逆
のことを言っていることがわかりました。
 あなたの周りに、上記のフレーズを間違って信じている人はいないでしょう
か。触れ回っている人はいないでしょうか。
 とりわけ企業のメンタルヘルスを扱うご担当者様、産業カウンセラーの方、
キャリアコンサルタントの方々が、こうした有害フレーズを信じておられると
大変なことになります。
 是非この機会にお読みください!「アドラーの真実の言葉」。


●アドラー心理学批判 まとめ:「承認欲求を否定せよ」「トラウマは存在し
ない」有害フレーズの捏造と岸見氏の罪
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941255.html 

●アドラー心理学批判 まとめの補足:正確な言葉は「人生のすべては認め
られたいという努力によって支配されている」、「ほめない叱らない」はアド
ラー信者組織分派の過激派の言説?
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941508.html 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【2】STAP細胞 デマを拡散する側になっていませんか?

 このところまた続けて「STAP細胞」についてご質問いただくことが続きま
した。ネットをみると、「STAP細胞はある!」「アメリカやドイツで成功した!」
「ハーバード大が特許出願した!」という、「ある」のほうの言説であふれて
います。
 読者の皆様、周囲にうっかり信じている方はいらっしゃいませんか?
 これらは、デマです。くれぐれも、デマを拡散する側にならないように
お願いします。
 ご参考までに、「STAP」をめぐる最近の状況をまとめておきましたので、
ご興味のある方はご覧ください:

●STAPあるあるパンデミックが日本を覆う―国会へメジャーニュースサイトへ、
三流国家ニッポン哀し―STAPあるあるウイルスに感染した人のこころの病
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941500.html 

 わたしのこれまでの経験では、男性でうっかり信じた方は、丁寧に論理的に
ご説明すれば誤解が解けるのですが、女性は感情的に固執する傾向がありました。
女性特有の不遇感と「下剋上願望」のようなものがSTAP細胞と結びつくので
しょうか。。わたし自身女性なので女性をわるく言いたくないのですが、残念
ながらこれまでの現象をみていると、そうでした。

 実は、「カルトは依存症の一種だ」という記事が出ていました。
●なぜ人は依存症になるのか/鎌田流健康塾
>>http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160605-00000079-nksports-hlth 

 医師で作家の鎌田實氏(67)の記事。
 この記事では依存症には(1)物質への依存、(2)プロセスへの依存、
(3)人間関係への依存があり、カルトは(3)人間関係への依存に含まれる、
というのです。

 依存症は、ドーパミンが分泌され、一時的な幸福感が生まれます。
 ただドーパミンは「自己中物質」ともいわれ、空騒ぎをしたり躁的になる物
質でもあり、
「行動承認」ではお勧めしていません。それより、共感ホルモンといわれる「オ
キシトシン」がつくる、やわらかなモチベーションのほうを勧めています。
 「オキシトシン」についてもご説明が必要でしょうか。ちょうど、先週NHK
「ためしてガッテン」で「オキシトシン」が取り上げられ、下記の記事にアク
セスが集ま
っています。

●わが国ではハグはちょっと―じゃあ、どうする?神経化学物質オキシトシンの
知見『経済は「競争」では繁栄しない』
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51889965.html 

□□━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ┃今日の一筆箋  
□□━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 「ユリーの星に願いを」今回は都合によりお休みさせていただきます。

┌─<<現役マネージャー必読!>>──────────────────>
│  近著『行動承認―組織の能力を最大化する「認める力」』
│  http://www.amazon.co.jp/gp/product/4434198572
└──────────────────────────────────>


1位マネジャー続出の承認研修講師 正田佐与の発信するメディア

┏┓
┗■ ツイッターアカウント >> @sayoshoda
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┏┓
┗■ フェイスブックページ >> http://www.facebook.com/sayo.shoda
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┏┓
┗■ ブログ「正田佐与の愛するこの世界」 >> http://c-c-a.blog.jp
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


■メールニュースのバックナンバーもこちらからお読みいただけます。
>> http://c-c-a.blog.jp/archives/cat_50052130.html

■新規購読の申し込みは、「メールニュース」希望と書いて、配信希望先のアド
レスとともにinfo@c-c-a.jp 宛にメールでお申込みください。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

皆様の職場でも業績向上につながる「承認」を取り入れてみませんか?
 研修のご相談、原稿のご依頼、「人」の問題について個別のご相談は以下まで
お気軽にご連絡ください。
 
 正田佐与承認マネジメント事務所
 Email info@c-c-a.jp TEL: 078-857-7055  FAX: 078-857-6875

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

このメールニュースは、正田が過去にお名刺を交換させていただいた方、
イベントやセミナーにご来場いただいた方にお送りしています。

◎メールニュース解除方法
解除される場合は、下記の解除フォームに受信メールアドレスを入力してくだ
さい。ワンクリックで解除していただけます。

>> http://mag1.hyper-mail.jp/md/publish/quit.asp?act=1&mid=1044&mail=sshoda@c-c-a.jp




◇―――――――――――――――――――――――――――――――――◇

100年後に誇れる教育事業をしよう。

 発行者 正田佐与承認マネジメント事務所代表 正田 佐与

◇―――――――――――――――――――――――――――――――――◇
このメールは転送歓迎です。

 アドラーの「子供」に関する原著をまた2冊読みました。『子どものライフスタイル』(アルフレッド・アドラー、岸見一郎訳、アルテ、2013年。原題'The Pattern of Life'1930年)と『子どもの教育』(著者訳者出版社同上、2014年、原題'The Education of Children'1930年)

 どうしても「承認欲求を否定せよ」と「ほめない叱らない」に関連する語を探し出したいという、しょもない執念からであります。この「アドラー心理学批判シリーズ」としては、1つ前の記事に「まとめ」として中間報告のようなものがあります。「捏造語録」の「正誤表」のようなものも載せていますので、お時間のない方はそちらをご参照ください。


●アドラー心理学批判 まとめ:「承認欲求を否定せよ」「トラウマは存在しない」有害フレーズの捏造と岸見氏の罪
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941255.html

(本記事での発見に伴い上記の記事の「一覧表」を一部修正しております)


 今日の記事は上の記事の補足のようなものです。


 『子どもの教育』のほうから行きましょう。

 ここには、相変わらず優越コンプレックス、劣等コンプレックスなどの極端な性格の例が出、やはりアドラーはカウンセリング畑の世界の人だなと思わせます。

 そして「第十三章 教育の誤り」「第十四章 親教育」これらの章に、「ほめない叱らない(捏造と認定)」に当たるフレーズはあるか?やはり残念ながら、ありませんでした。あるとしたらこの本のこのあたりの章にあるだろう、と目星をつけておいたのですが。

 あるのは、「絶えずがみがみ言って息子を破滅に追い込んだ教育者」といった、極端な例です。また殴るとか鞭打ちとかの体罰への批判です。(p.191)

 「ほめない」に関わりそうな言葉はようやく、みつかりました。

「子どもをあまりにほめるのは賢明ではない。あまりに多くのことが自分に期待されていると思うようになるからである。」(付録II 五つの症例と症例のコメント p.228)
「いつもほめ、知能指数が高いということで認めるというようなことをしてはならない」(同、p.229)

というふうに「過剰」を戒めています。「行動承認」論者からは、とくに異論はありません。「行動承認」に徹しておけばいいんじゃないの?というだけです。

 これも、じゃあ「ほめてはいけない」「ほめない叱らない」に即結びつけていいわけではなく、むしろ現代からみてもごく常識的な、「過剰の害」を戒めたにすぎません。よって、上記に挙げたまとめ記事の結論は変わりません。

 後世のアドラー心理学信者の方々が、「アドラーは賞罰主義を否定した」と言いますが、それにあたると思われるフレーズはありません。

 


 それから、「承認欲求を否定せよ(捏造語録に認定)」に関係ありそうなフレーズ。
 実は、180度真逆のことをアドラー自身は言っていることがわかりました。

 
 「第十二章 思春期と性教育」。ここでは、以前にご紹介した『人生の意味の心理学』で使ったと同じと思われる少女のエピソードがまた出てきます。

 いわく、病気の兄や父、小さい妹がいて自分に注目を向けられずに育った少女がいた。少女は人に世話をされ認められることを熱烈に希求するようになった。中学では成績が良かったが高校では成績が振るわず、先生に認められなくなった。すると家出して知り合った男性と2週間過ごしたが、男性に飽きられてしまった。すると家族に手紙を送り自殺を予告した。しかし実際には自殺せず、母親が家に連れ帰った。(pp.170-171)

 このエピソードを紹介したうえで、アドラーはなんと言っているか。

「われわれが知っているように、もしも少女が、人生のすべては認められたいという努力によって支配されていることを知っていれば、これらすべてのことは起こらなかっただろう。」(p.171)

 おわかりになりますか。
 アドラーのこの言葉は、ニーチェ的なニヒリズムよりもむしろヘーゲルの「承認をめぐる生死を賭けた闘争」という言葉を彷彿とさせます。つまり、「認められたい」一心でばかげたことをしてしまう少女の例を紹介しつつも、それにたいするアドラーの処方箋は「承認欲求を否定せよ」ではないのです。むしろ180度真逆の、ヘーゲル的な現実認識を示したうえで、少女自身にもそれを教えてやり、欲求を自覚させ、そのうえで欲求に振り回されない対処法をおぼえよう、ということを言っているのです。
 常識的ですよね。
 現代の「承認欲求バッシング」の書籍の著者らにも言ってやりたいぐらいです。

「また、もしも高校の教師が、少女がいつも学業優秀で、彼女が必要としていたのは、いくらかでも認められるということであったということを知っていれば、悲劇は起こらなかっただろう。状況の連鎖のどの点においてでもいいが、少女をしかるべく扱えば、少女を破滅から救うことができただろう。」(同)


 この言葉は、処方箋の第2としてアドラーは、教師や親はじめ周囲が「認めてやる」ことが解決策だ、と考えていたことがわかります。

 アドラー先生、すごく正しいではないですか。

 だから、もうやめましょう。「承認欲求を否定せよ」なんていう現実離れしたことを言うのは。



 次の本『子どものライフスタイル』は、問題のある子どもの症例報告とアドラー自身によるカウンセリングからなっています。

 これをご紹介するのは、ちょっと言ってはわるいですがアドラーの「誤診集」のようなおもむきがあります。やはり、20世紀初頭のカウンセラーであったアドラーの時代的制約だろうなと思います。

 てんかん発作がある少女。男兄弟の間で育ち、男と闘わなければならないと思って男の子らしいスポーツを好んできた。同じ男性と8年つきあい婚約して3年。婚約して以来発作が頻繁になった。

 アドラー:トラブルのすべては、あなたが十分勇気がないからです。あなたが自分自身の行動の全責任を負う決心をすることを提案しましょう。私はあなたがこの一歩を踏み出せば、そのことは大いにあなたのためになると確信しています。
 フローラ:私が勇気を持てば、発作を治せるという意味ですか?
 アドラー:そうです。
 フローラ:どんなことでもやってみます。
(カウンセリングおわり)


 うーん。。。今ならてんかん治療に別のアプローチがあるだろうし、「行動療法」からは脱感作療法のような提案があるだろうし、。。。
 一事が万事、アドラーは「勇気を持つ」を提案するのですが、わたしがみてこれに同意するクライエントは、多少カウンセラーに迎合しているようにもみえます。軽症だから素直に受け入れるのだろうともいえます。

 勇気がない人に対して勇気をもってもらうためにはどうするか。

 「行動承認」では、オキシトシン、セロトニン、ドーパミンを同時に分泌してもらうことだ、そのうえで、小さな行動を1つずつ着実にとってもらい、行動をとるたびに認めてあげることだ、というでしょうね。その繰り返しが勇気と自信を生みます。決して、「勇気を持ちなさい」とお説教すればほんものの勇気が出るわけではありません。


 そんなわけで、アドラー良心的な人だとはいえ、今の尺度からは賛成できないところがいっぱいあります。




 ところで、この記事のタイトルの後半のほうのお話。

 「ほめない叱らない」はアドラー信者組織分派の過激派の言説?」というところです。

 これはわたしも詳しくないのですが、わが国ではアドラー心理学の組織は「東」と「西」に分裂しているんだそうです。

 参考URL:http://onigumo.sapolog.com/e427281.html

 これによると、「西」はアドラー心理学会。「東」はヒューマン・ギルドといい、操作主義OKの教義。

 上記の記事では操作主義はわるいことだと言っているようなのですが、記事の筆者は『嫌われる勇気』の愛読者なのでこれも注意が必要です。だって、アドラー自身は操作主義はよいとも悪いとも言っていないのですから。

 「操作主義」といわれるものは後世の「行動理論―行動分析学」の「ほめ育て」を外部の人が揶揄していったもので、アドラーの時代にはそもそもありませんでした。

 たぶん、行動理論的な「ほめ育て」に対して「内発的動機付け至上主義」の人から批判が起こったとき、アドラー心理学の内部の人もそれに同調する人、いやほめ育てしたってええじゃないかという人、議論が分かれたのでしょうね。・・・というあくまでわたしの推測です。

 で、岸見一郎氏はその「操作主義反対」のほうの流派で、「西」のアドラー心理学会の理事をしています。ただその中でも最右翼のようです。

(※上記の記事からさらにリンクをたどって論文を読むと、たとえば「ヒューマン・ギルド」の操作主義のわるい例として、小さいお子さんが熱いコーヒーカップに触りたがったとき、ヒューマン・ギルドの講師が「触りたいの?ほら、熱いよ」と言って実際に触らせ、お子さんが熱いと泣いた例を挙げています。わたしなどには何がわるいのかわかりません。親の管理下であれ自然の環境であれ、子供は負の経験からも学ぶのです。アドラーがこの例をわるいと言うとも思えないのですが、この例ではどう働きかけるのが正解なのでしょうか)


 素直にアドラーの著作を読むと、過剰な場合を除いて普通にほめること叱ることについてはいいとも悪いとも言っていない、むしろ前提としていたように読めます。

 分派すると、過激なことを言い出すってよくありますよね。

 「行動承認」も気をつけなくっちゃね。


 

<シリーズ・アドラー心理学批判>

●「勇気づけ」についての副作用情報。。(2014年12月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51903598.html

●褒めない・叱らないは正しくない!「逆張りロジック」に正しく反論する知性を磨こう―『嫌われる勇気』著者講演会 (2015年12月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51927076.html

●「自己認識には事実のフィードバックが大事」「思考的盲目が心配」―宮崎照行さんのメッセージ(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51927143.html

●「子どもさんは大いにほめてください。そして叱ってください」―正田、アドラー心理学セミナーで吠えるの記 (2016年1月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933511.html

●「誰もが活躍できる社会」とは「承認社会」―NYさんからのメッセージ (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933591.html

●「勇気を持って指摘されたからこそ、いずれ考えを改める」―永井博之さんからのメール (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933656.html

●『行動承認』Kindle化に向けて(4)メディアの考える怠惰なお客様と「行為者」の乖離、王道とパチモンの「大衆的人気」(2016年5月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940842.html

●NHKおはよう日本 アドラー心理学特集を批判する(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940920.html

●NHKおはよう日本 アドラー心理学特集を批判する(2)友人たちの反応 (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940923.html

●『行動承認』Kindle化に向けて(5)行為者の脳発達と細胞レベルの変化の可能性――林田直樹先生との対話より(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940962.html

●アドラー心理学批判 「承認欲求否定」「ほめない叱らない」はどこから来るか―「共同体感覚」との関連において―アドラー『個人心理学講義』をよむ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941070.html

●アドラー心理学批判・友人からのお便り「幼稚さ、ナルシシズム亢進、成熟拒否」
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941137.html

●アドラー心理学批判 「トラウマ否定」「承認欲求否定」起源はみつけたが誤読と捏造だった―『人生の意味の心理学』をよむ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941143.html

●アドラー心理学批判 アドラーの罪:発達障害者向けのお説教と批判封じ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941204.html

●アドラー心理学批判 まとめ:「承認欲求を否定せよ」「トラウマは存在しない」有害フレーズの捏造と岸見氏の罪
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941255.html

●アドラー心理学批判 まとめの補足:正確な言葉は「人生のすべては認められたいという努力によって支配されている」、「ほめない叱らない」はアドラー信者組織分派の過激派の言説?
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941508.html

 今朝iPadを開くとこんな記事が「グノシー」から届いていました。


 「STAP細胞ビジネス」がついに欧米で始まった! 小保方潰しに没頭した日本は巨大マネーもノーベル賞も逃す羽目に?」
>>https://gunosy.com/articles/RoXC9


 この記事の筆者は(文=王山覚/グローバルコンサルティングファームに勤務するビジネスウォッチャー)となっており、肩書はなんだかすごそうですが、上田眞実氏大宅健一郎氏に続く新たなトンデモライターの出現です。

 
 わたし自身はSTAP細胞ネタは重要でもないし単なる目くらましの気すらして、早くこの話題から離れたいのです。しかし「あるある」の方々が絶え間なく話題づくりをして世論をかく乱します。


 たまたま上記の例は「グノシー」ですが、このところビジネスジャーナル上田眞実氏大宅健一郎氏の「STAPあるあるネタ」が「Yahoo!ニュース」「MSNニュース」等、大手ニュースサイトに上がってくる例が続きました。

 こうしたニュースサイトは、要は儲け主義なのです。記事のアクセス数が多ければ広告主からの評価が上がるので、「STAP―小保方ネタは美味しい」ということです。また、ニュースサイトの運営というのは少ない人員でやっており、「ビジネスジャーナル」などは2人でやっているのだそうです。勢い、他のニュースサイトの記事を裏も取らずに転載することになります。

 こうしてネットデマは作られていくというお手本。



 国会では、山本太郎氏が「小保方晴子氏を潰した理研が「特定国立研究開発法人」(スーパー法人)になるのはけしからん!」と候補から外すよう求める動議を内閣委員会に出したんだそうな。



>>http://biz-journal.jp/2016/06/post_15341.html

 これはおなじみ上田眞実氏の記事。


 STAP―小保方ネタ、国会に上陸。


●STAP特許のありえない大ウソと、STAPあるあるウイルスに罹患したひとのこころの病
 

 さて、上記のグノシーの記事にある「特許ネタ」は、これまで当ブログでは紹介していなかったのですが、先月ビジネスジャーナルが騒いでいました。

「STAP細胞の特許出願、米ハーバード大学が世界各国で…今後20年間、権利独占も」(by上田眞実)
>>http://biz-journal.jp/2016/05/post_15184.html

 ・・・・・あるあるの方々の情報を全部フォローしてご紹介する気力が正直いってないのです……

 
 で、手が回りきらないので上記の記事の裏取りはしないでほっておいたところ、スカッと気が晴れる専門家の検証記事が出ました。

「STAP細胞の特許と論文 見比べて初めてわかる図版の不自然さ」
>>http://bylines.news.yahoo.co.jp/takumamasako/20160603-00058326/

 正しい記事なのでタイトルを太字にしております(笑)STAP事件を発生当初から追っていた科学ライター、詫間雅子氏の記事。丁寧な検証の結果、衝撃的な結果が出ています。

 STAP論文で正式に不正と認定された4つの図版のうち、3つが特許の書類にそのまま残っている。
 STAP論文の図版は「おえかき」か

 ぜひ、この内容をみるために上記のリンクをクリックして記事を一度ご覧ください。
 どれだけ悪質なウソか。

 専門家がみるとこれらは一発で特許却下になるレベルなのだそうで、ハーバードというかブリガムウィメンズ病院がどれだけお金を使って話題づくりをしたかわかりませんが、だませるのは素人だけのようです。


 友人は、上記の詫間雅子氏の記事の内容などを米国の弁護士の友人に送ると言っています。確認が取れたら特許は一発アウトであろうとも。


 しかし。

 以前にも少し触れましたが、
 「STAPあるあるウイルス」に感染すると、人間がおかしくなってしまう。

 という例を、最近も新たに1例、友人で体験しました。


 私と同年代の既婚、個人事業者の女性です。
 この人が上記の上田眞実氏のSTAP特許の記事をフェイスブックでシェアし、自分のコメントとして
「これでまたアメリカがボロ儲けってことでしょうかねー」
と、揶揄うような言葉を添えていました。

 わたしはそれにコメントを入れ、そうではないということを説明しましたが、彼女は会話しているふりをしますが受け付けていないのでした。

 記事内容をもとに次から次へと質問を投げつけ、わたしがそれに答えても回答への応答はなし、次の質問を投げつけるのみでした。明らかに回答は読んでおらず、単なる悪意を投げつけられたとしか認識していないのでした。そして自分も手りゅう弾を投げつけて反撃するのでした。コミュニケーションではなく、勝ち負けの問題になっているのでした。

 なんでこんなふうになるんだろう。


 以前は、というかほかの点では聡明だった女性でした。哲学カフェを主宰もしていました。


 無力感でした。わたしがこれまでのノウハウを基に、丁寧に丁寧に、相手へのリスペクトを欠かさない姿勢で語っても、逆に相手は当方を「下」にみて嘲笑するのみ。

 単にネットでみたしょもないデマジャーナリズムを信じこみ、普通の誠実な人を信じなくなるとは。

 デマジャーナリズムの中にある、嘲笑、揶揄、居丈高、センセーショナリズム、そしてマスメディアより自分たちが偉いんだという「上から目線」に感染したとしか思えないのでした。

 自分がすごいことを知っている特別な人間だという思い込み。
 まるでSTAPを妄想した元研究者の人格をコピーしているようです。

 そして、単なるナルシシズムを通り越した攻撃性。
あとで友人と話しました。これは「下剋上感覚」なのではないかと。
研究者、理研、マスメディア。普段ならどうやっても太刀打ちできない大きな権力を持った存在に、「STAP細胞」「小保方さん」という題材は、「自分は不遇だ」「抑圧されている」と思っている人にとっては意趣返しするための有効なネタだ、と捉えられているのではないかと。

でも、STAPがこういう人間を作ったのです。こういう人が今後、Yahoo!、MSN、グノシーといった大手ニュースサイトを通じて次々つくられていく可能性があります。


 このブログを読んでいるあなたの隣の人も、既にそうかもしれません。

 そして国会にまで行っているし。


 ほらね、3月ごろブログに書いた、

「元特ダネ記者のわたしが『まずい』と思うことは多分本当にまずいのです」

当たってたでしょう?


 STAP細胞自体は科学的決着がついている問題なのです。わたしはそれより、人びとの「こころの病」の問題のほうが怖い。

 NHK今期の朝ドラ「とと姉ちゃん」。5月31日は視聴率23.1%を記録し、今世紀の朝ドラで「あさが来た」を抜いて最高記録を更新しているそうです。

 今週は、ヒロインのとと姉ちゃんこと常子が女学校を出て就職しました。そこで、妙に「承認」が絡みそうな展開になってきます。


 就職先は文具会社で、職種はタイピストです。このタイピストの女性集団は会社の中でちょっと特殊な立場にあり、「タイピスト部屋」のようなところで仕事しています。

 昨日今日のあらすじを簡単に言うと…。

 未熟練でタイプの仕事をなかなか貰えない常子(高畑充希)。社内の他部署の男性に仕事を頼まれて引き受け、徹夜で机の整理整頓、書類整理、書類清書をこなす。真夜中まで残ってやっていた常子に、用務員のおじさん?がキャラメルを手に乗せてくれる。しかし時間内にやりあげた仕事に対し、依頼した男性は「もう帰っていいよ。邪魔」というのみ。

 タイピストの元締めのような先輩女性には、「男性は私たちを便利な雑用係としか思っていないから、仕事を引き受けてはダメ」と言われる。

 その先輩女性は、タイプでの清書を「原文通り打たなかった」と依頼元の男性になじられて切れ、
「文法がおかしいものを直してはいけないんですか!」
「私たちのことも男性と同様、ちゃんと苗字で呼んでください!オイや君じゃなくて」

 
…というような話です。

 はい、「承認研修」の受講生様方、ここには何と何の「承認欠如」が出てきましたか。

 なーんて、ね。

 答えは、「行動承認」「感謝」「ねぎらい」「ほめる(結果承認?)」「名前を呼ぶ」でした。基本中の基本です。皆さま、できてますね?(逆に、用務員のおじさんのキャラメルは、ささやかな無言の「承認」でしたね)

 ドラマでは、こうした「承認欠如感」を抱えてモヤモヤした常子が、家に帰って居候中の仕出し屋のおばさんに相談する、さあ何を相談するか、というところで今日は終わりました。

 もちろん戦時中の話ですから、「承認」なんて言葉はここに直接出てこないと思いますが…。


 ついでに、上記の話に常子の「義理のおじさん」(青柳家の養子。母の義理の兄弟)がサイドストーリーでちょっと絡んでいます。

 道で常子が自慢の多いおじさんとすれ違い、「ああまたいつもの自慢話をきかされるか?」と常子が身構える。しかし、おじさんは上機嫌の顔のまま、自慢せずに通り過ぎる。
 
 番頭の隈井(片岡鶴太郎)によると、おじさんはこのところ仕事で成功が続き、祖母(大地真央)からの信頼も厚いため、自慢しないでも良くなったのだという。ふうんと納得する常子。

 この話も、仕事自体によって十分な自信を得、また上司からの承認(信頼も承認のうち)も貰っていれば、自己承認をする必要がなくなった、というふうに解釈することができます。


 まあなんで「承認屋」の解説を必要とするドラマでしょうか。





 このところ「承認欲求バッシングの批判」という、批判の批判、ねじくれたことをやっていますので、「承認」のたいせつさがストレートに伝わりにくくなっていたのではないかと思います。

 しかし、「承認欲求」はわたしたち人間の基本欲求です。


 去年の10月、『21世紀の脳科学―人生を豊かにする3つの「脳力」』(マシュー・リーバーマン、講談社、2015年5月)という本について、読書日記を書いて考察しました。

 この本では、「五段階欲求説のマズローは間違っている」といいます。マズローは所属と愛の欲求、承認欲求を五段階の上のほうに置き、生理的欲求のところに置かなかった。しかし、現実には人間の赤ん坊は片時も愛されなければ、そして注目され世話をやかれなければ死んでしまう存在だ。たえず愛、注目、ケアを求める。だからヒトにとって、愛され注目されるということは生死のかかった基本欲求で、それを一生涯引きずるのだと。



●『21世紀の脳科学』をよむ(1)読書日記編―「自立した個人」の幻想、マズローとジョブズの犯した間違い
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51923413.html


●『21世紀の脳科学』をよむ(2)考察編―新しい欲求段階説、作っちゃいました
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51923415.html

 
 上記の「欲求」についての考察を、わたしがこの本に基づいて、またこれまでの人間観察に基づいて、勝手に図にしてみたものがあります。


スライド1

 
 
 
 ちょっと字が細かいのでまた手直しが必要ですけれど…

 この図では、「つながり欲求」を大きく赤色で分類して、その中の原始的な乳幼児〜思春期ぐらいまでのものを「生理的・利己的なつながり欲求」、もう少し成熟した、社会人以降のより高次な関係欲求を「社会的思考の欲求(承認欲求)」としてみました。

 でもざくっと言うと、赤い色のところは全部「承認欲求」とよべるのです。

 また、大人の年代になってからの「承認欲求」は、倫理的に高いレベルの人でありたい、ということも含みます。そのことを通じて他者に良い影響を与えたい、自分についても良いイメージを保ちたい、と思っているからです。決して自己完結的に成熟するわけではないのです。


 また、青い色のところはこれまでモチベーション論の中で高級なものとみられていたところでした。「能力をフルに発揮したい」「夢中になり集中したい(フロー体験だ)」、「挑戦・冒険したい」。

 これらは、重要なものではあるけれど、これだけでは自己完結的なモチベーションです。他人目線を欠いていて、ひとりよがりになる危険性もあるものです。赤いところとセットになって、初めて周囲の人に役立つことができるのです。

 ・・・という、わたしの解釈であります。


 脳科学者もいろいろな考え方があると思います。上記の『21世紀の脳科学』原題'SOCIAL Why Our Brains Are Wired to Connect’の著者リーバーマンは40代の少壮学者ですが、人と人の心の結びつきを重視するスタンスの脳科学者さんだったようです。ソーシャル・ブレイン(社会脳)系の人ですネ。いくらMRIのような文明の利器があっても、その学者さんがそういう仮説を立てなければそういう知見は生まれてきません。


 でもわたしはこの考え方に賛同するのです。


 
 また上記の読書日記では、その後繰り返し使うことになる「内側前頭前皮質」についての知見が出てきています。
 すなわち、「わたしたちが自己を認識する部位」と、「外部からの規範を取り入れる部位」は同じものだ、と。ひとつの部位がふたつの働きをしているのだと。


 だから、相手に規範を教え込みたいときには、相手が「たしかに自分のことだ」と思うような「承認」の言葉をかけながら教えてやるのがよい。

 「行動承認プログラム」の中では、この知見をこのように使います。

 はい、みなさん。「相手がたしかに自分のことだと思うような承認の言葉」って、どんなものでしょう?

 大丈夫ですね。「行動承認」でほぼOKです。「名前を呼ぶ」などもいいかもしれません。




 今日は、フェイスブックのお友達に「正田さんは承認のことを書かなければダメだよー」と言われてしまいました。

 最近たしかに寄り道ばかりしています。
 「承認」のすばらしさをもっと書かなくちゃね。

 とと姉ちゃん、明日からどうなるんだろう。



 ふたつの道筋があり得るんですが、
 ヒロインの常子自身には、「人に認められたいと思わず貢献しようと思って働け」というアドバイスがあり得ます。
 しかしタイピストの元締め、早乙女という女性の言い分ももっともです。この人の言動やスタンスには、「性差別と承認欠如が合体した状態」に対する抵抗が感じられます。こういうときに「人に認められようと思うな」ということは、「性差別を容認せよ」ということになってしまいます。
 
 さあ承認欲求バッシングか、それとも承認欲求肯定にいくか。目がはなせません。

このページのトップヘ