このところ私の本棚に増えているカテゴリ「国際教養大学」。


 秋田県に設立6年にして就職率100%、ナンバーワン大学としてこのところ脚光を浴びているこの大学の理事長・学長、中嶋嶺雄氏の本であります。



『「全球(グローバル)」教育論』(西村書店、2010年3月)

『なぜ、国際教養大学で人材は育つのか』(祥伝社黄金文庫、2010年12月)

『世界に通用する子供の育て方』(フォレスト出版、2011年1月)



 

 詳しくない方のために解説させていただくと、国際教養大学は6年前、秋田空港近くの別の大学の跡地をキャンパスとして誕生した新設の公立大学です。

 周囲に遊ぶところ何もない自然豊かな環境、無垢材作りの24時間オープンの図書館など、勉強に集中できる環境に学生たちを入学後1年間は全寮制で住まわせ、キャンパス内は講義も生活も英語だけ。在学中に海外の有名大学に1年間留学させることも義務づけられています。そして実務教育に偏らない、教養学科に力を入れたカリキュラム。



 そうした徹底した「英語教育」「グローバル教育」そして「教養教育」が効を奏し、現在就職率は全国ナンバーワン。全国の有名企業が秋田のキャンパスでわざわざ説明会を行い、この大学の卒業生は学力だけでなく人格的にもしっかりしている、と折り紙つき。



 既に、センター試験の点数の同大学の合格ラインは97%で、京大を超えたとのことです。


 と、きわめて高い成功を収めている大学の教育方針ですが、これは創設者にして理事長・学長の中嶋嶺雄氏(元東京外国語大学学長、国際関係論・中国政治学)の強い信念とリーダーシップの賜物。


 このブログにも過去に何度か触れていますが、わたくし正田は実は外語大学長になる前の中嶋氏のゼミ生(1986~88年に学部生で在籍)だったのです。中嶋氏の教育理念はその当時も今もまったく変わっていません。


「英語教育は大事だ」
「教養は大事だ」
「海外へ行け。現地現物をみよ」
「地域研究は大事だ」
「学際的であれ。マルチディシプリンであれ」
・・・


(ただし、「英語学習」に関しては私は劣等生だったのですが。中国留学歴があるので中国語は当時はよくでき、時々通訳にかりだされていました)


 そして、中嶋氏が東京外大退官後、「秋田へ行く」という決断の前に揺れていた時期の2002年春でしたか、先生の東京都板橋区の自宅に遊びに行って相談を受けたことも思い出の一つです。決して決断に直接かかわったというような会話ではなく、ただ先生が「秋田」ともう一か所、「島根」だったか、2箇所の行政府から新設大学の経営にと招請を受けていて、招請を報じた地元紙の記事を見せながら「どちらがいいかなあ、佐与さん」と尋ねてくれた、というぐらいです。


 
 既存の大学が大胆な改革をできない中、中嶋氏自身も東京外大学長として「教授会」の意思決定の遅さなどに手を焼いた結果、新設大学において「教授会」がほとんど決定権をもたない独特の意思決定メカニズムを作り、学長のリーダーシップを反映させやすくした。その結果が、現代の日本において奇跡のような、地方大学の教育の成功です。



 正田はつらつら考えます。教育機関においての「建学の理念」、そして「建学の祖」という存在。例えば早稲田の大隈重信、慶応の福沢諭吉、同志社の新島襄といった。


 なぜ、「建学の祖」が、動かせない存在なのか。

 それは結局、それぞれの混迷する時代背景の中で、ある教育理念やメソッドを提唱した人がいて、それが成功を収めるには相当に強烈な、ある意味クレージーな信念、情熱と継続期間が要り、またそれに高いレベルでコミットした、いわば言葉は悪いが「狂信性を共有」した人々の集団があって、新しい教育ははじめて成り立つし、あとに残るものになる。


 そのとき、あるひとつの「10点レベルの正しさの信念A」を貫くときには、それと似て非なるすべてのもの、7か8程度の正しさをもった他の選択肢を捨てる覚悟が要り、それらを捨てて初めて「信念A」はパワーをもつ。信念Aを実効性とパワーのあるものにするために、周囲の人々も、その「捨てる」作業を受け入れなければならない。


 往々にして、「Aをやる!」と一つの路線を打ち出したときに、「いや正しいのはほんとにそれだけか。BもCもいいじゃん」と、ほかの選択肢に目移りしたくなるのが人間のさがであります。情報量の多い現代ならば一層。しかし反発したり目移りしたくなるのをこらえて、打ち出した1つの路線でまとまってやり続けなければならない。


 教育はとくに、成果を出すまでに「時間」の要る作業であります。その「時間」のあいだ、反発や不満をこらえなければならない。(というか、そもそも反発や不満をおぼえるぐらいならともに行動しない方がいいのでしょう。)


 おそらくそれがどの世紀にも繰り返されてきた人の世の理で、IT化の時代だからといってそのプロセスが加速されらくになるわけではないのであります。

 むしろIT化のために、青少年のナルシズムという厄介な問題が拡大され、教育のむずかしさは倍加しているし、情報量が多いために目移りもしやすく人がばらけやすく、それをこらえるにはかつてなく意志の力が要ります。



 中嶋氏の古くて新しい教育論の正しさとともに、ひとつの教育を成功させた強靭な人格の力もまた、賞賛されるべきでありましょう。中嶋氏のもとにまとまった人々の群像も、また。



 もうひとつ、このところ私の中でぐるぐる回る問いは、

「『企業内コーチング』や『承認』を標榜してやってきたけれど、目指すところは、というか根底の問いは、中嶋氏と同じところにあるのではないか。すなわち、

『日本人は、世界に生き残れる民族たりえるか』


―私流に言えば、強く、賢く、優しい民族として生き残っていけるか


ということであります。




 昨年来の中嶋先生との約束をやっと果たせることになり、4月18−19日と、国際教養大学を訪問見学させていただくことになりました。


 
 詳細は、またこのブログでご紹介させていただきます。



 
神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp