「人の心って、まあるい風船みたいなものだよね」

「学校のクラスの友達同士って、風船と風船がぎゅうぎゅう押し合いをしてるんだよね」


小学生のころ、そんなことを思っていました。

・・ブログ読者のみなさまは、思ったことありませんか?



うれしい時、元気いっぱいの時、

心の風船はプワーッとふくらむんだけれど、

それはいつもほかの人の心の風船にぶつかって、
ひしゃげたり押し戻されたり、

きれいな球の形にはなりません。

人間社会で生きている限り。集団の中にいる限り。

あくまで正田てきなものの考えかたでは、


人が集団に属するというのは、自分という風船があるていどひしゃげて形が変わるのを受け入れる、と最初に決めないといけなくて、


それと引き換えに学歴とか身分とか安定した収入とかをもらえるのです。


「最初に自分が決めた」

という感覚は、そこで大事になります。


正田が主婦とかおかあさんをやっているのは、

自分が少々ひしゃげた風船になって、いくつかのものを我慢しても、

愛する人と一緒に暮らして子どもが育つのをみているほうが楽しい、

と思ったからです。



一方で、

風船はあまりぎゅうぎゅう極端につぶれた形になるのも好ましくなく、

できれば球に近い形で集団に属していられると、

その人は機嫌よく暮らして、よい成績も比較的高い確率で収められるのかな、

と思います。



はたらく人の自己実現がだいじだ、といわれます。

でも、あくまで正田のイメージですが、

複数の人がひしめきあっている中では、
自己実現は「相対的」なものでしかありません。


だれかが思い切り極限まで自分の風船をふくらませていると、

ほかのだれか ― ひょっとしたら数人、数十人のだれか ― が、ひしゃげた形になったり、最悪、割れたりするのです。


ある人の自己実現はだれかほかの人の犠牲の上にある、のかもしれません。

そして、組織ではリーダーが、自分の自己実現に歯止めをかけないでいると、影響を与える相手は多数の人になります。


正田がねがうのは、お会いするリーダーの方々が、「自分の自己実現に歯止めをかける」ことにできるだけ被害感情をもたず、自分がいっそう大人になったあかし、と成長を喜んでいただけたらいいなあ、ということです。


と、ひとつ前のブログから発展して考えたことでした。


森川コーチの空気に曝露していたおかげで頭のはたらきが良くなったのか、いろんなことを考えます。