ある研修機関に行って受講した時、人々がひどくエネルギッシュになり、自己表現ずき、アーチスト的になる半面、傷つきやすく、他人からの厳しい意見を受け入れられなくなることに気づいた。


 それは制約をうけずにのびのびとお絵かき粘土細工をする幼児に似ていた。
 40代や50代の大人なんだけれど。
 「自由」「表現」をこのんだ。



 「幼児化」とも呼べる一方で、
 その変化は「老化」の一形態とみることもできた。


 興味関心の幅が狭まり、他人の予想外の反応にひたすら怯え、予想外の反応をする人を避けるようになる。この人たちとよい関係を維持するには、こちらがひたすら共感的に、あるいは迎合的にふるまっておつきあいするしかないのだ。


 認知能力の衰えた人にも似ていた。


 この人たちは、興味のもてるごく狭い範囲のこと以外に対しては、学習能力が低下してしまったんじゃないだろうか。



 そうして、私はある研修機関をある時期から推奨しないことを決めた。



 しかし、そうした作用をもつ研修機関は、そこだけではないようなのだ。


 きりがない。あとから、あとから。


 暗澹たるおもい。「禁書」の長いリストを作らないといけないかもしれない。


 ある田んぼが1枚全滅になってしまった。




 よくみると、今回問題になった本は、「人は感情で動く」というフレーズを使っている点が、推奨しないことにした研修機関と似ていた。



 あくまで私の経験からいうと、
 「人は感情で動く」というフレーズに暴露すると、その人の脳は「感情系優位」になる。

 
 「感情系優位」という言葉は脳外科医・築山節氏の著書にみられる言葉で、どのくらい一般化されているものなのか知らない。しかし、この概念を使うことで確かに説明がつくことがある。
 


 「感情系優位」になった人は、疲れやすく、だらしなくなる。行動量が減り、うらみがましく愚痴っぽくなる。ちょうど、1日の終わりに疲れきって理性が弱ってきた状態が「感情系優位」だ。


 「感情系優位」になった人が、だから、興味関心の幅が狭まるのは自然なことだし、好きでないことは避けるようになる。


 
 この状態の人はまた、反発心や反感、ネガティブな感情が表に出やすいようだ。ちょうど、幼児が両親に甘えながら反抗している状態と同じである。とにかく理性のはたらきが低下しているのだから。


 残念ながら「感情系優位」になったとき、共感能力は高まらないようだ。人々はより利己的に非理性的になる。


この人たちには、礼節にもとる行動や非倫理的行動、他人の気持ちなどお構いなしの行動や他人をあざわらい見下す行動もよくみられる。


 「理性がなくなる」とは、そういうことなのだ。



 当然、仕事の遂行能力は低下する。上司に対して反発が出やすくなる。モチベーションが下がる。

「人は感情で動く」というフレーズが、部下のモチベーションアップを意図して使われているのだとしたら、とんでもない真逆の作用である。



 だから、当り前だが理性は大事なのだ。教育は大事、躾は大事。していいこと、悪いことを教え、集団の中で果たすべき義務はやること、最後まで遂行することを、本人が望もうと望むまいと「叩き込む」。


 それは幼稚園の年長〜小学校〜中学校の間にやらなければならない。 
 また、大人になってからもその教育の意義を否定してはならない。



 その「理性教育」、つまり躾の意義を否定するような人材育成の研修や本は多い。

 
 「人は感情で動く」―いいかえれば理性は重要でない、というフレーズは危険な呪いのようなものなのだ。


 いちどそのように洗脳されてしまった人は、にどと(脱洗脳をしない限り)理性の力で自分を奮い立たせることができない。


 「今日は雨が降っているから家を出たくないなあ」と思ったら、立派な引きこもりのできあがりである。



 くわばら、くわばら。


 世に「人は感情で動く」と自信たっぷりに書いてある本は何冊出ているのだろう。



 私はそういうのに「かぶれた」人をいちいち脱洗脳したり、躾けなおしてあげるほど暇ではない。

 一般に、厳しい言い方だが子どものいない人ほど「かぶれやすい」ようである。「感情系優位」が実は「幼児化」と同じ現象だということに気がつかない。


 また、子どもをもつ人や学校の先生がいかに大変な手間をかけて、幼児を社会化して―つまり躾けて―大人にしているかにも気がつかない。


 
 夕ご飯。

 子どもたちにまた、


「あんたたちがいてくれて良かった。母さん幸せ」


という。






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