そういえば、屋号の「シェルパ」という名前がなんでついてるのか、お話したことはありませんでした。

一般には、きかれたら

「山が好きだから」
「学生時代、チベットに行っていたから」

と答えていて、どちらもうそではありません。

実は、後者の「チベット」には、ちょこっと思い入れがあります。


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また、長い話になってしまいそうです。

1988年3月初めのこと。

中国留学のせいで大学を2年ダブって24歳でやっと卒業となった正田は、
卒業旅行で、チベット・ラサに来ていました。

そして、目の前で暴動が起こりました。春の祭りで、ラサの中心地・「大昭寺(ジョカン)」に周辺一体のお坊さん(ラマ僧)と人々が集まり、祈祷をしているさなかでした。

すこし時間を戻すと、
もともとこの年は1月にいちど小さい暴動が起こっており、3月の祭りのときには緊張が高まっているからと、チベットへの玄関口である四川省成都からの空路は外国人禁制でした。

それを知りつつも、卒業旅行にはどうしてもチベットに行きたいと2月末に成都入りしてしまった正田。

なにせ、1月に卒論を書き上げてからは、旅行費を稼ぐためにずうっと銀座の調査会社でバイトしていて、
「チベットに行きたいんですう」
と言っては、変わり者扱いされていた女子大生だったのでした。

自分では、香港の安宿でほかの旅行者と情報交換しては、チベット経験者の話をうらやましがってため息をついていたので、
「卒業旅行は、チベット」。
ぜんぜん違和感がなかったのですが。

閑話休題、
強引に成都に飛んでも、外国人にはラサ行きの航空券を売ってくれまへん。

でどうしたかというと・・、
もう時効だと思いますが、
現地のブローカーみたいな人に頼んで、
中国人の身分証をつくってもらいました。
正田はその前に中国・広州市に留学していて、広東語なまりの北京語をしゃべったので、本籍広東省ということにしてもらいました。

顔立ちは、全然ちがうんですけどね。よく
「北方系の顔だ」
と、いわれていました。そういうのは大概北方人で、褒め言葉だったようです。

そして、解放軍の帽子をかぶり、解放軍の大きな外套を着て、ラサ空港に降り立ちました。
・・本当の広東籍の中国人はそんなダサいかっこしません。単なる趣味です。

今度もそうとう長くなりそうですが、お許しくださいませm(__)m



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