『アンコモン・セラピー―ミルトン・エリクソンのひらいた世界』(ジェイ・ヘイリー著、二瓶社)を読んでいます。


 今をはやりのNLPで、創始者リチャード・バンドラーが半年間起居をともにしてその言動をまねたという、奇跡の心理療法家・ミルトン・エリクソンのケース・ファイルのような本。


「求愛期」「若者の性格改造」「結婚とその結果」「出産と子育て」「夫婦と家族の難局」「親の子離れ」「老年の苦悩」などの章に分かれ、


 それぞれの時期特有の悩みを相談しにくるクライエントにエリクソンがどんな治療を施したか、が書かれています。


 
 で、やはり非常に優れた技法のかずかずに出会え、素直に舌を巻くばかり。

 


 正田がコーチングの学びの中で学んだ「行動療法」はエリクソンより少し前の時代のもので、単純な行動をリクエストしていくことにより行動をとらせ、自信をつけていくものですが、


 「エリクソン流」だとそこに催眠技法が入るので、ただの行動療法よりはるかに複雑な、患者にとって負荷となるであろう行動をリクエストすることが可能になります。しかしその行動を指示されたとおり忠実に履行することにより、患者はブレイクスルーを起こし、長年の症状から解放されていきます。


 そう、「指示的」「非指示的」というカテゴリーでいうなら、エリクソン流はかなり「指示的」です。


 ここで見逃してはならないのは、それらの指示を出すに当たっては、

エリクソン一流の患者の「見立て」があり、

また患者の背後にある社会関係・家族関係への一流の洞察があり(何をどうすればどうなるかの因果関係がかなりの程度まで予測できている)、


さらには催眠療法を使ううえで決定的に重要な施術者の「倫理感」がある、ということでしょう。


 きわめて「指示的」なかれの療法が成功をおさめるには、健全な倫理観に裏打ちされた「指示」である必要があります。(社会への悪意をもった「指示」を出すことも、その気になれば可能なのです)



 もっというと、心理療法家として基本的に重要な、クライエントへの尊重、畏敬の念、また自分の問題がクライエントの問題に引きずられて噴出してこないための自己基盤の確立、という、当り前の前提があることも見逃してはならないでしょう。


 
 …と、いった、「エリクソン療法」を、言語学者が起居をともにしてまねしました、だからこれは言語学です、というのは、私には無理があるようにきこえるのですけど。

 それは私がひねくれすぎてるんでしょうか。



 
 三宮での神戸市民福祉大学ヒューマンサービスコースの連続講座「自分を知り、人間関係の基本を学ぼう!」に参加しました。


 2回目の今回は、関西学院大学人間福祉学部の川島恵美講師で、「自分とかかわる(自己認知と他者から自己をみた認知)」実習をしました。


 川島先生は、臨床心理士ですがきびきびした中に親しみやすい話し方をされる方で、あとできくと武田ゼミのご出身だそうな。


 「自分のキャッチコピー」をつくり、3〜4人1組で発表するとき、

「発表をきく人は、相手の『自分はこれだ』という言葉ですから、大事にきいてあげてください。拍手したりね」


 と声がかかりました。


 
 大事なんですよね、そういう基本的なことって。(涙)