神経科学は人の自己中心主義を擁護する。


 これは少し前、7月15日付日経新聞の「経済教室」に載せられた松島斉・東大教授の議論でした。


 神経経済学という学問分野ができ、人の脳が感じる快楽に基づいて制度設計をするべきだと主張し、一見正しそうにみえる。


 ところが、これは19世紀末のベンサムの「利己主義」に基づく経済学と基本的には同じものだといい、神経科学の経済学への応用には限界がある、というのが、7月の松島教授の論です。


 これは、少し考えると「心理学・脳科学」と「教育や組織論」との関係もそうだ、ということに気づきそうです。


 コーチングの組織への応用ということを比較的長くみてきた立場からいうと、結論としてはやはり限界がある、といえると思います。心理学からすべて出発して組織を語ることは。


 コーチングをふくむ心理学は、どうしても「快楽主義的要素」をふくんでいる。


 たとえば、ほめられたら嬉しい(だから行動をとる)という行動理論の基礎は、そのまんま快楽主義ですし、


 人から言われるのでなく自分で決めるとモチベーションが上がり、楽しいという主張もそうです。


 そこへ、脳科学者のかたが「脳は快楽主義者だ!」と拍車をかける。


 おそらく本当に脳は快楽主義者なのでしょうが、

 実は快楽だけに基づいてものを考えたり行動することが良いわけではない。


 それは、人の欲望とはエスカレートしやすいもので、ともすれば他人の領分を侵したり、攻撃性を強くもった人であれば他人を叩きのめしたり排除したり殺したり、という行動に出ることもありえるからです。



 快楽至上主義とは、美しい芸術や美食を生み出すかもしれませんが、恐ろしい弱肉強食の社会を産む可能性をおおいにはらんだイデオロギーなのです。


 …ひょっとしたら既にそうなっている社会もあるかもしれない。



 武士道の「卑怯なことをするな」というメッセージは、弱肉強食の思想が組織から有用な人材をドロップアウトさせ、ひいては組織全体を弱体化させることに歯止めをかけるのに有意義だったと考えられます。


 そう、「弱肉強食」を是正するために、「倫理」があります。
 幼稚園のお砂場で教わること、は、快楽主義者である脳に、それでも人間社会で生きていくすべを教える大事なトレーニングであります。

 これら幼少期の「躾」には、人間の初期の脳には搭載されていないけれど生存のために大事な要素をたくさん含んでいるので、ゆめゆめ否定してはならないものであります。


(心理学だと、往々にして「禁止令」といって否定することがあります。また、最近の傾向で認知療法の流れをくんだとみられる、「心のブレーキを外す」コーチングも流行りなのですが、それは幼少期からの親や先生による「躾」を全部やりなおすぐらいの覚悟の要る、責任重大な教育なのではないか、と正田は個人的に思います)


 閑話休題、そして、「倫理」に罰則がないために有効性が低いとなれば、その次の段階に「法」があると考えられます。


 正田がこのところ、「ルール」とかについてしきりに言っているのは、コーチングの団体はともすればエゴが強く出て快楽主義的になり、お互いに甘くなったり、規範意識が低くなる。


 そのことに歯止めをかけるためには、リーダー自身規範を守る姿を見せる必要があるからです。



 
 また、正田が人様にコーチングをお教えするときは、「企業内コーチング」という制約があるので、あまり個人の自己実現を至上のものとして教える方向にはいきません。


 それよりは人同士、折り合いをつけて生きていき、人生の質を最大化する方向に教えます。
 なので快楽主義よりは「倫理」的要素を最初からわりあい強く打ち出します。その結果セミナー自体の「たのしさ」とか「万能感」を演出することは、やや抑え気味になります。


 
 でも結局、お客様はそのほうが幸せだと思います。少し長いスパンで予後をみていると。


 部分最適の総和が全体最適になるかというと、そうではない。

 
 だれかとこういうことで議論できたらいいなぁ。