「御社でコーチングを学ぶと、コーチングの指導者になれますか。講師になれますか」

 という電話がかかってきた。東北地方に住む女性会社員の方。


 残念ながら、当初の2日間講座を受講されただけで即指導する側に回ることはできない、当協会的には、指導するということは大量の質疑に応じられるようになることが必要なので、最低でも1年半から数年の修業期間が要る、という意味のことをお伝えすると、がっかりした様子で電話を切られた。


 これはあくまで「指導する人」になるためのことを言っているので、「職場でコーチングを行う人」―企業内コーチ―になるための学習期間とはちょっと別なのです。初歩的なコーチングを使うことは、最初の2日間講座で充分にできます。


 もっと極端な例でいうと、以前ある定年退職後嘱託の男性に
「三宮で定期的にコーチング講座をしている」
という話をしたところ、

「日程教えてよ。オレが教えに行くから」

と言われて苦笑したこともあり。そんなに簡単なものではありません。


 いい機会なので、私の考える「教える人の要件」について、一度まとめてみたいと思います。


 人に何かを教えるということについて、「怖い」―「恐れ」「畏れ」の気持ちや、「おこがましい」という気持ちを持てるだろうか。


 「自分には人にものを教える資格などあるのか」と、自分に繰り返し問い、わが身を切り刻むような内省をしたりするだろうか。


 往々にしてそこにあるのは、

「人より優位に立ちたい」
「上から口調でかっこよくしゃべりたい」
「タレントのように人前で流暢に話し、注目を集めたい」
「尊敬されたい」
「虚勢を張りたい」
「人に影響を与えたい」
「言葉1つで人を動かしたい」

という気持ち。


 これらはすべて、当協会的には「煩悩」「欲」として、人を教えるという行為には邪魔なものと考えています。


 自己顕示欲から発して言葉を発してはいけません。それは、実際の自分より自分を大きく見せたいあまりに、「言葉が滑る」現象につながります。言っていいこと、悪いことの区別がつかなくなり、事実と異なることを言ったり、根拠のないことを言ったりします。


 意外なようですが、「人前でじょうずにしゃべる」ことは、女性の得意分野のようにみられがちですが、実は男性的な作業です。俳優、タレント、法廷弁護士、などの職業は、テストステロンの高い人が成功します。人前で流暢に魅力的にしゃべることにテストステロンが大きくかかわってきます。


 ただしテストステロンはウソをつくホルモンでもあり、流暢に魅力的に話すからといって話の内容が真実だとは限りません。受けを狙うために誇張して言っているかもしれないのです。


 アメリカの法廷弁護士は陪審員に好感を持たれるために話すスキルを発達させていますが、そこで成功している、タレント的人気を集める弁護士は非常な高テストステロンだったということで、
陪審員受けのするプレゼン術が、ウソをつくのと同じ資質から生まれるというのは興味深いことです。


 
 また一時期、「コーチングの研修講師」は、流れるように美しく楽しく魅力的に、ジョークを交えながら話すタイプの人が主流でした。そこで当時、

「コーチングって上手に話すこと?」
「面白おかしく話すこと?」

という誤解を招いたきらいもありました。

(もちろん、すくなくとも「企業内コーチング」は、そうではありません)


 当協会はそことは一線を画します。

 訥々とでいいので、丁寧に誠実に相手にわかるように話しましょう。

 面白おかしく話すと、謙虚に事実や論理に忠実に話す姿勢から離れてしまう。


「自分はここまでの人間だ。決してそれ以上ではない」
「しかし、ここまでは確かにやってきた」

等身大の自分を引き受けながら話しましょう。
「自信」と「傲慢」は、紙一重です。正しい自信をもちましょう。


人になにかを教えるのは、

素晴らしい優秀な自分を表現したいためではない、他人に優位に立ち上から目線で話したいからではない。

ただ純粋に相手の役に立ちたい、そのためにこの知識情報を伝えたい、

そういう思いをとことん突き詰めて濾過して言葉に出す。

相手の上からではなく横から、知識情報を手渡す。


それができると、教えたことを相手が取り入れてくれる確率は高まる。

・・・というようなことを、このブログでも繰り返しお伝えしています。


よく観察する現象は、学ぶのがすきな人が色々なセミナーに参加するうち、学ぶ内容そのものへの興味から離れ、それらのセミナーの講師の立場になりたい、という気持ちが強くなってくることがあるのです。

今目の前で話している先生になりかわり、自分自身が先生になりたい。人々から注目を集めながら、大事な人生訓のようなものを重々しく伝え、お説教をしたい。

そういう動機に動かされて講師になりたい、と思う方は、残念ながら当協会で講師をしていただくことはありません。



もう1つ言うと、あくまで当協会でコーチングやその他マネージャーに必要なものを教えるしごとをする場合、

モデリング(模倣学習)の対象になる、ということを意識することも必要です。

話し方だけでなく、すべての場面が。

あなたが部下として、

「この上司は世間的に有名な人というわけではないけれど、この人の言うことはきく」

と思う上司は、どんな人格だったでしょう。どんな立ち居振る舞いをしていたでしょう。


ひょっとしたら、誠実さ。ひょっとしたら、一貫性。ひょっとしたら、謙虚に人の意見を取り入れる態度。

高揚感を与えるような種類のものではない。日常の中に埋没していて、でも一貫したゆるぎない良いものを提示していることの方がそこでは大事ではなかったでしょうか。


スター性、タレント性ではなく、そういう平凡なものに重きを置いてほしい。

あるレベル以上の演出、ドラマチックな声のトーン、あるレベル以上の愛想の良さ、には、
ある程度人生経験を積んだ人であれば、「裏表」を感じとってしまうものです。

「この人、ものすごく愛想が良いけれど、上手に話を合わせてくれるけれど、これと同じことを毎日24時間、部下や家族にやっているわけではないだろうな」

と、思ってしまうものです。


愛想をわるくしなさい、ということではありません。24時間愛想良さのレベルを変えないことが大事なのです。



それから、「人をわざと傷つけて発奮させる」という手法を、当協会ではとっていません。

過去に私の通ったMBAスクールには、確かにそういう手法をとっていた講師がいました。そのスクールの古株の講師でした。

そのおかげで伸びた人も中にはいたのかもしれません。しかし、それよりももっと目立った変化は、そこにいた受講生がどんどん人格がわるくなったことでした。人を傷つけ、つっかかり、あらさがしをし、揚げ足をとるようになりました。

傷つけられた心は、だれかを傷つけたいと思ってしまうものなのです。
そういうことを観察できただけでも、そこに行った価値があったというものです。(私は耐えきれず1カ月半で自主退学しましたが)




今日だけではすべてをまとめきれませんが、そういったもろもろの、私自身の講師としての戒めをお伝えするだけで、おそらく1年から1年半は、優にかかってしまうだろうと思います。
ただ口で言ってお伝えしただけではおそらくわからない、実地で場数を踏む中で実感していただくことも含め。


当協会で人に何かを教える仕事をしていただくのは、充分にトレーニングを積んだうえで、私自身が認めた人にご依頼することになります。




神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp