4月18・19日のコーチング講座の受講生さんから、「宿題」が返ってきました。


 皆さん、「承認」をうま〜く使われ、そのあと質問もすると部下がよく考えてくれたそうで。


 「ああ、この力は絶対必要だな、と感じました」

 と感想にありました。


 皆さんお忙しい中、お疲れさまでした。


 いちど、「型」としておぼえると、あとは自然体でいつでもできるようになると思います。


 また新たな「企業内コーチ」の巣立ちかな。



 さて、

 正田はコーチングの他流派とあまりお付き合いがなく、偏狭だといわれるときもあるのだけど、


 もちろんあちこちの流派の体系を学ばなかったわけではないんです。


 ただ、正田に言わせると、他流派さんはセミナーやテキストや関連書籍をみていて、「不用意な言葉」をわりあいよくつかわれる。


 どんなのかというと、たとえば

 「人は正しいことを聴きたいとは思っていない」

 とか、

 「だれ一人として、間違っている人はいない」

の、ようなものです。


 何がこまるのかというと、「人は正しい言葉を聴きたいとは思っていない」は、何か正しいことを伝える側が心得としてもっておく分にはよいのだけど、

きく側がそれを振り回すと、正しいことが人間同士、まったく伝わらなくなってしまう。


 本当は、仕事で、不愉快でも「正しいこと」をきいてとりいれなければならない場面は多々あります。それができないと、楽しい仕事、ケチのつかない簡単な仕事しかできない、ひ弱な人になってしまう。ちょっとした壁も乗り越えられない人になってしまう。

 
 こういう、テキストや書籍上は枝葉末節的なことが、意外にその体系の受講者や読者の行動を大事な場面で決定づけてしまうことが往々にある、というのを、正田はみてきています。


 いわば、「バグが全体に影響する」のような。


 
 正田が書いたり人前で話したりすることに一切「バグ」がないかどうかわからないけれど、一応、ものごとを言いなおしたり、

「この表現は正しい場面はあるけれども程度問題です」

みたいなことを言ったり、

極力現場から遊離しない努力をしているつもり。



(そういうことを言っていると、また助成金審査の場などで大学の先生方に、「あなたは学者ですか?」という、これは賛辞ではなく反感や悪意の言葉として言われたりするのです、はい)



 まあ、そんなわけで、正田はわりあい他の流派の受講経験者さんや本を読まれた方とおつきあいするのが苦痛です。


 「バグ」を信じている人が結構いらっしゃるので。


 一方で、これも「しょってる」言い方ではありますが、正田の体系を納得して学ばれた方々とはスムーズに会話できますし、皆さん自身会社の中で伸びていかれ、高業績を出したり高い役職につかれたりしています。残念ながら事実だから仕方ないです。


 正田が「偏狭」な理由、ちょっとわかっていただけましたでしょうか。