元・ホテルトアロード総支配人の永末春美さんとお食事。

「元」がつくのは、ホテル売却に伴って2月28日に退職されたからで、この日はちょっとふっくらしたお顔で現れました。

ちょうど、北野ホテル支配人になることが決定されたばかりで、「それブログに書いていいですか」とおききしたらOKしていただきました。


永末さんの馴染みの(私は三宮・元町にははっきり言ってうといです)フレンチ-イタリアンのお店に行くと、お店の人が

「永末さん、どうしてるの」

と声をかけてきて、

「ええ、こんど北野ホテルへ」

とやりとりしてはります。
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全国でも、「女性のホテル支配人」は珍しく、永末さんのほかにはハイアットの人がいるぐらいだとか。
神戸の独特の空気(どんなんや)の中で、永末さんはひときわ異彩をはなっています。



いろいろお話したなかで、

「いちどおききしたかったんですけど〜」

と私。

「永末さんて、大学は保育科だったじゃないですか。それはマネージャーとしての永末さんにどんな影響があったんですか」


うーん、ちょっと考えて永末さんはいいました。

(↑考えて話すといっても私のように沈黙が一拍、二拍とつづくことはないです。ほとんどの場合は、話題がとんでもぱっぱっと反応されます)


「実習であっちこっち幼稚園とか保育園に行ったことは財産になりましたね。すごい問題児ばかりの保育園とか、神戸の山手の幼稚園ではお母様が先生にシャネルのバッグお歳暮に贈ったとか、話題になってましたし。

そんななか、ある保育園でのことです。私たち実習の先生は子どもにすごくなつかれるんですけど、ジャングルジムに登っていた子が、『先生、うけとめてー』って、ばっと飛び込んできたんです。

それを受けとめて一緒にこけたんです。

そのときですね。『あ、命を預かる仕事なんだ』と思ったのは。それまでそんなこと思ったこともなかったのに。


『命を預かる仕事なんて、私にはする資格ない』

そう思って、保育の仕事に結局就職しなかったんですけど」


・・・

最初の質問とはちょっと違う話ではありますが、

師範学校に行って教育実習までして、「子どもたちはかわいいけど先生方がくらいから教師なんかつまらん」と言って退学してしまって、

そのあと会社を興して大経営者になった人がいるなあ、と思ってその話をしました。


「自分には人を教える資格なんかない」

とか言ってる人が本当はすごくいい先生だ、という事例はほかにもいろいろあります。



今だからばらしてもいいと思うけど永末春美さんは、去年の「コーチング関西」の楽屋裏で泣いていたのでした。泣かした人、正田。


「他のホテルからのオファーも実はいろいろあるんです。でも厳しい環境の中、頑張ってくれてるスタッフのことを思うと」

何かの拍子にそんな話になって、
正田たのまれもしないのに腕組みをして、

「・・私は神戸で5年この仕事をしてきまして、いろいろ経営者団体にも入りましたし女性経営者倶楽部にもいましたし、、

でも永末さんの頑張り方って、これまでの神戸の女性経営者とはちょっと違いますね。異質っていうかこれまでの文脈じゃないっていうか。

だから、この永末さんがある日ぽーんと神戸から飛び出してしまうことになっても、私はあんまり驚かないです。それは惜しいですけど。

永末さんのいいように決断してください。」

そういったらぼろぼろ泣いてしまわれて。パネリスト泣かしてどうするんだ。


でも結局ご近所に決められたんですね、永末さん。


「神戸は観光で仙台、広島に抜かれたんですよ。それだけよそは観光に力を入れてるんです。神戸にいると、神戸ブランドはすごい、って思うけれど」

帰り道そんな話になって、

がんばりましょう。まためしくいましょう。やれやれ。