1週間ぶりに小5の息子イツキが帰ってきた。

当初の予定より1日早かった。
いきなり新幹線に乗ったらしい連絡が入り、慌てて息子に持たせた携帯に電話し、到着時間を確認して新大阪まで迎えに入った。コミュニケーションぐちゃぐちゃ。

息子はおばあちゃんちでかなりのことを学んだようである。

「あの人たち、ひどいこと言うね。ユリちゃん(いとこの名前、仮名)に『あんたは肥ってるから』とか言うねん」
「あの人たち、オレの意志ぜんぜんきかへんね。オレがこっちって行ってもあっちって言うね」
「あの人たち、全然人を褒めへんね」
新大阪駅で一緒にラーメン食べながら、

「そうか、あんたにもわかったか。今だから言うけどお母さん、あの家からなんども家出してんねん」
「うん、それわかるわ。お母さんがまともで、お父さんと結婚してくれて良かった」


うちの実家の母は中学の英語の教師だった。
特別世間からみてわるい人ではなかったと思うけど、

こどもの立場からみてどんな人だったかというと、

気まぐれで恣意的で、しょっちゅう人を傷つけるような言葉を言い、他人の意志を通すことを嫌い、自分の意志ばかり通した。めったに人を褒めず、たまに褒められてもふだんが信賞必罰ではないので、かえって気まぐれが薄気味わるかった。揺り戻しが怖い、というか。

気まぐれが恐ろしいというのは、時々(とくに親戚の前では)自分は善意にあふれていて子どもにありったけの良いことをしたいと思っている、というかんじのことを言い、そのときは自分でも本当にそう信じているふしがある。しかし、それを真に受けていると、約束は大抵履行されないので、かえって不幸に突き落とされる。

約束違反をとがめられると躍起となって「できなかった理由」を並べ立てた。


軸のないリーダーのもとではメンバーは常に不安でびくびくしている。そういうある種のリーダーの典型だった。


学校の先生はそんな人でもいいのだ、きっと。


決して虐待されて育ったというわけではないが、そばでお付き合いするとやたらと疲れる。なので、正田はめったに実家によりつかない。


正田のダーリンは人格者なので実家の父母を上手にいなして面白がっているが、他方「アンタ、よくまともに育ったなあ」
と、息子と同じようなことを言う。


今回は息子がそんな実家に親善大使として行ってくれたわけである。

彼からみて、今のわが家が相対的に、

「人を褒めて、ひどいことを言わなくて、子どもの意志を通す」

家にみえているようなのは幸いである。



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