正田佐与の 愛するこの世界

神戸の1位マネジャー育成の研修講師・正田佐与が、「承認と職場」、「よのなかカフェ」などの日常を通じて日本人と仕事の幸福な関係を語ります。現役リーダーたちが「このブログを読んでいればマネジメントがわかる」と絶賛。 現在、心ならずも「アドラー心理学批判」と「『「学力」の経済学』批判」でアクセス急増中。コメントは承認制です

2017年03月


 精神科医で、家族機能研究所所長の斎藤学氏から、『嫌われる勇気』についてのコメントをいただいた。斎藤氏は日本のトラウマ治療者としては草分け的な存在で、NPO法人日本トラウマサバイバーズユニオン理事長を兼任するなど、トラウマをもつ人の支援も行ってきた。

 フロイディアンである同氏からは、「フロイトをよく知らないでフロイトを批判している」「アドラー1人が屹立して他はダメだというのはどうか」と厳しい言葉があった。


 斎藤氏はコメントを引き受けられたあと『嫌われる勇気』を取り寄せて読まれたうえで、非常にきっちりとしたコメントをくださった。
 他の多くの先生方もそうだが、斎藤氏のコメントを引き受ける姿勢、コメントする姿勢には、とりわけ「これぞ知識人」と感銘を受けるものがあった。

 ご了承をいただき、謹んでブログに掲載させていただきます。


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 いい本だと思います。読みやすいし。しかしアドラーの心理学ではないな。
 著者がプラトンを研究している人ということなのでそちら側に引き寄せているのかも。アドラーの中の著者たちにわかりやすいところを抜き出している印象。

 しきりにフロイト的因果論を否定しているが、そもそもフロイト的因果論などというものはない。フロイトと言っても、初期、中期、晩期で言ってることはまったく違うんですよ。例えばフロイトは1886年に『ヒステリーの源流』で大人の子どもに対する誘惑(性的児童虐待)が後年子どもの神経症を作ると言った。その後彼自身が、この仮説を引っくり返してしまう。「フロイトの撤退」と呼ばれている事態で、その代わりに登場したのが「子どもは親たちからの被害を空想するものだ」というファンタジー説。そのファンタジーの中身が「エディプス・コンプレックス」です。

 ところが今の精神医学では彼が引っくり返す以前の説のほうが正解ということになっていて、児童期のインセスト・アビューズ(近親姦虐待)の成人になってからの障害(例:境界性パーソナリティ障害)をどう治すかということが課題になっています。1970年代以降、フロイトの空想説によって消えかかったシャルコーからジャネを経てフロイトにつながる外傷体験説が復活して今のPTSD論の一部を構成しています。脳図像学の発達によって心的外傷による海馬体の萎縮などが明らかになっているので、単なる「論」や「仮説」を越えた実体として治療対象になっているのです。

 確かに「子どものころ親に虐待されました。」で終わっては治療にならない。例えば私は外傷性記憶の曝露療法というものをやっています。外傷体験を言語化するのは苦しい。しかし過去を明らかにすれば治るなんて誰も考えてないので、目の前に居る患者の人格障害や解離性フラッシュバックという、「今、ここ」の苦痛の解消が私たち治療者の仕事です。他者に向けて外傷体験を曝露するという作業はあまりに痛いので、過去の外傷そのものは大した痛みでなくなり、過去のとらわれから解放されるのです。 

 以上がひとつの例で、この本には誤解(あるいは省略)が多すぎる。とは言っても私はこの本全体を否定するつもりはないのです。正しいこと、常識的なことも多いのですが、その多くは既にフロイトやその後輩たちによって吸収されてしまっています。例えばサリヴァンなどを読むと、アドラーとの類似に驚くでしょう。アドラー1人が屹立していて他はダメだといい、フロイトを否定して敵を作って叩いて売っているというのは商法ですよね。フロイトをよく知らないでフロイトを否定している。読む方はそんなことどうでもいいでしょうけれど。

――教育心理学の分野などでも常識の逆張りを狙って明らかに間違いということがベストセラー本に書かれ、学識経験者はあまりにもバカバカしいからと黙殺しているとそれが一人歩きするということがよくあります。

 変だよね、ということはいっぱいある。
 「承認欲求を否定せよ」などは、単なるレトリックですよね。あとの方で自己受容はいい、と言っているじゃないですか。受容は承認されることで生まれますから。何も根本的な違いはない。
 「トラウマは存在しない」という言い方は派手ですが、上に述べたように誤りです。アドラーは「トラウマは無い」と言っているのではなく、「トラウマを含む過去にとらわれてはいけない」と言っているのです。

 アドラーの代表的仮説である劣等コンプレックスや器官劣等性の概念は外傷体験というものを前提にした因果論そのものじゃないですか。これらはアドラーの代表的著作「Adler, A: Der Aggressionstrieb in Leben und in der Neurose.〔『日常生活と神経症における攻撃欲動』〕」(1908)に収められていますが、記述の仕方そのものが精神分析です。アドラーの著作は彼が望んだか否かは別として、精神分析を補完するものです。

