人に勧められた本、辛淑玉の『怒りの方法』(岩波新書)を読みました。


 とても「アサーション」的な本。たとえば斎藤孝氏が、コーチングと言わないでとてもコーチング的な本をかくのに似ている、と正田は思いました。

(あれは、ほんとうにコーチングの本を読まないまま書いているんだろうか、とよく不思議におもいます)


 
 でも書いてあることはおおむね正しくて、

 ふつうの会社にお勤めの人が経験する光景だけではなくて、
 犯罪の加害者と被害者の心理についてまで分析してあるところは、

 また逆にそれがふつうの生活の光景にフィードバックされるところは、
 心理学やコミュニケーションの人があまりやらない論法で、
 正田てきにはすきです。


 「怒りのリハーサル」のところは、そのまま「アサーション・トレーニング」だな、とおもいます。


 さてここからはアサーションの話になって、


 たまたま、去年正田が師事した武田建氏がそのまた師事した行動心理学者のJ・うウォルピがアサーションの創始者だったという因縁があって、


 ただそのことに講義の中で触れたときの武田氏の解説では、


「アサーションは、たとえば主張性のよわい人に『もっと語尾をはっきり言って』とアドバイスするだけで、行動まで前向きになったりする。そういう意味で場合によってとても有効。


 ただし、主張性のよわい人がアサーションを何日間かトレーニングしたあと、起こりがちなのが、周囲の人と衝突を起こすようになる。現実世界で『頭うち』を体験して、やっとふつうになることが多い」



 と、正田のばあいアサーション/アサーティブネスを学びにいく前にこういう解説に触れていたのは、ある意味幸運だったのでした。


 2日間のセミナーをこれまで4回ほど受けて、実は周囲の人にそれに似た現象をみなかったわけではない。
 みんなが、というわけではなく出る人は、だけど、
「自分は被害者、相手は加害者」
 というスタンスが身について、被害回復をしようとするコミュニケーションになる。
 実際に「被害」の事実があった場面ならそれでよいのだけど、どうかすると「被害」とよべない場面で「被害者モード」が出現し、

 その状態で「被害回復」をするとそれはむしろ「加害」になってしまう。



 で私ががやたらとけんかっぱやくなったかというと…、

 もともと正田はコーチングよりはアサーションっぽい性格の人
(つまり、「やなものは、やだ」ということを言う人)
で、家族はそれで相当きたえられたと思うけど、それほど大きな人格変容が起こったようにはみえません。


 まあ、やっぱり事前に「副作用情報」に触れていたのもよかったです。



 心理学とかコミュニケーションの研修で「副作用情報」を伝えることは大事だ、と正田はおもいます。

 けっこう、どのセミナーも変な偏りを起こします。

 「自由」と「感情」に重きをおく流派のセミナーに行ったらやたらわがまま勝手にふるまって他人をふりまわすとか。
 正田はフロイトとかロジャーズに関する講義をきいたら自分のすでに整理されていたはずの親との間のトラウマがドロドロ出ました。

 
 これは、受講した本人がそれらの教えを受けた「場」とか「講師」のことを、よい思い出としてたいせつに思えば思うほど、それらの偏りは抜けにくくなります。
 美しい思い出だからたいせつに思うという場合もあるし、ときには「恫喝」「恐怖」で刷り込まれるばあいもありますが。


 だから、正田はテキストにも書くし研修でもそのつど「副作用情報」みたいなことは伝えます。

「Aですよ」
ということを伝えたら、
同時に
「でもBの場合もありえるしCの場合はAを中止してください」
とか、
「過去これをお伝えしたときDやFのような偏りがみられました」
みたいなことです。


 そういうのを伝えたことで、さいしょの
「Aですよ」
というメッセージがいくらか明確さをそこなう可能性はあるのですが、
お客様によい人生を送ってほしいと願うなら、
「副作用情報」
は、必要。

 それは正田が過去医薬翻訳者をやっていたことも関係あるかもしれません。薬の添付文書を想像してごらんになったら。

 なにかの作用を起こすベクトルのあるものは、たいがい副作用を伴っているものです。



 家人が、

「きのうもきょうも職場で『承認』した。ここのところ若い人がずいぶん朗らかになった。自信をつけたようだ。まわりの人もやっている。

1か月後に、新しいことを習うのではなくて、自分たちでミーティングをして

『こんなことをした』

『あんなことが起こった』

と、じまん大会をしたい」

というので、


「えらいえらい。それはいいことだね」

と、ほめつつ、

「CLSに感謝して無償労働600時間してね」

と、クギをさしました。


 CLSは、中間管理職の方がポケットマネーで受講しやすいよう、参加費を2000−3000円に抑えています。

 それは、事前準備とか当日受付とかで、無償労働があることが前提になっています。


 講師のかたにもだいぶ謝礼を「泣いて」いただいていて、決してそれを当然と思ってはいけないのですが、ありがたいことに少なくない数のすぐれた講師のかたがご理解くださっています。


 でも受付とかの労働はやっぱり必要なのですが、メンバーの管理職のかたというのは、CLSで安く学んで職場に役立てると、こんどは職場のほうに目をうばわれて、

(それでも、自分の職場に関心がないよりよっぽどいいのですが)

CLSで自分が無償労働して返そう、という気持ちにはなれないようです。安い、ということの恩恵だけは受けてくれるのやけど。


 教育って、水や空気のようにタダだと思うんかなー。


 なので、活動の担い手がなかなか増えない。

 経営者団体などでは、錚々たる中堅〜大企業の経営者さんが嬉々として受付に立っていたりするので、そういうのは経営者と管理職のパーソナリティーの違いがあるかもしれません。


 でもこんどは家族が恩恵を受けたので、一生(離婚するまでは)ガミガミ言い続けられます。


「無償労働して返せよ!」

 あ、これって、アサーションだ。