さて、先日このブログでお話ししていた助成金の結果は、やっぱり「不採択」でした。


 きのう通知がきて、ほぼすべての項目で満点の半分以下の点数でした。

実際に書かれた点数を挙げておきますと:

公益性(満点40点) 16点
計画性(満点40点) 22点
効果 (満点60点) 23点
先駆性(満点20点)  8点
将来性(満点40点) 23点
合計 (満点200点) 92点

 ふ〜ん、っていう感じです。人は感じ方それぞれだな〜、とか。


 結果はともかく、人前で次から次、言葉につまらせるような「悪意の質問」を繰り出されたことが、私はとっても悔しい。


 いかにも「強者から弱者への質問」、もっというと「被告人尋問」のようだったから。


 それに大学教授の審査員同士、奇妙な連帯感で、一人が攻撃的な質問をするとほかの人も同じようなトーンで同調する、追撃する、という構図がみえみえだったから。いわゆる「袋叩き」というやつです。


 そして明らかに審査員の質問文の中に「事実に基づかない印象論」や「認識の誤り」があり、みている人に悪印象を植え付けていた、また審査員同士も影響されあっていた、と思います。


 「空気を読む」時代。審査員は、学生さんがするのと同じような、自立していない思考法をしていたことになります。

 ボランティアの裁判員でも、自立して思考することを求められるというのに。


 正田はおもうに、もし本当にわが団体の企画提案が「ボコボコに袋叩きにされる」に値するような価値のないものだったなら、書類審査の段階でそれは見抜けるし、落とせるはずです。書類審査を通過している以上、団体同士のレベルは僅差なはずです。


 わざわざ呼び出して、書類審査の段階で質問した方がいいような大きな枠組みの、また申請する行為自体を全否定しかねない(しかも誤解に基づいた)質問をしてきたりすることに、妙なねちっこい悪意を感じます。

 よほど申請に瑕疵があったとしても、「人前で恥をかかせる」必要などないはずです。わざわざ公開の場でさらしものにしたうえで落とすためのショーのようだった。



 いまさら不採択の決定を覆そうと思いませんが、
この審査員の人たちの資質、すなわち人格・品位・思考能力・事実認識能力・視野の幅・ビジネスマナー・コミュニケーション能力・感情コントロール能力などを審査してさしあげたい気が、私はします。
 おそらく、ほとんどの項目で満点の半数以下の点数になるでしょう。(零点に近い項目も)



 
 こうしている間に、市の内外を問わず企業さんはばたばた倒産していきます。路頭に迷う人が増えていきます。そして税収は減り、保護費は際限なく膨らみます。

 
 
 審査員の質問の仕方からみて、「医療・福祉にどう役立つのか?」ということだけが重要で、中小企業さんへの有効なサポートであるかどうかはどうでもいい、かのような価値判断でしたが。(もちろん、当協会の講座は、医療・福祉従事者もターゲットにしていますが)


 当協会の講座に来られる受講生さんは、「社員を増やしたい。そのためにリーダー力を高めたい」と、いうことをおっしゃいます。


 それはひじょうに正しい判断で、人をどんどん採用するような節目にある企業さんは、リーダーを育成していくことが必要です。それがあってはじめて、機運や営業力にふさわしい成長ができ、規模拡大ができるのです。(リーダー育成をしないまま拡大していたら、せっかく採用した人がレベルアップせず不評を買ったり、離職したり、うつになったりします)正田が過去にコーチングで関わった企業さんは、ほとんどのところで雇用拡大をされていました。


 が、そういう正しい判断のできる中小企業さんはまだすくなく、だから正田は8年も時間をかけて、時には自腹を切りながら啓発しつづけているのです。


 ちょっと考えてみて、お父さん、お母さんが仕事が「ある」のと「ない」のとでは、子どもさん方もどちらが幸せでしょうか。あるいは、仕事でよい上司にめぐまれ、気持ちよく働き、にこにこして家路につくのと、そうでないのとでは。



 すごい「しょってる」言い方ですが、当協会の講座に来られる受講生さんも、その部下や生徒さんも、またそのご家族の方々も、お幸せだとおもいます。


 でも、そういう世界からひどく遠く離れた世界が、まだまだあります。公的なことを決める、たとえば税金の使い道をきめる場にものこっています。
 

 足の引っ張り合いなど、している時ではないのに。



 大学の先生方も、生徒さんの親御さん方が学費を払う資力がなくなってしまったら、そのとき初めてわかるでしょうか。

 真摯さというものは、生きるか死ぬか自分の選択次第で決まる、というときにこそ出てくるものだと思います。



 こういうお話をここに書くのは、心中とても情けないものがありますが、

「正田がこういうことを長いこと訴えてきているのに、行政はまたも耳を貸さなかった」
「地域の牢名主のような大学教授たちは、きわめて感情的な反応をした」

ということを記録することは、100年に一度の経済恐慌の時代、いくらか意義があるかと思います。


考えてみると、

「助成金?過去に2回ほど申請してみたけど、大学の先生方が感情的にギャーギャー攻撃的な質問してきて落とされてばっかり。うんざりしたからもう申請しない」

っていうのも、まあ悪くないかも。