前の日記で、表題のふたつの病気についての本の読後感を書きましたが、


 
 その中で「私にも当てはまりそう」ということを書きました。


 「プロコーチ」がそういう自分の人格の欠点をさらすのも珍しいと思いますが、

 なぜわざわざそういうことを書くか。


 
 ご説明しておきたいと思います。



 こういった、人格障害などについて知識を仕入れておくのも、複数の人をまとめる仕事の人にとっては一定の意味のあることです。


 あるグループメンバーの人に対して一般的な指導法を定石どおり良心的にやっても通用しないときに、指導者が過剰に自責的にならずに、相手の障害に即したやり方をしてみよう、と考えることができます。


 一方で、「自責をふせぐはたらきのある」ものは、同時に、「他責を促進するはたらきがある」のです。


 必要以上に多くの人に障害の嫌疑をかけてしまったり、自分がほんとうにオーソドックスな指導法を定石通りやったといえるのかを内省する手続きを省いてしまったりします。


 「相手が悪い」のワナにはまってしまうのです。



 人格障害についてのお勉強も大事ですが、一方でリーダー、指導者は繰り返し「内省」をする必要があることには代わりはありません。


 他人に「障害」のレッテルを張るに際して、自分にもそれと同様の、あるいはそれに匹敵する人格的な偏りがないかどうか考える。


 また、自分が正しい手続きを踏みはずさずに指導したかどうかを考える。




 ちゃんとそういう回路をもっておかないといけません。

 人を指導するということは本来おこがましいこと。自分を繰り返し疑わないといけません。



 そういう含意をわからないで、正田が「あたしも人格障害かも〜」と言ってると、「あ、正田ってダメなヤツなんだな」と安心しちゃう人も多いですネ。


 もともと他責的・ディスカウント的な傾向のつよい人はそうだと思います。


 私は、自分を権威づけようとは思わないけれど、「謙虚なリーダー」を育てたいがために私が意識して振る舞っていることについて、自分には一点の曇りもないかのように権威ぶっているほかの先生より「下」にみられるのは勘弁してほしいし

(そういうのは、話している相手の発散する空気でわかる。だれかに義理立てして正田をそれより「下」に位置づけたい一心で会話している)、

当協会のプログラムをそれがために「下」にみられたくはない。

 




 また、当協会プログラムの著作権問題が発生。


 あたしが男だったら、こういうこと起こらないで済むかなあ〜。



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