いろいろ考えた結果、これまで観察された「ワークショップ症候群」の症状を書きだしてみることにしました。


いくつかのワークショップ由来のものが、ごちゃまぜに入っています。
このブログの読者のかたは、思い当たることがあるでしょうか。
もし、マネージャーさんで部下にこんな人がいたら…、
逃げてください(笑)もとい、
振り回されて自分が心の病にならないよう気をつけてください。

どこへ行くのか正田。




●人柄はいい。普通の世間一般の人格よりは、いい。


●その場限りの思いやりなどを示すのはうまい。悪く言えば「いい人ぶるのがうまい」。


●論理性がない。論理に一貫性がなく、破綻しており、ちょっと複雑な仕事のシステムを完成させることができない。仕事上の「一歩先の想像力」がない。


●右脳とか、感情とかをやたら大事にする。ぜんぜん大事でないとはいわないが…、社会人として最低限必要な理性もどこかへいく。幼児的な口調になる。


●リーダーとしては、共感できるところにはやたら共感したり、偏ったはた迷惑なリーダーになる。


●仕事上の反応は遅くなる。やたらつべこべ言い訳し、「打てば響く」ようなところがなくなる。仕事と自分らしさが衝突するかしないかがかれらにとっては大事なのだが、「ここの受付してよ」みたいなやりとりで長々と口上を言われても・・。


●誤字脱字が多い。ワークショップリーダーがしょっちゅう板書の字をまちがえて、「日本語の字がかけなくて、オホホ」などと言うのをかっこいいと思っているらしい。


●反省がない。失敗しても、叱られても学ばない。これはワークショップの中に、「失敗を見るとモチベーションが上がらない」といった教えがあり、刷り込まれることからくるかも。畑村洋太郎の「失敗学」を読んでいただきたい。

(マイナス情報から学べないのは、脳の老化ともいえる。これらの方々の脳画像をみてみたい)


●いい人ふうにふるまう反面、他者への見下しが強い。


●「人を変える」「世界を変える」などとよく言う。「○○(ワークショップの名称)で世界を変える」などと本気で言う。


●本人もしょっちゅう気が変わる。「今は、このあいだと違うトコロにいるの」などと、少女のような口調で言う(なのでたまに反省しても長く続かない)

もちろん、仕事上の一貫性もないので周囲は振り回される。いったん請け負った責任を投げだすことも多い。



●彼らにとって、「叱る」「怒る」などは愚の骨頂で、自分が過ちを犯しても、手間暇をかけて質問したり、イメージトレーニングをして自分を「変えて」くれるのが正しいと思っている。どんなに自分がわるくても、叱ったら最後相手のほうがわるい。
これはワークショップを商売として成り立たせるため、研修会社が客に嫌われないためにそうしていることを正しいと信じているため。


●性差別もわりと強い。たぶん精神年齢が幼児退行するので、女性はみんな「お母さん」で、甘えつつ見下す対象になる。


●酒などに依存傾向がある人は、それが増進される。


●一部とは思うが、性欲が亢進する傾向もみられる。「自分の本質」をあの手、この手と探るうちに、「本能」のほうに火がついてしまうのだ。


●プレゼン能力はやたらと高いことが多い。そこだけ見ていると、これは脳が最高に開発された状態なのかな、と思うぐらい。


●仕事でも、ことの性質によっては非常に一生懸命やるが、むらが多い。

ほんとうはよほど反社会的な仕事でない限り、どんな仕事でも価値は見出せると思うのだが、彼らは価値観とか強みとかの理解が中途半端なので、自分で自分のレンジを狭くしてしまう。


●あるワークショップの信者は、「ひとりひとりが、自分らしく、いきいき輝いて」といったフレーズを好んで使う。「自分らしく」は、ワーキングプアに通じる論理だと思うのだが…。


●CLSに来ると、問題行動が多くなる。それこそ、「CLSまたは正田に屈辱を与える」ことが自分の帰属するワークショップへの忠誠行動だと考えているようだ。


●あるワークショップの信者は、「自分のほしいものが手に入る」というフレーズを好んで使う。このタイプの人が以前CLSの小冊子を自分の営業に無断使用してトラブルになった(当然、まったく反省しなかった)


●会社勤めの人は、結局会社を辞めてしまうことが多い。上司の立場に対しては、まったく共感を示さない。

わりと私小説的な世界観に近く、自分のまわりの人は、自分に快を与えるか不快を与えるかで判断する。


●自分の帰属するワークショップの仲間とつるむのが好き。彼ら同士では、完璧な美しい思いやりにあふれたコミュニケーションをとっている。


●葛藤がきらい。葛藤をのりこえてでも正しいことを主張しなければならない場面からは、逃げることが多い。(この点は、アサーション/アサーティブネスの人を見習ってほしい)


●差別やいじめとは、わりあい親和性が高い。積極的にいじめはしないまでも、傍観者になって「いじめられる方が悪い」ということが多い。これは、共通項が多いことを尊んだり、同調行動をとることをすすめる教えがワークショップの中にあるから。