ずっと以前にブログに書いたことがあるのだけれど、

正田はコーチングを習いはじめのころ、「未完了」という概念に初めて出会い、

そしてやったことは、

大学時代の恩師に手紙を書きました。


「先生のご期待に添えずわずか3年半で退職してしまいました。ごめんなさい」


中国留学から帰って来てゼミに入った私を、

「○○さん(旧姓)は北京語も広東語もできる、何でもできる人だから」

と、根拠はよくわからないけれどずっと励ましてくださった先生でした。



院に進学するよう勧めてくださった先生に、私は


「家が貧乏なので(これは本当)就職します」

と、振り切るように就職したのでした。


それをまた、「○○さんなら、必ずそこの会社初の女性特派員になる」

と、期待の言葉をかけてくださっていました。



10数年ぶりかで手紙を書いて、

しばらくして先生からお返事があり、

手紙へのお礼とともに地方の2つの新設大学の学長にと請われていて迷っていることなど近況がしたためられていました。


その後上京して先生にお目にかかる機会があり、

ひとしきり話したあと、先生は


「あなたの話でコーチングというものについて大体わかった気がします。

さよさん(旧姓でなくなったので今はファーストネームで呼ばれます)は、じゃあ、日本一のコーチになるんだね」

「えーとぉ・・・」


どう答えていいか、言葉につまりました。

私はそんな立派なものじゃないんです、先生。

自分の業界地図がどんなで、とか、先生にご説明したほうがいいんじゃないか、と思いつつも、

先生が何かしら確信をもって発された言葉には何かしら意味があるのだ、と、受け取ることにしました。



そのころ先生は国際教養大学という秋田の新設大学の学長を受諾し、学生集めに全国各地を講演して回っていました。



自分自身大きな夢をもった人は、人に大きな言葉をかけることができるのだろうか。

「授業はすべて英語で」「1学年130人の少数精鋭で」

と、高い理想を掲げ、新設大学にもかかわらず高倍率の難関校となっているのでした。



そして正田は、特別だれかと比較するつもりはないにせよ、

やっぱり妥協せずに自分の納得いくやりかたで研修をし、

そして「生徒さん」がたの出される成果によってささやかな幸福を感じているコーチになっているのでした。


前にもブログに書いたことがありますが先生のゼミ生は外務省、国際機関、報道機関、商社などさまざまな第一線で活躍しています。


正田は、よく「私にはよい上司はいなかった」とぶつくさうっとうしいことを書きますが、


生涯先生の言葉を心にもって生きるでしょう。
言葉どおりではないにせよ、そこにこもった精神を受け取るでしょう。