 アドラーの評価を語るに当たっては、エレンベルガ―の書いた『無意識の発見』(第8章,邦訳,弘文堂)が参考になります。そこではアドラーに100頁ほどが当てられています。その前の第7章はフロイトに当てられていて、こちらは約200頁。公平な評価で、アドラーがフロイトに比肩される心理臨床家であることには間違いありません。その点、この本(『嫌われる勇気』)はアドラーを誤解させますね。

 アドラーは1902年から1911年まで精神医学会の4人の理事の1人でした。
 アドラーは、フロイトのエディプスコンプレックス仮説を受け入れられなかった。リビドーとは無関係に発生する攻撃性や権力意志が存在すると説いたのです。そしてそれは後期のフロイトによってもタナトス(エロスと対立して自己破壊に向う衝動)という言葉で説明されています。それと、アドラーはトロツキーの友人でもある社会主義者でした。フロイトは同じくユダヤ人の医者ですが、金持ちばかりを診ていたし、本来「大学の人」でウイーン大学の客員講師(後に客員教授)でした。アドラーにはこうしたことへの反発もあって、フロイトたちから離れたのではないでしょうか。

 1911年以降のアドラーは大衆への説教者になっていきます。説教をして、社会共同体の向上をはかる。これが何につながるかというと、自己啓発ですね。デル・カーネギーや『7つの習慣』などの。専門家でもなくて。扇動者とまで言わないが、大衆を集めて真理を説く人の元祖になりました。

 1920-30年のアドラーは社会状勢の読みがよかった。早々とアメリカに移ったので。フロイトのようにナチの迫害にも遭わなかった。恵まれない人たちの人間共同体にどう関心を向けるのかに力を注いだ。啓発者としてのアドラーですよね。その件に関してアドラーは偉大です。

 この本(『嫌われる勇気』)について憂慮するのは、この本を鵜呑みにする「無智な大衆」の中に大かたの精神科医も入ってしまうことです。実は医学生の訓練課程ではフロイトの「フ」の字も習いません。精神科医になってからも同じことです。未だに精神分析は学びたい者だけが時間とお金をかけて、苦労して身につけるものなのです。

 今や患者さんのほうが精神療法をよく知っています。自分が困っていますから真剣に勉強します。しかしその中には、ネットの解説だけでわかった気になってしまう人たちも出てくる。この本は150万部も売れているそうだから、わかった気になった患者がわかっているつもりの精神科医と出会うことも多々あるでしょう。

 そんな人の中で「トラウマはない」とか「過去は要らない」みたいなことが常識になれば、そういう親たちに育てられた子どもたちの問題が深刻なことになるでしょう。

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 ・・・……<<<エウダイモニア通信>>>……・・・
発行日 2017.3.22                 
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です。
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 ┃本日の話題 ☆☆☆☆☆
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【1】 世界幸福度報告書が教えてくれるもの:幸福と不幸のカギは

【2】 「アドラー心理学批判、楽しみにしています」

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【1】世界幸福度報告書が教えてくれるもの:幸福と不幸のカギは

 3月20日の「世界幸福デー」に国連が発表した「世界幸福度報告書2017」では、調査対象155か国中ノルウェーが1位に、そしてわが国は51位となりました。G7加盟国(※注)では最下位でした。
 このWEBページを少し詳しくみてみました。
>>http://worldhappiness.report/
 ノルウェー、デンマーク、アイスランド、スイスの上位4か国は福祉、自由、寛容さ、正直さ、健康、収入、良い統治の6つの指標でいずれも高得点でした。わが国は、「選択の自由」と「寛容さ」の2つが低かったということです。
 またわが国は昨年の53位と比べるとやや順位を上げました。ただし、報道されませんでしたが、10年前と比べると大幅に幸福度が下がっています。2005―07年までの幸福度と14年―16年の各国の幸福度を比較したところ、日本の幸福度の伸びはマイナス。―0.447で調査対象126か国中、106位でした。
 幸福あるいは不幸を決めるキーファクターは先進国では「精神の健康」でした(途上国では「収入」のほうが上位になっています)。
 報告書は、「鬱と不安障害を減らすだけで、不幸を減らすことができる。これはもっともコストの低い幸福増進法だ」と提言しています。
 子どもさんの幸福に関しては、「学歴」よりも子ども時代の「感情の健康」「行動」が、大人になってから満足度の高い人生を送れるようです。そして、子どもさんの「感情の健康」と「行動」を左右する要素は、「お母さんのこころの健康」と「学校」でした。
 また、「仕事の幸福」では、やはり「失業」は人生の満足度を大きく低下させる要因でした。またマニュアル労働では全般的に幸福感が低いこと、給与以外にワークライフバランス、自治、多様性、仕事が確保されていること、ソーシャルキャピタル、健康や安全のリスクなどが幸福感を左右することなどを指摘しました。
 働く人の幸福感が高ければ生産性も向上し業績向上が見込まれます。改めてそのことを認識させられる報告書でした。

※注 メルマガでは「OECD加盟国」としていましたが、これは「G7」の誤りでした。こちらでは修正しました。お詫びして訂正いたします。

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【2】「アドラー心理学批判、楽しみにしています」

 3連休の間、マネジャーの知人から急にお電話がありました。
「社内がギスギスしています。社長がアドラー心理学に傾倒して『嫌われる勇気』ほかを読んでいるんです。社員同士互いに意思疎通がなく、情報共有がされません。業績は低下しています」
 この知人は久しぶりに『嫌われる勇気』を読んでみたところ、気分がわるくなってしまったということでした。知人は鬱歴があり、再発してしまった可能性もあるとのことです。
「最近アドラー批判をされてないですね。どんどんしてください。楽しみにしています。私だけではないと思います」
 さて、どのぐらいこのような方がいらっしゃるのでしょうか。
 私は3年前『嫌われる勇気』をひと目みたとき、「これでは職場は上手く回らないだろう。みなさん、すぐそのことに気がつかれるだろう」と思いました。それが翌年には韓国、台湾、中国と発売され、いまやアジア全体で400万部のメガヒットになってしまいました。
 日本発でこんなグロテスクな本を産みだしたこと、今もヒットの数字をたのみになんら正当性のないものをはびこらせていることに、悲しみと無力感をおぼえます。
 『嫌われる勇気』に関する最新の批判記事はこちらです

●オールオアナッシングか、非断定口調か――『嫌われる勇気』『認められたい』『行動承認』を検証してみた
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51953894.html 

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 ┃今日の一筆箋  
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 前回3月13日発行号では、うっかり冒頭に記載する発行日を「2月27日」としてお送りしてしまいました。大変申し訳ありませんでした。

※今号の「ユリーの星に願いを」はお休みです。

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 『嫌われる勇気』のオールオアナッシングの断定口調ぶりを、数字で検証してみた。

 とりあえず先日『暴力の人類学』(下)で学んだ、「統合的複雑性(integrated complexity)」の初歩のところを調べてみることにした。


 『嫌われる勇気』の文章の中の断定的な単語を抜き出し数える。「すべての」とか「あらゆる」とか「何もない」「誰も…しない」「いつも」「必ず」「絶対に」「無条件の」など。

 数えてみると、著者らのあとがきを除いた本文で349個。本文283ページ、1ページあたり1.23回断言口調があったということになる。ちなみに「すべての人の悩みは…」のように多用された「すべて」という語は55回登場した。一方「非断定的」な単語も数えてみた。「ほとんど」とか「基本的に」「多くの場合」など。こちらはわずか29個で、1ページあたり0.10個だった。

 これだけでは多いのか少ないのかよくわからないかもしれない。そこで、比較対象に先日読んだ『認められたい』(ヴィレッジブックス)をもってきてみた。熊代亨氏、怒るかな。

 『認められたい』に比較的よく出てきた「断定語」は、「〜だけ・〜ばかり・〜しか」などの語の後ろにつけて限定するもので、これが35回で最多だった。その次が「まったく(ちっとも)〜しない」で16回。全体では185ページに158回登場して、1ページ当たり0.85回。「非断定語」は133回で、0.72回/ページ。



 どちらの本もページあたりの文字数は同じようなものだが、念のためちゃんと字数を調べることにした。といってもおおざっぱに各ページの行数と1行当たり字数を数え、それにページ数を掛けて400字で割る。すると『嫌われる勇気』は505.155枚だった。『認められたい』は330.225枚。

 こうして分母をそろえたところで比較してみると下記のようになった(数字はいずれも400字詰め1枚あたりの出現回数)

『嫌われる勇気』
断定語   0.69
非断定語 0.0057

『認められたい』
断定語   0.48
非断定語 0.40

 やはり、『嫌われる勇気』の断定語が多いのがわかる。『認められたい』の1.5倍。アドラー自身は、「親相手に断定口調でものを言ってはいけない」と言った人なのだが。

 『嫌われる勇気』では非断定語が極端に少ないが、これは断定語を使いすぎて非断定語を使う余地がなかったのだろうか。あるいは非断定語を使うと自信がないように見えてしまうからだろうか。
 断定語の「すべて」を多用したり、「〜ばかり」「ちっとも〜しない」といったフレーズを読まされていると、それらの言葉の背後にある刺激の強い言葉で注目を集めたい幼稚な自己顕示欲か、あるいは他人への拒絶の姿勢、他人の行動に向ける強い嫌悪の視線のようなものを感じて、わたしなどは気分が悪くなってくる。だからこの本を最初読み通せなかったのだ。
 しかし自己啓発本の読者はこういう言葉が好きなのだろう。最近も筋トレを自己啓発に応用して「あらゆる悩みは筋トレで解決する」というフレーズをみた。断定語はマッチョでもあるようだ。

 またおもしろいのは、『嫌われる勇気』では「断定語」を「青年」も「哲人」も「地の文」も、それこそ「みんなが」言っている。三者とも「断定語」の使い手なのだ。こういうオールオアナッシング思考や過度な一般化の思考は、認知行動療法では「認知の歪み」と呼び、鬱になりやすい思考だからカウンセラーは修正を図ろうとするものだ。しかし『嫌われる勇気』の世界では、青年だけが「断定語」の使い手なのではなく、「哲人」も果ては「地の文」さえも「断定語」を使うのだから、始末におえない。狂気の世界に巻き込まれそうだ(途中、「哲人」がとってつけたように「神経症の人は『すべて』と言いやすい」云々と言うくだりもあるが、その「哲人」自身が「すべての」「あらゆる」を連発している)




 いっぽう『認められたい』は、極端から極端ではなく、もっと狭い振れ幅のなかでロジックが動く。
「○○な人も、××な人もいるでしょう」
「そうかと思うと、△△な人もいます」
等。
 文章が「キラキラ」でないから、わたしなどは安心して読める。一方、「キラキラ」文章ばかり読んで中毒になっている人だと、何が書いてあるかマイルドすぎてよくわからないかもしれない。
『認められたい』では、「〜だけ」「〜ばかり」が登場するのは、おおむね行動傾向が偏っていて特定の行動ばかりとりがちな人に向けられている。戒める文脈である。


 なお、こうして「統合的複雑性」を調べてみたが、
 1月にUPした『暴力の人類史』(下)の読書日記で、

 「統合的複雑性があまり高くない言語を用いる人々は、フラストレーションに対して暴力で反応したり、戦争ゲームに参戦したりする確率が高い。」

というフレーズがあることにも注意したい。それからしても『嫌われる勇気』を好んで読んでそれと同じ言語を使う人々がほかの人と平和的に共存できるとはとても思えない。





 ついでに便乗して、わたしの拙著『行動承認』の紙版も同じ尺度で測ってみた。

『行動承認』
断定語  0.26
非断定語 0.25

 断定語も非断定語も3冊の中で圧倒的に少なかった。3年前の本。

 これにはわけがあって、「統合的複雑性」の概念は執筆当時知らなかったが、この本のミッションというのはそもそも、読んだマネジャーに気持ちよく実践したいと思ってもらうこと。そのために、

,笋譴个垢瓦だ果の出るものだとわかってもらう
△靴し、反感を買ってはいけない。

 著者のわたしの語り口に少しでも強引なところがあったら、良識的なマネジャーは「引いて」しまう。「すごい成果が出ることは言っているけど優しい語り口でいっさい強引さのないロジック」という難しいかじ取りが必要だった。
 そのために断定語を極力省いた。非断定語も、恐らく使うとあいまいな印象を持たれてしまうのを危惧して省いた。数字で言えるところはできるだけ数字で言った。

 そういう工夫が読んだ人の「やりたい」と前のめりになる気持ちに直結しているかどうか――。

 でも自分が工夫したことが数字で証明できたのでちょっと満足している。


 わたしはわたしの文章を読んだマネジャーたちがわたしのように思考してもらいたいと思っている。緻密に細やかに、愛情をもって。幸い類は友をよぶのか、過去にわたしのもとに集まってくれた人たちは似たような言葉づかいをしていた。

 ちょっと最後は手前味噌がすぎたかもしれない。


 参考リンク・断定口調で話す専門家の予測は当たらないという研究

●断言する人は信用しないのが一番―『専門家の予測はサルにも劣る』
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51819125.html

サイコパス 表紙

 『サイコパス』(中野信子、文春新書、2016年11月)。


 読みやすい文体だが、以前に読んだロバート・ヘアの『診断名サイコパス』より新しい知見がふんだんに入っている。今の時点でこの分野のスタンダードとしてチェックしておこう。


 「ありえないようなウソをつき、常人には考えられない不正を働いても、平然としている。ウソが完全に暴かれ、衆目に晒されても、全く恥じるそぶりさえ見せず、堂々としている。それどころか、「自分は不当に非難されている被害者」「悲劇の渦中にあるヒロイン」であるかのように振る舞いさえする。
 残虐な殺人や悪辣な詐欺事件をおかしたにもかかわらず、まったく反省の色を見せない。そればかりか、自己の正当性を主張する手記などを世間に公表する。
 外見は魅力的で社交的。トークやプレゼンテーションも立て板に水で、抜群に面白い。だが、関わった人はみな騙され、不幸のどん底に突き落とされる。性的に奔放であるため、色恋沙汰のトラブルも絶えない。
 経歴を詐称する。過去に語った内容とまるで違うことを平気で主張する。矛盾を指摘されても
「断じてそんなことは言っていません」と、涼しい顔で言い張る。
 ――昨今、こうした人物が世間を騒がせています。」


――たしかに、たしかに。
 では、この本で新しくわかったことをご紹介します。

●サイコパスは研究によってはアメリカの全人口の4%にものぼる(診断基準による)。およそ100人に1人ぐらいとして、日本人のうち約120万人はいる計算になる。

●サイコパスにもグレーゾーンがあり、症状のスペクトラム((連続体)をなす複合的な障害。


●サイコパスを見た目で判別する方法。
 顔の縦と横の長さの比率を比較して横幅の比率が大きい男性ほどズルをする傾向があり、サイコパシー傾向が高い。男性に比べて女性ではあまり相関関係がなかった。

●心拍数が低いと暴力や反社会性につながる。モラルに反する行動をとっても心拍数が上がらないから?
 不安を感じにくいため、サイコパスは、一般人よりもまばたきの回数が少ない。

●サイコパスは相手の目から感情を読み取るのは得意。

●サイコパスは他人の恐怖や悲しみを察する能力には欠ける。
 サイコパスにとって他人の感情を知ることは、学校の国語の試験問題を解いているようなもの。

●サイコパスが重視する道徳性は、「共同体への帰属、忠誠」「権威を尊重する」「神聖さ、清純さを大切に思う」。一方で「他人に危害を加えないようにする」「フェアな関係を重視する」はスコアが低い


●サイコパスは孤独感が強く、職場の環境を「協調し合う場所」というより「競争的なもの」であると捉える。

●サイコパスの反社会行動に関する4つの仮説。〃臟_樟癲閉磴ざ寡欖蕎隹樟癲法´注意欠陥仮説(反応調整仮説) 性急な生活史戦略仮説 ざΥ鏡の欠如仮説

●サイコパスの脳の特徴。
・恐怖を感じにくい。扁桃体の活動が低い
・眼窩前頭皮質(抑制する)や内側前頭前皮質(モラルを感じる)の活動が低い
・扁桃体と眼窩前頭皮質や内側前頭前皮質の結びつきが弱い
・前頭前皮質内側部(VMPFC)が、痛々しい画像を見ても反応しない
・海馬の機能低下。恐怖条件付けの反応が鈍い
・脳梁の容積が一般人と比べて増加

●勝ち組サイコパス(成功したサイコパス)と負け組サイコパス(捕まりやすいサイコパス)の違い。
 勝ち組では背外側前頭前皮質(DLPFC)が発達し、短絡的な反社会行動を起こしにくい。

●昔からいたサイコパス。革命家・独裁者。推測では、織田信長、毛沢東、ロシアのピョートル大帝、ジョン・F・ケネディ、ビル・クリントン。意外なところでは聖女マザー・テレサ。援助した子どもたちには冷淡で、残酷とも思える扱いをしていた。

●歴代の精神科医もサイコパスの存在を指摘していた。
 
●2000年代から、神経倫理学(ニューロエシックス)や神経犯罪学が台頭。19世紀の「犯罪人類学」の祖、チェーザレ・ロンブローゾの骨相学や遺伝学の研究が再評価される。

●反社会性は遺伝するのか。ある研究では顕著にサイコパス的な双子の反社会的行動は、遺伝の強い影響を受けており、要因の81%が遺伝性、環境要因はわずか19%(英ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン発達精神病理学教室教授のエッシ・ヴィディングの研究)。

●MAOA(モノアミン酸化酵素A型)遺伝子の活性が低い人は、セロトニンやドーパミンなどの神経伝達物質がなかなか分解されずに残ってしまい、それらの効果も持続するため、つねに浮ついた感じになったり、攻撃性が高くなったりする。

●ADHDの人も、MAOAの活性が低い。

●ドーパミンを大量放出することとサイコパスの特性の相関。サイコパスの診断基準であるPCL-Rのスコアとドーパミンの最終代謝物であるホモバニリン酸の脳脊髄液中の値が高いことは関連している。ドーパミンが多ければ多いほど人間が報酬を求める欲が大きくなるので、大量放出する遺伝子を持つ人は強烈な刺激を求め、犯罪を犯す?

●遺伝とともに環境の影響の可能性。脳科学や神経科学の研究者は「遺伝的な要素が大きい」と判断しがち。社会学者や教育学者は、「後天的な要素が大きい」と判断しがち。

●遺伝と環境の相互作用説。神経科学者ジェームス・ファロンによる、サイコパスの発現についての「3脚理論」。ヾ窿歔案前皮質と側頭葉前部、扁桃体の異常なほどの機能低下 △いつかの遺伝子のハイリスクな変異体(MAOAなど) M直期早期の精神的、身体的、あるいは性的虐待
ファロンはこの3つが揃わなければ反社会的行動をするサイコパスにはならないと指摘する。

●現時点で言えるのは
・脳の機能について、遺伝の影響は大きい。
・生育環境が引き金になって反社会性が高まる可能性がある。

●今からは遺伝情報が当たり前のように取り扱われるようになっていくので、社会制度や法整備、遺伝に関するリテラシー向上をはかるべき。また虐待や劣悪な環境を避けることで反社会性の発現のいくらかは抑えられるという研究があるので、社会全体として施策を行っていくべき。

●サイコパスが人類を進化させた可能性。前人未到の地への探検、危険物の処理、スパイ、新しい食糧の確保、原因不明の病気の究明や大掛かりな手術、敵国との外交交渉など。

●「良心」とは「うしろめたさ」である説。マーサ・スタウトによれば、自然に湧いて出るうしろめたさや心の痛み、善悪や美醜の判断などを担う領域である内側前頭前皮質に良心が存在するのだという。

