池谷裕二さんの『脳はなにかと言い訳する』新潮文庫版をよむ。


 単行本のときも一度読んだ気がするのだけど。



 「社会の現場で優位な対人関係にいる者ほど(海馬)神経細胞の増殖力が高まる」というプリンストン大学のグールド教授の論文を紹介。


 具体的には、複数匹のネズミを飼育すると、集団の中で強いネズミと弱いネズミが出てきて、
このとき社会的に有利な立場にいるネズミのほうが、細胞の増殖能力が高かった、ということです。


 それを引き取って池谷氏は

 「海馬の健康を考えたら、上司の前ではペコペコとしながらも、内心はちょっと相手を見下しているくらいの自信を隠し持っているのがいいのかもしれない」


 と、いう。



 あとの文章では少し訂正めいて、


「ただ、こうした実験結果は、マスコミ受けすることもありまして、特定の側面ばかりが強調されて一人歩きしがちです。現実的には、どこまでヒトにあてはめられるかは、少しばかり慎重に見ていかなくてはいけないと思っています」


 ともいっています。



 池谷氏の最初のコメントは、同氏の生年(1970年)を考えると、またもともとの単行本が執筆された時期を考えると、ああ年齢相応だなあ、つまり「部下目線」だなあ、とおもう。



 実は私は数年来、「学びずき」と「対人的な見下しずき」は共存しやすい、とおもっているので、このネズミの実験結果は、社会的に優位か否かをべつにして、


 「学びずきな人の対人優位心理」を説明しているようにおもえる。もちろん、もっとべつの視点から調べてどんどん裏づけてほしいとおもう。


 たとえば中小企業の社長さんが経営者向けの学びの場に毎晩毎週末のように足を運び、高揚感に包まれて朝礼で長々と話をしている図。


 また、「カツマー部下」とよばれる、若者向けのビジネス書や自己啓発書をこのんで読み、責任や雑用は引き受けないくせに上司を見下す20代〜30代の方々。


 ビジネススクールのMBAコースでは、まさに「学びが人を隔てる」現象をみた。
 彼らは、さぞかし学びを鼻にかけて鼻もちならない人に育つのだろう。


 また、コーチングや類似の心理学的手法でも、高度さを売りにして専門用語をバンバン使うやつに、やはり見下しずきを育てる傾向があった。


 大体、料金の高いセミナーを受けると、人は人を見下すようになる。


 「見下し」は対人軽視であるとともに、現実軽視でもある。


 なぜなら、「事件は現場で起きている」、何か起きたときの第一報は現場でそれを見聞きした「人」から入ってくる。


 その「人」を見下していたら、その人が少々慌てふためいた口調で電話してくることを真剣に捉えるはずがない。



 では、「承認型コーチング」は?というと、


 「人を見下さない人」を育てている、つもりである。



 学ぶことは私もすき。学びずきでなおかつ人を見下さないで生きることは大変にむずかしい。


 私がささやかにしていることはといえば、なにか話すときに自分の考えの出典をつねにオープンにする。隠し球のようなことをしない。
 あと、目の前の「人」からつねに学ぼうとする、好奇心と畏敬の念をもつ、ということだろうか。



 ところで、脳科学者の書いたものは、池谷さん以外にも、


「ルーティンな仕事を言いつけてくる上司の言うことはきくな」

―自分の脳を「慣れ」でだめにしてしまわないために―


と言っていた人がいたし、どうも「個体最適のすすめ」になりがちである。


 「メス」と言ったら即メスをくれる、訓練されたナースがいなかったら、外科医は仕事できるんだろうか。


 そういう意味では脳科学者も、若者向けオピニオンリーダー達と同様、いや科学者だからひょとしたらそれ以上に、組織に対して罪ぶかい。




神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp