もういちど吉田典生さんの新著『会社をぶっ壊してチームを創ろう!』をとりあげると、
この本には、機能しあうチームの条件として、
「認めあう」
とか、
「感謝」
とか、
「人として当たり前」
という言葉が出てきます。
この本には、機能しあうチームの条件として、
「認めあう」
とか、
「感謝」
とか、
「人として当たり前」
という言葉が出てきます。
コーチングや組織論でよく言う「承認」という言葉も、「みとめ印」などと間違えられやすい、ちょっとわかりにくい言葉です。
なので、「認める」という、よりわかりやすい言葉に言い換えることも大事と思うのですが、
さて、「認める」という言葉もやっぱりわかりにくい。
ここでクイズ。「認める」の対義語は?
こうして、反対の意味の言葉とか概念はなにか考えると、
「認める」
の意味の輪郭がみえてきやすかったりします。
語源的には、「見+とめる」ですから、目をとめる。
その反対だと、「無視する」。
信長にとってのぞうり取りみたいな感覚でしょうか?気にもとめていない。存在してない状態。
よくある「情報ハミゴ」みたいなのも、これのうちかもしれません。
無視、だめですよ。
もうひとつの「認める」の対義語は、「見下す」ではないかとおもいます。
他者や世界に対して言葉にできないプライドを抱える人は、多いです。そしてそれを守る防具としての「見下し」。
コーチングの「承認」の概念と幸せな出会い方をした人は、無意味な「見下し」を手放し、
他者を丸ごと1人の人間として受け入れるとか、
存在そのものに対する無条件の尊重や畏敬の念をもつ
―たとえば相手の生きてきた「時間」や「文脈」に思いを馳せてみるとか―
ことができるようになります。
そのことが、たとえマネージャーじゃなくても、どれほど価値あることか。
ただ、あくまでわたしの経験では、ですが、その幸せな経験は、ある種「トレーニングモード」で、スポーツのように「あくせく」したワークを通じて得られることが多いです。
なので正田が研修をやると、習得をはやめるために、「トレーニングモード」のワークを課すことが多い。
正田なりの「お客様のため」なのだけど、人によっては、無用の反感を買ったりしてしまう。
とはいえ、吉田さんのいわゆる「チーム」、
―コンサルタントさんは「オフサイトミーティング」という言い方をする―
で、認め合う作業が必要なのは間違いなくて、
それはいちど「トレーニングモード」の研修を受けた人なら比較的容易にできるでしょう。
それを経験してない人が「認める」「認め合う」ことができるのかどうか、謎だ。
その段階で結構苦労されるかもしれない。単なるオフサイトミーティングだと。
それと「感謝」。
もし「場」に対する感謝の念がなくて、にどとこのメンバーで集まらなくなっていい、と捨て鉢な気持ちになれば、どんな不愉快な言動でもとることが可能です。
だから繰り返し「感謝」の大切さを伝える必要はある。
自分のためでなく、第三者のためだから言いやすい、というのはあります。
「人として当たり前」
これも今、死滅しつつある概念です。
なんだかんだ言って、
「チーム」あるいは「オフサイトミーティング」に参加するための資格条件はけっこう高いところにあるのかもしれない。
正田は、男じゃないからヒーロー願望とは無縁なのだ。
あるとしたら、悔いなく生きて、死にたいという思いだけです。
男の人は大変だ。テストステロンもあるし。
娘の担任の男の先生の奥様に赤ちゃんができたそうで、
教室は拍手のうずだったそうです。
…そうだ、「謙虚」と「傲慢」についての言及もあった。
「傲慢」になったマネージャーさんは、とたんに落ちていかれる。
もう、あんまり見たくない。
なので、「認める」という、よりわかりやすい言葉に言い換えることも大事と思うのですが、
さて、「認める」という言葉もやっぱりわかりにくい。
ここでクイズ。「認める」の対義語は?
こうして、反対の意味の言葉とか概念はなにか考えると、
「認める」
の意味の輪郭がみえてきやすかったりします。
語源的には、「見+とめる」ですから、目をとめる。
その反対だと、「無視する」。
信長にとってのぞうり取りみたいな感覚でしょうか?気にもとめていない。存在してない状態。
よくある「情報ハミゴ」みたいなのも、これのうちかもしれません。
無視、だめですよ。
もうひとつの「認める」の対義語は、「見下す」ではないかとおもいます。
他者や世界に対して言葉にできないプライドを抱える人は、多いです。そしてそれを守る防具としての「見下し」。
コーチングの「承認」の概念と幸せな出会い方をした人は、無意味な「見下し」を手放し、
他者を丸ごと1人の人間として受け入れるとか、
存在そのものに対する無条件の尊重や畏敬の念をもつ
―たとえば相手の生きてきた「時間」や「文脈」に思いを馳せてみるとか―
ことができるようになります。
そのことが、たとえマネージャーじゃなくても、どれほど価値あることか。
ただ、あくまでわたしの経験では、ですが、その幸せな経験は、ある種「トレーニングモード」で、スポーツのように「あくせく」したワークを通じて得られることが多いです。
なので正田が研修をやると、習得をはやめるために、「トレーニングモード」のワークを課すことが多い。
正田なりの「お客様のため」なのだけど、人によっては、無用の反感を買ったりしてしまう。
とはいえ、吉田さんのいわゆる「チーム」、
―コンサルタントさんは「オフサイトミーティング」という言い方をする―
で、認め合う作業が必要なのは間違いなくて、
それはいちど「トレーニングモード」の研修を受けた人なら比較的容易にできるでしょう。
それを経験してない人が「認める」「認め合う」ことができるのかどうか、謎だ。
その段階で結構苦労されるかもしれない。単なるオフサイトミーティングだと。
それと「感謝」。
もし「場」に対する感謝の念がなくて、にどとこのメンバーで集まらなくなっていい、と捨て鉢な気持ちになれば、どんな不愉快な言動でもとることが可能です。
だから繰り返し「感謝」の大切さを伝える必要はある。
自分のためでなく、第三者のためだから言いやすい、というのはあります。
「人として当たり前」
これも今、死滅しつつある概念です。
なんだかんだ言って、
「チーム」あるいは「オフサイトミーティング」に参加するための資格条件はけっこう高いところにあるのかもしれない。
正田は、男じゃないからヒーロー願望とは無縁なのだ。
あるとしたら、悔いなく生きて、死にたいという思いだけです。
男の人は大変だ。テストステロンもあるし。
娘の担任の男の先生の奥様に赤ちゃんができたそうで、
教室は拍手のうずだったそうです。
…そうだ、「謙虚」と「傲慢」についての言及もあった。
「傲慢」になったマネージャーさんは、とたんに落ちていかれる。
もう、あんまり見たくない。
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