『ハラスメントは連鎖する―「しつけ」「教育」という呪縛』(安富歩ほか著、光文社新書)をよみました。


タイトルがすでに、そのとおり!といいたくなるような、正田の実感に合致したものでした。

中身もそのとおり!の連続で・・、

つい先月出版の本ですが、ハラスメント研究という分野は急速にすすんでいるのかもしれません。

「現在、我々の属するこの世界は、急速にこの悪魔に汚染されつつあるように感じる」
うんうんそう思うよ。

にわかハラスメント研究家ないし愛好家の私。

この本では、ハラスメントをする人を「ハラッサー」、

そしてハラスメントされてそこに呪縛されている人を「ハラッシー」とよびます。

被害を受けているのにそのことの自覚がなく、心を傷つけられつづけるハラッシーは、簡単にハラッサーにも転化するおそれがあります。そうなるとちゃんと呼び名があって、「ハラッシーハラッサー」といいます。被害者でもあり、加害者でもあります。はい。ゾンビとかドラキュラとかエイリアンとか、あのたぐいの人たちですね。


そして「自分はハラスメントされている」と被害の自覚があり、しかも反撃するような人を「純粋被害者」といいます。
あっ正田はそれそれ。


私がこのところ遭遇した人々は、みごとにこのハラッサーの定義に当てはまるなあ。謝罪文は謝罪になってなくて新たなハラスメントだったし、「お願い」ができなくて、

「『お願いします』はもっと大きな声で言いなさい!!気合が伝わってこない!」

って、正田は叱っちゃったし。

美しい。なんでも理論が当てはまるものは美しいのだ。たとえハラッサーでも。

彼らはたしかに
「自分は実はハラッシーで、ほかの人にいつも傷つけられていて、だからあなたを傷つける権利があるんだ」
っていうにおいをプンプンさせてましたですよ。


過去の被害をなんでこんなに繰り返し言うのかと言うと、

彼らにはハラスメント以外に「身内かばい」というワザもあるから。

これがあるがゆえに、いちど「加害行為」が起きてしまうと、簡単に「集団加害行為」になる。はっきり言って警戒しています。

ゲーム画面で敵が増殖するところを想像するといいです。

さいしょからハラスメントなんて、しなきゃいいのにね。



正田は、ハラスメントなんてない職場をつくりたいです。
それが目的の研修じゃないけど、間接的にそこにもたどり着きたいと思っています。

ハラスメントなんて、仕事をするうえで全然必要不可欠なことじゃありません。


あ、あと「甘え」も一種のハラスメントなのだそうです。

正田は、ヘンに厳しいご家庭で育ってしまったので、ありとあらゆるハラスメントを引き寄せやすい体質みたいです。ハラスメントモニターに応募しようかな。

でも人並み以上に対抗策も発達してるから、ハラスメントバスターでもいいよ。


過去、私に「あなたは甘えてる」って言われたことある人、
それはめっちゃはずかしいことだからね。


もうひとつ蛇足で、
正田が実際にやった「反撃」の方法というのは、
この本をみても「それしかない」という隘路な方法でした。

「怒りをもって、
失われたものを取り返すために、
また今後自分が被害にあわないために反撃する」

というものです。

「怒り」って大事。「怒ること」は、なんにもかっこわるいことじゃないです。

ハラスメント被害を受けた人に対して、
「そんなことみんな我慢してるんだ」
とかいうことは、セカンド・ハラスメントの加害行為になるそうので気をつけましょう。



映画『ショーシャンクの空に』を、家族でみました。

「希望というやつは、ここ(刑務所)では危険だ」と、モーガン・フリーマン扮する服役囚。

若き日のティム・ロビンス、清潔感と生硬さと内に秘めた意志を感じるいい演技です。

娘たちが2人とも

「良かったー」
「感動したー」

と言いました。