「オレは航空自衛隊の高校に1年だけ行ってたんや」


ダーリンが話しだしました。


「え〜、なんでなんで?!」

「それはな、カッコイイからや。

自衛隊の高校というのは、陸自、海自、航空自衛隊、別々に募集する。陸自と海自はそれぞれ、年間250人や。ところが航空自衛隊だけは募集人員が80人でな。

オレは全国でたった80人しかいない中の1人や!!カッコイイ!

それに昼間っから匍匐前進するやろ。こんなことやってるのオレたちだけやで。それもカッコイイ!


でも入ってからは、

『アホらし〜、なんで敵もいないのにこんなことすんねん』

『歩いたほうが早いよな』

って、生徒同士言ってたけどな」


家族一同笑い転げました。

「お母さん、書くなよこんなことブログに」


書くよ。


ダーリンは結局友人と4人いっしょに自衛隊の高校をやめ、地元広島の県立高校に入りなおします。


そして大学は、普通に法学部を選び、こんどは法曹関係に行くのを夢みたのですが、勉強時間が長すぎてアルバイトの時間がとれない!と挫折。



ダーリンほどおもしろくないのですが、
正田も夢は変遷していて、正田のいかにもな「狭さ」を示しています。


今のハルカと同じ、中学3年のころは、「通訳さん」になりたかったのでした。

通訳ガイド試験という国家試験を受けて通訳さん、それも中国語の通訳さんになるんだ、と決めていて、


一時期は大学にも行きたくない、高校を出たら自活しながら専門学校に行く、などと言っていたのですが、

親以外の周囲から大学には行ったほうが職業選択の幅が広がるよ、と説得されて翻意し、じゃあ大学1校だけ受けて落ちたら某有名各種学校に行く、と決めていました。

残念ながら結局行かなかった、その某中国語専門各種学校というのは亡くなった著名な中国文学者の先生が建学の祖で、その先生の著書を読んで憧れたのですが、近年その学校は不法就労あっせんで摘発されたりして、、


なんか最近もどこかで似たような行動とってないか正田。
いえ、今行ってるとこのことじゃないです。


で大学に行くとたしかにOBOGに通訳さんもいたのですが、だんだん通訳という仕事には興味がなくなり、さいごは某通信社に・・。


それはその通信社の出していた「世界週報」というマイナー雑誌(今はもうないようです)が、卒論を書くときに資料的価値があったので、それで憧れてついでに学生時代香港支局にあそびに行ったことがあり、「特派員」に憧れたというのがあって、


じっさいは入ってみると「世界週報」は特派員と外信部員がうんざりしながら分担して新聞の外報面を切り貼りしたような記事を書いていたし、

特派員は現地のロイターやAFPの通信社電(チッカーといいます)をひたすらウォッチしてこれはという記事を英文和訳する仕事だったりして、


うーん行き当たりばったりに色んなものに憧れるなあ。


ここまで話して、


「お父さんお母さんひょっとしてあんたに『夢を持つのは意味ないよ』みたいなこと言ってないかねえ?」


と、ハルカにきくと、


「うーん、なんかそんな気もする」

と答えはりました。


ハルカは、最終的にどうなりたいのかというと、

「プロの絵かきじゃなくて会社づとめしながらでもいいから、とにかく絵は描いていたい」

というのでした。
アニメーターさんとかではなく、「絵を描く」ことがしたいというのでした。


「こんどほんとの画家さんが絵を描くとこを見に行ってみよか」

と話しました。


「そいでさ、ハルカ、

どんな絵を描くにしても、そういう仕事は学校出てすぐ仕事につけるわけじゃなくて、何年も何年も努力してやっと、の世界やで。


お母さんとか、コーチングって仕事として成り立つまで6年かかっとうで。それまでは、ずいぶん屈辱的な思いもしたよ。そんな理想論みたいなことゆうて、それも女の人が、言うてな。でもどんな仕事でも、そういうことはあるで。ハルカなら大丈夫と思うけど」


「うん」


ハルカは、今度はまた私学で美術科のある高校を1校さがしてきて、そこにも興味を持っていました。


だれに似たんだか、あくまでゼネラリストになりたくない少女なのでした。