またこのテーマに戻ってきました。
いろんな角度からク○○○を論じてみるのだ。
だって、面白いもんね。


正田はジャーナリズム出身なので、
コーチングの業界の中では人間性尊重をしつつも、
けっこう批判精神ももちあわせているほうだと思います。

よくいえば是々非々、
わるくいえばちょっと冷たい。
さて、同じ「批判」という言葉をつかっていても、
ク○○○と正田は違うこと考えてるし、
同じ1つのテーマについても全然違う方向から考える。


正田流だと、批判精神も持ってはいるが、
それ以前に
「何が事実か」
という事実認識のトレーニングを記者なもんで受けているので、
事実だと確認されたことについては、疑わない。

それを前提に思考も議論も積み上げていく。

共通認識を積み上げていくためには、
「何が事実か」
を確かめるための手続きをきっちりやり、
その手続きをコミュニティで共有しておくのがいいと考える。

ジャーナリズムだと、
2人以上の人が証言したことについては事実だとか
だからできる限り裏をとれとか、
現行犯逮捕なら証人が1人でも事実だとか
いろいろあるわけ。

事実と確認されたことは、疑わないし
「前提にしてよい」。

ク○○○の教え方をみていると、
「前提を疑え」
ばっかり教えて、
「何を前提としてよいか」
という、OKを出していい部分については全然やらないから、
あれでは現実問題に全然対処できないと思う。
議論が先にすすまないじゃんよ。

だからク○○○教徒は仕事できないんだわ。
(失礼)

正田は、シンプルかどうかわからないけど
「ファクトは何か」
というのをきちっと押えさえすれば、
あとは個々人の好みで好き勝手に解釈しても
いいと思ってる。

変だ、と思ったらファクトのところに
立ち戻ればいいんだからさ。



あと、正しい事実認識に立ってさえいれば、
個人が信念をもつことは大いに結構なことだと
思ってる。

自分はこれは譲りたくない、とかこれだけはやってから死にたい、っていうのがあってもいいじゃない。
ク○○○なんかなまじ学ぶとそういうのを持つのが恥ずかしいことだみたいに思うみたいだよね。なんか「客観的」ってとこに逃げ込もうとするよね。

事実認識もきちんとできない人が客観的なんて自慢するんじゃないよ、と正田は思う。そういう人、ほんと多いんだ。


実は、丁寧に事実認識をやっていくと、世間でえらい人と思われてる人と同じ認識になっちゃうことも多い。
彼らは一見飛躍した発言をしてカリスマ、ワンマンみたいだけど意外とちゃんと事実認識をやったうえで飛躍してるんだ、ということもわかってくる。

それで正田は記者出身のくせに結果的に「えらい人」の肩をもつようになるのである。決して本当は体制派キャラではないんだよ。

ク○○○の教材で経済評論家の”変な”発言を引いて「おかしなところを述べよ」とか指示してたけど、正田がおおまじめに中小企業白書とかを調べたら、割合(最初の印象よりずっと)正確なデータに基づいて発言していることがわかった。

まじめにやればやるほどク○○○のほうが変なのだ。



そういえばク○○○に限らず、
「学校G」の教材とか教え方は
「ファクトは何か」
ということについて無頓着ですね。
ファクトを調べれば調べるほど、先生の言うことと違う結論が出てくることが多い。

本当は、べつに正田が記者出身だからファクトを重視してるだけでもなく、
現実の経営だってファクトを重視して、
エビデンス・ベースドでやるのが正しいんちゃうの?

先生に気に入られようと思ったら、
「ファクトに関心のない学生」
を装わなければならない。
・・て、やらないよ、正田はそんなの。


今日は暑いせいか文体がおちゃらけている。



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