「はたらく」ということに関して、文藝春秋と中央公論で特集。

(なぜか、漢字の「働く」ではなく、ひらがなで「はたらく」と書きたい気分なのでした)


前者は経済学者の岩井克人氏の談話、後者は元富士通の城繁幸氏とパラサイト論の山田昌弘氏の対談です。


岩井氏は


「差異性は連続して生み出さなければならないのです。そのためには、優秀な人材をサポートし、さらにはそのアイデアや能力を継承していく組織、チーム作りが大事になってきます」

・・『会社はだれのものか』と同じようなことをおっしゃっています。


城氏は

「団塊ジュニア以下の世代は、・・生涯年収は団塊世代の5〜6割くらいになる」

と、怖いことをおっしゃいます。
格差社会であり、正社員の中でも二極化していくというのは、岩井氏も城氏も山田氏も一致した意見で、


じゃあ、どうすればいいかというと

「会社を、自分のキャリアをデザインする場と考えて行動できる人が新しい『ホワイトカラー』になると思います」(城氏)

「1つのレールにこだわるのではなくて、いつも新しいレールを探すくらいの気持ちでいたほうがいいのだと思いますね」(山田氏)


だって。


すこーし、揚げ足取り気味のことをいうと
(さいきん私は揚げ足取りが多いかもしれない)
大企業の人事部出身の城氏は、
「キャリア」
という言葉をフツーに使いはります。

ところが、正田はこの「キャリア」という言葉があんまりすきではないのでした。


自分がフラフラ流されて生きている人間なものだから、

「自分が自分の人生をデザインする!」

みたいな強い意志めいたものに抵抗を感じるのかもしれません。


人がみるとあんたどこが違うのさ、と思われるかもしれませんが、

正田はみためよりも「世のため」「人のため」で行動してしまって、

「自分」

は、おるすになるほうです。
・・あくまで自己評価。



『反経営学の経営』(東洋経済新報社)。

先週届いて、しばらくソファの上に置いてありました。

おいしいたべものを楽しみにとっておくように。


ちょっと刺激的なタイトルのこの本が言っていることは、

ほかの本でも手を変え品を変え言っていることだけれど、

「日本型経営」の復活のすすめ。
前出の岩井先生と大いに近く、組織論の太田肇先生ともちょっと近い気がします。ちなみに「お金より名誉のモチベーション論」と同じ出版社。確信犯かな。

従来の「終身雇用、年功序列、企業内組合」にとらわれない、

この本で言う「日本型経営」の特徴を抽出すると、

・働く人たちが仕事と人生を重ね合わせて生きている
・カネ中心のアメリカ式経営学に対して人間に基軸を置く
・長期的視野に立った経営
・個を集団の力へと統合する経営
・作り手と使い手が一体であり、対話し心を通わせ高まりあう
・利他・謙虚・他力
・・・

とてーも、正田のような頭のつくりの人には「すっ」となじむ考えかたです。

(思えば、去年春に某有名経営大学院に入学して1ヶ月半で自主退学してから、

「MBAが会社を滅ぼす」

とか、この傾向の本を好んで読んできたよね〜。)


ほかの人に押し付けようとは思わないけれど、正田自身は大切にしていきたいです、こういうの。

お客様、すなわちサービスのユーザ様のためを誠心誠意、日夜考える。自分自身がそういう姿勢でいるところを見せていたら、いつか同じ気持ちの人に出会えると思う。


この本の論旨からは外れるけど、
CSが先かESが先か、という議論もありましたが、
会社のトイレをきれいにするのも正しいんだけど、
お客様のためお客様のため・・と偏執狂的に考えつづける、
その目線を共有する人で集団をつくる、
そこに自然に人間性尊重やESがついてくる、
そういう順序のほうが、私には納得感があります。
それは正田が職人だからかもしれません。

(もちろん、いくらお客様のためだからと言って
人件費を抑えすぎると、人の定着が悪くなったり仕事の質が落ちたりして
お客様に迷惑がかかるわけで、もちろん心の満足度もそうだし
けっきょくCSとESは車の両輪なわけですが。
あ、言い訳がましくなってきた)

できあがってる会社にあとから来て企業改革する人だと、またちがうのかもしれません。


今急に思ったけど、こういう文脈の中には「キャリア」っていう考え方は、入りにくいんじゃないでしょうか。