――内側前頭前皮質、以前にこのブログでは「自己観」と「規範の学習」を担う領域として登場した。善悪や美醜の判断も担うんだそうだ。そういうものも一体なのね。――。

●「サイコパスには良心がない」とは、彼らの内側前頭前皮質が機能不全を起こしているということ。


●倫理や道徳とは、人類が生きていくために後付けで出現したもの。それは脳の発達段階からもわかる。良心をつかさどる前頭前皮質と扁桃体のコネクティビティが他の部分に比べて遅れて発達するということは、進化の過程において絶対に必要な原始的な部位が完成した後に、いわば「建て増し」のような領域としてできた部位だと考えられる。

●サイコパスが生きやすい環境とは、たとえばブラジルのアマゾン南部の先住民族、ムンドゥルク族。男たちは雄弁、恐れ知らずの勇敢さ、戦闘に秀でていることが求められ、日ごろから「俺はこれだけ危険な男なんだ」と大風呂敷を広げてアピールしあう。その他良心の欠如、表面的な愛想の良さ、言葉の巧みさ、節操のなさ、長期的な人間関係の欠如という特徴がある。

●またブラジル北部からベネズエラ南部にかけて住むヤノマミ族は、争いが頻繁に起こる。男性の死因の30%がなんと暴力によるもの。25歳を超える男性の44%に殺人の経験がある。殺人をすることで集団内での地位が上がり、殺人を犯したほうが妻の数も子どもの数も多い。

●対照的なのが南アフリカのカラハリ砂漠の狩猟採集民、クン族。食糧に乏しく生存に困難な生活条件に置かれているため、共同で狩りに行き、成果は平等に分配される。ウソは厳しく禁じられ、一夫一婦制、子どもは一族で面倒をみる。

●男性にはアルギニン・バソプレッシンの受容体の遺伝子のタイプによって、生まれつき愛着を形成しやすい人と、しにくい人の2タイプがいる。後者では妻の不満度が高く、未婚率、離婚率が高い。

●日本は国土面積は全世界の0.25%しかないが、自然災害の被害総額では全世界の約15〜20%を占める。すると集団内での協力体制が強固でなければならない。夫婦はともにいて、子どもに対してもリソースを割くべき。こういう国ではサイコパスは育ちにくく生き残りにくいはず。


●韓国の新聞報道では「サイコパス」の語が頻出する。犯罪者や仮想敵を叩くためのレッテル貼り。伝統的な集団社会から、急速な経済成長で利己的で競争的な生き方が歓迎される社会へとがらっと変わった。頭では他人を出し抜くような生き方に適応しなくてはいけないと分かっていても、情動の部分ではそんな人間は許せないと感じてしまう。その軋轢が、過剰なまでのサイコパス呼ばわりと集団的なバッシングにつながった?

――おもしろい指摘。日本ではサイコパスバッシングというのはきかない。「承認欲求バッシング」がそれに当たるのだろうか……、特定の他人ではなく自分たちの中に普遍的にあるものをバッシングするというのがよくわからない(言っている人は、自分たちの中に普遍的にあるものだという自覚があるのかどうかもよくわからない)

 
●現代ではサイコパスはどう生きているか。口ばかりうまくて地道な仕事はできないタイプが多い。

――以前ブログ読者さんの指摘で、そんな人格の人が会社をひっかき回したお話が出てきたなー

●起業家として成功する勝ち組サイコパス。故アップルの創業者スティーブ・ジョブズはそう。ジョブズの周囲には「現実歪曲フィールド」が発生し、彼の話を聞くものは誰でもコロッと乗せられてしまう、と言われていた。

――なるほど、「驚異のプレゼン」はそうだったのね。

●”起業家のふりをしたサイコパス”(アメリカの産業心理学者ポール・バビアク)
1.変化に興奮をおぼえ、つねにスリルを求めるので、さまざまなことが次々起こる状況に惹かれる。
2.自由な社風になじみやすい。杓子定規なルールを重視せず、ラフでフラットな意思決定が許される状況を利用する。
3.リーダー職は他人を利用することが大得意なサイコパスにもってこい。スピードが速い業界や土地においては、メッキが剥がれる前に状況やポストが次々変わっていくことが幸いする。

●ママカーストのボス、ブラック企業経営者。

●サイコパスはとくに看護や福祉、カウンセリングなどの人を助ける職業に就いている愛情の細やかな人の良心をくすぐり、餌食にしていく。自己犠牲を美徳としている人ほどサイコパスに目をつけられやすい。

●サイコパスはネット上で「荒らし」行為をよくする。

●問題発言やわざと挑発的な言動をしてよく炎上し、しかしまったく懲りずに活動を続け、固定ファンを獲得しているブロガーにも、サイコパスが紛れ込んでいる確率は高いと考えれる。彼らは人々を煽って怒った様子を楽しみ、悪目立ちすることで快感を得る。

――なんか特定の人を連想したが、、、だからこの手の人について、「承認欲求がどうのこうの」という切り口を使うのは間違い。もともと脳の機能が普通ではなくて、ネットの存在で顕在化しただけなのだ。

●いうまでもなく、こうした人物の発言は、真に受けないことです。彼らの脳は、長期的なビジョンを持つことが困難なので、発言に責任を取ることができず、またそのつもりもなく、信じるだけバカを見ます。しばらく観察するとわかりますが、変節に呆れて旧来からのファンが離れた頃に、何も知らない人間が引き寄せられてまた騙され……の繰り返しです。

●オタサーの姫/サークルクラッシャー。後妻業の女。涙を流す女

――このあたりも特定の人をほうふつとさせる。

●サイコパスと信者の相補関係。人間の脳は、「信じるほうが気持ちいい」。人間の脳は自分で判断することが負担で、それを苦痛に感じる(認知的負荷)。また、自身の中で矛盾する認知を同時に抱えて不快感(葛藤)をおぼえると、その矛盾を解消しようと、都合のいい理屈をつくりだす(「認知的不協和」)。何かを信じたら、そのまま信じたことに従い、自分で意思決定しないほうが、脳に負担がかからずラクである。

●ネットでウソの検証手段が増え暴露装置である反面、ネットは同類の人間を即座に結びつけることができるツール。信者同士がすぐにつながり、クラスター化する。いったん信者たちから搾取できる宗教的な構造やファンコミュニティをつくってしまえば、崩壊することはまれ。

――これだなあ。わたしは過去にNPOで会員さんのコミュニティをつくろうと試みたが、わたしがやっているとどんなに頑張っても強固な信者組織はつくれないのがわかっていた。そのように働きかけることに気恥ずかしさがあった。「よそさん」と比べると脆弱だとわかっていた。

●サイコパスの診断法。ロバート・ヘアによる「PCL-R」。DSM-5による反社会性パーソナリティ障害の診断基準。心理学者ケヴィン・ダットンによるチェックリスト。

●サイコパスに治療法はあるか。1960〜70年代から治療不可能という研究が出ていた。これを受けてアメリカの刑事司法は厳罰化に傾くが、それも犯罪の抑止力にはならなかった。

●ある種の心理療法に限定すれば半分くらいのケースではサイコパスにも再犯抑止効果があった。集中的な1対1の治療を受けた群と通常の治療を受けた群では、その後2年間で後者の再犯率は前者の倍以上。

●サイコパス傾向の高い子どもの話を聞く、ほめる、毅然として叱るというやりかたを母親に訓練し実践させたところ、子どもたちがルールを無視するような傾向は減ったという報告(米サザンメソジスト大学のマクドナルドら)。

――これは行動療法プラス構造化ということではないのかな。

●サイコパスの多い職業トップ10。1.企業の最高経営責任者 2.弁護士 3.マスコミ、報道関係(テレビ/ラジオ) 4.セールスマン 5.外科医 6.ジャーナリスト 7.警官 8.聖職者 9.シェフ 10.公務員

●サイコパスの少ない職業トップ10。1.介護士 2.看護師 3.療法士 4.技術者、職人 5.美容師、スタイリスト 6.慈善活動家、ボランティア 7.教師 8.アーティスト 9.内科医 10.会計士

――知り合いにサイコパス的な人は少ないがそのわけがわかった。しかしわたしが親しくないだけで、研修講師にはサイコパスが多いかもしれない。魅力的なしゃべり手というのは。

●サイコパスは、100人に約1人という決して少なくない社会の成員。

●罰をおそれない人間からすれば、反社会的行為を抑制するために作られた社会制度やルールはほとんど無意味。別の手段によってサイコパスの犯罪を抑制・予防する方向へ発想を転換しなければならない。


――サイコパスとの共存。わたしにはほとんど想像すらできない。著者には想像できるのかな。

 ふだんあまり読まない著者だったがさすがに売れっ子、うまくまとめているなあ。

 ともあれ「顔の幅の広い男性」には、気をつけましょう。一番大きな収穫はそこかも。


こんな風にも思った。
「サイコパス」とはほど遠いドンくさいわたしが、仕事の世界を幸せにする手法を編み出しこの歳まで生きてきた。この人生、もうそれで十分ではないか。


 昨日の記事に登場されたFacebookのお友達にご挨拶したところ、また改めてお礼を言ってくださった。

「実は2011年(震災の年)前後から気に成って『咽喉に刺さった棘』の様な物が幾つかあったのですが、正田さんのブログでかなりの『棘』が洗い流された思いです。気持ちの上だけでなく、実際の普段の行動で、それが物凄く活きています。」

「お陰様で、集客数も増え、売り上げも上がり、従業員との関係も更に向上しています(笑)」


 ふと、ほっこり。


 世間でベストセラーがどんなことを言おうと「行動承認」の効果は揺るがない。人の性(さが)はそうそう変わらない。担い手の方々が信念をもっていればよいだけである。

 ただ、「承認欲求を否定せよ」のせいで、「私がやっているのは『承認』です」とは、言いづらくなっているかもしれないとは思う。それは、やはり普及を遅らせる。


 この手法が広まるのはまことに難しい。

 もう一昨年のことだが、公的経営支援機関主催の3回のセミナーに足を運んでくださった、40歳前後の地域の女性の獣医さんがいた。

 獣医さんが途中で質問された:

