ふたたび、「エスリン研究所(本によっては「エサレン」と表記)」の話題。


 ここには、「心理学」や「ワークショップ」をめぐるアメリカの成功と失敗の歴史がかなり広い範囲、カバーされています。


 たとえば今、「思考」と「感情」のふたつの軸について取り出してみるなら、


 「思考」と「感情」の両方を重んじるA・マズローが自分のワークショップで「B言語」について話していると、

 「感情」だけに意識を集中する主義のパールズが、

「学校の先生のようだ」


と批判し、子どものように這いまわるパフォーマンスをする。マズローはワークショップを続けられなくなってしまう。


 
「現実の世界からいきなりグループに入ってきた人は、まず合理化したり説明したりする。多少の反知性主義と少しばかりのナルシシズムは、こうしたことに対する健全な解毒剤だった。しかし1960年代には、中庸の道はビッグサー海岸では感じられなかった。そして振り子は一度振り始めると、急激に反知性主義の極限まで振られ、こころとからだが同等に尊重されるという賢明な点をはるかに越えてしまった。グループのなかで人びとは、いつも『頭で考える』ことを攻撃されるが、あまりに感情的だとか身体的だということでは非難を受けない」(エスリンとアメリカの覚醒―人間の可能性への挑戦 誠信書房)
 
 このほか、ワークショップとナルシシズム(自己愛)の問題。

 適度なナルシシズムは、人の成長を助ける薬になるが、ワークショップを契機として永遠の自己愛に耽溺してしまう人もいるのだ、それに対してワークショップ主宰者は責任を負えない、とこの本の著者は言っていて、


 えー責任負えないのかよ、と私などは突っ込んでしまいたくなりますが。



 私たちはこうした歴史に触れるとき、あまり感情を交えず先達の失敗から学ぶことができるのではないかと思います。


 
 また思うに、心理学の分野でよく言われるコピー、


「アメリカの最新心理学の知見を取り込んだ」

「講師がアメリカで学んできた」

は、決していろんなことの免罪符にはなりません。


 
 たとえば、素人の参加者に恐怖症の治療のような精神医療に立ち入った領域のワークをさせる免罪符にもならないし、

 自己啓発セミナーの主宰者にみられるような、傲慢さ、独善、あらゆることへの不敬、リアクタンスから発する言葉(「ああ言えばこう言う」)、はぐらかし、永遠の堂々めぐり、などによる参加者に対する精神的支配、

 などへの免罪符にもなりません。



 中国語で「学壊(シュエホワイ)」―学んでますます馬鹿になる、の意―


 ときどきこういうインパクトのある語を使うことも有効なのかな、と思います。





 高校生の長女は試験期間に入りました。

 部活がない間、クラスに居残って「勉強会」なるものをしていたようです。


 どういうことをやってるのかきくと、ともだち3人でわからないところを教えあったり、みんながわからないところはだれかが職員室にききにいく、ということをしていたのだとか。


 
 中学生の二女には、先日「人のわるぐちを言ったらいけないよ」という話をしました。

 学校の特定の先生の悪口が長引いたときです。


私「あんたが今学期すごく頑張ってるのはよく知ってる。今でも気持ち的に大変な日もあると思う。だからしんどい時はいつでも話を聴いてあげたい。

 一方で、一般論としては人のわるぐちを言うのは良くないことやで。きいてて楽しくないよ。お母さん、自分のお母さんがいつも人のわるぐち言う人やったから、いややったから、自分はそういうお母さんになるまいと決めてたもん。お母さんが晩御飯のときあんたたちに長々と人のわるぐち言うたことあるか」


娘「ううん、ない」

私「あんたが今こうして長々と悪口言ってるのきくと、いつかあんたがお母さんになったとき子どもに悪口言ってきかせるようになるんじゃないかと思って、お母さん心配になるんだよ」


娘「・・・(ぶすっ)」


私「これからも、あんたがしんどい時はいつでも話聴くから、あんたも長々と人の悪口言うのやめような」



 このときの会話は気まずく終わり、その日の夜中も「どうせ私は!」と当たり散らされました。


 翌日、娘はとても機嫌よくなり、向こうから謝ってくれました。


「お母さん、あたし悪かった。ごめんね。これから気をつけるね」

「ううん、きついこと言ってお母さんこそごめんね。きいてくれてありがとう」


 また親のしんどい仕事をひとつ終わった、と肩の荷を下ろしたのでした。

 
 結局、私が責任を持てる範囲には限りがあるのでした。




 末っ子の息子は、陸上部に正式入部し、県総体に出ることになりました。

 3年のいい先輩が自分の練習を我慢しても後輩の自分たちを教えてくれる、という話をしていました。