「おかあさん。おかあさんって、自由だね」

病院の待合室で、小4の息子がいいます。

「自由?なんで?」

毎日家族のために朝からがんじがらめ、
今日もしたくもないのに子どもを病院に連れてきてるし、
自分ではお世辞にも自由だとは思えません。



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「うん、なんでも自分で決めて行動しててさ、いいなと思うよ」

「ふーん。そう見えるんかな。ありがと」

以前、自分は自由をあきらめてるな、と気づいたことが
ありました。セミナーで繰り返し自分を深掘りする中で。

正田の同業者は、独身か、結婚しても子どもがいない人が
圧倒的に多いのです。
彼ら彼女らは、驚くべき行動力で、海外に留学したり、
土日をすべてセミナーの類に充てたりします。
勉強する機会の面では、子持ちの正田は圧倒的不利なのです。

そんなことから、自分は「自由」ではないなあ、
でも家族を選んでいる、
責任を引受けるのはそれが「愛」だからだ、
と納得してきたのでした。

息子のいうような切り口の「自由」というのがあるのだな、
と今回思いました。


この話の後、

「おかあさん、おかあさんってスタイルいいね。だって背が高くって」

「おかあさん、美人だね」

と続いたので、
なんか下心があるんだろー、はいジュース代、となりました。



身近なトラブルの件は、結局堪忍袋の緒が切れて
上級機関に電話して話しました。

もう、「ものわかりのいい人」をやるのはやめよう、
と思いました。




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