「ここできくお話はよそでまったくきいたことがないと思うんですけれど、私がおかしいのでしょうか」

「おかしくはないですよ。よそではあまり言っていないと思います、こういうことは」

 ちょうど共同で講師を務めた松本茂樹さん(関西国際大学経営学科長)が、銀行支店長を辞められた後、大学教員として「行動承認」をベースとしたさまざまな取り組みをされた結果、ゼミは大活況でその大学では考えられないような有名企業に多数合格し、成績優秀で学費ゼロの特待生も輩出した、という、夢のようなお話をしていたときである。

 法螺話のようなことが本当に起こってしまうのが「行動承認」の世界。

 それでも、その世界を外に広げるのはまことに難しい。
 この女性獣医さんは

「獣医のあいだではまったく知られていないお話です。獣医業界は、人手不足でスタッフ募集にどこも苦しんでいます。離職率も高いです。ほかの獣医に知ってほしい」

と言われた。きいてみると今時そんなところがあるの?というような、誠に非人道的な、スタッフに対して人を人とも思わないようなところが多いらしい。だから定着しない。

 女性獣医さんはその方の参加している獣医同士の勉強会に私を講師として招くことを提案してくださったのだが、他の獣医から賛同が得られず、実現しなかった。

 これほどまでに凄い変化を起こす手法がある、ということはむしろ信じてもらいにくいのだ。

「私が若輩者だからみなさんを説得できなくて。ごめんなさい」

 獣医さんはしきりに謝ってくださった。それもそうだろう。

「あんた、騙されてるんちゃうか」

一蹴されるのが目に見えるようだった。1つ前の記事のように「わかっている人」の言い分が通るのはむしろ珍しいことなのだ。


 そんな風にして良いことが広まるのは遅い。昨今の風潮で新聞や雑誌も良いことはおもしろくないから取り上げない。仮説の段階なら「おもしろい」と思ってもらっても、完成された手法というのはおもしろくない。


 『行動承認』は今もAmazonレビュー欄で嫌がらせをされているが、心底思う、嫌がらせなどやめてほしい。気の遠くなるような長いこと誠実な努力をしてきて、ずばぬけて聡明な受講生さんや読者の方々の日々のご努力があってやっと1冊の本が作れたのに、くだらない悪意で足を引っ張られるのは本当にやりきれない。
 

 やはり、わたしの”生前”はこの手法が広まるのをみるのは無理なのかな。


 Facebookのお友達の1人が、最近「正田さんのお蔭ですよ。」と言ってくださった。

 何のことかと思ったら、お友達は以前から自身が役員を務める同業者団体の中のある”造反”のことで悩んでいた。最近、その同業者団体の総会があった。”造反分子”の不規則発言が予測された。

 お友達は執行部に策を授け、

「相手が何を言ってきても『承認』しなさい」。

 執行部はその通りした。果たして、”造反分子”は総会で執行部への不満を言ってきたのだけれど、執行部がそれを全部「承認」してあげると――具体的に何と言って「承認」したのかは知らない――発言者は肩透かしをくったのか、それ以上の追及をしなかった。結果、総会は事なきを得たのだそうだ。


 「いやあ、正田さんのお蔭ですよ」

 お友達は繰り返してくれるが、はっきり言ってこのケース、お友達のほうが偉い。だって執行部に自分の意見を通すだけの説得力があり、危機一髪のときに「承認」を使わせたのだから。

 わたしの受講生さんがこれまでやってきたことはそうだった。わたし自身は何の力もないただの女性なのだが、受講生さんたちがやることは本当に凄い。彼らは40-50代になってその世界できちんと地歩を固め、信用を築き、それに「承認」が付随するととてつもなく大きなことをやる。法螺を吹いているわけではなく、そうなのだ。この世代の人達は。

 だから、『行動承認』がエピソード中心の本になった理由もおわかりいただけるだろうか。「承認」の理論などくどくど説明している暇も惜しい。一見小さなものが、ふさわしい担い手と出会うととんでもなく大きなものになるのだ。その現実世界を動かす凄さといったら。

 おもしろいことにこのお友達は『行動承認』をまだ読んでいなかった。研修の受講生さんでもない。それでも、Facebook上のお付き合いを通じて、自然と「承認」を理解してくださっていた。


 また、こういう(これもほんの一例である)奇跡があちこちで起きるから、私は「承認」を「ほめる」とは言い換えたくない。「ほめる」と言っていてはできない、とんでもない大きなことが、「承認/認める」ではできるから。

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 「アドラー心理学批判」では、ある有名人の精神科医の先生のインタビューが延期になった。「『嫌われる勇気』をまだ読み終わっていないから」というのが理由だった。「数日中には読み終わり、インタビューを再セッティングする」とのこと。

 わたしなどは『嫌われる勇気』を最初Kindle本で買って少し読んだ後放り投げてしまって、最後まで読み通したのはごく最近のことだ。

 この有名人の先生がインタビューを引き受けると言った時、「その本をまだ読んでいないから、読む。自分で取り寄せる」と言われた。もう1か月前のこと。
 しかし、「本を読んでからインタビューを受ける」「最後まで読む」という姿勢は、潔い。


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