インフル接種の副反応か、頭痛腰痛と発熱でほぼ寝たきりの1日。


 「帝国ニュース兵庫県版」第27回の原稿は、締め切りの翌日、よのなかカフェの当日になって督促がきて慌てて書くというプロ失格の事態で、練るひまもなく書いたもの。


 http://c-c-a.jp/tdb/report27.html


「人口の半分を仕事に動員するために」と、このブログでこのところよく出る「女性」と「仕事」の話題。


(いちどに頭に色々なことが入らないキャパなのだと思う)


「これ、論理的に大丈夫か不安です。大丈夫でしょうか」


 ゲラを送っていただいたときに私は言い、


 編集者Sさんはその後単語を二か所修正・削除していただいたほかは大きな修正はされませんでした。


「いつもと違う雰囲気の記事ですね。反響が楽しみです」


と仰いました。



 その後とくにこれに特化した反応はきていないけれど、このところ私が「女」の「仕事」について続けて書いていることが、先日の「認めるミドル限定忘年会」でも話題になりました。


 旧知の人ばかりなので好意的に受け止めてくれたようですが―、


「あれは、きらわれる話題なんですよ。あのトピックを書いているとアクセス数落ちますよ」

 と私。



 そして、きのうたまたま買った『週刊新潮』の渡辺淳一氏のコラムでは、


「男女関係から変えよう」


と題して、女性の主婦願望、婚活のむずかしさなどについて取り上げていました。

 そのなかで、



 かつてあれほど、希望を胸に颯爽と社会に出ていった女性たちが、働くことに失望したのは何故なのか。


 その背景には、女性の就職難という大変さが大きくのしかかっていることはたしかである。

 しかし、はたしてそれだけなのか。今一つ問題なのは、日本の労働社会での女性への差別である。


 現在、海外で国際結婚する日本の女性は年々増加し、間もなく一万人に達するといわれている。これに対して海外在住で国際結婚する日本人男性は千五、六百人程度。女性と比べて圧倒的に少ない。


 しかも、これら海外に住む女性の大半が生き生きと働き、さらに結婚もしているケースが多い。


 その彼女たちにきくと、日本の職場は女性差別が未だに根強く、働きにくいという。


 外国では、女子の採用に当たっても年齢はあまりきかれず、能力次第でそれなりの仕事を自由に任せられ、なによりもいいのは、子供がいても働きやすい環境が整っていることだという。


 これに対して、日本の企業では、いかに優秀な女性社員でも役員に登用されることはきわめて少なく、ほとんどが企業に使い捨てられる駒にすぎない。要するに、女性が社会に出て働くことに、企業も社会もまだ馴染み切れず、適合していない点が多すぎる。


 こうなると、女性の主婦願望は、単なる若い女性の後退的発想というより、各種企業や一般社会にはびこる、男性中心社会への反発、そして女性蔑視の結果、といえなくもないようである。





 うん、渡辺淳一先生ワカッテル。


「『神戸のオンナは働きたがらない』は本当か」


 という論を立てたときに、私の頭には既にこういう仮説があったのは事実。


 当日の議論を誘導してしまうようになるけど、


 ホントは働きたくないんじゃない。企業に一度勤めたら、そこでは「自分が自分じゃない」「ただの女子社員という記号として扱われる」ことに絶望してしまうから。


 それは、「承認論」でいう、「人が働く動機づけの最大かつ根源的なものは『認められたい』という承認欲求だ」、しかし「人はその欲求に自ら気づくことは少ない。それは潜在する巨大なマグマだ」ということと重なります。


「退職者に退職理由をインタビューすると、ほとんどは報酬やポストなど、表面的な不満を語る。しかし少し時間をかけて深層心理をきくと、そこでは人間関係への不満や、『認められなかった』ことへの不満が噴出する」。



 女性たちの「未就職希望」(働きたくない)も、そのように読み解くことができるのではないでしょうか。証明はしにくいにしても。




神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp