やっと、年賀状の図案と文案が決まりました。


 「こうべイクメン大賞さんのお手伝いしたって年賀状に書いていいですか?」


と、藤井淳史さんに伺うとこころよく承諾。また、「承認大賞のお手伝いしたって書いてもいいですか?」と、逆に尋ねられました。


 光栄なことです。


 来年は市の男女共同参画課が、こうべイクメンさんに全面協力するそうです。


 
 



 このブログで、「何かを学んだ」と書くことについて、人に尋ねられました。


 目的は、


・私自身の「記録」や「おさらい」でもあるし、


・フェアプレイの精神。人と話すとき、変な「闇夜のつぶて」をやらない。「自分は何を学んだ。出典はこれこれだ」と明示することで、勝ち負けが目的ではなく、材料を提示して共同作業で真実を探求するのだ、という姿勢を示すこと。


 これは学ぶことが好きな人で勝ち負けが好きな人、自己開示をこのまない人に多いのだけれど、何かを学んだことを、シークレットブーツのように隠す。そして、凄い本の著者とかセミナーの講師とかと自分を同一視してしまい、(つまり、その人と同じように自分が偉くなったように錯覚し)、ほかの人を見下す。言葉の端々にそれが垣間見えることがある。


「自分の職場にはロール・モデルになる人がいない」と豪語していた人がいたけれど、社外に際限なくロール・モデルを求めることは、今の時代、間違いなくできる。ただ、それは自分が外部の偉い人と同格に偉くなったことを意味しない。


 そうして、目の前の人のかけがえの無さを感じない理由、リスペクトしない理由を際限なくさがすタイプの人がいる。学ぶことが人と人との間を隔てる。私はそれをしたくないから、「自分は何を学んだ」と平気で書く。学んだからといって私自身は相変わらず大したことのない人間だけれど、判断材料のアーカイブは一応その都度増えていっている。それを人に紹介することもできる。



・「自分が何から影響されて現在の意見をもつようになったか」を自覚し、明示するというのは大切なこと。それを明示しないでいると、目の前で取りざたされている現象にそぐわない、奇妙なstickが起きることもある。「何から影響されている」と自覚することは、そのことから必要に応じて自由になれることにもつながる。



・記録することというより際限なく学ぶことの意味だけれど、正解はひとつではないことを知り、正解の幅を知っておく。それは「承認」の幅を広げることにつながる。


・学んだことをあらかじめ書いて整理しておくことによって、それをアウトプットするとき未整理な形で長々としゃべらずに済む。最短の言葉で伝えられる。


・・・


 なんか上記のことどもを書いていても「偉そう」感が漂っている。この記事はわりと独り言に近いのでお許しください。


 
 
 
 WEBサイトの更新がやっと本格化してきて、姫路のサイト制作会社、(株)ウエストデータプロの社長、長沼実侑紀さんとメールのやり取りが続く。


 Twitterに、


「@n_miyukiさんとのサイトの打ち合わせ。実はかなり細かい修正のお願いをしているがすべてこころよく応じていただく。さすがデキル女性社長、話が通じやすい」


と書いたら、


「もっと褒めて!」


と、すかさず御本人から愉快なリプライ。



 「さすが女性社長」ではなく、「さすがデキル女性社長」としたところがミソです。(^^)v


 優秀な女性は、女性だからということでなく自分ならではの能力を褒められたい。

 まずはできることからやっていきましょう。





 このブログでこのところ「女性」についての記事が続き、それについてご意見もいただいたのだけれど、


 ほかの人を主語にすると差しさわりがあることについて、あえて「私」を主語にすることがあります。(仕事の中でほかの人のケースについて見聞きしていて、心に「ずしん」と来ることがあります) 


 「私」を主語にすることで「私」が傲慢だとみられることは、致し方ないかな、と思います。長沼さんは、たまたま差しさわりがない話だったのと、さばけた人柄の方なので「ネタ」にさせていただきました。





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