きのうの「学校G」との対話は、1つ前のブログに書いたのはかなりの省略版。
正田はものすごい大量の要望を出していた。

訥弁だった正田も、「G」さんのおかげでずいぶん早口になったのだ。

先方はメモはしきりと取っていたが、まだ、「約束メール」は来ない。

そんなわけでこちら側で、きのう出した要望事項をできる限り思い出してまとめておこうと思う。
(1)ML上のマナー喚起について

私「講師から『この設問についてMLで議論せよ』と指示が出たが、ML上のマナーについての言及がなかった。受講生さんがたはク○○○を並行して受講しており、事前に注意しなかったらML上で議論の衝突が起こりやすい。MLで書いたものを人に曲解されたりすると、私自身非常に気分が悪く、仕事にも影響が出た。講師の発言によると毎年同じ設問で激しい議論になるという。受講生にバトルロワイヤルを奨励しているのか」

G「なるほど、わかりました(本当にわかったんだろうか?)」

私「トラブルが起きたあとの講師の発言では、『頭を遣う。気を遣わない』と、ク○○○でのお題目が引用され、『許しあう』ということも言っていた。これでは、攻撃しあい、傷つけあいオッケーですよ、と言っているようなもの。人間性尊重はどうなっているのか。できる限り他人の書いたものをきちんと読むのが礼儀なのではないか」

G「なるほど」


(2)経営についての偏った視点

私「講師はコンサルタント、元人事担当者、研修講師などだが、その立場からみた経営のことしか話していない気がする。本当にいい経営をする経営者がどんな仕事をしているか、わかっていないし、伝えられない。

『組織変更は経営陣からのメッセージ』とクラスで言われ、そのあとの受講生さんがたの発言でもそのフレーズを真に受けているようだったが、それでは何か問題があったらすぐ組織変更をするようになってしまう。メッセージは本来言葉で伝えるのが正しいのではないか?いい経営者は意図的に言葉を発している」

G「その講師は、コンサルタントになったのはここ数ヶ月で、それ以前は大企業の人事を歴任していた。」(←どうでもよい論点)

私「貴校はマーケティングの教室から出発され、ハーバードでもマーケティングが経営戦略を決める、という見方が強いようで、クラス名もそうなっているが、実際にはそうでない事例もたくさんある。フレームワークを教えると同時に、『この理論に当てはまらないがすぐれた戦略の事例もたくさんある』ということも教えていかないと、受講生さんが会社の経営をばかにしてしまうのではないか。

実際、いろんな企業さんをみていると、とくに研修に触れやすい研修担当者の人などに、『自社の戦略が間違っている』と批判する人をみるが、『冗談じゃない、あなたの会社の経営者さんはすごいことをやっていますよ』と言いたくなることがある。教え方が不用意だと社内の不協和音を起こすのではないか」

G「なるほど」



(3)ク○○○と現実認識

私「ブログにも書いたが、ク○○○より事実をきちっとおさえることの方が、大変だし大事。

ジャーナリストの財部誠一さんが紹介していた話だが、ローソンの新浪社長が去年あたり、24時間営業を一部放棄するという決断をした。何故コンビニの根源をゆるがすような決断をしたかというと、10年のフランチャイズ契約が切れると更新しないフランチャイジーが続出し、聞き取りをすると体力が続かないからというので、より体力的に楽な業態に転換したら、成功した。経営者の現実認識が大事という事例として紹介されていた」

(ちなみにこの話の新浪社長はハーバードMBA取得者。ハーバードの人でも必ずしもク○○○で思考するわけではないという事例だ。ク○○○は新しいからね)


G「事実認識が大変だし大事だというのはそのとおりで、当大学院でも2年次になると受講生さんにフィールドワーク、インタビューに行ってもらうことをする」

私「入学してすぐク○○○を履修させるのはク○○○重視の表れと受け取れるし、1年次で既に疲れ果ててしまう」

G「ク○○○をOSから下ろすことはできない」


(4)ファクトを重視しない

私「ケーススタディーを読むだけでは見えてこない事実が、調べると見つかり、話の筋道が逆転してしまうことがある。戦略が決まって走り出すのとビジネスモデル形成と時間軸が逆だったりする。ファクトに興味を持たないで学ぶというのは大変なフラストレーションになる」

G「ケーススタディーで学ぶ方法は当学の学長がアメリカでいいと思って持ち帰った方法。あくまでケースの中の事実だけで考えるという約束事になっている」

私「現実の経営の中の思考法とはまったく違う。それがいいと思ってやっているのであれば、そういう約束事だということをきちっと伝えてほしい」

G「検索OKということになると人によって、たくさん検索できた人とそうでない人、差がついてしまうので・・」

私「ケーススタディー以外の追加課題について、途中で遣われる語彙の背景などについて(私は)調べて長いメールを書いた。知識を持たずに印象論だけで議論するのはこわいことなのではないか」

G「おっしゃるとおりですね」


(5)講師のミスリーディング

私「講師によっては、設問の出し方が明らかにアメリカ寄りで、講師に気に入られようとすると『日本企業は、アメリカ型経営を導入しなければならない』と回答しなければならない。この議論を何かに流用されないかと心配になった。問題はないのか」

G「ああ、そうですか」


(6)ク○○○の教え方

私「ク○○○は本当に体系として教えるべきなのか。重要なのは個別の要素だけなのではないか。『イシューを特定する』ということは大事だと思ったが、同じことを教えるにも、われわれコーチングだったら、『強化学習』と言って、事前にルールをきちっと説明し、受講生さんに成功体験を積ませるやり方をとる。そのほうがよく身につく、オーソドックスなやり方だ。失敗体験を積ませるのは人が悪いし、学習効率も悪い。学習効率が高ければ、あんなに追加課題は要らないのではないか。ク○○○だけやたらと追加課題が多い」

G「2回目のクラスの『解釈』というところはどうですか」

私「あの内容は別にいいですが、1回目と2回目のクラスは明らかに方向性がまったく逆のことを教えている。講師はそのことを2回目クラスの途中で言ったが、あれぐらい逆方向のことを教えるのであれば、事前にそのむね受講生に伝えるべき。教材の中の課題のやり方を説明したページも、説明不足。ああいう混乱させるやり方はよくない。あれは学びじゃなくて何か別のもの。私は真剣についていく気がしなくなった。

1回目のクラスの中で、私は『この部分はリスク情報だ』と発言したが、講師は『それはあなたの思い込みでしょう』『あなたの前提でしょう』と、なかなか受付けなかった。一方、同じケースの別のくだりでは、『先日研修に行った企業では、受講生さんがこの部分についてこんなことを言った』と話していたので、相手によって話をきいたり、きかなかったりするんだな、と思った。

複数の受講生さんから、『自分もク○○○でいやな思いをしたが、人からク○○○は他人に向けて使うんじゃありませんよ、と言われた。そういう人に出会えて自分はよかった』と個人メールをいただいている。一方講師は『学んだそばから使いなさい』と奨励する。まったく逆のことを言っている。受講生さんの間で『他人に向けて使うな』と裏で申し送りのある研修が、効果のある研修といえるのか」



G「ク○○○については、当然いろんな批判がありますし、まだ定まったものがなくて教材もくるくる変えていますから・・」

(じゃなんで看板商品みたいに堂々と売れるのか?実はこの人は「G」のスクール責任者でク○○○の講師でもある。単に思考停止しているだけなのでは)


(7)受講生さんの態度

私「入学当時と今と比べると、受講生さんの発言や行動がどんどん依存的になっていると感じる。

『G』の入学前の説明では、起業家や新規事業を立ち上げる人を育てたいのかな、というイメージだったが、入学してみると教育内容も受講生さんのキャリアプランもかなり違うような印象だ。

ほんとうに起業するような人だったら、あるいは自分の会社でいい仕事をするような人だったら、先生の言うことを1から10まできいたりしない。しかし、残念ながら先生の顔色ばかりみているような人が多い。私はコーチングで人間の芯をつくるような仕事をしているから、経営者さんでもマネージャーさんでも芯のしっかりした人と出会う。その人達と比べてずいぶん芯が弱いな、これで起業できるのかな、という印象を受ける」

G「私達としても本当は自分の会社でがんばっていただきたいと思ってるんです。じゃあ、どうしたらいいんですか」(自分で考えてよ)

私「受講生さんに、先生と違うことを言ってもいいんだ、というメッセージを出したらどうですか」

G「・・・」(いやそうだった)


(8)コーチングへの軽視、攻撃

私「決してコーチングについて宣伝などする気もなかったのに、受講生さんからあることないこと言われてからまれたりする。私自身がそういうやりとりでどれだけ疲れているか、考えてみてほしい。

『G』さんでコーチングを知らない、採用しないのはご自由だが、コーチングに対してもっと敬意をもっていただけないか。講師の発言の端々にも、よく知らないのに見下したものを感じる。受講生さんもそれを敏感に感じ取っていると思う」

G「実際には東京校にはコーチングの研修を受けた講師もいるし、プロコーチを雇っている講師もいる。当校としてコーチングを軽視しているわけではない」

私「受講生さんにそれは伝わっていない。私の学習環境の安全は依然として保証されていない」

G「コーチングに対してというより、講師の言葉の端々に人間性への尊重や敬意がない、ということではないか。それは内部で話して今後起こらないようにする」
(全体のソリューションとしてわるくはないが私に対する解決にはなっていない。何回かこういう堂々めぐりになり、「コーチングに敬意を払う」ことをいやがっているように受け取れた)

私「『G』さんは私に対して何を約束してくれるのか。文書化してメールいただきたい」

G「わかりました」



なお、このやりとりの途中には、事務局より
「正田さん、学費を全額ご返還して必要なクラスだけ単科受講していただくという道もありますが、どうですか」
という発言もあった。
即答で、
「いや、どういうことを教えているのか、行けるところまで見届けます」
と答えた。


あとで事務局のこの発言を夫に話すと、
「それは
『文句があるなら金返せばいいんでしょ』
と言ってるのといっしょやなあ。
全然、受講生さんと一緒につくっていこうという姿勢がないやないか。
お前もうやめていいぞ、その学校」

とあきれられた。

たしかに、
品質の不確かなものを教え、学生を評価し、学生の議論をあおり、そのくせ少し高度な発言を歓迎しない・・
と、やっていることはめちゃくちゃなのだ。
しかも、一連のやりとりからは、
「学校」のきわめて「内向き」な姿勢がみえた。
講師を身内と考えてかばい、受講生に対して方針の転換を伝えるとかこれまでの非を認めるとかをしたがらない。

以前、正田が関わった子ども向けの「学校L」も、
中に入ってみると保護者からのクレームを小ばかにし、
「また来たよ、あの母親」
というノリで対応していて愕然とした。

学校は、そういうところなのだ。一般企業とはちがうのだ。


それと、
「ハーバード流の挙手させ発言させるスタイルのクラス」
を運営するには、やはり講師の力量がそうとう高くないと無理だな、
ということも感じた。
無意識に自分の都合のよい発言ばかり奨励するようになるので、
学生は講師の顔色をうかがうようになる。

本当の意味で、「ファシリテーション型クラス」を運営することのできる人はそうそういないんじゃないだろうか。

これなら、一方通行の講義のクラスのほうがまだましかもしれない。「思想統一」されずにすむから。





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