日本の女性はインフォーマルに強かったのだ。

 日本の教育力・経済成長力は家庭の中の「女性の権威=親の権威」によって支えられていたのだ。


『世界の多様性〜家族構造と近代性』(エマニュエル・トッド著、藤原書店)を読んでの私の読後感は、短くまとめるとそういうことになるでしょうか。



 フランスの歴史学者・人口学者・人類学者であるトッドの1980年代のこの研究は、いまやこの分野のスタンダードになりつつあるようです。


 それによると、アメリカを含むアングロサクソンの家族構造は「絶対核家族」といい、兄弟は長子相続などではなく父親の遺言によって遺産相続し、結婚した息子夫婦は両親から離れて暮らす。この「核家族」の形態は、産業革命以前にすでにみられたそうで、産業革命はむしろそれにふさわしい家族構造のところに「内発的」に起こったといいます。


 そこでは親の権威は比較的弱く、自由主義、個人主義が強い。

 
 
 そしてヨーロッパでもドイツ、オランダ、デンマーク、それに日本や朝鮮半島では「権威主義家族」であり、そこでは長子相続が行われ、結婚した長男夫婦は親世代と同居してきた。

 
 そこでは女性は表立ってではないが、家庭内の実質的な権威が強く、子どもの教育を担ってきた。親は規範を下の世代に伝達する機能を担ってきた。このような地域の教育・成長の潜在力はあらゆるカテゴリーの中でもっとも強い。


 このほか「平等主義核家族」「内婚制共同体」など全部で7つのカテゴリーがあり、(このあたりの分け方は、ロジカルシンキングのMECE〜ミッシー〜を思わせます)


 アングロサクソンの「絶対核家族」は、決して世界の多数派ではなく、むしろ少数派と考えたほうがよいのだそうです。


 こうした家族構造ごとの政治行動、経済行動、それに他殺傾向・自殺傾向などにも触れられており


(日本は親子間の緊張が強いので神経症的、内向的で自殺が多い、ヨーロッパも産業革命後の自殺率は19世紀から20世紀にかけて「高値安定」している、北米大陸の他殺率はヨーロッパの10倍強、など)



 読んでいると自然と、「グローバル・スタンダード」に合わせることが本当にいいのかな、と懐疑も起きてきます。


 この本が書かれた時点では、ハンチントン式の「先進国」「途上国」という二分法へのアンチテーゼを意識して書かれていたことでしょう。


 
 さて、「親の権威」無しで社会を構築することは、日本ではできるのでしょうか。




 正田の仕事(コーチング)では、つねにつねに個人の自発的な気づきによって答えがみつかっていくのかというとそうでもなくて、

 
 たとえばある「問題行動」の多かったリーダーに、

 「お父様の教えで心に残っていることは何ですか?」

 と、質問した。


 先方はしばらく考えて、

「『人に迷惑をかけるな』ですね」

と答え、その後この人の「問題行動」はめっきり減った。


 コーチングといえども「土俗的」なものの助けを借りている、

 むしろ多くの場合、「土俗的」な目に見えない枠組みを前提として、その中で個々人がどう振る舞うか、という話をしている、と思ったほうがよいでしょう。


 オリンピックで金メダルを獲りたい、というような特殊な目標達成の場合は別にして。