遅ればせながら、『経済は感情で動く―はじめての行動経済学―』(マッテオ・モッテルリーニ著、紀伊国屋書店)を読みました。


 「『心の法則』を知ると、毎日が10倍楽しくなる」と、オビにあります。


 たくさんの心理学テストの結果から人の行動を予測。

 
 とくに「錯覚」を生み出す図形や言葉やデータの並べ方などは、マーケティングをする上ではぜひ知っておきたい知識ばかりです。


 ただ、「知ると楽しくなる」かというと…、

 
 このところ正田はおもうのですが

「心理学的には、人はこういう時こう思うものだよ」


というのを教えたり、学んだりするうち、


わたしたちはどこか、それらの「法則」に暗示をかけられてしまう、自動的にそのように思考しやすい頭脳になってしまう、ところはないだろうか。


 人の心理を操作する側に回る(このこと自体もまた、いささか非倫理的な響きがあるのだけれど)という、学びの本来の目的を離れて。


 ほんとうは、わたしたちは訓練しだいで、より緻密により正しくものを考えることができるのではないか、「心理学」に抵抗することもできるのではないか…、などと考えているうち、


 出会ったのが一昨日ご紹介した『ダライ・ラマのビジネス入門』(ダライ・ラマ14世&L・V・D・ムイゼンバーグ著、マガジンハウス)であります。



 なぜダライ・ラマ?

 NPO法にも、特定宗教の布教活動をしてはいけないと定めがあり、こうした著作を紹介するのには一定の制約があるかもしれません。


 ただここでいう「六つの智慧(六波羅蜜)」すなわち

1.気前のよさ(布施)
2.倫理的克己心(持戒)
3.忍耐(忍辱)
4.熱意ある努力(精進)
5.集中力(禅定)
6.正しい理解、正しい行い(智慧)

は、いずれも目先の欲望やうわべの情報に振り回されないためのリーダーの心のトレーニングというべきもので、


 「人は見かけで動く」だからこそ惑わされないための心のトレーニングを、

 と、前者は現状分析と追認であり後者はその理想形、とちょうど対になっています。


 そして正田などは理想形を提示されると少しほっとするタイプの人間であります。

 現状分析と追認は、人の心の醜い部分までも肯定しそうになるのでだんだん読んでいてしんどくなります。


(でも、「感情で動く」ことが現実に横行して困ったことになっているのは、このところの食品偽装やアメリカ下院の議決の行方などからも明らかであります)



 ダライ・ラマの書で「正しい」という、心理学では禁忌のような言葉がよく出てくるのは、正田もお世話になっている「盛和塾」の稲盛塾長の言葉に似ています。
(稲盛氏は仏教徒なので、上記の六波羅蜜の話も頻繁に出ます)


 この本では、ユニリーバ、GEなど一流企業が「倫理的」「徳ある企業」を掲げ、一定の成功を収めた事例を出し、


「持続可能な環境という考えの中心にあるのは<無我>、相互依存の概念です。これが根源的な自然の理だからです。地球上にある無数の命は相互依存という理に支配されています。

 わたしたちが暮らすこの惑星から、海、雲、森林、花にいたるまで、わたしたちを取り囲むすべての現象が、力と水と空気が絶妙なバランスで組み合わさることによって生じているのです。これらの正しい相互作用なしには、すべては分解し、消滅してしまいます」

 と、述べています。

 ダライ・ラマによると仏教の「ホリスティック(全体的、包括的)な考え」は、西洋思想の「システム思考」に似ているとのことです。


 「環境」を語る人にとっては当たり前のことなのだけれど、

 正田がこの文章に深くうなずいてしまうのは、無意識にこの7年選びとってきた道―コーチングという限りなく自己啓発セミナーに近いところに身を置きながら、ずっと「コミュニティの中の人」という路線を無意識に選んできた―と、この考えかたが重なるからでありましょう。


 「倫理」「徳」

 これらの概念が市場価値を持ちにくいのは、ひとつにはそれがだれでも幼稚園から小中学校くらいまで繰り返し教えられてきたことと同じで、タノシクないからかもしれない、と正田はおもったりします。


 校則を守らせることだけに熱心な強権的な先生の顔と重なったりするかもしれません。


 それに比べると心理学は「学校で教わったこと」へのアンチテーゼ的なことを言ってくれるので、無心に楽しめるかもしれません。



 「倫理なき社会」「徳なき社会」の不快や不便さをもっともっと感じないと、これらの概念が社会全体から強く希求されるようにはならないのでしょうか。
 
 
 ひとりの宗教者からの呼びかけ以上のものになるには。