「リアリティ」っていう言葉が私にとって最近よく出てくるキーワードです。


「生活実感」とか、その裏づけになる人生経験とか、

自分の仕事の当事者意識とか、

人と話をするとき、プレゼンをするときに、自分で自分の言うことを信じている、自分の価値観を乗せて話している感じとか、



私たちを「バーチャル」にさせる要因はいろいろあって、

TVとかゲームもそうだし、

普通の人にはできないような立派なことを言うオピニオンリーダーもそうだし、

たくさんのカタカナ語や、

「スピード経営」―職場のあまりにも速すぎる意思決定や、

パワハラ的リーダーの存在も、そうかもしれない。

これらの下では、現実感の希薄な話しかたをする人ができる。






現実感がないまま仕事をしていると、どうなるかというと、

やっぱり困るのは「リスクマネジメント」でしょう。

「リスクが現実化したら痛い」という感覚が、いつまでもわからなくて、

本来なら避けられるような失敗をしたり、同じ失敗を繰り返す。



きのうは、3人の人に会いました。

1人の人が、

「低い声でしゃべってくれたので、安心しました」

と仰いました。

変なことブログに書くな、正田は。

お蔭様で最近は低いほうの声で話せるときが増えてきました。

前は・・、



1人の人が、

「虐待されて育った子どもは、施設入所してから職員に暴力を振るったりします」

ということを言われ、

ああ同じなんだろうなあ、と考え込みました。

「受容的・共感的な場」「安心・安全な場」をつくると、妙につっかかってくる人がいて、

場全体がダメージを受けることがあります。

それを避けるべきリスクとしてつぶすのが正しいのか、必要なプロセスとして受容するのが正しいのか。