「電車坊や」って、いますよね。

新聞の読書欄に東大の准教授のかたが面白いことを書いていて、

その先生のまだ5歳のお子さんの観察にもとづいてるんですが、

大まかに次のような話でした。


「電車が好きな子がいる。

秩序だったものが好きで、種類やデータの分類に余念がない。

こういう子は感受性豊かでやさしい子なので、『おとぎ話』を逆に好まない。

物語は、起伏があり、冒険があり、恐怖があるからだ。

トーマスが横転した、というだけで涙を浮かべるような子には、

物語はホラー映画並みの怖さなのだ」

そうか〜、「極端なこわがり」だったのか。

最近遭遇した「感動できない人びと」について、

なんであの人らは感動でけへんのかな

(ついでに現場に行けゆうても行かへんね)

と「理解不能モード」だった私。


ちなみにうちの子は男の子も含め、みんな物語りずきだったので、

「こわがり」にはある程度生得的なものがあるかもしれません。


では、「こわがり」に生れついた人びとには打つ手はないのかというと、

この先生のお子さんについては、あるとき奥様が、


「これ、お母さんが小さいときとっても大好きだった絵本なのよ〜」

と、坊やを膝にのせて『エルマーのぼうけん』を読み聞かせたので、

お母さん大好きの坊やは目をらんらんと輝かせて絵本を読み、聞き、
物語ずきになったのだそうな。


怖がり坊やもお母さんの愛情のこもった読み聞かせにより、冒険の世界の住人になったりするのですね。
お母さんは「ナルニア国物語を読むのももうすぐだわ!」と張り切っておられるそうです。わかるわかるその気持ち。うちにもありますよ。


それでこの先生は、「親、とくに母親による『押し付け』は大事だ」ということを述べておられます。

押し付けと、あと戦略性かな。私流にいうと。


大人になっても「怖がり坊や」な人たちは、
生まれつき怖がりに加え、愛情と戦略性をもったお母さんがいなかったんですね。
かわいそうかわいそう。


正田は、仕事柄
「偉大な物語」
には、大人になっても人一倍触れるほうだと思います。


でも、「身近な人の偉大な物語」をきくと、「ひく」反応しかしない人っているんだよねー。
あれも、「怖がり坊や」なのかもしれません。
「偉大な」は、「秩序を乱す、怖いもの」につながるのかもしれない。
「ホラー映画並みの怖さ」だったりして。


余談ですが、
最近わが家で映画をみると言ったら
タイトルはかきませんが不条理に人が死ぬホラー映画ばっかり好んでみるもんだから、
「人ってもっと偉大なものだよ。あんたたち、もっと普通の人の偉大な話を観なよ」

と、
『エリン・ブロコビッチ』録ってたよね、と探したら消されてたようで、おかあさん激怒。

そういうのはどうも、「怖いものずき」が暴走して極端な刺激にしか反応しなくなったという話だと思うけど、

この状態は正常化するんだ、と正田は決意しているのでした。

ほかにもいい映画があったらご教示ください。