タイトルをみて「おやっ」と思って喜んだり、しませんでしたか。
ここでいう「愛」とは、
「下の世代をいつくしみ導き、子孫繁栄(組織の繁栄も?)をもたらす感情」
という意味でつかっています。
このブログ限定の、特殊すぎるつかいかたでしょうか。
上記のような感情に、男女差はあるのか、あるとしたらどう共通し、どこが違うのでしょうか。
ここでいう「愛」とは、
「下の世代をいつくしみ導き、子孫繁栄(組織の繁栄も?)をもたらす感情」
という意味でつかっています。
このブログ限定の、特殊すぎるつかいかたでしょうか。
上記のような感情に、男女差はあるのか、あるとしたらどう共通し、どこが違うのでしょうか。
「コーチの仕事は大半の時間は母性的だ。ときどき父性的だ」
と言ったのは、心理学者にして関学アメフト総監督の武田建氏でした。
選手の状態をこまめに見、成長をほめ、必要な助言を与え、ときにはプライベートな相談にも乗る、という日常の作業は「母性的」だし、
ときに凡ミスや逸脱行為に対して厳しい態度をとり、ルールを示す、というときは「父性的」だと。この2つを適切なバランスでやることが求められるのです。
「リーダーシップの受容機能と切断機能」という概念とも関連しますね。
とはいえ、このブログを長くお読みになっているかたからは、
「アンタ母親のくせにしょっちゅう『切断』してるやん」
と、ツッコミを入れられるかもしれないですね。
実際にはお父さんとお母さんがきれいに「分業」しているかというとそうでもないようです。
お母さんがガミガミ叱って、お父さんは「まあまあ、いいじゃないか」と言っているお宅も多いかもしれません。
(ちなみにうちは大体夫と私が五分五分で叱っていると思います。ときどき「叱りポイント」がずれるときもあるけれど、「いじめはダメ」は共通ポイントです)
また余談ですが武田氏の1970〜80年代の著作は今読んでも本当におもしろく、アメリカ留学で繰り返し精神分析を受け、クライエントのドロップアウトに泣かされながらカウンセリング修業を積んだ筆者が、並行して若いころからやっていたアメフトのコーチの作業を、心理学とある時期から重ね合わせた経緯は、
そのまま
「心理学と教育/指導の出会いと統合」
を描いているようです。
いっぽうで武田氏は、以前このブログでも触れましたが1960年代にはすでに、
「青少年キャンプのリーダーがカウンセリングを学ぶと駄目になる」
つまり、だれに対しても「共感」で接することでリーダー・指導者としての「軸」がおろそかになってしまった、という意味のことを言っていて、
リーダーシップあるいは教育にカウンセリングマインドやスキルを「やみくもに」取り込むことの害もわかっていたのでした。
「共感」は、なさすぎるとこのブログで取り上げたように様々な害をもたらすし、さりとて多すぎるとまた困る、さじ加減が必要なのでした。
ああ、難しいですね。
リーダーのかたは大体60点ぐらいをめざしてくださいとか、こういう場面に限ってはかならず「共感」が必要ですとか、パターン化できたらいいのでしょうけど。
閑話休題。
さて、男性と女性で脳の構造に差があるようで、個人差はあるものの一般に女性のほうが「共感能力」は高いと言われています。
以前夫との会話で、
夫「オレは『共感』なんて嘘くさいと思うんや。他人の気持ちをわかるわけないと思うんや」
私「その『わかるわけはない』っていうのはあなた自分を基準にした決めつけ入ってるよ。
私なんかはそうでもないけど、カウンセラーさんの達人クラスの人は、クライエントの状態に応じて体が「反応」して足がつめたくなったり、胃がずんと重たくなったりして、
『私はこういう体の状態です』
っていうと、クライエントも『そうですか、実は私もまったく同じ状態です』って言ったりすんねん。それは、ある種第六感みたいな、脳のハイパーな働きかたやと思うで。
夫「そんな脳の働きなんて計測できるのか」
私「いまどきはfMRIで会話している2人の人をカプセルに入れて脳の状態をみることも可能らしいよ」
・・と、このブログはすぐ「困ったときの脳科学頼み」になるのでした。
ここでちょっと付け加えると、「共感」はカウンセリングでもコーチングでも重要なスキルで、
さほどトリッキーな質問のスキルなど使わなくても、絶体絶命の場面でも話し相手から「共感」されただけで心のエネルギーが高まり、
「次の一手を思いついた」
ということは往々にしてあるのです。クライエント自身に共感能力のある、なしにかかわらず、コーチやカウンセラーが「共感してやる」ことは大事なのでした。
それは上記のリーダーシップの中で「共感」をどうつかうか、とは、また別の話になります。
父の愛と母の愛。
わが家でいうと子どもたちが乳児〜幼稚園のころは、遊んでくれる面白いことを言ってくれる父親のほうが大好きで、
中学生になると
「自分の言うことや気持ちを文脈どおりに理解してくれる」
母親のほうが有利になるようです。
そのついでに
「お父さんキモイ」
「お父さんしね」
「お父さんにご飯のこさなくていい」
とか、言ってるのは、それについては「いじめだ」と指摘しない母親の私は多少、自分の優位を確保したいと思っているかもしれない。
父親も愛情にあふれていて、今でも
「うちの子らはかわいいなー」
と言ってるのに、気の毒に。
しかし、「父の愛」は「共感」とは違う種類のものなのは確かなようで、女性の私には「共感」という要素の入らない「愛」というのはよくわからない。
どなたか、こういう分野についてご教示いただけるかたはいませんか。
と言ったのは、心理学者にして関学アメフト総監督の武田建氏でした。
選手の状態をこまめに見、成長をほめ、必要な助言を与え、ときにはプライベートな相談にも乗る、という日常の作業は「母性的」だし、
ときに凡ミスや逸脱行為に対して厳しい態度をとり、ルールを示す、というときは「父性的」だと。この2つを適切なバランスでやることが求められるのです。
「リーダーシップの受容機能と切断機能」という概念とも関連しますね。
とはいえ、このブログを長くお読みになっているかたからは、
「アンタ母親のくせにしょっちゅう『切断』してるやん」
と、ツッコミを入れられるかもしれないですね。
実際にはお父さんとお母さんがきれいに「分業」しているかというとそうでもないようです。
お母さんがガミガミ叱って、お父さんは「まあまあ、いいじゃないか」と言っているお宅も多いかもしれません。
(ちなみにうちは大体夫と私が五分五分で叱っていると思います。ときどき「叱りポイント」がずれるときもあるけれど、「いじめはダメ」は共通ポイントです)
また余談ですが武田氏の1970〜80年代の著作は今読んでも本当におもしろく、アメリカ留学で繰り返し精神分析を受け、クライエントのドロップアウトに泣かされながらカウンセリング修業を積んだ筆者が、並行して若いころからやっていたアメフトのコーチの作業を、心理学とある時期から重ね合わせた経緯は、
そのまま
「心理学と教育/指導の出会いと統合」
を描いているようです。
いっぽうで武田氏は、以前このブログでも触れましたが1960年代にはすでに、
「青少年キャンプのリーダーがカウンセリングを学ぶと駄目になる」
つまり、だれに対しても「共感」で接することでリーダー・指導者としての「軸」がおろそかになってしまった、という意味のことを言っていて、
リーダーシップあるいは教育にカウンセリングマインドやスキルを「やみくもに」取り込むことの害もわかっていたのでした。
「共感」は、なさすぎるとこのブログで取り上げたように様々な害をもたらすし、さりとて多すぎるとまた困る、さじ加減が必要なのでした。
ああ、難しいですね。
リーダーのかたは大体60点ぐらいをめざしてくださいとか、こういう場面に限ってはかならず「共感」が必要ですとか、パターン化できたらいいのでしょうけど。
閑話休題。
さて、男性と女性で脳の構造に差があるようで、個人差はあるものの一般に女性のほうが「共感能力」は高いと言われています。
以前夫との会話で、
夫「オレは『共感』なんて嘘くさいと思うんや。他人の気持ちをわかるわけないと思うんや」
私「その『わかるわけはない』っていうのはあなた自分を基準にした決めつけ入ってるよ。
私なんかはそうでもないけど、カウンセラーさんの達人クラスの人は、クライエントの状態に応じて体が「反応」して足がつめたくなったり、胃がずんと重たくなったりして、
『私はこういう体の状態です』
っていうと、クライエントも『そうですか、実は私もまったく同じ状態です』って言ったりすんねん。それは、ある種第六感みたいな、脳のハイパーな働きかたやと思うで。
夫「そんな脳の働きなんて計測できるのか」
私「いまどきはfMRIで会話している2人の人をカプセルに入れて脳の状態をみることも可能らしいよ」
・・と、このブログはすぐ「困ったときの脳科学頼み」になるのでした。
ここでちょっと付け加えると、「共感」はカウンセリングでもコーチングでも重要なスキルで、
さほどトリッキーな質問のスキルなど使わなくても、絶体絶命の場面でも話し相手から「共感」されただけで心のエネルギーが高まり、
「次の一手を思いついた」
ということは往々にしてあるのです。クライエント自身に共感能力のある、なしにかかわらず、コーチやカウンセラーが「共感してやる」ことは大事なのでした。
それは上記のリーダーシップの中で「共感」をどうつかうか、とは、また別の話になります。
父の愛と母の愛。
わが家でいうと子どもたちが乳児〜幼稚園のころは、遊んでくれる面白いことを言ってくれる父親のほうが大好きで、
中学生になると
「自分の言うことや気持ちを文脈どおりに理解してくれる」
母親のほうが有利になるようです。
そのついでに
「お父さんキモイ」
「お父さんしね」
「お父さんにご飯のこさなくていい」
とか、言ってるのは、それについては「いじめだ」と指摘しない母親の私は多少、自分の優位を確保したいと思っているかもしれない。
父親も愛情にあふれていて、今でも
「うちの子らはかわいいなー」
と言ってるのに、気の毒に。
しかし、「父の愛」は「共感」とは違う種類のものなのは確かなようで、女性の私には「共感」という要素の入らない「愛」というのはよくわからない。
どなたか、こういう分野についてご教示いただけるかたはいませんか。
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